SANRIZUKA 2012/04/02(No844 p02)
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週刊『三里塚』(S844号1面1)(2012/04/02)
「今こそマグマを爆発させる時だ」
3・25集会 福島の怒り農地死守と結合
労農学1055人が総決起誓う
原発・TPP阻止を
3・11反原発福島県民大集会の高揚を引きついで、3・25三里塚全国総決起集会が大きな成功をかちとった。昨春、昨秋を上回る1055人の結集。反原発の福島農民、反TPPの全国農民会議、沖縄基地撤去を叫ぶ沖縄人民、そして動労千葉はじめ多数の労働者が結集し、市東孝雄さんの農地を死守することを集会の名において宣言した。この力をさらに拡大しよう。
3・25三里塚全国総決起集会は、3・11郡山集会の高揚を引き継ぎ、2012年日本階級闘争を飛躍的に発展させる大きな勝利をかちとった。「全原発廃炉・再稼動阻止」「市東さんの農地を守ろう」を合言葉に1055人が結集した。司会は、婦人行動隊・宮本麻子さん。急逝した鈴木謙太郎さんへの追悼の言葉を述べた後、全員で黙祷を捧げた。
開会宣言・森田恒一さんは「最大の課題は、市東さんの農地を守りぬく闘争陣形をかちとることです。私は95歳だが、先頭に立って阻止します」と意気軒高とあいさつした。主催者あいさつで北原鉱治事務局長は、78年開港阻止決戦の勝利に踏まえ「市東さんの農地取り上げで再び決戦の時が来ました。勝つためには実力闘争しかありません。開港宣言を粉砕したような闘いをしよう。反対同盟は決意を固めている」ときっぱりと宣言した。
萩原進事務局次長は基調報告(別掲)で労農同盟の絆を強く呼びかけた。そして特別報告で動労千葉・田中康宏委員長が「労働者の総反乱を呼びかけよう。腐りきった断末魔の資本主義体制を打倒する日が近づいた。団結を取り戻し、反撃を開始しよう」と外注化阻止・基地統廃合粉砕の闘いと動労水戸の反原発ストとへの連帯および職場からの労働組合の組織化の意義を強く訴えた。
新基地建設阻止を訴えた沖縄と関西住民からの発言の後、「市東さんの農地取り上げをうち破ろう」との報告に移った。市東孝雄さんが決意(別掲)を表明、市東さんの農地取り上げに反対する会から「TPP反対」「三里塚の闘いが根っこにあって脱原発の闘いが組めている」との発言。続いて満場の拍手の中、緑のノボリ旗を掲げて全国農民会議が登壇した。代表して3人がアピールした。(別掲)
司会を反対同盟の伊藤信晴さんに交代し、顧問弁護団からあいさつを受けた。葉山岳夫弁護士は「市東東市さん署名の文書が偽造文書であることが明らかとなった」と市東裁判闘争の重要局面を説明した。
カンパアピールで登壇した婦人行動隊の鈴木加代子さんは、「娘ともども、夫・謙太郎の遺志を継いでこの地で生きていきたい。父ちゃんの背中見て育った子供があとを継いでくれる。家族の力を合わせ堂々と生きていく。信念を曲げない」とこれからも闘いの先頭に立つことを強く誓った。
住民団体からは、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」で活動している椎名千恵子さん、婦人民主クラブ全国協議会、星野文昭同志のメッセージを代読する星野暁子さんなどが発言し、共闘団体からは全学連の斎藤郁真委員長などが決意表明した。斎藤委員長は、市東さん農地死守に全力決起し、法政大、福島大キャンパスから原発再稼働阻止の力をつくることを熱烈にアピールした。野平聰一さんが集会宣言を読み上げ、太郎良陽一さんが団結ガンバローを三唱後、デモに出発した。
デモは、3月26日から7月31日まで「夜間工事強行」方針を明らかにしたNAAを弾劾、第3誘導路の建設現場を直撃した。全隊列が怒りをぶつけながら不当撤去された現闘本部脇の市東さんの畑まで貫徹した。
(写真上 成田市天神峰の市東孝雄さんの畑に1055人の労農学が集まって「農地死守」を叫んだ【3月25日】)
(写真下 デモは第3誘導路工事現場を弾劾して行進した【3月25日=後ろが誘導路工事】)
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週刊『三里塚』(S844号1面2)(2012/04/02)
労働者階級の力で市東さんの農地を守ろう
3・25全国総決起集会は、3・11郡山の反原発福島県民大会を頂点に全世界を覆い尽くす「反原発」「反失業」の労働者人民の階級的うねりの一大高揚を受け、三里塚がその闘いの牽引車として躍り出るものになった。 特に2月に結成した全国農民会議が3・11郡山に続き、三里塚の地に登場した意義は大きい。福島農民、そして福島の椎名さんが登壇し、三里塚と福島との連帯を強く訴えた。
