SANRIZUKA 2003/08/15(No637 p02)

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第637号の目次

反対同盟恒例の海辺の集い 海辺の集いが盛況 反対同盟恒例の海辺の集いが千葉県野栄町の海岸で行われた。首都圏の仲間も迎え、日ごろの激闘を忘れて童心に返った。今年は室内ゲームも趣向をこらした種目が盛りだくさん。子どもたちも豊富な景品をゲットして大喜びだった。終了後、萩原進さんらは野球大会に備えてバッティングセンターへ。そこでホームラン賞の的に打球をあてここでも賞品を獲得した。(27日=写真)

(三芝百景 三里塚現地日誌 2003 7月23日(水)〜8月12日(火)より )

1面の画像
(1面)
暫定路の破綻と「北延伸計画」の真相(上)
反対同盟 滑走路閉鎖に追い込むぞ
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一坪強奪裁判は訴権乱用
欠陥暫定路、改善不可 一部反動判決 弁護団が反撃準備
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ピンスポット 空港が最大の侵略基地
米陸軍の迅速旅団
韓国で「対北」の初演習
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 コラム 団結街道 記事を読む
富士を撃つな! 忍草の誓い 記事を読む
闘いの言葉 記事を読む
(2面)
日本商社早くもイラク権益に殺到
石油のための自衛隊出兵阻止
イラク人民、反米ゲリラ戦で抵抗
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忍草母の会会長・渡辺喜美江さんを追悼する
“阿修羅の如き闘いの半生”
全学連北富士現地闘争本部
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北総の空の下で北総の空の下で

海辺の集いで

“相撲” “ダーツ”・・・

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三芝百景 三里塚現地日誌 2003
7月23日(水)〜8月12日(火)
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週刊『三里塚』(S637号1面1)

 暫定路の破綻と「北延伸計画」の真相(上)

 反対同盟 滑走路閉鎖に追い込むぞ

  「一兆円上場」崩れる 2500メートル化民営化の前提 暫定固定化で窮地に

 暫定滑走路のオープンから一年半が経過、成田空港が大きな危機に直面している。「頭上四十b飛行」を強行すれば反対派農民は屈服すると計算していた空港公団の思惑ははずれ、二一八〇bという極端に短い欠陥滑走路は永続化する公算が強くなった。それは来年四月からスタートする成田民営化のもとで、暫定滑走路が無用の長物となり閉鎖に追い込まれる事態と裏腹の問題だ。三十七年を超えた成田空港建設は、いままさに最終的破たんの烙印を押されようとしている。公団・黒野総裁は、事実を書かない大手マスコミに守られつつ、いまも農民たちを屈服させようと様々な陰謀をめぐらせているが、そろそろ彼らに引導を渡す時だ。「民営化」の真相を含め、いま成田空港が抱える危機の真相を明らかにする。


天神峰・市東孝雄さん宅の湾曲した誘導路を縫うように通過する航空機。02年12月の航空機同士の接触事故はここで起こった

 黒野総裁が就任した昨年7月以降、三里塚現地では水面下の攻防を含めて熾烈な闘いが行われていた。来年四月にせまる空港民営化の最高責任者である黒野は、何としても東峰・天神峰の反対派地権者を屈服させ、暫定滑走路(二一八〇b)を本来計画の二五〇〇bに戻そうとしていた。政府・国交省にとって民営化の最大のうまみは株式上場による巨額の売却益だ。国交省はこれをざっと五千億〜六千億円、あわよくば一兆円と見積もっていた。その大半は政府の空港整備特会に転がり込む。これで経営破たんにあえぐ関空の救済や羽田空港拡張予算を補填しようとの算段だった。
 このシナリオが、暫定滑走路の破たんで崩れつつある。
 東峰・天神峰地区の農民たちが「四十b飛行」(※注1)の暴挙に対し、身を挺してこの国家犯罪を告発する道を選んだからだ。暫定滑走路を本来の二五〇〇bに戻す展望は実質的に断たれ、欠陥滑走路の現状のまま民営化を迎えるという、公団にとって最悪の事態が進行している。
 最近まで政府・国交省では、暫定滑走路の二五〇〇b化は民営化の絶対条件とされていた。上場(〇七年予定)時の株価問題があるからだ。
 ジャンボ機も飛べず、便数も増やせず、欠陥だらけの暫定滑走路が民営化後の経営のお荷物になることは歴然としている。〇九年に予定されている羽田空港の新滑走路完成と再国際空港化によって成田発着のアジア便の大半が羽田に移管する流れも決定的となっている。飛行時間も短いアジア便は、国内線のハブである羽田から遠く離れた成田空港よりも、羽田でそのまま展開する方が断然有利だからだ。
 現在成田空港を発着する国際旅客便は年間約二十万回で、その約半分の十万回程度がアジア便である。羽田がその大半を受け入れることは実は可能だ。
 国交省と東京都など自治体との取り決めでは、〇九年段階の羽田の国際線枠は年間三万回とされた(※注2)が、これは便数を奪われる成田との軋れきを考慮しての数字。実は国際線として使える発着枠の余裕は、〇九年時点で最大年間十万回近くもある。成田発着のアジア路線をすべて受け入れられる規模だ。ほとんどの航空会社も羽田拠点化を望んでいる。
 結果、ごく一部のアジア便を含めて、成田空港には長距離国際線と貨物便だけが残ることになる。これらはA滑走路(四〇〇〇b)でしか運航できないし、またA滑走路一本で十分対応できる便数だ。大型機が使えず、しかも近距離便専用の暫定滑走路は使い道がなくなる。無用の長物と化し採算が取れなくなれば、暫定滑走路は閉鎖すらありうる。民間資本による経営では利潤追求が絶対的で、政治判断が入り込む余地がなくなるからだ。
 暫定滑走路の閉鎖とは、成田空港建設三十七年間の最後的破たんが満天下にさらされる事態である。長年の農民殺し、農民無視の結末が厳しく突きつけられようとしている。成田空港の現在の収入(年間約千六百億円)だけから成田の民営化を診断し、「国内屈指の優良企業に(なるかも)」(大手紙)などと夢想するのは実情からほど遠い。

