SANRIZUKA 2007/03/15(No723 p02) 
|









週刊『三里塚』(S723号1面1)(2007/03/15)
2・25東峰緊急闘争 “森は村びとのものだ”
3・25市東さんの畑へ集まろう
まるで捕虜収容所
東峰地区 萩原さん国家犯罪を弾劾
3・25全国集会は、三里塚闘争の今後を決する集会となった。市東孝雄さんの耕作権守ろう、東峰の森防衛、米軍の基地化阻止! 三里塚への結集運動を全力で組織しよう。(主張別掲)
*
2月25日、反対同盟は東峰の森伐採攻撃の切迫と対決する緊急現地闘争を萩原進さんの畑で行った。急を聞いて結集した労農学は170人。
寒風を突き破って集会が始まった。司会の鈴木謙太郎さんが「NAAは明日にも森伐採のためのフェンス囲いを始めようとしている。断固阻止しよう」と怒りの第一声。
北原鉱治事務局長が「成田と関西新空港の軍事使用を許してはならない。この見事な東峰の森をつぶすことは東峰の住民に死ねというのと同じことだ。三里塚は40年の闘いの歴史の原点に返って決起する」と訴えた。
東峰部落に住み、入り会いの森を生活の一部として使っている事務局次長の萩原進さんが発言に立った。「空港予定地ではなかったところに誘導路を建設する。こんなでたらめな攻撃がかけられている。90年耕作の畑を“不法耕作”呼ばわりされて怒っている市東さんと同様、私も怒り心頭だ。工事によって畑に行くにも道を閉ざされ、高い塀に囲まれ、捕虜収容所のような中で農作業することを強いられる。こんなことが許せるか。不当・不法の現実を暴き全国から多くの人を呼び寄せよう」とアピールした。
(写真 「東峰の森伐採を許すな」と170人が緊急闘争にかけつけデモした【2月25日 小見川県道】)
「直接革命訴えよう」
耕作権取り上げ攻撃と闘う市東孝雄さんは「現闘本部、私の畑、東峰の森と空港会社は法を無視したやり方で次つぎつぶそうとしてきている。であるならば、われわれは自分たちの“法律”にのっとって闘うだけだ」と言い切った。
本部役員の鈴木幸司さんが「命の次に大事な入会の森を伐採するなど人間として許されることではない」と弾劾した。
支援共闘団体の発言では動労千葉の後藤俊哉さんが、館山・木更津拠点の破壊攻撃にストライキで闘う決意を表明した。関西実行委員会の松原康彦さんは「東峰の森伐採攻撃は、成田・関西への米軍優先使用攻撃とともに、戦争準備と一体の攻撃だ」と弾劾、パネル展の前進を報告した。婦人民主クラブ全国協、全学連・織田陽介委員長が「革命をストレートに呼びかけよう」と訴えた。
デモンストレーションは東峰の森をぐるっと一周。「この豊かな森の大半を破壊するのか」。参加者は怒りを新たにした。
森に隣接した北原事務局長他所有の一坪共有地に「一坪共有地の形状変更を禁止する」との看板3本を建てて、気概を示した。
参加者全員が3・25全国集会の大結集で反撃することを決意した。

(写真 細い赤線が現在建設中のフェンス、Xが廃止される道路。太い黄色線がその後に建設される誘導路だ。「森」の大半が伐採され、部落の西側半分は陸の孤島になる)
------------------------
---------------------------
週刊『三里塚』(S723号1面2)(2007/03/15)
3・25三里塚への結集を訴える
労働者と農民の革命の砦を守り抜こう
市東さんの農地を農地法で取り上げるという法の転覆を農水相が追認(1・29決定)したことで、三里塚闘争は抜き差しならない攻防に突入している。40年間闘い続けた不屈の農民闘争の砦を、何としても叩きつぶそうという国家意思がむきだしとなっている。
安倍政権は3月中にも改憲投票法案の衆院通過を目指す方針を決めた。7月参院選を改憲の是非を問う選挙にするという。朝鮮侵略戦争への突入に備えた正面突破だ。三里塚への攻撃は、これと完全に軌を一にしている。動労千葉や法大など、労働者・学生の強力な抵抗拠点に襲いかかる組織破壊と同質の攻撃だ。これらは改憲攻撃をめぐる戦場そのものだ。
*
