SANRIZUKA 2002/04/01(No604 p02)

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週刊『三里塚』(S604号1面1)

 暫定滑走路自走テスト 迫る轟音 高まる怒り

 軒先わずか50メートル 体感100デシベル

 国は地上げ屋か! 開港阻止へ

 空港公団は三月十四日と十八日の二度にわたり、暫定滑走路の誘導路上でYS11機(プロペラ機)を使った自走テストを行った。天神峰・市東孝雄さん宅からわずか五十bの距離で轟音をたてて路上を旋回・自走する航空機騒音は予想以上に大きかった。開港後はB767などの中型ジェット機が自走する予定で、爆噴射の騒音被害は甚大だ。着陸時には東峰の農家上空わずか四十bを飛行する暴挙も現実となる。公団や航空会社は供給過剰を承知で「農家追放」のための増便に躍起だ。4・18暫定滑走路開港の暴挙は、まさに国家ぐるみの地上げ行為なのだ。一方、今回の自走テストで、市東宅の立木などにより滑走路や誘導路の三カ所で管制塔から死角が生じていることも判明した。農民殺しを象徴するような厳戒体制の三里塚現地。3・31〜4・14の開港阻止全国闘争に総力で集まろう。
(写真 市東孝雄さんの畑【手前】からわずか五十メートル先を自走し何度も旋回するYS11機。体感騒音は百デシベルを超えた。開港後はもっとうるさいジェット機が自走する。暴力団顔負けの地上げだ)
 空港公団は地元農民への通知もなく、YS11機による暫定滑走路および誘導路の自走テストを行った。YS11はプロペラ機だが、市東さん宅で体感した騒音は最大で百デシベルを超えた。
 轟音と共に軒先五十bを自走させることで、「早く出て行け」「開港すればジェット機のジェットブラストで、騒音と圧迫感はこれ以上」と威圧を加えたのである。
 市東さんは「国家テロには負けない」「この地でがんばりぬいて権力の暴虐を告発してやる」と怒りを語っている。(発言別掲)
(写真 フェンスだらけで収用所のような暫定滑走路。鉄柱は赤外線カメラ群(先端がカメラ)。暫定滑走路の惨状がむきだしになっている【市東さん宅監視台から北側を撮影】)
 自走テストは十四日、午後一時半すぎからが始まった。急を聞きつけ東峰の萩原進さんもかけつけた。現地支援連も集まった。
 YS11が一期工事区域内の二期ターミナルビルエプロンから連絡誘導路方向に姿を現わすと怒りが高まった。畑から見ると空港の遮蔽フェンスに機体が隠れて尾翼だけが突き出ている。映画「ジョーズ」に出てくる人食い鮫のようだ。
 YS11は市東宅前の誘導路を騒音をたてて北上した。畑の北側約百bで停止した。同所の西側フェンスには赤外線カメラのついた高さ十五bの鉄柱二本が建てられている。この位置で、モニターカメラのテストを行っているのだ。
 萩原さんが指摘した。「あそこでテストをやっているという事は、市東さんの立ち木がじゃまになって死角になっているという事だ」「管制塔との角度と位置から見てもまちがいない」と。

 市東宅立木も死角

 4月実機テスト許すな

 後で計測すると指摘どおり、市東宅立ち木が管制塔の視野をさえぎっていた事が確認された。新聞報道では死角になる場所が三カ所あるとされ、それぞれ「ホテル日航ウインズ成田」のビル、成田ゴルフコースの立ち木である事が指摘されていたが、もう一カ所は市東さん宅の立ち木だった事が今回明らかになった。
 YS11は、誘導路を北上、問題の「へ」の字部分にさしかかった。現闘本部をかすめんばかりに通過していく。ジェット機がここを自走運転するのは極めて危険だ。
 「ウインズ成田」のビル、ゴルフコース立ち木で死角になる場所を中心に約一時間モニターテストをくり返した。いかに深刻な死角問題が発生しているかが分かる。
 自走テスト機はその後滑走路そのものを南下し、市東さん宅前で旋回をくり返して、約二時間検査を続行した。日没後にも夜間の自走テストを行った。
 自走テストの結果、暫定滑走路の欠陥性と危険性ががさらに暴露されたが、国土交通省・空港公団は開港を強行しようとしている。そのために「四月二日にB767、A320機を使った実機飛行を行う」と発表した。いよいよ実際の中型ジェット機を飛ばして農民叩き出し攻撃を強めようというのである。
 今こそ反対同盟の呼びかけに応え、3・31現地集会〜4・14全国集会の大成功をかちとろう。かつてない大結集で暫定滑走路開港を粉砕し、延長攻撃を阻止しよう。

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週刊『三里塚』(S604号1面2)

 市東孝雄さんに聞く

 この地で農業を守り

 権力犯罪告発する!

