SANRIZUKA 2006/04/15(No701 p02)

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第701号の目次

デモは北延伸の予定地周辺で行われた。廃棄物処理場の遵法転用を許さないぞ!

1面の画像
(1面)
6・25〜7・2全国闘争へ  3・26三里塚「着工阻止」の強い決意 記事を読む
3・26集会 ジャンボを飛ばすな  「頭上40メートル飛行」停止せよ 記事を読む
国民投票法案とは 「ルール作り」ではない
改憲クーデターの要  法案を葬り去る闘いを
「改憲反対運動は禁止」の大治安攻撃
記事を読む
ピンスポット “40年不屈の三里塚は宝物だ”
久々の前夜交流会
関西・永井さんも参加
記事を読む
 コラム 団結街道 記事を読む
闘いの言葉 記事を読む
日程 記事を読む
(2面)
イラク「新政府」はなぜ発足できない?
「選挙」から3カ月 すべてを敵に回した米占領軍
米軍末期「近づくと殺す」  米軍「3月攻勢」で敗北
首都でも反米派が多数派に
記事を読む
ボロボロの空港実感
3・25現地調査 「北延伸は破たんする」
記事を読む
蘇るムシロ旗 三里塚闘争40年の真実(27)
「力でつぶすのは無理」  開港挫折の衝撃
内閣あげて秘密交渉  屈服した青行・島らの大罪
「開港」はねのけ100日間闘争/ゲリラ戦次々炸裂
記事を読む

北総の空の下で北総の空の下で

現調・交流会

世代こえた熱い魂

記事を読む
三芝百景 三里塚現地日誌 2006  3月22日(水)〜4月4日(火) 記事を読む

週刊『三里塚』(S701号1面1)(2006/04/15)

 6・25〜7・2全国闘争へ

 3・26三里塚「着工阻止」の強い決意

集まった1200人の労農学は、暫定滑走路「北延伸」の夏〜秋着攻撃を阻止する決戦を宣言した(3月26日 天神峰)

 「人の頭上40bにジェット機を飛ばすような人権破壊が成田でまかり通っている現実を天下に知らしめなければならない。この上にジャンボ機を飛ばして農家をたたき出そうというのが『北延伸』攻撃。夏着工を阻止する全国的な運動を展開しよう!」。反対同盟の萩原進事務局次長は3・26全国集会の壇上からこのように訴えた。
●6・25東京集会〜7・2全国集会へ
 NAA(成田空港会社)と国交省は、暫定滑走路「北延伸」の着工を夏から秋に強行する構えだ。反対同盟はこれを阻止するために6月〜7月に全国規模の闘争を組織する。具体的には6・24〜25東京集会(24日はパネル展示と戸村一作彫刻展)、そして7・2全国集会(三里塚現地)だ。反対同盟は、三里塚を知らない若い世代はもとより、40年にわたる三里塚闘争に一度でも参加した経験のある膨大な人々の参加を呼びかけたいと強調する。
●着工を焦るNAA
 「北延伸工事の夏〜秋着工」というNAAの姿勢は、本来許されない。法的な条件整備として、環境アセスメントや滑走路の設計変更に伴う申請・認可手続きがあり、これに少なくとも一年以上は必要だ。拡大する騒音地区住民の線引きや補償手続きも、最短で2〜3年はかかる。
 しかしNAAは、これらの法的な条件整備を棚上げしてでも、早期着工を強行する構えだ。「09年度」とされる北延伸の完成目標時期が、NAAの生き残りにとって絶対的というのがその理由だ。同じ09年に羽田空港の新滑走路が供用を開始する。これが先行すると、現在成田の暫定滑走路を使っている短距離アジア便の大半が羽田に移管してしまう。成田の暫定滑走路は存在意義を失いかねないのである。
 国交省とNAAが「北延伸」にこめる狙いは、つまるところ空港反対闘争の破壊だ。農家の頭上にジャンボ機を飛ばして叩きだすことが目的なのだ。暴挙としか言いようがない。
 反対同盟の呼びかけに応え、6・25東京集会〜7・2全国集会の成功を勝ち取ろう! 北延伸の夏〜秋着工を阻止しよう!

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週刊『三里塚』(S701号1面2)(2006/04/15)

 3・26集会 ジャンボを飛ばすな

 「頭上40メートル飛行」停止せよ

  3月26日、成田暫定滑走路の用地内に自宅と畑を持つ反対同盟・市東孝雄さんの畑で全国集会が行われた。集会には全国から1200人の労働者・学生が参加、この夏にも予想される暫定滑走路「北延伸」着工を阻止するための全国規模の闘いの方針が打ち出された。今年は三里塚闘争開始から40周年にあたる。小泉政権による改憲攻撃が本格的に動き出し、広範な反撃陣形の整備が求められている。権力を向こうに回して「国策」を阻み続ける三里塚闘争は、改憲阻止闘争のなかで改めてその真価を発揮するだろう。

