SANRIZUKA 2007/05/15(No727 p02)
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週刊『三里塚』(S727号1面1)(2007/05/15)
“求釈明禁圧”に法廷騒然
市東さん4・23弁論 「勝手に線引き、説明は当然だ」
改憲投票法案の参議院強行採決阻止へ!
三里塚つぶし前面に
司法権力 改憲と一体、理屈ぬき
成田国民保護計画の正体 (2面)
4月23日闘われた市東孝雄さんの耕作権裁判で千葉地裁・菅原崇裁判長の反動的な訴訟指揮が行われ、裁判は一気に緊迫した局面に突入した。日帝・安倍政権の「戦後レジームからの脱却」を掲げた憲法改悪・戦争国家づくりの攻撃の中で、これに真っ向から立ち向かう反戦・反権力・人権の砦=三里塚闘争へのむきだしの破壊者として、千葉地裁が立ち現れてきたのだ。改憲投票法成立阻止の闘いと一体で、6月18日の口頭弁論傍聴を一個の決戦として闘いぬこう。
当日、午前11時、法廷に入った市東さん、傍聴団は目を疑った。何の通告もなく裁判長が交代していたのだ。裁判長席には前任の小磯武男裁判長に代わって菅原崇裁判長が座っていた。三里塚裁判ではこんなことは初めてだ。
しかも、裁判の更新手続きも省略しようかという拙速ぶりだ。葉山岳夫主任弁護人は、突然の事態に対して毅然と対応し、堂々と意見陳述を行った。「市東さんの畑が孫子三代90年にわたって耕作されてきた農地であること」「空港会社による買収が農地法違反であること」を簡潔に述べた。
裁判長の意図がさらにむきだしになったのは、求釈明をめぐるやりとりだった。市東さん側からは求釈明書Aがすでに提出されている。「問題の畑の現況と公図がはなはだしくくい違っている理由は何か」などである。これに対して菅原裁判長は原告空港会社に回答を促すのではなく、「求釈明―回答」のやり取りを飛び越えて審理の中身に入ろうとしたのだ。
「畑の位置の特定」はこの裁判の根幹に関わる問題である。空港会社側が市東さんに畑を明け渡せと言ってきているのだから、その場所についての解明を優先させなければならない。進行によっては、本格論議に入る前の棄却という判断すら想定される問題だ。
ところが裁判長は、この手続きを省略して、いきなり実体論議に入る訴訟指揮を試みたのだ。空港会社側に求釈明への釈明を促すのではなく、逆に市東さん側に拙速審理への屈服を要求してきた。「畑の位置の特定は会社側から図面上はされているわけだから、それについての認否と主張を行え」と。つまり、「審理前の訴訟棄却はしない、だから審理開始に協力しろ」と。
これに対して、葉山弁護士を先頭とする弁護団、市東さん本人が猛然と抗議した。「畑の位置特定の問題解明なくしては議論を進めることはできない」と弁護団。市東さんは「そっちが勝手に場所を線引きして提訴してきたんじゃないか。それを説明する義務はあるはずだ!」
市東さん側は5月18日までに、釈明書を提出させることを約束させて、第2回弁論をしめくくった。
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週刊『三里塚』(S727号1面2)(2007/05/15)
弁護人、傍聴団怒り爆発
千葉県弁護士会館で記者会見と報告会(写真上)が行われた。冒頭北原事務局長は「裁判官も一緒になって農地を取り上げようとしている。こんな裁判が許されたら日本の将来は闇だ」と抗議した。(談話別掲)
耕作権者の市東さんは「裁判長は向こうに加担している。でも耕作しているのは私です。徹底抗戦します」ときっぱり決意を語った。葉山弁護士、大口昭彦弁護士、遠藤憲一弁護士が口々に菅原裁判長の訴訟指揮を弾劾した。萩原進事務局次長がこの日始まった東峰の森伐採への怒りを表明した。(弾劾声明別掲)
鈴木幸司さんは「人々に闘いを知らせよう。これまでの成果のうえに闘う」ときっぱり。「市東さんの耕作権取り上げに反対する会」世話人で千葉県議の吉川洋さんは 「法をねじまげて農地を取り上げる市東さんの問題は社会のゆがみの象徴。反対する会を盛り上げる」と述べた。さらに成田市議の足立満智子さんも怒りの発言。
関西の永井満さんは「裁判所までもこんなにひどいかと思わず声をあげた。そして東峰の森の伐採。私たちもはらわたの煮えくりかえる思い。関西ではパネル展をやり多くの人に訴えています」と述べた。この他、動労千葉の後藤俊哉特別執行委員、編集者の三角忠さん、野菜の消費者らが次つぎと訴訟指揮に怒りを述べた。