 プロペラ機だったが自走テストは許せない。機体が正面を向いた時の騒音はひどかった。百デシベル以上あったんじゃないかな。
 実際にジェット機が自走し、飛行すればどんな騒音になるのか。畑の作物にどんな影響があるのか、心配だ。農民が現に住んでいるのに暴力団顔負けの地上げをやる国とは何なのか。本当に腹が立つ。怒りでいっぱいだ。
 こういう国家権力の暴虐をマスコミこそが報道すべきでしょ。ジャーナリズムっていうのはそういうものじゃないだろうか。ところが連中は見て知っていながら何も伝えようとしない。御用機関と言われてもしょうがないよね。
 私はこの地でがんばりぬくことで、反対同盟の仲間と共に権力の横暴を告発していく。
 冷静に見るとひどい滑走路だというのがよく分かります。誘導路は「へ」の字に曲がり、信号をつけて飛行機を待機させるという。大事故が必ず起きる。私の家の立ち木が管制塔の視界をじゃまして、誘導路が死角になっている事が新たにわかりました。開港が近づくにつれボロが次つぎに出てくるあきれた滑走路だ。
 三十六年もかかってこの程度の滑走路しか造れないのだから、建設自体がまちがっていたという事じゃないですか。
 われわれは負けません。開港そのものに絶対反対でたたかいます。延長などお笑い種です。三里塚闘争の存在をもっとアピールしていきたい。今度の集会で反対同盟と全国の闘争陣形の強さをあらためて示していきたい。現地が初めての人にもどんどん来てほしい。 ブッシュ大統領が世界中で戦争を拡大していますが、三里塚がたたかわないと成田が軍事空港として使われてしまう。三里塚闘争はこれからです。

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週刊『三里塚』(S604号1面3)

 3・31〜4・14集会へ反対同盟訴え

 造れぬ所に造った 農民の恨みは深い

 乗り入れ枠ガラガラ/反戦の砦、真価今こそ

 3・31〜4・14集会にむけたアピールを反対同盟三氏からいただいた。「白昼公然の農民殺し許さぬ」「二年間決戦の決着をつける時が来た」と訴えている。大結集を勝ち取ろう。

 三里塚は再び決戦となった 結集を訴える

 事務局長・北原鉱治さん

 三里塚闘争は再び、人民の正義が勝つのか、国家暴力に負けるのかを決する決戦の場となった。三十六年間たたかってきたわれわれの決意は磐石だ。全国の労農学と団結し巨万の支援を得て必ず勝利する決意だ。
 暫定滑走路のデタラメぶりは「恥さらし」という以外には言葉がない。「サッカーのW杯のため」などと言いながら、大半の旅客は羽田に降り立つ。人びとをだますウソだった。「乗り入れを待つ外国航空会社が山ほどある」と宣伝していたが実際は三カ国だけ。全体でも需要は六割に満たなかった。
 「造れない所に造った滑走路だ」「使い物にならない欠陥施設」という反対同盟の指摘が完全に的中した。公団は、飛ばして追い出すためだけの開港を強行し、国家的地上げを白昼公然とやろうとしている。反対同盟はこのような暴虐を絶対に許さない。結集を訴える。有事立法攻撃に対して、反戦の砦・三里塚は粉砕の先頭に立ちます。

