SANRIZUKA 2009/12/01(No788 p02) 
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週刊『三里塚』(S788号1面1)(2009/12/01)
結審強行弾劾し仲戸川圧倒
11・12現闘本部裁判 労農学140人が包囲デモ
裁判長はNAAの犬!
小沢・鳩山政権との対決だ
11・1労働者総決起集会の成功につづいて、韓国・ソウルにおける11・8労働者大会が5万人の結集をもって大成功した。この大会には反対同盟から萩原進事務局次長が、動労千葉や全学連とともに参加し、三里塚闘争の国際連帯の地平を前進させた。一方、千葉地裁では11・12天神峰現闘本部裁判が司法反動の先兵・仲戸川裁判長を圧倒して闘い取られたが、仲戸川は結審を強行、来春2・25判決を宣言した。三里塚は同判決に至る3カ月決戦に突入した。この闘いは小沢・鳩山民主党政権との対決そのものだ。全力で11〜12月の闘いを推し進めよう。
(写真 傍聴闘争に並んだ長蛇の列【11月12日】)
来春2・25反動判決粉砕せよ
天神峰現闘本部裁判をめぐる前回6月25日の弁論以降、反対同盟と弁護団はありとあらゆる闘いで仲戸川隆人裁判長を追いつめてきた。
7月21日の市東孝雄さんの行政訴訟・農地法裁判の弁論前に、仲戸川裁判長への申し入れ書を提出した。9月17日の鈴木幸司・いとさんの一坪裁判の弁論前に仲戸川裁判長への面会要求を行い、7・21申し入れへの回答を要求したが、仲戸川は拒否。同盟側はついに11月4日、国会に設置されている裁判官訴追委員会に対して、仲戸川罷免の請求を行った。
そして11月11日には、仲戸川に対する4回目の裁判官忌避を行ったのだ。
これらの過程で三里塚闘争支援連絡会議は数度に渡って、千葉地裁前ビラまきを行なった。
一方、NAAは10月29日突如、「訴状の訂正申し立て」なるものを行ってきた。これは、NAAが反対同盟に明け渡しを求める物件の対象として、現闘本部建物に加えて、現闘本部に付属する便所、蛇口、水道管、流し台などをも加える内容だ。これは訴因の拡張的変更にあたり、その部分について数度の口頭弁論を要する重大事態だ。
11月12日当日、反対同盟および結集した140人の労農学、弁護団は決戦態勢で臨んだ。午前9時より千葉地裁を包囲する集会・デモを敢行した。(記事別掲)
当日午前10時、仲戸川本人が、前述した4度目の裁判官忌避を簡易却下してきた。弁護団はただちに即時抗告の手続きを行った。
10時30分に始まった法廷は大決戦となった。まず弁護団が「民事第1部が受領した裁判官忌避を第5部のしかも仲戸川裁判長自身が却下するとはどういうことか」と迫ると「裁判遅延のための忌避権の乱用と認めたからだ」と、忌避却下が千葉地裁総がかりの暴挙であることを開き直った。廷内は抗議の怒号に包まれ弁論はしばし中断。
次に弁護団はNAAの「訴状の訂正」問題を追及した。しかし、NAAと一体の仲戸川は訂正文書で足りる、と弁論を進め、結審しようとした。
「認否・反論の機会を保証せよ」「同盟側の防御権を侵害するのか」。6人の弁護士が次々に立って仲戸川を追及すると反対同盟も「弁論を認めろ」(市東さん)、「こんなずさんな裁判は裁判じゃない!」(鈴木加代子さん)と被告席、傍聴席から仲戸川に迫った。
そして弁護団は「裁判長はNAAの手先だ。いやそれでも足らないNAAの犬だ」とまで弾劾したが、「退廷」の言葉はおろか、何の反撃もできなかったのだ。勝利感は一気に高まった。
北原事務局長が陳述に立った。北原さんは仲戸川に直接「われわれは法律家ではないが人としての道理は分かっている。これは裁判ではない」と弾劾した上で、反対同盟に地上権があること、仲戸川の不当な訴訟指揮を一つ一つ弾劾する陳述を行った。
つづいて、弁護団による最終弁論の要旨陳述に入った。どの弁護人も改めて仲戸川の不法・不当な訴訟指揮、法廷の運営態度を口々に弾劾した上で、これまで展開してきた反対同盟側主張の集大成を分担して行った。
