SANRIZUKA 2006/08/05(No709 p02)

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第709号の目次

「農業委員会は農地強奪に加担するな」と成田市内をデモ(7月23日)

1面の画像
(1面)
「耕作権解除申請」を却下せよ 「収用法」失効下、あり得ぬ暴挙
8・11農業会議包囲を
戦後農地法の破壊だ 反対同盟 知事への緊急行動要請
記事を読む
反対同盟から緊急行動要請−堂本知事と県農業会議に「申請却下の要請」の葉書・FAXを集中して下さい 記事を読む
北延伸「8・21公聴会」粉砕へ
100%のアリバイ儀式 東峰地区と北部の住民 「これ以上勝手許さぬ」
記事を読む
農業委は農地強奪に加担するな 記事を読む
ピンスポット
請求権は時効消滅していた!
解約申請は無効だ
デタラメを承知のNAA
記事を読む
 コラム 団結街道 記事を読む
闘いの言葉 記事を読む
(2面)
収用法失効の土地 強制取得ありえぬ
市東さん「耕作権解除問題」の無法を暴く  農地法で農地は収用できない
NAAの解除申請自体が法の破壊だ  3代90年以上耕してきた畑を守る!
記事を読む
基本的人権の砦となった三里塚  報告集 三里塚40年、歴史と現在を語る集い《下》
●国家の暴力を暴き 国策を粉砕してきた闘い…葉山
●野草を見なさい。どんなに踏まれても生えてくる…天野
記事を読む

北総の空の下で北総の空の下で

就農して7年

闘志満々真価示す

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三芝百景 三里塚現地日誌 2006  7月19日(水)〜8月1日(火) 記事を読む

週刊『三里塚』(S709号1面1)(2006/08/05)

 「耕作権解除申請」を却下せよ

 「収用法」失効下、あり得ぬ暴挙

 8・11農業会議包囲を

 戦後農地法の破壊だ

 反対同盟 知事への緊急行動要請

●むき出しの農民殺しと農地強奪と
 NAA(成田空港会社)が7月3日、反対同盟・市東孝雄さんの耕作地に対する「農地法に基づく耕作権解約許可申請」を成田市農業委員会に提出していた件で、同委員会はまともな審理もせず24日に総会を開き、同申請を事実上の「許可相当」と判断、決定権者である千葉県知事および県農業会議への送付を強行した。同会議は8月11日にもこの案件を機械的に通過させ、知事の決定に持ち込む構えだ。
 国交省・NAAと千葉県知事がやろうとしていることは「農地法による農地取り上げ」という、法律的にはあり得ない農地強奪である。市東孝雄さんが農業者として生きるすべを物理的に奪おうとしているのだ。それは同時に、市東さんと共同で有機農業を営む萩原進さん(反対同盟事務局次長)をはじめとする反対同盟の営農基盤を破壊する攻撃を意味する。反対同盟の根幹を無法の限りを尽くして破壊しようという攻撃である。
 市東孝雄さんは24日の対農業委闘争において「私は何があろうと農地を死守し、最後まで闘い抜く」との渾身の決意を明らかにした。三里塚闘争に我が身を委ねて闘い抜くとの宣言だ。わが中核派は反対同盟農民との40年にわたる血盟にかけて、この市東さんの決意と闘いを何としても守り抜く。三里塚と闘いをともにしてきた全国すべての労働者・学生・人民の皆さんの決起を心から訴えます。
(写真 農業委員会の不当な決定を受けて記者会見する市東さんと反対同盟【7月24日】)

