ZENSHIN 2012/03/19(No2528 p06)
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週刊『前進』(2528号1面1)(2012/03/19 )
“原発いらない”“再稼働やめろ”
3・11福島県民大集会 労働組合の旗たなびかせ
球場埋めた1万6千人
福島の女たち先頭にデモ
(写真 福島県民を始め全国から結集した1万6千人で埋まった開成山野球場【3月11日 郡山】)
(写真 「子どもたちを疎開させて!」を掲げる福島の女たちを先頭に福島県民、反対同盟と全国農民会議のデモが続く【3月11日 郡山】)
「原発なくせ!」「この社会を変えよう!」。福島県内を始め全国から郡山市開成山野球場に1万6千人の労働者民衆が集まった。「フクシマの思い」を新たにし、怒りを増幅させ、全国・全世界に反原発の叫びを発した。東日本大震災と福島第一原発事故1周年の3月11日、政府は全国を「慰霊」「復興」一色に染め上げようと図ったが、フクシマの根源的な怒りがそれをぶち破った。利潤追求と核武装のため、労働組合を解体して原発政策を推進する帝国主義・新自由主義を打ち倒すまでやむことのない激しい怒りが燃え上がった。(2、3、5、6面に関連記事)
フクシマの怒りを歌う
「原発いらない!3・11福島県民大集会」は、主催者発表で1万6千人、実際には2万人近い労働者人民の結集となった。日本全国約百カ所で十万人が闘い、世界中で数十万人が立ち上がった3・11。この闘いの頂点が郡山集会だった。
「収束宣言」「除染」キャンペーンによるフクシマ分断・圧殺攻撃と、それをテコとした再稼働策動を根底から覆す怒りが爆発したのだ。労働者階級を先頭に、原発廃絶を求める人民の闘いが階級闘争の中心に座った。
内野席が労働者・農民・漁民・市民・学生で完全に埋まった。バックネット裏、1塁側、3塁側すべて満杯だ。さらに参加者は増え続けた。通路や階段にも参加者が座り込んだ。客席後方は立ち見する人で歩くのもままならなくなった。急遽(きゅうきょ)外野席も開放された。
多くが労働者だ。会場のいたる所に労働組合の旗・のぼりが林立した。「労働組合と市民が一つになり、福島と全国の怒りが一つになってすべての原発をなくそう!」とアピールを発した国労郡山工場支部の赤旗が翻った。福島県教組は緑色・ピンク・黄色などののぼりを掲げて大挙参加した。自治体労働者、医療労働者、そして非正規、交通、民間の労働者たちが色とりどりの組合旗やのぼりを押し立て会場に陣取った。
3階席スタンドに立つと右手に雪の安達太良連峰が遠望できる。この美しい福島の山と河が、海と大地が、膨大な放射能によって汚染された。
午後1時からオープニングコンサート。「福島に生きる/福島で生きる/福島を生きる」、福島在住の詩人・和合亮一さんの詩「決意」が朗読された。
歌手の加藤登紀子さんが原発廃絶を訴えて、チェルノブイリ原発事故の直後に被災地の大コンサートで歌われた「百万本のバラ」や「パワー・トゥー・ザ・ピープル」など数曲を熱唱した。
(写真 〈上〉風にたなびく国鉄労働組合郡山工場支部旗〈下〉「世界の核と原発なくせ! 再稼働とめよう! 政府・東電責任とれよ!」と若者たちの怒りを表現するNAZENのデモ隊)
「変えよう日本」と訴え
午後2時から集会が始まった。実行委員長の竹中柳一さん(福島県教組委員長)の開会のことばなどに続き、ノーベル賞作家の大江健三郎さんが連帯のあいさつ。大江さんは「原発をすべて廃止すれば子どもたちが、そのまた子どもたちが原発事故で放射能の害をこうむることは絶対にない」と、ほとばしる怒りで原発全廃を訴えた。一言ひとことに会場から「そうだ!」の声が発せられ、拍手が起こった。
福島県民6人が登壇し、200万福島県民の苦悩、原発と放射能、政府への尽きることのない怒り、再生の決意を語った。二本松市で有機農業を営む菅野正寿さんは「人間と原発とは共存できない」「『頑張ろう日本』でなく『変えよう日本』。今日をその転換点に」と呼びかけた。警戒区域にある富岡高校から郡山市のあさか開成高校に転校した鈴木美穂さんは「人の命も守れないのに、電力とか経済とか言っている場合ではないはずです」と訴えた。浪江町の橘柳子さんは「いつの時代でも国策で苦しみ悲しむのは罪のない民衆だ」と、根底からの弾劾の声を発した。
発言者一人ひとりの「フクシマの叫び」が会場に響きわたり、参加者の心を打った。「原発をなくそう!」「社会を変えよう!」が全参加者のひとつの意思となり、叫びとなった。金のためなら人の命を奪おうとも原発にしがみつく資本家ども。この支配を焼き尽くすまで、どこまでも燃えさかる火となった。
地震が発生した午後2時46分、参加者全員で黙祷(もくとう)を行った。誰もが自らの力で原発を廃絶させると誓った。
怒りの集会宣言が発せられ、郡山市内のデモ行進に出発した。
3・24日比谷野音集会へ
先頭に「怒福島隊」ののぼりが掲げられた。国労郡山工場支部、福島県教組をはじめ福島県内各地の労働組合・団体の数え切れないほどの旗やのぼりが続いた。動労千葉、動労水戸、共に闘う国労の会、郵政非正規ユニオンなど全国から結集した労組・団体が、途絶えることなく進んだ。
「子どもたちを疎開させて」の横断幕を広げた「原発いらない福島の女たち」のデモが圧巻。フクシマの怒りを圧殺しようとするもくろみを打ち砕き、いつも福島と全国の闘いの先頭に立ってきた女性たちだ。
萩原進さんや市東孝雄さんらが総決起した三里塚反対同盟を先頭に、鮮やかな緑色ののぼりを手にした全国農民会議の堂々たる農民の隊列。「原発なくせ!」のコールと太鼓を力強く響かせたNAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議=な全)の1500人のデモは、圧倒的な注目で、地元の少年たちも飛び入り参加! 全学連の大隊列の中心は「怒福島大」ののぼりで登場した福島大生たちだった。沿道の市民も手を振って歓迎する。
「原発いらない福島の女たち」の椎名千恵子さんがデモ出発前、NAZENの隊列の先頭に立ち「日々闘ってかちとっていかなければ『原発いらない』は続いていかない」と訴えた。デモ終了地点の郡山市役所前で行われたNAZENの総括集会では、子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク代表世話人の佐藤幸子さんがマイクを握り、「福島から発信した声が日本中を変えます。みんながつながれば大きなことができます」と力強く呼びかけた。
3・11福島県民集会は大成功した。フクシマの怒りが根底から解き放たれた。全国の労働者・民衆がそれと一層強くつながった。国鉄労働者、教育労働者、自治体労働者を先頭とした労働組合がその中心となった。集会の運営を担い、成功を支えたのも福島県教組、自治体などの労働者だ。
「労働者が団結すれば原発を止められる」「この感動を職場に持ち帰り、闘う労働組合をつくろう」。みんながそう実感した。闘いこそ3・11の犠牲者への真の追悼だ。「3・11」は闘いの日となった。
野田は「自分が先頭に立つ」と再稼働の決意をあからさまにしている。3・24日比谷野音での反原発行動に結集し、再稼働を絶対に阻止しよう!
3・25三里塚闘争に総決起しよう。
(写真 2月に福島で結成された全国農民会議が「なくそう原発! とめようTPP!」と三里塚反対同盟を先頭に3・11大集会に初登場)---------------------------------------------------
週刊『前進』(2528号1面2)(2012/03/19 )
前進速報版から
▼太原富士康で中国労働者が大ストライキ▼3・14西郡、岡邨さんへの強制執行を団結で阻止しぬく▼動労千葉が銚子総行動に決起!
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週刊『前進』(2528号1面3)(2012/03/19 )
【要項】 再稼働を許さないさようなら原発1000万人アクション3・24集会、3・25三里塚全国集会
再稼働を許さない さようなら原発 1000万人アクション3・24集会
東京・日比谷野外音楽堂
3月24日(土)午後1時 オープニングコンサート、午後1時半開会、午後2時45分パレード出発
主催 さようなら原発1000万人アクション実行委員会
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第3誘導路粉砕・市東さんの農地を守ろう! フクシマ連帯・原発再稼働許すな! TPP反対! 軍事空港粉砕・改憲阻止!
3・25三里塚全国集会
3月25日(日)正午
成田市天神峰 反対同盟員所有畑
主催/三里塚芝山連合空港反対同盟
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週刊『前進』(2528号2面1)(2012/03/19 )
3・11福島(郡山)を最先頭に全国と全世界で反原発の巨大なうねり
原発なくし人間らしく生きよう
(写真 「原発いらない!3・11福島県民大集会」実行委員会の中軸を担った福島県教組が、のぼり旗を林立させて意気高くデモに出発した)
3月11日、郡山市・開成山野球場に1万6千人が集まって開催された「原発いらない!3・11福島県民大集会」は感動的に大成功した。集会での主な発言を紹介します。(編集局)
実行委員会委員長あいさつ
日本の変革のスタートを! 福島県教職員組合委員長 竹中柳一さん
「原発いらない!3・11福島県民大集会」に福島県各地から、そして全国から、私たちの思いを受け止めようと駆けつけていただいたみなさん、本当にありがとうございます。
私たちにとって、この3月11日はけっして忘れてはならない特別な日になりました。地震、そして津波により、多くの人びとが命と財産を失いました。そのことに加え、福島県民は原子力発電所の事故とその結果としての放射性物質の拡散により、不安と苦しみの中で生活しています。
私たちは多くのものを失いつつあります。豊かな恵みをもたらしてくれた水田や畑、そして自然のすべてが放射性物質により汚染されました。多くの県民が自然豊かな故郷から追われました。そして多くの子どもたちが県外に転校しました。
数々の災害や戦争などの多くの困難を克服し、現在の豊かな暮らしの基礎を築いてくれた先人の尊い努力が放射性物質によって失われようとしています。そして同時に、福島県の将来を担う子どもたちや若い世代を失おうとしています。
3月11日が再び巡ってきました。この日だからこそ、現在の私たちの苦しい状況をお互い共有しながら、今後についての思いと決意を新たにすべきだと考え、この集会を企画しました。この集会が福島と日本の新しい変革のスタートとなることを願い、開会を宣言します。
連帯のあいさつ
この国の原発すべて廃止に さようなら原発1000万人署名呼びかけ人/作家 大江健三郎さん
原子力発電所をどうしなければならないかということについて、私の考えを申します。
この1年間、学者たちの分析と批判を注意深く読んできました。原子力発電は完全にはコントロールされてはいなかった。特にこの活断層だらけの国で、地震への対応は学者たちの警告が生かされていなかったことを学びました。
3・11の後も原発の再稼働を考えている人たちがいます。「再稼働してもいい」と許可を出した学者たちの集まりがあります。いくつもの原発の地盤が活断層の上にかかっているという警告を無視してきた学者が、今も再稼働を決める中にいる。こういう知識を私たちみんなのものにして、率直に反対しなければならないと考えています。
大事故が起これば、今を生きる私たちのみならず、未来社会に生きる人間みなに大きく長期間の影響があることを思い知りました。
正直に言えば、私は力を落としていました。ところがドイツでは原発を全廃するという委員会の答申を国家が承認し、ドイツ全体が原発廃止に至った。この議論をした集まりの名前は、倫理委員会です。政治的・経済的な理由よりも倫理的な理由を優先して考える人たちの動きが、原発廃止の結果になりました。
日本ではバブルのころから倫理的という言葉をあまり使わなくなりました。私は倫理的な責任を取ることが人間にとって一番根本になければならないと考えています。そして倫理的な責任とは、この世界で人が人間的に生きることを妨げてはならないということです。
人類は過ちを犯してきたし、倫理的でないことが行われてきたが、大筋ではこの責任を取って生き続けてきた。しかしあと一度、二度、原発で大事故が起これば、私たちは将来の人間が人間らしい生活をしていく責任が取れない。将来の人間についても、今現に生きている自分自身についても不安を感じています。
私たちに求められているのは、原発の事故を絶対になくすことです。絶対になどということができるのか。できます。この国の原発をすべて廃止すればいい。私たちや私たちの子どもたちが原発の事故により大きい放射能の害をこうむるということは、絶対にない。それを私たちはやらなければならない。
「原発の電気がなくなれば生活はどうなるか」と政府や産業界、マスコミの一部までが脅迫しています。しかし、政治的責任・経済的責任よりも国防的責任よりも、人間が将来、人間らしく生きていけるかどうかということです。私たち市民一人ひとりがどのように生き、どのように新しい電気の道を開くか。その市民の働きが今、電気についても新しい道をつくり出していく。現に昨年の夏は節電をして、電力の危機と言われた事態をのりきりました。それを今年も来年も続けていくことだと思います。
東京で大きい集会をした時に、一人の方がジョン・レノンのイマジン、想像しましょうという詩のことを言われました。
私は想像することがある。それは近い将来のある日、ある朝、この国のすべての小学校、中学校、高校で、校庭にこのように生徒さんたちが集まる。そして先生が、生徒代表が、こう告げる。「みなさん、この国は原発を全廃することを昨日、決意しました。私たちの未来に原発事故の不安はもうありません」。そして子どもたちの大きい歓声が響くことを私は想像します。それを実現させましょう。
(写真 加藤登紀子さんがオープニングコンサートで熱唱【3月11日 郡山市・開成山野球場】)
福島県民の訴え
毎日否応なく迫られる不安 山形県に小学生の子どもを避難させている福島市の菅野智子さん(42)
小学1年と3年の子どもを持つ母親です。原発事故以降、毎日いや応なく迫られる不安。逃げる・逃げない、食べる・食べない、洗濯物を外に干す・干さない、子どもにマスクをさせる・させないなどさまざまな苦渋の選択をしなければなりませんでした。子どもたちは外遊びができず運動会もプールも中止です。
「10年後に後悔したくない」と夏休みに山形県米沢市に避難しました。自主避難は経済的な負担があり、二重生活の住宅ローンも重くのしかかります。父親は仕事の都合で福島市を離れられず、週末だけ子どもに会いに来ます。私は福島市まで毎日通勤しています。
子どもたちは米沢市の学校に転校しました。温かく迎え入れられ、お友達もあっという間にできました。不満も言わず元気に過ごしていますが、時折、「原発がなければ転校もなかった。米沢は放射能を気にせず外で遊べる。でも福島の方が楽しかった」とさみしそうな顔をします。
原発事故がなければ福島を離れることはありませんでした。米沢に来ても、福島が好きだという気持ちは変わりません。
今こそ「変えよう日本!」 二本松市で有機農業を営む菅野正寿さん(53)
原発事故から1年。とりわけ健康な作物と家畜を育んできた有機農業者への打撃は深刻です。しかし私たちは耕したくても耕せない農民の分まで農を営んできました。その結果、粘土質の有機的な土壌ほど作物へのセシウムの移行が低減されることがわかり、有機農業が再生の光であることが見えてきました。福島は幸い全国に誇れる有機農業県です。
玄米は98・4%が50ベクレル以下。500ベクレル以上の0・3%の玄米のセンセーショナルな報道が、どれだけ農民を苦しめたか。福島県民が加害者のような報道に怒りを持っています。マスコミが追及すべきは電力会社と国ではないか!
