週刊『三里塚』(S570号1面1)
やしろ、鳥居も進入路破る
暫定滑走路で東峰神社 「伐採」不可能、公団窮地に
公団は違法設計知っていた 那覇では「着陸禁止」
進入表面侵害率 成田は830%、致命的
農家の軒先で建設工事が進んでいる成田空港暫定滑走路の南側進入表面を東峰神社立木が破っている問題で、新たな事実が浮上した。進入表面を破っているのは立木だけではなく、神社の社(やしろ=高さ約三メートル)や鳥居(同約三メートル)も完全に問題になるのである。これは暫定滑走路から航空機が飛べないという次元の問題だ。沖縄の那覇空港では九月二十八日、進入路にコンテナ船が座礁し進入表面を侵害したことから、滑走路の離着陸が全面禁止になるという事件が発生した。進入表面侵害率は成田暫定滑走路の東峰神社の方がはるかに大きく、この問題の深刻さを改めて浮き彫りにした。公団は暫定滑走路の認可自体の違法性を隠し、なりふりかまわず立木強制伐採などを策動しているが論外だ。ただちに暫定滑走路の軒先工事を中止せよ!
今回浮上した東峰神社の社(やしろ)の高さは約三メートルある(写真)。東峰神社は暫定滑走路の着陸帯南端から六十メートルの地点にあり、進入表面の勾配は五十分の一。東峰神社地点の進入表面の高さは約一・二メートルとなる。したがって神社の社は約一・八メートル分が進入表面を突き出ている。同じく鳥居も社と同じ位の高さで、進入表面を破っている。
公団はこれまで、高さ約十メートルの東峰神社立木について、強制伐採の方針を内部で固めていたが、社や鳥居までが進入表面を破るとなれば問題ははるかに深刻である。東峰部落の総有関係にある神社の社や鳥居を強制的に破壊するための政治的コストは、それ自体が成田空港建設の正当性を根底から破壊するほど大きい。
それはごまかしようのない国家暴力であり、「一切の強制手段を放棄する」と社会的に宣言したシンポ・円卓会議の「決定」のペテンをみずから宣言するものだ。「強制手段の放棄」なるものは反対派を抱き込むための、その場限りの方便にすぎないことはあまりに明らかだが、これが社会的に証明されることは、すべての実力反撃の正当性を証明することであり、公団にとっては致命的だ。
人の頭が進入表面破る
それでも運輸省・公団は東峰神社問題を暴力的に突破する以外にないところに追い詰められている。ここにいたって暫定滑走路建設を中止することは国家的敗北だ。法的整合性があろうがなかろうが、社会的正当性が失われようが、農民殺しの本質があらわになろうが、彼らには強行突破以外の道はないのである。
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東峰神社の立木、社、鳥居などが進入表面を破る問題の深刻さは、さる九月二十八日に沖縄那覇空港で発生したコンテナ船座礁による着陸禁止措置で浮き彫りになった。
この日那覇新港を出港したコンテナ船が港口付近で座礁した。ところがこの地点は那覇空港の北側進入路の真下で、コンテナ船の上部が同進入表面を突き破ってしまった。このため運輸省那覇空港事務所は同空港への着陸を全面的に差し止める措置を取った。
このため那覇に向かっていた航空機九機が、米軍嘉手納基地など他の飛行場に代替着陸することになった。コンテナ船の船長は後に航空法違反などに問われ逮捕されている。
問題は、ここまで厳しい措置を取らなければならなかった那覇空港の例より、成田空港暫定滑走路における東峰神社の方が、進入表面侵害率がはるかに高いことだ。
コンテナ船は高さ四十二㍍もあったが、この地点の進入表面の高さは約十五㍍。侵害率は二百八十%である。対する成田暫定滑走路の東峰神社立木は高さ約十㍍だが、この地点の進入表面の高さはわずか一・二㍍。侵害率は何と八百三十%にもなる。神社の社や鳥居でも二百五十 %だ。
何しろ東峰神社は滑走路の着陸帯南端から六十㍍の距離。人の頭が進入表面を破る状態だ。暫定滑走路がいかにデタラメな計画であるかは明らかだろう。こんな計画を地元住民の合意もなく一方的に認可した運輸省の姿勢こそ厳しく追及されるべきだ。
空港公団は農民無視の軒先工事を直ちに中止せよ。
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週刊『三里塚』(S570号1面2)
暫定滑走路粉砕のための特別カンパの訴え
