SANRIZUKA 2007/02/01(No720 p02) 
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週刊『三里塚』(S720号1面1)(2007/02/01)
仮処分の却下決定弾劾
東峰区住民上訴決定上訴決定 「森の伐採許さない」
1月23日、千葉地裁は、東峰区が昨年9月に提起していた「東峰の森伐採禁止命令」の仮処分申し立てを却下する不当決定を下した。この決定は、東峰区の営農・生活に不可欠の入会権を否定し、空港会社の契約違反を擁護し、東峰の森破壊―新誘導路建設―北延伸に道を開く暴挙である。東峰区は即日「上訴して闘う」と声明した。伐採強行を許さず新誘導路建設を阻止しよう。
千葉地裁民事第4部滝沢孝臣裁判長は、1月23日、東峰区の仮処分申請を却下し通知してきた。 この決定に対して、東峰区住民と「東峰の森」保全訴訟弁護団はただちに「声明」を発表して「断じて許すことはできない」「部落は当然上訴し、あくまで闘い抜く決意である」との決意を明らかにした。
東峰の森(12・3㌶)は東峰地区の命の森である。1953年の入植以来、部落の農民が営々と育ててきた入会林であり、生活、営農、保水、防風、防音などのすべてにおいて、部落の”体の一部”だった。これを伐採することは東峰区の蹂躙を(じゅうりん)を意味する。
一方、空港会社は公団の時代から、何度も「区民の同意なくして、一方的に現状変更を伴う計画は策定しない」(2003年2月20日)と約束してきた。自ら立てた「環境保全計画」の中で地区の入会権を認め、「環境保護のために東峰の森を残させてほしい」とまで地区に申し入れ、「保全」を約束(契約関係)してきた経緯がある。
この2つを否定して、千葉地裁は今回、却下の決定を下してきたのだ。
東峰の森は大正期に御料林内で千葉県が進めた「皇太子(昭和天皇)ご成婚記念林」の一部であった。周辺の集落はこの森を入会的に使ってきたが、東峰地区はとりわけ森のど真ん中に入植したことから、この森の入会なくして農業と生活も成り立たなかった。
森自体の自然環境は水源涵養、調整林、防風林、防音林としての役割があり、文字通り地区の命を支えてきたのである。
さらに、空港会社が部落に「保全する」と約束した行為は民法上の契約を構成する。こうした事実を突きつけられながら千葉地裁は「申し立て却下」の政治決定を強行したのだ。
「森は東峰の命」
地区からの仮処分申請を受けて、空港会社は昨年11月にも却下決定を引き出し、12月には森林伐採を強行しようと構えてきた。しかし「東峰の森は地区の命である」という現実に基づく東峰区民のねばり強い闘いによって、入会権の存在を証明する論理がぼう大な証拠と共に突き出された結果、「年内の決定」も下すことができず、「年明け直後の決定」も断念に追い込まれた。
決定が遅れに遅れたという事実こそ、いかに東峰区の主張が地裁とNAAを圧倒してきたかの証左であり、部落の主張がいかに正しかったのかを示す事実である。
(写真 仮処分の却下決定で、伐採が強行されようとしている東峰の森【05年11月20日現地調査】)
またこのような闘いで「12月に伐採に入る」としてきたNAAの工事プランを大きく遅らせ、北延伸計画全体に大打撃を与えてきたのだ。
証拠と論理で圧倒されながら千葉地裁は<「成田空港建設は国策である」との国交省・NAAの恫喝に屈して、不当決定を行った。地裁は、再びみたび国家権力の下僕でしかないことを満天下に自己暴露したのだ。
東峰区は当然にも上訴して闘いぬく決意を明らかにしている。しかし、今回の却下決定をもって、NAAは東峰の森の伐採を強行しようとしている。東峰区住民・反対同盟を先頭とした三里塚現地では、抜き打ちでの強行伐採にそなえた臨戦態勢に突入した。
全国に「東峰の森伐採を許すな」「東峰の森を守れ」との声を満ちあふれさせよう。伐採が強行されようとした瞬間、ただちに東峰現地にかけつけ、肉弾をもって阻止しよう。北延伸阻止の2007年決戦は火ぶたを切って落とした。全力で現地にかけつけよう。
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週刊『三里塚』(S720号1面2)(2007/02/01)
