SANRIZUKA 2006/02/01(No696
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週刊『三里塚』(S696号1面1)(2006/02/01)
“自衛隊はイラクから撤退せよ!”
反対同盟 「成田出兵阻止」を宣言
“北延伸は米軍支援のためか!!”
銃撃戦頻発のサマワ 小泉 交戦承知で派兵継続
政府は、イラクの軍事占領への自衛隊派兵継続について1月20日、陸自東部方面隊第1師団(東京都)を中心に編成された第9次イラク派兵部隊(約500人)に出動命令を出した。27日に朝霞駐屯地で隊旗授与式を行い、28日から数回にわけて出国する予定だ。政府・自衛隊は海外派兵の恒常化と米軍再編=日米の有事体制発動に備えて、成田空港からの出兵を策動している。反対同盟は「三里塚を軍服に蹂りんさせるな! イラク出兵阻止!」を掲げ、28日に現地闘争(三里塚第1公園)を行うと呼びかけた。同盟は暫定滑走路の北延伸着工阻止決戦を、軍事空港化阻止の闘いとしても同時にやりぬこうと訴えている。
(写真 「難民救援」と称して政府専用機で成田空港からイラクに派兵された自衛隊【04年3月】)
政府は昨年暮れの12月、自衛隊のイラク派兵期間について1年延長することを閣議で一方的に決定した。戦後初の武力行使となる公算も高い今回の派兵を、形式的な国会審議すら行わずに決定したのだ。イラク・レジスタンスの武装解放闘争がますます拡大し、イタリアなど欧州の派兵国がおしなべてイラクから撤退を始めるすう勢で、日帝・小泉政権の派兵継続は際だっている。帝国主義の死活的権益である石油資源を確保するために、米・ブッシュ政権とともに何があろうとイラク占領を続ける意志をむき出しにしている。
●イラク派兵部隊本隊に派遣命令
陸自東部方面隊第1師団(東京都練馬区)を中心に編成されたイラク派兵継続の本隊約500人に対し、額賀防衛庁長官は1月20日に派遣命令を出した。これを受けて東部方面隊の各駐屯地では、派兵要員を送り出す「壮行会」が実施され、戦後始めての交戦(イラク人民殺りく)にむけた反動的意思統一が図られた。
(写真 侵略基地=クウェート空港に乗り込んだ自衛隊【04年1月】)
●銃撃戦、サマワで拡大/反占領の抵抗高まる
陸自が駐留するイラク南部サマワの情勢は、陸自の派兵延長が何を意味するかを如実に物語っている。
サマワで英軍などを狙った武装レジスタンスが拡大しているのだ。「連邦議会選挙」を終えてイラク占領の政治プロセスは「1つのヤマ場を越えた」などと報道されているが、事態は180度逆の展開を始めた。「自衛隊は撤退せよ!」を掲げるシーア・サドル師派のデモも頻発しており、自衛隊とレジスタンスとの激突はもはや時間の問題だ。
サマワ市内で21日夕、英軍とイラク警察の合同パトロール部隊が武装レジスタンスの攻撃を受け銃撃戦となった。レジスタンスは小銃のほかロケット砲や迫撃砲、爆弾を交えた本格的な攻撃を仕掛けたと伝えられている。
当日夜、現場近くでは武装レジスタンス約80人が道路を封鎖し、路上を練り歩くなどの示威行動を公然と展開した。
「制服で成田」追及 政府自衛隊
レジスタンスのデモと隣接する地区ではカイライ警察との銃撃戦となった。サマワでは15日にも市街地で英軍部隊との銃撃戦が起きたばかりだ。
(写真 クウェートからイラクのサマワへ侵攻する自衛隊のコンボイ。兵站線が狙われるのも時間の問題)
昨年12月の選挙後、サマワのサドル師派からは「政府は占領軍を追い出せ」との要求が噴出している。同派はサマワを占領する英軍やオーストラリア軍が市内に姿を見せること自体を「挑発的」と弾劾し、撤収を要求。一連の攻撃は英軍やカイライ警察などがこうした要求を無視していることで、今後もさらに拡大する見通しだ。
●空自の作戦領域をイラク全土に拡大
「イラクからの撤収を準備」などと撤退を示唆するメディアの論調とは逆に、政府・自衛隊はイラク占領継続の布石を着々と打っている。昨年12月の派兵延長決定(イラク特措法による基本計画の変更と実施要領改定)で、C130軍用輸送機などによる空輸任務に着いている航空自衛隊の作戦領域をイラク全土に広げていたことが明らかになった(日経1・12)。
空自部隊は武装した米兵の空輸任務も秘密裏に遂行しており、米軍の軍事作戦(人民殺りく)の不可欠の一環を担うまでになっている。「陸自撤収に向けた環境整備」などの日本での報道は、実態とかけ離れている。
空自の輸送部隊はこれまでクウェートを拠点に、陸自が活動するイラク南部サマワに近いタリルなどへの空輸を行ってきた。バグダッドなど主要空港は作戦範囲に入っていたが、レジスタンスの攻撃が続いていることから作戦を控えていた。
今回の派兵継続では、バグダッドなど主要空港での作戦実施も含め、さらに広大なイラク全土の24カ所の地方空港すべてを作戦対象地域に加えた。バグダッド空港では、多国籍軍の輸送機が撃墜されたこともある。「非戦闘地域に限る」としたイラク特措法の規定は、はやくも既成事実をもって覆されている。自衛隊が文字通りの侵略軍として登場しようとしていることを許してはならない。
●成田空港の軍事基地化を許すな!
