SANRIZUKA 2011/05/15(No823 p02)

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第823号の目次

5・20反動判決を阻止するため、三里塚闘争支援連絡会議は、連休前の4月27日から高裁前の連続情宣行動に決起した(写真は4月27日)

1面の画像
(1面)
高裁包囲デモで「仮執行宣言」阻め
現闘本部裁判控訴審 5・20反動判決を粉砕せよ
被災地の労農学と連帯しよう
三里塚45年の砦死守  国鉄闘争集会と一体で
記事を読む
支援連 高裁前ビラまき  4・27、5・6〜連続して 記事を読む
「被曝に負けぬ農民魂」  萩原事務局次長 4・27〜28被災地を訪問
福島市〜本宮市〜いわき市
踏み留まり原発告発  三里塚のように絶対反対で
記事を読む
提訴全部取り下げろ  5・24行訴、農地法裁判へ 記事を読む
ピンスポット  “原発止めろ”渋谷に1万5千人
5・7 全学連熱い合流  次は6月11日に100万だ
記事を読む
団結街道 記事を読む
闘いの言葉 記事を読む
裁判日程 記事を読む
(2面)
TPP協定を粉砕するためにB 今こそ労働者・農民は団結を
市東さん畑守る闘い 協定阻む砦に  千葉県の米農家に聞く (下)
記事を読む
原発推進の利権構造を撃て
帝国主義の末期症状  “原子力村”に群がる政財官学
記事を読む
国際連帯は今、世界を揺るがす
上海で大規模スト  貨物労働者、弾圧はねのけ
記事を読む
三里塚の援農に!  首都圏大学新入生・D 記事を読む
三里塚営農だより  萩原進さん宅  草取りが肝心 記事を読む
北総の空の下で  原発事故  死の商人の正体 記事を読む
三芝百景 三里塚現地日誌 2011  4月20日(水)〜5月11日(水) 記事を読む

週刊『三里塚』(S823号1面1)(2011/05/15)

 高裁包囲デモで「仮執行宣言」阻め

 現闘本部裁判控訴審 5・20反動判決を粉砕せよ

 被災地の労農学と連帯しよう

 三里塚45年の砦死守

 国鉄闘争集会と一体で

 3・11震災情勢の下で三里塚闘争の位置が決定的となっている。4月27日〜28日、反対同盟の萩原進事務局次長は救援物資を携えて福島被災地を訪れた。被災農民は萩原さんに、「三里塚のように絶対反対で原発建設と闘うべき」「農民は団結して戦わなければ殺されてしまう」「反対同盟を軸に三里塚支援勢力の農民を再結集させて闘いたい!」と語った。帝国主義の国策と45年間絶対反対で闘い抜いてきた三里塚闘争の成果が今、光を放っている。だからこそ、日帝・東京高裁は5月20日、天神峰現闘本部撤去の反動判決を強行し、三里塚の前進に傷をつけようとしている。今こそ東京高裁包囲デモから反動判決粉砕の傍聴闘争に立とう。
 5月20日、日帝・東京高裁井上繁規裁判長は、反対同盟の天神峰現闘本部裁判・控訴審判決において「控訴棄却」の反動判決を狙っている。
 さらに、「仮執行宣言」という、上告審を待たずに執行(強制撤去だ!)を可能にする付帯条項まで付けようとしている。
 満身の怒りを爆発させて5・20反動判決粉砕へ東京高裁包囲に立とう。
 天神峰現闘本部は、1966年に反対同盟員自身の材料提供と勤労奉仕で建てられたかけがえのない三里塚闘争の闘争拠点だ。シンボルであり精神的な寄り所でもある。
 この現闘本部を守り抜けるかどうかは、反対同盟と三里塚闘争にとって特段の意味がある。
 1990年1月15日から16日にかけた成田治安法適用に対する現闘本部決戦を覚えている人も多いだろう。前年12月4〜6日、成田治安法の強制撤去処分によって東峰団結砦が破壊された。英雄的な砦死守戦によって、闘いの矜持は守り抜かれた。
 そして次は天神峰現闘本部への処分発動情勢となった。90年1月10日の産経新聞は「1月14日、15日の連休明けにも治安法処分発動」と報じた。14日の団結旗開きで反対同盟は「同盟員全員が立てこもり、全員逮捕覚悟で現闘本部を死守する」との歴史的な戦闘宣言を発し臨戦態勢に入った。
 この気迫に圧倒された日帝・運輸省、空港公団(いずれも当時)は、だまし討ちの常套手段に訴えて、”激突”を回避せざるをえなかった。「実地検証」というペテンにも関わらず、反対同盟を先頭とした全国の闘う労農学は、雪の降る中を徹夜の成田治安法処分抗議闘争を貫徹した。
 反対同盟のこうした闘魂が「強制撤去」を粉砕し、「封鎖処分」という中間的な措置で攻撃を食い止めたのだった。このことが今日、暫定滑走路の誘導路を「へ」の字に曲げる根拠を作ることになった。
 このように全人民の血と汗と労苦で守り抜いてきた天神峰現闘本部を「国策」の名によって破壊させることなど断じて認められない。5・20反動判決阻止、東京高裁包囲闘争は三里塚45年の重みかかった決戦だ。
(写真 暫定誘導路を「へ」の字に曲げている天神峰現闘本部【5月4日撮影】)

