ZENSHIN 2003/12/01(No2128
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週刊『前進』(2128号1面1)(2003/12/01)
第2次小泉内閣打倒を
イラク軍事占領と大リストラ・年金改悪・大増税を打ち破ろう
国際連帯の力で12月決戦へ
11・9全国労働者総決起集会は、歴史的な成功を収め、日本・アメリカ・韓国の労働者の国際連帯闘争の巨大な第一歩を印した。この闘いのくめども尽きぬ教訓を徹底的にわがものとし、日本の労働者階級人民全体のものにしていくために闘いぬこう。11月19日発足した第2次小泉内閣のイラク派兵を始めとする大反動攻撃と全力で闘う陣形をつくろう。第2次小泉内閣打倒の旗を掲げて闘おう。とりわけ、自衛隊のイラク大規模派兵を阻止する反戦反軍闘争を全力で爆発させよう。年末一時金カンパ闘争に勝利しよう。
第1章 11・9集会の感動を全労働者の中に!
3労組の呼びかけによる11・9全国労働者総決起集会は、国際主義の旗を掲げ、団結を発展させる闘いの開始の日であった。参加したすべての人が等しく労働運動の新しい段階が開かれたと感動をもって確認した。労働者の国際連帯が必要だ、勝利のために不可欠だということは誰もが頭では理解していた、言葉でも何度も確認してきた。しかし、実際に生身の労働者が、語り合い、経験を交流し、一緒にスクラムを組み、闘うことは、一挙に壁をのりこえ、同じ軍勢に高める力を持つ。世界の労働者はひとつの階級なのだということを実感した。
日本と韓国とアメリカの労働者は、帝国主義の同じ攻撃と闘っているのだ。帝国主義の戦争政策、資本攻勢、民営化とリストラ、すべて同じ質を持った攻撃だ。闘うもの同士でそのことが実感をもってとらえられ、国際連帯のもと共同の闘いが絶対に必要であることをつかみとった。
民主労総は、盧武鉉(ノムヒョン)政権の労働弾圧と闘って同じ日に5万人の労働者大会を開き、警官隊と火炎瓶、鉄パイプで激しく闘いぬいた。その代表が3労組呼びかけの集会に来てともに闘ったことの意味はきわめて重い。日本の戦闘的労働者は、それと連帯し、つりあう闘いを本当に目指さなければならない。
勝つために、帝国主義打倒のために何が必要か。それは労働者の国際的団結であり、労働組合的団結だ。
11・9を突破口に、日本における労働運動の政治地図を一気に塗り替えるような躍進を遂げることが問われている。この感動を直ちに全国の労働者人民の中に伝え、その中身を持って次の闘いを組織することだ。11・9は最初の一歩である。04年の決戦に向けて直ちに12月、「11・9の後半戦」を闘いぬこう。
革共同は、62年の3全総をもって「戦闘的労働運動の防衛と発展、地区党の建設」を軸とした路線を決定し、その直後の黒田・カクマル一派の逃亡・敵対と闘い、強大な労働者組織建設をかちとり、その力をもって70年安保・沖縄闘争の戦闘的武装的大爆発を切り開いた。これに対する大反動としての、権力とカクマルの二重の反革命との対決を営々として闘ってきた。
その中で、動労千葉は、動労松崎=カクマルの反動と不屈に闘い、組織と闘争を破壊する攻撃に対して敢然と分離・独立をかちとった。国鉄分割・民営化攻撃に対して、動労松崎が中曽根の手先として分割・民営化の先兵として立ち現れたのに対して、唯一ストライキをもって真っ向から闘って活路を開いてきた。
この動労千葉労働運動が、70年代、80年代、90年代を不屈に闘いぬいてくることによって、日帝の先兵として生き残りを図った松崎・JR総連と黒田・カクマルとの大分裂を生み出し、さらにJR総連内部にも分裂を生み、権力との関係も壊れるという大破産を突き付けるに至っているのだ。11・9国際連帯闘争の爆発の前に、例年妨害行動を繰り返してきたカクマルがついに登場できなかったことは、ファシストどもの歴史的敗北を示している。
世界的な民営化攻撃との闘いの中で、動労千葉が最も原則的に階級的戦闘性を発揮して闘っていることが光り輝いているのである。韓国の民主労総という世界で最も戦闘的大衆的労働組合組織、アメリカのILWU(国際港湾倉庫労働組合)という全米屈指の戦闘的労働組合が、動労千葉との交流を通じて、日本に真に連帯する相手がいると理解したのは、理由のあることなのだ。日本の中にこそ、もっともっと動労千葉労働運動の意義を語り広め、ともに闘うネットワークをつくりだしていかなければならないのだ。
米韓の労働者から「今回かぎりの共闘ではなく、これからも継続しよう」と提起されていることは重大なことだ。これにこたえるためには、11・9集会に参加しなかった労働者にも広くその内容と意義を伝え、広げていくことが不可欠だ。11・9への総力決起が生み出しているすべてを04年決戦へ向けて発展させよう。
04年大決戦の先取りが12月の攻防である。国鉄決戦では、12月最高裁判決を契機として国鉄1047名闘争の解体、闘争団切り捨て、国労自己解体策動が強まっている。国労の生死をかけた大攻防に待ったなしに突入している。5・27国労臨大闘争弾圧の8被告を年内に必ず奪還する闘い、「許さない会」の拡大の闘いを軸に、国鉄決戦に全力で取り組もう。動労千葉に対する12月習志野電車区廃止攻撃と断固闘おう。
