SANRIZUKA 2005/02/15(No673 p02)

ホームページへ週刊『前進』月刊『コミューン』季刊『共産主義者』週刊『三里塚』出版物案内販売書店案内連絡先English

第673号の目次

第4回口頭弁論の後、記者会見を行う反対同盟と顧問弁護団(2月3日)

第4回口頭弁論の後、記者会見を行う反対同盟と顧問弁護団(2月3日 千葉県弁護士会館)

1面の画像
(1面)
現闘本部の登記は事実  第4回口頭弁論 NAA、訴状の誤り認める
“地上権の存在”完ぺきに  地代も払い続けて
反対同盟が訴え「支援する会拡大を」
記事を読む
支援する会で戸村さん 「土守る闘い命の本源」 記事を読む
NAA重大な失点  次回傍聴にかけつけよう 記事を読む
蘇るむしろ旗 三里塚闘争40年の真実②
海外膨張と「国策空港」 切り捨てられた“農”
県庁抗議門前払い 養蚕事業の中止で「皆で大泣きしたよ」
記事を読む
ピンスポット “アグリパーク構想”の正体は
遊休地費用の削減
空港会社、見苦しいび縫策
記事を読む
 コラム 団結街道 記事を読む
闘いの言葉 記事を読む
(2面)
イラク情勢 家族を殺されて何が投票か?
誰が選挙で勝っても占領は続く
銃弾飛び交う投票所 力を増す武装解放勢力
記事を読む
アラブ・ジャーナリストの告発
石油はブッシュの物か?
記事を読む

北総の空の下で北総の空の下で

大寒のメニュー

玄米ご飯にミソ汁

記事を読む
三芝百景 三里塚現地日誌2005  1月26日(水)~2月8日(火) 記事を読む

週刊『三里塚』(S673号1面1)(2005/02/15)

 現闘本部の登記は事実

 第4回口頭弁論 NAA、訴状の誤り認める

 “地上権の存在”完ぺきに

 地代も払い続けて

 反対同盟が訴え「支援する会拡大を」

第4回口頭弁論の後、記者会見を行う反対同盟と顧問弁護団(2月3日) 天神峰現闘本部裁判の第4回口頭弁論が2月3日、千葉地裁で行われた。この弁論で空港会社側は、本部建物について反対同盟が登記している事実を認めた。これは、2004年3月に出された訴状における「未登記」の記載が事実誤認だったことを意味すると同時に、裁判の中心的争点である地上権(土地の占有権原)をめぐる論戦でも反対同盟側が優位に立ったことを意味する。その他、反対同盟側は一貫して地代を納入してきた事実、登記名義人が北原鉱治事務局長に回復された事実などについて空港会社を追及した。
 午前10時30分から501号法廷で始まった口頭弁論には、反対同盟から北原事務局長、萩原進事務局次長、鈴木幸司法対部長らが出席、顧問弁護団からも葉山岳夫事務局長、一瀬敬一郎弁護士、遠藤憲一弁護士、浅野史生弁護士が参加した。
 空港会社は今回提出した書面を陳述した。その中で、本部建物について「木造の建物を新築したこと、登記簿上、種類が『集会所』、登記原因及び日付が『昭和42年2月20日新築』と表示されていることは認める」と述べた。
 これは、現闘本部が登記されているとの事実を認めたことになる。それはすなわち、地上権の存在を認めたことに等しい意味をもつ。
(写真 第4回口頭弁論の後、記者会見を行う反対同盟と顧問弁護団【2月3日 千葉県弁護士会館】)

 「地上権」を補強

 空港会社側は一方で、外側の鉄骨造りの建物は登記された木造建物と「同一性がない」(違うもの)と主張し、木造建物は存在しないとして登記が無効であるかのように主張しようとした。だが、登記された木造建物は、そのまま鉄骨造りの中に現存しているし、コンクリート部分は登記建物を増築した二重構造になっているのである。
朝日に映える天神峰現闘本部(2月9日撮影) 空港会社側は、昨年3月、建物登記の事実とその建物の存在という決定的事実を誤認し、「被告らは何ら権原なく土地を占有している」などと強弁して、今回、土地強奪のための提訴を強行したのである。その誤りを認めざるをえなくなったのだ。
 また空港会社は、元反対同盟副委員長で旧地主の石橋政次との地上権関係について「石橋が土地を無償で使用させたにすぎない」と述べたが、これも事実ではない。反対同盟は、鉄骨造りを増築後、年5万円の地代を支払い続けてきた。反対同盟・弁護団は、これら建物登記の事実や石橋との地上権設定契約、地代を支払いつづけてきたことなど地上権の存在を証拠立てる6点の事実経過を明らかにした準備書面を提出し、陳述した。
 “逃げ回るのみ”
 同時に弁論の場でも葉山弁護士が空港会社側を追及した。「準備書面で現闘本部が登記されていることを認めているが、これは訴状と矛盾する。今までの主張を訂正するということか」と質した。
 さらに準備書面が「小川三男の名義で登記がなされているのみ」としていることに関連して「2004年7月に小川三男から北原鉱治名義に真正名義の回復が行われた事実については認めるのか」と尋ねた。
 これに対して会社側弁護人はすべて「追って書面で回答します」と逃げを打つのみだった。
 一瀬弁護人が補足質問に立ち、「鉄骨造りと木造建物が現在も存在することについては認めるのか」とたたみかけたのに対しても「追って書面で」をくり返し返答を避けた。
 今回の弁論も反対同盟側が一方的に攻勢を取る姿が際立った。
(写真 朝日に映える天神峰現闘本部【2月9日撮影】。NAAはこの外側の鉄骨造りと内側にある木造建物が「一体でない」と主張した)

