SANRIZUKA 2008/12/15(No765 p02)

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第765号の目次
 

写真 11・9現地闘争。この高揚を拡大しよう

1面の画像
(1面)
全力で12・13現地闘争へ
国交省・NAA圧倒した2008年の闘い
開港30周年宣伝を撃退
“農地死守43年の威力だ”
記事を読む
「三里塚は人民の宝だ」
萩原進著『農地収奪を阻む』を読んで
困難を糧とし絶対反対派へ飛躍していく物語 青木 正敏
記事を読む
再審で星野さん取り戻せ
11・29集会 各地の「救う会」続々登壇
記事を読む
裁判員制度は赤紙
11・22 600人のデモ都心ゆるがす
記事を読む
ピンスポット 朝鮮有事の日米作戦を見直し
「成田」さらに重要
民間空港は空輸基地に
記事を読む
萩原進さん新著『農地収奪を阻む』 出版祝う記念会盛大に 記事を読む
 コラム 団結街道 記事を読む
闘いの言葉 記事を読む
日程 12・13三里塚現地闘争 記事を読む
『三里塚』(S765号1面A)闘争スケジュール 記事を読む
(2面)
資本主義は壊れ始めた
「市東さんの会」講演集会より 「穀物価格高騰と農業危機」(上)
生きていけない1次産業民営化・新自由主義が元凶
科学ジャーナリスト 天笠啓祐さん
記事を読む
国際連帯は今、世界を揺るがす  大恐慌下、ストの波世界を覆う
イタリア最大の教育ゼネスト  フランスでも40万人が決起
中国タクシー労働者がスト  スペイン 日産工場で解雇反対闘争
記事を読む

北総の空の下で北総の空の下で

根菜の季節

ゴボウ最高の出来

記事を読む
三里塚営農だより  萩原進さん宅 記事を読む
三芝百景 三里塚現地日誌 2008
11月19日(水)〜12月2日(火)
記事を読む
解放のうぶ声 下総農民の開墾と闘いの歴史
蘇るむしろ旗第2部(16)  第2部 下総開墾事業との闘い
大地主・西村との闘い開始
田中正造も中央で支援へ  八街騒擾事件の衝撃
記事を読む

週刊『三里塚』(S765号1面1)(2008/12/15)

 全力で12・13現地闘争へ

 国交省・NAA圧倒した2008年の闘い

 開港30周年宣伝を撃退

 “農地死守43年の威力だ”

 反対同盟は今年最後の現地闘争を、12月13日に空港敷地内で行うことを決定し、多くの労農学に呼びかけた(要項別掲)。2008年の勝利を確認するとともに、北延伸開業攻撃、市東さんへの農地強奪攻撃との激突となる2009年の闘いにむけて、反対同盟の決意に応え団結を固める集会・デモとして断固成功させよう。
労農同盟で北延伸を阻止!
2008年の三里塚闘争は「空港開港30周年キャンペーン」を頂点とし、北延伸工事、市東孝雄さんへの農地強奪策動の強まりなどによる攻撃をことごとく打ち返した。反対同盟は、圧倒的な勝利感をもって12・13〜2009年の闘いに臨んでいる。
政府・国土交通省、空港会社が、満を持してかけてきた開港30周年キャンペーンを跳ね返し、逆に国交省・空港会社のマイナス要因に転化した闘いは決定的だった。
2000年、権力側は暫定滑走路の2002年開業にむけて、10万人署名運動などを展開して、右からの運動で反対同盟を孤立化させようとした。今年の30周年キャンペーンをめぐっても北延伸開業〜3500b化、年間飛行回数の1・5倍化(30万回化)などを内容として地元反動を組織化しようとしたことは明白だった。
しかし、反対同盟の不屈の闘魂を軸とした三里塚闘争43年の物質力と迫力の前に、その反動構想に取りかかることすらできなかった。
しかも、マスコミを動員した「30周年キャンペーン」では、空港のぶざまさ、成田空港の地盤沈下ぶりが逆に満天下にさらされるという迷走ぶりだった。短い滑走路、「へ」の字誘導路の惨状が明らかになり、成田がすでにアジアのハブ(中心)空港の位置から転落していることまでが、すべての人びとの知るところとなった。
どんなに「空港完成の必要性」をわめきたてようが、43年にわたって空港反対農民を虫けらのように扱いつづけてきた国家権力の不正義性を塗り隠すことなどできはしない。土地を力ずくで奪うための土地収用法(事業認定)が、1993年に最終的に失効させられたという冷厳な事実からは、逃れることはできないのだ。これらが、「30周年キャンペーン」を始めとする2008年の三里塚闘争破壊攻撃を根底において打ち砕き、さらに3月、10月の全国集会、市東さんの農地を強奪攻撃に対して徹底的に闘ってきた2つの裁判の弁論闘争、天神峰現闘本部裁判における仲戸川裁判長への忌避も含めた法廷実力闘争と地裁包囲のデモ等々が攻撃を打ち破った。
反対同盟は、圧倒的な優位感をもって年末、年始の闘いに臨んでいる。
(写真 左に伸びていたのが従来の生活道路。それが右に曲げられトンネル化された)