葉山弁護士は「裁判長の不当な指揮は憲法31条違反であり、職権乱用にあたる犯罪行為だ」と述べ、1966年本部建設以降の経緯も踏まえて「地上権の保持」を改めて主張した。その他「現地の検証をすることなしに判決は書けない」「空港建設過程の国家暴力、現在の空港政策の破たんに目をつぶっている」「空港反対闘争は人民の権利を守る砦だ。現闘本部はその中心部。絶対に守る」など約1時間にわたって各弁護人が最終弁論要旨を展開した。弁論闘争は当初予定を1時間もオーバーする2時間半も展開された。打撃感に打ちのめされながらも仲戸川は結審を宣告、弾劾の嵐の中、「来年2月25日に判決を行う」と言い残すと逃げ去った。
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場所を移して行なわれた報告会は勝利集会となった。動労千葉の佐藤正和新小岩支部長、関西実行委の永井満さんが法廷の勝利と結審強行を弾劾、最後に萩原進事務局次長が「正義の主張を展開し、仲戸川の悪行を引きずり出した。どんな判決が出ても驚かない。理はわれわれにある。2月は目の前だ。反動判決粉砕へ闘おう」と奮起を訴えた。
(写真 140の労農学が千葉地裁【正面】に迫るデモを貫徹した【11月12日】)
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週刊『三里塚』(S788号1面2)(2009/12/01)
「これは裁判じゃない」
11・12 デモ隊が地裁肉迫
11月12日、天神峰現闘本部裁判に先立ち、反対同盟は千葉市中央公園で結審策動粉砕の決意を固める集会を行った。千葉市民の注目が注がれた。
発言者の冒頭に北原鉱治事務局長が立ち、闘いの鮮明な決意を次のよう
に明らかにした。「私たちは、43年間不当な空港建設と闘ってきた。私たちはもう一度決意する。仲戸川裁判長の不当な指揮を許さない」。
つづいて、田中康宏動労千葉委員長が「現闘本部裁判から市東さんの裁判へ、決戦が始まった」と発言し、「反対同盟の旗を押し立てよう」と提起した。特に、三里塚現地から戦線を広げ、千葉から全国に戦線を広げることを強調した。
山本善偉(関西実行委員会)さんの発言につづいて支援団体の決意表明。現地闘争本部の同志は「現闘本部の破壊撤去を絶対許さない。羽田・成田を一体化した軍事空港建設にしようとする輩に対して、われわれの闘いを叩きつけよう」と訴えた。デモは裁判所前まで進行し仲戸川を直撃した。
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週刊『三里塚』(S788号1面3)(2009/12/01)
NAA 同時離陸で30万回化策動
騒音下住民と共に反撃を
従来禁止していた4000b滑走路と暫定滑走路の同時離陸を強行することで、成田空港の年間発着枠を無理やり30万回(現在20万回)に拡大する策動が国土交通省とNAAの間で行われている。11月8日マスコミ(千葉日報など=写真)は、米国の専門調査会社なるものに調査依頼をし「同時離陸をしても安全性に問題がない」との「報告を得た」として、NAAが同時離陸を強行する方針を固めたと報道した。そもそも平行する滑走路の場合、2機が同時に同じ方角へ離陸する場合には、接触しないように、進行方向を平行状態よりも外側に15度以上開いて飛ぶというのが国際ルールだ。しかし内陸空港の成田では、三里塚闘争の力によって、騒音地区の拡大を阻止してきた経過があり、離陸機を15度以上開いて飛ぶことはできず、直進しなければならない。その結果、同時離陸は阻止されてきた。
ところが、前原国交相発言もあって、「飛行回数の30万回化」を焦る国交省、NAAは「米調査会社の報告」なるものを事実上デッチ上げて、危険極まりない同時離陸を強行しようとしているのだ。しかもこの離陸による騒音の拡大も深刻だ。いわゆる谷間地域(4000b滑走路と暫定滑走路に挟まれる区域)は、東西から同時に騒音が押し寄せることになり、ますます騒音地獄がひどくなる。理不尽極まりない「同時離陸」の強行を断じて許してはならない。
国交省・NAAは、三里塚農民始め地元住民を無視した前代未聞の攻撃を連続させている。左の表にあるように、7・30新誘導路の前倒し供用、10・22北延伸滑走路の前倒し供用を頂点に、市東さん宅を空港の中に囲い込む第3誘導路計画、10・23NAA森中小三郎社長の「さらなる北伸もありうる」との発言、そして11・12天神峰現闘本部裁判での仲戸川裁判長による結審の強行等だ。