国労攻防は、都労連決戦と一体である。都労連は秋期確定闘争で18日にストを構えたが、賃下げ、退職金削減などの攻撃を受け入れてストを中止した。石原都政の大民営化と行革リストラ攻撃は、国労解体と連動した都労連解体攻撃として全面的に激化しているのだ。スト中止と屈服をのりこえて闘おう。
12・1〜2全逓臨時大会をめぐる闘いは、組合名称変更=全逓解体を阻止し、郵政民営化攻撃と闘う重要な決戦になっている。闘う全逓労働者の怒りで包囲し、裏切り中央本部を総退陣に追い込もう。
東京都の教育労働者運動つぶしの大攻撃との闘いを先頭に、教育基本法改悪阻止への団結をつくりだしていかなければならない。小泉=奥田路線との対決は、04春闘を前に、東京決戦として火を噴いているのだ。
第2章 小泉=奥田路線と徹底対決し闘おう
11・9労働者集会は、総選挙とぶつかって、なおかつ「労働者の投票所は日比谷野音だ」という標語のもとに、翼賛選挙に全面対決してかちとられた。
その総選挙は、自民党が単独過半数を取れなかったことが示すように、「小泉幻想」の崩壊と自民党支配の危機を突き出した。小選挙区の自民党候補が公明党票に支えられてしか当選できないことがさらけだされた。一方で、「躍進」したという民主党は、奥田・日本経団連の要求に対応する「マニフェスト」を打ち出し、小泉よりもっと反動的なことをやろうとする政党であることを示した。それは連合との関係でも脆弱(ぜいじゃく)性を見せている。自民党と民主党・連合中央の翼賛体制を打ち破らなければならない。
他方で、社民党、日本共産党が壊滅的に敗北した。それは、社・共に代わる闘う労働者党の登場を本当に切迫した課題として突き付けているのだ。改憲勢力が90%を超える事態となったことは、容易ならない事態である。しかし、これをもって一路暗黒ということでも、労働者階級の闘いが帝国主義によって平定され尽くしたということでも、断じてない。何よりも11・9労働者集会はそれを示したのだ。
第2次小泉内閣は、現閣僚をすべて再任させて発足した超反動内閣である。イラク派兵・朝鮮侵略戦争に向かって突進する内閣であり、改憲を真っ向から掲げた内閣であり、教育基本法改悪を当面の重大課題とする内閣である。有事法制の国民保護法案を通常国会で強行しようとしている。また共謀罪を再び国会に提出する動きも強まっている。
同時に小泉政権は、小泉=奥田路線をもって、年金改悪を強行し、民営化攻撃を進め、労働者人民に大リストラ、大増税を強制する政権である。年金改悪は、国家財政の破綻(はたん)の中で、侵略戦争資金をねん出するために、年金積立金を取り崩し、保険料を毎年上げ給付は引き下げる、徹底した収奪の攻撃だ。この攻撃に屈服することは、明日も生活できないことになり、侵略戦争にのみこまれていくことになるのだ。全力で対決しよう。
第3章 自衛隊イラク派兵阻止する大闘争を
米英帝はイラク侵略戦争の行き詰まりの中で、米英首脳会談を持ち、「テロには屈服しない」などと共同宣言を発表した。これに対してロンドンでは20万人のデモが爆発している。
イラク人民の米英占領軍に対する民族解放・革命戦争はますます激化の一途をたどっている。12日にはイラク南部のナーシリアでイタリア軍施設が攻撃され27人が死亡した。イタリア国内は震撼(しんかん)している。日本の自衛隊が展開しようとしているサマワはそこからわずか80`だ。
また、陸上自衛隊の専門調査団がサマワに入った18日には、バグダッドの日本大使館に対する発砲があり、大使館警備員が銃で応戦する事件が発生した。
日本の自衛隊が本格的に出兵していくことは、米英占領軍に対する突出した支援として、国際的にも、世界史的にも特別な意味をもっている。当然、それ自体がゲリラ戦争の最大の標的となるのだ。
このイラク侵略戦争のそもそもの不正義性がますます明確になっている中で、日帝軍隊がこの戦場に派兵されてイラク人民に銃を向けることの大義のなさが突き付けられているのだ。
しかもイラクでの民族解放・革命戦争の爆発に追い詰められ、日帝・小泉自身が年内派兵をめぐってグラグラとなっている。
だが、日帝が帝国主義であるかぎり、イラク派兵は絶対的な避けられないテーマである。日帝は自衛隊を帝国主義の侵略戦争に本格参戦させ、殺し殺される侵略軍隊とし、戦後的な制約を一気に突破しようとしているのである。そうでなければ今や日米争闘戦において、帝国主義としてたたき落とされるのである。
反戦反軍闘争の正念場である。イラク派兵は、日本社会を根底から変える。「イラクの子どもたちを殺すな」「侵略戦争に加担するな」の声を掘り起こし、今春の闘いを上回る大波を巻き起こさなければならない。闘うイラク人民、ムスリム人民、すべての中東人民と連帯し、米英軍をイラクからたたき出せ! 軍事占領への自衛隊参戦を阻止せよ! 12月へ、04年へ、イラク参戦を日帝・小泉の墓穴に転化し、日帝打倒の突破口とするような巨大な闘いをつくりだそう。
ラムズフェルド米国防長官の訪日・訪沖・訪韓は、危機を深めるイラク侵略戦争の遂行のために日本と韓国の動員を求める大攻撃であった。イラク侵略戦争は、沖縄基地の再編強化を強めるものであり、沖縄人民の基地沖縄の現実に対する怒りと衝突する。普天間基地撤去・名護新基地建設阻止の闘いを強めよう。
11・9の感動を伝え、広め、年末一時金カンパ闘争に結実させよう。機関紙拡大闘争と結びつけて党勢拡大をかちとろう。本紙前号の11・9報道号を集会全参加者だけでなく、全職場・全組合に積極的に持ち込もう。ぜひ読んでもらおう。