最後に「反対する会」の呼びかけ人で反対同盟の鈴木謙太郎さんが「裁判支援には数の力が必要。反対同盟としても反対する会の拡大に協力していきたい。背後には農業切り捨てがある。農業者、労働組合に協力を呼びかけたい」としめくくり、次回6月18日の口頭弁論に総力で結集し、菅原裁判長に反撃する決意を確認しあった。
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週刊『三里塚』(S727号1面3)(2007/05/15)
解説
市東耕作権裁判は弁論2回目にしてぬきさしならぬ決戦局面に突入した。安倍政権下での司法反動とあいまって、反動裁判長によるむきだしの攻撃との対決となった。
日帝・安倍政権の戦争体制作りと真正面で激突する三里塚闘争への破壊攻撃が、市東耕作権裁判での反動的訴訟指揮という形で、一点に凝縮されて強行されてきている。
市東耕作権裁判は、一回一回の弁論が、三里塚闘争と安倍政権との対決をかけた火花を散らす決戦場として設定された。「農地法で農地を奪う」などという空港会社側の策動に理のあるはずがない。正義は圧倒的に市東さんと反対同盟側にあるのだ。問題は、この正義を法廷を圧倒する論理として徹底的に練り上げ、反動司法ですら無視できないレベルにまで高めるとだ。そして、一大社会運動に拡大し、法廷を包囲する陣形を何としても作ることだ。
三里塚闘争の全精力を傾注して勝利しよう。
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週刊『三里塚』(S727号1面4)(2007/05/15)
これが裁判か、徹底対決だ
反対同盟事務局長 北原鉱治さん
あの裁判はひどい。裁判長は許せない。被告席に立たされた市東孝雄さん本人が発言したいと言っているのだから、当然発言させるべきだったのに、「被告人は黙るように」などと発言を封じた。
当事者が法廷の現場に座っているのだからその意見を聞くべきだろう? それが裁判の公平というものじゃないのか。しかもわれわれは、ただ私利私欲で41年間も闘ってきたんじゃないんだ。正当な理由と根拠があるんだよ。
裁判長はなぜそれを聞こうとしないのか。こんな調子で弁論を進められて、「はい判決」「農地は取り上げます」なんてやられたんじゃ黙ってはいられない。悔しくて眠れなかったよ。
市東さんの耕作権裁判は大事な裁判だ。反対同盟は全力で取り組み何が何でも農地を守りぬく。支援の人びともよろしくお願いしたい。
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週刊『三里塚』(S727号1面5)(2007/05/15)
東峰の森伐採を弾劾する
三里塚芝山連合空港反対同盟
空港会社が、東峰の森に対する本格伐採を4月23日から始めたことに対し、反対同盟は同日、弾劾声明を発表した。(抜粋)
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本日、NAA(成田空港会社)は暫定滑走路北延伸にかかわる新誘導路建設のために、村の営農を支える「東峰の森」の伐採工事を強行した。私たち反対同盟は地元住民を無視したこの暴挙を強く弾劾する。東峰区住民の怒りを共にし、連帯して闘うことを声明する。 「東峰の森」伐採はあらゆる意味で不当である。そもそも政府は、土地収用法(事業認定)の失効を突きつけられた90年代はじめ、平行滑走路の建設においては、あらゆる意味で強制的手段を放棄すること、工事への着手は地元住民との合意が前提であることを公の場で宣誓したはずだ。政府・運輸大臣の名において行われたこの公的な確約はいったい何だったか。
(中略)
02年の暫定滑走路開港においても、NAA・黒野社長は後に東峰区住民に書簡を送り、地元を無視して一方的に開港を強行したこと、農家の上空40メートルにジェット機が飛ぶという、大変な人権侵害を生んだことを「謝罪」し、以後二度とこのような一方的な措置は取らないことを文書で確約したのではなかったか。 生身の人間家族が生活している家の真上40メートルにジェット機を飛ばす行為は、憲法で保障された基本的人権を一方的に踏みにじる国家犯罪だ。村中をフェンスで覆ってしまう行為も重大な人権侵害である。
(中略)
東峰区にはいまも多くの農民家族が住み、日々農業を営み生活している。政府や空港会社に法を守る意志があるのなら、村のなかに新たな滑走路を造ってしまう行為自体が許されないはずだ。
(中略)
反対同盟は、政府・NAAの犯罪を許さない。三里塚現地で起きている恐るべき人権侵害を白日の下に暴き、殺人的な環境破壊を日々生み出している暫定滑走路の閉鎖を闘い取る決意である。
(中略)
空港会社は「東峰の森」伐採を直ちに中止せよ!