 闘争陣形万全国家主義に負けず開港阻止

 事務局次長・萩原進さん

 「二年間決戦」の決着をつける時がきた。政府は、暫定路の発表、着工で反対農民が屈服するものとたかをくくったが、現実によって粉砕された。三里塚三十六年のたたかいを甘く見てもらっちゃ困る。
 闘争陣形は万全だ。暫定滑走路の欠陥ぶりが次つぎと暴露されてきている。予想した以上だ。「開港キャンペーン」もできないありさまだ。一期開港の時と比べて様変わり。守っているのは公団、攻めているのが反対同盟という構図だ。
 われわれは理不尽な国家テロに絶対負けない。開港攻撃と徹底的にたたかう。延長策動など問題外だ。
 小泉政権が有事立法攻撃を強めている事で三里塚闘争の意義が高まっている。法律を作らせないないたたかいがもちろん大事だが、戦争体制作りを現場で粉砕する闘争もポイントだ。
 三里塚は最初から「国策に反対する闘争は力で叩きつぶす」という攻撃とたたかってきた。第一次、第二次代執行がそうであり成田治安法とのたたかいがそうだ。三里塚はこうした国家暴力に負けず「国のために犠牲になれ」というイデオロギーを粉砕してきた。国家の言う事を聞かない三里塚闘争が健在でいるかぎり戦争の゛城内平和作り″はできない。暫定攻撃は戦争体制作りのための治安攻撃でもある。沖縄を始めとする反戦闘争との連帯をかけ三里塚はたたかい続ける。3・31〜4・14集会に大結集をお願いします。

 心を一つにすれば必ず勝つ 労農学連帯を

 本部役員・鈴木幸司さん

 あっという間の三十六年だったが、たたかいはいよいよ佳境に入ってきとというのが実感だ。三里塚闘争は農民だけのたたかいではない。三十六年の闘争は全人民が守り育ててくれたたたかいです。だから暫定路の開港を粉砕する3・31〜4・14の集会は全人民総決起の集会です。
 われわれは最初から「軍事空港反対」をスローガンにかかげてやってきた。当初は今ひとつ実感が沸かなかったが今は違います。小泉政権が戦争をやるための有事立法攻撃を全面的にかけてきている。朝鮮で戦争が起きれば成田が軍事基地になる。昨年二月「インド地震」を口実に軍用機が飛び立っていった。「軍事空港反対」は単なるスローガンではない。
 戸村一作委員長の言葉に「心を一つにすれば必ず勝つ」という言葉があります。最近ようやく分かってきた。農民と全人民の真の団結・連帯を訴えていると思う。
 三里塚は反戦の砦です。戦争のきな臭いにおいが近づいているが、戦争体験者として言いたい。二度と侵略戦争を許してはならない。天皇制を断じて許してはならない。
 反戦の砦・三里塚を先頭に戦争攻撃を粉砕しよう。暫定路開港を阻止しよう。

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週刊『三里塚』(S604号1面4)

 ピンスポット

 滑走路が見えない管制塔!

 死角3ヵ所致命的

 ホテル、市東宅など

 誘導路に死角! 暫定滑走路の死角を示すのが上の写真だ。撮影した場所は団結街道を約千二百b北側に走った「成田ゴルフコース」の正門付近で団結街道から少し西側に入った所。
 写真は同地点から成田空港の管制(右)(右)を撮影したものである。すると管制塔と「ホテル日航ウインズ成田」の最上階部分が並んで写っているのが分かる。撮影地点から東へ団結街道に移動すると管制塔はホテルビルに完全に隠れてしまう。
 つまり団結街道のさらに東側を走っている誘導路はさえぎられてしまうということだ。航空機のすべての動きを視認できなければ安全は保てない。死角はこの他、市東宅と成田ゴルフコースの立ち木部分にもある。管制塔から死角になる部分の総延長は千メートル近くにもなるのだ。暫定滑走路の惨状は想像以上だ。

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週刊『三里塚』(S604号1面5)

 団結街道

 一兆円をこえる空前の利益を出したトヨタ自動車が今年の春闘でベースアップ(賃金基準引き上げ)ゼロを回答した▼会長の奥田碩(日経連会長でもある)は「経済界のリーダーとしてベアは論外」と切って捨てた。業績の多寡にかかわらず企業が゛絶えざるリストラ″を競い合う。大失業時代の特徴である▼「働く自由」どころか、「働かせ方の自由」が幅をきかす。「オンコール・ワーカー」なる労働形態である。部品や原材料のカンバン方式は、余計な在庫を持たないことで資本の競争力を高めた。そのカンバン方式が人間労働にまで及んでいるのだ▼オンコール・ワーカーとは「呼び出し次第、ただちに御用に応じます」と電話の前で待ちつづける労働形態のこと。「一日契約社員」である。発祥はアメリカ。人間労働の究極の合理化だ。呼び出しがあるとセンターに駆けつけ、行き先を指示される。何時間働けるか、現場に行かなければ分からない▼今日はA社の倉庫で荷物を運び、明日はコンビニで深夜業。何日も待機で、ある日、一日ウエイターのお呼びがかかる、という具合だ。日替わり労働メニュー。社会的給付も論外。このような細切れ・使い捨て労働の一日契約社員が、日本でも三十万人を超えた▼経済企画庁は「職を選ぶ、選業の時代」(!)と言い放った。奴らはこういう感性の持ち主だ。「人間はもはや搾取の対象ですらなくなった。いまや人間は排除の対象だ」(フランスの作家、ビビアンヌ・フォレステル)。労働の使い捨ては、やがて命の使い捨てに…。こうして戦争は始まる。

