SANRIZUKA 2006/12/01(No716
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週刊『三里塚』(S716号1面1)(2006/12/01)
これが“農民潰し”の理不尽
「農業委員のやる事とは思えない」
市東さん、農地と闘いへの想い語る
90年耕した命の大地
「耕作権解除、ありえぬ」
今年の7月以来、耕作権取り上げ攻撃の矢面に立ち、政府・空港会社と真っ向から闘いつづけてきた天神峰の市東孝雄さん。その奮闘ぶりは権力を追いつめる一方、反対同盟や三里塚闘争に結集する労農学を心から勇気づけるものとなっている。闘いの中心に座る市東さんに7月以来の激闘について、また耕作権取り上げとの今後の闘いについて語ってもらった。
――7月以来、激闘の連続だったと思いますが。
市東 確かに「忙しい」という意味では、7年前にここに戻ってきて以来だったけど、自分自身としてはそんなに変わったという感じは持っていない。耕作権の解約は3年前に1度来てはね返しているでしょ。でも、いつかはまたやってくるという覚悟はあった。そして去年8月の北延伸決定でしょ。当然の私の畑が問題になると思ってた。
――農業委員会に解約を申請するというのも聞いたことがありません。
市東 確かに7月3日に、空港会社が農業委員会に解約申請を出した、と聞いたときは耳を疑ったよ。でもすぐ冷静になれた。空港と成田市は癒着しているわけだし、農業委員会といったって、行政みたいなものでしょ。幻想はなかった。
しかし、やり方はひどい。隣町の農業委員経験者は「耕作したいといっている人間から耕作権を、それも農地法を使って取り上げるなんてありえない」と言っていた。
申請が3日で24日には農業委員会にかける、という話でしょ。本当に短い時間で陳述書も出したし、葉山岳夫先生にも法律的な問題点を指摘する意見書を作ってもらった。それで、この問題は自分個人のことがらではなくて、農業・農民切り捨ての大きい問題なんだということが、よく納得できた。自信も持てた。
――24日の農業委員会で一気に決定ですからね。
市東 あれは許せない。当日の午前中に私の事情聴取をやって午後には決めちゃうというんでしょ。ありえないよ。私の意見や状況を聞いて、普通は何日かかけてそれを検討するでしょ。最初から「出来レース」なんだよね。
――県の農業会議がまた輪をかけてひどかった。
市東 まあ、県と空港会社もグルだから、覚悟はしていたけど、「耕作地で上がる収益の150年分を補償するんだから、解約は許可されるべきだ」という発言には驚いたね。農地課の職員があそこまで言うかね、という思いだった。金さえ出せば何でも許されるという、今の世の中の風潮丸出しだもの。金より大切なものがあるでしょう、という話だよ。
前の職場から移ってきて7年、やっと農業の難しさも楽しさ、生きがいも分かりかけてきたところ。農業の醍醐味というのは、やっぱり自然を相手に、いろいろ工夫するところだよね。戻ってきて3年目くらいまでは大変だったけど、4年目くらいからかな、「これでやっていける」という自信みたいなものが持てるようになった。
それとやっぱり消費者との交流だよね。特に三里塚の場合は産直の有機・無農薬で野菜を作っているわけだから、消費者の顔が見えるわけだよ。会員からの反応が返ってくる。良いときも悪いときもあるけど声を聞けた時は、農業のやりがいを感じるよね。その農地を奪うというデタラメさには怒り心頭だよ。
権利自分で守るのが三里塚
――9月17日の現地集会での発言が反響を呼んでいます。
市東 「法が自分の畑を守ってくれないなら自分の力で守る」と言ったんだけど、以前から法律って一体何なのかという思いはあった。だから今回の耕作権取り上げとの闘いの中で自然に出てきた。実際、法律って、政府・公団や空港会社に都合のいい道具でしょ。だったら、農民のための法律はないのかっていう思いはあって、結局自分の財産や権利は自分を含めた仲間の力で守っていくのが三里塚の「法律」かなってことだよね。
――すると、今回の闘いの中で、権力とか行政とかについての見方の変化はありましたか。
市東 実のところそんなにない。7年前に戻ってきた時から、おやじの闘いを引きつぐという覚悟できているからね。それでも自分では分からない変化あるんだろうけどね。よく7月以来「顔つきがたくましくなった」って言われるけど自分じゃ自覚がない。「疲れてむくんでいるだけだよ」なんて受け流している。
