SANRIZUKA 2005/03/15(No675
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暫定滑走路「北延伸」3月決定粉砕 軍事空港建設粉砕 現闘本部裁判支援運動の拡大を
3・27全国総決起集会
3月27日(日)正午 成田市天神峰 反対同盟員所有地 主催 三里塚芝山連合空港反対同盟
(連絡先)事務局長・北原鉱治 成田市三里塚115 TEL 0476-35-0062
(会場案内)▼JR成田、京成成田駅からタクシーで「東峰十字路」まで2000円 ▼車は成田インターから国道295号線に入り芝山町(空港)方向。日航ホテル手前で小見川県道を小見川方向。「東峰十字路」へ
招請状と地図
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週刊『三里塚』(S675号1面1)(2004/03/15)
3・27三里塚に集まろう
「3月北延伸決定」阻止するぞ!
反対同盟がアピール “戦時下で反戦の闘い貫く”
NAA(成田国際空港会社)と国土交通省は、暫定滑走路の「北延伸」計画を3月末に決定しようとしている。3・27三里塚全国集会はこの「北延伸決定」攻撃を粉砕する重大な闘いとなった。「日の丸・君が代」強制阻止の決戦と一体で大結集を勝ち取ろう。反対同盟のアピールを紹介する。
軍事基地化許さぬ 「人間の尊厳かけ絶対反対」 北原鉱治さん 反対同盟事務局長
暫定滑走路の開港からやがて3年。その欠陥ぶりが明らかになってきている。「へ」の字に曲がった誘導路、短い滑走路、危険な運用、管制塔からの死角部分の存在等々。われわれ反対同盟が警告してきたとおりの現実が今目の前にある。
だから、暫定滑走路は閉鎖すべきなのだが、NAAと国交省は悪あがきをやめない。「北延伸」の脅しを強めるために、3月末には「正式決定」に持ち込もうとしているという話も聞く。
しかし「北延伸」すれば騒音直下に住む農民がさらに被害を受ける。そもそも「北延伸」工事はムダであり、税金の浪費だということがどうして国交省、成田空港会社には分らないのか。北に延ばしても大型機は飛ばせない。東峰地区の狭い連絡誘導路を通過できない。アプローチエリアに入る東関東自動車道をどうするのか。NAAはまったく具体案を示せていない。膨大な建設費、補償費等は……。空港反対農民への脅しを強めるためだけにムダな工事を行うという理不尽をわれわれは許さない。
40年間変わらぬこうした農民無視こそが空港政策の失敗になったのだ。このような成田空港は絶対に完全空港にはならない。あるとするならば廃港である。「公共」の名において人権も生活権も認めない空港建設を認めることは、われわれの尊厳と存在をすべてを失うことを意味する。われわれは暫定路の閉鎖、空港廃港まで屈服しない。
反対同盟は天神峰現闘本部裁判の支援を全国に呼びかけている。この裁判は農民、労働者の将来を左右する闘いとして何としても勝利したいし勝利できる。1人でも多くの人が支援する会に入会してほしい。
国連常任理事国入りをめざす小泉政権は、日本をとんでもない方向へ導こうとしている。イラクに自衛隊が派遣されるという事態は戦争国家を意味する。成田空港においても自衛隊が制服で出入りするありさまになった。第2次大戦において2000万人以上の人びとが死においやられたことが昨日のように思われる。
それだけではない。あらゆる反動が今日本の社会を襲っている。「日の丸・君が代」が強制され、靖国神社参拝が何度も強行され、憲法9条の抹殺まで公然と語られる時代になった。国家の暴政、反動を許すことはみずから戦争に加担していくことだ。
若い人びとにとって何の展望も希望も持てない社会にさせられようとしている。闘わなければ未来が描けない時代だ。教育基本法、憲法の改悪をもって同じ轍(てつ)をふむのか。60年前のあの苦しい悲惨な時代の再来を許すのか。体制を変えなければ日本の将来は描けない。若い人たちが未来に希望を持てるような世の中にするために多くの方々が3・27に結集してほしい。
分断打破し労農学連帯 「闘わなければ未来描けぬ」 萩原 進さん 反対同盟事務局次長
暫定滑走路を開港し、飛ばしたおかげであらゆる矛盾が噴出している。開港すれば東峰住民が逃げ出すと思って開港したが、まったく逆だった。3月末に「北延伸」を決定しようとしているけど、“間に合わせ”のためのび縫策。1度北に伸ばして欠陥性が明らかになり2度の事故まで起きた。ああいう滑走路で飛ばすこと自体危険極まりない。その上恥の上塗りで北に伸ばそうとしている。
「南がダメだから北だ」という発想自体がナンセンス。こんなやり方があるか。当事者じゃなくたって分る理不尽の典型だ。北も伸ばしたくないと言うのが本音。空港会社はジレンマにもがいている。彼ら自身北延伸の無理について知りきっている。だったらここでやめると明言すべきだ。
今でも成田は首都圏の表玄関の座からすべり落ちかかっている。その上北延伸なんかすればますます財政負担で地盤沈下は必至。だから暫定路からは撤退する時期に入った。「北でもない南でもなく撤退する」と言うべきだ。