日帝・鳩山政権による戦争・改憲と民営化・労組破壊攻撃と一体となった三里塚闘争破壊攻撃がエスカレートしている。 われわれは世界大恐慌の下で、決起を開始した6000万労働者と連帯して闘うとともに、三里塚現地において、北延伸に怒る騒音下住民、「同時離陸攻撃」に怒る谷間地域の農民・住民の怒りと結びついて、国交省・NAA、地元自治体、利権団体の地域反動の組織化を断固粉砕して、現闘本部死守、暫定滑走路閉鎖、空港廃港へ闘おう。
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《成田空港機能拡張にむけた攻撃》
6月3日 成田空港対策協議会が暫定滑走路の3500b化を要求
6月29日 10・22北延伸前倒し供用を国交省が認可
7月4日 第3誘導路建設策動が判明
7月27日 「へ」の字誘導路曲線緩和の工事を検討
7月29日 国、県、NAA、地元自治体の「4者協議会」が第3誘導路を承認
7月30日 新誘導路の前倒し供用を強行
7月30日 Aランと暫定滑走路の同時離陸の検討を開始
8月18日 NAA、一坪共有者69人を提訴
10月12日 前原国交相「羽田ハブ空港化」発言
10月13日 千葉県経営者協会が「3500b化」要求
10月22日 北延伸滑走路の前倒し供用を強行
10月23日 NAA森中小三郎社長「さらに北伸もありうる」発言
11月8日 Aランと暫定滑走路の同時離陸で「30万回化」強行狙うとの報道
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週刊『三里塚』(S788号1面4)(2009/12/01)
11・9市東耕作権裁判
“藤崎メモはデタラメ、偽造”
不在地主=NAAを追及
11月9日、市東孝雄さんの第13回耕作権裁判弁論が闘われた。法廷では「NAAは不在地主」「藤崎メモはデタラメだ」という反対同盟側の主張がNAAを圧倒する一方、そのNAAは藤崎の証人喚問を否定して主張のウソを自己暴露した。
耕作権裁判とは、NAAが市東さんの耕作地の一部を「不法耕作だ」と決め付け、農地の明け渡しを求めている裁判だ。 今回弁護団は、NAAの二つの違法・不当を追及する準備書面を提出し、法廷で陳述した。
第一は、10・20市東さん行政訴訟・農地法裁判で追及したのと同じ論点、すなわち、NAAは1988年に市東さんの畑の底地を藤崎他の地主から買収した時点で本社を東京港区においており、小作権のついた底地を買収することは農地法6条=「不在地主の禁止」に違反するという問題を突きつけ突きつけ激しく追及した。
第二は、7月27日の前回弁論にひきつづき、反対同盟側が提出した青柳鑑定書に基づいて、旧地主である藤崎政吉が書いた手書きの「藤崎メモ」が、デタラメ極まりない代物であることを改めて追及した。
法廷で、反対同盟弁護団から「NAA側の耕作地特定の唯一と言ってもいい『根拠』である藤崎メモの作成者の証人喚問を考えているのか」という追及に対して、NAAは「証人尋問も陳述書の提出も考えていない」と答えたのだ。
唯一の根拠である藤崎メモの信憑性(しんぴょうせい)がぐらぐらになっている中で、その作成者を法廷に喚問して、自らの主張を補強せず、反対同盟側の追及に任せておく、という態度表明は、この論点に関して”白旗”を揚げたに等しい。弁護団の追及と一体となって傍聴席からNAA弾劾の声が上がった。
菅原崇裁判長はNAAを助けるため「今後の進行について別に協議をやろう」とその場を切り抜けようとしたが、弁護団は拒否した。
裁判終了後、弁護士会館で記者会見が開かれた。市東孝雄さんは「裁判が進めば進むほどNAA側のひどいやり方が明らかになってきている。今後もどんどん追及していこう」とあいさつした。市東さんの闘魂に大きな拍手が起きた。さらに弁護団が次々と立って、法廷での応酬を解説、反対同盟とともに全力をあげて闘う決意を明らかにした。
その後、記者、傍聴者と弁護団とのあいだで熱心な質疑応答が展開された。次回耕作権裁判は来年2月1日だ。天神峰現闘本部裁判につづいて市東さんの三つの裁判も緊迫した局面に入っている。全力で傍聴闘争に立とう。
(写真 弁論闘争の後、記者会見を開いてNAAと菅原裁判長を弾劾【11月9日】)
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週刊『三里塚』(S788号1面5)(2009/12/01)
決戦化する三里塚
