ZENSHIN 2004/08/30(No2163
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週刊『前進』(2163号1面1)(2004/08/30)
普天間基地 即時撤去を
米軍ヘリ墜落・爆発事故弾劾、名護新基地建設阻止へ闘おう
日米韓連帯で11月労働者大行動へ
8月13日午後2時15分、沖縄・宜野湾市宜野湾の沖縄国際大学構内に米海兵隊大型輸送ヘリCH53Dが墜落・炎上する大事故が発生した。この事故は、米帝のイラク侵略戦争の泥沼化の中でイラクに出動する在沖海兵隊の演習激化に伴って発生した。今年5・16の普天間包囲行動に際して「いつ大事故が起きても不思議でない」と確認されたばかりだ。普天間基地はもはや一刻も沖縄人民と共存することができない。われわれは、今回の大事故を満身の怒りを込めて弾劾し、沖縄基地の撤去、普天間基地の即時無条件閉鎖、基地の全面運用停止を要求する。一切の責任が日帝・小泉の沖縄差別政策にあることを指弾し、追及する。普天間基地即時撤去・名護新基地建設阻止の闘いを全人民決起によって闘いとり、革共同の「8・1提起」を実践し11月労働者大行動へ進もう。(関連記事4面)
第1章 米軍の暴虐と地位協定容認する小泉
米軍ヘリ墜落は、住民の死傷者が出なかったのが奇跡的なほど、重大な事故だ。ヘリは回転しながら尾翼を落下させ、校舎に接触して墜落した。爆発音とともに地響きがし、炎が上がった。総重量20d、全長20bの巨大な機体が墜落・炎上し、その部品・破片が 周囲300b以上にわたって飛び散った。部品が民家のドアを貫通し、部屋を突き抜けるなどの被害が広範に発生した。建物17カ所、車両32台に被害が及んだ。
しかも、現場一帯は事故直後から完全に米軍の戒厳令的制圧下に置かれ、大学は立入禁止となり、沖縄県警も現場検証を拒否されるなどの異様な事態となり、報道も妨害された。もちろん、抗議の人びとも排除された。米軍は16日には大学構内の立ち木を勝手に伐採し、18日までに機体を運び去った。まさに、米軍は、イラクの戦場と同様に振る舞い、日米地位協定を盾にとって戦時の超法規的体制を暴力的に敷いたのだ。
米軍は、事故に対する住民の怒りに直面し、米軍が今や全住民の敵意に包囲されていることを感じ取って、武装して戒厳令を敷くことによってしか、基地を維持できなくなっている。まさに「基地と住民は共存できない」と米帝の側も認識しているのだ。
今回の事件は、沖縄人民に三つのことを思い起こさせた。第一は1959年の石川市・宮森小学校への米戦闘機墜落・生徒11人を含む17人の死亡事故。第二は1968年の嘉手納基地でのB52戦略爆撃機の爆発炎上事件。第三は1995年の少女暴行事件、そしてそれに対する10万人決起の県民大会である。
だが日帝・小泉政権は今回の事態に対し見せかけの「抗議」すらせず、米軍と安保・地位協定を完全に容認している。小泉に至っては連日映画だ、オリンピックだ、歌舞伎だと夏休みを続け、稲嶺沖縄県知事や伊波洋一宜野湾市長の面会要求さえ断っている有様だ。一切の責任は、これだけ基地の危険性が指摘されながら放置してきた日帝の差別的沖縄政策にある。
今、沖縄の怒りは沸騰している。昨年の宜野湾市長選での「基地全面撤去」を掲げた伊波洋一氏の勝利、普天間基地爆音訴訟の開始、今年5月の普天間基地包囲闘争と宜野湾市民の闘いは高揚してきた。普天間代替基地として策動された名護新基地建設に対して、ボーリング調査を阻止する辺野古の座り込み闘争が120日を超えて不屈に続けられている。
さらに、金武町のキャンプ・ハンセン内の都市型戦闘訓練施設建設に対する町ぐるみの闘いが連日続き、8日には金武町民が大挙那覇に進出して1200人の国際通りデモを敢行した。もう米軍基地とともに暮らす生活は我慢ならないという気運が巻き起こり、沖縄人民の闘いが攻勢に転じてきた矢先に今回の重大事故が発生したのだ。
加えて米軍の事故後の対応は、怒りの火に油を注ぐものだ。わが物顔に現場を封鎖し、住民を排除し、しかも15日には早々と基地の運用を開始し、飛行を再開するなど、徹頭徹尾傲慢(ごうまん)に振る舞っている。
8年前に「5〜7年で普天間基地返還」と「約束」されてから何一つ返還の動きはないどころか、訓練は激化する、爆音はひどくなる一方で、ついにはこの事故だ。もうこの現実は1日も許せない。「基地との共生」を容認してきた稲嶺知事でさえ「飛行停止」を求めざるを得ないほど、沖縄県民と米・日帝国主義との関係は絶対非和解である。
第2章 イラク侵略戦争と連動した沖縄基地
この事故は、イラク侵略戦争の泥沼化と一体であり完全に連動している。
イラクでは国民会議が15日開催を強行されたが、米帝の狙ったカイライ政権づくりの策動は完全に破産している。米軍のナジャフ攻撃に反対して会議から退席する代議員が続出し、収拾がつかなくなった。
一方で、米軍はナジャフのサドル派への無差別的な攻撃を強めた。これに対する怒りはイラク全土でわき起こり、それに対して米帝が無差別攻撃を加え、さらに戦闘が激化するという危機的事態が続いている。
このイラクにおける侵略戦争の破産、泥沼化と沖縄は直結しているのだ。追いつめられた在沖米軍はまったく余裕がなく、やみくもに演習を激化させている。ファルージャやナジャフでの無差別的な住民虐殺の担い手の先頭に立っているのは、沖縄から派遣された海兵隊である。その沖縄海兵隊の中心基地が普天間であり、日夜イラク人民虐殺のための訓練が行われているのだ。侵略戦争の訓練であるがゆえに、当然のように安全は顧みられず、絶えず事故の危険が伴っているのだ。米軍の中でも海兵隊の事故率が圧倒的に高い。
今問題になっている米軍の世界的大再編(トランスフォーメーション)は、米帝がイラク侵略戦争の継続・激化とともに、アジアを戦略的に重視し、北朝鮮・中国に対する侵略戦争のシフトを敷こうとするものである。米軍削減でも何でもない。在日米軍をアジア全域の司令塔にし、日本をハブ基地化するものだ。
陸軍第1軍団司令部をワシントン州から神奈川県のキャンプ座間に移す。第5空軍司令部(横田基地)と第13空軍司令部(グアム)を統合し、司令部を横田とする。横須賀基地を原子力空母の母港とし在日米海軍のハブ機能を強める。また、在沖海兵隊の一部を座間や静岡の富士に移すとも言われている。これらは在日米軍の圧倒的強化以外の何ものでもない。
しかもそれをあたかも沖縄の負担を軽減し、全国に機能を分散することが目的であるかのように宣伝しているが、それ自体とんでもないデマゴギーである。実際には沖縄基地を圧倒的に再編・強化することを基礎にして成り立っている米軍大再編なのだ。
1996年のSACO(沖縄にかんする日米特別行動委員会)路線は、県内移設による基地再編強化政策だった。それは普天間基地の名護への移設を中心とするものだったが、辺野古の新基地は完成まで早くて16年もかかり、問題にならないという現実が突きつけられてしまった。ラムズフェルド米国防長官は、名護新基地の非現実性をついて宮古・下地島空港を提供せよ、嘉手納基地を強化せよなどと提起し、沖縄基地の強化・永久化を要求している。日帝はあくまでもこれを支え、しかも辺野古での新基地建設も進めようとしているのだ。沖縄では、米帝の進める「大再編」を利用して、基地の縮小を実現しようという発想もあった。だがそんな幻想は吹き飛んだ。もはや米日帝の沖縄政策と正面対決し、米軍基地を力でたたき出すほかないのである。
一方で米帝は、アーミテージ国務副長官、パウエル国務長官の「憲法9条の再検討」発言に示されるように、改憲によって集団的自衛権の行使ができるように、という要求を強めている。それがトランスフォーメーションのもう一つの本質をなしている。いわゆる同盟関係の強化である。日帝を米帝の世界戦争戦略の中で全面的に動員していくということだ。
日帝・小泉はそれをもバネにして改憲(9条破棄)に突っ走っている。防衛大綱の見直しもその路線で進めようとしている。すなわち、日帝は米帝の北朝鮮・中国侵略戦争の策動に共同・競合して、有事法体制を発動しつつ自らも参加しようとしているのだ。
第3章 小泉=奥田路線に労働者の大反撃を
こうして、沖縄基地撤去・日米軍事同盟粉砕、日米帝の侵略戦争阻止に向けて、一切の幻想を突き抜けたところで人民が団結を固めて、本当に米軍基地をたたき出すのか、21世紀も同じ状態が続くのか、今や歴史の転換点に来ているのだ。闘いの方針は何か。
第一は、沖縄基地強化・日帝の沖縄差別との対決を軸に、これと結合して在日米軍基地の再編強化全体と闘うことである。すでに神奈川で開始されている闘いを強めよう。民族解放・革命戦争に決起するイラク人民と連帯し、安保粉砕、沖縄基地・在日米軍基地撤去のうねりをつくりだそう。
第二に、この闘いを労働者階級の闘いとして、労働組合運動を圧倒的に強化して闘うことだ。日韓米の国際連帯の階級的労働運動か、「国益」に縛り付けられた帝国主義労働運動か。この分岐・流動を推し進める大決戦として、日韓米の3カ国連帯闘争を強め、米帝ブッシュ打倒、日帝・小泉打倒の大行動へ前進しよう。動労千葉が民主労総、米ILWU(国際港湾倉庫労働組合)との連帯を切り開いていることに続いて、アメリカのMWM(ミリオン・ワーカー・マーチ)に連帯して闘おう。その力がすべてを切り開く。
第三に、日帝・小泉=奥田路線と対決し、「外への侵略戦争」と「内への階級戦争」との闘いを一体のものとして闘うことである。
教労戦線では、教育基本法改悪攻撃、6・3制の変更や教員免許更新制などの義務教育制度改悪の攻撃、東京都を先頭とする「日の丸・君が代」通達と処分攻撃などに対する闘いが一層重大化している。8・30都庁包囲闘争に決起しよう。
全逓戦線では、郵政民営化攻撃粉砕、闘う全逓の再生をかちとれ、の闘いが決戦を迎えている。大量首切りと労組解体のための公務員資格のはく奪が民営化攻撃の最大の狙いだ。
自治体労働者の戦線では、公務員制度改悪、指定管理者制度導入、民営化、市町村合併、人勧攻撃、有事立法・戦争動員との全面的な闘いとなっている。自治労大会攻防を闘おう。
国鉄決戦は最大の正念場を迎えた。国労大会決戦で、1047名闘争への大反動、早期闘争収拾=解体の路線を打ち破り、4党合意を推進し機動隊を導入して国労組合員を権力に売り渡した国労酒田執行部打倒へ決起しよう。
この4大産別決戦を軸に、すべての産別で労働組合運動の強化をかちとろう。11月労働者大行動の万余の爆発に向けて今秋闘争を全力で闘おう。
沖縄では、県民大会規模の闘いが設定されようとしている。9月5日、宜野湾市が中心となって現地大集会が行われる。戦闘的に闘いとろう。同時に、沖縄と連帯する本土・首都における闘いをつくり出そう。8月27日(金)午後6時半、東京・三河台公園で「米軍ヘリ墜落抗議・普天間基地返還要求集会」(辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会主催)が行われる。結集して闘おう。
8・1革共同政治集会で打ち出された、新指導路線の1年間の総括と労働運動・労働組合をめぐる1年間決戦を宣言した「8・1提起」で武装し、闘おう。マルクス主義青年労働者同盟1000人建設を突破口に労働組合運動の圧倒的強化と党建設を闘いとろう。
沖縄闘争スローガン
★米海兵隊輸送ヘリCH53の墜落・爆発事故糾弾! 米軍による事故現場の戒厳令的封鎖を許すな! 日米地位協定を盾にした実質的な有事法体制の発動を許すな! 一切の責任は日帝・小泉政権の沖縄政策にある!
★普天間基地即時撤去! 基地の運用を即時全面中止せよ! 名護新基地建設阻止・ボーリング調査阻止! 建設計画を白紙撤回せよ!
★在日米軍の再編強化阻止! 日米軍事同盟粉砕! 座間への第1軍団司令部移転阻止! 横田・横須賀などへの米軍中枢機能の集中を許すな!
★イラク人民虐殺をやめよ! イラク軍事占領をやめよ! ファルージャ−ナジャフにおける米軍の虐殺行為弾劾! イラク人民と連帯して闘おう!
★日帝・自衛隊は、直ちにイラクから撤兵せよ! 多国籍軍化粉砕!
★日米韓の3カ国の労働者階級の階級的連帯を強化し、米・日帝国主義の北朝鮮侵略戦争突入体制を絶対阻止しよう! 闘うアジア人民と連帯して決起しよう!
★階級的労働運動・労働組合運動の前進をかちとり、沖縄人民と連帯して闘おう!