 3・11震災情勢下 三里塚闘争の役割

 3・11震災情勢下、三里塚闘争の意義は決定的に増している。3・11震災とりわけ福島原発事故問題は、日帝・自民党〜民主党政権が推し進めてきた新自由主義政策の行き着く先を誰の目にもわかる形で突き出した。それは同時に、帝国主義の末期的姿を浮き彫りにした。
 こうした時に、帝国主義の国策と真っ向から45年間闘いぬいてきた三里塚闘争の真価を全人民のものにしなければならない。反戦・反権力の最強の砦としての三里塚。全人民の共闘と結集の砦としての三里塚。この闘いの到達点が、大震災−原発放射能事故に対して真っ向から闘い始めた被災地農民そして4・10高円寺〜5・7渋谷〜6・11へと向かう怒れる青年学生、労働者人民と結合した時にこそ、まさに100万という規模の、労働者を先頭とした大衆的闘いの実現が可能となる。それは日帝打倒の闘いへの道筋だ。
 この闘いの高揚を鎮圧するために、日帝・国土交通省、成田空港会社は、第3誘導路建設を強行している。
 そして、三里塚45年の象徴・天神峰現闘本部を破壊するために、最高裁から送り込まれた司法改悪の先兵・井上繁規裁判長によって「強制撤去」の反動判決を下そうとしている。
 逆にこの攻撃を突破する闘いの中に三里塚の飛躍もある。
 われわれは、反対同盟の正義性にとことん依拠し、動労千葉を先頭とした国鉄闘争全国運動と6・5大集会にむかううねりと一体の闘いとして5・20闘争の爆発をかちとらなければならない。
 とくに、判決即強制撤去を狙う「仮執行宣言」を何が何でも粉砕しよう。5・20日比谷公園・霞門へそして法廷闘争へ決起しよう。

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週刊『三里塚』(S823号1面2)(2011/05/15)

 支援連 高裁前ビラまき

 4・27、5・6〜連続して

 三里塚闘争支援連絡会議は、東京高裁・井上裁判長による現闘本部裁判・控訴審での反動判決阻止のため、4月27日から連続的な裁判所前情宣行動を開始した。
 5月6日、同11日とやりぬき、さらに20日にむけて頻度を上げて闘い抜く予定だ。
 27日は、午前8時前に登場、東京地裁、高裁職員、裁判所を訪れた訴訟関係者、弁護士そして霞が関労働者に大きな反響をまき起こし、午前10時までに用意した800枚のビラをほぼまき切った。
 6日からは大きく引き伸ばした現闘本部の写真を用意、「反動判決を粉砕して現闘本部を死守する!」との労農学人民の決意を示した。
 11日には東京の労働者の応援も得てビラまきとハンドマイクでのアピールを貫徹。「調べもしないで空港会社を支える司法の腐敗――これって原発と同じじゃないか!」と訴えたビラをまき切った。そして「5月20日正午から東京高裁を包囲するデモ行進を行い、その後傍聴闘争を行います」とのアピールが響き渡った。
(写真 5・20反動判決を阻止するため、三里塚闘争支援連絡会議は、連休前の4月27日から高裁前の連続情宣行動に決起した【写真は4月27日】)

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週刊『三里塚』(S823号1面3)(2011/05/15)

 「被曝に負けぬ農民魂」

 萩原事務局次長 4・27〜28被災地を訪問

 福島市〜本宮市〜いわき市

 踏み留まり原発告発

 三里塚のように絶対反対で

 反対同盟の萩原進事務局次長が4月27日〜28日の二日間、福島県で被災し、3・27三里塚全国集会にアピールを寄せた農民宅を訪ね、激励と交流を行った。萩原さんにお話を伺った。
 4月27日朝、うちを出発し、昼過ぎに福島市の果樹農家、3時すぐには本宮町の酪農農家を訪ねた。3・27集会で寄せられたカンパ35万円余と野菜、米、水などを配った。28日にはいわゆる海岸に近い地区の浜通りを回り、黒毛和牛の酪農家といわき市の三里塚闘争支援労働者の所を回った。聞きしにまさる被害の甚大さ、深刻さに言葉を失ったというのが実感だった。被害の大きさが見えるのは津波で破壊され建物や道路など構造物。同時に深刻だったのが放射能被害だ。これは、自分たち成田の農民と他人ごとではないという意味で身につまされた。
 本宮町の乳牛農家で言われた。「自分たちはすでに被曝している。逃げる所もないし、あっても逃げることもできない。 20頭の牛を放っぽり出して逃げるわけにも行かない。逃げた所でいつまでそこにとどまるのか、という問題にもなる。一蓮托生、死ぬときは一緒という覚悟でここに踏みとどまって酪農を続けるんだ」という言葉に返す言葉がなかった。「頑張ってください」などという言葉は受け付けない重さだった。「共に闘いましょう」と応えた。