現闘本部裁判と市東さん裁判は国交省・NAAとの闘いであると同時に日帝=小沢・鳩山政権そのものとの闘いだ。米帝オバマとの争闘戦的な対立を深めつつ、小沢・鳩山政権は「東アジア共同体構想」によるアジア侵略・勢力圏づくりの中に延命の道を探ろうとしている。この「城内平和づくり」と鋭く対決する反戦・反権力の砦=三里塚闘争破壊を強める理由がここにある。現闘本部・市東さんの畑を守り抜こう。
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週刊『三里塚』(S788号1面6)(2009/12/01)

“オバマ・鳩山の戦争会談粉砕”
「11月」の勢いでデモ
国際連帯の更なる発展を
「オバマ・鳩山戦争会談粉砕11・12労働者・学生総決起集会」が、東京都内において350名の結集でかちとられた。全逓労働者が基調報告で、「日米間で矛盾と対立が激化する中でオバマと鳩山がやろうとしていることはブルジョアジーの救済と侵略戦争の準備だ。日帝、民主党・連合政権を打倒しよう」と呼びかけた。
田中康宏動労千葉委員長が特別報告で「11月集会はすばらしかった。労働運動の屈服に抗してわれわれは決然と立つことができた。その中心軸は、国鉄1047名解雇撤回闘争を現在的な課題にすえたことと国際連帯の発展にある」と11・1と訪韓闘争を総括した。
沖縄県民大会報告として坂野陽平全学連委員長代行が、「沖縄で巨大な地殻変動が始まっている。沖縄からこの社会をひっくり返そう」と発言し、また、当日の現闘本部裁判闘争を報告し、「NAA側が訴状変更したにもかかわらず結審した。仲戸川裁判長は自分に対する忌避の申し立てを自分で却下した。われわれは実力闘争に立つ」と決意を表明した。
国労共闘の吉野元久さんらの決意表明で直ちにデモに出発(写真)。「オバマ来日弾劾!」の声が都内を席巻した。
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週刊『三里塚』(S788号1面7)(2009/12/01)
コラム 
NAAが、成田空港に乗り入れる国内線の数を現在の8路線から15路線に拡大するため、航空各社と協議に入ったことが11月10日に報道された。ナンセンスの極みだ▼直接には前原誠司国土交通大臣の「羽田ハブ空港化」発言に驚きあわて、成田の地位保持を、と騒ぎ出したものだ。羽田に対して成田が「勝てない」のは、都心との距離の遠さに加えてこの国内線の数の少なさがあるからだ▼「国内線を増やし国際線客の乗り継ぎ需要を取り込みたい」という狙いだ。本紙でも報道したが、韓国仁川空港は日本の28地方空港に路線を張って、これら日本の地方空港発外国行き旅客を、仁川の乗り継ぎ能力の高さを利用して吸い上げている。これを取り戻せというのが前原発言の焦りの一つだ▼しかし「成田に国内線を」というのは恥の上塗りだ。覚えているだろうか。2001年2月から7月まで、暫定滑走路開業の直前に「国内線充実対策検討会」なるものが設けられ、「成田に日本人旅客を集めよう」と、運輸(当時)官僚、学者、航空会社、地元自治体の委員が検討した▼結局おざなりのアンケートを取るなどしただけで徒労に終わった。成田山以外に旅客を引きつける魅力は成田空港にはないが、わざわざ飛行機に乗って成田山に来ようという客もいない。いたとしても正月だけ▼そもそも成田に国内線をなどという要求は最初から成り立たない。農民無視・内陸空港のツケがここにも回ってきている。
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週刊『三里塚』(S788号1面8)(2009/12/01)
闘いの言葉
正義の行動で刑を受けるのだから、卑怯な態度で生に固執せず、大義に堂々と殉じることが母への孝行である。
1908年頃 韓国の安重根烈士(伊藤博文をせん滅)の母
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週刊『三里塚』(S788号2面1)(2009/12/01)
“労働者は一つになれ”
チョンテイル精神で闘おう
全国労働者大会に5万人
11・7〜9訪韓闘争 「11月」の地平を前進11・1全国労働者総決起集会と一体の11・7〜11・9訪韓闘争は、国際連帯を大きく前進させた。