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週刊『前進』(2163号1面2)(2004/08/30)
“今すぐ基地の閉鎖を”
8・16沖縄 ゲート前で緊急行動
普天間基地第2ゲート前での抗議集会には、「生命を脅かす基地を今こそ沖縄からたたき出そう」という強い決意と怒りがみなぎった(8月16日)
8月13日に宜野湾市の沖縄国際大学構内に米軍CH53大型輸送ヘリが墜落、爆発・炎上した。この事件に対する緊急抗議集会・デモが沖縄現地で闘われた。
16日の正午、普天間基地第2ゲート前で開かれた、沖縄平和運動センター・中部地区労の主催する抗議集会には、600人の労働者市民が詰めかけ、ゲートに通じる道路を埋め尽くした。集会には伊波洋一・宜野湾市長もかけつけ、「恐れていたことが起こってしまった。軍用機の事故は構造的なものであり、世界一危険な基地・普天間基地は撤去以外ない」と訴えた。
主催者として平和運動センターの崎山嗣幸議長、中部地区労の松田寛議長、連帯・決意表明として基地の県内移設に反対する県民会議の山内徳信代表、自治労、北部地区労・仲村善幸事務局長などが、異口同音に事件への徹底弾劾の怒りを表明すると同時に、普天間基地の即時無条件撤去、名護市辺野古への移設の白紙撤回を強く要求した。日米政府などへの抗議決議を採択し読み上げた後、全員で沖縄国際大学前の道路の封鎖地点までデモ行進した。
今回の事件は、県民に大きな衝撃を与えた。ヘリの乗組員米兵以外に死傷者が出なかったのはまさに奇跡的であり、時期が夏休み以外であるか、また墜落地点が数十b手前にそれるか、さらにまた弾薬を搭載しているかなど、そのどれか一つが該当しても、数十人、場合によっては数百人の死傷者が出ていたことは間違いない。誰もが死者17人を出した1959年の宮森小学校への米軍ジェット機墜落事件を思い起こして恐怖した。そして腹の底から怒った。
さらに人民の怒りを買っていることは、今回の事件が日米安保と地位協定の真の姿、5・15復帰の内実、沖縄の本当の権力者は誰であるのかをまざまざと見せつけたことである。
事件直後から米軍は、現場が民間地域であるにもかかわらず、日米地位協定を盾に一般市民はおろか沖縄国際大学関係者、警察・消防までシャットアウトし、現場付近の大学正門に通じる道路をも封鎖し続けた。マスコミの写真撮影までも威嚇し追いかけるなど、イラクで無差別虐殺に手をそめている米海兵隊の姿そのものだ。
日本政府(石破防衛庁長官)は今回の事件に、「普天間基地が危険なことが証明された。だから一刻も早く辺野古に移すために新基地建設を急ぐ」などと言って、県民の怒りを逆なでしている。断じて許さず、普天間基地撤去、名護新基地建設阻止へ闘おう。
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週刊『前進』(2163号1面3)(2004/08/30)
米大使館に抗議 全学連など
防衛庁弾劾にも100人
(写真左)米大使館に抗議の申し入れを行う全学連の大山委員長と都革新の長谷川英憲代表(8月14日)
(写真右)防衛庁・防衛施設庁への怒りのこぶしを挙げる抗議行動の参加者(8月16日 市ケ谷)
米軍ヘリ墜落事故に対し東京では、8月14日午後、全学連と都政を革新する会、全国沖縄青年委員会などが直ちにアメリカ大使館への緊急闘争に決起した。抗議団を代表して、大山尚行全学連委員長と都政を革新する会の長谷川英憲代表が、米軍ヘリ墜落弾劾と普天間基地即時撤去の申し入れを行い、警察の弾圧をはねのけて抗議のシュプレヒコールを貫徹した。
16日夕には、沖縄現地の闘いと連帯し、東京・市ケ谷の防衛庁・防衛施設庁に対する抗議行動が正門前で闘われた。「辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会」が主催し毎週月曜日に行われている行動に、この日は約100人が集まった。沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの上原成信代表が、この日昼、アメリカ大使館へ抗議を行ったことを報告、さらに怒りの発言が次々と続いた。そして、米軍と共同して沖縄基地強化を進める防衛庁・防衛施設庁を徹底弾劾した。
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週刊『前進』(2163号2面1)(2004/08/30)
国労大会を前に全組合員に訴える
1047名の団結固め鉄建公団訴訟に立とう
「解雇撤回」投げ捨てた酒田執行部は打ち倒せ
8月26〜27日の国労第72回定期全国大会(熱海・ニューフジヤホテル)は目前に迫った。この大会は、国鉄1047名闘争の早期収拾=解体へと突き進む国労本部=酒田・革同執行部と対決し、国労と国鉄闘争の再生をかちとるべき重大な決戦だ。酒田執行部は、昨年12月の最高裁反動判決に完全に屈服し、国鉄1047名闘争を一刻も早く敗北のうちに終結させようとたくらんでいる。それは、闘争団だけでなく、JR体制のもとで苦闘する本体組合員の闘いをも抑圧し、切り捨てようとする策動だ。国労の団結の最悪の破壊者こそ、酒田・革同執行部である。今大会を酒田執行部との断固とした対決を貫く場としよう。
早期収拾策動を粉砕せよ
酒田執行部は、国鉄闘争早期収拾=解体路線のもとに、闘う闘争団と全国労組合員を組み伏せ、動労千葉を排除することによって1047名闘争陣形を解体し、国鉄闘争を敵階級に売り渡そうと策している。
今大会の運動方針案からは、「解雇撤回・JR復帰」も「1047名闘争」も完全に消し去られた。国家的不当労働行為として強行された採用差別に対する怒りもなく、「JR不採用事件の早期解決」なるものが語られているだけだ。酒田執行部は最高裁反動判決を格好の口実に、「解雇撤回・JR復帰」を最後的に投げ捨てた。その執行部が唱える「早期解決」とは、闘争団にあきらめと屈従を強い、闘争継続を断念させることしか意味しない。
酒田執行部が全国代表者会議で出した「7・1アッピール」は、「第72回定期全国大会を総団結・総決起する歴史的大会にする」と叫んでいる。JR資本と国家権力に全面投降した酒田・革同体制のもとに「総団結する歴史的大会」とは、どういうことか。修正動議も反対意見も圧殺し、文字どおりの翼賛大会として今大会を強行するということではないか。そんなことが許せるか。
4党合意以来、国労の再生を求めて闘ってきた闘争団員、本体組合員は、今大会においてこそ、酒田・革同体制との徹底対決を貫くべきである。これまでの自己の闘いを全うする道は、その中にのみ存在する。
酒田執行部が掲げる「建交労との共同」なるものは、動労千葉を排除して1047名闘争陣形を破壊することを狙う、すさまじい反動だ。それはまた、1047名の共闘・団結の中に勝利の道を見いだした国労闘争団・全動労争議団の真剣な思いをも真っ向から踏みにじっている。
動労千葉と連帯し闘おう
4・13日比谷公会堂での大集会は、国労闘争団・全動労争議団・動労千葉争議団が一堂に会し、共闘を誓い合う、歴史的な勝利を切り開いた。国鉄闘争は、ついに1047名の統一という勝利の大道に踏み出した。ところが酒田執行部は、その地平をなきものにしようと、どす黒い策謀を巡らしているのである。
動労千葉は、JR資本との徹底対決を貫いて1047名の解雇撤回・JR復帰を実現しようと、全力の闘いを続けている。04春闘3波のストライキは、JR体制を激しく揺さぶった。
渾身(こんしん)のストライキをたたきつけられたJRは、春闘過程で強制配転者の原職復帰を約束せざるをえなくなった。現在、動労千葉は、それを現実のものとして確定させるため、再びスト体制を構え、新たな闘いに入っている。
今日、JRの資本=カクマル結託体制は、大崩壊の時を迎えている。松崎派と嶋田派に分裂したJR総連カクマルの抗争はとどまるところなく、それは今や決定的な段階に立ち至った。組合員と無縁の利権争いを繰り広げるカクマルへの、JR総連傘下労働者の怒りは限界を超えつつある。この情勢の中で、動労千葉はJR総連解体に向け、粘り強い闘いを進めている。
この闘いは、JRの安全の崩壊に対する「反合・運転保安確立」の闘いと一体のものだ。何よりも、JR総連カクマルを先兵に強行された相次ぐ合理化・外注化こそが、安全の崩壊を生み出した元凶なのだ。
こうした地平の上に動労千葉は7月、レーバー・フェスタ開催中のアメリカ・サンフランシスコを訪問し、ILWU(国際港湾倉庫労働組合)との交流を深め、アメリカにおける10・17ミリオン・ワーカー・マーチと日本における11月労働者大行動を国際連帯をかけた共同の闘いとして闘いぬくことを誓い合った。
このように動労千葉は階級的原則に立った当たり前の労働運動を実践している労働組合だ。その動労千葉を排除し、1047名の統一を破壊して、どうして勝利することができるのか。
闘争団22人の処分撤回を
酒田・革同執行部による早期収拾策動は、国鉄闘争をかつてない危機に立たせている。これを打ち破るために緊急に求められているのは、国労闘争団、全動労争議団、動労千葉争議団の3労組・1047名が団結し、鉄建公団訴訟に踏み切ることである。闘う闘争団が先陣を切って開始したこの闘いを、1047名の共同の闘い、恒常的な結集軸として打ち立てた時、最高裁判決をのりこえる確かな道は開けてくる。
今国労大会の重大課題は、酒田執行部の反動を打ち破り、全闘争団が鉄建公団訴訟への合流を決断することにある。闘争団の切実な要求を貫く道は、それ以外にない。
ところが、酒田執行部はこれにあからさまに敵対している。彼らは今年1月の拡大中央委員会で「鉄建公団を相手にした新たな訴訟を準備する」という方針をペテン的に打ち出していた。だがそれは、闘争団員を欺き、自己の延命を図るための策略でしかなかったのだ。酒田執行部に「新たな訴訟」をやるつもりなどないことは、今や明白だ。
酒田委員長は『国労文化』最新号で、「訴訟の場合、相手方は一切和解に応じず裁判で決着ということになる」と言い放ち、「訴訟を行いながら政治解決ということはない」という質問に対し、「そうです。相手は甘くない」と答えている。国労弁護団の岡田尚弁護士も、「8・4国鉄労働者1047名の解決要求実現をめざすシンポジウム」で「情勢は4党合意の時よりずっと厳しい。闘争も17年経過した。早く解決したいのなら訴訟などやらないことだ」とあけすけに述べた。これが彼らの本音だ。
だが、「訴訟をすれば解決は遠のく」などというのは、争議の現実をわきまえない者の世迷い言だ。争議当該が団結し、裁判闘争を含むさまざまな手段で反撃に立ってこそ、勝利的解決は早まるのだ。
酒田執行部は「早期解決のためにはILO勧告に基づく政治解決しかない」と言うが、そこにはなんの展望もない。6月のILO理事会の報告は“4党合意で解決しておくべきだった”というものに過ぎず、現に4党合意崩壊以降、国労本部は政府・政党からなんら相手にされていない。闘う姿勢を失った者を、政治権力が歯牙(しが)にもかけないのは、当たり前のことなのだ。酒田執行部自身も「政治解決」をまじめに追求しようとはしていない。
酒田執行部の唱える「政治解決」の破産はもはや明らかだ。
生活援助金を無条件に払え
今大会のもう一つの重大課題は、闘争団員22人への統制処分を撤回させ、鉄建公団訴訟原告への生活援助金の支給停止を全面解除させることである。
22人の統制処分と生活援助金の支給停止は、労働組合として絶対にやってはならない暴挙だった。被解雇者が解雇撤回を求め、その要求を貫くために訴訟に踏み切った真剣な気持ちを、いったい誰が否定できるのか。国労の役員たる者が、闘争団の厳しい生活実態を知らないはずがない。ところが国労本部は、それを承知の上で、統制処分と生活援助金の支給停止という兵糧攻めを強行した。
統制処分と支給停止は即時・無条件に撤回されるべきだ。国労本部は、これまで凍結していた全額を闘争団員に支払う義務がある。
さらに許し難いことに、酒田執行部は「生活援助金の支給停止の解除」をほのめかすことで、闘う闘争団を闘争の早期終結路線のもとに組み敷こうと画策した。彼らは、闘争団員の生活と人生をもてあそび、どこまでも愚弄(ぐろう)して平然としているのだ。
この卑劣漢どもに徹底した怒りをたたきつけよう。統制処分と生活援助金支給停止の全面撤回をなんとしてもかちとろう。
組合員を売った酒田の大罪
酒田執行部が「総団結」を叫ぶこと自体、断じて我慢のならないペテンである。国労の団結を最悪の形で破壊してきた者こそ、酒田委員長自身ではないか。
国労の団結を破壊した酒田の罪状の第一は、4党合意強行の最先兵となり、01年1・27大会以来、毎回の大会に警察権力・機動隊を招き入れてきたことだ。
「JRに法的責任がないことを認めろ」という4党合意は、政府・与党が国労に無条件降伏を突きつけたものだった。こんなものを受諾すれば、国労の団結が壊されるのは目に見えていた。だが酒田は、国労大会を機動隊の制圧下に置いて、4党合意受諾の大会決定を強行させたのだ。こうして彼は、二重にも三重にも国労の団結を踏みにじってきたのである。
酒田の団結破壊の罪状の第二は、鉄建公団訴訟原告への生活援助金の支給停止と22人への統制処分を強行し、それを居直り続けていることだ。こうして彼は敵階級に呼応し、国労を内部から破壊しているのだ。
酒田の団結破壊の罪状の第三は、国労組合員を警察権力に売り渡した5・27臨大闘争弾圧を首謀したことである。
02年5月27日、国労本部は鉄建公団訴訟原告らを査問委員会に送致するための臨時大会を強行した。それに反対し、本部役員らが宿泊するホテル前でのビラまき・説得活動に立った組合員を、当時、東京地本委員長だった酒田が警察に売り渡したのだ。彼は、検察権力と一体化し、「暴力行為等処罰法」という戦前来の労働運動弾圧法で組合員を有罪に陥れようと画策している。これほど極悪の団結破壊がほかにあろうか。
これら酒田の反階級的大罪のことごとくを支持し、加担し、ともに行動してきたのは革同だ。
酒田は、組合財政を私物化して恥じない、腐敗をきわめる人物だ。おのれの利害しか眼中にない酒田らの手によって、国労と国鉄闘争が絞殺されていいはずがない。酒田・革同執行部を打ち倒し、国労の階級的再生へ闘いぬこう。
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週刊『前進』(2163号2面2)(2004/08/30)
