SANRIZUKA 日誌 HP版   2001/04/01〜30      

ホームページへ週刊『前進』月刊『コミューン』季刊『共産主義者』週刊『三里塚』出版物案内販売書店案内連絡先English

 

 2001年4月

 

〔週刊『三里塚』編集委員会HP部責任編集〕 

(4月2日) 東峰切り回し道路「開通」
 
 小見川県道のトンネル化(暫定滑走路南端付近の地下を横断)工事のための切り回し道路が2日、開通した。天神峰・東峰地区の軒先工事は全面化し、あたりの風景はまさに監獄のように一変している。
 反対同盟はこれに対し、8日の団結花見会の当日朝、抗議デモ行うことを決定した。

(4月3日) 米軍機の着陸 24民間空港、832回(4/4朝日)

 米軍機が国内の民間空港に着陸した回数が、昨年1年間に24空港で計832回にのぼり、99年に比べ31回増えたことが3日、国土交通省の調査でわかった。米軍機の空港利用は日米地位協定に基づくものだが、新しい日米防衛協力の指針(新ガイドライン)関連法をにらみ、着陸増加に警戒を強める自治体もある。国土交通省は米軍側に対し地域の事情への配慮を求めている。自衛隊機は627回減り、72空港で計3万5242回だった。
 米軍機が使用した民間空港のうち、7割強を長崎、福岡、奄美の3空港が占める。米軍施設のある長崎・佐世保港への物資輸送や給油のためとみられている。また、九州・沖縄サミットなどのため羽田への着陸が7回あり、過去5年で最多だった。
 米軍は日米地位協定に基づき、国内の空港・港湾の利用が認められている。着陸にあたって米軍側から事前に通告があるのが通例だが、正式な手続きを経なかったり、空港管理者が断っても着陸を強行したりした事例もある。着陸目的が公表されることもほとんどない。
 これに対し、国土交通省は「日米地位協定がある以上、着陸を断る法的根拠はない」との立場だが、「大阪空港には騒音問題をめぐるさまざまな経緯がある」などと、米軍側に理解を求めたという。

【本紙の解説】
 日米防衛協力のための新安保ガイドライン関連法が制定されてから、米軍の民間空港への着陸回数が増えたことに加え、その内容もエスカレートしている。1つは軍事使用反対運動がある空港への着陸が増えている。大阪と帯広である。次に長崎、福岡、奄美の朝鮮半島に近い空港への着陸が増えている。
 日米両政府は日本の民間空港の軍事使用を積極的に進めている。新安保ガイドラインの具体的運用のためである。日米政府の最大の狙いは成田空港の米軍使用だ。米軍は朝鮮侵略戦争時の戦域における兵站(へんたん)の起点として成田空港を位置付けており、50万人規模の米軍兵士の民間機による飛来を予定しているからである。そのため、いままで軍用機を乗り入れたことのない自衛隊も成田への乗り入れを行った。2月5日にインド地震での災害救助を口実に、航空自衛隊のC130輸送機6機(小牧基地所属)を成田から出発させた(日誌2月5日の項参照)。医療支援の派遣をインド政府から必要ないと断られたにもかかわらず、テント、毛布の配布を口実に行われたのである。
 千葉県はまがりなりにも「成田空港は軍事使用させない」との立場をとっているがペテンである。99年7月の県議会で、当時の沼田知事はガイドライン関連法に絡み、成田空港の軍事利用について「絶対にない。させないという気持ちで対応したい」と述べた。理由として地域住民代表と運輸省との取り決め書の中で「成田空港は民間空港で、軍事目的に利用しない」との記載があり、国会答弁では軍事利用を否定していることをあげていた。
 ただし千葉県は積極的に成田空港の軍事使用に反対しているわけではない。当時の運輸省との取り決め書も、空港反対闘争が軍事空港反対を掲げているので、それにペテン的に対応しているにすぎない。
 しかも理由にあげた国会答弁は、「平時」における「軍民共用空港」のことであり、千歳、三沢、小松、名古屋(小牧)、福岡(板付)、那覇などのように、成田を軍民共用空港にしないという意味である。
 すでに新安保ガイドライン関連法に基づいて米軍が成田軍事使用を要求したときは、国土交通省の対応としては空港管理権そのものを米軍に移す方針だ。これは94年の朝鮮半島危機(北朝鮮「核開発疑惑」で米軍が攻撃寸前の態勢をとった)で当時の運輸省が内規で細目を決めたもの。
 さらに99年3月、新安保ガイドライン関連法の制定過程で、「周辺事態」の際は空港管理者が拒否しても、運輸大臣の「変更命令」で米軍への施設提供が可能との見解を、当時の運輸省が内部資料としてまとめている。
 運輸省は航空法の趣旨から「公共用飛行場については、特定の使用者に対し、不当な差別的取り扱いをしてはいけないことが前提」としている。内部資料では米軍の使用を拒否した場合は、この法を根拠に対応するという。国が管理する26空港については、「民間機の安全を確保することを前提に必要な検討を行い、適切に対応する」などと記され、国として米軍機の飛来を拒否しないとなっている。それとは別に、公団や第3セクターが管理する成田、関西、中部の3空港の空港管理者が米軍の使用を拒否した場合は、運輸大臣による「変更命令」で、強制的に米軍使用が可能としている。
 侵略戦争で決定的役割をはたすB52爆撃機やC5Aギャラクシー(輸送機)などは、3700メートル以上の滑走路が必要である。日本では、成田、横田、嘉手納しかない。民間空港では成田空港だけである。
 つまり周辺有事の場合には成田空港は米軍管理になり、100パーセント軍事空港になる。この成田空港の軍事使用に反対しているのは三里塚闘争と反対同盟だけである。
 堂本新千葉県知事はこの軍事空港の完全空港化を全力で進めると宣言している。絶対に許してはならない。

(4月3日) 米運輸長官 羽田国際化に期待(4/5朝日、東京)

 米国ミネタ運輸長官は3日、日本人記者たちと会見した。同長官は懸案になっている日米航空交渉に関連し、羽田空港の国際空港化の必要性を強調。限られたチャーター便だけの開放では不十分との考えを示した。
 ミネタ長官は「日本政府が開放を考えている国際線は、チャーター便などに限られている。私としては日本政府が羽田空港を国際空港とするような方向性をはっきりと示すよう望みたい」と述べた。
 来年5月にできる成田空港の第2滑走路に伴う増便問題について、同長官は「米国として、交渉の姿勢をどのようなものにするか、まとめている段階だ。ただ、新たなゲートの設置など空港の設備の充実なくして、増便することが可能なのだろうか。しばらく様子をみたい」と述べた。
 またミネタ長官は、前政権に引き続いて「オープンスカイ」政策を進める考えを明らかにした。米国と相手国との間で、国際線の運航路線や運賃などを全面的に自由化する政策で、すでに50カ国以上が米国と合意している。主要国では日本とイギリスが消極的。同長官は「私たちはもう少し、そのことを話さないといけない」と述べ、合意の必要性を訴えた。

