COMMUNE 2000/09/01(No298 p48)

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 ●特集/9・3自衛隊治安出動演習弾劾--第1章(9・3防災訓練の恐るべき現実)に戻る

 

 特集/9・3自衛隊の治安出動演習弾劾

 第1章 「9・3防災訓練」=治安出動演習を許すな

 第2節 「災害派遣」と戒厳令施行演習

 クーデター、戒厳令演習

 この演習の特徴は第1に、例年9月1日に行っている首都圏4都県3市の「防災訓練」を実施したうえで、あえてそれとは別個に自衛隊4000〜5000人を動員して陸海空3自衛隊の統合治安出動訓練が行われることだ。
 演習は今年5月に市ヶ谷に移転し、中央省庁最大級の巨大な庁舎となった新防衛庁本館の地下にある新中央指揮システムに統幕議長を置き、その指揮のもとに行われる。さらにその上に、都知事の石原が主催者として、3自衛隊の演習を監督するのだ。
 このように9・3治安出動演習は、、これまでの「防災訓練」とは全く性格を異にするものであり、石原と自衛隊による「クーデター」演習ともいうべきものだ。都庁の知事室上にある防災司令室に陣取った石原が本来の自衛隊総司令官である首相を飛び越えて治安出動訓練の主導権を掌握し、一国の軍隊である自衛隊を思いのままに動かし、在日朝鮮人・中国人、在日外国人弾圧を目的とした作戦を指揮するというのだから、クーデター演習と呼ばずして何と呼ぼう。
 石原は「防災訓練」と言う名目をつければ、自衛隊出動を要請できるという都知事の権限を最大限利用して、これまでも9月1日に自衛隊を動員した防災訓練を行ってきたが、それは知事の要請を受けて、総理大臣が自衛隊に出動を命令するという、段階的手順を踏んだものであった。
 だが9・3統合防災実働演習は、石原が直接自衛隊に出動を要請し、総理大臣が緊急災害対策本部長として演習に協力する形で参加し、内閣安全保障・危機管理室を中心に、警察庁、消防庁、海上保安庁、国土庁などが都の演習を支援することなどに見られるように、政府はむしろ支援・協力する側にまわる。
 そうした中で自衛隊が最高司令官(統幕議長)のもとで統合され、統一された指揮系統のもとで都内各所での演習を自由に展開できるのだ。石原と自衛隊は、完全な主導権をもって東京都で治安出動演習を行い、それを通じて首都での自衛隊の治安出動体制を一挙的に確立し、さらにそれを全国に拡大しようとしているのだ。
 またそれは石原が「3軍を使った災害時の合同大救済訓練をやってもらいたい、東京を舞台に。……それは同時に、北朝鮮とか中国に対する有る意味での威圧になる。やるときには日本はすごいことをやるなっていう。だからせめて実戦に近い演習をしたい」(『VOICE』99年8月号)と述べているように、新安保ガイドラインの「ゲリラ・コマンドウ攻撃」への対処訓練という意味ももっている。東京での治安出動訓練をもって新安保ガイドライン体制確立の突破口としようとしているのだ。 
 自衛隊としては東京都の「防災訓練」に協力するという形をとれば、これまで実施することのできなかった治安出動訓練を公然と行うことができる。この点で石原と利害が一致したからこそ、石原の9・3計画に全面的に協力・参加しようとしているのだ。
 9・3にあえて東京都単独で「防災訓練」なるものを行うということのなかには、このような恐るべき反革命的意図がこめられているのだ。
 特徴の第2は、実質上の戒厳令施行演習が行われることだ。
 戒厳令とは、帝国主義が非常事態の発生にたいし、軍隊に一時的に全権を掌握させ、警察、自治体をもその指揮下に置いて対処させるためのものだ。日本ではこれまで1905年の「日比谷焼き討ち事件」、関東大震災、2・26事件の際に戒厳令が発動されているが、以後は一度も発動されていない。日帝は、現在の体制的危機の深刻化という情勢で、再び戒厳令を施行できる体制と能力を実践的に確立する必要があると痛感しているが、現在の憲法体制下ではそれを実施することは困難であった。
 したがって自衛隊は、これまで「災害派遣」という形をとって戒厳令施行能力を確立しようとしてきた。

