SANRIZUKA 2002/03/01(No602 p02)

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週刊『三里塚』(S602号1面1)

 ”造れない所に造った”

 反対同盟一坪調査 暫定滑走路の惨状を再確認 えぐれた着陸帯、国際基準の半分

 「世界に恥をさらす」 反対同盟 開港阻止へ意気軒昂

 二月十七日、反対同盟と顧問弁護団は暫定滑走路の敷地内外に散在する一坪共有地の存在確認と形状保全状況について実地調査を行った。調査は昨年二月に続き一年ぶり四度目。反対同盟の一坪共有地は、滑走路中央部のすぐ脇の着陸帯にかかっているものや、本来の誘導路予定地を寸断しているものもあり、暫定滑走路の運用計画に大きな影響を与えている。直近の反対農家を残したまま開港が強行された後の深刻な騒音被害を最小限にとどめる意味でも、共有地の存在意義は大きい。調査終了後、反対同盟は「暫定開港は、この滑走路の惨状を世界中にさらすことになる」と意気軒昂だった。
(写真 空港内の一坪共有地を調査する反対同盟と顧問弁護団。滑走路は見るからに短かった(2月17日))
 午後一時、市東孝雄さん宅に反対同盟と顧問弁護団が集った。弁護団は葉山岳夫弁護士と一瀬敬一郎弁護士が参加、反対同盟は北原鉱治事務局長をはじめ萩原進事務局次長さん、市東孝雄さん、鈴木幸司さん、鈴木謙太郎さん、郡司一治さん、伊藤信晴さんら。
 現場に入る前に行動の趣旨説明があった。このなかで北原さんは「市東さんや萩原さんががんばっている限り、空港は永遠に無様な姿を世界にさらす。将来を考えれば、断固廃港に追い込むべき」と語った。また萩原さんは「開港阻止闘争の創意あふれる一環として本日の行動をやりきろう」と檄を飛ばした。
 一行は暫定滑走路東側のゲートに向かい、待ちかまえる空港公団職員を従えて空港内に入った。地権者として当たり前の権利行使だが、開港を目前に控えた公団側の表情はいかにも苦々しい。
 この日の調査対象は、空港内の三カ所とフェンス外の一カ所。そのうちの一つである郡司一治さん所有の共有地は、滑走路着陸帯の脇腹をえぐるすり鉢状の土地だ。四百九十二平方bとかなり広い。目の前に滑走路が広がるが、かなり短い滑走路だとわかる。
(写真 現闘本部脇の共有地を検分し終えた北原事務局長。手前は鈴木幸司さん)
 「こんな状態で開港するとはひどい」と参加した同盟員。「造っちゃいけないところに滑走路を造ったことが問題なんだ。たたかいはこれからだ」。
 反対同盟は開港後もここに入って気勢をあげるつもりだと話す。警備当局の悲鳴が聞こえるようだ。
 いったん外に出て、天神峰現闘本部わきの滑走路西側から別の共有地(北原事務局長ら所有)へ。公団が「こちらは今日は予定してなかったので入り口の鍵がない」と立ち入り拒否の構え。北原さんが「論外だ。鍵を持ってきなさい!」と一喝すると、公団職員はしぶしぶ従った。
 入ってみると、共有地の境界杭が二本なくなっていた。境界がはっきりしない。全員で「どうなっているんだ」と追及した。
 「次回までにキチンと打っておきます」と公団。
 「何いってる。勝手に杭を打つもんじゃない。境界確認に地権者の立ち会いが必要でしょ。子どもでもわかる」と鈴木幸司さんが厳しくたしなめた。「勉強不足でした」と公団職員は汗だくだった。

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週刊『三里塚』(S602号1面2)