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S673号1面2)(2005/02/15)

 支援する会で戸村さん 「土守る闘い命の本源」

 口頭弁論終了後、弁護士会館で記者会見と「支援する会」例会が行われた。
 記者会見では、葉山弁護士から、現闘本部に関して建物の保存登記がなされており、かつ2004年7月、小川三男から北原鉱治に名義の書き換えが行われたこと、さらに地代は一貫して納入されていることなどが説明され、「これらは反対同盟に地上権の保有があることの証拠である」と提起された。
 北原事務局長が「会社側の回答はデタラメきわまりない。現闘本部について石橋政次は『自由に使っていい』と言って移転していった。われわれの正義性は揺るがない」「空港建設の人権無視と暴虐によってわれわれは39年間も闘ってきた。日本の未来のためにも闘いつづける」と強調し、弁護団の奮闘に対して、「感謝する。弁護団が心おきなく活動できる体制を保証していきたい」と発言した。
 記者から、空港会社が「反対同盟は本部を無償で使ってきた、と言っているが」と尋ねられて葉山弁護士は「約20年間も地代は払ってきております。会社側が言う『無償』というのが、地代を払ってこなかったという意味なのか、別の意味なのか、現在求釈明を行っているが、会社側は地代の納入という事実を知っていながら否定しているものと思われる。また木造建物と鉄骨造り建物の関係について元からある木造建物と1988年に建てられた鉄骨造り建物は一体のものだが、空港会社側は否定している。これも言いがかりに近い暴論だ」と答えた。
 北原事務局長は「地代を納入した時に受け取った領収書もあります」と付け加えた。また記者は、北側一雄国土交通大臣が空港会社に要求している北側延伸問題についても尋ねた。
 萩原進事務局次長が「北とか南とか彼らが勝手に言っているに過ぎない。空港会社は実際はやりたくないのだろう。要するにわれわれを脅かして切り崩そうということだが、無駄だろう。やれるものならやって見ろという気持ちだ」ときっぱり答えた。

 会員着実に増加

 この後「支援する会例会」が行われた。代表で世話人の戸村義弘さんが「東峰神社にすばらしい御影石の鳥居が立った。旗びらきでの同盟の宣言もすばらしい。キリストは『真理はあなたを自由にする』と叫んだ。真理に従ってたたかう三里塚農民、それを支援する労農学こそが自由だ」「同盟の言葉は揺るぎない。東峰神社の意気、本裁判の前進。命の本源である土を守る闘いこそ報奨されるべき」とあいさつした。
 萩原進さんから、支援する会の会員が2月2日現在で441口にに達したことが報告され、お礼が述べられるととももに、よりいっそうの拡大が呼びかけられた。
 はるばる関西からかけつけた関西実行委員会の安藤真一さんは「現闘本部裁判で反対同盟が押していることはまちがいないが、権力側は必ずどこかでどんでん返しを策動してくるのが常だ。油断大敵です。空港会社側代理人を粉砕してがんばっていこう」と述べ、関西新空港反対の1・30闘争が成功した報告がなされた。
 次回は3月24日(木)午前10時30分。傍聴闘争に参加しよう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S673号1面3)(2005/02/15)

 NAA重大な失点

 次回傍聴にかけつけよう

 今回の口頭弁論で、今まで行ってきた「成田治安法で封鎖されている建物をどうやって撤去しろというのか」という提訴自体をめぐる論戦に加えて、地上権の有無という本裁判の核心的なテーマに入った。
 その冒頭で空港会社側が、現闘本部建物の登記の事実を認めたことは重大だ。彼らが昨年の訴状で書いていた「現闘本部建物は未登記」という基本的な事実に関する主張を事実上撤回したことになるからだ。
 この点について葉山弁護士が間髪を入れず質したのは当然だ。空港会社側は即答できなかった。
 問題となっている地上権の要件は①建物の存在②その建物の登記の事実③建物が継続して使用されていること、の3点である。これに「地代が支払われつづけてきた事実」が加わればさらに同盟側の正当性が補強される。
 地上権をめぐる最初の弁論で同盟側は重大な優位を確保した。さらに本部裁判を支援する輪を広げよう。支援する会に自ら入り、拡大しよう。傍聴にかけつけよう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S673号1面4)(2005/02/15)

 蘇るむしろ旗 三里塚闘争40年の真実②

 海外膨張と「国策空港」 切り捨てられた“農”