 「災害派遣」の実態

 大規模地震などの災害の際には、自衛隊の出動が要請されるが、これは災害対策基本法に基づくものではなく、自衛隊法第83条を根拠としている。この条項には、@自衛隊は都道府県知事の要請によって出動するとあるが、Aただし天災地変その他災害に際し、その事態に照らし特に緊急を要し、前項の要請を待ついとまがないと認められるときは、同項の要請を待たないで、部隊などを派遣できるとしている。つまり、「長官又はその指定する者」の判断で派遣できるものとするとし、@項の制限規定は事実上無意味化されているのだ。
 そもそも自衛隊の出動は災害対策基本法に基づくものではなく、あくまで「協力」という形をとるため、災害対策基本法にも拘束されず、地方自治法にも拘束されないため、「自由」に部隊を展開することができる。その上さらにこのA項に依拠すれば、自衛隊は災害対策基本法の規定する自治体の首長の権限はもちろん、大規模地震対策特別措置法の規定する内閣総理大臣の権限をも越えて防衛庁長官の独自の判断で出動できることになる。
 大規模震災における自衛隊の災害の際の出動は、83条だけでなく、治安出動に関する78条でも規定されている。この条項は「内閣総理大臣は、間接侵略その他の緊急事態に際して、一般の警察力をもっては、治安を維持できないと認められる場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命じることができる」と規定している。「その他の緊急事態」とは政府見解では大規模災害を指すとされており、大規模災害時の出動は基本的には間接侵略にたいする対処と同様に治安出動として位置づけられているのだ。
 このような治安出動という観点から大地震などの際の災害派遣計画が立案され、現在では自衛隊は東海地震対処計画(80年5月策定)と南関東地域震災災害派遣計画(90年6月策定)を有している。
 これらの計画によれば陸自は約57000人、航空機約160機、海自は約5000人、艦船約50隻、航空機約30機、空自は約5000人、航空機約75機が出動することになっている。これらの部隊は防衛庁長官を本部長とする防衛庁災害対策本部の下に置かれ、防衛庁中央指揮所の指揮に従って行動する。
 これほど大規模の出動が行われれば、自衛隊が主導権を握り、警察、消防、自治体はそれに協力するという逆転現象が生ずる。防衛庁災害対策本部が総合調整機能を果たすのだから、総理大臣の権限をも越える機能を持つ可能性さえあるのだ。
 しかし、いうまでもなく自衛隊の出動はあくまで治安出動としての性格をもち、災害から人民を救済するためのものではない。それは阪神大震災のときに出動した自衛隊1万6000人のうち実働部隊がわずか4000人であり、残りの1万2000人が待機部隊であったことをみてもあきらかだ。
 実際、自衛隊には驚くべきことに災害派遣の教範がなく、これまでほとんど災害派遣の訓練をしてこなかった。装備も消防のレスキュー隊に比べてはるかに劣る。にもかかわらずあたかも自衛隊が災害派遣の主力であるかのように振る舞い、積極的に「防災訓練」に参加するのは、「防災」を名目として治安出動訓練をしたいからにすぎない。

