SANRIZUKA 2010/09/01(No806 p02)

ホームページへ週刊『前進』月刊『コミューン』季刊『共産主義者』週刊『三里塚』出版物案内販売書店案内連絡先English

第806号の目次

反対同盟と支援連は8月22日、成田市内のキャンプ場で団結バーベキューの催しを行い、秋の決戦~10・10全国集会にむけて英気を養った

1面の画像
(1面)
第3誘導路=軒先工事粉砕せよ
国交省・NAA追いつめた市東さんの決起
10・10全国集会の爆発で反撃を
現地実力抗議今こそ  国鉄全国運動の前進と共に
記事を読む
反対同盟の営農と生活守りぬけ 記事を読む
9・10市東さん裁判へ  行訴・「農地法」で更新陳述 記事を読む
ピンスポット  反対同盟が団結バーベキュー!
秋の決戦へ熱い宴 「全国の運動と連帯を」
記事を読む
団結街道 記事を読む
闘いの言葉 記事を読む
(2面)
現闘本部控訴審 11・5へ東京高裁包囲を
全論点で一審判決圧倒  早期結審策動粉砕しよう
控訴理由書で武装しよう①
記事を読む
闘えば必ず勝つ②  闘魂貫いた鈴木幸司さんの生涯
赤紙での動員と同じ
芝山反対同盟の結成に参加  寝耳に水の空港“着陸”
記事を読む
投稿 8・6広島で勇気もらった  三里塚現闘・K 記事を読む
異様なフェンスに怒り  全学連行動隊 京都大学 M 記事を読む
三芝百景 三里塚現地日誌 2010
8月11日(水)~8月25日(水)
記事を読む

週刊『三里塚』(S806号1面1)(2010/09/01)

 第3誘導路=軒先工事粉砕せよ

 国交省・NAA追いつめた市東さんの決起

 10・10全国集会の爆発で反撃を

 現地実力抗議今こそ

 国鉄全国運動の前進と共に

 《戦争・首切り・増税》の日帝・菅政権は、4・9反革命(国鉄1047名解雇撤回闘争の屈服・和解)による闘う労組・抵抗拠点の破壊攻撃を強めているが、これに対する労働者階級人民の猛然たる反撃が6・13全国集会の大高揚を契機とする国鉄全国運動を柱に、圧倒的に開始されている。この前進と一体で、6月28日の団結街道封鎖から本格化し、8月16日から全面化した第3誘導路工事との対決を全力でやり抜こう。2013年春完成を予定し、連日展開されている第3誘導路工事は、市東さんと反対同盟の生活を破壊する攻撃だ。階級的怒りに燃えて10・10全国集会に大結集し、反対同盟の農地と生活を実力で防衛しよう。9月現地実力攻防の勝利へ。
 団結街道封鎖攻撃への市東さんをはじめとした反対同盟の決起に追いつめられた日帝・国土交通省、成田空港会社は、この前進に対する巻き返しの策動として、第3誘導路工事を全面化させた。
 8月16日から、具体的には写真①、地図(1)の場所に、資材置き場、重機駐車場と思われるエリアのフェンス張りを強行した。
 つづいて8月18日から20日にかけて、機動隊大型バス1台、ワゴン車5台を警備に動員して、小見川県道北側の第3誘導路建設ルート全体を囲うフェンス工事を行った。(写真②、地図(2))
 そして8月23日までに、地図(3)地点までのフェンス張りを終えたと思われる。
 NAAが発表している行程表によれば、8月より、市東さん宅すぐ西側の「B照明変電所」(地図(4))の移設を開始、同時に、市東さん南西にある機動隊の前線指揮所の移設工事と県道取香地内2号線(市東さんのすぐ南側を走る=地図(5))のトンネル化工事とそのための切り回し道路(代替道路=地図(6))を行うとしている。
 いよいよ9月にも重機を使った第3誘導路=軒先工事が開始される。
    * 
 2002年4月開業の暫定滑走路工事においても小見川県道の天神峰トンネルをはじめ長期間の軒先工事が強行された。これに対して反対同盟は、機会を捉えた断固たる実力抗議行動を展開した。
 特に2001年3月15日、空港会社が、暫定滑走路工事の一環として、天神峰現闘本部近くの北原事務局長名義の一坪共有地を囲い込む暴挙に出てきたことに対し、反対同盟・支援は断固たる実力抗議行動に立った。萩原進事務局次長は、農作業用トラクターを持ち出し、抗議の意思を断固として示した。
 さらに同6月16日、暫定滑走路の進入表面をつき破っていた東峰神社の立ち木に対して、成田空港会社と機動隊が、まったく違法な強制伐採攻撃を強行した時には、反対同盟・支援は東峰部落の住民とともに実力抗議行動に決起し、三里塚闘争の闘魂を示した。
 この時も萩原事務局次長はトラクターで機動隊の阻止線を突破し、不当逮捕を恐れず闘いぬいたのだ。現地支援も全力で呼応した。
 今回の第3誘導路工事は、当時に比べてもはるかに悪らつな生活破壊工事だ。市東さんの目と鼻の先で、しかも市東さん宅をスッポリ空港の中に囲い込んでしまおうという、こんな暴挙が許されていいのか!
 8月22日に成田市内のキャンプ場で行った団結バーベキューにおいて反対同盟は「工事が私の生活に直接迫ってくるような場面では断固闘う」(市東さん)、「時と場面をとらえて、工事そのものをストップさせるような闘いを準備したい」(萩原事務局次長)と宣言し、夏から秋そして10・10全国総決起集会の大結集で攻撃を打ち返していく方針を明らかにした。
(図 フェンス設置など、8月16日から始まった第3誘導路工事関連の地図。文字通り市東孝雄さん宅を空港内に閉じこめ、目と鼻の先で追い出しを図る軒先工事だ)

