SANRIZUKA 2008/04/15(No749 p02) |
週刊『三里塚』(S749号1面1)(2008/04/15)
FTA反対は労働者・農民の課題だ
3・30集会 “新たな労農連帯の扉開く”
市東さんの農地守れ強奪許さぬ体制築こう
絶対反対が勝利の道
車の両輪・動労千葉と共に
(写真 全国から1520人の労農学を結集して、「新たな労農連帯を、FTA反対を、北延伸阻止、市東さんの畑守る」と宣言した3・30集会【成田市天神峰】)
3・30全国総決起集会は、1520人の労農学の結集を実現し、42年間の「空港絶対反対」原則の勝利性を確認すると共に、高らかに「三里塚労農連帯の新段階への突入」を宣言して成功した。「開港30周年キャンペーン」「殺人的な新誘導路」など2009年北延伸開業にむけた闘争破壊攻撃との闘いはこれから激化する。この力を6・8現地闘争〜10・5全国集会へ強めよう。
3・30三里塚全国総決起集会は全国から1520人を結集して、会場となった市東さんの畑を埋め尽くし、労農連帯の新段階を切り開く地平を勝ち取った。
集会は、閣議決定から42年、いまだ未完の無様な空港の姿に勝利の確信をかためながら、暫定滑走路北延伸攻撃としての市東さんの農地強奪、東峰部落を破壊する新誘導路建設に対する怒りもあらわに、次々と決意が語られた。
全国の農民・労働者に国際連帯をかけてFTA(自由貿易協定)反対の共同の闘いに立ち上がることを訴え、なによりも市東さんの農地を守りぬく闘いを共同の闘いとして発展させることを誓い合った。
圧巻はその市東さんの発言だ。「1億8千万円で心は売らない」「労働者との連帯のきずなの方が大事だ」との決意に拍手が沸き起こった。
市東さんの決意を我がものとして、参加者は強奪攻撃がかけられている市東さんの畑まで、弾圧をはねのけ、意気高くデモ行進を貫徹した。
3・30の地平を引き継ぎ、さらなる労農連帯をうち固めよう。韓国の労働者・農民と連帯して、日韓FTAを粉砕しよう。
(写真 新誘導路工事を弾劾する敷地内デモに出発。国家権力・機動隊を圧倒した)
反対同盟の発言
(写真 《主催者》北原事務局長、 敷地内・市東孝雄さん、 開会宣言・鈴木幸司さん、 《農民》鈴木謙太郎さん)
(写真 集会宣言・野平聰一さん、 行動提起・伊藤信晴さん、 カンパ・鈴木加代子さん、 司会・宮本麻子さん)
●司会 宮本麻子さん
●主催者あいさつ 北原鉱治事務局長 30年前、反対同盟は全国の人々に呼びかけて開港阻止闘争を闘った。集まった人々は1万を超え、3・30開港は粉砕された。
何故粉砕されたのか。それは我々に正義があったからだ。あの闘いで正義は勝つと確信した。
農地法を逆用して市東さんの農地を奪おうとすする国家暴力を許してはいけない。再び流血の惨事を起こすなら受けて立つ。
労働者が機械を操作して農民が命の糧である食料を生産する。労農がガッチリと手を握り日本の将来を作ろう。
●開会宣言 本部役員・鈴木幸司さん 市東孝雄君の農地を強奪することを絶対に許してはならない。市東孝雄君は「あの農地は命である」と明言した。農地は私たちの命なんですよ。反対同盟は全員農地を死守しております。農地死守の闘いがどれほどのものか、敵に見せてやりましょうよ。
●基調報告 萩原進事務局次長(別掲)
●敷地内天神峰・市東孝雄さん 農地法による農地取り上げという私の畑の問題は、農業切り捨てと一体です。親子3代90年、誰にも文句も言われず耕作してきた農地から追い出すという。離作料として1億8千万円出すと。この畑で得られる150年分の補償だと。
しかし私は1億8千万円で心は売りません。労働者との連帯、消費者との交流。このきずなの方がお金よりずっと大事です。今、若者がこうして三里塚にやってくる。勇気と同時に力強さも感じています。北延伸と成田軍事空港化に反対し、これからもずっと闘っていきたい。裁判闘争へのご支援をお願いします。
●カンパアピール 婦人行動隊・鈴木加代子さん
三里塚農民は農地法改悪阻止、農業破壊攻撃粉砕に立ち上がります。市東さんの闘いが今、農民の置かれた立場そのものです。この理不尽な攻撃に打ち勝つことが成田空港の軍事化阻止・反戦の闘いにつながります。今こそ労働者と農民の分断を打ち破る闘いに立ち上がり、労農連帯の旗を掲げて進撃しましょう。
基調報告・萩原進事務局次長 土地収用法失効させた! 三里塚は勝利してる
つぎはぎだらけの空港を見てほしい。土地収用法を失効させた。三里塚は42年闘って勝利している。