東北の農民は戦前は戦地で命を落とし、戦後は出稼ぎをして労働力を奪われ、都市に電気を送り食料を供給してきました。福島のきれいな里山も海も稲作文化も、農民が血のにじむ思いで築き上げてきた力です。
生産者と消費者を分断するのではなく、都市も農村も力を合わせて、大資本中心の日本のあり方を変えましょう。「頑張ろう日本」ではなく「変えよう日本」。今日を転換点にしよう。
全国に福島の魚を届けたい 相馬市で漁業を営む佐藤美恵さん(55)
3月11日の巨大津波は相馬市の漁業、農業、観光業をすべてのみ込みました。私は港町に生まれ育った漁師の妻です。夫が所属する相馬双葉漁業協同組合は全国有数の規模を誇っていました。
私はその日も明け方5時から市場で魚を販売し、午後、自宅に戻り、魚の加工販売の準備をしていました。その時、あの地震が起きた。長い揺れが収まると、消防車が「津波が来るから避難して下さい」と巡回しました。半信半疑で遠くを見ると、真っ黒い波が動く山のように見えたのです。やっと高台へ駆け上がりました。見えた光景はまるで地獄でした。
その頃、弟は船を守るため命を顧みず船を沖に出した。沖で仲間たちを励まし合い、帰ってこられたのは3日後。両親は家ごと津波で流されて帰らぬ人となりました。
漁師たちは漁に出るために魚具を一つひとつそろえてきました。しかし放射能がそれを許しません。毎週、魚のサンプリングをして、期待しては落胆の繰り返しです。
夫たちはもう一度、漁師として働きたい。私は夫のとった魚を売る仕事がしたい。おいしかった福島の魚を全国のみなさんに届けたいのです。
東電と国は避難村つくれ 飯舘村から福島市に避難している菅野哲さん(63)
飯舘村で高原野菜をつくっていました。原発事故ですべて失いました。飯舘村の農家は農地も牛もすべて失い、涙を流して廃業しました。もう飯舘村で農業を行うことができない。どうやって生きろというのですか?
飯舘村は3月15日に44・7マイクロシーベルトでした。この高い放射線の中で村民は長時間、被曝させられた。誰の責任ですか? 放射能まみれの水道水まで飲まされた。死の灰をまき散らしておいて「放射能は無主物だ」と言う。何ごとですか?原発事故は人災です。東京電力と国はきちんと責任を取ってください。
美しかった飯舘村は放射能まみれで暮らせません。元のように美しい村で安心して暮らせるよう、新しい避難村を建設してください。
原発事故を二度と繰り返してはいけません。もっと声を大きく全国に世界に訴えていきましょう!
命守れず何が電力や経済か 富岡高校からあさか開成高校に転校した高校2年生・鈴木美穂さん(17)
地元は郡山ですが、サッカーがしたくて富岡高校に進学し、寮生活でサッカーに明け暮れる日々を送っていました。
地震の翌日には川内村に避難しました。自衛隊や消防車が次々すれ違う光景は、現実とは思えませんでした。1号機が爆発し、川内村も危なくなり、郡山に避難することになりました。私を郡山まで送ってくれた先生は泣いていました。先生には原発に働く知人がいたのです。原発事故を終わらせることができるのは作業員の方たちです。でもその作業員は私の友人の両親や誰かの大切な人です。今も危険な事故現場で働く人がいることを考えると胸が痛みます。
原発がなければ津波や倒壊の被害に遭った方々を助けに行けました。それを思うと怒りと悲しみでいっぱいです。人の命も守れないのに、電力とか経済とか言っている場合ではないはずです。
線量が高い郡山で生活し続けることは不安ですが、おじいちゃん、おばあちゃんを置いて移住することはできません。
私は原発について何も知りませんでしたが、今ここに立っています。私たちの未来を一緒に考えていきましょう。
戦争時と同じ国の棄民政策 浪江町から本宮市に避難して仮設住宅で暮らしている橘柳子さん(72)
浪江町は原発のない町、しかし原発が隣接する町です。現在は本宮市の仮設住宅に入居中です。それまで9カ所の避難所を転々としました。
事故後の避難で、戦争終結後、中国大陸を徒歩で集結地に向かった記憶がよみがえりました。徒歩が車になっただけ、延々続く車列とその数日間の生活は苦しかった戦争そのものでした。
私は国策により二度も棄民にされる恐怖におびえました。いつの時も国策で苦しみ悲しむのは罪のない弱い民衆です。
「福島はもっと声を出すべき」との意見がありますが、喪失感が心を覆い、声も出ないのです。未来に生きる子どものことを考え、脱原発・反原発の実現を課題に生きていくことが唯一の希望かもしれません。
なぜ原発稼働? まだ原発は必要だという考えはどこから来るのでしょう? 原発は人の意志、行動で止められます。
全国のみなさん、確かな一歩を踏み出すために、もう少しの間、寄り添ってください。傷はあまりにも深いのです。
(写真 高校生・鈴木美穂さんら福島県民6人が怒りを込めて発言【3月11日 郡山市・開成山野球場】)
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週刊『前進』(2528号2面2)(2012/03/19 )
NAZENデモに檄
福島の女たちが熱く訴え
3月11日の郡山現地デモで、NAZENのデモ隊列に駆けつけた福島の椎名千恵子さん、佐藤幸子さんの訴えを紹介します。(編集局)
(写真 子ども福島代表世話人の佐藤幸子さん【右端】がNAZENのデモ隊に熱いメッセージ)
つながって世界変えよう
原発いらない福島の女たち・未来を孕(はら)む女たちのとつきとおかのテントひろば世話人 椎名千恵子さん
みなさんのデモの勢いに駆られてやって来ました。
今日の集会名称に「原発いらない!」を入れたのは、女たちの力です。みなさん、今日の集会に「原発いらない!」という言葉が入らなかったらということを、想像してみてください。本当に「原発いらない!」を入れられてよかった。
しかし油断はできません。日々こうして闘ってかちとっていかなければ「原発いらない!」は続いていきません。それを今日またあらためて確信しました。どうぞみなさん、またつながってください。世界を変えていきましょう。
あと2基だ!再稼働阻もう
子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク代表世話人 佐藤幸子さん
みなさん、今日は福島の高線量地帯に、ようこそおいで下さいました。お役所は「もうここは大丈夫だ。みんな帰っておいで」と言ってます。
私は国連前で野田首相に「福島の子どもたちを守らないで世界に『原発は安全』を言うのは卑怯だ!」と、みんなの声を代表して叫んできました。
あと2基で全国の原発が止まります。原発がなくても電気が止まらないことを証明しましょう。
福島から発信したこの声が日本中を変えます。みんながつながれば大きなことができます。分断は絶対に許せない。どんなに意見の違う人でも「原発いらない」だけは一緒です。
今日の集会の「原発いらない!」の声を真っ先に上げたのは福島の女たち100人です。パレードへの規制に抗議したのも福島の女たち100人です。最後まで一周できて、みんなありがとう。
みなさん、地元に帰ったらこの感動を伝え、「福島は汚染地帯でも元気でした」と伝えて下さい。再稼働を許さなければすべての原発が止まります。一緒にやりましょう。
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週刊『前進』(2528号2面3)(2012/03/19 )
女たちがプレ企画開催
3・10、11郡山 原発いらない地球のつどい
「原発いらない!3・11福島県民大集会」のプレ企画として、3月10日と11日午前、郡山市で「原発いらない!地球(いのち)のつどい」が開催された。呼びかけたのは原発いらない福島の女たち、子どもたちを放射能から守る福島ネットワークなど。JR郡山駅前のビッグアイと郡山市労働福祉会館を会場に、シンポジウムや講演会、映画上映会、テーブルトークなどさまざまなイベントが行われた。
10日夜は、原発いらない福島の女たちが主催する「原発いらない!交流と文化のつどい」。主催者の開会あいさつに立った黒田節子さんは「1年前、私たちは不安の中に打ちひしがれ、逃げまどい、いつも泣いていました。多くのものを失いました。そして1年。事故は収束もしていないのに、帰村宣言する村が出てきた。そんな中で、ここにいるすばらしいみなさんと出会えたことが本当にうれしく誇りです。命をいとおしみ、命に寄り添った生き方に変えていくかどうかが試されている。混沌(こんとん)の時代は変革の時代、私たちの時代です。一人ひとりが熱い改革者、志を高く掲げたパイオニアとなり、この世界を生き抜きましょう」と訴えた。
福島県内外からの参加者がリレートークで訴え、合間にさまざまな文化交流も行われた。椎名千恵子さんは、「イムジン河」の歌詞を「阿武隈川」と変えて「阿武隈川水清く、とうとうと流る」と古里への思いを込めて熱唱した。武藤類子さんの指導で、為政者による撲滅運動を突き抜けて福島の民衆が踊り続けてきた会津磐梯山古式踊り「かんしょ踊り」を、集った人たちが輪になって一緒に踊った。
最後に主催者の地脇美和さんが涙を流して訴えた。「今日も福島に住む女性から『慰霊の日である3月11日に、どうしてこんな企画を?』という抗議の電話をいただいた。私も慰霊の日として11日を迎えたい。だけど1年前、津波にのまれた浜通りでは、助けを求める声が聞こえる中で逃げなければならず、捜索できなかった。静かに慰霊をするためにも、原発を今すぐ止めるしかない。子どもたちが被曝させられる現実を受け止めるところからしか、私たちは一歩を踏み出せない。明日はみなさんと一緒に、すべての原発を廃炉にして新しい私たちの生き方を始める第一歩の日としたい」。参加者はあらためて3・11県民大集会の意義をかみしめた。
被曝労働、診療所建設など討論
10日昼は「被曝労働の実態――使い捨てられる下請け労働者」と題して、1981年に原発下請け労働者を組織してつくられた全日本運輸一般労働組合原子力発電所分会で分会長を務めた斉藤征二さんが講演。敦賀原発で183人の下請け労働者を組織した経験を報告し、「今こそ原発下請け労働者の労働組合が必要」と訴えた。
