SANRIZUKA 2003/02/15(No625
p02)
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週刊『三里塚』(S625号1面1)
大惨事寸前! オーバーラン
短い暫定路、「やはり」の事故
雨天時の“余裕”ゼロだった!! 「運用継続」の暴挙
公団総裁 欠陥問題は「議論拒否」
一月二十七日午後九時五十分ごろ、成田空港の暫定滑走路(Bラン=二一八〇b)に着陸したソウル発成田行きの「エアージャパン」B767―300型機がオーバーラン、滑走路南端を超えて約七十b暴走し、過走帯(滑走路端から六十b)を十b超え航空灯火をなぎ倒し、草地の中でようやく停止した。停止地点は、滑走路南端に隣接し陥没した形になっている東峰神社の目の前約五十b。大惨事とまさに紙一重の重大事故となった。暫定滑走路は十二月に湾曲誘導路での接触事故を起こしたばかり。反対同盟は、開港前から何度も指摘してきた同滑走路の欠陥と危険性を改めて突き出し、「暫定滑走路の即時閉鎖」を要求する抗議声明を出した。
起こるべくして起こった事故
事故は、起こるべくして起こった。二一八〇bという短い滑走路を国際線滑走路として無理やり供用したこと自体が論外だった。
事故を起こしたB767型機の着陸必要距離(着陸滑走路長)は一五〇〇b〜一七〇〇bとされている。暫定滑走路での“余裕分”は六八〇b〜四八〇bで、公団はこれで「安全性に問題はない」として昨年四月、開港を強行した。
しかし雨天時の着陸必要距離は、約一五〜二〇%伸びる。事故機の場合一八〇〇b〜二〇〇〇bとなる。滑走路の全長との差(余裕分)は最大で三八〇b、最小で一八〇bだ。一瞬で通過する距離である。
(図 事故機は急ブレーキによって車輪がロック状態で過走帯を突っ切り、斜めになって航空管制灯火施設をなぎ倒し、草地でようやく停止した。目の前に”窪地”状態の東峰神社があり、ここに突っ込んでいれば大惨事となるところだった。
悪天候時の暫定滑走路は余裕距離がゼロ以下になるという恐るべき実態も明らかになった。早晩、同じ事故は避けられない )
また航空機の実際の着地点は、平均して滑走路端から約二〇〇b食い込む(暫定路実測)。この分を差し引くと、事故当日の滑走路長の余裕は一八〇b、最小ではマイナス(!)だった。「安全性」を語りうる以前的な状態だ。
着陸時の航空機の速度は時速約三百キロ。秒速で八十三bである。一瞬の着地のズレが起きるだけでオーバーランになる。
さらに事故当日は、風の速度や方角が急変する「ウインドシア」と呼ばれる状態だった。水平または垂直方向に風が強く乱れる状態で予測は困難。強い風雨を示す「レーダーエコー」も記録されていた。
国交省空港事務所によると、事故当時、約十三bの西北西の風だった。追い風状態での着陸だ。航空機は通常、風に向かって離着陸できるように滑走路を使う。しかし「ウインドシア状態」では、今回のような突然の追い風を強いられることもしばしばある。
強い雨に加え、この追い風が加わったことで、事故当時のB767機の着陸必要距離は、暫定滑走路の南端を超えていたのだ。暫定滑走路は、こうした恐るべき状態で日々運用されているのである。
住民の安全確保を二の次にした黒野
事故機が停止した地点のわずか五十b先には東峰神社があり、滑走路表面の高さに整地された所にポッカリ穴をあけている。二百b先には県道(迂回路)があり、三百b先には農家がある。すべて滑走路中心線の延長上だ。その危険は指摘するまでもない。このような滑走路計画が認可されたこと自体が異常だ。
反対同盟は暫定路の危険性を再三にわたり指摘し弾劾してきた。しかし国交省・公団は「開港すれば地権者は必ず落ちる」と公言し開港を強行した。認可当時の国交省・事務次官は現公団総裁の黒野匡彦だ。今回の事故を引き起こした原因は彼らが作り出した。暫定路は開港自体が許されない代物だった。国交省・公団は住民の命よりも国のメンツを優先した。その帰結が今回の事故だ。
事故を引き起こした責任は無茶な開港そのものにある。この点は徹底的に追及されなければならない。
暫定路即時閉鎖を
