SANRIZUKA 2005/05/15(No679 p02)

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第679号の目次

1988年9月25日に旧現闘本部を包み込むようにして鉄骨造り建物が建築されている所

1988年9月25日に旧現闘本部を包み込むようにして鉄骨造り建物が建築されている所

1面の画像
(1面)
「北延伸」は必ず破産する
国交省・NAA 土壇場の“最後通告”
用地売却迫るNAA  暫定開港の張本人 何が「謝罪」なのか?
記事を読む
「話合い」の欺瞞  シンポの惨敗直視せよ 記事を読む
旧本部は現存している
地上権、動かぬ証拠  NAA愕然、現場検証も
記事を読む
北延伸阻止の拠点  「へ」の字誘導路、致命的 記事を読む
ピンスポット 春の香は薫風そよぐ田に若葉 記事を読む
 コラム 団結街道 記事を読む
闘いの言葉 記事を読む
(2面)
イラク情勢 1日400波のゲリラ戦
サイゴン解放30年! レジスタンス蜂起
カイライ政府、石油権益奪い合いで分裂
米軍発表は嘘の塊  デマたれ流す日本メディア プロ傭兵を「民間ヘリ」
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蘇るむしろ旗 三里塚闘争40年の真実 (7)
「われわれは武装した」
立入測量阻止 入魂の実力闘争  “ベトナム反戦”労農学結ぶ
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北総の空の下で北総の空の下で

無視される安全

暫定路はその筆頭

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三芝百景 三里塚現地日誌 2005  4月20日(水)〜5月10日(火) 記事を読む

週刊『三里塚』(S679号1面1)(2005/05/15)

 「北延伸」は必ず破産する

 国交省・NAA 土壇場の“最後通告”

 用地売却迫るNAA

 暫定開港の張本人 何が「謝罪」なのか?

 国交省の航空局長らが4月30日、北側国交相の書簡をもって暫定滑走路(2180b)南側直近の東峰地区の地権者宅に押しかけ、「用地交渉に応じなければ(同滑走路の)北延伸を選択し、以後交渉を打ち切る」(書簡)との最後通牒を突きつけた。地権者農家に対して、出て行かなければ頭上40bにジャンボ機を飛ばすという脅迫である。日頃「話し合い」を標ぼうする国の本性はむき出しにとなった。一方、「北延伸」を言い出した張本人のNAA(成田空港株式会社)黒野社長は、この国交省の強硬姿勢を人ごとのように批判し、東峰区住民に「謝罪」して見せることで、地権者に「本来計画(南側延伸による2500b化)に戻すための話し合い」=用地交渉を迫っている。両者は本質的に一体だ。反対同盟は、国交省およびNAAの暴挙を厳しく弾劾し、北延伸攻撃阻止の緊急現地闘争を行った。

 ●文字通りの最後通牒/農民無視むきだし

国交省の最後通告をたてに、地権者に用地交渉を強要しょうと押しかけたNAA黒野 地権者を脅迫する今回の国交省大臣書簡は前代未聞だ。内容は誤解の余地のないあからさまな表現で、@「貴殿の理解が得られなければ北延伸を決定する」A「北伸決定の場合は用地交渉を打ち切る」というもの。文字通りの最後通牒だ。
 北延伸(2500b化)のうたい文句は「大型機が飛べるようになる」というもので、現在、すでに頭上40bにジェット機を飛ばされている滑走路予定地内(本来計画)の農家の生存条件を最後的に破壊するという脅しだ。実は北延伸では様々な制約から大型機は運行できないのだが(後述)、国交省もNAAも「大型機を飛ばす」という恫喝を続けている。
(写真 国交省の最後通告をたてに、地権者に用地交渉を強要しょうと押しかけたNAA黒野)
 また「用地交渉を打ち切る」という言いぐさは、〈この話を飲まなければ、移転の補償はしない〉というもので、この期に及んで札束で人の顔をはたくようなものだ。地権者をまるで売却益目当ての“ゴネ得農民”呼ばわりである。これほど人の尊厳を踏みにじる暴言があるだろうか。
 現在も闘いぬく農民たちは、40年間ただの一度も用地交渉を要求したことはない。反対闘争は見返り要求運動ではなく、国のいっかんした農民無視、農民軽視に対する根源的な告発なのだ。この問題の核心を、国交省・NAAはしょせん理解できないのである。
 さらに今回の大臣書簡は、「過去の強引な空港建設を反省」し、新たな滑走路建設は「あくまで地権者の同意を得て進める」とした公的確約(シンポ・円卓会議=94年最終報告)を公然と反故にするものだ。反対同盟がくり返し指摘するように、国の「謝罪」「反省」「確約」とはこれほどまでにデタラメなのだ。そして極めつけは、農家に最後通牒を突きつけた同じ書面で「成田空港建設反対運動は、我が国の全ての公共事業の永遠の教訓となっている」(書簡)などと語っていることだ。東峰区の農民たちがこの大臣書簡を拒絶したことは当然である。