11月7日午後、ソウルのヨンサン駅前で開かれた全国解雇労働者大会が開かれた。今年1月20日に、強制立ち退きに抵抗する撤去民5人を虐殺したヨンサン惨事から300日を迎えた。多くの労働者が「ヨンサンの闘いとサンヨン自動車労働者の闘いはひとつだ」と発言した。全学連から書記次長の石田真弓君が連帯のあいさつを行った。
11月7日の夜はヨイド公園で、翌日の労働者大会の前夜祭が行われた。「農民殺しのFTA阻止/日韓農民は連帯しよう」と漢字とハングルで書かれたゼッケンを身につけた反対同盟の萩原進事務局次長も合流した。(記事別掲)
舞台では、大量整理解雇に77日間の工場占拠ストライキで戦った金属労組サンヨン自動車支部の組合員たちがパフォーマンスを披露し「サンヨン車闘争は終わっていない。勝利のための闘いで団結しよう」と訴えた。公共サービス労組のイサンム委員長は、6日に連盟公共部門労働者1万5000人余りが果川(クァチョン)政府総合庁舎前に集まってストライキを決議したことを報告した。
11月8日午後1時、動労千葉訪韓団は民主労総ソウル本部と共に永登浦(ヨンドンポ)駅前で開かれた「ヨンサン惨事解決要求!非正規職撤廃!闘争決意大会」に合流・参加した。動労千葉の田中康宏委員長が発言に立った。ここで全学連とともに萩原事務局次長が紹介された。委員長は「今日、ヨンサンの現場にも行ってきました。資本家の金もうけのために人が殺されていいのか。こんな社会を労働者の団結で変えよう」と呼びかけた。
虐殺されたイサンニム氏の夫人チョンジェスクさんは、「あの日を絶対に忘れない。この国の政府は一粒の涙も流さない。検察も警察も政府には責任がないという。まだ病院にいる人もいる。最後まで一緒に闘って下さい」と訴えた。
さらに、サンヨン自動車支部非正規職支会のポクキソン主席副支会長が「正規職と非正規職が共同闘争しなければならない。大変しんどい状況だがサンヨンだけでなく全国の労働者、特に大宇や現代の非正規職労働者との連帯をつくり出して闘うことが必要だ。最後まで闘う」ときっぱり。司会進行を務めたイーランド一般労組のイナムシンさんが「今日は労働運動と民衆運動が一つになった。ヨンサン惨事を解決し、非正規職のない世の中を」としめくくった。
8日午後3時からヨイド公園で開かれた民主労総主催の「チョンテイル烈士精神継承!09全国労働者大会」には5万人の労働者が結集した。
あいさつに立ったイムソンギュ民主労総委員長は「イミョンバク政権の狙いは民主労組運動の抹殺だ。決定的な労組抹殺政策が、複数労組窓口一本化と専従賃金支給禁止だ」と弾劾し、「政府が押し切るならば12月80万人ゼネストに突入する」と宣言した。
今年が最後になるかもしれないとチョンテイル烈士の母、イソソンさんが登壇、「私たちが団結して必死になって闘えば勝てる。力を尽くせ! 一つになれ! イミョンバクをやっつけろ」と叫んだ。1970年にチョンテイル烈士が縫製工場で働く少女たちの長時間労働に抗議し、「勤労基準法を守れ」と叫んで焼身決起してから39年。大恐慌を革命に転化するために闘う時が来た。
大会の最後に全参加者が声を合わせて集会決議文を朗読した。そして@イミョンバク政権の労組抹殺政策に対抗し、複数労組と労組専従賃金問題の自立交渉をゼネストを含む総力闘争でかちとること、A公務員労組と全教組、民主労総に対する全面弾圧阻止、特殊雇用労働者の労働3権をかちとるために力強く闘うことなどを決議した。大会では中央農協労組の委員長も発言、韓国全国農民会総連盟の委員長も登壇して決議文を朗読した。
(写真 5万人が結集して大成功した民主労総の労働者大会【11月8日 ヨイド公園】)
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週刊『三里塚』(S788号2面2)(2009/12/01)
11・8沖縄 2万1千が日米安保直撃
普天間閉鎖、辺野古拒否
宜野湾海浜公園野外劇場内外で開かれた「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する11・8県民大会」は2万1千人の労農学を結集し、「普天間基地即時閉鎖・返還」と「辺野古新基地建設反対」の大会決議を採択、民主党・連合政権との対決を鮮明にした。
県民大会は「新政権への期待」を組織しようとした主催者の民主党や社民党、日本共産党などの思惑を労働者人民の怒りで吹き飛ばした。