三里塚闘争は80年代に国家権力の強制収用を文字通り実力で粉砕した。国家が土地収用法(強制収用)を発動し、それを完全に粉砕した労働者と農民の力は巨大だ。未買収地のすべてが更地になる予定が一転し、永遠に収用不可能となった。権力機関である県収用委員会は、88年~04年まで実に16年間も機能を停止した。三里塚は支配階級の法律が及ばない解放区となった。85年の10・20三里塚蜂起戦~同11・29浅草橋戦闘~90年決戦にいたる激突は、巨大な対権力闘争の地平をもぎとる歴史的な勝利だった。その中心に国鉄分割・民営化攻撃と対決する動労千葉の闘いがあった。改憲に踏み切った政府が、三里塚を目の敵にするのは必然ではある。
*
改憲攻撃は、労働者と農民が闘い取った戦後民主主義の獲得物を根こそぎ覆す攻撃でもある。教育の自由が破壊され(教基法改悪)、働く者の権利が奪われ(労働法制の改悪)、資本が農民から根こそぎ農地を奪い取ろうとしている(農地法の廃止)。後者は300万戸農家の95%を潰す文字通りの農業切り捨てだ。グローバルな市場で資本が生き残るために、国内の農業を完全に捨てる滅茶苦茶な攻撃である。
反対同盟・市東孝雄さんへの農地取り上げが、奇しくも農地法廃止攻撃と軌を一にして始まったことは偶然ではない。300万農家の反乱が労働者階級の闘いと結合することを阻むために、不屈の三里塚農民を真っ先につぶすとの国家意思だ。
*
三里塚はまごうかたなき革命の砦だ。ここには70年~80年代を通して歴史的に積み上げた労働者と農民の力が結集している。農民闘争の圧倒的な正義と労働者階級の無限の力。それゆえの40年なのだ。この砦を本当に守り抜く覚悟が問われている。一切は三里塚闘争本来の分厚い闘争陣形を復活させることにかかっている。それは改憲阻止闘争の行方を決する重みを持つと確信する。
3・25三里塚全国集会へ、実のある大勢の参加を実現しよう!
------------------------
---------------------------
週刊『三里塚』(S723号1面3)(2007/03/15)
成田空港の米軍基地化阻止へ
反対同盟が3・25集会の訴え(下)
3・25全国集会の成功にむけ、反対同盟は全力で訴えを続けている。反対同盟からのアピール(下)を紹介する。今回は萩原進事務局次長と市東孝雄さん。
労農の分断破る時 事務局次長 萩原進さん
2002年に従来計画から800㍍も北に伸ばした暫定滑走路の開港を強行した。それからわずか3年で今度は北延伸計画だ。こんなデタラメがあるかという話だよ。それでも成田空港は完成からはほど遠い。黒野社長は「北延伸は望ましい形ではない」旨発言をしている。要するに東峰部落の団結を破壊して南に伸ばしたいという話だ。
東峰の森を破壊して新誘導路を造ったところで第2の「へ」の字誘導路になることは明らかだ。 にもかかわらず、2月26日から東峰の森破壊の工事を開始した。捕虜収容所のようなところに入れてそこで農作業をやれという攻撃だよ。面子も何もかなぐり捨てたデタラメな攻撃だ。強行突破で、批判が高まる前に押し切っちゃおうというやり方だ。
攻撃をはね返す力を3・25集会で見せつけなければならない。空港を「暫定」のまま封じ込めなければいけない。それは可能だ。今、労働者や弱者そして農民への攻撃のすべてが、権力者の切羽つまった現状を示している。労働者も苦しいが農民階層も大変な状況を強制されている。憲法改悪、農地法の廃止…。そしてあらゆる法が悪用されている。市東さん問題の中身は戦時下の土地取り上げだ。食料安保も有事法制に組み込むべきだ、と財界から真顔で言われる時代に入った。アジアを戦前と同じ食料基地にする攻撃だ。朝鮮半島有事に、成田空港を米軍が優先使用する攻撃も切迫している。
彼らは何かというと「国策だ」「公共だ」という。もうそういう言い方は通用しない。農業の方がはるかに公共性があるのだ。一空港会社の利益と300万戸農家の利益を代表したわれわれの利益とどちらが貴重か。言うまでもないだろう。
問われているのは農民と労働者の連帯だ。3・18イラク反戦4周年集会に反対同盟も全力で参加する。一体の闘いとして3・25に取り組んでほしい。国家犯罪を暴き多くの人に呼びかけよう。
トヨタより農業を 敷地内天神峰 市東孝雄さん
今、日本全体が壊れかかっていると感じる。私の耕作権の問題でもそうだが、権力・空港会社の側は法も道理もなくむちゃくちゃやってきている。2005年8月に暫定滑走路の北延伸が決定したときに、何らかの方法で耕作権を取り上げに来るとは思っていたが、まさか農地法で来るとは予想してなかった。