政府は03年3・20の対イラク開戦の瞬間から「米国の武力行使を支持する」(開戦1時間後の小泉談話)と米英帝国主義の武力行使への支持を鮮明にし、自衛隊派兵の意志を強調した。そして同4月10日には早くも海自イージス護衛艦など3隻を米軍支援のため佐世保基地からインド洋に出航させ、攻撃作戦中の空母キティ・ホーク(母港=横須賀)などへの給油作戦を実施。半ば公然と米軍の軍事作戦との一体化を進めた。
(写真 「北延伸阻止! 空港の軍事基地化粉砕」を掲げて現地をデモする全学連【1月 天神峰】)
その後政府は、有事関連3法案の可決成立(同6月)、空自C130の派遣(7月)、イラク派兵特措法の強行採決・成立(同)、派兵のための政府調査団を派遣(8月)、対イラク資金協力の発表(10月)と矢継ぎ早にイラク軍事占領への関与政策を実施し、この03年内の12月に早々と航空自衛隊イラク派兵先遣隊の第1陣を成田空港から民間機で出発させたのである。
その後04年1月、陸上自衛隊イラク派兵先遣隊約30人が成田空港から民間機でクウェートに向け出発。さらに航空自衛隊イラク派遣部隊の本隊第1陣110人が小牧基地から政府専用機で出発(同)と続き、陸自イラク派兵の本隊は、第1陣約90人が政府専用機で千歳空港から出発(同2月)したのを皮切りに、現在まで8次にわたる陸自本隊の派兵をくり返してきた。
この自衛隊の派兵をめぐって、日本での出発基地(空港)をどこにするかが水面下で激しい攻防となっている。
(写真 基地の中で日の丸を並べ出兵式を行った自衛隊。基地の外は抗議の人々に包囲された【北海道】)
政府・自衛隊の思惑は、これまでの政府答弁で「軍事使用はしない」と約束させられてきた成田空港の本格的軍事使用だ。成田空港は有事法制や日米安保ガイドラインで対米軍事協力を確約している隠れた第一級の軍事施設(兵員や物資の輸送拠点)だ。現在のイラク戦争で膨大な軍事輸送の拠点となっているクウェート空港の役割を果たす空港は、日本では成田空港なのだ。ガイドライン締結時に米軍側は強く要求し、日本はこれを受け入れた。
したがって政府は、三里塚闘争や反戦闘争によって大きく制約されている成田空港の現状を反動的に突破する必要に迫られている。イラク派兵第1次部隊(先遣隊)の出発地が成田空港となったことはそうした背景がある。しかし反対同盟と三里塚闘争が成田空港を包囲していることが理由となり、いずれも自衛隊は制服(迷彩服を含む)で成田に乗り込むことが出来ず、空港到着直前に私服に着替えることを余儀なくされた。
この問題は”事件”となった。「日本の表玄関を自衛隊はなぜ制服で通過できないのか(!)」という自衛隊幹部と自民党国防族からの不満が噴出したのである。(04年)
その後は、第2次派兵部隊(陸自本隊)が航空自衛隊千歳基地から政府専用機で出発。(04年5月)
第3次派兵(同)が政府専用機で青森空港から出発。(8月)
第4次派兵(同)が民間チャーター機で仙台空港から出発。(11月)
第5次派兵(同)が民間チャーター機で航空自衛隊小牧基地を出発。(05年2月)
第6次派兵が民間機で関西国際空港を出発。(5月)
第7次派兵が福岡空港から民間チャーター機で出発。(7月)
第8次派兵が熊本空港から出発(11月)…
と続いている。
毎回のように、民間空港を使う場合は「制服か私服か」が問題となっている。そして成田と関空では私服への着替えを余儀なくされた。政府・自衛隊は、直前まで出発地を公表できず秘密にするという対応も強制されている。政府がめざすスタイルは、国民が諸手をあげて日の丸を振り、兵士を送り出すような派兵だが、現状ではまだ遠い。それを許さない労働者人民の闘いが勝っているのだ。
この問題は、海外派兵の継続と今後の有事体制発動にとって大きな攻防点となっている。反対同盟が「成田空港を制服に蹂りんさせるな!」との声を上げていることが大きな制動となっているのだ。
自衛隊のイラク出兵を阻止しよう! 成田空港と三里塚を軍服に蹂りんさせるな! イラク・レジスタンスと連帯し、軍事空港=成田を廃港に追い込もう!