 現代戦争と空港の役割

 アフガン空爆と空港の役割 「ナリタが欲しい」米軍

 大量殺戮の成否握る 13空港が出撃拠点に

 一九九〇年の湾岸戦争で、五十万人におよぶ米軍地上軍が米本土その他から民間航空機で空輸されたことで、現代の帝国主義戦争における航空輸送の役割、および戦域における巨大空港(=航空基地)の戦略的位置が浮き彫りになった。大規模な航空輸送力と航空基地(大空港)が確保できなければ、現代の侵略戦争は成り立たない。成田空港の戦略的役割は明白である。
 この問題は、昨年十月に開始されたアメリカ帝国主義によるアフガン空爆と侵略戦争で際だった。アフガン侵略戦争は、周辺国が米軍に航空基地(空港)を提供できるかどうかが、大量殺りく兵器を駆使した無差別爆撃の成否を決めた。
 10・7空爆開始時点で、米軍が戦域の航空基地として確保できていたのはインド洋ディエゴガルシア島(英領。貸与協定で米軍が軍事基地にしている)一カ所だった。空爆初日の作戦参加機は、米本土からの長距離作戦と空母艦載機を含めわずか二十五機。初期的な航空作戦の規模が予想を下回るものとなった理由は、まさに基地不足だった。
     *
 「限定的」なアフガン空爆作戦が質量ともに飛躍的な変ぼうを遂げていったのは、周辺国の航空基地を確保できてからのことだ。その概要は以下の通り。
 @クウェートのアル・ジャベール基地。この基地はイラクの「北部飛行禁止区域監視作戦」と称する日常的爆撃に使用されている。アフガン空爆での使用については「外交上の配慮」(中東地域の反米勢力への刺激)から明らかにされなかったが、米軍の統合参謀議長マイヤーズが記者会見で漏らしてしまい、クウェート政府が慌てて「否定」して見せた。
(図 アフガン人民への大量無差別殺戮を可能にした周辺の空港、航空基地群)
 Aキルギスタンの首都ビシュケクのマナス国際空港。ここは民間空港だ。十一月末から米軍機が展開。アフガン国境までわずか五百キロの地点にあり、対戦車地上攻撃機などの運用が可能になった。フランス空軍も同空港に展開した。
 Bウズベキスタンのハナバード飛行場。米特殊作戦航空隊が展開した。アフガンに国境を接する地域から出撃が可能になったことは空爆のエスカレートにとって決定的な意味を持った。戦術核兵器なみの大量殺りく兵器といわれる燃料気化爆弾「デージーカッター」は、ここに展開した特殊作戦機(C130輸送機の改造)から投下された。
 Cオマーン沖合、アル・マシラ島のマシラ基地。ここにも空軍特殊作戦機や陸軍の特殊作戦ヘリなどが展開した。
 Dパキスタン南部のジャコババード飛行場
 E同・南西部のダルバンディン飛行場
 F同・西部のパスニー飛行場
 G同・バルチスタン州のピシン飛行場
 H同・北西辺境州のバダベル飛行場
 これらのパキスタン内の基地は、当初は国内反米勢力の反発を恐れて使用できないとされていたが、結局は特殊作戦機の中継点や艦載機の代替滑走路などとして大きな役割を果たした。
 Iタジキスタンのクリャブ飛行場
 J同・クルガンチュベ飛行場
 K同・フジャンド飛行場
 タジキスタンの各空港もアフガンに国境を接する重要拠点となった。空中給油機、輸送機や無人偵察機(攻撃可能)が展開した。
     *
 以上、確認できるものだけで、米軍はディエゴ島を含め十三カ所の航空基地を確保し、これを出撃拠点にすることで、はじめて無差別大量殺りくが可能になったのである。米軍が中国・朝鮮侵略戦争における成田空港使用を要求している理由はここにある。軍事空港・成田を廃港に!

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週刊『三里塚』(S602号1面3)

 我々が攻める番だ

 開港阻止へ大動員訴え

 調査終了後、再び市東宅で総括会議。萩原進さんがまず感想を述べた。
 「この空港がいかに無理を重ねているか、手に取るようにわかった。間違いなく政府・公団は世界に恥をさらすことになる。開港阻止へ今度はわれわれが攻める番だ」
 続いて葉山弁護士が調査の詳細を報告し、感想をのべた。
 「やはり造るべきでない所に滑走路を造ってしまったというにつきる。空港内は共有地の穴だらけ。滑走路の南端には農家。ここ(市東宅)はジェット機の爆噴射が五十bの目の前だ。まるで地上げ屋です。しかしこの現実が世界に知れ渡ることを公団は大変恐れている。だから今日も神経を使っていた。空港こそがこの地から退去すべきことを世界に知らせる時だ」