焦りにかられた政府は、文字通り非常識なやり方での農地取り上げに出てきてる。裁判官を前面に立てた市東さんへの農地法による農地強奪は形を変えた強制収用だ。
これを打ち破る体制を権力よりも先に作り上げなければならない。
今の労働者のおかれた状況、農民のおかれた状況はまったく同じ。この矛盾は資本主義では解決できない。
アジア・ゲートウェイ構想という全社会領域にわたる攻撃を労農の共同闘争で打ち破ろう。その焦点はFTA粉砕の闘いだ。農民の問題であると同時に労働者にかけられた攻撃だ。
三里塚農民は福田総理のような敵には1億円積まれても大根一本売らない。連帯した労働者にこそ野菜を供給する。労農連帯して大地を取り戻そう。
田中委員長が春闘スト報告
●「春闘スト報告」 動労千葉・田中康宏委員長
動労千葉は、この3月14日から25日にかけて、08春闘勝利を掲げ、第2の分割・民営化ともいうべき、業務全面外注化に対して、地上勤務者約80名が24時間のストライキに立ち上がった。
国鉄分割・民営化攻撃の矛盾はJR体制の崩壊を引き起こした。それを示したのが3年前の尼崎事故だ。問題なのは、この現状に対して闘いを忘れた労働組合の存在だ。1047名闘争も決定的な危機を迎えている。
我々はこの状況を打開するために、4・26には、尼崎現地での全国集会を呼びかけたい。分割民営化と真正面から対決する。資本を打倒するために真正面から闘う。政府、資本の攻撃の土台も崩壊しようとしている。大きなチャンスだ。勝利の道が見えてきた。三里塚闘争も同じだと思う。
三里塚の不屈・非妥協、実力闘争とは何か。それは絶対に戦争をやらせない、絶対にこの農地を取り上げさせない、国家権力の農地取り上げに対しては、国家権力を打倒する。こういう宣言だと思う。僕らはこれと連帯することで、あの国鉄分割・民営化と闘うことができた。三里塚ジェット燃料闘争では4人の仲間がクビになった。しかし今も団結して、何一つ闘いの路線・方針を変えることなく闘っている。
我々の本番はこれからだ。全世界の膨大な労働者農民と、我々は団結を拡大してこの社会をぶっ倒す。その勝利の展望が見えてきた。
敵は資本、敵は国家権力だ。団結して立ち向かおう。闘う労働運動を再生し、労農連帯で闘おう。
(写真 動労千葉・田中委員長)
■三里塚闘争裁判報告
(写真 顧問弁護団)
●葉山岳夫弁護士 市東さんの農地強奪裁判では、成田空港会社が明け渡せという農地を特定できない状態に追い込まれてる。でたらめな訴訟をしていることが、市東さんや弁護団、傍聴団一体となった追及の前に暴露された。多くの支援の皆さんが傍聴闘争、支援闘争に参加されることで、一段階進歩した闘いを勝ち取っている。
今年は裁判闘争が大きなヤマ場を迎える。市東さんの耕作地に対して、秋には明け渡し訴訟が予想される。一方、天神峰現闘本部裁判は、6月12日再開される。弁護団は労農学市民の連帯した闘いのもとで断固として闘い勝利する。
●一瀬敬一郎弁護士 市東さんに対する明け渡しの裁判は、形を変えた収用攻撃にほかならない。絶対勝つという決意で裁判闘争を闘っていく。
●遠藤憲一弁護士 裁判の狙いは、反戦反権力の砦・三里塚をつぶすこと。42年にわたる徹底非妥協、実力闘争を断固支持持し勝利にむけて闘う。
●浅野史生弁護士 42年にわたる実力武装闘争の歴史、あらゆる弾圧に対する徹底非妥協の闘い、これを立脚点に弁護活動を全力でやっていきたい。
■闘争現場からの報告
(写真 教育労働者)
●不起立闘争を闘う教育労働者・Aさん 卒業式で、40秒のストライキを貫徹した。大木よねばあちゃんの農地取り上げとの闘いが、私の不起立の原点。根津さんに対する差別分断、見せしめ解雇を絶対に許さず闘う。
●Bさん 学校ではテストと成績で分断され、卒業しても、非正規雇用。さらには戦場に送られてしまう、そんな世の中は絶対に作らせない。農民の皆さんの軍事空港阻止の闘いと連帯して闘う。
●Cさん 関西でも新たな不起立がたくさん起こった。取りわけ若い20代の青年労働者の決起がついに始まった。
●Dさん 体制内執行部は「三里塚の集会に行くな」と言うが関係ない。広教組と三里塚の連帯を新しく始める。
(写真 全逓労働者)
●郵政民営化と闘う全逓労働者 市東さんは1億円でも大根を売らないと言って農民魂、農民の誇りをかけて闘い抜いている。我々労働者も職場の主人公は労働者だという誇りを取り戻し、階級的労働運動を職場生産点で全力で闘い抜く。郵政民営化絶対反対、超勤拒否闘争を断固闘い、全逓労働運動を再生する。