 ●国交省とNAA/謝罪と脅迫は表裏一体だ

 問題は、この大臣書簡を受けたNAA黒野社長の「謝罪」と東峰区農民への「話し合い」要求だ。
 NAA・黒野は昨年末以来、国交省が暫定滑走路の北延伸問題で強硬突破の姿勢を取り始めたことを利用し、あたかも自分は北延伸に「反対」であるかのような装いで東峰区の一部地権者に取り入り、本来計画=南側延伸のための用地交渉の糸口を探る工作を行ってきた。今回の大臣書簡(4・30付)を受けて黒野が東峰区に提示した「謝罪文書」(5・9付)は、この期に及んで03年暫定滑走路開港を「一方的だった」と「謝罪」するものだが、意図は見え透いている。
 なぜなら黒野はこの「謝罪文書」とまったく同じ日付で、同じ東峰区に立ち退きを要求する「回答書」を突きつけているのである。内容は「このままでは国が北延伸を決定してしまうので、本来計画の2500b化のために用地交渉に応じて欲しい」というものだ。「北延伸となれば、皆様にはさらにひどい苦痛を与える結果となります」という脅し文句も忘れていない。
 これは「謝罪」とは縁もゆかりもない開き直りだ。そもそも暫定滑走路は、黒野が旧運輸省トップの事務次官だった時代に自分自身で決定(99年)したものだ。黒野は運輸省幹部として、かのシンポ・円卓会議(※注1)で「一切の強制手段の放棄」や「地権者の同意なしに新滑走路建設は行わない」などの確約を行った事実を百も承知していながら、自ら東峰区住民の上空40bをジェット機が飛行することになる暫定滑走路計画を一方的に進めた。
 暫定滑走路は滑走路長が離島空港なみに短く(2180b)、成田空港を発着する航空機の9割近くを占める大型機が使用できず、誘導路も狭く一方通行のうえに随所で未買収地に阻まれ「への字」に湾曲している危険きわまりない代物だ。国際空港の滑走路として開港できる状態ではないのだ。それをあえて開港した理由は、反対農家を騒音地獄に突き落とすことで追い出すためだった。黒野ら運輸省・空港公団(当時)幹部らは、当時「飛行機を頭上に飛ばしてしまえば地権者は必ず落ちる(屈服する)」と周囲に公言していた。暫定滑走路の計画決定から開港に至る一方的な暴挙は、すべて現NAA社長の黒野の意志で進めてきたことである。
 その黒野に、この期に及んで地権者に「謝罪」する資格などあるだろうか。しかも「謝罪」の結論は「土地を売って出て行ってくれ」(前記)という転倒したものだ。人を愚弄するにもほどがある。
 これは謝罪ではない。NAA・黒野の言動はすべて確信犯なのだ。NAA社長に就任した直後から「北延伸」を言いたて、それを地権者への脅し材料として使ってきたのも黒野自身だ。「私としては北延伸を行いたくない、この一念から」(今回の「回答書」)云々という言いぐさは聞くに堪えない。「謝罪するというなら、暫定滑走路を閉鎖して撤退せよ」という反対同盟・地権者農民の要求は正当であり当然だ。
 …………………………
【注1】シンポ・円卓会議…91〜95年に運輸省と一部脱落派農民が行った政治談合。国が過去を「謝罪」する代わりに平行滑走路計画を承認する取り引きとなった。新滑走路の建設は「地権者の同意を得て」進めると確約されたが、運輸省はこれをあっさり反故にして暫定滑走路計画を一方的に決定(99年)した。

 暫定路閉鎖、現実味増す 大型機飛べず、アジア便は羽田へ

 ●「北延伸」は必ず破産する

 暫定滑走路の北延伸は意味がない工事だ。NAAの経営面でも膨大な無駄金の投資となる。黒野社長が土壇場になって北延伸に「反対」の態度を示している理由もここにある。
 本紙がくり返し暴露してきたように、北延伸ではジャンボ機は飛べない。駐機場と滑走路をつなぐ連絡誘導路の幅が基準以下で湾曲坂道になっており、ジャンボはそもそも滑走路に入れないのだ。
 滑走路脇の「への字」誘導路もジャンボ機は危険で通過できない。離陸のために待機中の航空機と誘導路を移動中の航空機(いずれも中型機)が接触した02年12月の事故の結論は、大型機は暫定滑走路では使えないということだ。
 また仮に北延伸となった場合の滑走路北端の位置は、東関道(高速道路)から400bの至近距離となる。この地点を飛ぶ航空機の高度はわずか40b。東関道の本格トンネル化は必須だが、予算的に不可能に近い(付け替えを含め数千億円)。危険を承知で簡易工事(覆い屋根を付けるだけ)とする場合は、滑走路北側の運用は2180bの現状のままとなる。
 結局、南側に延伸して本来計画の2500bにするのでなければ、滑走路延伸は意味がないのだ。NAAの工事局はこの点を熟知している。それゆえ現状の暫定滑走路を造った際、滑走路は2500bにできず2180b地点でストップしたのである。

 さらに国道51号線のトンネル化工事は、かなり時間のかかる難工事だ。ここは現在はアプローチエリア(進入灯などが設置されている)なので簡易型トンネルだが、北延伸後は滑走路本体と重なるので強度の高い本格トンネル化が必須だ。大型のクレーンを林立させての工事となるが、昼間は滑走路を運用しているため、夜11時から早朝6時の間だけの工事となる。毎日のクレーンの組み立てと撤去にかかる時間を差し引くと、工事が出来る時間は1日2〜3時間程度。このトンネル工事だけでも最低3年はかかると専門家は見ている。
 着工に先立つ環境アセスメント(影響調査)と新たな騒音コンターの策定にも最低3年はかかるので、北延伸工事が完成するのは最短でも始動から6年後だ。来年から着手しても2012年度の完成である。

 ●早くて2012年度

 06年から着手しても完成は早くて2012年度という問題は、「北延伸」の無意味さを決定的にしている。09年度に供用開始が決まっている羽田空港の新滑走路との関係で、成田の暫定滑走路は不要となってしまうからだ。
 羽田の新滑走路には国際定期便の就航が決まっている。成田と比べて交通アクセスが圧倒的に有利なので、現在成田空港に発着している短距離アジア便の大半は羽田の新滑走路に移行するすう勢を国交省も認めている。航空会社自身が羽田便の拡大を熱望しており、成田暫定滑走路の空洞化は必至なのだ。
 つまり成田空港の暫定滑走路は、存在意義そのものが失われる事態も十分に予想されるのである。日本経済全体が右肩上がりの時代を終えたいま、羽田の新滑走路供用後に「北延伸」工事の中断という事態すらありうる。NAA黒野社長が土壇場になって、自ら振りかざしてきた北延伸に消極的な態度を取っている背景には、以上のような問題が山積しているからだ。黒野はあくまで地権者への脅し材料として「北延伸」を使ってきた。その「北延伸」に、今度は自分自身が追いつめられてしまったのである。
 