2・19弁論へ
市東裁判始まる
耕作権はく奪阻もう
市東孝雄さんの耕作権をめぐる裁判の第1回弁論が、2月19日、午前11時から千葉地裁、仮庁舎405号法廷で行われる。これは、市東さんの耕作権問題の闘いの始まりだ。全力で傍聴闘争に決起すると同時に、分厚い支援陣形をさらに広げよう。
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今回始まる裁判は、空港会社が農地法による耕作権解約申請を行った以外の部分の「明け渡し請求」訴訟だ。
昨年7月3日、NAAは位置の特定もデタラメなまま、市東さんの耕作権の解約を請求してきたが、市東さんが耕作してきた畑で、その解約申請から除かれた畑が残っていた。それを昨年10月20日になんと「不法占有だから明け渡せ」と提訴してきた。その第1回弁論が2月19日に開かれる。
【解約申請―知事決定の下りた部分については、現在、市東さんによる行政不服審査が闘われている。この畑については約1年の後、NAAが別の「明け渡し請求訴訟」を起こそうとしている】
今回の提訴は、あらゆる意味でデタラメきわまりない不当な提訴だ。そもそも祖父の代から90年もの間、公然かつ平穏に耕してきた農地だ。これを「不法占有だ」と言われた市東さんの怒りを考えて見るがいい。許しがたい言いがり以外の何ものでもない。
その上で、位置の特定がまったくまちがっている。そもそも、基準となるクイはない。市東東市さんの境界確認のための立ち会いもなかった。旧地主である藤崎政吉が書いた手書き図面だけを唯一の根拠に勝手に畑の上に線を引き、「ここは空港会社のものだから不法占有だ」と強弁しているにすぎない。位置の特定もデタラメなまま提訴を強行したのだ。
さらに当該の耕作地は、市東さんが何のクレームもつけられることなく、賃借地であるという認識をもって長期にわたって耕作してきた土地であり、民法163条(賃借権の取得時効)によって取得時効が成立している。万全の権利が確保されている農地であり、明け渡し提訴は不当きわまりない。
2月19日の弁論は、市東さんの耕作権をめぐる大裁判の始まりだ。全力で傍聴闘争に決起するとともに、支援陣形の拡大に取り組もう。
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週刊『三里塚』(S720号1面3)(2007/02/01)
「一坪」の竹林伐採弾劾
天神峰北側鈴木さん所有 市東さんへの脅しだ
1月23日、天神峰現闘本部と市東孝雄さんの畑の北側に位置する鈴木幸司さん所有の一坪共有地が、NAAの雇った作業員によって破壊された。
生えていた竹が一本残らず切り倒されたのだ(写真)。鈴木さんには何の連絡もない。市東孝雄さんの畑からわずか十数㍍しか離れていない場所だ。空港の敷地から外れているとはいえ、市東さんが畑作業をする目と鼻の先で、ユンボやトラックを走らせ、勝手に竹などを伐採したのだ。
1月23日は、東峰の森の仮処分で申し立て却下決定が出た当日である。明らかに市東さんに対する脅迫として一坪破壊を行ったのだ。昨年の10月17日には、市東さんの畑の西側でも立ち木伐採のいやがらせが行われている。
また、空港敷地内の多数の反対同盟一坪共有地に関しても、地権者に無断で勝手に形状が変更され、同盟が原状に復すよう要求しても、放置されている現実がある。
反対同盟は同日、こうした一連の一坪共有地破壊への反撃の意味も込めて弾劾声明を発して一坪共有地破壊と対決している。
(写真 竹林が切り倒された鈴木幸司さんの一坪共有地。左が団結街道【天神峰 1月23日】)
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週刊『三里塚』(S720号1面4)(2007/02/01)
県が「一坪」で提訴
企業庁 「転売のためによこせ」
成田市駒井野にあるもう一カ所の鈴木幸司さん・いとさん所有の一坪共有地(空港敷地外)に対して、「売り渡し」を求める裁判が昨年12月20日に、千葉県企業庁によって提訴された。
訴状によると「請求の趣旨」は「共有物分割による持分全部移転登記を求める」となっている。要するに、「金で一坪共有地の持分権を千葉県企業庁に渡せ」という判決を求めて提訴したのだ。
