SANRIZUKA 2010/08/01(No804 p02)
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週刊『三里塚』(S804号1面1)(2010/08/01)
“全国の労農学一丸となり火の玉となって勝利した”
三里塚攻防の前半振り返って
萩原進事務局次長に聞く
2010年前半の三里塚攻防は、節目の年にふさわしい勝利の地平を切り開いた。1月10日の団結旗開きに始まって、2・25天神峰現闘本部裁判判決における勝利、3・28全国集会での決戦態勢作り、4・25沖縄県民大会での沖縄人民との連帯、そして5・17団結街道閉鎖攻撃との激突の開始……。この闘いの切り開いたものを反対同盟事務局次長・萩原進さんに伺った。
権力の思惑を粉砕した2・25「仮執行」の粉砕
●圧倒
――反対同盟は、1月10日の新年団結旗開きから満々たる決意と自信をもって、2010年の決戦に入ったと思いますが。
萩原 それは、昨年の闘いの成果を引きついでいる。ご承知のとおり、現在の三里塚闘争は裁判闘争の比重が高くなっている。土地収用法が使えなくなったからだ。
その結果、提訴―裁判闘争が増えた。反対同盟もこれを全面的に受けて立って、全力で闘ってきた。裁判闘争が三里塚現地攻防の一つになっている。
その一方で、攻防の最終決着は三里塚現地での実力闘争だ、というのが44年間一貫したわれわれの闘い方だ。権力側を現地に引っ張り込んで、彼らの理不尽さを全社会に暴露する闘いだ。
昨秋、現闘本部裁判の判決日が2月25日と定められた。この瞬間から現闘本部攻防は千葉地裁の法廷の場から三里塚現地・天神峰の現闘本部の現場へと移行する、とわれわれは覚悟した。
仲戸川隆人裁判長の判決など最初から信用していなかった。だから、1月10日の旗開きは現地実力闘争への突入の合図として反対同盟はすえた。2月25日当日を1000人デモの大闘争として構えたことが大きかったが、同盟としては全員が逮捕覚悟で臨んだんだ。
――他方、団結街道の廃道化攻撃が重なってかけられてきました。
萩原 2月3日だった。市東さんの所に成田市役所と成田空港会社が一緒になってやってきた。あれは予想していなかったわけではないけど、攻撃のテンポは急だった。しかし逆にわれわれの闘いの火に油を注ぐ結果になった。
つまり、成田市と成田市議会がこの攻防の過程に引きずり込まれてきたということだ。彼らはわれわれの反撃がこれほどとは予想していなかっただろう。2月10日の成田市役所追及行動の光景が忘れられない。
出てきたのは国土交通省からの出向だった片山敏弘副市長と部長クラス十数人。団結街道廃道の理由としてあげている第3誘導路をなぜ造るのか、と追及した。「7月に東側誘導路の供用を開始してまだ10カ月も経たないんだぞ」とね。そしたら「安全性と効率性を高めたい」と答えた。
「じゃあ東側誘導路は安全でないのに開業したんだな!」と畳みかけたら
絶句しちゃった。
まさか「安全でない誘導路を開業した」とは言えない。だけど、じゃあなぜ第3誘導路なのか、という質問に今度はつまっちゃう。こうして成田市も動揺したし、市役所ビラなどで市の職員と通じ合うことができた。
(写真 手錠をかけられた市東孝雄さんを防衛する萩原進さん【5月17日 成田市天神峰】)
廃道問題で市と市議会を引きずり出して追及
●真骨頂
――市議会の追及も痛快でした。
萩原 2月に足立満智子議員が市当局の追及に立つというので、議会傍聴に行った。傍聴席からはヤジのやり放題。ここでも片山副市長が赤恥をさらした。
この後、市議会は29対1で団結街道の廃道決議を強行した。普通の感覚だったら話はここで終わりだが、三里塚はそこが違う。最後の決着は現地での実力闘争だ、という原則を貫いた。敵の理不尽さを激突の中で暴いてやる、というね。
しかしそれもこれも、2・25判決で「仮執行宣言」を粉砕し彼らのスケジュールを打ち砕いたことが大きかったんだ。
――この過程は一方でJR労働者に対する検修業務外注化の攻撃や沖縄の人びとに対する新基地建設の攻撃と同時でした。
萩原 反対同盟は、戦争と新自由主義に向かう鳩山内閣との対決を絶えず意識していた。動労千葉をはじめ全人民との連帯の中にこそ、三里塚の勝利があることは言わずもがなだからだ。
そういう点で3・28集会の成功は大きかった。基調報告で「反対同盟はまなじりを決し火の玉となって闘う」と訴えたが、今こそ全人民が決起すべき時だ、今こそチャンスだ、決起を促したいということだった。鳩山政権はヨロヨロだ。ここで闘わずしていつ闘うのか、ということだ。
4月25日、沖縄の県民大会に反対同盟としては初めて組織決定で参加したが、大成功だったと思っている。特に市東さんにとって、10万人単位の決起というのは実現できる、労働者を先頭にしつつあらゆる階層の人民が一つになれる、そういう体験が大きかったんじゃないかな。
(写真 「仮執行宣言」を粉砕した2・25現闘本部判決闘争【千葉市】)