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週刊『三里塚』(S727号1面6)(2007/05/15)
一坪裁判控訴審 抜き打ち結審弾劾せよ
口頭弁論わずか3回
司法反動カサに強権指揮
5月7日、東京高裁第5民事部で行われた一坪共有地の控訴審において小林克己裁判長は、一人の証人調べも行わないまま、強権的に審理を打ち切って結審を強行した。昨年10月の公判開始から僅か7カ月足らず。しかも実質わずか3回の法廷という超拙速結審である。強権的に打ち切った小林裁判長の結審強行を満身の怒りをもって徹底的に弾劾する。
この一坪共有地控訴審で争われる争点は、一坪共有地が「三里塚地区周辺に土地をもつ会」という組合の合有地であり、単なる共有地とは違って個人で分割して売買することは禁止されているということである。
「合有地」とは、共有地より拘束が強く組合という組織としてしか処分のできない共有地のことである。
組合の合有地だ
このことは一審においても度重なる準備書面や1年間にわたって展開されてきた10人の証人調べによる証言の中で明確に立証された。にもかかわらず千葉地裁は、「三里塚地区周辺に土地をもつ会」を組合とは認められないとして、全面的価格賠償方式=金銭による共有地の強奪を正当化する反動判決を強行した。まさに天下の悪法と言われた土地収用法によっても強奪できなかった一坪共有地を民法によって強奪するという反動判決を強行したのだ。
控訴審においては、この一審判決が誤りであることを全面的に展開してきた。つまり、「三里塚地区周辺に土地をもつ会」という組合の事実認定の判断に誤りがあること、合有地であるため金銭賠償方式は一坪共有地には適用できないことを展開し、同時にこれを立証するために一坪共有地の「鑑定意見書」を提出した清水和邦教授(福井県立大学)をはじめとする証人調べが不可欠であることを強く要求してきた。
そもそも控訴審においては、一審判決の判断の誤りを審理するのが義務であり、それは公平な審理を行うためにも保障されねばならないのだ。にもかかわらず小林裁判長は証人調べも行わず結審し、このような当然の審理を圧殺する暴挙に出たのである。まさに結論ありき、と言わんばかりの審理打ち切りであり、絶対に許すことはできない。
収用法失効した
今回の東京高裁小林裁判長の反動的な抜き打ち結審強行は、一坪共有地を不法に強奪しようという国家犯罪をこれ以上暴かれたくないという政府・国交省の意思を体現したものであり、破綻的な暫定滑走路建設の惨状に追い詰められて危機感をむき出しにした反動的訴訟指揮である。
まさに拙速裁判強行を狙う司法反動攻撃の激化と一体となった三里塚闘争つぶしにほかならない。
そもそも40年かかっても力ずくで強奪できなかった一坪共有地を民法で強奪しようなどということは、実質上の強制収用であり、すでに失効した土地収用法の再適用に他ならない。
法治主義の下でこのようなデタラメが行われていいのか。市東孝雄さんの90年にわたる耕作地を農地法で強奪しようという無法な攻撃や現闘本部明け渡し攻撃と一体となった強奪攻撃だ。
しかも小林裁判長は、わずか2カ月後の7月11日に判決日を指定してきた。これも前代未聞である。まさに反動判決を予告するような期日指定だ。
三里塚をめぐるすべての裁判闘争で、権力の体重をかけた攻撃が集中している。一個一個の裁判闘争が決戦的闘いとなっている。全力を結集して粉砕しよう。傍聴闘争への決起を訴える。
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週刊『三里塚』(S727号1面7)(2007/05/15)
仲戸川裁判長は証人を採用せよ
「提訴却下が当然」
鈴木夫妻決意満々で
昨年12月20日に提訴された鈴木幸司、いとさん夫妻所有にかかる一坪共有地裁判の第2回弁論が5月17日午前11時より千葉地裁で行われる(仲戸川隆人裁判長)。場所は、4000b滑走路北端近く(成田市駒井野)の、それも空港敷地外の一坪共有地だ。
千葉県企業庁はこれを空港会社に転売するために、金銭による補償方式で、鈴木さん夫妻から強奪しようとしている。
5月7日に、敷地内の一坪共有地強奪訴訟の控訴審で結審が強行されたが、同様に、この裁判でも三里塚闘争を破壊するために拙速審理・早期判決を狙っている。一坪共有地は「三里塚地区周辺に土地をもつ会」の合有地であって個別売買はできないのだ。
傍聴闘争に大結集し、鑑定書を書いた清水和邦福井県立大教授の証人採用を勝ち取ろう。