三里塚が軸となり労働者・農民・学生の連帯を盛り上げる情勢が再び到来した。この情勢と真っ向からかみ合い市東さん農地決戦を組織しよう。今春、市東さんの追い出し攻撃が一段と激化している。NAAの夜間工事強行と小見川県道迂回は、市東さんの生活を脅かす人権侵害そのものだ。市東さんの怒りは、集会発言にもあるように激しい。
これに全力で応えて、労働者階級の力で市東さんの家を取り囲む昼夜兼行の突貫工事を粉砕しよう。市東農地裁判もNAAの証拠偽造を暴くとともに、元国交省成田空港課長・石指雅啓の証人尋問をめぐる攻防が重要段階に入った。現地闘争の一環として裁判闘争等に勝利しよう。
3・25集会の成功をバネにして三里塚と全労働者階級人民を結合させよう。大恐慌はますます深刻化している。一切の犠牲を労働者階級・農民に転嫁する日帝・野田政権に対して労働者の団結した力で反撃しよう。「原発再稼動阻止」の決戦の時が来ている。
動労千葉の外注化阻止闘争・国鉄全国運動の発展を軸とする労農連帯を強化し、三里塚・沖縄・福島、6・10国鉄全国運動に決起していこう。
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週刊『三里塚』(S844号1面3)(2012/04/02)
3・25集会 反対同盟発言
基調報告 事務局次長 萩原進さん
「国策・国益こそ人民に死をもたらす」と胸を張って闘いぬこう。2月に福島の農民とともに全国農民会議を設立した。TPP粉砕、農民がこの闘いを引き受ける。生きられない福島の農民と一緒になって農地を奪還する闘いを展開する。
労働者人民の怒りのマグマが爆発するときだ。福島・沖縄・労働者の連帯の柱が三里塚に立った。この炎をもっと大きくしてあらゆる闘いを結合することを願っている。成田では南スーダンPKOで2月に続き、5・6月にも本隊派兵がある。三里塚は軍事空港反対の闘いを大きく位置づけて闘いたい。
市東さんの農地強奪は、TPPや復興特区における資本家の利益追求のための農地取り上げと同じ。第3誘導路建設阻止、市東さんの農地を守る運動を呼びかけて、現地闘争を発展させよう。鈴木謙太郎さんの遺志を引き継いで三里塚を勝利させる。
農地死守の決意 敷地内 市東孝雄さん
反原発の福島県民大会に行ってきました。有機農法をしている農家として同じ悔しさと怒りを覚えました。被害補償で済む問題ではありません。福島の農民とともに農業の現状を考えたいと思います。
第3誘導路の工事を夜間でもやると言ってきました。許しがたいです。力ずくでもって耕作をやめさせ出て行かせる。私は今まででどおり、金に負けずにがんばります。国策のためならどんなことをしてもよいという傲慢なやり方は絶対に許しません。
私は、昨年までは「自然体で闘う」という言葉を使っていましたが、今はそんな段階ではない。これからはこれを取っ払って闘います。全力で変えましょう、今のこの日本を。
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週刊『三里塚』(S844号1面4)(2012/04/02)
原発への怒り一つに
全国農民会議からの発言
福島市・果樹農家 大内孝さん
農民は労働者と分断され、農民同士とも分断されるところに置かれてきました。農民は、それに甘んじて真に闘おうとしませんでした。それを打ち破る組織として、全国農民会議はあります。その意義は大きい。それを教えてくれたのが三里塚です。
福島の課題の一つは、農地再生の闘いです。もう一つは原発反対を統一する運動です。福島で営農することと、安全な食べ物を確保したいお母さんの考えはややもすると対立します。それを埋める大きな取り組みが必要です。敵は誰なのか、敵は政府と東電だということをはっきりさせ、分断を乗り越えるために戦線を統一させる努力をすることです。
わたしたち農民は、必要があれば大胆に変わろうと思います。そして同じく、相手に対しても変わっていただくことを推し進めていきたいと思います。
千葉県北総地区 花き栽培農家
農民の存在にかけて市東さんの農地を守らなければならない。反原発・反TPPを基本方針にして農民の闘いを広めていきたい。TPPで「農民を守るから」と政府はウソをついてくるだろう。1lの人間のために99%を切り捨てる政策が行われてきましたが、ここで変えていこうではありませんか。TPPは99%に対する反革命です。これから農民の数を圧倒的に増やして闘っていきたい。
反対同盟・東峰部落 萩原富夫さん
福島の原発被害、TPPを契機にしながら、福島を中心に全国農民会議を結成しました。これは画期的なことです。一人ひとりばらばらであった農家が、この緑色の旗を立て一人でも自己主張をできる。農民は、労働者と違って資本と対立するということはありませんが、直接国と闘っています。TPPは、経団連が裏でやっているわけです。自分のもうけのために農家をつぶす。資本主義である限り農民は労働者と同じ立場に立っています。あらゆる所でTPP反対の声を上げていきましょう。