 反戦の砦破壊許すな

 9月米韓合同軍事演習と中国・北朝鮮スターリン主義の軍事的対抗の動きなど、朝鮮侵略戦争の危機がかつてなく高まっている中で、日帝・菅政権の危機はますます深まっている。日帝の戦争と改憲への突進は、労働者階級人民の民主党政権からの離反と政治危機のいっそうの激化を作りだし、階級的激突情勢を促進させている。
 だからこそ菅政権は焦りにかられ、三里塚など反戦・反権力の抵抗拠点つぶしにのめりこんできている。
 反対同盟の北原鉱治事務局長がつとに指摘してきたように、朝鮮半島で一朝有事の場合には沖縄の米軍基地機能の全面発動とともに、成田をはじめとした国内空港、国内基地が全面的に動員される。特に成田は米本土から来演する50万米軍の戦略空輸基地となる。三里塚闘争破壊は侵略戦争策動と一体だ。日帝の朝鮮侵略戦争阻止・沖縄米軍基地撤去・今秋APEC粉砕、日帝・菅政権打倒を掲げ、国鉄全国運動を柱とする11・7全国労働者集会に大結集しよう。この闘いと一体で9月現地実力攻防に勝利し、10・10全国集会の成功をかちとろう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S806号1面2)(2010/09/01)

 反対同盟の営農と生活守りぬけ

 

(写真左 8月16日、取香2号線の切り回し道路のための資材・重機置き場造りに向けフェンス張りを強行した。=地図【1】)
(写真右 8月18日には機動隊大型バス1台、ワゴン車5台の重警備のもと、小見川県道北側で大規模なフェンス張りを強行した=地図【2】)

 

(写真左 小見川県道北側のフェンスの俯瞰写真。中央を左右に横切っているフェンスが8月18日から造られたもの)
(写真右 市東さん宅南側空港敷地内で行われている、切り回し道路ルート上の準備工事=地図【6】)

  市東さんの家を囲い込む第3誘導路工事が本格的に始まった。4枚の写真は8月16日から8月23日までの工事状況を示すもの。現在はまだフェンスの設置だが、9月からは重機を使った地上げ屋的工事が始まる。同盟とともに全力で反撃しよう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S806号1面3)(2010/09/01)

