SANRIZUKA 2005/01/15(No671
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週刊『三里塚』(S671号1面1)(2005/01/15)
この期に及んで「北延伸」とは…
“あまりに理不尽な脅迫だ”
新年団結旗びらき 「三里塚は屈しない」
戦時下の抵抗拠点に
「イラクの民衆と連帯する」
反対同盟は1月9日、暫定滑走路の間近に食い込む東峰部落開拓道路で新年第1波の集会をかちとり、空港予定地内を横断して2005年の決意を表すデモを行った。暫定滑走路の2500㍍化を阻止する「平和の守り神」東峰神社ではしめ縄のかけかえを行った。つづいて新春恒例の団結旗開きを成田市内のレストランで盛大に催し、暫定路の「北延伸」阻止、天神峰現闘本部裁判勝利、収用委再建攻撃粉砕、成田空港の軍事基地化阻止を目指す05年三里塚闘争の勝利を誓った。デモ・旗開きには動労千葉、関西実行委、北富士農民など150人の労農学参加して、3・27全国総決起集会(三里塚現地)への大結集を確認しあった。小泉政権のイラク派兵、資本攻勢、憲法改悪攻撃と対決し、「北延伸」攻撃に止めを刺そう。

旗開きの最後に2005年の勝利を誓って団結がんばろうを行う反対同盟(1月9日)
《乾杯の音頭・鈴木幸司さん》明けましておめでとうございます。本年は今までの39年のたたかいの総括を含めて、完全勝利を多くのみなさんと共に勝ち取る年にしよう。乾杯!
《敷地内からの決意・天神峰部落市東孝雄さん》昨年は異常気象に悩まされましたが何とか営農を守り抜きました。空港会社は現闘本部に対する不当提訴、私の畑の耕作権に対する攻撃そして年末には北側一雄国土交通大臣による2500㍍化発言および堂本暁子・千葉県知事による収用委再建攻撃等々、あっという間の1年でした。
05年、権力の弾圧・攻撃は強くなると思いますが、三里塚闘争はそれをはね返す力を蓄えています。動労千葉をはじめとした労働者との労農連帯、沖縄、関西、北富士との反基地闘争の連帯をさらに強く固め、農地死守、軍事空港反対、戦争阻止にむかって、地に足のついたたたかいを貫徹していく覚悟です。
そして今年は、心底多くのみなさんの力を借りて三里塚の輪を全国に広げてもらいたいと思います。戦争阻止、空港完成阻止・廃港へ前進していきたいと思います。3月27日の全国集会には1人でも多くの結集をお願いします。
《閉会宣言・伊藤信晴さん》今日は反対同盟の各発言によって3・27集会への大結集が訴えられました。北原鉱治事務局長、萩原進事務局次長を中心に、大きな陣形が築かれ、勝利の現実が切り開かれています。
暫定滑走路は航空法にも違反する違法ででたらめな滑走路です。現在の勝利の地平に甘んじることなく、暫定滑走路への閉鎖要求を掲げて05年前進します。3月大結集をお願いします。
反権力の真髄を問う
《反対同盟顧問弁護団・葉山岳夫事務局長》反対同盟のたたかいは空港会社を追いつめて、確実に空港廃港への道をたどりつつあります。暫定滑走路の誘導路を「へ」の字に曲げている現闘本部に対しては法律無視の提訴を行ってきましたが、「現闘本部裁判を支援する会」の応援をえて反対同盟と弁護団は勝利的に裁判を進めています。
一坪共有地強奪訴訟においては、提訴自体は03年12月でしたが、バラバラになされていた3つの審理が併合になり、1月19日には北原事務局長と鈴木幸司さんの証言が勝ち取られます。
市東さんの畑についても空港会社は、地代の受け取りを拒否できず、耕作権を認めました。
(写真 旗開きに先立って東峰十字路北側開拓道路で新年第1波の決起集会を行った【1月9日】)
堂本知事は収用委員会を再建しましたが、事業認定は失効しており、適用できません。収用法に関する三里塚の地平は揺るぎません。そして今年2月には中部国際空港が開港し、09年には羽田空港のD滑走路が開業します。成田の比重は圧倒的に低下しつつあります。裁判闘争の比重が重くなっています。弁護団は現地闘争と連帯して徹底的にたたかいます。
《動労千葉委員長・田中康宏さん》昨年末、堂本知事による収用委再任命が強行されました。社会のあらゆる機構を戦争にむかって組織しようという敵の動きが改めてはっきりしてきている。労農の団結をもって根本的に誤った社会を転覆するためにたたかいたい。
実は今日1月9日は100年前のロシア革命における血の日曜日です。動労千葉は昨年米国、韓国の労働者とつながることができたが、立ち上がる国際的な労働者のたたかいに対しこれに襲い掛かる権力の側の攻撃のあり様は100年前と同じ状況が生み出されている。
労働運動の既成指導部を乗り越えてたたかう現場労働者の機運が圧倒的に生まれている。労働者は無限の可能性を持っている。05年を社会変革の年にしよう。
3・27全国集会へ 労農連帯の輪広げよう
《関西実行委員会代表世話人・永井満さん》今日の生き生きとした旗開きを見て、15年前の1990年、現闘本部がいつ封鎖されるか分からないというまさにその時に本部で開かれた熱気に満ちた旗開きを思い出す。
反動の側があらゆるものを戦争へと動員しようとする攻撃の前に立ちふさがり、動労千葉をはじめ労働者を結合し、全国のたたかう住民運動と連帯して前進する三里塚と共に関西もたたかう。
《北富士国有地・入会地を守る会会長・天野豊徳さん》三里塚での発言は初めてだが、長年にわたる北富士闘争への応援に感謝いたします。明日からの北富士闘争をみなさんと共にたたかいぬいて参ります。
《婦人民主クラブ全国協議会・西村綾子さん》第1波のデモをすがすがしくたたかった。すばらしい年頭の闘争宣言だった。婦民も05年、教育基本法改悪阻止、憲法改悪阻止を全力でたたかう。「戦場でお国のために死んでくれる青年を作れ」という攻撃を許すわけには行かない。日本列島を不沈空母として使う米軍再編攻撃を許さない。三里塚、北富士と心を1つにして前進する。
