SANRIZUKA 2014/01/27(No888 p02)

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第888号の目次

2014年三里塚決戦の第1歩を記した新年デモ(1月12日 成田市東峰)

1面の画像
(1面)
都知事を選挙を全力で闘い 三里塚2014年決戦の勝利を
農地強奪阻止・新3万人署名を貫徹し3・23全国集会(芝公園)〜26高裁包囲へ!
記事を読む
都知事選挙 鈴木たつお氏の当選へ  安倍政権の戦争政治と対決 記事を読む
三里塚現闘が挨拶  1・19 都革新が旗開き開催 記事を読む
3本目の滑走路許すな  国交省に 県経済同友会等が求める 記事を読む
ピンスポット  動労水戸旗開きに伊藤さんが参加
一人一人が決起を  組合員と交流を深める
記事を読む
団結街道 記事を読む
闘いの言葉 記事を読む
《三里塚闘争裁判》 記事を読む
(2面)
全学連三里塚現地行動隊日誌 市東農地決戦の先頭に立つ
鈴木さん5つの訴え  都知事選の勝利を
全学連三里塚現地行動隊長
記事を読む
萩原進事務局次長を追悼する 記事を読む
紹介 新パンフ活用を  3万人署名達成に向け 記事を読む
鉄道労組に連帯を  韓国民主労総 2・25にゼネスト 記事を読む
三里塚営農だより  市東孝雄さん宅 記事を読む
三芝百景 三里塚現地日誌  1月14日(火)〜1月22日(水) 記事を読む

週刊『三里塚』(S888号1面1)(2014/01/27)

 都知事を選挙を全力で闘い 三里塚2014年決戦の勝利を

 農地強奪阻止・新3万人署名を貫徹し3・23全国集会(芝公園)〜26高裁包囲へ!

 「3・11」情勢と大恐慌の深化および新自由主義による労働者人民への階級戦争が激化する中で、革共同は東京都知事選挙闘争を2014年階級決戦として闘うことを決断し、「憲法と人権の日弁連をめざす会」の推す鈴木たつお弁護士を支援することを決めた。この闘いの中にこそ、三塁塚2014年決戦の成否がかかっている。三里塚こそが都知事選決戦の先頭に立つ。この闘いと一休で市乗さんの農地裁判控訴審決戦の勝利に向けて3万人署名を何としても実現する闘いに決起しなくてはならない。3・23集会は、三里塚闘争史上初めての東京のど真ん中での全国集会だ。2・16国鉄労働者集会−3・11福島集会の成功と一体で3・23三里塚全国集会へ。3・26控訴審第1回弁論闘争へ。
 三里塚2014年決戦が開始された。この闘いに勝利する第1の課題は、今爆発的に前進しつつある都知事選決戦に全力で決起し勝利することである。鈴木たつお候補を押し立てて闘われている都知事選は、安倍政権に怒る労働者人民の圧倒的な支持を獲得しつつある。
 この闘いは、改憲・戦争、原発再稼働に突き進む安倍政権を打倒する決戦である。鈴木たつお氏だけが唯一、安倍政権と対決して闘う候補として猛然と旋風をまき起こしつつある。大恐慌下で吹き荒れる新自由主義攻撃を真っ向から打ち破る候補が鈴木氏だ。
 この都知事選の成否に三里塚闘争をはじめ、動労千葉などの1047名解雇撤回の闘い、反原発闘争、星野闘争の成否がかかっている。全力で街頭に出て、労働組合を回り支持を訴えよう。都知事選闘争のるつぼの中で「三里塚が霞が関に攻め上る闘い」もやりぬくのだ。
(写真 2014年三里塚決戦の第1歩を記した新年デモ【1月12日 成田市東峰】)

 東京のど真ん中で

 第2の課題は、3・23三里塚全国集会への爆発的な結集をかちとり、東京高裁・貝阿彌(かいあみ)誠裁判長による農地強奪の反動判決策動を粉砕する闘いだ。3・23集会は東京の芝公園で開催することが決まっている。三里塚48年の長い歴史の中でも屋外の全国集会を東京のど真ん中で開くことは初めてだ。まさに東京に攻め上る闘いだ。そのために、2・16
国鉄労働者集会と3・11福島現地での反原発の闘いを大成功させよう。
 国鉄闘争と結合し、福島の怒りと連帯を深める中から3・23三里塚全国集会成功の展望も切り開かれる。
 動労千葉を先頭とした6千万労働者と、反対同盟・全国農民会議を先頭とした260万人の農民との労農連帯の展望をこの中で打ち立てよう。これこそが市東さんの農地を守る決戦の陣形だ。  
 第3の課題は、市東さん農地裁判の控訴審勝利に向け、3万人署名を圧倒的に前進させることだ。昨年一審の千葉地裁の闘いでは約2カ月あまりの闘いで1万2千筆を実現した。反対同盟が闘争宣言で訴えたように、全国の労働組合、農業・農民団体、消費者団体、市民団体、学生団体に直接訴え、何としても3万人署名を達成しよう。労農連帯を軸に勝利の陣形を構築しよう。
 さらに、文字通り首都で展開されている動労千葉の最高裁決戦、反原発闘争、沖縄闘争、反TPP闘争と固く連帯し、「反国策」という一点で結びつき、霞が関を埋め尽くすような闘いを実現しよう。
 そして、故・萩原進事務局次長が切り開いた周辺住民への連帯を求める闘いを現地で粘り強く拡大しよう。
 第4に、3・26控訴審第1回弁論闘争を、3・23集会の爆発と一体となって成功させることだ。これは東京高裁・貝阿彌裁判長による早期の審理打ち切り策動との直接的な闘いである。
 弁論1回目から決戦に突入する。3・26弁論闘争を、東京高裁を十重二十重に包囲する大結集で実現しよう。
 弁護団は、農地取り上げを認めた一審千葉地裁・多見谷判決を打ち砕く控訴理由書を準備している。法廷内外結合した闘いで高裁を追いつめよう。