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福島から
椎名千恵子さん
三里塚に来てよかった。農民が闘い続けていることに敬意を表するとともに厳粛に思います。この大地に目を向けてください。私達は大地に生かされ死ねば大地に戻っていく。大地は命であります。この命が放射能で脅かされています。三里塚・沖縄・広島、このつながりを私は放射能から子供たちを守ろうとしているお母さんたちに伝えるよう努めて行きたい。
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週刊『三里塚』(S844号1面5)(2012/04/02)
3・25集会宣言
三里塚芝山連合空港反対同盟
本集会は、被災地の怒りと結び、農地死守を宣言する。民衆の命と尊厳を踏みにじる「国策」に怒り、「原発と人間は共存できない」「変えよう日本」と呼びかけた、福島県民の訴えにわれわれは心の底から共感し、ともに力を合わせて闘うことを決意する。
人災によってすべてを失った被災地では、「復興特区」の計画が農地と漁場を奪っている。民主党野田内閣は根拠のない「事故収束宣言」とストレステストのまやかしで原発を再稼働させようと血まなこだ。
3・11のその日に、福島・郡山から全国、全世界へと広がった反原発・脱原発の大運動は、その全否定であり、人間社会の変革の叫びにほかならない。そのうねりの中で、原発とTPP(環太平洋経済連携協定)に反対する農民たちが全国農民会議を発足させた。
このとき三里塚闘争は、体を張って農地を守る決戦に突入したのである。「来春3月供用開始」の期限にせきたてられて、第3誘導路の突貫工事が始まった。裁判闘争は重要証拠の偽造をあばき、核心的攻防に入った。PKO(国連平和維持活動)によって、軍事空港=成田が浮きぼりになった。市東さんの農地を死守する闘いは、切り捨てにあらがう全国農民の今を象徴し、被災地・福島と、辺野古新基地反対の沖縄をつらぬく闘いである。
労働運動解体と非正規雇用に立ち向かう労働者と連帯しよう。消費大増税を許すな。
われわれは、すべてを競争原理のもとにたたき込んで大企業の利益を優先する政治を拒否し、人の命の尊厳と農業を守る社会をめざして立ち上がった。政府・東電の責任を徹底的に追及し、原発と核燃サイクルの廃棄のために闘おう。
三里塚は反戦・反核の砦である。動労千葉とともにうち立てた労農連帯、学生、市民の幅広い結集、世界の民衆との連帯の中に、未来はかならず切り開かれる。
今秋10・7全国集会へ。春夏の闘いに勝利し大結集しよう。
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週刊『三里塚』(S844号1面6)(2012/04/02)
睡眠妨害の深夜工事弾劾
第3誘導路 市東さんの生活・営農守れ!
(写真 市東孝雄さん宅すぐ西側で、3月26日の深夜から始まった第3誘導路の橋脚架設工事。人権侵害許すな【成田市天神峰】)
成田空港会社は、3月26日から、「第3誘導路の橋梁を架設するため」とした深夜工事を開始した。われわれは市東さんの追い出しだけを目的にした第3誘導路工事、中でもこの深夜工事を断じて許すことはできない。 空港会社は3月16日ごろ小見川県道の東峰十字路東側と天神峰トンネル西側の2カ所に、次のような趣旨の工事予告を出した。「3月26日から7月31日まで、毎日夜11時から朝5時の間、橋脚を架設する工事を行うため、天神峰トンネルを含む小見川県道の片側車線を封鎖する。そのために車両を取香2号線(市東さんの家の前の道路!)および国道51号線に迂回させる」と。
ここには2つの意味がある。@第3誘導路の土台となる橋を架けるために、深夜工事を4か月間強行する。Aその工事のために小見川県道の片側を封鎖しなければならないので、その間大量の車両を取香2号線に迂回させる、ということだ。
これはすなわち、夜の11時から朝の5時まで、市東さんのすぐ西側で深夜土木工事を行うのみならず、同時刻、小見川県道を通るはずの成田方向行き車両の大型車以外すべてを市東さんの家の前に迂回させるということだ。
(写真 深夜工事を強行するとの看板。3月26日から7月31日まで夜11時から朝5時まで工事を行う、としている)
200億も使い
第3誘導路工事は、狭い空間に幅60b以上もの道路を通すに等しいそもそも無理な構造で、作業は遅れに遅れている。そこへ来て、当事者である市東さんに一言の連絡・了解もなく、深夜工事を突如開始したのだ。このための予算が200億円。「そんな金があるんだったら被災地に送れ」(市東さん)という話だ。
すでに市東さん宅に強行されているすさまじい営農・生活破壊、環境破壊の上に、今度は睡眠のはく奪。日帝・国土交通省、成田空港会社はどこまで人権侵害を強めようというのか。われわれは絶対に許さない。
