SANRIZUKA 2005/12/01(No692 p02)

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第692号の目次

成田グリーンパークの違法転用策動を現場で弾劾する反対同盟と労農学(11月20日 成田市十余三)

1面の画像
(1面)
NAA、違法転用を画策  処分場問題「北延伸」最大の難関に
市長は回答を拒否  反対同盟公開質問 「会社とグルなのか」
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空港会社の「官製談合」とは
40年来の汚職天国=成田空港  県警、一切捜査せず
摘発で戸惑う“共犯者”たち  NAA箝口令?!「北延伸」も談合の巣
記事を読む
「協議中に回答できぬ」
公開質問に回答 市の住民無視変わらず
記事を読む
ピンスポット 「共有地は組合有、売買は無効」
2人の法学者証言
一坪裁判 空港建設公共性なし
記事を読む
 コラム 団結街道 記事を読む
闘いの言葉 記事を読む
(2面)
前進するイラク・レジスタンス  新憲法「モスルで賛成票はなかった!」
「テロリストから解放?」 市民全員が拒否
遂にシリアを越境攻撃/敗退に向かう米軍
記事を読む
蘇るむしろ旗 三里塚闘争40の真実(19)
壮絶遺書「権力が憎い…」  東峰十字路弾圧
空前の弾圧始まる  9・16闘争 地元青年軒並み逮捕
国家権力の重圧を乗り越える道筋とは?
記事を読む
三芝百景 三里塚現地日誌 2005  11月10日(木)〜11月23日(水) 記事を読む

週刊『三里塚』(S692号1面1)(2005/12/01)

 NAA、違法転用を画策

 処分場問題「北延伸」最大の難関に

 市長は回答を拒否

 反対同盟公開質問 「会社とグルなのか」

 反対同盟は11月20日、「東峰の森破壊攻撃粉砕、クリーンパークの違法転用許すな、陸上自衛隊東部方面隊のイラク派兵阻止」をかかげて三里塚現地闘争を闘った。行動には首都圏の労農学120人が集まり、次つぎと破たんを露呈する暫定滑走路北延伸攻撃と対決する決意を明らかにした。デモでは焦点になっている成田クリーンパーク(一般廃棄物処分場)の現場まで行進し、その後クリーンパーク、東峰の森の現地調査を行った。クリーンパークの違法転用へ悪知恵をこらしている空港会社と成田市を許すな。北延伸攻撃粉砕へさらに力を合わせよう。

 11・20闘争 「厳重に監視する」

 闘いの焦点は暫定滑走路が北側に延伸された場合に進入灯の建設予定地になる成田クリーンパークの違法転用問題だった。反対同盟の呼びかけに応え、動労千葉、婦人民主クラブ全国協議会など首都圏の闘う仲間が「廃棄物処理法に違反する転用を許さぬ」と東京、神奈川などから集まった。
(写真 成田グリーンパークの違法転用策動を現場で弾劾する反対同盟と労農学【11月20日 成田市十余三】)
 市東孝雄さん宅南側の開拓道路で集会が始まった。冒頭北原鉱治事務局長があいさつに立った。「われわれはクリーンパーク問題で11月9日に成田市に公開質問状を出した。その回答が15日に届けられたが『空港会社と協議中なので答えられない』との回答ならざる回答だった。要するに彼らは廃棄物処理法のすりぬけを画策しているのだ。なぜなら、クリーンパークを空港用地に転用するには、同所の土壌が安全になり環境を汚さない状態になるまで待たなければならない。通常5年くらいかかると言われている。しかしそれでは北延伸に間に合わない。だから処理法をすりぬける方法を彼らは『協議』しているのだ。われわれはクリーンパークがある十余三地域住民とも連帯して、違法転用を許さない闘いを展開する」「また新誘導路を造るためには東峰の森を切らなければならない。断固反対して闘う」と北延伸攻撃と対決する決意を訴えた。
 さらに事務局長はイラク情勢、国際情勢にも触れ「イラクでは毎日のように民衆が虐殺されている。自衛隊は人殺しの手助けに行っているのだ」「先日労働者による国際連帯の集会に参加したが日米韓の労働者が一つになって戦争を止めようと声をあげるところまで運動は前進しているのを実感した」と声を張り上げ、「05年も終わる。反対同盟は一歩も引かずに生きる権利を主張していく。若い諸君は今の時代をしっかり見つめ未来のために闘ってほしい」と激励の言葉でしめくくった。
 次に動労千葉の後藤俊哉特別執行委員が「11月6日に4600名を集める集会を大成功させた。4600名の裏には10万、100万、1000万の労働者がいる。国際連帯を強めて闘って行きたい」とあいさつした。