 TPP交渉に怒る 260万農民の先頭に

 そして最後に、市東さんの生活と営農のすべてがかかった農地を取り上げる攻撃との闘いが、TPP協定締結や減反政策の廃止などの農業・農民切り捨て攻撃との最先端の攻防であることをはっきりさせ、圧倒的な労働者・農民の決起をかちとろう。
 TPP交渉はいよいよ大詰めに来ている。1月20日には甘利明TPP担当相と米国のフロマン通商代表部代表との電話会談が行われた。他の11カ国の関税自由化率が100%に近いと言われる中で、いわゆる聖域5品目での関税撤廃にむけた圧力が猛然とかかっている。
 日帝・安倍政権はいつ”聖域”分野での撤退=農業・農民切り捨てに走るか、そのタイミングを計っている段階だ。TPPを許さない労農の決起と一体で、市東さん農地決戦勝利の陣形を拡大しよう。
   *
 ところで1月15日、千葉県と成田市の経済利権団体が国土交通省に「成田空港に3本目の滑走路を建設してほしい」旨の要望書を出した(別掲記事参照)。これ自体は、成田空港地盤沈下の危機に駆られた利権屋集団の私欲にまみれた行動だ。しかしアジアをめぐる帝国主義・大国間の争闘戦に追いつめられている日帝・安倍政権は、東京オリンピックを口実としつつ、こうした地元の要求をも取り込んで、アジア勢力圏化のための空港容量の拡大を狙っている。第1次安倍政権の時のアジアゲートウェイ構想の再版を狙っている。
 2014年の三里塚闘争は、こうした空港政策そのものとの対決をも貫きつつ、市東さん農地決戦の勝利へ断固として突き進まなくてはならない。「2014年は面白い勝負ができそうだ」と語っていた故萩原事務局次長。萩原さんがやろうとしてできなかった壮大な闘いを2014年決戦として実現しよう。

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週刊『三里塚』(S888号1面2)(2014/01/27)

 都知事選挙 鈴木たつお氏の当選へ

 安倍政権の戦争政治と対決

 「憲法と人権の日弁連をめざす会」が推す鈴木たつお弁護士が、東京都知事選挙への立候補を明らかにした。鈴木氏は労働者階級の唯一の代表として、国鉄分割・民営化反対、1047名解雇撤回、全原発即時廃炉・再稼働阻止、改憲・戦争阻止、星野同志奪還、東京オリンピック返上を訴えている。鈴木氏を支持し、支援して、2月9日投票日までの選挙戦を全力で闘おう。
 鈴木氏は、何よりも改憲と戦争の安倍政権と真っ向から対決する唯一の候補だ。安倍政権への怒りが労働者人民の間で激しく高まっている中で、彼らの要求を実現できる人民の代表だ。
 さらに国鉄分割・民営化反対、1047名解雇撤回・JR復帰を訴える候補だ。舛添、細川らは皆、国鉄分割・民営化強行に始まる新自由主義攻撃の張本人だ。細川を担ぎ出した小泉は郵政民営化によって郵政労働者を地獄にたたき込んだ。
 だが動労千葉は2010年4・9和解を拒否し、1047名解雇撤回闘争を継続し、昨年9月25日、東京高裁・難波孝一裁判長による不当労働行為を認定する決定的な判決をかちとった。この地平を全労働者階級、全労働組合に知らせ、国鉄闘争100万人支援陣形を再構築するのが都知事選決戦であり、新10万筆署名運動だ。都知事選決戦を国鉄最高裁決戦として闘おう。
 そして鈴木氏は全原発即時廃炉・再稼働阻止を真に訴える唯一人の候補だ。人類と核は相いれない。労働者階級こそ核・原発廃絶の先頭に立てる革命的階級だ。「原発ゼロ」というなら東京オリンピックを即座に返上すべきだ。未収束の福島第一原発事故と放射能汚染の現実を放置してオリンピックを挙行するなどあり得ない。舛添はオリンピック・原発推進論者であり、細川は反原発の怒りを圧殺するために、追いつめられた支配階級が送り込んだ人物だ。
 細川=小泉、宇都宮らの「脱原発」の大ぺてんを暴き、反原発闘争の勝利を引き寄せよう。この都知事選挙への挑戦こそ、安倍政権打倒へ情勢を切り開くものとなる。市東さん農地裁判・控訴審闘争の勝利もこの都知事選挙闘争の前進の中でこそかちとれる。「霞が関に攻め上ろう」という反対同盟の闘いと一体だ。鈴木氏勝利へ。
(写真 鈴木たつおとともに歩む大集会で発言する鈴木さん【1月21日 東京・高円寺】)