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週刊『三里塚』(S844号1面7)(2012/04/02)
4・9市東耕作権裁判へ
NAAの“逆鑑定”粉砕を
耕作権裁判は、市東さんが現に耕作している畑の一部を「不法耕作」だと、NAAが一方的に決めつけ明け渡しを求めてきた裁判だ。しかしNAAは契約畑の位置を間違えており、「不法耕作」はまったくの言いがかり。したがって耕作権裁判の最大の争点は、市東さんの耕作畑の位置特定問題である。
この裁判は最初から今に至るまで、この問題を究明することに全力をあげてきた。そして裁判は、NAAが位置特定の唯一の根拠として提出した「同意書」「境界確認書」および添付図面の偽造問題に発展した。
署名の偽造を暴いた根本寛筆跡鑑定書に対して、NAAが警察OB・塚本宇兵鑑定書を提出したが、弁護団は、これを全面的に批判した根本鑑定書を新たに提出した。その応酬のなかで、4月9日の裁判では、ズサン極まりない塚本鑑定書を徹底的に粉砕する。
さらに、偽造書類作成時(1987年〜88年)の交渉記録をNAAはひた隠しにしている。記録文書を提出させて、真実を白日のもとにして、「不法耕作」のデタラメを粉砕する。裁判攻防は決定的段階に入った。
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週刊『三里塚』(S844号1面8)(2012/04/02)
団結街道
全国集会翌日の26日、成田空港会社は滑走路下のトンネル(小見川県道)の片側を封鎖し、第3誘導路建設のための架橋工事をはじめた。7月31日まで、夜11時から朝5時のあいだ、高さ3・8b以上の大型車両を数`以上離れた51号線へ、それ以外の車両は市東さん宅前の道への迂回を誘導するという▼工事初日、裁判闘争と現地調査を終えた全学連現地行動隊が夜を徹して騒音等の工事状況を調べる監視活動にあたった。空港内の誘導路の補修作業も同時に行われており、アスファルトを剥がす音や振動が伝わってくる▼午前3時頃、市東さん宅前の道に誤って大型トレーラーが入り、誘導路下のトンネルにぶつかる寸前、あわや大惨事かという事故が起きた。あわてて市東さん宅前の機動隊宿舎から機動隊が出動し、交通整理をするも大渋滞が起きるという事態となった▼市東さんはじめ周辺住民に断りもなく、小さな看板と警備員を一人配置しただけの安全無視の誘導で起こるべくして起きた事故だ▼翌日には、反対側入り口のトンネル直前にある高さ制限を示すポールが曲がっていたのを修理する工事が行われており、以前にも同じような事故が起こっていたことがわかった▼行き当たりばったりで見通しなし。デタラメな空港建設の象徴のような事故だ。市東さんを屈服させるための誘導路工事粉砕しよう。
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週刊『三里塚』(S844号1面9)(2012/04/02)
闘いの言葉
福島を守る/福島を取り戻す/福島は手の中に/福島を生きる/福島に生きる/福島を生きる/福島で生きる/福島を生きる/福島で生きる
3月11日朗読された 和合亮一さんの詩「決意」より
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週刊『三里塚』(S844号1面A)(2012/04/02)
【三里塚闘争裁判】
●4月9日(月)市東さん耕作権裁判
午前10時30分 千葉地裁
●4月23日(月)市東さん行訴・農地法裁判
午後1時30分 千葉地裁
●5月1日(火)第3誘導路裁判
午前10時30分 千葉地裁
●5月8日(火) 団結街道裁判
午前10時30分 千葉地裁
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週刊『三里塚』(S844号2面1)(2012/04/02)
3・11福島県民大集会 1万6千人が再稼働阻止を決意
「命の安全が最優先」
反対同盟も参加、熱く連帯
3月11日、「原発なくせ!」「この社会を変えよう!」と訴えて、福島県内を始め全国から郡山市開成山野球場に1万6千人の労働者・農民・漁民・市民・学生が集まった。「原発いらない!3・11福島県民大集会」に呼応して日本全国約百カ所で十万人が闘い、世界中で数十万人が立ち上がった3・11。この闘いの頂点が郡山集会だった。
球場内野席が労働者・農民・漁民・市民・学生で完全に埋まった。急遽(きゅうきょ)外野席も開放された。
午後1時からオープニングコンサート。福島在住の詩人・和合亮一さんの詩「決意」が朗読された。歌手の加藤登紀子さんが原発廃絶を訴えて、数曲を熱唱。