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週刊『三里塚』(S604号1面6)

 闘いの言葉

▼神様よ今日のご飯が足りませぬ
▼十五日経ったら死ねと言ふ手当て
▼血を喀(は)いて坑(しき)をあがれば首を馘(き)り

 一九二九年 反戦川柳作家・鶴彬(あきら)

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週刊『三里塚』(S604号2面1)

 有事法制国会提出阻止へ

 新たな15年戦争の開始を許すな

 9条改憲一気に進行

 現行憲法体系根こそぎ解体

 アメリカをはじめとする帝国主義が再び世界戦争への暴走を始める中、日本が敗戦後五十数年にわたって国会に提出もできなかった有事法制を、小泉政権がついに今国会提出を決めた。まごうかたなき戦争の時代が完全に始まったのだ。3・31〜4・14〜4・18の三里塚暫定開港阻止決戦は、同時に有事立法攻撃に対する労働者人民の革命的反乱の開始である。
 有事法制とはいうまでもなく戦時立法、国家が国家の名において戦争を遂行するために必要な一群の法律である。そうである以上、有事法制の立法化すなわち有事立法攻撃とは、それがどのような形式を繕っても、現行憲法九条が禁止している「国権の発動たる戦争」および「軍事力の保持と行使」を完全に、全面的に復活させる攻撃だ。九条を中心とする現行憲法体系の根こそぎの解体である。
(写真 本格参戦が近づき、自衛隊はアメリカの演習場で本格的な実戦射撃演習を始めた)
 小泉政権による有事立法攻撃の特徴は、アメリカが中東と全世界で進めている「対テロ戦争」への日本の参戦が、護衛艦派遣などの既成事実を先行させつつ、きわめて具体的に想定されていることだ。とりわけ米ブッシュ政権が完全に遂行を決意した対北朝鮮・対中国の大戦争への本格的参戦を、日本帝国主義は文字通り国の基本政策として決断した。この点がきわめて重要である。
 この点を裏付けるように、小泉政権は今国会に提出する有事法制の「有事」概念に「テロ・ゲリラ」を含めることを決定(3・15政府発表)し、米軍が日本国内で自由に活動できる特別立法を含めることを決め(同3・18)、さらには空港や港湾労働者など民間人が動員命令や物資保管命令を拒否した場合の「罰則規定」を盛り込む方針も明確にした(同3・14)。
 有事立法攻撃はすでに法律論の次元の問題ではなくなっている。日本がアメリカとともに、明日にも本格的な戦争に乗り出すかどうかのきわめて現実的な問題なのだ。立法化それ自身が、あの「十五年戦争」以来の新たな侵略戦争の開始なのである。
     *
 従って、有事立法攻撃のもうひとつの大きな側面として、戦時体制づくりの核心問題ともいえる全面的治安弾圧攻撃=国内治安戦争の視角がむき出しになっていることを重視しなければならない。一言でいえば反戦派の投獄、一切の反戦運動とその拠点の暴力的鎮圧、そのための国家主義、愛国主義の暴力的強制である。それは反戦派の労働者や学生を投獄し、反戦運動を鎮圧できなければ国家の戦争は遂行できないという明確な理由による。三里塚暫定開港攻撃の切迫も、まさにそうした戦闘的反戦闘争(その拠点)に対する内乱鎮圧型の攻撃なのだ。
 こうした観点から見るとき、「国策」の暴力的強制と土地取り上げ抗し、日帝国家権力と三十数年間の実力抵抗闘争を貫き勝利してきた三里塚闘争の意義はあまりにも大きい。反戦の砦=三里塚闘争の真骨頂はまさにこれから発揮されるのである。