 重い問いの前で

 福島はじめ東北、茨城の農民を、ここまで苦しめる原発の存在というものに改めて憤りを感じる。と同時にしかし、現実に起きてしまった事故と人体への被害という問題とどう向き合うのか。考えさせられた。
 逃げればいいのか。おそらく正しい答えではないだろう。成田だって問題は深刻だが、農民にとって、畑や田んぼから離れて農民としての暮らしや生き方があるわけじゃない。まして、三里塚闘争を45年間も闘いぬいてきたわれわれにとって、他に逃げて三里塚闘争を続けられるはずもない。
 その場所に踏みとどまって「原発」に示された現代社会の腐敗と資本主義の非人間性を告発しつづける、これ以外に生き方、闘い方はないと思う。
 人間は「社会的な生き物」という言い方がよくされる。自分ひとりで生きているわけじゃない。他人との関係の中で生きているわけだ。生物としての生命が大事であるのと同じ程度に社会的な生命も大事だということだろう。
 重い問いがのしかかる中で、勇気づけられる話も聞けた。「以前から三里塚闘争を支援してきた自分たちは当然原発建設反対だった。不十分ながら運動もしてきた。しかし、建設を許してしまった結果がこの大災害だ。自分たちの責任という意味でも複雑な思いだ」「三里塚のように絶対反対で原発反対を闘いぬきたい」と。
 さらに、「今回の訪問をきっかけにして、原発反対で闘ってきた仲間を再結集させたい。バラバラでは農民は殺されちゃう。三里塚を軸に団結したい」。そして「今度の三里塚集会には参加します」と約束してくれた。
 震災を機に三里塚も新たな闘いへ前進しなければ、と誓った。
(写真 福島県本宮市の酪農農民のお宅で【4月27日】)

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週刊『三里塚』(S823号1面4)(2011/05/15)

 提訴全部取り下げろ

 5・24行訴、農地法裁判へ

 5月24日、千葉地裁民事3部(多見谷寿郎裁判長)において市東孝雄さんの農地取り上げ反対の行政訴訟と農地法裁判が行われる。三里塚闘争破壊のための第3誘導路の工事が強行される中、市東裁判は裁判全体を決する最大の決戦局面に突入している。
 NAAはさる2月15日付け「訴えの一部取り下げ」で、明け渡しを要求した「南台41−9」(現闘本部に近接する場所)を市東さんが占有してないことを認め、この畑の明け渡し請求を取り下げた。ここは市東孝雄さんが一貫して「自分の耕作地ではない」と主張し、農地転用許可申請のデタラメを訴えていたところだ。市東さんの主張の正しさによってNAAの訴えの一角が崩れたのだ。
 NAAの市東さんへの提訴の大前提は41−9の畑を市東さんが賃借し占有していることだった。これは市東家三代に及ぶ耕作事実に反する。88年当時、空港公団は土地収用のために元地主を使って図面や書類を形式的に作成した。それらは「どうせ強制収用で取り上げるのだから適当でいい」と言わんばかりのズサンなものであった。
 しかし事業認定が失効したことによって、元地主自身が「図面・書類に自分は関与していない」とまでいう、ウソとペテンによる根拠のデタラメさが赤裸々に暴かれるに至った。
 すなわち反対同盟は、元地主の藤崎政吉氏に面談調査を行ない証拠として提出した。藤崎氏は市東東市さん(孝雄さんの父)との賃貸借の同意書・確認書を「俺が作ったものではない」「確認書は自分が直接受け取った記憶がない」「自分は立ち会いをやっていない」「市東さんの家には子供の頃しか行ったことがない」と答えたのだ。本人が立ち会わないでなぜ図面ができたのか。同意書や確認書がどういう経過で作られたのか、NAAは隠蔽しようとしているが、当時の報告書を明らかにすることが請求側の義務だ。
 前回弁論でこれらが全面的に争われた。市東さん側は「NAAによる訴えの一部取り下げには不同意」と追及し、ついにNAAは「請求の放棄も検討する」と言いだした。これはNAAが41−9のみの放棄と引き換えに、その他の市東さんの耕作地を取り上げようととする悪あがきだ。NAAに対し今度の弁論で断を下し、全請求の取り下げをかちとろう。
 さらに「書類上の形式が整っていたから許可処分をした」と居直る千葉県を許してはならない。 千葉県はNAAの言うままに06年に賃貸借契約解除許可決定を出した農地強奪の共犯者だ。当時「耕作地が違う」と言う市東さんの訴えに一顧もせず農民の耕作権を踏みにじったのだ。NAAの訴え取り下げで不当が明らかになるや、「それだったら訴えの利益が無い」と恥知らずな暴言を吐いている。全力の傍聴闘争で徹底弾劾しよう。
(写真 前回、4月12日の行政訴訟、農地法裁判の後の報告会)