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週刊『三里塚』(S696号1面2)(2006/02/01)
米軍「成田使用、強制で」
周辺事態法改悪迫る
朝鮮危機切迫 反戦の声封殺狙う
小泉政権は、切迫する「朝鮮半島有事」に参戦するために、日本の民間空港・港湾などを強制的に軍事動員し、米軍に提供するための周辺事態法改悪に年内にも着手する方針を固めた。成田空港、関西新空港など処理能力の高い基幹国際空港が真っ先に動員されようとしていることもわかった。成田の米軍基地化攻撃はすでに実戦モードに入った。成田空港を使った自衛隊のイラク出兵も本格化しようとしている。闘う朝鮮人民、そしてイラク・レジスタンスと連帯し、成田の軍事基地化を阻止しよう!
(写真 周辺事態法の改悪策動を報じる新聞【1月11日 読売】)
1月11日の読売新聞は民間空港、港湾などを動員した日本列島の軍事基地化にむけて、小泉政権が周辺事態法の改悪を行う方針であることを伝えた。
同紙によれば、小泉政権は、「台湾海峡(や朝鮮半島)など日本周辺で紛争が起きた場合、日本有事と同様に、国内の空港・港湾を米軍に優先的に使用させる強制措置を取ることができるよう、周辺事態法を改正する検討に入った」とし「周辺事態でも米軍への後方支援機能を高める必要があるため、年内にも改正案を国会に提出する考えだ」という。
改悪の要点は、重要な空港、港湾を管理する自治体に対して「強制的にそれらの施設を提供させることができるよう」法を変えることにある。
こうした民間空港の強制的軍事動員の中心に成田空港、関西新空港などが位置づけられている。成田からの陸上自衛隊東部方面隊派兵を許さない闘いとともに、成田を米軍の基地にさせない闘いを強めなければならない。
周辺事態法改悪策動の背景には、2004年12月からつづけられている米軍の世界的再編にともなう在日米軍再編の協議でアメリカ軍が、周辺事態法の実効性について、不信をぶつけてきたことがあった。
日本が武力攻撃を受けた有事の場合、特定公共施設利用法(2004年6月に成立)に基づき、首相の強権で、自治体の頭越しに自衛隊や米軍に民間の空港・港湾を優先使用させる体制ができている。
しかし、新安保ガイドラインを踏まえて99年に成立した周辺事態法では、政府が重要な空港や港湾を持つ自治体に対し、「協力を求めることができる」となっているだけで、厳密には自治体に従う義務はない。
米軍からは「周辺事態法が適用される紛争が起きても、実際に空港などを使用できるのか不安だ」との懸念が伝えられていた。
九州の全空港要求 日米協議 台湾海峡有事で
特に米軍は、すでに朝鮮侵略戦争の開戦モードに入っている。1月5日付け産経新聞によれば、昨年4月の段階で、アメリカ軍が北朝鮮に対して「6カ国協議再開に応じなければ軍事行動もありうる」とどう喝し、実際にレーダーの電波に捕捉されにくいF117戦闘機を在韓米軍に派遣して、「軍事行動の発動は単なる言葉ではない」という姿勢を露骨に示していたことが明らかになった。
また、米政府内でチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官らが「6カ国協議を打ち切って国連安保理付託か武力行使に踏み切るべきだ」という主張を強行に展開、武力行使不可避の空気が高まったという。
その後、ラムズフェルドらは、中国が高性能の戦闘機や潜水艦の配備を増強し、攻撃能力を高めている、とする中国脅威論を声高にキャンペーンして、対中国対決を前提とした朝鮮半島での軍事行動の衝動を募らせているのだ。
こうした中での周辺事態法改悪策動である。実際、在日米軍再編協議でも、「台湾海峡有事が起きた時は、九州のすべての民間空港を使って対処する必要がある」などと、きわめて実戦的観点からの要求を行っているという。
周辺事態における日米協力については、1997年の日米防衛協力の指針(ガイドライン)で、「日本は、米軍による民間空港・港湾の一時的使用を確保する」と規定された。
周辺事態では、〈1〉米本土やハワイなどからの大型輸送機による人員・物資輸送〈2〉物資を前線に輸送する前の一時的な貯蔵・保管――などを求めているという。
2006年、小泉政権は国民投票法の制定を切り口とする憲法改悪攻撃の本格化と靖国神社参拝の強行など戦争にむけた国民総動員の攻撃および周辺事態法改悪など実戦的戦争体制づくりに一気に出てこようとしている。
まさに戦後最大級の決戦の年だ。こうした時だからこそ、第一級の国策を40年間阻止してきた三里塚闘争の地平が真価を発揮するのだ。反戦の砦・三里塚を先頭に憲法改悪、周辺事態法改悪攻撃を阻止しよう。成田を米軍・自衛隊の基地にしようとする攻撃と闘おう。
