SANRIZUKA 2010/03/15(No795 p02)

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第795号の目次
 

反対同盟を先頭に385人の労農学が仲戸川弾劾・千葉地裁包囲デモを貫徹した(2月25日)

1面の画像
(1面)
「仮執行=即時撤去」阻止の勝利
2・25現闘本部裁判闘争労農学400人地裁包囲し圧倒
次は団結街道死守だ 動労千葉ストと呼応して
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反動押し返す勝利 3・16成田市内デモへ! 記事を読む
成田市に抗議集中を
  団結街道死守せよ 市議会抗議闘争に立つ
記事を読む
3・28で決戦陣形不抜に 反対同盟が全国集会招請状を発出 記事を読む
ピンスポット   団結街道の迂回道着工弾劾せよ
市東さん猛然抗議
「廃道決まってないぞ」
記事を読む
 コラム 団結街道 記事を読む
闘いの言葉 記事を読む
(2面)
“沈んだ太陽” 日航破綻と三里塚闘争(下)
空港政策の破綻、経営を直撃
韓国仁川空港に客奪われ国際線が危機に
ジャンボ機が多い理由-成田発着枠が不足
記事を読む
動労千葉3・1~2ストを貫徹
外注化阻止・配転粉砕! 「胸つき八丁、歴史動かせ」 
記事を読む
6学生ついに奪還 3・4訪米闘争の成功へ 記事を読む

北総の空の下で北総の空の下で

ボイス担当

充実感と高揚感が

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三芝百景 三里塚現地日誌 2010 2月16日(火)~3月2日(火) 記事を読む
階級的敵がい心を貫く 戸村思想を学ぼう⑨
戸村さんの暴力論 階級社会の変革に不可欠
「鎌持ってデモの先頭に」 「角材を闘いのシンボルとしてください」
記事を読む

週刊『三里塚』(S795号1面1)(2010/03/15)

 「仮執行=即時撤去」阻止の勝利

 2・25現闘本部裁判闘争 労農学400人地裁包囲し圧倒

 次は団結街道死守だ

 動労千葉ストと呼応して

 ギリシャにおける財政破綻と労働者・人民のゼネスト決起など帝国主義打倒にむかった闘いが拡大する中、日帝・民主党=連合政権は労働者階級の敵としての正体をむき出しにし、国鉄・沖縄・三里塚・法大を焦点に闘いの拠点つぶしに必死となっている。この情勢に対して三里塚は2月25日の現闘本部裁判判決闘争で、「仮執行宣言」(即時強制撤去を可能にする)を粉砕する決定的な勝利をかちとった。NAAと成田市は大打撃を受けている。3・1~2動労千葉ストライキと結合したこの勝利を先頭に3・16成田市議会闘争~3・28三里塚全国総決起集会へ驀進しよう。「現闘本部明け渡し判決」粉砕、団結街道廃道化阻止、市東さんの畑防衛へ進撃しよう。
(写真 反対同盟を先頭に385人の労農学が仲戸川弾劾・千葉地裁包囲デモを貫徹した【2月25日】)

 「地上権」抹殺判決許すな

 2月25日、千葉地裁を埋め尽くした385人の労農学は、天神峰現闘本部裁判判決法廷において、仲戸川隆人裁判長による「仮執行宣言」判決を粉砕した。他方で、同裁判長は現闘本部に対する反対同盟の地上権・賃借権を全面否定した。この暴挙を控訴審闘争において必ず粉砕しなければならない。
 10時45分、千葉地裁601号法廷に仲戸川が裁判官席入り口から現われるや、傍聴席から怒りが次々叩きつけられた。
 仲戸川が開廷すると、葉山岳夫・弁護団事務局長がまず、空港会社の訴状変更に伴う事実調べの必要を主張。そして次々と弁護団の全員が仲戸川の暴挙を列挙して、口頭弁論再開を求めた。理路整然とした弁論に、法廷全体が仲戸川弾劾の一色に染まる。傍聴席最前列の市東孝雄さんは、「仲戸川は恥を知れ」と声をあげる。廷吏は初めにこそ「発言をやめてください」と弱々しく言っていたが、すぐに傍聴者誰一人の発言も制止することができない。「被告」の反対同盟を代表し北原鉱治事務局長が立ち上がり、机を叩きながら「建物の検証を再三にわたり求めてきたが、なぜ行わないのか!」「一方的で、これが裁判か。裁判をやり直せ」と抑えきれない怒りをぶつけた。
 とうとう仲戸川は「合議のため暫時休廷」と宣告。「また逃げるのか」の野次を背に退席した。しかし、ものの1分もしないで再出廷する。「こんな短時間で何を合議できるのか」。この糾弾に、いつもの書記官の「起立・礼」の儀式もすっ飛ばし、着席するや否や「弁論再開はしない」の一言。とたんに廷内は怒号に満たされた。反対同盟が全員立ちあがって裁判官席に迫った。傍聴者も廷吏の抑止を振り払って前へと殺到した。仲戸川は「主文…」と判決文を読み上げはじめた。怒号の廷内で「…を明け渡せ」という仲戸川の震える声。市東さんは立ち上がり裁判長に詰め寄る。廷吏が大わらわで制止する。仲戸川は、数言の主文を言っただけで脱兎のごとく逃げていった。
 しかし、弁護団席から「仮執行宣言はない」との声が上がった。その内容が1階ロビーを埋め尽くした労農学に伝えられると歓声が上がった。
 裁判後、反対同盟と支援団体は中央公園に集まり、記者会見と総括集会を開いた。鈴木謙太郎さんが冒頭「明け渡しは、不当判決。しかし、仮執行宣言はつきませんでした。反対同盟は、すぐに控訴します」と宣言し、開会した。記者会見を終えた北原事務局長は、「闘えば勝つ。正義は強い。皆さんに支えられて、三里塚は闘う」と決意表明した。