北原鉱治事務局長らの敷地内にある一坪共有地を民法によって強奪しようとしている裁判を鈴木さんの駒井野の共有地に対しても起こしてきた。
その目的は成田空港4000㍍滑走路のための駐機場を拡張するためなのだ。県企業庁はこの場所を、物流基地にするために用地を買収してきたが、その計画が頓挫したため今度はNAAに転売しようというのだ。
3月8日に第1回弁論が始まる。一坪共有地強奪を許すな。
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週刊『三里塚』(S720号1面5)(2007/02/01)
米軍の「成田現地調査」許すな
日米共同作戦で「成田基地化」
空港内外で戦時動員拒否を
政府「NAAと具体的協議」
朝鮮半島有事の日米共同作戦計画を具体化する作業(02年作成の概念計画5055を「実施可能な状態」へ格上げ)が一気に動き出した。昨年9月に両政府が計画の抜本改定に合意、11月に「外務、防衛、国土交通など関係8省庁の会議」が行われ、政府一体の取り組みがスタートした。作業は「07年秋完成」と急ピッチだ(1・4朝日、1・5読売=本紙前号既報)。
最大の課題は民間空港・港湾の米軍使用だ。理由は「朝鮮半島有事では、日本が米軍の補給拠点になる」(外務省)からで、米軍は「成田、羽田、関西、新千歳、福岡などの大空港をはじめ、計30カ所前後の民間空港・港湾の使用を要望」したという。さらに米軍側は「今春からの現地調査!」を提案。政府は「空港・港湾を管理する会社や自治体との協議に入る」ことになった。「輸送物資の種類や量などを米側とつめる」ことまで協議は具体化している(同)。
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「北延伸」攻撃は、市東さんの農地取り上げや東峰の森伐採など”反対同盟つぶし”の性格をむき出しにしているが、背後で「成田を米軍基地にする」という切迫した攻撃が動き出していた。朝鮮侵略戦争の開戦は、膨大な兵たん、すなわち人員・軍需物資の調達と輸送など後方支援全般を担う国内インフラを戦時体制に総動員しなければ成り立たない。94年朝鮮危機(北朝鮮核問題)でクリントン政権が開戦をギリギリの地点で断念した理由も、現状では日本の大空港が自由に使えない問題だった。
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●戦時動員の強制に現場からの反乱を!
また朝鮮侵略戦争の切迫下で、成田空港とその周辺が先行的に戦時体制に組み込まれようとしている。この春にも米軍が成田空港の調査にくる(読売=前出)。政府はNAAと「具体的な協議」を始める(同)。計画は秋にも完成し、自治体の「国民保護」訓練も今年は成田空港そのものを使って行われる。空港職員や関連労働者も戦時動員の問題に直面する。
(写真 「成田が米軍の空輸基地に」。写真の光景が現実になる【91年サウジ・ダーラン空港】)
成田空港の基地化=米軍使用問題は、改憲攻撃の柱の一つだ。空港と周辺の人々の労働と生活現場に直接襲いかかる問題でもある。また「北朝鮮のミサイルが撃ち込まれたらどうする」という、排外主義との攻防となることも必至だ。
しかし40年にわたる三里塚闘争は、この地域に強力な反戦運動の基盤を積み上げてきた。「成田空港の軍事軍事基地化反対」の闘いに火が付くことは間違いない。地元自治体や空港本体、関連事業で働く膨大な労働者に強く呼びかけよう。反対同盟の闘いが北総農民の総反乱として復権することも必然だ。
「北延伸」をしゃにむに進める政府・国交省とNAAは、三里塚闘争がこうした問題を孕んでいることを強く認識している。それゆえの”三里塚つぶし”なのだ。
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朝鮮侵略戦争阻止=成田軍事基地化反対の闘いを強力に進めよう。「平和的解決」と称する買収と屈服強要に負けず、国策事業に絶対反対を貫いてきた三里塚闘争の真価が問われている。
3・25三里塚全国集会に向けて、軍事空港粉砕への新たな闘いを!