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週刊『三里塚』(S888号1面3)(2014/01/27)

 三里塚現闘が挨拶

 1・19 都革新が旗開き開催

 1月19日、鈴木たつお氏の都知事選立候補という歴史的決断の中で、都政を革新する会の旗開きが東京・杉並区で行われ、三里塚から現闘本部員が参加して発言した。
 鈴木たつお候補、長谷川英憲さん、ふくしま共同診療所の松江寛人さん、NAZENふくしま呼びかけ人の椎名千恵子さんらが第1部で発言。現闘の同志は第2部であいさつした。自分が三里塚に派遣されて27〜28年になる経歴を紹介、その中から萩原事務局次長の急逝の衝撃とそれを乗り越えて市東農地裁判控訴審決戦にむけた決意を語った。「農民切り捨てが激化している中、労働者も低賃金、非正規、首切り、失業という状況だ。こうした状況を変えるのが都知事選だ。全力で勝利へ」としめくくった。

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週刊『三里塚』(S888号1面4)(2014/01/27)

 3本目の滑走路許すな

 国交省に 県経済同友会等が求める

 千葉県経済同友会と成田商工会議所など経済利権6団体は1月15日、国土交通省に対し、成田空港に3本目の滑走路の建設を検討するよう要望書を提出した。これには前二者の他、県経済協議会、県経営者協会、成田市観光協会、成田空港対策協議会が加わっている。
 国土交通省は昨年11月1日、羽田や成田など首都圏空港の中長期的な発着枠の拡大に向けた有識者委員会(首都圏空港機能強化技術検討小委員会)なるものを立ち上げ検討を始めた。その議論の取りまとめが3月末に迫っている。今回の地元経済団体の「陳情」は、東京オリンピックをも口実にして、「成田空港の3本目の滑走路を建設する計画も委員会の検討項目に加えて欲しい」というものだ。
 騒音をまき散らす内陸空港の根本的矛盾をほおかむりして、「3本目の滑走路」を要求するなど言語道断で許されない。 経済団体関係者は、「4000b滑走路、2500b滑走路と平行する場所を想定している」と語っているが、まったく新たな空港計画に等しい膨大な用地の取得が必要となる。滑走路増設用の用地などどこにもない。
 反対同盟・周辺住民との大激突は避けられない。それをも覚悟で、この暴挙を強行しようというのであれば、われわれは断固迎え撃つ。それは三里塚の新たな発展と勝利への道を切り開くであろう。
(写真 千葉県経済同友会などによる「賀詞交換会」。この1週間後に国交省に陳情に行った【1月7日 千葉市】)

 争闘戦激化の中で

 今回の「3本目の滑走路要求」は、直接には成田空港の危機に焦った地元経済界の私利私欲から来ている。しかし、東京オリンピックを使った安倍政権による空港容量拡大攻撃をあてにした要求という側面もある。
 今現在、東アジアをめぐっては軍事政治的緊張がかつてなく高まっており、TPP交渉を主戦場に、大恐慌下での、争闘戦が激しく展開されている。安倍政権は対米対抗的な姿勢を示し、米政府の「靖国参拝の自制要求」も無視して参拝を強行した。
 第1次安倍政権時のアジアゲートウェイ構想に示されるように、国策空港は経済的争闘戦の軸となるインフラだ。したがって、今回の千葉県・成田の地元経済界のみならず、「羽田の5本目の滑走路」「成田の3本目の滑走路」を求める声は、財界や地方自治体から上がっている。
 昨年10月24日には、関東地方知事会議が、「東京五輪開催にむけて成田、羽田両空港の機能強化の支援を国に求める」なる決議を行い、成田空港の24時間化や3本目の滑走路をにおわす要求をしている。
 国交省自身、羽田と成田の両空港の年間発着枠は2014年度に約75万回に増やす予定である上、「航空需要の拡大で2020年代には発着枠が不足する」とのデタラメな予測を口実に、20年開催の東京五輪もタテに、あらためて成田・羽田の容量拡大攻撃を本格化させている。
 「3本目の滑走路建設」攻撃と対決し、市東さんの農地裁判控訴審決戦勝利へ、3万人署名を貫徹し霞が関へ攻め上り、3・23全国集会―3・26控訴審の大結集をかちとろう。

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週刊『三里塚』(S888号1面5)(2014/01/27)

ピンスポット 動労水戸旗開きに伊藤さんが参加

 一人一人が決起を

 組合員と交流を深める

 1月19日、水戸市内で行われた動労水戸の団結旗開きに反対同盟から伊藤信晴さんが参加。2014年の闘いに向けて、熱く交歓した。伊藤さんは、故・萩原進事務局次長の葬儀参列へのお礼を述べた上で、「遺された反対同盟の一人ひとりが三里塚闘争を担い全力で闘い抜く」「霞が関に攻め上り、福島・沖縄と闘いを通してつながっていきたい」と決意表明。3・23全国集会〜3・26控訴審第1回弁論への結集と、3万人署名運動への取り組みを訴えた。さらには動労水戸の被曝労働拒否の闘いが切り開いた地平への率直な感動を述べつつ、労農連帯の強化を呼びかけた。 白熱した議論で定期大会をやり抜いて集まった組合員の顔は、実に生き生きと輝いていた。小竹運輸、鈴木コンクリート分会の仲間も顔をそろえにぎやかに宴は続いた。
(写真 動労水戸の旗開きであいさつする伊藤信晴さん【1月19日】)