 国・NAAの本部破壊計画に大打撃

 葉山弁護士を始め弁護団は、「『メモや覚書がない』から地上権はない、またカンパとして返したから地代は支払われていない」とする判決のデタラメさを厳しく弾劾した。続いて現闘本部裁判を支える会を代表して、群馬の青柳晃玄さんが「怒りが倍加した。仮執行宣言を粉砕したのは、市東さんに対する攻撃への反撃だ」と発言した。支援団体の発言で織田陽介全学連委員長は「仮執行宣言を付けさせなかったのは、巨大な勝利だ。3・20反戦闘争5000人結集から3・28三里塚に総決起を」と呼びかけた。
 最後に萩原進事務局次長が、「実に不当な判決であり、激しい怒りを覚える。だけども、本当に闘いぬたという満足感は持っている。この怒りとそして闘いぬいた力を高裁において解き放ち、さらに大きく闘いぬきたい。『仮執行宣言』を出すことできないところまで仲戸川を追い詰めた。団結街道を廃道にするという攻撃との闘いが、目前の課題としてある。成田市議会に闘いを挑む。そして第3誘導路建設、市東さんの農地強奪に対する闘いを、大きく広げていきたい。3・28全国総決起集会に大勢駆けつけてもらいたい」と訴えた。
 最後に、司会の鈴木謙太郎さんのリードで団結ガンバローを三唱し、参加者全員が仮執行宣言を粉砕した地平の上で控訴審への闘いと今春三里塚決戦の決意を固めた。
 この日、反対同盟・支援は早朝から駅頭ビラまき、宣伝活動を行った。千葉市中央公園に全国から385人が結集し、反戦共同行動委員会の独自集会に続き、9時から反対同盟の総決起集会とデモがかちとられた。北原事務局長に続いて発言に立った動労千葉の田中康宏委員長は、「再び国鉄と三里塚が同時に決戦を迎えた。肩を並べて車の両輪の誇りにかけて決起する」と外注化阻止の3・1~2ストを決意表明した。千葉地裁に向けデモし、その後300人の傍聴希望者の列が裁判所を包囲した。
 団結街道の廃道化を策動する成田市と市議会弾劾の3・16市内デモへ。3・28全国集会の成功をかちとろう。
(写真 判決後、「仮執行宣言粉砕したぞ」とシュプレヒコール【千葉市中央公園】)

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週刊『三里塚』(S795号1面2)(2010/03/15)

 反動押し返す勝利

 3・16成田市内デモへ!

 「仮執行宣言」を粉砕した2・25闘争は、日帝・国交省、NAA、成田市の攻撃を断固押し返したという点で大きな意義がある。
 彼らは仲戸川裁判長と有無通じ、「仮執行宣言」判決が出ることを寸分も疑わなかった。そのために、現闘本部撤去の準備工事を開始していたのだ。
 1月21日~22日、空港会社は現闘本部東側の竹林を強行伐採し、監視カメラ、投光機を設置した。さらに機動隊1個小隊を常駐させ、重機を投入し、強制撤去にむけた整地まで開始したのだ。
 これと連動して成田市は2月3日、NAAと連れ立って市東さん宅に現れ、何と団結街道の廃道化案を3月議会に提出すると通告したのだ。
 これらすべての動きが2・25判決における「仮執行宣言」を折り込んだ動きだった。それゆえ、「仮執行宣言」を粉砕した闘いは、権力側のスケジュールの一切を吹き飛ばした快挙だということだ。
 新聞報道では「NAA困惑」「想定外、残念……」(2月26日付千葉日報)と彼らの打撃感を暴いている。
 しかし、2・25判決が現闘本部底地に対する反対同盟の地上権、賃借権を全面否定した事実は重い。2・25の勝利から3・16成田市内デモ、3・28全国集会へ前進し、程なく始まる控訴審闘争において、何が何でも全面勝利の判決をもぎりとろう。

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週刊『三里塚』(S795号1面3)(2010/03/15)