《部落解放同盟全国連合会代表》先日、日本経済新聞に経済財政諮問会議の本間正明という大学教授が小泉改革は日本に新体制を作る政策だと書いていた。新体制とは70年前に近衛文麿内閣が太平洋戦争への突入にあたって呼びかけた戦争体制作りのこと。それが70年ぶりに復活した。これは、日本が戦後のあり方ではにっちもさっちも行かないところにまで追いつめられたということ。全国連は三里塚闘争勝利のために全力を尽くすことを約束する。
《都政を革新する会・長谷川英憲さん》昨年の11・7集会には世界の新しい労働者人民の潮流が結集した。3~4月の「日の丸・君が代」強制を粉砕するたたかいに立ち上がる。
ファシスト石原都知事と対決するための6月都議選に挑戦する。石原は「戦争が必要」と公言し教育現場への「日の丸・君が代」の強制、教育基本法改悪へ走っている。
また成田空港や港湾の軍事利用を視野に入れたメガポリス構想という軍事的経済的な首都圏の侵略拠点化を進めている。戦争攻撃と真っ向からたたかい抜く三里塚に連帯する。
《動労水戸代表》イラク戦争で米軍が劣勢に立たされている。今年は帝国主義の横暴が民衆のたたかいによって断を下される時。売店やベンディング職場からの原職復帰を勝ち取った動労千葉につづき、今年こそ水戸でも原職復帰をかちとり、組織を拡大して国鉄闘争勝利へ。
《革命的共産主義者同盟・天田三紀夫書記長》革命的共産主義者同盟は昨年11・7国際労働者集会の成功をもって、帝国主義打倒にむかうたたかいの手応えをつかんだ。反対同盟との血盟をはたすべく、全力で3・27集会の成功へたたかう。
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週刊『三里塚』(S671号1面2)(2005/01/15)
年頭の決意、方針提起
若者たちに未来を 事務局長・北原鉱治さん
イラクでの侵略戦争がつづけられている。「大量破壊兵器」を口実に強行されたこの戦争だが、その大量破壊兵器は出てきたのか。否だ。開戦から1カ月で戦争終結を宣言したのはいいが、その後のほうが戦死者が多いという現実を強制されている。この不正義の戦争に自衛隊を派兵している小泉政権を許してはならない。
成田空港には朝鮮有事となれば、50万規模の米軍が降り立ち、港湾や米軍基地、自衛隊基地に配備されていく。「アジアを守るため」と称して実際には侵略していくための戦争政策に動員されていくのだ。04年、自衛隊が9回も成田を使った。われわれは成田の軍事使用を許さない。反戦の砦として抵抗する。
小泉政権は教育基本法の改悪、憲法9条の改悪を狙っている。われわれは生きる権利を守るためにたたかわなければ未来を創造できない時代に入った。
権力の横暴によって造られてきた成田空港は未完成空港として眼前にある。05年は三里塚闘争の真骨頂を示す時だ。まず三里塚で勝利し、政治を変えよう。(開拓道路の集会での発言)
三里塚の輪拡大を 事務局次長・萩原進さん
昨年、権力の側は反対同盟がかかげる2つの柱に攻撃をしてきた。1つは農地強奪問題、もう1つは成田空港の軍事使用問題。しかしわれわれはこれらをはね返し意気軒昂と05年のたたかいに臨んでいる。
05年追いつめられているのは政府・空港会社の側。かれらには時間がない。09年の羽田国際線化、07年の株式上場に迫られ、今年前半にも2500㍍化について決断をしなければならない所に来ている。
だからこそ、今まで以上の支援をお願いしたい。小泉政権による戦争政治も一線を越える所に来ている。今や民衆にとっても中間の選択肢はない。戦争に協力するのか反対するのか。だから最も左側に位置するものが鮮明な方針を指し示し全体を合流させなければならない。今がそのチャンスだ。
「日の丸・君が代」も戦争問題、土地取り上げも戦争問題。そして戦争は全世界の労働者と農民の問題だ。韓国の農民は国会にむけた激しいたたかいを展開しエチル。中国の下層農民も暴動で決起している。彼らと連帯し労働者と連帯してたたかいたい。だから三里塚の輪をもう一回り広げてほしい。たたかう勢力を三里塚へ集めてほしい。3・27の大結集に全力を。
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週刊『三里塚』(S671号1面3)(2005/01/15)
東関道をどうするのか
ありえない暫定路の「北延伸」
NAA、07年株式上場の危機で窮地に
1月11日、国土交通大臣の北側一雄は、成田国際空港株式会社(NAA)の黒野匡彦社長を呼んで、暫定滑走路2500㍍化のための用地交渉を急ぐように指示し、3月までに進展しない場合、北側への延伸準備を開始するように述べた。
これに先立って昨年来マスコミは「このまま交渉が進展しなければ北側への延伸を求める可能性も出てきた」などと報じていた。
しかしこれらはすべて、本紙がくり返し暴露してきたように、空港反対農民を脅やかすための見えすいた恫喝であり、それに踊らされた御用記事である。ジャンボ機は北側延伸による2500㍍化では飛べない。技術的にも北延伸は不可能とする結論が出ている問題なのだ。
ここに来て再び「北延伸」キャンペーンが始まったのはなぜか。2007年という成田空港会社の上場予定時期が迫っており、そのためには、(たとえ見せかけでも)遅くとも06年度中に工事を始められる形を作らなくてはならず、05年夏までに予算概算要求を出す必要があるからだ。
