SANRIZUKA 日誌 HP版   2001/02/01〜28      

ホームページへ週刊『前進』月刊『コミューン』季刊『共産主義者』週刊『三里塚』出版物案内販売書店案内連絡先English

 

 2001年2月

 

〔週刊『三里塚』編集委員会HP部責任編集〕 

(2月2日) 日航機の左翼フラップが欠落(2/3毎日)

 2日午後5時ごろ成田空港に着陸したホノルル発日本航空73便B747機の左翼フラップ(下げ翼)の約20センチ角の部分が欠落しているのが、着陸後の同社の整備点検で見つかった。公団は欠落部分が滑走路に落ちている可能性もあるとして午後6時1分から滑走路を閉鎖点検したが発見されず、6分後に滑走路を再開した。フラップは飛行機の上昇・降下のコントロールを補助する部分で、左右の主翼後部にある。今回欠落したのはジュラルミン製板の1枚である。
 日本航空広報室によると、欠落しても運航には支障はないが、飛行中に海上などに落ちた可能性があるとみて、出発前点検に問題がなかったを含め調べている。

【本紙の解説】
 「海上などに落ちた可能性」と表現しているが、人家や人の頭上に落ちる可能性もある。
 また、滑走路に落ちた場合はより悲惨な事故につながる。今回は、着陸後に点検整備で欠落を発見し、直ちに滑走路を封鎖したが、欠落発見前までは滑走路は、3分おきの発着という過密なスケジュールで使用されている。フランスのコンコルド機の炎上墜落の真相は、コンコルド機そのものの欠陥ではないかとの推測もあるが、公表されているのは、滑走路の落下物でタイヤが破損し、燃料タンクにぶつかり炎上したとなっている。
 航空機事故の恐ろしさは計り知れない。乗客だけでなく、周辺住民は365日その危険にさらされている。

(2月3日) 反対同盟 敷地内一坪共有地 立ち入り調査 騒音調査の結果報告

 2月3日、反対同盟と顧問弁護団は暫定滑走路工事に伴う一坪共有地の保全行動に決起、その後市東宅で記者会見を行った。暫定滑走路阻止の現地攻防を闘うとともに、切迫する土地収用法改悪攻撃に対して2・28東京行動にたつ方針を明らかにした。
 暫定滑走路の工事が住民の反対の声を押し切って強行されている。工事は関係するふたつの一坪共有地の周辺で行われており、その保全確認が必要である。
 午前10時、市東宅に集まった反対同盟と葉山、一瀬両弁護士は行動方針の確認ののち東峰十字路北側の開拓組合道路わきのゲート前に集合。共有権者である郡司一治、三浦五郎さんと、同盟員代表として北原、市東、木内さん、弁護団から葉山、一瀬両弁護士らが工事現場にある一坪共有地に立ち入った。
 立入調査はおよそ1時間にわたって行われ、終了後の11時45分から市東宅で記者会見が行われた。会見には足立満智子成田市議が同席した。
 始めに北原事務局長が発言。立入調査にふれて「共有地は保全されていることを確認した」と状況を報告し、会見の趣旨説明を行った。
 これを受けて葉山弁護士が、周囲を木枠で囲った共有地の保全状況を子細に報告。団結街道封鎖につき、4回目の公開質問状を出したことを明らかにした。団結街道を廃止する動きが徐々に浮き彫りになっている。空港の境界上にある道路には橋梁がかけられているが、団結街道にはこれがない。葉山弁護士は「工事完了後原状に復すという成田市の回答には嘘がある」と暴露し、証拠写真を添付して成田市に回答を求めたが、回答期限(1月31日)を過ぎても成田市は回答できずにいることを明らかにした。
 続いて一瀬弁護士が、昨年夏に反対同盟が実施した暫定滑走路の騒音被害調査について概要を報告した。報告書は地道な調査活動によってB767の40メートル上空飛行騒音と誘導路騒音を収録。「暫定滑走路は天神峰・東峰地区の人権を著しく侵害し、常軌を逸した騒音を強いることで住民に移転を強いるもの」と工事の即刻中止を訴えている(資料1、詳報次号)。さらに、成田空港の騒音調査を89年秋と今回の2回にわたり実地調査を行い、調査方法等について指導をしてくださった長田泰公氏の所見もあわせて発表した(資料2)。
 続いて成田市議の足立満智子さんが行政上の視点から発言、「暫定滑走路工事で住民の生活権が侵害されている。行政が守らずして誰が守るのか」と成田市の対応を批判した。
 最後に萩原進さんが、2月28日に東京都内で「土地収用法改悪阻止シンポジウム」を反対同盟と顧問弁護団の共催で行うことを発表した。「改悪内容は三里塚の地平をおしつぶし、全国で広がる一坪共有運動や立木トラストなど住民運動の抵抗手段を奪い取ろうとするもの。有事立法・改憲の動きと軌を一にする」として、改悪阻止を掲げて国会に向けデモすることを明らかにした。

○資料1(報告書全文は来週掲載)

「暫定滑走路による騒音被害 予測調査報告」(要旨)
                                    三里塚芝山連合空港反対同盟
                                    2001年2月3日

 暫定滑走路南端から民家までの距離は400mである。南側から進入する飛行機は民家上空40mの地点を通過する。地区の産土(うぶすな)神社は南端から120mの地点に位置する。空港と一体のものとして保全されるべき航空保安区域に、民家などが存在する空港は他に例がない。
 また、暫定滑走路の誘導路と民家との距離は100mである。誘導路上の航空機の移動はトーイング(牽引)によらず自走させる方針であることを、空港公団は明らかにしている。
 暫定滑走路は住民に対して激しい環境破壊を強いることが明らかである。にも係わらず、運輸省と空港公団はその被害予測を明らかにしない。騒音については、平行滑走路の当初計画(2500m)で策定した騒音コンターの範囲内であると強弁するのみである。
 反対同盟は、住民の声を押し切って強行された暫定滑走路が、いかなる騒音被害をもたらすかを明らかにするための独自調査を行った。調査は昨年7月28日から8月8日にかけて実施した。

(1)調査結果の概要
1.滑走路末端から400m地点におけるB767の離着陸騒音
 滑走路末端から400m地点におけるB767の飛行騒音は、着陸時においては80〜85dB(A)であり、離陸時には96dB(A)を超える。
 この騒音レベルはB747などの大型機とほぼ同レベルである。中型機は大型機に比べてレベルは低いとする運輸省・公団の発表は事実ではない。
 離陸時の騒音レベルは電車が通過するガード下の騒音レベルに匹敵する。
 暫定滑走路が供用されれば、400m地点直下に位置する成田市東峰の民家等には、同レベルの騒音が間断なく襲いかかることになる。

2.100m先の誘導路におけるB767の自走騒音
 誘導路を自走するB767のダイレクトの騒音レベルは、100m離れた地点で75dB(A)を記録した。この測定値は快晴・無風の気象条件のもとでの数値である。気象条件の違いによりこのレベルがさらに上がることは確実である。暫定滑走路はこの騒音を天神峰地区の民家に及ぼす。

3.東峰地区における現在の騒音被害
 空港が天神峰・東峰地区にもたらす現在の騒音レベルは、公害防止条例の規制基準をはるかにこえている。
 この一帯の騒音は第2ターミナルビルによって発生する定常騒音の上に、航空機の離着陸騒音が間欠的に重なるという複合的状況を呈している。長田泰公氏は、絶えず一定レベルの騒音を生み出すひとつの騒音工場として空港全体を捉えてよいと指摘する。
 この指摘に基づき比較すると、測定値は公害基本法が定める環境基準をはるかに超えており、騒音規制法に基づく千葉県の基準、ならびに成田市が定める公害防止条例の規制基準を大幅に逸脱している。(グラフ「時間率騒音レベル上端値と規制基準」参照)
 第2ターミナルビルから約1.2Km離れた地区の東部における騒音レベルは、夜間になるとターミナルの隣の地区西部と変わらない数値(70dB(A)前後)を示した。
 93年2月調査との比較では、地区西部においてピークの回数が増加しカウントできない時間帯が生まれた。ピークの平均値も10dB(A)程度高くなった。時間率騒音レベルも全般的に高くなっている。地区東部では最大値において2〜4dB(A)上回り、ピークの平均値も同様に増加した。

(2)長田泰公氏の所見について
 所見は、調査結果と短縮滑走路の制約を勘案すれば、空港公団の言うようにはコンターの縮小が期待できない旨指摘している。また発着回数を年間6万5000回(公団発表)とした場合、Wへの効果は1.4dB(A)であることから騒音予測を減らすことは期待できないとしている(長田所見の第3項)。
 これは暫定滑走路の騒音被害が、天神峰や東峰地区にとどまらず小泉地区など近隣地区に及ぶことを明らかにするものである。
 また空港公団、千葉県、成田市が被害実態について早く公表すべきことを指摘している(長田所見の第4項)。