 「法順守なら5、6年」 市東さん報告

 さらに、婦人民主クラブの鶴田ひさ子さんは「無理が通れば道理が引っ込むというやり方を小泉政権はやってきている。反対とはっきりを言う勢力がいないためにのさばっている。11・6の国際連帯集会を見ていてもそう思った。韓国に12日、13日と行って来た。労働者の声、農民の声、抑圧・差別された人の声は一つ。座間基地でも3200人の人間の鎖でとりまいた。三里塚のような絶対反対の闘いが世の中を変えていく」と発言、小泉政権の<戦争と民営化〉攻撃に対決する三里塚の闘いの意義を指摘してくれた。
(写真 敷地内天神峰の市東孝雄さん宅南側開拓道路でシュプレヒコールをあげる集会参加者)
 共闘団体の発言では全学連の織田陽介委員長が「三里塚闘争は健在だ。ブッシュ―小泉会談を弾劾する京都闘争を爆発させた」「日本の反戦の砦・三里塚を先頭にブッシュ―小泉の戦争政治に反撃していこう」とアピールした。
 発言の最後に三里塚野戦病院の大熊寿年さんが裁判闘争報告を行った。司会の伊藤信晴さんが、1月にも自衛隊の東部方面隊が成田からイラクに派兵される情勢に警鐘を乱打した。一同はシュプレヒコールを行い、天神峰から成田クリーンパークにいたる3・5キロのデモをやりぬいた。

 2カ所現地調査

 クリーンパークでは市東孝雄さんが解説した。「ここは成田市の一般廃棄物処理場で有毒な焼却灰が埋まっている。空港会社が画策する北延伸を行うためにはここに進入灯を立てなければならない。また滑走路北端から数十bの至近距離になるため平らにする必要がある。だから処分場を廃止して転用しなければならないが、法律どおりやろうとすると5年も6年もかかって羽田の空港拡張(09年)に先を越されてしまいます。そこで法律のすりぬけを会社と成田市が協議していますが反対同盟は許しません」との明快な話に一同うなずいていた。
 デモはここで終了し、次に東峰の森の現地調査に向かった。場所は10月の全国集会が行われた萩原進さん宅通称”清水の畑”の東側。萩原富夫さんが解説のマイクをとった。「この畑から向うの大きな木が見える一坪共有地の間を東側新誘導路が通る計画ですが、そもそも非常に狭くてジャンボ機が通れるかどうか怪しい。さらに東峰の森は会社側から未来永劫残したいと申し入れてきた森です。それを今になって切り倒すという。しかもこのへんは『峰』という地名がついているように、一番高くなっている場所だ。そこの森が切り倒されると環境への影響も甚大だ。また清水の畑は空港の中になってしまう。畑にどうやって行けばいいのか、ということまで心配している。結局北延伸は実質的な意味はなくて、脅して反対同盟をつぶすという攻撃です。みなさんの支援も得て北延伸攻撃は絶対に許さない」と話した。
 現地調査参加者は、北延伸のデタラメぶりと破たん性を実感していた。最後に全体で05年末から2006年の三里塚闘争にさらに力を傾けることを確認して現地闘争をしめくくった。

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週刊『三里塚』(S692号1面2)(2005/12/01)