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週刊『三里塚』(S720号1面6)(2007/02/01)


FTAによる農業つぶし阻止へ
日豪交渉せまる
「4千億の打撃」 北海道で大デモ
日本とオーストラリアのFTA(自由貿易協定)締結によって、日本の農業が切り捨てられる危機が迫っている。FTAの目的は、農業を犠牲にしてトヨタの自動車や松下の電気製品を売り込み、エネルギーや鉱物資源の確保することである。
しかし、この協定が締結されると、牛肉、乳製品、小麦、砂糖の重要品目4分野が壊滅的打撃を受ける。特に北海道は、農産物出荷全体の3分の1にもなる4300億円の被害をこうむる、と試算されている。
「トヨタ栄えて農亡ぶ」という愚政(ぐせい)に対して、北海道現地では、昨年12月12日に1700人、今年1月19日に1500人の大規模な集会―デモが闘われた。反対同盟も「FTAによる農業切り捨てを許すな」と訴えている。全国の農民と連帯してFTAを阻止しよう。
(写真 日豪FTAの締結に反対してデモする北海道の農民【06年12月12日】)
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週刊『三里塚』(S720号1面7)(2007/02/01)
コラム 
「とにかく忙しくて考える余裕がない」と友人の教師がうなるようにつぶやいた。残業時間を聞くと、部活や休日出勤を含めて月に80時間強。厚生労働省が定める過労死認定基準に並ぶ▼「子どもと関係ない報告書が膨大」「成果主義が入って管理職が評価の目で俺たちを見る」「成果主義に乗る同僚がいると教師同士の話ができなくなる」「評価されるので親と本音で話せない」▼「学年主任に相談するのも危ない」「子どもと遊ぶ? 時間ない」「職員会議の意見? 校長の鶴の一声で終わり」「事件が起きると何でも教師の責任にされる」「一番辛いのはものが言えないこと」▼いくつかのキーワードが見える。「成果主義」「教員評価」そして「同僚と相談(できない)」。教師を一人の働く者として尊重し、労働環境を向上させるという考え方が職場(教室と職員室)から徹底的に排除されているのだ▼彼は精神を病み休職に追い込まれた。同じ理由で休職する教師の数は10年前の3倍以上、4千人を超えたという▼改悪前の教基法では、教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負うと明記されていた。これが180度ひっくり返った意味は大きい。教育は国家に対して責任を負えとされた▼「教師の質の低下?
成果主義や管理強化のなれの果てだ」。最後に友人は言った。「教師仲間が助け合う? それしかないだろう。俺みたいに追いつめられている同僚は五万といるはず」
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週刊『三里塚』(S720号1面8)(2007/02/01)

関実旗びらき「パネル展成功を」
1月14日、全関西実行委員会の旗びらきに、反対同盟から市東孝雄さんと鈴木謙太郎さんが参加して、2007年の闘いに向けた熱い連帯を築いた。関西からは「三里塚パネル展を成功させよう」との決意が示された。
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週刊『三里塚』(S720号1面9)(2007/02/01)
闘いの言葉
人間は他者との関係で自分を自覚し形成する。これが商品と金の関係で支配されているのが資本主義社会。その打倒へ怒りの爆発する根拠がここにある。
動労水戸・辻川慎一副委員長
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週刊『三里塚』(S720号2面1)(2007/02/01)
米軍「首都バグダッド侵攻」の絶望と非道
帝国主義最後の生命線が切れる
自国民の大量殺りくを始めたカイライ政府
●絶望的で残酷な新治安作戦
1月6日、イラクのカイライ政府首相マリキは「新治安作戦」実施を宣言した。AP通信によると「作戦はバグダッドの治安を不安定にしているスンニ派とシーア派の民兵組織を壊滅するため」と言明。さらに「両派の民兵を対象としているが、当面はスンニ派民兵を対象とする」と本音をあらわにした。
またAP通信によれば、マリキ首相は、作戦に抗議するサドル派の一部に対し「例外は設けない」と恫喝。サドル師はこのマリキの提案を受け入れたようだ。NYタイムスによると、17日にマリキ首相がマフディ軍兵士を54の作戦で420人逮捕と発表。サドル派幹部は「逮捕されたのはならず者」だと説明した。
(写真 「米軍の占領こそが諸悪の根源だ」)