(3)調査結果に基づく結論
 暫定滑走路は天神峰・東峰地区住民の人権を著しく侵害し、常軌を逸した騒音を強いることで、住民に対して移転を迫るものである。
 民家上空40mの飛行騒音にその意図が明らかである。また天神峰地区においては防音フェンスすらも設置せず、農家に対してジェットブラストを直撃させる意図が窺える。
 住民の生活と生存を脅かして移転を迫る暫定滑走路工事は即刻中止するべきである。
                                                 以上

○資料2 実地視察で得た感想        長田泰公

1. 現在使われているA滑走路北端から400mの距離にある「さくらの山公園」と、南側飛行直下の岩山記念館屋上で、騒音計を用いて観測した結果、この報告書のデータが正しいことを確認した。
2. 報告書のデータによれば、着陸時の中型機(B767)の騒音は大型機(B747など)のそれと大差なく、あってもせいぜい2dBの差である。B777とは差がない。離陸時には数dBの差があるが離陸地点によって差を生じ、離陸地点が近い場合には大型機と差がないレベルに達する可能性があるとの報告書の指摘は妥当とおもわれる。
3. 空港公団は暫定平行滑走路では騒音レベルが低く、滑走距離の短い中型機のみを使用するからWコンターが当初計画より縮小するという。しかし上記のデータからみると、着陸時のレベルは必ずしも低くなく、また計画より滑走路が短縮されるため離陸地点が滑走路端に近くなり、Wコンターの縮小が公団のいうほどには期待できないのではないか。また1日の機数が当初計画の247から暫定計画の176に減少するというが、Wへの効果は1.4dBにすぎない(10log247−10log176)。したがって中型機のみを使っても、当初計画での騒音予測を減らすことは期待出来ないとおもわれる。
4. 暫定平行滑走路が供用された場合、現在W70以下の地域や、暗騒音が40dB前後の東部地区さえ、上記の騒音に暴露されることになり、騒音被害は著しく拡大されることになる。たとえ新たなWコンターが空港公団の予測のとおりだとしても、それによる被害は深刻かつ広範である。予想される被害の実態について空港公団も、千葉県、成田市もなるべく早く公表すべきである。
5. 誘導路周辺の騒音はターミナルビルの騒音、航空機自走時の騒音、離着陸機の騒音が混在し、暫定平行滑走路供用時の状態を予測することは難しい。しかしL50で60――dBになるようであり、これは東京都内の幹線道路周辺と変わらない騒がしさである。
                                                 以上

■長田泰公氏は元国立公衆衛生院院長。大阪国際空港、米軍横田基地、沖縄米軍基地等の調査・研究を行い、また騒音公害裁判で貴重な証言を行うかたわら、騒音に係る各種の環境基準、環境庁告示の航空機騒音の基準作りに携わった。WHO(世界保健機構)の委託を受けてフィリピンの騒音対策プランニングやWHO騒音ガイドラインの策定に寄与。成田空港については89年秋と今回の2回にわたり実地調査を行い、調査方法等について指導と所見をいただき裁判でも証言されている。

(2月3日) 成田空港訴訟 和解へ 提訴21年 国側謝罪(2/3、4全紙)

 成田空港の建設を巡り、空港反対派の農家らと機動隊が衝突して流血の惨事となった1971年9月の第2次強制収用について、反対派農家の故・小泉よねさんの養子夫妻が千葉県収用委員会と建設相(現国土交通相)を相手取り、「土地の明け渡しを認めた緊急裁決は違法」などと主張して、同裁決の取り消しなどを求めていた裁判の上告審で、被告の国側が「緊急措置の必要性は少なく、原告の批判を甘んじて受ける」「対応に人間味がなかった」などと謝罪し、原告側もこれを受け入れて近く和解することが2日、明らかになった。5日午後に正式に和解する見込みだ。
 この裁判をめぐっては、原告の千葉県成田市東峰の農業小泉英政さん(52)夫妻が「国は成田空港の開港が間近に迫っているとして、緊急性がないにもかかわらず強制収用をした」などとして「空港建設の反対に対して見せしめ的に収用した」などと主張して提訴。88年の一審判決と93年の東京高裁での控訴審判決では、ともに「裁決には緊急性があり、手続きも適法だった」として原告側の主張を退けていた。

【本紙の解説】
 小泉英政氏が「和解は到達点でなく、通過点。国が謝罪したことで私は和解を受け入れたが、よねは絶対に強制収用を許さないだろう。今後も移転交渉には応じるつもりはない」と話したことは真実であろう。また、国は小泉よねの家屋を土地収用法でなく、「公共用地の取得に関する特別法」(特措法)を適用した理由は、審議を簡素化し、補償も土地収用法では「先補償、後収用」の原則があり、補償受け取り拒否の場合は収用が遅れるためであった。
 特措法は1961年に施行され、高速自動車国道、一般国道、新幹線、第一種空港、主要な利水・治水施設、発電・送電用施設など整備に緊急性があるものについては、損失補償の審理が尽くされていない場合でも概算見積りによる仮補償金を支払うだけで土地等を取得してその明け渡しを求めうる、「正式の補償金との差額は後払い」としている。そのために、被収用者には仮住居による補償請求権を認め、また現物補償、生活再建のための措置などの特例を置いている。
 国は小泉よねに対して、「生活再建のための措置」として人も住めない「プレハブ小屋」を形式的につくっただけ、特措法で定める本補償も30年たっても行わなかった。ひどい話である。
 その点で、国に謝罪させ、民事裁判での和解は「実質的な勝利である」(小泉英政氏)ことは明らかである。
 しかし、小泉氏に言いたい。「2000年春ごろ、空港公団から『小泉よね問題』を解決したいと申し入れがあった。この問題を取引や切り崩しの材料にせず、東峰の人々とここに生き続けることを前提とし『小泉よね問題』に限定した話し合いを続けてきた」(2/4朝日千葉版)というのはいただけない。小泉氏がシンポジウム、円卓会議に参加せず、当時の「話し合い」反対の立場をとっていたのであれば、なおさらである。
 「公団は今回の和解について、平行滑走路の完成のための移転交渉とは別物と強調するが、下心がないわけではない。何もしないより一歩前進、と完成に向けての思惑もあることを認めている」(2/4読売千葉版)
 公表直前の31日に東峰地区の会合で承認をとるまで、和解交渉を秘密にしたことは公団の「下心」を助長させるものになる。

(2月5日) 反対同盟 土地収用法改悪阻止の集会の呼びかけ文を発送

○資料 シンポジウムの案内

■「土地収用法改悪阻止 シンポジウム」のご案内
三里塚芝山連合空港反対同盟
空港反対同盟顧問弁護団

 建設省(現国土交通省)は昨年来、土地収用法改悪の準備を進め通常国会で強行する構えです。
昨年12月25日に公表された「土地収用制度調査研究会報告」(建設省建設経済局長主宰)は、公共事業概念を広げて収用対象を拡大し、一坪共有運動など住民の抵抗手段を奪う目的で手続きを簡素化するばかりか、収用裁決取消訴訟において事業認定の違法性の主張を封じるなど、住民の既得権をことごとく奪い取る強権的な内容です。全国の住民運動に及ぼす影響は甚大です。私たちは2月28日に都内でシンポジウム(研究討論集会)を開催し、その後、国会に向かって抗議行動を行います。
 周知のとおり34年間に及ぶ三里塚闘争は土地収用法との闘いでした。69年12月事業認定告示に始まり行政代執行に至る収用手続きに対して、農民は一坪共有運動と収用審理闘争、さらには砦戦・地下壕戦で闘いました。71年9月第2次代執行の激しい闘いの後に審理は中断、事業認定を期限切れに追い込みました。
 この結果、平行滑走路は用地が取得できず、暫定滑走路に縮小を余儀なくされて、「羽田国際化」へと政策は大きく転換の時を迎えています。
 土地収用法の改悪はこうした住民運動が得た地平をおしつぶし、全国で広がる一坪共有運動や立木トラストなど権利を守る抵抗手段を奪い取ろうとするものです。しかし問題はこれのみにとどまらず、今国会にも提出されようとしている有事法制の動きと軌を一にすると考えます。
 シンポジウムでは、改悪法案の内容と問題点、住民運動への影響、有事立法・改憲の動きとの関連性など、講演に基づいて疑問点や意見を出し合い、運動の方向を探りたいと考えております。講師には前静岡県議の白鳥良香氏と弁護士の葉山岳夫氏を予定しています。
 幅広い皆さんの参加を呼びかけるべく、ご案内申し上げます。
2001年2月3日

(集会名) 「土地収用法改悪阻止 シンポジウム」
(日時) 2月28日(水)午後1時から4時
(会場) 弁護士会館2階講堂(千代田区霞が関1−1−3)
(講演) 前静岡県議・白鳥良香、弁護士・葉山岳夫
(共催) 三里塚芝山連合空港反対同盟、空港反対同盟顧問弁護団
(終了・解散の後国会へ)
(連絡先)
 反対同盟事務局長・北原鉱治 成田市三里塚115
(tel.0476−35−0062)
 葉山法律事務所 東京都港区南青山5−10−2 第2九曜ビル505
(tel.03−3797−3690 fax.03−3797−3950)