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空港会社は04年に民営会社に移行したが、政府が100パーセント株式をもっている特殊会社であり、事業費の出所も政府保証債による借り入れなので、政府予算と同じ手続きが必要だ。概算要求の時期が暫定滑走路をめぐる判断の期限となっているのはそのためだ。
計画は東峰地区(南側)の反対農家を脅迫するネタにすぎないが、民営化にともなう株式上場問題は、会社の存立にかかわる問題のため、上場時期に暫定路の欠陥評価が固まってしまうことは致命的なのである。こうした危機感から、「北延伸」問題が再び持ち出されたのだ。
しかし、同工事は実現性がなく、無理やり工事を強行しても運用上まったく意味をなさないことをはっきりさせなければならない。
そもそもエプロンから滑走路に入る連絡誘導路が東峰区の未買収地に阻まれ狭いままで、ジャンボ機は進入もできない。大型機が通過できる航空法上の基準を満たしていないためだ。この構造的な欠陥は、東峰区全体を買収して初めて解決するものであって、滑走路だけを北側に伸ばしても意味がない。
さらに致命的問題は、東関東自動車道路(露天の高速道)と現在の暫定滑走路北端との距離が七百二十㍍しかないことだ。暫定滑走路は平行滑走路の当初計画を八百㍍北にずらして設計されたため同滑走路北端が東関東自動車道の間際まで迫る構造となった。
これをさらに北側に320㍍延伸して二五〇〇㍍にすると、東関道と滑走路北端との距離はわずか四百㍍まで接近する。ここでの進入時の飛行高度はわずか四十㍍。東関道が最も危険なアプローチエリアの中心部に入ってしまう。
従って、仮に暫定滑走路を北に伸ばしても、実質的運用としては現行二一八〇㍍のままなのである。
現在でも管制塔からの死角が3分の1もあるが、さらに北側に延伸するとなれば、高い管制塔を造りなおさなければならないという問題も発生する。
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その上に、工事自体の難題も控えている。国道51号線(アプローチエリアを横断)は現在でもトンネルとなっているが、延伸計画では滑走路そのものが上を通るので強度が足りず工事をやり直さなければならない。この工事は滑走路本体の延長工事と一体のもので、大型クレーンが林立するものとなり、航空機が発着しない夜間のみ(午後11時から午前6時)となる。クレーンの立ち上げや撤去の時間を差し引くと毎日の工事時間はわずか5時間だ。しかしこれはまだ序の口である。
前述の東関東自動車道は、アプローチエリアの中心部に入ってしまうことになるが、そのために現在の路面の高さを掘り下げて蓋をし、地下化する必要があるのだ。これはすでに運用中の高速道路では事実上不可能な工事である。一般道のように暫定的な付け替え道路を設置して本工事をやるわけにも行かない。
同地区の東関道全体を北側に付け替えれば問題は解決するが、新たに延長15キロにも及ぶ用地買収問題が発生し、予算規模も数千億円にもなる。意味のない北延伸のために、これだけの予算を投入するのは、現在の国の財政事情では絵空事にも等しい。
さらに、北側に320㍍延長することから、騒音コンター(騒音地域指定図)を一から引きなおさなければならず、成田市、下総町、茨城県河内町など関係各市町村の同意を取り直す作業は至難の業だ。かつてと違い周辺市町村にバラまく買収費が限りになくゼロに近づいているため説得できないのだ。
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これほどのハードルを仮に全部クリアしたとしても、冒頭述べたように、誘導路の欠陥によってジャンボ機は滑走路に入ることすらできない。北延伸はまったく意味のない脅しのための工事なのだ。
空港会社はこれらのことをすべて承知している。黒野社長は12月、北延伸の声を抑えるため「北側延伸計画について国に打診したことはない」というコメントを発表したばかりだ。北側延伸をめぐる今回の空騒ぎは、成田空港建設が三里塚闘争によっていかに追いつめられているかを改めて証明したにすぎない。
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週刊『三里塚』(S671号1面4)(2005/01/15)
2005年闘争宣言
敵の攻撃で強くなった
三里塚芝山連合空港反対同盟
二〇〇五年の新春を、反対同盟はかつてない勝利感をもって迎えている。成田空港会社は未だ展望を見いだせず、暫定滑走路の欠陥は空港経営を圧迫している。農地は豊かな実りをもたらし、われわれの闘志は不動である。
昨年の闘いは空港の民営化と暫定滑走路の延伸をめぐって推移した。ちょうど一年前、黒野公団総裁(現空港会社社長)は「当初計画の完成が不可能ならここ数ヶ月のうちに北延伸を決断する」と宣言した。天神峰現闘本部撤去の不当提訴、市東孝雄同盟員の農地契約解除策動、三里塚野戦病院と岩山団結小屋への退去要求など、完全空港化への屈服を迫る攻撃が激化した。
だが反対同盟はこれらをことごとく粉砕した。現闘本部裁判支援運動を新たに開始し全国的な支援陣形をうち立てた。敵の攻撃が逆にわれわれを強くした。
おいつめられた北側国交大臣は「切り崩しに全力をあげその進捗状況を年明けに報告せよ」と空港会社に指示し、堂本知事は再選をねらって収用委再建を強行した。ともに凶暴な農地強奪攻撃であり許すことができない。
暫定滑走路を北に延伸しても、未買収地によって狭(せば)められた連絡誘導路をジャンボ機は走行できない。その強行は暫定滑走路の欠陥と危険をさらに増幅させ、大惨事を招くであろう。「北延伸」の真の狙いは、南への滑走路延長である。そのための脅迫的切り崩し攻撃である。怒りをこめて粉砕する。