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週刊『三里塚』(S888号1面6)(2014/01/27)

 団結街道

 2014年控訴審闘争を闘い抜く武器として、反対同盟の新しいパンフレットとリーフレットが完成した「霞が関に攻め上り広範な人びとと合流する」「そのために旗開きには準備を整え、スタートダッシュするんだ」――こうした萩原事務局次長の決意に応えるべく制作プロジェクトは昨年11月からスタートし、小生も名を連ねた昨年のパンフレットには確かな手応えがあった。パンフレットを読んで三里塚現地を訪れてくれた人、集会に参加してくれた人もいる。1万2千筆の署名達成にリーフレットは間違いなく大きな力になった。だが今年、反対同盟は本気で3万筆を集めきろうとしている。もっと広げるにはどうすれば良いのか、議論百出で年末になっても修正と改善を重ねた。完成品が届いたのは旗開きの前日。ほっと胸をなで下ろした多見谷判決のデタラメさ、控訴審のポイントを明らかにしたい。農地問題や三里塚についてもっと分かりやすく伝えたい。試行錯誤で図解を試み、農地問題の解説も図にしたQ&Aのコーナーも設けてみた。鈴木宣弘氏(東京大学教授)をはじめ、多くの協力もいただいた。魂を込めて作り上げた自負はある。「前のパンフレットより市東さんの気持ちが表されている」と伊藤信晴さんが評価してくれたが、天上の萩原さんは及第点をつけてくれるだろうかぜひ手にとって読み、活用していただきたい。パンフレットを手に三里塚闘争の新たな前進を。

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週刊『三里塚』(S888号1面7)(2014/01/27)

 闘いの言葉

 必ずや彼らに向かって、彼らが谷中村に為せし同じきと、方法手段を以て復讐するの時あるを期せよ。復讐の冠を以て、その頭を飾らしめよ。
 1907年 荒畑寒村

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週刊『三里塚』(S888号1面8)(2014/01/27)

《三里塚闘争裁判》

●3月6日(木) 
 鈴木さん一坪裁判 午前10時30分
●3月10日(月)
 第3誘導路裁判 午前10時30分
 (いずれも千葉地裁)
●3月26日(水)午後2時
 市東さん農地裁判控訴審 東京高裁
●4月28日(月)団結街道裁判
  午前10時30分 千葉地裁
●5月27日(火)天神峰ヤグラ裁判
  午前10時30分 千葉地裁

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週刊『三里塚』(S888号2面1)(2014/01/27)

 全学連三里塚現地行動隊日誌 市東農地決戦の先頭に立つ

 鈴木さん5つの訴え

 都知事選の勝利を

 全学連三里塚現地行動隊長

 1月21日、「生きる権利を!鈴木たつおとともに歩む会」事務所で開かれた都知事選勝利の総決起集会に参加しました(写真)。東京都知事選への決起を行動隊としても呼びかけたいと思います。
 今回の選挙は、戦争と大失業の新自由主義・安倍政権への怒りを誰が組織するのかをかけた闘いです。首都・東京さらには国家権力をめぐって闘われる大政治決戦です。世論調査では93%の人が投票に行くと答えています。以下、5点にわたって鈴木さんの主張を紹介します。
 1点目は、「戦争させない」ということです。安倍は本気で戦争・改憲へと突き進んでいます。人々の怒り、不満を戦争に向かって組織しようとしているのです。1%の金持ちのために99%が殺される戦争には絶対反対で闘う以外にありません。鈴木さんは米原子力空母エンタープライズ入港阻止闘争を日放労(NHK労組)長崎分会の委員長として分会を挙げて闘い、逮捕・処分されました。戦争と本気で闘うことのできる候補は鈴木さんだけです。
 2点目は、「被曝させない」です。今や原発反対は地の声、時の声です。しかし、本当に原発をなくす道を真っ向から掲げているのは鈴木さんだけです。鈴木さんは、長崎の被爆者でNAZEN呼びかけ人の城臺美弥子さんが、細川になぜ一本化しないのかを問われたときに、「あの人は殿様よ」と答えたエピソードを紹介し、原発をなくす力は殿様へのお願いではなく、福島の人々を先頭にした怒り、労働者人民の中にあると訴えています。宇都宮はそもそも日弁連会長選挙で段階的廃止ということを掲げ、即時廃止を掲げる鈴木さんらと真っ向から敵対してきた人物です。
 3点目は、「貧困・過労死ゆるさない」です。現在、労働者の38%が非正規です。また、安全破壊の現実も生まれました。JR北海道の事故も国鉄分割・民営化が元凶です。コストカットと称して人と安全が切り捨てられてきたのです。このような新自由主義攻撃の先駆けであった国鉄分割・民営化を打ち破る9・25判決を引き出した動労千葉の闘いを支えてきたのが顧問弁護団を務める鈴木さんです。細川を推している小泉が行った郵政民営化は公務員への賃下げ・リストラを引き起こし、格差社会を生み出しました。宇都宮はセーフティーネットと言いますが、起こった結果に対して事後対応するものでしかありません。
 4点目は、「だからオリンピックはやらない」です。汚染水はコントロールもブロックもされてはいません。福島の子どもたちが外で遊べない状況、がんになっている現実を放置して何がオリンピックでしょうか。オリンピックは福島を黙らせ、3・11をなかったことにするためのものです。同時に都市労働者の問題でもあります。猪瀬は、24時間バス・地下鉄を走らせる深夜都市と言いましたが強制されるのは労働者です。
 5点目は、「弾圧と闘う」です。「3・11」を契機に命の問題、生き方の問題と同時に、国家体制の問題が突きつけられています。「命よりも金」の国家・資本と闘うには弾圧が不可避です。弾圧を打ち破ることのできる候補は、空前の学生運動弾圧である法大暴処法弾圧を打ち破った弁護団長であり、星野文昭さん再審弁護団として全証拠開示運動の先頭に立つ鈴木さんしかいません。
 首都東京で革命的知事が誕生することは、東京高裁での生きる権利・耕す権利をかけた市東さん農地決戦にとっても決定的です。現地行動隊も全力を尽くして闘います。

