SANRIZUKA 2011/07/15(No827 p02)
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週刊『三里塚』(S827号1面1)(2011/07/15)
7・4千葉地裁の撤去命令弾劾
三里塚の魂 現闘本部守りぬけ
成田とフクシマの怒りは一つ
全国から続々檄文
8・6反戦・反核闘争へ
7、8月日本階級闘争は国鉄闘争と反原発・反失業闘争の爆発で新たな激突情勢を開いている。震災と失業、原発事故に怒り立ち上がる全国の労働者人民を三里塚闘争に獲得する情勢だ。3・11によって、帝国主義・新自由主義の歴史的行き詰まりと破産は誰の目にも明らかになった。生きていくためにこの社会を根本的に変えないといけないという思いがこれまでになく労働者人民を突き動かしている。5・20高裁判決と7・4地裁決定は、情勢を牽引する三里塚闘争に恐怖した国家権力の大反動攻撃であり人民との分断を意図したものだ。震災と原発事故に対する広範な怒りの最先頭に我々が立ち労働者・農漁民・学生の団結を復権していこう。革命的労農同盟によって帝国主義を打倒しよう。現闘本部死守決戦に勝利しよう。次は8・6広島だ。
7月4日、千葉地裁民事第4部の藤山雅行裁判長は、成田空港会社(NAA)による天神峰現闘本部の「建物等収去命令申立」に対して収去命令決定を下した。これは、東京高裁の仮執行宣言つき判決を受けたNAAの千葉地裁への強制執行申請に応じたものだ。
ついに千葉地裁がNAAの手先となって国家権力・機動隊を率いた現闘本部の破壊・撤去に乗り出して来た。われわれは真正面から受けて立ち、現闘本部破壊阻止・市東さんの農地死守の大実力闘争に打って出よう。
7・4決定に反対同盟は、直ちに戦闘宣言(別掲)を発した。「天神峰現闘本部は三里塚45年の歴史と一体のわれわれの魂である」「1990年の成田治安法決戦以上の決意で、死守の闘いに立ち上がる」とその決意を燃え立たせている。
天神峰現闘本部は反対同盟の魂だ。1966年反対同盟員が一人ひとり資材を持ち寄り、自らの労力で建てたものだ。二期用地内の拠点中の拠点として、同盟の主要会議が開催され、代執行阻止闘争を始め現地闘争の本部が設置され、闘争方針と指示が出された。
83年脱落派の3・8分裂で反対同盟は、天神峰現闘本部に結集し絶対反対の基本路線を打ち固めた。また反対同盟の魂はわれわれの魂でもある。67年10・10闘争に参加した全学連は、68年から駒井野団結小屋と天神峰現闘本部に常駐し、71年代執行闘争にむけて反対同盟とともに闘いぬいた。
以降、天神峰現闘本部は全学連・反戦の連絡本部であり、ここから数千・数万の数え切れない同志が現地闘争・農民支援に立ち上がったのだ。この三里塚の象徴―「われわれの魂」を権力に踏みにじらせてはならない。反対同盟の戦闘宣言に応え全国各地の闘う諸団体・人士から多数の弾劾声明と檄文が寄せられている(別掲)。7月11日現在68通を超えた。3・11震災―原発事故情勢下、絶対反対、非妥協・不屈、実力闘争で45年間闘ってきた三里塚が全情勢を牽引する時が訪れている。三里塚支援陣形の発展を勝ちとろう。
反対同盟の戦闘宣言が言うように「フクシマの怒り」と「ナリタの怒り」は一つだ。国のために犠牲になれと強制する攻撃に対して、「死すべきは国だ」とする祖国敗北主義の立場こそ労働者・農民の唯一の選択であり、それを貫いているのが三里塚だ。国家と資本の利益のための社会−資本主義・帝国主義を打倒し、労働者が真の主人公の社会を建設しよう。この決意に応え、現闘本部防衛の現地実力闘争に直ちに駆けつけよう。
(写真 強制撤去攻撃の強まりで緊迫の度を増す天神峰現闘本部)
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週刊『三里塚』(S827号1面2)(2011/07/15)
天神峰現闘本部死守!