自衛隊のイラク派遣と有事法制で、成田空港の軍事的役割が明確になった。成田空港は海外派兵の出撃地であり、有事の米軍兵站拠点である。小泉内閣はイラク戦争の泥沼に深々と引き込まれる一方で、教育基本法の改悪と改憲、年金などの社会保障制度の解体、郵政合理化・労働組合解体攻撃、そして農業破壊に血道をあげている。「軍事空港建設反対」の先見性はいよいよ輝きを増してきた。労働者の生活破壊と農家切り捨ては一体である。三里塚は「労農連帯」の旗を高々と掲げ、反戦の砦としての新たな発展を切り開く決意である。
現闘本部裁判支援運動は今年の最重要課題である。反対同盟には確固たる地上権があり撤去要求は違法である。この闘いは市東同盟員の農地を守る闘いでもある。運動の拡大に総力をあげて取り組むことを訴える。三里塚闘争勝利へ、二・三現闘本部裁判傍聴闘争に決起し、三・二七全国集会に総結集しよう。
二○○五年一月九日
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週刊『三里塚』(S671号1面5)(2005/01/15)
「平和の守り神」東峰神社健在
しめ縄をかけ替え 白カシ青々天に伸びる
1月9日反対同盟は、団結旗開きに先立つ新年第1波デモの途中、「平和の守り神」東峰神社におもむいて、しめ縄のかけ替えを行った。北原事務局長と萩原事務局次長が真新しいしめ縄に取り替えた。(写真)
社殿が新しくなり、鳥居から社殿への道も舗装された新しい東峰神社を目の当りにするのは大半の人が初めて。暫定滑走路の南に居座り、2500㍍化を厳然として阻む神社の勇姿に驚きの声が上がった。
2002年に萩原さんが中心になって植えた白カシも青々とした葉をつけ、天に向かって伸びていた。
「木製の鳥居が少し古くなっているので、間もなく石づくりのものと取り替えます。そうすれば神社の改装は完成します」と萩原さんが説明した。また昨年11月24日の落成式の日、現闘本部裁判を支援する会の代表世話人・戸村義弘さんが献納した「祝東峰神社落成」と題する詩の原本が社殿の中から取り出されてデモ参加者に紹介された。
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週刊『三里塚』(S671号1面6)(2005/01/15)

国土交通大臣が年明け早々、暫定滑走路「北延伸」についてその可否を含めた再検討と準備を行えと、NAA・黒野社長に求めた。例によって新聞各紙は「北側延伸に現実味」などとはやす。40年の歴史に踏まえよとは言わないが、せめてここ10年の空港建設にまつわる経緯に踏まえて書けないものかと情けなく思う▼「強制力の行使は未来永劫放棄する」と、国が過去の一方的な空港建設のやり方を謝罪したのが10年前だ。地権者の同意なしに新滑走路には着工しないとも約束した。これがわずか5年で反故にされ、地権者農家の軒先まで一方的に滑走路が造られ、ジェット機を飛ばされた。飛行の邪魔だった村の神社の立木も力ずくで伐採した。まるで押し込み強盗だが、これが暫定路開港の経緯だ▼開港後、空港公団(現NAA)の総裁となった元運輸事務次官の黒野は、暫定路開港のやり方が一方的だったと地権者と地元東峰地区住民らに謝罪した。謝罪の手紙には「農家の方々の痛みを思うと胸が張り裂ける」とまで書いた。その黒野が今また「ポケットの奥にしまっていた北延伸が入り口に戻った」などと脅し文句をのべ、土地を売れと農家に迫っているのだ▼「民主主義」を標ぼうする新聞各紙は、「北延伸の現実味」云々の前に、この国とNAAの横暴ともいうべき振る舞いについて、一言の苦言を呈することもできないのか。また北延伸の非現実性について取材して書いた記者が一人もいないという現実が何を意味するかを知れ。君たちには大本営発表を垂れ流した戦前の新聞を批判する資格もない。
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週刊『三里塚』(S671号1面7)(2005/01/15)
闘いの言葉
革命は時に血なまぐさい方法を取る事があるが、もし人間性の覚醒、婦人や子どもの解放のために行われないのであればそれは革命ではない。
L・トロツキー 1923年『文化革命論』
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週刊『三里塚』(S671号2面1)(2005/01/15)
イラク情勢
「議会選挙」すでに崩壊
米国防省「抵抗運動要人の暗殺」指令も
「選挙」目前に米軍が大殺りく作戦--イラク4州で
20数万人の民衆戦士
レジスタンス 「反帝国主義」世界に訴え
●追いつめられた米軍が大規模「掃討作戦」を再開
イラク占領を続ける米英軍は、2005年1月30日の「国民議会選挙」を強行するために、1月冒頭から再びイラク国内のレジスタンスに対する大規模な軍事掃討作戦に乗り出した。昨年11月以来続いているファルージャ大虐殺と同規模の作戦をニネベ州(北部のモスル等)、アンバル州(西部のファルージャ、ラマディ等)、サラ・アドディン州(中北部のティクリート、サーマッラ、バラド等)、バビロン州(中央部のバグダッド等)なとで強行したのである。年末の米軍増強はこのためだった。日本のマスメディアは、これらの事実をまったく報道していない。
(写真 レジスタンスの反撃で志望した米軍兵士の数は少なくとも公表の数倍だ【ファルージャ】)
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●アメリカが「暗殺作戦」を指令する「国民議会選挙」とは?