【本紙の解説】
 オープンスカイを進める米国の運輸長官として積極的に羽田の国際線完全開放を要求した。成田の暫定滑走路の増便枠について国土交通省と公団は「スロットをめぐり争奪戦が予想される」としているが、米運輸長官が「しばらく様子をみたい」と暫定滑走路のスロットには関心がないと拒否された格好だ。暫定滑走路の使用可能機種は中型機以下であり、ハワイや米国本土への直行便は就航できない。日本政府にB777−200クラスの「着陸だけなら可能」などと勧められても興味を示さないのは当然だ。
 むしろ米国の狙いは、羽田空港の完全開放であり、定期便の就航である。その代わりに使い物にならない成田の暫定滑走路スロットをあてがわれてはたまらないというところか。

(4月4日) 空警隊員を停職処分/酒気帯び運転で事故(4/5毎日千葉版)

 県警新東京国際空港警備隊の巡査部長が酒気帯び運転で事故を起こしたとして、県警監察官は4日、君津市に住む同隊分隊長の男性巡査部長(26)を停職3カ月の懲戒処分にした。

(4月5日) 全日空 シスコ・上海へ毎日運航(4/5朝日)

 全日空は、成田空港の2本目の滑走路が来年5月に使えるようになり発着枠が増えるのにあわせ、サンフランシスコ、上海など5路線について、年間を通じた「毎日運航」へ増強する。
 現在、全日空はニューヨークなど7路線に毎日運航している。新たに毎日運航を検討しているのはサンフランシスコと上海のほか、シンガポール、フランクフルト、ワシントンの自社運航路線。これらは成田の発着枠が足りず、通年では毎日飛んではいない。サンフランシスコでは週5〜6便から週7便へ、上海では週2便から一気に毎日運航へと増強。
 86年に国際線に本格参入した全日空は、その後急激な拡大路線をとった。だが採算に合わない路線が多く、赤字基調が続き、90年代後半から路線縮小に転じている。収益力の見込める路線に便を集中させる方針だ。

【本紙の解説】
 全日空が暫定滑走路の供用開始に向けての営業方針を決めた。暫定滑走路は国内線では、成田空港国内線充実対策検討会が発足して増便を反動的にねつ造しようとしているが、うまくいっていない。国際線ではどうか。日航はその保有機はほとんどがジャンボ機であり、暫定滑走路使用可能の中型機が少ない。暫定滑走路使用はあまり望めない。また米国は飛行距離の関係でスロット要求がほとんどない。暫定滑走路の使用可能性のあるのは、韓国、中国の航空会社と中型機の保有の多い全日空である。
 その全日空が暫定滑走路使用可能な路線の拡充が上海路線のみとなった。全日空が暫定滑走路で使用可能な機体を使っている路線は、東京−北京を週7便(B777)、東京―大連を週2便(B777)、東京−香港週8便(B777)など、基本的にボーイング777である。ボーイング777(スリーセブン)はボーイング767と違い、暫定滑走路での離陸はぎりぎりで、乗客、燃料量、気候次第では不可能になる。
 全日空はこのB777か、先月購入決定した9機のB767−300に変えて暫定滑走路にまわし、現行滑走路で空いたスロットをサンフランシスコなどの自社路線で毎日運航にまわすという方針だ。これでサンフランシスコ路線を週2便増加させる。フランクフルトは現在週6便なので週1便の増加。ワシントンとシンガポールはユナイテッド航空と共同運行で毎日運航している。上海便は現在ジャンボを使っている。
 したがって北京、香港、大連路線のうち、週8便を暫定滑走路にふり向け、明いたA滑走路のスロットでサンフランシスコ、フランクフルト、上海路線を増やすことになる。ユナイテッド航空との共同運行分もそのようにする。最大限、暫定滑走路に持っていっても週15便ぐらいか。年間で約1500回の離着陸になる。暫定滑走路スロット増便の頼みの綱の全日空でもこの程度か。アジア近距離便は羽田での定期便就航が全日空の基本的な営業戦略だ。
 暫定滑走路使用の「頼みの綱」である韓国、中国も羽田での定期便就航を希望しており、暫定滑走路使用には消極的である。

(4月5日) 堂本千葉県知事就任記者会見(4/6全紙千葉版)

 堂本千葉県知事の就任記者会見での成田空港関連発言の概要は以下のとおり。
 「成田は多くの犠牲や深い苦しみ、葛藤を味わうという歴史的な経緯があった。まず、成田の問題解決に全力投入することがまず先だ。国と県が力を出し合って、物流機能の整備された総合的な国際空港拠点として充実させることが先決」と、成田空港の歴史の清算と完全空港化の実現を訴えた。その上で「羽田が国際化することは全否定しない」とも述べ、近く羽田国際化推進の扇千景国土交通相、石原慎太郎東京都知事と会談する意向を明らかにした。

【本紙の解説】
 堂本千葉県知事は就任記者会見で、反対同盟を敵視し三里塚闘争解体宣言を行った。成田問題は「歴史的な経緯がある」としているが、その「解決」と称して国と一体で反対農民を切り崩し、三里塚闘争を解体しようとしている。当選直後に「真摯に話し合う」といったのも、国土交通省と公団の立場からの切り崩しという意味だ。空港建設推進のための「話し合い」なのである。
 三里塚闘争の「歴史的経緯」を逆手にとって「整備された国際空港の拠点として充実させることが先決」とは本末転倒の論理だ。
 環境派を自認し無党派を宣言しているが、堂本知事は典型的な保守政治家である。さきかげ時代、国会で政権与党として反動法案成立のすべてに参画している。沖縄米軍用地特措法の改悪、周辺事態法案(新安保ガイドラン法)、組対法案(盗聴法など)、「日の丸・君が代」法案、介護保険法案、医療保健の改悪法案など、ことごとくに賛成しているのだ。
 「無党派」や「市民派」を装って反対同盟と「真摯に話し合う」というペテンは通じない。農民の生活や、農業問題に見識のない巨大公共事業推進の極悪知事であることは間違いなさそうだ。

(4月6日) 成田空港で煙騒ぎ 県警出動、一時騒然

 6日午後4時ごろ成田空港の第1旅客ターミナルビル地下1階の郵便局付近で突然煙が立ち込め、県警空港署が出動、一時「空港建設に反対する過激派によるゲリラ事件か」と騒然となる騒ぎがあった。
 公団によると、煙が充満したのは同ビルの地下1階のJR、京成の成田空港駅から同ビルの出発ロビーなどを連絡する通路。目撃者によると、天井から落ちてくるように煙が立ち込め視界がなくなるほどだった、という。
 その後の調べで、火災などは発生していなかった。公団は「同ビルの工事の影響ではないか」として詳しい原因を調べている。

(4月7日) 堂本知事/成田問題解決へ意欲(4/8千葉日報、毎日、産経千葉版)