戦闘宣言
三里塚芝山連合空港反対同盟
国策と45年闘ってきた 三里塚の真価を示す時
千葉地裁の現闘本部撤去命令決定に対して、反対同盟が反撃の戦闘宣言を発した。以下全文
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7月4日、千葉地裁民事第4部・藤山雅行裁判長は、6月9日に、成田空港会社から出されていた「天神峰現地闘争本部建物等の収去命令申し立て」に対して、「収去命令」の決定を行い、反対同盟に送達してきた。
われわれは5・20東京高裁判決に輪をかけた反動決定を断じて許すことはできない。徹底的に弾劾するとともに、全国・全人民に現闘本部死守決戦への戦闘宣言を発する。反対同盟は体を張り現闘本部防衛の先頭に立つとともに、全国・全人民にこの決戦への決起を訴える。
まず何よりも藤山決定そのものが権力・司法機関の危機を露呈している。同決定は「(成田治安法による)封鎖処分は建物の取り壊しをも禁止しているものではない」などと荒唐無稽な虚言を吐いて、現闘本部建物の撤去と治安法による封鎖処分という、あいいれない絶対的矛盾を居直っている。
しかも、鉄骨造り建物の中には登記された木造建物が存在しており、この建物が「取り壊しの対象から抜け落ちている」という破たん点について、「判決のあいまいさ」を自認しながら逆に、「仮に木造建物が存在すればそれも取り壊し対象に含める」と、藤山決定は権限を逸脱して高裁判決を勝手に拡張したのだ。こうまでしなければ「現闘本部収去命令」の決定すら出せないという司法権力の危機の表現であり、デタラメな法的根拠をもってしか「へ」の字誘導路の解消すらできない国土交通省、成田空港会社の末路を示している。
天神峰現闘本部は三里塚45年の歴史と一体のわれわれの魂である。ここを訪れた労働者・農民・学生・市民の数は数十万人に達するであろう。これらすべての人々の思いの詰まった、三里塚闘争にとって特別な存在だ。だから1990年の成田治安法決戦でわれわれは、当時の運輸省・空港公団を圧倒し除去(撤去)処分を粉砕した。そして今、あの決戦以上の決意で、死守の闘いに立ち上がる。この中で十重二十重の分厚い支援陣形を発展させたい。
この歴史的決戦を、震災―原発事故という、数千万人民が怒りを沸騰させる情勢下で、さらに沖縄の人々が基地への怒りを噴出させる中で迎えている。「国策」と45年間闘ってきた三里塚が、その真価を発揮できることに武者ぶるいを禁じ得ない。「フクシマの怒り」と「ナリタの怒り」はひとつだ。そして、国家と資本の利益を最優先にし、労働者、農民を虫けらのごとく扱う今の社会のあり方に対して、これを根本から覆す労働者・農民の闘いへの号砲としよう。
現闘本部情勢はいつ強制撤去に来てもおかしくない完全な決戦に入った。「強制執行」という一報が入り次第、全国から三里塚現地に馳せ参じてほしい。この決戦の中で共に巨大な勝利への展望を切り開こうではないか。以上、戦闘宣言とする。
7月6日 三里塚芝山連合空港反対同盟
(写真 6・19福島集会後のデモでは反対同盟旗がひるがえった)
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週刊『三里塚』(S827号1面3)(2011/07/15)
デタラメ地裁決定
判決文を勝手に書き換え
7・4藤山決定は、地裁・高裁判決以上に三里塚闘争への敵意と憎しみを露わにしたものだ。藤山決定は、特に二つの点でデタラメである。
@成田治安法で立ち入れない建物の撤去を要求している。天神峰現闘本部は、90年の旗開きで反対同盟が決戦を準備したのに対して権力は治安法の封鎖処分を決定し、鉄条網と鉄板で封鎖した。このような中、どうやって反対同盟が自ら撤去しろというのか。藤山裁判官はこの現実をねじ曲げ治安法の法文解釈にすり替え、治安法は「取り壊しは禁止していないから、反対同盟の主張は前提を欠く」と露骨な言いのがれを行っている。
A木造建物の存在を想定し撤去を明示した超反動。一審仲戸川判決は、主文及び物件目録で木造建物の収去について明示することができなかった。これに対して藤山は仲戸川の不備を指摘しながら、「その内部に別個独立の建物が存在する場合には、その建物も含む旨明示する」とあえて撤去宣言したのである。これは判決主文の変更に値する違法だ。木造建物問題で仲戸川裁判長は、NAAも認めざるを得なかった現場検証を独自の判断で拒否し、木造建物の存続の問題を覆い隠したのだ。このような強引な訴訟はぼろを出す。藤山はそれを取り繕うために、「内部に別の建物が存在する場合には、その建物も含む」とより反動化させたのだ。