 国交省は、それでも成田空港の「2500b化」に執拗にこだわっている。シンポ・円卓会議の確約がどうであれ、地元農民の被害がどうなろうと、地権者が屈服しないなら近日中に「北延伸」を正式決定する姿勢を崩していない。この執拗なまでの強硬姿勢の理由は何か? 07年度に迫った空港会社の株式上場を乗り切るためだ。
 暫定滑走路が現状の欠陥滑走路のままでは上場自体が破綻(額面割れ)しかねず、意味のない「北延伸」であっても「2500b化の完成」という体裁が必要なのである。
 株式の売却益は全額国庫(空港整備特別会計)に入る。額面で1500億円といわれる空港会社の株式上場で、4000〜5000億の売却益を生むか額面割れかの差は大きい。NAAの全株式を保有している国交省の死活問題だ。
 また現在の空港整備特会の支出先の中心が経営破綻状態の関西新空港救済(二期工事を含む)にあることも暗黙の事実だ。公明党で堺市出身の北側国交相が関空利権に群がる議員の一人であることは知る人ぞ知る事実。前任の扇国交相、同塩川財務相も関空利権議員で、これを北側大臣が引き継いだ。株式上場のための北延伸の形作り。これが北延伸攻撃を異常なまでに硬直化させている理由だ。

 ●「北延伸」は暫定滑走路閉鎖への一里塚だ

 以上のような暫定滑走路「北延伸」攻撃を、反対同盟と三里塚闘争は絶対に容認しない。「北延伸」の一方的な決定は、40年前の空港設置閣議決定とまったく同じ農民無視だ。一握りの政治家の利権のために、まったく無意味な滑走路延伸工事が決定され、膨大な予算が浪費され(政府保証債)、滑走路直下で生活する地権者農民のみならず、騒音下の地元住民が多大な損害を被るのである。
 つまるところ、国交省・NAAの本当のねらいは、「北延伸」工事がもたらす物理的・精神的圧力で東峰地区の地権者を屈服させ、南側延伸の本来計画再現の糸口をつかむところにあるのだ。40年間の農地強奪攻撃に屈せず闘い抜いてきた反対農民を屈服させることこそが、国交省・NAAのねらいなのだ。
 「北延伸」は間違いなく破産する。反対同盟の萩原進さんが「北延伸は空港廃港の第一歩だ」と喝破した(3・27全国集会)とおり、北延伸はそれ自体が空港の致命傷に転化するだろう。
 40年にわたる三里塚闘争は、いままさにその最終的な勝利の扉を開こうとしている。暫定滑走路を閉鎖に追い込むことは完全に可能だ。そしてそれは廃港への確かな橋頭堡となるだろう。国交省・NAAによる暫定滑走路「北延伸」決定を総力で粉砕しよう!

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週刊『三里塚』(S679号1面2)(2005/05/15)

 「話合い」の欺瞞

 シンポの惨敗直視せよ

 シンポ・円卓会議に参加した元熱田派の一部地権者が「北延伸を止めるためにNAAとの話し合いを始める」との口実で、今回のNAA黒野社長の「謝罪」を「評価する」として受け入れた。実に遺憾な事態だ。
 これまで「北延伸」を振りかざしてきた張本人である黒野が「謝罪」する理由は、地権者を追い出して本来計画を実現する一点にある。黒野は確信犯なのだ。この見え透いた芝居を「評価する」とは、黒野の意図に同意するということだ。40年に及ぶ農民無視をつぶさに経験してきた人間にとって、国やNAAがいまさら「謝罪する」意図を見抜けぬことはあるまい。
 シンポ・円卓会議(91〜94年)の政治的結論は、結局、平行滑走路建設の承認だった。参加者の元熱田派は、当事者である地権者農民の意志とはまったく無関係に最終報告に署名した。彼らは結局、よってたかって地権者の反対意志を絞め殺そうとする政治談合に加担したのである。
 このシンポ・円卓会議の過程で示された国の謝罪や確約がいとも簡単に反故になった現実を見るべきだ。成田空港問題における「話し合い」の無意味さは明らかだろう。「話し合い」で国の攻撃を止められたためしは、ただの一度もない。それどころか平行滑走路建設は、シンポ・円卓会議の「合意」をよりどころに進められている。
 「北延伸」は必ず破たんする。40年間の空港反対闘争の勝利は確実に近づいている。黒野の意図に同意しないかぎり「話し合い」の必要性はないのだ。追いつめられているのはNAAであり、国交省の側であることを忘れてはいけない。

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週刊『三里塚』(S679号1面3)(2005/05/15)