先日の農業新聞で、もし農産物の関税が撤廃されたらということで、農林水産省が試算をした結果を報道していたけど、食料自給率がわずか12㌫になると書いてあった。
農業は壊滅ってことでしょ。一体何を食うのかという話だよね。トヨタの株価総額が日本企業で初めて30兆円を突破したと出ていたけど、必ず反動が来るよ。自動車がそんないつまでも売れるわけがないし、その裏で農業を犠牲にするなんてまちがっている。
そもそも農業はそんなにもうかる産業じゃない。だけど人間が生きていくのに一番大事なものでしょ。最近では食料が食べ物だけじゃなくて石油の代わりの資源になりつつある。バイオ燃料とか何とか。だから自分の国の農業を大切にしないと、えらいことになるよ。
労働者の置かれた状態も大変だと思う。労農の連帯で、さらに国境を越えた連帯で、今の状況を変えていかなけりゃ。三里塚の責任は大きいと思う。3・25でお会いしましょう。
------------------------
---------------------------
週刊『三里塚』(S723号1面4)(2007/03/15)
クリーンパーク転用許すな
小泉市長 「回答」で居直り
反対同盟が1月26日に出していた成田クリーンパークの公開質問状(第7回目)に対する回答が2月23日にあった。しかし回答の基本姿勢は「質問に答えない」という度し難い住民無視だ。中でも許せないのは「毒物の全量撤去をしない理由」について居直っていることだ。
反対同盟は今回の質問で、「そもそもクリーンパークの閉鎖自体に反対です」とした上で、「百歩譲って閉鎖するとした場合でも、ゴミの全量撤去しか安全な方法はないはず。これを採用しない理由は何か」と聞いた。 これに対する回答は「法にのっとって閉鎖するものです」「閉鎖対策に万全を期してまいります」という、答えにすらなっていない住民を愚ろうするものだ。
そもそもクリーンパークの閉鎖は、空港の北延伸によって持ち上がってきた問題であって、成田市が北延伸を了承しなければ存在しない。そのクリーンパークを空港会社の都合によって閉鎖するのだから、1㌫の不安もない状態での閉鎖―廃止を求めるのは当然だ。
それすらしない理由を住民に包み隠さず説明するのは小泉一成市政の当然の義務だ。反対同盟は再度の公開質問をふくめ、さらに追及を強める方針だ。
------------------------
---------------------------
週刊『三里塚』(S723号1面5)(2007/03/15)

「石橋政次の意思能力あった」
「代理権」で決定打
現闘本部裁判 時効取得、地上権も盤石
2月22日、「天神峰現闘本部裁判」第15回口頭弁論が千葉地裁で開かれ、反対同盟側の陳述がNAA側を圧倒した。
前回、NAA側が「1988年前後、石橋政次に意思能力はなく『代理人』と称する長男武司を相手方とした交渉は無効」と主張してきたことに対して、同盟側は「石橋政次に意志伝達能力はあった」と、当時、石橋を見舞った加瀬勉氏(香取郡多古町在住)の証言を根拠に反論した。
当時の政次は歩くこともでき、意志を伝える能力が十分あったこと、従って武司は代理権を保有していたことをつきつけた。
次に、時効取得という面からも反対同盟には現闘本部の地上権ないし賃借権が存在するという、権利に関する主張の補強を行った。さらに弁護団は本部建物の検証を強く要求した。次回、5月10日傍聴へ。
(写真 第15回口頭弁論終了後の記者会見【2月22日 千葉県弁護士会館】)
------------------------
---------------------------
週刊『三里塚』(S723号1面6)(2007/03/15)
コラム 