●「農地法による農地の収用」はありえない!
 市東孝雄さんの耕作地は、大正期に開墾した祖父・市太郎さんの代から約90年間も耕作を続けてきた純然たる農地であり耕作権は確定している。戦前、日本の農業人口の7割が小作だったが、敗戦後、農民たちの激しい小作争議と戦後革命の嵐のなかでGHQは農地改革を余儀なくされ、小作人の耕作地は無条件に自作地として解放された。こうして達成された農地改革が戦後民主主義の物質的土台を形成した歴史がある。戦後農地法はその法律的表現だった。
 市東さんの耕作地は戦後混乱期に、この農地改革の手続きが適正になされず、小作地のまま残ってしまったケースで、その耕作権は所有権に完全に等しい重みを持っている。ゆえに旧空港公団も市東さんの畑の耕作権を土地収用法による収用対象としていた。
 今回、NAAが市東さんに仕掛けた農地強奪の手口は、農地法20条による「賃貸借権の解除」で、底地の権利を88年にNAAが地主から買収したことを根拠にしている。だが農地法は耕作者の同意のない所有権売買を禁じている。また買収を拒む耕作権者の農地を農地法ではく奪する規定も条文も存在しない。
 そもそも農地法とは「この法律は、農地はその耕作者みずからが所有することを最も適当であると認め、……耕作者の地位の安定と農業生産力の増進とを図ることを目的とする」(第1条)というものだ。農民と農地を保護するための法律なのであって、「農地法による農地取り上げ」自体が成り立たないのである。
 しかしNAAが今回仕掛けた「耕作権解除申請」なるものは、県知事に強制的な「解除許可」を求めるもので、耕作者が拒めば強制執行にまで行き着くかのような体裁をとっている。これは法のねじ曲げという次元を超えて、まさに法も道理も投げ捨てた滅茶苦茶な暴力である。政府・国交省とNAAは、こうまでして反対同盟の農地を強奪しなければ、三里塚闘争と向き合えないところまで追い詰められたのである。

●事業認定が失効した土地の強制収用は不可能
 根本的な問題がさらにある。市東孝雄さんの農地は、強制収用の法的根拠である土地収用法による事業認定(1969年12月認可)が89年以降失効したことだ。93年段階で当時の運輸省が「収用裁決申請」を取り下げ、事業認定の消滅は法的にも確定している。 土地収用法はブルジョア社会の根本原理たる私有財産権をはく奪する法律で、「公共性」の名の下に人民から土地を奪い国家事業を推進するテコとなってきた。だが戦後憲法のもとで、この20年失効規定が土地所有者への最後の権利保護規定ともなってきた。事業認定から20年もかけて事業に供することが出来なかった土地は、事業の「公共性」がブルジョア法的にも消滅するのである。
 市東孝雄さんの農地は、本人の同意を得て買収する以外に、他のいかなる法律によっても取得出来ない土地なのだ。これは戦後憲法の根本にかかわる問題でもある。それゆえ日帝・国交省とNAAは1989年12月以降、強制収用を振りかざした強権政策を止めざるをえず、もみ手で農家にすり寄る以外の手段を失っていたのである。
(写真 総会の議場入口で傍聴制限をかけた農業委事務局に激しく抗議する)

●千葉県知事と県農業会議に警告する!
 わが中核派は、このデタラメを通り越した農地強奪、農民殺しとしか言いようのない市東孝雄さんへの「耕作権解除」攻撃を満腔の怒りをもって弾劾し、千葉県知事と県農業会議に警告する。県自民党と一体化し「完全空港化」の最も熱心な推進者となった堂本知事は、1971年のあの流血の代執行を再び県知事の名でくり返すというのか! NAAの「耕作権解除申請」を却下せよ! 市東孝雄さんの農地に対する強制執行につながるいかなる決定も絶対に許さない! 8・11千葉県農業会議を圧倒的な怒りで包囲せよ!

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週刊『三里塚』(S709号1面2)(2006/08/05)

 反対同盟から緊急行動要請−堂本知事と県農業会議に「申請却下の要請」の葉書・FAXを集中して下さい

 全国の仲間の皆さん! 成田市天神峰の市東孝雄さんの農地に対してNAA(成田空港会社)と千葉県知事が「耕作権解除」の攻撃を進めています。「農地法による農地取り上げ」という法律ではありえない暴挙です。さる7月24日、成田市農業委員会は審理もせずNAAの「解除申請」を認め、県への送付を強行しました。8月11日に開かれる県農業会議の諮問を受け、知事が許可・不許可を決定する構えです。
 人の土地を勝手に空港用地にしたあげく、力ずくの農地取り上げが失敗して40年。市東さんの農地の所で誘導路が「への字」に曲がり使い物にならなくなったのが現在の成田空港です。万策尽きた農地強奪の無法を絶対に許せません。
 問題の土地は市東孝雄さんの祖父・市太郎さんが、大正時代に原野を切り開いて耕してきた農地です。その後、孝雄さんの父・東市さんの代を経て現在の孝雄さんの代まで90年間休まず耕してきました。本来は戦後農地改革で無条件に自作地として解放される土地でしたが、戦後の混乱で手続きが適正に行われず、不当に小作地として残ったものです。従って市東さんの耕作権は所有権と同等の重みを持ちます。
 戦後農地改革の精華たる農地法は、「農業者と農地を守るための法律」(第1条)です。農地法で耕作権を奪えません。それは法のねじ曲げを超えた暴力です。
 また市東さんの農地は土地収用法に基づく事業認定が失効した土地です。当時の運輸省も事業認定の消滅を確認しました。市東さんの農地は、本人の同意による以外に収用できない土地なのです。これを暫定滑走路の「北延伸」攻撃が窮地に立ったので無理やり取り上げようというのが今回の耕作権解除攻撃です。
 千葉県知事と県農業会議は、この無法の限りに棹さすいかなる決定も下すべきではありません。かつて知事が代執行権者となってくり返された流血の代執行の歴史をくり返してはなりません。私たち三里塚芝山連合空港反対同盟は、堂本知事と県農業会議に対し、NAAの「耕作権解除申請」なるものを直ちに却下するよう強く要請します。
 2006年7月27日
 三里塚芝山連合空港反対同盟(事務局長・北原鉱治)