11・17新小岩での『前進』街宣に対する不当逮捕(6面参照)は、『前進』とその販売街宣に対する破防法型の大弾圧である。徹底弾劾して、打ち破ろう。
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週刊『前進』(2128号1面2)(2003/12/01)
石原の都労連解体許すな 03秋闘で1万人集会
スト倒し妥結
都労連と都との交渉は、石原都知事がハワイに脱出する中で18日午前2時すぎに妥結した。都労連はスト中止を指令し、29分職場集会に切り換えた。これで都労連の秋期確定闘争は、4年間、ストなしとなった。
都労連秋闘は、「第2次財政再建プラン粉砕、ダブル削減反対、給与削減期間の延長絶対阻止、都職員の警視庁への千名派遣阻止」を掲げて果敢に闘われた。6波3万人の都庁前決起集会、2日間連続千人の都庁舎座り込み行動、12日29分職場集会、17日1万人集会をやりぬき、18日始業時から2時間のストを構えた。
5年連続の賃下げ勧告や4年間の削減措置により、都職員は百万円を超える賃金カットを受け、生計費原則は解体され、生活は極限まで逼迫(ひっぱく)している。この中で、ぎりぎりの攻防として03確定闘争は闘われた。さらに秋闘の渦中で発表された第2次財政再建推進プランなど一連の大民営化・行革リストラとの緒戦での闘いであった。
妥結した内容は、当局からわずかに譲歩を引き出したかにみえるが、大部分=核心部分で石原都政の攻撃を跳ね返せていない。
これから石原都政の全面的な民営化と行革リストラとの、都労連の存亡をかけた大決戦が本格化するのである。そのことを見据えれば、2時間ストを断固貫徹し、都労連の戦意と団結の強さを発揮する必要が絶対にあった。ストで反撃できなかったという限界を突破しなければ、これからの石原都政の大攻撃に立ち向かえないのである。
「東京から日本を変える」と呼号する石原の攻撃は、小泉=奥田路線(戦争と治安とリストラの大攻撃)をまず首都東京で打ち抜き、それを全国に拡大する超反動的攻撃である。その核心は都労連の階級的団結を解体し、それを突破口に首都の労働運動を屈服させ制圧しようとするものである。
だからこそ都労連をめぐる攻防戦は、首都東京の、さらには全国の労働運動の未来をも決する重大な位置をもっているのだ。
また、都労連は国鉄1047名闘争にも重要な位置を占めてきた。都労連の存亡は国労の存亡とも重なっている。国鉄1047名闘争、国労解体攻撃粉砕の闘いと一体のものとして、都労連決戦に勝利しよう。ファシスト石原都政を打倒しよう。
許せぬ賃下げ
妥結の概要は以下のとおりである。
第一に、人事委員会勧告および賃金削減措置の取り扱いについて。@人事委員会勧告どおり公民較差是正のため、平均0・8%(3542円)の賃下げを04年1月1日から実施する。A現在実施している2%の削減措置については、04年3月までで終了する。B03年4〜12月支払い分については、「所要の調整」は遡及(そきゅう)しない。ただし一時金については、04年3月期末手当で減額する。
第二に、人事給与制度について。@退職金は当初提案どおり上限を勤続35年で59・2カ月とする(現行勤続33年で62・7カ月)。ただし、25年超34年未満については1・5〜0・4カ月改善する。A実施時期は04年4月1日からとする。ただし、経過措置として05年3月31日まで2分の1実施する。B名誉昇給(現行1ないし2号昇給)は、対象事由から定年退職を除き、統一して1号昇給とする。
第三に、業務職給料表については、勧告どおり平均0・8%引き下げる。
第四に、勧告にあった一時金0・25カ月削減は、3月期末手当からとする。
第五に、通勤手当、扶養手当などは、勧告どおりの削減を実施する。
第六に、人事給与制度については、都当局の責任で実施する。ただし、人事考課検討委員会を開催し、労使関係を踏まえる。
石原打倒へ
以上のように、妥結の内容は当局提案をほとんどのんだかたちだ。
2%の給与削減措置は04年3月末で打ち切られることとなったが、11月議会が削減措置の継続を求めて一昨年に続き再び介入することが予想される。
また、退職金は国基準以下に、3・5カ月分も削減された。さらに退職時の名誉2号特別昇給が廃止されることとなり、これらが重なって退職後の生計に多大な打撃を与えるものである。
退職金は賃金の後払いである。それを退職時に削減するなどということは、絶対に許せない詐欺行為だ。
都の労働者は、11・9労働者集会の大高揚を自らの力として闘おう。自治体労働者の戦争動員攻撃と対決し、生活と権利の防衛のために闘おう。ストなし妥結をのりこえ、都労連の階級的団結を今こそうち固め、石原の攻撃を粉砕しよう。
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週刊『前進』(2128号1面3)(2003/12/01)
労働者階級解放めざす革共同に年末カンパを
「日・米・韓労働者の国際連帯集会」として東京・日比谷野外音楽堂で開催された11・9労働者集会は、3100人の全国の闘う労働者・市民が結集し、そして南朝鮮・韓国のソウルでの民主労総10万人大会と一体感をもってかちとられました。革共同は、3労組の呼びかけを断固支持し、この集会の成功に向けて全力で闘いました。集会にはかつてない規模の労働組合が、単組として、あるいは支部、分会単位で集会への賛同を寄せ、そして単組として、支部、分会として集会にかけつけました。