「北朝鮮核問題」の根っこには帝国主義の侵略戦争の歴史が綿々と横たわっている▼朝鮮の南北分断は、朝鮮戦争(1950~53年)の休戦状態の継続だが、戦争の引き金を引いたのは、「日韓併合」以来の日帝による朝鮮植民地支配を国際帝国主義が引き継いだ信託統治(45年~)だ▼日帝の敗北で解放されたはずの朝鮮半島を米軍が占領し(38度線以南)、独立を求める人民の激しい抵抗を武力で鎮圧。北はソ連が占領した。南の李承晩カイライ政権が「武力統一」を挑発するなか、ソ連を後ろ盾にしたスターリン主義者が南の解放闘争の現実を無視して武装南進を強行。史上空前の殺りく戦のはてに休戦となり分断は固定化された▼この歴史を語らずに「核」も「拉致」も語れない。敗戦帝国主義日本は、旧総督府の機関を使ってアメリカの南朝鮮占領=血の弾圧を支え、朝鮮戦争開戦後は日本が米軍の出撃・兵站基地となった。日本は南北分断と朝鮮戦争の当事者なのだ。アメリカは韓国に核兵器も配備した▼戦後の朝鮮半島の人権問題は、何よりも日本政府が支持した韓国反共政権の人民弾圧の歴史だ。「北のスパイ」の名の下に無数の学生・良心的人士が自由を奪われ、殺された。「拉致」はこの戦争状態で北朝鮮スターリン主義が引き起こした事件だ▼拉致問題の「解決」を、朝鮮戦争の再現に向かうブッシュや安倍政権の思惑上で語ることは許されない。それは最悪の人権破壊を再現する道だ。
------------------------
---------------------------
週刊『三里塚』(S723号1面7)(2007/03/15)
闘いの言葉
「現在」を問えない学校は「学校」ではない/「未来」を孕めない教育は「教育」ではない/私は静かに貫く「不服従」の営みを/私は守りたい教師の良心を
「君が代」不起立の教師・河原井純子氏
------------------------
---------------------------
週刊『三里塚』(S723号1面8)(2007/03/15)
日程 3・25全国総決起集会
3月25日(日)正午
成田市天神峰 同盟員所有地
《主催》三里塚芝山連合空港反対同盟
--------------------------------
3・25三里塚行動の案内
3・25全国集会にあわせて三里塚の歴史と現実を学び、「市東さんの耕作権を守れ。成田を米軍基地にするな」と訴える反対同盟との交流を行います。今回はとくに青年労働者・学生の参加を強く呼びかけます。
①3月24日 現地調査と交流会(午後1~5時)
12時30分・京成成田駅集合
②3・25三里塚全国集会
③3月26日 援農行動
早朝から夕方まで反対同盟宅で農作業手伝い
------------------------
---------------------------
週刊『三里塚』(S723号2面1)(2007/03/15)
なぜ「成田」が基地問題か
侵略戦争体制の7割強は兵站(補給)部門
「94年核危機」と成田空港
戦時動員拒否 恐れる国
アメリカの戦争体制は、前線(戦場)が3割で残る7割が兵站部門で構成される。後者は膨大な民間部門を動員しなければ成り立たない。ここが止まると前線が動かないのだ。成田空港問題が最大の基地問題となる理由がここにある。
(写真 米軍の巨大輸送機C5ギャラクシー。成田のような4000㍍級滑走路が必要【写真は横田基地】)
*
昨年12月から日米政府は「朝鮮有事の日米共同作戦計画・5055」を具体化する作業に入ったと衝撃的に報道された(1・4朝日/1・5読売)。最大の懸案は「成田空港など民間空港と港湾の使用問題」(同)とされた。計画の「具体化」とは、どこの空港・港湾をどのようなレベルで使えるのかの実戦的な詰めの作業だ。宿泊や糧食の問題、医療施設の能力、貨物処理能力、航空機の整備能力、兵員移動手段の確保等々。さらに「警備体制」から「対空ミサイルの設置場所」まで詰めなければならない(96年4・20日経)。91年の湾岸戦争でも米軍が占拠したサウジアラビアの空港や港湾施設は補給・兵站の大拠点となったが、ここはイラク側からの最大の攻撃目標ともなった(スカッドミサイルが実際に被弾)。
そして決定的な問題は、空港施設を機能させている労働者や関係自治体職員などの戦時強制動員である。空港全体が米軍の管理下に置かれる状況で、人の動員に法的強制力を発動できるかどうか。ここが決定的な問題なのだ。案の定この問題が日米交渉の「最大のハードル」になっているという(読売・同)。
法律は「周辺事態法」なら非強制、有事法制(武力攻撃事態法等)なら強制動員となっている。しかし現場労働者に戦争協力拒否が広がれば、法律上の強制か否かを超えた問題となる。戦時基地としての機能が根底から揺らぐのだ。そして闘いが三里塚闘争および全国の労働者人民による反戦闘争と合流するなら、戦争の遂行は決定的な困難に直面し、国家の存立さえ揺らぐような事態に発展するだろう。