●沖縄民権の会・座覇光子さん 三里塚と沖縄はひとつの闘いです。沖縄でも3・16イラク反戦で100名の若い労働者が決起しました。「この社会の主人公は労働者だ、軍事基地を撤去して、体制をひっくり返すのは、私たち労働者だ」ということを高らかに宣言して、デモをしたそうです。
三里塚の闘いは沖縄の人たちにと共にある。三里塚で勝ってこそ、沖縄も勝てる思う。私は強く信じています。
(写真 沖縄・座覇光子さん)
■住民団体・共闘団体からの決意表明
(写真 全関西実行委)
●関西新空港反対住民・永井満さん かつて淡路島に空港建設計画が持ち上がった1969年に、戸村さんが駆けつけ、翌70年に北原事務局長が来て下さった。そこから三里塚との連帯が始まった。そして関西新空港建設とか神戸空港問題に対しても、三里塚のように闘って勝つんだということを根本にやってきた。
今、三里塚には重大な攻撃がかけられている。全国の労働者、学生、市民が一丸となって、この攻撃をはね返していくことが求められている。私たちも40年の連帯にかけて、全力で闘う。
●星野文昭さんから3・30三里塚集会へのメッセージ(司会読み上げ)
●織田陽介全学連委員長
08年は、サミット粉砕の年だ。辺野古の海を埋め立て、三里塚を破壊して戦争やろうとして、何が環境問題だ。ふざけるな。あんな奴ら、ぶっつぶすしかない。
軍事空港なんて言っても、労働者が団結したら何もできない。三里塚のこの無様な空港の姿は、国鉄分割民営化と20年間闘い、改憲攻撃をぶっ止めてきたその地平だ。日本労働者階級が作り上げてきた勝利の地平に立って、三里塚闘争を勝利させよう。三里塚闘争に結集して戦争を止めよう。
08サミット粉砕のストライキに立ち上がろう。資本主義をぶっつぶすストライキをやろう。
(写真 織田陽介全学連委員長)
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週刊『三里塚』(S749号1面2)(2008/04/15)
4・15市東さん行訴第3回弁論へ
「農地法違反」を追及
千葉地裁の結審策動許すな
4月15日、市東さん農地強奪阻止行政訴訟の第3回弁論が開かれる(要項別掲)。市東さんの裁判は一回一回が収用委員会の公開審理(強制収用のための手続き)に等しい重みを持つ。全力で傍聴闘争に決起し、千葉地裁・堀内明裁判長の拙速審理、早期結審策動を阻止しよう。
*
今回から、市東さん側は全面的な主張を展開し、空港会社側を追いつめていく。
主張は7つの多岐にわたる。
(1)農地法への農林省令(当時)の恣意的な追加は国会の立法権を侵害し違憲である
農地法では農地を他のものに転用するために所有権を取得する場合には、農業委員会の許可が必要である旨定めている。しかし、いくつかの例外規定をもうけて、許可が必要でない事例を決めている。
ところが農林省は、1967年、成田空港建設が始まった直後、農林省令で勝手に、「許可を必要としない事業」に空港公団による成田空港建設を加えたのだ。
これには何の国会審議も行われていない。農林省が独断で新立法を行ったのに等しいが、そんな権限は行政府である農林省には存在しない。
この点を追及して次回弁論では「国会の立法権を侵害している」と主張する予定だ。
(2)小作権者を無視した売買契約に基づく許可処分は違法だ
農地法では、農地を売買する場合、そこに小作権者がいる場合にはその農民の同意を得なければならないことが規定されている。しかし、1988年に旧地主から市東さんの農地を買った空港公団は、まったく秘密のうちにこれを強行した。これは完全な農地法違反で売買自体が無効だ。
(3)著しい農地法違反を犯している空港会社には許可処分を申請する資格はない
空港公団は前述したように、1988年に市東さんの農地を買っておきながら今日いたるまで空港用地への転用を行っていない。転用のために農地を買ったものは速やかに目的の用途に転用しなければならないのに、20年間も農地のままにしている。これ自体が重大な農地法違反であり、そのような者は小作地の契約解除申請を行う資格はない。
(4)空港建設自体が違法のかたまりであり、それを無視した許可処分は違法だ
(5)「解約申請」を行った対象地自体に誤りがある
(6)買収時期を偽り、許可処分をだましとった違法がある