「国民議会選挙」なるもののは、侵略戦争と資源略奪、占領と殺りくを正当化するための儀式と化してしまった。国民を武力で殺さなければ実施できない「選挙」とは何か? これがブッシュのいう「イラクの自由と民主主義」だ。その「選挙」自体も、米軍を公然と批判する人物は立候補も許されなかった。
イラクの民衆的抵抗闘争を率いてきた指導者たちは、イラク・ウラマー協会(法学者協会)のアル・クバイシ師などの宗教指導者を含め、罪状も告げられずに拘束された。「統一名簿方式」などと称する選挙で、国民には立候補者の氏名さえ知らされていない。
ニューズウィーク紙は8日、米国防総省がイラクで同国人部隊を使って、イスラム教スンニ派の反米武装勢力指導者らを暗殺、拉致する作戦を検討していると報じた(ロイター)。アメリカは選挙のためのテロルという手段に自ら公然と手を染めているのだ。
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●イラク・レジスタンスの参加者は24万人を超えた
いまやイラクのレジスタンスは戦闘部隊だけで4万人を超え、20万人以上の兵站部隊がそれを支えている。イラク情報省が明らかにした。米軍の公式発表数(全部で1~2万人)をはるかに上回る。こうした規模の抵抗闘争は、民衆レベルでの百万人を超える積極的協力者によって成り立っている。
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●占領軍はベトナム戦争以上の泥沼にはまっている
米軍は疲弊の度を深めている。軍幹部は15万人体制に増強された駐留米軍の規模が4~5年は維持されると語った。駐留経費は月に50億ドル(約5200億円)を超えており、アメリカの天文学的な財政赤字が破たんする日もそう遠くないだろう。ラムズフェルドが開戦前に「戦争は2週間、長くとも1カ月で終わる」と語っていたことを想起せよ。
(写真 ファルージャの民衆が米軍の殺りくに抗議して街の入り口でデモ。数万人が米軍を包囲した【1月2日】)
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●日帝・自衛隊の即時撤兵を!
いまや米ブッシュに無条件に忠誠を誓う国は日本だけである。小泉政権は昨年末に自衛隊派兵の延長を決め、1月9日、新規に派遣される自衛官をあえて迷彩服のまま羽田空港から民間チャーター機でクウェートへ送り込んだ。帝国主義軍隊として米軍とともに参戦を継続する意志を改めて表明したのだ。
これに対してイラクのレジスタンスは11日、遂にサマワの自衛隊駐屯地に実弾による砲撃を敢行した。昨年の砲撃(全部で8回)は弾薬の信管を抜いたいわば警告射撃だった。しかし日帝・自衛隊はこの1月から、米軍とともに占領軍と認定されレジスタンスの攻撃対象となった。
イラク民衆の解放闘争に連帯しよう! 自衛隊の即時撤兵を勝ち取ろう! 戦争と民営化に突き進む反動小泉政権を打倒しよう!
…………………………
■1月1日 土曜日
《バグダッド》バグダッド空港に向かう道でレジスタンスと米軍の武力衝突。衝突は前夜から早朝まで続いた。ハイファ通りでも銃撃戦。道路はすべて閉鎖された。(AJ)
《ティクリート》米軍基地の近くで米軍ヘリが民家を爆撃した。迫撃砲による米軍基地への攻撃が続いている。(AJ)
《バビロン州》米軍はバグダッド南部で新たな攻撃開始した。(AJ)
《アンバル州》で米軍海兵隊兵士が一人殺された。
《ファルージャ》選挙のためのイラク全土制圧作戦を開始したと米国防総省が発表。自動車爆弾で12人の米兵が死傷。爆弾は警備隊車両に積まれていた(AP)。毒ガスで市民が死亡した。
《アル・カイム》米軍が8歳の少年を拘束した。少年は前日父親を殺され米軍に石を投げたために拘束されたのだ。(AFP)
(写真 国民的抵抗運動に恐怖のどん底に陥った米軍は子どもまで拘束している【ファルージャ】)
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●クウェートで軍が反乱
クウェートで軍の高級幹部を含む米軍攻撃計画が暴露された。ここ数週間で多数の攻撃が米軍基地に加えられ、少なくとも4人の米兵が死亡している。米軍は事故として処理。(AJ)
*
レジスタンスが年頭のアピール
イラク・ウラマー(法学者)協会をはじめとするイラク・レジスタンスの統一戦線「イラク愛国同盟」から発表された年頭アピール(抜粋)を紹介する。
*
《年頭アピール》イラク・レジスタンスは、不法で残忍なシオニストおよび帝国主義者のイラク占領と戦っている。レジスタンスが武装する権利は、国連憲章と国際法で合法的とされているものだ。われわれは民族自決と真の主権を獲得する権利を訴える。
イラクで抵抗している諸勢力は、最終目標達成のために相互のネットワークを発展させてきた。最終目標は2004年4月にファルージャを解放したあとの政治綱領で宣言された。政治綱領は次の通り。
1、占領を終わらせ、国を解放する
2、2年間の移行期間
3、イラク人はすべて中央政府のもとに団結する
4、イラク憲法はイラク人自身によって起草される
5、民主的な統治
6、自由な選挙と様々な政党の完全なる参加
解放のために、イラク・レジスタンスは占領軍および彼らの設立した機関、彼らに食糧、燃料その他の物資を供給している者たちを攻撃している。他方でレジスタンスは占領者がイラクの石油資源を政治手段とすることを阻止している。
学校、教会、イスラム寺院、その他の民間施設は決してレジスタンスの攻撃目標となったことはない。またイラクにいる外国人労働者の誘拐と殺害については、われわれは非常に批判的かつ警戒的でなければならない。