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新治安作戦は9日から開始された。作戦はグリーン・ゾーン近くのハイファ街に集中した。オーストラリア通信社は、激戦の様子を「新たなファルージャ」と表現している。ハイファ街は高層アパートと迷路のような街区で、レジスタンスの活動が激しい地区だ。ここにカイライ政府軍が地上から、米軍は空から攻撃を加え、徹底的に破壊したのである。
また同日、米軍はサドルシティーにも爆撃を強行。住宅4軒を破壊した。レジスタンスも各所で反撃しバグダッド中で銃撃戦となった。首都バグダッドは完全に戦場だ。
10日には、アメリカ帝国主義ブッシュが「新イラク戦略」を発表。米軍2万1500人を増派し、バグダッドとアンバル州から武装レジスタンスを一掃する「最後の賭け」を開始した。米軍によれば、新作戦は米軍5個旅団戦闘団1万7500人をバグダッドに追加。すでに作戦中の4個旅団戦闘団1万3500人とあわせて9個旅団戦闘団が作戦にあたる。アンバル州には海兵遠征軍に加え1個旅団戦闘団4000人が投入される。
イラク・カイライ政府軍と警察はバグダッドに18個旅団4万人を投入。カイライ国防省は連隊長など34人を解任。カイライ政府に対する忠誠が疑われる3個旅団をアンバル州に移動し、北部からクルド部隊2個旅団と南部から1個旅団をバグダッドに移動する。
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米軍とカイライ政府は、昨年も同様の作戦をほぼ同じ規模で実施し、結局敗北した。この総括を米軍は「シーア派民兵を動員した結果」だとしている。マフディー軍やバドル旅団を利用してレジスタンスを制圧しようとしたが敗北。その結果、米軍のバグダッドでの軍事的権威は失墜した。スンニ派武装レジスタンスを制圧できなかったばかりか、シーア派民兵の台頭をもたらした。
AFPによると、米軍は「失敗をくり返さぬため」6日、イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)議長ハキム師の自宅を強制捜査し「イランがイラクの武装組織を援助している証拠を入手した」と発表した。マリキ首相に対しては「サドルシティーへの米軍の無条件の立ち入り」を要求。拒否すれば「全面攻撃も辞さない」と恫喝した。シーア派政治・軍事組織を含め、米軍への全面屈服の要求だ。
ワシントン・ポスト紙11日付電子版によれば、シーア派最高権威シスタニ師も、ナジャフで首相顧問の説明を受け、「婉曲な表現ながら新治安作戦を了解(屈服)」した。同日、ナジャフではイラク・イスラム革命最高評議会のハキム師とサドル派のサドル師がトップ会談を持ち、マフディー軍とバドル旅団の合同に同意。「バグダッド解放軍」を4万人規模で組織し、内務省治安軍と協力して、バグダッドの作戦に参加することを決定した。
(写真 「治安作戦」で民家のドアを蹴破って押し入り銃を乱射する米軍【バグダッド】)
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新治安作戦の陣容は確かに大規模だ。しかしアメリカ帝国主義には後がない。ブッシュは新戦略のなかでイランとシリアへの軍事攻撃も示唆する瀬戸際政策にでた。国連は、イランの核開発に対する制裁を60日間猶予している。2月中に猶予期間が終了し、イランが核開発をやめなければ、国連はイランへの制裁を発動する。アメリカはイランへの軍事作戦に踏み切る可能性が大きい。ベトナム戦争と同様の戦線拡大であり、引き返すことのできない一層の泥沼に陥ることは必至だ。
ベトナムは石油市場とは関係なかった。しかし今回は、世界の石油産出量の45%を占める地域全体が戦場となる。これ自体がアメリカは当然のこと、日本その他の帝国主義諸国を計り知れない動揺にたたき込むだろう。
18日には、イラク連邦議会に石油法が上程された。詳細は次号で解説するが、インディペンデント紙によれば、「石油の利益の70%以上を外国企業に売り渡す」内容だ。ここに、アメリカ帝国主義のイラク戦略のすべてが語られている。
米ブッシュ政権は、バグダッド制圧作戦でイランに軍事恫喝を加え、屈服を迫るだろう。ゆえにレジスタンスとそれを支持するイラク市民への攻撃は、情け容赦のないものになるだろう。しかしイラク人民は、宗派や民族の別なく、80%以上が「米軍の即時撤退」の意思を明らかにして戦っている。「内戦」は必ずイラク解放戦争の前進を生み出すだろう。もはや米軍の「勝利」はどう転んでもありえない。これが生み出す世界戦争的危機の深さを直視しなければならない。