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週刊『三里塚』(S888号2面2)(2014/01/27)

 萩原進事務局次長を追悼する

 昨年末急逝された萩原進事務局次長を悼む文章が反対同盟員はじめ各方面から寄せられたので紹介します。

 反対同盟から

 彼は大変な勉強家 長原 野平聰一さん

 萩原進さんの集会でのあいさつは、理路整然として、いつも感銘を受けていた。彼は大変な勉強家だった。あのようなすぐれた農民は他にいない。私と進さんは、同じ高校。世代は違うが、当時は、長男として家を継いで農業をすることが決められていた。進さんは、シルクコンビーナート計画で農業を継ぐことを決意し、長野まで講習を受けに行った。それが空港によってつぶされた。この無念さは、言葉に尽くせないと思う。進さんがいなくなったことは信じられないが、市東孝雄さんを守ってご遺族とともに三里塚闘争の勝利まで闘うことを誓う。

 勝利への執念見た 白桝 伊藤信晴さん

  萩原進さんとの思い出は、3・8分裂の時に示したある農民の説得活動でした。進さんはその農民を毎晩のように飲みに連れ出し、家族ぐるみの旅行に誘い、すさまじい執念で熱田派への参加を阻止しました。
 酒はあまり飲めないと聞いていたのですが、その時は酒もとことん付き合っていました。その農民はその後、残念ながら闘争を去って行きましたが、あの時の執念には本当に感動しました。市東さん農地決戦の最も大事な時に失うことは、本当に残念の極みですが、ここまで導いてくれた萩原さんに心から感謝し、萩原さんとともにこの決戦を闘い抜きます。

 「失敗恐れるな!」 婦行 木内敦子さん

 同盟として初めてのサウンドデモと裁判所包囲行動、朝から緊張気味の私の肩をポーンと叩き、「失敗してもいいんだよ。失敗しても。それも一歩なんだ」と送り出してくれた。
 励ましと、叱咤(しった)と、喝とを、萩原さん宅の縁側で、集会場の畑で、裁判所のロビーで、受けた日々。
 東京高裁に向けて署名活動の方針が決まり、市東さんの離れの庭で、「また女性だけで駅頭街宣をして署名を集めたい」と話すと、「市東さんを守る女性たちの会だな」とその命名した自分に満足したようににやりと笑い、ゴーサインをもらったのが最後の会話。2011年3月を機に大きく変わった様々な闘いと闘う陣形と闘い方。三里塚の48年が生きる。(活きるかな?)
 3月の市東さんの農地決戦へ。
 霞が関に攻め上る。そしてその先へ。未来の光へ。私たちは光に向かって歩みを止めることはない。その光の中で萩原さんが深くうなずき両手をいっぱいに広げて待っている。

 恩返しできぬまま 婦行 宮本麻子さん

 昨年暮れ、萩原さんのあまりに突然の訃報は、信じられませんでした。常に反対同盟を引っ張り、指示・方針を出し、内部に対しても外部に対しても厳しく、温かく言葉をかけ見守ってくれました。亡くなられた日から1カ月が経ち、新年を迎えデモ、旗開きも終えました。いつも集会場に響き渡っていた、空港を弾劾し仲間を激励し闘争方針を伝える声……。記憶は鮮明なのにもう二度と声を聞くことができません。思い返せば私が学生で東京・板橋に住んでいたころ、地区の小さな集会にも来てくださり空港反対闘争のことを力強く語ってくださいました。その時30代後半であったのですね。南三里塚の宮本家に嫁いだ結婚式では、司会を務めてくださり、また私が前夫の脱落で離婚せざるを得なくなった時も、親身になった配慮をしてくださいました。子供たちも小さく毎日の生活に追われ、充分な謝意も表せないままでしたがどれほど心強かったことか。
 だれに対しても苦境や窮地にあれば、駆けつけ力になってあげたのでしょう。今年で19年となった阪神淡路大震災の時もリュックを背負って三日めには関西に入りましたね。昨年反対同盟は、千葉地裁に市東さんの農地取り上げの不当判決を出させないため、千葉市内をデモしたり地裁をヒューマンチェーンで包囲したりしました。同時に空港周辺の農家・住民にも訴え、働きかけ、署名をお願いしました。この時も「反対同盟はあぐらをかいていた。今日をもって新たな闘いに入る」とそこまで言うのかというほどの自己批判を込め、地元での行動の重要性、今後の取り組みを指し示してくれました。
 三里塚は福島、沖縄と連帯して農地死守、反原発、反基地闘争を闘います。「霞が関へ攻め上る」。首都東京で、国の中枢の霞が関で東京高裁の控訴審裁判をやり抜きます。私たちは萩原さんの言葉を胸に、遺志を引き継ぎ、動労千葉と連帯し、市東さんの土地を守り、空港廃港まで闘いを続けていきます。折しも弁護団の鈴木達夫さんが東京都知事選に立候補しました。社会を変えていきましょう。どうぞ空から見ていてください。ご冥福をお祈りします。