【記】県知事と農業会議への「却下要請」送り先
●はがき等「郵便」
〒260−8667 千葉県中央区市場町1−1 堂本暁子千葉県知事/農業会議宛
●FAX 043−202−7320 堂本暁子千葉県知事/農業会議宛
●電子メール@
governor@pref.chiba.lg.jp
堂本暁子・千葉県知事/農業会議宛 A
teian@mz.pref.chiba.lg.jp 県民参加のページ宛

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週刊『三里塚』(S709号1面3)(2006/08/05)

 北延伸「8・21公聴会」粉砕へ

 100%のアリバイ儀式

 東峰地区と北部の住民「これ以上勝手許さぬ」

 農業委員会総会が成田市で強行された7月24日同日、国交省は成田市に対して暫定滑走路北延伸計画の地元公聴会開催を通告、翌25日付で公示した。公聴会の開催日時は8月21日(月)午前10時。会場は成田国際文化会館と通告された。
 NAAは7月10日に「北延伸」計画への変更申請を国交省に行ったばかり。同省はわずか1カ月で公聴会を文字通りのアリバイとして行い、8月中にも計画変更認可を強行する構えだ。法で定められた環境アセスメントも行わず、何が何でも北延伸計画の「09年完成」と、そのための9月着工をごり押ししようというのだ。市東孝雄さんへの「耕作権解除」攻撃と完全に一体の動きである。
 反対同盟、空港周辺住民と連帯し、8・21公聴会粉砕闘争(成田現地)に総力で結集しよう! 9月「北延伸」工事着工粉砕へ、全国の三里塚闘争陣形の総決起を勝ち取ろう!
(写真 「への字書誘導路」は市東さんの畑と現闘本部の所で曲がっている)

 NAAの着工攻撃はなりふり構わぬものとなった。同社はさる7月26日、北延伸工事のための入札公告を早々と出した。計画変更の認可もまだ下りていない段階で、アリバイ公聴会すら行う以前に、公然と工事の入札手続きを始めたのである。あからさまな地元住民無視だ。
 北延伸工事の「09年完成」を困難にする要因はたくさんある。農業環境に決定的な影響を与える東峰区の「東峰の森」伐採計画(新設誘導路の用地)、有害物質による周辺の土壌汚染の恐れが極めて大きい廃棄物処理場(成田クリーンパーク)閉鎖問題、「北延伸」による騒音拡大が著しい北部地域の住民の不同意等々。NAAとしては、いずれの問題でつまずいても「09年完成」計画がたちどころに窮地に陥る状態だ。まさに40年間も地元農民無視、住民無視の空港建設を続けてきたことの結果なのである。

 市東孝雄さんへの「耕作権解除」攻撃を含めて、北延伸着工攻撃の暴力性がむき出しになっている背景には、三里塚闘争が権力支配の一角を破たんさせていることへの敵階級の猛烈な危機感がある。三里塚40年の地平は、無理やり供用した暫定滑走路(2180b)の欠陥を致命傷にまで追い込んでいる。これは「民営化」途上にある国策事業=成田空港建設の根本的な破たんに直結する問題だ。9月着工が迫る「北延伸」攻撃は、その暴力的突破をはかるものだ。
 また「在日米軍再編」の一方の核をなす成田空港など民間空港の米軍基地化を不可能にしている現実も日帝にとって深刻である。戦争と改憲への攻撃が激しく進行する中、三里塚農民が権力への反乱を40年も継続している現実は、日帝支配階級が許容できない問題なのである。
 8・21公聴会粉砕闘争を反対同盟とともに闘い抜こう!