 堂本暁子千葉県知事は7日、成田市内のホテルで開かれた小川国彦成田市長の後援会パーティー「小川市長を元気づける会」に出席、「知事として、どこでも行くと言ってきたが、一番が成田だった」とした上で、「成田空港問題はこれだけ長く続いて問題なので、真っ先に解決しなければならない。自分が解決できるのかと思うが、最後までやる」と解決への決意を表明した。「問題を解決して、希望と夢にあふれる国際都市・成田になってほしい」と地元にエールを送った。
 また、羽田空港の国際化問題でも「石原都知事と会う予定だ。私なりにトコトン主張して、何ができるか見切る中で交渉していく」と話した。
 堂本知事は、会合終了後も小川市長や地元の空港関係団体、経済団体と意見交換を続けた。

【本紙の解説】
 堂本知事は、県内回りのスタートを小川成田市長の私的なパーティーへの出席から始めた。公的な行事ではなく小川市長の後援会パーティーであり、知事の出席義務もなければ、市町村の首長の私的パーティーにでる慣習も千葉にはない。
 にもかかわらず堂本知事が出席したのは、知事と小川市長はともに社会党から保守政治家への転向者だという「同志」的関係による。
 小川市長は堂本知事の当選に「国会時代、気が合って環境問題では一緒に勉強した。対等な立場で協力関係を築いていけるし、特に成田問題では『現場対応』が直ちにできる人だ。国際人であり、新しい展開が期待できるのでは」(4/3千葉日報)と、評価している。
 つまり堂本知事は成田問題「解決」(地権者切り崩し)のために小川市長を水先案内人として「真摯に話し合い」(堂本知事の当選時の言葉)を行う、というわけである。
 これで堂本知事のいう「話し合い」がどのようなものかが明らかになった。「空港問題を解決して、希望と夢にあふれる国際都市・成田」とは、空港反対運動を解体し、暫定滑走路を2500メートルに延長させることである。「話し合い」とは、成田空港完全空港化のための地権者追い出しであり、切り崩し攻撃そのものである。
 堂本知事の三里塚現地への立ち入りを絶対に阻止する。またその手引き者も容赦しない。

(4月7日) 農水省職員ら2人滑走路に進入(4/8千葉日報、産経、東京千葉版)

 7日午後5時ごろ、成田空港で離陸のため滑走路に向かっていた航空機の機長から「滑走路付近に人がいる」と管制塔に連絡があり、6分間にわたり滑走路が閉鎖される騒ぎがあった。公団職員が滑走路北端の立ち入り制限地域にいた男性2人を見つけ、直ちに撤去させた。航空機の運航に支障はなかった。
 2人は農水省横浜植物防疫所成田支所職員(33)とその友人(31)。2人は官用車で第9警備所から制限エリアに侵入、滑走路北端から約200メートルの緑地帯に入り込み、趣味で日没直前の航空機の写真と撮っていた。
 公団では2人と横浜植物防疫所に対し厳重注意を行った。

(4月9日) 堂本知事、成田空港充実を要望 森首相、扇大臣と会談(4/10千葉日報、その他全紙)

 堂本暁子知事は9日、知事就任のあいさつで首相官邸の森喜朗首相を訪れ、「首都圏の国際空港の拠点は成田が基本」として、2500メートルの平行滑走路整備と交通アクセスなど成田空港の国際空港としての機能強化について要望した。午後には扇千景国土交通相と会談し、同様の要望を行った。森首相との会談後に会見した堂本知事は「成田空港の機能強化に向けて県としては国、新東京国際空港公団、周辺自治体との四者で連携を強化するため、連絡会のような組織を新たに立ち上げる」と述べた。
 森首相との会談で堂本知事は「首都圏の国際空港拠点は、従来の国の方針通り、成田空港を基本にしつつ長期的国際・国内航空需要を十分検討の上、総合的な長期構想を確立する必要がある」との見解を表明。
 その上で「成田は暫定滑走路が来年の供用開始予定だが、国際空港としての機能を十分なものとするため(現行計画の)2500メートル滑走路の整備に向け、国、空港公団、周辺自治体とともに最大限努力する」と述べた。
 さらに「成田と都心や羽田とのアクセス充実は緊急の課題」と、成田新高速鉄道の早期整備を求めた。
 また扇国土交通相との会談では同相が「堂本知事は国会議員をしていたのでグローバルな見方をすると思っている」と述べ、「21世紀はお互いに協力していかなくてはならない。権益とかつまらないものではなく、グローバルな視点で今あるものを有効に使わなくては」と述べた。

【本紙の解説】
 環境派、市民派として当選した堂本千葉県知事の反動的本質と成田問題の基本的立場がこの森首相との会談で明らかになった。
 反動的本質をむきだしにしたのが敷地内農民への“切り崩し宣言”だ。暫定滑走路を「当初計画の2500メートルにする」ことを自身の立場として明言、そのために「千葉県としては、国、空港公団、関係自治体ともども最大限の努力をする所存」(同日に森首相に手渡された堂本千葉県知事の要請文)と反革命的に宣言した。
 これほどまでに成田空港の整備に「熱意」を示した知事は過去にいない。成田空港の建設主体は空港公団であり、その所管は国土交通省である。千葉県と周辺自治体の役割は、国の空港建設事業に住民の立場から騒音被害その他で国に注文をつけることだ。それがいままでの歴史でもあった。
 「2500メートル滑走路の整備に千葉県として最大限に努力」という表現は立場をはき違えている。常識的には、県の立場は「平行滑走路の整備に千葉県として最大限に協力」なのである。
 これは扇千景国土交通相が就任間近に成田空港の建設主体を千葉県と勘違いし、「23年たっても2本目の滑走路ができなかった。千葉県の努力の成果が見えていない」と述べ、県側の猛反発を買ったのと同じ間違いである。
 いずれにせよ堂本知事は、敷地内農民切り崩しと三里塚闘争の解体に「最大限の努力」を宣言した。このことは決定的に重大である。
 堂本知事の悪辣さは2500メートル滑走路整備のために千葉県、国、公団、関係自治体の四者で新たな連絡会議を設置したことでなお明らかになった。「用地問題や交通アクセスの問題などを解決していくうえで、四者の密接な連携が重要と位置づけたもので、知事本人の肝いりで発足する運びとなった」(4/10読売千葉版)といわれている。
 この四者連絡会(協議会)は、成田市長・小川国彦が以前から持論としてことあるごとに繰り返していたものである。堂本知事は4月7日の「小川市長を元気づける会」パーティーに参加して小川国彦との「盟友関係」を回復し、成田問題での「指導」を仰いだようだ。
 最近の例では昨年12月の国際線チャーター便の羽田開放の時、小川市長は周辺自治体を率いて運輸省に抗議にいき、「用地問題の解決策、空港問題で国と県、空港圏自治体との定期的協議の場を設ける」などを要求している(日誌2000年12月18日の項参照)(の項参照)。市長は「前向きな回答をもらった」としているが、その後国側からは梨の礫(つぶて)であった。
 小川市長提案の「国との定期的連絡協議会」などに当時の運輸省が消極的な理由は、設置した協議会が見返り事業や周辺対策金などの要求機関になることが明確だったからだ。そのために市長の再三の要求を、国は無視してきた。
 ところがこれが、堂本知事の誕生によってはじめて実現したのである。理由のひとつは堂本知事が羽田国際化に反対しないことを国土交通省に約束したこと。もうひとつは、用地問題の解決=用地内切り崩しを堂本が前面に掲げたことだ。いままで用地問題は国と公団の責任であり、県と地元自治体は基本的に傍観していた。積極的に動いたのは一昨年の東峰・堀越昭平切り崩しの時だけである。
 千葉県が用地問題に責任をとるといっているので、国土交通省としても「打開策のひとつ」になると考え、この堂本提案の四者連絡会を承認したのである。
 堂本知事は県政の最初の仕事として県政史上の「最大の難問」である成田空港問題をすえ、その用地問題「解決」を自分の仕事として「最大限の努力」を明言したのである。
 三里塚闘争は暫定滑走路の軒先工事が全面化する中、堂本知事の地上げ屋的切り崩し攻撃との全面的対決の局面を迎えた。
 三里塚闘争は、「国策」たる空港建設で一方的に強制される土地収用攻撃に対し徹底して反対してきた。そのため全国の公共事業や開発事業による自然破壊に反対する住民闘争や農民闘争の根拠地となり、その総本山的な位置にある。環境派を名乗る堂本知事がこの三里塚闘争に最悪の敵対者として現れたことで、その評価も一変することは間違いない。
 堂本知事による三里塚闘争への敵対行為を全力で粉砕しなければならない。すでに反対同盟は「堂本新知事による農地取り上げ粉砕、土地収用委員会の再任命実力阻止」を掲げ4月20日午前9時、千葉市中央公園に集まり、堂本知事の就任議会となる臨時県議会に対し集会とデモをたたきつけることを決定した。