 「見れば見るほど 短い滑走路だな」

 北原事務局長がこの日の行動をしめくくり、四月開港阻止決戦への同盟の姿勢を明らかにした。
 「見れば見るほど短い滑走路だ。事故が起こらない方が不思議で、これで日本の表玄関とは政府も大恥だろう。三里塚は国を相手に政治の根本を変える大きなたたかいだ。国の横暴が大手を振ってまかり通るような行政のあり方は、最後は人民の手痛いしっぺ返しにあうだろう」「三十六年たたかってきた。もうひと頑張り力を合わせてやりましょう。支援の皆さんには三月から四月の開港阻止決戦に最大限の動員を是非ともお願いしたい」
 会議後は、戦前日本の中国侵略の記録映画『侵略』のビデオを鑑賞した。開港阻止決戦は新たな反戦闘争の幕開けでもあることを改めて確認した。

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週刊『三里塚』(S602号1面4)

 3・31〜4・14全国から三里塚へ

 反対派抹殺を許すな

 滑走路南端すぐの地点に農家があり、誘導路わき五十b地点に市東孝雄さん宅がある。前者は上空四十bをジェット機が飛行し、後者は自走するジェット機の爆噴射がたたきつける。そして滑走路内外には反対同盟の一坪共有地や地元部落所有の道路などが全体を寸断するように存在する。
 これが成田空港の二本目の滑走路となる暫定滑走路の惨状だ。
 公団は高(たか)をくくっていた。「暫定滑走路ができれば敷地内は生活できない。だから奴らは必ず落ちる」(公団用地部)と公言していた。公団の正式見解は「成田空港は社会的に解決した」(隅谷調査団最終所見=九八年)というもので、この世に空港反対派は「存在しない」という立場だ。朝日新聞などはこの「解決した」論の立場から「報道」している。
 暫定滑走路は反対派農民を肉体的・社会的に抹殺することで、初めて成り立っているのだ。
     *
 暫定滑走路からの飛行はあらゆる意味で許されない。二一八〇bという、国際空港としてほとんど使い物にならない滑走路を、ただ反対派農民を騒音被害で屈服させるためにのみ「開港」するような暴挙が許されるわけがない。
 暫定滑走路建設をめぐる真実と滑走路の惨状を世界に知らせよう。3・31〜4・14(全国集会)と4・18開港をめぐる決戦を断固として戦い抜こう。

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週刊『三里塚』(S602号1面5)

 ピンスポット

 人の家をのぞき込む私服警官

 ストーカーと同じ 日常茶飯の尾行など

 反対農家の自宅真ん前からのぞき込む私服警官たち。レポート用紙を手に持ち、中にだれがいるのかしきりにメモしている。双眼鏡でのぞき込んだりもする。中の写真も勝手に撮っていく。
 ごく「ありふれた」日常的な光景だ。これが敷地内農家に対する警察の日常的なイヤガラセなのである。
 彼らは現地で反対派を見かけると、私服車両を使って尾行し、ストーカーよろしくどこまでもついてくる。もちろん違法行為である。車のなかの彼らは覆面にサングラスという強盗のような出で立ちだ。
 彼らは農家に出入りする民間業者にも脅しをかける。その家族まで尾行するようなイヤガラセを繰り返し、反対農家への商行為をあからさまに妨害する。
 これらの警察のイヤガラセは、国家的暴力行使の重要な一形態だ。これは非合法の暴力行使なのである。
 反対同盟農民と三里塚闘争は、彼らの横暴を絶対に許さないだろう。

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週刊『三里塚』(S602号1面6)

 団結街道

 ボランティアであれ労働運動であれ、はたまた銀行強盗であれ、どんな活動にも資金はいる。アメリカが、かつての対ソ戦で「自由の戦士」と呼び、一転して「テロ組織」と決めつけた人たち(民族解放闘争の英雄的闘士)も例外ではない▼そうした組織の資金源を壊滅させろと帝国主義者は主張する。しかし彼らの道具たる情報機関や捜査機関、CIAやFBIがこれまで「テロ対策」で監視してきたターゲットは左翼活動家、ジャーナリスト、学生運動指導者、少数民族、労働組合幹部、政治家などだ▼八〇年代初頭から、米政府は世界を駆けめぐる資金の動きを監視するシステムを築いた。通信傍受だけでなく、大手銀行や国際金融機関のデータベースに自由に侵入する仕掛けだ。アメリカのソフト会社が七〇年代に開発した犯罪者追跡システム「プロミス」をCIAが盗み「改良」した▼「プロミス」はコンピューター・データ化された犯罪者情報の蓄積と検索の総合システム。金の流れも追跡できる。その優秀さについては、日本の法務省と検察当局が報告書を公表(八〇年)しているほどだ▼この「プロミス」にアメリカとイスラエルの情報機関がトラップドア(秘密裏にシステムに侵入できる仕掛け)を組み込んで各国の政府機関や国際機関、大手銀行に売却していた。この事件はEU議会など日本以外ではすでに大問題となっている▼「アメリカだけがモラルとそれを支える武力を持っている」(G・H・Wブッシュ)。たいしたモラルだ。帝国の世界支配は血みどろの終えんが近づいている。