北原鉱治さん、萩原進さん、市東孝雄さん、鈴木幸司さん

鈴木謙太郎さん、鈴木加代子さん、伊藤信晴さん


 集会は伊藤信晴さんの司会で始まった。本部役員の鈴木幸司さんが開会宣言。「三里塚は当初から軍事空港反対を掲げ、故・戸村委員長の『闘えば勝つ』を合い言葉に闘ってきた。私の住む中郷部落は集団移転でうち一軒となったが悔いはない。闘いはこれからだ」
 事務局長の北原鉱治さんが主催者を代表してあいさつ。「28年前のこの日、開港目前の福田内閣は『犠牲者がでてもやむを得ない』といった。結果はどうだったか。三里塚の反乱は勝利し、国の威信をかけた3・30開港は粉砕された」と3月集会の起こりを解説、「いま成田空港は自衛隊出兵の基地になろうとしている。反対農民を潰すための暫定滑走路北延伸を許すことは出来ない」との決意を語った。
 基調報告は事務局次長の萩原進さんが行った。萩原さんは本集会の性格として「着工阻止決戦への突入、米軍再編の一環としての成田軍事化阻止の闘い、フランスなど世界の反戦運動・労働運動との連帯」を上げつつ、夏から秋の着工阻止決戦にむかう現地攻防の焦点を明らかにした。そして「三里塚闘争は40周年を期して再び全国に打って出る。イラク派兵や改憲など、政治情勢はただならない事態だ。『三里塚のように闘おう』という合い言葉が大きな意味を持つ時代がきたと確信できる」と訴え、大きな拍手がこれに応えた。
 動労千葉の田中康宏委員長は「動労千葉は三里塚との労農連帯で鍛えられ団結を維持してきた。10日からの安全運転闘争に、のべ700人の組合員が職制の恫喝に負けず立ち上がった。旅客、貨物ではストライキを貫徹した。三里塚は労農連帯の砦だ。再び人民の結集軸となるだろう」と労農連帯の前進を訴えた。
 空港敷地内の農家を代表して天神峰部落の市東孝雄さんが発言した。「51号トンネル工事の着工が夏にも行われると言われている。人の頭にジェット機を飛ばして追い出す。地上げ屋まがいの攻撃に負けるわけにはいかない」。騒音直下の芝山町菱田地区からは、鈴木謙太郎さんがかつての農業用水(成田用水)整備を使った国の買収攻撃を厳しく批判し、「村を廃村化して反対運動をつぶそうとする国の攻撃に負けず頑張ってきた。我が家の頭上にジャンボ機が飛ぶような事態を絶対に許さない。敷地内の仲間と連帯して闘う」との決意を述べた。

動労千葉委員長・田中康宏さん、全関西実行委員会・永井満さん、北富士忍草母の会・天野美恵さん、反対同盟顧問弁護団・葉山岳夫さん

 改憲阻止の砦に 三里塚闘争40年の地平

 三里塚野戦病院の代表が天神峰現闘本部裁判の代表世話人・戸村義弘さんからのメッセージを代読。「40年の空港建設が根本的に破綻したNAAは、現闘本部の強奪という窮余の一策に訴えてきた。さらに大きなご支援をお願いします」
 さらに顧問弁護団の葉山岳夫弁護士が「採算を度外視して仕掛けてきた暫定滑走路の北延伸攻撃は反対同盟つぶし以外の何ものでもない」とNAAと国交省を批判し、一方で本格化する改憲攻撃との闘いの切迫を強くアピールした。
 集会後半は、婦人行動隊・鈴木加代子さんからのカンパアピールを受けて、全国から多くの支援・共闘団体が発言した。関西新空港反対住民からは、淡路町空港反対同盟の永井満さんと東灘住民の会・山本善偉さんが登壇。永井さんは「法政大学の弾圧で29人の学生が全員奪還された。外国と比べ物足りないと思っていた学生運動だが、権力がここまで恐れているとは心強い」とのべ、三里塚への若者の参加を呼びかけた。山本さんは、神戸空港が多くの反対を無視して開港したことを弾劾、「戦前への逆流があらゆる場所で始まっている。これを阻止する力は三里塚に集まる皆さんの力だ」と訴えた。
 北富士忍草母の会の天野美恵さんは「権力に勝てないという人がいるが、三里塚や北富士を見なさい。あのベトナムでも誰がアメリカに勝てると思ったか。関西、動労千葉、沖縄、各地の人々が連帯すれば、どんな嵐が来ようが勝てる」と力強い檄を飛ばした。
 さらに部落解放同盟全国連の金平通雄共闘部長、都政を革新する会・長谷川英憲代表、婦人民主クラブ全国協議会、闘う「障害者」、反戦共同行動委員会・三角忠さんらが決意表明を行った。このなかで法政大学での不当弾圧を粉砕して奪還された全学連の織田陽介委員長は「完全黙秘・非転向で全員戻ってきた。これは三里塚の豊かな農地で育った思想と団結。成田空港と腐りきった権力をぶっとばそう!」と元気にアピール、満場の拍手を浴びた。
 最後に集会宣言が採択され、長原部落の野平聰一さんがデモコースの説明と行動提起、団結ガンバロー三唱の音頭をとり、参加者は「北延伸」予定地へ向けたデモに出発した。
(写真 デモは北延伸の予定地周辺で行われた。廃棄物処理場の遵法転用を許さないぞ!)