三里塚芝山連合空港反対同盟
暫定滑走路粉砕の一年間決戦を前に、反対同盟は全国の仲間に特別カンパのアピールを発した。以下はその全文。
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政府・空港公団は暫定滑走路の二〇〇二年五月供用開始にむけて、来年十一月三十日完成の突貫工事を強行しています。反対同盟は十・八全国集会に始まる一年間を三里塚闘争の成否を決める闘いとして総力をもって立ち上がります。この闘いのために特別カンパを要請します。
成田空港の二本目の滑走路である平行滑走路(二五〇〇m)は用地問題が解決できず破綻しました。暫定滑走路は、長さを二一八〇mに切り縮め北方にずらした工事計画です。このためジャンボ機は飛べず国際線としては実用に耐えません。
にもかかわらず強行するのは、力ずくで住民を追い出し平行滑走路の行き詰まりをなんとか打開しようとしているからです。その凶悪さは形を変えた強制代執行というべきものです。空港公団は居住地域を収容所のようなフェンスで囲みました。生活道路である市道(団結街道)を廃止しようとしています。飛行の障害になるとして東峰神社の立木を伐採しようとしています。畑をつぶし竹山を刈る大規模な軒先工事を東峰地区で強行します。さらに上空四〇メートル直下の大騒音と誘導路のジェットブラスト(エンジン噴射音)で住民を追い出す計画です。
営農と生活を破壊し追い出そうとするこれらの暴挙に対して、反対同盟は体を張って闘います。同時に、権利を守りぬくために裁判闘争で闘いの正義を真っ向から明らかにします。反対同盟は運輸大臣の認可の違法を明らかにする工事実施計画の変更認可処分取消訴訟を起しました。
立木が飛行の障害だとすれば、これを承知で認可した運輸大臣の行為自体が違法です。しかも、暫定計画は着陸帯幅、滑走路と誘導路の離隔距離、進入灯火システムなどの諸点において国際標準に違反しています。政府の法律違反を国家暴力の発動をもって押し通す暴挙がまかりとおれば正義は立ちません。昨年の周辺事態法成立以降、関連法がつぎつぎにつくられ、土地収用法の改悪や住民運動の既得権剥奪が始まりました。三里塚の無法を許せば、沖縄・北富士をはじめとする反戦・基地撤去闘争はもとより、反原発闘争や環境保護運動など、すべての住民運動に波及することは必至です。
特別カンパはこの認可処分取消訴訟と二期工事差止訴訟など暫定滑走路粉砕に向かう裁判闘争のためのものです。権利侵害のひとつひとつに立ち向かいうち破る決意です。
反対同盟は暫定滑走路を粉砕し、成田空港を有事の兵站拠点とするたくらみをうち破る決意です。日頃のご支援に感謝申し上げますとともに、絶大なるご協力を賜りますよう心よりお願い申し上げます。
二〇〇〇年十月八日
(連絡先)事務局長・北原鉱治 成田市三里塚一一五 0476(35)0062
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記
「暫定滑走路粉砕のための裁判闘争特別カンパ」要項
※一口二千円以上でお願いします。
【送金方法】
①郵便振替
(口座番号)00130-0-562987番 (口座名称)三里塚芝山連合空港反対同盟
※郵便振替用紙に住所・氏名・電話番号をご記入の上、お近くの郵便局からお振り込みください
②現金書留
(宛て先)成田市三里塚一一五 北原鉱治 宛
※①、②いずれの場合も住所、氏名、電話番号を明記して下さい。反対同盟から領収書を発行します。
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週刊『三里塚』(S570号1面3)
主張
共生委員会、軒先工事容認の暴挙
「不適切」声明反故、「工事順調」
航空審代表/公団予算/県天下り
反対運動の取り込み・破壊に失敗し存在意義を失った「共生委員会」(代表委員、山本雄二郎・航空審議会委員)が、運輸省・公団の手先としての姿を浮き彫りにしている。十月十六日に開かれた第三十三回委員会で、山本代表委員は「暫定滑走路の工事は順調。来年十一月三十日に完成予定」という空港公団の報告を無批判に受け入れ、「工事終了後」の谷間対策(A滑走路と暫定滑走路の谷間地域の騒音問題)などに問題をすり替えてしまった。