 反戦派との治安戦争

 戦時体制作りの核心問題

 一般にブルジョア国家が戦争を遂行するために必要な要素は大きく分けて三つの分野に分かれる。
 第一に軍隊の保持。
 第二が有事法制=戦争のための法律。すなわち国家緊急権(憲法の停止)を核心とする戦時法体系の整備。敗戦国として憲法九条(戦争放棄)に縛られ、非常時の国家緊急権の規定もない日本の場合、基本法(憲法)の改定もこの分野に含まれる。
 そして第三が反戦派の鎮圧、すなわち国内治安戦争の遂行である。現在の有事立法攻撃が「反テロ戦争」を口実にした多くの国際治安条約の批准と、それに関連した国内治安立法の制定攻撃として、同時進行している事実がきわめて重要である。(本紙602号参照
(写真 首都に戒厳令が敷かれ憲法が停止された。国家・社会の全領域、政治・経済・生活・思想などすべてが軍の統制下に【一九三六年2・26事件】)
 現在の日本に当てはめるとどうか。
 第一の「軍隊の保持」については、五〇年朝鮮戦争を契機に創設された自衛隊の拡充が進み、軍隊としての基本的な骨格はすでに形成されている。武器水準も一部を除いて世界最高レベルに肩を並べ、部分的には米軍との統合作戦すら可能な水準にある。
 しかし第二の「有事法制の整備および改憲」、そして第三の「反戦派の鎮圧」について、日本の支配階級はまったく未解決状態だ。この両者は、有事法制の本質からして表裏一体の政治課題である。
 そしてこの問題が未解決のまま、日本はいままさに世界的な「反テロ戦争」への本格的な参戦を事実上開始しつつある。

 参戦の既成事実が先行

 「柳条湖事件」の再現

 ここできわめて重要な問題は、この「参戦を開始しつつある」ことの現状破壊性だ。
 日本が有事法制の不在や憲法九条問題を抱え、いまだ本来の帝国主義国家としての戦時体制を備えていないことは明白だ。敗戦から五十数年、労働者人民の反戦意識は、湾岸戦争以降の政府・マスコミの「国際貢献」論や有事法制必要論、改憲キャンペーン等にもかかわらず、相当な根強さを保っている。少なくとも現段階のままでは、明日にも日本が国家総力戦を遂行することは不可能だ。
 小泉政権の有事立法論議が、この期に及んで「戦前の総力戦のような事態は想定しない」(官房長官・福田)などとペテン的装いをとる理由も、人民の反戦意識を恐れているからだ。
 しかし「参戦」の事実の進行は、政府の装いよりはるかに現状破壊的だ。昨年十二月、奄美大島西方の公海上で国籍不明の船舶が「停船に応じなかった」だけの理由で海上保安庁に砲撃・撃沈され、十五人の乗組員が殺された。この「不審船事件」は、全国紙とテレビで「政府発表」の垂れ流しとなり、その後の一連の「反北朝鮮」キャンペーン(朝鮮総連の捜索や「拉致疑惑」の大宣伝)をもテコに、有事法制国会提出の流れを一気に確定した。
 かつての中国侵略戦争での柳条湖事件(一九三一年)などと酷似した手法で排外主義が扇動され、戦時体制づくりの突破口が急激に開かれた事実は重大である。新たな「十五年戦争」はもう始まっているのだ。
 次に来るものは、有事法制をめぐる国会攻防と同時に一気に動き出すであろう労働者人民に対する本格的な戦時動員攻撃だ。そして「第二、第三の不審船事件」や排外主義と愛国主義、国家主義の洪水の中で始まる明文改憲攻撃の一挙的進行である。
 これを真っ向から打ち破る革命的反戦闘争の質が、今まさに問われている。侵略戦争に屈服し動員された戦前のたたかいの敗北を痛苦の念で想起し、今度こそ闘うアジア人民と連帯し、日本労働者階級の階級的矜持にかけて帝国主義を打倒し、いままさに回りだした戦争の歯車を止めなければならないのである。

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週刊『三里塚』(S604号2面2)