 旧本部は現存している

 地上権、動かぬ証拠

 NAA愕然、現場検証も

鉄骨造り建物が建築される前の天神峰現闘本部
鉄骨造り建物が建築される前の天神峰現闘本部
1988年9月25日に旧現闘本部を包み込むようにして鉄骨造り建物が建築されている所
1988年9月25日に旧現闘本部を包み込むようにして鉄骨造り建物が建築されている所
鉄骨造りがほぼ完成したところ、会社側は残っている木造建物は写真の部分だけだとし旧現闘本部はないと主張
鉄骨造りがほぼ完成したところ、会社側は残っている木造建物は写真の部分だけだとし旧現闘本部はないと主張
 天神峰現闘本部裁判で、反対同盟側が3月23日付けで釈明を求めていた(求釈明)点について、空港会社側が4月25日、回答を送付してきた。
 同盟側が釈明を求めていたのは、「旧現闘本部が鉄骨造り建物の中に今も現存しているのか否か」という裁判の根幹に関わる問題だった。具体的には
@会社側の準備書面(4)で「鉄骨造り3階建て(一部木造)建築物」とある「一部木造」とはどの部分を言うのか。
A同じく準備書面で「鉄骨造り建物と既存の木造建物との同一性はない」とあるが、この「既存の木造建物」とはどこを指すのか、の主に2点。
 これに対して会社側は
@「一部木造」とは鉄骨造り建物からはみ出ている部分(写真下の逆V字屋根の建物を指す)だけを指す。A「既存の木造建物」とは「本件土地上に存在していた平屋建て建物である」とし、しかしそれは「現在は解体され、これを吸収する形で鉄骨造り建物が建築された」――と回答してきた。
 これは要するに「旧現闘本部は1988年9月に、鉄骨造り建物が建築された際に解体され現在は残っていない」「旧現闘本部はすでに存在していない」という主張だ。
 3月244日の第5回口頭弁論で、「旧現闘本部は残っているのかいないのか」という点が最大の争点になった。そこで同盟側は会社側に対してこの点の認識を問いただした。会社側は弁論の場では答えられなかった。訴状で本部建物の収去を同盟に要求していながら、その建物部分を特定できないという醜態をさらした。遠藤憲一弁護士から「訴状を書いたのだから訴えの対象物件についてこの場で答えられるはずだ」と追及されてなお「おって書面で」と逃げたその問題ついて回答してきたものだ。
 しかし、今回の回答はさらに会社側の墓穴を深く掘り、致命的とも言えるウソを並べ立てるものとなった。
 回答の書面で会社側は「旧現闘本部は解体され存在しない」と言ってきた。現に存在するものを「存在しない」と回答してきたのだ。鉄骨造り建物の建築過程を記録した上の写真を見てほしい。旧現闘本部が鉄骨造りの中に保存されていることは一目瞭然だ。鉄骨造りと現闘本部は二重構造になっている。そして現闘本部については厳然とした建物保存登記がなされている。
 「写真は昔の話」と会社側が主張するのであれば現場検証を行えばいい。封鎖されている本部建物を開けば、同盟と会社側とどちらの主張が正しいかは一瞬にして明らかになる。会社側主張のウソは明らかとなり、彼らの全主張が音をたてて崩れるのだ。今回の回答書面はそういう内容である。
 なぜ、素人が見ても分るような無理な回答を会社側は今回行ってきたのか。もし旧現闘本部の存在を認めてしまえば、反対同盟が同土地に地上権を確保していることを認めることになってしまうからだ。地上権の要件は2点。@建物が登記されていることA建物が現存していることだ。
 同建物が登記されていることは会社側も認めているから@について争いはない(今年1月28日付け原告準備書面4)。すると争点はAだけとなるが、「木造建物が存在している」と認めることはAも認めることとなり、同盟側の主張に全面屈服し敗訴を自ら確定する主張となる。だからNAA側はどんなに苦しくとも「建物の現存」を認めることはできなかった。
 会社側は、進むに進めず退くに退けないという決定的窮地に追いこまれた。同盟側の優位がますます鮮明になり、現闘本部裁判の勝利を確定する重要な段階を迎えた。

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週刊『三里塚』(S679号1面4)(2005/05/15)

 北延伸阻止の拠点

 「へ」の字誘導路、致命的

 6月9日の第6回口頭弁論は、準備書面で明確になった空港会社の暴論を徹底的に追及し反対同盟の正当性を論証する最大級の山場となる。
 現闘本部裁判闘争は、三里塚現地攻防とともに、暫定滑走路北延伸攻撃に対する決定的な攻防点である。 なによりも本部建物は「へ」の字誘導路直線化を阻止し市東孝雄さんの耕作地を守る拠点である。農地を守るとともに「へ」の字で起きる航空機の滞留が空港機能そのものに決定的な打撃を強制している。仮に北延伸してもこの欠陥は変わらず、利便性はむしろ低下し2500b化破たんの引き金にもなるのだ。現闘本部建物は北延伸阻止−空港廃港の橋頭堡である。
 6月9日の口頭弁論は文字通りの決戦となった。反対同盟は地裁をあふれる傍聴の取り組みを呼びかけている。裁判支援基金運動(6月から第2期に入る)に全力をあげ、6・9千葉地裁に総結集しよう。

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週刊『三里塚』(S679号1面5)(2005/05/15)

ピンスポット 春の香は薫風そよぐ田に若葉

 4月30日、敷地内東峰の萩原進さんと同天神峰の市東孝雄さん宅で田植えが行われた。
 萩原さん(右)宅では萩原夫妻と富夫さん、全学連現闘員が早稲種のフサオトメを20アールの田んぼに植えた。
 市東さん(左)宅はコシヒカリ。萩原さんは午前中に市東さんは午後3時に作業を終了。田の水管理や雑草退治に精を出しつつ秋の収穫を待つ。

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週刊『三里塚』(S679号1面6)(2005/05/15)