11日の午前中もテーブルトークやワークショップが続いた。「福島での診療所づくり――今なぜ? どんな?」と題したテーブルトークでは、広島・高陽第一診療所の吉田良順院長を始め、福島と全国各地の医師が集い、地元の母親らとともに「福島では今、放射線被曝について話をすること自体がタブーとされている」「一日も早く診療所が必要」などと切実な討論が行われた。
(写真〈上〉 かんしょ踊り/〈下〉診療所建設へテーブルトーク【郡山市・ビッグアイ】)
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週刊『前進』(2528号3面1)(2012/03/19 )
3・11福島(郡山)を最先頭に全国と全世界で反原発の巨大なうねり
NAZENが各地で闘い牽引
東日本大震災から1周年の3月11日、郡山市で開かれた「原発いらない!福島県民大集会」(1面参照)と呼応し、原発立地県をはじめ全国各地で大規模な集会やデモが行われ、多くの人びとが「すべての原発を止めよう!」「再稼働を許さない!」などと訴えた。
“玄海再稼働許さない” 九州各地
九州各地でも、さまざまな集会が開かれた。NAZEN福岡やNAZEN長崎、レイバーユニオン福岡は郡山市の集会をはじめ北九州市、福岡市、佐賀市、長崎市の5カ所で集会・デモに決起、「全原発を廃炉に!」「原発再稼働を許すな!」「フクシマと連帯して闘おう!」と訴えた。鹿児島市、熊本市、宮崎市などでも反原発行動が闘われた。
(写真 5千人が集まったメディアドーム前の公園。福島からの避難者も発言【北九州市】)
●北九州市
5千人が集まったメディアドーム前公園での「さよなら原発北九州集会」には、黒田征太郎さんライブペイントや多くのブースが出された。集会では福島から北九州に避難してきた被災者がアピール、「すべての原発からの撤退を求める」との集会宣言を採択した。大地震の発生時刻に黙祷(もくとう)し、九州電力北九州支社とJR小倉駅までの2コースでデモ行進を行った。
NAZEN福岡や国鉄闘争全国運動・九州もブースを出し、昨年7月の佐賀県庁での激闘の写真などを展示、福島診療所建設へのカンパを呼びかけた。
●福岡市
福岡市でも須崎公園で「さよなら原発福岡集会」が5千人の参加で開かれ、九電本店を「人間の鎖」で包囲した。
集会では、福島から避難してきた人や、国を相手に労災認定を求める原発労働者らが「原発なくせ!」と訴えた。NAZEN福岡は福島診療所建設を訴えるリーフを大量に配布し、九電本店包囲デモでは右翼の妨害をものともせず、道行く人に「再稼働を阻止しよう」と呼びかけた。(写真上)
●長崎市
長崎市の中央公園では「さよなら原発3・11ナガサキ集会」が開かれ、1千人が参加した(写真上)。集会呼びかけ人の藤田祐幸さんが「玄海原発再稼働阻止を」と訴え、「核のない社会へ」と市内をデモ。結成したばかりのNAZEN長崎も、鮮やかなノボリを立てて参加した。
●佐賀市
玄海原発の地元・佐賀市では、「忘れないで3・11集会」が180人で行われ、とめよう戦争への道!百万人署名運動・久留米なども合流。集会では福島からの避難者が「原発のいらない社会を」と訴えた。九電佐賀支社や佐賀県知事公舎へ抗議デモを行い、「玄海をはじめすべての原発の再稼働を絶対に許さない!」と訴えた。玄海町でも650人が集会。玄海再稼働に「絶対反対」の強い意志を表した。
最大の統一行動に 群馬
(写真 高崎市の中心街を労組など2500人がデモ)
高崎市では「力あわせる200万群馬/3・11さよなら原発アクション」が2500人の参加で大成功した。昨年4月以来、集会・デモ、学習会、講演会などをくり広げてきた「原発とめよう群馬」の呼びかけに平和運動センター、県労組会議、生活クラブ生協など80余りの団体が組織的賛同と取り組みで応え、この日の統一行動が実現した。大震災以来、群馬で最大の結集となった。
市役所前の城址公園の会場には各団体が店を出し労働組合旗が並んだ。プレ・イベントでは来月出産予定の女性の司会のもと、地元ミュージシャンや制服向上委員会が出演。本集会では在日の女性や無農薬野菜作りに取り組む青年が司会を担当し、医者や保育労働者、議員などが発言した。
福島県いわき市から群馬に避難してきた女性は、「福島県民は被曝の実験材料にされた。これだけ犠牲があるのに、まだ安全神話を言う。未来の子どもたちのために、私たちの責任で原発をなくし、フクシマとつながり続けてほしい」と呼びかけた。「原発のなくなる日まで行動しつづけます」との集会宣言を採択し、高崎の中心街をにぎやかにデモ行進。多くの市民、学生などが手を振って応えた。
大飯原発廃炉訴え 福井
福井県敦賀市では「さよなら原発・福井県集会IN敦賀」が開催され、1200人が参加、「すべての原発とさよならの決断を」と訴え市内をデモした。集会の賛同者は920の個人・団体。呼びかけ人の福井大学名誉教授・山本富士夫さんが「原発廃炉は国民の声だ。再稼働を許してはならない」とアピール。原発問題住民運動全国連絡センターの伊東達也さんは、「16万人がふるさとと未来を奪われ、失業者と低所得者を増大させている」「再稼働は言語道断だ」と訴えた。
小浜市明通寺の住職・中嶌哲演さんが「まもなく54基の原発が止まる。子どもたちに原発のない未来を。ものを言うマジョリティーになろう。大飯原発再稼働に反対を」と訴えた。集会宣言では「もんじゅをいますぐ廃炉に」と確認された。
泊の再稼働許さぬ 北海道
札幌市では「さよなら原発1000万人アクション北海道」実行委による「東日本大震災・福島原発事故から1年、早期復興!なくそう原発!許すな再稼働!3・11北海道集会」に2千500人が集まった。(写真上)
福島県からの避難者が発言し、「原発はすべてを奪った」と政府・東電を弾劾。NAZENさっぽろの会員は、東日本大震災救援対策本部の「原発と資本主義に終止符を」との1周年アピールを参加者に配った。
デモ参加者はプラカードを手に福島との連帯を呼びかけ、北海道電力本店を包囲した。泊原発1、2号機の再稼働攻撃が切迫するなか、「再稼働を許さない!」と怒りをたたきつけ、闘いの輪を広げようと訴えた。
伊方門前座り込み 愛媛
(写真 伊方原発前で「再稼働阻止」をアピール【伊方町】)
伊方原発の地元愛媛県内では、福島の怒りと連帯する連続行動が数カ所で行われた。
伊方原発ゲート前では「原発さよならえひめネットワーク」呼びかけの抗議集会が70人で行われた。呼びかけに応えて愛媛県職労の組合員は「伊方原発再稼動NO!」の横断幕を持って参加。昨年6月以来毎月11日にゲート前座り込みを続ける「八幡浜・原発から子どもを守る女の会」の斉間淳子代表が「伊方が福島原発と同じ目に遭えばどうなるか。恐怖だ」と廃炉を求めた。参加者らは「停止中の全3基の再稼働に反対する」再稼働反対の要請書を伊方原発当局に突きつけた。
松山市内では「伊方原発を止める会」による学習会とデモが行われ、300人以上が参加。松山駅前からアーケード街で「再稼働を認めるな」とアピール、飛び入り参加も相次いだ。新居浜市でも「停めよう伊方原発 新居浜パレード」が行われ、小都市としては画期的な160人が横断幕やプラカードで行進、「再稼働反対」を訴えた。
青森で反原発反核燃を訴え
青森市では市文化会館で、「さようなら原発・核燃3・11県民集会」が約1700人の参加で行われた。俳優の山本太郎さんもかけつけ、「青森は日本中の核廃棄物を受け入れている。周りの人たちに反対の声を広げよう」と呼びかけた。手をつなぎ県庁を包囲するデモは「脱原発・脱核燃」を強く訴えた。
東京、大阪、愛知、広島など
●東京
東京では、日比谷公園や国会周辺の「3・11東京大行進」などに約1万人が参加。「子どもを守ろう」「再稼働許すな」などのプラカードを掲げ東電本店前を行進した。
●大阪
大阪市では中之島公園や扇町公園で1万5千人が「なくそう原発」などと訴える集会を行った。福島県飯舘(いいたて)村から避難中の酪農家が「事故を風化させてはならない」と訴えた。
●愛知
愛知県では名古屋市、豊橋市などで集会が行われた。名古屋市での「さようなら原発・明日につなげる大集会」は約5千人が参加し、浜岡原発の危険性を訴えた。
●広島
広島では中央公園での「さようなら原発」集会などに2千人以上が集まり、「核と人類は共存できないと胸に刻もう」「原発を廃炉に」などのアピールが行われた。
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週刊『前進』(2528号3面2)(2012/03/19 )
NAZEN沖縄結成
“基地の島から反原発を”
3月11日、NAZEN沖縄の結成集会が那覇市の八汐荘で開かれました。結成集会にはNAZENの全国呼びかけ人の福地曠昭さん、国鉄闘争全国運動・沖縄の崎浜秀俊さんも参加されました。3・11福島県民大集会と連帯し、沖縄から2人の仲間が参加していることが報告されました。
主催者がNAZEN沖縄結成の趣旨を報告し、「子どもたちの命が脅かされている。原発は殺人兵器だ。沖縄は非正規労働者が多い。『命よりお金』という新自由主義の最たるものが原発。軍事基地も同じだ」と怒りを込めて訴えました。沖縄の地で新たな反原発運動を開始することが全体で確認されました。
福島からは、福島診療所建設委員会事務局長の渡辺馨さん、子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク代表の佐藤幸子さんのメッセージが紹介されました。
討論で福地さんは、NAZEN沖縄の結成の意義を語り、崎浜さんは核の平和利用論を批判、労働者と相いれないと強調しました。参加者から、「命よりお金」の新自由主義への怒りが語られ、沖縄は「基地の島」「非正規労働の島」であり、「特区」攻撃に対し非正規撤廃、原発反対、基地反対で闘えるのは労働組合だという意見が出されました。結成宣言は拍手で確認されました。職場での実践を!