 9・10市東さん裁判へ

 行訴・「農地法」で更新陳述

 団結街道閉鎖、第3誘導路工事着工など三里塚現地での攻撃が強まる中、市東孝雄さんの農地をめぐる裁判も抜き指しならない段階を迎えている。
 9月10日、千葉地裁民事3部・多見谷寿郎(としお)裁判長の法廷でて、市東孝雄さんの①第11回行政訴訟、②第6回農地法裁判が行われる。どちらの弁論も求釈明の攻防の正念場を迎えている。全力で結集しよう。
 今回の弁論は5月25日に予定されていたものが、市東さんの5・17不当逮捕によって延期されたもの。今回は、裁判長の交代に伴う更新意見陳述だ。
     *
 これまでの2つの裁判において確認できることは、市東孝雄さんの訴えの正義性が千葉県・NAA・裁判官も含めて法廷を圧倒していることだ。市東さんは「私の身に起きたことは賃貸借の『解約』というものではなく、農地の取り上げです。その目的は空港建設のための”土地収用”です。農地と農民の権利を守るはずの農地法を使った、あからさまな農地強奪です。こんなことが許されて良いはずがない」(冒頭意見陳述)と、心底からの怒りで権力の意図を暴いた。
 「市東さんの農地取り上げを切っ先として反対同盟をたたきつぶす」「農地法を使って農地を取り上げる」ことに日帝の戦争と改憲、民営化・労組破壊、新自由主義攻撃の成否があるのだ。仁王立ちで立ち向かう市東さんを先頭に、弁護団・傍聴団一体となった法廷闘争が続いている。
 行政訴訟は、翌07年7月市東さんが提訴し、10月に第1回弁論が開かれた。訴えの趣旨で「本件処分は農地法の適用を誤ったものであるだけでなく、何よりも原告の財産権を侵害し、権利を守るための適正手続きの保障にも違反している」と憲法違反を真っ向から主張した。
 「農地法、民法による農地の収用」というNAAの憲法違反のくり返しに対して反撃を開始した。
 2つの裁判においては、市東さん側からの県・NAAへの追及が攻勢的に展開されている。特に、NAAの数々の違法行為が白日の下に暴露されている。
 ①NAAは市東さんの畑の底地の売買を、1988年に市東東市さんに隠して行ったこと。
 ②NAA社は88年に買収しながら空港用地に転用せず保有し続けたこと。 ③底地の売買時期を「2003年12月」と偽わって手続きを行い、県知事の「賃貸借契約解約許可」をだましとったこと。
 ④88年にNAAが底地を買収しておきながら市東さんに隠しつづけ、15年間も地代を旧地主に払わせつづけたことなど。
 これまでの勝利の地平をうち固め、市東裁判を全人民的な憲法裁判闘争へと拡大するために全力を傾けて取り組もう。  きたる9月10日の弁論闘争に全力で集まろう。
(写真 行政訴訟、農地法裁判の対象となっている市東さんの天神峰南台の畑)

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S806号1面4)(2010/09/01)

 ピンスポット

 反対同盟が団結バーベキュー!

 秋の決戦へ熱い宴 「全国の運動と連帯を」

 反対同盟と支援連は8月22日、成田市内のキャンプ場で団結バーベキューの催しを行い、秋の決戦~10・10全国集会にむけて英気を養った。(写真)
 夏の日射しが少し和らぐ午後4時前、次々と集まってバーベキューの準備。今回はサケのチャンチャン焼きなども含め、趣向が凝らされている。準備が整うと鈴木謙太郎さんの音頭で乾杯。さっそく飲んで食べ歓談した。市東さんは8月16日から本格的に始まった軒先工事を弾劾し「おれの生活を破壊するようなことをやったらその時は闘う」と意気軒高。
 おいしい料理の数々を堪能し、充電が完了したところ、反対同盟から萩原進事務局次長が秋の闘いに向けた方針提起を行った。
 「10月に全国集会があるけども、それに向かってどう闘いぬいていくか。空港会社も羽田空港第4滑走路の10月開業をにらみながら必死の形相でやってくる。軒先工事でこれは許せないという時には動員かけて闘いぬく」「現地における闘いと同時に、全国的にあらゆる戦線の中に三里塚派を作っていこう。沖縄やあらゆる戦線の闘いと連帯していこう」と労農学の奮起を促し、団結バーベキューをしめくくった。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S806号1面5)(2010/09/01)