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週刊『三里塚』(S602号1面7)

 これが滑走路のわき腹

 二一八〇メートル暫定滑走路の中央部の東側をえぐるように存在する一坪共有地。所有者は小原子部落反対同盟の郡司一治さん。これで着陸帯の幅が国際基準(三百メートル)の半分、百五十メートルになってしまった。(2月17日 撮影)

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週刊『三里塚』(S602号1面8)

 闘いの言葉

 アフガン侵略戦争の開始は第三次大戦を不可避とする。これを人間の生命力の前に組み伏せる社会革命以外に人民の生存と尊厳を守りぬく方策はない。
 一月一日 爆取デッチあげ弾圧被告・獄中十六年 須賀武敏同志

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週刊『三里塚』(S602号2面1)

 有事法制、3月国会提出粉砕せよ

 憲法停止、戒厳令・・・スパイ死刑

 “非常大権”を復活 「反テロ戦争」小泉が推進を表明

 有事立法攻撃が日帝・小泉政権による反動攻勢の焦点になっている。有事立法の目的は、中国・朝鮮侵略戦争に日本が参戦するための政治軍事体制を確立することだ。自衛隊と米軍に完全な法的な自由をあたえ、反戦・反権力闘争を根絶して国民総動員体制を築く事。そのための国内治安戦争の開始である。この点で昨秋以来の「反テロ戦争」を掲げた国際条約群の批准強行と関連治安法の動きは重大だ。アフガン侵略戦争への日本の参戦はすでに決定的段階に入っている。戦争体制と鋭く対決している三里塚闘争が真価を発揮すべき時だ。有事立法・改憲攻撃粉砕へたたかおう。

《有事立法攻撃の目指すもの》

 ○首相・軍部への権力の集中と憲法停止
 ○三矢研究では軍事クーデターを想定
 −−「87本の非常事法を準備しておき、朝鮮有事勃発の時は2週間で国会を通し軍政に移行する」
 ○1994年朝鮮危機では
 −−「有事法制案をテーブルの中に入れておき1週間で国会を通す」

 緊急権

(写真 昨年11月をもって日本は戦時下に入った。写真はインド洋にむけ出航する会場自衛隊護衛艦「さわぎり」【01年11月25日 佐世保港】)
 「非常事態宣言法に踏み込むか、個別法でやれることろからやるか」――有事法制の国会提出をめぐって続いていた政府・与党内の対立は、折衷的内容でとりあえず決着した。
 小泉政権は二月十九日までに有事法制について、有事対応の理念や意志決定の方法などを示す「基本法」的規定と、「第一、第二分類」などと言われる自衛隊法改悪などの個別法を「武力攻撃事態への対処に関する法制」(仮称)として一本化し、「包括法」で提出する方針を明らかにした。
 ここでは「憲法の枠内での法制化」(小泉)なるものが強調されている。
 しかし、われわれは有事法制の当面する形態にかかわりなく、同立法の目的と本質が、国家緊急権(戦前でいう非常大権)の確立すなわち憲法停止を頂点とする完全な戦時法体系づくりにあることを明確にしておかなければならない。いったん始まった動きは、階級情勢、政治軍事情勢の煮詰りで必ずそこに行き着く。この点について警鐘を乱打しなければならない。