44年の三里塚魂込めた偉大な市東さんの決起
●反乱を
――そして、いよいよ団結街道廃道攻撃との激突へと向かいました。
萩原 5月17日当日、看板を建てに来て市東さんがそれに反撃をした、という一報が入ったが、一体何が起きたのか分からなかった。「看板」と言ったって、まだ団結街道の底地は売却されてはいない。なのに「閉鎖の看板」というのも考えられない。とにかく現場に急行して見たらすでに市東さんに輪っぱ(手錠)がかけられている。何だこりゃ、ということで市東さん防衛の闘いに入った。「市東さんを逮捕するんだったら俺も一緒に逮捕しろ」とね。
後で、看板の意味も分かったんだけど、あれは空港会社の勇み足でも何でもない。1月以来の闘い、特に2・25判決での仮執行を粉砕した、あこの勝利がやはり大きかった。あれで権力側のスケジュールが足下から崩された。その焦りの結果が中途半端な看板設置だ。
そこを捉えて市東さんがものの見事に反撃した。まさにできすぎと言っても良いような最高の構図にはまった。やはり三里塚44年の実力闘争の伝統はこういう形で表れるんだ、と感じた。
さらにその後は、労働者・農民・学生・市民が一体となった感動的な決起を実現してくれた。特に現地支援のがんばりを評価したい。そして市東さんの農地取り上げに反対する会の人たちの献身的な闘いだ。単なる支援の人ではない。本当の同志だと感動した。
――三里塚現地での実力闘争も久しぶりです。
萩原 確かにそうだな。空港会社も裁判所も成田市も成田市議会もこの三里塚魂の爆発に驚いてるんじゃないかな。そういう意味で、この前半戦は想定以上の勝利をもって押し渡ることができたと実感している。
(写真 「火の玉となって闘おう」と全人民の奮起を促した3・28全国集会【成田市天神峰】)
夏から秋の闘い
――最後に夏から秋の闘いについては…。
萩原 今度の参議院選でも明らかだが、時代の非常な転換点に来ている。その中で従来の資本主義、帝国主義的なやり方、発想、論理がもはや通用しない所にまで危機は深まっている。
先日成田新高速鉄道なるものが開業したが、あんなもので成田の遅れを挽回できる、なんて考える方がおかしい。金儲け主義、経済優先、自分の利益中心、こういう腐敗しきった論理を乗り越える民衆の側の叫びが全国津々浦々で起きている。民衆の反乱を糾合しようということだ。三里塚はその先頭で旗を振る。
具体的には7月23日に始まる天神峰現闘本部裁判の控訴審が重大だ。これは市東さんの畑の死守の闘いに直結していく。秋の全国集会を大爆発させていきたい。
――ありがとうございました。
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2010年前半の攻防
1・10 新年団結旗開き
1・27 市東さん宅看板書き換え
1・28 鈴木さん一坪裁判弁論
2・1 市東さん耕作権裁判、
成田市、NAA、団結街道閉鎖通告
2・10 成田市当局への追及行動
2・16 市東さん農地法裁判、ビラまき
2・25 現闘本部裁判判決闘争
2・26 成田市議会包囲闘争
3・16 市議会最終日、集会・デモ
3・28 全国総決起集会
4・2 NAA第3誘導路計画を申請
4・15 鈴木さん一坪裁判弁論
4・25 沖縄県民大会に参加
4・26 市東さん耕作権裁判
5・15 市東さん宅に新ヤグラ建設
5・16 三里塚緊急現地闘争
5・17 閉鎖看板に市東さん決起
5・20 団結団結街道閉鎖を粉砕
5・24 第3誘導路公聴会粉砕闘争
6・6 飛行回数30万回化説明会(菱田)
6・8 不当逮捕の市東さんらを奪還
6・12 本部役員の鈴木幸司さん逝去
6・27 全国結集大闘争が高揚
6・28 NAA団結街道閉鎖を強行
6・30 国交省、第3誘導路を認可
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週刊『三里塚』(S804号1面2)(2010/08/01)
第3誘導路着工を阻止せよ
現闘本部攻防も迫る
決戦態勢強化を訴える
緊迫する三里塚現地
三里塚現地攻防は、6月28日の団結街道閉鎖と30日の第3誘導路認可をもって新たな段階に入った。当面の焦点は第3誘導路着工攻撃との対決だ。
計画認可から半月、着工への動きは見られなかったが、7月20日を前後して、重機の搬入やダンプの出入りが確認され、着工への緊迫感が増している。
最初に工事が着手されるのが旧小見川県道(市東さん宅すぐ南側=県道取香2号線)の切り回し道路と市東さん宅すぐ西側に接して位置する空港用変電所の解体工事だ。切り回し道路とは取香2号線をトンネル化するために閉鎖しなければならないため、工事期間中の迂回路として供用する代替道路だ。
成田空港会社は着工の時期を公表していない。反対同盟の反撃を恐れて隠ぺいしているのだ。まさに彼我の力関係が表れている。
三里塚現地攻防のもう一つの焦点は年間飛行回数の30万回化にむけた動きだ。7月13日、小泉一成成田市長、相川勝重芝山町長らは成田空港会社、国交省、千葉県を回り「30万回化の承認と引き換えの見返り利権の提供」を要求した。相川町長は「要望が認められれば30万回化を承認する」と露骨に語った。