 県庁抗議門前払い 養蚕事業の中止で「皆で大泣きしたよ」

 新空港の決定過程自体が腐敗した自民党政治の象徴であるとともにその後40年に及ぶ工業優先・農業切り捨ての原型をなしていた。萩原進さんの闘いの原点となるこの問題をふり返る。

 新国際空港建設の決定は1962年にさかのぼる。当時の池田勇人内閣は11月「羽田空港の狭隘化」を理由として第2国際空港建設を閣議決定した。東海道新幹線の建設予算は1972億円、名神高速道路は1148億円。これに対して新空港建設費用は1800億円とされた。新空港計画はまさに新幹線、高速道路計画と同じかそれをしのぐ最大級の国家プロジェクトだった。「100年に1度の国策」(佐藤栄作元首相)という言葉は誇張ではなかった。
 日本経済の第1次高度成長は55年から始まり64年までつづいたが、1962年には頭打ちの傾向を見せていた。旧植民地を失った戦後の日本帝国主義は、重化学工業に重点をおく政策によって経済復興の道を求めたが、60年代初頭にいたって、国内市場の飽和・狭隘化につき当たる一方、工業製品の輸入自由化や資本進出を求める米国からの圧力に早くもさらされた。
 こうした隘路を、アジアへの帝国主義的膨張によって克服するべく日本のブルジョアジーは機械製品輸出、資本進出にドライブをかけていった。その象徴が1965年の日韓条約締結だった。新国際空港建設計画は、このような日本の帝国主義的復興と新たな海外への膨張路線にとっての基盤的インフラをなしていた。
 この「一〇〇年に一度」の巨大プロジェクトをめぐって並み居る大物政治家が利権争いでうごめきスキャンダルを起こして人びとの批判を浴びた。62年11月に閣議決定されると航空審議会への諮問もされぬうちから介入が始まった。63年6月、建設族のボスで建設大臣だった河野一郎が埋め立て利権をもくろんで千葉県木更津沖埋め立て案を提唱、運輸大臣の佐藤派・綾部健太郎は対抗して浦安沖に建設したいと発言した。

 ボス利権争い

佐藤首相と友納千葉県知事の会談で三里塚空港案が決まった(1966年6月22日) 航空審の答申は12月。浦安案、茨城県霞ヶ浦案、千葉県富里・八街案が併記されたが、政治家たちのつばぜりあいはむしろ激化した。埋め立て案には五洋建設など浚渫(しゅんせつ)業大手、内陸案には鹿島建設、三井不動産、三菱地所といった建設業や不動産業者が取り付き、前記河野や綾部の後任運輸相・松浦周太郎に加えて千葉県の実力者川島正次郎や農林大臣の赤城宗徳らまでが割り込んで、閣僚同士ののしり合う泥仕合がくり広げられた。
 この中で、1965年7月河野一郎が急死したことによって、富里案が一気に浮上することになった。位置決定の決め手となったのは軍事用空域との関係だった。木更津案にしても浦安案、霞ヶ浦案にしても大きな問題を抱えていた。
 まず首都圏西部にはブルー14と呼ばれるアメリカ軍専用空域が占領していた。米軍横田基地、木更津基地、立川基地、厚木基地などのための排他的空域である。これが首都圏のすべての空港に大きな制約を課していた。霞ヶ浦案も自衛隊百里基地の空域と競合した。浦安案は羽田空域との競合および住宅地の騒音問題が解決不能だった。
(写真 佐藤栄作首相【左】と友納武人千葉県知事【ともに当時】の会談で三里塚空港案が決まった【1966年6月22日 首相官邸】)
 こうして富里・八街案が65年11月に佐藤内閣の閣僚協によって内定された。計画規模は2300㌶、滑走路は4000㍍級3本を含む5本という巨大なものだった。移転対象農家は約1000戸。富里・八街農民は怒った。同地域は「関東のデンマーク」と呼ばれる農業先進地だった。一戸当たり農地面積も1・42㌶で全国平均0・95㌶を大幅に上回っていた。
 そして何よりも自民党農政自体がまったく信用されていなかった。ある時は酪農を薦め、ある時は大麦、ある時は養蚕。農民はいわゆる猫の目農政に翻弄され失政のツケを回された。闘争初期、反対同盟の中でも「政府の政策の逆をやった方が成功する」と語られていたほどだった。
 こうして富里・八街農民は猛烈な反対運動を展開し、「関係閣僚協による内定」で運動は頂点に達した。66年2月7日には1500人のデモ隊が千葉県庁を包囲し、一部が突入する事態にまで発展した。ここに来て政府・運輸省も新空港計画の無謀さを知らされ、代替案の検討に入らざるをえなくなった。
 「おれの通っていた多古高校にも富里から通っている生徒がいて、富里空港問題を訴えていたけど、当時は何の関心もなかった。申し訳ないことをした。その空港がまさか、こっちの方に来るとは想像もしなかったよ」と萩原さんは語る。