(M)
(写真 「新自由主義の最たるものが原発だ」と活発な討議で結成【3月11日 那覇市】)
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週刊『前進』(2528号3面3)(2012/03/19 )
独仏など各国で大デモ
福島第一原発事故から1周年の3月11日、全世界で福島の労働者人民と連帯し、全原発の廃止を求める統一行動が闘われた。行動は、全世界の21カ国、132の都市に及び、原発とそれを推進する各国政府・電力資本への根源的な怒りがたたきつけられた。
ドイツでは原発即時停止求め数万人が
(写真 ドイツ各地で行動。写真は「グローンデ原発即時停止」のデモ【ハノーバー市】)
ドイツでは、全土で数万人が「原発即時停止」を掲げて集会・デモを行った。アッセとブラウンシュバイク間で2万4千人が「核廃棄物処理問題は解決不可能だ」と訴え、たいまつの鎖をつくってアピールした。
ハノーバーでは、ドイツの反原発運動の中心であるゴアレーベンの現地闘争団体をはじめ数千人が結集した。
このほか、ブロックドルフ原発の周りを3千人が包囲し、グロナウ原発、ネッカーウェストハイム、グルントレミンゲンなどで、それぞれ数千人がデモを行った。
「人間の鎖」に6万人が決起したフランス
(写真 フランス南東部モンテリマールの原発前で「人間の鎖」をつくるデモ参加者)
フランスでは、6万人が南部のリヨンからアビニョンまでの235`をつなぐ「人間の鎖」行動を行い、原発廃止を求めた。この行動は、「脱原発運動」と「“人間の鎖で反撃を”運動」などが主催し、核廃棄物の運搬を強いられているスッド・ラーユという鉄道労組や地元の住民・学生をはじめ、全国から労働者人民が参加し、フランス政府と電力資本への怒りをたたきつけた。
この地域には14基の原発が集中している。福島原発事故を契機に地域の運動は急速に活性化し、フランスの反原発運動を牽引(けんいん)する動力になっている。
バイヨンヌ、ボルドー、ブルゴーニュ、リール、ナントなどで人間の鎖行動が行われ、パリやフェッセンハイム、メッツでもデモが行われた。
イギリス
イギリス西部のサマーセット州ヒンクリー・ポイント原発周辺で、10日から11日にかけて、1千人以上の労働者住民が、“24時間原発封鎖デモ”と原発を包囲する人間の鎖行動を行った。
この原発は、「核ルネッサンス」政策のもとに増設が予定されている八つの原発のうち最初に増設される原発だ。すでに1987年に増設を阻止しているが、あらためて増設阻止の運動が拡大している。
スイス
(写真 スイス・ミューレベルクの原発前)
スイスの5基の原発の即時廃止を要求して大規模なデモが行われた。中部のミューレベルク原発に対しては5千人以上がデモ行進で抗議の意志を示した。
アメリカ
1月31日に三菱重工製の蒸気発生細管から放射能もれを起こし、運転停止などのトラブルが相次いだカリフォルニア州サンオノフレ原発に対し、300人がデモを行った。サンフランシスコでは、日本領事館と原子力産業のベクテル本社への抗議行動の後、ILWUローカル34(国際港湾倉庫労組第34支部)のホールで福島原発事故1周年の抗議集会が開かれた。
集会は、ノーニュークアクションが呼びかけ、平和退役軍人会、オキュパイ・サンフランシスコの協賛、オキュパイ・ウォール街が賛同した。ニューヨークでは400人が5番街をデモした。
オーストラリア
シドニーで数百人、メルボルンでは500人が反原発デモを行った。ウラン採鉱企業のBHPとリオ・ティント社に対し、「ウラン鉱の採掘をやめろ」と抗議行動を展開した。
台湾
(写真 台湾の首都・台北での反原発デモ)
台北で、原発廃止をめざす市民団体が「さよなら原発」集会を開き、約5千人が総統府までデモ行進した。台中市や高雄市でも集会があり、3都市で約1万人が参加。
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週刊『前進』(2528号3面4)(2012/03/19 )
おことわり
連載「原発再稼働阻止を」は今週は休みます。
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週刊『前進』(2528号4面1)(2012/03/19 )
3・25三里塚 労農学人民の大結集を
市東さんの農地死守の決戦へ
TPP反対!被災地連帯! 「復興特区」攻撃粉砕しよう
江波 敏之
3・11福島県民大集会に三里塚芝山連合空港反対同盟の赤いのぼりと並んで、全国農民会議の鮮やかな緑色ののぼりが林立した。闘う農民の全国組織が「反原発、三里塚連帯、TPP反対」を掲げ、鮮烈に表舞台に登場した瞬間だ。三里塚と福島が固く結合し、「国策」を打ち破る力強い歩みが開始された。目前に迫った3・25三里塚全国総決起集会は、市東孝雄さんの農地を守る決戦を宣言し、労農学市民とともに闘争陣形を打ち立てる決定的な集会だ。被災地復興特区攻撃との闘いとTPP(環太平洋経済連携協定)反対は全国農民の総反乱に向かう。プロレタリア革命の戦略課題としての「労農連帯」を実践する三里塚闘争の階級的役割はきわめて重大であり、市東さんの農地決戦にその帰趨(きすう)がかかっている。3・11の大高揚を引き継ぎ、3・25三里塚に大結集しよう。
(写真 反対同盟と全国農民会議ののぼりを掲げ、闘う農民の部隊が鮮烈に登場した【3月11日 郡山】)
「絶対反対」を貫き国策を撃つ三里塚
われわれの眼前には壮大な情勢が開かれている。9・19明治公園6万人を引き継ぐ、郡山1万6千人を始め全国7万人とも言われる3・11反原発・脱原発の一斉行動、ドイツ、フランス、ヨーロッパからアメリカ、台湾――アジアなど世界各地で行われた連帯行動は、「事故収束」デマで原発再稼働を狙う日帝・野田政権に根底的な打撃を与えた。
柏崎刈羽6号機と泊3号機を最後に、4月末ですべての原発は稼働停止に追い込まれる。原発と核政策は重大な危機にたたき込まれ、日帝・野田政権は大飯・伊方原発再稼働へとやみくもに突進せざるをえない。激突は不可避だ。すべての原発と核燃料サイクルの廃棄へ、3・11で2年目に突入した闘いは、このことを一点の曇りなく突き出している。
また、全国農民を先頭に始まったTPP反対運動は、11月米大統領選を前に、夏の参加決定をめぐって4〜5月からふたたび激突情勢だ。
グアム移転切り離しをテコとする沖縄・辺野古新基地建設への動きは、対中国争闘戦激化の米新軍事戦略のもとで加速し、いよいよ緊迫した闘いに入る。
資源エネルギー問題、核武装と日米同盟、TPP、「社会保障と税の一体改革」を掲げた消費大増税などのすべてにおいて、日帝・ブルジョアジーと野田政権は綱渡り的な状態にたたき込まれ、迷走と暴走をくりかえしている。この国内情勢は、解体の危機にあるEU情勢、イラン・中東危機、米帝の対中国政策を中心軸に加速度的に危機を深める北朝鮮、アジア情勢と完全に一体だ。帝国主義のブロック化と争闘戦激化の中で、野田政権は対中対決の日米同盟にますますのめりこむしかない。この情勢下、右から突出する「維新の会」橋下反革命を、労組を拠点に打倒しよう。
「第2次大戦終結後に中国大陸を徒歩で逃げた記憶がよみがえった。原発事故の避難は、徒歩が車に変わっただけ。いつの時代でも、国策で苦しむのは罪のない民衆だと思った」(3・11福島県民大集会での県民の訴えから)
この言葉は闘う者の心に響く。まさに核と戦争、民衆の犠牲の上に利潤を追求する資本の論理との闘いであり、「国策」「国益」との闘いが問われている。
三里塚闘争は高度成長の時代、モータリゼーション社会の高揚期に、「空港絶対反対」「農地死守」を掲げて「国策」に反旗を翻した。それはベトナム戦争下の軍事空港建設と闘う反戦・反核闘争として、共闘と結集の砦(とりで)となった。その中心にあるのは闘って勝利するという絶対反対の闘争原則であり動労千葉とともに打ち立てた労農連帯の思想だ。
2011年3・11は、原発を頂点とした「国策」の反人民性、反階級性をつきだし、価値観の転換を求めている。原発と核の廃絶以外に未来はない。このとき三里塚が貫く闘争原則の階級的意義は計り知れない。反原発と一体の「国策」粉砕と労農連帯を闘いの核心として、3・25全国集会を闘いぬこう。
新自由主義による農業破壊を許すな
この歴史的情勢は、階級の深部からの決起を促している。被災地・福島で「全国農民会議」が結成された。その設立趣旨が発するものは、原発と復興特区による農地・農業破壊に対する根源的怒りであり、決起を訴える農民からの渾身(こんしん)の叫びだ。
経済3団体など資本の側が掲げる復興構想の共通点は、農地利用の集約と農業経営の大規模化である。野田政権は「食と農林漁業の再生実現会議」の中間提言で、株式会社による農地所有権の取得、民間企業への漁業権の開放などを掲げ、「平地で20〜30f、中山間地で10〜20f」といった耕作地拡大の政策目標を打ち出した。災害ですべてを流された被災地に復興特区を設け、中小零細農家や漁民を一掃する――この農業つぶしを全国に拡大しようとしている。
「壊滅的な出来事が発生した直後に、災害処理をまたとない市場チャンスととらえ、公共領域に群がる襲撃行為」(ショック・ドクトリン)の日本版を、この機に乗じて推し進めるというのだ。
他方、農業市場を米豪に投げ出し、日本農業を最後的に解体するTPPは、医療や教育、福祉、金融、保険から雇用など農業以外の産業分野をもむき出しの競争原理にたたき込み、労働者の徹底収奪と団結破壊をもたらす。
TPPは新自由主義農政の到達点だ。1986年前川レポートは、経済構造を「輸出指向型」から「内需拡大」「市場開放」に転換して日米間の貿易不均衡を是正せよと提言した。市場原理主義がその後の規制緩和と民営化・対外開放を推し進めた。これによる構造改革は、国鉄分割・民営化と総評解散、労働運動解体に向かったが、農業分野においても切り捨て政策を激しく進行させた。生産性の向上、国際化時代に対応した農政推進、「市場メカニズム」に基づく価格政策、家族型農業解体で「300万農家を40万経営体へと激減」させる攻撃である。
これらの上に、政府・農水省は2009年6月農地法改悪を強行した。「耕す者に権利あり」を第1条とする戦後農地法を解体し、農民の権利を奪って農地を流動化させ企業に明け渡す――戦後農政の大転換である。
被災地を食い物にしようと大資本が殺到する震災復興は、この農地法改悪によって企業の参入条件が緩和されたことで可能となった。
「農地法による農地取り上げ」という市東孝雄さんに対する前代未聞の暴挙は、この農政転換と同時並行で進められてきた。三里塚の闘いはまさに新自由主義農政と先端的に激突してきたのである。全国農民総反乱の先端に市東さんの農地決戦がある。
三里塚闘争は、新自由主義農政との闘いそのものであり、動労千葉や非正規職の青年労働者、強制執行と闘う西郡の住宅闘争、そして沖縄の基地撤去闘争と完全に一体である。
資本主義は農民・農業問題を解決できない。その内部に問題を抱えたまま帝国主義段階に突入し、農業を収奪の対象とする。グローバリズムによる途上国の農業の徹底的な破壊は、その象徴というべきものだ。それゆえ農業問題はプロレタリア革命を現実の課題とするのであり、それは「労農同盟」によってこそ達成されるのだ。46年に及ぶ三里塚闘争はその一方の軸であり、新たな情勢のもとで真価を発揮する時が来たのである。
農地強奪阻止する闘争陣形つくろう
3・25三里塚全国集会の課題は何か。
第一に、反原発闘争と一体のものとして、「国策」に対して農地死守を鮮明に掲げて闘うことである。斉田猛論文(本紙2526号)で明らかなように、第3誘導路の供用開始期限は来年3月だが、工事計画は大幅に遅れている。深夜の断続的な騒音が市東さんの生活を襲っている。断じて許してはならない。
市東さんの農地裁判では、取り上げ対象の畑の位置を特定する空港公団(現・成田空港会社)の唯一の証拠が偽造文書だったという決定的事実が暴露された。1989年12月の事業認定失効期限を前にして、公団はそれほどまでに追いつめられていたのである。だが、三里塚の裁判は反原発裁判と同じ「国策裁判」だ。この地平を勝利に結びつけるために、法廷闘争を決戦的に闘いぬかなければならない。
第二に、TPP・新自由主義農政との闘いである。日帝・資本のTPP推進勢力は、韓米FTAの「韓国に負けるな」などと叫んでいるが、とんでもない。韓米FTAの毒素条項は投資家・国家訴訟のISD条項のみならず、一度規制を緩和したら元に戻せないラチェット条項や未来最恵国待遇など十指に余る。それゆえ韓国の労働者・農民は交渉過程から批准・発効阻止へと、激しい実力闘争を闘っている。TPPは現在、交渉9カ国の事前協議が進められているが中身は隠されたままだ。農民反乱は不可避であり、「復興特区」攻撃はこれと一体だ。被災地の農漁民・労働者ととことん連帯して闘おう。