(7)小作契約解約請求権は債権であるため、1998年に許可処分を請求する権利自体が時効消滅していた。したがって処分は無効だ。
4・15弁論では以上の論点が展開される。傍聴闘争への結集を訴える。
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週刊『三里塚』(S749号1面3)(2008/04/15)
9市町の「30万回化」容認許すな
利権目当ての腐敗
都市づくり会議で談合
3月25日、空港周辺9市町で作る「成田国際空港都市づくり推進会議」の第3回会合が開かれ、成田空港の年間飛行回数を20万回から30万回に拡大する空港会社の提案を基本的に承認する議論が行われた。(写真)
空港利権のおこぼれにしか関心のない9市町は、「羽田で4本目の滑走路が開業したら成田が地盤沈下し、見返りが減る」とばかり、むしろ積極的に「30万回案」を承認する姿勢だった。
芝山町長の相川勝重(元熱田派)は「今までの約束を守ることが先決だ」と、唯一抵抗の姿勢を示したが、これも「見返り条件の上乗せ」を暗に要求するものでしかない。
しかも拡大案を説明した成田空港会社の伊藤斉常務(地域共生担当)は、提案理由として「成田空港の拡張の可能性を示すことで株式上場へ投資家の評価が高まる」旨述べた。
空港会社の正体見たり!だ。何が「地域担当常務」か。
地域住民の騒音による苦しみより、「空港会社の株式上場による金もうけが優先する」というのだ。「地元の利益」なる言葉も大資本の利益と同義でだ。
6・8現地闘争の爆発で30万回飛行阻止へ前進しよう。
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週刊『三里塚』(S749号1面4)(2008/04/15)
コラム
軍需産業大手の三菱重工業が小型ジェット旅客機の事業化を決定した。マスコミ各社は「YS11以来40年ぶり『国産の翼』」とか「オールジャパン体制」などとはやしたてている▼MRJと名づけられた事業計画は86〜96席クラスと70〜80席クラスの2種類という。総開発費は1500〜1800億円。トヨタ、三菱商事、三井物産なども出資し、経済産業省自身、500億円を援助するという▼だが、無理を重ねた国策事業である裏側が透けて見える。開発総額の3分の2は三菱重工が負担するが、同社の航空宇宙部門の営業利益は130億円でしかない。佃和夫社長自身「10年間は赤字がつづく」と認めている▼そもそも同ジェット機市場はカナダのロンバルディア社とブラジルのエンブラエル社の独占市場である。「失敗すれば経営の屋台骨を揺るがしかねない」(3・29朝日)▼そもそもYS11の失敗は日本の航空輸送産業の弱体が原因だった。国内航空会社がどれほどの発注をこなせるかが、事業化の最大のポイントだが、MRJの場合、採算ライン350機とされるのに、全日空の25機しか発注がなく日航は拒否した▼三里塚42年の闘いの結果、日本の航空産業は圧倒的に立ち後れており日航は破産寸前で、国策事業につきあっている余裕はないのだ▼それでもMRJを立ち上げた理由は、将来戦闘機製造に参入しようとしているからだ。三菱重工業こそ戦闘機「零戦」の製造者だった。
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週刊『三里塚』(S749号1面5)(2008/04/15)
日程 4・15市東さん行訴弁論
4月15日(火)午前11時
千葉地裁405号法廷
※傍聴券抽選のため午前10時に 集まってください
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週刊『三里塚』(S749号1面6)(2008/04/15)
闘いの言葉
我々は1億円もらったって農民の敵(福田総理ら)に大根は売らない。売るのは農民と連帯した労働者だけだ。これが三里塚の産直=労農コミューンの意味だ。
3月30日 反対同盟・
萩原進事務局次長
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週刊『三里塚』(S749号2面1)(2008/04/15)
08年3・30集会 農民アピール
「低賃金・貧困と農民切り捨ては一体 FTAに反対しよう!」
皆さん、今、全国の農民は怒っています。腹の底から怒っています。
なぜ命の源泉の食料を生み出す農民が、農業で生きられないようなことになるのでしょうか。