 徴兵制まで

 「国家緊急権の発動」とは、戦争や内乱の際に、権力を首相と軍部に独裁的に集中し、憲法による国家権力への規制を停止する事を意味する。具体的には、現行憲法が定める基本的人権を停止して、@軍隊の編成(徴兵など)と作戦行動の達成、A軍需品の徴発、工場・土地などの管理・使用・収用、労働者の徴用、B思想・言論の統制、集会・結社やストの禁止など国内治安体制の強化を図ることを言う。いわゆる戒厳令(マーシャルロー)である。「憲法の枠内で」などという政府答弁はデタラメだ。非常事態(宣言)法を含む戦時法体系への移行はすでに目の前まで迫っているのである。
 ちなみに三矢作戦研究では「八十七本の非常時法を準備しておき、開戦と同時に二週間で国会を通過させ軍政に移行する」などと明記されていた。また一九九四年の朝鮮危機の際も、「有事法制を準備ししまっておいて、有事となったら一週間で国会を通過させる」などのプランが準備されていた。
 こうして現行憲法が禁止している「国権の発動たる戦争」を全面的に復活させる道がいままさに開かれようとしている。改憲攻撃も必然的に加速している。

 反戦派投獄、結社禁止

 治安戦争の開始 参戦の既成事実を先行

 戦後初

 小泉政権による現在の有事立法攻撃の特徴の第一は、進行中の「対テロ戦争」への参戦が具体的に想定されていることだ。これが戦後初めてアフガニスタン侵略戦争に参戦し、今も人民虐殺に加担している現実の下で進められている。
(写真 アフガニスタン人民を虐殺するために出撃準備する米軍FA18戦闘機)
 日本は戦争を行っている。事実上の戦時下に入った。昨年十一月をもって政治軍事情勢は根本から変わったのである。十一月九日、日帝・海上自衛隊は佐世保港からついに二隻の護衛艦、一隻の補給艦をインド洋に出航させ、戦後初めて侵略出兵に踏み切った。十一月十六日には小泉内閣が「参戦基本計画」を閣議決定し、十一月三十日に国会が承認した。
 さらに十一月二十五日には海自が第二次出兵を行い、同二十九日には航空自衛隊のC130が愛知県小牧基地からパキスタンに向かった。そして二月十二、十三日には、横須賀、舞鶴、佐世保から海上自衛隊の護衛艦「ときわ」などが第三次出航を強行した。
 これら海自の艦隊はインド洋で米空母を護衛し補給し、米艦隊と空母艦載機のアフガニスタン空爆を支援している。日帝・自衛隊の加担によってアフガニスタン人民虐殺が可能となっているのだ。
 こうした戦時下への突入という事態に対応した戦争立法が今回の有事立法攻撃だ。戦争を可能にする有事立法は、一九五〇代の昔から日帝の課題だった。一九七八年に立法策動が公然化して以降も歴代内閣は逡巡してきた。この決定的課題に小泉反動政権は踏み込んできたのだ。
 しかも参戦に踏み切ったという事実から見れば立ち遅れている。昨年十二月二十二日、「不審船事件」を仕組んでまで戦争挑発行為を強行したように、小泉政権は戦争開始という事実を先行させる中で、国内戦争体制づくりを行うという、クーデター的手法を取ってきている。これは帝国主義の側の弱点である。情勢に見合った人民の決起を勝ち取る事で、戦争攻撃を巨大な内乱的たたかいに転化する事が可能なのだ。

 国際条約群

 小泉の有事立法攻撃のもうひとつの特徴は、開始された「反テロ戦争」が民族解放闘争との国際的内乱である事に対応し、参戦体制が同時に国内戦争=治安戦争である事を強く意識している事である。戦争体制づくりの最大の関門は国内の反戦・反権力闘争の鎮圧なのだ。
 この点で昨秋から今年にかけての「反テロ」国際条約と関連法改悪の攻撃は有事立法攻撃全体の核心問題にもかかわるという点で重視すべきである。。
 これらの国際条約群は、は@「爆弾テロ防止条約」Aテロ資金供与防止条約B国際的組織犯罪条約Cスパイ防止法を軸とする戦時防諜体制確立の攻撃である(詳細は前号参照)。さらに破壊活動防止法の改悪ももくろまれている。
 @テロ資金供与防止条約は、国連で採択されていたが署名していていなかった。A爆弾テロ防止条約、B国際的組織犯罪条約は署名はしていたが批准法案を国会に提出できていなかった。9・11反米ゲリラ戦争に対する「反テロ戦争」の開始の中で、小泉政権はこれらすべての批准法案、関連法を今国会に提出してきたのである。
 例えば@は、革命的左翼への資金提供自体を非合法化する攻撃につながる。Aは爆発物取締罰則という法律以前の太政官布告(天皇の御触れ)を法律に格上げし、火炎びん法、原子炉等規正法、サリン法などを改悪する。Bは、革命党組織はもちろん労働組合から市民団体までを対象に結社を禁止し、戦闘的なデモに参加する事自体を犯罪にする戦前の治安維持法的内容だ。
 また、昨秋自衛隊法改悪の中で「スパイ防止条項」が法文化され、戦時防諜体制がもくろまれている。さらに自民党の中山正暉治安対策特別委員長が破防法改悪を主張し始めた。
 この他、司法制度改悪も国内治安戦争という観点から見過ごしにできない。「裁判の迅速化」をうたって、デッチあげ裁判、重刑判決、長期投獄を容易にしようとしている。
 まさに国家権力の側から国内治安戦争というべき戦時型弾圧攻撃を開始している。