 黒野「北延伸、脅しのカード」

 脅し、謝罪・・・買収 暫定路北延伸攻撃の真相

 こうした危機を背景に昨年七月、公団新総裁に黒野が就任した。
暫定滑走路南側の東峰神社をかすめる航空機 総裁就任後の黒野の政策は、東峰区住民の屈服を強要する一点に絞られている。そのために権力を背景に脅迫をくり返し、一方で金を積み、村を分断、移転を迫るという古典的な手法だ。主なものは以下の通りである。
(写真 暫定滑走路南側の東峰神社をかすめる航空機。高度20メートル。きわめて危険だ)
 @北側延伸構想
 就任早々、暫定滑走路「北側延伸」構想を打ち出した。黒野は「用地交渉がだめなら工事強行の両にらみで行く」(〇二年8・14産経)とむき出しの脅迫を行った。
 北延伸の意味は、現在二一八〇bの暫定滑走路を(地権者のいない)北側に伸ばして二五〇〇bにし、ジャンボ機を飛ばすというもの。これで東峰区(暫定滑走路南側直下)は人が住めなくなるぞという脅迫だ。
 しかし実際は、北側延伸では大型機は飛べない(※注3)。北延伸は意味のない工事だ。それでも黒野は「北延伸は(東峰区を落とすための)カードだ」と公言している。
 A一坪強奪の提訴
 公団が反対同盟の一坪共有地を強奪するための「提訴」を強行した(今年1月)。三十年以上も土地収用法で取れなかった一坪共有地を民法で取り上げてしまおうという権力頼みのデタラメな攻撃である。提訴の対象を反対同盟(いわゆる北原派)関係の土地に限定したことが特徴的。他の一坪は「話し合いで」としている。
 公団はこの提訴で、暫定開港の暴挙に続き「今後一切の強制的手段を放棄する」との公的確約(公開シンポ・円卓会議=九一〜九四年)を再び踏みにじった。争う意志のない一部の地権者をのぞいて成算のない提訴だが、この公団の姿勢は厳しく断罪されなければならない(葉山弁護士の談話等、別記事参照)
 B集団移転構想
 公団は、東峰区住民に集団移転構想=「東峰貨物地区構想」を水面下で流し始めた(今年一月)。公団はすでに向こう三十年は対応できる規模の大型貨物施設を新規建設中なので、この「東峰貨物地区」は必要のない計画だ(本紙627号)。反対運動を破壊するために、空港敷地外の土地も含む集落を丸ごと買いあげようとでっち上げた構想。公団はいまでも「農民は脅しておいて金を積めば動く」と吹聴しているが、そうした農民蔑視が現れた典型的な事例である。
 この「構想」は、東峰区住民が「区の存在を消滅させようとするもので、断じて受け入れられない」と撤回を求める声明を文書で発表(1・30付)し、その後公団は口をつぐんでいる。
 C黒野が「謝罪文」
 黒野総裁が東峰区住民に「謝罪文」を渡した(同三月)。内容は、暫定滑走路の開港が、円卓会議での決定(地権者の同意なき着工はしない)を無視した一方的なものだったことを認めたもの。黒野は騒音直下となった東峰区住民の生活環境について「胸の張り裂ける思い」と言ってのけた。そして「謝罪」の結論は集団移転のための「話し合い」要求だ。
 一方で脅しておいて、一転して開港の暴挙を「謝罪」して見せ、実は絶対に譲歩せず、開港の既成事実を開き直り、土地を売らせるために「話し合い」を要求する。この見え透いた黒野のパフォーマンスに対し、農民たちは「人を愚弄するものだ」と怒りを募らせている。
 D大手紙に脅迫記事
 公団が、暫定滑走路の「北延伸」問題を大手紙にリーク(同五月)。「延伸の準備整う」(朝日)などと大々的に書かせ、再び敷地内への脅迫を強める。
      *
 以上を明らかなように、公団・黒野の対応は「脅し=北延伸」を基本に「謝罪」と「買収」の三点セットで東峰区を攻めるという構造だ。脅しが効かない場合は、まったく無意味な北延伸工事を、ただ住民を脅す目的だけで強行するという姿勢も含まれていた。黒野がいう北延伸を「カードとして残す」とはそういう意味だ。
 (つづく)