現闘本部裁判は誰でも闘える裁判であり、現地の実力闘争が導き出した闘い。裁判自体、闘いの土俵を作ってくれたという感覚だ。今まで三里塚に馳せ散じたことのある人全員に対して、もう一度三里塚はを掘り起こす闘いとして取り組んで欲しい。市東さんの土地も守り、暫定滑走路を閉鎖に持ち込む大きな意味をもった闘いだと思う。
米軍の再編の焦点は朝鮮半島そして中国・アジアだ。そこから世界戦争にまで拡大させようとしている。基軸が日本列島でありその中での成田の位置は本当に大きい。また憲法改正の攻撃を頂点にしながら戦争体制構築のための攻撃がされているけど、反戦の闘いが今ほど求められている時はない。三里塚は先頭に立つ。特に焦点は教育基本法改悪につながる「日の丸・君が代」強制の攻撃だ。都立高校での闘いをやり切れるかが今年全体を規定すると思う。そして3・27三里塚がこの春の闘いを集約する場としてあると思う。
反戦・反権力を40年間掲げ、意気軒昂と勝利の大道を歩んでいる三里塚の勝利を切り開く闘いとして3・27集会を重視して欲しい。
国際連帯や労農連帯が大事だが、労働者と農民、途上国と帝国主義の人民は分断され、敵対させられている。そうしたギャップを乗り越える質の高い連帯が必要だ。その場合、労働者がいかに資本と対決するかが決定的だ。戦争体制強化の攻撃の中でその辺の突破ができるか、が問われている。闘わなければ未来は描けない。三里塚も同じ質の課題が問われている。三里塚現地で会いましょう。
見えすいた飴と鞭 「やることが滅茶苦茶だよ」 市東孝雄さん 敷地内・天神峰
脅しとして「北に延伸する」と空港会社の黒野社長は言ってきたけど、反対同盟はまったく動揺しなかった。だから引っ込みがつかなくなって「正式決定する」ぐらいのことはやってくると思うよ。
イソップ物語の「太陽と北風」みたいな話だけど、あがけばあがくほど俺たちは固まるよね。
それにしてもジャンボが通れない連絡誘導路の問題とか、東関東自動車道の工事とかはどうするんだろうね。俺たちが心配することじゃないけど。
誰が考えたってNAAのやり方は下手。アメとムチの使い分けが露骨だもの。黒野が「謝罪の手紙」を書いたのが2年前の3月だよ。「胸張り裂ける思いです」なんて見えすいたこと言ったけど、その舌の根もかわかぬ内にこっちの耕作地を買収して「土地を明け渡せ」だの反対同盟を被告にして本部裁判や一坪裁判の提訴でしょ。
そしてまたぞろ「北延伸」の脅しだっていうんだからめちゃくちゃだよね。その裁判では逆に反対同盟が攻めて攻守が逆転してるね。
憲法9条が改悪されて自衛隊が軍隊にされようとしている。「専守防衛」から「海外派兵」だってね。米軍とのテロ共同訓練までやっている。恐いよ。共謀罪ってのももひどいね。犯罪の実行がなくたってつかまっちゃうというんだから、いくらでもデッチ上げられるじゃない。すごい時代だよ。
労働者への首切り攻撃もひどい。農民だって権利を主張していかないと生きられない時代。だから三里塚闘争の位置は大きいと思う。
今キャベツのポットへの移植をやっている。去年より1週間ぐらい遅れている。去年は風に悩まされ、今年は雨が多い。自然環境の破壊で天候の不順がつづくけど、負けず農業をつづけます。3・27よろしくお願いします。
靖国は侵略の象徴 「全国の労農学が心一つで」 鈴木孝司さん 反対同盟本部役員
2月12日の一坪共有地立ち入り調査に参加して空港の中を見てきたけど、滑走路と誘導路の間の幅が狭いと実感した。そこへきて「へ」の字に曲がっているんだから事故を呼ぶようなもの。その上「北延伸」になれば危険性はさらに大きくなる。騒音区域も広がる。ああいう危険な状態で運航を認可するんだから本当に信じられないよな。軍事用の滑走路ということかな。
それにしても成田の軍事使用が進んで「軍事空港反対」というスローガンのとおりになりつつある。今東京都立高で問題になっている「日の丸・君が代」の強制にしても天皇崇拝につながることが一番恐い。戦争前とまったく変わらない状況が近づいている。教育委員会が生徒の歌う「君が代」の音量までチェックしているって? 恐ろしい時代になったものだ。杉並では区長が「大東亜戦争は自衛戦争だった」とか「特攻隊はすばらしかった」と言ってるらしいな。
小泉首相が靖国神社に参拝する問題だって本当に許せない。侵略戦争の象徴じゃないか。中国人にしてみれば「日の丸」や「靖国」は許せないはず。大体、日本兵はとんでもない残虐をやった。食料は「現地調達」という名の略奪だ。部隊長が「おれが責任を負うから」と言って部下のやりたい放題を煽っていた。
今、キャンペーンされている北朝鮮の拉致問題だって、日本がどれほどひどいことをやってきたかが、意図的に隠されている。政府や右翼、反動が拉致家族を政治的に利用してる。
三里塚の位置がいっそう大事だと思う。この闘いあるかぎり反戦運動は消えない。34年闘って勝利した全金本山の闘いにも勇気づけられる。この空港を廃港までもっていくにはもっともっと全人民運動にならないとな。