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週刊『三里塚』(S709号1面4)(2006/08/05)

 農業委は農地強奪に加担するな

「農業委員会は市東孝雄さんへの農地強奪に加担するな!」――成田市農業委員会総会当日、反対同盟は市東さんが小委員会で陳述を行う一方、総会傍聴闘争を含め早朝から終日闘いぬいた(7月24日 成田市役所前)

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週刊『三里塚』(S709号1面5)(2006/08/05)

ピンスポット

 請求権は時効消滅していた!

 解約申請は無効だ

 デタラメを承知のNAA

 市東孝雄さんへの「耕作権解除」攻撃に関し、NAAは1988年の段階で旧地主から畑の底地権を買収していたことが発覚したが、NAAはこの買収を耕作権者の市東さんに秘密裏に行い、以後15年間隠していた。これは耕作者の同意なしに土地の権利売買を禁じた農地法3条の違反だ。しかもNAAはこの違法な「買収」後、旧地主に何食わぬ顔で市東孝雄さんから地代を徴収させ続けていた。これは詐欺罪である。
 またNAAは88年の底地「買収」後、純然たる農地の転用手続きも行わず農地のまま保有し続けていた。これも農地法違反だ。
 こうした違法行為をベースにNAAが行った「解除許可申請」自体が無効であると弁護団は指摘する。

 さらにNAAが解除を要求している解約請求権は、物権ではなく債権的請求権(民法167条)ゆえに、取得後10年間請求を行わないことで権利自体が時効消滅している(同)。
 市東孝雄さんの農地(写真)に対する「耕作権解除申請」なるものは、あらゆる意味で無効なのだ。
 千葉県・堂本知事は不当な申請を直ちに却下せよ!

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週刊『三里塚』(S709号1面6)(2006/08/05)

 コラム 団結街道

 いま三里塚で起こっていることは戦後憲法の根幹を破壊する問題である。NAAは市東孝雄さんの農地を、あり得ないことだが、農地法をもって取り上げる攻撃を仕掛けてきた。土地収用法の事業認定が失効したあげくの暴挙だが、法律上も認められない手口だ農地法とは、戦前からの小作争議の高揚を背景に、戦後農地改革の過程で、農民と農地を大地主や大資本から守るために成立したものだ。戦前農村人口の7割を占めていた小作人の耕作地は無条件に自作地となった。敗戦を契機に実力による自作化が大規模に起こり、放置すれば革命は必至という情勢で、GHQは農地改革を余儀なくされた強収奪に苦しんだ農民たちが戦後革命期に「農地は耕作者のもの」という権利を勝ち取った。戦前の小作争議を闘い、治安維持法で逮捕された経験も持つ反対同盟の三浦五郎さん(93)は「百年近くも立派に耕作した市東さんの農地がいまだに小作地とはけしからんことだ」と力を込めて語る農地解放で戦前の小作地のほとんどは自作地となった。これが農業生産力を飛躍的に増大させる基礎を作り、いわゆる戦後民主主義の物質的基礎ともなった。農地法という農地・農民保護法は、農民たちが自ら勝ち取った精華でもあったいま日本経団連は「日本に農業は不要だ」と公言する。6千万労働者への資本攻勢と、農民・農業の切り捨ては表裏一体なのだ。労農同盟の圧倒的な確立と前進が求められている。

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週刊『三里塚』(S709号1面7)(2006/08/05)

 闘いの言葉

 労働者が食えない現実。戦争・内乱の世界。革命的情勢が眼前にある。労働者は勝てないと考える既成指導部を打倒して革命をやろう。
 7月30日 革共同労働者組織委員会

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週刊『三里塚』(S709号2面1)(2006/08/05)

 収用法失効の土地 強制取得ありえぬ

 市東さん「耕作権解除問題」の無法を暴く

 農地法で農地は収用できない

 NAAの解除申請自体が法の破壊だ

 3代90年以上耕してきた畑を守る!