日本経団連夏季フォーラム 奥田発言を徹底弾劾する
“私は改憲論者、軍事力充実を”
戦争衝動を強める日帝資本
日本経団連は7月22〜23日に静岡県で夏季フォーラムを開催し、奥田碩会長(トヨタ自動車会長)を先頭に9条改憲を論議した。その直前の20日には「武器輸出3原則」の事実上の撤廃を提言した。日帝ブルジョアジーのこうした突出は、小泉が「骨太方針W」をもって一大民営化を軸とする資本攻勢と国家改造に乗り出したことに対応している。奥田・日本経団連は小泉と一体化し、9条改憲と戦争体制構築に本格的に踏み出したのだ。日本階級闘争は戦後最大の決戦局面に突入した。これに民主党・岡田も連合・笹森も完全に屈服している。「外への侵略戦争と内への階級戦争」を推進する小泉=奥田を倒す、闘う労働運動の新潮流をつくり出そう。
あからさまな改憲論議
今回の夏季フォーラムの特徴は、「日本は国としてどうあるべきか」を統一テーマに、日帝の国家戦略の論議に終始し、その結論が9条改憲にあることを明確にしたことだ。
財界首脳を前に講演した田中明彦東大教授は、「憲法9条2項(戦力の不保持、交戦権の否定)の削除」を主張した。日本経団連の「国の基本問題検討委員会」委員長を務める三木繁光・東京三菱銀行会長も「憲法9条の見直しは避けられない」とこれに全面的に賛同した。軍事産業である三菱グループのトップとして、その利害を一身に体現したのである。
「国の基本問題検討委員会」とは、日本経団連が改憲論議のために初めて設けたもので、7月15日に初会合を開いている。日本経団連は、ここで改憲に向けての資本家内部の意思統一を図ろうとしているのだ。
フォーラムでは、奥田も、「私は改憲論者と考えてもらって結構」、「(アジアでリーダーシップを取るためには)軍事力充実も必要」と発言した。日本経団連は、昨年1月の「奥田ビジョン」で「東アジア自由経済圏」構想を打ち出している。対米争闘戦を貫きつつアジア勢力圏化を図るためには、結局は軍事力が必要だという、資本の本音がむき出しになったのだ。
あまりの反動的議論の噴出を前に、東京電力の勝俣恒久社長が「(憲法9条)2項があり、軍隊を持たずにきた寄与もあると思う」と述べるなどのたじろぎが生じるほどだった。
だが奥田は、「国家の基本的な枠組みや新たな国家像を検討することは経済界にとっても重要」と意見を集約した。一切の動揺を排して、改憲攻撃に突き進むというのである。
今回の夏季フォーラムの反動性は、小泉が現職首相としては23年ぶりに参加したことにも示された。
小泉は「(就任後)3年持ちこたえたのは皆さんの支援のたまもの。感謝しつつ改革実現に向け努力したい」とあいさつした。参院選惨敗にもかかわらず小泉が政権を維持しているのは、日本経団連の全面的支持があるからだ。こうして小泉は、これまで以上に「改革」を加速し、資本の利害を露骨に押し貫くことを誓ったのである。
財界の改憲への突出は日本経団連だけではない。日本商工会議所も7月6日「憲法問題に関する懇談会」の初会合を開いた。安全保障から教育まで幅広く議論するとしており、9条改憲=教育基本法改悪策動に加わろうとしている。
財界の主導のもとに自衛隊の大増強と侵略軍隊化、戦争国家の本格的確立が進められようとしていることは、戦後かつてなかった恐るべき事態である。イラクに自衛隊を派兵し多国籍軍参加を強行した日帝は、その内部から激しい戦争衝動を噴出させ始めたのだ。
武器輸出3原則撤廃も
夏季フォーラムで三木・東京三菱銀行会長は、「集団的自衛権や武器輸出3原則などのあり方も見直す必要がある」と言い放った。
これに先立つ7月20日、日本経団連は「今後の防衛力整備のあり方について」と題する提言を出し、武器輸出3原則の見直し=撤廃を政府に要求した。
武器輸出3原則とは、67年に佐藤内閣が、@共産圏向け、A国連が輸出を禁止している国、B国際紛争当事国かそのおそれのある国への武器輸出を禁じたものだ。その後、76年に三木内閣が対象地域以外にも「輸出を慎む」という統一見解を出し、事実上、武器輸出は全面禁止となってきた。武器輸出3原則は、憲法9条と並んで、日帝の軍需産業拡大を制約してきた。
だが日本経団連の提言は、3原則をなきものにしようとして、「世界の安全保障環境は……地域紛争、テロの発生、ミサイル・大量破壊兵器の拡散等、多様な形へと変化している。わが国周辺においても、朝鮮半島におけるミサイル、核開発、武装工作船等といった脅威増大が顕著になっている」と言っている。
9・11以降、アメリカ帝国主義は対テロを口実に侵略戦争に突入した。日帝資本はこれと共同=競合しつつ、北朝鮮脅威論をあおりながら、独自の利害をかけた侵略戦争にのめり込もうとしているだ。
日本経団連の提言はさらに、「日本の防衛産業は世界の装備・技術開発の動向から取り残され、世界の安全保障の動きからも孤立しつつある」と叫んでいる。3原則の結果、兵器と軍事技術の開発で立ち遅れていると悲鳴を上げているのである。MD(ミサイル防衛)の日米共同開発に踏み切った日帝は、今年末に策定する新たな「防衛計画大綱」をにらみつつ、この面でも帝国主義間争闘戦を貫こうと、3原則の撤廃を唱え出したのだ。
提言はまた、「国家の安全保障に係る基本方針を明確に打ち立てるとともに、その技術・生産基盤である防衛産業の位置付け、中長期的産業政策を明示する必要がある」と政府に要求している。具体的には、「国際的に優位性を持つ防衛技術の維持・強化を図ると同時に……防衛・民生の垣根を越えて……技術開発の推進を図る」と言う。
民生中心に発展してきた戦後日本の経済を転換し、トヨタなどの巨大資本を先頭に軍需産業化を図るということだ。まさにそれは、戦後の日帝国家のあり方、経済・社会のあり方を根本から変えようとするものなのである。
骨太方針と一体の攻撃
財界のこうした突出は、「骨太方針W」を掲げた小泉改革と一体のものだ。
骨太方針Wは、「官から民へ」を叫んで、郵政民営化を頂点とする公的部門の全面的民営化を打ち出した。それは、公務員労働運動の解体をとおして労働者の階級的団結を奪い、全労働者を無権利の不安定雇用にたたき込もうとするものだ。同時にそれは、労働法制や社会保障、地方自治など戦後体制の支柱をなしてきた諸制度を解体し、国家・社会を戦時型に再編しようとする攻撃だ。
帝国主義間争闘戦の敗勢とすさまじい金融・財政危機の中で、小泉は日帝の生き残りをかけてこの攻撃にのめり込もうとしている。
奥田が「タブーを打破しない限り、日本を変える真の改革はできない」と叫んで改憲論をぶち上げたのも、こうした中で起こっていることなのである。
改憲への突出とあいまって、日本経団連は4月に「21世紀を生き抜く次世代育成のための提言」を発表し、「教育基本法の見直しを進めるべき」と公言している。5月には「多様化する雇用・就労形態における人材活性化と人事・賃金管理」と「これからの企業戦略『守りのリストラ』から『攻めのリストラ』へ」と題する2提言を出し、不安定雇用労働者が3分の1を超えた事態を背景に、95年の「新時代の『日本的経営』」路線をさらに推進することを表明した。
この攻撃に連合=民主党、全労連=日本共産党は屈服している。
だが、今春決戦の爆発と参議院選挙の自民党惨敗に見られるように、労働運動の分岐・流動・再編・高揚が始まっている。動労千葉を先頭に、動労千葉とともに闘う労働運動の新しい潮流を巨大につくり出す展望が広がっているのだ。
4大産別を先頭に、全産別で労働運動の復権をかちとり、11月労働者大行動へ万余の決起を実現しよう。
(湯村宏則)
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週刊『前進』(2163号2面3)(2004/08/30)
8・1革共同集会の発言から
8・1東西革共同集会は、労働運動・労働組合をめぐる1年間決戦を宣言した。今号より、東京集会での労働者同志の発言を紹介します。(編集局)
青年こそが労働組合の執行部を握ろう 民間青年労働者
民間の青年労働者を代表して決意を述べます。
今日の新聞に、企業の一人あたりの人件費がとうとう500万円を切ったという記事が載っていました。毎年毎年、賃金が下がっている。リストラ・首切りが横行し、企業はそれで史上最高の利益を出している。その犠牲は誰に負わされているのか。われわれ労働者です。青年労働者にあらゆる矛盾が集中しています。
経済苦で3万人の人たちが自殺している。これは殺されているんです。重大事故も多発している。石油コンビナートの火災事故や三菱自動車のリコール隠し、列車事故などで労働者が殺されている。企業のコスト追求が何をもたらすのか。安全を無視した企業が、その矛盾をすべて労働者に転嫁している。
年金も改悪され、この秋から年金保険料も上がる。定年後も暮らしていけない。この社会の現実を、われわれは絶対に許せない。
このリストラ・首切りの中で、労働組合はどうしているのか。連合は何をやっているのか。資本と一緒になって労働者を犠牲にしている。今、私たちが労働組合を変革し、権力をとっていく闘いをやらなければ、われわれは殺されてしまうんです。連合の帝国主義的労働運動を打倒する闘いを、私たち青年労働者が担わなければならない。
多くの青年はこの社会の矛盾、資本主義の矛盾に、どうすればいいのかと迷っている。多くの青年が失業し、既成の労働組合に反発している。この怒りを組織し、労働者の階級的な意識を復権させ、マルクス主義を復権させる。自らが組合の執行部となり、権力を奪取する。この社会を変革する主体として、自己をつくっていく。そういう闘いをやらなくてはならない。
多くの青年の同志がこの闘いに日々取り組んでおります。いつまでも資本の言うことを、労働組合の既成幹部の言うことを聞いていられない。自らが立たなくてはならない。
動労千葉のように闘わなければいけない。この戦争と大失業の時代に、階級的な労働運動を復権させる。ロシア革命で労働組合がストライキをやりソビエトをつくったように、再びこの戦争と大失業の時代に、ストライキを組織し、労働者の国家権力、プロ独を樹立する。その闘いに民間の青年労働者は立ち上がる。
私はその最先頭で闘います。11月労働者集会に会場を埋め尽くす青年労働者の隊列を必ず実現する。その闘いに突入します。皆さん、ともに闘いましょう。
開始された決起広げ日教組再生の決戦へ 教育労働者
教育労働者委員会を代表して決意を述べます。
冒頭、「日の丸・君が代」決戦、教育基本法改悪阻止決戦をとおして、闘う日教組を再生する1年間決戦に全力を挙げて打って出ることを宣言します。
今春、「日の丸・君が代」戒厳令と言うべき事態の中で、3けたの東京の教育労働者が不起立闘争に決起しました。これは職務命令を拒否し、処分をも辞さず、誇りに満ちた形で貫かれた闘いでした。
今日の戦争情勢の中で、イラクに向けて「日の丸」の小旗を振って自衛隊が出兵し、総翼賛国会の中で有事立法が通されています。6月には与党の教育基本法改正協議会の中間報告が出され、教基法の教育目的の中に愛国心の明記をうたうという事態が進んでいます。その中で改憲攻撃がせり上がってきました。
これは、教育労働運動、日教組を解体し、侵略教育に向かう攻撃です。この攻撃の中でかちとられた不起立闘争は、戦争と民営化攻撃に真正面から対決する教育労働者の戦争協力拒否闘争だったと考えます。
しかも、その巨大な反乱は既成指導部の闘争放棄をのりこえ、文字どおり労働者の自己解放闘争として闘われました。この闘いが国論二分情勢をつくり出しています。開始された教育労働者の総決起を、すべての労働者階級人民の闘いの課題にしなければならない。
この間、東京の6・22全都教育労働者総決起集会に1500人が結集し、6・23都労連大会で「日の丸・君が代」闘争が都労連の課題に位置付けられ、7・23都高教大会では「被処分者の会」や「予防訴訟」の仲間を中心にして出された修正案が39本可決されるという事態が進んでいます。労働運動が活性化し、大きな闘いがつくり出される構造を持ち始めています。
階級闘争のど真ん中に「日の丸・君が代」闘争が座った。教育労働者の闘いがすべての労働者階級を獲得する位置を持っています。
東京で出された10・23通達は教基法改悪攻撃の先取りであり、有事立法の業務命令そのものです。
これと全面対決する闘いをいかに闘うか。結論は動労千葉のように闘おうということです。日教組も過去、勤評闘争で数百、数千の血を流す闘いを闘ってきた組合です。私たち自身が先頭に立つことで日教組の再生を断固かちとりたい。
8・6ヒロシマ大行動と教育労働者の団結交流会、青年労働者交流集会を転換点に、11月労働者集会になんとしても5千人の結集をかちとりたい。教育労働者も2倍化を決意しています。全国連絡会主催の11・6教育基本法改悪反対集会から11月労働者大行動へと連続闘争を打ち抜きます。
05年の卒業式・入学式における「日の丸・君が代」闘争を最大の闘争として爆発させたい。これは、国会に教基法改悪案が上程される中での決戦、文字どおり戦時下の「日の丸・君が代」闘争です。広島に続く東京の不起立闘争を首都決戦と位置づけ、全都全国で闘います。この力が間違いなく教育基本法改悪−改憲を粉砕する道を開きます。
この闘いに一切の焦点を絞り、その最先頭で決起する決意を表明します。
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週刊『前進』(2163号3面1)(2004/08/30)
訪米の成果を確認
11月にアメリカ代表団
動労千葉を支援する会
民営化反対こそ労働運動の核心
8月11日夜、東京都内で動労千葉を支援する会の主催で動労千葉の訪米報告集会が開催され、約80人が参加した。
動労千葉は昨年7月の訪米に続き、7月17日〜21日、田中康宏委員長がアメリカ西海岸のサンフランシスコを訪問した。サンフランシスコでは、7月の約1カ月間にわたってレイバーフェスタという労働者の祭典が開催された。その中で「労働者、戦争と抑圧」という国際討論集会が開かれ、発言者の一人として招待された。
集会では、緊急闘争組織化のために急きょ参加できなくなった田中委員長に代わって、通訳として訪米した派遣団が報告し、ビデオを上映した。
ビデオでは、17日の到着後直ちに、サンフランシスコ市中心部のメーシーズという百貨店の労働者のストライキにともに参加した様子が映し出された。