 団結街道

 『NHKスペシャル マネー資本主義』(09年9月刊)を遅ればせながら面白く読んだなぜサブプライムローンやそれに基づくデタラメな証券化商品が開発され、それが爆発的に売れたのかの実態がよく分かる。そもそも住宅ローンの証券化という手法を開発したのは1980年代のソロモンブラザーズという準大手の投資銀行だった住宅ローンを集めて証券化し、RMBSという金融商品を作る時には1件につき5000くらいのローンを集めるという。1980年代、住宅ローン1件が焦げ付く割合は5%だった。それを5000個もあつめるのだから、焦げ付く可能性は0・05分の5000=0・00001。ゼロに近いこの金融商品は損の確率がゼロに近くかつ利回りがいいということで、爆発的に売れた。当時はアメリカ経済の衰退が本格化し、実体経済への投資では利益が出なかったという帝国主義構造問題も拍車をかけた。世界最大の年金基金=カリフォルニア州職員退職年金基金などは87年から92年までの積極投資で年40%という利回りを実現したしかしこのシステムには致命的な欠陥があった。住宅価格が下がり始めたらどうなるのかが不問に付されたのだ。米の住宅価格は30年以上も上がりつづけている。下がるデータは存在しない。データが存在しない問題は存在しないのと同じと「儲けた者勝ち」「我なき後に洪水よ来たれ」がどこまでいっても資本主義の本質なのだ。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S806号1面6)(2010/09/01)

 闘いの言葉

 自由な教育を求める私たちの闘いは反人間的な資本主義に対する闘いでもある。帝国主義反対・スターリン主義反対で力合わせよう。
 8月5日 ドイツの大学生=ローラ・アイゼンベルグさん

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S806号2面1)(2010/09/01)

 現闘本部控訴審 11・5へ東京高裁包囲を

 全論点で一審判決圧倒

 早期結審策動粉砕しよう

 控訴理由書で武装しよう ①

 三里塚現地の第3誘導路工事とならんで、天神峰現闘本部の控訴審裁判が重大な局面を迎えている。11月5日の次回弁論までの期間を、千葉地裁仲戸川隆人裁判長への徹底弾劾・追及を上回る大衆的包囲の闘いとして実現しなければならない。そのための武器として、反対同盟弁護団が作り上げた控訴理由書の正義性と正当性を確認しよう。以下4回に分けて紹介する。
 空港会社の現地闘争本部の撤去攻撃は、市東さんの農地強奪と一体となった民事裁判による強制収用策動である。空港会社は、それを隠蔽するため天神峰現地闘争本部の撤去の請求理由を民法上の所有権と「への字」誘導路の解消に切り縮めようとしている。
 これに対するわれわれの反撃は、民法上の狭い土俵でなく空港建設総体から問題点を明確にし、権力の攻撃の階級的本質を暴くことでなければならない。空港会社が悲鳴を上げている「への字」誘導路それ自体が反人民的な空港建設の結果であり、象徴だ。
 したがって、空港会社の本部撤去請求理由に対する反論は、空港建設と三里塚闘争をめぐる全領域における反対同盟のこれまでの主張の展開を裏付けたものである。裁かれるべきは空港会社・日帝権力であり、農民の農地を奪っての成田空港の建設がそもそも違法の累積であること、そして国家権力の発動による農民追い出しと闘争破壊のための治安政策や、成田治安立法などの改憲攻撃であることだ。
 そのうえで民法上の争点でも空港会社の悪らつな策動を暴露し、粉砕しなければならない。土地の買収自体が道義的にも許されざるものであり、提訴そのものが権利濫用であり、現闘本部の地上権は地代の授受やそれを証明する領収書の存在などによって万人が認めざるを得ないことである。
 仲戸川は、空港会社が作成させたと思われる石橋恵美子の陳述のみを採用し、地代の受領を石橋武司氏(政次氏の長男)が「内心では拒否していた」とデッチあげた。しかし、北原・萩原証言や受領書の存在など客観的事実をねじ曲げた解釈である。このような意図がみえすいた仲戸川の原審判決は、根拠薄弱の作文である。さらに、賃借権の時効取得(ここでは10年の経過によって権利を得ること)などの認定でも、客観的な事実をもって判断するのでなく露骨に空港会社側の立場に立って成立を否定した。その他、あらゆる点ででたらめな法解釈がなされている。これらのすべてを一つ残らず粉砕しよう。
(写真 現闘本部は成田治安法で封鎖されており、撤去判決を得ても執行ができず訴えの利益はない)