現在の騒音地獄をさらに深刻化させ、深夜・早朝便規制の緩和(朝は5時から夜は12時まで、飛行をそれぞれ1時間延長)から24時間空港化に道を開くものだ。騒音下住民と連帯して断固阻止しなくてはならない。
また、7月17日からは成田新高速鉄道の開業キャンペーンで反対同盟への圧力を画策している。しかし、「成田は近くなる」とする宣伝内容には苦しい誇張があることが判明した。「成田から都心が36分」のうたい文句の実態は第2ビルから日暮里までで、上野から第1ビルまでは44分かかる。上野と日暮里を都心と呼べるかも疑問だ。しかも「短縮の恩恵」を受けるのはせいぜい荒川区、台東区、豊島区などの住民くらい。
そこから先になると「重い荷物をもって混雑の中を乗り換え、待ち時間もある。あまり魅力は感じない」(千葉日報)というのが実際の乗客の声だ。44年前の位置決定と空港設計のデタラメにほおかぶりをして、いかに悪あがきをしようとも成田空港の根本問題は解消しない!
そして、もう一つの焦点が7月23日から始まる天神峰現闘本部裁判の控訴審闘争だ。東京高裁は年内反動判決・仮執行宣言を狙っているとみなければならない。7・23傍聴闘争が決定的だ。
2010年三里塚攻防は前半戦の勝利の上に、第3誘導路着工阻止・天神峰現闘本部死守を焦点とする第2ステージに入った。全力で反対同盟と共に闘おう。
(写真 6月28日、団結街道北端を封鎖するNAAとガードマン【成田市】)
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週刊『三里塚』(S804号1面3)(2010/08/01)
反対同盟を支えよう
援農闘争、現地支援行動へ
ここで特に訴えたいのは三里塚現地において反対同盟を支える闘いの重要性だ。反対同盟は市東さんの裁判、現闘本部控訴審、団結街道閉鎖をめぐって起こした仮処分闘争とその後の本裁判、さらに鈴木一坪裁判など、おびただしい裁判闘争を闘う一方、団結街道閉鎖攻防で開始された現地実力闘争に決起する体制をゆるめていない。
この中で援農闘争が決定的だ。この夏の時期、雑草との闘いがもう一方の決戦だ。全力での援農闘争への決起、さらに監視行動への支援を訴えたい。
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週刊『三里塚』(S804号1面4)(2010/08/01)
ピンスポット
7・23控訴審にむけ霞が関で街宣
初弁論へ高裁直撃
現闘本部裁判の勝利へ
7月20日、東京高等裁判所のある霞が関一帯で、天神峰現闘本部裁判の7・23控訴審第1回弁論に向けたビラまき行動が行われた。反対同盟のビラが東京都心でまかれるのは実に十数年ぶり。市東孝雄さんの5・17団結街道閉鎖阻止の実力決起を頂点にした反対同盟の勝利感が、都心にうって出て、東京高裁における反動判決と仮執行宣言の粉砕をめざすするという今回のビラまきとなって表れた。
ビラは写真にあるとおり、三里塚現地攻防の緊迫を訴え、「三里塚闘争は45年の闘いに入りました」「今も空港の完成を実力で阻止しています」と政府・国土交通省、成田空港会社を圧倒して前進している状況を伝え「三里塚ふたたび決戦」と7・23弁論への傍聴闘争を訴えている。
裏面では一審仲戸川判決のデタラメさを徹底暴露。「へ」の字誘導路問題に象徴される欠陥・ナリタの実態を暴いている。ビラまきは、この後も7月23日まで霞が関一帯で連日展開されることになる。
(写真 7月20日東京霞が関でまかれた反対同盟のビラ)
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週刊『三里塚』(S804号1面5)(2010/08/01)
団結街道
7月17日、成田新高速鉄道なるものが開通した。現在、京成線の高砂から千葉ニュータウンを通って印旛日本医大前駅まで通っている北総公団線を、さらに成田空港第2ビル〜成田空港第1ビルまで19`延長した。この距離51・4`。NAAは、「ついに成田空港と都心の間が36分で結ばれた」と大宣伝に必死だが、底が割れている▼同日に合わせて発行された「くうこうだより2010夏号」は世界各地の空港と都心間の所要時間の比較を載せ、「世界の主要空港と同等になる」と宣伝に努める▼しかし、成田空港と都心間の所要時間として例示されるのは、京成日暮里駅と空港第2ビル駅の間のものだ。日暮里を都心というのは苦しい▼国土交通省や成田空港会社自身もこの点は自覚していて、「東京駅に直結しないと利便性という点では厳しい」との論議が公然と行われている。京成の終点である上野から空港第2ビルの先の第1ビルまで行くと計44分もかかる上、その上野から東京駅までは乗り換え、待ち時間などを含めて15分もかかる▼インタビューに応じた八王子市の教員は「日暮里まで荷物を持ち、混雑する都心の駅で2回乗り換えなければならず、待ち時間もある。15分短縮といってもあまり魅力は感じない」と語っていた(7月18日付千葉日報)。依然として成田は遠いまま▼44年前の位置決定と空港設計を見直さず、見え透いた弥縫策で何とかなるほど成田の危機は甘くない。