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 【暫定滑走路開港以来の主な出来事】

02年4月9日 東峰神社裁判提訴(原告・東峰区住民)
  4月22日 ◎暫定滑走路開港
  6月25日 政府、羽田再国際空港化を閣議決定
  6月28日 公団、市東宅の対策塀かさ上げを拒否
  7月31日 ◎黒野匡彦総裁就任。「(暫定路)北延長も検討課題」「用地交渉だめなら工事強行の両にらみ」と農民を脅迫
  9月8日 反対同盟、敷地内の一坪共有地を調査。「強力な闘争拠点の堅持」を確認
  12月1日 「へ」の字誘導路で接触事故
    24日 ◎公団が一坪共有地強奪の提訴
03年1月   ◎公団が「東峰貨物地区計画」(東峰区集団移転強要)を作成
  1月30日 東峰区が「貨物地区計画反対」申し入れ
  1月27日 暫定滑走路でオーバーラン事故
  3月19日 ◎黒野が東峰区に「謝罪文」。「一方的開港を謝罪」の一方で移転交渉を要求
  5月12日 ◎公団、暫定滑走路の「北延伸」キャンペーン開始
    17日 朝日新聞が「北延伸準備」の脅迫記事
  6月8日 反対同盟、暫定滑走路の本格調査開始
  6月12日 国交省と首都圏自治体「羽田空港は2012年度に年間3万回の国際線」で合意
  6月22日 反対同盟記者会見。暫定路「北延伸」の無意味さを詳細に暴露
  6月30日 ◎公団、東峰神社裁判敗訴のすう勢で東峰区住民に「和解」申し入れ
  7月4日 成田騒音対策協で「北延伸反対」の決議
  7月11日 成田空港民営化法案が可決

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 解説

【注1】暫定滑走路の「四十b飛行」
 二〇〇二年四月の暫定滑走路開港は、滑走路南端直下、東峰地区の反対農家が「飛行機を飛ばせば必ず屈服する」(公団用地部)ことを前提に見切り発車された。その結果、暫定滑走路を発着するジェット機はこの農家の頭上わずか四十bをかすめて飛行する事態となった。
 このような無謀な開港は生存権を一方的に破壊するもので、航空法でも禁止された違法行為だ。しかし四十b飛行などの事実をマスコミがまともに報道しないことでまかり通っている。
【注2】羽田の国際線枠、年間3万回に
 成田暫定滑走路の能力が年間実質で四万回の離発着なので、羽田空港の国際線枠が三万回確保されたとの数字はきわめて大きい。
 国交省と航空会社の思惑は、国内線のハブである羽田を国際ハブ空港に変貌させることにある。成田への陸上移動で二時間以上を要する現状は経営上の致命的な弱点のひとつだ。
 国内空港最大手の全日空が営業上の利害から熱望しており「アジア便は成田から羽田へ」の流れは止まらない。〇九年以降の成田が閑散とした風景になることは必至だ。
【注3】暫定滑走路の北側延伸
 暫定滑走路は南側に未買収地があり当初計画(二五〇〇b)より短い二一八〇bになっている。これを現状のまま北側に三二〇b延長する計画。暫定滑走路は未買収地に各所で阻まれているため誘導路が狭く湾曲。ジャンボ機が入れない構造になった。北側延伸ではこの欠陥構造は変わらず、依然としてジャンボ機は使えない。
 延長は南側への延伸(=未買収地問題の解消)意外に意味がない。北延伸は無意味な工事ということになる。

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週刊『三里塚』(S637号1面2)

 一坪強奪裁判は訴権乱用

 欠陥暫定路、改善不可

 一部反動判決 弁護団が反撃準備

 空港公団が昨年十二月に起こした一坪共有地強奪訴訟で千葉地裁は七月三十一日、争う意志を放棄していた被告・小川征一郎氏の共有分一件について、公団側の分割請求をそのまま認める不当判決をだした。
 民事裁判で被告が争わない場合、原告主張がそのまま通るのは通例で、判決は反対同盟持ち分への法的影響はない。ただし判決は民法上の分割請求の法理を無視したもので、反対同盟・弁護団はこの問題も含め全面的に反撃する構えだ。反対同盟の共有地にかかわる裁判は、九月から本格的に始まる予定。
     *
 公団が起こした一坪強奪訴訟は、そもそも土地収用法をもってしても三十年間取得できなかった三里塚闘争の共有地を、民法の分割請求という土俵にすり替えて取り上げようという暴論である。
 民法の分割請求は、地権者の使用価値も消失していて金銭的解決が可能な物件についての手法であって、三里塚闘争の一坪共有権のようなケースには当てはまらない。所有権そのものを剥奪する手段は土地収用法以外にない。だからこそ三十年間、一坪共有地は厳然と存在し続けてきた。
 公団の訴訟提起自体が明らかな訴権乱用である。被告・小川氏が争いを放棄したとはいえ、今回の千葉地裁(民事第五部)判決は法理を無視している。
顧問弁護団・葉山弁護士 そもそも本提訴は、暫定滑走路が多くの未買収地ゆえに大型機も飛べず、無残な破たんをさらけ出していることへの、公団側の苦し紛れの対応だ。訴訟の対象地が、一部例外を除いて反対同盟(北原派)の持ち分に限定されていることにも政治的意図は表れている。未買収地の地権者を“交渉に応じなければ力ずくで取る”と脅迫するデモンストレーションなのだ。「未買収地の問題解決にはずみ」(朝日)との認識は表層的で滑稽だが、公団の意図を正直に代弁している。
 また政府・公団は「一切の強制的手段の放棄」を社会的に確約している(シンポ・円卓会議)という問題もある。訴訟提起はこれを公然と反故するものだ。この点でも、今後、公団の姿勢は厳しく断罪されることになるだろう。