日帝・国家権力が恐れていることは反失業・反原発闘争と三里塚闘争が合流し、日本階級闘争が革命情勢に突入することだ。これを阻止するために三里塚への攻撃が激化している。今日、現闘本部撤去と並んで市東さん裁判の結審策動が強まっている。耕作権裁判では求釈明を一方的に打ち切り、行訴・農地法裁判ではキーパーソンの藤崎証人調べを不採用にしようとしている。年内結審・来春判決に突き進んでいる。革共同は、反対同盟との血盟にかけて、現闘本部防衛闘争を貫徹し市東さんの農地を守りぬくため不当弾圧、流血を辞さず断固闘う。
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週刊『三里塚』(S827号1面4)(2011/07/15)
「三里塚輝く時」
動労千葉などが檄文
反対同盟の呼びかけに応えて全国各地の闘う諸団体・人士から多数の弾劾声明と檄文が反対同盟に寄せられている。7月11日現在68通を超えた。いずれも藤山決定を厳しく断罪し、反対同盟とともに現闘本部死守決戦に立ち上がる決意を鮮明にしている。「『国策』と闘いぬいてきた三里塚闘争こそその先頭で光り輝く存在だ」という動労千葉の激励をはじめ北は北海道、南は沖縄まで、三里塚ゆかりの人々が檄を送ってくれた。反対同盟は勇気百倍だ。
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週刊『三里塚』(S827号1面5)(2011/07/15)
7・12廃道取消訴訟
団結街道 1920年代以来の入会道
「原告不適格」は暴論
「安値払い下げ」も追及
団結街道の廃道処分取り消しを求める裁判弁論が7月12日、千葉地裁民事第3部(多見谷寿郎裁判長)で開かれた。被告の空港会社と成田市は、反対同盟にも天神峰の市東孝雄さんにも「原告適格がない」と強弁し居直っている。
この弁論は、7・4現闘本部撤去命令決定から初めての裁判闘争だ。反対同盟と支援の労働者、学生、市民は怒りを燃やして法廷に詰めかけてともに闘った。
法廷で顧問弁護団は、市東さんの団結街道の使用実態を克明に明らかにした。
市東さんは作物の栽培、収穫、出荷などで、畑と自宅を直線で結ぶこの道を毎日何度も往復してきた。この道を一方的に封鎖・破壊し、3倍もの道のりの「迂回ルート」をたどることを強制しているのが、NAAとその手先に成り果てた成田市だ。彼らの「原告適格なし」の主張がいかにデタラメで犯罪的かを突き出し、この道路には天神峰部落の入会権が確固として存在していることを一層明確にした。さらに東峰の萩原進さんらの農家にとっても、この道が必要不可欠であることを明らかにした。
団結街道は大正中期に形成された天神峰部落が、当時の帝室林野局から1927年に払い下げを受け所有権を得たものだった。その後道路管理のため部落総出で砂利敷き、草刈り、どぶさらいなどを行ってきた、部落が地役権を有する入会道路である。この入会権を根拠に、「妨害排除請求権」として、本裁判を提訴する資格が天神峰部落区長である市東さんにあることも突き出した。
また団結街道の土地をひどい安値で成田市がNAAに売り払ったことに関連して、弁護団が土地の鑑定書の提出を迫ると、市とNAAの代理人弁護士は長いヒソヒソ話の末に蚊の鳴くような声で「検討します」と一言述べただけだった。
(写真 団結街道裁判の弁論の後、報告会に臨む【7月12日 千葉市文化センター】)
現闘本部決戦訴え 「一報あれば馳せ参じて」
千葉市文化センターにおいて鈴木謙太郎さんの司会で報告集会が開かれた。
最初に北原鉱治事務局長があいさつに立ち、空港建設の暴力的強行の歴史を怒りをもって振り返り、現闘本部を守る闘いへの決起を促した。続いて葉山岳夫弁護士を先頭に弁護団が次々と、裁判の解説と勝利への決意を語った。さらに、東京高裁の反動判決を受けて千葉地裁が現闘本部撤去の権利を執行官に与える「授権決定」を下したことを弾劾した。しかもこの決定は「建物の中に旧木造建物が残っていたらそれも壊せ」とわざわざ言及し、一審判決を反動的に補強している。成田治安法によって鉄板と針金でがんじがらめに封鎖されている現闘本部を、違法も屁理屈も承知の上でとにかく力ずくで取り除けという国策裁判が行われているのだ!