団結街道

 紀元前330年、バビロンに攻め込んだアレキサンダー大王は、この地の豊かさを「メソポタミア」と表現した。ギリシャ語の「メソス(MESOS)=間にある」と「ポタモス(POTAMOS)=河の複数形」を合成した造語だった河は言うまでもなくチグリス河とユーフラテス河だ。チグリスは古代シュメール語で「槍のように速い流れ」。ユーフラテスは「父のように強い流れ」の意味である。チグリスからタイガー(トラ)と言う言葉も生まれたいま二つの大河にはさまれた大地には、無数のタイガーが住みついている。武装レジスタンスは、1日に1000里を走って米軍を攻撃し、人民の海の中に消えてゆく。神出鬼没のその実態は、もはや米軍の掌握が及ばない規模に発展したいまから30年前の4月30日、米軍は、ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)から命からがら逃げ出した。蜂起した解放戦線とサイゴン市民は市内を掌握し、世界に高らかに勝利を宣言した。“メコン川のトラ”が部隊の全ぼうを表した瞬間だった米軍は最近、アンバル州の諸都市から報道記者を完全に閉め出す措置を取っている。激しい戦闘が続いているファルージャやカイムなどの情報が途絶えているのはそのためだ。バグダッドでは米軍のカイライ放送が連日「レジスタンスの悪虐と米軍の勝利」を流す。米軍が本当に勝っている時はどこの報道機関も現場に入れるのに今は違う。米軍の最後のときは確実に近づいているメソポタミアの虎が蜂起するとき、帝国主義者たちは、その規模の広さに驚くだろう。

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週刊『三里塚』(S679号1面7)(2005/05/15)

 闘いの言葉

 沖縄戦が終わった時、山はやけ、里もやけ、牛も馬も陸のものはすべて焼かれた。食べるものと言えば海からの恵みだった。その海への恩返しは海を壊すことではないはずだ。
 沖縄・辺野古の海人 山城善勝さん

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週刊『三里塚』(S679号2面1)(2005/05/15)

 イラク情勢 1日400波のゲリラ戦

 サイゴン解放30年! レジスタンス蜂起

 カイライ政府、石油権益奪い合いで分裂

 米軍発表は嘘の塊

 デマたれ流す日本メディア プロ傭兵を「民間ヘリ」

マス・メディアは何を「報道」しているか?
「マダエンの人質大虐殺事件」
 バグダッド郊外の町マダエンは、ササン朝ペルシャの首都クテシフォンとして知られ、3世紀後半に建てられた、レンガ造りとしては世界最大のアーチ(高さ約33b、間口約25b、奥行き約40b)が現存する。この町での事件を4月15日、アル・アラビーヤTVがニュース速報テロップで流した。「マダエンで、スンニ派武装組織がシーア派住民を人質にとり町に立てこもった」。すぐにアル・イラキーヤ(イラクのカイライ国営放送=米軍の御用放送局)が「シーア派高官がマダエンでの人質事件を発表」と報じた。これを、日本を含む欧米の各メディアは裏付けなしで一斉に放送。かくして「マダエンの大虐殺」というでっち上げはまかり通った。この報道は日本では現在に至るまで修正されていない。イラク報道でのメディアと現実の乖離を検証してみる。
(写真 占領軍は撤退せよ! 首都バグダッドで大規模な反米デモを行うイラクの人びと【4月9日】)
 ロイターは同日、以下のように報道した。「マダエンで、イスラム教スンニ派武装グループが、シーア派住民少なくとも60人を人質に取り『シーア派が町を出て行かなければ殺害する』と脅迫し、町を制圧下に置いている。町は米軍とイラク軍が包囲。町から逃げ出したイラク軍将校は『100人以上のレジスタンスが攻撃してきた』と語る」(4・15)。
 ここでロイターは、アル・イラキーヤを引用して「『シーア派は出てゆけ』と武装組織が拡声器で呼びかけているのが聞こえる」とまでいっている。
 朝日新聞はどう書いたか。「イスラム教スンニ派武装勢力がシーア派の女性や子どもを含む住民60〜80人を人質にとり、シーア派全員が町から出るよう求めている。人質解放を目指して町に入ったシーア派民兵との間で戦闘が起き、人質9人が死亡した情報もある 」(4・16)。翌日の記事には「数週間前にスンニ派有力部族員がシーア派に拉致されたことへの報復という見方が有力だ」とまで書いている。
 産経新聞は「シーア派を敵視するスンニ派のイスラム過激派による犯行とみられる。シーア派当局者によると、武装勢力は重火器を所持し町を支配しているもよう。拡声器を使いシーア派住民に対し、人質の命が惜しければ町を出るよう要求している」。(4・16)
 ここまで断定的に書かれた記事が、その後全く逆の展開を始めた。

■4月17日 日曜日
 1500人以上の緊急展開軍が町を包囲し、一部は突入を開始した。ロイターとアル・ジャジーラによると、現場はアル・イラキーヤ以外の報道関係者の立ち入りを阻まれている。アル・イラキーヤと言う放送局は、朝から晩まであからさまなデッチ上げ報道を垂れ流している放送局だ。「私はレジスタンスに900ドルで雇われ自動車爆弾を運転しました」「レジスタンスは同性愛者がほとんどです(ママ)」「子供を誘拐して体に爆弾をくくりつけ、自爆させました」等々。元レジスタンスだったと称する男女が、これでもかとレジスタンスをこき下ろす。
 しかし事実は次第に明らかになっていった。
 《マダエン》町を包囲していたイラク治安部隊が米軍の支援を受け、人質解放のため同地への突入作戦を開始したことを明らかにした。(時事)
 この「突入作戦」に真実の一端があった。
 《バグダッド》サドル派が「マダエン人質事件はデッチ上げだ」と非難(イスラム・メモ=IM)。マダエンでは部族間の対立はあったが、スンニ派とシーア派間の対立はなかった。マダエンの住民が、カイライ軍の突入に抗議しバグダッドでデモを実施。直ちに部隊を引き上げるよう政府に要求した(AJ)。このデモがきっかけで、マダエンのでっち上げ人質事件が暴露されていった。