 予想以上の欠陥 −−暫定路テスト

 開港阻止こそ正しい選択

 【解説】空港公団が行った三月十四日と十八日の自走テストは、「空港面探知レーダー(ASDE)」と赤外線カメラの性能を調べる、として行われた。
 暫定滑走路の誘導路には三個所で死角が生じる。そのため、一般の「探知レーダー」に加えて、誘導路沿いに十三個所の赤外線カメラ(写真)が設置されている。今回の自走テストの主な目的は赤外線カメラの性能検査だった。
(写真 これが赤外線カメラだ)
 死角になるのは、市東孝雄さんの畑北方百bの地点で南北五十bと暫定滑走路南端から約千百b北側の成田ゴルフコース正門付近、およびこの地点から北側にかけて約八百bの区間でいずれも誘導路上。
 距離にして誘導路の半分近くが障害物でさえぎられる事になる。死角の存在は周知だったが、エリアがこれほど広範囲に渡っている事は今回判明した。市東さん宅の防風林が死角の一カ所を構成していたことも新たに分かった。
 公団は十四日と十八日の二日、それぞれ日中と夜間に約二時間ずつかけてチェックを行った。三カ所、千b近くもの死角の存在が、いかに航空機の安全性にかかわるかを示す検査ぶりだった。
     *
 暫定路をめぐって最近、農家の立ち木六本が航空機進入表面から五bも突き出ていた事が判明した(本紙前号既報)。「参入希望が発着枠をオーバーする」などと宣伝されていた航空会社の乗り入れ便数もふたを明けてみれば六割以下。国際線に限れば約四割でしかない事も明らかになった(同上)。
 安全面にかかわる法的規制も無視し、まるで地上げ屋のような、常識では考えられない「農家上空四十b飛行」を強行、国の面子だけで開港を急ぐ暫定路の末路は早くも見えている。
 「地権者の同意なく滑走路は造らない」とした社会的確約さえ反故にした国交省・公団を反対同盟と三里塚闘争は絶対に許さない。開港阻止こそが正しい選択である。(1面に記事)

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週刊『三里塚』(S604号2面3)

 「国策阻止」の三里塚

 反戦闘争の真髄、階級的実力闘争

 三里塚闘争はそれ自身が最強の反戦闘争だ。

 第一に、農民(人民)的正義と「国益」との非和解性を自覚し、国家主義や国益主義に負けずに反戦を貫ける地平を大衆的レベルで獲得していること。国家主義や排外主義の嵐を伴う戦時下で、真向から反戦(=自国の敗北をよしとする)を主張しぬく強さは、今後の反戦闘争に決定的な意味を持っている。
 第二に、ブルジョア民主主義の欺まんと階級支配の暴力性を暴き、階級的実力闘争の思想と実践を営々と積み上げてきたこと。これも決定的である。
 戦争は「主権在民」などのブルジョア階級支配の外皮を脱ぎ捨て、暴力支配の本質をむき出しにする。近代国家の戦争とは、人民が銃を取って相手国の人民を殺すことを国に強制され、これを拒否すれば投獄されるか自分が殺されるということだ。この関係を全国民に強制して初めて国家の戦争は成り立つ。「支配階級のために人民が死ぬ」。ここに戦争の本質がある。
 だからこそ有事法制(戦時立法)は、その本質として、戦後憲法的なすべての基本的人権の全面的停止を伴うのである。
 したがって反戦闘争は、その本質から階級的実力闘争である。あらゆる大衆的運動形態も含めて、最終的には帝国主義を打倒する非和解的な激突に発展せざるを得ない。だからこそ三里塚闘争の地平が決定的な意味を持っているのだ。
 そして第三に、三里塚闘争が重視してきた労農連帯の立場、広範で全国的な労農学共闘の陣形である。三里塚闘争は、戦闘的労働者のたたかい、すべての人民のたたかいに徹底的に根ざすことで普遍的な立場を獲得してきた。三里塚勢力こそ、まごうかたなき最強の反戦闘争陣形である。
(写真 85年10・20三里塚十字路戦闘での突撃の瞬間)

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週刊『三里塚』(S604号2面4)

 葉山岳夫弁護士に聞く D

 「黄金弾の直撃を食らって参った」

 反戦派弁護の立場とは

 法廷も自宅も戦場と心得て

 葉山岳夫弁護士は一九六七年四月から今日まで三十五年間、反対同盟顧問弁護団の事務局長を務めてきた。一般には企業弁護専門で金銭的利益を第一義に考え、ブルジョア階級支配の一端を担う弁護士も少なくない。「社会正義」の名の下に、国家の不当な暴力行使を正当化する役割を果たす者も存在する。対照的に、虐げられ抑圧される民衆の側に立ち、本来の社会正義を実現するための弁護士活動には想像以上の困難が待ち受ける。国家権力との激しい衝突を続けてきた三里塚闘争の弁護ともなれば、なおさらだ。農民たちと闘いの現場をともにしつつ、弁護団事務局長の重責を果たしてこられた氏の献身的たたかいには、人知れぬ多くの苦労が隠されていた。