(4月10日) 成田貨物基地、用地売買で合意(4/11、毎日、読売、4/12千葉日報、朝日)

 県企業庁が成田空港北側の成田市駒井野地区に計画した「成田国際物流複合基地事業」(総面積78ヘクタール)は、「南側三角地区」(24ヘクタール)で用地買収が完了し、構想策定から10年以上を経てようやく計画実行のめどがついたことが10日にわかった。
 公団は「2005年度にも貨物地区として利用し始めたい」と期待を持つ。ただ大手貨物業者はすでに空港周辺に独自の貨物地区を持つ。南側三角地地区に基地が完成しても買い手、借り手つくのか、採算はとれるのか、課題は山積みしている。
 同事業は構想策定当初の予算約1000億円。1990年12月から始まり、当初は2000年完成予定だった。予定地内の用地買収が進まず、昨年になって完成予定を2007年に変更した。用地交渉の難航が遅延の理由だ。
 今回取得が完了したのは、この南側地区の半分にあたる「1期整備地区」(10ヘクタール)。未買収地であった田(約20アール)を成田市内の農家が売買契約に合意した。県は南側1期整備地区での本格的な造成工事に着手する方針。
 一方南側地区の残りの14ヘクタールには全体の約1%にあたる一坪共有地が残っており、今後も買収交渉を続けていくという。
 さらに北側地区(54ヘクタール)ではまだ36%の用地買収がすんでいないため、「予定通り2007年に事業全体が完成することは難しい」(企業庁)としている。
 千葉県では1983年に成田空港、幕張メッセ、かずさアカデミアパーク(木更津市)の3大施設を中心とした「千葉新産業三角構想」を策定。そのひとつの「成田国際空港都市構想」の中で、このプロジェクトを最重要課題と位置付けていた。

【本紙の解説】
 計画してから10年たって当初計画の78ヘクタールのうち、約13%の10ヘクタール分の工事にようやく取りかかった。北側地区はほぼ建設不可能と千葉県も断定している。南側地区も残りの14ヘクタールの中に一坪共有地があり、整備を拒んでいる。つまり、公共事業として13%分だけの工事開始は、残りの87%から実質的に撤退するためである。
 南側の残りの整備を阻んでいる一坪共有地は、裁判にもなった通称「京成の一坪共有地」である。京成電車が地権者と反対同盟に断りなしに工事を進め、反対同盟が工事差し止めの訴訟を起こした一坪共有地である。その一坪共有地の線路にかからなかった部分である。
 すでに完全に破産した事業であり、完成しても「買い手、借り手はつくのか」とまでいわれている。計画当初の予算が総面積78ヘクタールで約1000億円、1ヘクタール当たり約12・8億円の整備費となる。また、整備が遅れていることと今度整備する南側地区は谷地であり、20から30メートルを埋め立てることが必要な地形であり、整備費用は倍増するといわれている。バブルが崩壊し土地単価もさがり、これでは買い手はいないことは確実。千葉県のバブル(崩壊)事業を象徴するものである。
 すでに公団ではこの物流貨物地区の建設の遅れに対応して4月1日、国家予算の公共事業等予備費から約22億円をつぎ込み、空港内南側の整備地区に1ヘクタールの土地に貨物上屋を完成させ供用を開始した。
 暫定滑走路の供用開始で「取扱い貨物が増加する」との発表も大ウソである。暫定滑走路は2180メートルで貨物機は飛ばせない。現行滑走路で中型機以下の航空機を暫定滑走路に回し、その分を貨物機の増便にあてるケースは論理的には想定できるが、すで成田は異常なまでに大型航空機が集中する空港(95%がB747クラスのジャンボ機)で、暫定滑走路に転出できる便はごくわずかだ。よって成田空港の航空貨物が増えるとの発表はデタラメだ。成田空港の条件を無視し、これまでの貨物増加率の単純延長上で計算したものにすぎない。
 結局、成田空港物流基地は、部分的に作っても使い道がない。暫定滑走路の無残な運命を先取りするものとなっている。

(4月15日) 国土交通省南関東懇談会/堂本知事は羽田国際化を容認(4/16千葉日報、東京新聞その他千葉版)

 国土交通省は15日、都内で国土交通省南関東地方懇談会を開き、東京都や千葉県、千葉市などの七都県市の知事、市長と経済団体の代表が空港問題や高速道路の整備などについて意見交換した。出席した堂本暁子千葉県知事は同省に成田空港の機能充実、高速道路の整備などを要望した。羽田空港の国際化をめぐって扇千景国土交通相や石原慎太郎東京都知事が積極的な姿勢を示したことに対し、堂本知事は「成田空港の機能充実が先」と千葉県としての立場を強調した。
 空港問題について扇国土交通相は「日本にとって国際空港は(成田か羽田か)どっちだという議論ではなく、今あるものを活用するのが大事」と述べた。
 羽田国際化への意見に対して堂本知事は「そうは言うものの、現在は成田空港が国際空港の中心。滑走路の整備や交通アクセスなど成田空港の機能を充実させることが先」と述べた。
 その上で、千葉県、国、新東京国際空港公団、空港周辺市町村で構成する「四者協議会」を設置することを提案し、来月中旬に初会合を開くことで一致した。さらに、同省に対して環状道路の整備、手賀沼浄化について要望した。
 懇談会には石原、堂本両知事のほか、岡崎洋神奈川県知事、鈴木宮夫埼玉県副知事らが出席。