■4月18日 月曜日
 《マダエン》イラク治安部隊が1500人を動員して大規模突入作戦を行ったが、武装勢力や人質は見つからなかった。マダエンは、スンニ派武装勢力とシーア派強硬指導者ムクタダ・サドル師派民兵が事実上割拠し、政府の権限が及んでいなかった。人質事件そのものがでっち上げだったようだ。(AP)
 《バグダッド》昨日に続き150人のマダエンのシーア派住民がデモ、18人の行方不明者の捜索を要求。現地では1000人以上の住民がデモ、「占領反対、イラク人同士の戦闘反対」を叫んでいる(同)。「マダエン事件は誇張されて伝えられている」と発言したカイライ軍少将が射殺された。(IM)

 事態は米軍とカイライ政権のデッチ上げだった。マダエンは、半分はシーア派住民だった。そのため、スンニ派の町であるファルージャ、ラマディ、バクーバなどのような大規模殺りく作戦が取れなかったが、この首都バグダッドに突き刺さった棘のような町を壊滅させるために「人質事件」がデッチ上げられたのだ。事実はバドル軍団の挑発を使った「掃討作戦」だった。
 4月15日、バドル軍団の挑発者が町に進入した。武装した彼らは住民を脅し、レジスタンスと手を切れと迫った。住民は警察に訴えたが相手にされない。町のレジスタンスはスンニ派組織もマハディ軍(シーア・サドル派)も共同で挑発者と戦うことに決定。ただちに町を制圧し、バドル軍団を捕まえた。
 16日、カイライ政府は大部隊を動員、一気に町を制圧しようと試みた。一般住民に犠牲者が出ることは必至なので、武装組織に人質になった住民が殺されたことにしたのだ。報道管制が敷かれたが17日、マダエンの住民が、バグダッドでデモを行い真実を訴えた。18日には突入した部隊からも人質はいないと暴露され、でっち上げは明るみに出た。日本の報道では今回のマダエン「人質事件」は一言も訂正されていない。あからさまなウソが「一流紙」でまかり通っているのがイラク報道の現実である。

■4月19日 火曜日
 《マダエン》シーア派、スンニ派住民代表が会見。「人質事件のすべてはバドル軍団(政権参加のシスタニー派の軍事組織)のでっち上げだ」。(IM)

■4月20日 水曜日
 《バグダッド》移行政府が「マダエンで殺されたシーア派住民の死体をティグリス川から引き上げた」と発表。しかし事実は逆だった。殺されたのは「シーア派住民の人質」ではなくレジスタンス(の容疑をかけられた者)たちだった。

■4月22日 金曜日
 《マダエン》発見された50人の遺体はカイライ警官によって不当に拘束された者たちだ。イスラム律法者協会が移行政府のタラバニ首相を非難した。(IM)

「民間ヘリ撃墜」事件は傭兵だった
 朝日新聞は4月22日の報道で「イラクで民間ヘリ撃墜、11人死亡/ロケット砲か」と伝えた。読売や毎日など他の大手紙も同様の報道を行った。
 ところがその後、この「民間ヘリ」はアメリカのノースカロライナに本社を置く軍事会社・ブラックウォーター社のものと判明、アメリカ大使館の広報官もその旨発表した。米軍と同レベルの軍事装備を持ち占領軍の一角を占める傭兵たちである。このブラックウォーター社は、昨年4月にファルージャで民衆に武器を向けて逆襲され、社員(傭兵)の遺体が橋桁につるされた事件の当事者だ。「民間ヘリが襲われた」とは到底いえないのだ。日本の新聞は釈明も訂正もしていない。

■4月29日 金曜日
 《マダエン》車3台が爆発、5人が死亡、10人以上が負傷した。対テロ部隊が駆けつけたところを狙って爆発した(AP)。米・イラク合同パトロールをレジスタンスが攻撃、米兵4人、イラク兵2人死亡。多数が負傷した。(IM)

 …………………………
●ベトナム・サイゴン解放30周年万歳! イラクカイライ移行政府の組閣弾劾!――イラク全土でレジスタンスが蜂起
 4月28日、米占領軍とカイライたちは移行政府の組閣を終えた。組閣過程では石油相ポストなどをめぐる対立がむき出しとなり、シーア派のアハマド・チャラビーが暫定的に同相に就任する(産経)という事態まで生まれた。チャラビーはイラク戦争前からアメリカに雇われた亡命イラク人組織の代表格で、「大量破壊兵器」のデマ情報の発信源でもあった人物だ。ヨルダンから巨額の詐欺行為で訴追されており、その後アメリカからも詐欺で訴追を受けた。暫定政府からは汚職と虐待で逮捕状まで出ている人物なのだ。それが逮捕も拘束もされず石油相となった。(この人事はさすがに不評を買い、その後撤回された)

 イラク全土はレジスタンスの蜂起で火と硝煙に覆われた。その規模は、03年以来最大と言って過言ではない。29日と30日の自爆攻撃だけで60波以上。全体の蜂起は400波に迫った。
 特にバグダッドでの米軍とカイライ軍に対する攻撃が爆発したことは占領軍に衝撃を与えている。1月30日の選挙以来、バグダッドは、米軍とカイライ陸軍、イラク警備隊、内務省特別部隊、緊急展開軍などに制圧されていた。レジスタンスによって取り締まられていた密輸組織やギャングが、警察やカイライ軍に賄賂を渡し、誘拐や暗殺など犯罪も野放しだった。犯罪組織の幹部がチャラビーなどの政府要人や治安組織幹部なのだから当然だ。(バグダッド・バーニング)
 警察は、死亡した警官の給料を請求したり、露天商から場所代を要求していた(中東オンライン)。優秀な警官は「レジスタンスの協力者」として米軍に拘束された(IM)。バドル軍団の横暴は拡大した。シーア派への無差別爆弾事件の背後には、バドル軍団の影がある(バグダッド・バーニング)
 レジスタンスはこの重圧をはねかえし、首都バグダッドで最大の攻撃を占領軍とカイライ政府に加えたのである。4月9日、バグダッドを埋め尽くした17万人の反占領デモが蜂起の基盤となっていた。