うちは部落で一軒になったけど脱落派や成田用水派のような裏切り者にはなりたくない。「反対闘争を一生涯やるためには成田用水が必要」なんて言っていたくせに、集団移転となったら次々その用水設備を施した田んぼを公団に売っている。共生委員になって金をもらっている奴もいる。三里塚は全国の労農学と心一つにして暫定滑走路閉鎖、空港廃港までがんばります。3・27で会いましょう。
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週刊『三里塚』(S675号1面2)(2004/03/15)
3・27集会招請状 三里塚芝山連合空港反対同盟
「北延伸」の脅し許さず 暫定路、軍事空港廃港へ
全国の闘う仲間のみなさん。小泉内閣の反動が強まるなか、三里塚闘争は暫定滑走路の「北延伸三月決定」をめぐる闘いに入りました。三・二七全国総決起集会は文字通りの決戦集会です。直前の天神峰現闘本部裁判(三・二四)もいよいよ本格攻防に突入しました。反対同盟は闘う全国のみなさんに、三・二七集会への総決起をよびかけます。
暫定滑走路の破綻にあえぐ政府・国交省は、ついに三月末を期限に暫定滑走路の二五〇〇メートル化について結論を出すよう成田国際空港会社に指示しました。期限までに用地が買収できない場合には暫定滑走路の「北延伸」を決断すべきとしています。
反対同盟は数々の暴挙に続くこの暴挙に満身の怒りを抑えることができません。政府・公団(現・成田国際空港会社)の「謝罪」や「話し合い」はいったい何だったのでしょうか。それらが反対同盟・農家を絡め取るための口先だけのものだったことはいまや完全に明らかです。
「北延伸」の強行は暫定滑走路の欠陥を増幅させることであり、大惨事を招くことも必至です。北端が三二〇メートルせり上がることにより東関東自動車道が航空保安区域を横断します。管制塔から滑走路が目視できません。段差四メートルの開拓道路と「へ」の字誘導路が着陸帯(保安地帯)にくい込みます。成田市や下総町の住民に騒音を拡大することも避けられません。しかも、北に延長しても国際線ジャンボ機は短かくて飛べず、国内線ジャンボ機もターミナルと滑走路とを結ぶ連絡誘導路が狭くて走行できません。
それでもなお強行するのは敷地内農家に屈服を強要するためです。農家を追い出して南に延伸し、破綻に瀕する滑走路のとりもどしをはかるとともに、米軍貨物機も飛来できる三八〇〇メートル滑走路に道をひらくものなのです。
しかしこの無謀な計画は成田空港の最後的な破綻に道を開くことになるでしょう。「へ」の字誘導路にそびえたつ天神峰現闘本部はこの暴挙と闘う正義の拠点です。裁判支援運動の拡大を呼びかけます。反対同盟は総力をあげこの三月の決戦をたたかう決意です。
小泉内閣は米・ブッシュ政権と手を組み、アジア・中東に権益を求めてイラクに自衛隊を派兵し、ついに九条改憲を政治日程にのせて戦時国家の道へと逆戻りしています。「拉致問題」と核武装論の台頭、さらに教育における「日の丸・君が代」の強制と郵政民営化による組合つぶし。日本経団連・奥田構想に基づく農家切り捨て農業破壊の進行です。
そして戦時国家づくりの中心的課題として、世界的な米軍再編(トランスフォーメーション)が出され、在日・在韓米軍の実戦配備に向けて日米安保の変質が計画されています。成田空港の基地・拠点化との闘いは沖縄・辺野古の新基地建設阻止闘争とともにその中心となる闘いです。
三・二七全国集会は、これらの反動に立ち向かう総決起集会です。労働者への過酷な資本攻勢と農民切り捨ては一体です。いまこそ労農連帯の力で、資本攻勢を打ち破り戦争の道を阻止しよう。三・二四天神峰現闘本部裁判闘争に決起し、三・二七三里塚に全国から総決起されるよう訴えます。
二〇〇五年二月二十三日
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週刊『三里塚』(S675号1面3)(2004/03/15)
3・24現闘本部裁判へ
地上権の本格的論戦開始
3月24日午前10時30分、千葉地裁501号法廷で天神峰現闘本部裁判の第5回口頭弁論が開かれる。現闘本部裁判は新たな段階に入る。傍聴にかけつけ空港会社側を圧倒しよう。
第4回までの弁論は主に「成田治安法で封鎖されている建物をどうやって撤去しろというのか」として提訴そのものの却下を求めてきた。
こうした「却下」をめぐる論戦を継続する一方で裁判は、中心的争点である地上権の本格的な論戦に突入する。2月3日の弁論では原告空港会社は天神峰現闘本部建物が登記済みであることを一転して認め、昨年3月提出の訴状における「未登記」という主張の誤りを事実上自認した。
第5回弁論ではこの点を追及するとともに、反対同盟による地上権の保有の事実を全面的に展開する。天神峰現闘本部の底地には旧地主石橋政次と反対同盟の間で地上権設定契約を取り交わし、反対同盟が使用をつづける正当な権利がある。同盟は継続して地代も支払ってきた。権利は万全だ。
同盟はまた、支援する会の拡大を呼びかけている。「現闘本部裁判を支援する会の活動は実力闘争とは別の形態の三里塚闘争だ。誰でも参加でき全国どこにいても加われる。敵の提供してくれた土俵を使って政府・空港会社を追いつめたい。一度でも三里塚に来たことのある人に呼びかけてほしい」(萩原進事務局次長)というのが三里塚農民の願いだ。さらに拡大しよう。