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週刊『三里塚』(S696号1面3)(2006/02/01)
米牛肉、背柱混入で再び禁輸
政治決着の帰結
小泉暴言 「輸入は適切」
昨年12月に再開されたばかりのアメリカ産牛肉で1月20日、「輸入条件違反」が見つかり、再び輸入禁止となった。除去されていなければいけない脊柱(せきちゅう)が輸入牛肉から見つかったのだ。案の定、まともな検査体制自体が存在しないのだ。
この肉は米ニューヨーク州の業者が出荷したものだが、日本向け輸出の認定を受けており検査官も常駐していたという。その上で一目で分かる脊柱を付けたまま輸出した。「検査官が日本向けの輸出規則を知らなかった」のだから論外だ。
アメリカでの牛肉解体は、猛スピードのベルトコンベアーに乗ってくる肉塊を人力で行うもので「危険部位の除去」など物理的に不可能と言われていた。しかも全牛肉のうち検査に廻されるのは0・1l以下。米国産牛肉の輸入再開自体が安全性を度外視した政治決定だった。人民の生命を犠牲にブッシュ政権や日本の大手商社、食品産業の利益を優先する暴挙を許してはならない。
(写真 BSE「特定危険部位」がむき出しになった輸入肉)
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週刊『三里塚』(S696号1面4)(2006/02/01)
コラム
「市場を裏切った」(朝日)「虚業の仮面がはがれた」(読売)「反社会的な錬金術」(産経)等々。ライブドア事件の報道だが、よくもいえるものだ▼例によって国家権力の“手のひら返し”だ。先の総選挙で小泉自民党は堀江氏を「構造改革」の象徴として登用。これをマス・メディアが全面的に応援し、小選挙区制マジックを駆使して空前の翼賛国会を作り上げた▼それが検察の鶴の一声で、寄ってたかって堀江たたきだ。選挙で手を組んだ小泉は「別問題」と開き直り、これを追求する野党・民主党の論陣も説得力はない。彼らも「構造改革」なる資本主義の先祖返りの推進者だからだ▼問題となった株式分割は、小泉政権が規制緩和で全面解禁したもの。企業買収の虚偽情報で株価つり上げに使ったという「投資事業組合」も小泉構造改革で設立条件が自由化された。株式交換による企業買収も、M&Aを奨励する財界の強い要望で導入された▼何のことはない、堀江流錬金術の道具を用意したのは小泉政権なのだ。そして「構造改革」を例外なく礼賛したマスコミ。彼らが堀江逮捕について、「資本主義の健全化」をめざす動きだと歓迎する様はお笑いである▼「額に汗して働く人が憤慨する事案を摘発する」などという地検特捜の言い草も論外だ。彼らが守ろうとしているのは、六本木ヒルズに象徴される末期資本主義社会そのものではないか▼堀江氏は手頃な人身御供だった。巨悪は「驚いた」(経団連)で終わりだ。規制緩和で死ぬまで働いても困窮する庶民の憤慨は、この資本主義そのものに向かうだろう。
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週刊『三里塚』(S696号1面5)(2006/02/01)
闘いの言葉
日本は2度と戦争はせぬと決意したが、わずか30年で裕仁が「旧軍隊の良い所を受けつげ」と叫ぶようになった。天皇の戦争責任を厳しく問うべき時だ。
1975年『天皇の戦争責任』井上清
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週刊『三里塚』(S696号2面1)(2006/02/01)
朝鮮危機、94年以来の緊迫
ブッシュは本気で”北爆撃”を準備した
米軍「6カ国協議」決裂で臨戦体制に
攻撃機が集結/海上封鎖・演習・爆撃の構え
誰が平和の破壊者か 北排外主義の洪水許すな
北朝鮮の「核開発放棄」を迫る米・日・中・露・韓国・北朝鮮の6カ国協議が昨年から断続的に続けられている。北朝鮮の「核武装宣言」(05年2月)を「押さえ込む」交渉として報道されているが、問題の核心部は米ブッシュ政権による軍事的圧力のすさまじさである。日米の軍事当局は対北朝鮮でも密接に連動し始めている。
1月5日の新聞で以下の記事が配信された。
ワシントンの外交筋などによると、米国から北朝鮮に対し、武力行使もあり得るとの警告が伝えられたのは昨年4月22日。北朝鮮に太いパイプをもつワシントンの朝鮮半島専門家が国務省の”特使”としてニューヨークの北朝鮮国連代表部に派遣された。この専門家は北朝鮮側に対し、ブッシュ大統領は外交決着をめざす方針を堅持しているものの、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官らは武力行使を主張しているという米政府内の状況を説明。そのうえで「もし6カ国協議が崩壊した場合、大統領は軍事行動を含む準備をせざるをえない」と攻撃の可能性を明確に伝え、北朝鮮に6カ国協議復帰を強く促した。