農家の軒先まで滑走路を造ってしまうという非人間的な軒先工事や、天神峰・東峰の住民が収容所のようなフェンスの中での生活を強いられ、工事騒音等に苦しんでいることを取り上げもしない。それどころか「工事は順調」「完成はいついつ」などと、推進機関然とした態度をあらわにした。「空港建設のマイナス面を監視する第三者機関」なる触れ込みが聞いてあきれる事態である。
また同委員会は、昨年運輸省の根回しで隅谷三喜男(シンポ・円卓会議の座長)が打ち出した「今後の共生委員会の在り方の再検討」について、十月中をめどに素案をまとめると回答した。「共生」と称する利権にぶら下がる県の天下りOBや一部脱落派分子は、委員会の形式的存続に血眼だ。
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共生委員会は九八年十一月十六日の委員会で「平行滑走路関連のいわゆる軒先工事を行うことは適切ではない」との声明を出している。同年五月に「成田空港問題は社会的に解決した(!)」と強弁する隅谷調査団『最終所見』がだされ平行滑走路着工策動が切迫、これに対する反対同盟・地権者農民の弾劾の声が高まったことへの対応だった。これは「地権者の同意なしに平行滑走路の着工はしない」とした円卓会議決定(九四年十月)の踏襲でもあった。同じ場で運輸省・鈴木審議官(成田政策の実質上のキャップ)も、「現段階で平行滑走路関連の工事を行う意志はない」と明言せざるを得なかった。
ところがその舌の根も乾かぬ翌九九年五月、運輸省は暫定滑走路計画を一方的に発表、同年内着工の方針を最後通牒的に打ち出した。今度は反対同盟・地権者の同意がなくても軒先工事を始めると通告してきたのである。建前上、共生委員会の決定は運輸省・公団の政策への拘束力をもつ(円卓会議)とされているが、こんなものは完全に無視された。
共生委員会はこれで「中立の第三者機関」を装うこともできなくなった。十二月一日の暫定滑走路着工の暴挙にも沈黙、その後の軒先工事の暴力や地権者の苦しみなど見て見ぬふりだ。ひどいものである。「軒先工事着工は不適切」とした一昨年の自らの声明はどうなったのだ。「地権者の同意なしに着工せず」という円卓会議最終答申も、いまやどこ吹く風ではないか。運輸省・公団は、地権者の農地を取り上げるために、三十年前と本質的に同じ暴力に訴えてきたのだ。そして共生委員会はこれに沈黙という同意を与えた。
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もともと共生委員会が「中立の第三者機関」と称して発足したこと自体にウソがあった。代表委員の山本は運輸省の諮問機関「航空審議会」の委員である。日帝の航空政策立案の中枢にいる人物だ。委員会の事務局長は県OBの天下り。委員会の運営予算は大半が空港公団からでている。事の本質として共生委員会は「中立」ではありえず、反対闘争破壊機関でしかないのだ。この世界のプロから見れば疑問の余地もない存在だ。
ところで脱落派活動家(旧坂志岡団結小屋)大塚某。シンポ・円卓会議の過程で転向し、今は共生委員会「事務局次長」として公団から年額約千五百万円の報酬を受け取る身分だ。県や公団の部長なみの年収である。公団は脱落派買収のためにここまでやっているのだ。大塚が「共生委員会存続」に必死になっていた理由は言わずもがなである。
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共生委員会の「役割見直し」の中身は、公表されるまでもなく明白である。運輸省・公団の立場から、周辺地域対策(反対運動破壊)を「第三者機関」をかたり公然と行うということである。名実ともに運輸省・公団の先兵となった共生委員会を徹底的に弾劾・追及しなければならない。
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週刊『三里塚』(S570号1面4)
ピンスポット
団結街道「元に戻す」勝ち取る
質問状に市が回答 反対同盟 「引続き監視する」
団結街道封鎖問題に関する公開質問状(本紙既報)を反対同盟・弁護団が成田市に再三提出していた問題で、市は十月十三日付で回答を送付してきた。(回答全文はHP版三里塚日誌に掲載)
回答は「市道十余三・天神峰線の工事完了後、従来の路線(通称・団結街道)に戻る予定であります」「現市道を廃止するものではありません」というもの。反対同盟側の大きな勝利である。