午後2時から集会が始まった。実行委員長の竹中柳一さん(福島県教組委員長)の開会の言葉などに続き、作家の大江健三郎さんが連帯のあいさつ。大江さんは「原発をすべて廃止すれば子どもたちが、そのまた子どもたちが原発事故で放射能の害をこうむることは絶対にない」と、ほとばしる怒りで原発全廃を訴えた。
福島県民6人が登壇し、200万福島県民の苦悩、原発と放射能、政府への尽きることのない怒り、再生の決意を語った。二本松市で有機農業を営む菅野正寿さんは「人間と原発とは共存できない」「『頑張ろう日本』でなく『変えよう日本』。今日をその転換点に」と呼びかけた。警戒区域にある富岡高校から郡山市のあさか開成高校に転校した鈴木美穂さんは「人の命も守れないのに、電力とか経済とか言っている場合ではないはずです」と訴えた。浪江町の橘柳子さんは「いつの時代でも国策で苦しみ悲しむのは罪のない民衆だ」と、根底からの弾劾の声を発した。
地震が発生した午後2時46分、参加者全員で黙祷(もくとう)。誰もが自らの力で原発を廃絶させると誓った。
怒りの集会宣言が発せられ、郡山市内のデモ行進に出発した。
先頭に「怒福島隊」ののぼりが掲げられた。国労郡山工場支部、福島県教組をはじめ福島県内各地の労働組合・団体の数え切れないほどの旗やのぼりが続いた。動労千葉、動労水戸、共に闘う国労の会、郵政非正規ユニオンなど全国から結集した労組・団体が進んだ。
「子どもたちを疎開させて」の横断幕を広げた「原発いらない福島の女たち」のデモが圧巻。フクシマの怒りを圧殺しようとするもくろみを打ち砕き、いつも福島と全国の闘いの先頭に立ってきた女性たちだ。
萩原進さんや市東孝雄さんらが総決起した三里塚反対同盟を先頭に、鮮やかな緑色ののぼりを手にした全国農民会議の堂々たる農民の隊列。「原発なくせ!」のコールと太鼓を力強く響かせたNAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議=な全)の1500人のデモは、圧倒的な注目で、地元の少年たちも飛び入り参加! 全学連の大隊列の中心は「怒福島大」ののぼりで登場した福島大生たちだった。沿道の市民も手を振って歓迎する。
「原発いらない福島の女たち」の椎名千恵子さんがデモ出発前、NAZENの隊列の先頭に立ち「日々闘ってかちとっていかなければ『原発いらない』は続いていかない」と訴えた。デモ終了地点の郡山市役所前で行われたNAZENの総括集会では、子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク代表世話人の佐藤幸子さんがマイクを握り、「福島から発信した声が日本中を変えます。みんながつながれば大きなことができます」と力強く呼びかけた。
3・11福島県民集会は大成功した。フクシマの怒りが根底から解き放たれた。国鉄労働者を先頭とした労働組合がその中心となった。「労働者が団結すれば原発を止められる」。闘いこそ3・11の犠牲者への追悼だ。
(写真上 全国から1万6千人が郡山市の開成山球場に集まり、原発再稼働阻止・福島の怒りとの連帯を誓った【3月11日】)
(写真下 反対同盟は萩原進事務局次長【前列】を先頭に福島の怒りを共有した)
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福島県民の発言より
二本松市の有機農家 菅野正寿さん
原発事故から1年。とりわけ有機農業者への打撃は深刻です。私たちは耕したくても耕せない農民の分まで農業を営んできた。その結果、粘土質の有機的な土壌ほど作物へのセシウムの移行が低減されることが分かり、農業が再生の光であることが見えてきた。
500ベクレル以上の0・3%の玄米のセンセーショナルな報道が、どれだけ農民を苦しめたか。福島県民が加害者のような報道に怒りを持っている。マスコミが追及すべきは電力会社と国ではないか!
東北の農民は戦前は戦地で命を落とし、戦後は出稼ぎをして労働力を奪われ、都市に電気を送り食料を供給してきた。福島のきれいな里山も海も稲作文化も、農民が血のにじむ思いで築き上げてきた力です。生産者と消費者を分断するのではなく、都市も農村も力を合わせて、大資本中心の日本のあり方を変えよう。「頑張ろう日本」ではなく「変えよう日本」だ。
飯舘村から福島市に避難している 菅野哲さん
飯舘村で高原野菜を作っていたが原発事故ですべて失った。飯舘村の農家は農地も牛もすべて失い、涙を流して廃業しました。もう飯舘村で農業を行うことができない。どうやって生きろというのですか? 飯舘村は3月15日に44・7マイクロシーベルトだった。この高い放射線の中で村民は長時間、被曝させられた。誰の責任ですか? 死の灰をまき散らしておいて「放射能は無主物だ」とは何ごとか? 原発事故は人災です。東京電力と国はきちんと責任を取ってください。原発事故を二度と繰り返してはいけない。全国に世界に訴えていきましょう!