萩原進事務局次長がまとめの発言で、三里塚裁判へのさらに力強い取り組みを要請し、「現闘本部撤去決定を弾劾する声明が団体・個人で70通も寄せられた。この決意を、現地へ駆けつけ同盟とともに闘う実践としてぜひ表していただきたい」と訴え、7・18闘争への総決起を促した。
さらに、この日と同じ多見谷裁判長のもとで進められている市東さん農地裁判の行政訴訟で、証人尋問を2人だけ(反対同盟の萩原さん、市東さん)ですませようとする動きについて警鐘が鳴らされた。
多見谷裁判長が県知事関連も旧地主の藤崎氏も証人調べをせずに結審へと向かうことなど、決して許してはいけない。三里塚全体が決戦情勢だ。
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週刊『三里塚』(S827号1面6)(2011/07/15)
ピンスポット
韓進重工業で185日間の高空籠城
「希望のバス」闘争
1万人超が釜山へ集結
韓進重工業の影島造船所での整理解雇攻撃に対して、高さ35bにあるクレーン上での185日間の高空籠城闘争が闘われている。6月27日には警察権力による40人の籠城者強制退去が執行されたが、その後も民主労総釜山本部のキムジンスク指導委員の籠城闘争が闘われている。
7月9日、6月に次ぐ第2次「希望のバス」闘争が闘い取られた。ソウルをはじめ平沢、全州など全国43地域から1万人を超える人びとが195台を超えるバスなどで釜山へと出発した。
9日正午には、蔚山から暴風雨の中を現代自動車非正規職支会の自転車部隊が80キロ先の釜山へと出発した。済州島からは「希望の飛行機」が飛び立った。
7月1日には、平沢から双龍(サンヨン)自動車労働者、市民たちが450`の道のりを歩いて釜山へと向かった。
会社側は7000人の警官を動員した厳戒態勢を敷いたが、釜山駅前広場で、コンサートが行われ(写真)、終了後、「私たちはキムジンスクに会いに行く!」とデモ行進を貫徹した。
韓進重工業の労働者の英雄的な闘いはまだまだ続く。全力で連帯しよう。
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週刊『三里塚』(S827号1面7)(2011/07/15)
団結街道
九州電力によるいわゆる「やらせメール」問題は、電力会社のおぞましい体質を改めて世間に見せつけた。九電幹部はいまだに「そんなに悪いことなのか」と語っているという▼このような電力会社による裏からの工作は、世論操作だけではなかった。原発の地元の首長や議員への利益提供という闇が存在していた。報道によれば、佐賀県の古川知事の政治団体「康友会」と「古川康後援会」に対して、06年から09年まで、佐賀支店長と玄海原発所長がそれぞれ年3万円を献金していた。人事異動で後任が継承する形で献金していた。これ自体、政治資金規正法違反だ▼ちなみに古賀知事の父は九電社員で知事自身九電の社宅で育ったという▼また、町長に対しては建設会社「岸本組」に対する工事の発注という形を取って利益提供が行われている。「岸本組」は玄海原発がある玄海町の岸本英雄町長の実弟が経営している建設会社だ。岸本英雄が町長に就任した06年8月以降の4年8カ月間で、電源立地地域対策交付金などの”原発マネー”を財源に使った町発注工事と九電発注の玄海原発関連工事を少なくとも約78億円分も受注したとされている▼つまり、町長としての兄が弟の会社に工事を発注していた。岸本自身も、主要株主として株券の売却益や配当金で約1千万円も稼いでいた▼全国の自治体に先駆けて玄海町と佐賀県が玄海原発再開に「ゴーサイン」を出そうとしていたのもむべなるかな、だ。
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週刊『三里塚』(S827号1面8)(2011/07/15)
闘いの言葉
東北大で学生自治が分かった。学生を食い物にしてきたツケを払わせる。行動さえすれば力関係は変わる。過激な新時代の幕開けだ。
7・8学生集会 首都圏私立大生