 空港会社の「官製談合」とは

 40年来の汚職天国=成田空港

 県警、一切捜査せず

 摘発で戸惑う“共犯者”たち

 NAA箝口令?!「北延伸」も談合の巣

 旧・空港公団(現NAA=成田空港会社)が発注した工事をめぐる官製談合事件が発覚し、東京地検特捜部がNAA本社や受注した重電企業の家宅捜索に入る事態に発展した。過去40年にわたる膨大な空港工事で、公団の野放図な汚職は常識だったが、警察も検察も「空港反対派を利する?」との理由で事実を隠し、一切の捜査を拒んできた歴史がある。いわば共犯者である彼らが、この期に及んで”摘発”に動いた背景は何か? 民営会社移行後の今も横行する「成田の不正」の実態とは?
(写真 成田の談合事件でこの期に及んで家宅捜索に入る東京地検特捜部)
 今回摘発された談合は、2003年11月7日に実施された受変電設備工事の指名競争入札。東芝や三菱電機など6社が参加し、日新電機が落札率(予定価格に対する落札価格の割合)97・8パーセントの高率で受注していた。捜索を受けた複数のメーカー担当者がすでに受注調整の存在を認めているという。
 談合を取り仕切っていたのは発注側の旧空港公団の工務部電気課長。談合で決まった工事ごとの受注予定企業を記した「配分表」作成の事実も認めているとされる。多額の収賄も発覚したようで、東京地検特捜部もNAA本社や幹部社員宅の強制捜査に動くなど、事件の解明に乗り出す以外になくなった格好だ。
 NAAの幹部は「配分表」の存在など言い逃れの利かない事実が明るみに出たにもかかわらず、マスコミの取材に対し「どうしても信じられない」などと白を切っているが見苦しい限りだ。同社の黒野社長は「民営化後は、透明な経営に取り組んできたが…」などと、民営化以前は官製談合があったと事実上認めるような発言をしている。
 ただし、民営化後の成田空港会社が、旧公団のたかり体質からわずか一年で脱却できるなどとは絵空事だ。現在NAAが暫定滑走路の「北延伸」を決定し、業者を選定中だが、当たり前のように談合は続いている。工務部の”仕切り”も当然のように生きている。業界を問わず、公共工事での業者間の談合は不文律とすらいえるほどの常識だ。発注者側が民営化した後は「賄賂(わいろ)」という概念がなくなるだけで、同じことが背任・横領などの形でまかり通っている。
 問題は、空港公団時代から長い間に定着した”たかり”体質だ。02年に零細な貸し布団業者から公団の発注担当者が賄賂を受け、その金で何度もフィリピンへの遊興旅行に出かけていた事件が発覚したことがある。機動隊宿舎への貸し布団提供をめぐる収賄だが、公団ではこんな末端の零細業者にまで”たかる”体質が蔓延(まんえん)していた。あまりの腐敗ぶりにあきれた関係者の密告で事件になったが、40年にわたって巨額予算をつぎ込んだ空港建設の歴史で、贈収賄が事件になったのはこの「貸し布団汚職」というゴミのような事件の1件だけだ。
 空港本体の工事で、大ゼネコンを中心に空港公団側の官製談合が蔓延していたことは常識中の常識だった。しかし警察も検察も成田では絶対に動こうとしなかった。「空港反対派を利する」という理由からだ。
 それ故、空港公団は「汚職天国」と呼ばれていた。どのような汚職をやっても捜査が入らないからだ。腐敗するのは当然の成り行きだった。今回の官製談合発覚でも、東京の地検特捜部は動いても、千葉県警は完全に傍観を決め込んでいることがその証左だ。彼らは公団以来の汚職構造を知り尽くしており、その気になればNAA幹部は軒並みお縄頂戴となる。しかし県警は絶対に動かない。成田空港とはそういう所なのだ。
 今回の事件発覚は、防衛施設庁発注の電機設備工事の談合事件を東京地検特捜部が追っていた過程で、ある1社が官製談合と一目で分かる公団作成の「配分表」を任意提出したことから発覚したものだ。捜索を受けたメーカーのある幹部は「任意捜査なのに、なぜ提出したのだ」などと怒りをあらわにしているそうだが、それ以上に「とんだとばっちり」と戸惑っているのは成田を管轄している千葉県警だろう。彼らは40年にわたって空港公団がやりたい放題を尽くしてきた汚職構造をひた隠しにしてきた、いわば共犯者なのだ。

 黒野社長は事件後、堂本千葉県知事に電話で「北延伸に影響がでないよう、十分に注意したい」と話したそうだが論外だ。「透明な経営」をうたうのならば、NAAが現在、社内に厳重な箝口(かんこう)令を敷いてまで情報漏れ防止に躍起になっている理由を聞きたいものだ。そして千葉県警はなぜこれほどの事件を傍観しているのか。「空港反対派を利する」故に”身内”をかばう体質は何も変わっていないではないか。これも大問題であり、監督者たる堂本千葉県知事の姿勢も今後大いに問われるところだ。
 結論。ここまで腐敗したNAAや千葉県に北延伸工事を云々(うんぬん)する資格はかけらもない。黒野社長を筆頭に、すべての幹部職員は退陣せよ! 黒い霧に包まれた「北延伸」工事はすべて撤回せよ! 共犯者の県警と堂本知事が今後も傍観を続けることも断じて許されない。

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週刊『三里塚』(S692号1面3)(2005/12/01)