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週刊『三里塚』(S804号1面6)(2010/08/01)
8・1革共同集会へ
国鉄全国運動の推進を
8月1日、東京で革共同政治集会が開催される。6・13大集会で革共同は大恐慌情勢下に階級的労働運動を創造する歴史的挑戦を始めた。8・1革共同政治集会は、この国鉄全国運動を推し進め、「戦争と首切りと大増税内閣」に向かう菅内閣打倒へ進撃する集会だ。
そして歴史的な決戦局面を迎えた三里塚を始め、沖縄名護新基地建設阻止など戦争攻撃を打ち返す集会だ。何よりもすべての闘いのより所となる強固な革命党を作り出す歴史的なバネとなる集会だ。全力で結集を。
国鉄全国運動と安保・沖縄闘争の爆発・高揚で大恐慌と大失業・戦争をプロレタリア革命へ
8・1革共同集会
月1日(日)午前11時30分開場
北区赤羽会館(北区赤羽南1-13-1)
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週刊『三里塚』(S804号1面7)(2010/08/01)
闘いの言葉
3・28集会で「反対同盟はまなじりを決し火の玉となって闘う」と訴えた。今こそ全人民が決起するチャンスだと、決起を促したかった。
反対同盟 萩原進さん 7月18日
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週刊『三里塚』(S804号1面8)(2010/08/01)
日程 三里塚闘争裁判、法大闘争裁判
【三里塚闘争裁判】
★9月10日(金)午前10時30分 市東さん行政訴訟
同11時10分 市東さん農地法裁判
・千葉地裁601号法廷
★9月16日(木)10時30分 鈴木さん一坪共有地裁判
・千葉地裁601号法廷
【法大闘争裁判】
★9月16日(金)午後1時30分 暴処法裁判
・東京地裁
★9月22日(水)午後1時30分 5・28暴行デッチ上げ控訴審第2回
・東京高裁
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週刊『三里塚』(S804号2面1)(2010/08/01)
地上権否定した仲戸川一審判決を粉砕しよう
東京高裁の早期結審策動と対決を
現闘本部裁判・控訴審勝利へ
7月23日に天神峰現闘本部裁判の控訴審が始まった。控訴審では証拠調べや証人尋問は前提化されておらず、これをかちとること自体が大闘争となる。その上で、控訴審の最大の課題は、反対同盟の地上権を否定した一審仲戸川判決を粉みじんに粉砕することである。ここでは、仲戸川判決の主要な論点を壊滅的に批判する。
*
天神峰現闘本部をめぐって、反対同盟と石橋政次は1966年12月に現闘本部底地部分について地上権を設定した。単なる使用貸借ではない。反対同盟にとっても石橋にとっても現闘本部建設の目的は、言うまでもなく空港建設の阻止である。この一点から「地上権設定」という強固な契約締結の理由が分かる。
そもそも空港建設攻撃は三里塚農民の財産と生活、人生のすべてを奪うものだ。これと対決するためにはすべての力を投入するしかなかったのだ。土地・資金・労力の提供は、三里塚においては恒常的に行われ、その後の一坪共有化運動・立ち木共有化運動につながった。
それを仲戸川は「たかだか使用貸借関係を締結する意思によるものが通常である」と“ゲスの勘ぐり゜で三里塚闘争を切り縮め、反対同盟と石橋の地上権の契約を否定するのだ。
ただただ反対同盟憎し 証拠・証言をすべて否定
現闘本部建設の経過が全てを明らかにしている。石橋政次は、66年12月初め、千代田農協の2階で開かれた反対同盟の実行役員会において、「自分が提供する土地は、どのように使ってもらってもいいから、この土地を使って空港を追い出す闘いをしてくれ」と言って、地上権設定の申し入れをした。反対同盟は、実行役員会の満場一致の決議でこれを了承した。
反対同盟はそれに基づき、石橋政次から本件底地部分の引渡しを受け、12月16日木造建物を建築し、67年9月、小川名義で表示登記及び所有権保存登記を経由した。さらにその後、石橋政次の承諾を得て、本件木造建物の南側に台所等を、西側に居間をそれぞれ増築する工事を実施した。
この事実を仲戸川は「反対同盟に提供したものだ」というのは「飽くまでも反対同盟代表者本人の推測にすぎない」とねじ曲げる。
66年の現闘本部建設は、石橋の土地の提供を前提に反対同盟の総意が形成されたからこそ、反対同盟の本部機能を担う本格的な建築物として建設し登記したのである。