開会あいさつで登壇した玉城・沖縄県議会副議長は、米軍基地のある都道県で作る渉外知事会会長の松沢・神奈川県知事が11月6日、「辺野古移設推進」を要求したことに対し「県民を蹂躙(じゅうりん)するものだ。撤回を」と発言し、仲井間真・沖縄県知事に対しても「同罪だ」と弾劾の姿勢を示さざるをえなかった。政権与党となった国民新党政調会長・下地が登壇すると「帰れ!」の怒号で騒然となった。 沖縄労組交流センターと全学連は、1万枚を超えるビラを配り、「民主党政権にお願いしても基地はなくならない。労働者・学生の闘いで基地撤去を! 辺野古の基地建設を13年間止めたのは現場の実力闘争だ」と訴えた。米軍再編攻撃の中で、鳩山民主党政権のもとで辺野古基地建設が強行されようとしている。成田空港の軍事基地化攻撃もまったく一体だ。三里塚・沖縄の連帯で戦争攻撃に鉄槌を。
(写真 2万1000人が結集した11・8沖縄県民大会【宜野湾海浜公園野外劇場】)
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沖縄の怒り感じた 参加した現闘員の話
久しぶりに沖縄県民の怒りを感ずることができた。現在、ハリヤー・パッドの基地建設阻止を闘っている豊原地区の渡具地ファミリーの発言が集会全体の怒りの声を一つにしていた。
私たち行動団は労組交流センターの仲間と共に結集してくる労農学へ1万枚のビラまきを行ったが、すばらしい手応えだった。その中で8人の法大生奪還―星野文昭さん奪還の署名を大声で展開し訴えると署名を待つ行列ができた。沖縄人民は「72年本土復帰で何も変わらなかった、むしろ情勢は第3次世界大戦にむかおうとしている」と感じ始めている。
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週刊『三里塚』(S788号2面3)(2009/12/01)
萩原事務局次長が訪韓闘争に決起
日韓労農の連帯へ 「三里塚が先頭に立つ」
ヨンサンの虐殺に怒り

(写真左 永登浦【ヨンドンポ】駅前での集会。2列目、写真中央に萩原さんの顔が見える【11月8日】)
(写真右 動労千葉・田中委員長の発言の時に紹介された【11月8日 永登浦】)
●前夜祭へ
反対同盟の萩原進事務局次長が11月7日から9日まで、韓国・ソウルを訪れ、民主労総の労働者および労働者大会に参加した農民と熱い交流をかちとった。
動労千葉訪韓団とともに7日夕方にソウルに到着した萩原さんは、国会近くのヨイド公園で行われた前夜祭に参加し、戦闘的な労組が出している出店をまわって、あいさつを交わした。
翌日は、民主労総ソウル本部、動労千葉と共に今年1月20日に起きたヨンサン(龍山)事件の現場を訪問し、イミョンバク政権と日本の国家権力との共通性を確認。新自由主義政策に基づく強権的労働者・農民支配の現状を実感していた。さらに、鉄道労組の労働者と交流。
そして午後1時から「殺人解雇!殺人開発反対!」を掲げて永登浦(ヨンドンポ)で開かれたヨンサン惨事糾弾・非正規職撤廃・公安弾圧粉砕集会に参加した。
●韓国警察
動労千葉田中康宏委員長の発言の時にともに並んで、全学連とともに紹介された。ヨンドンポの会場から労働者大会が開かれるヨイド公園まで、数千の労働者が歩いて移動しようとした時、韓国警察の機動隊が歩道をふさいで妨害に出た。これに対して、民主労総ソウル本部の仲間たちは肉弾戦を挑むとともに、車道に座り込んで弾圧と徹底対決。萩原さんもともに闘い、弾圧を粉砕して労働者大会に合流した。国家権力の弾圧に対して文字どおり共闘した。
(写真 民主労総ソウル本部との理念交流会で発言する萩原さん【11月9日】)
●同盟軍
午後3時から「チョンテイル烈士精神継承2009全国労働者大会」がヨイド公園で、5万人の大結集で開催され、ここに参加。民主労総委員長のイムソンギュさんやチョンテイル烈士の母親のイソソンさんの戦闘的な発言に拍手を送った。
他方、中央農協労働組合の労働者が発言し、韓国全国農民会総連盟の会長が集会決議文の朗読で登壇しているのを認めると、演壇脇にかけつけて、積極的に交流、名刺を交換し、三里塚闘争をハングルで紹介したリーフレットを手渡して、熱い握手を交わした。