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週刊『三里塚』(S701号1面3)(2006/04/15)

 国民投票法案とは 「ルール作り」ではない

 改憲クーデターの要

 法案を葬り去る闘いを

 「改憲反対運動は禁止」の大治安攻撃

 小泉政権は、国会が後半戦に入ったことを受けて、今国会での最重要法案の1つである国民投票法の成立をめざし、一気に改憲攻撃を本格化させようとしている。国民投票制定の攻撃は憲法改悪への外堀をうめてしまう攻撃である。「単なる手続き法」という類の武装解除を克服し、ただちに国民投票法制定阻止の闘争態勢を築こう。3・14法政大弾圧を粉砕した闘いの地平を発展させ、改憲阻止闘争の全人民的広がりを作り出そう。
 国投票法案をめぐっては、与野党の協議がつづいているが本質的な対立点は存在しておらず、法案の提出は時間の問題だ。自民党の久間章生総務会長は3月22日の講演で民主党が引き伸ばす場合には与党単独でも国会に法案を提出する考えを示し、国民投票法成立の意気込みを示した。
(イラスト あらゆる「改憲反対」の言論を封殺する国民投票法)
 そして3月27日には2006年度予算が成立し、国会攻防は重要法案の成否に移る。国民投票法攻撃との対決は待ったなしである。
 国民投票法は「改憲の是非にかかわらず必要な手続き法」との仮装をとって、実際には憲法改悪反対の運動を禁止してしまう改憲攻撃の“突撃隊”である。単なる「ルール作り」ではない。
 その本質を示しているのが、自民党法案骨子(改憲議連案含む)による国民投票運動の禁止規定の数々だ。同骨子は、官製の憲法改正宣伝以外、公務員、教師、マスコミ、労働組合、市民団体などすべての議論を禁止し処罰するという、驚くべき内容を提起している。
 まず第1に、公務員労働者や教育者の国民投票運動を禁止している。ここで国民投票運動とは「憲法改正に対し賛成または反対の投票をさせる目的をもってする運動」と定義される。
 骨子は公務員を真っ先に槍玉に上げ、この投票運動をしてはならないとしているのだ。「公職選挙法でも禁止している」と強弁しているが理不尽きわまりない。そもそも公務員に選挙運動を禁止する理由はない(勤務時間外や休日も含めて禁止)。公職選挙法の規定自体が全国380万人公務員の声と運動を圧殺する政治条項であり複数の違憲判決まで出ている。
 その上で法案は、候補者の当選を決めるための選挙運動と、国のあり方を決め、公務員自身を含む全人民の未来に決定的に関わる憲法改正の国民投票運動とを意図的にいっしょくたに論じ、憲法改悪反対の公務員労働者の運動を犯罪視しようとする弾圧条項なのだ。
 また教育者に対しても「投票運動は禁止」となっている。公立だけではない。私立学校も含まれる。端的な例で言えば、私立大学の憲法の教師が授業の中で、学問的立場から憲法改正について意見を言うと「教育者の地位の利用による国民投票運動」にあたるとして、1年以下の禁固または30万円以下の罰金に処せられる。大学での学問の自由すら奪い、講義もできない戦前型の状況を作ろうとしている。
 また在日朝鮮・中国人を含めた外国人に対しては投票はおろか、「意見表明」すら禁止している。在日朝鮮・中国人の中には現在でもオピニオンリーダーが多いがこうした人びとも憲法改正が発議された瞬間、憲法問題について発言すると逮捕されるのだ。
 さらに重大なのはマスメディアに対する規制である。メディアに対しては「虚偽の報道の禁止」「編集上の地位を利用した報道の禁止」「予想投票の禁止」が規定されており、抵触すると違法となる。そもそも、「編集上の地位を利用して権力の暴虐をチェックする」のが報道機関とジャーナリストの仕事ではないか。それを止めろと要求することは彼らに対して「ジャーナリストを辞めろ」と要求することだ。
 さらに、告示から投票まで最短の場合でわずか20日間しか取っていないという、驚くべき拙速規定が盛り込まれている。
 他方で「改憲賛成」の議論はやりたい放題なのだ。法案では「国民投票に関する啓発、周知等」という項目を設けそこでは「総務大臣等は国民投票に際し、投票の方法その他事項を周知徹底させなければならない」と規定している。「必要な事項」とは改憲案そのもののことだ。
 政府の責任において「講演会、講習会、新聞、パンフレットの発行」によって「あらゆる機会に」宣伝することが法案の中身になっている。意味するところは明らかであろう。まるで明治時代の新聞紙条例〜治安維持法にいたる暗黒社会の再来である。
 憲法学者の多くは現在策動されている「憲法改正」は「改正」ではなくクーデターだと指摘する。〈権利の保障と権力の制限〉という近代立憲主義それ自体を破壊しているからだ。
 ところで、民主党は言うに及ばず共産党も国民投票法制定攻撃への真剣な対決を放棄している。また一部の護憲運動家の中にも「よりよい国民投票のルールづくりを」などと主張し、国民投票法自体に反対することは「客観的民主主義だ」などといいなす傾向がある。
 こうした考え方は結局、改憲攻撃への加担にしかならない。改憲攻撃は、日帝支配階級の命運をかけて戦後体制を覆す“反革命クーデター”なのだ。その攻撃の入り口が国民投票法の制定だ。だから法案自体がむき出しの治安弾圧立法なのだ。「まっとうな法案とルールをつくろう」という類の修正の余地はありえない次元の攻撃なのである。

 労働者人民の取るべき態度は「よりよい国民投票法を」ではない。国民投票法案を葬り去る闘いこそが必要なのだ。3・14法政大弾圧を粉砕した地平にたち、国民投票法制定攻撃と闘おう。同法の凶暴性を全人民に暴露し闘いの戦列を強めよう。

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週刊『三里塚』(S701号1面4)(2006/04/15)

ピンスポット

 “40年不屈の三里塚は宝物だ”