 成田市に抗議集中を

 団結街道死守せよ 市議会抗議闘争に立つ

 2・25現闘本部裁判闘争につづいて2月26日、反対同盟は、天神峰団結街道廃道を阻むため、成田市議会包囲・傍聴闘争に決起した。
 この日は一般質問を終えた後、市長提出議案に対する質疑の審議だ。足立満智子議員が団結街道廃道問題について市長と当局を追及した。連続闘争にもかかわらず北原鉱治事務局長、萩原進事務局次長、市東孝雄さん、鈴木謙太郎さん・加代子さんら反対同盟先頭に支援も加わって総勢30人近くが傍聴席を埋めた。
 午後4時15分。ここから議案に対する質問に移った。足立さんが質問を開始した。質問は3点。
①「団結街道を廃道にしても農作業に支障がない」との報道は市長の認識か。
②団結街道を廃道にすれば現闘本部は袋地になって道路がなくなり民法210条(囲繞地通行権の保障)に違反する。
③廃道の理由にあげている「第3誘導路」建設について、(空港)工事計画変更手続きの申請すらまだ行われていない。認可は2010年末とされているが、それよりはるか早い時点で、なぜ市が率先して団結街道を廃道にするのか。
 ①について市長が「そういう認識でございます」と開き直ると議場は傍聴席からの野次と怒号で包まれた。
②については答えず、③については「昭和42年に団結街道は空港用地に含まれているから廃道にする」と、中村土木部長のまったく答えにもならない事実上の「回答拒否」だ。
 ここで傍聴席の怒りが爆発。議場が弾劾のるつぼと化すと、小池議長は「暫時休憩」を宣言。宮野総務部長が傍聴席に来て「全員退場」を求めてきた。「ふざけるな。一言も発してない人間も居る。その人間も含めて退場しろというのか」「こんな議会運営見たことがないぞ」と一撃のもとに粉砕した。
    *
 20分の質疑中断後、足立議員が、答えていない②、③について回答を再度求めた。今度は、国土交通省から出向してきている片山副市長が立った。②の袋地問題について「現闘本部を見る必要がある場合はNAAが対応することになっています」との答弁。「冗談じゃない。道がなくなること自体が囲繞地通行権の侵害なんだよ。民法のイロハも知らないのか」と鋭い声が飛ぶ。さらに③については、何と質問内容を忘れて立ち往生。傍聴席から質問内容を教えてもらっても「昭和42年に団結街道は空港用地に含まれているから廃道にする」と「なぜ今廃道にするのか」についてはまったく答えられない。当然だ。成田市はNAAに頼まれて、現闘本部撤去で周辺を封鎖する意図をもって廃道計画をこの時期に出してきた。そして現闘本部裁判の「仮執行宣言の阻止」に大打撃を受けているのだ。成田市は住民の敵に成り下がった。
 傍聴団は当局の対応に再度の弾劾の嵐を浴びせ、傍聴闘争をやりぬいた。
 成田市議会は3月16日が最終日だ。団結街道廃道提案の撤回を要求する弾劾文を、労働組合、学生自治会などであげ、小泉一成成田市長あてに集中しよう。議会最終日の3・16市内デモに決起しよう。

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週刊『三里塚』(S795号1面4)(2010/03/15)

 3・28で決戦陣形不抜に

 反対同盟が全国集会招請状を発出

反対同盟から3・28全国集会への招請状が発出されました。(全文)