 第2章 反対同盟持分に法的影響はない 顧問弁護団・葉山弁護士語る

 本件判決は被告・小川征一郎氏が公団の主張と争わなかったため、裁判所が公団の主張をそのまま認めた一種の反動判決である。被告に争う意志がなかったという限りで、訴訟法上こうした判決もありえないことではなかった。したがって反対同盟持ち分の裁判には法的影響はない。
 ただし昨年の土地収用法の改悪とあわせて司法反動の先端を行く内容が含まれる。ここは決して見過ごすわけにはいかない。
 三里塚では反対同盟のたかいで事業認定が失効し土地収用法が使えなくなっている。これを価格賠償による共有物分割で脱法的に乗り切ろうというのが一坪強奪裁判の本質だ。暫定滑走路の欠陥と破たんにあえぐ公団の措置で、提訴自体が訴権の乱用にあたる。
 反対同盟と弁護団はすでに論戦を準備しており、徹底的に争う。(次回の口頭弁論は九月三日午後一時十五分より千葉地裁)

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週刊『三里塚』(S637号1面3)

ピンスポット 空港が最大の侵略基地

 米陸軍の迅速旅団

 韓国で「対北」の初演習

 米陸軍が大規模な地上軍を迅速に空輸・展開できる「迅速機動旅団」(ストライカー旅団)を新設。その初訓練部隊が七月三十一日、韓国の烏山(オサン)空軍基地に降り立った(写真)。訓練は北朝鮮の地形把握などが主な目的。
 この戦闘部隊は重装備も含めて航空輸送で展開するのが特徴。対北朝鮮侵略戦争など、アメリカの新たな世界的戦争計画の中核をなす。「一個旅団戦闘チーム」(一万人規模の兵員と装備、補給支援体制含む)なら九十六時間以内、一個師団(二万人)なら百二十時間、五個師団でも三十日以内に世界のどこでも展開できると称する。
 ポイントは迅速な空輸体制を受け入れる空港施設の能力だ。朝鮮侵略戦争を想定して米軍が成田空港の使用を日本政府に要請した(新ガイドライン締結時)背景にはこうした問題がある。成田の米軍基地化を阻止せよ!

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週刊『三里塚』(S637号1面4)

団結街道

 この十数年来、三里塚界隈でもモロヘイヤを栽培する農家が増えた。別名ジュート、日本名で「つなそ」(綱麻)「コウマ」(黄麻)という繊維作物の未熟茎葉だ。ビタミン・ミネラルが他の野菜より桁違いに豊富だとされるエジプトでは古代から野菜として利用されてきた。ギリシア神話や旧約聖書の時代の記録もあるそうだ。クレオパトラが食べていた野菜という売り文句もある。日本でもいまや夏の貴重な葉野菜。スーパーなどではかなりの高値がつく農家は初夏に苗を仕立てて植え、夏に芽の先のほう十数センチを収穫する。今収穫の最盛期だ。七月が寒かったせいか、普通なら盆明けに咲く黄色い花が咲きはじめたり成育が心配されたが、梅雨が明けると一気に勢いが出て大きな株になったモロヘイヤは生命力の強い野菜だ。暑いときでも強健きわまりない。大方の夏野菜より強い。収穫した茎葉をそのまま重ねて置いておくと四〇度を超す熱を出すが、全然しおれない。モロヘイヤを三里塚ではじめて導入したのは萩原進さん。彼がつくりはじめてから程なく、テレビ番組などで栄養価の高さが取り上げられるようになった記憶がある食の基本はバランスだ。季節の野菜をバランスよく食べられる生活はこの上ない贅沢だが、利潤追求の資本の論理が農業の基盤を破壊、一般家庭の食の安全を脅かすようになって久しい。冷夏が農村を直撃。野菜作りのきめ細かな職人芸を実感すると、農産物の価格は、実は不当なまでに安いことが分かる。これも資本主義が“栄える”大きな秘密のひとつなのである。

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週刊『三里塚』(S637号1面5)

北富士忍草母の会会長の渡辺喜美江さん 富士を撃つな! 忍草の誓い

 北富士忍草母の会会長の渡辺喜美江さんが七月二十八日、腎不全のため逝去された。闘いの先達として、常に三里塚闘争にも力強い激励の声を送り続けていただいた会長のご冥福を心から祈ります(2面に追悼文)