石橋政次は、66年に反対同盟が結成された当初から反対同盟の副委員長を務め、三里塚敷地内の反対同盟員のリーダーであり、79年には反対同盟の委員長代行に就任し、自宅には空港絶対反対と大書するなど反対同盟の最も熱心で中心的な活動家として空港反対運動に携わってきたのである。したがって、石橋政次は、空港反対運動を貫徹するため、反対同盟に対し、強烈な空港絶対反対という意思の下に法的効力がより強固な土地利用権である地上権を設定したのだ。実際、木造建物の登記も、石橋自身が土地提供者として署名している。その後、現闘本部は増築もしたが、石橋政次は異議を述べなかったのである。
その他、この地上権設定を裏付けるものに、石橋が移転する際に現闘本部の土地を分筆して残したことや、当時の石橋の言動「現闘本部の敷地20坪と井戸は反対同盟のためにそのまま残すから使ってくれ、これが俺の気持ちだ」の発言をあげることができる。
これを仲戸川は「反対同盟との関係は終了したが、使用貸借契約の解約までは求めないという意味と解釈することも十分可能」と予断と偏見に基づく司法判断しているのである。これを意図的な事実誤認・司法犯罪と言わずして何というのか。
領収証あるのに「地代の支払いはない」と暴言!
1988年5月以降、反対同盟と石橋は、それまで無償の地上権であった契約を有償の地上権契約に切り換えた。ところがこの地上権変更契約又は賃貸借契約の締結を否定するため仲戸川は、これを裏付ける念書や地代の支払いについて断じて許せない決めつけを行う。
88年5月に反対同盟は、石橋との間に改めて賃貸借契約を行い有償の地上権を締結した。当時、86年の二期工事着工と収用法攻撃に対して反対同盟は、反対闘争を強化するため、現闘本部の木造建物を増築し本件建築物の敷地利用権を強化することとした。
そのため、石橋政次に対して底地部分の所有権の譲渡を求めた。萩原進事務局次長が、87年10月底地部分を無償で譲渡するよう申し入れた。政次の長男・石橋武司は、「同盟に譲るのは構わない」と言う一方、「今までどおり使う分には使ってもらって構わない」とも言い、萩原さんは、石橋武司から求めに応じて、4時間以上も酒を酌み交わして歓談した。さらに萩原さんは、88年3月、石橋武司に対し88年4月27日にも同様の確認を行うとともに酒を酌み交わし歓談した。
このような経過を踏まえて、反対同盟と石橋武司は、88年5月13日、地上権変更契約・賃貸借契約をし、念書を作成した。石橋武司は、反対同盟に宛てて、「天神峰現地闘争本部の建っている土地については、そもそも反対同盟に残してきたものであり、今後も反対同盟がどのように使用しようと構いません」と記載された念書を作成し、右手の人差し指で拇印を押した。
反対同盟は、同日、石橋武司に対し、底地部分の88年分の地代又は貸料として5万円を支払い、石橋武司は領収証に署名してこれを反対同盟に交付した。さらに石橋武司は、92年4月3日、陳述書も差し入れている。
以上は、証拠調べでも明らかになった事実である。このように石橋と同盟員は数時間にわたって酒食をともに歓談した。念書の作成・地代の授受は石橋家で接客された事務局員が行っている。事務局員は帰りに野菜の土産までもらっているのである。これがどうして「執拗な来訪」「中核派等に畏怖」「領収証を形ばかりに作成」などになるのだろうか。仲戸川判決は、三里塚闘争を憎悪し、予断と偏見にみちた超反動判決である。控訴審闘争で粉砕しよう。
(写真 仲戸川裁判長による「仮執行」を粉砕した2・25判決闘争)
《事実と仲戸川判決の対照表》
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事実 |
仲戸川判決 |
66年当時の「反対同盟に提供」との石橋の申し入れや発言 |
石橋は、1966年12月始め、千代田農協の2階で開かれた実行役員会において土地の提供と地上権設定の申入れをし、実行役員会の満場一致の決議でこれを了承した |
「反対同盟のものだ」との主張は反対同盟の推測にすぎない |
66年12月木造建物を建築し67年9月、登記 |
反対同盟は右橋政次から底地部分の引渡しを受け木造建物を建築。 石橋の署名のもと建物の登記を行う |
本件木造建物の建築、増築の許諾が、直ちに地上権設定の意思を表すものとはいえない |
石橋脱落時「反対同盟に残す」と発言 |
石橋政次は、北原事務局長に「現闘本部の敷地と井戸は反対同盟のためにそのまま残す。これが俺の気持ちだ」と言う |
「そのまま残すから使ってくれ」という発言も、反対同盟との関係は終了したが、使用貸借契約の解約までは求めないという意味 |
移転の際42番3の土地を分筆し、残す |
本件底地部分については売買の対象とはせず井戸も残している。石橋政次は、公団の要求 には応じなかった |
これ以上反対同盟を刺激しないように42番3の土地を分筆したものであると推察できる |
88年5月地上権変更契約又は本件賃貸借契約の締結 |
「同盟に残してきたもので」という文言は、本件底地部分をあくまでも反対同盟に残したいという石橋武司の強い気持ちを示すもの |