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週刊『三里塚』(S679号2面2)(2005/05/15)

蘇るむしろ旗 三里塚闘争40年の真実  (7)

 「われわれは武装した」

 立入測量阻止 入魂の実力闘争

 “ベトナム反戦”労農学結ぶ

 「2・26〜3・10〜3・31闘争の意義は限りなく大きかった。何度も涙を飲まされてきた機動隊を打ち破ったんだよ。心が躍ったな。権力を打ち負かす解放感というかな。参戦国化を阻止したいという学生たちの熱意と、権力への怒りを解き放つ三里塚農民の心が重なり合った瞬間だった」と萩原さんは語った。
 同年1月、学生たちはベトナムに出撃する米空母寄港阻止の佐世保闘争を闘っていた。そして、同3月〜4月に山場を迎えた米軍の王子野戦病院建設阻止闘争。数千人の労働者や学生たちが夜を徹して街頭で機動隊と闘っていた。まさにこの過程で三里塚の農民たちは権力・機動隊に対する反乱を開始していた。それは切り捨て政策と闘う本格的な決起だった。ベトナムでは歴史的なテト攻勢が成功していた。労働者・学生・農民の闘いは合流した。2〜3月闘争は政府・空港公団のスケジュールを遅らせて空港建設に大打撃を与えたが、農民はまだ機動隊との衝突を全面的に担ったわけではなかった。
 1968年の4月から7月まで闘われた条件派農民への立ち入り測量阻止闘争こそ、反対同盟農民自身が国家権力との激突の前面に立つ闘いだった。ある婦人行動隊は「同盟の魂はあの時入れられたんだよ」と語った。

青年行動隊を代表して萩原さんが無為そう宣言を行った66年6・30闘争(三里塚第2公園) 政府・公団は4月7日、条件派組織との間で、土地などの買収価格について基本合意した。公団は「4月19日から立ち入り査定・測量を開始する」と発表した。
 数十人の空港公団職員、測量士、数百の機動隊・私服警察が「条件派の査定」と称しつつ、毎日部落を我が物顔で歩く日々が始まろうとしていた。毎日が闘争であり、闘争の生活化が問われていた。“応援部隊”に頼ることはできない。
 「普通なら他の農家が財産を売って出て行くのに、口を挟むことはできないかも知れない。だけど空港建設をどんなことをしてでも阻止する、という点にかけたわれわれの思いは通り一遍じゃなかった。条件派への立ち入りであろうと何であろうと、空港建設を促進するものを一瞬たりとも許すことはできなかった」「阻止闘争を組むという方針に迷いはなかった」と萩原さんはふり返る。
(写真 青年行動隊を代表して萩原さんが無為そう宣言を行った66年6・30闘争【三里塚第2公園】)
 4月21日の弾圧を皮切りに、機動隊は文字通り国家権力の犬としての凶暴性をむきだしにしてきた。同日、2月14日におきた公団職員への暴行事件を口実に岩山部落の反対同盟員4人を不当逮捕した。
 同盟は連日成田署への抗議闘争を展開した。全学連現闘が常駐していた駒井野団結小屋への攻撃は日常茶飯事だった。
 5月7日と12日のボーリング調査は800名の反対同盟員の抵抗闘争で阻止された。5月27日、警察権力は“報復”として、全学連現闘本部が常駐する駒井野団結小屋と天神峰現闘本部に「家宅捜索」と称して襲撃をかけた。二人の現闘員が不当逮捕され、反対同盟員1人、現闘員1人が重傷を負わされた。
 6月5日には機動隊150人が再び駒井野団結小屋を襲撃、現闘員4人に重傷を負わせ、2人が入院させられた。同15日にも木の根部落で機動隊と反対同盟、全学連現闘が衝突、同盟員1人が逮捕された。6月19、22、24、27日と今度は東峰で4度の激闘。27日に同盟員1人が逮捕された。
 まさに「3日に1日」という闘争に次ぐ闘争の試練に反対同盟はよく耐え、空港公団、機動隊によるボーリング調査を完全に阻止した。反対同盟は成長しまさに実力闘争の堂々たる主役に踊り出たのだった。
 激しい攻防逆巻く中、6月30日、反対同盟は不当弾圧と攻撃をはね返すための全国総決起大会を三里塚第2公園で開催した(写真)。5500人が参加したが、この闘争に青年行動隊約100人が全員、鎌と竹ヤリで武装して登場した。行動隊長の萩原さんは「われわれは本日武装した。空港粉砕まで闘いぬく」という歴史的なアピールを行った。
 萩原さんは当時をふり返って語る。「演出してやろうという色気もあった。何かハデなことをやって勢いをつけよう、と。もちろん本来の趣旨は、体を張った闘いに勝たない限り空港建設は阻止できない、という切実なものだった」。さらに「あの当時の機動隊のテロ・リンチといったらむちゃくちゃなものだった。現闘など支援の人たちへの弾圧・攻撃は残虐だった。こっちも鎌、竹やり、棍棒を持たなけりゃ道も歩けなかった」。