――これから第2ラウンド開始ですが。
市東 今度の問題ではやっぱり幅広い人びとにアピールできるという手応えを持っている。だから空港問題を中心にすえながらも、農業つぶしや食の問題などに危機感を持ついろんな人に応援してもらって、90年耕した畑を守りぬく。あれだけデタラメなやり方をやってきたのは権力の焦りの表れ。絶対に負けない。
韓国から民主労総の人たちが三里塚を訪れてくれ、交流会をやった。三里塚闘争について逆に教えられるところが多かったね。みんな「40年権力と負けずに闘ってきたのはすごい」というわけだけど、現地にいると別にそんなすごいという自覚はなかった。ここで、暮らしているわけだからね。だけど彼らの言葉を聞いていて、40年闘いつづけて来られたというのは、相当すごいことなんじゃないか、と逆に気付かされた感じがした。
――動労千葉の田中委員長が交流会で「光州蜂起に連帯する」という市東東市さんの言葉を紹介してくれました。
市東 私も驚いた。なかなか大したおやじだなと見直した。そういう私もふりかえって見れば、おやじの血を受けついでいるのかな、と思ってうれしかったね。
――ありがとうございました。
(写真 爆音下、90年受けついだ畑を耕す市東孝雄さん)
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週刊『三里塚』(S716号1面2)(2006/12/01)
本部裁判 早期結審策動許すな
仲戸川裁判長 “開業までに決着”
「裁判迅速法」タテにして
千葉地裁は実地検証を行え!
北延伸計画の2009年度内開業が空港会社の”死活的課題”となる中、天神峰現闘本部裁判で、「早期結審」にむけた激しい攻撃が始まった。5月に交代した仲戸川隆人裁判長が「裁判迅速法」をも口実に、実地検証要求など実態解明に不可欠な反対同盟側の要求を退け、弁論の進行を早める姿勢をむきだしにしてきたのだ。現闘本部裁判を支援する運動をいっそう拡大し、仲戸川裁判長による早期結審のもくろみを打ち砕こう。
(写真 登記されている現闘本部の旧木造建物。現在も鉄骨造りの中に保存されている)
*
天神峰現闘本部裁判では5月17日、裁判長が安藤裕子裁判官から仲戸川裁判官に交代した。
仲戸川裁判長は、交代するや否や露骨に裁判の早期結審にむけて口頭弁論の収拾策動を始めた。
10月3日に行われた進行協議で仲戸川裁判長は、同盟側が申し立てている現闘本部の実地検証要求に対して、「検証不要の場合もある」とくり返し言明し、空港会社側の立場で訴訟指揮をする態度を露骨に表した。
さらに双方が主張を整理した準備書面を提出するよう要求してきた。これは明らかに、現闘本部撤去にむけた拙速審理・早期結審を意図するむきだしの攻撃だ。現闘本部裁判も緊張した決戦に突入したのだ。
仲戸川裁判長が根拠にしているのが、2003年7月9日に成立した裁判迅速化法である(写真)。「裁判の迅速化に関する法律」は、民事・刑事を問わず「第1審を2年以内のできるだけ短い期間内に終わらせること」を目標に掲げて、闇雲に裁判の早期結審を促す反動法で、現闘本部裁判の早期結審策動の口実になっている。
現闘本部裁判の提訴は2003年3月。今年11月ですでに3年8カ月が経過しており、「1審2年以内をめざす」との裁判迅速化法の趣旨を大きく外している。しかし、「裁判迅速化」の名の下に、政府・空港会社に有利な拙速審理を強行するなどは言語道断だ。
10月19日の第13回弁論で、反対同盟顧問弁護団は、「審理を進めるためにも、争いの最大の論点となっている現闘本部の実地検証を行うべきだ」と強く主張した。裁判の主要な対立点は、天神峰現闘本部について、同盟側の地上権(賃借権)が確立しているのかどうかにある。その点を明らかにするためには、現在の鉄骨造り3階建ての建物の中に、木造平屋の旧本部(写真)が現存しているかどうかを実地で確認すればよい。
「現闘本部は成田新法で封鎖されているので、これを検証するには手続きが大変」といった言い訳も通用しない。約20年前成田治安法で使用禁止になっていた横堀集会場の検証を千葉地裁は実施した事実があるのだ。