 三里塚 憲法停止が常態化

 武装決起で権力神話転覆

 先取り

 有事立法攻撃の強まりに対して、最も鋭く対決しているのが三里塚闘争である。三里塚には三十六年も前から「有事立法の先取り」とも言うべき攻撃が容赦なくかけられてきた。四人が機動隊暴力で殺され、三千人以上が逮捕され、未だに憲法の枠を外れた無法状態が強いられている。
(国家権力の暴虐に徹底抗戦してきた三里塚。「憲法停止」の状態が続いてきた【写真は第1次代執行闘争=71年3月】)
 こうした攻防に勝ちぬき、権力の暴力支配が機能しない地平を勝ち取ってきている。中でも88年9・21戦闘を頂点とする戦いの決定的な地平は重要である。
 警察権力が治安政策の中心課題と考えている成田問題で、千葉県収用委員会が実力で解体されて再建できない状態が、丸十四年も続いているのだ。この結果成田の事業認定は消滅に追い込まれすべての未買収地が強制収用できなくなった。千葉県のすべての公共事業も土地収用法が適用できない。「法治国家・日本」で、国家の暴力装置が機能しない領域が生まれ定着している。これが三里塚闘争だ。この事態は、正当な反権力闘争が広範な労働者人民の階級性と支持に支えられるならば、権力の暴力支配さえうち破る陣地を階級闘争のただ中に確保できることを実証している。これは現在求められている労働者人民の革命的反戦闘争に重要な指針を提供している。

 「国家主義」

 「反テロ戦争」のただ中で、国家主義や愛国主義の暴圧に抗して真の反戦運動を勝利に導く道はどこにあるか。「侵略戦争への協力か、投獄か」という、戦前型の治安国家体制づくりとどう対決するか。国家の巨大な暴力装置と対決し、労働者人民は将来の革命を目指していかに闘うべきか。
 三里塚闘争の経験は、この問題に明確な道筋を示している。「権力万能神話」は三里塚の地で事実をもって崩壊しているのだ。
 また、朝鮮侵略戦争にとっての戦略基地となる成田軍事空港を最強の反戦闘争が包囲している現実も、日米の戦争体制づくりを阻んでいる。ユーゴスラヴィア・コソボへの爆撃、アフガニスタン侵略戦争で、空爆のための軍事空港の位置が決定的位置を占める現実が明らかになった。成田軍事空港の安定的確保なしに朝鮮侵略戦争は不可能――これほどの戦略的位置を成田空港は持つにいたっている。
 成田軍事空港の完成を阻止し、たたかう三里塚闘争の意義は重大である。反戦の砦三里塚を先頭に有事立法攻撃粉砕の決戦に立ち上がろう。

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週刊『三里塚』(S602号2面2)