(図 生活道路破壊トンネルの地図)

 金融恐慌の下で

 しかし、北延伸を始めとする成田空港完成計画が、安倍〜福田〜麻生内閣によるアジア・ゲートウェイ戦略の要中の要であるという事実も変わらない。自公政権が危機であればあるほど、全人民の結集と共闘の砦、抵抗と反権力の拠点・三里塚への破壊攻撃に全体重をかけてくる。
 11月17日には天神峰・東峰の生活道路をまたしても一方的にトンネル化し、農民の営農と生活をずたずたに破壊する暴挙を強行してきた(写真と地図参照)。2009年には北延伸工事が完成する。成田新高速鉄道工事も進行しており、完成キャンペーンも始まった。 「北延伸開業」の圧力で地元反動を組織化し、空港反対農民にさらに凶暴に襲いかかってくることは明らかだ。また3つの市東さん裁判、天神峰現闘本部裁判では、拙速審理・早期結審へ、司法反動の先兵・千葉地裁が組織をあげて出てくる。
 12・13現地闘争を2009年の勝利にむけた突破口を開く闘いにしよう。時代は、未曽有の世界大恐慌情勢、世界革命情勢への突入だ。帝国主義者どもは徹底的に追いつめられている。労農同盟の闘いを大きく前進させ、日米韓との国際連帯の闘いと合わせて、2009年を三里塚闘争勝利の年としよう。
(写真 11・9現地闘争。この高揚を拡大しよう)

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週刊『三里塚』(S765号1面2)(2008/12/15)

 「三里塚は人民の宝だ」

 萩原進著『農地収奪を阻む』を読んで

 困難を糧とし絶対反対派へ飛躍していく物語

 青木 正敏

 「市東さんの農地取り上げに反対する会」会員の青木正敏さんから萩原進さんの新著『農地収奪を阻む』の感想文が寄せられたので紹介します。
    *
 魂を揺さぶられたのは私だけではあるまいと思う。誰よりも、職場に動労千葉派の権力を打ちたてんと奮闘している若い労働者たちは、ここから汲み尽くせないほどの教訓を得たにちがいない。
 43年間の実践(実戦)をとおして、萩原さんが掴(つか)んだ結論は、どんなに困難と思える局面に突き当たっても、それを理由にして自己を合理化し仲間を裏切ることは、絶対に間違っている、むしろそれを試練として受け止め、仲間との信頼を団結の力で乗り越えていくことで、自己と闘いとを共に飛躍させていくことであった。この萩原さんの核心は、私たち労働者に無限の勇気と展望とを与えてくれる。
 この確信を萩原さんに伝えたのは、三里塚の闘いの中から生まれた類まれなる先輩たちであったのだろう。戸村一作委員長からは開拓農民をなめきった権力に対する敵愾心(てきがいしん)であった。第1次代執行阻止決戦では、大木よねさんの「反対同盟さ、身預けてあるだから」最後まで闘いぬく強烈な信頼であろう。そして市東東市さんからは、「闘魂ますます盛んなり」の戦闘性と三里塚にとどまらぬ全国の反戦・反権力の闘いとの連帯であった。また当初からの北原鉱治事務局長、用水阻止を先頭で闘いぬき意気軒昂な鈴木幸司さんとは、今も固い絆で結ばれている。さらには、白桝の木内武さん、南三里塚の宮本嘉さん、宝馬の三浦五郎さん、郡司とめ婦人行動隊長などなど、切りがないほどである。
 萩原さんの心の中には、こうした結集した同志たちが、今もなお共に闘っているように思える。しかし何といっても、同盟にとって最大の試練だったのは、71年の9・16だった。東峰十字路の戦闘で3名の機動隊員が死亡したが、これは農民放送塔が5人の決死隊と共にクレーンで吊り上げ倒されたこと、大木よねさん宅をだまし討ちにして破壊し、よねさんを袋だたきにして放り投げたこと、これら一連の闘いの中で起きたことであり、戸村委員長は「代執行に来る機動隊は侵略軍であり、人民の敵意に囲まれている。(われわれの)勝利は確実だ!」と予見していたことであった。
 だがそれは、15次にわたる青年行動隊の逮捕と島寛征・石橋政次・内田寛一ら同盟幹部の脱落逃亡、その後の成田用水を契機とした脱落派による「3・8分裂」を生み出した。
 この最大の危機に直面したとき、萩原さんは原則に立ちかえって克服する立場を貫いていったのである。
 まずは「裏切り者断じて許さず」と徹底糾弾した。それは自分自身の態度を明確に決めることであり、自ら退路を断つことであった。そうすることで自己変革をやり遂げ、飛躍することができた。同時に、三里塚の勝利性に確信がもてず、何やかやと理由をみつけて逃亡脱落していった者たちを乗り越えて進むには、絶対反対派として同盟を純化し、団結を強める以外にないとしてその先頭に立った。
 萩原さんの静かな語り口は、それらが書物からではなく、実践・実戦をとおして思想的に立場を養ったもののみが持つことのできる深さであろう。
 いま、萩原さんは「三里塚を闘わない者には労働運動はやれない」と言う。それは自身への問いかけでもある。今まさに三里塚には、これまで経験したことのない一大飛躍が、世界へ羽ばたく試練が歴史的に求められているのだ。国策による空港建設の農地強奪との闘いと同時に、新自由主義攻撃による農民抹殺との闘いへと、闘う人民の結集と共闘のとりでとしての三里塚はさらなる前進をやり遂げる。それこそ三里塚が300万農民と直接結びつく絶好のチャンスなのだ、と。
 その突撃路は、農地法をもってする市東孝雄さんの農地強奪との闘い。この前代未聞の新自由主義による農業・農民抹殺攻撃に対する全人民の怒りを三里塚が組織する気概に燃え、いままさに反転攻勢へ撃って出たのである。三里塚の後ろには、300万農民と6000万労働者が続いている。
 私は鮮明に思い起こす。68年6月30日、三里塚第2公園。5500人を前に100人の青年行動隊を代表して萩原行動隊長は叫んだ。「今日、われわれは釜を手に取った。われわれは今日、武装した!」と。40年後の今、萩原進さんは三里塚闘争の惣頭人として新自由主義攻撃を迎え撃っている。(市東さんの農地取り上げに反対する会会員)