成田空港会社にとって2009年度内の北延伸開業のために、「へ」の字誘導路の直線化は待ったなしの課題になりつつある。そのために、現闘本部裁判の早期結審―「本部撤去判決」を反動司法の力を借りて獲得するため、全力を上げてきているのだ。市東さんの耕作権取り上げ攻撃とともに、現闘本部裁判も決戦情勢に突入した。いっそうの裁判支援運動、傍聴闘争、第3期会費納入にむけた取り組みを訴えたい。第14回口頭弁論は12月14日(木)午前10時30分、千葉地裁405号法廷だ。全力で結集し結審策動を打ち破ろう。
(写真 03年に成立した裁判迅速化に関する法律【最高裁事務総局の宣伝パンフ】)
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週刊『三里塚』(S716号1面3)(2006/12/01)
第3期会費納入のお願い
現闘本部裁判を支援する会事務局
現闘本部裁判を支援する会では第3期の会費納入をお願いしています。●年会費は1口3000円。団体は複数口お願いします。▼郵便振替【口座番号】00100―8―297055【口座名義】天神峰現闘本部裁判闘争を支援する会▼銀行振込・三井住友銀行成田出張所=548―6592903【口座名義】伊藤信晴 振込の方は連絡表(別途配布)を事務局まで郵送を。
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週刊『三里塚』(S716号1面4)(2006/12/01)
「有毒物全量撤去を」
クリーンパーク問題 市役所前でビラまき
11月15日朝、三里塚闘争支援連絡会議は、成田市役所前と成田駅頭で、成田クリーンパーク(一般廃棄物処分場)の空港用地への違法転用問題でビラまきを行い、成田市当局による住民無視および「ゴミを全量撤去せよ」という反対同盟の要求への拒否の態度に抗議した。
10月23日、反対同盟は成田市長に宛てて、成田クリーンパークの閉鎖に関して調査を委託した外部コンサルタントの報告書の公表とゴミの全量撤去を求める公開質問状(6回目)を提出した。
これに対する11月1日付けの回答では、「調査結果はまだ市に到着していない」というウソの内容が記載してあった。
この日のビラまきは、こうした市の対応に対して反撃する趣旨だ。宣伝カーからも、「毒物ダイオキシンが流れ出したらもう遅い!毒物ダイオキシンを全量撤去せよ!」と声高に訴えた。
市民からは積極的な反応が返ってきた。朝8時の市役所の開門を待っていた成田市新田の住民(男性)は、「俺の家の脇に暫定滑走路の北延伸がおこなわれる。ジャンボが飛ばれたらたまらない。がんばってくれ」。60代の男性は、「私は元御料牧場の職員。空港でリストラされちゃった。久しぶりに成田にきたけど、まだ反対しているのですか。ぜひがんばってください」との反応。
通行する市民、成田市役所職員にたいして反対同盟宣伝カーでアピールしながら、約1時間で700枚のビラを配布し、クリーンパークの違法転用を許さない闘いへの協力を訴えた。
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週刊『三里塚』(S716号1面5)(2006/12/01)
第6回ビラまき
騒音下北部地域で訴え
北延伸で騒音地獄にされる北部騒音下の村々に対する第6回目のビラまきが11月18日から始まった。
騒音下では9月5日、線引き交渉が「決着」させられた。結局150戸の移転希望に対して、89戸しか認められなかった。線引きに組み入れられた住民にも、外された住民にも笑顔はない。
移転希望を拒まれた住民の怒りはもちろん深い。結局あてにできない「地域振興策」なるものにすり替えられた。移転が認められた住民も不安だらけだ。農業をつづけようと思えば通勤農業になる。では作業小屋が建てられる金額が補償されるのか、一本一本の立ち木はどうか、そもそも部落から離れて暮らしていけるのか等々。
残された部落の方も大変だ。多くの住民が移転した中で、墓や神社を守れるのか、そもそも集落の協力が不可欠な農業自体に問題はないのか……。「線引き」後も不満と怒りがうずまいている。反対同盟はこれからもこうした北部地区住民に「北延伸阻止はできる」と訴えていく方針だ。
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週刊『三里塚』(S716号1面6)(2006/12/01)

教基法改悪案の採決強行を弾劾
国会前闘争に決起
反対同盟と三里塚現闘

(写真 教育労働者や解同全国連と共に、声を限りのシュプレヒコールを行った)