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週刊『三里塚』(S827号1面9)(2011/07/15)
【三里塚闘争裁判】
●8月30日(火)千葉地裁
午前10時30分 市東さん行訴訴訟
午前11時10分 農地法裁判
●9月6日(火)千葉地裁 午前10時30分
第3誘導路許可処分取消訴訟
●10月11日(火)千葉地裁 午前10時30分
団結街道裁判
●10月18日(火)千葉地裁
午前10時30分 市東さん行訴
午前11時10分 農地法裁判
●10月24日(月)千葉地裁 午後2時
市東さん耕作権裁判
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週刊『三里塚』(S827号1面10)(2011/07/15)
7・31革共同政治集会
●7月31日(日)午前11時半開場 東京・豊島公会堂
●基調報告 織田陽介
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週刊『三里塚』(S827号2面1)(2011/07/15)
7・10集会 原発と非和解の決起
“戦闘のための集会に”
8・5全国連絡会議結成へ
福島原発事故と日本の核武装を問う7・10反戦反核東京集会が7月10日、東京なかのゼロ小ホールで開催された。450人が結集し、8・6ヒロシマ―8・9ナガサキへ向かって新たな反戦反核・反原発闘争を築いていく集会としてかちとられた。主催は8・6広島―8・9長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会。まず、反原発・反失業吉祥寺デモをうちぬいた青年たちがずらりと並びその報告を行った。
主催者の憲法と人権の日弁連をめざす会代表・高山俊吉弁護士が「怒りを持ち、責任を追及し、自分自身の問題として捉える戦闘のための集会としてかちとろう」と開会あいさつ。
「こうして原発は導入された」と題したDVD上映の後、核問題研究情報センター代表の吉田義久さんからビデオメッセージが紹介された。
基調提起は実行委員会事務局長の三角忠さん。三角さんは冒頭、「私たちは結成以来約15年、ヒロシマ、ナガサキを中心に闘ってきた。3・11を契機に、新たに『フクシマ』を加えて闘っていきたい」と新たな決意を表明し、原発と核燃料サイクルの問題、日帝の核武装、被曝労働の問題などを、原子力の平和利用論にからめとられてきた既成の原水爆禁止運動の限界性を突破するものとして全面的に展開した。そして、この間の反原発デモを「原発をなくさなければ生きてはいけないという決起」ととらえ、8・6―8・9を闘おうと、締めくくった。
特別報告として青森反戦反核学習会実行委員会の中道雅史さん、三里塚空港反対同盟の萩原進事務局次長が発言した。青森は原発施設の密集地帯だ。中道さんは「大間原発、中間貯蔵施設を止めれば六ケ所再処理工場は止まる。核燃サイクルを止めれば日本中の原発を止められる。核武装も止められる」と語った。
萩原さんは、「福島・三里塚・沖縄の闘いが一つになることで情勢全体を変えよう」と訴えた。(発言要旨別掲)
各地の報告を、福島からは百万人署名運動福島県推進委員会の長澤宏さん、広島からは反戦被爆者の会の中島健さん、いわきからは動労水戸の小野裕通さんが行った。
最後に「すべての原発の即時停止・廃炉を求める全国連絡会議」結成を鈴木達夫弁護士が呼びかけ、ス労自主委員長の入江史郎さんが「原発を止めて日本の核武装を止める。8・6ヒロシマへ」と集会をまとめた。
(写真 「福島の怒りに迫ろう」と訴える萩原進事務局次長【7月10日 なかのゼロ小ホール】)
福島・三里塚・沖縄一つ 萩原進・事務局次長の発言
農民は原発を認めない。私は三宅島の噴火の時も阪神淡路大震災の時もそして今回の福島原発事故にあたっても現場に行った。福島に行って感じることは現場の重さだ。「被曝するから来なくていいよ」と言われる。しかしそれを乗り越えてこそ闘うものの連帯がある。「福島の現実を全国に知らせてほしい」「共に闘おう」と握手した。大事なことは地に足のついた反原発の闘いをやるということだと思う。人が集まるからそれに乗るということでは厳しい現実にはね返される。その点から言っても福島・沖縄・三里塚の闘いが一つになって、闘いの情勢を切り開く、それができる情勢になっていると思う。口幅ったいが天神峰現地闘争本部への撤去攻撃と体を張って阻止する闘いは情勢の突破口を開くものとなりうるし、そうしていきたい。7・18緊急闘争はそのための集会です。そして、「強制執行」の一報が入り次第、現地に馳せ参じてほしい。みなさんの決起を信じてます。