 全国農民会議から

 農民結集の先頭に 小川浩さん

 昨年12月21日、萩原進さんが急死したとの知らせにまさかという思いで、一瞬言葉を失い、まったく信じられない、信じたくないという気持ちだった。進さんとは半月前に会い、彼は「2014年、面白い勝負ができそうだ」と霞が関に攻め上る三里塚闘争の新たな飛躍を語っていた。
 志半ばで倒れた進さんの無念、悔しさをしっかり受けとめ、勝利の日まで闘い抜く決意だ。
 進さんは47年間の三里塚闘争を事務局次長として先頭で闘い抜いてきました。進さんと初めて会ったのは1971年。当時農業を始めたばかりの私は、同じ農民が国家権力と家族ぐるみで血を流してまで闘い抜いている三里塚を見て、衝撃を受けた。その闘いのエネルギーはどこからきているのか。どういう考えで闘っているのか。
 農村で、当時左翼といえば日本共産党だと思っていたが、その共産党を排除して、「過激派」・全学連と一緒に闘っているという。三里塚闘争についての関心は深まっていった。
 進さんとの出会いは、日共系の主催で、成田市で開かれようとしていた千葉県農村青年集会だった。その実行委員会で一緒になった。71年と言えば強制代執行阻止闘争の年。この闘いの爆発に恐怖した日共・民青は、三里塚闘争を支持する者に対して、トロツキストとして、集会から排除する策動を行った。まさに三里塚闘争破壊策動だった。こうした策動に対して進さんとともに闘った。これが契機となって、三里塚周辺の農民を集めて三里塚闘争に連帯する周辺住民会議の設立へとつながり、今日までにいたる反対同盟との連帯が始まった。
 進さんとの思い出は、2012年の全国農民会議の立ち上げだった。私が共同代表になっているが、組織化の先頭に立ってくれたのが進さんだった。進さんの思いは深く、「全国農民会議の支部を全県に作ろう」と発破をかけていた。農民会議の拡大の中に、三里塚闘争の展望を見出していた。進さんのこの遺志を受け継ぎ、名護市長選で勝利した沖縄そして福島と連帯し、市東さんの農地裁判控訴審の勝利へ闘いたい。それが進さんの遺志に応えることだと思う。

 現闘員から

 畑仕事は任せて! 藤川勝志

 現闘になって萩原さんの家に援農に入ったのは今から26年前、萩原進さんが44歳、自分が27歳の時です。自分の親と同じ年月を進さんと歩んできた事になります、当時は全国集会の前夜などお婆ちゃんと静江さんが心配して家に泊めてくれた事もありました。あの時はお爺さんが話し好きで中々眠れなくて困りました。進さんはへら鮒釣りが好きでよく連れて行ってもらいました、今から考えると釣り竿を垂らしウキを無心に見つめている時間が好きだったのだと思います。余り好きでない酒を飲んで「俺も色々忘れるぐらいあんな風に酔っ払ってみたいよ」と良く言っていました。
 当時から、いや闘争が始まった時から闘争に勝利するために悩み考えていたのだと思います。進さん、貴方の死は余りにも突然でまだ受け止める事ができません。今でも「何言ってんだよ藤川は調子いいからなー」と言って来るようで。でも進さん、今まで教えてもらった畑仕事は富夫さんと共に今まで以上に頑張って行きます。畑の事は心配しないで安らかに休んでください。

 他人の痛み分る人 島谷幸夫

 12月21日の夜、同盟と支援の懇談会。その場は年末の農作業と同盟一斉行動をやり終えた充実感に満ちていました。萩原さんを自宅に送っていった本部の同志から、萩原さんが心肺停止状態に陥っているとの連絡がありました。居合わせた仲間は、耳を疑いました。なんとか一命をとりとめてほしいという仲間の願いもむなしく、訃報を聞くことになりました。
 私は15年以上、萩原さん宅に出入りしています。一番心に残っていることは、5年ほど前、農作業が終わって、萩原さん宅でくつろいでいる時のことです。著書にも述べられていますが、「当時は弁当持参だったけど、小学校の同じクラスに、親がなにも持たせることができない友達がいた。昼食の時に、机でじっと皆が食べ終わるのを待っていたな」と、目を潤ませながら語ってくれた。戦後まもない頃で、まだ給食が導入されていなかった時の話です。昼食の時に、机で皆が食べ終わるのを待っている友達は、今どうしているだろうと思いをはせていたのでしょう。私はこの人は、少年時代から他人の心の傷みがわかる人だったんだと思いを新たにしました。階級的魂は少年時代に既に形成されていたのです。
 しかるべくして空港反対運動を担い、そして福島の農民・労働者・子どもの立場に立ち切りました。そのためには三里塚が先頭に立つべきと決意を固め、昨年は農民会議の運営や、空港周辺の反対同盟支持者拡大のため、奔走していました。昨年の1年で、10年分生き抜いたのです。私もそれとなく、「少し休養したらどうですか」と、声をかけたことがありました。「休んでいられないんだよ」と、静かに言いました。萩原さんの決意のこもった声に、私はそれ以上、何も言えませんでした。自分も署名まわりや千葉駅前・地裁前街宣に全力でたちあがりました。今年は萩原さんの階級的遺志を引き継いで、昨年以上に全力で三里塚闘争を担っていこうと思います。
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 労農連帯訴え続けた人