さらに、18日夜の労働者国際討論集会、19日朝のサンフランシスコ労働者評議会の人びととの交流、19日夜の『俺たちは鉄路に生きる2』の英語版とILWU(国際港湾倉庫労働組合)が組合員に配布している組合史『ILWU物語』の日本語版の出版記念パーティーの映像が次々にスクリーン上に登場。最終日の21日のBART(ベイエリア高速鉄道=サンフランシスコの湾岸地域を結ぶ地下鉄)の職場訪問、鉄道労働者同士の交流が生き生きと映写された。
特にサンフランシスコ労働者評議会の人びととの交流の最中にILWUローカル10のジャック・ヘイマン執行委員を始め多くの労働者が日本の11月労働者集会への参加を表明したことは非常に感動的だった。
今回の訪米成功の背後には、今、全世界で吹き荒れている民営化攻撃に対して動労千葉が唯一ストライキで対決し、分割・民営化後も17年間にわたって闘いぬいていることへの共感がある。権力のすさまじい弾圧やJR総連=カクマルの襲撃を撃退し、団結を維持して闘いぬいている姿に、驚嘆の声が上がった。ジャック・ヘイマンさんは、「民営化阻止を掲げない労働運動は労働運動ではない。民営化は労組破壊の別の言葉だ」と言い切って動労千葉との連帯を表明した。
さらに、今回の訪米でILWUローカル10やローカル34が呼びかけている10・17百万人労働者大行進(MWM)の意義が明確になった。
11月労働者集会はMWMと共鳴
MWMは、大統領選挙直
前に首都のワシントンDCに百万人を集めて労働者の力強い隊列を登場させ、ナショナルセンターのAFL−CIO(米国労働総同盟産別会議)の民主党支持に対抗して、共和党でも民主党でもない労働者階級の新潮流運動を下から大きくつくり出していこうというものだ。MWMは、全日建運輸連帯・関生支部、全国金属機械・港合同、動労千葉の3労組が呼びかける11月労働者集会と多くの点で共鳴しあっている。
今回の訪米で日韓米の3国労働者国際連帯を深めることができた。6・7月総力闘争のために訪米できなかったが、代読されたコジョンファン民主労総ソウル地区本部長のメッセージは、その一言一言が拍手をもって迎えられ、韓国労働運動へのアメリカ労働者階級の関心の高さがあらためて明らかになった。
最後に動労千葉の関道利執行委員があいさつし、「動労千葉は8月1日から闘争態勢に突入した。今春の3波にわたるストライキの成果を当局がほごにしかねない状況にある。だがこれを許さない。11月労働者集会には垣根を取り払って多くの結集を」と訴えた。
労働者国際連帯は他国の闘いから学びあって、自らの闘いに生かしていく重要な闘いだ。日本の労働運動の再生のためにこそ国際連帯の闘いはある。
参加者全員で、日本でも労働運動の新しい潮流を発展させ、11月労働者集会に万余の結集を実現させようと誓い合った。
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週刊『前進』(2163号3面2)(2004/08/30)
動労千葉の訪米報告 パンフ
動労千葉は訪米の模様を報告パンフ『世界に翔びたとう3』で詳しく紹介している。読んで広げ、11月労働者集会の成功に結びつけよう。
☆発行・動労千葉 B5判36n/頒価300円
☆注文先・動労千葉 〒260−0017 千葉市中央区要町2−8 DC会館3F рO43−222−7207 FAX043−224−7197
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週刊『前進』(2163号3面3)(2004/08/30)
04人事院勧告 賃金引き下げ固定化
能力・実績主義導入許すな
8月6日に人事院勧告・報告が出され、翌7日に国家公務員制度改革関連法案の骨子が明らかにされた。「年収が6年ぶりに下げどまった」「マイナス人勧を阻止した」ことにとどまっていられない。この5年間で低下した賃金水準を打ち破り、大幅賃上げをかちとらなければならない。さらに能力・実績主義的賃金・人事制度の導入を盛り込んだ給与法改革案、公務員制度改革関連法案の臨時国会提出・成立を阻止しなければならない。連合中央、全労連中央の屈服を打ち破り、04秋季賃金闘争の大爆発をかちとろう。
04人勧は公務員制度改革の攻撃と一体
人事院の国家公務員一般職を対象とする04年「給与勧告」は、@月例給(基本給)は、官民較差が小さいので水準改定をしない(6年ぶりに前年水準を維持)A期末・勤勉手当(一時金)4・4カ月も、民間の支給割合とほぼ均衡しているので水準改定をしないB寒冷地手当は、支給地域を北海道および北海道と同程度の市町村に限定し、支給額を約4割引き下げる――と勧告した。
さらに「給与構造の基本的見直し」として、すでに民間企業に波及している能力・実績主義的賃金制度に転換する方針を勧告した。「年功的な俸給表・昇給・昇格の廃止」と「職務・職責を重視し、実績を反映する給与制度への転換」だ。
具体的検討項目として@俸給表の全体水準の引き下げと地域に応じた適切な給与調整A職務・職責を反映した俸給表構造への転換B能力等級制度や新評価システムを踏まえた昇格・降格基準C実績評価に基づいた昇給(査定昇給)の導入――などを挙げている。
そして政府は、この能力・実績主義的賃金制度を明記した(国家公務員一般職の)給与法改悪案を今秋臨時国会に提出しようとしている。これと連動させて、同じく能力・実績主義に基づく人事管理制度の導入を軸とする公務員制度改革関連法案を今秋臨時国会に提出しようとしている。これらの法律の06年4月からの施行をめざしている。
人事院の「勧告」が言う「給与構造の基本的見直し」と「報告」が言う「能力・実績に基づく人事管理」は、公務員制度改革関連法案の骨子と内容、用語と完全に一致している。
国家公務員制度改革関連法案の骨子は、その「趣旨」で「年功序列の人事システムを改める」と明記している。その「内容」として、「能力・実績主義の人事管理」と題して「能力等級制を導入し、能力等級ごとに発揮すべき能力を明らかにし、任用等を行うとともに、職務を基本とし実績を反映した給与制度を確立し、併せて能力・実績を的確に評価することにより、採用区分や入省年次による一律的人事を改め、能力・実績主義の人事制度を再構築する」と述べている。
年功賃金・終身雇用制の廃止
この人事院勧告・報告と公務員制度改革関連法案骨子が相次いで出されたことは、日帝・小泉政権が公務員労働者に残された年功賃金・終身雇用制を最終的に廃止し、能力・実績主義的人事管理を全面導入することをとおして公務員労働運動を解体・一掃しようとしていることを示している。
これは、95年の日経連報告「新時代の『日本的経営』」の内容を民間労働者のみならず公務員労働者にも貫徹するということだ。
能力・実績主義に基づく人事管理―業績評価制度は労働者同士を競争させ、労働者間に分断・対立を持ち込み、個々ばらばらにし、労働組合的団結を解体する。労組指導者、労組活動家は業績評価で最低評価を受け、賃金を下げられる。それが嫌なら労働組合運動をやめろということだ。
東京都は00年に人事考課制度―業績評価システムを導入し、04年から人事考課制度を賃金とリンクさせた。石原都政は都労連など都の労働組合運動を破壊するために全国の自治体に先駆けて能力・実績主義的人事管理の導入を強行した。小泉政権は石原都政のやり方を国と地方の全公務員に一挙に貫徹しようとしているのだ。
この能力・実績主義的人事管理の導入―公務員制度改革は、小泉政権の骨太方針2004が掲げる「官の改革」の最重要の一環である。三位一体改革や市町村合併、行革リストラ、民営化で戦後的地方自治体と自治体労働運動をつぶした上に、天皇と国家に忠誠を誓い人民を侵略戦争に強制動員する役割を率先して担う官吏をつくり出し、国と地方に置くことがその狙いだ。公務員労働者を意識改革・思想改造し、「入魂」し、国と地方で公務員の「血の入れ換え」を行い、米帝と共同=競合して本格的に侵略戦争を遂行できる国家体制を構築しようとしているのだ。
連合中央・全労連中央が屈服方針を提起
04年人事院勧告・報告に対して連合系の公務労協・公務員連絡会(自治労、国交総連、日教組など)は屈服方針を提起している。
公務員連絡会は、月例給の据え置きを当然とし、一時金の据え置きと寒冷地手当見直しなどに不満を表明したが、6年ぶりに年間収入が確保されたことを評価して、政府が勧告どおり実施することを要求した。
これは完全屈服だ。この5年間の賃金引き下げで賃金水準は大幅に下がっている。不況であろうがなかろうが、前年水準の維持などではなく、5年前の水準を上回る賃上げを要求しなければならない。行革リストラ、首切り、年金改悪など資本攻勢が吹き荒れている中ではなおさらだ。
公務員連絡会は、「民間に比べて公務員の賃金は高すぎる」という公務員バッシングに「質の高い公共サービスを」というスローガンを対置している。だがこれは労働強化を自ら強いる屈服の論理でしかない。動労千葉のように、労働者の権利を堂々と主張し、当局・資本と対決して闘う階級的労働運動をつくり、勝利の展望を切り開こう。
全労連系の公務労組連絡会(自治労連、国交労連、全教など)は、04春闘における官民共同の闘いで「マイナス人勧を阻止した」と自己評価し、給与改善、諸手当改悪反対の要求を弱々しく対置している。連合系公務労協と同じだ。その上で、人勧が労使協議ぬきで能力・業績主義を導入を打ち出したことに抗議している。公務労協が政労協議を繰り返していることをうらやんでいるのだ。このような公務労組連絡会に未来はない。
資本とブルジョア国家=当局と対決し、労働者階級の利益を守るために闘うのが労働組合の原則である。
全公務員労働者の決起で04秋季賃金闘争を爆発させ、04人勧を上回る賃上げをかちとり、能力・実績主義の導入、公務員制度改革を絶対阻止しよう。
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週刊『前進』(2163号3面4)(2004/08/30)
美浜原発事故 冷却水管がギロチン破断
労働者4人の虐殺弾劾
団結し反合運転保安闘争を
長崎への原爆投下・被爆59周年の8月9日、福井県の関西電力・美浜原発で日本原発史上最悪の事故が発生し、4人の労働者が虐殺された。
午後3時22分、稼働中の3号機(加圧水型軽水炉、82万6千キロワット)タービン建屋内2階の2次冷却系配管が突然破裂し、高温高圧の蒸気が断熱材と鉄の保護板を引きちぎって大量に噴き出し、一瞬のうちに2階から全館に広がっていった。その日、関西電力資本は原発を稼動させたまま、14日からの定期検査の準備として221人もの労働者を同建屋に送り込んでいた。スパナやドライバーの工具置き場の設置などの仕事にとりかかっていた下請け労働者に140度の蒸気が襲いかかった。至近距離にいた井石智樹さん・田岡英司さん・高鳥裕也さん・中川一俊さんの4人が直撃を受け、全身に50%以上の大やけどを負い、熱い蒸気をもろに吸って気道が焼かれ即死した。他に1人の意識不明の重体を含め7人が重軽傷で病院に搬送された。
1999年9月30日の東海村JCO臨界事故で大内久さん・篠原理人(まさと)さんを虐殺し多数の労働者住民を被曝(ひばく)させたうえに、今回11人もの労働者を殺傷した日帝支配階級の重大犯罪行為を徹底的に糾弾する。
(写真 蒸気噴出事故で破断し、大穴が開いた配管。肉厚が紙のように薄くなっている)
今、みぞうの体制的危機に直面している日帝は小泉=奥田路線のもとで、自衛隊のイラク派兵・多国籍軍参加を強行し、労働者の首切り・賃金引き下げ、年金改悪・社会保障制度解体、労働運動絶滅の大攻撃に打って出てきている。資本家階級の利益と延命のために、排外主義をあおって侵略戦争へ労働者人民を動員するとともに、労働者とその家族に一切の矛盾を押しつけ、生活を破壊する。労働現場で「安全」を踏みにじり、次々と労働災害を引き起こして労働者の生命を奪う。これが帝国主義の正体だ。エクソンモービル、新日鉄、ブリジストン、出光興産などの巨大企業での労働災害に続く今回の美浜原発事故は、その典型にほかならない。
労働者は、生きていくために団結して賃金闘争を闘うと同時に、労働現場で自分と仲間そして労働者階級人民全体の生命を守るための安全確保の闘いが決定的に重要なのだ。JR資本のレール破断を摘発し、組合員と乗客の生命と安全を守る反合・運転保安闘争をストをも駆使して展開している動労千葉に続こう。搾取と人命無視によってしか生産が成り立たない資本主義=帝国主義を打倒し、生産現場を握っている労働者が社会の主人となることこそが、労働災害をなくす唯一の道である。
危険を顧みぬ日帝の核政策
美浜事故で破裂した外径56aの配管は、10_の肉厚が最も薄い個所で0・6_まで減肉し、ぺらぺらの状態だった。ぱっくりと穴のあいた大口径の配管の様子は、ギロチン破断現象そのものを示す(写真)。86年の米サリー原発の2次系配管減肉・破断事故(4人の労働者が死亡)が日本の原発で繰り返されたのだ。関西電力は76年稼働開始以来28年間、当該個所を検査していなかった。流量測定装置「オリフィス」の下流部の渦と気泡による配管減肉の不可避性を知りながら放置していた。その結果が今回の大惨事だ。
監督官庁の通産省(現経済産業省)はサリー原発事故について、87年に「日本では起こることは考えられない」「特段の対策を改めて行う必要はない」と言い放っている。全国の地元住民の強い反対による原発新増設計画の頓挫(とんざ)、電力自由化によるコスト切り下げなどの中で、検査期間の大幅短縮、耐用年数の30年から60年への延長、機器の損傷があっても運転を続行する維持基準の導入……と、安全無視・事故誘発の原発政策が強行されてきた。今回の事故では、配管のみならず弁の保守不良も明るみに出た。関電のでたらめきわまる検査・保守体制のもとで、79年米スリーマイル島原発事故並みの大事故への危機一髪的事態だったのだ。
政府・関電・マスコミは「2次系だから放射能漏れはない」と一斉に叫んでいる。だが、燃料棒の被覆管や蒸気発生器のピンホールなどをとおして1次系だけでなく2次系も冷却水の放射能汚染は避けられないという。800dもの蒸気が噴出し、労働者の肺に吸い込まれ、また外部に出ていった。イラク侵略戦争で使われた劣化ウランによる被曝を始め内部被曝の危険性は、今日完全に明らかだ。
関西電力は、プルトニウムとウランの混合燃料を使う危険きわまりないプルサーマル計画を高浜原発で強行しようとしていた。4人の労働者を虐殺した事故の直後も、「プルサーマル計画は進める」と暴言を吐いた。幾百万の労働者人民の生命を核惨事の危険にさらすプルサーマル計画を直ちに中止せよ!