「生きさせろ」という叫びは働いても食べていけない若者だけの言葉ではありません。今や農民が、農民として生きていけるのかどうかの瀬戸際に立たされているのです。
昨年1200軒の酪農家が廃業しました。餌代が高すぎてやっていけなくなったのです。コメ1俵作るのに1万5千円かかるというのが政府の計算ですが、1万2千円にしかなりません。
どうしてこんなことが起きるのでしょうか。コメや野菜を、金儲けの商品と同じものとしか考えないからです。
トヨタの車を売るために、日本の農業市場を開放するのがFTA/EPA(自由貿易協定/経済連携協定)です。日豪EPAで日本の農業は壊滅的な打撃を受けます。打撃を受けるのは農民ばかりではありません。相手国の労働者の職が奪われる。日韓FTAはその象徴です。(中略)
昨年から日本のあちこちで農民のデモが闘われています。(中略)
「このままでは暮らしていけないから何とかしてくれ」と自民党政府をたよってもどうにもなりません。民主党に変わっても同じことです。生活も権利も闘って勝ち取る時代です。
だから私は言いたい。私たち反対同盟と共に闘おうと。 (中略)
三里塚は全国の農民・労働者にFTA反対の共同の闘いに立ち上がることを訴えます。(後略)
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週刊『三里塚』(S749号2面2)(2008/04/15)
3・30集会宣言
三里塚闘争は日々勝利している。閣議決定から42年、暫定開港から30年、未だ空港は欠陥だらけであり、完成の見通しがたたない。土地収用法は失効し、農地の強制収用はできなくなった。追いつめられた政府・空港会社は「農地法による農地収用」という違法な手段にでてきた。だが、それさえも「1億8千万円の補償よりも、闘う仲間たちとの連帯」を呼びかける同盟員の闘いがうち破っている。
「空港絶対反対・一切の話し合い拒否」「農地死守・実力闘争」―これが反対同盟の闘争原則であり勝利への道である。 日本の政治は完全に行きづまっている。福田内閣は統治能力を失った。
(中略)
民家上空40メートルのジェット飛行と暴力的な北延伸工事など、三里塚にかけてきた国家犯罪が、いま全社会に向けられている。そして司法制度の改悪と改憲、戦争である。 この現実に労働者も農民もだまっていることができるのか? 沖縄の怒りを座視することができるのか? 断じて否だ。動労千葉の春闘スト、「日の丸・君が代」に反対する不起立教師、戦闘的な労働者の決起、穀物と原油高騰で世界にまきおこる暴動、FTA反対のデモ。
いまこそ、労働者と農民は連帯して共同の敵を打ち倒そう! 洞爺湖サミットに反対しよう! 日韓・日豪FTAとの闘いには、労働者・農民の連帯と国境を越えた国際連帯がある。(中略)
反対同盟は42年間闘い、いまほど勝利の確信の高まりを感じるときはない。空港絶対反対・北延伸阻止! 市東さんの農地裁判と現闘本部裁判への支援運動を呼びかける。成田の軍事化を阻止しよう。(後略)
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週刊『三里塚』(S749号2面3)(2008/04/15)
イラクはいま世界を揺るがす
マフディ軍、政府を圧倒
バスラで激戦 戦闘各地に拡大
日帝の投資が引き金
港湾労働者と連帯しよう
3月24日以来、イラク南部バスラで、ムクタダ・サドル師率いるマフディー軍と米英軍に支援されたカイライ政府軍の激しい戦闘がつづいている。カイライ政府軍司令部は砲撃にさらされている。米・英軍は、カイライ政府軍を救援しようと爆撃を繰り返している。陸続と、治安部隊が制服を脱ぎ捨て、銃を持ったままマフディー軍に参加している。
一方、カイライ政府は、「マフディー軍への降伏猶予期間を延長。4月8日までに武器を捨てるように要求した」。つまり、計画通りに作戦が進んでいないということだ。
ナジャフにいるサドル師は、カイライ政府への降伏を拒否。国際社会に支援を訴えた。
バグダッドでサドル師の影響が強いとされるサドルシティーでは、40人の警官がサドル派に降伏。これは氷山の一角である。グリーン・ゾーンは、サドルシティーから連日砲撃されている。バグダッドでの米軍ヘゲモニーは今や崩壊寸前である。
ナシリアでは、支配権を奪還しようとして、カイライ政府軍が攻撃を開始。二日間で、28人死亡、59人負傷。周辺部は、マフディー軍が制圧している。