 封鎖解除せず執行不能 NAAに「訴えの利益なし」

 控訴理由書は第1に、NAAには訴えの利益がないと断じている。「訴えの利益」とは、 裁判で紛争を解決すべき利益・必要性のことで、これを欠く訴えは不適法として却下する民事・行政訴訟の要件である。給付を求める訴訟は、原告にとって被告が任意に履行しない利益の給付を求めるものである。
 ところで天神峰現闘本部建物は、1988年9月19日、国土交通大臣(当時運輸大臣)により成田治安法3条1号に基づき使用禁止命令が出され、その後、1990年1月15日に千葉県警が捜索を理由に立会人以外を排除したうえ翌朝、国土交通大臣によって成田治安法3条6項の封鎖措置が行われたものである。この成田治安法執行への怒りを忘れることはできない。
 そして、成田治安法に基づく使用禁止命令は毎年発出されて、今でも本部建物は成田治安法に基づく封鎖措置の下に置かれている。鉄板・鉄条網で包囲され、建物の収去を実現することなど反対同盟にとって不可能な状態になっている。その一切を強制しているのは、権力であり、空港会社だ。その空港会社が訴訟を提起し、反対同盟に対して建物を収去し土地を明け渡せ、いやなら仮執行だといっているのだから本末転倒である。
 したがってこの訴訟は、給付の訴えの利益を欠き、不適法である。判例でも「強制執行が社会通念上不可能な給付請求権についての給付の訴えは提起できない」とされている。このように現闘本部建物に対する国土交通大臣による封鎖の行政処分が継続しており、反対同盟は空港会社の明け渡し給付を実現することはできない。
 控訴理由書では、「本件建築物は、封鎖措置により周囲を鉄板塀等で包囲された状態にあり、封鎖措置が適式に解除されない限り執行が不可能であり、訴えの利益を欠く」と追及し、「反対同盟にとっては、給付そのものが不能であることが審理の対象とされなければならない。さらに、給付が不能である以上、給付請求権は存在しないと解すべきである。すなわち、本件においては、訴えの利益はない。そもそも義務の履行を不可能とさせているのは、被控訴人(空港会社)であり、鉄板塀で囲む等の工事を施工したのも被控訴人の職員である。自ら不可能とさせておきながら、本件訴訟を提起していることに、控訴人は問題提起をするものである」と強く弾劾する。(つづく)
(写真 控訴審第1回弁論には多数の労農学が結集して傍聴闘争、ビラまきを闘った【7月23日】)

 --------------------------

 控訴理由書の概要

〈1〉 訴えの利益および将来の給付を求める訴えについて 本件建築物は、成田治安法で封鎖されているため、封鎖措置解除されない限り執行が不可能であり、訴えの利益はない
〈2〉 被控訴人の本件請求は、権利濫用、信義則違反である。本件訴訟は、控訴人による成田空港建設反対運動の圧殺を目論んだもの。
〈3〉 本件木造建物にかかる無償地上権の成立について 
(a)石橋政次が地上権を設定したことを裏付ける事実(b)所有権保存登記の経由と対抗力ある登記について 
〈4〉 有償地上権、賃貸借の締結に関する事実認定の誤り 本件有償地上権等の成立の存在を裏づけるものとして、7か月間の交渉経緯、念書及び領収書、1990年の石橋政次名義の「陳述書」の存在と内容、被告反対同盟が毎年5万円の地代を定期的に支払ってきた事実
〈5〉 原判決における反対同盟および支援者に対する不公正にして敵対的な事実認定の誤り 
〈6〉 新旧建物の同一性について
①地上権の成否と木造建物の構造、②明渡対象の特定と新旧建物の同一性、③地上権(賃借権)の対抗力と新旧建物の同一性 
〈7〉 地上権・賃借権の時効取得について 
〈8〉 背信的悪意について 
〈9〉 原審裁判所による訴訟指揮権の濫用、その違憲違法性