労働者殺しの主犯・関西電力の社長・藤洋作は、電気事業連合会の会長だ。電事連は、核燃サイクル開発機構などと一体となって「国策」をふりかざして地元住民の必死の反対を札束と機動隊暴力でじゅうりんし、原発を始めとした核燃サイクル諸施設の建設・稼働を強行してきた。そして労働者、特に下請け労働者に被曝労働を強制して暴利をむさぼってきた。今日、改憲・武器輸出三原則解禁を公然と打ち出し、労働運動つぶしを宣言した小泉=奥田路線を率先して推進している極悪の資本家集団である。日帝政府・電事連は、独自の核武装化を至上目的に、核事故の危険も顧みず原発・核燃サイクル政策をゴリ推ししてきた。その結果、今回の事故が発生したのだ。
今すぐ全原発の運転・建設・計画を中止し、廃炉にせよ。六ケ所再処理工場のウラン試験阻止、「もんじゅ」運転再開阻止! 核燃サイクル解体! 改憲と日本の核武装を阻止するために労働者は団結して今秋決戦に総決起しよう。日本帝国主義を打倒しよう。
(河東耕二)
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週刊『前進』(2163号3面5)(2004/08/30)
G石原都政と対決する都労連
小泉改革先取りする都
人事考課と賃金をリンク
都労連の存亡かけ04秋闘へ
8月6日、人事院が「給与勧告」と「公務員人事管理に関する報告」が出され、翌7日、公務員制度改革関連法案の骨子が明らかにされた。自治体労働者の04賃金確定闘争の課題に小泉構造改革―公務員制度改革―能力・実績主義的人事管理導入との対決を位置づけよう。石原都政と対峙する都労連は自己の存亡をかけた決戦となる。
都労連(*)は6月23日に第59回定期大会を開催し、04年度運動方針を決定した。増渕委員長は「03年賃金確定闘争の最大の課題は、給与削減についての労使合意を守らせることだった。そして2波のストライキも辞せずという強い決意と6単組の怒りを結集した大衆闘争を軸に闘い、給与削減をやめさせることができた」と総括したが、給与削減を認め、ストを倒したのだ。その結果、石原都政の行革リストラ・大民営化攻撃はひき続き現場を襲っている。
増渕委員長はまた「現業賃金引き下げの動きが今秋強まる」と予測し、「6単組の団結を強め、徹底的に闘う」と決意を述べた。今秋闘争は都労連の解体か戦闘的再生かのかかった分岐点だ。ストライキを含むかつてない大衆的戦闘的闘争を爆発させ、石原都政を打倒しなければならない。
99年11月第2波ストを回避
石原都知事は99年4月就任以来、都労連解体を狙って執拗(しつよう)に攻撃してきた。
99年7月「財政再建推進プラン」で「内部努力」として都の労働者の賃金削減、5千人削減を打ち出した。99年11月「危機突破・戦略プラン」を発表し、福祉切り捨て、都庁改革・局統廃合、都営交通、上下水道などの民営化、清掃の区移管、職員の非正規雇用化などを強行した。その最大の核心は都労連の籠絡(ろうらく)と解体だ。特に都高教、都教組の解体を狙い、定時制を次々閉鎖した上、都立高校民営化論まで唱えた。
石原都知事の労組破壊攻撃に対して、都労連は99年11月12日、始業時から1時間のストライキを敢行し、石原にノーを突き付けた。そして第2波ストに向かう都労連労働者の怒りのデモは都庁を取り巻いた。
この中で石原知事は都労連矢沢委員長とのトップ交渉に応じ、「財政危機の責任は都にある」「労働組合は都民のために、特に社会的に弱い立場にある人びとを守る立場にある」と認めた。石原知事は都労連の団結力とその実力を認めざるをえなかったのだ。
しかし、矢沢委員長は、石原都知事との正面対決から逃げ、▽2年間、月4%の給与削減▽人事考課制度の導入――などで妥結し、労働者が強く求めた第2波ストを回避した。
02年秋の賃金確定闘争も戦闘的に闘われたが、増渕委員長は▽2年間、月2%の給与削減▽人事考課―業績評価と賃金とのリンク――などで妥結した。
結局、00―03年の4年で1人平均100万円以上の賃金が削減され、04年から退職手当削減が実施されている。都の行革リストラ・大民営化は止まらない。
都労連破壊に怒り爆発
99年の妥結=屈服以後、都は次々と都労連解体攻撃をかけてきた。「第2次財政再建プラン」(02年)、「人事制度白書」(00年)、「人事制度白書U」(02年)で政府の公務員制度改革を先取り的に実施した。全国に先駆けて00年に人事考課制度を導入し、02年に人事考課と賃金とをリンクさせた。また「都庁改革アクションプラン」(00年)、「第2次都庁改革アクションプラン」(02年)に沿って公営企業・公共サービス(現業部門)の民営化を続々と進めている。
04年4月初めて「E評価」(最低評価)による定期昇給3カ月延伸が実施された。組合活動家が狙い撃ちにされた。また職免規定の改革で分会単位の時間内組合活動はできなくなった。人事考課制度による組合破壊、権利剥奪(はくだつ)が行われているのだ。
石原都政の組合破壊に対し募りに募った組合員の怒りが03―04年に爆発した。
都立大学を始め現大学廃止・4大学統合による「首都大学東京」は、教職員の職をかけた抵抗によって、いまだ開校できていない。
都教委・横山教育長は昨年10月23日、「日の丸・君が代」儀式を強制する通達を発した。だが、数百人の教育労働者が校長の職務命令を拒否して不起立闘争に決起した。執行部の屈服方針をのりこえ、個々の組合員が良心と労働者魂をかけ、戦争協力拒否の闘いを実践したのだ。都教委は処分を濫発したが、被処分者らは意気軒高と処分撤回闘争に立ち上がっている。
東水労は、「業務手当の廃止を含む抜本的見直し」提案の白紙撤回に向けて7月30日早朝1時間のストライキを決行した。東水労の単独ストは7年ぶりだ。地方公務員法に沿って全職員に平等に本給の4%が支給されている業務手当は、現業労働者の団結の力でかちとったものである。業務手当廃止は全国で策動され、すでに廃止した市もある。東水労の闘いは、全国の業務手当制度を左右する決定的な位置にある。
都庁職の最大組織、東京清掃労組は、都労連解体を狙う当局による区移管の攻撃にさらされた。しかし、国鉄分割・民営化反対闘争、1047名闘争に取り組み、統一と団結を守り、戦闘性を堅持してきた。
都庁職港湾支部は、陸・海・空・港湾労組20団体に参加し、イラク反戦・自衛隊派兵反対闘争を牽引(けんいん)している。
都庁職は支部単位で国労5・27臨大闘争弾圧反対署名に取り組んでいるところもある。
東交も、組合解体を最深の狙いとする都営交通民営化との闘いの渦中にある。これに対して、東交は20労組主催のSTOP!有事法制5・21集会(明治公園)に180人の大隊列を登場させた。この反戦決起は民営移管過程を決戦化させる原動力だ。
首都東京の自治体労働者の闘いは、腐り果て命脈の尽きた日本帝国主義を打倒するかなめ石である。都労連の生死をかけて04秋闘を爆発させ、東京の自治体労働運動の戦闘的階級的再生をかちとろう。都労連の青年部運動を革命的に復権させよう。
(自治体労働者 上島美温)
シリーズおわり
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*都労連 都を雇用主とする6単組――都庁職(清掃支部=東京清掃を含む)、東交、東水労、都教組、都高教、都立大教組――約10万人からなる。
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週刊『前進』(2163号4面1)(2004/08/30)
これが安保・地位協定の現実
イラク戦争と連動 米軍ヘリ事故
大学本館に激突死、ばらばらになったヘリの残骸(8月13日 沖縄国際大学構内)
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黒煙につつまれる大学構内
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ヘリが激突した本館1階の会計課
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激しい爆発音と衝撃を伴って、大型輸送ヘリコプターCH53Dが沖縄国際大学の校舎に接触、大学構内に墜落した。ヘリは墜落後激しく炎上。機体から巨大な火柱が立ち、真っ黒な煙で空は真っ暗になった。辺りはゴムを焼いたような異臭が漂った。大学構内は逃げ惑う学生や職員で混乱し、悲鳴や怒声が上がった。一部の部品は空中で破損し、付近の住宅に次々と落下した。住宅の壁や窓は吹き飛ばされた破片に突き破られた。これこそが、イラク侵略戦争と連動した沖縄における安保・地位協定の現実だ。
「機体がぐるぐる回転したので、危ないと思って逃げた。機体はそのまま駐車場の1号館の方に落ちた。すごい音がして黒い煙が立ち込めた。死ぬかと思った」「空を見上げると、ヘリが左回転をしながら本館にぶつかって墜落、燃え上がった。何が起きたのかすぐには分からなかった」
墜落現場となった沖縄国際大学は夏休み中で構内には学生は少なかったが、集中講義などで100人余りがいた。建物の屋上は削り取られたような接触跡が残り、壁は機体の炎上で黒く焼け焦げた。
目撃者の話をまとめると、ヘリは大学南側の住宅地上空を飛んでいる際に、機体から後部ローターやプロペラなどの部品がはじけ飛び、バランスを崩した後、大学1号館の建物に接触、墜落した。墜落直前は、胴体自体が回転し、操縦不能状態で飛行を続けていたという。
機体が接触した1号館には職員25人がいた。1階で仕事中だった職員は「揺れた後、ゴーっと音がして事務所の窓ガラスが割れ、炎が20aくらい中に入ってきた。窓側の職員は休みで、風圧でガラスの破片が飛んできたが、けが人は出なかった」と話している。
現場から約60b離れたグラウンドではハンドボール部の10人が練習中。「不時着すると思ったので、みんなで散り散りに逃げた」。ヘリは前傾姿勢で校舎ぎりぎりの低空を左右に蛇行しながら、グラウンドに向かって飛行、尾翼が落下した後、左方向に旋回するように図書館の陰に落下した。図書館は開館中で、学生や住民が利用していた。
ヘリの部品は周辺住宅地の広範囲に飛散。事故のすさまじさを物語っている。
民家前の道路に長さ約8bの回転翼が落下し、屋根のアンテナやオートバイを破損した。建設会社の資材置き場には長さ約3bの金属片、マンションの入り口付近には長さ約2b、幅約30aの板状金属が落下した。尾翼部分は公民館の近くの草むらに落下。公民館や近くの民家では子どもたちが遊んでおり「おかあさん! おかあさん」と興奮して叫んだ。
墜落現場から南側に約40b離れた民家には、長さ約25aの棒状の金属が窓ガラスを貫通し屋内の壁に突き刺さった。2階では数センチのコンクリート状の破片2個が窓ガラスとふすまを貫通した。破片が飛び込んだ部屋には生後6カ月の乳児が。部屋の外の駐車場にいた義妹の知らせで、母親が赤ちゃんを抱いて飛び出し難を逃れた。「そのまま部屋にいたら大変なことになっていた」と震えた。
墜落直後、フェンスを乗り越えた米兵約50人が大学構内を走って駆け付け、現場周辺を封鎖した。ヘリの残骸の周り10〜20b四方を黄色いテープで何重にも囲み、周囲を迷彩服を着た米兵数十人で固めた。米軍は安全性の確認を理由に墜落現場を封鎖し、現場近くの道路は約500bにわたって通行止めにした。米軍は、大学関係者の立ち入りも制限し、沖縄県警や消防の現場検証や県の視察も拒否したまま、16日に撤去作業に入った。
立ち入り禁止の校舎内に入ったマスコミを兵士が追いかけて制止。撮影したテープを没収しようとした。テレビカメラを持ったカメラマンが逃げると、米兵が追跡。怒った群衆に米兵が取り囲まれる一幕もあった。
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週刊『前進』(2163号4面2)(2004/08/30)
米軍の無差別虐殺弾劾
イラク 国民会議の強行と破産
イラクでは国民評議会選出のための国民会議開催が15日から強行され、カイライ政権デッチあげの破産した姿をさらけ出した。
その一方で米軍は、ナジャフのサドル派への米軍の攻撃にイラク全土でわき上がる怒りの決起に対して無差別空爆を繰り返し、数百人の市民を虐殺している。イラク人民は米軍のこの無差別虐殺にさらに怒りを燃やして決起しており、米帝のイラク占領・植民地支配はますます泥沼化を深めている。11月の大統領選に向け米帝ブッシュは絶望的危機に追いつめられている。
8月15日から国民会議がバグダッドの米中枢があるグリーンゾーンの会議場で開かれた。米占領に協力的な政党や宗教グループなどから代表約1300人が参加したが、シーア派のサドル師派やイラク・イスラム党などが参加を拒否した。
会議は冒頭から米軍のサドル派への攻撃に怒るシーア派の代表が「ナジャフでの戦闘の即時中止」「戦闘継続中の会議中止」を要求し100人以上が退場した。また、評議会議員の選出も選出方法をめぐって紛糾し、17日の最終日までに選出できず、選出は18日に延期された。
国民会議は100人の評議会議員のうち、81人を選出し、残り19人は米占領当局が指名した旧統治評議会のメンバーが指定されている。しかも、81人の選出方法もあらかじめ用意された案は、すでに決められた複数の候補者リストのうちからひとつを選ぶというもので、米帝が選んだ人間を押しつけるため以外の何ものでもない。こうした国民会議の紛糾は、米帝がやろうとしていることがカイライ政権のデッチあげと植民地化でしかないことを鮮明に示している。
国民会議開催に対しては厳戒態勢を打ち破ってロケット弾が撃ち込まれ、米兵が負傷する事態になっている。また、米軍は国民会議開催のためにイラク全土で激しい軍事作戦を展開し、イラク人民の戦いを圧殺するために全力をあげた。
何よりもナジャフのサドル師を支持するマハディ軍に対して、米英軍とイラク警察の数千人の部隊が大量の戦車を先頭に突入をはかり激戦を展開した。米軍は無差別の空爆も繰り返しており、多くの市民が虐殺された。
一方、イラク全土で米軍の攻撃に抗議し、反米武装決起を支持するデモが連日まき起こっている。イラン、レバノン、バーレーンなど周辺諸国でもデモがまき起こっている。特にナシリアではマハディ軍がイラク警察と国家防衛軍を追い出し、町を制圧した。アマラでは国家防衛軍が立場を転換しマハディ軍に加わった。イラク警察や国家防衛軍の崩壊は各地に広がっている。ナシリアからはナジャフにバスで救援物資を送り、数百人が行進して駆けつけた。バグダッドのイスラム宗教者協会もナジャフへの救援を呼びかけ、食料や医薬品を送っている。また、数千人がナジャフのイマーム・アリ・モスクに駆けつけ「人間の盾」となって米軍を止めると決起している。
また、米軍のナジャフ攻撃に対して、イラク人民の決起はバスラを始めとした南部一帯にも広がっており、原油輸送のパイプラインに対しても破壊攻撃が相次いで加えられており、原油の輸出が激減している。
この間、ファルージャ周辺で激しい戦闘が戦われている。ラマディの米軍を救援するための車列が何度も襲撃されたことに対して、米軍は8月14日にファルージャに対して激しい空爆を加え、女性や子どもたち10人が虐殺され、13人が負傷した。続いて15日にも米軍は朝からF16戦闘爆撃機などで激しい空爆を加え、午後からは地上部隊が町に突入をはかり、夜まで続いた戦闘で米軍を撃退した。目撃者の証言によれば、この戦闘で20人以上の米軍が死亡したと伝えられている。国民会議が開かれた15日にはバグダッドでもさらに激しい戦闘が戦われた。
一方米軍は、イラク人民のマハディ軍支持の広がりに対し、各地で激しい空爆を繰り返している。12日にはバグダッドの南175`にあるクットを米軍機が空爆し、75人の市民が虐殺され148人が負傷した。14日には、前日にデモ隊がポーランド軍のいる警察署を取り囲んだのに対し、500`爆弾を何発も投下し、43人が虐殺された。米軍は空爆の中でクラスター爆弾さえ使っているのだ。
一方、自衛隊は今、第3次派兵部隊への交代を行っているが、実際に何をやっているかを隠したまま、米軍と一体となってイラク植民地支配を推し進めている。この自衛隊が駐留するサマワでもイラク人民の大規模なデモがまき起こっている。自衛隊の駐留はいずれこの決起したイラク人民に銃を向け、イラク人民を虐殺することになるのだ。