  国鉄千葉動力車労働組合

 12月21日、三里塚芝山連合空港反対同盟事務局次長の萩原進さんが急逝されました。あまりの突然の悲報に言葉を失いました。今も信じることはできません。
 萩原さんは初代青年行動隊長として当初から空港反対闘争の先頭にたち、1983年「3・8分裂」後は事務局次長として北原事務局長を支え、反対同盟の大黒柱として三里塚闘争を指導されました。
 萩原さんは、2008年に出版された著書・『農地収奪を阻む』のなかで「反対同盟と動労千葉は闘いの初期から共に闘い、切っても切れない絆を固めてきた」「67年の出会い以来、代執行決戦、77〜78年開港阻止決戦、80年代中曽根による臨調・行革、国鉄分割・民営化による労働運動つぶし、86年三里塚に対する二期着工攻撃という嵐の時代を、動労千葉との労農連帯の絆で闘いぬいた。だから今の動労千葉も反対同盟もある」と語っておられます。DC会館で開かれた出版記念会でもジェット燃料阻止闘争での「拒否から阻止へ」の闘いに触れ、「農民は農地を武器に、動労千葉は鉄路を武器に」という故戸村委員長の言葉どおり、後に空港公団との話し合いに応じていった当時の青年行動隊の中で孤立しながら動労千葉の闘いを支持してきたことを語り、「動労千葉、三里塚闘争、この両輪が日本の階級闘争の中にあるかぎり、闘いは勝利します」と訴えられました。萩原さんは三里塚闘争にとってだけでなく、動労千葉にとってもかけがえのない存在でした。11月集会に参加する民主労総ソウル本部の仲間を、毎年三里塚にあたたかく迎えて下さり、2009年には動労千葉訪韓団と共に韓国を訪れ、民主労総の労働者とも交流を深めました。11月集会の壇上から労農連帯のはちまきをしめて檄を発する姿は忘れられません。
 敵は危機にあえぎ、三里塚闘争はますます輝いています。47年間の全てをかけた決戦が始まろうとしています。この時に萩原さんがいないなんて! 闘う全ての労働者人民にとって、それがどれほど大きな損失だったか、今も愕然とした思いの中に沈んでいます。しかし、その遺志は残された私たちが必ず引き継ぎます。「霞が関に攻めのぼる!」と烈々たる決意で来春方針を出した萩原さんの遺志を引き継ぎ、市東さんの農地を守り、三里塚闘争の勝利と1047名解雇撤回を必ずや闘いとることを固く誓います。
 47年間の長い闘い、本当にご苦労さまでした。どうかこれからも私たちの闘いを見守り鼓舞激励してください。
(「日刊動労千葉」7629号=12月27日付けより)

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週刊『三里塚』(S888号2面3)(2014/01/27)

 紹介 新パンフ活用を

 3万人署名達成に向け

 反対同盟が、新たな3万人署名の達成に向けてパンフレットとリーフレットを発行した。パンフレットは昨年1月に出したものを大幅に改良した(写真)。特に市東さん農地裁判の叙述が大幅に改善されている。「市東さんの農地をめぐる経過」がイラストで図示され解説も分かりやすくなった。新たに「成田空港との『共存共栄』は真っ赤なウソ」の新章が追加され、内陸空港としての矛盾、民営化で金もうけに走るNAAの実態を暴露している。
 識者のコメントではTPP反対運動の先頭に立つ東京大学の鈴木宣弘教授、『三里塚の夏』を撮影した大津幸四郎カメラマンが言葉を寄せている。

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週刊『三里塚』(S888号2面4)(2014/01/27)