第三に、新自由主義の航空政策との闘いである。三里塚闘争はこれに立ちはだかり、アジア勢力圏化のための第一級のインフラの完成を半世紀近くにわたって阻止している。2009年10月の航空政策の大転換(羽田国際化)が意味したことは、成田空港のアジアハブからの陥落である。アジア、世界の労働者・農民と連帯し、日帝のアジア侵略と勢力圏化を阻止しよう。
第四に、朝鮮侵略戦争の切迫情勢と資源争闘戦としてますます強まるPKO(国連平和維持活動)による成田軍事化との闘いである。南スーダンPKOで、車体に「UN」(国連)と書かれた戦闘車両(米陸軍の高機動車両ハンビーの日本版)が成田市内を白昼公然と走り抜け、空港物流センターに搬送されるという決定的な映像が収録され公開されている。空港からは世界最大の輸送機・アントノフ124が数波にわたって戦闘車両や軍事物資を搬送している。こうした民間空港を使ったチャーター機による兵士や軍事物資の搬送は、いまや米軍世界の常識だ。成田は軍事空港であり、暫定滑走路と農地取り上げはそのための攻撃である。辺野古新基地建設を阻止する沖縄の闘いと連帯して闘おう。
最後に、市東さんの農地死守の決戦は、日帝・国家権力との体を張った正面戦だ。その勝利の力はプロレタリア革命に向かう労働者と農民、学生、市民など、全人民総決起による非妥協的な実力闘争である。「労農連帯」の旗のもと、戦闘的な労農学と、幅広い市民階層との連帯を推し進めることである。故・鈴木謙太郎さんの遺志を引き継ぎ、3・25三里塚集会に大結集しよう。
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週刊『前進』(2528号4面2)(2012/03/19 )
“労働者民衆に力あり”
国際婦人デー関西集会 橋下打倒へ戦闘宣言
3月7日夜、エル大阪で、婦人民主クラブ全国協議会・関西ブロックと関西労組交流センター女性部共催の「2012年3・8国際婦人デー集会」が開催された。「革命的大動乱の今、労働者民衆に力あり!」「フクシマの怒りと結びつき、すべての原発を今すぐとめよう!」と100人が結集し、3・11福島県民大集会と3・18八尾北・西郡決戦に総決起することを宣言した。
スタンダード・ヴァキューム石油自主労働組合の市野瀬まち子さんの司会あいさつの後、婦民関西ブロック代表の山本美知子さんが基調報告を行った。「3・8国際婦人デーは革命の日。新自由主義は破綻し、人びとは世界中で決起している。ロシア2月革命を切り開いた女性労働者の闘いを甦(よみがえ)らせよう。国鉄分割・民営化と一体でかけられた男女雇用機会均等法攻撃こそ、労働者をオール非正規職化する新自由主義攻撃だった。女性労働者・労働者家族の決起が始まっている。婦民や女性部こそ出番だ! 橋下・道州制を階級的労働運動の拠点・八尾北・西郡に引きずり込み打倒しよう。3・11福島に結集し、再稼働阻止・全原発を廃炉へ。動労千葉や八尾北のような闘う拠点を各地に建設しよう」と訴えた。
福島現地からの訴えを、子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク代表の佐藤幸子さんが行った。「原発事故によって、命よりお金を大切にする国だったと思い知らされた。国が何もやらないので、自分たちで除染したが一定値以上は下がらない。除染は無理と私たちが思ったころに、国は除染をやりはじめ『大丈夫』『不安をあおるな』という。家庭、地域でバラバラに分断されたことが最大の被害だ。ネットワークを立ち上げ、子どもたちを放射能から守りたいという同じ思いの人がつながることができた。すべての原発をとめたい」と怒りと決意を込めて語られた。
「八尾北・西郡決戦アピール」を八尾北医療センター労働組合書記長・灰垣美佐子さんと家賃供託で闘っている2人の西郡支部の仲間が行った。3・18八尾北・西郡決戦に恐怖した八尾市と大阪地裁執行官による「3月14日強制執行」宣告を徹底的に弾劾した。「橋下、財界、国家権力による更地化攻撃に各地で怒りが沸き上がっている。国と八尾市は怒りの火に油を注いだ。ずさんなやり口の中に敵の破綻と私たちの勝利性がある。すべてを奪い返すため団結して闘う」
カンパアピ−ルの後、国労の富田益行さん、大阪市職の青年労働者、豊中保育事故処分撤回闘争当該の深町加代子さん、関西合同労組奈良支部、婦民神戸支部、全学連、東大阪市教組の教育労働者が、職場・地域・学園での闘いを報告した。橋下・道州制による解雇攻撃に対し「来るなら来い! 現場から団結を固めて闘おう」と戦闘宣言を発する熱気あふれる集会として大成功した。
(関西・K)
(写真 佐藤幸子さんの熱い訴えを受けて全参加者が原発廃止の決意を新たに【3月7日 大阪】)
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週刊『前進』(2528号4面3)(2012/03/19 )
女川原発再稼働とめよう
国際婦人デー宮城集会 福島の怒りとつながり
東北の国際婦人デー行動として仙台で3月4日、「子どもたちを放射能から守ろう! 女川原発の再稼動を止めよう! 私たちの力ですべての原発をなくそう! 3・4宮城集会」が開かれました(写真)。婦人民主クラブ全国協議会宮城支部とみやぎ労組交流センター女性部の主催で、55人が参加しました。仙台駅前のビル28階の会場から、3・11で更地になった沿岸部が広がっているのが見えます。
講師は、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」で『野菜カフェはもる』店長の陶山三枝子さん。高校生の子どもを持つ普通の主婦が、3・11以降なぜこのような活動をするようになったのかを語りました。高い放射線基準値を押し付けて「お母さんたちの気にしすぎ」「イライラが子どもにうつる」などとキャンペーンする福島県立医大副学長の山下や行政の対応に怒り、行動しないと子どもたちを守れないと立ち上がりました。そのお母さんたちが、野菜を扱うお店を作ろうと昨年11月立ち上げたのが『はもる』です。陶山さんは「福島の女たちは1年間でたくましくなった」「福島の事故をムダにしないでほしい」「女川原発を止めてほしい」「大学生や若者が行動してほしい」と訴えました。
さらに女川町議で女川原発反対同盟の阿部美紀子さんにお話いただく予定でしたが、お母さんが急逝され、メッセージでの参加となりました。町の建物の9割が消えた女川町で、狭い仮設住宅暮らしは高齢者には過酷です。集会では、津波で流された自宅跡に、流れてきたももひきに「すべての原発を廃炉に!」と書いて旗を立てた写真を紹介しました。
福島の診療所建設のアピールに立った事務局長の渡辺馨さんは、「診療所建設の目的は、先端医療で放射線被曝の治療をきわめることではなく、山下や行政が住民の怒りや不安を抑え込んで実験台にしようとするのに対し、これを許さない、人びとの拠り所をつくることだ」と訴えました。
会場からの意見は、仙台で子どもたちを放射能から守る闘いを始めたお母さん、仙台市職労の仲間、受験で来ていた沖縄の学生、経産省前に2週間座り込んだ婦民宮城支部の仲間、福島から参加した女性、学生など、盛りだくさんでした。カナダ在住で里帰りで仙台に来ていた女性は「今も福島にたくさんの人が避難せず住んでいて驚いた。まして子どもが30万人も……。なぜ、先進医療の日本で、診療所が必要なのか?」と率直な疑問を投げかけました。そして、海外にもカンパを呼びかけようと英訳を引き受けてくれました。
3・11から1年、福島の女性たちの闘いにガッチリつながって、原発を止めよう、資本主義を終わらせようと、決意を新たにする集会でした。
(投稿/青柳葉子)
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週刊『前進』(2528号4面4)(2012/03/19 )
3月6日〜12日
オスプレイ、本州に一時駐機検討/アフガンで米兵が銃乱射
●オスプレイ、本州に一時駐機検討
米軍普天間飛行場に10月配備を予定している垂直離着陸輸送機MV22オスプレイについて、日米両政府が本州の米軍基地などに先行して一時駐機させる案を検討していることが分かった。普天間配備前に安全性をアピールするのが狙い。キャンプ富士(静岡県御殿場市)や岩国基地(山口県岩国市)などを想定し、7月にも一部を駐機する方向だが地元の反発は必至だ。(7日)
●労働者派遣法改定、今国会で成立へ
労働者派遣法改定案が衆院厚生労働委員会で可決された。8日の衆院本会議で可決され参院での審議を経て今国会で成立する見通しだ。民自公3党による修正合意で、製造業派遣や登録型派遣の原則禁止規定などは削除され労働者派遣制度の規制強化は大きく後退している。(7日)
●自衛隊、米比共同演習に初参加へ
防衛省は、4月16〜27日にフィリピン・マニラで開かれる米比共同演習「バリカタン」に自衛隊が初参加すると発表した。佐官級3人を派遣し、マニラ近郊で大地震と大津波が発生し、各国が部隊を派遣するという想定の指揮所演習などに参加する。(8日)
●警察庁、災害時の「即応部隊」新設
警察庁は、災害時の警察の対応方針を決め公表した。東日本大震災における活動を検証し、見直しを進めていた。新設される「災害派遣隊」は救助や捜索、緊急用道路の確保を担う「即応部隊」(約1万人)と防犯パトロールや被災者の相談対応、前線部隊の食料や宿泊施設確保を担当する「一般部隊」からなる。(8日)
●1月の経常収支、最大の赤字 日本の1月の経常収支(速報)が4373億円の赤字となった。経常赤字はリーマン・ショック後の09年1月(1327億円)以来で、赤字額は比較可能な85年以降で最大。財務省が国際収支統計として発表した。(8日)
●米海兵隊、一部岩国移転を再打診
在日米軍再編見直しに関する2月下旬の日米協議で、米側が在沖縄米海兵隊のうち、第1海兵航空団司令部の約1500人を米軍岩国基地(山口県岩国市)へ移転させる案を再び打診していたことが分かった。日本側は重ねて拒否を表明、沖縄残留にも難色を示した。山口県の二井関成知事も、あらためて移転拒否の考えを表明。(9日)
●「君が代」不起立で大阪府17人戒告
2月末までに大阪府立高校14校の教員17人が職務命令に違反して不起立だったとして、大阪府教委は全員を戒告処分にしたと発表した。処分通知書を渡した後、全員に約30分間の研修を実施、「今後は上司の職務命令に従う」という誓約書に署名・捺印(なついん)を求めた。(9日)
●アフガンで米兵が銃乱射、16人死亡
アフガニスタン南部カンダハル州で駐留米兵が基地外で民間人に向かって銃を乱射、子どもや女性を含むアフガン人の16人が死亡した。アフガンに展開する国際治安支援部隊(ISAF)はこの米兵を拘束したと発表。コーラン焼却事件で高まっていた反米感情がさらに増幅するのは必至だ。(11日)
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週刊『前進』(2528号5面1)(2012/03/19 )
全面外注化粉砕・非正規職撤廃と野田政権による原発再稼働阻止へ
国鉄闘争全国運動の大前進を
3・11から1年、あらゆる制動と分断を超えた歴史的闘争として「原発いらない!3・11福島県民大集会」が、郡山市に1万6千人の労働者・学生・農漁民・市民を大結集してかちとられました。またこの福島現地の闘いを最先頭に、全国、全世界で労働者人民が「原発なくせ!」と立ち上がりました。この3・11福島の感動的高揚を切り開いた力は、国鉄を先頭に労働組合が外注化阻止・非正規職撤廃の闘いと同時に、反原発を真っ向から掲げ、組合旗を林立させ総決起したことです。さらに3・24反原発大行動(日比谷野音)と3・25三里塚闘争に決起し、4〜6月国鉄決戦勝利へ進みましょう。
階級闘争の新時代を開く
3・11県民大集会で登壇し発言した鈴木美穂さん(高校2年生)は、「原発がなければ、津波や倒壊による被害者を助けに行けました。人の命も守れないのに、電力とか経済とか言っている場合ではないはずです」と、怒りを込めて訴えました。3月11日、続々と詰めかける参加者に、急きょ外野席を開放するほど高揚した郡山開成山野球場には、福島県民の真に根底的な怒りが響き渡りました。
3・11大震災は、死者1万5854人、今なお行方不明者3155人、避難者34万3935人に及ぶ空前の大災害となりました。岩手・宮城・福島の地元紙が掲載した犠牲者名簿は計10面分にも及びますが、その一人ひとりと家族にそれぞれの人生があったのに、突然切断されたのが「3・11」でした。その1周年の日に、墓参もできない状況をつくり出しているのが原発大事故です。それは途方もない放射性物質を大地と海にまき散らし、人びとの生活と命、未来を奪っています。
ところが、これを引き起こした張本人の政府や東京電力など日帝支配階級は一切責任を取らないばかりか、労働者人民に一層の犠牲を強い、分断と搾取の攻撃を強めています。これに対し私たちはこの1年間、被災地の仲間を先頭に、総力で生きるための闘い、国鉄決戦と反原発闘争に決起してきました。