安倍・自民党政権によって、教育基本法改悪案の採決が特別委員会で強行された翌日の11月16日、反対同盟の伊藤信晴さんと三里塚現闘も国会前闘争にかけつけた。
午後1時半、衆院本会議で「採決が強行された」という報が入ると怒りを倍化させたシュプレヒコールがくり返された。発言に立った伊藤信晴さんは、「子供のためにも教育基本法改悪を絶対に阻止しよう。北延伸攻撃との闘いと同様、力勝負に全力で勝ち抜こう。参議院での廃案をめざそう」と訴えた。
この日は全日建運輸連帯労組近畿地本委員長の戸田ひさよし門真市議、解同全国連共闘部長の金平通雄さん、東大阪市議の阪口克己さん、婦民全国協の丹治孝子さん、元沖縄ひめゆり学徒の上江田千代さんらもかけつけ、参院での廃案を誓った。
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週刊『三里塚』(S716号1面7)(2006/12/01)
コラム 
トヨタ自動車の営業利益が2兆円を突破したとかの記事が躍っている▼つい1年前に利益が1兆円を超えた(ベアゼロ)と大ニュースになったばかりだ。格差社会の底辺で、様々な職場や学校で、多くの人々が殺され始めたこのご時世。2兆円という数字自体に犯罪の匂いを感じませんか?▼フィリピン・トヨタ社で深刻な労働争議が闘われている。「2兆円」のからくりは労働者の屍の山だ。同社は1988年にマニラ南部で設立されたが、団体交渉権を持つ労働組合の設立を徹底的に圧殺してきた▼組合承認選挙に、会社がセミナーまで組織して説得工作を展開したのは序の口。法に則って承認された組合で、労働雇用省も正式に認定した団体交渉権を、会社がアロヨ政権に圧力をかけてひっくり返した▼そして公聴会に参加した労働者227人を「無断欠勤2日間」で解雇、以後フィリピントヨタ労組は01年3月以来、解雇撤回を求め争議を闘っている。会社はスト中に組合員がガードマンを「目つきで威圧した」として25人を刑事告訴、起訴にまで持ち込んだ▼アロヨ大統領が訪日するたびに日本経団連や商工会議所は「労働問題」で圧力をかける。アロヨ政権になってからフィリピン全土で多数の社会運動活動家が暗殺されている事実は何を意味するか。トヨタ社のある南タガログだけで、この1年間に少なくとも5人の労働運動活動家が暗殺された▼まさに血塗られた「2兆円」なのだと知るべし。
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週刊『三里塚』(S716号1面8)(2006/12/01)
闘いの言葉
戦争と新自由主義に反対し生存権を守るために労働者は国境を廃止する。国境を越える連帯で労働者・農民が主人となる世界を作ろう。
11月5日 民主労総 キム・チャンソプさん
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週刊『三里塚』(S716号1面9)(2006/12/01)
闘争スケジュール
本部裁判第14回弁論
●12月14日(木)午前10時30分
●千葉地裁 405号法廷※傍聴者は午前9時30分地裁正門前集合
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週刊『三里塚』(S716号2面1)(2006/12/01)
“三里塚は生みの親です”
田中動労千葉委員長 日韓交流の集い(前号続き)
ジェット燃料輸送阻止
労農連帯…光州蜂起
反対同盟・市東孝雄さんのお父さんの市東東市さんは生前、韓国の軍事政権と闘った1980年の光州人民武装蜂起を讃え、日韓連帯を訴えた闘士でした。そのことが遺稿集に記されています。三里塚農民の闘いは、そうした国際連帯の熱い想いに貫かれた闘いでもあったことをお伝えしておきます。
(写真 民主労総との三里塚交流会で発言する動労千葉・田中康宏委員長【11月3日】)
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三里塚闘争は動労千葉の生みの親です。空港へのジェット燃料を国鉄のタンク車が運ぶという事態が生まれ、動労千葉がこれを輸送する職場を占めていました。
1967年から三里塚農民を支援してきた動労千葉としては、空港開港のためのジェット燃料を輸送することはできません。