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週刊『三里塚』(S823号1面5)(2011/05/15)

 “原発止めろ”渋谷に1万5千人

 5・7 全学連熱い合流

 次は6月11日に100万だ

 5月7日、渋谷で1万5千人が反原発デモに立ち上がった。(写真)午後2時、小雨交じりの代々木公園のけやき並木で集会が始まると、労働者人民が集まってきた。その主力は青年・学生だ。小さい子どもを連れた親子も目立つ。「原発絶対反対!」「子どもの未来のために黙ってられない」「福島を返せ」「くたばれ御用メディア」などの思い思いのプラカード、オブジェなどを準備しての結集だ。全学連と東京労組交流センターは渋谷駅頭で大街頭宣伝をして合流した。
 デモは原宿駅前、渋谷駅前を通り代々木公園に到着。繁華街を1周するコースを5時間もかけ、警察権力による4人の不当逮捕をはねのけてやりぬいた。「原発反対!」などのコールが渋谷の街に轟いた。高校生もマイクを握り「被曝労働許さないぞ」「社会を変えよう」と叫んだ。沿道も声援で応えた。そして隊列に加わった。
 デモ隊はどんどんふくれあがった。手作りの労組旗で、職場の仲間と参加した青年労働者の姿もあった。「本気で怒ってデモをした」「警察の弾圧は絶対に許せない」「本当に楽しいデモだった」。青年・学生は興奮して語った。6月11日の100万人決起へ。

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週刊『三里塚』(S823号1面6)(2011/05/15)

 団結街道

 現在公開中のフィンランドのドキュメンタリー映画「100000年後の安全」が、注目を集めているこの映画は、世界で初めてフィンランドに建設された、通称「オンカロ(隠された場所の意味)」と呼ばれる高レベルの放射性廃棄物の最終処分場をテーマにした映画だ。地下何百bに初めてカメラを潜入させて撮影された。ここで働く人々や原子力の専門家の証言を織り交ぜながら、安全になるまで10万年もかかるとされている高レベル核廃棄物を人類が管理していくことが可能なのかと、深刻な問題を提起している原発から出つづける放射能廃棄物をどう処理するのか、という問題はある意味で原発につきまとう最大の難問だ。稼働する最終処分場はまだなく、「オンカロ」が初めてだという▼その「オンカロ」をめぐって10万年もの間、地震や地核変動あるいは「想定外」の地球的事象を耐え抜いて安全に保管しつづけるなど、どう見ても不可能だここでまじめに心配されているのが、この核廃棄物の安全保管を後世にどう伝え続けていくのかという、言葉あるいは伝達手段の問題だという。人類の歴史にはいくつも滅亡した言葉があるように、現在の言葉がそのまま受け継がれるとは限らない。しかし、核廃棄物の保管を確実に後生に伝え続けなければ、人類滅亡にもなりかねないこの問題一つとっても原発が「神の与えた希望の火」どころか人類に最悪の「悪魔の火」であることは明らかだ。

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週刊『三里塚』(S823号1面7)(2011/05/15)

 闘いの言葉

 「原発絶対反対!」「子どもの未来のために黙ってられない」「福島を返せ」「くたばれ御用メディア」「本気で怒ってデモをしたぞ!」
 5・7渋谷反原発 デモでのアピール

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週刊『三里塚』(S823号1面8)(2011/05/15)

 裁判日程

 5・20東京高裁包囲闘争
●正午 高裁包囲デモ
*午前11時30分日比谷公園霞門集合
●午後2時 判決闘争(429号法廷)

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●5月24日(火)午前10時30分
 市東さん行政訴訟
 午前11時10分 農地法裁判
●6月9日(木)午前10時30分
   鈴木さん一坪裁判千葉地裁
●6月17日(金)午前10時30分
   第3誘導路許可取消裁判 千葉地裁
●6月27日(月)午前10時30分
   市東さん耕作権裁判 千葉地裁

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週刊『三里塚』(S823号2面1)(2011/05/15)

 TPP協定を粉砕するためにB 今こそ労働者・農民は団結を

 市東さん畑守る闘い 協定阻む砦に

 千葉県の米農家に聞く (下)

 前回に続き、千葉県米農家のOさんにTPP(環太平洋経済連携協定)について伺った。
     *
――TPPによる日本農業への影響を予測するものは、FTA締結による韓国農業の現状であると思いますが。
 Oさん 韓国は90年代にウルグアイラウンド対策として42兆ウォンを投入して施設型農業への転換とか農業機械の導入を積極的に進めた。その結果、農家負債が増加し過剰生産を引き起こした。韓国はFTAを先行的に進めてね、その利益を獲得していくというような戦略の中で、大幅な市場開放を行ってきた。そういう中で、韓国の貿易自由化に対する農政というのは、直接払い、企業経営・輸出産業の育成とか、加工の育成にどんどん補助を出してやってきた。しかし、韓国は日本以上に零細で、農業部門がどんどん縮小してきている。高齢化も進んで、農家所得も減少、農家負債も依然として増えている。韓国は農業を犠牲に日本がやろうとしているようなことをやってきた。反面教師だ。
(写真 韓国で爆発したアメリカBSE牛輸入反対のデモ【2008年】)