 三里塚へ着陸

ここでひねり出されたのが、規模を半分に縮小して隣接地域にずらすという三里塚空港案だった。面積は1065㌶、滑走路は3本、移転農家は250戸。
 一方この時期には、ベトナム戦争のための米軍による羽田空港使用が猛然と増えていた。最大時には月に500便を超え、月4600便の1割にも及ぶ規模だった。軍事的要請もかつてなく高まっていた。
 こうしたすべての事情が「製鉄、化学など重化学のためには農業を切り捨てる」「空港建設に手段を問わない」という三里塚空港建設方針を政府に採用させた。佐藤首相は非常手段での空港建設を公言した。
 その結果最も重視されたのが、「農民に知らせず一気呵成に正式決定に持ち込む」という究極の農民無視であった。「三里塚なら開拓農民が多いから札びらで何とでもなる」という開拓農民蔑視も強かった。
 1966年6月22日に「三里塚空港案」が発表されると(写真)、2週間も経たぬ7月4日に関係閣僚会議で内定、閣議で正式決定という2つの手続きが強行された。
 こうした帝国主義による農業切り捨ての農民圧殺政策が、萩原進さんが人生の夢を託したシルクコンビナート計画を中止に追い込み、彼の人生を引き裂いた。コンビナート計画の中止を知らされた萩原さんらは、千葉県蚕糸課に押しかけ友納知事との面会を強く求めた。顔見知りになっていた蚕糸課長も知事に必死に取り次ぎ面会を促したが、一顧だにされず門前払いされた。
 「あの時ほど悔しかったことはない。みんなで大泣きしたよ。俺の人生を勝手に左右されてたまるかと」と萩原さんは語る。「直後の6月の定例県議会での友納知事の答弁が忘れられない。シルクコンビナートの中止で被害を受ける俺らの将来について質された知事は、『農業とは別の方向でがんばってほしい』と語った。俺はその時『農業とは別の方向で』とは『空港反対闘争の道を徹底的に突き進め』という意味だと決めたんだ」というのが今も変わらぬ萩原さんの口癖である。(つづく)

 メモ ●日韓条約締結

 日本経済の高度成長は、1955年から57年までが神武景気、59年から61年までが岩戸景気、63年から64年がオリンピック景気、66年から70年までがいざなぎ景気とされた。
 この中で1965年の不況は深刻だった。戦後初めての大不況で、山一証券倒産の危機、山陽特殊鋼など大型倒産が相次いだ。戦後禁止されていた赤字国債が解禁され、アジアなどの海外膨張へ日本経済はカジを切り始めた。その象徴が両国の人民の反対を押し切って締結された65年の日韓条約だった。新国際空港はこうした経済転換を支える基幹プロジェクトとして計画された。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S673号1面5)(2005/02/15)

ピンスポット “アグリパーク構想”の正体は

 遊休地費用の削減

 空港会社、見苦しいび縫策

“アグリパーク構想”の正体は遊休地費用の削減 騒音下農民を移転させるために買収した遊休農地対策として、成田空港会社は1月27日、芝山町岩山地区で「エコ・アグリ・パーク」(仮称=写真)と称する遊歩道整備を行い、菱田地区では農業研修生を受け入れる事業を来年度内に実施すると発表した。
 これは、620㌶もある遊休農地の管理費に悲鳴をあげる空港会社の泥縄的弥縫(びほう)策である。今までNAAの遊休農地は有料の貸し付け対象だった。しかし、空港会社自ら農業破壊の先頭に立った結果、肝心の農家が減り借り手はいなくなった。タダでも借り手は現れない。
 他方、遊休農地は雑草を刈るなど手入れをしないと周りの畑に迷惑を及ぼす。620㌶と言えば空港敷地の半分を超える広大な面積だ。その管理費も巨額だ。民営化で余裕のないNAAは今回の事業で何とか管理費を節約しようというのだ。農地使用料や研修費、機械1セットまで無料貸与という涙ぐましい努力だが、失敗に終わるだろう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S673号1面6)(2005/02/15)

団結街道

 「ご無沙汰。変わりない?」と久しぶりの電話で知人に問う。「おう、相変わらずよ」と返ってくる。これで何となく安心するのが大方の習わし…この価値観は「無病息災」などという人間生活の基本にかかわる話で、変わりがないのが「吉」、変わるのは「凶」とされる。恙(つつが)なきの「恙」は病気や災難のことで、それらがなければ「つつがなし」となる一方、政治の世界は絶えざる「変革」を迫られる。澱んだ政治は腐敗の象徴。一般論だがこの世界で変わらないことは「悪」、変化こそが「善」なのだ。究極の変化は「革命」であり、これは歴史の究極の進歩への入り口である変革と不易、変わるべきものと変わってはいけないもの。私たちはこの両面で生きる。変わってはいけない代表が農と食だ。長年の土との格闘で、変わらぬ自然の摂理に感心する。自然界は変わらない。ほんの少し変わるだけで「異常気象」となり作柄に影響する。地球の気温が1度上がれば大騒ぎだこの自然界にほかの動植物とともに生きている(生かされている)のが人間だ。故に、自然と人間の関係の根本は変えられない。蘆花が「人は土の上に生まれ、土の生むものを食って生き、死んで土になる。我らは畢竟、土の化け物である」と書いたのもそういう意味だろうストップしていた米国産牛肉の輸入が解禁近し。抗生物質耐性菌の蔓延などの山積する問題もお構いなし。日本の農業はコストが高いので捨ててしまえ、食料は全部輸入で超OK! と政財界は公言する。人間の根本を否定する思想である。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S673号1面7)(2005/02/15)