 「災害派遣計画」

 自衛隊の「災害派遣計画」は当初から治安出動体制、戒厳令実施能力の確立という観点から立案されてきた。自衛隊は大震災時の派遣に関して60年頃から言及しはじめている。60年3月に、陸上自衛隊幕僚監部第3部は、「関東大震災から得た教訓」という総括を発表し、この総括に基づいて60年以来の大震災派遣計画を立ててきた。
 「関東大震災から得た教訓」とは、関東大震災の時に東京・神奈川・千葉・静岡・埼玉から派遣された軍隊により首都を戒厳令下におき、朝鮮人・中国人を虐殺した経験を基にしたものであり、現在の東京都を戒厳令下におき、治安を維持するためにはどの程度の兵力をどのように輸送し、配置し、行動させたらよいかを研究する基礎となるものだ。
 したがって前記した2つの災害派遣計画で、関東大震災時の戒厳令で動員された軍隊の数5万3000人に近い数の動員数が記載されているのは偶然ではない。実際の戒厳令施行の経験に基づいて、今日的に戒厳令を発動し、関東大震災直後と同様の検問体制、令状なしの検挙、兵器の使用による鎮圧作戦の実施のためにはこれだけの動員数が必要だという観点からこの数がはじき出されたのだ。(この動員数は98・99年版防衛白書によれば、大幅に増員され、東海地震対処計画では派遣される自衛隊の最終人数は6万6000人、南関東地域震災災害派遣計画では8万人になっている)
図1 具体的派遣計画においても戒厳令発動のための詳細な検討がされている。災害派遣計画は決して防衛秘密ではないにもかかわらず、治安出動としての内容をもっているために公開されていない。
 したがって一般人がその内容を具体的に検討することはできない。それを知るためには、非公式のルートに依存するしかない。図1は軍事評論家の藤井治夫氏が陸上幕僚監部の友人から非公式に入手した作戦図であるが、これは「陸上自衛隊大震災災害派遣計画」に基づく首都包囲作戦を示したものだ
 この図は自衛隊5万7000人をどのようにして東京に集結していくかを75年の時点で定め、図解したものだ。全国の自衛隊基地から首都に部隊を結集するにあたって、各地に支援ターミナルを設置し、宿泊、補給を行い、部隊集結地点を定めている。松戸、大宮、朝霞、座間などの東京周辺の自衛隊基地に集結した部隊は、ここを拠点にして作戦を行う。まず、環状7号線と16号線を封鎖ラインに設定し、首都に通ずる一切の交通を遮断する。次に首都の占領作戦を展開し、最終的に暴動などの鎮圧作戦に着手する体制をとる。これは都市における災害派遣=戒厳令発動作戦であり、かつて旧日本軍が南京占領の際に適用した作戦なのだ。災害派遣とはまさに封鎖・占領・掃討作戦として展開されるのだ。

 「災害派遣」態勢の反動的強化

 阪神・淡路大震災では創隊以来、最大規模の「災害派遣」を行い、治安出動訓練の実績をあげた自衛隊は、大震災にたいする政府の無策にたいする国民の怒りや不安を利用して、「災害派遣」態勢という名の治安出動態勢を一挙に強化する策動を開始した。
 阪神・淡路大震災の教訓を踏まえるとして、政府が95年9月に行った「防災基本計画」の大幅修正や、同年9月の「防災問題懇談会」の提言を受けた「災害対策基本法」の改悪に対応して、自衛隊法の改悪や「防衛庁防災業務計画」の改悪が行われた。
 まず第1に、自主派遣体制の強化だ。関係機関に対する情報提供のための情報収集を行う必要があると認められる場合、都道府県知事などが要請を行うことができず、直ちに自衛隊として救援を行う必要があると認められる場合、自衛隊が実施すべき救援活動が明確で、その活動が人命救助に関するものである場合、その他、特に緊急を要し、都道府県知事などからの要請を待ついとまがないと認められる場合などにおいて、部隊等の長が自主派遣の判断ができることとした。これによって自衛隊法第83条のA項に依拠した自主派遣体制は圧倒的に強化されている。
 第2に、地方公共団体などの連携の強化だ。自衛隊と地方公共団体との情報連絡体制の充実や共同の防災訓練の実施、都道府県知事などによる迅速な派遣要請に支障を生じないように、要請の際に明らかにすべき事項の簡略化が行われた。
 また市町村長が都道府県知事にたいし自衛隊の派遣の要請を要求できるようにするとともに、要求ができないときは、直接、防衛庁長官又はその指定する者に災害の状況などを通知できることが明記された。
 これらの措置によって自衛隊は地方公共団体の防災業務に深く関与し、「災害派遣」をより摩擦なく行えるようにすると共に、その際に主導権を握ろうとしているのだ。
 第3に、「災害派遣」時に自衛官が行使しうる権限を強化したことである。阪神・淡路大震災の経験に基づき、人命の保護及び救援活動の円滑な実施の観点から、災害応急対策のために必要な自衛官の権限を法律上規定すべきだとして、自衛隊法の改悪が行われ次のような強制措置がとれることになった。
 すなわち、市町村長(又はその委任を受けた職員)、警察官及び海上保安官がその場にいない場合、@災害時の自衛隊の緊急通行車両の通行を確保するために、道路上の放置車両の除去などの強制措置がとれる、A建物の倒壊や崖崩れの危険性の大きい場合などに、警戒区域を設定し、立ち入り制限・禁止、退去を命ずることができる、B救援活動における活動拠点や緊急患者の空輸に必要な通信中継所の確保などのため、土地や建物を使用できる、C倒壊家屋から人命救助を行う場合などに、障害となる被災した建物などを移動し、あるいは撤去すること、D現場の自衛官では足りない場合などに、住民又は現場にいる者に人命救助や水防などのための業務を行わせることなどである。
 これらの措置は大災害への対応を口実にして自衛官の権限を全面的に強化し、「有事」の際に行使しうる権限を今日的に拡大しておこうとするものである。
 第4に情報収集及び伝達態勢の拡充だ。震度5以上の地震が発生した場合には、被害情報の早期把握のために、「災害派遣」に備えて待機させておいたヘリコプターを出動させ、情報を内閣総理大臣などに報告する態勢をとることにした。
 第5に、「災害派遣」のための装備充実だ。これは「災害派遣」を口実にして、映像情報の伝送システム、輸送用車両、無線などの装備を充実し、治安出動の際の情報・運輸能力を強化するものだ。
 そして阪神大震災以降、自衛隊は各地で自治体が行う防災訓練、防災会議に積極的に参加するようになる。東京都では毎年9月の防災週間に区主催で行われる総合防災訓練に自衛隊の参加する割合が年を追うごとに増え、98年には23区中16区の訓練に自衛隊が参加するに至った。
 各区の防災会議への参加も、95年の練馬区からはじまり12区で正式なメンバーとして自衛官が参加するようになった。全国各地の都道府県の地方防災会議にも師団長、連隊長、大隊長クラスの自衛官が参加するようになっている。