 「最高裁判所は権力の番人です」

 葉山 岳夫弁護士に聞くB

 成田治安法大法廷判決

 違憲性に反論できず 「国家は憲法超える」

 一九八九〜九〇年に強行された成田治安法による団結小屋破壊は、現行法体系の枠組みを完全に破壊する暴力行使であった。「暴力主義的破壊活動者」という、国が一方的に認定した個人の属性を唯一の理由にその住居や建物を強制的に撤去したり、封鎖するという処分は一種の軍事侵攻である。国はその後の法廷で成田治安法と処分の合憲性を説明できなくなった。こうした中で九二年、横堀要塞への治安法処分取消訴訟が最高裁まで持ち込まれた。7・1判決は「国家的要請があれば憲法を破壊してよい」というものだった。「憲法の番人」たる最高裁が、「国家は憲法を超える」と言明し権力の番人の正体を現したのだ。
 一九八九〜九〇年、成田治安法による五つの団結小屋への強制撤去および封鎖処分が強行された。
 成田治安法が成立したのは一九七八年。直後に三つの団結小屋に適用されたが、八九年〜九〇年の一斉適用(十二カ所)まで他の多くの小屋には適用されなかった。その間十一年が経過しているが、人の出入りなど小屋の使用状況は何も変っていない。ところが突然、警察機動隊の大軍が押し寄せ、強制撤去や封鎖処分が強行された。
 刑法に定める犯罪行為は何ひとつなかった。しかし「九〇年度二期工事完成」の国家目標があった。破防法の適用方針が異例の政府声明(八九年十二月)で明らかにされた。警察庁は天皇即位儀式にむけ、「夏までに成田の過激派を一掃せよ」との号令を発していた。成田治安法の発動は三里塚闘争弾圧のための軍事侵攻だったのである。
 憲法の枠組みなど無視された。成田治安法裁判が最高裁大法廷にまで持ち込まれた理由は、この「法治国家」の矛盾と暴力的本質の露呈を取り繕うことだった。葉山弁護士は顧問弁護団事務局長として大法廷の口頭弁論で「成田空港建設の違憲性・違法性」を明快に明らかにした。
   *

 ●合憲判決?!

――成田治安法をめぐる訴訟が最高裁、それも大法廷まで行ったことの意味を教えてください。

 葉山「成田治安法の違憲性や適用の違法性、非整合性は膨大にあってそれだけで一冊の本が出版されています。そのため同法の処分をめぐっては二十九件の訴訟がたたかわれてきました。特に、八九年から九〇年にかけた一連の撤去攻撃に対しては、反対同盟が現闘本部に立てこもり、支援者諸君が逮捕覚悟で砦戦(団結小屋に立てこもる自己犠牲的な抵抗闘争)をたたかったことによって社会的に焦点化した。
 その結果、複数の治安法関連裁判で違憲判決が出る可能性が高くなった。法の常識で考えればどう見ても違憲法なのです。そこで最高裁が乗り出し、『合憲判決』のお墨付きを与える必要が出てきたのです」
(写真 最高裁に入る反対同盟弁護団(右端が葉山弁護士 92年4月)
   *
 下級審とはいえ成田治安法で違憲判決が出るようなことになれば、成田空港建設の合法性までが揺らぐことになる。権力の一端を担う最高裁が国策の危機にあたって「政府の最後の番人」としての正体を現してきたということである。
  *
――裁判での争点を改めて整理していただけますか。

 葉山「成田治安法の違憲性、中でも基本的人権の破壊について争った。空港反対派がただ出入りしたりしただけで集会を禁止する、建物を破壊する、これは『集会・表現の自由』および『居住権・財産権』の剥奪です。さらに法廷戦術で、『適正手続き』問題も重視しました。人の建物を封鎖したり破壊したりするのに、『告知・聴聞・弁明の機会』という手続きすら行っていない。これも憲法三一条で保障されており最高裁判例にもなっている(一九六二年)。
 弁護団に加わっていただいた故寺田熊雄さん(戦前判事をされていた)が『戦前の治安維持法ですら予防拘禁の際予防拘禁委員会の意見を聞き、本人の弁明を聞いた。それすらない成田治安法は治安維持法以下だ』と熱弁をふるったのが印象に残っています」
――最高裁が大法廷を開き、口頭弁論までやったというのは、それだけ成田治安法の憲法判断が重大だったということでしょうか。
 葉山「法の常識ではどう見ても違憲法です。その成田治安法を『合憲』と言いくるめるには小法廷では扱いきれなかった。それで大法廷の判決が必要だったということです。さらに、成田空港問題という、第一級の治安案件だということで、高度な政治判断に基づく判決が要求された。そこで大法廷判決という権威が要求されたのではないかと推測しています」