 立ち入り測量終盤の7月、測量が芝山町に移った。7月11日には菅沢一利老人行動隊長が糞尿弾闘争に立ち上がって逮捕された。同17日、横堀への測量に対して、同盟は900人の農民を動員、3隊に分かれた道路封鎖部隊、第1バリケード部隊、第2バリケード部隊が公団・機動隊と激突、かれらを完全に撃退する勝利を収めた。
 立ち入り調査は7月18日に終わった。いよいよ空港建設工事そのものであるボーリング本格調査との対決が焦点になってきた。
 反対同盟は8月8、9、10の3日間、運輸省、宮内庁、首相官邸、中曽根康弘運輸相私邸、公団本部への連続的抗議闘争を展開した上で、24日には1000人を集めてボーリング調査阻止の゙武装訓練”を駒井野で行った。老人行動隊、婦人行動隊を含めた全員が鎌と竹やりをもって集会を行った後、山林パトロール訓練を行った。
 「国家権力の政策を本気で阻もうとすれば闘いは必ず実力闘争になる。法の枠内に自らを縛った闘いは法律によって敗北させられる。しかも奴らは自分たちが作った法律すら破って攻めてくる。『法律って何だ』『誰のための法律か』となるし実際そうなった。向うが法を踏み超えてそう来るんだったらこっちもやってやろう、となる。その頂点が6・30闘争であり、8・24闘争だった。同盟自身が実力で闘う自信を得たことが大きかった」と萩原さんは評価した。(つづく)
 ●王子野戦病院阻止
 米軍の王子野戦病院は1966年に開設が発表され、1968年1月に具体案が公表された。ベトナム戦争の後方支援の野戦病院であることからベトナム反戦闘争のシンボル的闘いとして阻止闘争が一気に爆発した。3・2、3・8、3・28、4・1など三里塚と競うようにして実力闘争が闘われた。この中で榎本重之さんが機動隊に虐殺された。米軍は同年4月に開設を強行したが、ねばり強い反対闘争の結果、病院は69年12月閉鎖に追いこまれた。

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週刊『三里塚』(S679号2面3)(2005/05/15)

北総の空の下で 北総の空の下で

 無視される安全

 暫定路はその筆頭

 新緑の季節です。外を歩いて気持ちいいと思う季節は1年の中でそう多くはありません。鯉のぼりも薫風に身を任せてゆったりと泳いでいます。
 4月25日、JR福知山線で100人以上の死者を出す大事故がおきました。事故を機に民営化以後の採算優先、安全無視の実態が次つぎと明るみに出ています。動労千葉の安全要求ストがいかに正当な闘いだったのか実感しました。
 安全性無視といえば、その筆頭に上がるのが成田空港の暫定滑走路です。一昨年、専門家の視察で「これほど危険な状態で運航をつづけているのは信じがたい」と言わしめた滑走路です。
 07年の完全民営化までに暫定という一時しのぎの状態を打開できなければ、株式上場さえままならず、空港会社は完全に追いつめられました。
 空港会社より先に負けを認めたのが国土交通省です。いわく「土地を売ってもらえないのなら北側に再延長し、以後の用地交渉には応じない」。これは条件交渉の下心のあるものには脅迫になりますがその気のないものにとっては国から“本来滑走路建設断念”を引き出した歴史的瞬間です。萩原進さんが3月集会で宣言した「廃港への第1歩」です。
 しかし北側への再延伸では空港会社の利益になる実質的解決とはほど遠いものです。黒野社長は「謝罪」のポーズをとって時間を稼ぎながら北側住民に不安をあおって南側延伸要求を反動的に組織しようとしています。
 「反対同盟は小さな組織だけど国を相手にしてこれだけすごい闘いやってるんだってもっと多くの人に知ってもらいたいんだよ」と熱っぽく語る市東孝雄さん。この訴えに答えられるのか否か、私たちの闘いにかかっています。
 (北里一枝)

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週刊『三里塚』(S679号2面4)(2005/05/15)

 三芝百景 三里塚現地日誌 2005

 4月20日(水)〜5月10日(火)

●住民団体が「北延伸反対」
 騒音下で暮らす成田市民で構成される「成田空港騒音対策地域連絡協議会」(平山正吉会長)は市の小林攻市長と会談して「騒音地域が拡大する北延伸は到底受け入れられない」と述べた。(20日)
●県と市に国交省幹部が「北延伸」を説明 国土交通省は、岩崎貞二航空局長が県の堂本暁子知事を、井出憲文審議官が成田市の小林市長をそれぞれ訪れ「交渉が困難な場合は北に延伸する」との方針を説明した。(22日)
●北原事務局長が群馬実行委を訪問 反対同盟の北原鉱治事務局長は群馬県実行委員会の招きで同地を訪問、小池正男代表、青柳晃玄事務局長らと交流し連帯を深めた。(23日)
●ウドの出荷作業 萩原進さん宅でウドの出荷作業。3月中旬にいけたウドが出荷できるまでに成長した。(26日)
●羽田で航空管制官が誤指示 
 羽田空港で航空管制官が閉鎖中の滑走路に航空機を着陸させる誤指示を出し、大事故寸前の危機的状況を引き起こした。同空港のA滑走路は工事のためにこの日閉鎖されていたが、18人の管制官全員が失念、同滑走路に航空機を1機着陸させた。工事がまだ始まっていなかったため、事故にはならなかった。(29日)
●萩原さん、市東さん宅で田植え 敷地内東峰の萩原進さんと同天神峰の市東孝雄さん宅で恒例の田植えが行われた。(30日)
●航空局長、「最後通牒」で地権者訪問 国交省の岩崎航空局長は東峰区の地権者を訪問し北側一雄国交相署名の文書を手渡した。「土地を売ってもらえなければ北側に伸ばします。その後の用地交渉は打ち切ります」という「最後通牒」の内容。(30日)
●黒野社長が東峰区訪問 NAAの黒野社長は東峰区の3軒の地権者を訪れ「本来計画(南側延伸)のために協力を」と用地交渉を迫った。(5月1、2日)
●教基法改悪反対集会へ 市東孝雄さんら反対同盟と全学連現闘は東京・代々木公園で開かれた「教育基本法の改悪を止めよう全国集会」に参加した。(7日=写真)
●反対同盟、実行役員会開催 
 国交省による「暫定滑走路の北延伸決定」という情勢に対抗するため、反対同盟は実行役員会を開き、5月15日に北延伸決定反対の現地集会を行うことを決めた。(8日)

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