 闘いの言葉

 我々は三里塚では反対が少ないという一方的判断に本大会の事実をもって反撃し、考える余裕も与えず反対を押し殺す暴挙に対し空港撤回まで闘い抜く。
 三里塚新空港反対集会宣言 66年6月28日

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S673号2面1)(2005/02/15)

 イラク情勢 家族を殺されて何が投票か?

 誰が選挙で勝っても占領は続く

 銃弾飛び交う投票所 力を増す武装解放勢力

 イラク国民議会選挙なるものは、いったい何だったか? 現実は「不正選挙」や「投票率」を云々(うんぬん)できる以前的状況だった。「問題はあるが、とにかく選挙は行われた。民主主義への一歩は開かれた」という日本の商業メディアの論調は、事実と大きくかけ離れた暴論である。

オーストリア大使館付近で自動車爆弾が炸裂し、26人が志望した現場(1月19日) ●「選挙のためのテロ」を指令した米国防総省
 アメリカは1月30日の「議会選挙」をでっち上げるために年末から駐留部隊を増強し、1月冒頭から国内のレジスタンスに対する大規模な軍事攻撃を行った。昨年11月のファルージャ(現在も戦闘続行!)で5千人以上を虐殺した蛮行と同規模の作戦をイラク中・西部と北部の複数の州で強行したのだ。
 攻撃対象となったモスル(北部)、ラマディ(西部)、ティクリート、サーマッラ、バラド(中北部)等の約30都市は、すでに暫定政府から離脱、武装した住民による自治が始まり、事実上の解放区のような様相を呈していた。米軍が組織した警察機構もレジスタンスの統制下に置かれていた。首都のバグダッドですら、メーンストリートのハイファ通りがレジスタンスに支配され、暫定政府と米軍の中枢がおかれている通称グリーンゾーンが毎日のように迫撃砲やロケット砲で砲撃される状態が続いている。
 議会選挙なるものは、こうした諸都市とレジスタンスの支配区を住民もろとも殺りく・破壊する軍事攻撃にさらすことでしか、見せかけの形式を整えることもできなかった。米軍はイスラム教スンニ派の指導者らを暗殺・拉致する作戦まで実行したのだ。「選挙のためのテロル」――これはおよそ選挙といえる代物ではない。
(写真 バグダッドで戦闘がない日はない。写真はオーストリア大使館付近で自動車爆弾が炸裂し、26人が志望した現場【1月19日】)
 ●「議会選挙」当日、イラク全土が戦場だった
 多くのイラク人民は、こうした米軍のカイライ選挙自体をはっきりと拒否した。武装レジスタンスは果敢に戦った。選挙当日のイラク全土は戦場だった。アメリカ大使館が砲撃され、米国人6人が死傷したのに続いて、英軍特殊部隊9人を乗せたC130輸送機をミサイルで撃墜するという大戦果をあげた。イラク警察の発表だけでもバグダッド、バスラ、バクバ、アンバル州などで103カ所の投票所が攻撃されたという。この数字にはサーマッラ、キルクークなどの情報は入っていない。
 当日だけで40人以上の米兵が死亡した。バグダッドでは、マスコミが伝えるような大挙して投票する人の姿はなかった。失業者を金で雇って投票所に並ばせることまでが行われた。民衆記者たちは「TVの映像はやらせだ。全て政党に動員された人間たちだ。彼らは金で雇われた」(イスラム・メモ)と報道している。そもそも投票日の直前まで立候補者名簿すら公表されなかった。くり返すが、これは選挙ではない。