米軍ヘリの沖国大への墜落事故は、イラクでの侵略戦争の激化・拡大と完全に連動している。そして、米軍のトランスフォーメーションでの沖縄基地強化、そして北朝鮮(中国)侵略戦争を実践的に構えている中で引き起こされた事故である。さらに頻発することは避けられない。
今まさに侵略戦争下での階級闘争が問われている。侵略戦争と資本攻勢によってしか生きられない帝国主義を打倒することが求められている。
不屈の民族解放・革命戦争に決起し、米帝を追いつめるイラク人民と連帯し、米軍・多国籍軍をイラクからたたき出せ。自衛隊を撤退させよ。日韓米の国際連帯で11月労働者大行動を爆発させよう。
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週刊『前進』(2163号4面3)(2004/08/30)
原子力空母の母港化反対
横須賀で3千人集会
「空母母港化31周年・キティホーク横須賀母港化6周年抗議、原子力空母母港化阻止神奈川県集会」が8月11日、横須賀市のヴェルニー公園で開催された。教組、自治労、全逓、国労を始め、私鉄、交通、水道、造船などの組合旗や支部旗、青年部旗が100本以上林立し、例年をこえる3千人以上が大結集した。青年労働者、女性労働者が大半だ。
三浦半島地区労の三影憲一議長の司会で進められ、原子力空母横須賀母港化を止めよう神奈川実行委員会の宇野峰雪共同代表が「原子力空母の母港化に反対するために神奈川県実行委員会と全国実行委員会を結成した。08年母港化を絶対阻止しよう」と述べた。
続いて原子力空母横須賀母港化を許さない全国連絡会、全国基地問題ネットワーク、平和センター関東ブロック連絡会議の3団体が決意を述べた。
さらに連帯のあいさつが続いた。沖縄平和運動センターの山城博治事務局長は「辺野古のボーリング調査を実力阻止している。1万人の県民大会を計画している。小泉政権の暴走を止められるのは、われわれの闘いだ」と檄を発した。県央共闘会議の大波修二代表代行は「座間基地への米陸軍第1軍団司令部の移転に対し、8月29日の反対集会を決定した」と語った。
原子力空母の母港化を考える市民の会の共同代表の呉東弁護士は「08年までの4年間、バース延長やクレーン建設に反対して、署名運動を拡大して母港化を止めよう」と訴えた。
集会宣言を採択し、「百万人署名、県と政府・外務省への申し入れ、10・2の5千人の全国集会」という行動提起を確認し団結ガンバロー。デモに出発した。基地ゲート前での大きなシュプレヒコールに米兵家族がピースサインで応えた。
(写真 「原子力空母の母港化阻止」団結ガンバロー【8月11日 横須賀市のヴェルニー公園】)
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週刊『前進』(2163号4面4)(2004/08/30)
青森 第3次派兵140人
デモと申し入れ
弘前・山形・東北の学生ら
8月8日、青森空港からの自衛隊イラク派兵第3次部隊の第1陣140人の出発に対し、東北大学学生自治会、山形大学反戦の会、弘前ユース&スチューデントアクション、とめよう戦争への道!百万人署名運動・青森県連絡会の4団体の主催で「イラク派兵・多国籍軍参加反対! 8・8青森行動」を闘いました。
学生や労働者50人が集まり、駐屯地へのデモと申し入れを行った。デモコースは駐屯地までの一本道。商店から顔を出す人、車からじっと見つめる人。ビラもほとんどの人が受け取り、手を振って応えました。
いよいよ駐屯地が見えてきました。門の上には「任務達成 祈 無事帰国」と書かれた横断幕。私たちは駐屯地の低い柵を横に、建物の中にいる自衛官に声が届くよう声をあげました。
次は申し入れ行動です。道の向かいには「日の丸」や黄色い旗を掲げた右翼が約20人。門の前には警察。自衛隊側は正門ではなく南門で請願を受けると言い出します。「請願は正門で受けるべきだ」「このような混乱した状況では通行の妨害になる」「正門前を占拠している警察が悪い」と、やり取りをしていると、突然警察が私たちを取り囲み、正門から離そうとしました。私たちも引き下がるまいと、足を踏ん張り、抵抗します。そして駐屯地内の隊旗授与式へシュプレヒコールを上げ続けました。「多国籍軍参加反対」「出兵を拒否しよう」「イラクの人びとに銃を向けるな」 この攻防が1時間近く続き、自衛隊側から正門で申し入れを受けると伝えてきたので、各団体の代表が申し入れを行い、駐屯地内の自衛隊員や家族に、ともに戦争に反対しようと呼びかけて行動を終えました。
印象的だったのは、申し入れを受けた自衛官が、私たちのシュプレヒコールに対して「いま中で……静かにしてほしい」と困惑した表情で言ったことです。後で報道で確認すると、このとき隊旗授与式が終わり、派遣隊員と家族との懇談会が行われていたようです。
確かに自衛隊員や家族にとって派兵前の最後の大切なときだったかもしれません。しかし、だからこそ私たちは自衛隊員に向けて「殺さず、生きて、反戦を」「家族も声を上げよう」と訴えなければならないと思います。
軍服を着た労働者である自衛隊員と家族が帝国主義侵略戦争の兵士として犠牲にされる中で、私たちの訴えは必ず伝わっていくと思います。
(投稿/青森B)
(写真 駐屯地正門前で「出兵命令を拒否しよう」と自衛隊員に向かって訴えた【8月8日 青森】)
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週刊『前進』(2163号4面5)(2004/08/30)
「はまな」派兵弾劾
佐世保で阻止の闘い
“港の軍事利用許すな”
昨年8月にアラビア海から戻った海上自衛隊の補給艦「はまな」が8月10日、長崎・佐世保から“4たび”出航した。前畑ふ頭では早朝から、100人以上の労働者が集まり派兵阻止を闘った。
前畑ふ頭は貨物船の荷役作業を行う民間商業ふ頭だ。しかし7月末からフェンスで囲まれ、立ち入りが厳重に規制された。改悪SOLAS条約が理由だ。この条約は、9・11を理由に船舶や港湾施設の保安体制の強化を義務づけている。
規制を打ち破って佐世保地区労の主催で集会が行われた。「港の軍事利用を許すな」と書かれた大横断幕を持った全港湾や佐世保市職、全水道、佐世保交通労組などの地元の労組や、佐世保・長崎・諫早・大村の各地区労などが集まった。反戦共同行動・福岡と長崎も参加した。
午前10時、「はまな」が離岸すると「自衛隊の海外派兵反対」「港の軍事利用反対」などの抗議の声があがった。
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週刊『前進』(2163号4面6)(2004/08/30)
8月11日〜17日
ブッシュ、在外米軍再編演説
沖縄国際大に米軍ヘリ墜落
●イラク核開発元責任者「91年に全廃」 英BBCテレビは、フセイン体制下のイラクで核兵器開発の責任者だったジャファル博士とのインタビューを放映した。博士は「湾岸戦争後の91年、大量破壊兵器はすべて破棄され、開発は二度と再開されなかった」と証言した。(11日)
●「常任理事国入り、9条検討必要」 パウエル米国務長官が日本の新聞・通信7社と会見し、「日本が国際社会で十分な役割を演じ、安保理でフルに活躍する一員となり、それに伴う義務を担うというのであれば、憲法9条は検討されるべきだろう」と明言した。(12日)
●沖国大に米軍機墜落 沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学の1号館本館に米海兵隊ハワイ所属の大型輸送ヘリコプターCH53D1機が接触、学校の敷地に墜落し、炎上した。米軍人の乗組員3人のうち1人が重傷、2人が軽いけがをした。民間人にけが人はいない。事故当時、ヘリが接触した1号館には職員が約20人いたが危険を感じて逃げ、全員無事だった。(13日)
●「都市型訓練施設」本体着工 在日米軍は、沖縄県金武町キャンプ・ハンセン演習場内「レンジ4」での陸軍都市型戦闘訓練施設の建設計画が、準備作業から建設段階に移ったことを明らかにした。前日12日には鉄筋資材を積んだ大型トラックとクレーンが工事現場に入ったことが確認されている。(13日)
●米軍、事故現場立ち入り拒否 米軍ヘリ墜落事故で、沖縄県警は沖国大内の墜落現場で米軍に現場検証を申し入れたが、米軍が拒否した。県の視察も拒否した。(14日)
●オランダ兵が攻撃受け死亡 自衛隊が駐留するイラク南部サマワの北隣のルメイサで、オランダ軍の夜間パトロール車2台が、武装勢力による攻撃を受けた。オランダ兵1人が死亡した。(14日)
●イラク国民会議開会 イラク国民会議がバグダッドで始まった。暫定議会の役割を担うとされる「諮問評議会」の議員100人を選出するのが目的。シーア派のサドル師派やスンニ派の有力政党イラク・イスラム党などは参加していない。(15日)
●4閣僚が靖国参拝 敗戦から59年の8・15で、小泉内閣の閣僚では中川経済産業相、亀井農相、小池環境相、小野国家公安委員長の4閣僚が東京・九段下の靖国神社を参拝した。小泉首相は、千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪問した。靖国神社には1月1日に参拝している。超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」58人が集団参拝。(15日)
●米軍、軍用機訓練再開 ヘリの墜落事故以来、飛行訓練を自粛していた普天間飛行場で15日からC2A輸送機の離着陸訓練(タッチ・アンド・ゴー)が再開された。1宜野湾市の伊波市長を訪ねたフロック在沖米海兵隊基地司令官は、事故機と同型機以外の飛行訓練再開を明らかにした。(116日)
●ブッシュ「在外米軍6〜7万人削減」 ブッシュ米大統領は、米国外に駐留する米軍の再編計画の概要を発表した。削減するのは、ヨーロッパとアジア駐留の米軍二十数万人のうち6万〜7万人にのぼる。兵力削減の一方、最新兵器の導入などで機動力や柔軟性を高めるという。在日米軍の再編については、日米両政府の協議が継続中で、結論は出ていないが、司令部機能、「ハブ基地化」が強化されることは不可避だ。(16日)
●SACO見直し要求決議 沖国大への米軍ヘリ墜落事故で、宜野湾市議会は臨時議会を開き、日米特別行動委員会(SACO)合意の見直しと、普天間飛行場の名護市辺野古沖移設計画の再考を求める抗議決議と意見書を採択した。県議会も臨時議会を開き、抗議決議と与党側の出した「飛行訓練の県外分散移設」の意見書を採択した。(17日)
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週刊『前進』(2163号5面1)(2004/08/30)
『プラウダ』の歴史的教訓と戦時下の労働者細胞の闘い
職場の中に『前進』を広めよう
前進経営局
連合中央や日本共産党による労働運動の抑圧と分断をうち破り、階級的労働運動を大きく進める情勢、条件が成熟している。そのために労働組合に『前進』をもちこみ、労働者細胞建設の闘いを強めよう。今年3・20闘争から5〜6月に、新たに労働組合に『前進』を持ち込み、拡大する闘争が画期的に始まっている。この闘いを思いっきり強化しよう。こうした闘いを進めるにあたって、1917年ロシア革命の勝利の教訓と、それを導いた第1次世界大戦前のボルシェビキの合法的な労働者新聞『プラウダ』の活動は、きわめて豊かで実践的な教訓に満ちている。この教訓をわがものとし、機関紙拡大闘争の前進をかちとろう。
労働運動とともに進む労働者の新聞 合法日刊紙の発刊
1912年から14年の闘い
ボルシェビキは1912年1月のプラーグ協議会(ロシア社会民主労働党第6回全国協議会)でメンシェビキと最後的に決別し、党を再建した。
その後14年7月の第1次世界大戦開始までの2年半に党勢を拡大し、ロシアの自覚的な労働者の5分の4を『プラウダ』のもとに統一することができた。その核心は合法日刊紙『プラウダ』を環にした、労働組合と労働者細胞の建設の闘いにあった。
その後17年2月革命までの戦時下の約2年半は、弾圧の吹き荒れる暗黒の時代だったわけではない。ボルシェビキは労働者細胞の力で生き抜き、労働組合を基盤に反戦闘争、経済闘争、反弾圧闘争を闘い、2月革命を準備したのである。
12年1月に開催されたボルシェビキのプラーグ協議会は「あらゆる種類の合法的な労働者団体のできるだけ広い網にとりまかれた非合法の社会民主党細胞をつくる」方針を確立し、労働組合運動の強化と、地区党建設を打ち出した。
12年11月の第4国会議員選挙ではボルシェビキは労働者クーリア(種別)選出議員9人のうち主要工業県の6人を独占した。
労働組合では、ペテルブルグの20の労働組合(組合員数2万2千人、組織率10%)のうち最大の金属工組合を始め14組合の執行部を独占した。
ボルシェビキは中央保険評議会の選挙で圧勝してポストを独占した。工場の疾病共済組合理事会の多数を握り、書記に党員をすえることに成功し、ここを工場内の党活動の拠点とした。
こうした活動の環となったものこそ、合法日刊紙『プラウダ』の発刊と拡大の活動であった。
14年7月時点で『プラウダ』の発行部数は4万部、解党派メンシェビキの機関紙『ルーチ』は1万6千部であった。ボルシェビキは機関紙競争で解党派に圧勝した。
労働者のカンパにより発行
12年4月ボルシェビキの国会議員ポレターエフが新しい新聞の発行許可を受けた。当時ボルシェビキは非合法機関紙『ソツィアル・デモクラート』をジュネーブで発行していた。平均2カ月に1回発行され、官憲の包囲網をかいくぐって一部がロシアに持ち込まれていた。しかし、こうした党機関紙の非公然的活用だけでは高揚する労働運動に機敏に対応できなかった。そこで合法日刊紙の発行が待ち望まれていた。
『プラウダ』はこの期待にこたえ、労働運動とともに進む労働者新聞として、労働者の資金で創刊され、労働者自身が編集したボルシェビキの大衆的日刊紙であった。
レーニンは、解党派を批判したレーニンの論文を没(ボツ)にした『プラウダ』編集局を更迭(こうてつ)し、17年ロシア革命の実質的な事務局長の役割を果たすことになるスベルドロフを編集局に送り込んだ。
『プラウダ』には毎号30通〜35通の労働者の手紙や記事が掲載され、紙面の半分以上を占めた。
『プラウダ』は合法新聞としての制約があり、そこでは社会民主労働党について言及できず、非合法党の主張をストレートに打ち出すことはできなかった。この点は『イスクラ』や『前進』とは性格が違う。しかし単なる投稿紙でもなかった。『プラウダ』は権力との弾圧の中で創意工夫し、ボルシェビキの路線を最大限に提起し、権力とのギリギリの攻防を繰り返したのである。
選挙カンパニアを組織し、解党派機関紙との論戦を行い、労働組合、保険団体の党建設を援助し、党派性確立のための闘争の中心となった。
『プラウダ』にはレーニンの論文や記事が総計284編掲載された。レーニンは最も切実なテーマについて、「イソップ風の」、だが労働者にははっきり分かる言葉で巧みに書いた。これらはレーニン全集18巻〜20巻の多くを占めている。
『プラウダ』はボルシェビキの合法的中央部でありながら非合法的な組織活動を展開した。このため警察は155回も押収を決定し、36回も罰金を科したが、巧みな防衛措置を行い、刷り上がった新聞は事前に印刷工場から持ち出されたので、押収されたのはわずかだった。『プラウダ』は8回停刊されたがその都度名称を変更し、14年7月8日に最後的に発禁になるまで636号、2年間強にわたって発行された。
工場と街頭で販売 階級的団結つくる 『プラウダ』の活動
『プラウダ』発行部数は12年10月に2万〜2万5千部、13年には平日は3万〜3万2千部、祭日は4万〜4万2千部となった。発行部数の半分は首都ペテルブルグで販売された。
「各号の半分は売り子たちが街頭で販売し、残りの半分は工場で売られた。ペテルブルグの大工場内では各号の配布に担当が一人ついた。彼は新聞を配布し、集金し、編集者と連絡をとった」(トニー・クリフ)
予約購読者は14年7月で首都3125人、地方8409人であった。予約購読数の2倍から3倍が街頭と職場で販売されていた。
読者の9割は労働者で、労働者の半分は金属労働者であった。そのほかは、