「反対同盟に残してきた」は使用貸借の解約を求めないという意味でしかない |
地代又は賃料として5万円を支払い |
反対同盟は、91年から05年にかけて地代又は賃料を継続的支払い |
受け取った5万円を反対同盟にカンパ名目で返還 |
領収証 |
地代の受領を固く辞退しているのであれば、そもそも領収証に署名押印する理由などない |
カンパ名目の返金行為は、中核派等を畏怖したため、領収証を形ばかりに作成したもの |
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週刊『三里塚』(S804号2面2)(2010/08/01)
韓国、ギリシャ、中国の闘い
金属労組が次々にスト
アテネでは6回目ゼネスト
韓国で金属労組を先頭に労働者のストライキ闘争が意気高く闘われている。勤労時間免除制度(タイムオフ制)の7月1日施行を阻止するための闘いだ。金属労組では6月第2週に延べ4万7千人がストに参加し、第3週には延べ4万5千人、6月25日には1万人が参加した。金属労組で把握できていない支部や支会のストも含めると、6月に延べ12万人がストに参加したものとみられる。(写真上はストに立ち上がった金属労組ダス支会の労働者たち)
自動車部品関係では、ギア部品を製造する忠清南道のダイモスで金属労組ダイモス支会が14年ぶりにスト。鋼板部品を製造する現代ハイスコでは支会がスト手続きに入ったのは13年ぶり。スプリング部品を製造するテウォン鋼業では支会のストは9年ぶり。自動車用半導体を製造する亀尾のKECでも支会が11年ぶりの全面スト。燃料噴射制御装置を製造する大田の韓国ロバート・ボッシュ機電では支会が11年ぶりの特勤拒否闘争を闘った。自動車組立工場でも、6月末現在、起亜自動車支部が71・9%、GM大宇自動車支部が86・4%の高率でストを可決した。また、造船業でもSTX造船支会が10年ぶりにストに参加した。
タイムオフ制は、労組専従者に対して会社側が賃金を支給することを原則禁止する労組法改悪にともない施行されるもので、労働、経営、公益の各委員でつくる勤労時間免除審議委員会が有給の労組活動の範囲を決めるというもの。この制度をとおして資本の側は、労組活動の内容に介入し、萎縮させることを狙っている。今回のストライキ闘争で極めて重要なことは、組合員が昨年の双龍自動車闘争や07年イーランド闘争の映画を観るなどして闘争決意を固めていることだ。
自動車シートを製造する慶州のダスでは、支会組合員が「労働組合を死守するためになぜ工場占拠ストライキをやらないのか」と執行部に提起しているという。
7月8日、ギリシャで今年6回目の官民労働者ゼネストが行われ、数万人の労働者が首都アテネなどで街頭デモに出た(写真下)。パパンドレウ政権の緊縮財政策に反対する行動として2大労組全国組織、ギリシャ労働者連合(GSEE)と公務員連合(ADEDY)が呼びかけた。アテネでは2大労組が別々の隊列を組んでデモに出たほか、ギリシャ共産党(KKE)系の労組全国組織、労働者戦闘戦線(PAME)も独自に数千人のデモを行い、計2万人がデモに参加した。北部のテサロニキでは5千人(警察発表)がデモに参加した。デモのプラカードには「社会保障と年金に手を出すな」「盗んだカネを返せ」「別の解決方法を!」「政府は退場せよ!」「われわれの生活を奪うな」「蜂起せよ」などと書かれていた。
ストライキは多くの産別で実行された。110人の管制官が午前10時から午後2時までスト。その結果、アテネ国際空港の数十便が運航中止に追い込まれた。国際便は50便以上キャンセルされた。アテネでは地下鉄、電車、バス、トロリー、市電が止まった。民営化が計画されているギリシャ鉄道機構の労働者もストに入った。ギリシャ海運労働者連盟のストで、島々を結ぶフェリーが埠頭に係留されたままとなり、運航が全部止まった。政府・自治体の庁舎も閉まった。公営企業でも業務がストップした。病院は救急だけ受け付けた。法律家、裁判所職員や商店主もストを支持した。国営放送局の職員が加盟するアテネ・ジャーナリスト労組もストに入るなど、24時間ニュースが発信されなかった。
8日の行動は、国会での年金制度改革を中心とする新たな緊縮法案の採決に反対する闘いだ。
中国ホンダ自動車に部品(変速機)を供給している日本資本企業アツミテックの工場(広東省仏山、従業員約200人)で、7月12日から賃上げストライキが起き、16日の交渉も決裂して、現在もストは継続している。労働者の要求は、賃金の500元アップだ。現在の賃金は残業しなければ月たった900元であり、これまでストが行われたホンダの部品メーカーと同じ極低賃金状態にあるもので、あまりにも当然の要求である。しかし会社側はこれにまったく回答せず、13日の夕方に初めて顔を出した社長が「ストをやめて残業しろ」というありさま。賃上げへの回答がなければ残業などできないという労働者の当然の態度に対して、会社側は直ちに工場の門を閉め、労働者が家に帰ることを許さないという態度に出た。