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週刊『三里塚』(S765号1面3)(2008/12/15)

 再審で星野さん取り戻せ

 11・29集会 各地の「救う会」続々登壇

 「星野文昭さんを自由に、第2次再審勝利へ」11・29全国集会が、東京・四谷区民ホールで開かれ、440人が全国から集まった。来年4月で63歳を迎える星野同志の闘いは、徳島刑務所で34年目の獄中生活を続けている。
 その星野同志から、熱烈なアピールがこの集会に寄せられた。「私は、重圧・分断に屈せずはね返し、獄内外が身を置き合い、自他の自己解放の思いと力を信頼し、その思いと力を一つに、獄中・家族をすべての労働者人民の解放をかちとるものとして闘い、その内実と力を蓄積することによって勝利してきました。だから、それは常に、動労千葉、沖縄、三里塚をはじめとした闘いとつながり、一体の闘いでした」「職場で、地域で、街頭で、そして国境をこえて、私たちの団結と闘う力を圧倒的につくりだし、再審・釈放と、獄中・家族と、全ての労働者人民の解放のために、新たなる決意と体制を固め共に闘いましょう」と。
 集会は、7月14日に最高裁が再審請求棄却に対する特別抗告への棄却決定を行なったことに対する怒りにわきたち、これを打ち破って第2次再審を絶対に勝ちとろうという熱気に満ちあふれた。
 杉並・救う会の狩野満男さんの開会のあいさつで始まった集会では、最近星野さんと友人面会した人々からの報告を受けた。徳島の青年労働者、沖縄の知花盛康さん。沖縄と京都の女性は、11月14日に面会に行って徳島刑務所から不許可とされたことを激しく弾劾した。全学連の織田委員長は、来日して闘争中の韓国・金属労組ハイテックRCDコリア支会の労働者3人がこの会場にきていることを紹介、壇上に招きあげた。チョンウンジュ副支会長が、「私たちの闘いは、三里塚、動労千葉、それに星野さんの闘いを見ると決して長くないことを痛感しています」と前置き、共に固く連帯して闘う決意を表明した。
 再審弁護団から鈴木達夫弁護士が来春に第2次再審請求の闘いに入ることを宣言。この裁判がえん罪事件一般ではなく、階級裁判であり、階級的労働運動の発展の中に「奪還」の現実的力がある、と力説した。新たな「救う会」結成をめざして、千葉、新潟、福島、大阪の仲間が報告と決意を述べた。星野同志の家族から弟の修三さん、いとこの誉夫さんが挨拶した。
 最後に全国連絡会共同代表の平良修さんが、「継続は力。その力を発揮すべき時」と訴えた。全参加者が星野再審勝利へ不退転の決意を固める場となった。

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週刊『三里塚』(S765号1面4)(2008/12/15)

 裁判員制度は赤紙

 11・22 600人のデモ都心ゆるがす

 11月22日、「裁判員制度は現代の『赤紙』だ」とのシュプレヒコールが都心に鳴り響いた。同日、東京・銀座で裁判員制度廃止を訴える労働者、学生、弁護士、市民ら600人のデモが戦闘的に闘われ、三里塚現闘もともに闘った。
 デモに先立って、永田町の社会文化会館で「さあ廃止だ!裁判員制度11・22東京集会」が大盛況の内に行われた。まとめと行動提起を行った「大運動」事務局長の佐藤和利弁護士は「権力が攻撃を強めれば強めるほど運動は強化される。労働者、市民、自営業者、弁護士は一緒に闘おう」と訴えた。「裁判員制度はいらない!大運動」の提起する4月大集会の成功をかちとろう。

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週刊『三里塚』(S765号1面5)(2008/12/15)