 久々の前夜交流会

 関西・永井さんも参加

 3・26集会前日の25日、現地調査を行った労学は、関西実代表の永井満さんも交えて反対同盟と交流会を行った。
 まず司会の伊藤信晴さんに聞かれ、現調の感想を参加者一人ひとりが述べた。異口同音に出されたのは、三里塚全体を回る調査は初めてであり、「空港周辺全部を回ることで、三里塚がいかに勝利しているかが、この目で実感できた」ということだった。そして「北延伸は無理に無理を重ねるもので破たんは必至」等感想が語られた。
 星野文昭さんを救う会のメンバーは、「ぶざまな空港の写真を獄中に送りたい」、収用委解体戦闘で弾圧された神藤猛雄さんは「戦跡めぐりだった。しかも過去の話ではない」とそれぞれ発言。
 永井さんは「40年間国策に屈服していない三里塚は日本の国宝だ。今年こそ全国各地に三里塚を広げたい」と訴えた。
 反対同盟からは北原事務局長が「共闘に感謝しているがまだ力不足」「三里塚が勝つことで初めて日本の未来が描ける」と叱咤激励。市東孝雄さんは「戻ってきて7年目。これからも力を借りたい」。鈴木幸司さんは「一軒になっても全国に仲間がいる。これからが正念場」と決意表明。 
 最後に萩原進さんが「6月25日を軸とした東西集会、草の根集会から7・2全国集会へ上りつめたい」と方針を提起、全員新たな闘いへの着手を誓った。

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週刊『三里塚』(S701号1面5)(2006/04/15)

 コラム 団結街道

 市販弁当のおかずの定番「ミートボール」。スーパーでもレトルトで1パック100円。何しろ安い原料は牛の骨から削り取った「端肉」。ドロドロの物体で、このまま食べられる代物ではない。ペットフードにも使われる。そこで様々な加工技術の出番だまず廃鶏(はいけい)のミンチを加える。廃鶏は歯がたたないほど固くてまずく、ただ同然で入荷できる。これに「組織状大豆たんぱく」を加えソフト感をだす。これがベースだ▼そして白い粉の魔法。まず大量の「ビーフエキス」「化学調味料」で味付け。前者は「たんぱく加水分解物」で、クズ肉などを塩酸分解してから中和し、複雑なアミノ酸を生成したもの。えもいわれぬ臭いの“旨みの素”歯触りを滑らかにする「ラード」や「加工でんぷん」も入れる。「着色料」や「保存料」「ph調整剤」、色あせを防ぐ「酸化防止剤」も必須。これでミートボール本体ができた仕上げはソースとケチャップ。氷酢酸を薄め「カラメル色素」で染め、「化学調味料」と「香料」を加えればソースもどき。トマトペーストに「着色料」「酸味料」を加え「増粘多糖類」でとろみを付ければケチャップもどき。両者を絡め加熱殺菌して完成だしめて添加物30数種類。廃棄物となるクズ肉は見事にミートボールに変身した。いやはや…1パックの原価約30円。小売値100円でも商売になる。これは「美味しい!」加工食品は化学工業製品だった。先進国の労働者は年間4キロの化学添加物を摂取している。これも農業切り捨ての結末なのである。

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週刊『三里塚』(S701号1面6)(2006/04/15)

 闘いの言葉

 義和団事件における戦功は日本資本主義の登竜門であったが、02年の日英同盟こそ、日本が帝国主義的実戦場への第1歩を踏み出した画期と言える。
 30年、野呂栄太郎
 『日本資本主義発達史』

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週刊『三里塚』(S701号1面7)(2006/04/15)

 日程

5・11本部裁判口頭弁論

 5月11日(木)午前10時30分
 千葉地裁501号法廷
 ※傍聴券抽選のため9時30分集合

6・25東京集会(24日〜展示会)

 6月25日(日)午後1時
 東京江東区総合区民センター
 ・「三里塚闘争40年・歴史と現在を語る集い」
 ・戸村一作彫刻展と写真パネル展示(24〜25日パネル展)

7・2三里塚全国集会

 7月2日(日)正午/三里塚現地
 主催・三里塚芝山連合空港反対同盟

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週刊『三里塚』(S701号2面1)(2006/04/15)

 イラク「新政府」はなぜ発足できない?

 「選挙」から3カ月 すべてを敵に回した米占領軍

 米軍末期「近づくと殺す」 米軍「3月攻勢」で敗北

 首都でも反米派が多数派に

●米軍の3月攻勢が敗北
(写真 米軍による無差別爆撃で殺された住民を葬る人たち【06年3月 バラド】)
 1月の連邦議会選挙から3カ月、「新政府」樹立に向けた動きがまったくまとまらない。アメリカ・ブッシュ政権は、この危機的情勢を打開するために「3月大攻勢作戦」を命令した。この期に及んで、イラク国内(国内だ!)の街々を大規模な爆撃・襲撃に晒すことが「新政府樹立」のための方策だというところに、事態の本質は表現されている。これは「自由と民主主義」をかたる紛う方なき侵略戦争、征服戦争なのである。首都バグダッドの一部さえも爆撃・襲撃の対象にするような占領軍とカイライ政権は、もはや見せかけの正統性をアピールすることもできなくなった。
 米軍準機関紙『星条旗』などの記事を総合すると、その規模と戦力は「03年のイラク戦争開戦以来最大」のようだ。現在イラクには、陸軍と海兵隊をあわせて153個大隊で編成された17個の旅団と、特殊任務部隊として7個大隊で編成された2個連隊が駐留している。17個旅団のうち7個旅団は予備役・州兵で編成されている。現役兵の戦力は97個大隊となる。
 「3月攻勢」は、この現役兵97個大隊から54個大隊を動員して実施された。米軍の編成で「大隊」は約500〜900人の部隊なので、最小でも3万人規模の攻撃部隊を編成しての大規模作戦だったことになる。
 作戦の範囲も広大なものだった。北はサマッラ。西はヒート。南はナジャフまでの地域を戦域に指定し、レジスタンスを排除しつつ、しらみつぶしに都市や村落を破壊する作戦である。作戦の中心はサマッラであった。この町はバグダッド北方わずか100キロほどの地点にある。米軍が昨年12月の「総選挙」後、執拗に攻撃をくり返し、さる2月22日には「アスカリ聖廟爆破事件」が起こり、これをきっかけにカイライ治安部隊を握る宗派主義的民兵(シーア・シスタニー師派のバドル旅団)の襲撃が街を覆った地域だ。【※スンニ派の宗教指導者たちはこぞってこの聖廟爆破事件を非難する声明を出している】