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週刊『三里塚』(S637号1面6)

 闘いの言葉

 ブルジョア国家は形態に関わらず全てブルジョアジーの独裁である。共産主義への移行も様々な形態をとるが、本質はプロレタリアートの独裁である。
 一九一七年、N・レーニン『国家と革命』

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週刊『三里塚』(S637号2面1)

 日本商社早くもイラク権益に殺到

 石油のための自衛隊出兵阻止

 イラク人民、反米ゲリラ戦で抵抗

 戦後五十八年をへて、日本は再び「石油のための海外派兵」を強行しようとしている。石油資源は二一世紀の現代においても、帝国主義の最大の戦略物資だ。その確保を目的として自衛隊三軍一千人を戦乱逆巻くイラクへ派兵し、米英占領軍と共に再植民地化のプロセスに参加しようというのだ。「石油の一滴は血の一滴」(戦前の軍部)と叫び、アジアへ突進していった戦前の地獄絵の再現である。「二度と侵略戦争を許さない、加担しない」と誓った日本のすべての労働者人民のたたかいが問われている。労農学の総力をあげて自衛隊のイラク派兵を阻止しよう。

 イギリス大手経済紙フィナンシャルタイムズ(七月二十八日付)は「日本の三菱商事が、イラク原油の買い付け契約に成功した」と報じた。イラク特措法が同二十六日に成立したことを受けて日本の大手企業が「戦争支援に対するボーナス」を早くも獲得したのだ。
 総量は四万バレル。八月のできるだけ早い時期に輸入を開始し、十二月まで続行する予定だという。
 これは湾岸戦争後の「経済制裁」以来、実に十三年ぶりの石油輸入復活。三菱商事、住友商事、丸紅などの大手商社が、インフラ設備、建設機械、エネルギー関連、パイプライン建設などでイラクに保持していた権益復活に向けた「歴史的一歩」というわけである。
 この例に示されるように、イラク派兵の目的は石油資源を始めとする中東地域での帝国主義的な権益確保が目的なのである。「イラクの復興支援」はその名目にすぎない。
 六月二十五日の衆院イラク復興支援特別委員会で小泉首相は「石油は金さえ出せば安く手に入るという時代は三十年ぐらい前の話」と発言し、「石油危機以後、石油という商品は政治的パワーゲームに左右される戦略物資になった」、だからこそ「エネルギー安全保障のために自衛隊を派兵する」との意図を露骨に語った。
 石破茂防衛庁長官も「イラクを含む中東地域の安定はわが国にとって死活的に重要である。従って、この地域において自由と民主主義が確立することも、地域の安定とわが国の国益に大きく寄与するものである」(六月三十日付『毎日新聞』)と強調した。

 ●軍事外交

 ちなみに、イラク戦争に直接参戦し、現在も二千三百人の「治安維持部隊」を展開しているポーランド政府のチモシェビッチ外相は七月三日、同国の企業グループが、米石油関連大手ハリバートン(米チェイニ―副大統領が仕切る巨大企業)の子会社との協力協定に調印したことを受けて「わが国の石油企業がイラクの石油資源に直接的に接触することを望んでおり、それを隠したことはない」と述べ、英米主導のイラク戦争へ協力する目的はずばり「石油権益の獲得」にあることを率直に認めた。
 日本政府首脳の本音ももちろんポーランド政府と同じである。 
 アメリカによるイラク侵略戦争は、崩壊的危機に追い込まれた中東地域の帝国主義支配=石油権益の支配の建て直しにあった。そのためのイラク人民への虐殺であり、再植民地化の意図もあらわな軍事占領である。
 石油は二一世紀の今日にあってなお帝国主義が存続するための戦略物資だ。中東支配が絶対的である理由はここに他の追随を許さない規模の原油があるからだ。現代帝国主義はこの地域の石油資源と富を略奪し、独占することで成り立っている。そのために百数十年にわたる気の遠くなるような殺りくの歴史が重ねられてきた。
 日本はこの戦略地域に軍事力で介入する道をついに踏み出した。帝国主義的な軍事外交の復活である。

 死活的な原油地帯・中東 埋蔵世界の7割、圧倒的

 米英日を始めとする帝国主義諸国および新興諸国がこれほど「石油」にこだわる理由は同資源が国家存立にかかわる戦略物資だからである。その中心地こそ中東だ。特に日本の石油輸入は、中東諸国に八六%も依存し、イスラム国家に拡大するとその比率は九三%にも達する。
 石油はまず、戦前の日本が典型だったように軍隊にとって死活的である。戦車もミサイルも多くの空母、軍艦も石油なしには動かない。準軍事関連産業として位置付けられる航空産業のジェット機も石油がなければ一bも飛べない。
 民生品分野でも、われわれの生活は石油なしには一瞬たりとも立ち行かない。新聞や書籍の活字も中東生まれのイスラム・インキで印刷されている。映画フィルム、自動車のガソリンとディーゼル燃料と部品、道路のアスファルト、電線、電話線、パソコン、携帯電話、エレクトロニクス製品、テレビ・掃除機など家庭電気製品、染料・塗料、建材、家具、医薬品・義歯、重油燃料、ストーブの灯油、衣類まで、石油なしには何も製造できない。
(イラク油田のパイプライン。米軍は油田を制圧し強奪するためにイラク侵略戦争を強行した。【写真はキルクーク油田からトルコにむかうパイプライン群】)