 「協議中に回答できぬ」

 公開質問に回答 市の住民無視変わらず

 成田クリーンパークの転用問題で反対同盟が成田市長あてに出していた公開質問状への回答が11月15日にあった。内容は「空港会社と協議中につき回答できません」というもの。「協議しているというなら中身を明らかにすべきだ」「法に従って処理すればいい話で協議など必要ない」「変わらぬ住民無視を許してはならない」など怒りの声が反対同盟からあがっている。
(写真 クリーンパーク入り口で現地調査。マイク近くで説明しているのは市東孝雄さん)
 空港会社と市は何とか廃棄物処理法をすり抜ける違法転用の道を探しているのだ。北部住民と力を合わせて「違法転用許すな」の声を拡大しよう。
 ここでクリーンパークの転用問題を整理しておく。発端は暫定滑走路を北側に延長するとクリーンパークが空港の保安施設用地にかかってしまうという問題だった。4万2千平方bのうち3万7千平方bが空港会社の土地であったため、会社は市に用地の明け渡しを求めた。ところがここで廃棄物処理法が関係してくる。借地であってもいったん廃棄物最終処分場になると簡単には廃止できず、廃止できないと他の用途への転用もできないのだ。同法9条の第5項は「当該最終処分場の状況が環境省令で定めた基準に適合しているときに限り廃止することができる」と規定している。
 つまり、最終処分場の埋め立てを終了あるいは途中で閉鎖しても、周辺の水質検査などで安全基準に合格しなければ、処分場の廃止はできないということだ。他の施設への転用もできない。クリーンパークではまさにこの点が問題になっている。
 焦点は安全基準の合格=廃止の承認にかかる時間の長さだ。クリーンパークのように、焼却灰などダイオキシンを含んだ猛毒の廃棄物が埋められている場合、自然力による浄化を待つためには最低でも5年から6年かかると言われている。これでは2009年完成を公言する北側延伸計画に間に合わない。だからこの件を報道した商業紙は「廃止の場合、手続き期間などから埋め立て物の全量撤去が現実的だ」と書いた。
 だがその「全量撤去」にしても「撤去物の高温溶融などが必要だ」となっている。埋まっている廃棄物は12万立方b。10dダンプ1万2千台分だ。それも高温で溶かさなければならない。ではどこへ移すのか。埋める場所に困って空港騒音直下に処分場を持ってきたのだ。移す場所などない。
 結局空港会社と市は違法な覆土(土をかぶせる)で違法転用を強行しようとしている。これは十余三地区の地下水汚染を引き起こし北部住民の生命を危険にさらすことだ。クリーンパークの違法転用を北部住民と力を合わせて粉砕しよう。

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週刊『三里塚』(S692号1面4)(2005/12/01)

ピンスポット 「共有地は組合有、売買は無効」

 2人の法学者証言

 一坪裁判 空港建設公共性なし

空港内の一坪共有地に立ち入り調査する反対同盟と弁護団(05年2月)

 空港会社が反対同盟の一坪共有地を強奪するために提訴した一坪共有地裁判の弁論が11月16日、千葉地裁で行われ、反対同盟側証人として福井県立大学教授の清水和邦さんと憲法学者の萩原重夫さんが証言した。
 清水さんは、一坪共有地が「三里塚周辺に土地を持つ会」の組合的合有であるから勝手に個人で分割したり売買することは法律で禁じられており、空港会社が買収したとしていることは明確に組合的合有を破壊する行為であることを立証した。
 萩原さんは「公共性」は本来憲法が保障した平和と民主主義と基本的人権を尊重した「市民的公共性」でなければならないとし、この点で、成田空港建設に公共性が備わっているとはとても言えないことを全面的に明らかにした。そして本件提訴自体が間違いであること、まるで悪代官が農民の土地を取り上げるやり方と同じだとしめくくった。裁判は次回3月1日に最後の弁論が行われる。傍聴に集まろう。

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週刊『三里塚』(S692号1面5)(2005/12/01)

団結街道

 米国産牛肉の輸入再開が秒読みに入った。農水相時代に「全頭検査」を実施した自民幹事長曰く「牛丼を食べたいという消費者の意向も大事だ」「農の構造改革」を支配階級の言葉で表現すると「消費者第一のフードシステム」だ。「消費者に軸足をおいた農政」ともいう。言葉は便利だ。生産者(農業者)がどうなるかは隠され「消費者の利益」が重要だと食べたいものを食べる。一見当たり前だが果たして正しいか? 筆者も若い頃、随分牛丼のお世話になった。しかし何かが違う。あの牛丼の味を「覚えさせられた」頃から肉が結構安くなった。牛肉の輸入は激増、日本の畜産業者は次々と消えた。その結末がBSE問題だ「農の構造改革」で、財界は日本の農業者は退場せよという。中国や北米で自動車が売れなくなったら国が滅びる。ゆえにこの際、安い輸入農産物を全部受け入れ、国内の農業がつぶれることには目をつぶれという自動車やIT製品が売れなければ国が滅びる? 杜甫は「国破れて山河あり」と詠んだが、国が破れて山河があるのではない。国が破れようが破れまいがそこには日々の庶民の暮らしがある。実は国家が庶民の暮らしの幸せを保証したことはないのだ。この歴史を忘れてはならない▼「食」という命の源が破壊されている。今こそ「自動車が売れる幸せな国」というスローガンを葬り去ろう。《一握りの億万長者のおこぼれにあずかろう》という小泉・竹中「構造改革」と決別しよう。人びとが助け合いながら働いて生きていくという人間社会の原点を見つめ直す時だ。