 50機以上のヘリコプターによる”電撃的な”空挺作戦が実施されたという。「ゲリラに逃走の機会を与えず迅速に勝利する」(米軍)ためだ。しかし結果は惨たんたるものだった。レジスタンスはいち早く身を隠した。レジスタンス勢力は、街に残ってゲリラ戦を戦う一部の部隊を残して散開し、街の周辺で米軍の補給を断つ作戦で闘った。
 レジスタンスは、作戦8日目から攻勢に転じ、米軍駐屯地に夜間砲撃を仕掛け、米軍に休息を与えない作戦を取った。同じころ西部の都市ヒッラとラマディでも、米軍の攻勢作戦は頓挫していた。ナジャフでも同じである。

●3月26日 バグダッドのサドルシティでのモスク襲撃
(写真  レジスタンスの迫撃砲で激しく炎上するイラクの米軍基地内。攻撃が止む日は1日もない
 攻勢作戦がこう着状態となり、米軍は戦闘のヘゲモニーを失った。苛立ち焦る米軍は、バグダッドで大変なことをしでかしてしまった。衛星テレビ局アル・ジャジーラによれば、米軍と内務省特殊部隊が、夕刻の礼拝時間に反米シーア派の民兵・マフディ軍が警備していたモスクを攻撃、礼拝中のイラク市民とマハディ軍兵士18人ないし22人を虐殺したのである。バグダッド市議会とバグダッド州評議会は、直ちに米軍に抗議したが、米軍は「ノーコメント」の対応で、カイライ内務省は「マハディ軍がスンニ派を拷問にかけているとの情報に基づき攻撃した」などと発表した。
 この発表に対し、アル・ジャジーラとAFPは、現場のビデオ映像を放映した。映像は激しい戦闘跡と非武装の市民の虐殺体が証拠として写っていたのである。もちろん拷問されたスンニ派市民などいなかった。答えに窮した米軍は「映像はつくりものだ」「戦闘は認める」「作戦は内務省が独自に行ったので、米軍は無関係」などと防戦一方となった。
 翌日27日には、バグダッド州評議会が「米軍に対して一切協力しない決議」を採択した。これによりサドルシティには米軍の立ち入りが不可能となった。ここで明らかになったことは、バグダッド市議会と州議会で、反米派が多数となっている事実である。いわゆる「スンニ派トライアングル」だけでなく首都バグダッドでも反米派が多数となっているのだ。さらに「スンニ派とシーア派の宗派戦争反対」「イラクの分裂は、占領軍を利するだけ」という声が、500万の首都バグダッドで圧倒している事実である。
 すでに対米軍および英軍への非協力決議をあげている南部3州(バスラ、ムタンナ、ディカルの各州)に続き、ついにバグダッド州も反占領の姿勢で決したのである。

●ぼろぼろの米軍
 30日、米軍準機関紙『星条旗』(中東版)は、イラクで米軍検問所に近づいた市民が誤射される事件が日常茶飯事のように起きている現状を数字で紹介した。こうした事件が反米武装勢力に人びとが加わる理由を作っていると駐留米軍上層部も認識しており、誤射を減らすことが課題になっている、などとと報じた。
 米軍は、米軍基地・キャンプ・アナコンダ周辺の住民に3万個の白いバッグを配布する。バッグには「警告文」が印刷されている。「米軍車列から200b以内に近づくな。近づくと『止まれ』と警告しライトで照らす。次に警告射撃が行われる」。これは、米軍に近づきすぎて射殺される住民の増加に対応した処置である。2月から3月だけで600件の「行き過ぎた実力行使」(射撃)があり、イラク市民30人が死亡、60人が負傷した(星条旗)という。地元の人間が近づいただけで射殺する占領軍とは何か? これが「治安の回復」「イラク復興」の現実なのである。
 いまや現役米軍兵士の75%が「一年以内の撤退」に賛成しているのである。士気は低下の一途だ。米軍の崩壊は必ずやってくる。それも内部から、兵士の反乱として現実化するだろう。