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S806号2面2)(2010/09/01)

 闘えば必ず勝つ ②

 闘魂貫いた鈴木幸司さんの生涯

 赤紙での動員と同じ

 芝山反対同盟の結成に参加

 寝耳に水の空港“着陸”

 芝山反対同盟は66年6月30日に芝山中学で集会を開いて結成され、鈴木さんは第1回目から参加した。中郷部落は全戸26戸のうち1軒を残して反対闘争に決起した。芝山反対同盟の特徴は、空港南側の騒音下に旧千代田村がすっぽり入り、この村のほとんどが反対闘争に組織されたことだ。鈴木さんは、次のようにふり返った。
 「個人個人の反対というよりも、芝山町の農協組合員大会というようなことで反対同盟の組織を作った。創立の決起集会は、芝山の住民だけで1000人以上はいた」。
 鈴木さんを闘争に駆り立てた最大のものは、国策の強制に対する強い怒りである。「侵略戦争時代と空港位置決定の問題というのは、非常によく似ている。われわれが軍隊に取られるときには、一枚の葉書で否応なしに駆り出された。空港の位置決定のどこに民主主義があるのか。何の話もなく内定し、しかもその後十数日で決定をしている。これはとんでもない。戦争動員と同じだった」と、鈴木さんは語った。
 当時の鈴木さんは、「富里は空港を追い出した。自分達もできるはず」と思う一方で、「富里のマネをすればいいというものではない、富里と同じでは飛行場はできちゃう」とも感じていた。

(4) 闘争初期、全学連との共闘

 初めの頃の反対闘争は、視察・陳情などを主に反対運動の組織化に全力を挙げた。鈴木さんが直接参加したもので印象に一番残っているのが、茨城・百里基地の視察だ。
 「早速部落で集会を持って、一番近いところで茨城県の百里基地へ行った。実際に見るため同じ環境の場所へ行ってきたわけです」「養豚とかでは、ちょうどお産時期に飛行機が飛び上がると、親豚が驚いて子をかみ殺したとか、酪農は乳量が減退したとか、とにかく住んでるだけでも大変なことだというようなことを農家から聞かせていただいた」。
 芝山町議会は66年7月20日、町民が見守る中で反対決議を行った。鈴木さんはこれを実際に傍聴した。ところが、12月27日一夜にして空港絶対反対決議を白紙撤回した。この裏には「金田屋会談」という成田近くの金田屋旅館での町議16人の買収があった。一般議員には20~30万、町長はもっと多額の金による決議の撤回工作がなされたのだ。
 鈴木さんら反対同盟は白紙撤回に賛成をした議員のリコール運動を起こし、3日間の短期日で16議員のリコール請求に必要な約3400名の署名を集めた。これは、当時の有権者の半数以上であった。21日に芝山町の選管にリコール署名(延べ5万人)を提出したが、当時の町長は逃亡し任期終了まで姿を隠した。選挙管理委員長は任期終了を理由に辞任し、翌年の町議選までリコール請求を放置してストップしてしまった。
 このように町民の民意を反映したリコール請求が握りつぶされた。ブルジョア民主主義の正体を芝山町民は目のあたりにしたのである。
 機動隊との衝突は67年10月外郭測量のくい打ち阻止闘争からである。鈴木さんが現場に出て行ったら3000の機動隊が阻止線を張っていた。この姿を見て、「とんでもない奴ら」と怒りを強めた。この時、いとさんの弟は胸を蹴られて数日入院した。「機動隊の暴力というものを初めてわれわれが知った。これが権力の姿なのかと」。この姿を忘れることができない、と鈴木さんは怒りを表明した。
 他方、国家権力との対決は反対運動の跳躍点であった。鈴木さんは次のように語った。「今振り返ってみた時にはかえって良かったという点もある。権力の姿があらわになり、誰が飛行場を作っているのか、われわれの想像もつかないことがあきらかになった」と。そして鈴木さんは、機動隊の暴力に全学連が武装して闘うのは当然と思った。
 この思いが現実となり、確信に代わるのが68年3月市役所下(市営グランド)の闘争だった。3・10集会終了間際、突然、突撃ラッパを鳴らしながら機動隊は乱入し、誰かれ構わず警棒・盾で殴りかかった。
 中郷の部落の皆はグランドに隣接した車庫の中に入るが、機動隊の激しい暴行を受けた。中郷部落では一人が頭部を殴打され長い後遺症を伴う重傷を負わされる。鈴木さんも頭部を守るのに精一杯で、下半身に激しい攻撃を受けた。「機動隊は、暴力団だ」鈴木さんは国家暴力をつきつけられて、これに打ちかつ闘争意志を強くした。これから中郷反対同盟はヘルメットをかぶることになった。この時、購入したヘルメットは愛用、保管されつづけ、今では鈴木幸司さんの遺品として家の居間の本棚に飾られている。(つづく)
(写真【上】 部落の人たちと【1970年ごろ=左から2人目】)
(写真【下】 三里塚芝山連合空港反対同盟の結成大会【1966年】)