大恐慌と3・11情勢に立ち向かい、今、職場で闘っている階級的実践こそ、最末期帝国主義と新自由主義を打ち倒し、原発のない新しい社会を創造する闘いの過程そのものです。労働者と労働組合の根源的な力を軸に、プロレタリア世界革命に勝利していく決定的な飛躍点に、今、私たちは立っているのです。
原発絶対反対が共同綱領
3・11福島大闘争の歴史的な決定的勝利の意義はどこにあるのでしょうか。
第一に、「追悼」「復興」の名で押しつけられる闘いの圧殺攻撃を吹き飛ばし、福島・被災地を先頭に、この日を「怒りの日」「闘いの日」として打ち立てたことです。
被災者や家族同様の家畜を助けにも行けない、墓参もできない現実をつくった連中が責任を取らずに「追悼」を口にするのは、犠牲者への冒涜(ぼうとく)です。東電は労働者の税金から賠償補助として1兆7千億円もの公的資金を受け取りますが、被害者に支払われたのは4417億円です(3月6日)。「復興」を妨害し食い物にしているのは支配階級です。
彼らは「がれき処理」も本気でするつもりはなく、労働者分断の道具に使う一方、陸前高田市長が「地元にさせてくれ」と言っているのも拒否し、例えばゼネコンの鹿島に石巻のがれき処理だけで2千億円が渡っています。これが「復興予算」の正体です。
この支配階級を脇から支えるすべての体制内勢力と対決し、団結し粘り強く闘ってかちとったのが3・11県民大集会です。
この日のデモで、NAZENとともに闘った原発いらない福島の女たちの椎名千恵子さんは「女たちの力で今日の集会名称に『原発いらない』を入れて本当によかった。日々闘ってかちとっていかなければ『原発いらない』は続いていかない。つながって世界を変えていきましょう」と訴えました。デモ終了後の総括集会では、子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク代表世話人の佐藤幸子さんが「福島から発信した声が日本中を変えます。みんなでつながれば大きなことができます」と勝利を宣言しました。
第二に、「3・11」1周年のこの日、「原発再稼働絶対阻止、すべての原発を今すぐなくそう」という絶対反対の道が、全労働者人民の「共同綱領」になったことです。
作家の大江健三郎さんは、「原発事故を絶対になくすことができるか。できます。この国の原発すべてを廃止すればいい。そうすれば、私たちや私たちの子どもたちが原発の事故により放射能の害をこうむることは絶対にない」と言い切り、福島の農漁民や母親は「人間と原発は共存できない」「『がんばろう日本』ではなく、『変えよう日本』。今日をその転換点にしましょう」と訴えました。実質的に革命による原発廃炉の道が示されたことは、実に感動的でした。歌手の加藤登紀子さんのオープニングコンサートも全参加者の心をひとつにしました。
第三に、労働運動の再生こそが「再稼働阻止・原発即時廃止」を実現する根源的な力であることがはっきりさせられたことです。
郡山開成山野球場には労働組合の旗が林立し、集会の進行・運営をすべて地元の福島県教組などが担いました。労組が軸になり、そのもとに農漁民・市民がどんどん結集する一種のソビエト的な闘いが実現しました。
さらに国労郡山工場支部の闘いが決定的でした。郡山工場は国鉄時代以来、鉄道にとっても社会にとっても大きな存在で、ここの国労支部が全国の国労地方本部に3・11結集要請を出して勢いある情勢をつくり出し、県教組や自治労とともに最先頭で闘いました。
反原発闘争が外注化阻止・非正規職撤廃の国鉄決戦と一体化した時に大前進することを、事実をもって示したのです。
実際に今、原発再稼働攻撃の最前面に立っているのは、政府と完全に一体となったJR会社です。次期東電社長説も浮上するJR東海会長・葛西敬之(原子力損害賠償支援機構運営委員)などは、「国鉄改革と分割・民営化の経験に基づけば」として、東電から原発事故責任を切り離す組織区分けをせよと主張しています(日経12・16付)。大飯原発再稼働を地元自治体にのませるための北陸新幹線敦賀延伸でもJRが暗躍しているのです。「がれき処理」もJR貨物会社が狙っています。
第四に、3・11の大勝利を切り開いたのは、本紙の新年号アピールで提起した路線の力だったということです。そしてこれを全党の先頭で実践してきた東北地方委員会・福島県委員会の闘い、その変革と飛躍の苦闘です。また同時に、全学連の学生の奮闘、とりわけ福島大学における闘いの画期的な前進です。
これに応え、「福島とつながろう!」を合言葉に、全国から総結集したのです。
6・10国鉄集会の大成功へ
新しい時代、新しい闘いが始まりました。反原発闘争、被災地の闘いはこれから本格的全面的に拡大していきます。愛する者を失った人が、1年目のこの日を静かに過ごしたいというのは当然の気持ちでしょう。しかし今は怒りを我慢して抑えているからこそ、その爆発はより根底的になります。誰もが必ず立ち上がるということです。立ち上がる喜びを知っている歴史的存在、それが労働者階級です。
だからこそ、どういう路線で組織し闘うのかが決定的なのです。外注化阻止・非正規職撤廃の要求と怒りを労働組合に組織し、動労千葉を支援する会に組織しましょう。何よりも6・10大集会に向けて国鉄闘争全国運動の前進を全力で切り開きましょう。
3・11の地平を発展させ、福島診療所建設運動で闘いの拠点をつくりましょう。3・11県民大集会は、被災地を先頭とした怒りを解き放ちました。この道を行けば原発はなくせると誰もが確信しました。決定的です。
3・24反原発大行動と3・25三里塚闘争に、さらに勇躍決起しましょう。4月から6〜7月へ、6・10国鉄闘争全国運動大集会の組織化と成功に一切の軸をすえきって、国鉄決戦と反原発を決意も新たに闘い抜こうではありませんか。
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週刊『前進』(2528号5面4)(2012/03/19 )
3・11福島県民大集会 集会宣言(抜粋)
あの忘れられない3月11日から1年がたちました。
原発の大事故が、どんな災厄をもたらすものか、私たちは初めて、身をもって知らされました。1年経っても、15万もの人々が県内外に避難しています。農地の除染の見通しはたたず、漁業はいまだに操業の自粛が続いています。
除染によって生じる汚染土壌や瓦礫などと隣接して暮らさなければならないのは、福島県民にとってあまりにも理不尽かつ過重な負担と言わなければなりません。
耐え難いのは、住民同士の間で生まれているさまざまな分断と対立です。避難する人としない人との間に、あるいは家族の中にすら、溝が生まれています。また農家は汚染の少ない農産物を作ろうと懸命に努力しますが、消費者は不安でなかなか福島県産の食べ物には手がでません。「人間の絆」を、ズタズタに裂いてしまっているのがこの放射能災害です。
チェルノブイリを他山の石とすることに失敗し、みずから被災者となるという痛恨の事態を招いてしまいました。
今回の事故の責任を担うべきは、いうまでもなく東京電力と国です。
電力会社と国が今、しなければならないのは、事故の収束と被害の補償、そして地域の復興に全力を挙げることです。ところが東京電力はむしろ損害賠償の範囲をできるだけ狭くすることに力を注いでいます。また国は、停止中の原発の再稼働を図っています。
事故の被害がすでに過去のものになったかのように扱われるのは、何よりも耐え難いことです。原発災害はいままさに進行中であるばかりでなく、避難している県民の苦悩は日々その度合いを加えているのです。被災地への帰還に一体何年かかるのか。放射能による健康被害への不安、差別への不安もつのります。
「原発はいらない!」これは、みずから被害者となった福島県民の痛切な叫びです。私たちは大量の電力を消費することで、確かに、見かけ上は豊かな生活を営んできました。しかしそれがこれほど巨大な危険の上にしか成り立たない豊かさだとするなら、私たちは自らの生活の質を変えてでも、その危険を避けなければならない。
福島県では議会も知事も、県内の全ての原発を廃炉にすることを求めています。原子力施設をかかえる全国の地域住民および地方自治体に呼びかけます。福島の惨禍は、明日のあなたがたの地域の惨禍になる可能性が十分にあります。
とりわけ首都圏の皆さんに訴えます。福島原発は東京電力の原発です。その福島原発は、私たちの力で何としてでも全て廃炉に追い込みます。しかし、原子力発電の興廃の鍵を握っているのは、電源立地地域だけではありません。電力を大量に消費する大都市住民の「生き方」が正面から問われているのです。
「原発はいらない!」私たちはいま、全国民に向け、高らかに宣言します。広範囲に取り返しのつかない被害を及ぼし、人々や地域から未来を奪ってしまう放射能災害を、二度とこの国土に招いてはなりません。福島の犠牲を断じて無駄にしないために、ともに「原発はいらない!」の声を大きく挙げましょう。
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週刊『前進』(2528号5面2)(2012/03/19 )
動労千葉 銚子地区で総行動
地方切り捨てるJRに怒り
動労千葉銚子支部の呼びかけで3月10日、銚子地区総行動が行われた。厳しい寒風と雨の中、動労千葉の各支部代表、動労千葉を支援する会、全学連など100人が結集して闘い抜いた。
午後1時、横断幕を広げて銚子駅前でアピールを開始した。妨害に出てきたJR千葉支社の管理者を跳ね返し、「銚子運転区廃止反対! ローカル線切り捨てを許さないぞ!」とシュプレヒコールをたたきつけた。
その後、市内の勤労コミュニティセンターで銚子地域集会が開かれた。
銚子支部の渡辺靖正支部長は主催者あいさつで、昨年11月以来の指名ストと並行して地域の労組まわりや周辺駅でのビラまき、対行政要請行動などに取り組んできたことを報告し「人事権を盾にしたJRによる組織破壊攻撃を許さず闘う」と決意を述べた。
本部の田中康宏委員長は、次々とローカル線を切り捨て地域経済を破壊するJRを弾劾し、「昨年来の基地統廃合反対の闘いによってJR千葉支社も悲鳴を上げ始めている。検修業務の外注化反対の闘いと結合し、団結を固めて12春闘を闘い抜こう」と訴えた。
地元からの来賓あいさが大変印象深かった。
銚子市議会議員の加瀬庫蔵さんは「かつて地方都市には3公社5現業の職場があり、そこに就職すれば一家が養えた。銚子には、私が働いていた銚子無線局を含め三つの電電公社の職場があり、約600人、家族を入れたら3千人が生活していた。これが一気になくなった。今は仕事があっても非正規職。これで地域経済が疲弊しないわけがない。今回の運転区廃止問題は地方都市の存亡に直結している」と危機感を込めて発言した。
前銚子地区労議長・金秋睦夫さんは「歴史をひもとけば笑い話のような話がある。かつて第1次世界大戦時に鉄の需要が高まる中、銚子電鉄はレールをはがして軌道敷の鉄を売ってしまった。その時も地域で大闘争が起きた。JRも金もうけになるならレールさえ売りかねない。労働組合や市民グループが、ローカル線廃止反対で頑張りきれるか、『ここまできたらしょうがない』と下がってしまうのか。ここが分かれ目だ」と、ともに闘う決意を示した。
集会終了後、参加者は銚子運転区の庁舎門前に移動、シュプレヒコールを上げ、組合員が次々とマイクをとって門前に居並ぶ管理者を弾劾した。
この日の行動に駆けつけた三里塚反対同盟の伊藤信晴さんもマイクを取ってエールを送った。
この日の闘いは、動労千葉の一糸乱れぬ団結の力をJR資本にあらためて示すとともに、闘う労働組合が軸になることで社会に渦巻く怒りをひとつに結集し、解き放っていく可能性を示した。
銚子総行動を貫徹した動労千葉は、翌日の福島県民大集会にも各支部代表を派遣し闘い抜いた。
(写真 妨害に出てきたJR千葉支社の管理者を跳ね返し、「運転区廃止反対! 地方切り捨てを許さないぞ!」と怒りのシュプレヒコール【3月10日 JR銚子駅前】)
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週刊『前進』(2528号5面3)(2012/03/19 )
全面外注化を打ち破ろう! 新自由主義との対決(2)
雇用と賃金破壊する外注化
「9割非正規職化」のためにフルアウトソーシング駆使
95年日経連報告と一体で急加速
「アウトソーシング」の語は、日本では1990年代前半から使われるようになった。例えば、メーカーが中心的業務である製造業務に集中するために経理業務(部門)を外部委託する場合などにこの言葉が使われた。
アウトソーシングの考え方は、当初はITシステムの分野で発達した。米国ではイーストマン・コダック社が89年に社内情報システムの運用をIBMにアウトソーシングし、同時に自社のシステム部門をIBMに丸ごと売却して話題になった。
だが近年では開発・生産・営業・物流・人事・経理・購買など、あらゆる業務の外部委託が進みアウトソーシングの言葉が用いられる。すなわちアウトソーシングの基本理念・核心はフルアウトソーシングにある。