9日は、民主労総ソウル地域本部と動労千葉を先頭とする日本からの訪韓団との理念交流会に参加、冒頭に発言を求められた。
萩原さんは「昨日、ヨンサンの強制立ち退きで5人の犠牲者を出した現場を見てきた。権力と人民は絶対に合い入れない。これは日本でも韓国でも一緒」「大地は大切だ。これを侵してはならない。土地を武器に闘う。この三里塚闘争は動労千葉や全国の人民の闘いがあったからこそ闘ってこられた。全世界の労働者・農民・人民とともに闘う決意をもってこの場にいる」「労働者の同盟軍として農民の決起を作って行きたい」と戦闘的なあいさつを行い、大きな拍手を浴びた。
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週刊『三里塚』(S788号2面4)(2009/12/01)
三里塚営農だより
市東孝雄さん宅
落花生の風物詩

3月全国集会の畑に作付したキャベツ、レタス、白菜、聖護院大根が見事に育ちました。市東さんがその畑を眺めて「同じ緑色の葉っぱでも、微妙に違いがあって綺麗(きれい)だねー」と嬉しそうに収穫に取り掛かります。
今、収穫しているキャベツの天敵は何と言っても青虫(モンシロチョウの幼虫)ですが、つい数日前には、それまで見られなかった青虫が一気に発生し、バリバリ葉っぱを食べ始めています。この間暖かい日が続いていたので、一斉に卵から孵化したみたいです。
さて現闘本部そばの畑では、収穫作業の合間を縫って落花生の「野う積み」が始まりました。(写真)
落花生で有名な隣町=八街の秋の風物詩ですが、成田周辺でも見る事が出来ます。その「のう」の頭にかぶせる雨除けの「ぼっち」は昔はワラを傘状に結んだ物をかぶせていましたが、今では、ブルーシートやビニールが主流になりました。
落花生作りが盛んだった頃は、「のう」を如何に高く積むかを競ったみたいですが近年、農家の高齢化もあってか、年々低くなっているようです。
今年、市東さんの畑には、高く積まれた「のう」が10個、空港ににらみを利かせています。
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週刊『三里塚』(S788号2面5)(2009/12/01)
三芝百景 三里塚現地日誌 2009
11月4日(水)〜11月17日(火)
●仲戸川裁判長に対する罷免請求を敢行 反対同盟は、裁判官訴追委員会(国会に設置)に対して、天神峰現闘本部裁判の仲戸川裁判長の罷免を求める訴追請求を行った。(4日)
●「30万回化以上」を要求 千葉県内の利権団体で作る「千葉力創造研究会」(会長・千葉滋胤県商工会議所会長)が森田知事に社会基盤整備や観光振興などの提案をまとめた報告書を提出し、その中で「成田空港の年間発着枠を30万回以上」にすることを要求した。(5日)
●萩原事務局次長が訪韓
反対同盟の萩原進事務局次
長は動労千葉の訪韓団とともに、11・8労働者大会参加のため韓国を訪問し、民主労総、農民の代表と熱い交流を果たした。三里塚現闘員もそれとは別に訪韓し、7日〜9日の行動に参加した。(7日〜9日=写真、記事別掲)
●「A、Bラン同時離陸強行で30万回」 国土交通省が成田空港の年間発着枠30万回化を強行するため、今まで禁止してきた4000b滑走路と暫定滑走路の同時離陸を解禁する方針を固めたことが報道された。(8日=千葉日報他)
●市東さん耕作権裁判を闘う 市東さんの耕作地の一部を「不法耕作だ」と言いなし明け渡しを求めている耕作権裁判の弁論闘争が、NAA側を追いつめつつ闘われた。(9日=記事1面)
●国内線の拡張を協議 NAAは、航空各社を集め、成田空港に乗り入れる国内線の拡充に関する協議に入ったことが報道された。(10日=読売新聞 1面「団結街道」参照)
●天神峰現闘本部裁判で仲戸川を圧倒 天神峰現闘本部裁判の最終弁論で、反対同盟、弁護団、傍聴団は仲戸川裁判長を圧倒し、「地上権の保有」という同盟主張の正しさを突き出した。弁論に先立って千葉地裁包囲の集会とデモ行進を貫徹した。(12日=1面に記事)
●日航が1312億円の巨額赤字を発表
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週刊『三里塚』(S788号2面6)(2009/12/01)
階級的敵がい心を貫く 戸村思想を学ぼうC
労働者階級との結合
敗北主義どう乗り越えるか