(2月5日) インド地震で自衛隊派遣 約100人(2/5,6全紙)

 

1月23日「インドへの救援物資輸送」と称して成田空港から離陸した航空自衛隊のC130輸送機6機。固定翼(ヘリコプター以外)の軍用機が成田に飛来し、離陸するのは史上初めて。「成田空港は軍事使用しない」としてきた歴代運輸大臣の言葉をほごにし、成田の軍事空港転用を公然と進める重大な攻撃だ。「成田は軍事空港だ」という反対同盟の主張の正しさが示された

 インド西部大地震の被災者に対する国際緊急援助活動として、テントや毛布などの救援物資を運ぶ航空自衛隊小牧基地(愛知県)のC130輸送機6機が5日午前、成田空港を出発した。首相外遊やサミットの要人輸送などを除き、本格的な空輸任務で自衛隊機が成田空港を使うのは今回が初めて。タイ・ウタパオ基地やインド・デリーを経由して6日にも震源地に近いグジャラート州・ブジに到着する。
 部隊の規模は、派遣されるのは陸上自衛隊員16人と、航空自衛隊C130輸送機6機の要員78人で、被災民にテント441張り、毛布4475枚を配布する支援活動を8日ごろまで続ける。政府は当初、自衛隊医官を中心に構成する国際緊急援助隊を派遣する方向で調整を進めていた。しかし医療支援活動は必要ないとの連絡をインド政府から受けて、医療チームの派遣を中止。支援内容を再調整していた。
 防衛庁運用局によると、今回の派遣が人道援助目的であることや、JICAの緊急援助物資集積場(成田市東和田)が近いため、同空港の使用を決めたという。
 自衛隊の国際緊急援助隊の派遣は1998年11月のホンジュラスのハリケーン被害、99年9月のトルコの大地震に続き3回目。

【本紙の解説】
 政府は当初、インド政府の要請を受けて自衛隊医療チームの派遣を準備していたが、インド側の要請変更で物資提供に切り替えた。
 成田空港を利用した理由について、防衛庁運用局では「JICAの緊急援助物資集積場(成田市東和田)が成田に近いため」と説明するがこれはウソだ。まず初めに成田空港で自衛隊軍用機を使用する意図がある。
 実際にインドの救援物資輸送を急ぐなら、民間機貨物機を使うべきである。C130はタイとデリー2回のテクニカルランディング(途中給油)しており、また、積載輸送量も小さく6機も必要になっている。大型貨物機(民間機)なら1機か2機で済む量である。また、救援物資の集積場を成田の東和田に造ったのも民間機を使うことを前提に造ったのである。軍用機をあらかじめ使う予定なら、「民間空港」の成田に集積場をつくるべきでない。C130を成田空港にもってきて、物資を成田の東和田から成田空港に陸送することと、物資を直接小牧に陸送して小牧から飛びだつことを比べれば、時間、費用のどちらも後者の方が効率的なのである。
 日本政府と防衛庁は日米防衛ガイドラインのために成田の軍事基地を押し進めている。1月29日の防衛施設庁の航空3社にCRAF資格をとる要請(日誌1月29日の項参照)と同じものである。
 迷彩服に身を固めた自衛隊員と黒っぽい機体の軍用機は異様である。(写真)いままで、朝日新聞を始めマスコミ各社は「成田空港は民間空港であり、軍事空港化はない」と大まじめに言っていたが、この光景を本当のところどう見ているのか。周辺有事、日本有事の場合には、成田空港は最大の受け入れ基地であり、侵略の起点になることは明白になった。
 暫定滑走路の建設と土地収用法の改悪をはじめとする三里塚闘争破壊攻撃の真意は成田空港の軍事使用を縦横無尽にやりたいためである。反対同盟と三里塚闘争は闘争出発点から一貫として「成田軍事空港反対」を掲げてきた。今こそこのスローガンのもと、2・28土地収用法改悪阻止、3・25三里塚全国集会に集まろう。

(2月5日) 成田空港収用訴訟が和解(2月6日全紙)

 成田空港建設のため宅地などを強制収用され、反対運動の象徴的存在だった故小泉よねさんの遺族=千葉県成田市=が、国などに収用に関する処分取り消しを求めた訴訟が5日、提訴から約21年ぶりに最高裁第一小法廷で正式に和解した。国側が「対応がずさんだったとの批判を甘んじて受ける」「空港建設を急ぐあまり、話し合いの努力を尽くさなかったことを深く反省する」と非を認め謝罪した昨年末の合意書を確認、遺族が訴えを取り下げた。併せて、千葉県収用委員会に対する訴訟も上告を取り下げた。
 訴えていたのは、1973年に死去したよねさんの養子で農業小泉英政さん(52)夫妻。現在、収用後に移転した平行滑走路予定地に住んでいるが、英政さんは「和解と移転問題は別で今後も農業を続ける」と移転拒否の姿勢を崩していない。訴訟は、よねさんの所有地について71年に土地収用の緊急裁決をした千葉県収用委と、その不服審査請求を80年に棄却裁決した建設相(現国土交通相)を相手に、両裁決の取り消しを求めていた。

【本紙の解説】
 公団は、「和解は、空港用地問題とは直接関係ない」としているが、「空港問題の課題の一つが解決するということは、地域全体との信頼を築く上では大きな意味を持つ」として三里塚闘争を破壊するための工作(物理的攻撃を含む)を強めることを表明している。
 昨年取り交わしたとされる和解合意書のポイントは以下の通り。
(1)国と空港公団は、二期工事予定地内に住む英政さんに対し、移転交渉を絡めることなく「よねさん問題」の解決を図った。
(2)最高裁で国側勝訴が確定した(84年11月)よねさんの畑をめぐる争いについても国側が譲歩した。
(3)国側はよねさんに対する代執行後、仮補償を提示しただけで、一切の補償をしていなかった。この点についても非を認め「英政さんらと話し合いを続ける」とした。
 したがって、今後国側は、小泉英政氏と代執行に伴う補償、および土地取り上げの代償などについて話し合いを続けることになる。
 小泉英政氏は「強制収用から30年も放置されている仮補償の問題や、奪われた畑をどこに回復させるのか。お金ではない、痛みの伴う補償を求めていきたい」として「奪われた土地を平行滑走路の予定地内に回復してほしい」と述べている。
 この「話し合い」を公団は用地交渉とはリンクしないとしているが、その第一歩にする意向は明白である。公団のその意図を粉砕する意味でもこの交渉は公然と行ってもらいたい。すくなくとも東峰地区の住民には明らかにすることは道理ではないか。そうしない限り、地権者を分断した公団の個別切り崩し攻撃を許すことになりかねない。
 しかし、国土交通省の鈴木審議官は「代執行は法的には誤りではなかったが、その適応の仕方が適切ではなかった。謝罪はあくまで法定外のこと」と言っている。ここに至っても代執行は適法と言い張ることは許し難いことである。

(2月5日) 成田市 公開質問状に回答

 成田市は、三里塚芝山連合空港反対同盟と顧問弁護団が1月23日に出した4度目の質問状に対して2月5日付で回答文を送付してきた。以下はその全文である。

公開質問状の回答について

 2001年1月23日付で提出されました公開質問状につきましては、平成12年10月13日付で回答したとおりでありますので、ご了承くださるようお願い申し上げます。

【本紙の解説】
 木で鼻をくくるような「回答」である。
 成田市の真意はどこにあるのか。10月13日の回答書では「市道十余三〜天神峰線の道路占有工事完了後、従来の路線に戻る予定であります。現市道を廃止するものではありません」となっている。したがって、市道十余三〜天神峰線(団結街道)は原状に復することを再び約束したことになった。しかし、1月23日に写真付きで質問した 空港外周道路予定地に建設された「橋梁」のようなものについての説明はまったくない。この橋梁で「整備されている道路はいかなる道路であるか」という質問には無視を決め込んでいる。また、成田市のこれまでの回答は基本的に期限内に届いているが、今回は1月31日期限に対して2月5日と5日も遅れている。回答に苦慮していたのか、公団の工事関係者との調整に時間がかかったのかいずれかである。その結果、工事についての説明ができずに「昨年回答した通り」と素っ気ない内容となったのである。
 真実はどこにあるか、以下の3通りの可能性が考えられる。
(1)団結街道はそもそも廃道にする計画だった。反対同盟の抗議がなければ、そのまま工事を進める計画であった。
(2)成田市は団結街道を「残す」と約束したが、公団は設計図通り(廃道)の工事を進めた。成田市と公団の間に食い違いがあった。
(3)写真の外周道路予定地にある橋梁部分は単なる工事用道路として造ったものにすぎない。
(3)の場合は質問に回答できるはずである。したがって(1)か(2)のいずれかであろう。いずれにせよ、こういう問題を隠し立てせずに回答することこそが、行政がいう「地域対策」の要諦ではないのか。憶測や推測をしなければ理解できない回答はやめてもらいたい。
 公団は1月中旬以降、問題の橋梁部分の「撤去作業」らしきものを始めた。反対同盟が質問状(4回目)を出した頃から作業を始めた模様だ。『日刊三里塚』が昨年の12月7日付の号で橋梁の存在を暴露、『週刊三里塚』も12月15日付号で報道した。その上に反対同盟の質問状でたたみかけられ、やむなく撤去作業を開始したのか。
 今後も厳しく監視する必要があろう。