アウトソーシングは、偽装請負と失業が直ちに問題になる。
米国では情報産業部門が海外へアウトソーシングされた。英語が公用語で低賃金のインドへの業務委託が急増した。日本では偽装請負問題がクローズアップされたが、米国では失業問題に直結し04年の大統領選挙の大きな争点となった。
日本ではアウトソーシングの考え方は、97年のアジア通貨危機や、山一証券や北海道拓殖銀行など大手金融機関が次々倒産した頃から拡大した。
村上世彰が通産官僚時代に『アウトソーシングの時代』(日経BP社)を刊行したのも99年だ。
村上は「アウトソーシングは産業組織の米」と主張し、系列会社への発注や派遣労働者への置き換えという次元ではなく「フルアウトソーシング」を提起した。労働者も設備も含めてある部門を丸ごと外注会社に委託することを説いたのだ。
村上は、コスト削減を目的とした活用(第1段階)、専門性を持った外注会社の育成・役割分担(第2段階)、「資産を持たない経営」の実践(第3段階)とアウトソーシングの段階的整理を行い、「アウトソーシングの真の効用」は終身雇用や年功賃金などの戦後的労資慣行を破壊することにある、とその反動的理念を述べている。“部門丸ごと業務委託するフルアウトソーシングで労働者を転籍に追い込め”と言うのだ。逆に言えば、ここを突破しなければアウトソーシングはうまくいかない。
日経連は95年に「新時代の『日本的経営』」を発表した。労働者を「長期蓄積能力活用型グループ」「高度専門能力活用型グループ」「雇用柔軟型グループ」の3グループに分け、労働者の9割を非正規雇用化することを打ち出した。その最終兵器がフルアウトソーシングだった。
工場丸ごと出向・転籍させた東芝
実際に90年代後半からフルアウトソーシングを核とする激しい資本攻勢が始まった。
例えば東芝は99年、労働者6000人の合理化計画を発表。エアコン製造を主力とする静岡富士工場をアメリカのキヤリア社と合併させ新会社に移行させた。その手法は次のとおりだ。
まず工場内に別会社を設立、55歳以上の労働者を出向させ、1年後に転籍。賃金はそれまでの年収の70%に減額、中間管理職70人を削減した。55歳以下の労働者は、東芝キヤリア社に出向させ3年後に転籍させた。既成事実をつくりながら転籍を迫るやり口だ。最終的には富士工場全体を東芝から切り離し2500人全体を出向・転籍させたのだ。
日本共産党がこの問題を国会で質問し大問題となった。労働基準局長は「もし、労働基準法、人権の問題があれば、適切な対応をとる」「転籍は元の労働契約関係を終了させて新たな労働関係に入るわけだから、労働者の同意が必要である」と答弁した。
丸井は在籍社員の95%を転籍
百貨店の丸井は03年、管理職以外の社員ほぼ全員6500人を子会社に転籍させ、40歳以上の労働者を中心に700人以上を「希望退職」に追い込み、大幅な賃金改定を行った。丸井の各ショップで働く労働者は丸井には属さず、取り扱い商品やサービスに応じた販売子会社から「派遣」される形になった。
在籍社員の95%を子会社に転籍させて人件費を大幅に切り下げた丸井のアウトソーシングを株主や財界は高く評価、小売業界の注目も集めた。だが、出向・転籍を繰り返す雇用形態変更や、それに伴う人事・賃金制度の度重なる変更による混乱、完全成果型賃金体系によって経験豊かな社員の大量退職を招いた。
丸井は、日本で初めて月賦に「クレジット」の名称を付けて販売を拡大した月賦百貨店だ。カード事業にのめり込んだ丸井の成果型賃金は、カード新規勧誘数で評価された。従業員はノルマ達成のために無職者や学生などにも安易に発行。丸井カードは、キャッシングにも使え「小売業の顔をした消費者金融」とまで言われた。貸金業法改正でグレーゾーンの高金利が廃止され、荒稼ぎしてきた過払い利息の返還請求に備えて昨年3月期決算では470億円の特別損失を計上している。
さらに丸井本体と各販売子会社とのアウトソーシングの実態は、販売社員に対し、丸井本体の管理職が直接指揮命令を行う偽装請負だった。
こうした転籍問題によって現場の労働者の労働意欲は著しく弱まり、丸井は販売力を大幅に低下させたと言われる。丸井は、多大な時間と資金を浪費し、消費者の信頼を失い、大きな損失を被った。現在は、持株会社の丸井グループに再び人員と雇用を集約し、上述の旧販売子会社をもととする社内カンパニーで勤務する形態となった。同業他社で丸井に追随した企業はなかった。
労働者の雇用や賃金だけでなく、労働意欲や安全、企業モラルまで、すべてを破壊するのがフルアウトソーシングだ。これがJR東日本の全面外注化の基本思想だ。
だが上述のように、外注化とは、法律上も、職場の実態としても矛盾に満ちている。しかし、それしか活路がないところに資本の危機がある。
東芝や丸井の例もそうだが、労働組合の合意と協力によって初めて全面外注化の矛盾と弱点は隠蔽(いんぺい)される。動労千葉のように労働者が団結を守り抜き、違法や不正義を徹底的に暴き、その矛盾と弱点を攻勢的に突いて闘えば外注化攻撃は粉砕できる。
(江崎祐人)
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週刊『前進』(2528号5面5)(2012/03/19 )
【要項】 鈴コン分会闘争支援3・24連帯集会
不当解雇撤回! 非正規職撤廃!
鈴コン分会闘争支援3・24連帯集会
と き 3月24日(土)午後6時30分開会
ところ 赤羽会館4階小ホール(東京都北区赤羽南1-13-1、JR赤羽駅東口徒歩5分)
呼びかけ 合同・一般労働組合全国協議会/一般合同労働組合東京西部ユニオン/西部ユニオン鈴木コンクリート工業分会
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週刊『前進』(2528号6面1)(2012/03/19 )
西郡住宅闘争 “強制執行 阻止したぞ”
団結の力で執行官らを撃退
(写真 強制執行を撃退したぞ! 岡邨支部長を先頭に、結集した西郡支部員、八尾北労組、共闘の労働者が村内で街宣【3月14日 八尾市】)
「絶対反対の団結の力で強制執行を粉砕したぞ! すべてを奪い返す新しい時代が始まった。一緒に闘いましょう」
3月14日、部落解放同盟全国連西郡支部の岡邨(おかむら)洋支部長の勝利のアジテーションが西郡のムラ中に鳴り響いた。この日、違法でデタラメな住宅明け渡し強制執行の手続きを行った高石貞大阪地裁執行官らが西郡住宅にやってきた。だが岡邨さんと闘う仲間の「強制執行粉砕!」の怒りのシュプレヒコールの迫力に打倒され、高石は強制執行の中止を宣言し退散した。大勝利だ。
110人の仲間が合流し構える
朝7時、41棟の自室で闘う岡邨さんの怒りと一つになって、強制執行に反対して休診している八尾北医療センターに、八尾北医療センター労組、全国連西郡支部、八尾北命と健康を守る会、労働者、全国連杉並支部、全学連の仲間が続々と結集した。
110人の隊列が41棟前で岡邨さんと合流し、”いつでも来い!”と構えた。
11時に高石執行官と八尾市代理人など15人が及び腰でやってきた。「強制執行許さないぞ!」――岡邨さんと闘う仲間は、声を限りに怒りのシュプレヒコールをたたきつける。この迫力に圧倒され、対峙してからわずか10分で高石と八尾市は強制執行の中止を宣言し、すごすごと退散せざるえなかった。
八尾市は、「2月20日までに鍵を持ってこい」と言っておきながら、2月17日に強制執行の申し立てをした。2月28日に住宅引き渡しの催告にきた高石執行官は、立ち会いをした岡邨さんの署名押印を忘れ、立ち会いをしていない「立会予定者」の雜賀某に署名押印させるという公文書偽造まで行って強制執行を行おうとした。
3・18全国闘争の爆発が、賃下げ・首切り・非正規職化に怒る八尾市職員や八尾市の全労働者と結びつくことを八尾市当局は恐れているのだ。
(写真 〈上〉来るなら来い!団地の4階自室で強制執行に待ち構える岡邨支部長〈下〉強制執行に来た執行官らと対峙しシュプレヒコールをたたきつける) “闘う誇りよみがえらせよう。
「強制執行来るなら来い!」という岡邨さんの絶対反対の闘いと団結の力の前に、八尾市はすでに敗北していた。西郡更地化・廃村攻撃をめざした3・14強制執行との闘いは、橋下・大阪維新の会の道州制・特区攻撃、改憲・労組破壊攻撃の土手っ腹を打ち抜いた。
3・14の勝利は、新自由主義の破綻点を広げ、権力の行使を阻止する力が、労働者階級の中にあることを示した。動労千葉の4・1検修外注化阻止の空前の勝利、圧殺攻撃をはねかえして大爆発した3・11福島県民大集会の大勝利に続く、3・14西郡強制執行粉砕の大勝利は、八尾北・西郡にとどまらず日本階級闘争が新自由主義をうち破る決定的地平を獲得した。
岡邨さんは「3月18日には、闘う仲間が全国からこの西郡に集まります。住民のみなさん、いっしょに闘いましょう。われわれが本当の主人公であることをもう一度、よみがえらせ、地区協=解同本部派、吉村一派をたたき出し、西郡のムラの団結をよみがえらせましょう。八尾北医療センター労組が全国に決起を呼びかけている。八尾北・西郡の闘いの中で『絶対反対』を取り戻したこの闘いこそが、八尾市・全国の労働組合に闘う誇りをよみがえらせていく。今日から新しい勝利の闘いが始まります」と高らかに宣言した。
3月18日、幸町五丁目第1公園に全国から結集し、道州制・更地化攻撃をうち破ろう。3・18全国闘争の爆発から、国鉄闘争全国運動を大前進させ、4〜6月国鉄決戦、反原発・反失業闘争の勝利へ闘おう。
(投稿/西郡支部・植村清)
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週刊『前進』(2528号6面2)(2012/03/19 )
「反原発」の高揚に焦り転び公妨で卑劣な弾圧
無実のA同志を奪還しよう
警視庁公安部は3月13日、東京都立川市内で、12年も前の旧運輸省幹部宅への徹底弾劾闘争を口実に、爆発物取締罰則違反なる罪名でA同志宅を家宅捜索するとともに、公務執行妨害罪でA同志を不当逮捕した。そして、あたかもA同志がその関係者であるかのような言辞をマスコミに振りまいた。
東京地裁は15日、A同志への勾留を決定した。絶対に許せない。
日帝・国家権力が行ったA同志への転び公妨弾圧と、事件を口実とした不法不当な家宅捜索を徹底弾劾し、絶対粉砕する。
今回の弾圧は日帝・野田政権の絶望的なあがきである。国鉄・反原発決戦のうなりをあげた猛進撃、動労千葉が4・1検修業務外注化を阻止し、反原発闘争は、3・11郡山に1万6千人の大結集をかちとった。福島の怒りの圧殺をとおして再稼働の道を押し開こうとしてきた野田政権に決定的大打撃を強制した。組合旗が林立し、母親たち、農民・学生・人民の団結した決起は”世の中を変えることができる””新自由主義を打倒できる”という感動、実感、確信を爆発的に生み出した。まさに歴史的な階級決戦の時代を押し開いた。わが隊列は、3・11の真に階級的勝利的高揚の責任党派として躍り出た。この3・11にまで上り詰めた攻勢、大高揚に対する追い詰められた反動こそが今回の3・13弾圧の本質なのだ。
新たな階級的激突攻防は2月23日、動労千葉運転士登用差別事件に対する最高裁の逆転反動判決に始まった。同じ事件に対し、同じ裁判長がまったく逆の反動判決を下す前代未聞の大暴挙。福嶋昌男同志に対するでたらめな3・5上告棄却決定。さらには橋下徹大阪市長を先兵とした西郡への住宅追い出し強制執行の攻撃。これらに続く今回のまったくのデッチあげ弾圧。しかし、闘いの前進を弾圧によって押しとどめることなど絶対にできない。
この3・13弾圧の当日、野田首相は原発再稼働を政治判断で強行すると宣言した。まさに、この宣言のために3・13弾圧が必要だったのだ。 ならば3・13弾圧を粉砕して原発再稼働に断を下そう。闘うA同志を奪還し、デッチあげを粉砕しよう。
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週刊『前進』(2528号6面3)(2012/03/19 )
上告棄却を弾劾する 被告団が声明
最高裁は、迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判における福嶋昌男同志の上告を3月5日に棄却(前号既報)したことに続き、14日には福嶋同志の異議申し立てを、申し立てからわずか1週間足らずで問答無用に棄却した。絶対に許すことはできない。3・5棄却決定に対して、福嶋同志本人と被告団の須賀武敏同志・十亀弘史同志・板垣宏同志が発した弾劾声明を紹介します。4人の被告と固く団結し、デッチあげ重刑攻撃を絶対に粉砕しよう。(編集局)
証拠評価から逃げ真実から逃げた最高裁に正義はない 迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧被告 福嶋昌男