 沖縄の基地全面撤去の闘い、動労千葉を先頭とする国鉄決戦と一体のもとに、三里塚闘争は政府権力・空港会社との激しい攻防に突入しました。
2月3日、空港会社と成田市は、天神峰の市東孝雄さんに対して「第3誘導路」計画を口実に団結街道(成田市道)を廃道とする旨を通告しました。これはあからさまな営農妨害による移転の強要であり、現闘本部の強制撤去攻撃です。通告の直前には現闘本部わきの竹林を伐採して整地作業を強行し、2・25仮執行宣言付き判決をもって、解体攻撃にふみこむ構えだったことは明らかです。
しかし仮執行宣言(強制執行)判決の策動はものの見事に粉砕されました。団結街道と現闘本部を守り市東さんの農地強奪を粉砕する攻防の緒戦で、反対同盟は敵の計画をガタガタにする勝利を勝ちとりました。地上権をはく奪した仲戸川隆人裁判長(千葉地裁民事第5部)の不当判決に対しては直ちに控訴し、廃道のための迂回道路の取り付け工事と対決し、成田市議会に対する弾劾・追及行動に決起しています。全国の労働者、農民、闘う仲間のみなさん! 反対同盟は、44年間不屈・非妥協の闘いをもって、敢然と決戦を挑む決意です。3・28全国集会は、2・25判決闘争の勝利を引き継ぎ、「第3誘導路」計画粉砕、団結街道・現闘本部防衛、市東さんの農地死守の決戦陣形をうちかためる総決起集会です。大結集を訴えます。
恐慌がもたらす底知れぬ危機の中、自民党による政治支配が崩壊して登場した鳩山政権は、トヨタと普天間に象徴される日米対立でますます危機と混迷を深め、攻撃を激化させています。なによりも沖縄の基地強化、財政危機のなかでの消費増税、公務員3万5000人の削減、そして国民投票法の5月施行・改憲攻撃です。300万農家を40万戸に激減させる改悪農地法が施行されました。戸別所得補償は減反協力とFTA(自由貿易協定)推進が引き替えです。資本による農業からの収奪が進行しています。首切りと賃下げ、教育、医療、年金、社会保障などすべての分野で、むき出しの攻撃が襲いかかっています。
三里塚闘争は44年間、農民殺しと闘い続け、国策=成田空港を破たんさせて航空政策の転換を強制しました(前原国交相の「羽田空港ハブ」発言)。戦後の枠組みの抜本的な転換をかけて、東アジアに延命の道をみいだそうとする鳩山内閣(東アジア共同体構想と軍事基地化)の前に敢然と立ちはだかっています。
国と資本による収奪があらゆるところで強まる現在、いまなお国策を不屈に阻み続けている三里塚闘争は、人々の未来をともに切り開く普遍的な闘いです。それゆえ三里塚は、労農連帯の旗のもと、全国の反戦・反核・反権力、反差別などの広範な市民運動・住民運動が結集する共闘の砦として発展しました。三里塚闘争に対するなりふり構わぬ攻撃の背後にあるのは、政権の危機と人民の決起に対する恐怖です。
労働者、農民、学生、人民の力こそが、新たな時代を切り開くことができるのです。ストライキで闘う動労千葉、沖縄や関西住民、韓国やアメリカをはじめとする全世界の労働者と連帯して闘おう。
いまこそ資本と権力による分断をうち破り、「空港絶対反対・一切の話し合い拒否」「農地死守・実力闘争」「空港廃港」の闘争原則のもと、3・28全国集会に総決起されることを心から訴えます。
2010年3月1日
▼JR成田、京成成田駅からタクシーで「東峰十字路」まで2500円▼車は成田インターから国道295号線に入り芝山町【空港】方向。日航ホテル手前で小見川県道を小見川方向へ。「東峰十字路」へ

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「第3誘導路」計画粉砕! 団結街道廃止許すな! 現闘本部の破壊を阻止し、市東さんの農地を守ろう! 改憲阻止・軍事空港建設反対!

3・28全国総決起集会

【日時】3月28日(日)正午
【開場】成田市天神峰 反対同盟員所有地

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週刊『三里塚』(S795号1面5)(2010/03/15)

ピンスポット

 団結街道の迂回道着工弾劾せよ

 市東さん猛然抗議

 「廃道決まってないぞ」

 成田空港会社は、3月1日早朝、成田市天神峰で団結街道の廃止に伴う、市東孝雄さんの畑への付け替え道路の工事着工を強行した。50人の作業員が20~30人の私服警察、機動隊1個中隊に守られ、作業を開始した。
 その畑で作業をしていた市東さんと現地支援が直ちに抗議した。「市議会で廃道化が決まっていないのに迂回道路を造り始めるとは何事か!」。NAAは「空港会社の敷地の中で何をやろうと勝手」と開き直った。市東さんは「絶対に許さない」と言い放った。
 作業は、工事を目隠しするための鉄板フェンスを設置する準備で、鉄パイプを工事区画外周に打ち込むもの。
 そもそも団結街道の廃道計画は、空港会社が暫定滑走路に3本目の誘導路を建設するという計画を口実にしているが、市東さんの畑や現闘本部があるかぎり、「へ」の字誘導路が解消できるわけもない。しかも第3誘導路は、まだ認可の申請すらなされていない。
 廃道の目的は市東さんの営農を妨害し、移転を強要することだ。3・16成田市内デモへ。電話・メール・FAX・葉書などで全国から小泉市長に抗議の集中を。
(写真 迂回道工事を現闘本部敷地の中から機動隊が守る)

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週刊『三里塚』(S795号1面6)(2010/03/15)

 コラム 団結街道

 法大弾圧で東京地検の反動性が突出しているこの検察特捜部の権力を肥大化させた決定的な事件が造船疑獄での法相指揮権発動(1954年)だが、その事件の裏に東京地検の策略があったことを最近知った(元共同通信記者・渡邊文幸著『指揮権発動』)同疑獄は造船業界と政界・財界・官僚を巻き込む大々的な贈収賄事件だった。同年4月20日、検察庁は当時与党自由党幹事長であった佐藤栄作(後の首相)を収賄容疑により逮捕する方針を決定したこれに対して、翌4月21日、吉田内閣の犬養健法務大臣が指揮権を発動し、検事総長に逮捕中止を指示した。これは戦後で唯一の指揮権発動事件で、世間の轟々たる非難を浴び、逆に検察は圧倒的な同情をかった。この事件が契機となって、以後、50年以上にもわたって、検察庁は政治からの「独立」をかちとることになったしかし、同書は、当時法務省刑事局長だった井本台吉による事件40年後の証言などによって、捜査に行き詰まった検察側が、自ら吉田茂首相に指揮権発動を持ちかけた「策略」だったことを暴いている。東京地検特捜部副部長だった神谷尚男も「あのままでは佐藤を起訴するだけの証拠がなかった」と証言している(06年6月14日朝日新聞夕刊)法大弾圧で118人を逮捕し33人を起訴するなど、権力を振り回す東京地検の横暴を見るにつけ、検察権力を阻止する力は労働者・人民の闘い以外にないことを痛感する。