共謀罪の導入攻撃など、治安弾圧体制の反動的エスカレートが猛烈な勢いで進められている理由はここにある。そして三里塚闘争への矢継ぎ早の攻撃が昨年から一気に強まった理由もここにあるのだ。
*
1994年の「北朝鮮核危機」(※注)では、米クリントン政権は対北朝鮮戦争の開戦を決断する寸前まで駒を進めながら、最後のところで特使を派遣して危機を収束させた。この時、政府はアメリカから約1千項目にのぼる「協力要請リスト」を突きつけられ、極秘裏に緊急対策会議を重ねたが、その焦点は日本の空港や港湾が兵站・補給基地として機能するかどうかだった。
答えは「ノー」。この危機を決定的な契機にして、日米安保共同宣言(96年安保再定義)から有事法制(04年成立)さらには今日の改憲攻撃に連なる大規模な戦時体制づくりの攻撃が始まったのである。
三里塚闘争は米日の朝鮮侵略戦争を阻止する決定的な戦場なのだ。
………………………
【注・94年核危機】91年のソ連崩壊後、北朝鮮への体制崩壊圧力を米帝が強めたことに対し、北朝鮮が93年にNPTの脱退=核開発を宣言。危機は、94年にクリントン政権(当時)が開戦を決断する寸前まで高まった。
(表 作戦「5055」で成田など空港・港湾【●)の果たす役割は決定的だ)
------------------------
---------------------------
週刊『三里塚』(S723号2面2)(2007/03/15)
三多摩、解同、相模原、動労千葉…
反対同盟、3・25を訴え
反対同盟は「市東さんの畑を守れ! 成田を米軍の基地にするな」をかかげた3・25集会の成功にむけて、3・18イラク反戦集会を頂点に位置づけつつ、各地区集会にはせ参じ、全力で決起の呼びかけを発している。
*
2月25日、「東峰の森伐採を許すな」の現地集会を行った直後に、北原鉱治事務局長が、東京三多摩で行われた「とめよう戦争への道 百万人署名運動・三多摩連絡会」の総会に参加してアピールを行った。
3月3日、大阪・荒本人権センターで行われた部落解放同盟全国連合会の第16回大会に伊藤信晴さんが参加して「市東さんの耕作権をはく奪する攻撃は、労働者にたいする民営化、首切り攻撃と一体の農業切り捨て攻撃だ。労働者と農民が分断されている現実を打ち破り、労農連帯をかちとっていこう。3・25全国集会はその第一歩です」と力強く訴えた。
同じ3月3日、国際婦人デーさがみはら行動集会に、鈴木いとさんが参加。「市東さんの農地を守る闘いに皆さんの力を貸してください。3・25全国集会に多くの皆さんの結集をお願いします」と訴えた。
3月4日には、動労千葉主催の春闘総決起集会に鈴木幸司さんがかけつけて「何としても、この空港はつくらせない。40年近く前の強制代執行以上の闘いをやる。3・25は労働者と農民が一致団結して闘うとき。40年間の闘いの成果をこの日に実現しよう。東峰の森は部落にとっては命より大事なもの。伐採させてはいけない。私の一坪共有地裁判も3月8日から始まる。3・25に大結集をお願いします」と熱烈に訴えた。
このほか、2月23日の東京南部の集会では萩原進さんのメッセージが読み上げられ(別掲)、反響を呼んだ。今後も関東7カ所、関西では3・25前だけで5カ所のパネル展が計画されている。3・18~3・25に全力で立ち上がろう。
(写真 鈴木幸司さんは動労千葉の春闘集会で熱烈なアピールを行った【3月4日 千葉市】)
------------------------
---------------------------
週刊『三里塚』(S723号2面3)(2007/03/15)
東京南部集会へメッセージ
反対同盟 萩原進さん
■闘う労働者の皆さんへ
私たち三里塚の農民が春闘集会へのメッセージを送るのは久しぶりかと思います。闘う仲間の皆さん! と呼ばせてください。
ご存じの通り、私たち三里塚の反対同盟は、政府の力ずくの農地取り上げに対して40年にわたる闘いを続けてきました。「三里塚闘争」「成田闘争」という名称は、若い人たちを除けば知らない人はいないでしょう。30年も前ですが、国策としての軍事空港建設に伴う強制収用に対して、私たちは家族ぐるみで体を張って闘い、多くの労働者の支援を得て政府のもくろみを阻んできました。また反戦運動の砦としても、三里塚は大きな役割を果たしてきました。