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週刊『三里塚』(S692号1面6)(2005/12/01)

 闘いの言葉

 非正規職と正規職、中小と大工場、事務職と工場労働者、下請けと元請けの区別はもはやない。労働者階級の名の下に連帯しよう。
 11月13日 韓国民主労総チョンジェファン非常対策委委員長

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週刊『三里塚』(S692号2面1)(2005/12/01)

 前進するイラク・レジスタンス

 新憲法「モスルで賛成票はなかった!」

 「テロリストから解放?」 市民全員が拒否

 遂にシリアを越境攻撃/敗退に向かう米軍

 反米サドル派が急増 バスラ 警官の半分がマフディ軍

■米軍機、ついにシリアを侵犯
 11月5日、米軍はシリアとの国境周辺で今年5度目の大規模な軍事作戦を開始した。「アイアン・カーテン」(鉄のカーテン)と命名された作戦は、アル・カイムとその周辺の村落を徹底的に破壊し、「新都市計画」(完全に破壊して新地に戻す)に沿って米軍の支配秩序を打ち立てることが目的とされた。
 早朝、米軍の爆撃と砲撃が開始された。最初の攻撃目標はライフライン。すなわち飲料水と電気だ。“破壊と恐怖”によってレジスタンスの戦闘意志を奪おうという作戦だ。まる半日の砲・爆撃のあと米軍とカイライ軍の地上攻撃が始まった。作戦に動員された部隊は、米軍が海兵隊、陸軍空挺部隊、特殊部隊のデルタ(陸軍)とシール(海軍)である。
 さらに、地中海とペルシャ湾に展開中の空母艦隊からF18戦闘攻撃機、空軍からF16戦闘機と地上連絡班が参加した。カイライ軍は3個大隊をバクダッドから動員したとされる。イスラムメモとアル・ジャジーラ(AJ)によれば、発表された部隊動員数は米軍2500人、カイライ軍1000人だが、実際はその3倍、1万人以上の部隊が投入された。報道陣はすべて排除され、米軍御用放送の「アル・イアラキーヤ」のみが従軍を許可された。
 レジスタンスは、一昨年3月の米軍の侵攻以来、すべての武装抵抗グループが統一した司令部の下で戦う体制づくりを模索し、大いなる前進を遂げている。歴戦のつわものがアル・カイムとその周辺に配置についた。最強のレジスタンス部隊が待ち伏せる中、米軍は侵攻を開始した。
 「都市ゲリラ戦の厄介な問題は、敵がまったっく見えないことだ」(英軍S&S)。徹底的に破壊され無人のはずの建物や物陰から、米軍に対して銃撃が起きる。地雷を踏んで突然車両が爆発する。実際の戦いは意外と静かだが、一発の銃声や爆発音で確実に米兵が倒れる。町の中心部に進出するのは簡単だが、制圧はできない。それが現在のイラクだ。
 6日、米軍は遂にシリア国境を侵犯し、シリア領内の携帯電話用の無線塔を航空攻撃で破壊した。レジスタンスが携帯電話で部隊に指示を出しているというのが口実だ。
 しかし作戦は一線を越えた。朝鮮戦争では米軍が中国領内を爆撃したあとどうなったか? ベトナム戦争でカンボジアを爆撃した後は? 歴史が証明した事実は米軍の無惨な敗退の始まりである。解放軍の補給線はより強化され、米軍は疲弊し撤退したのである。
 現在イラクには、開戦以来最大の16万2千人の部隊が駐留している。クウェートや他の湾岸諸国に3万5000人、アフガニスタンとその周辺に2万人、海軍や空軍を合わせると実に30万人に及ぶ部隊が駐留している。戦域がシリアにまで拡大すれば、部隊はもっと必要になる。ベトナム戦争では最大54万人の部隊が戦域に釘付けとなった。孤立した米軍は残忍さを増し、アメリカ帝国主義は世界から激しい非難にさらされ、全世界の反戦闘争が燃え上がり、兵士は麻薬に走り、部隊は崩壊、ついに米軍は敗退に追い込まれた。
 あれから30年、湾岸戦争(1990〜91年)で「ベトナムの教訓」が実ったなどと豪語していた米軍は、いままたイラクで同じ轍(てつ)を踏んでいる。
 アル・カイムでの戦闘は、レジスタンスが任務を完了し撤退した10日まで続いた。米軍は、「制圧」後、夜間外出禁止令を全市に適用し子供まで拘束した。カイライ市長と議員が探し出され職務復帰を要請されたが、誰も承諾しなかった。焦った米軍は、何と彼らを拘束したのである。
 「市内をテロリストから開放した」のではないのか? にもかかわらず、住民たちはこれを拒否した。血まみれの「都市再生計画」を誰が受け入れることができるだろうか。それはアル・カイム市の滅亡だ。
 米軍はアル・カイムで今度は敵に包囲される結果となった。シリア国境の制圧という軍事目的は達成できなかった。米軍のイラク全土制圧は絶対に不可能であることが徹底的に証明されたのである。
 この戦闘中、市内の2つの病院は救急医療活動を決死の覚悟で続けた。2台の救急車が米軍に破壊され、多くの救急隊員が傷ついたが、最後まで病院を護り負傷者を治療した。その勇気と自己犠牲は、イラク全土の感動を呼び起こしている。
(写真 レジスタンスの攻撃で吹き飛び破壊された米海兵隊の水陸両用装甲車)