今回のオーバーラン事故について空港公団総裁・黒野匡彦は会見で、事故の最大の原因である滑走路の短さについて質問されても答えず、「短いかどうかの議論はやらない」と言い放った(三十日)。また事故を起こしたB767型やB777型など比較的大きな機種の必要滑走路距離が、暫定滑走路の長さを超えることがあり得る現実についても沈黙、「使用機材を見直すつもりもない」「従来通りの運用を継続する」と明言した。
(写真 暫定滑走路をオーバーランし前輪を草地にめり込ませて停止したB767機。悪天候時は滑走路長の余裕がゼロ化していた)
オーバーランという大惨事寸前の事故に対する責任者のコメントとして、あまりに無責任な対応である。
今回の事故は、国交省・事故調査委員会が「重大インシデント」(重大事故につながりかねないトラブル)に指定、調査に乗り出したほどの案件だ。それを黒野は、原因解明など人ごとのような態度で、機種も含めて「従来通りの運用継続」を宣言した。殺人行為に等しい暴挙である。
現在、A滑走路のスロットは北米便の減便で余裕がある。暫定滑走路でのオーバーラン事故を受けて、少なくとも事故を起こした機種を含む比較的大きな機材の運用をA滑走路(四〇〇〇b)にまわすことも可能だ。これだけで同じ事故の危険性は格段に減る。
しかし黒野総裁は「運輸省時代に議論はつくした」として、「滑走路が短いかどうかの議論はやらない」と断言した。運輸省時代の論議がどうあれ、いま現にオーバーラン事故は起こったのだ。「議論しない」という態度は暴挙というほかない。
黒野は、暫定路建設を無理押ししてきた自分の責任を隠している。そのために乗客の安全を犠牲にしているのだ。犯罪的な対応であり、厳しく追及し断罪されるべきである。
ましてや「やはり二五〇〇bの当初計画が必要」(同会見)とし、反対派地権者に「危ないから出て行け」論をぶつける態度は本末転倒だ。暫定滑走路は、滑走路予定地に農家を残したまま滑走路を短く切って開港した。「開港すれば反対派は必ず落ちる」と公言して。危険は最初から分かっていた。国交省・公団の責任は重大である。
暫定滑走路を即時閉鎖せよ! 乗客の安全を犠牲にして責任逃れに終始する公団・黒野総裁を弾劾せよ! 反対同盟・地権者農民とともに闘おう!
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週刊『三里塚』(S625号1面2)
「危ないから出て行け」は本末転倒
反対同盟、連続事故に怒り
北原鉱治事務局長の話
(暫定滑走路は)ただ造ればいいと造った結果がこれだ。二一八〇bでは国際空港は無理だと再三警鐘を鳴らしてきた。危惧した通り月に一度の事故だ。パイロットは「魔の滑走路」だという。大惨事に発展するのも時間の問題だ。
公団は人命を度外視している。こんな危ない滑走路を農家の軒先まで一方的に造っておいて、「危ないから出て行け」とは本末転倒だ。
反対同盟は、暫定滑走路の閉鎖を強く要求する。空港の惨状は、農民を踏みにじってきた結果だ。これ以上、国のメンツで人の命を危険にさらすことは許されない。
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萩原進事務局次長の話
事故が起きてから滑走路の欠陥や危険が指摘されているが、全部開港前から分かっていた。公団は、いつ人が死んでもおかしくない滑走路だと分かっていて開港した。人命より国のメンツを優先させた。先月接触事故が起きたばかりなのに、もう今回の事故だ。開港自体が間違っていたことが完全に証明された。即刻閉鎖を要求する。
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天神峰部落・市東孝雄さんの話
事故は起こるべくして起こった。こんな短い滑走路で開港したこと自体が問題で、パイロットの人たちも成田の暫定滑走路には降りたくないといっている。こんな国際空港は他にないです。ひとつ間違えば人が死ぬような危険を承知で運行している滑走路なんて論外ですよ。A滑走路(の発着枠)は空いてるんだから、暫定はすぐにも閉鎖すべきだ。
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週刊『三里塚』(S625号1面3)
“現実こそ真の判決”
工事計画取消訴訟 公訴棄却を弾劾! 実質判断ゼロの暴論