市はこれまで団結街道を封鎖し、本来の空港外周道を新たな「十余三・天神峰線」に置き換えようと様々なペテンを弄してきた。現闘本部や市東孝雄さんの農地を強奪するための布石である。
しかし反対同盟の抗議闘争で市はついに「従来の路線に戻す」との言質を取られた。団結街道破壊攻撃は現状では粉砕したと判断できる。「現状では」という理由は、解答書の文言が「予定であります」と変更の余地を残しているからだ。引き続き成田市・公団の動きを監視しなければならない。
〔写真は、天神峰団結街道の状況を視察する反対同盟と弁護団(8月31日)〕
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週刊『三里塚』(S570号1面5)
団結街道
英語の「朝食(ブレックファースト)」。ファースト(fast)は断食するという意味があって「断食破り」という意味である。遠い昔に学校で習った。ここでの断食は前夜からの断食にすぎないが…▼テレビやインターネットなど何もなかった時代は、特別の祭祀を除く日常は、暗くなったら夕食をとり、あとは寝るだけの世界。翌朝の食事までの時間は長く、日の出とともに目覚めれば胃袋は完全にスタンバイ。一杯のスープ、みそ汁が体に染み入るように吸収される感覚はまさに断食破りだったのかも▼若い人に人気のファーストフード。この「ファースト」は断食とは別系統で、よりポピュラーな「速い」の意。ハンバーガーを注文すれば即座に出てくる。それでファースト。アメリカは湾岸戦争で、砂漠の前線にハンバーガーショップを開店。こちらは同じファーストでも「品行の悪い」「放蕩(ほうとう)な」という意味だろう。ハンバーガーには何の罪もないが▼最近、ファーストフードの故国アメリカで「スローフード」という理念が提唱されている。じっくり素材を吟味して自分で調理しようというポリシー。食糧を世界支配の戦略物資とする国家理念と共存するところがミソだが、ファーストフードの世界支配もこれから音を立てて崩壊する時代へ▼農業という世界はつくづくスローな世界である。実感としても資本主義的な「ファースト」感覚になじまない。自然相手の本質からして相容れないのだ。やみくもに滑走路の完成を急ぐ公団の姿勢は昔と変わらない。こちらも音を立てて崩れる日は近い。
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週刊『三里塚』(S570号1面6)
闘いの言葉
私は剣だ。炎だ。暗闇の中で君たちを照らしたのは私だ。悲嘆にくれる暇はない。ラッパの音が鳴り渡る。さあ新しい戦いの時だ。
ハインリッヒ ハイネ
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週刊『三里塚』(S570号2面1)
なぜ「防災訓練に」「3軍動員」なのか 人民に銃をむけた石原知事(5)
”異民族排せき”煽る確信犯だった
石原「三国人発言」の真相
石原東京都知事が四月九日に行った「三国人が騒じょう事件を起こす」発言は、彼の三十年来の主張であったことが、ある夕刊紙の報道で明らかになった。一九七三年に書いた小説の中で石原は「三国人による政府転覆の騒擾事件」を描いており、「三国人」を「在日朝鮮人」の意味で明確な差別的意図の下に使用していたことが暴露された。「三国人という言葉は不法入国した外国人の意味で使った」などという4・9発言直後の石原の弁明はまったくのウソだったのである。「職業的デマゴーグ」というこの人物の正体がいっそう明らかになったのだ。また、一九六八年の参議院選立候補当時から石原は「嫌悪の対象を作り出すことが大衆を動かす最良の手段」とファシスト的政治手法を賛美していた。こうした発想で石原は「在日アジア人」や「中国」などを「嫌悪の対象」に設定し、都知事の立場を利用して民族排外主義を煽動しているのだ。有事法制実施・憲法改悪を叫び、日本帝国主義による新たな侵略戦争の露払いを務める石原都知事と労働者人民は共存できない。全力で打倒にむかって前進しよう。11・5労働者集会の成功をかちとろう。
4・9発言
石原が「三国人による騒じょう事件」を描いた小説は一九七三年出版の「機密報告」という短編作品(写真左)だ。