ピンスポット

 朝鮮有事の日米作戦を見直し

 「成田」さらに重要

 民間空港は空輸基地に

 11月11日付けの読売新聞は、「朝鮮有事 日米作戦抜本見直し 空港選定など十数項目」との見出しで、北朝鮮の金正日総書記の健康問題を逆手にとった日米軍部の朝鮮半島侵攻作戦の具体化について報じた。(写真)
 具体的には「有事に米軍が使用する民間空港の選定や、負傷米兵の搬送・受け入れ態勢整備など十数項目が課題として上がっている」とされている。
 理由として「朝鮮半島情勢を巡る不安定要因が増したと見て、見直し作業を加速させ、来年秋までの完了をめざす方針」と報じられている。
 そもそも米軍は、「北朝鮮首脳に緊急事態が起きた場合」などを想定して、作戦計画「5030」という、ピョンヤン奇襲作戦を策定しており、今回、その臨戦態勢に入っている。
 この作戦につづく侵略戦争作戦「5027」と一体となって、日米共同作戦の臨戦化に着手したということだ。その場合のポイントが成田を中心とする列島全土の民間空港の徴発計画だ。
 8月末の防災訓練を、成田空港を会場に大々的に強行したこととあわせた成田の軍事化攻撃と対決しよう。

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週刊『三里塚』(S765号1面6)(2008/12/15)

 萩原進さん新著『農地収奪を阻む』 出版祝う記念会盛大に

 11月24日千葉市で、反対同盟事務局次長・萩原進さんの新著『農地収奪を阻む−−三里塚農民43年の怒り』の出版記念会が、反対同盟の北原鉱治事務局長らの呼びかけで盛大に開かれ、萩原さん夫妻の労をねぎらった。

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週刊『三里塚』(S765号1面7)(2008/12/15)

 コラム 団結街道

 東大名誉教授の大内力氏が『農業の基本価値』という本を再刊した。われわれはかつて、氏の『国家独占資本主義論』を、レーニン帝国主義論の修正だと批判した。われわれのその立場に変わりはないが、農業経済学者としての氏の仕事からは摂取できるものがある。この本もそのひとつ農業の大規模化、農産物の貿易自由化、農業のモノカルチャー化(単作化)などを鋭く批判している。WTO(世界貿易機関)、FTA(自由貿易協定)も論外だ。ポイントは新自由主義批判。論点のほとんどが、萩原進著『農地収奪を阻む』に重なっていることに驚かされた特に農業の大規模化を歴史的射程の中で批判している点に教えられた。反対同盟は秋田県大潟村の例をひいて、農業の大規模化に日本農業の活路を求める自民党政府の農政を真っ向から批判するが、大内氏はソ連のコルホーズの例を引き合いに出し、「大規模、工場的農業」を否定するコルホーズでは作物と人間との関係を断ち切り、農作業を機械的に分断してしまった。農業労働者はブリガードと呼ばれる5〜10人の組に分けられ、作物の生育に関係なく上からの指令に従って、種をまいたり肥料をやる日を決めたという。その結果がコルホーズ農業の大失敗であり、農産物輸入国への転落だった「農産物の流通は狭い範囲がいい」と、こちらは米国の例を出しての「地産地消」論も新鮮だ。農業論の深化が待ったなしに問われている。

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週刊『三里塚』(S765号1面8)(2008/12/15)

 闘いの言葉

 『農地収奪を阻む』を紙の爆弾にして全国にばらまきたい。これまでため込んできた闘いの勝利性を発揮していっそう突き進もう。
11月24日 事務局次長・萩原進さん

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週刊『三里塚』(S765号1面9)(2008/12/15)

 日程 12・13三里塚現地闘争

 日時 12月13日(土)午後1時30分
 場所 成田市東峰・開拓組合道路
 (東峰十字路北側=こちらに変更になります)

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週刊『三里塚』(S765号1面A)(2008/12/15)

 闘争スケジュール

●12・17暫定滑走路取消訴訟控訴審
 12月17日(水)午後2時東京高裁
 ★市東孝雄さんの証言
 《法大闘争裁判=東京地裁》

●12月15日(月)5・28「暴行」デッチ上げ裁判
 第6回公判 午後1時30分開廷

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週刊『三里塚』(S765号2面1)(2008/12/15)

 資本主義は壊れ始めた

 「市東さんの会」講演集会より 「穀物価格高騰と農業危機」(上)

 生きていけない1次産業民営化・新自由主義が元凶

 科学ジャーナリスト 天笠啓祐さん

 「市東さんの農地取り上げに反対する会」主催で11月16日に開かれた講演集会での「穀物価格高騰と農業危機」をテーマとした科学ジャーナリスト・天笠啓祐さんの講演は、市東さんの農地問題を考える上でたいへん示唆に富むお話でした。当紙編集部も取材させていただき、勉強になりました。講演要旨を、編集部の責任で2回にわたって掲載させていただきます。(編集部