陸自が駐留するサマワで「自衛隊の撤退を要求するシーア・サドル師派の集会(2月4日) ●確実に力を増すイラク・レジスタンス
 イラクのレジスタンスは確実に力を増している。イラク情報省の情報ですら、いまや戦闘部隊だけで4万人超、20万人以上の兵站部隊がそれを支えている。米軍の公式発表「約1万人」をはるかに上回る。こうした規模の抵抗闘争は、百万人規模の民衆の積極的協力なしには不可能だ。
 米シンクタンクの戦略国際研究所(CSIS)は昨年末、イラク武装勢力の実情を分析する報告書を発表、そのなかで「外国から流入したイスラム過激派」はイラクの武装勢力の5~10%に過ぎないとの調査結果を示した。ブッシュや日本政府の「定説」と全く逆の結果だ。そして武装解放勢力は、イラク暫定政府内に情報源を持ち、多様な組織と連携して破壊工作などを行い、作戦立案や資金確保を担当する中央司令部も存在すると指摘した。
 武器も強化されている。レジスタンスは、装甲の厚いM2ブラッドレー戦闘車やM1エイブラムズ戦車まで破壊できる武器を駆使している。鳴り物入りで宣伝された米軍のハイテク兵器群は何の役にも立っていない。米軍は相変わらず爆弾を住宅に投下するような無差別殺りくを続けている。
(写真 陸自が駐留するサマワで「占領軍=自衛隊の撤退」を要求するシーア・サドル師派の集会【2月4日】)
 ●シーア・シスタニー派の裏切りが何を生んだか
 今回のカイライ議会選挙の大きな特徴の一つは、サダム・フセイン政権時代に隣国イランに亡命していたイスラム教シーア派のシスタニー師派の勢力が、窮地に立った米軍を利用して議会選挙での「権力掌握」を目指し、イラク民衆の武装解放闘争を裏切ったことにある。昨年9月のナジャフ(シーア派聖地。サドル師派が頑強な抵抗を貫いた)の攻防で窮地に陥った米軍は、多数派であるシーア派を一定の範囲で登用(スンニ派との分断政策)する政策を採る以外になくなったが、シスタニー派は最終的にこの米軍の思惑に乗って議会選挙への参加を強行したのである。アメリカや日本のマスコミが今回の議会選挙を形だけでもかろうじて“報道”できたのは、唯一このシーア派指導部(シスタニー師派)の裏切りに支えられたものだ。
 しかしこの問題は、アメリカ帝国主義のイラク占領(再植民地化)の全面的破たんを一時的に先送りしたに過ぎない。
 本質的な問題として、米軍は議会で多数派をしめることになるシーア派シスタニー師らの「統一イラク連合」に、イラクの権力そのものを渡すことは絶対にできない。この点で宗教指導部の思惑とアメリカの帝国主義的利害は決定的に矛盾している。すでに判明している選挙結果(これ自体の信ぴょう性はゼロに近いが)を公式に発表もできない理由は、クルド人勢力を含め選挙に参加した各派間と米占領軍を交えたドロドロの権力闘争が行われているからだ。
 議会選挙で「多数派」をしめるであろうシーア派指導部は、アメリカの帝国主義的利害(占領の継続と石油権益)を無視することはできず、占領支配からの解放を願うシーア派大衆と離れていく以外にない。9月のナジャフ攻防で多大な流血を乗り越えて戦ったサドル師派は、その大半がシスタニー師のファトワ(宗教令)に従わず選挙をボイコットしたが、彼らが米軍の占領に加担したシスタニー派指導部と決定的に激突していくことも時間の問題だ。

 さらに決定的な問題は、米軍が大規模な殺りく作戦でレジスタンスの核となっているスンニ派の有力部族を分断・抹殺する政策をとったことだ。これに対してレジスタンスの統一戦線である「44の組織と300万の支持者で構成されるイラク愛国戦線」(CNN)が選挙ボイコットを貫いた意味は大きい。この統一戦線は昨年4月のファルージャ蜂起を通して成長し、シーア派の反米闘争派(サドル師派など)との軍事交流も含めた抵抗闘争も進展していた。
 こうした背景があって、9月のナジャフ攻防では「スンニ派とシーア派の共闘」という画期的事態も表面化し、米占領軍に決定的な打撃を強制したのだ。この時米軍とカイライ政府は、イギリスに避難させていたシスタニー師を呼び戻すことなしに民衆蜂起を収拾できなかった。
 ところが11月に米軍がファルージャ大虐殺に再び乗り出した時、シスタニー師らは米軍から「選挙による権力奪取」の幻想を与えられ、ペテン的に登用されたことで、ファルージャの抵抗闘争を事実上見殺しにした。このシーア派宗教指導部の決定的ともいえる裏切りは、スンニ派のレジスタンス勢力にとどまらず、サドル師派をはじめとするシーア派大衆の憤激を買い、サドル師派の大半が選挙をボイコットする結果をも生んだ。
 こうして米軍はイラク民衆のなかに、深刻な分裂と内戦の危機を持ち込んだのである。すでに一部で軍事衝突も始まっている。この衝突は、最終的にシーア派宗教指導部の打倒と米軍占領からの解放を実現するまでやむことのない非和解的なものである。