*
40年にも及ぶ闘いで、状況も大きく変わりました。土地収用法という法律の効力も失効し、政府といえども強制的に土地を取り上げるすべを失っていました。ところが昨年から政府は、何と農地法によって、私たち反対同盟の一員である市東孝雄さんの農地を取り上げる挙に出てきたのです。農民を守るための農地法で農地を取り上げる。まったく信じられない出来事です。これが改憲というものなのでしょう。
問題の背後には、日本の農業を潰してしまおうという政府の政策もあります。自動車を海外に輸出するために、外国の農産物の輸入を自由化する交渉が進んでいます。皆さんの賃金を下げるために、安い農産物を輸入する思惑も働いています。新聞は、日本の農業はコストが高く、補助金をもらって怪しからんという論調ですが、日本の農業が壊滅した暁には、皆さんの食卓に何が並ぶことになるかを考えて欲しいと思います。
*
私たちが皆さんに訴えたいのは、労働者と農民の連帯です。信じられないほど安いコメがスーパーの店頭に並んでいますが、あの値段に小躍りして喜んでいるのは流通を握る大資本であり、泣いているのは農民です。一日中働いても生計が成り立たなくなっているのは労働者だけでなく、農民も同じなのです。コメの値段が下がると賃金も下がります。これを忘れないでください。
海外に食糧を依存するというのが今の政府の政策です。これは戦前と同じです。そのために軍備を増強し、憲法を改悪する。これも戦前への逆戻りです。そのなかで、私たち反対同盟の一員である市東孝雄さんへの農地取り上げ攻撃も起こっているのです。
闘う労働者の皆さん。私たちはともに資本・権力と闘う同盟軍です。ともに改憲と戦争の道を阻む戦列を整えようではありませんか。きたる3月25日、三里塚で全国集会を開催します。多くの皆さんのご参加を呼びかけます。
2007年2月22日
三里塚芝山連合空港反対同盟 萩原進
------------------------
---------------------------
週刊『三里塚』(S723号2面4)(2007/03/15)
三里塚闘争40年の真実(43)
闘争幕引きの茶番届かず
成田シンポ(上)
政府選出の御用学者
隅谷ら 「闘いをやめろ」の大合唱
敷地内農家は「談合」と裏切りを弾劾
収用委員会の解体、成田治安法攻撃の破産(1988年~90年)という巨大な三里塚闘争の地平によって、政府・運輸省、空港公団は決定的窮地に追いつめられた。力でダメ、札束でもダメ、どう喝も効かない、懐柔も問題外……。
万策つきた運輸省・公団が、熱田派を引き込んで行った闘争破壊策動が成田シンポジウムだった。「収用委員会解体」という三里塚闘争が切り開いた地平にのっかりこれを利用して、条件交渉=見返りのかすめ取りに飛びついた石井新二、石毛博道ら熱田派幹部の大罪はぬぐいがたい。
(写真 シンポの第1回目で石毛博道【右)は運輸大臣・奥田と同席した(91年11月21日 成田市】)
他方、成田シンポジウムは、莫大な予算とぼう大な人間を動員した、三里塚闘争始まって以来の反対同盟買収攻撃だった。狙いは、三里塚闘争の厚いすそ野を形成する正義性と社会性を底から掘り崩そうという、一見遠回りに見えながら、あなどれない攻撃だった。
実際、空港公団、千葉県、空港関連市町村の正式な予算のきょ出をもって地域振興連絡協議会なる常設組織を立ち上げ(90年11月=予算は年間数億円)、利権屋でしかなかった村山元英―石井新二グループに代わって、中央政治にも隠然たる影響力を持つ東大元経済学部長・隅谷三喜男を団長とする隅谷調査団が組織された。
団員にはノーベル経済学賞候補で東大教授の宇沢弘文、「市民派」を自称する中京大学教授の河宮信郎、運輸省利権代表で元航空局長の高橋寿夫、反動世論を担う元産経新聞論説副委員長の山本雄二郎が抜擢された。
隅谷自身、単なる右翼反動ではなく、労働経済論を専門とする「リベラル」派だった。宇沢や河宮も環境保護派と目された。成田シンポを、熱田派の屈服・条件派転向を導く、見え透いた「出来レース」にはできるだけしたくない、との思惑がありありだった。