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週刊『三里塚』(S827号2面2)(2011/07/15)
原子力村とマスコミ
東電に買収された「朝日」
巨額広告で「原発賛成」へ
原発推進構造は日帝中枢と一体
原子力村と呼ばれる原発推進の利権構造に批判の矢が向けられて久しい。原子力村とは、電力会社、原発メーカー、政治家、官僚、原発地元の政治家、同ボス、土建業者そして御用学者たちのことを指す。
この中で、マスコミへの批判がまだまだ弱い。6月20日に出されたばかりの著作(『東電帝国その失敗の本質』)を参考に、マスコミの堕落を弾劾しておきたい。
1970年代に激しかった原発反対運動。マスコミの中で、「反原発」を社論としていたのが朝日新聞だった。ところが、1974年の石油危機で広告収入が激減したため危機感を強めた。その穴埋めとして「意見広告を導入しようということになった」という。
ここに目をつけたのが東京電力、中でも1961年に第4代社長に就任していた木川田一隆だった。木川田は従来の社長と異なって、「電力事業の積極的なPR」を持論としていた。
特に、原発に対する風当たりが強まっていた1970年代、マスコミのオピニオンリーダーだった朝日を原発賛成ないし消極的賛成に導くことができれば、これほどの“援軍”はない。
1971年に木川田は時事通信出身の新聞記者を東電が牛耳る電気事業連合会の広報部長に引き抜き、積極的なマスコミ対策を行った。
電気事業連合会は9電力会社(当時)から莫大な資金を集め、電力産業、特に原子力発電のキャンペーン、世論操作、政治、言論界の工作を担当していた。この広報部長を動かした。「今なら原発賛成の意見広告を朝日に載せられる。それを通して朝日の社論を覆せる」と。
広報部長は朝日に広告代理店を通じて「原発推進の意見広告を出したい」と申し入れた。従来ならOKは出ない提案だが了承された。そして毎月1回、1面の3分の2を使った大きなスペースの原発推進意見広告を出し続けた。1年に換算すると7、8億円の広告費だったという。
他方朝日の方も、原子力産業会議で木川田と旧知の渡辺誠毅社長が、社論変更に露骨に動く。1977年に、朝日の調査研究室で、科学部、社会部、経済部の中堅記者5人を集め、「原発報道のあり方」の研究をさせ、社論変更の下地を作った。そして「反対だがメリットも報道する」との従来の態度から「賛成だが問題点も報道する」と報道姿勢を転換させた。
さらに79年8月、第一線の記者を集めた研修会を開催して、社論の変更を徹底させた。
従来から原発推進の旗を振ってきた読売はもとより、原発に批判的だった毎日まで、東電に意見広告の依頼を行うようになり、さらに全国のマスコミが「朝日が賛成するなら」と原発賛成へ軒並み転向、マスコミ総体が原子力村の語り部的役割を引き受けるまでに堕落していった。
同書では原発担当の記者の身元調査を行って、買収・利益供与など積極的な記者対策を行うおぞましい姿も「東電CIAの実態」として紹介されている。金と利益供与による学者や官僚への取り込み工作もひどい。
東電を頂点とする10電力体制(現在)は、日帝の執行・支配機構そのものであることが分かる。原発廃止の闘いが日帝の核心部との対決なしに実現不可能であることが、実体的支配機構の面からも言える。
(写真 1970年代に東京電力に買収され「原発賛成」に転換した朝日新聞社)
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週刊『三里塚』(S827号2面3)(2011/07/15)
東電、原子力村打倒を
7・8集会に参加して 全学連三里塚現地行動隊長