■モスル―怒りの町
 10月25日、憲法国民投票の結果が発表された。モスルを州都とするニネベ州が3分の2以上の反対票を出せば、イラクの分割支配をもくろむ新憲法は否決されることになっていた。
 「発表」された結果は、55%が反対票だが、3分の2には達せず、新憲法は「承認された」ことになった。しかしモスル市民は、この結果をまったく受け入れない。報道機関もAJだけでなく、APもロイターも「モスルでは、反対が圧倒的だった」と報道した。選挙管理委員会も「モスルで賛成票はない!」と言い切っていた。
 ニネベ州の人口は約220万人だが、そのうち約170万人がモスルとその周辺に集中している。モスルが反対なら、ニネベ州は新憲法を明確に否認したのだ。さらに、アッシリア・キリスト教徒35万人も全員が新憲法に反対した。クルド民族は人口の6%に過ぎない。(※モスルはクルド地域だという誤解がある)
 10月30日、ついに怒りが爆発した。スンニ派とクルド民族の部族が、共同で警官と共に「警察署長解任反対」を掲げてデモを実施したのである。それだけなら他の都市でもよくあるデモだが、彼らは「要求が受け入れられなければ、レジスタンスに合流する」と公然と宣言した。
 04年11月、ファルージャと共に米軍の大規模作戦によって「解放」されたモスルは、米軍とペシャメルガ(クルド民兵組織。「決死隊」の意味)によって支配されてきた。しかし新憲法のペテンによって、再び170万の大都市がレジスタンス支持に傾き始めたのである。しかも占領反対派のクルド人民もこれに加わったのだ。
 さらに、米軍によって徹底的に破壊されたタル・アファルの町が、まるで魔法のようにレジスタンスの町としてよみがえった。モスル、タル・アファルという戦略要地の喪失は、キルクークの孤立につながり、アンバル州、サラアドディン州、タミーム州、ニネベ州、ダフク州がイラク人民によって開放されることにつながるのである。
 しかも石油生産の要衝である南部諸州も予断を許さない情勢に突入している!

■サドル派、南部で急増
 南部でのシーア派内の対立がますます明らかになってきた。サドル派などの反米強硬派が急激に勢力を増しているからだ。バグダッドのサドルシティーやバスラでは、警官の半分がマフディー軍(サドル派民兵)の若者だ。サマワ、ナジャフ、クーファでも若者が続々と反米武装戦線に加わっている。イラク・イスラム革命最高評議会やダアワ党などの親米シーア派は、巻き返しのために、米・英軍と協力して意図的にスンニ派の若者を拘束して対立をあおり、「占領軍の撤退」という共通の政治綱領でスンニ派と反米シーア派が団結することを妨げている。
 だが、親米シーア派内も一致しているわけではない。シーア派最高権威のアヤトッラー・シスタニー師が、12月15日の総選挙で、統一シーア派を支持しないと宣言したのだ。1月に成立したシーア派とクルド政党による移行政府は、イラク人にまったく支持されず。何の成果もあげられなかった、というのが「支持しない」理由だとされる。
 アメリカ帝国主義も、一度は見切りをつけたイラク国民会議のチャラビ(現副首相兼石油相)やイラク国民合意党のアラウィ(暫定政府の首相)などと相次いで会談した。
 アメリカ帝国主義にとって衝撃的な事件も起きた。イラク現地では、事実上バドル旅団(シスタニー師派の武装組織)の司令部と化している内務省に、米軍が突入し、今まで黙認していた「私設刑務所」を摘発する事態となった。バドル旅団の勝手な軍事行動が、米軍の思惑と許容範囲を超えてしまったのだ。これは米軍の側からイラク占領をめぐる力関係の劇的な変化を認める結果ともなった。
 こうしてイラク解放に向けた激動は、ますます米・英・日・伊帝国主義を追いつめているのである。

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週刊『三里塚』(S692号2面2)(2005/12/01)

 蘇るむしろ旗 三里塚闘争40の真実(19)

 壮絶遺書「権力が憎い…」

 東峰十字路弾圧

 空前の弾圧始まる

 9・16闘争 地元青年軒並み逮捕

 国家権力の重圧を乗り越える道筋とは?