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25日からの動きを整理する。
24日の午後、バグダッドからマリキ首相がバスラに到着。同時にバスラ空港にカイライ政府軍16000人が到着した。カイライ政府軍の市内への移動と共に、マフディー軍との戦闘が起きる。
25日午前5時、戦車と大砲で武装したカイライ政府軍3万人を中核とした、マフディー軍掃討作戦が開始された。カイライ政府軍の攻撃をマフディー軍は迎え撃ち、バスラ市内のかなりの部分を制圧。同時に、バグダッドでも、米軍とカイライ政府軍の攻撃を跳ね返し、サドルシティーの支配権を確立した。この日マフディー軍に投降したカイライ政府軍兵士は、250人以上だという。バスラのすぐ南、シャッタル・アラブ河畔のアブ・アル・ハジブ港が、マフディー軍に掌握された。
26日、バグダッドで、サドル派の呼びかけで、何千もの人たちがバスラでの戦闘に反対して、反政府デモと座り込みを行った。
カイライ政府軍とマフディー軍の衝突は、クート、ナシリヤ、ディワニーヤに拡大した。バグダッドのサドルシティーは、カイライ政府軍によって封鎖されている。サドル派は、「市民的抵抗」の段階から「あらゆる手段を使った反撃」の段階へ移行すると宣言した。
27日、優位に立ったマフディー軍は、カイライ政府軍をバスラに閉じ込め兵站通信線を破壊する作戦に出た。バスラではクウェートからの輸送路が爆破された。バグダッドからバスラへの交通の要衝、ナシリアをマフディー軍が攻撃。クート、ディワニーヤでもマフディー軍の攻勢が続いた。バスラで、原油輸出用パイプラインが爆破され、送油量の3分の1が失われた。
28日、ナシリアでの戦闘が続いた。周辺部を制圧したマフディー軍に対して、カイライ政府軍はカルバラから部隊を派遣した。しかし、ついにマフディー軍がナシリアを制圧。バグダッドとの交通線が断たれ、イラク南部の支配権を、中央政府は失った。
29日、マリキ首相は、サドル派との交渉を拒否。バグダッドへの帰還も拒否。「決戦に勝つまでバスラを動かない」と表明。米・英軍は、カイライ政府軍支援のために爆撃を強化し多くの住民を虐殺した。
30日、カイライ政府発表によれば、5日間の戦闘で、バスラ163人死亡、500以上人負傷。ナシリア67人死亡、137人負傷。バグダッド125人死亡、892人負傷。この流血の責任は、カイライ政府と米帝を支援する帝国主義各国にある。
日帝が権益あさり
イラン、イラク戦争、湾岸戦争、イラク侵略戦争、サダム・フセインによる虐殺。幾度となく繰り返されたイラク南部人民への圧制に対する怒りが、マフディー軍への支持となっている。カイライ政府と占領軍が敗北することは、必然である。
08年2月、石油積出港のウンム・カスル港の港湾整備事業に、日本帝国主義は346億5500万円の投資を決定。最重要事業と位置づけて2010年9月までの完成を目指して工事が始まろうとしている。
アメリカのスティーブ・ゼルツァー氏からのレポートによれば、カイライ政府は、3月13日、日本帝国主義の投資決定を受けてバスラとその周辺における中央政府の支配権確立を決定した。「ファディーラ党に奉仕する港湾労組の権力を打ち倒す」
このために、カイライ政府は軍を派遣し、ウンム・カスル港を制圧するというのである。港湾労働組合は占領軍と対決し、1日8時間の労働時間を守り抜いてきた。「イラクレジスタンスの武装解放闘争を支持」し「イラクの富を盗み取る」事を拒否してきたのである。イラク・石油労組連合が主導する地区労組連合に参加し、石油略奪法に反対してきたのだ。
それゆえカイライ政府軍は、15日までにウンム・カスルと港を軍事制圧し、25日からのバスラとイラク南部での治安作戦の前哨戦としたのである。明らかに、日本帝国主義の投資決定が軍事作戦の引き金を引いたのである。また、クウェートに駐留する航空自衛隊は、空輸作戦を通じて虐殺に直接関与しているのだ。
イラク南部のバスラ地区には、イラク最大のルメイラ油田群がある。さらに未開発の油田地帯に2000もの石油企業が、開発権を狙って名乗りを上げている。日本帝国主義は、ウンム・カスルとバスラへの投資で、立ち遅れた石油確保競争に参入しようとしているのである。
日本帝国主義足下の労働者、人民の責務は重大だ。帝国主義強盗会議・洞爺湖サミット粉砕へ、全力で戦おう!