浪江町から本宮市に避難している 橘柳子さん
浪江町は原発はないが原発に隣接する町。現在は本宮市の仮設住宅に入居中です。事故後の避難で、戦争終結後、中国大陸を徒歩で集結地に向かった記憶がよみえがった。徒歩が車になっただけ、延々続く車列とその数日間の生活は苦しかった戦争そのものだった。 私は国策により二度も棄民にされる恐怖におびえました。いつの時も国策で苦しみ悲しむのは罪のない弱い民衆です。「福島はもっと声を出すべき」との意見がありますが、喪失感が心を覆い、声も出ない。なぜ原発再稼働?このような考えはどこから来るのでしょう? 原発は人の意志、行動で止められます。もう少しの間、寄り添ってください。傷はあまりにも深いのです。
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週刊『三里塚』(S844号2面2)(2012/04/02)
市東さん「藤ア証人喚問せよ」
3・26 不当な訴訟指揮弾劾
証人隠し加担する裁判長
3・25全国集会成功の息吹を引き継いで、翌26日、千葉地裁民事第3部(多見谷寿郎裁判長)で、市東孝雄さんの行政訴訟・農地法裁判弁論(併合法廷)が闘われた。3・25集会で、「市東さんの農地死守決戦への取り組み」「裁判傍聴闘争の重視」が訴えられた熱気を受けて、通常よりはるかに多い人が傍聴に参加した。
この日の裁判の焦点は、成田空港暫定滑走路の北延伸計画を推進した国土交通省・成田空港課長の石指雅啓証人の証言を、千葉地裁法廷における公開の場でかちとること。NAAは石指証人について、「現在、兵庫県の海上保安庁の要職にあり現場を離れられない」だから「神戸地裁の裁判官による尋問かテレビ会議方式による尋問を求める」と露骨な証人隠しを行っていた。この策動を粉砕することがこの日の最大の課題だった。
三里塚闘争支援連絡会議はこの日、早朝から千葉地裁前、千葉県庁前でビラをまき、万全の態勢で弁論闘争に臨んだ。
10時30分開廷。多見谷裁判長は冒頭から、審理進行の提案を行って来た。「市東さん側から新たな論点が出され、それについて、NAAへの認否・反論要求も出されているので、4月23日に予定していた石指証人のへの取り調べは延期することとします」と言うのだ。ところが多見谷裁判長は、前記神戸での尋問やビデオ会議方式を保留にしたまま、「石指証言の期日を3回廷後の10月15日の萩原進証言の前に入れたい」などと、反対同盟証人の時間を削る提案をしてきた。
弁護団が葉山岳夫代理人を先頭に次つぎと弾劾した。「国交省、空港会社、千葉県、成田市職員の4人の証言の順番は決めたはず。この順番は北延伸〜誘導路直線化構想による市東さんの耕作権解約の非道性を明らかにする上で、合理的な順序であり、別のどこかに石指証人をあてはめることなど許されない」「萩原証人の証言時間を削ることなど断じて認められない」「期日進行を優先する裁判長の期日主義はおかしい」と詰め寄った。さらに市東さん本人が「藤崎政吉証人の取り調べをどうしても認めてほしい」「地代を15年間も騙された形で払わされ、くやしいんだ」とつめ寄り、傍聴席も呼応した。
結局、裁判長は石指証人の10月取り調べ日程を強行することができず、次回4月23日弁論で再検討する、と譲歩せざるをえなかった。拙速裁判に制止をかける意味でこれは一つの勝利だ。
弁論後、場所を移して記者会見と報告会を行って、この日の闘いの成果とさらなる傍聴闘争取り組みの強化を確認した。
(写真 裁判闘争の後、千葉県弁護士会館ホールを埋めた労農学【3月26日】)
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週刊『三里塚』(S844号2面3)(2012/04/02)
三里塚千葉集会が成功
北原事務局長の卒寿も祝う
3・25全国総決起集会を1週間後に控えた3月18日、千葉市のDC会館で第6回千葉県三里塚集会が実行委員会の主催で開かれ、大成功した。 冒頭で3・11反原発闘争のビデオの上映。ちば合同労組青年の司会のあいさつに続いて、反対同盟の北原鉱治事務局長が演壇に立ち、「当初、三里塚集会の参加者は大半が県下の労働者だった。その原点を思い返し、実行委が本日この集会を開いていることは実に心強い」と述べた。連帯のあいさつでは県内の花き農家が発言。続いて、反対同盟の伊藤信晴さんと宮本麻子さんが3・25大結集を訴えた。
動労千葉の繁沢敬一副委員長は、鈴木謙太郎さんと清水匠さんの早世を悼み、全面外注化攻撃との闘いの前進をバネに3・25三里塚に立ち上がる決意を述べた。