集会に参加した民主労総ソウル本部長のコジョンファン氏は「『全世界の労働者よ、団結せよ』という労働者国際主義を耳ざわりのよいスローガンではなく、われわれの闘いの中で具体的に実現しなければなりません」と訴えました。何が求められているのか。それはきわめて鮮明です。今こそ、労働者階級の解放をとおした全人類の解放を実現する世界革命−共産主義社会の実現が求められているのです。そして、そのためにはなんとしても本物の革命党を「ハッキリと誰にも見え、即座に参加できる」レベルで登場させなければなりません。
今回の11・9集会は、周知のとおり総選挙の投開票日そのものでした。選挙の過程そのものも、そして何よりその「結果」からも明らかなことは、もはや労働者のための政党は国会内には「ひとかけら」も存在しない、ということです。日本帝国主義を「左側」から支えてきた社民党や共産党の大後退は、彼ら自身の「内側」からはけっしてその敗北の総括は出てきません。ましてや、もはや2度と「復活」することもあり得ません。なぜなら、問題になっていることは体制の「改革」や「改良」ではなく、このがまんならない帝国主義支配を打倒することが求められているからです。自分自身や家族の身を削るような労働をとおして、実際の生産の現場で奮闘し、社会を動かしている労働者が解放されないで「改革」や「改良」は、もはやあり得ないということです。
では、この事業を誰が実現するのか。それは、労働者自身であり、この『前進』を読んでいる°あなた″である、ということです。帝国主義社会がもはや労働者を食わせていけなくなった今、その社会を「改良」するのではなく、社会そのものを打倒し、新しい社会を実現するために、壮大な革命の事業に、今、ただちに参加してください。ともに本物の革命党を建設するためにいっしょに闘おうではありませんか!
革命の事業のために、当面もっとも緊要に求められているのは財政的裏付けです。不当弾圧で獄につながれている労働者の保釈金として、あるいは運動そのものへの参加を訴える宣伝費として、数々の事務所の維持費として……。°あなた″自身だけでなく、このことを、むしろ周囲に訴え、カンパを集めて拠出してほしいのです。心から訴えます。ともに闘いましょう! そして、ともに勝利しましょう!
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週刊『前進』(2128号2面1)(2003/12/01)
日米韓国際連帯の感動を全国に 闘う労働運動の新潮流の前進を
12・1〜2全逓臨時大会アピール
名称を変更し郵政民営化に屈服する中央は総退陣せよ
革共同全逓委員会
闘う全逓労働者は11・9労働者集会に全国から結集し、その隊列を登場させた。日・米・韓の闘う労働者の国際主義的連帯に合流し、この共同闘争をともに闘いぬいた。自民党・小泉は総選挙の柱に「07年4月郵政民営化」を掲げた。これに対して闘う全逓労働者は投票日の11・9に総決起したのだ。この感動と息吹をもって日帝・小泉の戦争と改憲、大失業と一大資本攻勢との闘いを全力で強化しよう。翼賛選挙後の参院民主党幹事長に元全逓委員長の伊藤基隆が内定していたが、小泉ら郵政民営化推進派からの攻撃を恐れる菅らによって引き下ろされた。全逓中央は選挙で「民主党支持」を組合員に迫り、その民主党から相手にもされないという、ぶざまな結果をさらしている。ますます破産を深め、小泉・奥田路線に屈服し、その推進者となっている中央本部を今こそ総退陣に追い込もう。
殺人的な深夜労働の強行を阻止しよう
小泉政権は7項目にわたる「郵政民営化の基本理念」を打ち出し、これを郵政民営化連絡協議会で検討した上で、12月の経済財政諮問会議で正式に決めるとしている。そこでは、国家公務員の郵政職員を非公務員化することで「人件費の弾力化」が進むなどと言っている。
イギリスやドイツなどの例をみても、郵政民営化など、どれもが破綻(はたん)している。国鉄分割・民営化やNTTを始め、そもそも民営化とは破産することが必至の政策なのだ。実際、生田を総裁に据えて4月に郵政を公社化したものの、郵便事業が大幅赤字となったのを始め、1万7000人削減の「アクション・プラン」など、何もうまくいっていない。
結局のところ民営化攻撃とは、絶望的な危機の中で、政・官・財の帝国主義ブルジョアジーどもが巨大な利権を食い物にしつつ、一切の矛盾と犠牲を労働者に押しつけるものである。
「民営化」の名のもとで行われることは、労働者の首切りであり、労働者の団結を破壊し、徹底して屈服を迫ることである。労働組合に転向と変質を迫り、労働者を奴隷として売り渡す組織になることを迫ることである。こんなことを労働者は絶対に許しはしない。
世界中で労働者階級の新たな反撃の闘いが巻き起こっている。小泉―奥田―生田らによる郵政民営化との闘いは、日帝の外に向かっての侵略戦争と内に向かっての階級戦争という攻撃に対する闘いそのものだ。今こそ闘う全逓労働者は4大産別決戦の主軸を担い、労働者人民の階級的反撃の先頭に立とう。