 -------------------

 メモ

 68年当時の芝山町議会の議員定数は20人。うち反対同盟推薦の議員は9人であった。反対派議員団の団長は三浦五郎さん(09年逝去)。芝山町は、結成大会に町長があいさつするなど町ぐるみ・村ぐるみの闘いが実現された。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S806号2面3)(2010/09/01)

 投稿 8・6広島で勇気もらった

 三里塚現闘・K

 8月6日、初めて8・6ヒロシマ行動に参加した。広島県立総合体育館小アリーナで行われた「被爆65周年8・6ヒロシマ大行動」の集会とデモしか参加できなかったが、「8・6ヒロシマ」の持っている力の強さを改めて実感するとともに大きな感動と勇気を得ることができた。
 発言の中では、反戦被爆者の会の下田礼子さんのあいさつ、大江厚子さんの基調報告がすばらしかった。下田さんは「『核廃絶』と言ったオバマがアフガニスタンで戦争を続けている。核保有国は自らの核をなくすところから始めるべき。核なき平和を求めて進もう」と強調した。
 「8・6に米英仏代表やパン国連事務総長、IAEA(国際原子力機関)の天野事務局長らが初参加した。『核のない世界』の美名で新たな核戦争を始めることをヒロシマに承認させるためだ。こんな被爆者の蹂躙(じゅうりん)は許せない。辺野古新基地建設を宣言し、非核三原則放棄まで狙う菅民主党政権を、被爆者と労働者の怒りで倒そう。反戦・反核を担う労働組合運動をつくろう」と提起した大江さん。
 個人的には被爆2世・中島健さんの発言が印象深かった。中島さんは「菅はインドと原子力協定を結んで原発輸出に乗り出そうとしている。目指しているのは日本の核武装だ。核戦争をやる政府を打倒することこそ核廃絶の道。菅政権を支持する連合・原水禁と一体となって総屈服する被団協指導部の裏切りを突き破り、被爆者・労働者の怒りを爆発させよう」と鋭い視点で呼びかけた。ドイツから来日した3人を代表してイングリット・ブラウンさんが「闘いの勝利の象徴として、日本には成田空港反対闘争がある」と言及してくれたのには驚いた。今回はかなわなかったが、近い将来反対同盟とドイツの仲間との交流を実現したいと思った。
 会場で反戦被爆者の会会長・大槻泰生さんの姿を見つけた時は感動した。車椅子での参加だったが、大槻さんと三里塚の縁は深い。あいさつはできなかったがここでも勇気をいただいた。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S806号2面4)(2010/09/01)