(2月6日) 成田空港 国内線4倍目指す(2/7毎日、千葉日報)

 国土交通省は6日、2002年5月に成田空港の第2滑走路が供用開始するのに伴い、国内線を充実させるため、千葉県や航空業界、学識経験者で構成される「成田空港国内線充実対策検討会」(航空局長の私的諮問機関、座長・山内弘隆一橋大学商学部教授)の第一回の会合を開催した。7月までに4回ほど開いて報告書をまとめる予定。
 同省は成田空港の容量拡大を機会に、国際線に乗り継ぐハブ機能や、東京都江戸川区、葛飾区、千葉、茨城全域などの東関東の国内空港としての機能強化を計画している。国内線の発着枠として現在の4倍の年間2万回に増やしたい意向で、羽田を除く全国20空港からの国内線乗り入れを期待している。
 ただ、航空会社側には「成田の国内線は採算が合わず、小手先の対策では難しい」との声があり消極姿勢である。このために検討会では周辺地域からの空港へのアクセス道路の整備や、バス路線のあり方、パック旅行商品の企画など、成田空港の国内線利用者増に必要なあらゆる方策について広く検討していく予定だ。また、国際線の施設に比べて、国内線の施設が分かりにくいなどの問題もあり、その改善も検討することにした。

【本紙の解説】
 羽田国際化に対応して「成田国内化」とはいただけない話である。
 暫定滑走路は完成しても滑走路が短く、近隣空港以外の国際線の使用は無理であり、使用可能な国内線は需要がない。公団は年間6万回の発着回数といっているが、実際のところ年間1万回前後である。この事実は暫定滑走路計画が発表された当初から『週刊三里塚』の本紙や、この『HP版日誌』で一貫して暴露してきた。(最近の関連リンクは12月18日、1月16日、1月25日など)
 平行滑走路建設のそもそもの理由は、国際線での成田乗り入れ希望が多く現行滑走路ではさばききれないというものだ。ところが暫定滑走路は国際線乗り入れ希望がなく、造っても使いものにならない雲行きとなった。そこで国内線需要をねつ造するために勉強会まで開いたというわけだ。
 しかし国内航空会社は採算割れで乗り気ではない。国土交通省は道路整備までして国内線需要を作り出そうとしているが、それは造っても滑走路として使われないことが現実化してきた証拠だ。
 暫定滑走路建設の真意は、何が何でも農家の頭上40メートルに飛行機を飛ばし、ごう音と排気ガスで叩き出そうという方策だ。
 したがって成田空港の国内線需要増加に協力することは許されない。それは敷地内農民切り崩しに加担する行為と見なされるべきだ。
 航空会社も乗り気ではない国内線需要を無理やり作り出してどういう意味があるのか。国土交通省のめんつと敷地内農民追い出しだけなのである。

(2月6日) 日航、客室乗務員採用2年ぶり再開(2・7日経)

 日本航空と全日本空輸が契約制の客室乗務員の採用を2年ぶりに再開する。日航は6日、2001、2002年度の2年間で合計約300人を採用すると発表した。全日空は同じ期間で約800人の採用を計画している。リストラの一環として採用を抑えてきた航空各社だが、2002年5月に予定される成田空港第2滑走路の完成とその後の路線網拡大をにらみ、運航要員を確保する動きが広がってきた。両社とも新卒者は3年ぶりの採用再開となる。

(2月8日) 成田空港 利便性向上へ南口開放を(2/8読売千葉版)

 成田空港の南側の市町村と議会は7日までに、空港の南口(第6ゲート)を一般に開放するよう、連名で空港公団に要望書の提出を決めた。成田空港の一般旅客の入り口は現在、北の成田市側からしかなく、南側からは旅客ビルに向かう途中に空港反対派の一坪共有地などがあり、開放できないままだ。一方、公団にとっても、羽田空港の国際化論議が活発化する中、南口の開放による成田空港の利便性向上が急務となっている。
 要望書では、暫定滑走路の供用開始で旅客の大幅増加が予想される中、南口の開放が渋滞緩和に効果があることや、南口からの通勤時間が大幅に短縮することで空港勤務者が住みやすくなり、市町村が活性化することなどを理由に挙げている。
 南口は現在、旅客ビルへ続く道路の一部は完成しているものの、途中に一坪共有地などがあるために、一般には開放できず、一部の空港関係者が利用しているのに過ぎない。このため、要望書に共有地をう回した道路の建設が可能かどうかの検討も公団に求める予定だ。
 公団は要望書について「正式に聞いていないので、コメントできない」としている。芝山町の相川勝重町長は「南側地域のため、ぜひ開放してほしい。共有地の解消には引き続き努力する」と話している。

【本紙の解説】
 今回の「南側入り口問題」は、横風滑走路計画を復活させるために、木の根ため池とその隣にある一坪共有地問題を解決したいという公団の意図が見え見えである。
 6ゲートは千代田にある5ゲートの北よりにある。地番は成田市木の根。昔の木の根バス停の近くである。道路予定地には芝山鉄道を迂回させた一坪共有地とため池があるために、「未完成」になっている。
 南側ゲートを開いても渋滞緩和にはならない。車での成田への乗り入れの大多数は東関東自動車道利用であり、南側から車の乗り入れは1%もない。通勤者は空港関係者なので、その開放をすればいいまでだ。
 しかし、この運動の意図は、一坪共有地の解消と木の根のため池の買収である。芝山鉄道を口実にやろうとしたが失敗し、鉄道ルートはう回することになった。芝山鉄道の目的はあくまで一坪共有地の解消と横風滑走路建設である。これは関係者の間では常識だ。鉄道ルートは造る気になればいつでも「う回」方式で可能だった。事実、最後はそうなった。しかし一坪共有地解消は横風滑走路の整備には絶対必要なことである。
 昨年、労活評団結小屋(芝山町香山新田)の退去と土地の明け渡しを求める訴えが起こされた(日誌9月30日の項参照)。これは横堀地区の二期工事用「建設センター」を今年の4月に着工するためであった。「建設センター」は暫定滑走路を横堀までのばし実質3700メートルに延長する工事のためであり、横風滑走路建設に着手する準備のためである。
 平行滑走路が暫定の2180メートルにとどまり、東峰神社の立ち木が伐採できなければ実質1740メートルにしかならないことが現実化してきた。公団は羽田国際化に対応できる切り札だとして、横風滑走路計画の復活を目論んでいる。横風滑走路予定地には横堀墓地と、この木の根ため池と一坪共有地などがある。横堀墓地は滑走路の中心線をはずれているが、木の根ため池は滑走路予定地そのものである。そのために木の根の一坪共有地とため池の買収攻撃を仕掛けようとしているのである。

(2月9日) 成田空港/ゲートを突破し乗用車が侵入(2/11千葉日報、毎日、産経)

 2月9日午後11時40分ごろ、成田空港の第6ゲート(木の根)の遮断機を突破して乗用車が空港内に侵入、県警空港警備隊のパトカーが1キロメートル先の航空機の洗機場付近まで追跡し進路を塞いだところ、パトカーの側面に衝突して止まり、現行犯逮捕された。犯人は46歳の佐原市に住む水道工事業者、無免許証運転で動機については不明。本人は「道を間違えてゲートを通過してしまったが、運転免許証を持っていなかったため逃げようとした」と言っている。

(2月15日) 成田発着枠を拡大 新管制方式導入(2/16朝日)

 国土交通省は15日、3月下旬から成田空港の1時間当たりの最大発着回数を30回から32回に増やすことを決めた。騒音規制のため1日の総回数は変えないが、航空会社は旅行客が利用しやすいラッシュ時間帯に、できるだけ多くの便を飛ばせるようにする措置。国際機関などの要望に応えたもので、新たな航空管制方式を導入することで実現できた。
 同省航空局や新東京空港公団によると、成田空港の運用は周辺の騒音問題に配慮して、航空機の発着回数を午前6時から午後11時までの1日370回に定めている。さらに1時間当たり30回、3時間当たり79回までに規制してきた。1時間の最大回数の3倍より少なくして、天候などの影響で遅れた便を吸収する方式だ。
 ところが、この方式では1時間当たりの発着回数は、平均で26回になってしまい、1時間枠を有効に使えなかった。
 国際線の場合、発着に都合が良い時間帯がある。成田空港の場合、午前10時台から午後7時台に集中している。欧米の航空各社は国際航空協会(IATA)を通じて、この時間帯にもっと多くの便を飛ばせるよう求めていた。