イラク・レジスタンスが達成した成果の幾つかを皆さんと共有したい。
レジスタンスは占領軍の兵士や物資に多大な損害を与えた。レジスタンス戦士は30の都市を解放した。それは占領軍と彼らの手先にとっては「死神の待つ地域」となり、レジスタンス戦士に適切な環境をもたらしている。
レジスタンスは、スペイン帝国主義を打ち負かし、9カ国の占領ないし同盟国をイラクから撤退させた。オランダ、ハンガリー、ポーランドも撤退にむかっている。またレジスタンスは「復興事業」と称した複数の略奪企業をイラクから引き揚げさせた。
イラクの英雄的なレジスタンスは、イギリスとアメリカをイラクで孤立させ、シリア、キューバ、北朝鮮に対する「テロとの戦争」という愚策を一時的に押しとどめている。
イラクにおけるレジスタンスはイラク国民のレジスタンスであり、それは主として、愛国的なグループ、イスラム勢力、汎アラブ主義グループを中心とする政治勢力によって代表されている。
それゆえに、わがレジスタンス運動はイスラム的で愛国的な要素をあわせ持つ、反帝国主義的な運動であることを強調したい。
イラク・レジスタンスのイスラム復興的な傾向に対する懸念は杞憂に終るだろう。イラク解放後には、イラク・レジスタンスが唯一の合法的な代表となる。この事実が懸念への回答である。移行期にはイスラム勢力を含むすべての政治勢力の完全なる参加を得て、統一した中央政府を形成するために、イラク国民に彼らの代表を選ぶ選択の機会が与えられる。
イラク愛国同盟(IPA)に関しては、われわれはアブドルジャバル・アル・クバイシ氏がバグダッドで9月3日に逮捕されたことを、怒りをもって皆さんにお知らせする。
クバイシ氏は1990年代以降、IPAを率いて経済制裁に反対し、イラクにおける米国のシオニスト的かつ帝国主義的計画に反対してきた。彼は占領に反対する政治戦線を築く活動を行うなかで、罪状を告げられることなく逮捕された。 占領と帝国主義に反対する闘争を共有し、皆さんとわれわれの関係が促進されることを希望する。
イラク・レジスタンス万歳! 連帯をこめて。
ナダ・アル・ルバイエ(イラク愛国同盟)
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■1月2日 日曜日
《バビロン州》暫定政府は、国家保安隊がこの1週間で、バグダッド南方の「死の三角地帯」と呼ばれる無法地帯で反政府勢力228人を拘束と発表した (ロイター等)。
《バグダッド》25戦闘が戦われた。米軍の高級指揮官が戦闘で死亡。(IM)
《ファルージャ》レジスタンスが11月から年末までの戦果を発表。米兵6500人、英兵425人が死亡。米兵700人、英兵325人が重傷。1350輌以上の装甲戦闘車輌を破壊。800輌以上のハンビーを破壊。41機のヘリを撃墜。多数の兵器を捕獲した。レジスタンスは712人が死亡、215人が重傷だ(IM)。
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ファルージャ市への中央入り口で、ファルージャ市民がデモを行なった。市民たちは「米軍は市から撤退せよ。私たちが戻れるように基本的なサービスを修復せよ」と要求した。目撃した記者は、デモは3万人と報告した。(エジプト紙)
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■1月3日 月曜日
《バグダッド》アラウィ首相の政党「イラク国民合意」本部に通じる検問所で自爆攻撃。少なくとも2人死亡(ロイター)。
《バラド》イラク治安部隊員が乗ったバスに自動車爆弾。治安部隊員25人が死亡。(ロイター)
《サーマッラ》パトロール中の警官3人が襲われ死亡。(ロイター)
《タルアファル》1日から始まった米軍の攻撃を撃退。米軍車輌の残がいが放置されている。3日間の戦闘で、米兵250人以上が死傷。(IM)
《ラマディ》米軍の強引な検問に地元警官が抗議し戦闘となった。(同)
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イラク情報省が「レジスタンスは4万の戦闘部隊と20万以上の兵站部隊で編成されている」と発表した。(AJ)
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■1月4日 火曜日
《バグダッド》バビロン州のハイダリ知事が4日、首都バグダッド北方を車で移動中、レジスタンスと銃撃戦となり射殺された。ガードマン13人死亡、45人以上が負傷した。(ロイター/IM)。
《ファルージャ》北部で米軍を攻撃。ハンビー2輌破壊、米兵複数が死傷。米軍は多くの家を破壊した(IM)。瓦礫の下から700人以上の死体が発見された。550人は女性と子供だ。医療チームは「まだまだ死亡者は増加するだろう。市民の犠牲者は何万人にもなるだろう」と話した。(中東オンライン)
《バスラ》スンニ派活動家2人がバドル軍団(シーア派シスタニー師の軍事組織)によって射殺された。(同)
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■1月5日 水曜日
《バグダッド》サドルシティーで、サドル派の自治組織がガソリンの「適正価格販売」を開始。(ガーディアン)
《ヒッラ》警察学校で自動車爆弾が爆発。警察官ら22人が死亡、多数が負傷した。(ロイター)
《バクーバ》4日から5日にかけて選挙管理委員会職員らを標的にした襲撃事件が少なくとも4件発生。約10人が死亡。(AFP)