 ●天然ガス

 さらに身近には、サンダル、傘、バケツから電卓、潤滑油、ライター、タッパーやボトルなどの台所容器、スキー・スケート用品、防寒具、メガネのレンズ、ボールペンやファイル、フォルダーなどの文房具に至るまで、すみずみに入り込んで原料として使われている石油。
 二〇〇〇年における日本の原油輸入量十六億バレルとは、一升瓶を千四百億本並べた量である。赤子から高齢者まで、国民一人あたり平均千本以上を毎年消費している。毎日一人が一升瓶三本を消費していることになる。ちなみにアメリカは一人あたり六本というとてつもない消費国だ。
 天然ガスも八四%、液化石油ガス(プロパンガス)は九一%をイスラム国家から輸入している。
 まさに石油資源は帝国主義文明にとっての死活的戦略物資そのものである。
 だから、帝国主義列強はこの°黒い水″を求めて二〇世紀初頭以来、血で血を洗い、謀略と狡知が渦巻く「グレート・ゲーム」をアラブの砂漠でくり広げてきた。中東に石油が産出されなければ、この砂漠に帝国主義者が注目することもなかっただろう。現在世界で起きているすべての紛争は、すべてルーツを石油に持つといっても過言でない。
 こうした戦略物資石油の権益を求めて、日本政府は戦後のタブーを一掃して“帝国軍”の侵略派兵を強行しようとしている。それは戦前の悪夢への回帰そのものである。

 「安定市場」はデマ 血で血を洗う原油強奪戦

 ところで、論者の一部に「イラク戦争は石油強奪のための戦争ではない」という主張が存在する。その誤りを正しておきたい。「石油問題専門家」を自称する人びとほどこうした傾向がある。「石油のための戦争との分析はもはや時代遅れ」だというのである。
 主張の要点は「アメリカの中東石油依存度は一〇%しかない。そのために戦争をやるのは不経済だ」「石油は今や国際流通商品であって、OPEC(石油輸出国機構)にせよ石油メジャー(巨大石油多国籍企業)にせよ、コントロールすることなど不可能」「カスピ海石油、ロシア石油の比重が増し、わざわざ戦争をやらなくても国際市場からいくらでも石油は手に入る」というものである。
 こうした議論はまず、石油をめぐる争奪戦の現場が「経済合理主義」「市場のルール」が支配する平和な世界として想定されている点で問題外の誤りである。
 二〇世紀の歴史の中で「石油」をめぐってどれほどの血が流されてきたことか。戦後に限ってみても、アメリカは石油権益保持のために、十指にあまる軍事クーデターを強行し、天文学的な数の軍隊を派兵し、CIAなどによる要人暗殺などをくり返してきた。
 石油こそ帝国主義支配階級の富と権力の源泉である。「石油支配のためなら何でもあり」というのが帝国主義の現実だ。「経済と市場のルール」はそれ自体が殺りくの歴史の上に成り立ってきたのだ。イラク戦争がその象徴である。
(写真 イラク人民への無差別襲撃を行う米兵【バクダッド・マンスール地区 7月27日】)

 ●米の国益

 さらに一部の論者が強調する「国際石油市場のゆえに中東の戦略性はなくなっている」という説も誤謬に満ちている。国際石油市場はきわめて不安定であり、その安定化と中東支配は不可分なのである。
 「たとえ米国の中東石油依存度が小さくても、中東地域で一朝事があれば、石油市場は大混乱に陥り、米国経済は大損害を受ける」(『世界を動かす石油戦略』)という問題だ。別言すれば「中東で事が起きれば一瞬にして大混乱に陥るほど国際石油市場は不安定」なのだ。
 そのアメリカの中東支配がいま根底からゆらいでいる。9・11決起はその現実を衝撃的に突き出した。これこそアメリカが、大軍を率いてイラク油田の占領に向かった理由である。
 中東石油は、カスピ海やロシア石油の比重が増大した現在でも、他の追随を許さない埋蔵量と低コストをもって石油市場に君臨している。石油埋蔵量の六四%を締める「中東石油」の°安全弁″がないかぎり、国際石油市場は成り立たない。「国際石油市場の安定」自体がアメリカにとっての「国益」なのだ。