12月1〜2日、全逓第58回臨時全国大会が開かれる(さいたま市民会館おおみやで)。この臨大で連合全逓中央本部は、そもそも6月定期全国大会で組合員の大反対の声が渦巻いた殺人的深夜労働強化の問題について一切口をつぐんで、既定事実であるかのように押し通そうとしている。
だが、何も決着はついていない。中央本部は一方的に、夜間労働見直しで「妥結」したとしているが、現場労働者はだれも納得していない。中央本部からのまともな提示もなければ、職場討議もないままに「もう決まった」などと言っても、それは認められない。
現場の各局レベルで公社側から具体的な勤務指定の案が示されるや、「こんな勤務では殺される」「こんな労働ができるというなら、本部の役員が自分でやってみろ」という激しい怒りの声がわき起こっている。臨大を殺人的深夜労働導入の先兵となった中央本部徹底弾劾の場としよう。
「組織・財政の改革」は全逓自己解体の道だ
中央本部は、臨大の第1号議案として「公社時代における郵政労働運動の構築と組織・財政の改革」を提案し、その中で「全逓(全逓信労働組合)」の名称を「JPU(日本郵政公社労働組合)」へと変更するとしている。闘う全逓労働者がつくり上げてきた誇りある「全逓」の名を捨て去ることなど、絶対に許してはならない。
これは単なる名称変更にとどまらない。「全逓」の名を捨てることをとおして、全逓労働運動が培ってきた戦闘的階級的労働運動の一切合切を捨て去り、まったく別の労働組合ならざる労働組合に変質することである。それは、同時に提案されている「組織・財政の改革」の中身を見れば明らかだ。
このような議案を、裏切りの道をひた走る中央本部もろとも粉砕しなければならない。
その上で、この第1号議案の中身は、全逓そのものの解体・再編を意味している。公社化―民営化に対応して、これまでの全逓という労働組合をまったく別ものにしてしまおうとしているのだ。
第一に「財政改革」と称して、「単一組織の整合性と機能維持」「財政の一元化」を図るという。「組合費を値下げします」という甘い言葉の陰で、実は一切の権限と財政を中央本部に独裁的に集中することを狙っている。これは、地方・支部・分会レベルからの団体交渉権の剥奪(はくだつ)を意味する「コミュニケーション・ルール見直し」と一体である。
現場の組合員を切り捨て、本部役員らだけが組合財政をほしいままにし、公社とのパイプをさらに太くして、まさに労働貴族として郵政利権にあずかろうというものだ。会館問題や富士見ハイツ売却問題に示されたように、「行革対応」の名のもとに政治家や官僚に金をばらまき、組合財政を食いつぶして私腹を肥やしてきた中央本部の数々の不正を覆い隠そうとするものだ。
第二に「組織改革」として、「支部の設置については、財政一元化に伴い組織人員に基づく設置基準を設けます」として、「地域支部制を基本」「基準を下回る場合は支部再編」と言っている。こうした「基準」で組織再編された支部の執行委員会がどんな顔触れになるか、想像してみるだけで問題ははっきりする。大所帯の地域支部となり、組合員数に対する役員の数が減ることで、一つひとつの分会レベルで職場の実態を知り現場の声を反映する執行委員がいなくなる。
第三に「各機関の任務と役割」を見るならば、さらに問題ははっきりする。@中央委員会は公社(本社)の機能と権限に対応した意思決定の責任を負う、A地方本部は支社対応を行う、B支部は組合員サービスを基本とした運動を実践。事業に精通した政策提言型の労使関係を構築するとともに「私たちの未来づくり宣言」に基づく運動を展開する――となっている。公社(支社)との対応は中央本部(地本)が一手に行うから支部は関係ないというのだ。「事業に精通した政策提言」とはトヨタ方式による「カイゼン」運動のようなものだ。支部が率先してやるべきことはこうしたことであって、現場の声と要求に基づいて団体交渉する必要などはないというのである。
「未来づくり宣言」は奥田路線の“全逓版”
さらに、今度の臨大で提案される「私たちの未来づくり宣言」なるものは、およそ労働組合とは言えない内容の宣言であり、全逓労働者に日本帝国主義と郵政公社への絶対服従を誓わせるものである。
「私たちの未来づくり宣言」とは、どのようなものなのか。
それは、9月12日に提出され、10月2〜3日の連合第8回大会で承認された連合評価委員会の最終報告とまったく同じ内容である。連合に「変革」を要求した日本経団連の「奥田ビジョン」=「活力と魅力溢(あふ)れる日本をめざして」(今年1月発表)に完全に対応したものである。
連合評価委員会とは、中坊公平(元日弁連会長)を座長に寺島実郎(日本総合研究所理事長、前・三井物産戦略研究所長)らをメンバーに、°連合の活動を第三者の目から評価してもらい、連合の活動の改善に資する″として、実は連合を日本経団連・奥田路線に引き入れるためのものである。その最終報告の中身は奥田路線の連合版にほかならない。奥田ビジョンの連合版が「連合評価委員会報告」、その全逓版が「私たちの未来づくり宣言」という関係になっている。
「私たちの未来づくり宣言」は、その第3章で結論として「1、基本理念」「2、私たちの使命(ミッション)」「3、私たちの活動(アクション)」「4、組織運営の指針」を打ち出している。そこに貫かれているものこそ、奥田路線そのものである。