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15日にはクウェートから米軍の増派第一陣4000人がバグダッドに到着。ハイファ街を中心としたチグリス河西部での戦闘は激しさを増している。「22日、バグダッド中心部で無差別テロがあり78人が死亡」(1・23朝日)などという報道がなされているが、米軍とカイライ軍による残酷な「治安作戦」が引き起こした問題だ。
米ブッシュの「新戦略」は、イラクからの米軍撤退ではなく、中東全体への侵略戦争の拡大宣言だった。これに対して、アメリカ労働者人民は断固たる反対の声を上げた。CNNによると、ニューヨーク市では「ブッシュは辞任せよ」との声が60%を超えた。支持率は史上最低の30%を下回った(!)。現役兵士のイラク撤退署名も300人を超え、さらに増加している。
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週刊『三里塚』(S720号2面2)(2007/02/01)
蘇るむしろ旗 三里塚闘争40年の真実(41)
警察庁 「成田を掃除する」
成田治安法決戦
渾身の砦戦、団結を守る
反対同盟と一体の闘い 戦士の死闘戦一歩も退かず
天皇弾圧と一体で“代用強制収用”
1989年秋、政府・運輸省、空港公団に時間は残されていなかった。焦りにかられる中、彼らは「使用禁止」にした団結小屋を撤去・破壊する非常方針を決断した。
萩原進さんは現在も憤る。「三里塚の闘いの中で、政府の方はデタラメの限りを尽くしてきたけれど、成田治安法はとりわけひどい攻撃だった。敵収用委員会が解体し、事業認定も失効して、強制収用は不可能になった。しかしわれわれ三里塚農民を屈服させなきゃならん。使えるものはなんでも使おう。ということで治安法という強権法を持ち出してきたわけだ。農民の目の前で国家の威力を見せつけて、事実上の強制収用の脅迫をやろうとしたんだ」
同年11月冒頭、最初の標的に東峰の団結砦が設定された。反対同盟と連帯した全学連の戦士を含む5人の砦死守戦士は11月13日から三つのやぐらに立てこもり、攻撃を迎え撃つ態勢をとった。待つこと20日と1日。12月4日早暁、ついに敵が姿を現した。権力機動隊6500人。強力放水車など数十台の重機械。午前6時45分戦闘開始。ユンボ、ブルドーザー、“鳥かご”を前面に包囲網を狭める国家権力に対して、砦戦士は火炎びん、石、鉄片そして鉄パイプで応戦し、鉄塔・やぐらには近づかせない。
(写真 53時間も闘われた東峰団結砦死守戦【1989年12月4日~6日】)
戦闘はついに3日がかりとなった。大型クレーンに釣り下げられたゴンドラが機動隊を乗せてやぐらに近づく。鉄パイプと刺又(さすまた)との肉弾戦だ。戦士たちは零度近くの冬寒の中、昼を夜についで闘いぬき、実に53時間の死守戦をやりぬいた。
反対同盟と数百の労農学は約200㍍離れた自主耕作地に陣取って声を限りの激励を送った。「砦戦士の諸君、反対同盟は最後まで君たちとともにある」(北原鉱治事務局長)、「萩原です。聞こえますか。放水に気をつけてがんばってください。こちらも全力で闘います」(萩原静江さん)
これらの激しい実力戦闘はテレビニュースで刻々全国に報道された。東峰団結砦死守戦は、三里塚闘争の勇名をさらに高めたのだった。
次に対象となったのが、反対同盟の本部そのものである天神峰現闘本部だった。「本部を取る」ことで、反対同盟に甚大な打撃を与えようとの狙いだった。今度は反対同盟自身が立てこもる決意を固めた。1988年9月に増築された本部内で行われた90年1月14日の団結旗開きは、同盟員全員が本部に立てこもる決意を表明する感動的な“決起集会”となった。
運輸省、公団、警察権力はひるみ、だまし討ちの手段で現闘本部を封鎖する挙に出てきた。1月15日午後、土地収用法違反容疑による検証と称して本部の防衛隊同盟員を排除した上で、16日早朝、治安法による封鎖処分を強行した。
この暴挙に対しても関西実行委員会、東京実行委員会、動労千葉を先頭に労農学が急行して、雪の中を徹夜で闘いぬいた。「撤去」を阻止した同盟の闘いは現在、本部の建物によって、暫定滑走路の誘導路を「へ」の字に曲げている。
全国にTV報道
そして3月19日、今度は木の根育苗ハウスが対象となった。ここでも二つの鉄塔・やぐらを拠点に死守戦士が撤去攻撃を迎え撃った。20日に逮捕されるまで、地上17㍍での肉弾戦を含めた英雄的な戦闘を貫徹した。
8月22日には、中核派の現地本部である三里塚闘争会館が対象となった。ここでも4人の死守戦士が戦闘を貫徹し、攻撃の意図を打ち砕いた。
こうした砦死守戦士と反対同盟が一体となった闘いは「土地収用法の代わりに治安法を使って三里塚農民を屈服させる」という国家権力の意図を完全に挫折させ、全国に「三里塚」の名を轟かせ、労農学の団結を強固に打ち固めたのだった。