(写真 左から 祖父・市東市太郎さん 父・市東東市さん 市東孝雄さん)

 市東孝雄さんへの耕作権取り上げ攻撃は、暫定滑走路の北延伸に伴う新たな農地強奪攻撃だ。中でも、最悪の強権法である土地収用法が失効した土地を、農地法で奪おうなどという試みは、”私法で公法を覆す”に等しい不法行為である。また、今回の耕作権解除問題は、「農地は耕作者のものである」という農地改革以来の農業政策の原点を破壊し、農業・農民の最後的切り捨てにつながる重大攻撃である。ここでは耕作権取り上げ問題に関わる諸問題を解説する。

 事業認定が失効した土地だ

 脱法の非道

 最大の問題は、土地収用法の代わりに農地法を脱法的に使って三里塚農民の土地を取り上げようという、その悪らつさと違法性である。
(写真 市東さんが奪われようとしている畑2カ所の内の1つ【現闘本部北側】)
 土地収用法は、資本家・独占企業が使用するための社会的インフラ(生産基盤)の用地を労働者・農民・人民から奪う法律であり、「土地に対する死刑執行法」である。いったん事業認定が認められると、たとえ収用されなくても土地の形質変更や建物の建造が制限され、土地の利用自体が厳しく制限される。
 したがって「私有財産の擁護」というブルジョア社会の根本原理を否定するものである。
 それゆえ戦後土地収用法は、人権尊重という建前で「早期の補償・決着」をうたい、法文上も事業認定の認可から、1年以内に収用裁決の申請がなされない場合は、事業認定が失効すると明記している。(29条)
 さらに買受権(買い戻し権)が10年で発生し、20年で消滅するとの規定をもうけた(106条)。これは、”どんなに長くても20年たって用地を事業の用に供さなかった場合には事業認定は最終的に失効する”という趣旨の規定だ。
 つまり、長期にわたって事業認定をかけたまま、前記のように土地の利用を制限し続けることは、「財産権の保護」との関係で無理があるというものだ。
 したがって成田空港に関して言えば1989年12月16日をもって事業認定は失効した。この「失効」について認めようとはしなかった運輸省・公団も1993年6月16日、収用裁決申請を取り下げる形で失効を追認した。
 こうして今や成田空港の事業認定はこの世から消滅し、空港用地に関しては任意買収以外に取得する手段はなくなったのだ。
 ところが今回、農地法という、趣旨が180度違う法律を脱法的に持ち出して来て、耕作権解除という、事実上の土地収用を強行しようとしてきたのだ。
 これはたとえて言えば「下位法の規定をもって上位法の判決を覆す」あるいは「私法で公法を覆す」にも等しい許しがたい違法行為だ。

 上述のように、土地収用法はきわめて矛盾的で強権性の強い法律だ。その収用法による事業認定が失効したということは、当該の土地について、あらゆる意味で強制的な用地取得が不可能になったということだ。この収用法に代わって他の法律(農地法など)を持ち出して土地を奪うという行為自身が違法でありありえないのだ。
 6月28日に不当判決が下された一坪共有地強奪裁判も収用法で失効した土地を民法で収用してしまおうという点で同様の違憲裁判だ。(反動司法がみずからの責務を放棄して、不当判決を下した)
 このような脱法的農地強奪の数々を、正しい論理と運動の力で今こそ打ち砕かなくてはならない。

 「強制手段放棄」の確約は?

 2人の大臣

 しかも、政府・運輸省は1991年5月28日、村岡兼造運輸大臣名で、「今後空港建設にあたってはいかなる状況の下にあっても強制的手段を取らない」との声明を全社会に向かって行った。
 1994年10月11日に発表された隅谷調査団最終所見「成田空港問題円卓会議の終結に当たって」では「平行滑走路のための用地の取得のために、あらゆる意味で強制的手段が用いられてはならず、あくまでも話し合いにより解決されなければならない」と明記した。
 これを亀井静香運輸大臣(当時)が「国といたしましては全面的にこれを受け入れたい」と正式に表明、空港公団の中村徹総裁(当時)も「受け入れさせていただきます」「今後の空港建設にあたっては調査団所見で示された民主的な建設の手法を遵守してまいることは当然であります」(『成田空港問題円卓会議記録集』)と明言した。
 さらに空港会社の黒野匡彦社長は2003年2月20日の「東峰の森」に関する部落への回答書の中で、この円卓会議最終所見に触れ、「円卓会議の精神を忘れていたことをお詫びする」「円卓会議の精神に今一度立ち返る」として、「あらゆる意味で強制的手段を用いない」旨約束した。
 そして昨年5月9日の「謝罪文」においても「人間としての尊厳を失うようなことは二度とやってはいけない」「平行滑走路の問題については、あくまで皆様との話し合いによって解決してまいりたい」と表明した。
 今回の耕作権解除要請でNAAは、要請が認められれば警察力に頼った強制執行まで要求している。まさに強制手段そのものだ。
 「いかなる状況においても使わない」「円卓会議の精神に立ち返る」「二度とやってはいけない」などの2名の運輸大臣を含む政府高官の文言が何と薄っぺらで空しいことか。れっきとした大臣や国家機関の最高幹部が、みずからなした公約をここまで破るとは、もはや国家機構そのものが破たんしていると言う他はなく、成田空港建設自体が社会的正当性を投げ捨てたということでもある。
 このような政府・国土交通省、空港会社の公約違反、二枚舌、ウソ八百を絶対に許してはならない。