 今日は、穀物価格の高騰と農業危機というテーマで話させていただきます。最近、変なことがたくさん起きています。例えば今、一番メインは金融不安の拡大。あるいは石油価格の乱高下とか、穀物価格の高騰。地球環境の異常、食の安全、等々ですね。矛盾が一気に噴出してきた。
 資本主義社会の自壊現象で限界に達したことが示されていますね。今の大量生産、大量流通、大量消費、大量廃棄、こういうしくみが限界に来た。例えば石油の消費量を見ても、100年、1世紀くらいで石油を使い果たしてしまう。
 一番大きな限界は、今の経済の行き詰まりです。実体経済が限界に達したので、いわゆる金融バブルが発生。何が経済を行き詰まらせてしまったか。一番大きい理由は、耐久消費財が行き渡ったことです。自動車ですとか冷蔵庫、洗濯機、あるいはテレビと言ったいわゆる耐久消費財が各家庭に行き渡ってしまったから、買い換え需要しか期待できるものがないわけですね。一つ一つの製品の寿命をどんどん短くしてって、どんどん捨てさせていくような仕組みを作っていく。それがまた大量廃棄というゴミ問題につながっていく。
(写真 新自由主義によってもたらされる農業危機について明快に解説してくれた天笠啓祐さん【11月16日 千葉市】)
    *
 で、行き詰まりを打破するために金融商品をどんどん作り上げたわけです。サブプライムローンなんてひどい話です。あれは低所得者向けの高金利のローンでしょ。それを債券、つまり証券化して売り出す。あんなの破綻は、目に見えているわけです。
 経済が行き詰まったために企業としては生き残り戦略として、合理化をどんどん進める。外注化とか非正規雇用化とか。その結果、働いても働いても生活費が稼げないっていうワーキングプアの方が、日本で1000万人。でも実際問題としてこのワーキングプアの方で一番多いのは、一次産業です。
 日本政府の解決策ですけどね、それが自由経済とグローバリズム。これ、先進資本主義国がとってきた解決策です。もう一つの解決策っていうのは市場経済による解決策。民間企業に競わせることによって。言ってみますと丸投げです。
    *
 例えば、オーストラリアで水が民営化された時に何が起きたか。オーストラリアは今、干ばつがひどい状態になっている。水の権利の売買というやり方をしたのです。いわゆる水の権利の売買市場を作り出したわけです。農業をあきらめて、水の権利を売る。他方で、農業続けたいっていう人はその権利を買うと。その結果、何が起きたか。
 水の量が少なければ少ないほど水を引く権利の価格が高騰するわけですよ。その結果、農業をやりたいっていう人も水利権が買えなくなっちゃった。
 それで農業が、オーストラリアで農家が農業できないっていう状況が広がっちゃったんですね。これが民営化の怖さです。
    *
 日本でも起きていますね。一番怖いのは民間企業が農業に参入することです。
 ある事例ですけど、民間企業が農業に参入して採算が合わない。撤退する時、農業で使える土を全部売っちゃったわけですね。
 ですからあとは、使い物にならない土地しか残らなかった。これがやっぱり民営化の怖さですね。こういう解決法を行おうっていうのが、今の政府のやり方。
 もうひとつはやっぱり第一次産業切り捨てっていう解決法ですよね。FTA協定の自由化で、日本は何を売り込むかって言ったら自動車を売り込むことばっかり考えているわけです。
 早い話がトヨタのための自由貿易協定って言われていますけど、逆にその見返りとして食料を輸入するということですね。その結果日本にはどんどん外国からの安い農産物が入ってきて日本の第一次産業がひどい目に遭っているわけで。
    *
 鹿児島全県で漁師の一家の平均収入って言うとだいたい平均して250万円なんだそうです。ところが魚を捕って得られる収入は一家平均90万円だそうです。残りの差額は何から得ているかって言うと、大半の方が年金とか生活保護です。
 逆に都会の消費者って何食べているかってことです、魚。極端な例で回転寿司の100円寿司のネタ。ほとんどがもどき魚、だいたい100%本物がないわけです。マグロはマグロに似たもの。一番極端な例でイクラなんか有名で、人造イクラでありまして。化学物質で作っていますね。アルギン酸ナトリウムという。イカはナタデココが使われている。
 日本の漁師が魚捕って生きていかれない。他方で都会の消費者は外国から来た安い物で、本物の魚が食べられない。これは魚ですけど、農業も全く同じ状況です。
 ですから農家が一生懸命作ったものを日本の消費者が食べられない。で、農家は生きて行かれない。これが今の社会の大きな矛盾ですね。
 (つづく)

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週刊『三里塚』(S765号2面2)(2008/12/15)