(写真 2月10日に行われた一坪共有地の現地調査。「土地を持つ会」という組合の活動として行った)
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市東さん、コシヒカリで兵糧万全
(写真 恒例の田植えが市東孝雄さんの田で行われた。面積は20アール。品種はコシヒカリ。今夏、今秋決戦へ「兵糧準備」は整った【4月28日】)
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週刊『三里塚』(S727号1面8)(2007/05/15)
コラム
年収106万円。200万人いるといわれるフリーターの平均年収だ▼月収で8万8000円。彼らはこの収入で家賃から光熱費、食費まで賄う。格安の家賃5万円のアパートを借りたとして…。一度風邪をこじらせただけでホームレスに転落する。健康保険に入れないから医者にかかれない。これが「世界一平等で豊かな国」の現実だ▼フリーター以外にもパート、派遣、請負など正社員以外の働き方をする人は1600万人。すでに労働人口の3人に1人が非正規雇用だ。連日15時間以上、過労死寸前の「正社員」も大勢いる▼この労働現場から逃げ出せば「ニート」の烙印を押され「役立たず」と罵倒される。「自己責任」という、資本家には便利な言葉もマスコミの協力で定着した▼3人に1人が非正規雇用とは。今を遡ること12年前。財界は「働く人を3つの階層に分ける」と宣言。その3番目が「柔軟型雇用」。何のことはない使い捨て労働力だ。それから10年。労働者派遣法(86年施行)の対象が全職種に拡大した▼「規制緩和」は使い捨ての自由だ。かつて民間の職業紹介は法で禁じられていた。労働条件が保証されないからだ。いまや人材派遣会社は大儲けだがかつては手配師といって裏世界の稼業だった▼ワーキング・プアは若者の「自己責任」ではない。政府と資本家が作り上げた現代の奴隷制だ。奴らは空前の利益を上げているぞ! 若き働く者たちの反乱それは「革命」である。
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週刊『三里塚』(S727号1面9)(2007/05/15)
闘いの言葉
「二郎。世の中には誰かが抵抗することで変わっていく事がある。奴隷制度や公民権は人民が戦って勝ち得た物だ。誰かが戦わない限り社会は変わらないんだ」
『サウスバウンド』 奥田英朗(直木賞作家)
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週刊『三里塚』(S727号2面1)(2007/05/15)
成田国民保護計画の正体
空挺団が空港を制圧
習志野から緊急輸送 「有事」PAC3配備も
市民を戦争に動員するための成田市国民保護計画は、今年3月初旬に成田市議会で承認された後、千葉県との協議に入り、3月末日をもって正式に発効した。
同計画の最大の問題は、計画の策定を主導したのが、陸上自衛隊第1空挺団第1普通科大隊長(習志野基地)であったことだ。(下図参照)
計画を策定した国民保護協議会は昨年6月29日、9月28日、今年3月8日の3回開かれ、前述の陸自第1空挺団大隊長の谷口喜一郎2等陸佐が議論をリードした。
第1回目の保護協議会で谷口大隊長は「成田国際空港を擁する成田市に対し、国のテロ対策等に基づいた他市とは異なる指導などがあるのか」と市当局に質問した。
つまり、「国民保護計画」などと称しながら、最大の関心が軍事基地成田の防衛であり、その目的にむけた自治体労働者、空港労働者そして成田市民の軍事動員に主眼があることを、谷口大隊長自らの発言をとおして露呈した。
同時に、この成田市の国民保護計画は、習志野の第1空挺団が成田と成田空港周辺の制圧を直接指揮する構図をも示したものとして重大だ。
さる3月に、労働者、市民の反対を押し切って、本土で初めて航空自衛隊入間基地にパトリオットPAC3(写真)が強行配備されたが、次の配備場所が陸自・習志野基地なのだ。今年の11月予定配備だが9月に前倒しされる可能性も高い。
(写真 習志野基地に配備される対空ミサイルPAC3。「有事」には成田空港に部隊展開する)
習志野のPAC3は、「有事」の際には成田空港に直接配備される計画だ。過去に米軍が空港周辺への配備場所などを調査したという事実もある。(日本経済新聞 1996年4月20日付報道)
PAC3の習志野基地配備の目的は、成田空港防衛が含まれているということだ。