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週刊『三里塚』(S675号1面4)(2004/03/15)
陸自、迷彩服で成田空港に着陸
44人が日航機使い
軍事使用の拡大許すな
「スマトラ地震救援」を口実にインドネシアに派遣されていた陸上自衛隊44人が3月6日、迷彩服のまま日本航空機を使い成田空港に帰国した(写真)。軍服のまま成田空港を離発着する暴挙を許してはならない。
自衛隊のイラク派兵部隊は昨年、9回成田を使ったが、いずれも私服に着替えての利用だった。「制服のまま成田を使う」というのが防衛庁・自衛隊のもくろみだった。産経新聞やラジオの反動キャスターも「なぜ自衛隊が私服に着替える屈辱を受けなければならないのか」とキャンペーンを展開した。
しかし、三里塚農民をはじめとする軍事使用反対の人びとの抗議によって、空港会社、航空会社は制服での搭乗を拒否してきた。今回「人道支援なら反発が少ない」とのもくろみの下、軍事利用のエスカレーションを強行したのだ。
1月18日の出発の時も迷彩服を着用して離陸した。軍事利用攻撃とその拡大を許してはならない。
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週刊『三里塚』(S675号1面5)(2004/03/15)
イラク・レジスタンスの代表が今年1月、ブラジルのポルトアレグレで行われた世界社会フォーラムで、世界の反戦運動に痛切な思いで連帯を呼びかけていた▼「戦争にノー・暴力にノー」「もうひとつの世界は可能だ」というフォーラムの公式スローガンについて「私たちは同意できない」と明言した。それは「イラクを含む今日の世界の現実に対して意味がありません」と言い切った。彼が求めたのは、武装解放闘争を含むレジスタンスへの明確な支持だ▼彼は強調する。「占領下の選挙なるものを西側メディアがこぞって『民主主義』と呼び賛意を表したのはなぜか」。どんな理屈をこねようが笑顔で国連が「仲介」しようが、米軍の占領と殺りくはいまも続いている▼武装して占領と戦うことはレジスタンスの権利だ。ところが彼らは「テロリスト」と呼ばれ、まるで悪魔のように扱われる。「暴力にノー」は、商業メディアお好みの“国連主導のより良い占領”と抵触しない。たとえ善意であれ、「民主主義」の装いで占領を正当化するプロパガンダに棹さす▼「外国人テロリストが参加している」という例の宣伝もおかしい。レジスタンスの大半がイラク人だと判ったが、なぜアラブや世界の義勇兵がレジスタンスに参加してはいけないのか。16万人の占領軍は全員外国人ではないか。なぜメディアはこれを非難しないかy彼はこのフォーラムに参加する価値があるかどうか、仲間と何度も話し合ったという。彼は顔をさらして再び戦地に戻る。文字どおり命がけの発言だ。反戦運動の真価が問われているのである。
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週刊『三里塚』(S675号1面6)(2004/03/15)
闘いの言葉
構造改革なるものは貧富の差を広げ人間を対立させる政策だ。米の様に上層2割が富8割を独占、残りを貧困者が奪い合うイカサマ社会を作り出すもの。
3月1日 ジャーナリスト 斉藤貴男さん
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週刊『三里塚』(S675号2面1)(2004/03/15)
イラク情勢 宗派対立煽る米占領軍
レジスタンス戦士が熱い訴え
“武装解放”で戦う権利
「より良い占領」などあり得ない
「国際的な反帝国主義戦線のフォーラムを」
▽…バグダッドの南約53キロにあるヒッラ市で2月28日、大規模な爆発があり、警察など治安機関の採用審査で並んでいた者たちを中心に百人以上が死亡する事件があった。日本の多くの報道機関はこれについて、1月30日の「国民議会選挙」で曲がりなりにも安定に向かっていたイラクで「過激派」が残忍なテロ事件を起こし、「ザルカウィ氏(アメリカ政府がテロリストとして指名手配中)」の組織が犯行声明を出した、などと報道した。「選挙でシーア派が優勢になったことからシーア派住民を狙い、スンニ派過激派が活動を活発化させている」(産経)などという論調も一般的だ。
▽…こうした報道は、あまりにも事実を転倒させており犯罪的である。商業メディアですら、一部では「犯行声明」の真偽は定かではないとしているほどだ。ほとんど報道されない重要な事実は、米占領軍が昨年9月のファルージャ第2次大虐殺以後もラマディ、ハディーシャなどアンバル州一帯で血塗られた「掃討作戦」を続行していることである。これに対してイラク・レジスタンス、武装解放勢力は一歩も引かず戦いぬき、全土の軍事的・政治的抵抗戦線を強化し、米英をはじめとする帝国主義同盟軍の占領を根底から揺るがしている。レジスタンスの解放戦争は確実に進化し、前進しているのだ。
▽…「議会選挙」なるものが行われたイラクでいま何が起こっているのか? レジスタンスたちの報告やアピール等を紹介する。
ヒッラで何が起きたか?