木材加工 9・4%
印刷工 8・9%
電車等都市従業員3・2%
繊維労働者 2・8%
皮革工 2・5%
電気労働者 2・5%
事務職員 2・5%
商業従業員 2・2%
など広範な読者層がいた。
人口1億4千万人の大半が農民であるロシアで、首都に密集した金属労働者を中心とした工場労働者300万人の闘いが革命の帰趨(きすう)を握った。
14年当時、ペテルブルグの総人口221万人のうち、労働者は24万人。そのうち金属労働者は10万人で大企業に集中していた。
14年にペテルブルグの産業別の労働組合は20組合(組合員数2万2千人、組織率10%)で、並行する労働組合はなかった。ボルシェビキは最大の金属工組合をはじめ14の労働組合の執行部を独占し、労働者教育団体の多くの理事会を握っていた。
金属労働者は第1次大戦の戦時中に急増し、23万6千人(ペテルブルグの労働者の61%)となった。ボルシェビキは最大最強の金属労組の執行部を握ることでペテルブルグの労働運動全体の指導権を握ることができた。
レーニンは『労働者新聞デーの総括によせて』の末尾に14年4月の『プラウダ』への拠金(カンパ)額の多い順に14の企業の一覧を掲載している。(表参照)
これがボルシェビキの拠点工場と思われる。国立印刷局以外は金属労組である。最大規模のプチロフ機械とオブーホフ機械を除いて、いずれも数千人規模の工場であった。この工場で数十人から100人の労働者細胞があり、それを上回る予約購読者がいた。『プラウダ』に掲載された拠金額は、ボルシェビキでは党費として確認していた。
この拠金額は、細胞の党員数・予約購読者数・財政力をリアルに示している。レーニンはこれを掲げることで工場間の予約購読の競争を呼びかけた。また、解党派への拠金額も掲載し、解党派一掃の闘争を呼びかけた。ボルシェビキはこの労働者細胞を基礎に、戦時下の階級闘争を闘ったのである。
表の右の欄は、戦時下のボルシェビキの分かる範囲での党員数である。戦時下の激闘で傷つきながら、ボルシェビキが骨格を維持しぬいたことが分かる。
15年3月、レーニンは逮捕されたボルシェビキ国会議員の裁判に際して、次のように書いた。
「プラウダ系の新聞と『ムラノフ型』の活動とは、ロシアの自覚した労働者の5分の4の統一をつくり出した。約4万人の労働者が『プラウダ』を買い、それ以上多くの労働者が『プラウダ』を読んだ。戦争、牢獄(ろうごく)、シベリア[流刑]、懲役が、彼らを五倍も十倍もたたくがよい。この層をなくすことはできない。この層は生きている」(「ロシア社会民主党労働者議員団の裁判は何を証明したか?」全集21巻)
戦時下に労働者が弾圧はねのけ決起 ペテルブルグの闘い
14年1月9日の「血の日曜日」記念日ストには11万人が決起した。
3月レナ事件に関するボルシェビキの国会質問を支持するストには114工場5万3千人が参加した。
4月、国会左翼議員本会議退場処分抗議ストに164工場5万8千人が参加。
5月のメーデースト参加は346工場12万5千人で首都の労働者の半数が参加し戦前最大であった。
開戦直前の7月闘争はプチロフ労働者集会への警官の発砲に抗議する闘争として始まった。労働者はバリケード闘争を含め7日間闘いぬき、最高時259工場11万7千人が参加し、労働者9人が射殺された。
こうした闘争の頂点で宣戦が布告され、大弾圧が襲いかかった。首都では戒厳令が敷かれ、労働組合、労働者教育協会が解散させられた。『プラウダ』の発禁(7月)、集中弾圧、ボルシェビキ国会議員の逮捕(11月)は、ボルシェビキに著しい困難をもたらした。1・9記念日ストは15年には行うことができなかった。
この時に出された非合法機関紙『ソツィアル・デモクラート』によるレーニンの指針が運動全体の方向を与え、それを労働者細胞が実践した。
戦時下でスト扇動者・参加者は無期懲役以下の刑にするとの命令が出されたが、労働者全部を追放することはできなかった。
ロシアの戦争の敗勢が明らかになる中で15年夏に首都の労働者は立ちあがった。8〜9月、労働者の虐殺・逮捕に抗議するストライキが、アイバス工場、新レスネル工場を始め最大59工場7万人で闘われた。
1・9闘争は16年には復活し55工場6万7千人がストに立った。3月にはプチロフ工場の国家接収に対し28工場3万人がストライキに入った。プチロフ工場の国家接収と新レスネル工場への大弾圧で闘争は一時後退した。
しかし10月には物価闘争で新レスネルを始めビボルグ地区でストライキが開始され、警官と対決して闘い、労働者と兵士の連帯闘争が始まった。闘争は13日間に及び、最大時44工場6万人がストに入った。
17年の1・9闘争は14年を上回る111工場14万5千人が参加した。この闘いの中心をボルシェビキの拠点工場が担った。
ボルシェビキの最強の拠点はビボルグ地区の新レスネル機械工場であり、常に運動全体の主導権を握った。16年3月に雑役夫の賃上げストでボルシェビキ200人を含む500人が工場を追われてもなお、闘いを主導した。ボルシェビキと左派の影響下にある18の先進的大工場とその周りに集まる40の中小工場の労働者7万人が闘争を牽引(けんいん)した。
戦時下の弾圧でスト参加者は7万人弱に削ぎ落とされた。一方新たに55工場、7万5千人の労働者が弾圧をはねのけて闘争に決起してきたのである。
2万6千人を擁する最大の軍事工場であるプチロフ工場は、15年3月闘争に敗北して官営軍事工場に接収され、闘争を牽引できなくなったが、17年2月〜10月革命の過程で再び強力に登場した。
トロツキーは「だれが2月革命を指導したのかという問いに対し、それは大部分はレーニンの党によって教育された、意識的な、鍛練された労働者である、とはっきり答えることができる」(『ロシア革命史』)と述べている。
ボルシェビキは官憲の弾圧とスパイの潜入に苦しめられたが、労働者細胞を基礎に闘うことで党の骨格を守ることができた。16年末から17年初めにかけて官憲の集中検挙の困難の中でボルシェビキ中央委員会とペテルブルグ市委員会の基礎になったのはビボルグ地区組織であった。
戦争と弾圧はボルシェビキ労働者細胞を壊滅させることはできなかった。逆にボルシェビキはたくましく闘い、成長し、2月革命を準備した。
レーニンの指導で計画的な拡大闘争 労働運動の高揚下で
それでは『プラウダ』の活動の教訓は何であろうか。それは『プラウダ』を職場で販売し、労働組合を強化し、解党派に勝利し不抜の労働者細胞を建設した点にある。
@合法日刊紙の創刊
第一には、合法日刊紙を創刊したことである。ペテルブルグでは10年にボルシェビキ合法週刊紙『ズベズダ』が創刊され、12年には週3回発行されていた。だが、高揚する労働運動は日刊紙を求めていた。
『プラウダ』は「労働者を主要な協力者とし、大衆的な労働運動の成長とともに成長してゆく、新しい型の共産主義的機関紙」であった。
労働者の記事と手紙が紙面の半分以上を占める、労働者自身が編集する新聞であり、どこかの経営、どこかの兵営からの手紙が載ると、その新聞は奪いあうようにして読まれた。
『プラウダ』は、労働運動のための新聞であった。「ロシアにおける労働者の賃金と資本家の利潤」「軍備と資本主義」「1912年の金属労働者のストライキ」(レーニン)など労働運動に必要なことが常に提起されていた。
さらに『プラウダ』は、解党派を暴露し『プラウダ』派に獲得するために闘った。
『プラウダ』は日ごとに新しい支持者を獲得する共産主義の新聞であった。
A計画的な拡大闘争
レーニンは『プラウダ』の発行部数を5万部から6万部に引き上げ、さらに10万部に引き上げることを提起した。そのために一つひとつの工場を『ルーチ』から奪い取り、さまざまな工場のあいだに予約購読者数の拡大競争を要求した。
レーニンは「新聞活動グループ」を組織し、労働組合の労働者の詳しいリストを手に入れて、継続的、計画的な拡大闘争を行うこと、労働者集会や労働者街での戸別の扇動を行うことを提起した。
「この恒常的な読者獲得活動のためには、毎月の最後の週が一番適当である。たとえ年にただの1カ月だけであろうと、この最後の週を新聞扇動のために利用せずに済ますような地区組織はすべて、共産主義運動を拡大するうえで、重大な怠慢をおかすものである」(『共産党の組織建設、その活動の方法と内容についてのテーゼ』コミンテルン3回大会)
B財政闘争と非合法・非公然の党の建設
レーニンは、『プラウダ』をつうじて初めて党活動に必要な人間と資金の流入がおこりうることを提起している。
「ひとりひとりの労働者が、給料日ごとに、労働者新聞に1コペイカ(100コペイカ=1ルーブル)ずつ支払う習慣をつけることが必要である。……労働者新聞のために1コペイカを出すこの習慣がつけば、ロシアの労働者は、まもなく、自分たちの新聞をしかるべき高い地位に置くであろう」(「半年間の総決算」全集第18巻)
給料日ごとに、労働者新聞に1コペイカずつ支払う習慣を身につけた労働者を拡大することが党財政の基礎である。こうした労働者の自覚と積極性はどのような弾圧によってもうち破ることはできない。そして、それは機関紙によってしかなしえない。
また、機関紙によってこそ、非合法・非公然の党を建設することができる。
青年労働者に購読進めよう
日本の階級闘争は戦時に突入している。しかし、階級闘争の戦時下への移行はけっして暗黒でも絶望でもない。それは、動と反動がせめぎあう「勝利に向かっての試練」である。〈分岐・流動・再編・高揚〉に向かっている闘いを新指導路線のもとに闘いぬく中にこそ勝利がある。
17年のロシア革命の時、最年長のレーニンですら47歳であった。大半の労働者と兵士は、農民出身の青年であった。ロシア革命の最大の担い手は青年労働者だったのだ。
その組織化の基礎を形成したものこそ、第1次大戦前の『プラウダ』の活動であった。この闘いを生き生きと復活させよう。『前進』を青年労働者・学生に広めよう。
『前進』街宣を強めよう。労働者細胞とともに生き生きと呼吸する紙面づくりに向かって、紙面改革をさらに進めよう。
『前進』を職場に広げ、労働組合運動を強化し、労働者細胞を建設しよう。
11月労働者大行動―全国労働者集会を『前進』で組織しよう。
労働者新聞デーへのペテルブルグ工場別拠金額 1914年4月 (単位ルーブル)
|
|
ボルシェビキ |
解党派 |
労働者数 |
※1916年の党員数 |
新アイバス工場 |
791 |
(465) |
4087人 |
メンシェビキ拠点 |
プチロフ工場 |
335 |
(59) |
26097人 |
ボルシェビキ拠点 115人 |
サンクトペテルブルグ金属 |
273 |
(117) |
6704人 |
エスエル拠点 |
製管工場 |
244 |
(113) |
|
|
ジーメンス=シュッケルト軍需 |
229 |
|
3095人 |
|
エリクソン通信機 |
229 |
(55) |
2210人 |
ボルシェビキ15人 |
パルビアイネン機械 |
184 |
|
2613人 |
ボルシェビキ拠点45人 |
旧レスネル工場 |
168 |
|
1111人 |
ボルシェビキ拠点30人 |
フランス=ロシア工場 |
149 |
|
6656人 |
|
新レスネル工場 |
116 |
|
7720人 |
ボルシェビキ最強拠点80人 |
ケーブル製造工場 |
113 |
|
2700人 |
|
ジーメンス=ハルスケ電機 |
104 |
|
1863人 |
|
オブーホフ機械 |
91 |
|
10598人 |
|
国立印刷局 |
79 |
(54) |
8242人 |
|
ローゼンクランツ伸銅 |
|
|
3094人 |
ボルシェビキ拠点80人 |
ロシア=バルト航空機 |
|
|
500人 |
ボルシェビキ拠点30人 |
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週刊『前進』(2163号5面2)(2004/08/30)
労働者の戦時動員拒否を
9・1防災訓練弾劾に立とう
9月1日、8都県市合同防災訓練(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、横浜市、川崎市、千葉市、さいたま市)が予定されている。イラク自衛隊派兵下、有事法制−国民保護法による文字どおりの戦時動員(労働者動員、民間動員)として実施されようとしている。
しかし、有事法制と闘う陸・海・空・港湾労組20団体は従事命令拒否を宣言、さらに自治体労働者、教育労働者も断固たる反撃を開始している。4大産別を軸にイラク派兵・改憲攻撃と闘う労働者階級人民の大反撃をたたきつけよう。
海上阻止訓練
今回、8都県市合同防災訓練の中央訓練会場が、横浜市の「南本牧ふ頭」に設定されたことは重大な攻撃だ。横浜市の訓練実施規模は参加機関が約50機関、参加人員は6000人であり、市民2700人とともに市職員350人が動員されようとしている。
震度6強の地震発生により、「市内臨海部の被害は甚大で家屋の倒壊や道路の損壊をはじめ、電気・ガス、水道等、ライフラインをも大きな被害が発生……各所で火災が発生し、多数の死傷者が出ている」との想定で「陸・海・空」の訓練を実施するという。
しかもそれを、@「市民による自主防災訓練」=労働者・市民の民間動員、A「防災関係機関による部隊訓練」=自衛隊3軍と海上保安庁、警察・消防の治安出動訓練の二部構成で実施しようとしている。
国民保護法の総則には「避難」「救援」活動への、国家による労働者人民の動員が規定されている。それはそもそも「国民の生命、身体及び財産」を「保護」するためのものではない。市町村長の権限が事実上奪われる中、国家の支配構造の一角としての知事権力、そして警察・自衛隊が一体となって労働者人民を強制的に動員し、物資を保管=強制収用し、民間の土地・家屋などを北朝鮮侵略戦争のために強制的に使用できるようにするものなのだ。
そして、その有事動員をいつでもどこでもスムーズに行うことができるように、「組織の整備、訓練、啓発に努めなければならない」と規定されている。いわば「隣組」組織の現代版だ。戦前・戦中も地域・職場・学校などいたる所で防火訓練・防空訓練が行われ、その動員の繰り返しが、戦争への精神的動員を組織するものとなった。挙国一致体制づくりの訓練が行われたのである。
隣組は1940年9月11日の内務省訓令に基づいて整備された。早くも9月中だけで全国に120万の隣組と約1万6000の部落会、町内会がつくられた。この隣組をとおして、国民に対する統制、動員の業務が行われた。国債の割当額・貯金の目標額・金属回収の責任額、さらに出征兵士や遺骨の歓送迎、勤労奉仕・防空演習への動員数もすべて隣組に割り当てられた。
今春、国民保護法案の審議中、井上喜一(防災・有事法制担当国務大臣)は、「特別に有事だからといって訓練をする必要はないので、これは防災の訓練と一緒にしまして有事のときの訓練もすべきだ」と答弁、小泉も「9月1日になれば、毎年、防災に対する訓練が各地において行われております」と言い、9・1防災訓練がイコール有事訓練として行われてきたし、これからもそうなのだと言いきった。
まさに国民保護法が成立した今、9・1防災訓練こそ、建て前も本音も「戦時動員訓練」であり、それは8都県市合同訓練をとってみればすでに25回も繰り返し続けられてきているのだ。
東京は3万人
東京都では、「午前6時ころ、23区北東部を震源とした大地震が発生し、震度6以上を記録した」との想定で、約100機関(団体)、約3万人の大規模な訓練として行われる。会場は都庁と台東区・墨田区・荒川区であり、東京都と3区の合同訓練となる。
東京東部地域こそ、81年前の関東大震災直後、朝鮮人・中国人虐殺が繰り広げられた現場ではないか。荒川区内の訓練会場である「白鬚(しらひげ)西区周辺、南千住コツ通り周辺」など、今もなお埋葬されることなく放置された朝鮮人の遺骨が眠る場所だ。
自衛隊が前面に登場する排外主義むき出しの防災訓練をファシスト石原都知事のもとで行おうとするものだ。
さらにもう一点、横浜中央訓練で行おうとしている狙いをはっきりと見ぬかなければならない。
PSIの一環