――学生時代の活動について改めてお伺いします。

 葉山「私が東大に入学したのは一九五六年です。当時は砂川の米軍基地拡張反対闘争の真っ最中。強制測量阻止の闘争で逮捕されました。東大では、学内での軍事技術の研究が問題になって、反対運動が盛り上がってました。大学四年の五九年四月に緑会委員長になって「軍事研究反対、安保反対」の闘争を組織しました。同年六月と十月に『講義時間中に学内集会とデモをやった』という、後には考えられないような理由で無期停学処分を受けました。処分が解けたのは翌々年の六一年秋。その後、弁護士を目指したわけです」
(写真 国会周辺デモ 禁止法の制定攻撃に反対する集会で演説する葉山岳夫さん(1959年11月27日))

――反対同盟顧問弁護団の事務局長を続けられ、他人に言えない苦労も多かったと思いますが…。

 葉山「きりがありません(笑い)。やはり大変なのは各方面からの圧力です。現にたたかわれている反権力の運動を弁護する事は、個別の事件を担当するのと次元が違います。事件となった案件も、大きな攻防になると人の人生を左右する重い内容を持ってくる。こういう状況が終わりなく続くわけです。弁護士としても自分の生き方や立場が絶えず問われる。生易しくはないですね」

――闘争現場に出ることも多く、経済的にも大変ではないですか。

 葉山「事務所を倒産させるわけにはいきませんからね。七一年の代執行の頃、東京の目黒に住んでいましたが、二時間半かけて毎日のように現地を往復しました。普通の弁護士の倍働かないとやっていけなかった感じでしたね。実際、三里塚弁護団の中から仕事のやりすぎがもとで死んだ人も出ています。壮絶な戦死ですよ。立派な人でした」

 ●戦場とは

    *
 葉山弁護士が惜しんでいるのは、一九七九年に三十二歳の若さで急逝した植村泰男弁護士。七七年岩山大鉄塔破壊事件や成田治安法の制定・発動に対し、法廷闘争の弁護団会議を主宰し、先頭でたたかいながら逝った。新婚わずか半月後の早逝だった。追悼集『流星』に葉山弁護士は「弁護士にとって戦場は、法廷、街頭、原野のみならず、疲労に耐えながら起案する事務所、自宅にもあるというべきである」と書いている。さらに「植村氏がいなければ、岩山鉄塔撤去に対する仮処分対策や成田新法への反論は極めて微弱なものとなっただろう」と悼んでいる。
       *
――三里塚闘争は実力闘争を原則にしています。法律の枠に必ずしも収まらないケースも多い。そのなかでの弁護活動をどのように考えておられますか。

 葉山「少数者の権利をあくまで擁護するのが民主主義です。抑圧されている人びとの生存権をどこまで守れるかで民主主義のレベルが決まる。基本的人権には人民の抵抗権という問題も出てきます。これを認めなければ民主主義とは言えません。三里塚の実力抵抗闘争の意義はまさにここにあると考えています。
 政府の行ってきた違法な権力行使は〃行き過ぎ”云々のレベルを超えている。意図的な農民殺しです。法律の順守を無条件に求められる権力が『法による統治』を捨てて暴力に訴える。これとどう向き合うかです。三里塚農民のように、実力で抵抗することは民主主義のもっとも大事な要素なんです。
 つまり人民の抵抗権の行使です。権力が暴政に訴えるとき、人民が実力で抵抗するのは民主主義を守るための義務ですらある。ここが核心です。だから三里塚裁判では『抵抗権の行使』を基本にすえた主張を行うわけです」