反対同盟が国土交通相を相手取り、一九六七年に空港設置認可取り消しなどを求めて提訴し争ってきた訴訟(工事実施計画認可処分等取消訴訟)の控訴審判決で、東京高裁は一月三十日、請求を退けた一審東京地裁判決(九四年)を支持、同盟側の控訴を棄却した。法の規定を無視して空港建設の既成事実を開き直る不当判決である。
(写真 不当判決を弾劾し、記者会見にのぞむ反対同盟と弁護団【1月30日 東京高裁】)
裁判の争点は空港設置の決定過程が適正手続きを欠いていた問題や、用地取得の見込みのないまま計画を認可したことの違法性など。前者は社会的にも様々な形で証明されている問題。後者も、いまだ用地を取得しきれない三十七年目の現実が証明している。土地収用法による事業認定の失効・消滅も重なり、二期工事は現在、法的根拠すら失っている。
こうした事実について、東京高裁・村上敬一裁判長は実質的判断を一切行わず、明確な理由を提示できないまま反対同盟の控訴を棄却した。三十六年がかりの裁判だが、本法廷で裁判長は棄却理由も述べず、わずか三秒の「主文読み上げ」で逃げるように法廷を去った。
反対同盟と弁護団は判決後の記者会見で、ただちに上告するとの方針を明らかにした。
計画認可から三十六年たっても成田空港は完成していない。この現実のなかに真理は存在する。不当な控訴棄却にもかかわらず、成田空港建設の誤りは現実が証明しているのである。
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《顧問弁護団事務局長・葉山岳夫弁護士の話》
極めて不当な判決で断固上告する。裁判官は実質的判断から逃げて棄却した。成田空港の危険性も主張してきたが、危ぐ通り昨年十二月に航空機の接触事故、今月二十七日にはオーバーラン事故と、暫定滑走路で二件の事故が起きた。違法な手続きで強引につくった空港は認められない。上告審でさらに闘う。
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週刊『三里塚』(S625号1面4)
“立木も土地も村の総有財産”
東峰神社裁判、立証段階へ
二月三日、東峰神社裁判の第四回口頭弁論が、千葉地裁で行われた。今回は裁判長交代にともなう更新手続き。弁護団長の大口昭彦弁護士が、「神社林の伐採が、農村共同体への意図的な破壊行為である点は見逃せない」など、本提訴の趣旨を改めて陳述した。裁判後の総括集会(=写真)では、弁護団がこれまでの経過と争点を改めて整理し、裁判所に要請した国交省資料(暫定滑走路計画の認可申請の添付資料。東峰神社に関する国交省の認識が反映されている)が一部提出されたことも報告された。今後の弁論では、神社の土地が東峰部落の総有関係にあることを立証する段階に入る。
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週刊『三里塚』(S625号1面5)
一月二十七日午後九時四十九分、成田空港暫定滑走路で韓国・仁川発のエアジャパン航空908便(乗客・乗員百二人、ボーイング767―300型)が滑走路南端から七十メートルオーバーランし、航空灯火に激突して停止するという重大事故が発生した。
三里塚芝山連合空港反対同盟はここに緊急声明を発し、国交省と空港公団に対して暫定滑走路の運用を即刻停止し、閉鎖することを強く要求する。
停止地点は滑走路延長線上に位置する東峰神社の手前わずか五十メートル地点である。また停止地点から二百メートル先には小見川県道が横断しており、その先には人家が並んでいる。航空機がさらに滑走した場合には、東峰・天神峰地区住民と公道の通行車両に大惨事を引き起こすばかりか、乗客と乗員労働者に多数の死傷者をもたらすことが必至の重大事故であった。
昨年十二月一日には誘導路上で航空機同士の接触事故が発生している。それからわずか二カ月にしてふたたびあわや大惨事の重大事故が発生し、その原因究明と対策が講じられないまま、翌朝には運用を再開するとは言語道断である。