そこで燃料を阻止する闘いを1977年から81年まで続けました。ところが闘争をはじめた翌年、この闘争を止めろと動労の本部が指令した。三里塚は過激派だからと。
それで翌年、動労本部の大会で三里塚と絶縁するという決定が出ました。僕らは闘争を続けたので、役員は全員除名処分です。その日に新しい労働組合、動労千葉を結成したわけです。だから三里塚は僕らの生みの親なんです。
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この闘争の前半はジェット輸送のハンドルを握らないという闘いでした。スト破りをして運ぼうとする管理者を動力車から引きずり下ろすような闘いをやった。
後半はあえて僕らがハンドルを握りました。「拒否から阻止へ」という闘いです。管理者が運んでしまうなら、ハンドルを握ってストで止めようと。
その結果4人が首になりました。しかしこの闘争は三里塚を全国に広げる役割を担った。そして動労千葉と反対同盟はクルマの両輪で今日まで闘ってきた。私自身も三里塚に初めてきてから34年になります。
*
ところで三里塚に敵対した元の親組合(動労本部カクマル)は、国鉄民営化に賛成してその手先となった。日本の諺に、竹は少し割れただけで全部割れるといいます。
どんな小さな事でも原則を守ることが労働者にも農民にとっても一番大事だと考えています。闘いは苦しいが、裏切るよりよほど楽ですね。これからも労農連帯を大切にして闘う決意です。
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週刊『三里塚』(S716号2面2)(2006/12/01)
イラクは今世界を揺るがす
イラク戦争開戦3年の現実
“最強の米軍”が敗北したファルージャへ
虐殺と拷問の泥沼に墜ちたアメリカ帝国主義
レジスタンスの大兵站
米軍補給路を徹底的に叩く
●勝利の証・ファルージャの街に帰れ!
「びっくりするのは1週間でどれだけ変化したかです――1週間です。もう誰もスンニ・トライアングルのことは話しません。スンニ派とシーア派の対立とか内戦といったことを真面目に話しても相手にされません。占領者は、あれは小規模なレジスタンスだなんて言えなくなった。多くの人に支持される反乱が広がっているのです」(バグダッド大学政治学教授。04年5月14日=AJ)
イラク・レジスタンスによるイラク解放戦争の前進はここから始まった。町の名はファルージャ。ユーフラテスの花を携えた一千のミナレット(尖塔)を持つ町だ。
04年4月4日、アメリカ帝国主義は「ファルージャの反乱」制圧をイラク駐留海兵隊に命令した。1000人にも満たないレジスタンスに“最強”の米軍が総力で襲いかかった。イラク人民はもとより、全世界の人々が米軍の一方的勝利を予想し黙祷した。
しかし6週間の激戦の末、勝利したのはファルージャ市民とレジスタンスだった! カイライ政府軍は次々と米軍の命令を拒否。バグダッド市民は、ファルージャから避難してきた人々を身の危険も顧みずかくまった。医療チームは、遠くインドネシアからも救援に駆けつけた。イラク全土のレジスタンスは勇気と誇りを獲得し、「イラク解放100年戦争」を宣言した。「アメリカをイラクの泥沼に引き込んでやる!」「裏切り者に死を! イラクに栄光あれ!」
8月には、ナジャフでマフディ軍が蜂起。かろうじて大アヤトラ・シスタニー師の権威で停戦したものの、一度揺らいだ米軍の軍事的権威は元に戻らなかった。「ノー・ゴー・ゾーン」と呼ばれる解放区がイラクのいたるところで出現。米軍は恐怖から拷問と虐殺の底なし沼にはまった。
米政権は、この戦闘で「カイライ政府によるイラクの支配」という構想が消えた現実に驚がくした。世界第2の石油埋蔵量(推定1000億バレル以上)を持つイラク。OPEC産油国のイラク。カイライ政府を使って、OPECと中東地域の全ての石油をアメリカが支配し、これをテコにアメリカの世界支配を再確立する。その夢はファルージャで消えた。
全世界の心ある人民は、ファルージャの反乱を契機にイラク反戦闘争を拡大し、自国軍隊の撤退を要求した。まず04年スペイン総選挙で「イラクからの撤兵」を掲げる労働党が勝利して軍を撤退させた。続いて駐留40カ国中13カ国が次々と撤退した。