(写真 佐世保に入港した米原子力空母「カールビンソン」、朝鮮海域へ)最も近い出撃基地だ)
北朝鮮侵攻計画の詳細は明らかではないが(1)北朝鮮船舶の海上封鎖(2)北朝鮮攻撃を想定した米軍による大規模演習(3)武力攻撃の準備――の3段階からなっているという。作戦計画は平壌周辺の軍事施設、政府関係施設を標的とするミサイル攻撃が中心。寧辺(よんびょん)の核施設への攻撃は見送る。横須賀から米空母、ミサイル搭載の潜水艦を北朝鮮近海に派遣、さらに日本の海上自衛隊による偵察活動とイージス艦の日本海派遣――などが兵力使用の中心となっている。(産経1・5)
これは実話だ。米日政府は6カ国協議の「再開交渉」中に、対北朝鮮戦争の引き金を引こうとしていた。05年の自衛隊と米軍の動きを検証してみる。
4月1日 航空自衛隊浜松基地に新たに飛行警戒管制隊が編成された。早期警戒機E767を運用して北朝鮮、中国、ロシアに対する「空の備え」を強化する目的だ。三沢にあるE2C早期警戒機を運用する飛行警戒管制隊との2隊体制が完成した。これで沖縄の米軍が運用する早期警戒機、韓国・群山基地のU2型戦略偵察機とリンクし、朝鮮半島から中国東北部にいたる広大な地域をカバーすることが可能となった。
さらに茨城県百里基地の偵察機も、リアルタイムで画像を送信できる装置を近代化し、撮影範囲も広がった。半径300キロをカバーする早期警戒機とピンポイントで画像を撮影できる偵察機、さらに偵察衛星も加えて、極東、特に北朝鮮の動きは高い精度で把握できる体制が整った。
4月18日には、九州沖で日米合同の空中給油訓練が初めて実施された。05年に入って以降、空中給油訓練が頻繁に実施されるようになっている。
4月19日、日本防衛庁は、5月2日から始まる米・タイ合同軍事演習「コブラゴールド05」に自衛隊の正式参加を発表した。これに伴い、佐世保と沖縄で第3海兵師団と艦艇が動き始めた。またハワイの第7艦隊の演習参加艦隊も出港した。三沢基地では、緊急離着陸訓練が激しく実施された。さらにニューメキシコ州から、523戦闘飛行隊と27戦闘飛行隊のF16戦闘爆撃機が三沢に展開しているのが確認されている。
4月24日には、イラクに派遣されていた三沢のF16戦闘機6機が帰還した。これで三沢には、戦闘能力向上改修中の1個飛行隊を除いてもF16が50機近くも展開していたことになる。F16の「ブロック50」は地上軍事施設の爆撃能力を持つ。爆撃訓練では、地中貫通爆弾の模擬弾が使われ、露骨に平壌を照準にした訓練が行われた。
4月25日には米原潜「オリンピア」が日本海に展開しているのが確認されている。キティーホーク空母戦闘団は横須賀に停泊し、情報収集艦が頻繁に出入りしている。米海軍イージス艦2隻は、04年から常時日本海に展開し、海上自衛隊のイージス艦1隻も日本海に展開している。さらに、同じく04年からグアム島にB2ステルス爆撃機が常駐するようになった。
総じて、前記の4月22日の段階で、「第1段階」から「第3段階」までのいずれのオプションにも対応できる攻撃態勢が、日本列島全体を攻撃基地にして完成していたのだ。
5月に入って状況はさらに緊迫した。
5月上旬、アメリカ戦略司令部は、北朝鮮とイランを想定した先制核攻撃の図上作戦「グローバル・ライトニング」を実施した。B2ステルス爆撃機や巡航ミサイルをつかい、北朝鮮・イランの20数カ所の戦略拠点を同時に核攻撃するという想定の指揮所演習だ。5月11日にはアメリカ戦略司令部の下に「統合宇宙・全地球作戦司令部」が開設され、作戦活動を開始した。同司令部は核・非核双方の戦力による先制攻撃作戦を遂行する中枢だ。CONPLAN8022(コンセプトプラン)という北朝鮮・イラン先制核攻撃作戦が存在するとされる。
5月中旬、キティーホークが横須賀を出航し日本海に向かった。三沢にはキティの艦載機F18が飛来した。同時に、アメリカ太平洋軍司令部は空母1隻をハワイに追加配備する計画を発表した。このときハワイ沖には、ニミッツ空母打撃群が演習を続けていた。このあとニミッツ空母打撃群は、5月26日にハワイを出航し、9日後の6月4日に上海に入港している。日本海から台湾海峡をにらんで横須賀とハワイに空母打撃群を前進配備するという表明だ。北朝鮮をめぐる軍事的緊張は一挙に上昇した。
さらに5月26日、ダメ押しとしてF117ステルス攻撃機15機の韓国配備が発表された。ステルス攻撃機の韓国配備が、ただの脅しでないことは、この後、在韓米軍が「OPLAN5029」の書き換えを要求した事実に現れている。「北朝鮮が核実験を強行すれば、ただちに攻撃を開始する」と作戦内容の書き換えを国防総省に要求したのだ。北朝鮮が核実験を行った(と、米が判断しただけで)攻撃作戦が発動されるのだ。【※この瞬間、日本政府は周辺事態法または武力攻撃事態法の発動を宣言し成田空港などを占有できる】