 第2次代執行阻止の1971年9・16〜9・20闘争の粉塵も鎮まらぬ10月1日、青年行動隊の三ノ宮文男さんが自ら命を絶った。
 三ノ宮さんは死の前日、田んぼからひとりで稲束をトラックで運び、庭先にきちんと積み上げ父母と一緒に脱穀作業を終わらせた。「家人の誰も死ぬなんてことは予測できなかった」と証言した。
(写真 三ノ宮さんが抗議自殺した翌日、県庁で友納知事を弾劾する反対同盟)
 文男さんは遺書を残している。「空港をこの地にもってきたものを憎む。反対同盟、婦人行動隊、老人行動隊、そして我らが青年行動隊がんばって下さい。なにが何でも空港を粉砕するまでがんばってください」「空港さえ来なかったら俺も嫁でももらって好きな百姓ができたであろうに。権力が憎い」「もっとも人間らしく生きようとする人間がなんで非人間的にあつかわれるのかな」「三里塚空港粉砕! 最後まで三里塚に生きつづけて下さい…夜更 三ノ宮文男」。
 享年22歳であった。自分の部屋にはきれいに塗り替えられた「青行隊」の文字の白ヘルメットが置かれていた。「俺がいったら青行隊の旗で巻いてくれ」(遺書)と書き残した言葉に従って、文男さんは6年の闘いを象徴する青行隊旗に包まれ屋敷に安置された。
 “農民殺しの三里塚空港だ”と反対同盟が叫んできたとおりの悲劇が現実となってしまった。遺書が語っるように三ノ宮さんは自らの命に変えて空港建設に抗議したのだ。
 同盟の怒りは爆発した。「文男は佐藤(首相)と友納(知事)に殺された」。翌2日、反対同盟は千葉県庁に押しかけ県庁前で弾劾集会。さらに庁舎内に乗り込んで友納武人知事を引きずり出し、火の出るような弾劾行動を行った。
 「この遺書を読んでどう思う」「これでもまだ空港建設を続けるのか!」「建設を今すぐやめることが文男の死に報いる道だ」と激しく追及した。友納は「空港建設は国の事業。県に言われても」と言い逃れ、警官に守られて逃亡した。
 3日に行われた同盟葬には2000人が参列した。全学連三里塚現闘は「三ノ宮君の遺志に応え空港闘争勝利で復讐する」との追悼文を捧げ「北総農民の決起、大合流はいまや現実のものになった。間違いなく三里塚闘争は勝利をめざす高みに立っている」「全学連現闘は三ノ宮君の執念に学び遺志に応えて何が何でも空港実力粉砕を期す」と誓った。墓標には上から下まで「空港絶対反対」のハチマキが巻かれた。