【イラク・レジスタンス・レポート=2月21日】
●ヒッラ/米軍静観? バドル旅団が衝突を挑発
ヒッラ市は2日間にわたって、シーア派に属する偏狭な武装集団であるバドル旅団およびダアワ党と、スンニ派住民とのあいだの悲痛な戦闘現場となった(イスラム・メモ=21日)。
バドル旅団はシーア派(米軍の支援を受けるシスタニー師派)に属するイラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)の武装部門。2003年春に米軍と一緒にイラクに侵入し、米軍はその後SCIRIともう一つの協力組織であるダアワ党の指導者にカイライ政権内での役職を与えた。
ヒッラで何が起きていたか? 以下はそのほんの一例だ。武装したバドル旅団がグランド・モスクに押し入って屋根に登り、黒色のシーアの旗とポスターを建物に掲げた。モスクの管理人(スンニ派)と導師は、バドル旅団が彼らの宗派主義的プラカードを掲げるのに抵抗した。すると民兵3人が導師たちを殴り血を流させた。指導委員会がスンニ派住民に冷静な対応を呼びかけたので、住民たちは報復しなかった。「米国への協力者(シスタニー派)が諸君(スンニ派住民)を宗派的な争いに引き込もうとしている」からだ。
しかしシーア派のならず者がスンニ派の女性と夫を攻撃したとき、ついに大勢のレジスタンスが仕返しに出た。レジスタンス勢はバドル旅団の司令部を攻撃して全面的に破壊し、旅団現地部隊の指揮官を含む民兵14人を殺した。ヒッラのカイライ警察署長の息子(=バドル旅団のメンバーでもある)も殺された。
米軍もカイライ警察もバドル旅団の一連の挑発を静観していた。
イラク国内の勢力を分断することは、アメリカの一貫したイラク占領方針である。占領軍は大勢のバドル旅団のならず者をカイライ警察および「国家警備隊」に編入し、偏狭な信仰心を煽(あお)ってファルージャのレジスタンス戦士に敵対するよう仕向けてきた。ヒッラでの挑発も、この試みの一環だ。
しかしレジスタンスの多くの指導者たちは、分裂を極力回避し全イラク国民を占領から解放する任務に心を砕いている。
武装解放闘争に連帯をアピール
●イラク愛国同盟(レジスタンスの統一戦線)サミ・アラア氏へのインタビュー
抜粋=2005年2月1日【ブラジルのポルトアレグレで開かれた「世界社会フォーラム」にて】
◇
Q…ポルトアレグレの世界社会フォーラムに参加した理由は?
私たちは出席する価値があるかどうか、反帝国主義陣営の仲間やヨーロッパの自由イラク委員会のネットワークと協議しました。
(写真 ポルトアレグレで発言するイラク・レジスタンス戦士)
理由は「戦争にノー、暴力にノー」、「もう一つの世界は可能だ」という世界社会フォーラムの公式スローガンに、私たちが同意できていないからです。これは今日の世界の現実に対して意味がありません。帝国主義は軍事、政治、社会、文化に全面的な攻撃をかけており、それはイラクだけの問題ではないのです。イラクとパレスチナはこの傾向を最も端的に表現しています。私たちはブラジル国民と国際的な左翼勢力に対して、米国の帝国的な構想と戦うためにイラク・レジスタンスへの支持を訴える必要性を痛感したのです。
Q…デモは、反対するイラクの選挙と同日に行われました。どのように評価しますか?
イラク愛国同盟は、1991年の湾岸戦争と国連の経済封鎖、そして03年に始まる戦争と占領を、国際法およびジュネーブ条約、国連憲章に照らしても不当で不法なものと考えます。そこから生じたすべての政治制度と選挙も不法です。「統治評議会」から「主権移譲」「暫定政府」をへて「選挙」まで、占領者によるあらゆる政治プロセスは正当性がありません。
したがって私たちは、わが国民に選挙ボイコットを呼びかけました。およそ50のイラク人政党による選挙ボイコットの呼びかけを行い、「政治プロセス」への参加を拒否している全政党に対し、イラク・レジスタンスの全組織を含む政治戦線(フロント)に参加することを要請しました。
Q…西側メディアは高い投票率だったと主張し、民主主義が成功したと選挙を歓迎しています。選挙を拒否した勢力は敗北したのではないのですか?