――数々の闘争現場を経験されて印象に残っていることは。

 葉山「いろいろあります。七一年七月仮処分闘争の時、『もっと近くで命令を読み上げろ』と執行官を引っ張っていった時、私が黄金爆弾(糞尿弾)の直撃をくらいました。あの匂いは参った。電車で帰るのに苦労しました。第一次代執行の時は弁護士も含んだ乱戦になって何人も機動隊から取り戻しました。七〇年の三日間戦争では機動隊と対峙して後頭部に衝撃を受け、赤い液体が垂れてきた。『やられた』と覚悟しましたがスイカの〃誤爆”でした。
 大変だったのは東峰十字路裁判です。農家の働き手が大勢獄に捕らえられたわけですから深刻でした。妨害のなかでの接見活動などで起訴後三カ月以内に全員釈放させました。八六年には、懲役十年を求刑された被告もいる中で全員の執行猶予を勝ち取った。特筆すべき勝利だった」

 ●襲撃にも屈せず

――八八年に千葉県収用委員会が実力で解体に追い込まれた時、法曹としては厳しい立場だったと思いますが。

 葉山「収用委員会というのは人民の土地強奪機関です。何度も人民の血を流してきた。その収用委員会が機能を停止した。これは評価すべきと思いました。農民が血を流さずに済んだのです。収用委員が全員辞任した事は、かれらの職務の不正義の結果といわざるを得ない。
 三里塚弁護団と比較してみてください。七四年一月、三里塚弁護団が多数参加していた破防法弁護団がカクマル派に襲撃されました。多数の重傷者を出し私も頭にケガをしましたが、このことで怖がって弁護団をやめた人は一人もいなかった。みな信念と覚悟をもってやってるんです。収用委員とはここが違う」

――ご自身が尊敬している歴史上の弁護士はいますか。

 葉山「戦前の反戦派弁護士として有名な布施辰治さんの生き方に学んでいます。彼は投獄を辞さず共産党や反戦派の弁護を行いました。終生、三里塚農民や虐げられた人びとと共にたたかいたい」(つづく)

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週刊『三里塚』(S604号2面5)

 三芝百景

 三里塚現地日誌 2002

 3月6日(水)〜3月19日(火)

●国際婦人デー集会に鈴木いとさん 東京・神宮前区民館で開かれた国際婦人デー集会に反対同盟から鈴木いとさんが参加してあいさつした。「暫定滑走路は欠陥だらけで失格です。私の家も飛行直下にあり立ち退き区域ですが攻撃には負けません」と訴え3・31〜4・14集会への結集を訴えた。(10日)
●暫定滑走路認可取消訴訟で公判 暫定滑走路認可取消訴訟と2期工事差し止め訴訟の公判が千葉地裁で行われ、反対同盟から鈴木幸司さん、郡司一治さんが参加。全学連現闘をはじめ現地支援も傍聴した。暫定路の公判では、「暫定滑走路の進入表面に関する書面を提出せよ」と求めた事に対し、国土交通省は「現段階では必要ない」とかたくなに拒否。裁判長に改めて提出命令を出すよう求めた。同時に長田公泰元公衆衛生院院長らの証人申請を行った。(12日)
●自走テストを監視 萩原進さん、市東孝雄さんと全学連現闘ら現地支援は、2回行われた暫定滑走路の自走テストを監視し、滑走路の欠陥性を改めて確認した。(14、18日)
●革共同集会に多数の反対同盟 3・17革共同集会に反対同盟から北原事務局長をはじめ6人が参加した。市東孝雄さんは「北小路敏さんの演説を初めて聞けて印象深かった」と感想を述べた。(17日)
●萩原さん宅で春の作付け最盛期 萩原さん宅では春夏に向けた作付けに大童。葉物はホウレンソウ、小松菜、パクチョイなど。根菜はキタアカリ種、トヨシロ種などのジャガイモ。その他トウモロコシ。「天気が暖かい今年は作付けには好条件。だけど風の強いのが困る」と進さん。牛肉に始まった偽装表示問題が野菜にまで波及する状況の中で、長年完全無農薬、有機野菜に取り組んできた萩原さんの怒りは深い。(19日)
●郡司さんのモクレンが満開 芝山町小原子部落の郡司一治さん宅で白いモクレンが満開になった。毎年故郡司とめさんが楽しみにしていた花だ。「今年は暖冬で霜が降りなかったので花の日持ちがいい」と一治さん。郡司家のもう一方のトレードマークである「姫こぶし」の方はピークを過ぎた。赤紫色の花弁が目に鮮やかなモクレン科の花で、生前のとめさんの姿が偲ばれる。(19日=写真)

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