「基本理念」では、「ピープル・ファースト」を掲げ、「一人の人間が人間として生きていくこと」「人間の尊厳が大切」などと、口あたりのいい言葉を並べている。だがその本質は、労働者が労働者であることを忘れろ、労働者も資本家も同じ人間だ、という没階級的な立場に立つことの要求である。それは「『3つの力』を創造する」という「私たちの使命」においてさらにはっきりする。「3つの力」とは、「働く力」「事業の力」「社会の力」であり、それに対応して自分たちが労働者であると同時に事業人であり社会人であることを自覚せよというのだ。
「私たちは労働者です」というが、その中身は「誇りと希望を持って活き活きと働けるよう『働く力』を創造する」「仕事を通じ社会に貢献することで、人間としての喜び、誇りを感じて成長していきます」というものだ。この資本主義制度の賃労働と資本の関係の中で、賃労働者は本質的に賃金奴隷としての現実を強制されている。この支配・被支配の関係を転覆することを完全に否定したところで「働く喜び」なるものを強調することは、「資本の搾取と収奪と階級支配に喜んで協力しよう」ということ以外の何ものでもない。それどころか「働く力の創造」としているように、率先して資本に気に入られ、資本の役に立つ奴隷となるよう、自分で努力せよと言っているのだ。
こうして「事業人」として「お客様と地域社会に貢献できる『事業の力』を創造」せよ、「社会人」として「労働組合としての社会的責任・役割を認識し、『社会の力』を創造」せよと強調するのである。こうして「私たちの活動」では、たとえば「仕事づくり」として「『仕事をさせられる』意識から『仕事を創る』意識へと切り換え」「業務改善、品質向上」に取り組めというのである。
連合評価委員会報告では、「労働者は、単に指示・命令を受けて働くのではなく、誇りと責任感を持って働くことが必要」と言い、そうしてこそ「経営者に対等にものが言えるようになる」と言っている。これこそ、この「報告」を貫く中心的イデオロギーであり、奥田路線が労働者と労働組合に対して要求している「転換」なのである。
だが現実には、労働者は資本の経営権、労働監督・管理権の下にある。郵政職場をとってみても、殺人的な深夜労働の強化、アクション・プランによる人員削減―退職強要と慢性的欠員の中での強労働があり、それがトヨタ方式の導入によって極限的に加速されようとしている。さらに能力主義の賃金体系と人事制度の導入によって職場の団結を破壊し、分断と競争を持ち込もうとしている。この現実の中で労働者はそれにおとなしく従えというのだ。
労働者は団結し、職場闘争をとおして職場支配権を資本・管理者から奪い取ってこそ、初めて°誇り″をもって働くことができる。こうした闘いの中からこそ、社会の真の主人公として労働者階級が自己を打ち立てていく闘いが生まれていくのだ。これを完全に否定したところから言う「理念」「使命」「活動」とは一体なにか。労働者は労働力を売るだけでなく、その魂まで売り渡せということだ。「事業人」として事業=郵政公社のために身を粉にして働け、「社会人」として社会=国家のために身も心もささげよ、というのである。
これは産業報国会の思想そのものである。どんな過酷な労働を強制されても、自分自身の自立的・自律的労働として、喜びを持って働けというのだ。
闘いぬきの「非常勤職員の組織化」はペテン
また「私たちの未来づくり宣言」では、「組織運営の指針」の中で「非典型労働者の増加などで複合的な労働力構成を前提とした組織運営が求められます」としている。こうして臨大議案の付属資料として「パート労働プロジェクト中間報告書―非常勤職員の組織化に向けて」が出されている。これらの中身もまた連合評価委報告とまったく同じである。
連合評価委報告は「これまで以上に就業形態が多様化することが予想される。これまでのように正社員のみを主要な組織化対象とすることは不可能である。幻想となりつつある既得権にしがみつこうとしても、組織を縮小させるばかり」と言っている。
これは奥田の「企業の正社員としての道は、今後、選択肢の一つに過ぎなくなる」「幅広い労働形態を受け入れる懐の深い組織となることを、労働組合には期待したい」「労働組合に対しては、既得権益を擁護する活動の是正を求めます」という主張(奥田碩『人間を幸福にする経済』)に完全に対応している。
「複合的な労働力構成」とか「就業形態の多様化」などということをまるで自然現象であるかのように語り、この流れを完全に受け入れて「既得権」を捨てろというのだ。だが、非常勤化とは資本・公社による首切りと不安定雇用化の攻撃ではないか。これと断固闘い組合員の雇用と労働条件を守るということをぬきに語られる「非常勤の組織化」とは何か。
それは、資本・公社のやりたい放題の首切りと非正規雇用化を前提にした上で、非正規雇用労働者の怒りが爆発し階級的に結集することを阻止するために、資本・公社の手先となって積極的に立ち回り、非正規雇用労働者を労働組合の枠の中に囲い込み、押さえ付けるということだ。
以上のように、12月臨大第1議案がうたう「公社時代における労働運動の構築と組織・財政の改革」とは、「全逓」の名称を捨て去ることをとおして日帝ブルジョアジー・奥田路線に基づく組織と運動に完全に変質することである。闘う全逓労働者の怒りで臨大議案を粉砕し、否決しよう。
現場の怒りで臨大包囲せよ
殺人的深夜勤の導入をめぐる闘いはこれからである。中央本部に撤回と再交渉を迫ろう。「2月実施」とされているが、4夜連続深夜勤務を始めとする殺人的な勤務体系など、絶対に貫徹させてはならない。