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週刊『三里塚』(S749号2面4)(2008/04/15)
解放のうぶ声 下総農民の開墾と闘いの歴史 蘇るむしろ旗第2部@
幕末庶民の怒りとシンクロ
信州36カ村暴動に貢献
維新政府 「一揆の恐怖で身が縮む」
東峰の森歴史調査で農民史の新事実
義民・佐倉惣五郎伝説
本号から新連載「解放のうぶ声 下総農民の開墾と闘いの歴史」を始める。
扱う時代は1868年の明治維新初期から1964年の富里・八街空港反対闘争をへて、1966年の三里塚闘争の開始まで、約100年間に及ぶ。これは、42年間にわたる三里塚の闘いを導いた先人の闘いを振り返ることを通して、三里塚闘争の大きさと深さを解明しようとする試みである。
それゆえこの企画は、終了した「蘇るむしろ旗」の第2部にあたる。
企画のきっかけは、三里塚現地攻防そのものだった。
2005年から2008年にかけて、三里塚では2つの大闘争が闘われた。一つ目が東峰部落の命である「東峰の森」への伐採攻撃を阻止する闘いであり、二つ目が市東孝雄さんの農地を国家権力(成田空港会社)の強奪から守る闘いである。
どちらの闘いも、現地実力闘争のつばぜりあいとして取りくむ一方で、法廷闘争が死活的に重要な意味を持っていた。そのため、反対同盟と顧問弁護団は、100年にわたる入植、開墾、部落の歴史の調査を行うことを通して、東峰の森の所有権、入会権を明らかにし、市東さんの耕作地の歴史を解明する作業を全力で行った。
東峰の森は、明治〜大正初期に始まる御料牧場の払い下げ地であり、歴史は大正期にさかのぼる。
市東さんの農地に関しても、「市東家90年の耕作」がテーマとなった結果、孝雄さんの祖父・市太郎さんの開墾にまで、調査が及ぶことになった。それも、同じく大正期にさかのぼる天神峰部落の創成と一体だった。
この調査を行ってみると、東峰の森も市東家の開墾も、実は下総農民の100年にわたる苦労と苦闘の歴史と一体である事実が明らかになってきた。
そして、かれらの歴史そのものが富里・八街空港闘争を経由して、三里塚闘争の背骨を形成している事実を発見し、瞠目(どうもく)する思いがした。
以下に述べるように明治維新期から戦後にいたる下総一帯の農民の開墾と闘いの歴史は壮絶であると同時にきわめて豊かだ。この”三里塚闘争前史”ともいうべき100年の農民史を紹介しようと思い立ったゆえんである。
企画の大要を以下に示し、全体を理解する一助に供したい。
第1部で江戸末期〜明治維新初期の農民一揆の頻発とうちこわし運動を紹介する。
第2部が下総牧の開墾と農民への収奪およびそれに対する抵抗闘争そして激しい小作争議の歴史を描く。
第3部が戦後編。戦前の歴史的蓄積の結果、千葉県が農地解放闘争を含む戦後農民闘争の大拠点となり、それが富里・八街空港反対闘争から三里塚闘争へ引き継がれていく歴史を叙述する。
第1部 農民一揆と打ち壊し
下総とは、今日の松戸市、船橋市、鎌ヶ谷市、佐倉市、八街市、成田市、千葉市の一部にわたる広大な地域をさす。
この下総農民の闘いの叙事詩を描くにあたって、まず紹介しなければならないのは「義民・佐倉惣五郎の話」だろう。
義民とは「正義・人道のために一身を捧げる民」のことを言う。佐倉惣五郎は下総国印旛郡公津村(現成田市公津)の名主だったが、1650年代に、佐倉藩の重税に耐えかねた農民を代表して、4代将軍家綱に直訴した。
その結果、税は軽減されたが、惣五郎を始め1男3女全員が処刑された。通例女子は除外されるにもかかわらず、男子の名前をつけられて3人全員が処刑されていることをみても、惣五郎の決起が藩権力者に与えた打撃の大きさを見て取ることができる。
この義民・佐倉惣五郎伝説は、三里塚闘争の初期に何度も人々の口に上った。我が身を省みず農地取り上げに抵抗する三里塚闘争の指導者たちが、佐倉惣五郎に擬せられたのだ。
この義民伝説は、江戸期に、北総地域のみならず全国で広く語りつがれたが、幕末の農民一揆の中でさまざまに評価され、明治の自由民権運動の中で再評価されていった。大正末期の農民組合運動でも取り上げられた。
信州伊那郡南山郷36カ村暴動(1859年)の例を紹介しよう。
南山郷は1855年に権力者に強訴(集団行動で要求をつきつけること)したが、拒否され、総代が投獄された。この後、一揆にいたるのだが、村人を組織化するのに宗吾(惣五郎のこと)義人伝が使われた。
総代の一人の猪兵衛は、講談師をまねて惣五郎伝を領内に語り歩いた。彼らは家族にも隠して監視の目をかいくぐり、御獄行者(御嶽山の修験者)の祈祷会などを使って大衆集会を開いた。こうして1859年の36カ村の暴動にまでいたった。
南山郷のような江戸時代末期の農民一揆こそが、幕藩体制を崩壊させた原動力であった。それをひきつぐ世直し一揆に、維新政府は恐怖しおびえたのだった。