 国際連帯は今、世界を揺るがす

 大恐慌下、ストの波世界を覆う

 イタリア最大の教育ゼネスト

 フランスでも40万人が決起

 中国タクシー労働者がスト

 スペイン 日産工場で解雇反対闘争

 今週は、イタリア、フランス、スペイン、中国での闘いを紹介します。
    *
 9月末以来「津波」のような労働者・学生のスト・デモが起きたイタリアで、11月14日、全国から20万の学生・生徒がローマに結集して街頭を埋め尽くす実力デモを敢行した。同じ日、大学・研究所の教職員も全国で一斉にストに入り、講師・研究者・技術者・事務職らがやはりローマに結集して、独自に10万人のデモを組織した。さらに、鉄道・地下鉄・バスなど交通労働者・自治体労働者・医療・航空労働者・消防士などを先頭にありとあらゆる産別の200万の労働者が全1日のストに突入した。この日、ローマは100万人の闘う学生と労働者であふれかえったという。
 イタリアでは10月30日、数十万人が参加する教育ゼネストが闘われたが、今回のスト・デモはそれをもはるかにしのぐ。マスコミも「20年来最大」の決起と報道。学生や教育労働者の闘いは直接には、国立大学の民営化や、3年間で教職員13万人以上の解雇、そして教育予算の7%削減などを狙う教育改悪法に反対するものだが、その闘いに、解雇撤回を掲げた全産別の労働者が圧倒的に合流している。
    *
 11月20日、幼稚園から大学まで、公立も私立も、フランスの教育労働者が全国で1日ストライキに立ち上がった。小学校の教員の69%をはじめフランス教育労働者の半数にあたる40万人がストに決起し、パリの4万をはじめ全国の48都市で20万人以上の教育労働者・大学生・高校生・保護者がデモに立ち上がった。この2カ月で4度目の教育ストだ。
 ストライキの目的は、ダルコス国民教育相とペクレス高等・研究教育相による「教育改革」を阻止することだ。「教育改革」は、国の教員定数を2009年度に1万3500人削減しようとしている(すでに07年度に8500人、08年度に1万1200人が削減されている)。中でもRASED(学業困難生徒特別援助網)の特別指導員3000人削減に怒りの声が上がっている。
 11月17日はエール・フランスのパイロットらのスト、同21日には鉄道運転士のスト、同22日には郵便労働者のストというように、いずれもサルコジ政権に痛打を浴びせる闘いが闘われた。しかしそれらは労組指導部の制動によって、ゼネストとして闘うことを避けるなかで分散させられている。20日の教育ゼネストにしても、ランク&ファイルの労働者が幅広く支持し、青年・学生が圧倒的に街頭に進出したことによって巨大な高揚となったのである。体制内労組指導部の裏切りと制動をはねのけて労働者階級の闘いを爆発させる――それはヨーロッパでも日本でも焦眉の課題だ。
    *
 スペイン第2の大都市バルセロナで10月29日の晩、2000人の労働者が日産自動車の首切り計画に抗議してデモを行った。これは日産が同13日に、日産工場労働者の40%にあたる1680人の解雇を発表したことに対するものだ。労働者の闘いは11月11日にも闘われ、この時は数百人が集まり、日産の事務所にビンを投げるなどした。
 世界金融大恐慌が爆発する中、スペインでは失業率が急上昇している。同国の9月の失業率はじつに11・9%、EU平均の7%を大きく上回り、加盟国中最悪だ。このような中、労働運動が日々激しさを増している。特徴は、伊・独・仏などに見られるように学生が大合流していることだ。11月13日に、バルセロナ7万・マドリード3万を先頭に全国60か所で数十万人の大学生・高校生が教育の民営化反対のゼネストに決起した。世界大恐慌の深まりの中、「生きさせろ!ゼネスト」は全世界の労働者階級人民の共通の叫びとなった。
    *
 11月20日、中国の広東省スワトー市で、タクシー労働者1000人以上がストライキに立ち上がった。市内の広場に数百台のタクシーが集結してストに突入。警察によって強制排除されたものの、運転手たちは市庁舎前に集まり、弾圧に抗議の声を上げた。中国では11月3日の重慶市でのストを皮切りに、雲南省、海南省、甘粛省、山東省、陝西省などでタクシー労働者のストが相次いでいる。(写真)
 ストライキは、タクシー労働者の劣悪な労働条件への怒りの爆発だ。重慶市では、タクシーの初乗り運賃が5元(約70円)なのに、会社がタクシー運転手から「管理費」と称してピンハネする金が月に7000元から8000元にも達する。運転手はこのほかに、月に2000〜3000元のガソリン代も自己負担だ。毎日13時間以上休みなしに働いたとしても1カ月の売り上げは約1万2000元で、その6分の1程度しか手元に残らない。
 重慶市のストでは市内を走るタクシー約1万6000台のほとんどが早朝から一斉にストに入り、市内の交通が一時、完全にストップした。当局はスト権を認めず、ストは「社会の安定を乱す行為」と鎮圧の対象にしてきたが、労働者の怒りの激しさに恐怖し、一定の譲歩を示さざるをえなくなっている。世界大恐慌の進展下、中国においてもストの波がわき起ころうとしている。

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週刊『三里塚』(S765号2面3)(2008/12/15)

北総の空の下で北総の空の下で

 根菜の季節

 ゴボウ最高の出来

 寒くなりましたね!根菜には、体を温めて持久力を高めるパワーがあります。
 まず紹介したい根菜が、最高のできだったゴボウです。無農薬のゴボウ作りには毎年苦労しています。芽が出てすぐの頃に虫に喰われたりして、かなりの部分が無くなってしまうのですが、今年はそれがほとんどありませんでした。ねま消毒(土壌殺菌)しないため、たこ足状のゴボウばかり…ということも珍しくないのですが、それも無し!。香りのいいゴボウ料理を堪能しています。
 里芋は、十分な水分が必要な根菜です。日照りが続いた夏の一時期、葉が黄ばんできて気をもみましたが、今年もおいしく育ってくれました。初めて援農に来てくれた青年が、里芋の煮っころがしを食べて曰く「この里芋に心酔しました!」
 民主労総との交流会にも里芋を出しました。宮本麻子さんが「里芋に苦味が無いのは料理の仕方なのか?」と質問されたそうです。「くわいと間違えてるんじゃないの?」(市東さん)「えぐ味と言う表現を通訳できなかったんじゃないか?」(萩原さん)と、後で話題になりましたが、いずれにしてもおいしかったことには間違いありません。
 毎年1番人気の根菜が人参です。ジュースで飲むのに単品注文が殺到しています。私も「あんたの所の人参はおいしい」と言われて、送ったり持参する所が増え続けています。あっ、さつま芋の話まで行き着かず紙数切れ…。(北里一枝)