権力とは水と油
「敵はどんなことがあろうが、空港反対を認め、反対同盟の立場に立つことはありえない。この水と油のような質的相違を、彼我にはっきりと認める必要がある」。これは、戸村さんの遺稿「話し合いによる解決はない」の核心である。
戸村さんは、国と反対同盟農民を「水と油」に例え、その絶対的な非和解性を強調した。日帝と反対同盟農民の「絶対非和解」的対立は三里塚闘争の一切の基礎である。故市東東市さんも同趣旨の言葉をを戸村思想の核心としていた。
この非和解の闘いの貫徹が、それまでの住民闘争・農民闘争などの水準をのりこえ、戦後の大衆運動を変革させた。社民・日共スターリン主義によって、あらゆる闘いは、国家権力打倒=プロレタリア革命から切断され歪められてきた。三里塚闘争は、非和解・絶対反対を軸に革命的左翼との結合で突破し、勝利の路線を確立した。それを牽引した戸村思想は、次の4つの点を媒介にしている。第一は、仮借ない内部の思想的・路線的・組織的闘い。第二に、国家暴力の発動との全面対決とその困難性の克服。第三、対象変革と自己変革。第四に、全学連・反戦青年委との共闘=労農同盟の構築、日共・カクマルの排除。
特に、戸村さんの非和解の思想は、同盟内部の解体策動との激しい闘いをとおして打ち固められて行った。79年病床において、島寛征(当時、事務局次長・青年行動隊の幹部)の話し合い策動を知るや烈火のごとくに怒った。「裏切り者は内側にいる」と非妥協で投降主義を批判した。他方で、一見戦闘的な青年行動隊に敗北主義がなぜ支配したのかをえぐり出す。
(写真 1977年5月8日に東山薫さんが虐殺された翌日、機動隊に詰め寄る戸村委員長)
力のみなぎりを
擁護する者は「話し合い」を闘争戦術の問題として批判をかわそうとした。戸村さんは、彼らとの思想的路線的相違をあいまいにせず、組織的分岐を叩きつけた。そして、この闘いを貫くことによって敗北主義を克服しうる立場を鮮明にした。遺稿の中で彼は、次のように提起している。
「三里塚闘争が真の権力打倒の階級闘争だとすれば、必然にこの力の漲(みなぎ)りが見えてこなければならない。怒涛のようなうねりのような偉力を、私は求める」。
つまり、三里塚闘争の勝利の根源は、旧社会を変革する世界史的存在である「階級」=労働者解放の立場であり、三里塚はこの階級的力にどこまでも立脚するのである。闘いと屈服・逃亡の分岐は、労働者階級の力のみなぎりを確信できるかどうかだ。これは、今日こそ問われている問題だ。「労働者階級の力の確信」の喪失が、国鉄・分割民営化と解雇攻撃に屈服した「4者・4団体」体制内派であり、レーニン主義を解体する塩川派の本質だ。
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「話合いによる解決はない」(「遺稿」より)
三里塚闘争一四年の思想性の何であるかが今こそ厳しく問われる時はない。土地問題が権力問題に入らざる限り、闘いの解決はありえないものが三里塚闘争だ。
そこでは権力者におもねり、妥協の話合いなどによって事を解決しようとする者がいよう筈がない。ところが三里塚闘争の中にもそれが出て来たのだから考えなければならない大きな問題だ。しかし土地の共同性から来るコンミユーンの思想の実践如何によっては、それを超える力を発揮できるものである。
被支配階級が支配階級を打倒するには、どうしてもこの力をどう発揮するか以外に道はない。三里塚闘争が真の権力打倒の階級闘争だとすれば、必然にこの力の漲りが見えて来なければならない。怒涛のうねりのような偉力を、私は求める。この力こそまず求めなければならない唯一のものだ。彼等がどんなことがあろうが、空港反対を認め、反対同盟の立場に立つことは永久にありえない。この二つの水と油のような質的相違を、彼我にはっきりと認める必要がある。これなしには闘いの基盤がない。この基盤に立ってこそ闘いはゆるぎないものとして闘争化する。
不屈不撓な闘争意欲を敵に売り渡し、敵との話合いは全く許せない裏切行為として糾弾しなければならない。こういう者が内から出たということは、反省が必要である。絶えず味方を売渡す裏切者は内側にいるということを、はっきりと見きわめなければならない。
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