●独自権益にしがみつく日本帝国主義
 ムタンナ州で、日本政府の政府開発援助(ODA)による大型火力発電所の着工式が28日、行われた。同州は深刻な電力不足に悩んでおり、発電所建設は州政府が復興支援の最優先案件として挙げていた。同発電所は6万キロワットの発電能力を持ち、ムサンナ州内の需要の3分の1を満たす予定。日本政府が総額約127億円の緊急無償資金協力で建設する。(時事)
 事業は丸紅が落札した。発電所建設の実務は三菱重工だ。またイランでアザデガン油田開発にあたるのは国際石油開発(※主にインドネシア方面の油田開発を手がけてきた)である。これらの企業は、日本帝国主義の屋台骨ともいえるグループである。イラク・サマワ(ここには、有望とされる未開発の油田鉱区が2カ所ある)、イラン・アザデガンの開発は、日本帝国主義が国策として遂行する事業なのだ。アメリカはイランの「核開発」問題を口実に、アザデガン油田の開発を凍結するよう日本政府に強硬な圧力をかけているが、日本政府は開発遂行の意志を未だ撤回していない。日本の原油輸入量の15〜16%を占め、国別では第3位の輸入相手国がイランである現実から、後に引けないのである。
 日本はかつて1979年のイラン革命で、三井物産系のIJPC(イラン・ジャパン石油化学)が大規模に進めていた石油開発事業から撤退を余儀なくされた経験がある。今回のアザデガン開発によるイランの石油権益確保は、日本帝国主義の命運を左右する問題なのだ。
 共同通信によると、政府は31日の閣議で、アメリカがイランの「核開発」中止を強硬に主張している問題について、「総合的に判断し、現時点で脅威や潜在的脅威とは認識していない」とする答弁書を決定した。判断の理由は「わが国とイランの2国間関係」を指摘した。一方、同じ答弁書で政府は、北朝鮮について「大量破壊兵器や弾道ミサイルの開発、配備などを行うとともに、大規模な特殊部隊を保持するなど、軍事能力を維持、強化している」と強調。「わが国を含む東アジア全域の安全保障にとって重大な不安定要因」と位置付けている。こちらは改憲を頂点とする日本の軍事国家化とそのための民族排外主義を扇動する政策の要だ。
 米帝が「最大の脅威」といいなすイランと北朝鮮。日本政府は、北朝鮮だけが脅威でイランは違うと言う。石油エネルギーをめぐる帝国主義的争闘戦はむき出しの様相である。
 日本のイラク参戦(サマワへの派兵)の目的は、石油権益の確保以外のなにものでもない。イラク人民の累々たる屍を踏み台にして、日本は中東石油権益の一端にしがみついているのだ。虐殺の共犯者=日帝・自衛隊は即時撤兵せよ!

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週刊『三里塚』(S701号2面2)(2006/04/15)

 ボロボロの空港実感

 3・25現地調査 「北延伸は破たんする」

 集会前の25日、三里塚現闘の主催で現地調査が行われ、30人近くが参加した。まず市東孝雄さん宅畑の監視台に上って「へ」の字誘導路を目の当たりにする。つぎに現闘本部、市東さんの畑、一坪共有地などを見学。誘導路の直線化を阻む実態や「死角」対策モニターの多さに異常さを確認した。「成田ゴルフコース」ではついこの間まであった数十本の立ち木が、これも死角対策で切り倒されている現場を視認。
 次にクリーンパーク、東峰墓地、東峰神社、東峰の森と回った。墓地では大木よねさん、萩原作治さんらが死してなお空港完成を阻む。東峰の森は全国集会場の隣なのだが「位置が鮮明に理解できた」「集会に来るだけでは分からない」との感想が出された。
 今度は芝山町横堀、菱田。横堀はほとんどの人が初めてか20数年ぶり。横風滑走路を寸断している現実を確認して「これは勝っている」と興奮の面持ち。菱田・中郷では用水決戦の跡地に感慨を新たにし一軒で部落を守る鈴木幸司さん一家の闘いに共感していた。
 最後に岩山記念館、三里塚十字路など”戦跡”めぐり。中でも十字路では戦闘シーンの懐旧談に花が咲いた。一同、三里塚が国家を圧倒している姿を肌で感じ、三里塚闘争を新たに構築する決意を固めていた。
(写真 岩山記念館の屋上に上って4000b滑走路を望む現地調査団【3月25日】)

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週刊『三里塚』(S701号2面3)(2006/04/15)

 蘇るムシロ旗 三里塚闘争40年の真実(27)