 鉄道労組に連帯を

 韓国民主労総 2・25にゼネスト

 1月18日、韓国・民主労総はソウル駅広場で集会を開き、2月25日「パククネ退陣、民営化および年金改悪阻止・鉄道労組弾圧粉砕」の国民ゼネストを明らかにした。
 この日の集会には鉄道労組組合員約 5千人をはじめ、民主労総組合員約1万人が参加、また同時に全国10地域でも開かれ全韓国での総決起となった。昨年12・28の10万人集会に続き、14年冒頭から韓国階級闘争はゼネストに突き進んでいる。
 シンスンチョル委員長は大会発言で「闘争の始まりになる2・25ゼネストは、労働者、農民、貧民も共に立ち上がる。権力と資本の貪欲に対抗するすべての国民の闘争になる」とあいさつした。
 昨年23日間のストをやりぬいた鉄道労組は、新年冒頭キムミョンファン委員長など4人の指導部が拘束される不当弾圧を受けた。これに対して新指導部を組織し、この日の集会に全国上京闘争を展開、「2月に2次総力闘争」をすると宣言した。イヨンイク委員長職務代理は「委員長の闘争精神を受け継いで、水西発KTX分割・民営化阻止と民主労組死守のために全身を投じる」と発言した。キムミョンファン委員長も書簡で「拘束ではわれわれの闘争を止められない」「昨年、歴史的なストライキは終わったが、新年には国民と約束した民営化阻止闘争を力強く展開しよう。早いうちに闘争の現場で仲間たちとお目にかかる」と檄を飛ばした。
 また、2・25ゼネスト勝利のため組合員賛否投票に突入した金属労組のチョンギュソク委員長は「金属労組15万組合員は、 2月25日の国民ゼネストに力強く進軍する」と明らかにした。「医療民営化阻止」のための本格的な闘争に突入する保健医療労組のユジヒョン委員長は「保健医療、鉄道、教育などの公共分野は、金もうけの対象ではない。国民の反対にもかかわらず政府が医療民営化を強行すれば、保健医療労組は全面ストライキで阻止する」と発言した。
 韓国労働者階級は、民主労総を先頭にパククネ政権の韓国鉄道の民営化攻撃とスト報復逮捕、全教組・公務員労組への弾圧とさらなる非正規職化攻撃に総力挙げた階級決戦に入った。2・25ゼネストに向けた攻防はすでに開始され、一日一日と緊迫しそれ自体が文字通りの決戦となっている。韓国労働者階級は、新自由主義攻撃の核心である民営化・外注化、非正規化を粉砕する世界労働者階級の政治決戦の先頭に立っている。
 日韓労働者の国際連帯で2・25ゼネストをかちとり、パククネ政権の労組破壊攻撃を粉砕しよう。日本の労働者は、民主労総の非正規職労働者の闘いの組織化、労働組合の組織拡大と拠点建設に学び2・16国鉄労働者集会の成功へ。都知事選の勝利へ。

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週刊『三里塚』(S888号2面5)(2014/01/27)

 三里塚営農だより

 市東孝雄さん宅

 産直野菜は一年間で50品目以上の野菜を作付けしていますが、それだけあると農家によって作りやすいものと苦手なものがどうしても出てきてしまいます。
 市東さんがもっとも得意とする野菜は落花生、ラディシュ、長ねぎ、ヤーコンなどで、特に落花生は故市東東市さんも得意とする野菜の一つでした。
 この落花生なかなかの強者で、収穫して口に入るまで相当の手間と時間がかかります! その一つが選別作業で12月後半から1月にかけて、一月程の時間がかかります。 市東さんがほぼ1人で選別した落花生(1月19日終了)はこの後水で洗われ、天日で干されてようやく煎る行程に入ります。さて今年はどんな味わいか楽しみです。
 1月12日の団結旗開きで「48年の歴史を守っていくためには闘い続けます」と宣言した市東さん。決意は鮮明です。(写真)

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週刊『三里塚』(S888号2面6)(2014/01/27)

 三芝百景 三里塚現地日誌

 1月14日(火)〜1月22日(水)

●「国内LCC 変わるか“西高東低”」の見出しをかかげた記事が新聞に掲載された。現在4社ある国内LCC(格安航空会社)のうち、関西空港を拠点とするピーチ・アビエーションと比べて、成田を拠点とする2社の利益が上がっていないことを報じている。成田に夜間の飛行制限があることが欠航率などを高めている。(14日=産経新聞)
●日本航空は、成田空港で出発準備中だったボーイング787型機のバッテリーが加熱、損傷して、機外に煙が出るトラブルが発生したと発表した。昨年1月に全日空機で飛行中に同じトラブルがあり改修したが再び事故が起きた。(14日)
●三里塚闘争支援連絡会議の仲間は、新年第1回の宣伝・署名活動を京成成田駅頭で行った。控訴審に向けた3万人署名を実現すべく、反対同盟が新たに発行したパンフレットを掲げ、リーフレットを配布して署名を呼びかけた。(15日)
●千葉県経済同友会と成田市商工会議所などが国土交通省を訪れ、「成田空港に3本目の滑走路を建設することを検討して欲しい」との要望書を提出した。(15日=1面に記事)
●台湾の英字新聞「タイペイタイムズ」の記者が三里塚を訪れ、現地調査し、北原事務局長のインタビュー取材を行った。(18日=写真)
●都政を革新する会の団結旗開きに、三里塚現闘が参加して交流した。(19日=1面に記事)
●動労水戸の団結旗開きに反対同盟から伊藤信晴さんが参加してあいさつした。(19日=1面に記事)
●文芸評論家の斎藤美奈子さんが新聞コラムで、三里塚闘争を引き合いに出して安倍政権による沖縄辺野古の新基地建設を批判した。「名護市長選で民意が示された」「民意を無視したツケは結局、自分に返ってくる。例は成田国際空港だ。工期は大幅に遅れ、コストはかさみ、滑走路は1本で開港。その後着陸時間も制限。航空政策の失敗だ」と。(22日=東京新聞)

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