他方、千葉県および周辺自治体を丸ごと動員するという策動も、成田シンポの思惑を貫く上で、重要な要素だった。成田シンポ―その後の円卓会議(1993~94年)の過程をたどることで、今後明らかになってくるが、「地元から選挙で選ばれた自治体首長の意見」を「地元住民の意見」とすりかえることで、シンポ・円卓会議の結論を「自治体首長が了承した」として、それを「地元住民の了承」にすりかえる、巧妙な舞台装置のひとつとなっていく。
そして、ある意味で最大の眼目がマスコミの取り込みだった。朝日、毎日、読売を先頭とした新聞、テレビ局などは、このシンポの策動に完全に屈服した。同策動を「民主主義の壮大な実験」「対決から対話への歴史的転換」などと最大限の賛辞で持ち上げ定見のなさを露呈した。かれらの罪も今さらながら深い。
こうした最大限の舞台装置の上に、1991年11月21日、第1回シンポが開催された。出席したのは、奥田敬和運輸大臣、松井和治空港公団総裁、沼田武千葉県知事そして成田市、芝山町、富里町、多古町、下総町、大栄町の周辺市長町長、さらに商工会、青年会議所、空対協など、およそ考えられる”全勢力”が、反対同盟包囲作戦に動員されたのだった。集められた”サクラ”住民は1000人近く。これらを6000人の機動隊が”防衛”した。
侮れない攻撃
萩原進さんも「最初はとまどいがあった。力や金による攻撃には慣れっこだったから、驚きも動揺もしないが、われわれを世論操作によって孤立させよう、という攻撃だから油断ならなかった」と語る。しかし、反対同盟はねばり強い弾劾行動と宣伝戦でシンポ攻撃を打ち返して行ったのだ。
月一回ずつ成田国際文化会館と芝山町文化センターを会場として行われるシンポジウムに対して、毎回、会場に肉薄する集会・デモをねばり強く展開した。さらに、「公開シンポジウムに反対します」というパンフレットの作成とタイミングを計っての反対同盟声明などで、成田シンポの正体を完膚なきまでに暴いていった。
まず何よりもシンポという茶番劇の片棒をかつぎ、「条件」にありつこうという一部熱田派幹部への批判を強力に展開した。中でも中心であった石毛博道の言動は許しがたいものだった。「ぎりぎりのところで話し合いに入ろうと以前から考えていた」「最後は熱田派としての闘争終結宣言を出して撤退する予定」などと新聞紙上で公言するほどだった。
同盟はこれらを捉えて、シンポの目的が「空港問題の真剣な解決」にあるのではなく「熱田派を条件交渉・闘争幕引きに導くための談合である」と暴露しぬいた。
さらに隅谷調査団の正体の暴露である。萩原進さんがふりかえる。「熱田派の連中にははらわたが煮えくり返ったけれど、同時に許せなかったのは隅谷調査団だ。中でも隅谷自身、宇沢そして市民派づらをした河宮らが悪質だった」
中でも隅谷三喜男の犯罪性が重大である。隅谷の腹は最初からはっきりしていた。「農民は闘争を止めたいに決まっている」「だから条件交渉の糸口を作ってやることが調査団の仕事」というわけである。
同盟は隅谷が国鉄分割・民営化を引き出した張本人で運輸省と昵懇(じっこん)であること、「自分なら運輸省も脱線しないと思って話を持ってきたのだろう」と最初から出来レースであることを徹底的に暴露して正体を暴いていった。
その結果、当初1年ぐらいでの議論終結~小川グループ・反対同盟の孤立化と切り崩し、空港問題の決着へともくろんでいた運輸省・公団の思惑は完全に打ち砕かれた。成田シンポだけで1年半もかかり、結局熱田派の闘争幕引きすら引き出せず、さらに円卓会議という終着点の見えない茶番を続けざるをえなくなったのだ。(つづく)
----------------------------
●PKO法成立
1992年は6月にPKO法案が成立した年だった。湾岸戦争~ソ連崩壊~むき出しの帝国主義間争闘戦の強まりの中で、自衛隊の本格的な海外派兵にむけた決定的な攻撃の第一歩が踏み出されたのだった。これはさらに周辺事態法~有事法制~今日の憲法改悪攻撃へと引きつがれている。
------------------------
---------------------------
週刊『三里塚』(S723号2面5)(2007/03/15)
北総の空の下で
農民リストラ
労農の大合流を!