成田治安法は「暴力主義的破壊活動者が出入りしている」と勝手に警察が認定しただけで、建物を撤去できるという、近代法に真っ向から反する違憲法だ。この悪法が打ち破られたのだ。
この成田治安法決戦で対照的な姿勢をとったのは当時の熱田派だった。運輸省、公団は同派に対しては何と「謝罪の政府声明」(12月15日)を発表した。抵抗する者には暴力と弾圧、屈服する者には「話し合い」による闘争収拾の花道作り。絵に描いたようなアメとムチの政策だった。
そして現闘本部封鎖の一方で、熱田派に対しては江藤隆美運輸大臣が現地・横堀を訪れ(同1月30日)、「直接対話」を開始したのだった。
銘記しておかなければならないのは、1989年から1990年の激しい激突が、三里塚闘争という個別闘争の枠を超えて闘われたことである。 萩原進さんに聞こう。「成田治安法の攻撃は天皇の葬式と皇太子の即位をめぐる天皇制の攻撃と同時にかけられてきていた。中央的な政治課題が問われた闘いだった」
国鉄分割・民営化攻撃と戦後政治の総決算。80年代中曽根内閣がおしすすめた「日本列島を不沈空母にする」攻撃は、一方における動労千葉破壊、他方における三里塚闘争破壊として、貫かれようとしていた。
1989年1月7日の天皇・ヒロヒトの死をもって焦点化した天皇制攻撃は、三里闘争破壊攻撃と完全に重なる様相をもって展開された。89年9月21日、千葉県警本部長であった井上幸彦は「来年5月には天皇警備が本格化するので、今秋から来春にかけて成田周辺を掃除する」と言明した。井上は94年に警視総監に就任したエリート官僚である。
このように成田治安法をめぐる激突は、天皇制攻撃と真正面から激突する決戦として勝利的に闘われたのだ。
(つづく)
●東ドイツ併合…
1990年は東ドイツが西ドイツに併合された年(10月30日)。西ドイツは基本法の規定を破って「統一」ではなく「編入」を強行した。当時3対1とされた経済格差は現在も縮まっておらず、東ドイツの失業問題は深刻な社会矛盾となってドイツ全体をおおっている。
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週刊『三里塚』(S720号2面3)(2007/02/01)
農業問題を考える12・10集会の講演
「亡国農政と市東さん耕作権問題」(下)
WTOは農業破壊の元凶
秋田県大潟村農民 坂本進一郎さん
昨年12月10日に行われた「農地・農業と公共事業を考える講演集会」での坂本進一郎さんの講演の後半(要旨)を紹介する。「WTOとは何か」が暴かれている。
それから今の日本の農業を考える場合WTO(世界貿易機関)の問題を避けてとおることはできません。大潟村でいうと食糧管理法の撤廃問題で関係してきます。
私のほうは食管堅持派ですが、1994年に食管法が廃止された理由というのも1995年にできようとしていたWTOの要求によるわけです。
WTOの前のGATTの時はだいたいお見合いをして気に入ったら買う、気に入ったら売るという方式でした。農業分野なんかも除外されていたんです。
WTOができる過程で、1990年にブリュッセルで10万人ぐらいの大規模なデモがありまして、私はずっと山の道のてっぺんに上がりまして見たら10万人ぐらいかなと思います。その年は決裂しました。10万人のおかげで決裂したのかと思っていましたら、実はまだECで素案ができていなかったのですね。
93年暮れには突然ブレア・ハウス合意といいまして、これが今のWTOです。このようなものができてくると思いませんでした。関税を下げるのかと思ってましたが、ブレアがすごいというのは全部、サービスから工業から、農業から1㍍ぐらいの条約文があるんですね。
次の年94年に、当時の大臣は羽田孜ですが、WTOに加盟を決定した。この条約は、農業関係のそこの部分が気に食わないと言ってもだめだそうです。公的審議会というものがあって、WTOはこれを使って、石ころだらけじゃまずいのでそれを平坦にしちゃえ、と。
で、日本の関係で一番問題になったのは食管法のことです。それが認められなかった。全部食管法も、それにそってつぶされました。
(写真 昨年12月10日に行われた「農業問題を考える講演集会」【千葉県労働者福祉センター】)
米国の言いなり
さらに、WTOもそうなんですが、アメリカによるアメリカのためのルールという横暴によって、日本の農業がつぶされようとしているという問題があります。
日本の農業がつぶれてくる理由のなかにアメリカの属国化というのがあります。
一番の優等生が日本です。アメリカが来てから何をやったというと、農地改革・農地基本法、こうずっと来ています。農地改革というのはアメリカのラデジンスキーというのがベトナムで爆発する農民運動を見て、日本の農民の要求に構わないでいると日本も社会主義になっちゃうと警告した。