この時期、「北朝鮮6月核実験強行」説がまことしやかにメディアに流されていた。前記「5029」作戦に韓国政府は反発している(自らの国土が戦場になる!)が、米軍は押し通す構えだ。「CONPLAN8022」と「OPLAN5029」は完全にリンクしている。
北朝鮮が「核兵器の保有」を宣言したのは05年2月10日だ。米・日・韓国の反応は懐疑的だった。ところが4月24日、ウォールストリート・ジャーナル紙が「北朝鮮が核実験準備に着手。複数のミサイル基地や地下実験用の坑道を掘削」との記事を流した。
プルトニウム型原爆の製造は、原料のプルトニウムがあれば誰でもできるという俗説はウソだ。製造は毒性の非常に強いプルトニウムの抽出、保管など技術的問題が山積する。特に爆発実験なしに保有は空論だ。
【ウラニウム型原爆なら理論どおりに核分裂反応が連鎖するので実証実験は不要とされる。しかしプルトニウム型は、起爆剤のTNT火薬を爆発させるだけでは核分裂に至らない。同時にプルトニウムを爆発の圧力で中心部に集めなければならない。この爆発実験と核爆発の実証実験なしにプルトニウム型原爆の完成はありえないというのが核兵器の常識だ。北朝鮮が原爆製造原料のプルトニウムを抽出したことと、実証実験が準備される事態との間には雲泥の差がある】
北朝鮮が核実験など準備していなかったことは現在では明らかになっている。兵器レベルのプルトニウム保有自体は、北朝鮮自身が「否定しない」という段階だ。重要な点は、米ブッシュ政権が、いつでも口実を設けて北朝鮮に対する先制攻撃を可能とする体制を持ったことである。
これらの動きと並行して、日本政府は米軍再編に伴う日米協議を加速させ、積極的に対応したのだ。日本独自の核武装論がこの過程で極右政治家などから噴出した。いずれにせよ日本列島全土を基地化し、米軍再編にリンクして自衛隊の実戦部隊化が急速に進められている。「専守防衛」では不要だった「先制打撃力」「3自衛隊の統合運用」「長距離移動と即応力」などが強調されるようになったゆえんだ。
北朝鮮への先制攻撃が発動寸前まで緊張したのは、1994年の「核危機」に続いて2回目だ。この戦争を止めることができるのは、日・米・韓国の労働者人民だけである。
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週刊『三里塚』(S696号2面2)(2006/02/01)
(22)
“鉄塔守れ”決戦迫る
開港決戦前夜(上)
10万の労農学共有者に
開港焦る政府、激突は必至
戸村委員長、参院選で23万票を獲得
燃料輸送問題で空港計画は混迷を極めていたが、開港を、という圧力が弱まったわけではない。
74年の後半から、政府運輸省内でも開港にむけた動きが強まっていった。その理由は、空港閣議決定から8年たってもいっこうに進まない計画によって、航空政策に影響が出始めていたことにあった。
(写真 7000人の労農学を集めて、鉄塔決戦への突入を宣言した三里塚全国総決起集会【1975年10月12日】)
74年4月には日中航空協定が締結され、日本―台湾路線は廃止された。当時「成田空港が開港していれば日中線と日台線は羽田と成田ですみわけができた」との批判が上がった。
75年3月に期限を迎える日英航空協定の改定交渉が74年10月に始まったが、国際路線枠の増加には相手国に同じ分を提供しなければならない。この側面からも成田開港の遅れを指摘する圧力が高まったのだ。こうして10月1日、政府・運輸省は「新東京国際空港開港推進本部」を発足させ攻撃を本格化させた。
開港を実現できるかどうかの焦点は燃料輸送問題とならんで岩山大鉄塔を撤去できるかどうかにかかっていた。こうして岩山鉄塔の破壊が、77年の5月までの攻防点として一気に切迫していく。
岩山鉄塔は4000b滑走路の南752bにそびえる高さ62bの巨大な構築物である。鉄塔の周りは畑。しかも滑走路と鉄塔の間は深い谷津田(やつだ=水田)になっており簡単に手を出せる場所ではない。
このため空港公団は、鉄塔を破壊するための重機械を搬入するために、幅7・5b・長さ900bにもなるアスファルト道路を建設し始めたのだ。費用も莫大だ。権力に逆らう者を弾圧するのに金は惜しまない、という人民・農民敵視を象徴するやり方だった。しかし道路が通る水田部分200bを工事するには農地の転用許可が必要になる。鉄塔破壊道路との闘いは農地転用許可を許すか否かという形で始まった。
74年5月17日、公団は同破壊道路を建設するための農地転用申請を芝山町の農業委員会に出した。5月28日、農業委員会は「30日に許可のための会議を開く」と発表した。この会議が、岩山鉄塔破壊阻止の闘いの「序曲」となった。