 ●「スーパーパワー」米軍の崩壊始まる
 「無敵のスーパーパワー」などと言われた米軍の軍事力が、イラク占領の失敗でその限界を露呈させたことは、アメリカの中東支配および帝国主義の世界支配全体にとって致命的な問題に発展するだろう。
 2001年〈9・11>以来の、アメリカの「対テロ戦争」経費は累計で2800億ドル(約2兆8400億円)を超えた(毎日)。イラクへの駐留費は年間で1050億ドルに達している。この額は、環境保護局(EPA)予算の13倍以上に相当する。ブッシュ政権はさらに800億ドルの追加支出を補正予算として議会に求めているが、占領の長期化が確定的となったことでアメリカ議会で「撤退」論が噴出するなど、支配階級自身が激しく動揺し始めている。共和党で元国務長官のキッシンジャーやシュルツらはワシントン・ポスト紙で「撤退を考えてはいけない」と危機感をむき出しにして撤退論に反論した。
 軍自身の動揺も著しい。イラク駐留軍で死者が急増し、新兵募集が行き詰まってしまったのだ。海兵隊の元司令官が「アフガニスタンで人を撃つのは楽しかった(!)」などと公の場で発言(CNN2・1)するような事態は、軍の崩壊ぶりを象徴している(現場で精神が“壊れた”一般兵士の多くがこのような状態になるといわれる)。ブッシュ政権に直接影響力を行使しているネオコンの中心シンクタンク「PNAC」は、徴兵制の復活を要求する提案を議会に提出した。
 アメリカ帝国主義にとって、イラクからの撤退=イラク戦争の敗北は中東石油支配の全面的な喪失であり、何がなんでも容認できない問題である。アメリカはイラク戦争を強行したことで、もはやイラク・中東と世界の人民の手で打倒される以外に後戻りのできない泥沼に足を踏み入れたのである。
 そして、敗戦国として軍事的無準備を抱えたまま日米枢軸を形成し、自衛隊派兵の泥沼に入り込んた日帝・小泉政権の危機はさらに深刻である。軍事的・政治的な日米一体化と日帝の帝国主義的権益(石油権益やアジアの権益)は、すでに表裏一体の関係になっている。日帝もまた、サマワの自衛隊がいかに危険にさらされようとも撤退という選択は取りえないのである。
 イラクの民衆抵抗闘争と連帯し、日米帝国主義を打倒しよう! 自衛隊の即時撤兵を勝ち取ろう!

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S673号2面2)(2005/02/15)

 アラブ・ジャーナリストの告発

 石油はブッシュの物か?

 アラブの独立系ジャーナリストがウェブサイトに投稿した報告(抜粋)を紹介する。

 今回の選挙で、投票規則や誰が候補になれるかを決めたのは米国だ。投票規則は「独立イラク選挙委員会」とか言う委員会が決めたが、このメンバーは一人か二人の例外を除き、暫定占領当局(CPA)のポール・ブレマーが昨年6月の「権力委譲」の前に全権を行使して指名した。
 委員会は候補者を除外する絶対的権限を持っている。何人もの立候補を禁じたが、秘密になされたため、誰が何の理由で立候補を禁止されたかは誰も知らない。法のしかるべき手続きは存在せず、禁止の理由を立件する必要もない。そして立候補する者と組織は、“宣誓”してブレマーが押しつけた法律に忠誠を誓わなくてはならない。
 立候補禁止条件の一つに「道徳的劣行」という、一見もっともな理由がある。しかしこの禁止事項は、米国が暫定政権に指名した後で大規模な汚職で有罪判決を受けたアフメッド・チャラビや、サダム支配下のイラクでスクールバスや映画館などの爆破を司令したCIA工作員であり、米国に指名されて暫定政権首相となったアヤド・アラウィには適用されない。
 政党や個人の中には米国から資金供与を受けている者もある。米国共和党と結びついた組織である国際共和インスティチュートは一部のグループのキャンペーンに資金を提供しており、それらグループは極めて有利となった。同インスティチュートは在外投票も組織しているようだ。

 誰が選挙に勝っても占領は続く。ここに問題の本質がある。米軍は巨大な基地をイラクに設けており、イラク撤退の意志はない。匿名の米政府関係者は「自由選挙」なるものの実態が、米国政府が定めた範囲内でのみ「自由」なのだと証言している。その限りにおいて米国は、一定の神権政治を「我慢する」準備もあるという。
 しかしイラク人の候補者の前には絶対的な「停止線」がある。選挙で「選ばれた」者たちは、自ら選んだ政策を自由に実施することはできない。そういう仕組みなのだ。いずれ発表される「新政府」は、既に手足を縛られている
 次の投票は憲法の制定だが、これはブレマーが決めた法律のもとで実施される。18州ある知事のうち3人が反対すれば、新憲法が90%の賛成票で成立しても拒否できる。

 そもそも占領者が勝手に法律を変えること自体が不法行為だ。にもかかわらず、ブレマーはイラクのあらゆる機関を民営化すると決め、暫定政権はそれに署名して法律にしてしまった。これによって、100%外国資本の所有、あるいは40年以上の外国による租借が認められた。石油資源や生活設備、公共サービス関連までもがそれに含まれている。
 イラクは負債の輸出に対する比率が世界で最も大きな国である。サダムが行なった戦争で1800億ドルにのぼる大規模な負債を抱えたが、西側諸国とIMFは喜んでサダムに貸し付けや武器売却を行なっていたことを忘れてはいけない。化学兵器などの関連技術を売ったのも彼らだ。クウェート侵略の賠償請求(300億ドル)もあるが、この請求は想像しがたいほどリッチな石油企業等から出されている。負債額は巨大である。
 パリ・クラブ等は「構造調整」プログラムのヒモ付きで“負債削減パッケージ”に合意した。これによってイラクはアルゼンチンやルーマニアをはじめとする世界資本主義の破滅的政策にはめられた諸国の後を追うことになる(犠牲になるのは多くの民衆だ)。条件つきの負債免除期間の後に残る負債は、今後何十年もイラクの民衆をさらに厳しい環境に追いやるに十分な額である。
 IMFが示した条件とは? 一つはイラク石油産業を「開放」すること。破格の安値でブッシュ一族に売却するというわけだ。もう一つは食糧配給の削減。食料の配給は現在唯一の社会福祉プログラムで、金のない人々も無料で食料を得ている。しかしこれを廃止し、代金を支払えというのだ。有力な議員候補はこれらすべてに合意している。だからこそ資金援助を得て有力候補となることができたのだ。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S673号2面3)(2005/02/15)