 東海地震派遣計画の見直し

 前述した派遣計画の見直しは現在様々な側面から行われており、今年1月にも東海地震にたいする新たな派遣計画の骨格がまとめられている。
 新派遣計画の最大の特徴は、発災から48時間以内に4万2000人を動員し、初動体制を全面的に強化するというものだ。これは出動の遅れが指摘された5年前の阪神大震災の経験を教訓化するという口実で、初動動員数を阪神大震災の時の約5倍の規模にするものだ。
 初動時に動員される部隊には、首都圏の東部方面隊だけでなく、近畿地区の中部方面隊も含まれる。さらに大きな被害を受けた地域を重点に、二次派遣部隊として東北方面隊などを追加投入し、派遣規模は最大5万7000人を見込むとされている。
 これまでも全体で6万を超える部隊投入が計画されていたが、発災から1週間に段階的に派遣するという内容だった。これに対し新派遣計画は、初動段階で限界に近い人員を一気に動員し、一挙に都市制圧、占領体制を確立することを目指すものだ。
 もう1つの特徴は、2次派遣部隊に初めて即応予備自衛官が動員されることだ。即応予備自衛官制度とは任期を終えて退職した自衛官から、希望者を年30日間再訓練し、有事や災害時に一線に派遣する制度で、すでに4000人の出動が可能だといわれている。
 この制度が拡充されれば、治安出動時に即応的に動員できる人員は飛躍的に増大する。日帝はこれによって治安出動時の最大動員数が6万人程度といわれている限界を大きく突破しようとしているのだ。
 新たな派遣計画は、一般に公表されないまま2000年度中に防衛庁長官の承認のみで正式決定されることになっている。このように重大な治安出動計画が国会で論議されず、防衛庁長官の一存で決定されようとしているのだ。「災害派遣」態勢の確立という隠れ蓑を最大限に利用した自衛隊の治安出動計画の急速な拡充を絶対に許してはならない。

 

 ●特集/9・3自衛隊治安出動演習弾劾 特集(1)第3節(本格的治安出同態勢作りへ突進)につづく