 農業分野放棄した 米韓FTAの意味するもの

 ――今年はじめのNHKの日曜討論の中で、東大の鈴木宣弘教授は「韓国は農業を捨てた」と言っていました。日本は農業を捨てることができるのでしょうか。
 Oさん 帝国主義はやっぱり食料問題として農業を考えなければならない。今08年の時と同じように食料がものすごく高騰している。食料在庫自体はそんなに逼迫してなくても、アメリカでトウモロコシの3分の1以上をバイオエタノールに使うというようなこともあり、ちょっとしたことで世界的に高騰逼迫するような時代にある。この中で、食料がそう簡単にいつでも金があれば買えるというわけではないことをブルジョアジーは知っている。
 だから食料戦略の点では、帝国主義は日本の農民を徹底的に収奪するんじゃないか。農家はこれまで90年代に入って、ウルグアイラウンドの米の部分開放からはじまって、どんどん米価なんかが下がってきても、やめるにやめられない。これは政策としてはあるけども、結果としてそこで農業をやめていく農民は出てくるだろうけどもね。まったくその、全部輸入というような政策ではないと思うよね。
――じゃあ、TPPないしは食料の自由化はより農民収奪を強化するというものとしてあるという事ですね。
 Oさん 結局安い農産物が入ってくるからね、全体的に、総体としてそれに引っ張られるわけ。農家はやっぱり採算に合わないから廃業して勤め人になるといっても雇用の場所もないわけだよね。そういう意味でやっぱりとことん犠牲は集中されていくんじゃないか。

 農業切り捨て政策

――TPPと日帝の戦後農業政策の全体をどう見ていくべきですか。
 Oさん いま市東さんの問題になっている戦後の農地改革があって、戦前の地主制から農地解放してみんな自作農というのをつくったわけだよね。自分が農業高校を出たのは64年、高度成長期だ。農基法(61年)農政と言ってね、高校にいる頃に米と麦とイモ同じのをつくるのはダメだ、とよく言われた。それから米を基本に据えながら選択的な規模拡大といって、野菜とか畜産とかそういうのをどんどん取り入れてやってきた。
 俺自身も牛を飼ったり豚を飼ったりね、野菜をやったり、いろいろやってきた。とにかく60年代から70年代はほとんど農家の長男が農業高校行くような時代。ほとんどの人が農家の跡継ぎでやってきたという中で、高度成長の分け前もいくらかまわってきたかも知れないけど、基本的にいろんな米とか麦とか畜産だのどんどん取り入れていくような農業のあり方だったからね。
 そういうなかで70年頃米あまりというような中で減反政策が始まって、90年代に入って細川政権がウルグアイラウンドで米の部分開放やって新しい米政策と言う形でどんどん変わってきた。
 基本的にはそれまでの価格支持政策を廃止して、市場原理主義に変わってきた。そういうなかで90年代に食管制度そのものも廃止になって、新農基法が出された。
 農業は日本の資本主義の発展の中でいろいろ影響を受け、農民は時々の農業政策に翻弄されてきた。農業が戦後一時期良かったというのはね、たとえば労働運動と農民運動でかちとってきた部分もあるけど、一定程度農業生産の遅れた部分に物価スライドして米なんかは値段をある程度保証した。
 資本主義の発展に応じて、多少のおこぼれが回ってきたということだけども、それは食管制度に端的に表されたように二重米価制度で、財政負担が大きくなって結局廃止されるというような限定されたものでしかなかった。
 帝国主義の危機で真っ先に切り捨てられるもので、戦後の農民支配を維持する条件が、帝国主義の発展の行き詰まりのなかで失われた。それがTPPそのものだ。 第2章 資本主義の問題に 三里塚が軸に座る意義
――Oさんは市東さんの「反対する会」にも参加しています。自分の闘いに直結する点は何ですか。
 Oさん 農業問題の解決は農業をやっている個人のやり方が問題ではない。農民は、封建時代から「生かさず殺さず」で搾り取られて、明治維新以降も基本的に収奪の対象でしかなかった。本当に農民の解放を勝ち取るためには、「資本主義は農業問題を解決できない」という立場だ。一言で言ったら、結局は資本主義そのものを倒す以外には農民の解放の道はないということだ。三里塚がその最前線で40年以上も闘い抜いている。市東さんの闘いをはじめ三里塚こそやっぱり農民解放への道だ。それ以外ないということだ。三里塚農民の国家権力に対する非妥協的な闘い、それを通して逆に自分の置かれた立場がはっきり見え、日本の農民のありようを認識できるんじゃないか。
 40年以上日本の農民は三里塚と結合して全国の農民運動として三里塚闘争を闘えなかった。TPPが日本の農業に対する壊滅攻撃だとすれば、農民が三里塚に結集するような契機となるんじゃないか。
 あるいは労働者と労農連帯でTPP反対をして農民闘争を復権させるような契機にTPPがなるんじゃないか。そういう意味では、大胆にTPPの問題を全農民の闘いとして大きくとらえていくことが必要だと訴えたい。
(写真 今年1月24日の市東さんの耕作権裁判の報告会。農地を守る闘いがTPP阻止闘争の拠点になる)