【本紙の解説】
 今回の変更で一番大きいことは「3時間枠」の撤廃である。その上で「1時間枠」の30回を32回にしたこと。その結果、ラッシュ時間帯の3時間に96便の発着が可能になる。現行では「3時間枠」の規制が79回で、17便増えることになる。1時間当たり平均で6便増えることになる。
 「3時間枠」撤廃の代わりの発着調整は新方式の「ファイアーブレーク(防火帯)」を採用する。ファイアーブレークとは航空機が飛ばない“空き時間”を1日のうちに数回設けて、遅延を吸収する管制方式である。
 ラッシュ時間帯に発着を集中するための方式である。深夜、早朝の発着は減ると予想されるが、ラッシュ時における空港周辺の騒音はその発着回数増加によって飛躍的に増大する。さらにラッシュ時の過密状態は1時間当たり26便が32便になる。23%の増加である。航空管制官の増加、労働時間の改善についての説明がないが、その点が伴っていたとしても成田空港周辺は航空機運航の過密地帯であり、1月31日の静岡県焼津市上空での日航機ニアミスのようなことが起きかねない。とりわけ、成田空港への進入路に当たる銚子沖上空の通称「成田トンネル」が新管制方式でより過密になり危険を増す。
 また、この方式の導入でラッシュ時間外の発着が減少するので、今後はこの時間帯の「有効利用」と称して1日370便制限の拡大につながることは避けられそうにもない。周辺の騒音問題に配慮して1日370回に制限していると公団は言っているが、周辺の住民が「納得」してくれれば、もっと離発着回数は増えると言いたいのである。
 公団と千葉県は「羽田国際化の完全国際化阻止」のために、成田空港騒音対策地域連絡協議会(騒対協)の反対を押し切り制限の拡大をすでに計画している。
 この1日370便制限もペテン的に拡大されたものである。
 成田空港騒音対策地域連絡協議会(騒対協)は、98年4月にAランの発着回数を1日360便から370便へ増便することを承認した。承認の理由は、平行滑走路完成までの暫定措置という説明だった。公団が発表した共生大綱の「環境とりまとめ」では平行滑走路が完成した将来の1日当たり発着回数(年間20万回)で、Aランは1日300便に減便することになっていた。そのために、騒対協はそれまでの地域の騒音対策から、平行滑走路完成を運動の柱に加えてきた。しかし、2000年度の平行滑走路の完成を断念した国は暫定案を発表した。しかも暫定滑走路が完成しても370便は継続するとされた。騒対協は完全に裏切られた形になった。にもかかわらず騒対協は、「羽田国際化反対」の利権を優先し370便枠の撤廃も承認するのか。
 成田空港のA滑走路の最大発着回数はどうなるのか。ファイアーブレークをどう計算するかにもよるが、この方式で運用すると最大限で1日500便近くは可能との話もある。FAAJ(在日外国航空会社協議会)は「都市中心部に位置していたとしても、騒音により1日の発着が370便に規制されている空港はどこにもない」として成田空港の370便規制の撤廃を強く求めている。
 巨大空港と周辺住民は「共生」できない。空港というものは本来、周辺の無人化、廃村化を求める。周辺住民や農民の生活を本当に考えるならば、空港を廃港にするしかない。

(2月16日) 羽田空港、深夜国際便スタート(2/16、17各紙)

 16日、羽田発の国際チャーター便がホノルルや韓国に向けて飛び立った。しかし飛行ルートは、就航までの複雑ないきさつを象徴し、東京湾上空で旋回を繰り返すいびつなものとなった。地元や利用客からは歓迎の声が相次ぎ、東京都も「国際化の第一歩」と喜ぶが、成田空港の地位低下を心配する千葉県の反発は根強く、騒音測定を行うなど警戒の目を向けた。
 東京都の石原慎太郎知事はこの日、「羽田の国際化は日本再生の大きなきっかけになる」と述べ、強い期待をにじませた。
 一方、千葉県幹部は一様に複雑な表情。「コメントは出さない」。あえて無視する姿勢を決め込み、国や都主導の羽田国際化に納得できない様子がありあり。千葉県への騒音被害が出た場合、すぐ抗議する構えで、同日から20日まで深夜・早朝の航空機騒音の測定を行い、引き続いて常時監視体制を早急に整備する方針だ。
 国土交通省によれば、羽田空港の国際旅客チャーター便は、国内定期便を優先するものの2月16日から深夜・早朝の時間帯に限って、午後11時台から午前5時台の運航が認められ、発着回数は国内線と合わせて1時間当たり16回とされる。
 しかし、税関や入国管理、検疫などのCIQ体制が整うまでの間は、午後11時台に出発便1便、午前5時台後半に到着便1便の運航をそれぞれ週2日まで認めるとの内容で、暫定的に運用される。CIQの要員を増やすには、2002年度予算での増員要求が認められることが必要。
 航空会社では国際チャーター便を新たなビジネスチャンスと評価する一方、「(週2便では)効率的な運航を行うには十分とはいえない」(全日空)との不満も根強い。
 現状では、航空会社は旅客を目的地に送った帰りの便や、旅客を迎えに行く便を空席で運航するか、目的地に駐機したままにするため、収益性は低い。しかし今後、週末を中心にグアムなど近場のリゾート便を定期便的に運航し、“羽田発国際便”の定着を図りたい考えだ。

【本紙の解説】
 国土交通省が千葉県をねじ伏せて、待ち望んだ羽田国際化の第一歩であるが、お寒い限りである。深夜・早朝に1時間当たり16回、深夜・早朝時間7時間で1日当たり112回、週計算で112×7で784回の発着枠を千葉県に力ずくで承認させたものの、ふたを開けたらCIQ体制が整わないので、週2便で4回しか利用できない。784回が4回である。羽田の国際線ターミナルビルそのものが小さいので、1日112回の離発着は当面は無理だと航空各社は見ていたが、プログラムチャーター便が組めないような「週2便」とはだれも考えていなかった。
 旧運輸省は、税関や入国管理、検疫を担当している財務省、法務省、厚生労働省、農水省などとの調整を無視して、羽田の深夜・早朝チャーター便就航を進行させてきた。これが失敗の元である。旧運輸省、現国土交通省は「調整」相手が他省庁なので、とりあえず本格的な羽田の深夜・早朝運用はあきらめた。来年度2002年4月まで待つことになった。それも来年の実施も運用見通しが立ち、2002年度予算がついた場合のことである。そのため、羽田国際化は深夜・早朝に限っても本格的運用はそれ以降にずれこむことになりそうだ。
 国土交通省航空局は、羽田の深夜・早朝チャーター便は千葉県の説得と管制問題、飛行コースを解決できれば可能と考えていた。
 成田空港の位置決定もそうであった。空域調整と自民党の内部問題を解決できれば、空港は建設できると考えていた。当時、河野一郎が三井資本と手を組み木更津案を押し、川島正次郎が京成資本と手を組み富里案を押し、運輸省は自民党の調整だけを考えていて富里案となった。しかし、富里農民の反対運動でその計画は破綻、三里塚案になった。
 このときも、御料牧場をもっていた宮内庁と工場があった本間ゴルフとの調整だけで、空港はできると考えていた。額に汗して働いた開拓農民のことは何も考えなかったのである。
 今回の羽田の深夜・早朝の運用も同じである。今回は相手が各省庁なので、おとなしく引き下がったが、相手が農民の場合は強権を発動し、力ずくで土地を取り上げ、建設を強行してきた。この運輸省の後を継いだ国土交通省に、長期の空港整備計画を「成功」させることはできない。

(2月16日) 成田空港、利用者4億人を突破(毎日、産経)

 1978年の開港以来、成田空港を利用した旅客数が16日、通算4億人を突破した。1億人突破は開港10年目。その後は約4年間で1億人ずつ旅客を増やし、97年に達成した3億人から4億人までは3年10カ月という最短記録で1億人を突破した。

(2月16日) 平行滑走路の2500メートル化 国土交通省に要望書

 成田空港周辺の商工会議所などでつくる成田空港早期完成促進委員会(会長・宮崎廣郎成田商工会議所会頭)は16日、国土交通省の泉信也副大臣を訪れ、成田空港の平行滑走路の2500メートル化の早期実現を求めた扇千景国土交通相あての要望書を提出した。
 同協議会は、2180メートルの暫定計画で建設中の平行滑走路を本来計画の2500メートルで整備し「完全空港化」するとともに、空港までのアクセス道路の建設を要望。あわせて「成田は国際、羽田は国内」としてきた政府の姿勢を堅持するよう求めた。
 泉副大臣は「要望に添えるように努力する」と答えた。