北総の空の下で 大寒のメニュー

 玄米ご飯にミソ汁

 寒のピークです。大寒から立春にいたる1月末から2月始め、典型的な冬型気候がつづいて、日本海側では大雪、太平洋側では乾燥した空っ風の毎日です。
 北海道では日中も氷点下、旭川では厳寒のマイナス15度……、だが待てよ、と思うのです。
 私は小学校2年生まで旭川にいましたが、たしか学校が1時間遅れになるのはマイナス25度、休校は28度でした。40年前と比べたら気温はよほど高くなっているのです。
 100年の単位でみると平均で2度の上昇、関東地方がそっくり九州に移動した計算になるのだとか。地球温暖化の現実をつき付けられた思いです。
 寒中、人間は着込んだり暖房器具を使ったりできますが、野菜は霜から身を守るために糖分を作って蓄えます。冬は路地物とハウス物の味の差が歴然とわかる季節です。
 冬の長ネギは緑の部分も全部食べられておいしい!
 長ネギ、玉ネギ、ラッキョウなどのネギ類は、根菜と違って短期間で育つと思ってませんか?
実は苗を育てて移植して、出荷するまでに1年近くもかかる野菜です。
 1月、冬ネギを出荷する一方で、今年9月頃から出荷する予定の夏ネギの2度目の草取りをしたところです。
 カゼ対策に焼きネギを首に巻く民間療法も科学的根拠のあることです。温熱効果と同時に揮発性のアリシンが鼻やのどから入って体を温めてくれるのだそうです。
 鍋物、味噌汁、炒め物、薬味などなど大活躍のネギですが、私の一番のお勧めはネギをたっぷり混ぜ込んだ納豆です。玄米ご飯にネギ納豆、根菜たっぷりの味噌汁――冬を乗り切る私のとっておき朝食メニューです。
 (北里一枝)

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S673号2面4)(2005/02/15)

 三芝百景 三里塚現地日誌2005

 1月26日(水)~2月8日(火)

第4回口頭弁論の後、記者会見を行う反対同盟と顧問弁護団(2月3日)●「2500㍍化は本来計画(南伸)で」 定例記者会見で成田空港会社(NAA)の黒野匡彦社長は「北側延伸を目指せば工期は6年かかる」として南側に伸ばす本来計画を目標とすることを改めて表明した。やっても意味のない北側延伸工事はやりたくない、との意思表示である。(27日)
●遊休地保全に四苦八苦 空港会社は芝山町岩山や菱田の騒音対策で取得した遊休農地を使って「エコ・アグリ・パーク」(仮称)を造成したり、農業研修生を受け入れる事業を来年度内に実施すると発表した。実態は、620㌶もある遊休農地の管理費に悲鳴をあげる空港会社の泥縄的対策である。今まで遊休農地は貸し付けの対象だった。しかし、空港会社自ら農業破壊に手を貸した結果、農家が減り、農地の借り手はいなくなった。都会の農業希望者を引き込んで管理費を浮かせようとするものだが失敗は必至。(27日)
●ゴボウ掘りに汗 東峰部落の萩原進さん宅でゴボウ掘り作業が行われた。今年も上々の出来。新ゴボウを食べた消費者から「キンピラにしたらおいしかった」という便りが届いたとのこと。(27日)
●革共同集会へメッセージ 
九州と中四国の革共同政治集会に反対同盟がメッセージを送った。「戦時下における反戦の砦として三里塚は、小泉戦争政治に対し先頭で闘いぬく」「3・27全国集会への大結集を」と訴えた。(30日)
●NAA、事実誤認を認める 千葉地裁民事第5部・安藤裕子裁判長の下、天神峰現闘本部裁判の第4回口頭弁論が行われた。NAA側は準備書面で、現闘本部木造建築物について、「登記されていることを認める」と回答してきた。昨年3月の訴状では「建物は未登記」としていた。この主張を事実上撤回したのだ。(2月3日=写真)
●日の丸・君が代強制反対集会に 東京都千代田区の日本教育会館で行われた「教育基本法の改悪反対・「日の丸・君が代」の強制を許さない2・6総決起集会」に反対同盟と全学連現闘が参加し、ともに闘った。(6日)
●関西から援農隊 関西の大学から援農隊が現地入りし、この日は萩原進さん宅に援農に入った。作業はサトイモとニンジンの出荷準備。11日まで反対同盟各戸を農作業で支援し、現地調査などにも取り組む予定。(7日)

------------------------TOPへ---------------------------