【本紙の解説】
 国土交通省南関東懇談会での堂本知事の登場は彼女の政治本質と手法を完全に明らかにした。堂本知事は羽田国際化を容認する代わりに、国土交通省に成田新高速鉄道の無利子融資の援助を要求している。これは伝統的保守政治の利権獲得の手法を明け透けに表現している。さらに、新高速鉄道とともに、圏央道と外郭環状線の整備と手賀沼浄化まで要求する姿勢は、保守政治家の典型である開発優先型箱物行政の手法だ。国の交付金要求を第一にする保守地方政治家そのものである。「市民派」「環境派」が聞いてあきれる。
 成田問題も平行滑走路問題で「2500メートルの当初計画実現」を要求、その見返り事業を要求する手法も旧来の県の役人そのままの姿勢だ。堂本の「真摯な話し合い」も底が見えている。まず2500メートル滑走路整備ありきで、そのための地権者たたきだしの「話し合い」である。このことは本会合の堂本発言でいっそう明らかになった。
 一方、石原都知事は都上空からの進入ルートについて「部分的に考えられるのでは」と発言し、美濃部都政の時に騒音問題で禁止した飛行ルートの解禁を示唆した。この羽田空港の北側進入ルートが全面解禁になると、羽田は滑走路本数が現状のままでも離発着数は倍加する。石原知事は都民の騒音問題を顧みず国土交通省の提案を受け入れている。

(4月15日) 堂本知事会見/成田空港問題で四者協議会設置(4/16朝日その他千葉版)

 堂本暁子知事は15日、国土交通省南関東懇談会の会合後に会見し、国、県、空港周辺9市町村と新東京国際空港公団による「成田空港に関する四者協議会」の設置を明らかにした。堂本知事は「四者協議会は県が主体となっていろいろと解決しなければならない成田の問題に取り組む。今まで話し合いが不十分だった点が指摘されているので、四者協議会でその点をつめていきたい」と話した。
 「四者協議会」は、来月中旬に実務者レベルの会議を開くことを決めた。同会議は国土交通省の審議官と担当課長、県企画部長、空港公団理事、成田空港圏自治体連絡協議会の役員らで構成される。この実務者会議でこれまでの問題を整理し、その後、同省航空局長や知事、公団総裁、周辺九市町村の首長による「四者協議会」開催の運びとなる。

【本紙の解説】
 四者協議会は4月7日の小川国彦成田市長の後援会パーティーに堂本が参加、その2日後の森首相との会談(日誌4月9日の項参照)で提案したものが、国土交通省から認められ、南関東懇談会の会合後の会見で具体的な構成も発表になった。そもそもこの四者協議会という構想は地元がかなり前から要求していたものであった。小川成田市長の持論でもあった。しかし、これまで国土交通省は四者協議会設置を認めなかった。その理由は四者協議会が「見返り事業要求機関」に変質することが必至だからである。それを今回承認したのは堂本知事が羽田国際化を承認したからだ。
 国土交通省は成田空港整備の失敗を羽田国際化と再拡張、飛行ルートの拡大で取り繕うことで乗り切ろうという基本方針だ。そのため成田整備を理由に羽田国際化に反対する千葉県の存在が、基本政策推進の最大の阻害要因だった。この阻害要因を解消できるなら、ある程度千葉の見返り要求もやむなしとして、四者協議会の設置を承認した。保守利権を最優先する堂本の政治姿勢の結果だ。

(4月17日) 「首都圏新空港研究会」が国土交通省に要望(4/18千葉日報)

 民間企業などで構成する首都圏新空港研究会(斉藤英四郎会長)は17日、首都圏第3空港建設で国土交通省の調査検討会が示した羽田再拡張案について、成田、羽田両空港の空港容量(離発着回数など)がどの程度増加するかを明らかにするように求める要望書を提出した。
 要望書では(1)騒音問題を引き起こさない飛行経路と新たな管制システム、(2)東京湾を航行する船舶や漁業関係者との調整結果、(3)検討会結果などの公表を求めている。

【本紙の解説】
 首都圏新空港研究会は日経連に加盟している民間企業で構成されている。同研究会は、成田の整備の失敗でいち早く、首都圏第3空港の建設を当時の運輸省に要求した団体である。また99年の12月に、第3空港の候補地に「羽田沖」を提案した団体である。羽田再拡張が東京都や定期航空協の提案で焦点になったが、その1年前から首都圏新空港研究会は提案していた。
 今回の要望書は調査結果と騒音や船舶航行の影響などをおしだしているが、その実は建設方法その他を早く発表してほしいということでもある。ゼネコン救済のためだ。
 羽田再拡張の事業費について、定期航空協などの試案で8000億円となっていたのが、国土交通省試案では1兆5000億円と倍増している。首都圏新空港研究会の狙いは建設費を目一杯膨張させることにある。この団体はかつてゼネコン救済のために「3兆円」といわれた東京湾湾奥(わんおう)案を推薦していたぐらいである。

(4月18日) 千葉県最高幹部にゲリラ戦闘

 4月18日、千葉県企画部理事で成田空港国内線充実対策調査検討会と成田空港地域共生委員会の委員である石塚碩孝に火炎攻撃が敢行された。(革命軍軍報速報より)
 詳しくは本紙および『前進』の報道を参照。

(4月19日) 公団総裁会見/堂本知事と「協力」確認(4/20産経、毎日、読売各紙千葉版)

 空港公団の中村総裁は19日の定例記者会見で、堂本知事と県庁内で初会談したことを明らかにし、成田空港の2500メートル平行滑走路の早期完成や都心と空港のアクセス改善などについてお互いに協力していくことを確認した。
 会談は18日中村総裁が県を訪問し行われた。中村総裁によると堂本知事は「2500メートル平行滑走路をできるだけ早く完成したい。成田が第一に大事で、羽田空港をどうするかは長期的視点で考えればいい」と述べたという。
 その会談の中で「四者協議会」では未買収地を取り扱わないことが決まった。中村総裁は「用地問題は政治決着する状況ではなく、個々の人々の問題。公団が誠心誠意話し合い解決したい」と述べ、公団が用地問題に取り組む姿勢を強調した。
 堂本知事は、未買収地の解決を含めた成田の「完全空港化」に向けて、知事として乗り出す姿勢をうちだしてきた。だが、公団側は「四者協で農家を追いつめることは逆効果になりかねない」との考えが強かった。
 四者協議では、成田と都心を30分で結ぶ新高速鉄道の建設促進や空港周辺の地域振興策などについて協議することになりそうだ。