職場には「殺されるか、退職するか、ということか」という怒りが充満している。すでに固定番になっている中高年や腰痛などの病気を抱える労働者を守っていけるかどうか、労働組合としての真価が問われている。まさに現場攻防が一切を決するのだ。
さらに、アクション・プランやトヨタ方式導入、人事制度・給与制度の改悪との攻防もこれからである。
中央本部は小泉―奥田―生田と運命をともにし、難破必至の民営化という名の泥舟に乗ろうとしている。だが、それに全逓労働者を一緒に引きずり込むことなど絶対に許さない。きっぱりとそれを跳ね返す現場の闘いが一切を決する。現場労働者が屈服しない限り、何も貫徹できない。だから「意識改革」だとか「組織改革」などと言っているのだ。闘う全逓の旗を守りぬき、現場から反撃に立ち上がろう。
闘う全逓労働者の怒りで 12月臨大を包囲し、裏切り中央本部を総退陣に追い込もう。12月1日は4・28反処分控訴審闘争の日でもある。被免職者とともに4・28闘争と一体のものとして闘おう。11・9労働者集会で切り開かれた労働者階級の国際連帯の力こそ勝利の道だ。これに合流する闘う全逓労働者のうねりをさらに大きくつくりだそう。
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週刊『前進』(2128号2面2)(2003/12/01)
韓国 “労働弾圧、イラク派兵中断を” 盧政権との激突続く
FTA反対10万農民大会
11月19日、盧武鉉(ノムヒョン)政権に対する怒りの炎が燃え上がった。
全国農民会総連盟など9農民団体で構成された全国農民連帯が漢江(ハンガン)水辺の汝矣島(ヨイド)で「FTA(自由貿易協定)反対、われらの農業死守全国農民大会」を開催した。大会には「このままでは暮らしていけない」と全国農民10万人が集まり、盧武鉉政権への怒りが充満した。メキシコ・カンクンでWTO反対を叫んで自決した李京海(イギョンヘ)烈士の遺影が掲げられた。
同日、民主労総は、盧武鉉政権糾弾決意大会をソウル、大邱(テグ)など全国12都市で開き、損賠・仮差し押さえと非正規職差別の撤廃、労働弾圧粉砕を叫んだ。
韓国―チリFTA批准が迫る中、「FTA批准を拒否せよ」と叫ぶ農民たちの声に、盧武鉉政権はこたえるどころか、警察権力による徹底した取り締まり方針で臨んだ。「今後、不法暴力デモではいかなる成果も得られないという点を明確にし」「必ず追跡して処罰を」という盧武鉉の言葉どおりの「集会デモ禁止」を内容とする「集会及びデモに関する法律改正案」がこの日、国会の委員会を通過した。
デモ禁止の中、積年の怒りを爆発させた農民、労働者たちは、行く手を阻む警察車両に火炎瓶を投げ、ひるまず激突した。
この日、全羅北道扶安(プアン)でも、核廃棄場設置に反対する大規模な集会が開かれた。集会後、高速道路でのデモを阻む警察部隊に、住民たちは鉄パイプやカマなどで応戦、深夜まで激突を繰り広げた。
韓米安保協弾劾
17日にはラムズフェルド米国防長官がSCM(韓米安保協議会)出席のために訪韓した。これに反対する韓国人民は、先立つ15日、イラク派兵撤回国民総決起大会を開いた。
「労働者民衆を死に追いやる労働弾圧、イラク派兵を直ちに中断せよ!」「労働者、農民、貧民の生存権を保障せよ!」「派兵圧力・内政干渉のラムズフェルド訪韓反対!」のシュプレヒコールで始まった大会では、民主労総の段炳浩(タンビョンホ)委員長が「国民の絶対多数が反対するイラク派兵を直ちに撤回しなければ、盧武鉉政権は国民的な抵抗にぶつかることになる」と警告し、「盧武鉉は『戦地では非武装よりは戦闘兵の方がより安全』などという非常識な言葉で国民をだましている」と弾劾、「労働者たちも労働懸案問題と一緒に派兵反対運動に積極的に参加する」と決意を述べた。
米帝の戦争重圧のもと、盧政権は3000人規模のイラク増派をいち早く決め、SCMでもラムズフェルドに協力を表明した。
帝国主義の世界支配に屈し、そのもとで延命するしかない盧武鉉政権は、帝国主義資本の要求に沿って国内階級戦争に打って出ている。その危機の深さから、労働者階級のみならず農民・民衆すべてを敵に回しているのが盧武鉉政権だ。戦時下の階級攻防として倒すか倒されるかの闘いだ。
韓進労資が合意
11・9労働者大会から12日に16万人が参加した第2次ゼネストを闘いぬいた民主労総は、ゼネストを含んだ総力闘争を毎週水曜日に設定し、連日、午後2時から光化門座り込み―午後7時ロウソク集会を行い、民衆陣営・市民社会団体との連帯闘争などを強化しながら、12月初旬の全国民衆大会へと進んでいる。
この中で14日、韓進(ハンジン)重工業支会が全面ストに入ってから115日、キムジュイク支会長が抗議死を遂げてから29日、ついに賃金団体交渉で暫定合意をかちとった。合意内容には、▽損賠・仮差し押さえを直ちに撤回する▽以後、労組活動を理由に損賠・仮差し押さえをしない▽不当労働行為を行った専務らの解任など、責任者処罰――が盛り込まれ、▽労組活動で首になった15人の復職▽基本給10万ウォン引き上げ――など、労組の要求がほぼ通った。
キムジュイク支会長、クァクジェギュ組合員の遺志を引き継いだ組合員が血と涙で切り開いた勝利だ。
団結! 勝利!(タンギョル! トゥジェン!)