この中で石原は「三国人同盟」と称する政治組織を登場させ、この組織が日本の左翼組織と連携して政府転覆の騒じょう事件を企てる物語を作った。この転覆計画を、警視庁キャリアで「警備一課長」の主人公が、左翼組織内に潜入させたスパイを使って未然に防ぐというストーリーである。
この小説の中で次のような文章が出てくる。「川崎の南部周辺、つまり沿岸の工場地帯の一つ手前の国道周辺にある北系の第三国人部落で、来月十日のデモに三国人同盟が参加する計画がある」(二十ページ)
「川崎南部周辺にある三国人部落」という差別表現で言われている地域は、川崎市の在日朝鮮人地区のことである。また「北系の第三国人部落」と言われているのも北朝鮮系の在日朝鮮人地区を指している。
この小説で石原は「三国人」という差別用語を「在日朝鮮人」への蔑称として使っているのだ。石原にとって「三国人」とは「在日朝鮮人」のことなのである。小説の書かれた一九七三年以降今日まで石原は「在日朝鮮人」を「三国人」と差別して呼んでいるのだ。
さる四月九日に、陸上自衛隊第一師団(東京・練馬駐屯地)の創隊記念行事で行った「大地震が起きると三国人が騒じょう事件を起こす」旨の差別暴言の意味は「在日朝鮮人、中国人が騒じょう事件を起こす」という意図的なデマの煽動だったのである。
ところがデマゴーグ石原は、4・9発言にたいする弾劾が嵐のように巻き起こるや次のように弁解し居直った。「三国人という言葉は在日朝鮮人や中国人という意味ではなく、不法入国した外国人という意味で使った」「『不法入国した三国人』と言ったのに『不法入国』という前段を削って報道した報道機関は謝罪しろ」(四月十日の釈明会見)と。そして当該報道機関にたいして逆に謝罪を要求するという本末転倒をやってのけたのだ。石原の言動を検証すると「不法入国」か否かは問題ではない。彼の意図は、デマゴギーによる外国人排せき、とりわけ在日朝鮮人民への排外主義的憎悪の煽動にこそあった。
石原のデマゴギーの方が大問題なのであり、当の記事は、石原の意図を明確にするために「不法入国」云々を省いて引用したのであり、何の問題もない。
その上、「不法入国した外国人という意味で使った」などという石原の言葉そのものも意図的なウソだった。こうまであからさまなウソをつき、指摘されても居直り、東京都知事に居座る卑劣漢を断じて許すことはできない。
ウソも百回言えば
九二年のロサンゼルス暴動と九四年の大地震を意図的に混同させたデマについては前回取り上げた。
しかし4・9の「三国人」差別語については確信犯としてウソをふりまき、在日中国・朝鮮人民への排外主義的憎悪を、デマをもって煽動したという点で、あまりにも犯罪的である。それは一九二三年の関東大震災の時に、軍部・警察が「朝鮮人が暴動を起こした」等のデマを流し、在日の朝鮮・中国人および社会主義者への空前の虐殺事件を起こした構図とまったく同じだからである。
この事件が、治安維持法の制定(一九二五)、共産党弾圧(一九二八)、柳条湖事件(一九三一)へ連なる戦争体制づくりと侵略戦争の引き金を引いた事はすでに明らかにした通りだ。(本紙五六七号参照)
石原が民族排外主義と憎悪を煽動するのは、これ以外に労働者人民の反戦意識を解体し、有事体制(侵略戦争体制)に総動員することは不可能というファシスト的“信念″による。
そのためであればウソを撒き散らす事など朝飯前。「南京虐殺否定デマ」のように前言を翻す事など何とも思っていない(本紙前号参照)。一九七三年八月の金大中拉致事件に際しても「不法入国した金大中が悪い」とウソで拉致事件を正当化して弾劾の的となった(後述)。デマゴギーによる煽動を信条とするこのような人間が政治反動のキーマンとして登場しつつある現実はきわめて危険だ。
「ウソも百回言えば真実になる」というのがナチスの宣伝原則だが、石原はまさにナチスの原則を実践している。ファシストの再来という問題は、石原の右翼政治家としての浅はかさにもかかわらず、すでに一定の現実性を持ち始めている。石原を一刻も早く知事の座から引きずり下ろさなければならない。
思い込み――在日朝鮮人を「三国人」 旧著で明言 大震災の虐殺と同じ構図
以上のような石原のデマと居直りの手法は政治活動を始めた当初からのものである(『世界』十月号)。石原は一九六八年に自民党から参議院議員に初当選したが、その時に「『嫌悪』--現代の情念」(『祖国のための白書』所収)という文章を書いた。そこには今日都知事になって遂行しているファシスト政治の原型がつづられている。