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週刊『三里塚』(S823号2面2)(2011/05/15)

 原発推進の利権構造を撃て

 帝国主義の末期症状

 “原子力村”に群がる政財官学

 本紙で何度か指摘してきたとおり、菅政権や電力会社の宣伝とは裏腹に原子力発電のコストは高い。2002年の原発ヒビ割れ事故隠しの一方で発電の自由化法案が準備されていた。この時、必死になってつぶしたのが東京電力をはじめとする電力会社だった。その理由は、原発に多くを頼る既成電力会社は発電コストの競争で、他社に敗北してしまうからだった。
 二重三重の手厚い保護があってはじめて、原子力発電は成り立っている。例えば、日帝・菅政権の原子力関連予算は年間4556億円だ。この予算に基づいて、原発を受け入れた地方自治体に膨大な交付金が支払われる。福島第一原発がある福島県に、1974年から2002年までに支払われた累計が約1887億円。敦賀原発と高速増殖炉「もんじゅ」がある福井県に出された交付金は1974年〜2009年までに3246億円……。これらは本来電力会社が支払わなければならない金だ。
 さらに、今まさに問題になっている、事故が起きた場合の賠償金の問題がある。これも一定限度以上は国が補償するという手厚い保護制度に守られている。
 そして行き先も決まっていない使用済み核燃料の気の遠くなるような年月(10万年!)の管理費なども政府の負担だ。
 ここまでして日帝が、コストの高い原発に一貫して固執してきた理由は「潜在的核武装能力の保持」という日帝の安保軍事政策にあったことも指摘してきたとおりだ。
(写真 原発反対の怒りが噴出した5・7渋谷15000人のデモ)

 連合も利権まみれ

 その上で、地震国日本に原発が54基という、とんでもない数に上った理由の一つに、“原子力村”という呼ばれ方をする、原発推進の利権・腐敗構造が存在することが指摘されている。
 共犯者の第一は、与野党を問わぬ利権政治家どもである。その典型が田中角栄だ。田中は地元の新潟県に柏崎刈羽原発を推進した時に土地取引で4億円の利益を上げたといわれている。(「週刊現代」5月21日号)
 さらに原発建設はゼネコンや地元の土建業者に巨大な利益をもたらす。その見返りに、政治家に対しては政治献金、選挙運動と集票マシーンが提供される。まさに「こたえられない」うまみを吸うことができる。
 これは、自民党政治家に限らない。そもそも民主党最大の支持団体である連合の前の会長笹森清は電力総連の委員長だった。現在の国土交通大臣・大畠宏章も日立労組や電力総連から大きな支持を得ている。
 電力会社や原発メーカーの利益ももちろん巨大だ。市場規模は年間1兆5000億円以上にもなるという。原発建設自体は原発ビジネスの一部。保守、技術コンサルタント料、汚染除去そして廃炉化ビジネスまで含めて実に利益の出る構造になっている。一旦原発ビジネスの一角に食い込んでしまえば「黙っていても年間数十億から数百億円がフトコロに入る」こたえられない利潤源になるという。
 こうした政治家と電力会社を結びつけるのが官僚だ。議員の原発貢献度チェックに余念がないという。もちろん9電力会社への天下りも保証されている。
 学界も共犯度という点では“A級”。京都大学に原発批判を行ってきた学者グループがいるが、彼らは何十年たっても助教(助教授ではない、昔の名称で言えば助手だ)のまま、それ以上に昇進することはない。
 電力会社と身も心も癒着した御用学者どもが莫大な「研究費」をもらい接待を受け「原子力安全委員会」などにポストを得てデタラメきわまりない「原発の安全」の旗を振ってきた。
 そして原発立地の地元自治体・政治家の腐敗だ。マスコミの堕落も共犯の一つだろう。
 原子力発電所はこうしたおぞましい利権構造によって、次々と建設されてきた。この上12もの新設計画まである。
 3・11大震災と福島原発事故は“原子力村”の存立構造を揺るがしてはいるが、壊してはいない。それを行うのは4・10高円寺、5・7渋谷に示された「原発止めろ」の闘いを、100万人規模にまで爆発させる全人民運動だ。国鉄全国運動の闘いと一体で前進させよう。

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週刊『三里塚』(S823号2面3)(2011/05/15)