――判決の内容は戦前型の国家主義的判決ですね。

 葉山「想像以上にひどい判決でした。『国家的要請に基づく高度かつ緊急の必要性』という言葉をキーワードにして、『これと比べたら空港反対派の集会の自由、居住の自由、財産権などを制限するのは必要で合理的』『制限していい』と言っている。『国家的要請』という言葉を基本的人権を否定するために持ち出してきたのは恐らく今回が初めてでしょう。

 ●15人立往生

 従来は『公共の福祉』という表現でしたが、それを『国家的要請』という露骨な言葉に変えてきた。『国家は憲法を超える』と大法廷が宣言したわけです。そこまで成田治安法と現行憲法体系との矛盾が深いのです。もはや現行の法の枠組みで成田治安法の合憲性を説明できなくなったわけです。それで『国家的要請なのだ』と。憲法の番人が自ら憲法を停止して見せた、それがこの大法廷判決です」

――最高裁大法廷で、歴史上初めて「立法事実」についての証拠調べを要求し、天下の最高裁判事を立ち往生させたのは画期的ですね。

 葉山「当時の大法廷闘争では弁護団に加わってもらった北野弘久さん(日本大学教授)のアドバイスもあって、一瀬敬一郎弁護士らと共に口頭弁論のその場でいきなり、「いかにして立法されたのか」について証拠調べを要求しました。これは大法廷史上初めてのようです。当時の衆議院法制局長、運輸省航空局長、関係農民らを大法廷の場に呼び出して立法の事実調べを行え、と要求したのです。初めての事に十五人の最高裁判事は不意を討たれたようで『合議します』といったん退廷しました。しばしの後、入り直して却下してきましたが、反対同盟顧問弁護団の存在感を示し、『一矢報いた』との思いと共に『今後の牽制にもなった』と”自画自賛”しています(笑い)」(つづく)

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週刊『三里塚』(S602号2面3)

 三芝百景

 三里塚現地日誌 2002

 2月6日(水)〜2月19日(火)

●「フライト前ぎくしゃく」の報道 「暫定滑走路の供用開始をひかえて、成田空港問題関係者の間に微妙な緊張感が漂う」「用地問題があらためてクローズアップされている」との報道。事の起こりは1月25日の4者協議会における小川国彦成田市長の発言。「供用開始前に国の責任者が農家の切り崩しに動くべきだ」と主張したのに対し、「失敗したら大変な事になる」と国交省、空港公団、県の3者が反発した、というもの。暫定滑走路は空港反対農民の屈服を前提にした計画だったが、農民が開港までついにがんばり通してしまったため、危機に追いつめられた表れだ。(10日)
●日本原闘争に伊藤さんが参加 自衛隊基地撤去を求めて闘っている岡山県日本原で、恒例の「紀元節粉砕総決起集会」が闘われた。反対同盟から伊藤信晴さんが参加して「日本が戦後初めて侵略戦争に自衛隊を派兵するという情勢の下、反戦の砦・三里塚が真価を発揮する時」と決意表明、「暫定滑走路開港阻止4・14全国総決起闘争へ集まってほしい」と訴えた。(11日)
●暫定滑走路内の一坪共有地を調査 暫定滑走路の敷地内に位置する4カ所の反対同盟一坪共有地について4回目の現地調査が行われた。調査には反対同盟の他、葉山岳夫、一瀬敬一郎弁護士が参加した。「造ってはいけない所に造られた滑走路だということが改めて分かった」と北原鉱治事務局長。「開港阻止へ闘おう」と確認した。(17日)
●青柳晃玄さんが同盟を激励
 天台宗僧侶で群馬県実行委員会の青柳晃玄さんが三里塚を訪れ、反対同盟各戸を回って激励した。北原事務局長、萩原進さん、市東孝雄さん、鈴木幸司、郡司一治さん宅を訪問し、暫定滑走路阻止の闘いについて語り合った。特に事務局長宅では「国家権力の横暴に最後まで抵抗を貫いた生き方は立派」と谷中村事件の田中正造の生き様について、意気投合した。(19日)
●砂嵐の中で農作業 この日北総台地は強い北風が吹いた。作物が少ないこの時期は、風が吹くと砂嵐になる。萩原進さん宅では強風に負けず、ジャガイモ(品種はキタアカリなど)の植付けが行われた。進さんはヤッケを頭からスッポリかぶって堆肥振り(散布)作業。「春一番まであと半月だな」と語る。(19日=写真)

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