暫定滑走路は構造的問題を抱えた欠陥滑走路である。未買収地を残したまま当初計画より三百二十メートルも切り縮めて強引に建設した短縮滑走路である。計画当初からオーバーランの危険が指摘されてきたのである。のみならず、誘導路は二カ所で「へ」の字に湾曲し、うち一カ所は滑走路間際に大きく食い込んでいる。保安のための着陸帯はICAO(国際民間航空機関)の安全基準を逸脱し、幅は基準の半分に削られている。空港安全基準を遵守すれば本来建設できない違法な構築物なのである。あいつぐ事故の責任は、構造的欠陥を押して計画申請した空港公団総裁とこれを認可した国土交通大臣にある。
欠陥だらけの暫定滑走路において、今回の事故をはるかに上回る大惨事の発生は必至である。国交省と空港公団は暫定滑走路の運用を即刻停止せよ。乗員労働者が、ともに立ち上がることを切に訴える。
二〇〇三年一月二十八日
三里塚芝山連合空港反対同盟(連絡先)事務局長・北原鉱治/成田市三里塚一一五
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週刊『三里塚』(S625号1面6)
米ついに「核兵器使用」を準備
“皆殺し”先制攻撃
劣化ウラン被害は今も
アメリカは、対イラク戦争で「完勝を期す」ために核兵器を使用する可能性が高いという。湾岸戦争で大量に使用した劣化ウラン弾の放射線被害が現在もイラク民衆を苦しめる中、今度は本物の核爆弾投下が検討されているのだ。大量破壊兵器を使う張本人はアメリカなのだ。
現在現地に集結しつつある米軍は十五万人未満。湾岸戦争時の多国籍軍約七十万人に比べ格段に少ない。「強大無比」といわれる米軍も、大不況から自由ではない。
しかも今回の対イラク戦争の目標は占領だ。本来なら湾岸戦争の数倍の兵力を必要とする。そこで核兵器が浮上した。ブッシュは本気で皆殺しを考えている。彼らは「反米国家に主権なし」と断言、「潜在的脅威」への先制攻撃もアメリカだけは許されると公言する。アメリカだけが戦争の是非を決定できると。ブルジョア政治学のいう「近代」国際関係を破壊し、自ら“神”となったアメリカ帝国主義。行く末は疑いもなく破滅だ。
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週刊『三里塚』(S625号1面7)
子供の頃、英国は「福祉国家」であると学校で教わった。一九四七年、第二次大戦が終結して間もない頃、時の労働党政権は「揺りかごから墓場まで」国民の面倒を見ると宣言した▼病院の治療費や入院費は無料。母親が出産して働く場合、公営託児所は七〇年代初頭で週三十ペンス。日本円で二百五十円程度。料金にはミルク代や離乳食、紙おむつ代も含まれていた。東京の喫茶店のコーヒーが約百五十円、バス代が三十円という時代だ。公立学校は授業料も教科書も給食も無料だった▼この“福祉国家”が、一九七三年のオイルショック以降激変した。とりわけサッチャー政権以後、福祉予算は見事に削られた。「無料」は次々と廃止され、労働者階級は一転して病気になっても治療を受けられない事態を恐れなければらない環境に追いやられた。資本主義の本性がむき出しになった▼福祉国家のカラクリは、東インド会社以来数世紀にわたり、植民地諸国人民の血と汗を吸い上げた超過利潤であった。これが回らなくなった。「グレートゲーム」や「アラビアのロレンス」で列強と争い、人民の血の犠牲の上に獲得してきた中東石油権益は、カラクリを知った人々の怒りで風前の灯火である。〇一年9・11ニューヨークに喝采する人々の思いには、家族や友人を殺され続けた歴史が刻み込まれている▼石油権益のために数十万人を殺すことが「正義の戦争」(ブッシュ)か? あまつさえ核兵器を使ってもいいと! 全世界の労働者階級の答えは「NO!」だ。国際反戦デモの嵐のような広がりが歴史を変えつつある。
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週刊『三里塚』(S625号1面8)
闘いの言葉
君らは出発する
さようなら辛、金、李、女の李
行ってあのかたい厚い滑らかな氷をたたきわれ
さようなら報復の歓喜に泣きわらう日まで
「雨の降る品川駅」
一九二九年 中野重治
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週刊『三里塚』(S625号2面1)
燃え上がる韓国の反米・反基地闘争(下)
今度は偵察機墜落3人被害
駐韓米軍撤退せよ
“民族分断の張本人だ!”