石原の主張の核心は「嫌悪という触媒を使えば、大衆の煽動が可能になる」という思い込みである。石原は言う。「(原子力潜水艦エンタープライズ阻止闘争=注=によって)共通した嫌悪の情念が昇華されたということは注目されるべきであって、あの事件から学ばなければならない」と。 石原は一九六七年の革命的左翼のエンタープライズ阻止闘争(写真左下)に衝撃と打撃を受けつつ、「大衆がなぜ劇的に街頭闘争に立ち上がったのか」と自問した。石原の答えは「ある確かな触媒を見出せば、かくも多くの嫌悪の情念が人々の胸の中にくつわを並べ得る」ということであった。
反戦闘争における人民の階級的怒りと石原流「嫌悪の情念」とは無縁のものだが、石原は、エンタープライズ闘争のように「原子力潜水艦」という適切な「嫌悪の触媒」を見出せば「大衆は巨大な規模で動かされる」とし、「嫌悪による政治が有効」という結論に到達したというのである。
ヒトラーと酷似
その後、「嫌悪による政治」は石原の「政治哲学」にまでなり、現在、危機に立つ日本帝国主義の救済者として「嫌悪の政治」を実行しているのだ。石原は、「嫌悪の対象」に「都自治体労働者」や「在日アジア人」、「中国」「アメリカ」などを設定し、反階級的憎悪を徹底的に煽るのである。「三国人発言」や9・3自衛隊三軍統合治安演習の手口は完全にこの手法に基づいている。
ファシストの本家・ヒトラーは『我が闘争』の中で、「概してどんな時代でも、本当に偉大な指導者の技術というものは、第一に民衆の注意を分裂させず、むしろいつもある唯一の敵に集中することにある」と述べているが石原の「嫌悪の政治」とそっくりである。こうした政治によって目指しているものは、「アジアは日本の勢力圏たるべし」と呼号しながらの「大東亜共栄圏の復活」であり、こうした衝動とぶつかる「アメリカの世界支配」への帝国主義的対抗である。
石原の「政治綱領」にたいしては真っ向から「帝国主義の打倒」をかかげ「労働者階級の力による新たな社会の構築」を対置して前進しなければならない。
暗殺未遂――「金大中拉致支持」?! 73年 朴独裁政権賛美の暴挙
なお前述したように、一九七三年の金大中拉致事件についても見え透いたデマをもって拉致事件を正当化していたので紹介する。
金大中の拉致事件とは一九七三年八月、東京都心のホテルから韓国の野党指導者金大中(当時)が拉致された事件で、韓国・朴正煕(パクチョンヒ)大統領(当時)の指示の下KCIA(情報局)が強行した犯行である。朴独裁体制の危機を野党指導者を抹殺することで乗り切ろうとした暗殺未遂だ(写真左)。
日本の政界やマスコミでは「主権侵害事件」として問題となった。石原はこの金大中拉致事件に関して「韓国の自由と日本の自由」(『文芸春秋』一九七五年十一月号)と題する文章を書き、「主権侵害を騒ぐ前に、金大中の不法入国を問題にすべきだ」として次のように言っている。 「日本側は拉致犯人たちが、日本の中で誘拐という犯罪を起こしたと非難している」。しかし「そもそも金大中なる人物が不法な入国をし滞在していた事実からすれば虫のいい非難でしかない」と。KCIAの違法行為を弾劾する前に金大中の不法入国を問題にしろ、と言っているのだ。
ところがこの「不法な入国」はまったくのデマだったことが暴かれた。金大中は合法的に入国していた。 もちろん「違法か合法か」に問題の本質があるのではない。アメリカ帝国主義の傀儡(かいらい)政権であった朴独裁政権が、新植民地主義体制の護持のために、政敵である金大中氏を力ずくで拉致して暗殺を企てたという行為が、朝鮮人民の民族解放闘争に敵対することが問題なのである。
自衛隊の突出で有事体制への移行図る石原許すな
しかし敵対行為をデマで後押ししていたのが石原などの右翼政治家どもだった。石原は誤りを指摘された後も居直った。「不法入国としたのは誤りだったが、金大中氏の滞在と滞在姿勢は合法でありもしなかった」(同七六年三月号)。
これまた何と言う破廉恥漢か。金大中の日本入国を非難するのに虚偽の事実を並べておきながら、それについての謝罪は一言もなく「間違っていたかもしれないが朴大統領に歯向かう政治姿勢は合法ではない」などと居直りの非難を返しているのだ。