7月8日、反原発・大学奪還を掲げ東北大集会が行われました。被災地の学生自治会と寮が軸となることで、全学生の原発への怒りを解き放ち、学生自治会の復権にむけた圧倒的な高揚が勝ちとられました。(写真)
東北大の新入生は、「原発は必要だという人は一人もいない。僕たちに必要なことは、学生が団結する場を設けるということ。それが自治会の復権」と団結と行動の重要性について訴え。新たに学生自治会に加わった仲間からは、「大学は法人化以降、新自由主義と原発推進のお先棒を担いできた。我々の仲間である日就寮生が東北大当局によって不当に弾圧されている。本来あるべき大学の姿を取り戻さなければならない」と熱烈なアピールがなされました。
福島大学の学生は、「僕がここに来ることができたように、来れなかった人も『いつかちゃんと動きたい』と言っていました。いろいろな学生が動いているのが分かれば、みんなも絶対動けます」と、さらなる反原発闘争のうねりを作り出す決意を語りました。
被災地との分断を乗り越え集まった全国大学からも訴えがなされました。「法政大学でも自主法政祭への規制に反対して1、2年生が500人を前に声をあげている。大学の中から原発を止める現実性と展望はいまこの瞬間にあると実感している」(法政大学)、「東北大で学生自治の何たるかが分かった。学生を食い物にしてきたツケを必ず払わせる。行動さえすれば力関係は変わる。新しくて過激な時代の幕開けだ」(首都圏私大)、「俺たちの手で大学を取り戻し、大学を運営する、これ以外にこの社会はもう一歩も前進しない」(京都大学)、「裁かれるべきは大学だ。学生が反乱することを恐れて学生自治会や寮に攻撃を仕掛けてきている。しかし、学生が一つになれば全くもって恐れるものはない」(富山大学)、「核と人類は相容れないと自らの存在で訴えている被爆者が、福島の状況は広島で起こったことと同じだと怒りを爆発させている。原発再稼動を宣言する菅が慰霊碑の前に来るペテンを許すことはできない。責任者である菅、東電資本、原子力村にいる奴らを打倒して、今の社会を根本から変えるという叫びを学生があげる闘いが8・6だ!」(ヒロシマ大行動に向け驀進する広島大学)
昼集会では、学生弾圧の先頭にたつ東谷学長特別補佐を引きずり出し徹底弾劾、日就寮と学生自治会の申し入れを受け取らせました。「飛び入り」討論や150人の学内デモへのサークル員の声援など、全国学生と東北大生が一体となってキャンパスを解放する闘いが勝ちとられました。
反原発闘争の爆発と一体で、労農学連帯の力で新自由主義攻撃に勝ち抜き、日本最大の反戦闘争を闘う三里塚闘争に青年・学生が立ち上がることこそ、今の社会を根底から変える最先端の闘いだ! 反対同盟と固く団結し、全人民の砦=現闘本部を全国学生の力で守り抜こう!
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週刊『三里塚』(S827号2面4)(2011/07/15)
強権千葉地裁に怒り
行動隊に参加して 関西・M
今回一週間三里塚に行かせてもらい色々と学ばせていただきました。
怒りもより強くなりました。初日に千葉の裁判所へ行き傍聴席で市東さんの農地問題を聞いていましたが、本当に許し難い結果に怒りだけが残りました。
法大弾圧と同じような事を権力どもは農地でもやろうとしています。
裁判長はこちらの言っている事に耳もかたむけず、とっとと裁判を終わらせることしか考えていない! ふざけきった裁判であった。
そりゃあ、あんな裁判長がいたら学生、青年労働者、農民、他全ての者はこの世の中で生きていけないなとも思いました。弁護士の方々も大声出して怒鳴るわな、とおもいました。
ダメな事はダメだとはっきり言うのが裁判長の役目なのにダメともなんとも言わないで、ひたすら裁判を進めていき終わらせようする。
偽造の完璧な証拠もあるというのにごちゃごちゃと言って切り抜けようとする! 完全な隠ぺいだ! それに抗議した三名の同志達が傍聴席から退廷を言われ最後まで聞けないでいた。毎回思いますがあんな裁判は俺でもできる。本当に許せないし、絶対に裁判闘争に勝利しよう!