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週刊『三里塚』(S795号1面7)(2010/03/15)

 闘いの言葉

 社会を動かしているのは労働者・農民であり次の時代を担うのは学生だ。我々の未来を取り戻さなければならない。
 2・13労働者集会での発言
 斎藤郁真法大文化連盟委員長

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週刊『三里塚』(S795号2面1)(2010/03/15)

 “沈んだ太陽” 日航破綻と三里塚闘争(下)

 空港政策の破綻、経営を直撃

 韓国仁川空港に客奪われ国際線が危機に

 ジャンボ機が多い理由-成田発着枠が不足

 日本航空破綻の原因は前号で暴露した乱脈経営、労働者虐待と同時に、成田空港建設の挫折を主因とする、日帝の戦略的な空港・航空政策の崩壊にあった。三里塚44年の闘いが国策航空会社・日本航空の成否をも規定していたのだ。
日航の破たんの根因こそ三里塚44年の闘いによる成田空港建設の行きづまりである。
(写真 韓国仁川空港。アジアのハブ空港を狙って2002年に開業。成田空港が完成しないためハブ争闘戦に敗れ日航の経営を直撃した)
 第1に、三里塚闘争は、成田空港建設の完成を阻むことによって、日帝の空港政策の根幹を粉砕してきた。その典型がアジアのハブ空港争闘戦からの敗退である。
 韓国・仁川空港は、世界の49カ国、161都市と結ばれ、5年連続で世界最優秀サービス空港に選ばれた。日本の地方都市27カ所と路線を結び、日本の海外旅客を奪い取っている。(注)
 対する成田。日本の空港でありながら国内線はわずかに8路線。運航している国際線は約40カ国しかなく、乗り入れている都市の数は110だ。仁川は全体が完成すると成田の5倍の面積にも拡大する。
 2002年に開港した同空港は、最初からアジアのハブ空港の位置を目指す戦略空港として整備されてきた。
 これに対して日帝の方は、アジアのハブ空港争闘戦に対する何の備えもなかった。それもこれも成田の挫折と三里塚44年の闘いが強制したものだった。1990年代半ばに運輸省航空局長に就任した黒野匡彦(後の空港会社社長)などは公然と「成田はハブ空港を目指さない」と宣言したほどだった。戦意喪失どころではない。最初からリングに登る気もなかった。それほど、成田空港建設の挫折は日帝の空港政策に打撃を与えてきたのだが、これが、国際線でこそ利益をあげなければならない日本航空に巨大なダメージとなっていった。
 第2に、アメリカを先頭とするオープンスカイ政策に対して、完全に立ち遅れ、これが日航の経営そのものを直撃したことである。
 1980年代に経済の没落著しかったアメリカにとって数少ない比較優位の分野が航空だった。カーターからレーガンに移行するなかで規制緩和のトップランナーが航空分野だった。そのためにオープンスカイ政策を世界に強制していき、民営化も強行していった。
 しかし、このオープンスカイの流れに乗ることができず、完全に後塵を拝したのが日帝だ。ここでも成田の挫折が決定的だった。基幹空港・成田の発着枠が限定されているため、アメリカとのオープンスカイ協定を結べば、航空権益の上で対抗できなくなる構造が定着していた。
 だから、日帝は一貫して「鎖国」政策を取り続けてきた。このことも日航の体力を奪うことになったのだ。羽田の拡張(4本目の滑走路開業)のメドがついた2009年12月になって初めて日帝はアメリカと同協定を結ぶことができたのだ。
 発着枠の狭さが日航の経営に直接打撃を与えたのが、機材(航空機)問題だ。日本航空ほどボーイング747通称ジャンボ機を保有している航空会社は世界にない。世界の流れは中型機による直行便の増加にある。
 しかし、日航にはジャンボ機に固執しなければならない理由があった。それがここでも発着枠問題なのだ。成田の空港容量が拡大しないため、中型機による直行便の拡大をしようにもできなかった。限られた発着枠を有効に使うために、大型機に頼らざるをえなかったのだ。
 ジャンボなど大型機は燃費効率が、最新鋭の中型機に比べ24%も悪い。この点でも日航の経営に深刻な打撃を与えている。
 昨年10月12日の前原「羽田ハブ化」発言を受けて、焦る地元自治体、首長、利権議員らの中で荒唐無稽な話が語られている。「成田の計画自体50年も前の古いものだ。だから、ハブ空港からも陥落し、時代の要請にも応えられていない。新たな成田の計画を立て直して、さらに2本、3本の滑走路を造るべきだ」と。
 話の中身は断じて許せないものだが、空港政策の遅れへの危機感という点では核心をついている。
 そもそも羽田に代わる新空港計画が策定されたのが1962年の航空審議会答申だったが当時の富里・八街空港計画は、2300㌶、滑走路は4000㍍が2本はじめ計5本。「超音速旅客機にも対応できる巨大空港を」との計画だった。
 ところが、周知の富里・八街農民の激しい反対運動によって、面積は半分の1050㌶。滑走路も4000㍍1本、3200㍍(横風用)1本、2500㍍1本という、きわめて中途半端な空港に縮小されて、三里塚に不時着した。それから44年。滑走路は1本半、面積も1050㌶には遠い。未だに完成していない。この結果、前述のようにハブ空港の争闘戦から敗退し、それは日航の経営危機へとつながっていった。
 日航の破綻は日帝の破綻である。解雇1万6千人という大攻撃に対し、日航労働者が立ち上がった時、それは全国・全世界の労働者の支援を呼び起こす。今こそストライキに立ちあがろう。
(写真 成田空港建設の挫折で日帝は戦略的な空港政策を失い、日航破綻につながった)