 異様なフェンスに怒り

 全学連行動隊 京都大学 M

 三里塚闘争の現地行動隊として数日間の援農、監視活動と現地調査を行いました。以前の現地集会、デモ行進に何度か参加したことがありますが、それぞれの会場、経路の位置がなかなか把握できないほど様変わりしていました。
 やはり異様なのは地域一帯を覆う鉄板フェンスの存在です。「パレスチナのようだ」と表現した人もいるそうですが、私も全く同じ印象を受けました。
 設置しているのは成田空港会社(NAA)です。反対同盟の抗議行動を恐れて、一つの工事をするのに10名の警備員を配置し、機動隊の大型バス数台が周辺を警戒し、公安警察に至っては工事現場の中に隠れてこそこそと盗撮してくるといった有様です。こんな工事に何の正当性もないことは、「教育」を行うために違法ガードマンや警察を導入する法政大学が証明済みです。
 私が監視活動を担当した数日の間にも、市東さん宅周辺の2カ所でフェンス設置の工事が行われました。これらのフェンスは空港警備や誘導路建設とは全く関係ないと思われる場所に設置されています。反対同盟の農家、農道、農地を鉄板で囲い込んで反対派を追い出してやろうという営農妨害・闘争破壊以外の何物でもありません。
 しかし、フェンスを設置したくらいで三里塚の闘いがつぶせると思ったら大間違いです。同盟と支援者の頑張りで今日も順調に農作業が営まれています。私も不慣れながらナスとモロヘイヤの収穫などを手伝わせてもらいました。
 最終日の現地調査では、三里塚闘争の生々しい歴史を感じることができました。空港を裂くように伸びる団結街道や飛行直下の東峰神社を守り抜いてきた力が、今も成田空港の完成・軍事空港化を阻止していることを実感しました。
 この力が今一つになって爆発するまであと一歩です。各職場、学園で国鉄闘争を発展させ、第三誘導路建設阻止・成田空港廃港まで闘おう。全ての学生は現地行動隊に決起しよう。
(写真 8月16日、行動隊の眼前で強行されたフェンス工事)

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S806号2面5)(2010/09/01)

 三芝百景 三里塚現地日誌 2010

 8月11日(水)~8月25日(水)

●羽田空港が国際線化(10月)されることに伴って、アジア主要国から乗り入れが相次ぐことが分かった。タイ、台湾、マレーシアなどからの12社。アメリカ系を含めると17社が新たに乗り入れる。中でもマレーシア航空は、成田―コタキナバル線を廃止して羽田空港に振り替える。(14日=写真)
●8・15労働者・市民のつどいをともに闘う 東京牛込の箪笥区民ホールで開かれた第16回8・15労働者・市民のつどいに反対同盟の宮本麻子さん、三里塚現闘が参加して、ともに朝鮮侵略戦争の挑発策動を弾劾した。(15日)
●日本航空の経営破綻をめぐり法令違反などがなかったかを点検する「コンプライアンス調査委員会」が、「歴代経営者の危機意識欠如や経営判断の誤りが破綻の原因だった」と指摘する報告書を準備していることが分かった。(16日)
●成田駅頭ビラまきに決起
 三里塚闘争支援連絡会議は恒例の成田駅頭ビラまきを京成駅前で行った。「どこまでも悪質 場当たり的な拡張工事」との見出しで市民に訴えた。(18日)
●「韓国仁川空港とのハブ争奪戦に、羽田・成田はかなわない」との特集報道がされた。(19日=読売新聞)
●婦民全国協総会に宮本さん 婦人民主クラブ全国協議会の総会に反対同盟婦人行動隊から宮本麻子さんが参加した。(21日)
●団結バーベキュー開催 
成田市のキャンプ場で反対同盟は団結バーベキューを開催して秋の闘いにむけた英気を養った。(22日=1面に記事)
●前原誠司国土交通相は中国の李盛霖・交通運輸相と会談した。その中で中国側は羽田―北京、上海線の増便について前向きに検討している意向を表明した。(24日)
●7月17日に開通した成田新高速鉄道・スカイアクセスについて「便利なのは日暮里付近の人だけ。まだまだ遠い」との声が上がっていることが分かった。(25日)

------------------------TOPへ---------------------------