 国際連帯は今、世界を揺るがす

 上海で大規模スト

 貨物労働者、弾圧はねのけ

 4月20日、上海の中心部で、数千台のトラック運転手が大規模ストライキに決起した。トラック運転手は大通りに横断幕を掲げ、燃料代への付加費などを取り消すことを要求したスローガンを掲げて闘った。(写真)
 これに対して上海警察は、7300人の警察官、70台の警察バスを動員し、上海市内数カ所で警察隊と労働者が激突した。20日夜の時点で少なくとも労働者側に3人の死者、7人がけがをし、警察側も2人が重傷、5人の軽傷者が出ているといわれている。 
 中国でのインフレの進行はすさまじく、2011年3月の物価上昇率は5・4%で、これが労働者の生活を直撃している。一方で賃金はほとんど上昇していない。とりわけガソリン代の上昇はすさまじく、これがトラックの運転手を追いつめている。中国の場合、実際は労働者なのに、「請負」という形をとった形式は自営業のような形のトラック運転手が多く、その場合ガソリン代などは運転手個人の支払いとなるからである。
 エジプト革命の波及、そしていよいよ進行する物価高の中で、中国の労働者の闘いはいよいよ激しく闘われようとしている。 
 上海コンテナトラック運転手のストライキは、その後数日間続き、上海港を出港する貨物運搬船は、通常の貨物運搬量の2〜3割しか積めずに出港する事態をつくりだした。またストの波は天津、寧波にも波及した。これに慌てた上海市当局は、運転手たちの要求である、運送費の値上げ、埠頭関連の諸費用の徴収のうち、後者のうちの「コンテナ集積場での燃料サーチャージと夜間操作費の徴収を廃止し、一部手数料を引き下げる」と声明して、闘争の収束を図ろうとしている。
 しかし闘争はなお不屈に続けられている。 

 共同声明を発出

 この闘いに関連して、「中国ジャスミン革命」の呼びかけ人と「中国独立労働組合連合会」という団体の共同声明が出された。そこでは「私たちはまる一日待ってもストライキ要求が解決しなければ、上海の港をすべてマヒさせるであろう。私たち中国独立労働組合連合会上海独立労働組合代表であるコンテナトラックドライバーは上海の港の各コンテナ会社に、『即日の回答がなければ、一切の責任は彼ら自身にあり、私たちは有力な措置をとってストライキを徹底的にすすめるだろう』と警告した」「私たち中国独立労働組合連合会は、上海政府の行為にあくまで反対し、私たち労働者・ドライバーは大ストライキを堅持し、私たちの基本的な要求が満足できるものでなければ、決してストライキ行動をやめない」「私たちは全国のその他の職種の労働者に目の前のコンテナトラック労働者の大ストライキに参加するように訴える」とアピールしている。

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週刊『三里塚』(S823号2面4)(2011/05/15)

 三里塚の援農に!

 首都圏大学新入生・D

 5月1日〜2日に社会科学研究会の企画で諸事情があり全員参加はできませんでしたが、新入生代表として三里塚に援農に行ってきました。自分は4月に入部したばかりで思想的なことはよくわかりません。でも、ひとりの現闘の方が言っていました。
 「頭の中でわかった気になるだけじゃなくて、実際にまず行動してみてわかることもある」と。都心のキャンパスでいくら議論してもわからないことがあります。援農と現地調査をするなかで強くこのことを感じました。
 もちろん、1日、2日で45年間闘い続けてきたすべてがわかるはずがありません。でも、現地には今なお闘いが続いている事実があることを強く実感しました。
 援農では、2日の午前中に萩原進さんの家でネギを収穫し枯葉をとる作業とそら豆の周りの草取りをしました(写真)。ひたすら無心で作業をするなかで、近くでジャンボジェットが行き来する風景に違和感を持ちました。おいしい野菜の食事は現闘本部で3回、萩原さんのお宅で1回いただきました。 
 ひとり暮らしの自分としては本当に最高の食事でした。
 午後には現地調査で空港周辺の主要な場所に案内していただきました。強制的に建設を推し進める政府の姿勢がよく見えました。
 第3誘導路の建設、団結街道の閉鎖などおかしなことばかりです。強引に造ってきたせいで、騒音はひどいし、すごく低いところで飛んでいていつ事故が起きてもおかしくない状況です。もし事故が起こったら、政府はどうするつもりなのでしょうか。
 個人を弾圧し利潤追求にまい進する政府に怒りを隠せません。
 とても短い期間でしたがたくさんのことを経験することができました。お話をしっかり聞くことはあまりできませんでしたが、なぜ45年間闘いが続いてきているのか少しわかりました。
 自分もなにかわずかでも力になりたいと思いました。
 ぜひ少しでも多くの学生が実際に援農に行ってみることで、三里塚は今何が起こっているのか感じてもらいたいです。

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週刊『三里塚』(S823号2面5)(2011/05/15)