 大規模な弾圧迫る

 この頃、警察庁と千葉県警は9・16東峰十字路事件を利用して、反対同盟を根元から壊滅させる弾圧作戦を練っていた。一家の働き手である青年行動隊および20歳代の同盟員をでっち上げで全員逮捕し、“国家に楯突くことの恐ろしさ”を身をもって分からせようとの一大フレームアップを準備していたのだ。
 その作戦は太平洋戦争の開始日であった12月8日に発動された。菱田地区辺田、中郷を数百の機動隊が蹂りんし、別件無差別で青年行動隊9人を逮捕し去った。9・16当日は大木よね方の防衛を担当していた敷地内農民の若者2人も見込み逮捕され奪い去られた。
 暮れも押し詰まった12月29日には2度目の一斉逮捕が始まり、10人が連れ去られた。こうした弾圧は1972年9月6日まで実に15次にわたってくり返され、支援者を含め延べ122人が逮捕された。この中には少年も多く、うち3人は2度も引っ張られた。
 最終的には、反対同盟の子弟30人を含む55人が傷害致死罪、凶器準備集合在などで起訴された。これは三里塚闘争の中でも空前の弾圧だった。
 深刻な動揺が反対同盟を襲った。マスコミ各社もうって代わって反対同盟バッシングに転じた。農家の後継者が数十日単位で身柄を拘束されたのだ。彼らは一家の労働力の中心だ。事態は深刻だった。
 起訴の罪状は傷害致死罪。最高刑は懲役15年。裁判も長期間となだろう。有罪となり10年型の懲役になったら一家はどうなるか。いくつもの不安が菱田地区をはじめとした反対同盟農家に押し寄せた。
 北原鉱治事務局長も著書で語っている。「農家の後継者が逮捕されることは深刻なことで、家族の不安と動揺が広がった。『弾圧がつづいたら生活の保障をどうしてくれるんだ』『せがれが10年も刑務所にぶちこまれたどうなる』」「政府へのやるかたない怒りと家族にどう答えるべきか悩みました。眠られぬ夜もありました」(『大地の乱』)
 しかし反対同盟はここで底力を発揮する。保釈金や裁判費用を準備するために、一家1万円のカンパを募るとともに、週に1度、同盟は順番で出稼ぎ労働に出た。女性は料理屋の皿洗い。男は土木作業とか製鉄所の仕事など。全国に支援も求めた。こうして500万円を稼ぎ集めたという。今の貨幣価値に直せば5000万円以上だ。
 しかも政治情勢は激動の秋を迎えていた。沖縄返還協定を阻止するための街頭闘争が連日爆発し、11月14日日比谷、11月19日渋谷で大暴動闘争が闘われ、佐藤政府を追いつめた。いわゆる71年11月決戦である。
 萩原進さんにこの頃の様子を聞いた。「青行隊の弾圧は確かに厳しかった。おれ自身は逮捕されなかったけど、同じ東峰、天神峰の敷地内から何人ももっていかれた。弾圧の当事者となった農家の重圧は相当なものだった。だけど同盟は健康だった。うちひしがれていたわけじゃない。このことを強調しておきたい」「青行への弾圧にしたって、こっちが攻め、むこうの守りだ。追いつめられているのは敵さんの方。それにここが肝心なんだけど、二期区域を見ればうちの東峰を含め敷地内農家が40軒以上は残っていた。大木よねと3つの砦を収用するだけであの騒ぎだよ。40軒もの農家を収用なんかできるわけがない。第1次、第2次の強制代執行を見ておれは『同盟の団結さえ崩されなけりゃ強制収用は2度とできない』と確信をもったね。だからこの闘争は勝てると」
 事実、空港の開港(それも暫定的なものだが)まではさらに7年も要した。「72年5月開港」も粉砕され、運輸省・空港公団はもはや開港予定日など口にすることもできなくなっていた。(つづく)

世相   「列島改造論」

 1972年は田中角栄首相の「列島改造論」によって土地ブームが起こり地価が異常に高騰した。日米安保に依拠した高度経済成長の傍らで「日本の労働者はウサギ小屋」に住んでいると揶揄され、「エコノミックアニマル」のネーミングも登場した。

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週刊『三里塚』(S692号2面3)(2005/12/01)

 三芝百景 三里塚現地日誌 2005

 11月10日(木)〜11月23日(水)

東峰の森の現地調査●共生委員会が北延伸を後押し 成田空港地域共生委員会(代表委員・山本雄二郎)の会合が同事務所で開かれ、「暫定滑走路の北延伸はやむをえない判断だったと認識する」との見解を発表した。共生委員会はそもそも「空港による地域へのマイナスの影響をチェックする」との建前で発足したものだが、今や空港会社の御用機関の役割を果たして恥じるところがない。(14日)
●成田市が「回答できない」と回答 成田クリーンパークの違法転用問題で、反対同盟が出していた9日付けの公開質問状に対して成田市の回答が届いた。内容は「空港会社と協議中なので回答できない」というものだった。市は「協議中」とする協議の内容についても明らかにしていない。空港会社と一体となって違法転用の道を探る市に対して怒りが高まっている。。(15日)
●一坪共有地強奪裁判で憲法学者が証言 空港会社による一坪共有地強奪裁判の弁論が開かれ、反対同盟側証人として萩原重夫、清水和邦の両法学者が証言台に立ち、「市民的公共性の見地から成田空港建設は問題が多い」「一坪共有地は三里塚に土地を守る会の合有であって売買は違法だ」と証言した。(16日)
●官製談合で空港会社を捜索 
 重電機5社と旧空港公団による官製談合事件で、空港会社に東京地検特捜部の家宅捜索が行われた。空港公団は成田空港建設が治安問題化し、捜査当局の目こぼしを期待できることにつけいって、10年以上も前から重電大手より多額のリベートを受けて工事落札の便宜を図っていた。(17日)
●市東さん宅で落花生の野積み 市東孝雄さん宅では乾燥のための落花生の野積み作業が行われた。さらにサトイモ掘り、ねぎ苗の草取りなども。(17日)
●現地闘争が成功 「成田クリーンパーク違法転用阻止、東峰の森を守れ、陸上自衛隊東部方面隊のイラク派兵阻止」を掲げた現地闘争が闘われ、動労千葉、婦人民主クラブ全国協議会など120人が首
都圏から結集して決意を示した。デモ行進後、成田クリーンパーク、東峰の森の現地調査を参加者全員で行い、空港会社による暫定路の北延伸攻撃がいかにでたらめで破たん的であるかを体感した。(20日=写真)

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