14日になって会社側は、今度のストに参加したものはすべて解雇する、一切の賠償はしないと宣告し、その日の午後に総務課で退職手続きを行えと迫った。15日には会社の宿舎(寮)を閉鎖することも通知された。会社側のあまりの態度に怒り、事務室の職員も次々にストに合流した。
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週刊『三里塚』(S804号2面3)(2010/08/01)
国鉄全国運動を全職場全地域へ拡大しよう
6・13集会でスタートした新たな国鉄全国運動を必ず成功させよう。これは菅民主党政権を打倒するための最大の闘いである。参院選に敗北した日帝・菅は「大増税・首切り・戦争」攻撃をより一層激化しようとしている。菅政権は、最末期帝国主義の危機のりきりを唯一の使命とする。自民党の議会制的支配の破綻の中から登場した鳩山連合政権は、ブルジョア的「反自民」政策・安保政策の行き詰まりによって打倒された。これを受けた菅は、鳩山以上にブルジョアジーと一体化して労働者階級へ攻撃を遂行する一層悪質な政権だ。
最大の矛先は、公務員労働者に対する攻撃である。民主党は、議会内で絶対多数を失い野党との政治取引に促進されることによって、より公務員バッシングを強め、道州制攻撃を進めるであろう。360万公務員労働者に「全員いったん解雇・選別再雇用」の国鉄分割・民営化型の首切りを連合のダラ幹を使ってやろうとしている。2010年後半、労働運動の存亡のかかった決戦が切迫している。
6・28国鉄和解は、政府と4者4団体指導部の「1047名闘争を終わらせ、動労千葉をたたきつぶす」労働運動解体攻撃であり、「国鉄改革の完遂」(前原国交相)という大反革命だ。民主党・連合政権の政治支配の危機が爆発すればするほど、連合は自らの労働者支配の延命のため1047名闘争解体と動労千葉破壊に総力を挙げてくる。新たな国鉄全国運動は、公務員大攻撃という国家権力の総力をあげた攻撃と対決する闘いだ。全国運動の爆発で菅・民主党政権を打倒しよう。
また国鉄全国運動は、反戦闘争と労働運動・労働組合を結合させる闘いである。菅政権の「増税・首切り・戦争」の攻撃に対して、国鉄全国運動をテコに反戦闘争の前進をかちとることは決定的だ。日帝は、国家財政の大破綻に直面している。菅や日帝ブルジョアジーは「ギリシャのようになってはならない」と叫び、「国家の破綻」を支配階級の側から恫喝してきている。国家救済のために「上からの内乱」をしかけ、公務員大攻撃とならび消費増税と辺野古新基地建設・三里塚闘争破壊・改憲の攻撃に踏み出してきている。
これに対して、日本の労働者人民は、「労働者人民を犠牲に生き延びる国家など滅びてしまえ」という祖国敗北主義の立場、帝国主義打倒の闘いを対置しなければならない。ギリシャを始め全世界でゼネストが闘われ、革命情勢に突入している。最末期帝国主義の新自由主義は破綻し、資本主義は終わりだ。
三里塚と沖縄は、日本革命―世界革命の一大根拠地だ。国鉄闘争と三里塚闘争はどこまでも一体で進む。動労千葉―三里塚農民の労農連帯、労農同盟は、日本革命に向けた「ソヴィエトの母体にまで成長すべき」労農同盟の革命的萌芽である。これはスターリン主義を超えた革命的共産主義運動の偉大な達成物である。「絶対反対・非妥協」で「農地死守」を闘いぬく三里塚農民こそ「帝国主義を打倒することなくして人民は生きることができない」という労働者人民の立場を勝利的に指し示しているのだ。まさに、この基本路線を貫く三里塚闘争は、反戦・反権力の砦として戦後階級闘争の金字塔として屹立しているのであり、この祖国敗北主義の思想は「国難」を叫ぶブルジョアジーを追いつめている。労組破壊攻撃と並んで三里塚への攻撃も切迫している。三里塚闘争に勝利するためにも全国運動の成功が必要だ。
国鉄闘争を中軸に、国鉄決戦と沖縄・三里塚決戦を結合して全力で闘おう。全国運動の3千人会員づくりを職場の怒りと結びつき、第2、第3の動労千葉を作りだそう。
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週刊『三里塚』(S804号2面4)(2010/08/01)
三里塚のでかさ実感
全学連行動隊 関西学院 S
今回の行動隊への決起を通して三里塚闘争のでかさを実感することができた。
農作業は初めてだったが市東さんの畑を手伝った。実ったキュウリをかじったりピーマンを収穫したりして、食糧生産に関わる満足感を得られた。野菜はとても美味しい。
実感したが、市東さんは普通に農業をしている農家のおじさんだった。そのことで逆にこの地で農業を続けようという市東さんの強い闘志を感じることができた。
この農業を妨害する団結街道封鎖は絶対に許せない。以前来た時には通行できていた道が鉄板で封鎖されている事実に改めて怒りがわいた。この封鎖で、すぐそばの畑に行くために何倍もの回り道を強いられた。許し難い!