【本紙の解説】
 成田空港早期完成促進委員会は現在的には最悪の農地強奪、二期工事推進勢力である。99年4月に発足、平行滑走路の早期完成を求める「10万人署名」なるファシズム運動を開始した団体である。当時、運輸省は平行滑走路の2000年完成が不可能になり、事務次官・黒野の「一時凍結」発言まで飛び出し、二期工事は中止が必至の情勢であった。この時に「地元から運動を盛り上げよう」として呼びかけ発足したのがこの委員会だ。
 この地元反動の「決起」で平行滑走路は「凍結」にならずに「暫定」となって現在の工事が進行している。この空港周辺商工業者でつくる委員会は農民の生活や農地取り上げをどう考えているのか。農民は商工業発展の敵であるとでも考えているのか、自分らの経済的利益しか考えていないかどちらかである。絶対に見逃せない反革命的団体である。

(2月16日) 羽田国際便/千葉県、初日夜、騒音記録されず(2/18朝日千葉版、読売)

 羽田空港の深夜国際チャーター便が飛び立った16日深夜、千葉県では県内3カ所で臨時騒音調査を始めた。午後11時台に出発した5便は、予定の航路通りに県上空は飛ばなかったため、また、この日は北風が強かったことにもより、騒音も測定器では記録されない範囲だった。

【本紙の解説】
 千葉県は今後、浦安、木更津、君津の3カ所に自動騒音測定器を設置し、羽田離発着の深夜・早朝便からの「騒音被害監視」を強めるといっている。成田暫定滑走路の「増便」に腐心し、騒音被害の拡大に自ら全力をあげている千葉県が何をかいわんや、である。
 成田暫定滑走路は、滑走路北端が当初案(2500メートル平行滑走路)より800メートル北側に移動した。それゆえ空港北側の騒音被害が増すとして成田市小泉地区の住民は「騒音拡大に反対」している。
 公団の説明では、暫定滑走路の使用機種がジャンボ機でなく中型機以下なので、騒音はむしろ低減するとなっている。これは大ウソだが、千葉県はこの公団のデタラメな主張にまったく異議をはさんでいない。
 反対同盟の綿密な騒音調査(日誌2月3日の項参照。「調査結果の概要の1」)では「滑走路末端から400m地点におけるB767の飛行騒音は、着陸時においては80〜85dB(A)であり、離陸時には96dB(A)を超える(山の手線ガード下のレベル)。この騒音レベルはB747などの大型機とほぼ同レベルである。中型機は大型機に比べてレベルは低いとする運輸省・公団の発表は事実ではない」とでている。
 公団は、当初計画用の騒音コンターをそのまま暫定滑走路に援用している。実際には暫定滑走路の方が騒音被害が大きいのに、騒音対策は今までのままだ。千葉県はこの点には沈黙し、一方で「羽田」発の航空機が県のはるか上空を飛ぶことを問題にしているのだ。
 羽田離発着の深夜早朝便も風向きで県民の安眠を「妨害」することもあろう。しかし、風向きで「記録されない」ぐらいの騒音である。これに対して成田暫定滑走路の地元での騒音は、早朝6時から午後11時まで「轟(ごう)音」と呼ぶにふさわしい状況となる。「ごう音」を意識的につくって農民を追い出そうというわけだ。県の「騒音対策」がいかにインチキかを見せつけられる問題だ。

(2月19日) 石原知事「首都圏の空港整備」を訴える(2/20千葉日報)

 石原慎太郎東京都知事は19日、首都圏の航空のあり方をテーマに羽田空港ターミナルビルで「石原知事と語る会」を開き、都民ら約150人が参加した。
 「成田空港以外に東京、大阪に第3の国際空港ができていれば、人と物、情報の交流が活発となり、国際金融市場での日本の凋落はなかった」「このままだと4年後には国際線はパンクしてしまう。玄関が狭く客が来なかったら、この国は衰退する」などと持論を展開した。都が提案する羽田沖合に支柱を並べ、その上に3500メートルの新滑走路を建設する「桟橋方式」の必要性を訴えた。
 また、米軍横田基地の管制空域について、空域の模型を示しながら「日本の航空機が入れない巨大な空域によって民間空域が狭められ、日航機ニアミス事故が起きた。日本の管制官の指示できない空域があるのはどう考えてもおかしい」と強調した。
 会場からは「成田と羽田を結び首都圏の空港機能を高めるべきだ」と空港整備を訴える意見が相次いだが、中には「羽田の増便などで、地元は騒音や公害に脅かされている」との意見もあった。

【本紙の解説】
 日本の空港整備計画の完全破綻を石原知事は述べている。しかし、石原知事は87年10月から88年6月まで運輸大臣を務めている。石原自身が日本の過去の航空運輸政策と空港整備計画に責任を負っている一人なのだ。日本の空港整備の失敗は成田空港の位置決定と建設過程の住民無視、国家暴力の発動が原因である。石原自身が運輸相時代に成田の「強制収用」をぶちあげたことで、千葉県収用委員会は人民の怒りを浴びて崩壊したのである。石原は成田二期政策を致命的な失敗に導いた責任を明確にすべきである。
 空港整備が進んでいれば金融市場で日本の凋落はなかったと石原は言うが、それは言いすぎである。ただし、空港整備の遅れが日本の経済的政治的凋落を招いた大きな要因であることは事実だ。
 三里塚闘争の勝利的前進が日本の帝国主義的航空政策を破綻させ、航空運輸業と航空機製造業の致命的後退をもたらしている。それが国際金融市場での日本の凋落の一因にもなっているという関係だ。国際航空運輸はそれ自身が侵略戦争の手段であり、航空機製造業はそれ自身が軍事産業である。三里塚闘争は当初より軍事空港反対・戦争反対のスローガンを掲げてきた。その成果が実り、日本の戦争国家化政策は大きな打撃を強制されてきた。
 ちなみに、石原が「米軍横田空域」を問題にしているのはペテンだ。百里基地の自衛隊空域(これも軍事空域!)は一度も問題にしていない。日米双方の軍事空域が民間空域を狭めているのである。石原知事が横田空域を持ち出す意図は反米愛国主義を煽るためである。

(2月20日) 共生委員会 事業計画などを決定(2/21朝日千葉版、産経千葉版、千葉日報)

 成田空港地域共生委員会は20日、富里町、蓮沼村から新規に委員を迎え、さらに国土交通省と新東京国際空港公団が会議の構成員として参加し、総勢18人となって第4期がスタートした。委員会は成田空港の運用などを監視する機能に加え、地域づくりに関する調査や研究という新たな業務に取り組むほか、今秋、シンポジウムを開くことを検討することになった。

【本紙の解説】
 共生委員会の改組問題はすでに何回もふれた。(日誌昨年10月16日12月18日の項参照)
 「成田空港の運用を監視」する第三者機関というのもペテンだったが、今回の改組で空港建設に全面協力する反動的「運動」を「地域づくり」と称して作り上げようとしている。共生委員会は、資金も構成も内容も、官製の空港翼賛団体そのものとなった。

(2月20日) ソウル市議会、羽田に直行便開設求め建議(2/21朝日)

 ソウル市議会の交通委員会は20日、羽田空港とソウルの金浦空港を結ぶ直行便の開設と、日韓共催のサッカーW杯開催期間中のシャトル便化実現を求める建議案を全会一致で採択した。本会議での採択も確実だ。

【本紙の解説】
 昨年12月15日の日韓航空当局協議(日誌昨年12月15日の項参照)で2001年5月以降、成田―ソウル便を9便増加させ現在のほぼ2倍にあたる1日20便にすることで合意している。しかし、その場で韓国側は羽田空港の「午後11時から午前6時の時間帯の拡大と、国際定期便の就航を求めてきた」。とりわけ、W杯開催期間中の羽田―ソウルのシャトル便化実現の要求は強かった。
 日本側は無理と断ったが、実は羽田の便数拡大が2002年7月に予定されている。羽田の現行発着回数1日702回を2002年7月に52回増やして同754回にする計画である。この52回分の離発着をW杯開催期間である6月に1ヶ月前倒しして日韓シャトル便にあてることは技術的には可能である。そのために、日韓シャトル便要求の国民的運動を双方で作り上げることを暗に確認したのである。
 羽田の深夜・早朝の国際線チャーター便も、実は昨年9月の日韓首脳外相会談で取り上げられ決定した。
 ソウル市議会の建議は韓国側の要求運動の第一歩である。この要求に東京都や横浜市が続くと言われている。いずれにしろ成田の暫定滑走路が完成しても、大型機の乗り入れができず、W杯の需要をまかなえない。結局、日本としても羽田の増便枠に日韓シャトル便を割り当てる以外ない。
 成田の暫定滑走路は2002年W杯が着工の口実だったが、W杯の航空需要に対応できない代物となった。W杯は軒先工事によって敷地内農民を叩き出す口実だったのである。