ここからは援農の話をしていきたいと思います。一日目は市東さんの農地で手伝いをさせていただき次は監視、その次は鈴木さんの農地で草抜きそして監視と市東さんの農地の手伝い、色々とやらせてもらい色々な経験をつませて頂きありがとうございました。
三里塚の同志達と一週間過ごせて本当に自分自身、心も体も鍛えられて良かったです。三里塚は私の第三の故郷になりました。三里塚の同志達は皆やさしくて、強い! こんな同志達と一緒に闘えて本当にうれしいです。共に闘い勝利し、革命を手にしましょう。
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週刊『三里塚』(S827号2面5)(2011/07/15)
北総の空の下で
梅雨明け…
福島とつながって
7月9日、早々と梅雨明け宣言がでました。うだるような猛暑の中で農作業が続いています。カラ梅雨でしかも強風が何日も吹いたため、すでに畑はからからに乾燥しています。一体この先どうなるの?! 昨年の大旱魃が頭をよぎります…。
ニンニク、玉ねぎなどは豊作で、保存後の傷みも少ないですが、夏野菜は早くも赤信号です。5月の低温で成長が遅れたところに、風と乾燥が追い討ちをかけたからです。
スーパーに行けば、野菜も魚も豊富です。日照りも放射能問題も、よその国の事かと思うようです。しかし、4カ月前に大量の放射能が東日本に降り注いだ事実は、新茶の汚染や、広域に点在するホットスポットの存在が証明しています。なぜもっと早く公表しなかったのか! この無念を最も痛感しているのは福島県民です。
6月19日の怒りの福島大行動で、果樹農家が訴えました。「6月4日、水素爆発直後に市内のある地点で雑草から百万ベクレルを超える放射性ヨウ素が検出されたと公表されました。この時期子供達は、無防備で水の配給に並んでいました。数年後、子供達に何が起こるのか…」
麦わら、落ち葉、堆肥等の有機肥料が汚染物質となり、地域が破壊されました。自殺した農民、別の土地に移転した農民、廃業した農民…。全ての無念を引き受けて地元に留まり、大地を蘇らせようと奮闘する農民がいます。彼等と手を携えて三里塚は国策と対決します。
北里一枝
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週刊『三里塚』(S827号2面6)(2011/07/15)
三里塚営農だより
萩原進さん宅
前回に続きニンニクの話しになりますが、萩原進さん宅でも豊作で、納屋の軒先に10個一つに丸められ、縛られたニンニクが所狭しと吊り下がっています。
勉強熱心な富夫さんが、「冬の温度が5度以下が数日続かないと、良いニンニクに成らないみたいだね!」と、さり気なく教えてくれます。
次は先人の知恵のニンニクの葉っぱの活用法を一つ。写真左はアブラ虫除けにピーマンの根元に撒いているところですが、その外にもキュウリ、ナスなどにも使います。
昔ながらの知恵と道具は今でも役立っています。その一つが唐箕(とうみ)。風を利用して穀物とゴミを選別します。写真右は麦の選別をしている所。麦の他、大豆の選別などにも活躍しています。三里塚現地ではNAAと千葉地裁執行官が現闘本部破壊にいつ来てもおかしくない情勢です。緊張感の中の農作業です。
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週刊『三里塚』(S827号2面7)(2011/07/15)
三芝百景 三里塚現地日誌 2011
6月29日(水)〜7月12日(火)
●成田空港の5月の輸出額は前年同月比12・2%減の7525億円となり、3カ月連続で減少した。輸入額は8・2%減の7798億円で4カ月連続の減少。輸入額が輸出額を上回り、輸入超過となった。(29日)
●現闘本部死守を訴えて成田駅頭ビラまき 三里塚闘争支援連絡会議の仲間は京成成田駅頭で「空港反対闘争の拠点 現闘本部破壊を実力阻止する」とのビラをまき、トランジスターメガフォンで、現闘本部阻止決戦への決起と7・18緊急闘争への参加を訴えた。(29日)
●中国広東省の深せん空港では2本目の新滑走路が開業した。さらに広州空港では3本目の滑走路が建設中であることが報道された。(30日)
●千葉地裁が天神峰現闘本部撤去命令を強行 千葉地裁民事第4部の藤山雅行裁判長は成田空港会社から出されていた「天神峰現闘本部建物等収去命令の申し立て」に対して「収去命令決定」を行った。(4日=1面に記事)
●反対同盟、戦闘宣言発出
反対同盟は、千葉地裁による天神峰現闘本部撤去命令の決定に対して、断固現闘本部を死守する戦闘宣言を発出するとともに、全国の共闘団体、住民団体、労組に対して、千葉地裁と空港会社を弾劾する声明の集中を呼びかけた。(6日)
●再び成田駅頭でビラまき 三里塚闘争支援連絡会議は6月29日につづいて天神峰現闘本部死守・7・18緊急闘争を呼びかける街宣行動を行った。(6日=写真)
●反戦反核集会に萩原さん 東京・なかのゼロ小ホールで行われた反戦反核集会に反対同盟から萩原進事務局次長が参加してアピールを行った。(10日=2面に記事)
●反対同盟に全国から集中された千葉地裁決定弾劾声明が68通に達した。(11日)
●団結街道裁判闘う 成田市と空港会社を相手取って「団結街道廃道処分取消」を求める裁判の第4回弁論が闘われた。(12日=1面に記事)
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週刊『三里塚』(S827号2面8)(2011/07/15)
【おわび】
826号の2面で「6・27団結街道裁判へ」の見出しは「7・12」の間違いでした。お詫びし訂正します。
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