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週刊『三里塚』(S765号2面4)(2008/12/15)

 三里塚営農だより

 萩原進さん宅

 12月1日、初めて霜が下りました。10月全国集会の萩原さんの畑で、サッマイモを収穫後に麦を播いた日です。フェンスの日陰部分で霜柱が1aほど土を持ち上げ、触るとサラサラと音を発てて崩れて行きます。年々霜が下りるのが遅くなって来ています。現闘になりたて(20年以上前)は厚手の靴下に長靴、防寒ズボンとドカジャンを着ても、朝方は底冷えして、畑に出る前に萩原さんの茶の間のストーブで、しばらく身体を温めてから畑に出たものです。
 もちろん午前中に野菜の収穫などできず(何しろ土が凍り付き、鎌は無論、スコップでさえも刃が立たない)、前日の午後に取り置いた葉物や根菜をハウスの中で、進さんや静江さんと仕分け作業をしました。
 それを思うと、この時期に朝から地下足袋姿で少し動いては、服を一枚づつ脱ぎ、最後はTシャツ一枚でも汗を流してしまうなんて考えられません! 野菜達も急激な気候の変化に対応できず、様々な障害を起こしてしまい、玉レタスは結球できずに葉を広げたままで2割程しか出荷できず、ブロッコリーは1カ月は出遅れています、人気のホウレン草は成長がバラバラで未だに収穫出来ません。
 それでも里芋や、特にゴボウは進さんが(これまで農業をやって一番のでき)と話す程、素晴らしい出来でした。気候の変化に苦労しながらも、作付け時期や栽培方法を考えながら現在取組んでいます。
(写真 産直の出荷作業)

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週刊『三里塚』(S765号2面5)(2008/12/15)

 三芝百景 三里塚現地日誌 2008

 11月19日(水)〜12月2日(火)

●萩原さんの著書出版記念会 萩原進さんが出版した『農地収奪を阻む――三里塚農民43年の怒り』の出版記念会が千葉市で行われ関西からかけつけた永井満さん、動労千葉の中野洋顧問、田中委員長、大潟村の坂本進一郎さんら多数の人びとが参加して著書出版を祝った。(24日=1面に記事)
●NAAが北延伸開業に向けたキャンペーン NAAは、「2010年に開業予定」としている北延伸計画を大宣伝するキャンペーンを新聞広告を使って行った。(26日)
●ドイツのテレビ局が市東さんを取材 ドイツのテレビ局が市東孝雄さん宅への空港による被害を焦点とした取材に訪れた。反対同盟に対する警察の人権侵害についても取材していた。(27日)
●NAA「09年度上場は困難」 NAAの森中小三郎社長は記者会見で「09年度に予定していた株式上場は難しくなった」と述べた。理由として外資の規制に関する法の制定が遅れていることをあげたが、世界経済危機による株価の低迷が背景にある。(27日)
●成田空港、10月の輸出入も落ち込む 東京税関がまとめた10月の成田空港貿易概況によると輸出は前年比17・9%、輸入も13・8%の減少となったことが分かった。(27日)
●星野全国集会に参加 星野文昭さんを取り戻せ 全国集会に現地から現闘員多数も参加してともに闘った。(29日=1面に記事)
●農水省が農地法改悪プラン 農林水産省は、農地の賃貸借を大幅に緩和する農地法改悪案を発表した。「所有と利用を分離する」として、企業の賃貸を容易にして農業への参入を促す内容だ。来年の通常国会に提出する、としている。(29日=写真)
●「羽田国際線の昼間枠をもっと増やせ」 国と都、千葉県、神奈川県の実務者による羽田国際化に関する分科会が内閣府で開かれ、都の副知事は「昼間の国際線枠を現在の3万回から5、6万回に増やせ」と要求した。(12月1日)

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週刊『三里塚』(S765号2面6)(2008/12/15)

 解放のうぶ声 下総農民の開墾と闘いの歴史

 蘇るむしろ旗第2部(16)