朝鮮半島で反米闘争が巨大な炎を燃やしている。一月二十六日、ソウル南方でまたしても米軍機が墜落事故を起こし、三人を負傷させた。この事故は反米反基地闘争の火に油を注ぐものとなっている。南朝鮮・韓国の人びとの利益とアメリカによる朝鮮半島分断支配とは、どこまでも相いれない敵対的矛盾であることがますます鮮明になった。こうしたたたかいを鎮圧する狙いも込めてアメリカは、在韓米軍の増強を画策している。反米闘争の破壊なしに対北朝鮮侵略戦争は空論だからだ。闘争の爆発は対北朝鮮への軍事行動そのものを阻む抵抗の拠点となっている。反米闘争をここまで爆発させた反政府運動の力の根源を探っていきたい。
一月二十六日午後三時ころ、京畿道華城(キョンギド・ファソン)市の自動車修理工場に、米空軍烏山(オサン)基地の第五偵察大隊所属の対北朝鮮監視用偵察機(U−2機)一機が墜落した。
(写真左 韓国北部京畿【キョンギ】道華城市に墜落した米軍の北朝鮮偵察機U-2の残骸)
北朝鮮への偵察飛行をしている途中、エンジンが故障したため烏山基地に戻る途中の事故だった。偵察機の残骸は、百b四方に散らばり、事故現場周辺にいた男性二人、女性一人の計三人の住民に重軽傷を負わせた。
米軍の墜落事故は、今回と同じ高度偵察機U−2が、八四年に烏山基地近くの上空で墜落し、九二年一月にも休戦ラインの海上に落ちて、韓国の人びとを震え上がらせた。
また在韓米軍基地をめぐっては、前回報告した米兵士の犯罪の多発や梅香里(メヒャンニ)射爆場の誤射、騒音問題などに加えて、基地から不法に排出された猛毒物質による地下水の汚染、悪名高い劣化ウラン弾による放射能汚染など環境破壊が深刻化し、住民の怒りを高めている。「米軍基地撤去、SOFA(韓米地位協定)改正」をかかげた反米闘争が、U−2墜落事故をもステップにして、決定的な激突に発展することは不可避である。
(写真左 1月4日にソウル光化門前でキャンドル集会・デモを行う韓国の労働者・人民。新年になっても反米反基地闘争は収まる気配を見せず前進している)
反米闘争の中心を担う民主労総(全国民主労働組合総連盟)は一月十八日、アメリカANSWERのイラク反戦集会にメッセージを送り、「石油資源略奪のためのイラク戦争策動はただちに中止されなければなりません」と弾劾、「韓半島の分断と東北アジアの冷戦維持の手段である駐韓米軍の撤収」を要求して反米闘争の先頭に立つ決意を改めて表明した。
朝鮮半島でアメリカが軍事的挑発を強めれば強めるほど、民衆のたたかいは燃え上がり、拡大するだろう。
駐韓米軍の増強で対抗
これに対して、アメリカ軍は、あくまで力による対決姿勢を鮮明にさせている。
米太平洋軍司令官のトーマス・ファーゴは一月二十五日、反米反基地闘争に挑戦するかのように、ラムズフェルド国防長官に対し、在韓米軍の増強を要請した。
具体的には、航続距離の長いB52戦略爆撃機、B1爆撃機あわせて二十機以上、F15戦闘機八機、U―2偵察機など主に航空戦力の増強を要求、それに伴う約二千人の兵力増員も求めている。さらに空母一隻の派遣も要請した。
これはアメリカによる新たな戦争挑発であると同時に、韓国民衆の反米闘争に対するむき出しの弾圧宣言である。現在の反米闘争を破壊せずして、対北朝鮮侵略戦争に踏み切ることは不可能だ。
アメリカは韓国政府に対して昨年十二月以来の巨大なキャンドルデモの抑制を求めると同時に、「米軍基地撤去要求」に対して在韓米軍増強で応えるという挑戦的な対応に打って出、反米反基地闘争そのものを力で抑え込む構えなのだ。
韓国の反米反基地闘争は、朝鮮半島の南北分断支配の張本人をたたかいの標的にすえて真っ向から対決する決定的な次元へと前進しつつある。二〇〇三年、韓国の人びとのたたかいは国際連帯を求めつつ前進している。(下記の小論参照)
在野運動50年の前進が生み出したもの
最強の労働者本隊
弾圧に負けず 統一の熱意で団結実現
韓国における反政府闘争は、学生運動、知識人運動、民衆運動が(在野運動と呼ぶ)たたかいの前衛を担い、階級として形成された労働運動本隊がそれを引きつぐ発展の軌跡を示している。
五〇年代、六〇年代の韓国の労働運動は、李承晩(イ・スンマン)、朴正煕(パク・チョンヒ)両軍事独裁政権の労働運動禁圧政策によって、また重化学工業や鉄鋼産業自体が未成立であった点に規定され、今日ほど大きな力は持っていなかった。