《モスル》選挙登録さえできない状態が続いている。(AJ)
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週刊『三里塚』(S671号2面2)(2005/01/15)
米軍再編と成田空港 動き出した大規模戦争体制の実像 ③
「再編」の源流は朝鮮危機
米軍「対北先制攻撃」も
「5027作戦」実戦モード
現在、米軍再編(トランスフォーメーション)と呼ばれている一連の動きの源流は、1993~94年の「北朝鮮核危機」と、その時アメリカが公表した米韓連合軍の「作戦計画5027」まで遡る。
「北朝鮮核問題」は、マスメディアでは北朝鮮の核武装に対するアメリカの対応として描かれているが事実は逆だ。91年のソ連崩壊を契機にアメリカ(父ブッシュ政権)は北朝鮮への体制転覆的圧力を強め、92年1月にIAEA(国際原子力機関)が北朝鮮への強引な“核査察”を始めたことが発端である。イラクの前フセイン政権に対するやり口とよく似ている。
(写真 膨大な兵器や物資を迅速に戦域に送りこむ兵站能力が米軍の作戦計画の根幹をなす)
アメリカはその後クリントン政権誕生後の93年1月に在韓米軍の増強計画を発表、同2月にはIAEAが北朝鮮に最後通牒を行い「特別査察に応じなければ安保理に付託する」と通告した。安保理付託とは事実上の開戦宣言だ。さらに同3月には、中断していた米韓合同演習「チームスピリット」を核使用を含む全面戦争の演習として大々的に(12万人規模)で再開する戦争挑発を行った。
これに対抗して北朝鮮側は同3月、「NPT(核不拡散条約)脱退」を宣言し、核開発をもってアメリカの軍事圧力に対抗する意志を示した。そしてアメリカが「国連安保理の制裁」を求める決定を行った(94年4月)ことで、事態は急速に第2次朝鮮戦争の開戦寸前情勢へと展開した。
このときにアメリカが公表した米韓連合軍の対北朝鮮侵略戦争計画が「作戦計画5027」(94年3月)である。
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「5027作戦」は北朝鮮への全面戦争を想定した作戦計画である。戦場を積極的に北朝鮮の領土内に求め、平壌(ピョンヤン)の攻略から北朝鮮北部地域への進撃と占領までが明記された。米軍の動員規模は湾岸戦争なみの50万人規模とされた。作戦で想定される死者は韓国側だけで「100万人」というものだ。
当時この「5027」が発動に至らず、94年10月の米朝合意(核開発凍結と軽水炉建設支援のバーターなど)という形で危機繰り延べがはかられた決定的な理由は、日本本土の兵站体制の無準備だった。50万人規模の米軍兵士を戦域で受け入れ、作戦用航空機1600機が飛来する大規模な作戦は、日本全土が戦時体制に移行することなしには実現不可能な問題であることも突き出された。
その後「作戦計画5027」は2年ごとに細部が改訂されるが、96年版(作戦計画5027-96)で米軍は日本の兵站支援基地としての役割を明確にした。これを前後し、米側から日本へ各種兵站支援の要請をまとめた「対日支援要求1059項目」(95年)、日米安保共同宣言(96年)、新安保ガイドライン締結(97年)、周辺事態法制定(99年)へと一気に突き進むのである。
これで朝鮮半島「有事」や台湾危機などの事態に際して、自衛隊を中心に官民が一体となった対米軍兵站支援(武器弾薬の輸送や各種補給、米軍兵士への医療支援等)が可能になった。日米安保体制は「日本防衛」の枠組みを離れ、対外侵略のための帝国主義同盟に決定的に変質した。その後さらに有事法制の制定・完成(03~04年)によって、朝鮮半島での戦争と対米兵站活動も「日本有事」と同様の扱いとされ、国内の諸機関や施設を強制的に動員できる体制が整った。
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日本の兵站支援体制が法的に整ったことで「5027作戦」は急速に実戦発動を意識したものに移行する。98年版では遂に米軍による「先制攻撃の可能性」に言及、「戦争終結後の(米韓軍による)占領統治」を公言した。金正日体制の転覆と朝鮮半島武力統一の意志をむき出ししたのである。
この98年版では、北朝鮮の反撃として、生物・化学兵器によるソウルへの攻撃も想定され、ソウルの人口約1200万人のうち456万人が殺傷されるという「見積もり」まで出した。アメリカ帝国主義はこのような犠牲を承知の「先制攻撃」を考えているのだ。
北朝鮮が「テポドン」ミサイルの発射実験に踏み切り、日本政府とマスメディアが大騒ぎを始めたのはこの98年の8月だが、この年に締結された新日米ガイドラインと、それにふまえた米軍の5027作戦計画が対北朝鮮の先制攻撃まで公言した事実について彼らは沈黙している。
そして続く「作戦計画5027-00」(2000年版)では、アメリカは海・空軍力の先制攻撃による開戦から90日以内に総兵力69万人を一気に戦域に投入する計画を打ち出した。現在のイラク戦争への投入兵力約15万人と比較して、69万人という兵力は巨大だ。
さらに02年版で、アメリカは「5027作戦」での決定的な踏み切りを行った。ブッシュ政権によってイラク、イランとともに「悪の枢軸」と名指しされた北朝鮮は、もはや韓国との同盟関係を考慮して戦う相手ではなく、場合によっては韓国政府との協議なしで、米国単独でも実施するとの立場を打ち出したのだ。金正日最高司令官の暗殺作戦も公言された。