種まきやじゃがいもの植え付けなどが始まり、畑仕事は忙しさをましてきました。怒りの刃を研ぎ澄ましつつ、もくもくと農作業に精出す日常です。
2月19日、市東孝雄さんの農地をめぐる裁判開始。「なぜ自分が訴えられなければらないのか!」と、市東さんは憤りをぶつけました。
2月26日、東峰の森囲い込み作業開始。畑に通う農道を封鎖され、萩原進さんは入り口の開閉をする空港会社職員をトラクターでにらみすえました。
これら一連の攻撃の背景に、農民の大リストラ方針があります。日々増幅される三里塚の怒りが300万農家反乱の発火点になろうとしているのです。
36年前、強制代執行阻止闘争の現場が一日中実況中継されました。”日本農民の名において収用を阻む”と大書された農民放送塔がアップで映し出され、日本中の農民が共感を寄せてきました。
今再びその息吹を肌で感じられるようになったからこそ、理不尽きわまりない攻撃に対してもぐっと見すえることができるのです。
萩原さんは訴えます。「信じられないほど安い米がスーパーの店頭に並んでいますが、あの値段で小躍りしているのは流通を握る大資本であり、泣いているのは農民です。一日中働いても生計が成り立たなくなっているのは労働者だけでなく農民も同じです」
労働者と農民の大合流で世の中を変えましょう。3・25をその出発点として爆発させましょう。
(北里一枝)
------------------------
---------------------------
週刊『三里塚』(S723号2面6)(2007/03/15)
三芝百景 三里塚現地日誌 2007
2月21日(水)~3月6日(火)
●現闘本部裁判弁論 天神峰現闘本部裁判の第15回口頭弁論が開かれ、元地主の石橋政次の長男・石橋武司に代理権があったかどうかという問題および反対同盟が現闘本部に有している地上権ないし賃借権の時効取得問題で反対同盟側がNAA側主張を圧倒する陳述を行った。(22日)
●東京南部集会へメッセージ 東京南部で行われた春闘集会に送られた萩原進・事務局次長のメッセージが反響を呼んだ。(23日=全文別掲)
●「東峰の森伐採許すな」緊急集会 NAAが「2月26日から東峰の森伐採の準備工事に入る」と東峰区に通告してきたことに対し、反対同盟は緊急の現地闘争を呼びかけ、170人が集まって「伐採阻止」を確認した。(25日)
●三多摩連絡会の総会へ
北原事務局長は、緊急現地闘争の後、東京調布市で行われた「とめよう戦争への道 百万人署名運動三多摩連絡会」の総会に参加して、3・25集会への参加を訴えた。(25日)
●東峰の森工事着工を弾劾
NAAはブルドーザーやユンボなど重機5台、50人の作業員、ガードマンによって、東峰の森を伐採するためのフェンス工事に着工した。(26日)
●成田で騒音評価方式を変更 「騒音評価が低く出る」と批判されてきた空港騒音評価方式=うるささ指数を、環境省は国際標準であるLdenに変更する方針を固めたことが報道された。(3月1日)
●伊藤さん解同全国連大会へ、鈴木いとさん相模原集会へ 伊藤信晴さんは大阪府の荒本人権センターで開かれた第16回部落解放同盟全国連大会に参加してアピールした。また鈴木いとさんは相模原市で開かれた国際婦人デーさがみはら行動集会に参加して訴えを行った。(3日=写真)
●鈴木幸司さん、動労千葉春闘集会へ 鈴木幸司さんは千葉県労働者福祉センターで行われた動労千葉の春闘集会で発言、「3・25は労農が一致して闘う時」と訴えた。(4日)
------------------------
---------------------------