朴政権は衛戍令(準戒厳令)を布告して韓日条約批准を強行し、六九年、大統領三選を禁じた憲法の部分改正を強行するため「北朝鮮スパイ事件」などをでっち上げて反対運動を弾圧、七一年不正選挙で三選を強行した。さらに四選を行うため、再び戒厳令を布告して「維新憲法」を発布した。在野運動は朴独裁と果敢にたたかい、七三年末の改憲請願一千万人署名運動開始、七六年3・1救国宣言、七八年の民主主義国民連合の結成など、粘り強いたたかいを展開した。
労働運動では、一九七〇年の全泰壱(チョン・テイル)氏の焼身抗議自殺が七〇年代最初の民主的労組の結成に道を開いたが、まだまだ苦難の道を強いられた。
しかし、朴政権の独裁と強権的弾圧も「民主改革」を求めて前進する民衆運動を押しとどめることはできなかった。
七九年ついに朴正煕政権は打倒された。それでもこの時期までのスローガンは「独裁打倒、民主主義樹立」であり、「反米」や「統一」の契機を見出すことは困難だった。
運動の転回点となったのが、前回報告したように一九八〇年の光州蜂起に対する空前の虐殺攻撃である。光州虐殺は反政府運動が「反米」を自覚する決定的契機となった。
ちなみに運動の最先端部分ではこのころ「社会主義」「マルクス主義」「レーニン主義」が、北朝鮮の主体思想の強い影響下ではあったが、非公然下で真剣に議論され始めている。ここから「自主(反米)」と「統一(反共を克服し平和的統一を求める)」に向けた歩みが始まる。
(写真左 米軍基地は深刻な環境破壊も引き起こしている【土壌を汚染し発ガン率を高めている群山基地】)
農民・市民運動も 分断打破=革命的統一へ
朴正煕の打倒から全斗煥(チョン・ドファン)クーデターにいたる数カ月、政治権力の空白をついて労働運動も高揚した。特に八〇年四、五月に高まった民主化闘争の盛り上がりとともに、賃金団体協約改定の時期に合わせた労働者のたたかいは、光州虐殺まで労働争議八百九十七件、争議参加者のべ二十万人に迫る大規模なものだった。
しかし全斗煥の大統領就任により、YH貿易労働者の生存権闘争から始まった八〇年労働者・民衆闘争は再び沈黙させられていく。 この中で学生運動が八二年釜山アメリカ文化センター放火、八五年ソウルアメリカ文化センター占拠という形で「反米」の主張を強烈に押し出していく。全政権は暴力的な弾圧でこれに応えるとともに中小零細企業で組織されていた多くの労組を弾圧、解体した。
八四年から労働運動は本格的な離陸を開始した。特に八四年に実現された九・七%という「経済成長」は、限界状況に追い込まれていた労働者が、自らたたかいに立ち上がっていく条件を形成した。
学生運動は民主化運動青年連合(民青連)、全国学生総連合(全学連)を結成して運動の中心を担い、芸術家、作家、解職教授、女性などの運動団体が次つぎと結成された。
こうした運動の高まりを受けて、八五年総選挙で、新民党が民正党に迫る議席を獲得する中、労働運動は地域労働団体の創立を実現していった。全国組織への決定的一歩が記されのだ。
そして八七年六月の民主化(大統領直接選挙制の導入)後、七〜九月労働者大闘争に立ち上がっていく。デッチ上げによる労組員の大量拘束や会社、警察、労働部による暴行、拉致、尾行、拘束、手配、解雇などの攻撃に対し空前の反撃に立ち上がった。
たたかいは「民主労組」を要求する叫びとして蔚山(ウルサン)の現代エンジンから燃え上がった。これが鉱山労働者に拡大、わずか数カ月で二十万人も労組員が増え、争議は三千七百四十九件にも達した。このうちの九四・一%が非合法闘争だった。
ついに労働者階級本隊が学生運動や知識人運動などと連帯して階級闘争の前面に踊り出た。この後も警察機動隊の弾圧との一進一退の攻防が続いた。八九年五月に全国教職員労組が結成されると千八百人の教師解雇の攻撃に慮泰愚(ノ・テウ)政権は訴えた。
(写真左 欧米諸国人民と連帯しイラク反戦集会に決起した韓国の民衆【02年10月28日】)
しかし皮肉にも解雇教師たちは民主労組の事務局を担うなど運動の中心的役割を果たしていく。また農民運動、貧民運動も自立的に展開され始めた。
この時期になると運動は民主化を制約する要因と統一を制約する要因が一体であるという綱領的認識を獲得していく。「自主・民主・統一」というスローガンが定着していった。
九〇年一月、労働者のたたかいは全国労働組合協議会(全労協)という初の労組ナショナルセンターを実現、これが九五年の民主労総結成を準備した。それでもこれらは非合法団体で、争議の度に執行部が拘束される激闘をくり返す。民主労総が合法化されたのはやっと九九年十二月だ。