4・9発言でロサンゼルスの地震と暴動を取り違えた時、記者から誤りを指摘されても謝罪や訂正の言葉もなく「あ、間違っていましたか」の一言で片付けた傲岸不遜が眼に浮かぶ。
ファシスト石原は、こうしたデマゴギーに基づいた軽薄な言動を一貫して行ってきた。しかし「軽薄である」とすます事はできない。このようなファシスト分子にすがることによってしか延命できないほど日帝は危機を深めているからだ。
労働者階級の力をもっていまこそ石原打倒の大運動を巻き起こそう。11・5労働者集会の成功をその突破口にしよう。(おわり)
(注)エンタープライズ阻止闘争 一九六八年一月の米原子力空母エンタープライズの佐世保寄港にたいし、「日本のベトナム参戦国化阻止」を掲げて十五日から二十四日までたたかわれた寄港阻止闘争。前年の10・8~11・12の二次にわたる羽田闘争を引き継ぎ「第三の羽田闘争」としてたたかわれた。三派全学連を先頭に総評系の労働者も参加、多数の市民も合流して爆発したことが日帝ブルジョアジーに衝撃を与えた。石原都知事もショックを受けたと自認している。
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週刊『三里塚』(S570号2面2)
〈小史〉 日帝による植民地支配の帰結
韓国併合と在日朝鮮人民
日清・日露戦争を通して朝鮮半島の植民地化を進めていた日本帝国主義は一九一〇年、時の寺内正毅内閣によって韓国「併合」を強行した。これにより当時の朝鮮人は否応なく「日本国臣民」に繰り入れられ、日本国籍保持者となることを強要された。この朝鮮植民地化と韓国併合という日帝のアジア侵略政策が、今日に至る「在日朝鮮人」の存在の歴史的出発点である。
一九一〇年当時二千人にすぎなかった在日朝鮮人は、第一次世界大戦期の戦争景気のなかで底辺労働力として日本に移住し始めた人々を加えて、一九二〇年には三万人を数え、十五年戦争に突入した三〇年代に入ると激増。三十八年には八十万人に及んだ。
これらの人々の多くは日帝による植民地化で、土地・農地を奪われ窮乏化し、生活の方途を求めて移住してきた農民たちである。
日中戦争の長期化、太平洋戦争への準備・突入による労働力不足で、日帝は、一九三九年、国民徴用令を朝鮮にまで適用し、朝鮮人強制徴用を進めた。これが強制連行の制度である。こうして底辺労働力として日本に連行された朝鮮人は四五年までの五年間に七十二万五千人を数えた。
一九四五年の日本敗戦の時点で日本国内におよそ二百五十万人の朝鮮人が在住していた。
職種では、土木工事に従事する土工、都市工場の職工(女子は紡績女工)、炭鉱・鉱山の坑夫など苛酷な労働を強いられる職業が多かった。どの職種でも賃金は日本人労働者の約半額であり、日常生活でも苛酷な朝鮮人蔑視・差別を受けたのである。
日本国籍のはく奪
敗戦直後の日本政府は、主に経済上の理由から日本に残った朝鮮人に対し、治安上の観点から「日本国籍」を形式上認める一方で、参政権をはく奪した。さらに一九四七年には外国人登録を強制するなど矛盾した政策を続けた。(四七年の時点で、朝鮮半島に国家はまだ存在しない)
そして日本政府は、一九五二年のサンフランシスコ講和条約で一方的に朝鮮、台湾など旧植民地出身者の日本国籍をはく奪した。
これ以後、外国人としての在日朝鮮人は外国人登録法を適用され、指紋押捺や外国人登録証の携帯を義務づけられた。その後の朝鮮戦争(日本も事実上の参戦)による南北分断と日帝の「朝鮮籍」差別政策のなかで、「在日朝鮮人」全体のおよそ三分の二が「韓国籍」を取得、この人々は「在日韓国人」とも呼ばれている。
八〇年代に入って、在日朝鮮人民のたたかいによって指紋押捺制度は廃止されたが、それに代わる「家族登録制度」が新設されるなど、日帝による差別・抑圧政策は変わっていない。
こうした経緯から分かるように「在日朝鮮人」(朝鮮半島出身者とその子孫のの総称)の存在は、日本による朝鮮植民地支配と、その帰結として現在も続く南北分断という歴史的経緯が生み出したものである。
石原らの排外主義的民族差別の煽動がいかに不当な暴挙であるかを改めて認識しなければならない。
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週刊『三里塚』(S570号2面3)
北総の空の下で
敷地内思いの棟梁 生一本な徳さん