市東さんはこの三里塚で今も農業を続けている。何よりも、とてつもない勝利だ。しかも専業農家で無農薬有機栽培。正に農民の中の農民だ。農民が農民としてこのように存続していることは今や稀になりつつある中で、他でもない三里塚においてこれが行われているということは、まさに労農学連帯の結晶だ。全学連の44年間にわたる闘いが、今もなお勝利し続けている。この闘いに展望がある。
様々の戦跡と共に「星の木」も見学した。沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒の最先端で今も闘っている全学連の同志である星野文昭さんの記念樹だ。体制内派が「このままでは沖縄が三里塚になる」と恐れている今、沖縄と本土を結び付けるために闘った星野同志の記念樹が、他ならぬ三里塚にある。沖縄闘争の展望も三里塚にある。
第3誘導路建設阻止闘争に、沖縄辺野古新基地建設阻止闘争に勝利するぞ!
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週刊『三里塚』(S804号2面5)(2010/08/01)
雑草の伸び驚き
萩原進さん宅
今年の夏は雑草が育つのが、とにかく早い! ちょっと油断してると腰の辺りまで直ぐに伸びてしまいます。温度はそれほど高くないものの、湿度が半端でない日が梅雨中続き、ふくよかな身体も大分絞られました。
春先の高温、夏になってからの夜の雨と日中の高温。雑草の育成にとって最高の条件が整ったせいです。どこの農家も草取りに追われる時期になります。
さて、本格的な夏野菜 の出荷が始まっています。雑草にとって好条件の天気は野菜にとっても好条件です。ナス、キュウリ、ピーマンなどはすくすくと育ちました。ところが好事魔多し! 7月12日に丸1日続いた強風によって、それまで順調だったナス、ピーマンの枝が4割程折られてしまいました。双方共に色つや良く、ナスは手で絞れば果汁が出る程みずみずしかったのに残念です。
しかも、消費者が切望していたトマトの枝もやられてしまい、富夫さんも「この風はねえよなぁー」と、どうしようもない怒りが出ます。
しかし、風の影響を受けなかった畑のキュウリは1回の収穫で1000本以上取れる程順調で、収穫に3時間もかかってしまい「今までこんなに取れた事ないよね〜」と嬉しい悲鳴です。
(写真 梅雨明けのぬけるような青空の下、キューリの収穫をする萩原富夫さん)
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週刊『三里塚』(S804号2面6)(2010/08/01)
三芝百景 三里塚闘争日誌 2010
7月7日(水)〜7月20日(火)
●アメリカから羽田空港に32年ぶりの定期便が就航することが決まった。(8日)
●再建が難航する日本航空の迷走に対して、金融機関からの不信感が頂点に達している、との報道がされた。債務超過額が1月の会社更生法適用時より1000億円も増えたことや西松遥前社長など旧経営陣が、関連会社の役員に天下ったことなどに反発している。(11日)
●小泉一成成田市長と相川勝重芝山町長らが成田空港会社、千葉県、国土交通省に出向き、「飛行回数の30万回化を承認する見返りの補助金」を要求する要望書を提出した。(13日)
●三里塚闘争支援連絡会議が定例の成田駅頭街宣 三里塚闘争支援連絡会議は、定例の京成成田駅頭街宣を行った。「農家逮捕と市道閉鎖の暴挙は成田市民すべての権利侵害につながります」というビラをまき、市民の共感を得た。(14日=写真)
●成田新高速開通でマスコミが宣伝を展開した。しかし、日暮里〜空港第2ビル間の所要時間ばかりを強調して「都心から空港まで36分」と強調するデタラメな内容だ。実際には、上野から空港第1ビルまで行くと44分かかる。その上野も都心とは言えない。八王子市の教員は「日暮里まで荷物を持ち、混雑する都心の駅で2回乗り換えなければならず、待ち時間もある。あまり魅力は感じない」とインタビューに応じていた。依然として成田は遠いままだ。(17日)
●第4滑走路開業を控える羽田空港で、中国路線の航空交渉が遅れ、日本航空と全日空が10月末からの増便を断念したことが報道された。日中航空交渉が難航、現在、完全にストップしたため。理由は北京、上海などの空港の発着枠を、増加する国内線優先にする中国側の政策のため。(17日)
●東京・霞が関で現闘本部裁判控訴審にむけたビラまきが行われた。(20日)
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