こうした労働運動の前進を本流としつつ学生運動が急進的なたたかいを展開した。また、九〇年代に入ると米軍基地撤去を直接求める反基地闘争、環境保護運動、人権保護運動、落選運動など広範な市民運動も勃興し発展していく。
九六年〜九七年に労働者のたたかいは、金泳三政権の強行した労働関係法令の改悪、安全企画部法(旧KCIA法)の抜き打ち改悪に対して、ゼネストでこれをいったん押し返すほどの実力を示した。そして韓国労働運動は九七年経済危機ーIMF信託統治下の整理解雇制導入に対しても苦闘しながら果敢なたたかいを展開している。
以上の韓国在野運動、労働運動の一つの到達点として戦後最大の反米反基地闘争が現在たたかわれている。長い歴史と巨大なすそ野を持つ運動として、反米反基地闘争はアメリカ・日本の対北朝鮮軍事行動を真っ向から阻んでいるのだ。われわれは北朝鮮スターリン主義を乗り越える南北分断体制打破=革命的統一のスローガンがたたかいの道であることを訴えて連帯していかなければならない。
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週刊『三里塚』(S625号2面2)
何が対北戦争を阻んでいるのか
“革命的反乱”の現実
反基地闘争で日韓連帯を 軍事空港粉砕=三里塚の地平
韓国での反米反基地闘争が重要なのは、アメリカによる対北朝鮮軍事行動を直接阻止しているからだ。韓国人民の津波のような闘いを放置したままでアメリカが対北朝鮮攻撃に踏み込むことはできない。
北朝鮮の核問題で、「一切の取引には応じない」などと大見得を切っていたブッシュ政権が、「対話」を口にせざるをえない所に追いこまれている理由は、「イラク問題で手一杯」という事情の他に、韓国の反米反基地闘争に表現されたアメリカ支配への怒りがあるからだ。
「韓国はアメリカの植民地や属国ではない」「南北分断の張本人はアメリカだ」と叫んで数十万人がデモに決起する情勢となっている。
韓国と同様に、朝鮮侵略戦争の兵たん・空輸基地に指名されている成田空港を包囲する三里塚闘争の存在がかつてなく重要である。
米軍が朝鮮・中国戦域で実際に開戦に踏み切ることが出来るかどうかの最大のカギは、基地の確保と兵站(へいたん)補給体制の保証だが、三里塚を始めとした日本の反戦闘争を破壊せずに、成田空港や関西新空港、新千歳空港、新潟空港などの軍事基地化は不可能である。
アメリカ軍はとりわけ、出撃・兵たん基地を敵のミサイル基地から四百マイル(六百四十キロb)以上離した位置に設定することを原則としている。朝鮮半島の三八度線から韓国南端まで四百キロ。ちょうど六百キロ以上離れた日本列島に出撃・兵たん基地が設定されることになる。
さらに空港・航空基地の要求は現在、湾岸戦争当時と比べてもはるかに切実となっている。アフガニスタンへの空爆と侵略戦争では、周辺国が米軍に航空基地(空港)を提供できるかどうかが、無差別爆撃の成否を左右した。
爆撃の成否左右
現在のイラク侵略戦争においてもトルコのインシルリック空軍基地をはじめとする周辺国の基地を軍事使用できるかどうかが、空爆作戦を左右する決定的課題となっている。
日米ガイドライン締結当時よりアメリカが、兵たん空輸基地として成田空港、新千歳空港、新潟空港などの民間空港の自由使用を要求リストに挙げていたのはこのためである。
三里塚闘争を先頭とした日本の反戦闘争が今、朝鮮侵略戦争体制の前に立ちはだかっている。この力関係を破壊せずに米軍が空港・航空基地の使用を強行すれば、日本列島は内乱的反戦闘争のるつぼに叩きこまれるだろう。
全力で三里塚闘争に決起し、守り発展させることがイラク・北朝鮮侵略戦争阻止・有事立法粉砕決戦の決定的課題だ。
朝鮮侵略戦争の危機の中で、拉致問題を使った対北攻撃のための排外主義キャンペーンと全力で対決することが求められている。
北朝鮮による拉致問題と戦前の二百万人にもおよぶ強制連行問題、さらに戦後の日帝による南北分断への加担を同列に論じることは許されない。北朝鮮による日本人拉致は米日韓による対北への戦争挑発・孤立化政策と一体だ。右翼、ブルジョアマスコミ、反共デマゴーグのあおる民族排外主義を粉砕せよ。南北、在日朝鮮人民と連帯し、今こそ米日による侵略戦争策動と対決し、阻止よう。