同日、関係部落である岩山部落が「農地転用反対」の申し入れを行った。「農業委員の中には5人の反対同盟員がいる。かれらを支援する大衆行動を行う」(北原鉱治事務局長)と宣言して、反対同盟は30日、全戸ぐるみ200人の決起で農業委員会を取りまいた。ところが、同委員会は傍聴者も認めず、反対同盟側委員5人の反対を無視して、わずか5分で「農地転用許可」を決めたのだ。「農業委員会はだれのためにあるのか」「農民・農業を破壊する空港開港のための鉄塔破壊に手を貸すのか」
反対同盟の怒りが爆発した。しかし、農業委員会はあらかじめ機動隊を役場庁舎内に待機させていた。反対同盟の抗議を封殺するため中から出てきた機動隊が暴力をふるい始めた。同盟・支援は徹底抗戦で逮捕攻撃(事後逮捕)を恐れず闘った。「71年第2次代執行以来の衝突」(朝日新聞)が再現された。
破壊道路が焦点
萩原進さんも闘争に参加した。「農民を排除して賛成派の農業委員だけで農地転用を許可した暴挙だった。農業委員会の自殺宣言だった」と今でも怒りを語っている。
6月24日、公団は空港の敷地の中に破壊道路造りのための基地建設を開始、26日、ついに道路造りを始めた。そして11月15日までに、12月4日で期限の切れる町の道路占用許可を220日間も延長する申請を行い許可された。マスメディアは「鉄塔撤去は道路占用期間が明ける76年6月か」とキャンペーンした。緊張感がいやましに募っていった。
鉄塔破壊にむけて包囲網を狭めてくる政府・公団に対して、反対同盟と労農学は、現地における闘いと同時に、全国に闘いの輪を広げることをもって迎えうとうとしていた。
鉄塔は72年3月に建てられたがその年の秋、鉄塔共有化運動が開始された。鉄塔共有化運動とは一坪共有運動と同じ趣旨で鉄塔の所有者を一人でも増やし、鉄塔撤去にむけた手続きを煩雑化させようという運動である。73年10月5日の三里塚政治集会では「10万人共有化」が大々的に打ち出され76年の時点で3〜4万人、77年には10万人に迫った、とされた。
74年7月の参議院選挙では全国区に戸村一作委員長を候補に立てて「全国に三里塚を」の合言葉で闘った。5月30日には「世直し大集会」が開かれ、戸村委員長は「三里塚闘争が強いのは労農学が一体となって実力闘争を闘っているから。第2、第3の三里塚を作る」と決意表明した。得票は23万票という巨大なもの。「三里塚陣形の大きさが初めて投票という形で数字で表れた選挙だった。あの数字で得た自信は大きかった」と萩原さんは語ってくれた。三里塚支援陣形は大きく広がり、鉄塔共有化運動もこれによって大きく前進した。
75年に入ると2月20日、二期工事区域での資材輸送道路(横堀―木の根道路)建設工事が着工され、これに対して、反対同盟全戸と現地支援が決起し逮捕者をものともせず闘った。
大臣自ら「買収」
もう一方の懸案であるパイプライン建設でも、公団は同年6月30日の暫定パイプライン工事(成田市)の完成を見込んで、動きを加速させた。
15人目の運輸大臣となる木村睦男自ら燃料貨車輸送に反対していた茨城県、千葉市長、千葉県を訪れ説得と買収工作を強めた。8月29日には茨城県の岩上二郎知事が出していた「輸送は3年間の限定とする」条件を閣議で承認した。
また鹿島町などが要求していた「見返り条件」を次つぎと承認する札束攻勢がくり返された。「空港建設と関係のない条件が多すぎる」という批判も上がったが、政府・公団はなりふりなどかまわってはいられなかったのだ。神栖町議会が10月11日、反対決議を白紙撤回、鹿島町も同調した。
次はいよいよ鉄塔決戦だ。反対同盟は10月12日、三里塚第2公園に7000人の労農学を集めて「鉄塔決戦突入大集会」を開催して戦闘態勢を打ち固めた。
第2次代執行以来の激突は時間の問題となった。(つづく)
●74〜75年強行…
1974〜5年は戦後経済を画する恐慌の年。74年には戦後初めて経済成長がマイナス(1・4l)となり75年には鉱工業生産指数が前年比マイナス11lという大幅な下落を記録した。興人、ミツワ石鹸、旭精工などが倒産した。
また75年11月から12月にかけて公労協、国労、動労、全逓、全電通などが参加したスト権奪還スト(8日間)が闘われた。
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週刊『三里塚』(S696号2面3)(2006/02/01)
三芝百景 三里塚現地日誌 2006
1月11日(水)〜1月24日(火)
●民間空港を強制動員 政府は周辺事態法を改悪して、民間空港・港湾を米軍や自衛隊に提供する軍事的動員について、強制力を持たせる法改悪の検討に入った、との報道。年内にも改悪案を国会に提出するという。成田空港の軍事基地化がさらに切迫する。(11日)
●婦民の旗びらきに鈴木いとさん 東京都京橋区民館で行われた婦人民主クラブ全国協議会の旗びらきに反対同盟の婦人行動隊から鈴木いとさんが参加して連帯のあいさつを行った。(15日)