 “第2のベトナム” ANSEWRが呼びかけ 10・25世界反戦へ

 八月九日、イラク南部バスラで、慢性的な停電やガソリン価格の高騰に、デモを行った数千人のイラク人の一部が暴動を起こし、鎮圧にあたったイギリス軍と衝突した。従来英軍支配の下で比較的平穏とされてきたバスラにまで、反乱が拡大してきた。
 一方米軍への襲撃は止まず、十日夜にはバグダッド北東約七十キロのバークーバーで、米兵が爆弾を投げつけられ一人が死亡二人が負傷した。米英軍による石油の略奪、住民への無差別虐殺に対してイラクの人びとが怒りのたたかいに立ち上がっているのだ。
 連日起きている米軍への抵抗は組織化されており、完全なイラク民族解放闘争の爆発である。現在十四万人と言われているイラク占領軍だが、あと二十六万人すなわち総計四十万人の占領軍を展開しなければ、事態を掌握することは不可能だと言われだした。戦死者数は湾岸戦争を超えた。毎日一人の割合で死んでいる。完全に「第二のベトナム化」が始まった。
 しかも史上最悪の財政赤字で苦しむアメリカを毎月四十億ドル(約五千億円)の戦費が締め上げている。増派となればこれが三倍化する。およそ耐えられるレベルではない。
 にもかかわらず、アメリカに撤退という選択肢はありえない。どんなに危機的であっても、この泥沼を進む以外にない。

 国際主義

 このようなイラクへ日本政府は「石油権益」を求め、「戦争のできる国」への脱皮をかけて自衛隊を出兵しようとしている。
 日本がついに歩み出した戦前型の侵略戦争に対して日本の労働者は革命的内乱で迎え撃たなくてはならない。
 アメリカ、イギリスを始め世界各地で「占領反対」の街頭闘争が火を噴き出した。米反戦団体ANSWERは十月二十五日に世界反戦闘争を呼びかけている。イラク人民との国際主義的連帯をかけて自衛隊出兵阻止闘争を爆発させよう。
(写真 昨年派兵されたイージス艦。今度は自衛隊3軍を派兵しようとしている【長崎県佐世保での阻止闘争 12月17日】)

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週刊『三里塚』(S637号2面2)

 忍草母の会会長・渡辺喜美江さんを追悼する

 “阿修羅の如き闘いの半生”

 全学連北富士現地闘争本部

 反対同盟と婦人行動隊の先輩であり、教師である北富士忍草(しぼくさ)母の会の渡辺喜美江会長が七月二十八日逝去された。九十七歳の高齢までたたかいを貫き通した渡辺さんの闘魂は、たたかう者すべての鑑である。8・3革共同集会では北原鉱治事務局長をはじめ登壇した反対同盟員が哀悼の意を表した。全学連北富士現地闘争本部の追悼文を紹介する。
   *
 北富士忍草母の会会長渡辺喜美江さんが七月二八日午前九時四二分、入院先の病院で腎不全のため逝去されました。享年九七歳です。
(写真 北富士忍草母の会会長渡辺喜美江さん)
 北富士現闘は一九六〇年七月の北富士忍草母の会結成以来、会長を全うされた渡辺喜美江さんを心より追悼致します。
 会長さんは一九〇六年六月二五日忍草に生まれ、忍草に育ちました。会長に就任されたのは五四歳の時です。会長さんの半生は北富士闘争そのものです。
 北富士闘争は忍草農民にとって生活の八割を依存したかけがえのない入会地を米軍・自衛隊から取り戻す世界に比類のない農民闘争の金字塔です。
 ベトナム戦争の激化する一九六五年のリトルジョン(原子砲搭載可能なロケット弾)射撃演習阻止闘争が母の会の初陣になりました。東富士から発射されたコンクリートの模擬弾は母の会のすぐわきに大穴をあけ、もし実弾であったなら皆吹き飛んでいたというすさましい闘いでした。
 演習場のど真ん中に建てられた第一の小屋はベトナム人民と連帯し、三年三ケ月米軍演習を阻止してきました。会長さんはこの闘いの先頭に立ち北富士闘争の基礎を築き上げたのです。
 白装束に身をまとった会長さんが櫓の上でガソリンをかぶって決死の覚悟で挑んだ第九の小屋の闘いは驚嘆するばかりです。自衛隊廠舎の直前に一一年余座り込み、VOM(母の声放送)で自衛隊・米軍の入会地無断使用を弾劾してきた第一五の小屋の闘い。また機動隊、県職員など3千人と対決した桧丸尾決戦。なかでも特筆されるものは一九六八年の徹甲弾試射反対闘争です。会長さんの人柄、生きざまを見る思いです。真夜中に座り込み小屋とともに演習場に突入した母の会は、自衛隊の実力排除(徹甲弾ドームの前から引きずっておっぽりだす)と一晩中対決し、夜の明けた時には衣類はぼろぼろ阿修羅のごとくだったといいます。自衛隊とのこのような闘いは他に例をみません。会長さんの雄姿は二〇〇〇年一一月の中道での大看板闘争が最後となりました。
 くり返される権力の闘争破壊・母の会圧殺攻撃に毅然と対決する姿は頭の下がる思いでした。
 北富士闘争は三里塚、沖縄、関西、女性解放の闘い、労働者の闘いと結び発展してきました。会長さんは常にその先頭にたちつづけました。
 北富士の正義は不動です。梨ケ原国有入会地守る会天野重知氏は頑として会長さんの遺志を継ぐことを宣言し、事務局長の天野美恵さんは会長さんの歳まで闘いぬくと誓っておられます。
 イラク侵略戦争に自衛隊派兵が策動され、北朝鮮侵略戦争が切迫するなか、北富士闘争の位置はますます重要となっています。「富士を撃つな、平和の山に」、「富士を朝鮮・中東につなぐな」この会長さんの言葉を重く受けとめています。
 いまあらためて会長さんの偉大さ、かけがえのなさを痛感しています。会長さんから多くを学び、お世話になってきた私たちは会長さんの遺志を引き継ぎ闘うことを固く誓い追悼と致します。
 きっと先になくなられた夫・八雄さんや梅子さん、まさきさん、節子さんと北富士闘争を語らっておられる会長さん、どうか天上から私たちを見守っていてください。