注 仁川と成田 岡山市からロンドンまで行くのに、仁川空港経由が13時間余で料金が15万円。成田空港経由だと15時間で18万円。旅客がどちらに向かうかは一目瞭然だ。その理由は、仁川空港から世界に伸びている路線数と便数の違いにある。仁川では乗り継ぎ客が30%もいるのに対して、成田は一桁。両者の利便性の違いは明白。ここにも成田空港建設の挫折が影を落としている。

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週刊『三里塚』(S795号2面2)(2010/03/15)

 動労千葉3・1~2ストを貫徹

 外注化阻止・配転粉砕!

 「胸つき八丁、歴史動かせ」 

 動労千葉は3月1日、「外注化阻止・不当配転粉砕! 1047名解雇撤回・10春闘勝利!」を掲げて幕張支部を中心とする春闘第2波ストライキに意気高く突入した。
 JR千葉支社は3月1日付で、幕張支部の2人の執行委員をそれぞれ成田と木更津の検査派出に強制配転した。すでに10月1日以降、支部副委員長2人と支部書記長が強制配転されている。外注化強行のために5人もの支部役員を強制配転したのだ。手段を選ばぬ組織破壊攻撃に対して、組合員は腹の底からの怒りを燃え上がらせて総決起した。
 この日のスト突入は正午からだ。勤務以外の組合員と支援部隊が午前11時30分過ぎ、幕張車両センター横に陣取った。「検修業務の全面外注化を阻止するぞ! 安全解体を許さないぞ! 外注化は偽装請負だ! 幕張破壊攻撃を許さないぞ!」。幕張車両センターを揺るがすシュプレヒコールが響きわたる中、正午にスト突入を通告した幕張支部の組合員が庁舎から続々と出てきた。みな勝利感に満ちた晴れ晴れとした顔だ。車両センター内外の部隊が合流し、昼の抗議行動を200人の結集で貫徹した。
 午後2時から千葉市内で「スト貫徹!動労千葉総決起集会」が開催され260人が結集した。主催者あいさつを行った長田敏之書記長は「幕張の職場は、今朝から20人もの管理者が張り付き異常な戒厳体制におかれた。動労千葉が外注化攻撃と真っ向から闘っていることへの会社の焦りだ。だったらわれわれは徹底的に組織拡大をかちとるのみだ」と熱く檄を発した。続いてストに突入した幕張支部、木更津支部、鴨川支部の代表が決意表明した。さらに幕張支部の山田護支部長、強制配転された当該の組合員が力強く決意表明した。
 基調報告を行った田中康宏委員長は、「外注化提案以降、4カ月間の闘いをきわめて勝利的に闘い抜き当局を追い詰めてきた。われわれの追及によって検修外注化をめぐる団交は2カ月半にわたって完全に止まっている。今日の闘いをもって決戦の第2ラウンドに突入しよう」と訴えた。そして重大な正念場を迎えた1047名解雇撤回闘争について、「民主党、自民党を始め、一切の勢力が国鉄分割・民営化の原点に引き戻されている。今回のストライキは本当に大きな歴史の転換点での闘いになった。ここが胸突き八丁の勝負どころだ。そしてここを突き破った時、間違いなく歴史は動き出す」と提起し、開始された第2次分割・民営化阻止決戦の歴史的な大きさを全面的に明らかにした。
 動労千葉争議団の中村仁さん、動労千葉を支援する会の山本弘行事務局長、2月26日に奪還されたばかりの全学連の学生があいさつ。最後に各支部代表が次々と決意表明を行った。
 動労千葉を支援する会はこの日も早朝から、総武線沿線でスト支援の大情宣行動に決起した。春闘第2波ストは3月2日まで貫徹された。
(写真 「外注化は偽装請負だ」「不当配転阻止」と叫んだ【3月1日 幕張車両センター】)

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週刊『三里塚』(S795号2面3)(2010/03/15)