青年労働者のカンパ・アピールをはさみ、三里塚現闘、千葉・星野文昭さんを取り戻す会、裁判員制度はいらない千葉県実行委員会、ちば合同労組、千葉労組交流センター、動労千葉を支援する会・習志野、医療労働者、婦民千葉支部、原発なくせ!ちばアクション、全学連の千葉大生、NAZENの織田陽介事務局長が次々と発言し、自らの闘いの現場の報告と、3・25大結集への決意表明を行った。そして団結ガンバローを三唱。この後、実行委の計らいで、北原鉱治さんの90歳の誕生日をお祝いする催しを行い、花束と檄布の贈呈、特注の巨大ケーキの披露でしめくくった。
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週刊『三里塚』(S844号2面4)(2012/04/02)
現地に来て感じた事
首都圏学生・K
私は3・11の原発事故が起こる前から、いわゆる「労働者被曝」の問題に関心があった。そして今回初めて三里塚を訪れた。市東さんの裁判に行き、現地の方にお話をきき、闘争のビデオを視聴し、空港を見るまで、三里塚闘争が原発問題とまったく同じなんだと意識していなかった。
では私が今回、知ったナカミとは何か。とても一言でいえない。しかし1993年生まれの私は、なるべく自分のこととして考えようとした。26日の午後には、三里塚闘争のビデオを見せていただいた。割ぽう着を着大木よねさんが機動隊に四肢をつかまれて連れて行かれる。彼女の木造の家はショベルカーで壊される。もしよねさんが私の祖母だったらォそう思うと涙が出そうで喉がつまった。
その後北原事務局長のお話を伺った。「ここ(成田)には1000戸、約3000人の人たちが反対してた。しかし絶対反対を掲げる人は6割で、残りは条件次第で農地を売ってもいい条件派だった。私は『北原さんがリーダーになってくれ』と言われてリーダーになったが、絶対反対から条件派に移った人を責めたことはない。彼らには彼らの自由がある」
「私は君たちがここに来てくれただけでうれしい。しかし君たちに三里塚闘争をこれから引き継いでいけと命令するつもりはない。だけど私が生きてる間は、一緒にやっていきたい。私もまだまだ現役だから」そういって笑った北原さんと、握手をして別れた。
日が暮れ始めてからは、鈴木さんのお宅へ伺い年初、亡くなられたという謙太郎さんにお線香をあげさせていただいた。加代子さんにお話を聞いた。「主人は欠点の多かった人だけど、絶対に後ろ指さされるようなことはしなかった。私らの土地はここらじゃあ一番広いから、二億円以上の補償金はあっただろうけど、主人は仲間を裏切るようなことはしなかった」
話の途中、加代子さんがぼそっと「いまだにいやがらせを受けるしねえ」と言われた。私は「例えば?」と尋ねた。「毒を撒くんですよ。外傷も何もないのに猫だとか犬がうちの前で死んでるんですよ」。言葉がなかった。
最後に成田空港を見て回った。鉄塔の上からは空港の大部分が見えた。排気ガスの臭いに思わず鼻をつまんだ。途中市東さんの自宅近くを通ったとき、飛行機が真上をとんだ。ものすごい爆音、そしてこの近さ。許せない。三里塚闘争は終わっていない。
(写真 行動隊は夜間工事阻止にむけ闘っている)
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週刊『三里塚』(S844号2面5)(2012/04/02)
国際連帯は今、世界を揺るがす
3テレビ局が統一スト
韓国 翼賛報道強制に怒り
1月30日に無期限ストに入ったMBC放送(文化放送)を皮切りとする韓国報道機関のストライキが燎原の火のような拡大を見せ、イ・ミョンバク政権との対決を強めている。
闘いの発端は政権が、MBC、KBS(韓国放送公社)、YTN(ニュース専門ケーブルテレビ)などの放送局に送り込んだ「落下傘社長」による偏向報道の強制だ。MBCが制作した韓米FTAに批判的な番組が、上層部の圧力で放送中止に追いこまれたりした。
言論労組MBC本部は「全面ストライキ特報2号」で「国民にあてた謝罪文」を発表し、「少しずつ崩れるMBCを支えるために抵抗して頑張ったが、結局没落を防げずに共犯になったため、ここに立った」と訴え、「キムジェチョル社長が退陣するか、組合が門を閉めるか、二つに一つを選ぶしかない」と決意を表した。
まったく同じ問題を抱える他の放送局労働者もMBC労組に同調して、KBSが3月2日に無期限制作拒否に入り、6日から全面ストに入った。YTNも8日からストライキに入った。さらに唯一の通信社聯合ニュースも15日、ストに突入。ここに史上初めての3社共同ストライキが実現した。MBCのストライキは57日にも及んでいる。