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週刊『三里塚』(S637号2面3)

北総の空の下で 海辺の集いで

 “相撲”“ダーツ”・・・

 初夏、樹木や垣根にツルをはわせて自在に形を変えながらオレンジ色の鮮やかな花をつけるノウゼンカズラをご存知ですか。緑色の木々に手品で花を咲かせたような不思議な植物です。
 先日、成田市の長原部落反対同盟・野平總一(そういち)さん宅に行った時、庭の高木がノウゼンカズラで見事な花ざかりでした。食用に作っている夏野菜を、全学連現闘に持たせてくれたのですが、そのうちの葉ショウガは、同盟の海辺の集いに持参して好評でした。
 海辺の集いは、二十七日だというのにまだ梅雨があけず、涼しい一日でしたが、趣向をこらしたゲームの数々で楽しみました。一番盛り上がったのはケツ圧相撲でしょうか。二人が座布団の上に背中合わせに立って、お尻で相手をはね飛ばした方が勝ちというゲームです。横綱の貫禄を見せつけたのは鈴木謙太郎さん。大相撲高見盛の物まねで大受けだった人、部屋の隅まで吹っ飛んだ人等々。
 イントロあてゲームで抜群の記憶力を示したのは市東孝雄さん、ダーツもどきゲームで意外にも(失礼!)、最高点を出した北原鉱治事務局長。
 夏の行事第二弾の野球大会はなんと台風のまっ最中という予想外の展開になりました。雨なら交流会の予定でしたが降り始める前に四試合をこなしてからバーベキュー。ほぼ満足のいく一日を過ごせたようです。
 今年は梅雨明けが遅れて七月は記録的な日照不足と低温でした。せっかく実をつけたトマトが木で腐り始めました。オクラ、ゴーヤなど熱帯の野菜を中心に成長が遅れて元気がありません。後半の回復に期待しつつ、盆前のひととき、汗みずくで草との格闘がつづきます。
 (北里一枝)

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週刊『三里塚』(S637号2面4)

 三芝百景 三里塚現地日誌 2003

 7月23日(水)〜8月12日(火)

反対同盟恒例の海辺の集い●市空対部が回答 市東孝雄さん宅でのジェット噴射直撃問題で反対同盟が出していた質問状に市が回答。「市として対策を行うつもりはない」と住民切り捨て方針を公言した。(24日)
●海辺の集いが盛況 反対同盟恒例の海辺の集いが千葉県野栄町の海岸で行われた。首都圏の仲間も迎え、日ごろの激闘を忘れて童心に返った。今年は室内ゲームも趣向をこらした種目が盛りだくさん。子どもたちも豊富な景品をゲットして大喜びだった。終了後、萩原進さんらは野球大会に備えてバッティングセンターへ。そこでホームラン賞の的に打球をあてここでも賞品を獲得した。(27日=写真)
●渡辺喜美江さんの通夜に参列 28日に逝去した忍草母の会会長・渡辺喜美江さんの通夜に北原鉱治事務局長が参列して、会長の死を追悼すると共に遺徳をしのんだ。(30日)
●夏野菜、苦戦続く 夏野菜は依然として元気がなくピーマンなどは早くも赤いものができて「秋を迎えたような状態」とのこと。それでもニガウリ、オクラ、モロヘイヤの成育に三里塚農家は期待している。(8月1日)
●1坪強奪裁判で反動判決 
千葉地裁は民法で1坪共有地を強奪しようと、公団が提訴した7つの裁判の内、反対同盟所有者の含まれない案件について反動判決。「該当の1坪共有地は公団に売却すべき」と判示した。(1日)
●革共同集会に反対同盟多数参加 東京・豊島公会堂で行われた革共同政治集会に北原事務局長、萩原進事務局次長ら反対同盟多数が参加、血盟をあらためて誓い合った。北原事務局長は「国際連帯の闘いを結実させた革共同の皆さんの前進に勇気づけられている」「戦争の切迫に対して三里塚闘争の位置は重大。ともに闘おう」と連帯のあいさつを行った。(3日)
●今年も熱戦、団結野球大会
 台風10号による雨と強風をついて、反対同盟恒例の団結野球大会が決行された。3連覇のかかった反対同盟チームだったが、「台風で大会は中止」と油断したか、夜中までの°前夜祭″がたたって調子は今ひとつ。現闘チームに敗北する大波乱。あやうく連覇を逃すところ、残り2試合となった時点で、雨が強まり、決着は来年に持ち越しとなった。(9日)

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