 耕作者の同意が絶対の前提

 買収の違法

 さらに問題なのは、収用法の代わりに使おうとしている農地法自体についても数々の違反を行っていることである。
(写真 「農業委員会は農地強奪に加担するな」と成田市内をデモ【7月23日】)
 農地法とは、戦後農地改革の法的表現であった@自作農創設特別措置法、A農地調整法、B前記2法の適用を受けるべき土地の譲渡に関する政令を統合したものだ。
 敗戦後、爆発的に展開された農地解放運動の成果である農地改革の趣旨を守り実現するために制定された法律だ。
 だから第1条「法律の目的」で「農地はその耕作者みずからが所有することを最も適当と認めて耕作者の権利を保護し……地位の安定と農業生産力増進とを図ることを目的とする」と明記されている。
 どのような理由があろうとも、このような趣旨である農地法を脱法的に使って耕作権を取り上げること自体が不可能なのだ。
 しかも今回の耕作権解除請求は、農地法の条文自体に明白に違反している。
 農地法3条の2項には耕作権のある農地の譲渡に関する規定が書かれてあり、そこには「小作人の同意なくしてその耕作している農地の譲渡はできない」旨規定してある。
 空港会社は1988年に市東さんの畑を地主から買収したが、その時に父・市東東市さんの同意書が必要だったのだ。空港反対闘争の先頭に立っていた市東東市さんが自分の耕作している畑を空港会社に売ることに同意するはずもないし、同意していない。
 つまり、1988年の買収自体が農地法3条2項に違反する無効な行為だったのである。
 しかも耕作権解約許可請求は債権的な請求権であるため、10年間行使しないと時効で消滅する(民法167条)。したがって1988年の買収から10年たった1998年4月13日をもって、今回の解約請求する権利すらもが消滅したのだ。(顧問弁護団「成田市農業委員会に対する意見、調査要求書」)
 
 ところで「1988年の買収自体が違法」という指摘に対して空港会社は、「農地法第5条で空港会社は農地転用のために用地を取得できるのだから、用地に小作人がいた場合でもその同意なく用地を取得できる」と主張することが予想されるが、それも通用しない。
 法律に準ずる効力を事実上持つ農林水産省の「農地転用に関しての留意事項」では、今回のような場合、「農地転用のための売買は、耕作権の解除手続きと同時に処理しなければならない」として、”耕作者の同意書が必要だ”と言っている。
 つまり、空港公団のように許可なしに空港転用のための農地取得が許される場合でも、そこに耕作権者がいる時は、その耕作者の同意書が必要だ、という旨規定しているのだ。
 あらゆる意味で、1988年の買収は違法であり無効だ。この売買について、売った地主も買った空港会社も、市東さんには15年間、秘密にしつづけてきた。(旧地主は地代を受け取り続けてきた!)
 これは、上記のような売買の違法性を自覚していたため、その露見を恐れた共謀での詐欺行為だった。