 6学生ついに奪還

 3・4訪米闘争の成功へ

 2月26日、法大入試ビラまきで2月5日に不当逮捕された6学生全員が不起訴・奪還された!
 洞口朋子さんをはじめとした6学生は元気いっぱいに出獄し、駆けつけた文化連盟の仲間と肩を組み、勝利のがい歌を挙げた。洞口さんは「法大闘争が世界に拡大していることを獄中で実感した。この団結の拡大の力が弾圧を粉砕した」と勝利感いっぱいに発言し、6学生はつぎつぎに「取り調べ」での権力の哀れな姿を暴露した。
 国家権力は、この弾圧で法大闘争が受験生と結合し、3・4サンフランシスコ教育ゼネストと結合することを阻止しようとしたが、弾圧は逆に受験生を獲得し、国際連帯はますます深まった。敵は不当逮捕を口実にして全国各地でデタラメな家宅捜索を繰り返し、何とかして6名を起訴しようとしたが、6名の完全黙秘・非転向の闘いと全学連と文化連盟の団結、東京地裁前での弾劾行動、労学連帯の全国声明運動など怒りの拡大が完全に敵のもくろみを粉砕してしまったのだ!
 とりわけ「営業権」を振りかざした歴史的大弾圧を初戦で粉砕した意義は大きい。2010年階級決戦の前哨戦における画期的な勝利である。この勝利を武器にして、3・1-2動労千葉第2波ストライキ、3・4訪米闘争、3・20闘争、3・28三里塚闘争、そして4・23法大集会の爆発を勝ち取ろう!

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週刊『三里塚』(S795号2面4)(2010/03/15)

北総の空の下で北総の空の下で

 ボイス担当

 充実感と高揚感が

 2月25日、現闘本部裁判の判決日です。反対同盟は、並々ならぬ決意でこの日の闘いに臨みました。
 本部周辺では、立ち木を伐採したり砂利や鉄柱を運び込むなど、仮執行付きの反動判決を見越した動きが活発化していました。これと連動して成田市が、市東さんに団結街道の封鎖を通告してきたのです! 法廷の内と外一体で実力阻止の決意を突きつける時です。
 この日、平日にもかかわらず全国の仲間が400名も駆けつけてくれました。傍聴に入りきれない人々とマスコミで裁判所前は騒然としています。
 私は同盟宣伝カーで千葉市民に訴えながら裁判所の外周を回りました。即判決か、という緊迫情勢の中で、携帯電話に入る連絡を待ちます。同盟側が裁判長を忌避。”仲戸川裁判長が弁論の再開を却下”の一報に、思わず仲戸川弾劾の声が高くなります。
 そして…”仮執行付かず!”の一報です。最悪のシナリオを粉砕しました!
 総括集会は、闘い切った充実感と、次なる決戦に向かう高揚感でいっぱいでした。
 反対同盟は仮執行が付いた場合の戦術を2段3段と構えて、終日闘争の腹をくくっていましたが、こうなったら農作業を少しでも先に進めて、明日の市議会闘争に備えねば!
 翌26日は、市議会傍聴闘争で市道廃止の審議に抗議の嵐を突きつけました。現闘本部と生活道路を守るために、空港会社と成田市相手の真剣勝負が続きます。 (北里一枝)

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週刊『三里塚』(S795号2面5)(2010/03/15)

 三芝百景 三里塚現地日誌 2010

 2月16日(火)~3月2日(火)

●羽田に5本目の滑走路計画 国土交通省は、羽田空港に5本目の滑走路を建設する方向で検討に入った。(16日)
●米航空大手が羽田便一斉申請 アメリカ航空大手5社が航空自由化協定の締結を根拠に、羽田―米国路線に11便の申請を行った。(16日)
●市長が団結街道廃道で拒否回答(17日) 
●仲戸川裁判長弾劾の千葉地裁ビラまきに支援連が決起(17日)
●茨城空港、わずか1路線で開港へ 3月11日に開港予定の茨城空港は定期便がソウル線の1便だけでスタートを余儀なくされる、との報道がされた。(19日=読売新聞)
●現闘本部裁判の判決へ予想記事が相次ぐ 反対同盟の象徴である天神峰現闘本部の成否を決める2・25判決法廷に向けた報道各社の関心が高く、「『象徴』撤去か残存か」などと、千葉版を中心に新聞全紙が裁判の争点、予想される判決内容などを掲載した。(21日~25日)
●現闘本部裁判判決で「仮執行宣言」を阻止 反対同盟と労農学は現闘本部判決闘争を闘い、NAA最大の狙いだった「仮執行宣言」を阻止した。(25日=1面に記事)
●「団結街道を廃道にするな」成田市議会闘争 反対同盟と支援は団結街道の廃道問題を審議している成田市議会の包囲・傍聴闘争に決起した。(26日=写真=1面に記事)
●団結街道廃道のための付け替え道路を着工 NAAは、団結街道の廃道が決まってもいない段階で、その準備となる、市東さんの畑への付け替え道路工事着工を強行した。(3月1日=1面に記事)
●反対同盟、3・28集会への招請状を発出した。
(1日=1面に全文)
●支援連が市役所ビラまき情宣闘争 団結街道問題を審議する市議会建設水道常任員会開催日にあたり、現地支援連は市役所への早朝ビラまき、午後の委員会傍聴闘争、PRカーによる宣伝闘争をやりぬいた。(2日)