これに対して、MBCなどの経営陣は激しい解雇と処分攻撃で闘争圧殺を図っている。3月5日、MBC資本はパクソンホ記者会長を解雇し、ヤンドンアム映像記者会長に停職3カ月、イヨンマ労組広報局長も解雇した。さらに、同日、資本側は労組と執行幹部16人に対して、ソウル南部地方院に30億ウォンにのぼる損害賠償を請求する訴訟を提起した。
しかし言論労働者の士気は高い。3月16日のストライキコンサートには2万人が集まった。そして、KTX(韓国高速鉄道)民営化阻止闘争、貨物連帯の6月ストライキ、金属労組の不法派遣正規職化闘争などと連帯し、さらに大規模な闘争へ発展している。
3月27日でストライキ22日目になるKBS新労組は、今週を『キムインギュ集中打撃週間』と規定して、『キムインギュ打撃決死隊』を構成した。懲戒者13人を中心にKBS本館前にテントを張り無期限座り込みに入った。キム社長が退陣して事態が全て 収拾するまで座り込みを続ける方針だ。日本の労働者も全力で連帯しよう。
(写真 本社前無期限座り込み闘争に突入したKBS新労組【3月27日】)
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週刊『三里塚』(S844号2面6)(2012/04/02)
三里塚営農だより
鈴木加代子さん宅
父親の背中を見て
「娘ともども何とかこの地で主人・謙太郎の遺志を継いで生きていきたいと思っています。父ちゃんの生き方、背中を見て育った娘が跡を継ぐと言ってくれています。農家としても大変ですが、家族力を合わせ、堂々と生きていきます」。3・25全国集会のカンパアピールの中で、加代子さんが決意と抱負をこう語った。(写真)
すでに作付けのシーズン。家族力を合わせての作業が始まっている。休みの日には3人の娘が顔をそろえ、裏庭のビニールハウスで和気あいあいと種まきだ。
キャベツ、ズッキーニ、レタス類、カボチャなど、3月の末から移植する野菜の苗を育てる。自然が一番でその季節の野菜を届けたいから、電熱や暖房を使ったりはしない。逆にビニールハウスを少し開けたりして、寒さに慣らしていく。
3月半ばでも雨が多く肌寒い日が続いて、作付けは遅れているが、大根、人参、ジャガイモと作付けが進んだ。トウモロコシの種まきもやり、4月になればさらに夏野菜の作付けが本格化する。
謙太郎さんが器用な人だっただけに、亡くなってあらためてその存在の大きさを思い知らされる。これまで当たり前のように進んでいた作業が、なかなか思ったようにはいかない。謙太郎さんの後ろ姿を思い浮かべながら、ぎこちなく、しかし一歩ずつ春の作付けは進んでいる。
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週刊『三里塚』(S844号2面7)(2012/04/02)
三芝百景 三里塚現地日誌 2012
3月6日(火)〜3月27日(火)
●国が管理する全国27空港について、滑走路や空港ビルの運営を民間委託できるようにする民活空港運営用案を閣議決定した。ちなみに27空港のうち22空港が赤字だ。(6日)
●三里塚闘争支援連絡会議は京成成田駅頭で、「3・25全国集会へ――誘導路工事による農地取り上げを許さない」というビラを配布し、マイクで訴える街宣活動を行った。(7日)
●アメリカ、オーストラリアなどTPP参加の9カ国による第11回交渉会合が9日、終了したが、交渉が長期化する可能性が出てきたとの報道が行われた。「日本が交渉に参加できる時期は見通せない」としている。(10日)
●反原発福島県民大集会へ
福島県郡山市で行われた反原発福島県民大集会に、反対同盟から萩原進事務局次長、市東孝雄さんら多数が参加した。(11日=記事2面)
●千葉銀行が行ったアンケ
ート調査で、「同じ国際線が就航していた場合、羽田と成田のどちらを選びますか」との問いに「成田を選ぶ」としたのはわずか13・8%だったことが発表された。(13日=写真)
●三里塚闘争支援連絡会議は、3・25全国集会への結集を訴える情宣活動を京成成田駅頭で行った。(14日)
●韓国とアメリカのFTA(自由貿易協定)が発効することに対して、「韓米FTA阻止汎国民会議」はソウルで記者会見を行い、米韓FTA廃止の闘争に突入すると宣言、テレビ局など報道労組がストで同調した。(15日)
●第6回千葉県三里塚集会が実行委員会の主催で開かれ、80人が参加。「市東さんの農地強奪を許すな」と訴えた。(18日=記事2面)
●成田空港の勤務者がこの3年間に1万人減ったことが報道された。(19日)
●三里塚全国総決起集会が1055人の結集で大成功した。(25日=記事1面)
●市東さんの行政訴訟・農地法裁判弁論が千葉地裁で闘われた。(26日=記事2面)
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