(写真 三里塚闘争の破壊なくして成田の軍事基地化は不可能。【昨年10・13集会】)
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週刊『三里塚』(S625号2面3)
一番怖いもの
台風、長雨に大雪
十二月、一月と暫定滑走路で続けて事故が起こりました。「民家にぶつかって爆発でもしたら住んでる人も飛行機の乗客もパニックになる所だったよね」「むりやり開港するから悪いんだよ」と周辺地域を回ったときに話題になりました。暫定とは「一時しのぎ」ということです。一年を待たずにしのぎきれなくなった矛盾が、事故という形になって噴出し始めたのだと思います。
十二日の旗開きは、東峰部落の開拓道路での集会とデモから始まりました。開拓道路は着陸帯に二百五十b食い込んでいるため、場所によっては飛行場が三百六十度の視界で見渡せます。旅客機がゴーゴーとうなりを上げて眼前を通過していくのです。乗客の側から見ると地底から湧き出たように赤旗が林立し、突き上げた空港反対のこぶしが見えているのだと思うと痛快です。
すばらしいたたかいを展開している反対同盟ですが、国家権力より怖いものがあります。自然です。野菜の不作は根菜、葉物全般にわたっていて、天候の悪条件が重なったときの怖さをつくづく感じています。市東孝雄さんの家のカシの大木をなぎ倒した昨年十月の°風″台風。その後の長雨と日照不足、それに追いうちをかけたのが、十二月の寒波と大雪です。白菜の葉がほとんど巻かず(結球せず)に年を越したのも、サツマイモの傷みが激しくて年内に出荷が終わってしまったのも、旬であるはずの葉物類がわずかしか収穫できていないのも、前例のなかったことです。
長期予報では暖冬と言われていた分、よけいに寒さが身に染む冬。悪条件の中でがんばっている野菜たちへもう少しの辛抱だよ、と声をかけながら寒風の中での農作業が続きます。(北里一枝)
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週刊『三里塚』(S625号2面4)
三芝百景 三里塚現地日誌 2003
1月22日(水)〜2月4日(火)
●アメリカ大手航空会社赤字続く アメリカン、ユナイテッド、デルタ、コンチネンタルのアメリカ大手航空4社が発表した02年10月から12月期決算は、すべて最終赤字となり、01年9・11ゲリラ後、5・四半期連続となった。(23日)
●アメリカン航空危機に アメリカ第1位の航空会社アメリカンのカーティー最高経営責任者が「経費を大幅に削減する方策が見つからないと当社の先行きはおぼつかない」と語り、第2位ユナイテッドにつづいてアメリカンも経営危機に陥っていることを認めた。(24日)
●動労水戸の旗開きへ 北原鉱治事務局長は、茨城県水戸市で開かれた動労水戸の旗開きに参加してあいさつ、労農連帯の大切さを訴えた。(26日)
●ついにオーバーラン事故
成田空港の暫定滑走路でエアージャパン(全日空の子会社)のB767−300機が着陸を試みた際、折からの強風(追い風)と雨のため滑走路内で停止することができず、70bもオーバーランする事故を起こした。ひとつ間違えば大惨事につながる事故だった。反対同盟はただちに抗議声明を発表して暫定滑走路の即時閉鎖を求めた。(27日=写真は事故の調査)
●高裁が反動判決 成田空港の工事実施計画取り消しを求めている裁判の控訴審で東京高裁が控訴棄却の反動判決を行った。(30日)
●黒野総裁、記者会見で居直り 空港公団の黒野匡彦総裁は定例記者会見でオーバーラン事故に触れ「滑走路が短かった。2500b化がどうしても必要」と反対同盟破壊策動を強める方針を表明した。また事故を起こしたB767−300やそれより大きいB777など、暫定路で運用するには危険な機種についても「特に制限はしない」と従来どおりの危険な運航を続ける意向を表明した。これに対して反対同盟は再び抗議声明を出して黒野総裁の無責任を弾劾した。(30日)
●東峰神社裁判 東峰神社立ち木の原状回復を求めて東峰部落が公団を相手取って争っている裁判の公判が、千葉地裁で行われ、裁判長の交代に伴う更新手続きが行われた。公判終了後、萩原進事務局次長をはじめとする原告、代理人弁護士、支援などが集まって裁判報告会が行われた。(2月3日)
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