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週刊『三里塚』(S795号2面6)(2010/03/15)

 階級的敵がい心を貫く 戸村思想を学ぼう⑨

 戸村さんの暴力論

 階級社会の変革に不可欠

 「鎌持ってデモの先頭に」

 「角材を闘いのシンボルとしてください」

 68年3月10日集会の戸村さんのこの発言をマスコミは、意図的に歪曲して報道した。「農学共闘に亀裂の兆し」「実力行動に迷いと不安」というようなものである。しかし戸村さんの反権力への意志は、微動もしていなかった。戸村さんの「角材・武器=シンボル」の訴えは、国家権力に対決する意思を貫徹する必然的闘争形態として総武装を呼びかけるものだった。
 すぐ後の6・30集会で萩原進さん(当時青年行動隊長)は「農民は鎌と竹槍をもった!」とアピールした。この鎌を掲げたデモを戸村さんは、強く支持した。「手中に固く大鎌が握られ、デモ隊の先陣に起つということは、闘う者の心血の迂りである。農民の鎌は、闘いの意思表示として、その手中にたえず握られるべきものである」(『闘いに生きる』)。三里塚では、大鎌、竹槍、糞尿、路傍の石、森の蛇など農民の生活に密着したすべてのものを武器に転化した。『小説 三里塚』で彼はこれを巧みに記している。
 萩原進さんは、次のように語る。「戸村さんは、右の頬を打たれたら左の頬を出せというクリスチャンだった。だけど権力の弾圧=六八年二・二六という現場に立った時に一夜にして変わった。戸村さんのアジテーションは機動隊を前にすると、対権力の憎しみが前面に出た。
 戸村さんの演説は農民に対して説得力があった。『自分の気持ちを代弁してくれる委員長』という感じだった」(『農地収奪を阻む』)
    *
 外郭測量から代執行へ、政府は既成事実の進行と国家意思の暴力的発動による農民の屈服を狙った。これといかに闘い勝利するのか。三里塚農民は、砦死守戦と機動的ゲリラ戦の武装的形態をとった大衆運動を組織し、国家の全体重をかけた空港建設と土地取り上げに対して全力で決起した。
 これは同時に、反対同盟にとって三里塚闘争を政策レベルの取引に引き下げる社共の合法主義(その前提にあるプロレタリア革命への敵対)との大きな路線的な分岐をかけたものだった。
 戸村さんは、三里塚農民の怒りの先頭に立ち実力闘争を指導した。そのテコは、「国家=暴力」への激しい弾劾である。「現代の国家機構とその支配体制自体が、暴力と悪徳そのものの塊」(『闘いに生きる』)。戸村さんは「人民を虐げる国家形態の組織暴力が国家権力であり、資本主義体制を守るため」と現代の国家=民主主義的統治形態のブルジョア支配の本質を指摘する。
 このように国家=階級支配のための組織された暴力・人民支配のための道具というマルクス主義国家論に接近し、国家=階級対立の非和解性の産物という本質規定を闘いの現場からつかみとった。
 戸村さんは国家権力の暴力に人民の暴力=総武装を対置し、実力闘争を労働者人民にとって獲得すべき権利として、「根源的悪(国家)への挑戦と抵抗権の実力行使」の意義を高らかに宣言する。「闘いとは、根底的に体制を否定し、変革と解体を闘いとらんとするものでなければならない。現在、敵権力側のいかなる苛酷な弾圧下にあろうとも、私の希求するものはたえずこの一点に絞られる」。
 このように社会の変革と資本主義の解体を求め、その変革の主体たるプロレタリアートの勝利に自分たちの命運をかけたのである。戸村さんは「支配階級のあくなき暴力に対決する被抑圧者の怒りの爆発行為を他にして、いかなる人間愛・社会愛・社会変革・人間解放もない」と言い切る。なぜなら、これは自己防衛よりも、愛他精神に基づく連帯感と正義感にかかわる人間行為の問題であるからだ、と。
 この戸村さんの確信は、プロレタリア暴力革命の思想に重なる。マルクスは、暴力は革命の助産婦であり「古い汚物をはらいのけ、新しい社会建設の能力を付与される」(「ドイツ・イデオロギー)と言う。そして「階級の消滅とともに国家も消滅する」(エンゲルス)。その実現が、プロレタリア階級闘争である。
 「怒りが足りない」これは戸村さんの口癖だった。人間的尊厳の奪還をかけた日帝権力への徹底した抵抗が、戸村さんをして資本主義の解体を目指す人間の根源的解放の闘いに「あえて弾圧をもいとわず苦難の道をゆく」決意をさせたのだ。(つづく)
(写真 1971年第1次代執行阻止闘争の頃、闘いを見守る戸村委員長)

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