 「力でつぶすのは無理」

 開港挫折の衝撃

 内閣あげて秘密交渉

 屈服した青行・島らの大罪

 「開港」はねのけ100日間闘争/ゲリラ戦次々炸裂

 1978年3月26日、北原鉱治事務局長を先頭とした横堀要塞戦と空港官制塔占拠闘争によって、福田赳夫内閣が命運をかけた成田空港の3・30開港がものの見事に粉砕された。
 支配階級と福田政府の受けた打撃は尋常一様ではなかった。日本国内のみならず世界が注視する「新国際空港」の開港が、管制塔を占拠したゲリラ戦士たちによって白昼公然と粉砕されたのだ。成田空港開港は、1976年9月の第3次空港整備5カ年計画に基づいた航空政策の最大の柱だった。また1975年4月30日のベトナム失陥に伴う朝鮮半島情勢の緊迫化があり、米日帝国主義はインドチャイナ半島につづく新植民主義地体制の崩壊の危機感を募らせていた。この危機を乗り切るためのアメリカ・日本一体となった朝鮮侵略戦争策動が切迫していた。日本帝国主義最大の国策に立ち向かう三里塚闘争破壊は体制の死活にかかわる問題となった。
 福田内閣が選択した政策はムチ(成田治安法の制定・発動と空港警備隊発足=7月)と「話し合い」切り崩しの両面作戦であった。特に後者の「話し合い」切り崩し攻撃は、福田内閣の直接的な関与による国家を挙げた一大陰謀であったことが今日明らかになっている。これが78年5月から79年の7月まで1年2カ月もの間、水面下でつづいた。
(写真 運輸省が「話し合い」を潰すためにリークした新聞記事【1979年7月16日 読売新聞】)
 まず動員されたのが、戦前の血盟団事件の生き残りであり、吉田、池田、佐藤など歴代首相の指南役とされていた四元義隆だった。福田首相がじきじきに反対同盟切り崩しの工作を依頼したとされている。配下には高知空港反対運動を切り崩した「功績」を買われた西村明(前高知県空港公団理事)がいた。
 四元は水戸の右翼を通して、ブント系情況派の松本礼二・長崎浩ら(いわゆる遠方グループ)に切り崩し工作への協力を依頼、松本らはこれに応じた。
 そして同じ中央大学出身のブントで旧知だった当時の反対同盟事務局次長・島寛征を籠絡し、同盟内に「話し合い解決」派なる裏切り者グループを作り、三里塚闘争総体の条件派への転向を画策したのだった。
 松本らは78年8月17日に島・柳川秀夫らと「合意書案」を作成、四元は8月31日に福田首相自身と面会してこの合意書の了承を取りつけたと言われている。
 福田首相は内閣官房長官だった安部晋太郎に折衝を指示、道正邦彦官房副長官が実務担当者となった。10月6日には道正官房副長官と島寛征との第1回会談が開かれ、11月、内閣が福田から大平正芳に代わったことによって、担当者も加藤紘一に変更になった。
 翌79年になると西村明、道正邦彦立ち会いの下、加藤紘一と島・柳川秀夫の会談が行われ、その後、会合が重ねられた。そして6月15日には合意案が作成された。その内容は@二期工事凍結A二期区域を収用法対象から除外するB対話集会を開く、というもので、後(90年代)の成田シンポ・円卓会議の原型となるものだった。
 ところが7月16日、「話し合い」の主流から外されていた運輸省が、新聞へのリーク(写真)という形をとって、首相官邸主導の「話し合い」をぶち壊すという挙に出たのだった。反対同盟はただちに「話し合い・秘密交渉」粉砕の闘いに決起し、「一切の話し合い拒否」の原則を確認するとともに闘争を条件交渉に引き込もうとした島寛征、柳川秀夫らを弾劾した。
 これが明らかになっている「島・柳川と加藤紘一話し合い」の概略である。
 ここで突き出された問題は三里塚闘争が獲得した地平のとてつもない大きさだった。71年の代執行阻止闘争とそれに対する7年間の大反動(東峰十字路闘争弾圧)を経て、日帝国権力が満を持して臨んだ「ナリタの開港」が粉砕された。もはや三里塚闘争はいかなる権力を発動しても潰すことはできなくなっていた。日帝支配階級は、非公然ルートなどあらゆる搦め手を動員して、三里塚闘争の切り崩しに全力を上げる以外になくなったのだ。
 膨大に残った二期工区未買収地の強制収用も論外となった。国家が「法」を盾にしても人民の土地を一坪たりとも収用できない事態が生まれていた。これは一個の“革命”だった。あせりに満ちた権力サイドからの「話し合い」工作に応じた一部の青行幹部(島・柳川ら)はこの巨大な三里塚闘争の地平を内側から切り崩す先兵となったのだ。
 萩原進さんが語る。「開港の重圧なんて大したことなかったね。だって冷静に考えてみれば明らかだよ。開港後の段階で敷地内には天神峰、東峰、木の根に農家が20軒くらい残っていた。一期工事部分は1970年ころには事実上大木よねさん一軒だ。よねさん一軒の強制収用であれだけの大騒ぎだよ。何十軒もの農家の収用なんて絶対不可能だ。二期工事こそ闘いの本番であり、強制収用させない自信があった。島・柳川らを陥れた『話し合い』工作もこの力関係を敵の側から自認するものだった」

 動労千葉が独立

 一方、現実に開港し飛行機が朝の6時から夜の11じまで連日飛び始めたという重圧は無視できなかった。現地攻防をめぐる1つの焦点は二期着工問題であった。今から見れば空論だが、運輸省・空港公団は開港直後から「2期工事に着手」の意向をにじませていた。79年3月6日には森山欣司運輸大臣自ら「年内に二期工事に着手する」と発言し、公然と反対同盟に挑戦してきた。
 日々襲いかかる「開港」の既成事実に対して、反対同盟は78年7・2、同9・17、79年3・25の全国集会を対置し百日間闘争を宣言して2期工事着工阻止をアピールした。革共同は同盟の呼びかけに全力で応えた。国家権力・反革命カクマルとのし烈な二重対峙戦を闘いつつ、反対同盟を支えるゲリラ戦争のエスカレーションを次つぎと実現していったのだ。
 78年9・7千葉県白井町米本無線中継所破壊戦闘を頂点に、9・4東京深川、千葉千葉寺町の警察射撃場炎上攻撃、9・14東京、千葉の機動隊輸送基地などへの火炎戦闘、79年3・2、3・18同時多発ゲリラ戦闘などを次つぎと炸裂させ震撼させたのだ。
 ところで78年4月と79年4月に公団の意図的な農業破壊として除草剤(猛毒のボロシル4)の散布攻撃が行われたが、これは営農破壊と同時に反対同盟との接点づくりの意図を合せもっていたことが今日判明している。「わざと農民に被害を与え”謝罪”の口実で農民宅に入り込む」という悪どい手口だった。
 さらに、反対同盟への援軍としてジェット燃料輸送阻止闘争を展開していた動労千葉に対しても重大な攻撃が襲いかかった。動労本部のカクマルは78年7月の全国大会において「三里塚と一線を画す」方針を強行、動労千葉の破壊に乗り出してきたのだ。数々の激突をやりぬいて、動労千葉は79年3月31日、動労本部から独立して国鉄千葉動力車労働組合となった。