しかも第1空挺団は3月30日に発足した陸上自衛隊中央即応集団の中心部隊だ。中央即応集団とは、精鋭とされる「第1空挺団」を軸に化学戦などに対応する第101化学防護隊を改編する「中央特殊武器防護隊」、新編成する「中央即応連隊」などをあわせた4000人ほどの組織となり、陸上自衛隊初の特殊部隊で防衛省直属部隊となる。この司令部が習志野におかれ、「朝鮮有事」の際のなぐり込み部隊となる。
成田と成田空港は、この習志野空挺団の直轄指揮の下に置かれるのだ。一朝有事となれば、空挺団が成田と空港に展開し、戦事体制下に置く。これが成田市国民保護計画の実態である。そして、「北朝鮮のミサイル・テポドンが飛んで来る」などと市民に恐怖感を与え、実動演習を強行し、戦争に動員していこうというのだ。
米軍による成田空港の軍事基地化とそのための今春現地調査は、こうした国民保護計画による市民と労働者の戦争動員と一体のものとして行われようとしている。
そして成田市の小泉一成市長はこれらを積極的に推進しようとしているのだ。
反対同盟は、3〜4月に成田空港の軍事使用・基地化問題で2度の公開質問状を市長に送付したが、その回答は、市長の戦争容認姿勢をはっきりと示すものだった。
成田空港の軍事基地化を前提とした米軍の現地調査について「現段階では判断を差し控える」などと述べて、事実上「容認する方針である」ことをにおわしている。
3月30日に行われた自衛隊PKO部隊による制服での成田空港軍事使用に関しても「PKO部隊の使用は軍事使用ではない」「制服であるか私服であるかは形式的な問題にすぎない」と回答し、自衛隊部隊による成田空港使用をも容認する姿勢をあらわにした。
(図 国民保護協議会をリードする習志野空挺団の大隊長【席次表の一部】)
成田空港の軍事使用・基地化および成田市国民保護計画にまっこうから立ちはだかっているのが、三里塚闘争だ。安倍政権の攻撃は完全に一線を越えた。
自治体で働く労働者、空港で働く労働者そして習志野基地とりわけPAC3配備に反対して活動するすべての労農学と連帯して、成田空港の軍事基地化を阻止しよう。三里塚を闘う労農学はその先頭に立つ。
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週刊『三里塚』(S727号2面2)(2007/05/15)
三里塚闘争40年の真実(46) 「シンポ・円卓」宴の後
2期工事の展望断つ 敷地内同盟の砦動かず
「茶番は茶番で終わった」
社会党村山政権の無残な裏切り弾劾
1991年から1994までの成田シンポ・円卓会議策動は最終的に失敗した。運輸省・空港公団の打撃感は深かった。萩原進さんがふり返る。「1986年に始まった2期工事は成田シンポ開始と同時に中断した。そりゃそうだろう。ペテンとはいえ空港公団は2期工事を白紙撤回したんだから。隅谷最終所見では『地権者の合意なしに新たな滑走路建設は行わない』と明記した。工事すらできなくなった。運輸省の役人は『この5年間、成田では何もできなかった』と嘆いていた」
「工事は中断したまま」「地権者との合意の展望はなし」。運輸省・公団はにっちもさっちもいかない袋小路に追い込まれていたのだ。1995年8月に発表された第7次空港整備計画(1996年〜2000年)の中間報告では、成田空港2期工事は放棄された。
一方で1994年、朝鮮半島をめぐる情勢の緊迫が成田空港の軍事基地化の問題を焦点化していた。アメリカ帝国主義・クリントンは、北朝鮮に対して開戦の決断まで行った。しかし、日本の支援体制の不備が、クリントンの戦争発動を踏みとどまらせたと言われている。
このため、これ以降、日本列島の出撃・兵たん基地化のための攻撃が、一気に本格化していく。 こうした「新安保攻撃」に対して、反対同盟は「6000万労働者との合流」を正面から掲げて、中央反戦集会の先頭に立って闘った。
特に1991年の湾岸戦争以来、顕著となってきた現代戦争における航空輸送の比重の高まりの問題を重視して「成田軍事空港」論を深化させていったことは大きな成果だった。
萩原さんは「朝鮮半島有事となれば、成田空港に50万の米兵が飛来し、日本列島に展開して部隊を編成し、戦場に送られていく、という現代の朝鮮侵略戦争の構図が示されたことは衝撃的だった」と述懐する。
反対同盟は、こうした成田軍事空港反対論を掲げつつ、1995年7月には「30年目突入集会」を東京で行い、1996年5月「30周年集会」も東京・両国公会堂で成功させ、1997年5月も目黒公会堂で東京集会を勝ち取るなど、「大失業時代における労農学との合流」を積極的に求め、成果を上げていった。