(写真 検問でイラク人トラックの窓を叩き割る米軍。この程度は日常茶飯事。抵抗すれば発砲する)
企業メディアが米国の勝利を祝おうとするのは目に見えています。彼らはアフガニスタンでも、実際に選挙が行われたのはカブールだけだったのに、同じことをしました。また欧州同盟(EU)が「選挙」による政府と喜んで交渉する側に加わることは、私たちには何の驚きでもありません。EUもまた帝国主義的な勢力で構成されており、米国と彼らのあいだの矛盾は一時的で、副次的なものでしかないからです。
しかし、スンニ派住民がほぼ完全に選挙を拒否した現状で、どうして「選挙の成功」を口にできますか? 多くの都市で、バグダッド市内のアダミヤ、アミリヤ、サドルシティのような居住地区も含め、ディアラ、バクーバ、アンバル、ファルージャ、サーマッラで起こったような全面的ボイコットが記録されました。ここだけで200万の住民によるボイコットです。
アラウィの政府は投票率70%と主張しましたが、次の日には60%、そして今日は50%と改めました。40%あるいは30%だと認める日も来るかもしれません。
彼らは国民を様々な方法で脅して選挙に参加させました。国民は食料配給カードを年末までに受け取ることになっていましたが、政府は証明書の発行を選挙まで延期し、投票しなければ食料を配給しないと脅したのです。多くの国民にとって、国連の食料計画が生き延びる唯一の手段ですから。
さらに野蛮な方法も使いました。ボイコットを呼びかけていたイスラム・ウラマー協会の代表的人物には殺すという脅迫が届いていました。実際にメンバー6人が暗殺されました。また、サドル運動(シーア派の反米派)に加わる多数の人物が投獄され、選挙参加を強制されました。
Q…選挙はレジスタンスにどう影響しますか?
二つの相対立する政治的な戦略を概観することで答えとしましょう。イラク・レジスタンスのものと、占領者のものです。レジスタンスがこの2年間、占領当局のあらゆる制度を脇に追いやり、イラクの政治の展望を方向づけることに成功したのに対し、占領側は頼るべきイラクの同盟者を得ることに完全に失敗しました。レジスタンスは二つの主要な目標へ戦い続けるでしょう。一つはイラクの解放と独立。二つ目は、全国民のための統一された民主イラクの建設です。
Q…フォーラムのワークショップでは、あなたは同国人であるアミール・アル・リカービとイブラヒム・アル・サクバンを強く非難していました。なぜですか?
(写真 対米軍の戦闘は確実に強まっている。パイプラインへのゲリラ攻撃も止まっていない)
イラク情勢についての彼らの誤った分析に返答する必要がありました。主題はイラク占領をどのようにして終わらせるか、ということです。
リカービは占領を新しく定義づけました。彼はまず「民主主義」を導入し、その後に占領からの解放を主張しています。イラク共産党(中央執行部)のサクバンは、占領の終了は、国内のすべての宗教・宗派が統一されるまで待てと主張しました。どちらもイラク・レジスタンスへの支持を決して声に出さないのです。それどころか彼らは、レジスタンスが市民を殺害するとか、外国人戦士で構成されていると主張することによって、レジスタンスを悪魔のように描いています。
リカービとその仲間が追従したのは、いわゆる国際社会の支援を得て国連が解決策を仲介するという策略です。それは侵略に正当性を与え、帝国主義の軍隊をイラクに存続させるという意味です。この世界社会フォーラムでも、彼らはこの観点を擁護しています。彼らは侵略についても、帝国主義についても、どちらも口にしません。彼らは、イラクの抵抗運動を統一するための努力を何もやっていません。バース党の指導的な幹部たちは投獄され、アメリカが我が国を2年以上も占領しているのに、彼らは今でも(占領軍ではなく)サダム・フセインとバース党の追求に焦点を当てているのです。
イラク愛国同盟にとって、イラク・レジスタンスはイラク国民の唯一の正当な代表です。この基本的な事実に基づかなければ、いかなる政治解決も失敗する運命にあり、解決にならないのです。
Q…最終決議において、世界社会フォーラムは3月19日と20日を、戦争と占領に抗議する国際行動デーにしようと呼びかけました。それはフォーラムが闘争の現実的な役に立っていることを示していませんか?
世界社会フォーラムはイラク・レジスタンスへの支持を表明していません。このことは今日、根本的な疑問です。私たちは多くの討論を通じて、ブラジル国民のあいだでも国際的な参加者のあいだでも、イラク・レジスタンスに支持を与える用意ができていることを確認しました。しかし世界社会フォーラムは、ポルトアレグレの会議場で自分たちの見解を出しませんでした。国際的な行動日を呼びかける他には何もできませんでした。彼らはイラク・レジスタンスを支持し帝国主義の占領に反対する鮮明なメッセージを避けたのです。イラクで進行中の戦争においては、二つのフロント(戦線)があり、どちらの側に立つか選択しなければなりません。
Q…世界社会フォーラムはルーラ政府の大きな支援ゆえに開催されました。この矛盾について、帝国主義に反対するブラジル国民へのあなたからの提案は何ですか?