【本紙の解説】
 堂本知事は当選直後に「成田問題は一気にやってしまおうと思って」と話していた(4/19朝日の「検証」から)。これはかつて江藤元運輸大臣が成田にきて「他の国ならブルドーザーで一挙に整地してしまう。民主国家の日本だから話し合いにきている」(1990年1月)といって凄んでみせたことと根が共通する大放言だ。
 堂本知事は成田闘争35年の歴史をまったく顧みず、生涯を反対闘争に賭けてきた農民の気持ちを完全に無視している。また、三里塚闘争が労働者階級人民の最強の砦・根拠地であり、その闘いの先鋭性と広大な人民的支持基盤がゲリラ・パルチザン戦闘にまで発展している現実をあまりに軽視している。要するに、歴史認識の欠如、見識のなさをさらけだしたということだ。政治家としても軽薄である。
 このような軽薄な発言が三里塚闘争の新たな爆発の引き金をひくことを恐れた中村公団総裁が堂本に直言、四者協の役割から「用地問題」を外させたという顛末だ。
 そもそも堂本は「真摯に話し合あえば国際空港の重要性は分かってくれる。いままでその話し合いが少なかったからこじれた」という、およそ低次元なところで成田問題を理解していた。闘争主体たる農民たちの存在根拠を100パーセント無視した理解だ。この軽薄さで自分が地権者に会いに行けばすぐにも解決すると考え、実際、知事としての初仕事として地権者訪問を計画したのだ。それが上記の「成田問題は一気にやってしまおう」(!)である。
 堂本は4月7日の小川市長のパーティーで市長から「成田問題はそんなに簡単なものではないよ」と諭されていた。それで市長提案の四者協議会に乗った。しかし、堂本は自分の「真摯な話し合い」路線に拘泥し、用地問題解決を四者協議会の第一課題にすえてしまった。公団が慌てたのも無理からぬことではある。
 用地取得問題を政治問題としてオープンに討議することを公団用地部は嫌う。公団の手法は、軒先工事などの物理的圧力を背景に地権者を一人一人個別に分断し相互反発させ、またさまざまなデマ政治と脅しを織り混ぜて切り崩していく手法である。正式な機関で用地取得問題が正面から扱われることを嫌うのだ。
 中村総裁から見れば、三里塚闘争についての堂本流の無茶苦茶な理解では、地権者の怒りをかき立てることにしかならないということなのだ。
 それにしても中村総裁はいわゆる動きの早い人物ではない。どちらかといえば、事態が動くのを待つタイプだ。その中村が県庁まで自ら出向いた。堂本知事の成田問題の無理解がそれほど際立っていたということだろう。

(4月20日) 千葉県臨時議会/堂本知事が所信表明(全紙)

 堂本知事が20日、初の県議会に臨み所信表明演説を行った。懸案の三番瀬や成田空港問題にもふれたが、内容はこれまでの発言の域を出なかった。
 基本施策ではIT(情報技術)産業の育成、循環型社会推進、県民の健康づくり政策など、沼田前県政を基本的に継承する施策を示した。一方、環境重視や情報公開の推進なども盛り込んだ。また「県民の意見に耳を傾け、対話を重ねたい」と、公約に掲げた「市民参加」の県政づくりを強調した。
 約1兆9000億円の県債についての財政問題にはふれなかったが、演説後「まだ予算の現状を把握しているとは言い切れないため」と説明した。

《堂本知事所信表明での成田空港問題の要旨》
 最後に成田問題についての所見を述べさせていただきます。
 成田空港をめぐっては、多くの犠牲や悲しみの歴史があったという反省に立って、取り組んでまいります。
 私は、今後とも、誠意を持った話し合いが問題を解決するための唯一の方法であると肝に銘じています。あまり急ぐことをせず、多くの方々のご意見や思いを真摯(しんし)に受け止めていこうと心に決めております。
 成田空港の国際空港としての機能を充実するため、千葉県としては、国、新東京国際空港公団、周辺市町村をメンバーとする四者協議会を発足させ、諸課題の解決に努めていくことといたしました。
 最近、羽田国際化が提示されていますが、私は首都圏の国際空港については、あくまでも従来の方針どおり成田を基本としつつ、長期的に国際・国内航空需要を十分検討のうえ、総合的な長期構想を確立する必要があると考えます。

【本紙の解説】
 所信表明で堂本知事の政治姿勢と成田問題の立場がいっそう明らかになった。
 [新世紀ちば5か年計画](1)IT(情報技術)産業の育成、(2)農林水産業の振興、(3)循環型社会推進、(4)県民の健康づくり政策――の4点は沼田前知事の政策の完全な引き継ぎである。
 三番瀬問題は「埋め立て案を白紙にもどす」と、計画案を見直すとしたにとどまった。
 新たな点は情報公開として県庁のホームページの一新と県民対話だけである。環境派とか市民派とかいえる政策はまったくなく、保守政治家そのものである。
 成田問題では、指南役の小川成田市長や中村公団総裁の苦言を受けいれ、「あまり急ぐことをせず、多くの方々のご意見や思いを真摯に受け止めていこうと心に決めております」とした。「真摯」を「(反対派との)真摯な話し合い」ではなく、空港関係者の意見を「真摯に聞く」に転換した。
 これで堂本知事は国土交通省航空局や空港公団、成田市長などの空港建設推進派の先兵に仕立て上げられたわけである。

(4月20日) 反対同盟 堂本知事弾劾千葉市内デモ

 反対同盟は堂本知事の就任の所信表明のおこなわれる臨時県議会に対し「堂本知事の農地強奪粉砕、県収用委員会再任命阻止」を掲げて千葉市内の中央公園で集会を開催し、県庁へのデモンストレーションを行った。
 また集会前に、堂本知事弾劾のビラ(反対同盟)を県職員に手渡した。
 以下は反対同盟のビラの1部。

《反対同盟のビラより抜粋》
 ■ふたたび農地強奪を企てる堂本知事を弾劾し闘います
 ■国も破綻を認めた成田平行滑走路強行のために「四者協議会」を設置

 本日開催の臨時県議会で所信を表明する堂本知事は、4月9日に森首相、扇国土交通相と会談して成田空港平行滑走路の完成を要望しました。あわせて国、公団、千葉県、空港周辺市町村の四者による協議機関の設置を決めました。
 「市民派」「環境派」を掲げた堂本氏も、当選すれば住民の願いなどおかまいなし、さっさと国に平行滑走路建設を要請する始末です。私たち農家はこの動きを弾劾し、体を張って闘います。

 *流血の友納県政の再来
 成田平行滑走路(2500m)は、敷地内地権者と住民の大反対によって建設用地が取得できず、すでに破綻しました。このため政府は羽田空港の国際化を決定し、そのための拡張計画を進めていています。
 成田空港については、未買収地を避けて長さを短くした「暫定滑走路」の建設を強行し住民を追い出そうとしています。この暫定滑走路はサッカーワールドカップに必要だからと突貫工事を進めてきましたが、やはり短くて使い物にならず、国土交通省はワールドカップでも羽田を使うことを決めました。
 まがりなりにも「市民派」「環境派」を掲げるなら、ムリ・ムダな公共事業の典型である暫定滑走路工事をただちに中止すべきであって、計画倒れとなった平行滑走路をもう一度企てるなど言語道断。これではかつて流血の惨事を招いた友納知事と同じです。
 