 全人民的な陣形を 日本農民の未来かけ

 今回の耕作権取り上げ攻撃は、寄生地主制度を廃止した農地改革と「農地は耕作者のものである」という農地法の原理に対する真っ向からの挑戦である。
 2001年8月、農林水産省は日本経団連等財界の圧力によって「農業構造改革のための経営政策」を打ち出し、「株式会社の農地取得」の方向へ政策を大転換した。昨年9月の改正農地法では株式会社の農地の賃借を全面的に認めた。
 農地法による「農地、農民、農業の保護」に対して、戦後60年を覆す「規制緩和」の逆風が猛然と吹き荒れている。今回の市東さんの問題は、こうした攻撃を尻押しし日本の農地と農業の未来を押しつぶそうとする攻撃でもある。憲法改悪攻撃と同質の問題だ。
 「日本の農業全体にとっての一大事」と訴える反対同盟からは「日本の農民の名において耕作権強奪を粉砕する」(萩原進さん)というアピールが発せられている。300万の農民、日本の農業の未来をかけて、空港会社、千葉県による農地強奪を許さぬ陣形を大々的に作りあげていこう。8・11農業会議包囲の闘いに決起しよう。

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週刊『三里塚』(S709号2面2)(2006/08/05)

 基本的人権の砦となった三里塚

 報告集 三里塚40年、歴史と現在を語る集い《下》

 ●国家の暴力を暴き 国策を粉砕してきた闘い…葉山

 ●野草を見なさい。どんなに踏まれても生えてくる…天野

 6・25東京集会の報告の最終回。葉山岳夫弁護士の「三里塚と改憲攻撃」および北富士の天野美恵さんの発言を紹介する。
(写真 6・25討論集会【東京 江東区総合区民センター】)
 《顧問弁護団事務局長・葉山岳夫さん》 39年、顧問弁護団の事務局長をやってきましたが、今後も命ある限りがんばります。昨年10月、自民党の新憲法草案が出されましたが、あれは改正法案ではない。現憲法の前文と9条2項「戦力の不保持、交戦権の放棄」を削除、破壊するクーデター攻撃であります。
 そもそも近代の立憲主義は憲法について、政府に守らせる法として成立したものです。これを別の憲法に変えるということは革命かクーデターでなければできませんが、自民党はそれをやろうとしています。
 また第2章「戦争の放棄」を「安全保障」としている。日米安保を憲法の中へビルトインすることをうたったものです。 これは戦争をするための改憲であり、朝鮮半島、台湾海峡、アジア、中東への派兵を狙っていることを示している。「自衛軍の事項は法律により定める」として、議会による統制を排除しています。また集団的自衛権の確立も狙っている。
 座間への米陸軍第1軍団司令部の移転、横須賀、横田、辺野古での米軍基地拡張と並ぶ成田での暫定滑走路の北延伸攻撃は、有事の際の米軍50万人受け入れ方針と密接不可分であり、北伸攻撃自体が改憲攻撃と一体であるといって過言ではありません。
 さらに9条1項を保持していることをもって「戦争放棄は維持した」との報道がなされていますが間違いです。9条1項は1928年のパリ不戦条約と同じ内容ですが、同条約は自衛戦争を否定していません。その下で15年戦争、太平洋戦争も可能となったのです。
 現憲法はまた12条で「権利は常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」といっています。「公共の福祉」とは人権と人権を調整する役割を果たすものと位置付けられていますが、新憲法草案ではこれを公益と変更しました。公益すなわち国益のことで、成田空港建設や陣地への反対、そのための集会・デモに対しては人権の保障を認めないというとんでもない内容に変えられています。戦争反対の運動も人権保障の範囲外。「独島(竹島)は朝鮮のもの」というような発言もできなくなる。
 また「公の秩序」ということが強調されていますが治安のことです。三里塚闘争が実現してきた北総暴動のような闘いはまさに治安問題として撲滅するということです。 現憲法は同じ12条で「憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」と明確に述べています。1966年の6・22佐藤首相・友納千葉県知事談合に始まる三里塚の空港反対運動は人民が農民として生きる権利、まさに基本的人権を行使した歴史的闘争であり、憲法12条を実現する闘いでした。
 今、日本帝国主義は人民を食わせられなくなり、武力をもちいた侵略戦争をやらざるをえないところまで追い込まれている。まさに全人民の蜂起によって打倒されるべき時です。国家には、人民に対して戦死を強制する権利はありません。三里塚の闘いは見事に人民の基本的人権が国家の暴力性を暴露し、これと対決し、政府の計画をそのつど粉砕し勝利してきた偉大な見本です。戦争を阻止する砦として役割を果たしてきました。全国に多くの三里塚をつくり、改憲阻止、侵略戦争阻止の道を進もうではありませんか。北伸阻止が改憲阻止につながる重要な闘いです。