西側世界における労働者党および社会民主主義の兄弟党は、資本主義体制の一部です。ルーラ政府はブラジルで国際通貨基金(IMF)と世界銀行の計画を実行していて、それは裕福な階級に奉仕しています。したがって貧困階級の利益を守る解決策をその体制内に見いだすことは望めません。私たちはブラジルの同志たちに、国際的な反帝国主義戦線に結集することを呼びかけます。
世界社会フォーラムは、世界の反戦、反帝国主義勢力のために満足できる回答を提供していません。私たちは、世界社会フォーラムに代わるものとして帝国主義の政策と戦う国際的な帝国主義反対のフォーラムを創設するため、真剣に働く必要があります。このことが今日、緊急に求められています。
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週刊『三里塚』(S675号2面2)(2004/03/15)
辺野古ヘリ基地反対闘争より
陸と海上で“座り込み”
迫る「作業船」に一歩も引かず
「海を守るのが海人。基地は要らない」
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海上のヤグラを占拠、接近する防衛施設庁船の前に飛び込む海人たち |
ヤグラに何度も接近し「作業させろ」と迫る防衛施設庁の責任者 |
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施設庁に雇われたボーリング作業要員の船。横柄な態度が目立った |
海岸には米海兵隊の車両が集結していた。“テント村”のすぐ隣だ |
沖縄北部の辺野古(名護市)漁港の沖合1・5`ほどの地点に、米海兵隊のヘリ基地が新設される計画が決まり、昨年4月から防衛施設庁による「ボーリング調査」が始まった。以来、地元漁民をはじめとする住民たちが「海上座り込み」を続け、ボーリング調査を阻止し続けている。
ヘリ基地といっても2000b滑走路を備えた本格的な軍事基地だ。辺野古には米海兵隊の基地「キャンプ・シュワブ」がある。1996年の日米安保共同宣言で普天間基地の「返還」が打ち出され、地元住民に「朗報」とされたのもつかの間、この辺野古海上基地の新設は決まった。普天間の代替基地だという。普天間「返還」は何と基地の新設だった。現地を訪ね、地元の人々とともに座り込みに参加した。(那海和盛)
◇ ◇
朝7時、辺野古漁港にある「命を守る会」の事務所前に行くと、すでに海上行動に出発する30人くらいが責任者の指示と点呼をうけていた。
「初めての人は海上ヤグラには上れません。一日船上での行動となります。海上の闘いがどんなものか体験してください。ライフ・ジャケットを忘れないで」
数隻の漁船や動力付きゴムボートが部隊を乗せて次々と出航していく。皆ウェットスーツ姿だ。カヌーで出発していく人たちもいる。すぐ隣が第3海兵師団の基地と演習場だ。イラクにいままさに出撃している部隊が日常的にこの浜で演習を行っている。
「ナイワイ丸」が私たちを海上ヤグラまで運んでくれた。この船は作家の灰谷健次郎氏が無償で提供しているという。船長の「かっちゃん」は真っ黒に日焼けした漁師(沖縄方言で海人=ウミンチュ)で、まだ寒いのにTシャツ1枚にジーンズ姿。とても61歳には見えない。いまが盛りのセイイカ漁を返上して海上行動を続けている。
海上のヤグラは4カ所ある。到着すると、みな慣れた身のこなしで海上のヤグラに飛び移り、船やカヌーがこれを取り囲んだ。これでボーリングを阻止するのである。70歳になるという守る会の女性も、ウェットスーツ姿で軽々とヤグラに乗り移った。「私は毎日、海の上が生活の場なの」と意気揚々である。
ヤグラは防衛施設庁が一方的に設置したもので、地元の人たちは「単管」と呼んでいた(単管をクランプで組んだヤグラ)。上部には三里塚でもおなじみのむしろ旗がなびいていた。
午前10時頃、防衛施設庁のチャーター船3隻が接近してきた。船長がいち早く発見。「敵さん来たよ〜」と声をかけると、皆それぞれ“阻止態勢”についた。船長はジーンズとTシャツを脱ぎ捨てヤグラに上り、10bもある赤フンドシをなびかせて海に飛び込んだ。このフンドシは漁師の鮫よけ用(自分より大きなものには近づかない)だが、スクリューにからまるので施設庁の船が近づけない。やはり70歳になるカヌー隊の男性(那覇の近くから毎日2時間かけて通っている)も飛び込んだ。
防衛施設庁の責任者らしい男が「これは施設庁の作業場だ。作業をさせろ」「海中のクランプが腐食していて危険だ」などと迫る。ヤグラ上の女性たちが「作業はだめです。あなたは誰か名乗りなさい」と応じた。施設庁は「あなたたちに名乗る名前はない」などと挑発的だ。彼らの船を操縦しているのは、施設庁に「日当5万円」で雇われた推進派で、昨年12月の作業強行時に守る会メンバーに暴行をふるって怪我をさせたという張本人も来ていた。ニヤニヤして何とも言えない横柄な態度である。
約30分の押し問答の末、施設庁の船団はなすすべなく現場を離れた。こうした攻防が4カ所のヤグラで毎日行われている。施設庁側は隙あらば突入する構えを崩していない。少し前に、住民たちの抗議で「力ずくの強行はしない」と約束した現場責任者は解任されたそうだ。この日、施設庁は「強行しないという約束は今後、保証できない」と捨てぜりふを放った。