朝鮮動乱も迫ってきていて、日本の農民に農地をやらなければならないということで農地改革を急ぎます。
一方時代が下りますが、1971年にヨーロッパにECができます。共通農業政策ができます。CAPと言ったりします。アメリカは欧州に小麦と大豆を押し売りしようとしたのですね、1960年に。
ところが、ヨーロッパでは共通農業政策を始めるので、これがヨーロッパを結びつけてECにするセメント役だということで、この共通農業政策を破壊するアメリカの要求を断固として断るのです。
そのかわりお鉢がまわってきたのは日本です。1960年に農業基本法ができて「選択的拡大」などといって当時はやっていたのですが、小麦と大豆はもう止めちゃえと、要するに選択的縮小、それで小麦と大豆は日本に買わせて米とか儲かるものとか畜産とか果樹をやりなさいと。やるのはいいのですが、だんだん自由化せよというので何をかいわんや、米まで自由する。
プラザ合意で200円を100円にしちゃったものだから、農産物は4兆円も入ってきます。そして新食糧法というのは1994年に、WTOにあわせて作ったものです。これは米はもう食糧でなく、単なる商品だと。となれば安い米がどんどん入ってくることになります。
品目別横断的安定対策、これは担い手新法と呼ばれていますが、06年に制定されて来年から施行されます。狙いは対象300万戸の農家をリストラして40万戸にしようという農民大リストラです。こういう形で激しい農業・農民切り捨てが起きており、これが市東さんの耕作権取り上げの背景にあるということです。
それともう一つつけ加えておきたいのですが、EUが酪農をWTOの自由化攻勢からどうやって守ったのかということが参考になるんです。
個別品目別に自由化率を示すのではなくトータルで、酪農から羊から豚から鶏肉からひっくるめた自由化率にした。すると肉類や乳製品の自由化率を低くして、羊などの自由化率を高くする。全体で自由化率クリアーすることで酪農を守った。
米の自由化を迫られた時に、農林省が守ろうと思えば同じやり方で守れたんです。EUにならった穀類一括方式で米を守ることは可能だったのです。それを政府は、アメリカに遠慮して、この主張は一回も言ってないようです。
こういう風にして経団連と農林省は一生懸命勉強会を行って、いよいよ日本の農業をつぶす研究をしているのだなぁと思います。こういう悪政に対しては「あきらめない」という気持ちで抵抗していかなければいけないというのが結論です。
(おわり)
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週刊『三里塚』(S720号2面4)(2007/02/01)
三芝百景 三里塚現地日誌 2007
1月10日(水)~1月23日(火)
●関西と婦民の旗開きに参加 全関西実行委員会の旗開きが神戸学生青年センターで開かれ、反対同盟から市東孝雄さんと鈴木謙太郎さんが参加した。市東さんが「NAAと千葉県による農地取り上げ攻撃の問題点が次つぎと明らかになってきている。労農連帯、国際連帯を勝ち取って闘いを大きく広げて行きたい」とあいさつした。また東京中央区で、婦人民主クラブ全国協議会関東ブロックの旗開きが行われ、鈴木いとさんがかけつけてあいさつするとともに、交流を深めた。(14日=写真)
●ジャンボ機「主役交代」
「ジャンボ」と呼ばれてきたボーイング747機が日本航空のみならず全日空でも主役を交代しつつある状況が報道された。その理由として「海外旅行の行き先が多様化してジャンボでは大きすぎる路線が増えたこと」「B777の方が燃費が倍以上よい」という2点だ。(14日)
●一坪共有地売却を弾劾する声明 反対同盟は、土地・宅地と一坪共有地を空港会社に売却した川嶌みつ江ら川嶌家を弾劾する声明を発表した。(16日)
●鈴木さんに訴状届く 鈴木幸司さん、いとさんが所有する成田市駒井野の一坪共有地(空港敷地外)に対して、民法で取り上げを画策する裁判の訴状が鈴木さん方に届いた。昨年12月20日に提訴された、と報道されて以降、裁判所から1度も連絡が来ていなかった。第1回弁論が3月8日と指定された。(18日)
●「東峰の森の伐採を許可する」 千葉地裁民事第4部は、東峰区住民が東峰の森の保全を求めて申し立てていた仮処分の却下決定を下した。住民は4回の審尋の中で、東峰の森に部落の入会権があることを証明したが、地裁は国交省・NAAの恫喝に屈して不当決定を下した。(23日)
●「一坪」の竹林伐採 NAAは天神峰にある鈴木幸司さん所有の一坪共有地で竹林を勝手に伐採する暴挙を強行、同盟は弾劾声明で反撃した。(23日)
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