8月3日、石破防衛庁長官、川口順子外相がそれぞれ記者会見し、03年5月に米帝ブッシュが提唱した「大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)」について、「10月下旬に東京湾沖合で海上阻止訓練を日本政府が主催して行う」と発表したのである。これは、大量破壊兵器(WMD)などの密輸阻止を狙ったPSIに基づく多国間合同訓練であり、日、米、英など15カ国が中核メンバー。加えて韓国・中国を始め東南アジア諸国にも参加を呼びかける。
海上でWMD関連物資を積んだ輸送船を停止させ、船内を捜索する臨検の実施を想定している。海上保安庁の艦艇に加え、これまではオブザーバー参加にとどめてきた海上自衛隊は護衛艦、P3C哨戒機などが参加する。9・1の横浜中央訓練が、このPSI訓練実施に向けた具体的な動員・準備としてあることは明らかだ。
9月には6者協議が予定される中、まさにすさまじい北朝鮮に対する戦争挑発であり、軍隊による海上封鎖そのもの、戦争重圧そのものとして徹底的に弾劾しなければならない。このアジア初のPSI海上阻止訓練を日帝が主催して行うことの飛躍性、挑戦性をも見据え、なんとしても阻止しなければならない。
まさに9・1防災訓練こそ、イラク侵略戦争・自衛隊の多国籍軍参加に続き、北朝鮮侵略戦争参戦に向けた凶暴な戦時演習そのものなのだ。闘う自治体労働者、教育労働者、港湾・運輸労働者を始め全労働者に対する戦時動員攻撃そのものだ。労働者、労働組合を先頭に9・1防災訓練を粉砕しよう。
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週刊『前進』(2163号6面1)(2004/08/30)
被爆地ヒロシマで学生が全国交流集会 広島 H・S
8月5日午後、広島市中区のアステールプラザにおいて「ヒロシマに学ぼう ヒロシマで話そう この戦争の世界を変えよう」をスローガンに全国学生交流集会(主催・8/6ヒロシマ企画広島大学学生実行委員会)が行われた。全国から百人を超える学生が集まった。
集会では最初に、広島大学学生実行委員会のメンバーが「ヒロシマで何が起きたのか、ヒロシマはなぜ起きたのか、ヒロシマに何を学ぶか」というテーマでスライドを上映しながら報告を行った。
原爆被害の実相や原爆投下に至る日本の侵略戦争とそれを阻止しえなかった日本階級闘争の敗北の歴史、そして戦後の労働者階級の闘いと被爆者を先頭とした反戦・反核の闘いが報告された。労働者階級の団結した力こそが戦争を阻止し、世界を変革する力であること、そして動労千葉や20労組、教育労働者の決起など、すでにそうした闘いが始まっていることが提起された。
続いて反戦被爆者の会の会長である大槻泰生さんの講演が行われた。自らの被爆体験を交えながら、強制連行された朝鮮人が働く工場で監督の仕事に従事していたことが話され、「戦争をくい止める力を私も働く仲間も持っていたなら、自分自身被爆に至らなかった。すでに日本は戦争状態に入っている。くい止めるのは労働者階級であり、若いみなさん方だ。一緒に頑張りましょう」と述べられた。
また、イラクから広大に研修に来られているフサーム医師からイラクでの劣化ウラン弾の被害の実態がスライドで報告された。
全国各地からの報告として12の大学から報告が行われた。「大学改革」・独立法人化攻撃の中で法政大学を始めすべての大学で学生自治・学生運動への攻撃が激化していること、それに対する学生の反撃が始まっていることが報告された。
ヒロシマの歴史と闘いに学び、労働者階級とともにその先頭で闘う学生運動の新たな発展をつくろうと確認して集会を終えた。
核廃絶を訴え被爆者解放集会かちとる 広島 K・T
8・6広島反戦反核闘争の一環として、8月6日午前9時よりアステールプラザ中ホールにおいて「核廃絶・被爆者解放集会」がかちとられた。8・6広島−8・9長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会が呼びかけ、反戦被爆者の会・全国被爆者青年同盟・部落解放同盟全国連合会を責任団体として開催された。
集会は全国被青同の司会で進められ、反戦被爆者の会の会長である大槻泰生さんが「新たな戦時下の8・6を迎えた今、アジア侵略も、ヒロシマ・ナガサキも繰り返すな!」と呼びかけた。
次に、被爆者からの被爆体験と訴えが続いた。
全国連広島支部長の三浦繁文さんは、被爆の状況下でも差別された部落民被爆者のくやしさと怒りの思いをこめ、この社会を変えるまで被爆者の願いは実現されないことを訴えた。
さらに、福島町在住の2人の被爆者が被爆した当時の模様を語り、戦争を絶対くり返してはならないと呼びかけた。
また、被爆から59年間、被爆を隠し続けてきた一人の被爆者から「わたしの人生を返せ、恨みと怒りのこもったすべての思いをこめて、59年目の今年、原爆手帳を申請しました」というメッセージが届けられた。
この被爆者たちの「戦争をくり返すな」という必死の思いを真っ向から受け止めて、全国連中田潔書記長、阪口克己東大阪市議の2人が戦争と差別をなくす闘いの先頭に全国連が立つことを改めて表明。全参加者がこの決意を自分の決意として確認し、8・6を突破口に総決起することを誓った。(写真は8・6ヒロシマ大行動のデモ)
労働者には世界を変える力があると実感 東京 木原紀子
8・6ヒロシマ大行動はすごく解放感にあふれた闘いでした。中でも、6日のデモ、7日の碑めぐり、そして全国青年労働者交流集会が印象に残ります。
8月6日の広島で、「戦争を止めよう」とデモをしていることにいろんな思いがわいてきて、気づいたらのどが痛くなるくらい声を上げ、拳(こぶし)を突き上げていました。(写真)
デモの先頭でマイクを持つ女性が、信号待ちの時に「私たち労働者には戦争を止める力がある。一緒に闘いましょう」と人びとに呼びかけ、その言葉に私自身も力がわいてきて、一層強く拳をがんがん突き上げてデモをしました。呼びかけにこたえるように、高校生ぐらいの男の子がデモに合流したり、すれ違う女性が一緒に拳を突き上げたり、戦争を止めようという思いが街中にあふれているように感じました。
後で広教組の人に聞いた話では、8月6日の広島は祈りの日になってしまってこういう激しい闘いは実はあまりなかったとのこと。そういえば、7日の平和公園碑めぐりでもほとんどは「慰霊の碑」であると聞きました。そういうなかで、広島の全損保労働組合が建立した碑が、祈りではなく原爆への怒りと憎しみと、2度とくり返すなという強い誓いの内容になっていてとても印象的でした。労働組合の建立した碑が戦争を許さないという思いで建てられていることと、労働者こそが戦争を止めるんだというデモの時の言葉が重なりました。
それから、2日間にわたって行われた青年交流集会はとてもよかった。全国から集まった青年労働者の力がひとつになって大きな力になって動き出している、そう感じました。全国に闘う仲間がいるんだと感じ、頑張ろうという気持ちを新たにしました。労働者を分断しようとする攻撃の中、団結することはすごい力を発揮すると思いました。
労働者には世界を変える力がある、という言葉を何度も何度も感じた2日間でした。
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週刊『前進』(2163号6面2)(2004/08/30)
8・15東京 改憲阻止集会に480人
韓国・民主労総と固く連帯
8月15日午後、東京・中野ZEROで、「『国益』と『排外』に憲法は屈するのか 第10回8・15労働者・市民の集い」が開催され、480人が参加した。主催は戦後50年を問う8・15労働者・市民の集い全国統一実行委員会。
国鉄水戸動力車労働組合の労働者と婦人民主クラブ全国協議会の女性の司会で集会は始まった。冒頭、司会が当日の石原都知事や閣僚の靖国参拝を弾劾した。
主催者あいさつに立った葉山岳夫弁護士は「小泉の参院選敗北は労働者人民の怒りの声」「排外主義は帝国主義戦争の起爆剤である」と訴え、「改憲攻撃の中心は国益をふりかざした憲法9条の改悪であり、集団的自衛権の容認である」と改憲阻止闘争への決起を呼びかけた。
特別アピールの最初に自治体労働者が登壇した。始めに13日に発生した米軍ヘリの沖縄国際大学への墜落事故を弾劾した。そして「職場から有事立法制定に伴う自治体の戦争業務を拒否する闘争態勢をつくる」決意を表明し、「有事法制を容認し改憲を推進する自治労本部と対決して闘う」ことを訴えた。
次に武内更一弁護士(憲法と人権の日弁連をめざす会)がアピールを行った。「司法改革は政府と財界の『国策に資するための司法づくり』である」ことを暴露し、労働者民衆とともに戦争のできる国づくりのための「9条改憲」と闘い抜く決意を表明した。
続いてコメディアンの松元ヒロさんのコント。「憲法は理想、現実と理想が違えば現実を理想に近づけるのが本当のことではないですか」などの本質を突きながらもユーモアと風刺の効いたコント(写真)に会場は大爆笑に包まれた。
メインの講演に立った大久保史郎さん(立命館大学教授・憲法学)は、石破(防衛庁長官)などの戦争経験のない議員が「9条を排除した国家づくり」をめざしていること、財界も改憲に踏み切ったことを弾劾した。その上で、「改憲を阻止してきたのは、もう二度と戦争はしないという反戦意識」と指摘し、改憲派の目的を「資本の世界的規模での展開を保証する軍事力を持った体制をつくること」であると批判した。
休憩をはさんで後半が始まった。
冒頭、司会が主催者からの「おわび」を読み上げ、集会に参加する予定であった民主労総のムンムンジュさん(ソウル本部組織部長)とパクサンユンさん(ソウル本部事務処長)にビザが下りず、参加できなくなったことを報告した。そして、「日本人が韓国に行くことに対してはビザの取得を義務づけていないのに、韓国人が日本に行くことに対してはビザの取得を義務づけている差別・排外主義的な日韓関係の現実が、この事態を招き、本集会に対する妨害となったことを、私達は強く弾劾します」と訴えた。
動労千葉の国際連帯委員会の青年が民主労総の6、7月の闘いを報告し、民主労総製作のビデオを上映するとともに民主労総ソウル本部からの連帯のアピールを代読した。
続いて国鉄千葉動力車労働組合の田中康宏委員長が発言に立った。ビザ問題での日本政府の対応を弾劾するとともに民主労総と連帯して闘う決意を表明した。そして、「日本のなんとも情けない労働運動の現状を変えるために全力で闘う。それ抜きに国際連帯はない」と断言し、7月の訪米時に「10月17日にワシントンDCで行われるミリオン・ワーカー・マーチ(百万人労働者行進)と11・7集会はひとつだ」とアメリカの労働者から激励されたことを紹介した。「戦争と民営化と闘うことが世界の労働者の課題」と訴え、11・7労働者集会への結集を呼びかけた。
航空労組連絡会議の内田妙子議長は、「(9条改憲は)世界でもうける日本大企業の権益確保のためにアメリカと一体となって武力行使できる体制づくり」と弾劾した。さらに有事法制の発動を許さず闘うことを宣言し、憲法9条の改悪を許さない決意を表明した。
最後に「日の丸・君が代」強制反対・処分撤回を求める被処分者の会の教育労働者が発言に立った。「卒業式でたった40秒間黙って座っていただけで処分された」ことを報告し、「石原都知事こそ国民の教育への信頼を傷つけた張本人」と弾劾した。そして「戦争動員のための教育の暴力支配を許さない。私は今後も「君が代」強制の職務命令を受け入れるつもりはない」という決意を表明し、さらなる支援を訴えた。
主催者のまとめを西川重則さん(8・15集会実行委員、平和遺族会全国連絡会事務局長)が行った。「国境を越えた労働者市民の団結の重要性」を訴え、「日本国家の戦争責任を明らかにし、二度と侵略戦争を許さない」という原点に立って、反動石原都政と対決し天皇制・靖国思想を許さず、改憲を阻止する決意を表明した。
改憲阻止闘争への総決起を宣言したすばらしい集会だった。
(投稿 奥平 博)
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週刊『前進』(2163号6面3)(2004/08/30)
8・15ソウル 派兵撤回叫び1万5千
59年目の8・15光復節(日本の植民地支配から解放された日)、韓国はイラク派兵撤回を掲げた闘いの日となった。
先立つ8月2〜3日、民主労総など約360団体が結集する「イラク派兵反対非常国民行動」は、派兵部隊訓練場、空港、青瓦台(大統領府)などで派兵阻止の実力闘争を繰り広げた。しかし、3日早朝、第1陣330人の派兵強行。
全人民的な怒りは8・15に引き継がれた。15日午後、民主労総と韓国労総共催の「派兵撤回・反戦平和2004年自主統一労働者大会」がソウル・光化門で開かれ、1万人の労働者が結集した。
続く派兵軍撤収要求集会(国民行動と統一連帯などの主催)は1万5千人余にふくれあがり、「亡国的派兵を強行する盧武鉉政権糾弾!」「死を呼ぶ韓米同盟反対!」の声がとどろいた。
午後4時半、参加者たちは米大使館に向かってデモに出発。これを阻む警察部隊との激突となった。集会・デモを禁止する改悪集示法を打ち破る闘いだ。
激突後、イスホ民主労総委員長は「統一を妨げる国家保安法などの悪法を撤廃し、派兵を撤回させ、戦争を終息させる力強い下半期闘争を始めよう!」と呼びかけた。(写真は8月15日ソウル)
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週刊『前進』(2163号6面4)(2004/08/30)
M同志私文書弾圧裁判 無罪判決以外ない!
9・30判決公判に結集を
全学連M同志に対する私文書偽造デッチあげ弾圧の控訴審闘争は、7月29日に東京高裁第10刑事部で最終弁論をかちとり結審した。判決公判は、9月30日(木)午前10時から行われる。M同志と弁護団は、中谷1審判決と掌紋鑑定を徹底粉砕した。M同志を有罪とする証拠など何ひとつない。無罪以外の判決はありえないのである。戦時治安弾圧下、裁判が科学的論理性に反し、暗黒の政治裁判の場と化している現状を徹底弾劾し、無罪判決をかちとろう!
M同志は、01年6月12日に、「私文書偽造同行使」容疑で不当逮捕・起訴され、1年11月もの長期不当勾留攻撃を受けたが、不屈の完黙非転向闘争によって戦線復帰をかちとった。これに対し、1審・東京地裁中谷雄二郎裁判長は、有罪立証に確信がないにもかかわらず、懲役2年4月執行猶予5年の有罪判決を出したのである。
この暴挙は断じて許されない。M同志と弁護団はただちに中谷判決徹底弾劾の控訴審闘争に決起した。
控訴審のポイントは2点ある。
第一は、中谷判決の論理破綻(はたん)である。判決には、「矛盾しない」という言葉が頻発する。これは、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則に違反することは明白であり、有罪の証拠は何もないことを自己暴露している。
第二は、掌紋鑑定=金子鑑定の非科学性である。まず、前提として、指掌紋は一般に「万人不同」「終生不変」とされているが、現在の理論や技術で実際にそれらが識別できるかどうかは別問題なのである。また、本件では「さし名照会」(遺留指紋と対照する指紋をあらかじめ特定する)というやり方がとられており、初めから予断が持ち込まれているのである。
さらに、現在の鑑定で用いられている「12点法」の根拠は、「指紋鑑定基準(案)について(昭和54年12月13日付)」とする警視庁鑑識課文書であるが、表紙に「取扱注意」と記され25年間一般公開されず秘匿されてきた代物である(同時に、警察は25年間これ以上の研究を一切しなかったということも判明した)。
今回、弁護団が情報公開請求で初めて開示をかちとり控訴審で証拠請求したが、検察は不同意にしたのである。権力自らがこの文書の信用性を否定する事態まで追いつめられたのである。最終弁論ではこの文書を徹底批判した(一例として、「最小二乗法」という物理の分野で多用される計算式が用いられているが、この計算が間違っていることを今回指摘した)。
結局、指掌紋鑑定の実体は、科学ではなく「経験と勘」でしかないことを完全に論証し尽くしたのだ。
本裁判は、警察・検察、そして裁判所が法や科学を自らの階級的利害を貫徹するための道具としていることを弾劾する場となった。M同志の無罪判決を!
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