 三里塚営農だより

 萩原進さん宅

 草取りが肝心

 写真は敷地内東峰の萩原富夫さんが5月8日にネギの苗を畑に植え付けしている所です。20a〜30aに育った苗を品種(写真で植え付けしているのは、一本ネギの「吉蔵」と「金長」)ごとに畝(うね)を変えて植えていきます。
 先の2品種は比較的狭い間隔ですが、分蘖(ぶんけつ、茎が根元から枝分かれすること=東京ネギ)は、え〜こんなに間隔あけるの……と思う程20aもあけます。
 ネギは生育期間の長い作物で、前の年の9月〜10月に種を蒔き、収穫が翌年の9月〜4月となります。これだけ生育の期間が長くなると、とにかく草取りが大変になります。
 ネギは特に、根元に草が茂ると生育にばらつきが出てしまうので、こまめな草取りが重要になります。萌黄色(もえぎいろ)に輝く木々に負けじと畑の野菜も朝露に濡れ輝きを増しています。
 放射能被害は成田地区でも他人事ではありません。先日、萩原進さんと一緒に福島の被災農民の元に野菜などを届けました。「三里塚と一緒に、絶対反対で闘う」との言葉に勇気づけられました。

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週刊『三里塚』(S823号2面6)(2011/05/15)

 北総の空の下で

 原発事故

 死の商人の正体

 震災と原発事故から2カ月、東北、関東地方にはTPP後の農漁村の荒廃を先取りしたような現実が広がっています。無人化した福島原発周辺で餓死した家畜、出荷制限で廃棄されたほうれん草の山、観光客がゼロ化した温泉地・・・。私達の周りでも、命輝く芽吹きの季節の日常が、放射能汚染によってじわじわと蝕まれています。野菜、牛乳、水道水から次々と基準値を超える放射性物質が検出された3月末に比べれば、数値が下がり、制限解除は福島県内にまで広がりました。しかし原発収束のメドは立っておらず、放射能が減ったとはいえゼロにはなっていません。
 それでも私達がこれまで通りに有機農業を続けるのは、安全にこだわってきたことが、放射能によって無に帰することはないと信じるからです。
 ベトナム戦争で、アメリカ軍が森林を枯らすために開発した枯葉剤の平和利用と称して、農薬が普及しました。化学兵器を農業に持ち込んだのです。
 原発は、電力と同時に核兵器の原料を生産し続け、周辺地域と従事労働者に日常的な被爆を強制します。劣化ウラン弾は、現在進行形で世界中に放射能を拡散しています。
 農薬も放射性物質も「今すぐ健康に影響は無い」といわれながら長期的に生命を奪い続けてきたのです。
 原発事故で、私達の生き血を吸って肥え太ってきた死の商人の顔がむき出しになりました。今こそ、反戦反核反原発で総決起する時です。
 北里一枝

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週刊『三里塚』(S823号2面7)(2011/05/15)

 三芝百景 三里塚現地日誌 2011

 4月20日(水)〜5月11日(水)

●日本経団連がTPP交渉参加を要求していることについて農業関係者から批判が上がっていることが分かった(20日)
●成田空港の3月の旅客数が前年比3割減の217万5000人であることが判明した。国際線の外国人客は34l減の49万4000人(21日)
●250人の農民が東京電力前で抗議行動を行った。(26日)
●東京高裁前ビラまきを開始 5月20日の天神峰現闘本部裁判控訴審における反動判決を阻止するため、三里塚闘争支援連絡会議は東京高裁前のビラまきを開始した。800枚のビラをまいた。(27日=1面に記事)
●萩原さんが福島被災地現地へ救援に 反対同盟の萩原進事務局次長は、3・27集会に被災地からのメッセージを寄せてくれた福島の被災農民宅を、集会で寄せられたカンパや野菜などをもって激励に訪れ、交流した。(27日〜28日)
●2011年1〜3月期のアメリカの航空大手4社が最終赤字に陥ったことが報道された。燃料費が25〜37l高騰した結果。(27日)
●3月の成田空港の輸出入貨物量も前年を下回ったことが分かった。3月貿易額で前年同月比10・2l減の7826億円。輸入が17・9l減の7418億円だった。(28日)
●WTO(世界貿易機関)は非公式少数国会合であるグリーンルーム会合を開いた。非農産品の自由化を要求するアメリカとブラジルをはじめとする諸国が対立し、結論を出せなかった。年内妥結への悲観論が広がったという。(28日)
●一斉に田植え 萩原進さん、市東孝雄さん、鈴木謙太郎さん宅で一斉に田植え作業が行われた。(5月2日=写真は市東さん)
●東京高裁前ビラまき第2弾 5・20東京高裁包囲・反動判決粉砕にむけた闘いの一環として高裁前ビラまきの第2弾を支援連がやりぬいた。(6日=1面に記事)
●支援連は、東京高裁前ビラまき第3弾に決起し井上裁判長を追いつめた。(11日)

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