今日、三里塚反対同盟の萩原進事務局次長は、「金で心は売らない」と農地取り上げを拒否する市東孝雄さんを「現代の惣五郎だ」と称えているが、惣五郎伝説はこのように今に受け継がれている。
次回から、江戸末期の農民一揆、打ち壊しに表された農民・町民の革命的エネルギーを見ていく。(つづく)
(写真 1650年ごろ、処刑される直前の佐倉惣五郎親子【成田市宗吾霊堂の展示より】)
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メモ ●歌舞伎の演目に
佐倉惣五郎伝説は歌舞伎や芝居の演目となって、今日でも上演される。事件の200年後の1851年に瀬川如皐という人が戯曲化、河竹黙阿弥が1861年に『桜壮士後日文談』というタイトルで補筆し爆発的にヒットした。幕末の江戸町民は変革期の人間像を惣五郎に見たのである。
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週刊『三里塚』(S749号2面5)(2008/04/15)
北総の空の下で
福士さんの遺志
手作りのむしろ旗
3月30日三里塚全国集会。花冷えの寒い一日でしたが、近年最高の結集で、労農連帯の発展を実感できる集会でした。
現闘の同志・福士譲二さんは、3・30への参加を目標に、咽頭癌と闘っていましたが、病状が急転して、3月8日、帰らぬ人となりました。演壇の両側に置かれたむしろ旗とデモのプラカードは、福士さんの手作りです。角があると持ちにくいからと、夜遅くまで、プラカードの持ち手部分を一つ一つ面取りしていました。
彼が現闘に来て2年余り、沖縄と三里塚を結ぶ架け橋として、これから本領を発揮してもらおうと言う時に逝ってしまったのが、本当に残念です。
入院中に、昔の映画作りの仲間や、長年会っていなかった息子さんとの交流が再開し、沖縄関係者を始め、多くの同志が病室を訪れました。凝縮した2カ月余りを、全力で生き貫くことができたと思います。
最新の癌治療を受けるために離れた病院に入院したので、たびたび訪問することはできませんでしたが、2月半ばに見舞った時には、疲れるのも厭わずに、癌と闘う気持ちを語ってくれました。
彼は青森出身ですが、風貌も口調も、沖縄の人そのものでした。
「僕たちの手で、僕たちが主人公の、本当の意味での人間の共同体を創ろう」―2・16沖縄と本土を結ぶ労働者集会に、福士さんが病床から発したメッセージを、現闘が引き継ぎます。
(北里一枝)
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週刊『三里塚』(S749号2面6)(2008/04/15)
三芝百景 三里塚現地日誌 2008
3月18日(火)〜4月1日(火)
●強制収用手続きに同意
千葉県市川市の東京外郭環状道路をめぐる未買収地問題で、市川市の石川喜庸街づくり部長は、国土交通省首都国道事務所などが始めた強制収用のための土地収用法手続き(事業認定申請)を容認する考えを市議会で明らかにした。(18日)
●横浜市が羽田拡張工事への貸し付けを留保 横浜市の中田宏市長は、羽田空港の拡張事業に関する国への無利子貸し付けで、2007年度の支払いを留保する考えを表明した。「羽田の国際化にむけた国交省の行動が不十分」という理由。(21日)
●「10万fの米作減反で、農水省”背水の陣”」 農林水産省と全国農業協同組合中央会が、08年産米の生産調整(減反)の取り組みに必死になっている、との報道がなされた。「今年は10万fの作付け減少をめざす」としているが、米作ではすでに40%もの減反(100万f)が行われており、これ以上の拡大は無理との観測が圧倒的だ。(23日)
●「日韓経済交渉、包括的に」 韓国のイ・ミョンバク大統領は、記者会見で「高水準の包括的な自由貿易協定をめざす基本原則が守られるべきだ」と述べ、日本の農水産物市場の開放を要求した。(24日)
●「上場のために年間飛行30万回化を」 成田国際空港都市づくり推進会議の第3回会合が成田市内で開かれた。空港会社の伊藤斉常務(地域共生担当)は「株式上場で有利になる」と提案した年間飛行回数の30万回化について、9市長が基本的に合意した。(25日=1面に記事)
●三菱重工が小型ジェット機の事業化を決定 三菱重工業が、小型ジェット旅客機の事業化を正式に決定した。(28日=1面団結街道で解説)
●3・30集会が大成功 「北延伸阻止・市東さんの農地を守れ、労農連帯の新段階開け」を掲げた3・30全国総決起集会が三里塚現地で開かれ、1520人の結集を得て大成功した。(写真)
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