現在、(06年7月)イラク駐留をつづける多国籍軍は27カ国で構成されているが、実体は米、英、日、オーストラリア、デンマーク、ポーランド、韓国の7カ国のみだ。決定的な問題は、アメリカ本国の世論が「イラクからの撤退」を主張し始めたことだ。06年11月7日、米ブッシュ・共和党は、中間選挙でイラク戦争の継続を主張し、民主党に大敗した。
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●10億の民の反乱
中東全域でアメリカ帝国主義の苦悶が始まった。パレスチナのハマス(スンニ派)とレバノンのヒズボッラー(シーア派)が、対イスラエルのレジスタンスで共闘。さらにシリア、イランが対米攻守同盟を締結した。この動きは、瞬く間に「イスラム・ベルト」と呼ばれる国際反米民族解放戦線の形成につながった。アフリカからアジアにいたる10億を超えるイスラム教徒を軸にした人民の反乱である。
南米でも、OPEC産油国ベネズエラのチャベス政権が反米の旗幟を鮮明にし、経済制裁下のキューバへ石油を供給しはじめた。アメリカの世界支配への公然たる挑戦である。ファルージャでの米軍の軍事的敗北は、かくも大きな波紋を広げたのである。
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04年11月、ファルージャは再び歴史を決する場所となった。「テロリストの巣窟をつぶせ」。今度は、ホワイトハウスが直々にファルージャ攻撃を決定した。「イラクの地図からファルージャを抹消する」「これがイラク復興のモデルだ」
米海兵隊も最新装備の精鋭部隊を投入。米陸軍はアパッチ攻撃ヘリ、M1戦車と砲兵を作戦に参加させ、空軍は精密誘導弾による爆撃。海軍は、P3Cによる情報収集とユーフラテス川上空の制圧。特殊部隊はユーフラテス川右岸の占領を受け持った。その数3万。総力戦である。
対するレジスタンス部隊は、初めての総司令部を形成。宗派と民族、国籍を超えたレジスタンス軍を登場させた。「決戦を受けてたつ」――この決定にイラク全土のレジスタンスが奮い立った。たちまち20万とも30万とも言われる戦士たちが、後方支援の網の目を作った。ファルージャからの難民を逃がす者。物資を町に運び込むもの。間断なく米軍輸送車列を攻撃する者。これらの作戦が総司令部の指揮の下で統合的に実施された。
米軍の激しい攻撃で、ファルージャの街は75パーセントが破壊され、「原爆で破壊されたような」景色となった。米軍はそれでもファルージャを支配できなかった。ファルージャのレジスタンスによる戦闘は、06年10月、なおも1日平均10回を超える。いったいどうやってこれだけの攻撃を維持できるのか。米軍はレジスタンス部隊を「ゴースト」と呼ぶ。
(写真 特殊警察の覆面「ウルフ」。肌の色から傭兵部隊だとわかる【バグダッド】)
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●使い捨てられたアメリカのカイライたち
05年、米占領軍は「イラク正当政府樹立」へがむしゃらに突き進んだ。それまでカイライ政権中枢にいたアメリカ亡命イラク人のアラウィ(初代カイライ首相)やチャベスなどは捨てられた。彼らは06年7月現在、イラクから逃亡し所在不明である! 彼らに代わって登場したのが、シーア派のイラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)とダアワ党だ。彼らはイラクのシーア派住民を代表していない。それが「シーア派統一会派」の実体だ。
中央政権は権威を得るどころか地方の離反を引き起こした。クルド自治区では独自の外交が行われ、石油利権が切り売りされている。南部は中央の干渉を拒否して石油利権を囲い込んだ。シーア派政権は、この情勢に対応できない。それどころか石油利権獲得に奔走し腐敗を深めた。
必然的にレジスタンスへの支持は上昇した。南部では、2万3000人の組織労働者がストライキに立ち上がった。レジスタンスは数度の統一司令部形成の経験を発展させ、イラク全土の宗派、民族と国籍を超えた統一に向けて動いた。アンバル州、サラ・アドディーン州、ニネベ州がレジスタンス支配下となった。
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動があれば反動もある。占領軍とカイライ政権は町のならず者を使い、爆弾による無差別殺人を作戦化した。「シーア派がスンニ派を狙った」「スンニ派がシーア派を狙った」等と宣伝され、宗派対立を徹底的に煽った。ついには内務省の特殊部隊が無差別殺人を実行するまでになった。南部バスラでは、街の中心部にあるマーケットで英軍特殊部隊「M16」のメンバーが爆弾を仕掛けていた現場を住民に発見され、取り押さえられる事件も起きた!(05年9月=AJ)