 *「話し合い」を掲げるなら工事を中止し白紙にもどせ!
 *収用委員の再任命絶対阻止!
 この堂本知事が、私たち農家に対して「話し合い」を呼びかけています。とうてい受け入れることができません。
 成田では住民の生活をふみにじって暫定滑走路の工事が今も続いているのです。民家や畑、神社や道が監獄のように鉄板フェンスで囲まれました。暫定滑走路に着陸するジェット機は民家の上空わずか40メートルを飛行します。軒先の誘導路をジェット機が爆音をたてて走ることになるのです。
 堂本知事が「話し合い」を掲げるなら、即刻工事を中止し計画を白紙にもどすべきです。農地を取り上げ、民家を破壊した収用委員会を再建してはなりません。
 市民のみなさんに、闘いへのご理解と支援をお願いします。

(裏面)
 ■「今も続く営農つぶしと生活破壊」

 *民家の真上40mのジェット飛行
 *軒先の誘導路でジェット噴射の大騒音
 *滑走路完成が前提の「話し合い」は一切拒否!
 成田空港の平行滑走路は、当初、1974年3月完成の予定で計画されました。しかし住民を無視した一方的な計画と機動隊の力による強制代執行は、反対同盟農民と労働者・学生の怒りの抵抗闘争で阻止され、完成の道は完全に閉ざされました。
 そこで政府・空港公団は一昨年5月に、滑走路の長さを2180mに切りちぢめ、未買収地を避けて北側に800mずらした暫定滑走路計画をうちだし、工事を強行したのです。

 *住民を追い出すための工事計画
 その工事計画は住民を虫けら同然に扱う驚くべきものでした。
 暫定滑走路の南端から60mの地点に神社があり、400mの地点に民家や鶏舎、畑があります。航空機は、なんと民家の真上40mを飛ぶのです。
 またジェット機が轟音をたてて自走する誘導路は民家の軒先近くに迫り、農道や生活道路が寸断されるのです。
 住民の生活を圧迫し追い出すための工事が暫定滑走路計画なのです。

 *追い出し工事の即刻中止を
 この無謀な暫定滑走路は完成してもまったく使い物になりません。滑走路が短いためにジャンボ機が飛べず、需要がほとんどないのです。
 しかも滑走路に本来平行であるべき誘導路は未買収地によって「へ」の字に曲がり、着陸帯は世界標準の半分しかなく危険に満ちた欠陥空港です。
 だから国土交通省は羽田国際化を急ぎ、首都圏第3空港に走り出したのです。
 成田の破綻的な状況を招いたものは今も昔も農家を力で追い出そうとする誤った政策です。
 堂本知事がとるべき道は、住民の生活をふみにじる暫定滑走路の工事をただちに中止し、計画を白紙にもどすことでなければなりません。

 2001年4月20日
 三里塚芝山連合空港反対同盟
 (連絡先)事務局長・北原鉱治 成田市三里塚115

(4月20日) 団結街道、原状復元をかちとる

 天神峰の団結街道が4月20日、原状に復元された。反対同盟の再三再四にわたる抗議行動の結果、成田市と公団は通称「団結街道」の「成田市道・十余三天神峰線」を事実上、廃道にする攻撃を粉砕した。成田市と公団は空港の設計図にある空港外周道を「市道・十余三天神峰線」として、従来の市道である団結街道を昨年8月の郡司とめさんの通夜と葬儀当日に私服、機動隊50人を動員して路線変更工事に着手した。その後反対同盟は、計4回の成田市への公開質問状の提出、数度の抗議行動で公団の意図を粉砕し勝利をかちとったのである。
 成田市は昨年、公開質問状(再々質問)に対する回答を10月13日付で反対同盟と弁護団に送った。そこでは「市道十余三天神峰線の道路占有工事完了後、従来の路線に戻る予定であります。現市道を廃止するものではありません」「道路占有工事の期間は、平成13年6月30日迄の予定となっています」としていた。その6月30日の期限を早めての原状復元であった。

(4月22日) 熱田派が集会(4/21毎日、産経千葉版)

 三里塚芝山連合空港反対同盟熱田派は22日、「滑走路建設に伴う軒先工事や生活道路破壊をやめろ」と訴え、成田市東峰で集会を開き、支援者ら約120人が参加した。集会で石井武同派世話人は「暫定滑走路建設を完全にやめさせることはできないが、決して受け入れられない。滑走路を造っても使えない状態に持っていけば、われわれの勝利だ」として反対運動の継承を強調した。同派は集会後にデモ行進した。

【本紙の解説】
 熱田派は、堂本知事に幻想を持ち「話し合い」などを要求することなく、闘うべきである。政府、国土交通省、公団と「話し合い」をいくらやっても、空港建設は阻止できない。むしろ、「味方」陣営からの裏切り者を大量に生みだし、敵側に空港建設の口実を与えてしまうだけである。公開シンポジウム、円卓会議、実験村検討委員会も結局、政府にとって空港建設推進の口実となった。
 国の目的は空港づくりであり、そのためには甘言も鞭(むち)も使う。当然の話だ。「話し合い」という敵の土俵で闘うより、この三里塚の大地を闘いの場にすべきである。
 堂本知事の政治的本質は保守反動であることが明白になった。成田問題での立場は2500メートル滑走路の整備であると何度も公言している。これは闘う対象であり、けっして「話し合い」の対象ではない。また、千葉県にしても堂本知事にしても、土地の売買交渉以外の「話し合い」は受けるつもりはさらさらないことも明らかである。

(4月24日) 共生委員会/空港問題を歴史的後世に(4/24千葉日報、東京千葉版)

 成田空港地域共生委員会の歴史伝承部会による第3次巡回展「空港全景、木の根・天浪の戦後開拓」が24日から5月7日まで成田空港第2ターミナルビル地下1階で始まった。
 展示会は「戦後開拓とは」「開拓に来た人々」「地名の産声」など七つのテーマに分かれ、入植当時の住民の暮らしを思い起こさせる写真や入植時の土地をめぐる争い、沖縄出身の開拓者の資料などが詳しい解説とともに展示されている。

【本紙の解説】
 この共生委員会の歴史伝承部会には脱落派の坂志岡団結小屋の活動家であった大塚敦郎などが加わっている。三里塚闘争と三里塚での生活史を「歴史伝承」にくくってしまうことは許されない。
 三里塚闘争はいまもなお続いている生身の闘争である。それを過去のものとして、展示会を、三里塚闘争が闘いの対象としてきた成田空港第2ターミナルビルで行っている。三里塚闘争と開拓の歴史を、空港公団のビルのそれも地下1階に閉じこめたことになる。これでは戦後開拓の労苦とそれをバネに空港反対闘争に決起した農民の気持ちがねじ曲げられ、歪むことになるのは当然である。
 木の根の故・小川明治反対同盟副委員長もこれでは浮かばれないだろう。