ここで北朝鮮側が受けている軍事的重圧の大きさは並大抵のものではない。核兵器による対抗という北朝鮮(スターリン主義)政府の考え方は、民族解放と帝国主義打倒というプロレタリア国際主義の立場から大きく逸脱する誤りだが、朝鮮戦争の危機を決定的なレベルに押し上げている主要な動因が、ほかならぬ米日帝国主義の側にある事実が改めて重要である。
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一連の過程で見えてくることは、対北朝鮮政策におけるアメリカの徹底した主導性と日本の国力の動員である。アメリカは1950年朝鮮戦争で交戦相手となった中国との間合いを計りつつ、最終的には北朝鮮の軍事的体制転覆をはっきり目指している。その政策に最も合致した開戦のタイミングを計りつつ作戦計画を練り上げている。このアメリカの軍事的突出にキャッチアップする以外に、日本は朝鮮・アジアでの帝国主義的権益を確保できない関係にある。02年の小泉訪朝と日朝ピョンヤン宣言は、日帝・小泉政権が「拉致問題の解決」を排外主義的に利用しつつ、対北朝鮮の侵略戦争を見据えた東アジアにおける独自の軍事外交に乗り出した戦後初のケースだった。その後の米軍再編に至る動きは、この米日帝国主義の間の激しい競合関係を引きずりつつ展開されていく。(つづく)
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週刊『三里塚』(S671号2面3)(2005/01/15)
北総の空の下で
元旦に想う
百歳迄の折り返し
1月1日には雑煮とおせちの腹ごなしに、谷津田に沿った小道を散歩しました。冬枯れの里山に、時おりポッと万両の赤い実、だいだい色のカラスウリ。
暖冬が一転して、年末年始は日本列島がすっぽりと寒波に包み込まれました。大晦日は冷たい雨の一日だっただけに、元日の日差しが心地よく、今年一年の希望を託す気持ちになりました。
三里塚闘争39年、昨年も多々の攻撃がありましたが、民営化してあたふたと動き回る空港会社、自民党にすりよる変節政治家・堂本知事に、三里塚の格の違いを見せつけた感がありました。
三里塚闘争の歴史は、土地収用法との闘いの歴史と言っても過言ではないと思います。“抜けばなまくら、抜かずに切れる収用法”とはよく言ったもので、「さあ切るぞ」と刀を突きつける時、最大の力を発揮するのが土地収用法です。
反対同盟と大木よねさんが、国家権力の暴力の前に身をもって立ちはだかった時、日本中の農民・労働者が三里塚農民に共感しました。当時私は「日本農民の名において収用を拒む」と大書きされた農民放送塔がなぎ倒されるのを、手に汗握ってテレビで見ていた中学生でした。
その後裁判闘争の場で、ゲリラ戦の場で収用法との闘いが続き、ついに1993年、空港公団は収用裁決申請を取り下げました。収用法に勝利した瞬間です。
「収用法は三里塚には適用できない」のだという事実を再度はっきりさせて、三里塚はあらゆる公共事業における強制収用に反対し続けます。
最後に私事になりますが新年に寄せて。
早五十、百歳までの折り返し――のんびり行こうと思います。
(北里一枝)
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週刊『三里塚』(S671号2面4)(2005/01/15)
三芝百景 三里塚現地日誌 2005
12月19日(日)~1月11日(火)
●「北延伸打診したことない」 成田空港会社の黒野匡彦社長はマスコミで高まっている暫定滑走路の北側延伸計画の待望論について「国側に正式に打診したことはない」と述べ北側延伸論にブレーキをかけた。(25日)
●関西で団結野菜市 兵庫県明石市で関西実行委員会と三里塚農民による恒例の三里塚団結野菜市が開かれた。今年は実に28回目。あいさつに立った永井満代表世話人は「今年も団結野菜市を開くことができた。これは三里塚の闘いとそれを支援する関西の陣形が健在であることを示す何よりの催し」と語り04年の勝利と05年の健闘を訴えた。(27日)
●「米航空大手浮揚できず」 米航空大手が依然として苦境から脱出できず、との報道。第2位のユナイテッド、第3位のデルタ、第7位のUSエアはいずれも日本の民事再生法にあたる連邦破産法第11条から脱却できない。格安航空会社の台頭、原油高による燃料費高騰、航空不況が経営を直撃している。(27日)
●北原事務局長宅で新年会 現地支援の代表者が北原事務局長宅に集まって催される恒例の新年会が今年もにぎやかに行われ、05年の奮闘を約束した。(1月4日)
●動労千葉が旗開き 千葉市のDC会館で行われた動労千葉の団結旗開きに反対同盟から北原事務局長が参加して連帯のあいさつを行った。「動労千葉と三里塚が車の両輪となって小泉の戦争政治をうち倒そう」と呼びかけた。(8日=写真)
●反対同盟が旗開き 反対同盟は富里市のレストランで団結旗開きを開催した。関西や北富士、群馬など遠方からの代表を含め150人の労農学が三里塚闘争への新たな取り組みを誓った。反対同盟から3・27全国集会の開催が発表された。(9日)
●関西実旗開きに萩原さん 兵庫県の神戸学生青年センターホールで開かれた関西実行委員会の旗開きに萩原進事務局次長が参加してあいさつした。(10日)
●北側国交相 北側一雄国土交通大臣は成田空港会社の黒野匡彦社長を国交省に呼んで用地交渉の進捗状況の報告を求めた。「進展はないがもう少し努力したい」とした黒野社長に対し、国交相は「3月で交渉の期限を切り北側延伸の準備をするよう」指示した。(11日)
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