私は3月6日、前日5日付の最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)による棄却決定理由を見、読んで怒りに身が震えた。わずか2nの棄却決定理由です。許し難い反動決定です。最高裁はまさに一片の通知で本件を棄却したのです。最高裁に正義はない。
さらに、この決定に対しただちに異議申し立てを行いましたが、たったの1週間で棄却しました。断じて許せません。
最高裁は私の無実・本件の真実から逃げている。私・弁護団の上告趣意書・補充書1、2、3は大部なもので、一審・二審の事実誤認を詳細に展開し、私の無実をあますところなく明らかにした。
しかし、最高裁は上告趣意書・補充書が「単なる法令違反、事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない」とむげに退けたのです。まさに、本件の「事実誤認の主張こそ」私の無実の中身を明らかにしているのです。
最高裁は、原審の誤り・事実誤認を訂正・判断するのでなく、一審・二審に追随している。まさに階級的弾圧そのものだ。許せない。
上告趣意書・補充書は、一審・二審の事実誤認を完膚なきまでに、メモの筆跡、指紋が私のものではないことを明らかにした。私の無実は不動です。私はメモを書いていないし、触ってもいない。
最高裁の上告棄却決定は、逆に私の無実を鮮明にしています。最高裁は証拠の評価から逃げて、「上告理由に当たらない」の理由にならない一言をもって、真実から逃げたのです。
私は、一審・二審・最高裁との対決・勝負において、勝利者であることをはっきり宣言する。
福嶋昌男さんへの3・5上告棄却を許さず共に闘い抜く 迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧被告団 須賀武敏・十亀弘史・板垣宏
3月5日、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は、福嶋昌男さんの上告を棄却する反動決定を行ないました。
私たち迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧被告団の3人(須賀・十亀・板垣)は、同じ被告団の同志である福嶋昌男さんへの上告棄却決定を満腔(まんこう)の怒りをもって弾劾します。
福嶋さんは、迎賓館・横田の両事件にいっさい関与していません。本件は、私たちの無実を百も承知で権力がデッチあげた治安弾圧としての冤罪事件です。最高裁はその権力の一翼として、福嶋さんについて「中核派なら無実でも有罪」としたのです。
福嶋さんは、2度の「有罪」判決に激しい怒りを燃やし、全力で上告審闘争を闘い抜いてきました。福嶋さんは、通常の上告審の限界を突き破って、あらゆる論点について完全に攻勢的な闘いを前進させてきました。上告趣意書、1次、2次、3次と重ねた上告趣意補充書の闘い。そして、さらに、4通目の補充書の準備を固め、最高裁にその提出を予告していたのです。
福嶋さんと事務局の同志の決して屈することのない、憤怒と創造力に満ちた闘いは、権力を追い詰め、控訴審判決以来実に4年間にわたって、最高裁第二小法廷を震撼(しんかん)させ続けて来ました。そして福嶋無実は一層鮮明になりました。その闘いはさらに、労働者、市民の間に新たな連帯闘争の広がりを実現させつつあったのです。
今回の上告棄却決定は、福嶋さんの無実を熟知したうえで下獄させる、さらなる権力犯罪です。それは、闘いの前進への、まさしく暴力的な反動以外ではありません。私たちが最高裁を追い詰めていたのです。
福嶋さんに対する決定は、同時に、私たち3人が進めている控訴審闘争を圧殺しようとする意思を含んでいます。そのことは、5月15日を第1回とする差し戻し控訴審公判闘争への私たちの闘志を激しくかき立てます。私たちは、控訴審闘争において、差し戻し一審の「有罪」判決を必ず覆します。
私たち被告団の闘争に敗北はありません。いかなる決定があろうと、無実という真実は揺らぐことはありません。福嶋さんは勝利し、勝利していたからこそ、最も卑劣な弾圧を受けたのです。
本件について裁判所が「有罪」を判決する階級的な意思の核心は、迎賓館・横田闘争への報復にあります。すなわち革命的闘争に対する司法権力による直接の反革命です。そうであれば、一層の革命で応えればいいのです。
革命闘争は、いま大きく前進しています。団結は、一気に広がっています。
私たちの闘いは、すべての原発を廃炉にする闘い、基地と戦争のいっさいを無くす沖縄の闘い、なによりも階級的労働運動と一体です。
福嶋さん、そして私たち3人は、新たな闘いに強く踏み出します。共に闘いましょう。
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週刊『前進』(2528号6面4)(2012/03/19 )
団結ひろば 投稿コーナー
3・11郡山集会に参加して 県民の訴えに鳥肌が立った 四国 NAZEN会員
私は、NAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議)の仲間とともに、3月11日に福島県郡山市で開催された『原発いらない!3・11福島県民大集会』に参加しました。
一番印象に残ったのは福島県民の訴えです。6人の訴えを聞き、まず私は違和感を感じました。というのは、故郷で日常生活を送ることができていることが、今の私にとって当たり前だからです。でも、当たり前の日常生活を送ることができている私がどんなに幸せであるかを、その訴えを聞いて身震いするほど感じました。鳥肌が立ちました。決して寒さのせいだけではありません。
もし1万6千人の前で思いを訴えられた方たちのように、ある日突然、私の故郷での日常生活が奪われたとしたら、たまったものではないと思いました。到底、受け入れられるものではない。
私は、周りからよく「怒ったことあるの?」と聞かれることがあり、私自身も感情のない人形みたいだと自覚しております。しかし、私の故郷での日常生活が奪われたとしたら、おそらく人形になれない。球場に響き渡った6人の訴えを聞いた時に、すごくリアルに私の”もしも”を想像してしまいました。その、もしもの状況になれば気が動転し、怒りたける猛獣になるでしょう。
今回、現場を体感し、現場にぶつかり、そしてその現場の身になって考えることの大切さがわかったように思います。
3・11郡山集会に参加して 福島の怒りと心をひとつに K
開成山球場のスタンドは立ち見も含めてぎっしり満員。外野席も開放されました。会場には4大産別を中心に全国の労働組合の旗が林立し、国労郡山工場支部と福島県教組の旗がとりわけ誇らしく翻っています。野球場での集会は初めての経験だったけど、参加者全体に熱気があって、みんなすごく集中していて会場が一体感に包まれていました。
集会では「原発即時停止・再稼働阻止」の怒りが鮮明に。特に福島県民代表6人の発言はみんなすばらしかった。農民の方が「原発と農業、人間は共存できない、がんばろう日本ではなく、変えよう日本。今日をその出発点にしよう」と訴えていたのが印象的でした。
集会後のデモでは、沿道の商店や会社から多くの人が出てきて、デモ隊と思いをひとつにしました。中には「原発イラネー」というメッセージを掲げた店もありました。デモの中で、子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク(子ども福島)の椎名千恵子さんが「今日の集会で『原発いらない』をスローガンにできて本当に良かった、世界を変えていきましょう」とアピールされたのが心に残りました。
3・11は闘う労働組合と福島の怒りがひとつに結びつき、「すべての原発を直ちに廃炉にしよう」「東電・政府・裁判所はすべての責任をとれ」「原発を止めて社会を変えよう」の路線が鮮明に打ち立てられたすばらしい集会になったと思います。
総括集会では子ども福島の佐藤幸子さんが「今日の集会の感動を地元に持ち帰ってください」と発言。プロレタリア革命の実現へ、反原発と労働組合の闘いを爆発させよう!と決意しました。
3・11郡山集会に参加して 主力を担った県教組に希望 東京 S
最近購入し自分で多少改造した放射線センサーを持参して参加しました。数値表示はなく、音と光で放射線の存在を知らせるシンプルなものです。
毎時0・07マイクロシーベルトの東京の私の住まいでは、これは1分間に15〜20回くらい鳴りますが、郡山市の会場周辺ではその4倍以上。近くの中学校の植え込みでは1秒間に十数回の検出で「ほぼ鳴りっぱなし」(!)の状態。単純計算で毎時4マイクロシーベルトぐらいあることになります。
でも街中の子どもたちはマスクもせず走り回り、車が行き来し、スーパーには買い物客、普段と変わらない日曜日です。避難しなければならない高線量地域なのに日常のサイクルは止められない。しかも、除染などという小手先の対策ではどうにもならない。こうした現実を見て、ちょっと途方に暮れました。
しかし、集会実行委員会の主力を担った福島県教組の力はすごいものでした。集会そのものの準備・運営にとどまらず、バス乗降所や駐車場の確保・案内、交通整理にいたるまで手配しきっていました。一度でも集会やデモを主催したことがあれば、その大変さが実感できます。原発事故と被曝の強制という二重三重に許しがたい現実に対し、労働組合が本気で動いて立ち向かう姿に希望を見いだしました。
放射能汚染隠すな!江戸川区で下町デモ 東京東部 北川海翔
稼働中原発が残り2基となる中、放射能を考える下町ネットワークは3月1日に「江戸川区は放射能汚染を隠すな! 下町デモ」を行い、30人が参加しました。
まず夕方の退勤時間帯に江戸川区役所前で街宣を行い、職員にデモへの参加を呼びかけ、新たなつながりができました。区はこれまで、まともな線量測定もせずに職員に保育園側溝の清掃をさせたり、「ホットスポット探しはしない」などと逃げ回ったりしてきました。今回の街宣に対して初めて「敷地内でビラをまくな」と文句を言ってきました。やはり直接行動を起こされると怖いのですね。責任追及をしなければなりません。
江戸川区役所からJR新小岩駅までのデモには街が驚き、大注目の中、沿道で500枚のビラをまききりました。飛び入り参加や、沿道を歩いてついてくる若者の姿も!
事前の打ち合わせで参加者からは、宮城県女川町(原発立地自治体)の震災がれきを東京都が受け入れ・焼却処理することへの怒りの声があがりました。本来なら被災自治体に下りるはずの処理予算を東京都が奪い取ってしまうので、広域処理はかえって被災地を苦しめます。被災地に施設を造らないから処理が進まないという事実を隠しての「広域処理推進キャンペーン」は許せません。
2日には中央区、19日には江東区の清掃工場でがれき受け入れ・焼却が始まりました。中央区では抗議行動が起きています。私たちも東京都知事・石原との闘いを開始したい。100年以上続く放射能汚染と闘える運動をつくりましょう!
「ミツバチの羽音と地球の回転」を上映 東京・杉並 C
福島原発の核爆発大事故への怒りは「静かに怒りを燃やす東北の鬼の魂」となって全国を駆け巡り、全原発の廃炉を実現する目前まで闘いが発展してきました。
ところで全国17地点で54基が建ち並ぶ日本列島ですが、いずれも激しい反対運動の末の54基です。実に26カ所で原発建設を実際に阻止し(再処理工場も4カ所で阻止した)、2カ所ではいまなお建設阻止闘争中です。そのひとつが中国電力上関原発(山口県)阻止闘争であり、瀬戸内海に浮かぶ祝島の闘いです。
2月に鎌仲ひとみ監督の「ミツバチの羽音と地球の回転」の上映会を杉並区内で行いました。予想を超えて180人が参加し、「すごい闘いだ!」「私たちも何かしなければ!」と感銘を与えました。
祝島では500人の島民が自給自足的な生活をし、9割の人が「上関原発を建てさせない祝島島民の会」に参加しています。毎週月曜日の原発反対デモは1000回以上続いているそうです。2008年10月、埋め立て許可を決めようとする町議会へは、漁業補償金5億4千万円を拒否した島民が駆けつけ傍聴を要求、県知事が埋め立て許可を出すとフェリーを満杯にして県庁に抗議行動に行く。2009年9月、中国電力が埋め立て用のブイ設置に動くと、30`離れた田名埠頭(ふとう)に出向き、陸での座り込みと海上ではモヤイで結束した漁船がいかりを降ろして工事船と対峙し激しく抗議をたたきつけ、工事を中止に追い込む。建設中止を求める全国から寄せられた61万筆の署名を経産省に届け、「お上(かみ)理不尽なり!」と怒りをたたきつける……。
この一歩も引かない結束と叫びは沖縄の辺野古の闘いを想起させます。そして、さながら「海の三里塚」です。
映画では、スウェーデンや青森の風力発電による試みも紹介されています。3・11が引き起こされたからこそ必見の一作と感じます。
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