「シンポ・円卓会議」の策動を反対同盟の堅陣にはね返された運輸省・公団は小川グループ、脱落派への切り崩し工作を強める以外になかった。1995年1月、小川グループの小川喜平は「政府からの謝罪があれば用地売却の意向がある」旨、運輸省・公団に漏らした。94年夏に首相に就任していた社会党の村山富市は、喜平の動揺につけこみ、95年4月に成田市長に当選していた同じく社会党の小川国彦と有無通じて小川グループ切り崩しに動いた。
小川嘉吉も7月、用地売却の意向を表明した。この嘉吉の取り込みをめぐっては8月1日、「係争中の相続税を免除する」という前代未聞の“超法規的措置”までが取られた。脱落派が住む木の根に対しては95年8月芝山鉄道を口実とした買収工作を強め小川直克、一彰への切り崩しを進めた。(97年8月売却)
にもかかわらず、運輸省・公団は「シンポ・円卓会議」の合意にしばられ、平行滑走路工事の再開すらできていなかった。円卓会議後も一部脱落派との「地球的課題の実験村」会議なる残務処理はつづいており、円卓会議合意を反故にすることもできなかった。
こうした動きの上に“最後のあがき”として試みたのが、96年12月1日に打ち出された「2期工事2000年完成」計画の発表だった。これ自身何かある展望の下で出された計画ではなく、「無方針状態」を脱したいという意図だった。
1998年4月、「運送車両法違反」を口実として5名を不当逮捕するという、三里塚現闘へのかつてない弾圧も試みた(控訴審で逆転勝訴)。1998年8月には「空港と地域の共生策」をうたった「共生大綱」なるものを発表して、「空港迷惑料」のバラまきと地域ボスの取り込み策の強化以外に策もなくなっていることを露呈した。
この過程で、反対同盟から加藤清が脱落していったが、北原鉱治事務局長を先頭とする執行体制、市東東市さん、萩原進さんら敷地内同盟を先頭とする農地死守の陣形は微動だにしなかった。そして98年末、運輸省・公団は「2000年完成」計画も断念する窮地に追いつめられた。結局、「シンポ・円卓会議」をめぐる大決戦に勝ちぬいたことが、平行滑走路の本来計画を粉砕することにつながった。
萩原さんにまとめてもらった。「やはり今ふり返っても『シンポ・円卓』との大攻防に勝ちきったことが大きかった。われわれにとっては『なぜ空港に反対し続けるのか』という論理を磨き上げる過程でもあった。石毛博道が言っていたが、あの過程は連中にとって『空港反対の理由を1つ1つ剥ぎ取られていく』という思いだった。政府・公団は徹底的に頭を低くして謝罪する。2期工事の白紙撤回までしちゃう。『なぜ空港に反対するのか』ということになる。だけどわれわれは単に『謝罪』を求めて反対闘争をやってきたわけじゃない。農民としての生きる権利の防衛と主張として闘ってきたわけだから、『謝罪します』で終わるような問題じゃない」。(つづく)
(写真 闘争30周年で屋内大集会を勝ち取った【1996年5月26日 東京・両国公会堂】)
●新安保共同宣言… 1994年の朝鮮危機。北朝鮮の原子炉を廃止させ、核開発への道を閉ざすため、米クリントン政権は軍事圧力を強めた。屈服しない金日成。クリントンは開戦の決断まで行ったというが、日本の戦争支援体制の不備で発動できなかった。このことを契機に、新安保共同宣言、周辺事態法、武力攻撃事態法へと戦争攻撃が激化した。
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週刊『三里塚』(S727号2面3)(2007/05/15)
イラク解放の日が見える
宗派対立の扇動を乗り越えるレジスタンス
ウラマー協会がメッセージ
占領破綻で分離壁 「万里の長城は無意味だ」
4月13日、ムスリム・ウラマー協会事務局長アル・ダーリ師が、ヨルダンのアンマンからイラク人民へ熱烈なメッセージを送った。アル・ダーリ師は「テロリストを支援している」との理由で、カイライ政府と米軍から国際指名手配されている。以下メッセージ。
*
占領による暗黒は必ず終わります。これは現実です。占領を終わらせるには、大変な忍耐が必要です。それでもイラクの現地に踏みとどまろうではありませんか。
イラク人民は、お互いに兄弟であり、寛容であります。宗派主義だなんだと相互に思い込ませることで、人民の分裂を占領軍は望んでいます。占領軍にそんな口実を与えてはなりません。
イラク人民は団結しよう! 占領軍の追放の為に共に協力しよう!