宗派対立は無視できないが、イラクの政治を決める絶対要素ではない。そもそも300万組と推定されるスンニ派とシーア派の夫婦が存在する。またイラクは、アメリカによる経済制裁のおかげで、他の産油国のように石油産業にかたよった国家建設とはなってない。91年の湾岸戦争とその後12年間の経済制裁、さらに米、英軍による爆撃の続行。この厳しい状況でイラクの労働者は技術力を磨き、団結をはぐくんだ。破壊された社会インフラは、すべて労働者自身で復興された。それは宗派も民族も超えた偉大な事業だった。
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アメリカは何のためにイラクを占領したのか。イラク人民は、アメリカによる「イラン・コントラ事件」を今も鮮明に覚えているという。イラク・イラン戦争(1980~88)の末期、米レーガン政権は、イラクを援助しながらイスラエルを通じてイランに武器と情報を売り、その利益でニカラグア右派ゲリラ・コントラを援助した。中東石油権益に巣くう“死の商人”は米政府だった。★(この項続く)
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週刊『三里塚』(S716号2面3)(2006/12/01)
調査報告(外部コンサルタント)を開示せよ
覆土で違法転用画策
クリーンパーク問題 「毒物漏れたら手遅れ」
暫定滑走路の北延伸工事着工にともなって、成田クリーンパーク(一般廃棄物処分場)の空港用地転用問題でも攻撃が強まっている。
成田市が「クリーンパーク閉鎖のための詳細検討を依頼した(6月)」とされる外部コンサルタントからの検討結果報告書の開示を求めて、反対同盟が10月23日に出した第6回目の公開質問状に対して、市は11月1日付け回答で何と「報告は市に到着していない」というウソの回答を送付してきた。
9月上旬の段階で報告書が市に届けられていることは、関係者の証言で確認されており、「到着していない」との虚偽回答は許されない。
その証拠にマスコミ報道では「外部コンサルタントの水質検査の結果、対策の必要があるかどうかの数値が分かった」旨書かれている(10月27日付け毎日新聞千葉版=写真)。そして「調査結果は9月末までにまとめられる予定だったが、検査項目が増えたために現在とりまとめ中」と報道されている。
一連の市の対応から分かることは、いったん外部コンサルタントの調査報告は届いたが、その内容が市の意図していたものとくい違っていたため、新たな対処方針の調査を発注しなおしたということである。
このことをもって「報告書は到着していない」とごまかそうとしているのだ。
前記報道は「埋立地に土をかぶせて埋蔵する可能性が高くなった」と指摘しており、空港会社と成田市は、反対同盟の求めてきた「有毒物質の全量撤去」ではなく、「覆土による埋め立て」でクリーンパークの閉鎖―廃止を強行する意図をむきだしにしてきたのだ。
(写真 暫定滑走路の北端に迫る成田クリーンパーク)
近隣で土壌汚染事故が続発
空港会社と成田市が焦る理由は、北延伸の2009年度末開業という「締め切り時間」に追い立てられていることがある。
同盟の求めているとおりに「ダイオキシン入りのゴミ」を全量撤去しようとすれば、ぼう大な金と時間がかかるだけではなく、持っていく場所の選定に困ってしまう。
では、埋め立ての方法で、かつ廃棄物処理法の手続きどおりのやり方でクリーンパークを閉鎖―廃止しようとすれば、埋め立てたゴミが浄化するのを待たねばならず、到底2009年度末には間に合わない。
このため、空港会社と市は廃棄物処理法の違反もかえりみず、「覆土」で、2009年以内に空港用地への転用を強行しようとしている。だから情報開示をかたくなに拒否しているのだ。
9月8日には隣の旧佐原市のJA出荷場で、30年前に埋めた農薬の漏出事故が発生した。また四街道市中台の市有地からも9月15日、30年前までゴミが埋め立てられていた処分場の跡地から、環境基準を大幅に上回るフッ素やダイオキシンが検出された。