(2月22日)(ワシントン時間) 日米航空交渉/米側、羽田国際チャーター便手続き改善を要望

 日米航空当局は21、22日の両日、航空自由化をめぐる課長級協議をワシントンで開いた。米側は席上、日本が16日から始めた羽田空港での国際チャーター便の運航について申請手続きの改善などを要望した。このほか米国は両国の空港に参入する航空会社の数や運行便数の制限を完全に撤廃する「オープンスカイ」と言われる完全自由化を改めて求めた。
 日本側は成田空港の発着枠で米航空会社のシェアがすでに高いことをあげ、このシェアを引き下げて公平な競争の条件を確保しない限り完全自由化には応じられないとの従来の立場を説明、議論は平行線をたどった。
 羽田空港での国際チャーター便の申請は現状では運航の3カ月前にならないと申請ができない。米側は半年前に申請ができるようにするとともに、国際貨物便の運航も解禁するよう要望した。この協議は98年に決着した日米航空交渉での合意に基づくもので、昨年11月の東京会合に続き2回目。

【本紙の解説】
 昨年12月に東京で行われた1回目の会合と同様に平行線で終わった。米国側は98年の協議から引き続きオープンスカイ(路線・運賃設定の完全自由化)を主張し、日本側は「条件整備」が前提としてこれを拒否。日本側は、米国側の現行での成田空港運航シェアが30%を越えているため、このシェア引き下げを条件とし、オープンスカイ導入を拒否した。
 2001年の航空交渉は最終的には決裂することが目に見えている。国土交通省も決裂の意向のようだ。98年の日米航空交渉では、米国側のオープンスカイ要求に対して、日本側は「一層の自由化を目指し2001年から再開する協議が暫定協定期限の切れる2002年までに合意しなかった場合の保障措置(セーフティーネット)として、後発会社に2002年から2005年までに合計で週35便の増便を認めること」で乗り切った。
 これは成田二期工事(2500メートル平行滑走路)の完成を前提にして乗り切った方策である。オープンスカイ要求に応えられない場合は、成田の便数を週35便、1日5便分を米国に与えれば済むと考えていた。
 しかしオープンスカイ導入は現状ではあまりに不利。さらに成田二期も暫定滑走路(2180メートル)になってしまった。週35便ものスロットを米側に与える余裕はない。
 しかし今回の日米航空交渉で日本側は、米国側の成田シェアが大きすぎることを問題にした。シェアを減らせという要求は交渉決裂を覚悟しているとしか思えない。
 そこでとりあえず日本側は、成田暫定滑走路のスロットを渡すことで乗り切ろうとしている。昨年の航空交渉で日本側は、暫定滑走路についてボーイング777―200クラスも「着陸」だけなら可能と米側に説明した。しかし燃料タンクが空の着陸は可能でも、米本土へ直接飛び立つ離陸はできない。
 したがって論理的帰結としては、国内線枠を暫定滑走路に回し、その分のA滑走路(4000メートル)枠を米側にまわす以外にない。

(2月22日) 国土交通省/第3空港の提案団体「聴取会」(2/23読売、千葉日報)

 首都圏第3空港問題で国土交通省は22日、自治体や経済団体などが提出した計画案について各団体を個別に呼び、騒音影響や交通アクセスなどを質疑する「聴取会」と行った。23日までに提出された16案すべての聴き取りを行う予定。
 同省では省内に設置している「調査検討会」に聴取結果を報告して、来年度(2001年度)に4カ所程度の候補地に抽出する予定。

【本紙の解説】
 この応募方式は、国土交通省の空港位置決定の責任を回避する演出である。新年度まで4カ所程度に抽出するといっているが、「聴取会」を開くまでもなく、結論は決まっている。すでに調査検討会で報告されている羽田拡張案は3つの方式。航空大手、東京都(桟橋方式)、国土交通省(井桁案)である。これを第3空港とするか、または千葉側の富津市側、ゼネコンが強力に推進している湾奥空港、それと神奈川側のどれかということになるが、現時点では羽田拡張が基本的に了承された状態である。
 この無責任な住民参加方式での候補選定は、政府の責任を曖昧にし、問題を住民側に押しつけるためである。

(2月22日) 成田空港の利用者満足度調査 成田空港アクセス最悪(2/23日経、千葉日報)

 公団は22日、日本人旅行者を対象にした「旅客満足度調査」を初めて実施した結果を発表した。成田空港はアクセスの点で世界の主要空港25空港中ワースト1位だった。羽田空港の国際化が注目されているなか、遠くて不便という成田のアキレス腱が改めて浮き彫りになった。
 調査は昨年秋、成田空港を利用した日本人利用者5000人に質問票を渡し、後日郵送により回答してもらった。回収率は32.2%。質問票は出発時、到着時の空港の使い勝手などを10点満点で評価するもの。総合評価ではシンガポール・チャンギ空港が出発時、到着時とも首位で、成田は8位、3位だった。アクセスの問題や空港関係者の接客態度では評価が低かった反面、トイレの清潔さなどでは点数が高かった。
 公団は改善を図っていく方針だが、担当者からは「アクセスは公団だけでは解決できない問題」とぼやく声も出ていた。

【本紙の解説】
 この調査自体が成田空港の宣伝用であり、質問事項そのものが成田に有利につくられている。客観的評価ではないので、結果も信用できない。総合評価の方法は、アクセスもトイレも同じ得点というもの。評価の重要性を加味して総合的に評価した場合、成田の順位はもっと下がる。そのような偏向調査でも、アクセスはワースト1位だったということが重要。
 内陸型空港という選択と位置決定が最初から間違っていたのである。これは高速鉄道をいくら走らせても解決できない。
 今後の首都圏第3空港も選択理由の第一はアクセスだ。東京中心部から30分以内が選択基準となっている。成田空港の轍を踏まないためである。アクセスの不便さはトイレのきれいさではカバーできない。

(2月23日) 国土交通省、土地収用法改正案国会提出へ(2/22千葉日報、2/24朝日、毎日)

 国土交通省は23日、公共事業用地などを国や地方自治体が強制的に買収する手続きを定めた土地収用法の改正案をまとめた。住民参加の道を広げるため、事前説明会や公聴会の実施を義務付ける。一方で、事業認定後の手続きを簡略化し、いわゆる「一坪地主」などの抵抗を抑える内容になっている。3月2日に閣議決定し、今通常国会に提出する。
 改正案は、用地買収の段階で事業者に事前説明会の開催を義務づけ、用地買収が不調に終わり、収用法の適用事業と認定できるかどうかの段階では、住民などの利害関係者から幅広く意見を聞くため、事業認定庁に対し、公聴会の開催を義務づける。
 また、社会資本整備審議会などの第三者機関の意見聴取も義務づけ、事業の公益性の認定手続きを充実する。認定理由の公表も義務づけ、透明化を図っている。
 最後の収用採決の段階では(1)地権者が100人以上でかつ補償金が低い場合に、土地物件調書の作成に地権者などの立ち会い、署名押印を不要とする制度を作る(2)収用委員会は多数の地権者がいる場合、審理の円滑化のために3人以上の代表当事者を選ぶように勧告できる(3)補償金額などを話し合う収用委員会では、事業認定自体の不当性を主張できない(4)従来は地権者一人一人に手渡していた補償金を、郵送も可能にする――など、事業認定後の手続きを迅速化することに重点を置いている。

【本紙の解説】
 土地収用法の改悪案が出た。3月2日に閣議決定し、国会に提出される。建設省建設経済局土地収用制度調査研究会の報告を全面的に受け入れたものである。極反動的な法案である。
 ポイントは収用審理の迅速化(形骸化)と一坪共有地運動の実質的禁止。戦前型の強権的土地収用にかぎりなく近づく。
 一坪共有運動では、地権者多数で補償金額が低い場合、所有権は基本的にすべて剥奪されることになる。多数の基準を「100人以上」としたが、一坪共有運動以外でも100人以上の共有物件は多くある。その人たちの権利も奪う悪法である。
 「透明性の拡大」はペテンである。『朝日新聞』などは「事前説明会」や「公聴会」の義務づけを意図的に宣伝しているが、そのカラクリは本紙で明らかにしてきた通りだ。
 説明会、公聴会の「義務づけ」は形式のみ。《意見はいわせてあげるが国の認定権に影響なし》というものである。第三者機関の意見聴取も義務づけているが、「第三者」とは現行の社会資本整備審議会の後進だ。国土交通省の諮問審議会で、任命権者は国土交通相とくれば言わずもがなである。実態は「透明性」も「住民参加」もへちまもない。悪名高い公共事業が「国民多数の意見を聞いた」ものとして認定され、地権者は収用に異議をはさむこともできなくなる。

 土地収用法法案の閣議決定、国会提出日の2日前の2月28日、東京の霞ヶ関の弁護士会館で「土地収用法改悪阻止シンポジウム」を開催します。多くの皆さんの参加を呼びかけます。(日誌2月5日の項参照。 反対同盟 土地収用法改悪阻止の集会の呼びかけ文)