《北富士忍草母の会事務局長・天野美恵さん》 
 イラクから自衛隊が撤退することが決定されました。北富士でサマワ模擬施設の撤去を求めて、3月に1回のねばり強い集会を行ってきたことが撤退を決定させました。航空自衛隊も引き揚げさせなければならない。北延伸でも三里塚はびくともしません。つぶれないといったらつぶれないのです。野草を見なさい。いくら踏まれても踏まれても春になったら生えてくる。三里塚も北富士も雑草のような闘いをこれからも展開します。
(終わり)

《お断り》今週「蘇るむしろ旗」は休みます。

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週刊『三里塚』(S709号2面3)(2006/08/05)

北総の空の下で北総の空の下で

 就農して7年

 闘志満々真価示す

 「市東さんがんばってるねえ。一生懸命野菜作るのを見ていると応援しようという気持ちになるよ」――市東孝雄さんの畑の近くのお宅に、「週刊三里塚」を持っていった時の話です。
 孝雄さんが成田に戻って農業を始めてから7年になります。40歳を過ぎてからの転職は大変なことです。当初は「続くかな」という目で見ていた人もいたと思いますが、いい野菜を作るために手間を惜しまず、日焼けした笑顔であいさつする孝雄さんを、今では温かく見守ってくれています。
 料理が得意だった長男の孝雄さんは、その方面で身が立つようにして、弟の芳雄さんに農業を継がせるというのが父・東市さんの方針だったそうです。
 ところが芳雄さんは72年、無念にも交通事故でなくなり、東市さんが1人で農業を続けてきました。一方、料理店の責任者として忙しく働いていた孝雄さんが、99年、東市さんの追悼集会で「おやじの跡を継ぐ」と宣言したときの鮮烈な感動は、今も皆の心に焼き付いています。
 追いつめられた空港会社が市東さんの畑を奪うなどあってはならないことですが、孝雄さんは”反対同盟員としても農民としても自分の真価が問われる時”と闘志満々です。
 農地が失われていく一方の日本において、有機農業を続けてきた豊かな農地こそかけがえのない宝物です。
 農地死守の原点を貫く市東孝雄さんの決起に全国の支援をお願いします。
 (北里一枝)

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週刊『三里塚』(S709号2面4)(2006/08/05)

 三芝百景 三里塚現地日誌 2006

 7月19日(水)〜8月1日(火)

●農業委員会が形だけの下見 市東孝雄さんの耕作権解除問題で、成田市農業委員会の小委員会が2カ所の畑を現地調査に来た。3台の車に分乗した委員たちは、それぞれ1分間の”おざなり調査”で帰っていった。(19日)
●農業委弾劾デモと海辺の集い 24日に農業委員会の総会が行われ、市東さんの耕作権解除問題で「許可相当」の採決が行われようとしたことに対して、反対同盟は緊急のビラまきと抗議デモを成田市内で行った。その後、場所を野栄町堀川浜に移して、恒例の団結海辺の集いを行い、決戦にむけた英気を養った。(23日)
●農業委員会傍聴闘争 農業委員会の総会に対して前日に続き、反対同盟はビラまきと抗議デモに立ち上がった。その後、午前11時から市東さん、萩原進さん、葉山岳夫弁護士による小委員会での意見陳述を見守り、午後2時から農業委員会総会の傍聴闘争を闘った。「(市東さんの畑は空港用地に)転用相当」との決議が行われたが、「両者が話し合って合意の上で解約すべき案件」とのきわめて異例な意見書を付けさせたことは、闘いの大きな成果だ、という確認がなされた。(24日)
●北延伸公聴会を公示 国土交通省は空港会社から出されていた暫定滑走路北延伸計画について、8月21日に公聴会を行う旨官報に公示した。(25日)
●NAA、北伸認可前に工事の入札を公示 NAAは、北伸計画の認可が下りていないにもかかわらず国道51号線のつけかえトンネル工事について入札の公示を行った。(26日)
●革共同集会に同盟多数参加 東京・豊島公会堂で行われた革共同政治集会に反対同盟から北原事務局長はじめ6人が参加してあいさつし、団結を固めた。(30日=写真)
●第2回目の騒音下ビラまき 北延伸で騒音地獄に叩き込まれる北部地区への第2回目のビラまき情宣活動が始まった。(8月1日)

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