(写真 海岸近くの座り込みテント。様々な支援者たちが次々と訪れていた)
午後も午前中と同様の攻防となった。海岸に設置された座り込みテントに戻ったのが午後4時半。長年、基地反対でがんばり続けてきた村の「おばあ」たちも大勢集まっていた。さっそく総括集会。各ヤグラの状況を報告しあい、最後に海上行動の責任者が「施設庁は本日、今後ボーリングを強行するような姿勢を見せました。これは約束違反です。彼らがあえてそのような挙にでるなら、あらゆる対抗措置を考えましょう」としめくくった。
浜のテント村には県内の教職員組合をはじめ、本土からの訪問者も次々と訪れ、座り込みに参加していた。守る会のメンバーの一人は「これからが勝負です。支援者と一緒に粘り強く闘って行きます」と語った。珊瑚礁のあるきれいな海で、新たな連帯を誓った。
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週刊『三里塚』(S675号2面3)(2004/03/15)
春の雪景色
三里塚農民の誇り
ポカポカ陽気と冷たい北風がめまぐるしく入れ替わり、春と冬が押しつ押されつしていた2月後半、それでも徐々に春めいてくるはずが、とうとう雪になってしまいました。東京で、3月に入ってから雪が積もったのは7年ぶりだそうです。
暫定滑走路の開港から3年が経とうとしています。暫定という、安全性さえ確保できない一時しのぎの状態で飛行をつづけること自体が異常なことです。市東孝雄さんの畑、現闘本部、一坪共有地、東峰神社、開拓道路などが当初計画を阻みつづけています。
空港会社は農業委員会を巻き込んで市東さんの畑に揺さぶりをかけようとしたものの果たせず、東峰神社は裁判で部落の総有財産であることが確定しました。空港会社が現在総力をあげているのが一坪共有地と現闘本部を強奪するための2つの民事裁判です。
3月2日の一坪裁判は前回につづき反対同盟が証言に立った山場です。初めに証言したのは、一坪運動に当初から関わり現在も名義人の1人である加瀬勉さんです。加瀬さんは「私は百姓だから飢えた子どもに腹いっぱい食べさせたい。そのために空港に反対します」としめくくりました。
つづいて萩原進さん。まず、親たちが農地を開拓するまでの苦労と人生をかけたシルクコンビナートが空港によって潰された悔しさを語りました。全体を通して明らかにされたのは、一坪用地は勝利して元の地主に返すことを目的とした運動であり、公団や空港会社が金をばらまいて買い占めることの不当性です。
萩原さんの証言には農民として生きることの誇りが貫かれていました。“三里塚農民ここにあり”――39年の歴史が法廷を圧倒しました。
(北里一枝)
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週刊『三里塚』(S675号2面4)(2004/03/15)
三芝百景 三里塚現地日誌 2005
2月23日(水)〜3月8日(火)
●3・27集会招請状出る 反対同盟は3・27全国集会にむけた招請状を国発送した。「北延伸3月決定をめぐる闘いに入りました」しかし「この無謀な計画は成田空港の最後的な破綻に道を開くでしょう」「3・27全国集会は政治反動に立ち向かう総決起集会です」「労農連帯の力で資本攻勢を打ち破り戦争の道を阻止しよう」と訴えている。(23日)
●1坪共有地強奪裁判で萩原さん証言 審理が統合された一坪共有地強奪裁判の弁論が開かれ、萩原進事務局次長が証言した。萩原さんは親の代の開拓の苦労を証言し、農民を無視して空港計画を強行した旧空港公団を弾劾した。さらに一坪共有地についても「空港問題が終わったら元の地主に返す契約で始めた」と語り、空港公団に売り渡すこと自体が不当だと強調した。この日の弁論では、元社会党現地闘争本部委員長の加瀬勉さんによって1966年に一坪共有運動が開始された当時の証言も行われた。(2日)
●「羽田の発着枠増やせ」
飛行枠が満杯の羽田空港で、国土交通省が、誘導路を増設して1日あたり14回分の発着枠増設に取り組む実験を行っていることが明らかになった。09年以降、アジア便が成田から羽田にシフトする流れは止まらない。(5日)
●自衛隊がまた迷彩服で成田利用 「スマトラ地震救援」を口実にインドネシアに展開していた陸上自衛隊44人が日本航空機で迷彩服のまま成田空港に帰国した。「迷彩服のまま」での軍事利用は出発の時以来2度目。軍事利用攻撃の拡大に反対同盟の怒りが高まっている。(6日)
●キャベツの移植 市東孝雄さん宅ではこの日、キャベツをポットに植え替える移植が行われた。「今年に入っての寒さで作業は去年より2週間遅れている」とのこと。「去年は風の日が多く、今年は雨が多い。天候不順がつづいている。自然環境の破壊が心配だよね」と孝雄さん。(6日)
●羽田に国際貨物便 国土交通省は2009年に4本目の滑走路ができる羽田空港で深夜・早朝の時間枠を使った国際貨物便を就航させる方針を固め、貨物量や飛行ルートの具体的な検討を始めた。貨物便については欧米線など長距離路線の就航も認める方向。4月の「再拡張事業の実施方針」に盛り込む。(8日=写真)
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