占領軍とその手先はシーア派だ、スンニ派だ、クルドだアラブだと称してイラク人民を分断してきました。この4年間、占領軍による挑発がイラク人民を混乱させて来ました。われわれの弱点に付け込んだのです。
しかし、もうこのやり方は通用しません。新たな動き、分断を乗り越える動きが敵を追い詰めているからです。
占領軍を追放しましょう。わが祖国から追放しましょう!
ムスリム・ウラマー協会事務局長
アル・ダーリ師
*
●150万人がデモ!
4月9日。バグダッドが米軍に占領されてから4年目のその日、南部ナジャフ州の州都ナジャフ。このシーア派の聖地で実に150万人のイラク人民が、「占領軍の即時撤退」を要求する集会とデモを行った。デモの先頭で、何万人ものスンニ派が行進した。デモにはイスラムの緑の旗も、スンニ派の黒旗もなかった。掲げられたのはイラク共和国国旗である。
前日から、イラク南部では市民が街頭に出て、「占領軍の即時撤退」「政府幹部の腐敗糾弾」を訴えた。イラク共和国国旗が、町を埋め尽くした。ディワニーヤでは、米軍とカイライ政府軍による治安作戦を、マフディー軍と住民が迎え撃ち、スンニ派レジスタンス部隊も米軍基地を砲撃。巨大な大衆デモと武装闘争が結合して、占領軍とカイライ政府を完全に孤立へと追い詰めた。
14日、ファルージャでレジスタンス・イスラム軍兵士が、カイライ政府の手先を拘束した。拘束された男は、モスクの壁にイスラム国(アルカイダ系レジスタンス部隊がアンバル州で設立した連合組織)を誹謗するポスターを貼っていた。署名はイスラム軍だった。イスラム国とイスラム軍はファルージャで対立していた。両派は、少なくともカイライ政府による意図的な対立の扇動を摘発することで合意した。
開戦以来、400万人が難民となった。毎日100人の夫人が未亡人となり、400人の子供が孤児となっている(ムスリム・ウラマー協会)。この状態の中、ついにイラク人民がレジスタンス組織を乗り越えて統一へ動き出したのだ。「敵は誰だ。シーアか? スンニか? アラブか? クルドか? 違う、イラクの敵は占領軍だ!」
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23日、イラク南部でシーア派レジスタンス部隊とスンニ派レジスタンス部隊の15組織が、初めて合同作戦司令部を設置した。ついに登場した統一組織は「イラク抵抗人民戦線」と名乗っている。アンバル州とサラハアッディン州、ディヤラ州では、レジスタンスとアルカイダ系との対立が解消に向かっている。平坦ではないが、レジスタンス戦線統一への動きは止められない。
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●バグダッドの分離壁に怒り
10日、米軍がバグダッドのアザミヤ地区に、コンクリート製の分離壁を作り始めた。イラク人民の統一戦線形成に追い詰められたからだ。
インデペンデント紙によると、バグダッドの89地区のうち30地区を分離壁で包囲する計画だ。壁の出入りは、アメリカ軍が発行したIDカードを持った者のみに限られる。この作戦は、既にファルージャなどで失敗している方法だ。米軍は住民を監獄状態に追い込み、アメリカの助けなくして生活できないことを「教えてやる」という。
なんという思い上がりだろう。米陸軍の将校ですら「作戦は成功するはずがない。中国の万里の長城で騎馬民族の侵入を防げたか?」と酷評している。早くも23日、アザミヤ地区の住民が7000人で分離壁建設に反対してデモを行った。いきなり7000人のデモだ。ここでも掲げられたのは共和国国旗である。25日、今度はサドルシティーでサドル派が分離壁に反対するデモを行った。このデモでも共和国国旗がはためいた。
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●崩壊する米軍
イラク戦費は5000億ドル(約60兆円)に達した。米軍はイラクとアフガニスタンに駐留する米兵に総額10億ドルのボーナスを支給した。軍崩壊の危機を金で解消する作戦だ。イラクに駐留する軍事会社社員=傭兵は5万人。兵士1人分の装備は開戦当初の7000ドルから2万5000ドルに値上がりした。装甲車は3万ドルから22万ドルに跳ね上がった。軍需企業は大儲けだ。(グローバルリサーチ)