二〇〇〇年夏。反対同盟は郡司とめさんにつづいてかけがえのない同志を失いました。7・2集会にも、郡司とめさんの葬儀にも、酸素吸入をしつつ参加した小川徳太郎さんが、九月二十七日、帰らぬ人となりました。
通称“徳さん″。真っ直ぐな人でした。反対同盟の行事に参加したことのある人には「お酒好きの気のいいおやじさん」として印象に残っているのではないでしょうか。 けれど現闘(現地闘争本部)員の私たちには、市東孝雄さん宅の離れの改築に棟梁として指揮を取った姿がしっかりと焼きついています。
国家権力に介入の余地を与えないため、外装工事は準備をあらかじめ整えて一日で仕上げなければなりません。徳さんをおいて任せられる棟梁はいませんでした。そして彼は市東さんや同盟の期待に応えてくれました。 外装ができた後も、仕事の休みを潰し、年末年始を返上して改築工事にあたってくれたのです。
あれほど好きだったお酒をぴたりと止めて養生していたのに、多発性骨髄腫の進行を止めることはできませんでした。
一度目の入院の後自宅に行ってみると、徳さんは酸素吸入のホースを引っ張って脚立に乗り、大工仕事の最中でした。「家の中でじっとして居られるもんじゃないよ」。市東さん宅離れの仕上げの事、同盟のあちこちから仕事の依頼があるのに果たせない事等をもどかしげに語っていました。
徳さんが亡くなった日もう我慢することもないのだと、私は清酒のワンカップを一本供養に持参しました。あなたが指揮した改築工事で、敷地内を支えぬく決意が伝わってきました。その離れの部屋にいると徳さんの笑顔に守られている気がします。
(北里一枝)
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週刊『三里塚』(S570号2面4)
2000 三里塚現地日誌 反対同盟と共に歩む
10月11日(水)~10月24日(火)
●航空局長、羽田空港の国際化を「否定」 千葉県選出の国家議員が運輸省の航空局長を招いて行われた「羽田国際化」についての説明で、深谷憲一局長は「羽田国際線化」を否定した。しかしあくまで「現時点では」という条件付きの話。羽田国際線化方針は変わっていない。(12日)
●成田市団結街道の復元を約束 天神峰団結街道の封鎖問題で、反対同盟が10月4日付けで出していた成田市あての公開質問状(3回目)にたいして市から回答がなされた。その中で市は「工事完了後、従来の路線に戻る予定」と記し、団結街道を元にもどすことを約束せざるをえなかった。(13日)
●共生委員会が公団の手先の正体を露呈 空港脇の成田空港地域共生委員会事務所で行われた第33回委員会で山本代表委員が報告、「暫定滑走路工事は順調に進んでいる」と述べたことが報道された。「空港建設のマイナス面を監視する第三者機関」なる美辞は看板でしかないことが改めて明白になった。(16日)
●公団、東峰地区フェンスの拡張工事を通告 空港公団は東峰地区住民に対して「10月19日より既設仮フェンスの移設工事を行う」と通告してきた。これは小見川県道の迂回工事の本格化に伴ってフェンスを農家側に拡張させ、工事の重圧で農民に屈服を迫る攻撃だ。弾劾しなければならない。(16日)
●羽田空港で北方向からの着陸実験 羽田空港の運用見直しを進めている運輸省は、現在は認められて入ない北側方向からの着陸実験を、10月23日から27日に行うと発表した。国際便のスロット増枠は羽田国際化以外にないことから「運用の見直し」という名目で羽田国際化を進める動きだ。(16日)
●航空会社が羽田の再拡張要望 国内航空会社12社が加盟する定期航空協会は首都圏第3空港の候補地として「羽田の再拡張」を検討するよう運輸省航空局に要望書を出した。第3空港は2002年から始まる第8次空港整備5箇年計画の中核事業の予定。羽田の再拡張案は有力候補の一つである。(17日=写真)
●羽田発の国際チャーター便を認可 運輸省は大田区の商工会議所が出していた羽田発着グアム行きの国際チャーター便を認可した。98年と今年の9月、運輸省は大田区民に同様のチャーター便を認可したが、その時は千葉県の了解を得ていた。今回、県は最後まで反対し知事は「誠に遺憾」と反撥している。(20日)
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