(2月24日) 反対同盟、3.25全国総決起集会の招請状を発す

 招 請 状
                      三里塚芝山連合空港反対同盟

 全国の闘う仲間のみなさん。
 自公保連立内閣は暫定滑走路工事をやみくもに強行する一方、建設省(国土交通省)が昨年来準備してきた土地収用法の「改正」を今国会で強行しようとしています。反対同盟は法改悪阻止の国会デモ(2・28)に決起するとともに、3月25日に三里塚現地で全国集会を開催します。総決起を呼びかけます。
土地収用法の改正の目的は、公共事業に反対する住民運動の禁圧です。地権者の合意が得られない場合の土地収用を迅速に処理するためとして、収用委審理の場における事業認定違法の訴えを禁止し、一坪共有運動や立木トラストなどの抵抗手段を封じることを「改正」内容としています。住民の権利を踏みにじる土地収用制度を、より強権的な収用制度に仕上げる最悪の法改悪です。
 周知のとおり三里塚闘争は激しい実力抵抗闘争を闘う一方、収用手続きに対して一坪運動と収用委審理闘争で対抗し、事業認定を失効にまで追い込みました。これは人民が闘いとったすばらしい地平であり現在多くの住民運動で引き継がれています。また、米軍用地特措法下の沖縄では、一坪反戦運動と収用委審理が基地撤去の闘いです。土地収用法改悪はこれらの闘いの一切を封じこめようとする大攻撃です。この改悪の先には有事法制・改憲と戦時土地徴発があることは明らかです。三里塚、沖縄はもとより全国の住民運動の総力をもって粉砕したいと思います。
 暫定滑走路は工事が進むにつれてその破綻が誰にもわかるかたちで現れてきました。
着陸帯の整地状況からして、東峰神社の立木が航空機の進入表面を突き出すことは確実です。立木を伐採しなければ、2180メートルに縮小された暫定滑走路はさらに運用面で短くすることを強いられます。また、団結街道によって誘導路が滑走路に食い込むように曲げられることが市東孝雄宅の監視台から一目瞭然です。立木の伐採と団結街道の廃止攻撃は不可避です。許してはなりません。
さらに、国土交通省と空港公団、千葉県、成田市など周辺自治体、航空・旅行会社と学識経験者が、国内線需要喚起のための検討会を発足させました。これは民家上空40メートルのジェット飛行と誘導路自走騒音で住民に移転を迫る追い出し運動です。断じて見過ごすわけにはいきません。
 インド西部大地震の被災者支援に名を借りて、航空自衛隊小牧基地所属のC130輸送機6機が成田空港を軍事使用しました。成田軍事化のための重大な踏み込みです。また、防衛庁が大手航空3社に対して米国防総省が定める輸送資格を取得するように要請したことは、米軍部隊や武器・弾薬の輸送を民間機が担うことで民間空港の軍事化を進める重大な動きです。徹底弾劾するとともに、軍事空港建設粉砕に総決起する決意です。
 KSD汚職、機密費横領事件など腐敗が次々に明らかになるなか、連立与党は危機乗り切りをかけた国会運営に突進しています。土地収用法改悪、教育改革6法案、PKF(国連平和維持軍)参加凍結の解除の強行、有事立法・改憲攻撃と、いずれも歴史の歯車を逆にまわすものばかりです。3・25全国集会は、暫定滑走路阻止の実力闘争を宣言するとともに、これらの攻撃を総力でうち破るための総決起集会です。大結集を訴えます。
 2001年2月24日

 記
【集会名称】
成田空港暫定滑走路粉砕、土地収用法改悪阻止、軍事空港建設粉砕
3・25全国総決起集会
【日時】3月25日(日)正午
【会場】成田市天神峰 反対同盟員所有地
【主催】三里塚芝山連合空港反対同盟
(連絡先)事務局長・北原鉱治 成田市三里塚115 電話0476(35)0062

(2月25日) 日本航空、中国人乗客に謝罪

 中国外務省は1月27日、北京発成田行き日本航空機が大雪のため関西国際空港に着陸し、中国人客約90人が空港に足止めされたことで抗議していた。この問題で日本航空は25日、中国人乗客に対する謝罪文書を発表した。トラブルの事実関係は調査中としながら、期待されたサービスが行えなかったことでの「多大な迷惑」に対し、「全従業員が謝罪を深く表す」とした。
 この問題に対し、中国各紙は「民族差別だ」などといった激しい非難の報道をしており、中国外務省も「日航が早期に責任ある態度をとることで、円満な解決を望む」(朱邦造報道局長)としていた。

【本紙の解説】
 これは、関西国際空港で「中国人だけ空港に16時間も足止めされ、ろくな食事も水も与えられなかった」ことである。他の国籍の乗客にはホテルを用意したにもかかわらず、中国人90人だけを別扱いにした。「これは人種差別だ」として中国人乗客は日本航空に対して1人9万ドルの補償を求める裁判を計画中だ。
 謝罪文書は当然だが、なぜ日航はこのような露骨な民族差別を行ったのか、事実関係を明らかにすべきである。具体的な補償も早急になされるべきだ。

(2月26日) 成田空港検疫所、エボラ出血熱措置を訓練(2/28朝日千葉版、千葉日報)

 厚生労働省成田空港検疫所と成田赤十字病院が合同で26日、アフリカを中心に発生している感染症のエボラ出血熱の患者の「検疫感染症措置訓練」を行った。約110人が参加し、患者発見から応急措置、医療機関の受け入れまでを確認した。
 エボラ出血熱は確実な治療方法はなく、死亡率が5割から8割といわれる感染症。想定では20歳代の男性1人が帰国途中の機内で発熱。成田空港第二旅客ターミナルビルの同検疫所健康相談室で吐血して倒れた。すぐに医師や看護婦らが、防護服やゴーグルを身につけ、採血や点滴などの応急措置をした。男性は、感染症患者を搬送する特殊な救急車で病院に運ばれた。
 成田赤十字病院は新・増築を機に感染症病床を新設、エボラなどウイルス性出血熱の1類感染症患者を収容・治療する医療機関として県から指定された。

(2月28日) 反対同盟「土地収用法改悪阻止シンポジウム」を150名の参加で開催

 反対同盟と顧問弁護団は28日、東京霞ケ関の弁護士会館で「土地収用法改悪阻止シンポジウム」を開催、150人が参加した。シンポ後、参加者は国会へのデモンストレーションを行った。(※シンポの発言内容等は本誌参照)

(2月28日) 成田空港南側ゲート一般開放へ(3/1各紙千葉版)

 空港公団は28日、空港勤務者の専用ゲートになっている成田空港南側第6ゲートを早ければ来年秋にも一般利用者に開放する方針を明らかにした。同日、同ゲート解放を求めていた相川勝重芝山町長らに回答したもの。南ゲートから旅客ターミナルまでの間に未買収地があるため、その間の道路建設が進まず、南ゲートは空港関係者しか利用できなかった。
 未買収地は全国約800人が共有する一坪共有地(約360平方メートル)と多古町在住の反対派が持つ土地(約730平方メートル)。この未買収地の「用地買収に引き続き努力する」一方で、未買収地を避ける形で約200メートルのう回ルートを建設し「暫定的」に対応する方針。来年度から設計に入る。

【本紙の解説】
 2月8日(日誌2月8日の項参照)に空港南側の市町が要望書の提出を決めたことに公団がこたえたもの。空港の本来の設計図では空港への一般ゲートは南北から2カ所になっている。しかし、木の根の「溜め池」(未買収地の通称)が道路工事を中断させていた。溜め池とは、芝山鉄道ルートをう回させた木の根の一坪共有地である。この共有地はそもそも小川直克氏(元熱田派の農民。既に移転)が所有していた約1反歩の土地であった。彼が借金のカタとして売った土地であり、そのために名義が多古町の加瀬勉氏(農業)となった。そのうち3畝分を相川ら脱落派(元熱田派)が「再共有化」したところである。
 この土地は横風滑走路を建設するために絶対に必要な土地である。そのために公団は莫大な費用をかけた芝山鉄道設置を利用し、一坪解消のための全国的キャンペーンを行った。鉄道はう回ルートを設置すればすぐ解決したのだが、本来の目的である一坪共有地の買収のために、あえて問題を何年も引き伸ばしていた。
 公団の意図は、芝山鉄道での失敗(一坪解消の失敗)をこの南側ゲート問題で取り戻すことにある。
 公団は用地買収を引き続き追求しながら、う回ルート建設を暫定的方針にすると言っている。この点に関して強い監視が必要である。
 すでに横堀では、横風滑走路建設に着手する準備が始まった。脱落派はシンポ・円卓会議では横風滑走路の建設を、飛行機の「連絡通路」と称して容認してしまった経緯がある。それを根拠に、「凍結」された(公開シンポ=93年)はずの横風滑走路計画が「地上通路」(運輸省の『共生大綱』=98年)と称して公然と復活したのである。公団は、平行滑走路が「暫定」にとどまる公算が大きく、そのあまりの無残さゆえに横風滑走路建設への執着を強めている。その攻撃の始まりとして、今回の南側ルート道路建設を見ていく必要がある。

TOPへ  週刊『三里塚』