●脱落派元代表が裏切り 脱落派の元代表・熱田一が所有地および一坪共有地をすべて空港会社に売り払い、移転するつもりであることが判明した。本来反対同盟の所有である一坪共有地まで売り払って移転する裏切り行為に、反対同盟から弾劾の声が上がっている。(15日)
●JALに事故防止策再提出指示 国土交通省は、日本航空が昨年4月に事故防止策を提出した以降も重大事故がつづいているため、防止策の再提出を指示した、との報道。防止策の再提出指示は前代身聞。(16日)
●陸自・東部方面隊に編成命令 額賀福志郎防衛庁長官は、陸上自衛隊の今村功東部方面総監に対して第9次イラク復興支援群の編成命令を出した。同方面隊は27日に隊旗授与式、28日に成田からイラクへ出発する予定だ。成田の軍事化を許すな。(19日)
●羽田再拡張で県が意見具申へ 千葉県環境影響評価委員会は羽田の再拡張事業に関して国のまとめた評価準備書に対する意見を堂本暁子知事に提出した。騒音影響を小さくするコース設定や低騒音型の航空機使用を求めている。これを元に県が意見具申する予定。(20日)
●成田空港、大雪で大混乱
大雪で成田空港は機能がストップし、1万人以上が空港内で寝泊りした。この混乱は単に天候問題によるものだけではなく、欠航や出発便の連絡の遅れ、除雪のまずさなどの「人災」が加わったものだ。(21日)
●都政を革新する会、動労水戸の旗びらきへ 東京・杉並で開かれた都政を革新する会の旗びらきに反対同盟から市東孝雄さん、鈴木謙太郎さん、萩原富夫さんがかけつけた。茨城県水戸市で行われた動労水戸の旗びらきには伊藤信晴さんが参加して労農連帯の絆を深めた。(22日=写真)
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週刊『三里塚』(S696号2面4)(2006/02/01)
一坪裁判証言より 鷲見一夫さん
成田の闘い光輝く アジアの農民「がんばる勇気もらった」
一坪共有地強奪裁判で昨年9月14日から同盟側の証人質問が開始された。最初に、前新潟大学教授の鷲見一夫さんが、成田空港建設そのものを告発する証言を行った。以下紹介する。
私の専門は環境国際法です。ODA援助や世界銀行、輸出入銀行、経済協力開発機構などによる「途上国援助」の実態を告発することが大切な仕事です。
60年代、70年代までは「援助」と称してその国の腐敗した政権に取り入って、日本企業の受注を目指す利権がらみのやり方が横行してきました。
インドネシアにおけるコトパンジャン開発などはその典型でした。莫大な電力が必要だということで同ダムが、日本輸出入銀行の援助で造られたのですが、住民は大量の電力など必要としていなかった。調べて見ると要するにスハルトファミリーのプランテーションに使う電力だということが分かった。スハルト政権に取り入るためのダム建設だったのです。
しかし80年代から90年代にかけて、援助のあり方に大きな批判がまき起こって、ガイドラインがつくられるようになった。その中で一番重要なものは住民の移住を必要とする開発はやらない、という基準です。
仮に立ち退かされる住民が納得しなければ、訴え出るパネル(委員会)なども世界銀行内に設置された。
さらにランド・フォー・ランド原則という基準も設けられました。住民を立ち退かせる場合には同じ面積と同じ肥沃度の土地を別に用意してそこに移住させなければいけないという原則です。
途上国の農民たちには金銭補償しても意味ないんですね。暮らしていくすべが奪われちゃってるわけですから。従って別の場所で以前と同様の農業がやれるように補償することが義務付けられている。
これと比較して成田空港建設の場合を見ると、途上国以下ですね。そもそも住民の意思が問われたことは1度もない。訴え出るパネルもない。
これは、もう「途上国開発援助」以下とも言うべきひどい驚くべきやり方です。
インドネシアのクドンボダムでもひどいやり方が行われている。1989年1月16日に、1500世帯、7000人がまだ残っているのにダムの水を張り始めた。日本の間組がやっている。
成田の暫定滑走路で農家の頭上40bにジェット機を飛ばすなどというとんでもないことをやっていますが、同じ暴挙です。
ところが現地の住民はみんな成田の闘いのことを知っている。「あの近代国家の日本で農民が抵抗しているのだからおれたちががんばれないはずはない」という勇気も彼らに与えているのです。成田闘争は彼らにとって希望の星です。
このダムの例では日本輸出入銀行の部長が「成田では強制収用やったんだから、途上国でやっていもいいんだ」なんていう暴言を吐いたことがあったから怒ってやった。「冗談じゃない。なんてことを言うんだ。成田でやったこと自体が問題なんだ」と。
(つづく=次々号に掲載)
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