20日、バーモント州で、大統領弾劾決議が可決された。ハワイ、ミズーリ、テキサス、ワシントン、ウィスコンシン州でも弾劾決議案が提出された。(AP)
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週刊『三里塚』(S727号2面4)(2007/05/15)
北総の空の下で
原初の響き
土が宿してきた力
思いのほか寒い日の多かった4月が過ぎて一挙に初夏が来たような陽気になりました。 麦が穂を付け青々と空に向かって伸びていきます。そのわきを通るたびに歌の一節「麦の刃(やいば)も空を刺す」が頭に浮かびます。反対同盟の同盟歌です。
ビデオ「大地の乱」に収録されたのを機に同盟行事で復活しました。花見のとき、萩原進さんが「昔はよく歌ったよなあ、いい歌だよ」としみじみつぶやいたのが印象に残っています。
「われらが仲間強くあれ」で終わる2番、「われらが郷土(ふるさと)永遠(とわ)にあれ」で終わる3番、どちらもいいですが、私は1番が好きです。 1番は「大地を打てば地底より原初の響き鳴り渡る」で始まります。原初の響きとは?と思っていたので、市東孝雄さんの耕作権裁判で顔を合わせた折、作詞者の戸村義弘さんに伺ってみました。「原初」の中には太古の昔から土が宿してきた力のようなものを込めているそうです。歌のイメージがさらに壮大に広がりました。
1番はさらに「土に生まれ土地(つち)に活き骨をうずめるその土の誇りも高き『農地死守』」と続きます。 命の源である大地を守ることこそ何よりの公共性です。空港の「公共性」なんて、それに比べたら小さい小さい!
空港反対闘争は、原初(一番初め、大元)から面々とくり返されてきた先人たちの営みを引きつぎ守る闘いです。
(北里一枝)
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週刊『三里塚』(S727号2面5)(2007/05/15)
三芝百景 三里塚現地日誌 2007
4月18日(水)〜5月8日(火)
●クリーンパーク問題でビラまき 成田市の一般廃棄物処分場(クリーンパーク)の空港転用問題をめぐる公開質問状に対して、市当局が不誠実な回答をくり返していることに抗議して、市役所前とJR、京成成田駅前でビラまきを行った。(18日)
●「PKO派兵は軍事使用ではない(?!)」 成田空港の軍事使用・軍事基地化問題で反対同盟が出していた2回目の公開質問状に対する回答が届いた(18日付)。しかし、その内容は「軍事基地化・軍事使用容認」の戦争容認のものだった。中でもネパールにむかったPKOについて「軍事使用ではない」との珍論を展開して、反対同盟の怒りをかっている。(19日)
●突然の裁判長交代を弾劾
市東さんの耕作権取り上げをめぐる裁判の第2回弁論が千葉地裁で行われた。この日地裁当局は、市東さんと弁護団に告げることなく、突然裁判長を交代させ、拙速審理・早期結審にむけた訴訟指揮を行ってきた。これに対して市東さんを先頭に弁護団、傍聴席は弾劾して闘った。(23日)
●東峰の森本格伐採開始に抗議声明 反対同盟は、この日から始まった東峰の森の本格伐採に対して抗議する弾劾声明を発出し、記者に発表した。(23日)
●「暫定路を3500bにすべき」 空港利権をむさぼる地元空港企業、商工会議所などは「成田空港の機能充実と地域経済の活性化を実現する会」なるものを作って「暫定滑走路の3500b化にむけた運動を開始する」と表明した。(27日)
●恒例の田植え 萩原進さんと市東孝雄さん宅で恒例の田植えが行われた。それぞれ320アール。決戦にむけた兵糧体制は万全だ。(28日=写真)
●一坪共有地強奪訴訟控訴審で「結審」の暴挙 反対同盟の一坪共有地を民法で奪う、という強奪裁判の控訴審第3回弁論で、小林克己裁判長は証拠調べを拒否していきなり結審するという暴挙を強行した。(5月7日)
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