 第2部 下総開墾事業との闘い

 大地主・西村との闘い開始

 田中正造も中央で支援へ

 八街騒擾事件の衝撃

 明治10年代から20年代にかけて、開墾地を覆う悲惨な事態は深まっていった。農民たちも、巨額の訴訟費用の負担が生活を圧迫していた。しかし、このような厳しい中でも、闘いの再度の高揚が始まった。最大の契機は、県が懐柔策として農民に売った土地の税軽減期間の延長要求である。
 1886年12月豊四季村の山林に300名の農民が集合した。彼らは悲痛な決意だ。みんなで東京に抗議に行こうとデモを始める。(第14回既述)
 そして新たな闘いは、地主の小作地の強制引き上げに対する抵抗から始まった。1890年八街において、西村・大久保の大地主は前回紹介した鈴木善右衛門および大田定七、竹内直次郎を始め数十人の地所引き上げを決行した。
 連載第13回で述べたように、封建的土地所有制度から地券発行(1872年)によるブルジョア的土地所有制度への移行の間隙をついて、三井、西村らの大地主が、入植民をだまして「小作証明書」に署名・捺印させ、開墾地を強奪したのだった。
 入植民の提訴に対して、裁判所は不当にも大地主の利益を代弁して、農民の訴えを却下した。その上での「強制執行」だ。
 西村らに雇われた人夫は鈴木らの家屋を次ぎ次ぎと打ち壊していった。
 鈴木善右衛門は、開墾時からのリーダーで、畑の割り渡し5反5畝(0・55f)に対し、3町歩(3f)を要求し続けた。西村にとって鈴木は、目の上のタンコブだった。学識があり、士族出身者からも一目置かれていた。裁判で、土地の明け渡しを要求する西村の主張が認められなかったことを宣伝しまわったのも彼だ(所有権は認められた)。三井らの豪商は、儲けるだけ儲けて下総から退いてしまった。他の商人も、次々と土地を手放している。しかし西村は居座った。
 善右衛門の家の撤去は、冷たい雨が激しく打っている中で行われた。西村の手代が数名の人夫を連れて家の中に入る。後ろには警官が付いてくる。善右衛門は「今日はこんなに雨が降っている。私達にはいくところがありません。次の日にしてください」と求め、妻や子供が声をあげて泣いている。子供の元次郎も「いさせてくれ」と、手代に頼んでる。手下にすがりつき始めた娘達や年寄りに、なんと人夫は泥靴で所構わずけり始めたのだ。怒る善右衛門を警官は、雨中にたたき出した。皆、北総台地の赤土の水溜りで、泥だらけになった。元次郎は、自分の格好も寒さも気にならなかった。20年間暮らしてきた土地、何もない原に自分で資材を持ち寄り建てた家、必ずしも望んでここに来たわけではない、ようやく作物が取れるようになった畑、なぜ今となって奪われるのか。
 三里塚での土地取り上げを彷彿(ほうふつ)とさせるような光景だ。西村の土地取り上げは、八街中の住民に怒りを引き起こした。当時の警察署長の巡回中の宿泊先は、西村の家であった。署長は、「西村のようなひどい奴の酒は飲むに耐えない」と、わざわざ買いに行かせたと伝えられている。
 その年の5月、八街村民500名は、官有地100町歩の払い下げ願いを請願する。続けて、6月には200名が上京して内務・農商の両省に請願する。これは闘いの大きな転機をもたらした。
 一つには、小金・佐倉牧全体の農民の闘いの牽引車になったことである。開墾地全体に団結の気運が生まれた。小金牧の小林は、すでに力民総代・窮民総代を名乗って運動を作っていた。それぞれの農民の個別の利害を乗り越えた組織が作り上げられようとていた。
 二つには、中央政治に持ち込まれたことである。1890年の第1回衆議院選挙の情勢であった。自由党は、政府批判の一つとして下総牧開墾を取り上げる。下総農民の闘いが中央政治に取り上げられるのは、さらに1893年以降である。

 岩瀬謙超の登場

  ここで登場するのが、岩瀬謙超である。彼の名は、1893年5月八街村民総代石橋勝蔵他十名の土地下附の件の請願に弁護士・東京の人と書かれているのが最初である。翌月、県に同じ件で請願する。そして11月、千葉県は「岩瀬謙超、農村扇動の挙あり。注意せよ」との通達を出す。
 岩瀬についは、ほとんど分かっていない。愛知県出身の僧侶でないかと言われている。出版条例提出の住所は、東京市芝区愛宕である。八街には、94年5月に50歳を超えながら居住した。古老の言い伝えでは『太刀を下げ、裸馬を駆使し、村々をまわっていた』とのこと。(栗原東洋「千葉県農地制度史」)
 彼の名を決定的にしているものは、4郡12村の代表が連名する「授産地回復請願書」である。田中正造が筆頭請願人で、31議員の賛同で国会に提出された(1894年5月)。これは全国的な反響を引き起こした。岩瀬は、内容をさらに詳しくした「小金原開墾之不始末」を書き、資料の保存と闘いの記録を残した。  
 (つづく)
(写真 東京・町田市の民権の森の看板。同市で自由民権運動を展開し、第1回衆議院選挙に当選した石阪昌孝の屋敷隣の森を保護している)
●メモ……第1回衆議院選
 戦前の帝国議会における第1回衆議院選挙は1890年。人口13万人あたり1人の議員が選出された。都市部に有産者(15円以上の納税者)が少なく、寄生地主や製糸業者など農村部に有産者が多かった。農村部では数百から数千票を得ないと当選できなかったが、都市部では数十票程度で当選できた。人口約4000万に対して、有権者数はわずかに45万人という不平等選挙だった。 

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