  ●イラン革命…

 三里塚闘争はこの後、さまざまな激突を経ながら水面下も含め、1983年3・8分裂にいたる条件派策動とのし烈な闘いに突入することになる。(つづく)
 1979年2月にイラン革命が起こった。パーレビ王朝は、第2次世界大戦後のアメリカのカイライとして人民を抑圧・収奪してきたが、78年1月、イスラム教指導者・ホメイニー師への中傷記事に端を発して暴動が発生。79年2月11日に同氏率いる革命評議会が政権を奪取して革命を成就させた。アメリカの中東支配は決定的打撃を受け今日まで回復していない。

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週刊『三里塚』(S701号2面4)(2006/04/15)

北総の空の下で北総の空の下で

 現調・交流会

 世代こえた熱い魂

 冬が寒かった分、沈丁花、梅、椿、水仙、桜など春の花が一斉に開花、心浮き立つ季節です。
 今年の3月集会は、前日の現地調査・交流会、翌日の援農をセットにして呼びかけられました。原点に返って、三里塚を知らない世代にアピールしようという企画です。
 ところが3・14法政大弾圧で29人が逮捕され、それ以外の学生も救援活動に奔走するという緊急事態で、現調・交流会の参加者は、”昔の学生”が中心になりました。
 交流会会場に展示した写真パネルに、北原事務局長、鈴木幸司さん、萩原進事務局次長が先頭に立ってデモしている一枚があります。
 約20年前の若々しい姿です。けれど交流会で三里塚を熱く語る面々は年齢を超えて輝いていると思いました。
 パネルの中には故市東東市さんのアップの写真もありました。好々爺の顔に秘めた闘魂を、市東孝雄さんがしっかりと受け継いでいます。
 現調は「よく知っているつもりだったのに新しい発見がたくさんあった」「勝っている実感をもてた」等々、好評でした。現調の余韻と交流会の高揚感は、2次会に持ち越されました。タケノコの刺身など三里塚ならではのつまみも出て、酔うほどに熱気がみなぎります。
 「現調で闘争体験を共有するおじさん、おばさんが盛り上がっていてギャップを感じた」という30代の青年労働者の発言がありました。私が現闘として三里塚に来た当時、代執行闘争を経験していないと婦人行動隊から一人前に扱ってもらえなかったことを懐かしく思い出しました。
 こういう若者たちにどんどん現地に来てもらいい、もっと三里塚を知ってもらいたいと思います。
 (北里一枝)

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週刊『三里塚』(S701号2面5)(2006/04/15)

 三芝百景 三里塚現地日誌 2006

 3月22日(水)〜4月4日(火)

●第1公園不許可への異議申し立てを却下 成田市長は成田の平和を守る市民の会が出していた「三里塚第1公園使用不許可処分への異議申し立て」について却下の決定を下した。(22日)
●取香川の汚染被害が発生
成田空港の航空機・防除氷剤が原因と見られる白濁が、取香川で発生していたことが、国土交通省利根川下流河川事務所の報告で判明した。(22日)
●北伸で増える回数はわずか4000回 NAAが2010年までの中期経営計画を発表したが、北延伸で増える飛行回数がわずか4000回に留まることが分かった。NAAは今まで「35000回増える」と発表していたが案の定、脅しだったことが暴露された。(23日)
●北伸の騒音問題決着できず
 北伸工事のために地元自治体との間で決着を急いでいた騒音対策が合意できなかった。騒特法で成田市久住地区が納得していない。(23日)
●反対同盟と交流会 3・26全国集会の前日、約30人の労学が三里塚現地調査を行い、その夜、反対同盟との交流会を行って絆を深めた。関西実行委員会の永井満代表も参加した。(25日)
●3・26集会に1200人 国道51号線トンネル着工阻止・暫定滑走路北延伸粉砕を掲げた3・26全国集会が成田市天神峰で開かれ、1200人の労農学が6〜7月決戦にむかう決意を新たにした。また翌日も一部の参加者が残って萩原進さん、市東孝雄さん、鈴木幸司さん宅に援農に入り交流を深めた。(26日〜27日)
●パンフレット発行 北延伸阻止6〜7月決戦に向けた反対同盟のパンフレットが発行された。(26日)
●クリーンパーク協定合意で市に公開質問状 3月15日に成田市とNAAが、成田クリーンパークの空港用地転用で基本合意したことに対して、反対同盟は閉鎖―廃止のプロセスを質す公開質問状を発出した。(30日)
●成田治安法取り消し訴訟で上告棄却判決 現闘本部、三里塚闘争会館、木の根育苗ハウスなど5カ所の団結小屋への封鎖・使用禁止など成田治安法処分取り消しを求めていた裁判で最高裁が上告を棄却した。(31日)
●団結花見の会意気高く 反対同盟恒例の団結花見会が三里塚第1公園で開かれバーベキューで春のひとときを楽しんだ。(4月2日=写真)

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