(4月26日) 暫定滑走路の工事現場公開(4/27千葉日報、読売、産経千葉版)

 空港公団は26日、暫定平行滑走路工事の模様をはじめて報道関係者に公開した。公団は「工事は順調に進んでいる」という。公開されたのは、滑走路北端の路面用コンクリートの流し込み作業。滑走路の両端約180メートルは、旅客機が離陸滑走を始めたり、着陸後に速度を落とすため、アスファルトより強く、旅客機の重さに耐えられるコンクリートが表面に使われる。滑走路の大半はアスファルト舗装だが、両端は自走による轍(わだち)ができやすく、コンクリート舗装することになっている。
 ただし、南端部分についてはコンクリート舗装しない。地権者との用地交渉の進展により、当初計画の2500m滑走路の整備が可能になった場合を考慮してのことという。
 また7月ごろから既設部分を含めたアスファルト舗装工事に着手。コンクリート舗装路建設も含め、9月中にはすべての舗装工事を終える予定だ。
 一方、県道成田・小見川線の地下化工事をめぐっては、4月2日からう回道路の供用が開始されたが、本体部分は現在、埋設作業を行っており、12月からの供用開始予定となっている。
 暫定滑走路の工事が順調なことから、供用開始の時期を「ゴールデンウイーク前に繰り上げを」との声が周辺地域の経済団体などから出ている。中村公団総裁も「来年5月20日の供用は確信しているが、できれば早く供用させたい」として前向きな意向を示した。

【本紙の解説】
 空港公団が暫定滑走路の南端のコンクリート舗装をやらないことは、暫定滑走路建設の本当の理由を示している。暫定滑走路の建設に着手することで地権者をたたき出せると目論んでいたのである。地権者をたたき出せずに暫定滑走路が暫定滑走路として数年間、使用された場合には南端は轍ができ滑走路が波打つことなる。
 つまり、暫定滑走路は、暫定滑走路としての使用を考えていない設計になっているわけだ。地権者を軒先工事で追い出し2500メートルの当初計画に変更することを前提にした設計である。そうでなければ、暫定滑走路として使用したとしても、便数が少なく轍もできないと考えているということになる。
 公団が工事を報道関係者に公開し、「順調」を強調し「繰り上げ」供用開始をアピールする目的は、地権者に圧力をかけることにある。
 また、「今年の9月中に滑走路部分は完成する」ということは、10月にも東峰神社の立ち木伐採攻撃が行われるということである。さらに、年内テスト飛行の攻撃が予想される。滑走路工事の完成、東峰神社の立ち木伐採攻撃、年内テスト飛行とこの秋は暫定滑走路をめぐる最大の決戦になる。

(4月27日) 芝山鉄道「芝山千代田」の新駅名決まる

 芝山鉄道は27日、2002年10月に開業予定の駅名を「芝山千代田駅」に決めたと発表した。昨年10〜12月に駅名を公募し、集まった156点の中から選んだという。

(4月28日) 扇国土交通相/サッカーW杯で羽田国際化改めて強調(4/29毎日)

 扇千景国土交通相が28日、静岡県西伊豆町での講演で、サッカー・ワールドカップの日韓共催に関連して羽田空港の国際化に触れ、「羽田に(国際)チャーター便を降ろして下さいという声がある。しかし、成田が国際空港だから羽田が国際空港になったら困るという声がある」と紹介。そのうえで、「成田が国際空港の役割を果たせればいいが、果たせない時に、あるものを使ってなぜいけない。どっちも日本のもの。お互いの県の権益だけで国際的な考え方をしないと、21世紀の日本は遅れてしまう」と述べ、羽田空港の国際化の必要性を改めて強調した。

【本紙の解説】
 羽田国際化の流れはもう止まらない。千葉県の「抵抗」も堂本知事の登場で終わった。「羽田が国際空港になったら困るという声」は今はない。あるのは航空管制システムの問題と羽田の離発着便数の制約だけである。また、出入国管理業務などのCIQ体制(税関、出入国検査、検疫)の問題が残る。
 来年6月W杯のチャーター便の増便は昼間でも可能である。羽田空港の発着回数は2002年7月に52回増やして754回にすることを決めている。これはB滑走路の完成で航空機の離着陸の間隔を詰め、着陸した航空機を迅速に滑走路の外にだすことで可能になった。W杯は2002年6月の開催であり、2002年7月に羽田空港の発着回数の増便を1カ月前倒しで実施すれば日韓シャトル便の運航はできる。また、現行の運航条件でも政府専用機枠などの空きスロットもある。
 いずれにしろ、日韓共催のW杯は羽田国際化に弾みをつけることになる。そのために成田の地盤沈下は否めない事実である。とりわけアジア便での羽田国際化の要求は一挙に高まる。成田の暫定滑走路の1カ月繰り上げ供用開始は「ライバル」羽田空港の7月増便に対応したものでもある。

(4月28日) 沖縄/米軍機13機が民間空港着陸(4/28朝日)

 沖縄県の下地島(伊良部町)と波照間(竹富町)の両空港に28日、フィリピンでの合同演習に参加する在沖縄米海兵隊所属の普天間飛行場所属給油機、ヘリコプター計13機が給油のため着陸した。県は緊急以外の民間空港使用を自粛するよう以前から求めていたが、米海兵隊は「空中給油できない機種」などを理由にしている。

【本紙の解説】
 日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法の制定以降このような民間空港の米軍と自衛隊の使用が増えている。近隣有事での米軍と自衛隊の輸送への民間協力の強要であり、訓練である。
 成田でも今年2月5日(同日の日誌参照)にインド西部大地震の被災者支援に名を借りて、航空自衛隊小牧基地所属のC130輸送機6機が空港を軍事使用している。C130の最大積載重量は20トンであり、インドの救援物資は22トンであった。派遣人員からしても最大2機ですむのに6機も派遣している。成田空港の軍事使用の既成事実を積み重ねるための一大デモンストレーションであった。
 沖縄では昨年2月15日にも石垣市の石垣空港に米軍機普天間飛行場所属の給油機1機とヘリコプター4機が飛来している。フィリピンでの合同軍事演習に向かう途中の給油のためである。3月2日にも帰島する同ヘリの給油のために石垣空港を給油と称して使用した。
 米海兵隊は「空中給油できない機種」などを理由にしているが、空中給油できる機種を使えばできるものを、あえて「空中給油できない機種」を使って沖縄の民間空港を使用している。昨年の1月下旬と2月5日の2度、給油のために石垣空港にヘリコプターを着陸させたいと連絡してきたが、県側が難色を示したために、この時は空中給油で対応した。米軍は空中空輸できるヘリコプターをもっている。にもかかわらず、今年も「空中給油できない機種」で民間空港をあえて使用したのである。

 

TOPへ  週刊『三里塚』