これらは「埋め立て」がいかに危険であるのかを物語っている。しかもクリーンパークのある十余三地区の地下水脈は北方の利根川方向に向かって伸びており、北延伸で騒音地獄にされる十余三、久住地区の地下水が激しく汚染される危険性が高いのだ。
いったん空港用地に転用されたら、ダイオキシン汚染が発生してもこれを掘り返すことなど不可能だ。だから埋設されたゴミは全量撤去するしか住民の健康と生命を守る方法はない。
市は「12月15日に最終方針を公表する」としている。同盟は11月21日、情報公開条例に基づく公文書開示請求を行い、外部コンサルタントの調査報告開示を求めた。
クリーンパークの違法な空港用地転用を許すな。ダイオキシンの全量撤去を求めて闘おう。
(写真 「覆土の可能性高まる」と報じる新聞【10月27日付毎日新聞千葉版】)
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《クリーンパーク問題年表》
05年8月30日 成田クリーンパークが北延伸計画の予定地にかかることが判明した。
11月9日 反対同盟第1回目の公開質問状提出。
11月15日 市から「クリーンパークの閉鎖の方法については検討中につき答えられない」という回答。
11月30日 2回目の公開質問状。「廃止する場合に必要となる手続きと方法については答えられるはず」と質した。
06年1月20日 第3回目の公開質問状
3月15日 NAAと成田市はクリーンパークの空港用地転用で合意した。
3月30日 転用合意書の中身について質す第4回目の公開質問状を提出。
5月17日 反対同盟は成田市環境部に出向き、抗議の直接交渉を行った。
6月13日 資料の開示を要求する第5回目の公開質問状を送った。
10月23日 第6回目の公開質問状で「コンサルタントからの調査報告を開示せよ」と要求。
11月1日 「報告は届いてない」と回答。
11月21日 報告の開示を求める開示請求を、情報公開条例に基づいて行った。
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《お断り》「蘇るむしろ旗」今週は休みます。
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週刊『三里塚』(S716号2面4)(2006/12/01)
三芝百景 三里塚現地日誌 2006 11月8日(水)~11月21日(火)
●暫定滑走路認可取り消し訴訟 2000年2月から開始された暫定滑走路認可処分取り消し訴訟は、この日、最終弁論が行われて結審した。千葉地裁での弁論で顧問弁護団は、認可処分の違法性とりわけ農家の頭上40㍍にジェット機を飛ばす暴挙の航空法違反を指摘して、「認可処分は取り消すべき」と主張した。裁判の傍聴には反対同盟法対部長の鈴木幸司さんと現地支援がかけつけた。判決公判は2007年6月26日、午後1時30分から。傍聴にかけつけよう。(14日)
●クリーンパーク問題で、市役所前ビラまき 反対同盟の第6回公開質問状に対して、成田市がウソの回答をしたことに抗議して、反対同盟は市役所前のビラまきを行って、「毒物ダイオキシンを全量撤去せよ」と訴えた。(15日)
●伊藤さん、国会前闘争に参加 衆議院本会議で教育基本法改悪案の強行採決が行われた日、反対同盟の伊藤信晴さんと三里塚現闘は国会前闘争に参加して、結集した1000人の労働者とともに採決弾劾の闘いを展開した。(16日)
●第6回北部ビラまきを開始 反対同盟は騒音下北部地域に第6回目のビラまきを開始した。北延伸計画実施にともなって移転区域に入るか外れるかの「線引き」はなされたが、地域住民の不満と怒りは渦巻いている。同盟は「北延伸阻止は可能です」と呼びかけている。(18日)
●勝浦へ団結旅行 反対同盟は激戦の合間をぬって、恒例の団結旅行を楽しんだ。行き先は千葉県勝浦。交流会には動労千葉出身で勝浦市議の水野正美さんもかけつけてくれて、労農連帯を深めた。(18~19日=写真)
●クリーンパークで情報開示要求 クリーンパーク問題で、コンサルタントの調査報告を見せようとしない成田市に対して、反対同盟は情報公開条例に基づいた「公文書開示要求」を送付した。2週間以内に理由を示した回答が行われる。(21日)
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