(室田順子)
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週刊『前進』(2128号2面3)(2003/12/01)
厚労省に要求書 被災地3組合先頭に失対事業再開を迫る
11・9全国労働者集会の翌日、被災地雇用と生活要求者組合、しごと開発就労者組合、関西合同労組兵庫支部の被災地3組合は、全国の地域合同労組の仲間とともに厚生労働省への要求書提出行動を闘った。(写真)
厚労省の役人を前に、被災地雇用と生活要求者組合の長谷川正夫代表は、「どれもこれも労働者の生きるか死ぬかの要求ばかりなので、真剣に回答を出してもらいたい」と発言し、要求書の説明を始めた。
まず、04年にもくろまれている労働組合法改悪策動に抗議、04年1月1日から施行される改悪労働基準法の撤回を求めた。
次に、パ−ト労働者の権利と労働条件の向上について、厚労省は強制力を持った指導を行い、差別を禁止する法律をつくるべきだと強く要求した。そして、高失業率が続く今こそ公的就労事業=失業対策事業を再開して失業者の生存権、労働権の保障を行えと鋭く迫った。
また被災地雇用と生活要求者組合による阪神大震災被災者アンケート調査の結果、54%もの労働者が失業している実態が明らかになったと説明し、被災者対策を行えと強く迫るとともに、兵庫県を指導して被災者への国民健康保険、介護保険などの減免制度を実施せよと要求した。
しごと開発就労者組合の代表は、「仲間は仕事もなく高齢化して、災害公営住宅に閉じこもったままだ。なのに兵庫県は要求を聞かないどころか要求書すら受け取らない」と涙ながらに糾弾した。
約45分の交渉の後、参加者全員で厚労省の回答時の交渉への結集を確認し、この日の共同行動を終えた。
(投稿/労働者S・K)
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週刊『前進』(2128号3面1)(2003/12/01)
日米韓国際連帯の感動を全国に 闘う労働運動の新潮流の前進を
特集 11・9労働者集会に参加して
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日比谷野音を埋め尽くす労働者の熱気
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3組合を先頭に全国から結集した労働者は韓米の労働者の発言に聞き入った(11月9日) |
全世界に労働者解放のシグナルを発信 広島・国鉄労働者 山科重吾
全国の労働者が集まった「11・9全国労働者総決起集会」に参加した。これまでも参加して、国内の戦闘的な労働者や労働組合員の闘いに感銘してはいたが、今年の決起集会には金づちで打たれたような気になった。
イラク侵略戦争のブッシュ・アメリカからの港湾労働者は、圧政のなか荷役阻止闘争を闘っている。労働者の武器は流通を停止させることができると、あらためてストライキという労働者の団結の力強さに血が騒いだ。
また韓国の民主労総の代表は、自身と仲間を信ずることで労働者の心をひきつけていることが実感できた。労働条件も悪く賃金も安いなかで、8時間勤務を一日に二度勤めなければ生活が改善されないとの訴えに、国際連帯の重要性と迅速な対応をしなければならないと思った。
日・米・韓の労働者という国境を越えた全国労働者集会は、これから全世界へ向けて労働者解放のシグナルを発信していくことだろう。
私は国鉄労働者ですが、国労5・27弾圧を粉砕し、「許さない会」を闘いの拠点に、人権を守り抜く闘いを継続し、国家権力による労働者への反動をうち破るために闘わなければ、アメリカや韓国の労働者に負けるような気がする。
日本の労働者が日帝・小泉打倒を掲げて闘いを展開していくことこそ、真の国際連帯の絆(きずな)が深くなり、世界平和への道が開かれることを、11・9労働者集会で学んだような気がする。
同志が全世界にいることを知ったということは、私にとっても力強い仲間を得たような気分で、参加して良かった。
労組出身の市議とともに集会に参加した 関東・自治体労働者 畑山信二
6回目を迎え、イラク反戦と自衛隊派兵反対をうたう今年の集会に、初めて地元の市議会議員1名とともに参加できたことが何よりうれしかった。目標は2名の議員と連れだって会場に赴くことだったのだが、今後の地域での運動を考え来年の目標とすることで良し、としよう。
労組出身の彼はかつて地区労の議長を務めたこともあり、これを退いた後も地域の平和運動を粘り強く続けており、頑固に5月1日開催の地区メーデーを今年まで守ってきた中心人物である。97年秋、地区労定期大会で所属する組合を代表して私が「百万人署名運動の取り組み」を動議した際には、事前の呼びかけに積極的に応じてくれ、大会当日も代議員に対して賛同すべきだと支援の発言をし、全労連傘下労組への共闘の呼びかけにも同行してくれるなど、署名運動の地域展開において大きな支柱となってくれた。
自衛隊のイラク派兵が予定されている中で、今後、百万人署名賛同人を核とした地域の平和運動組織を再構築しなければならない。そのきっかけとしたい「イラク戦争現地報告会」を翌週に控えていたところなので、思い切って11・9集会への結集を呼びかけた3週間や当日の日比谷までの道中でのさまざまな話は、私にとっても地域の将来にとっても意義あるものとなった。
その上、例年に増して訴えが熱かった登壇者たち、特に百万人署名の小田原さん、この日のために来日した韓国民主労総のコジョンファン氏、タフト・ハートレイのスティーブ・ゼルツァー氏、ILWUローカル34のラッセル・K・ミヤシロ氏等の発言は、緊迫した情勢と私たちが負う責任の重さをあらためて思い返させてくれた。労組主体の集会は久しぶりの彼は、「ストの先頭に立った若かったころと同じ熱を感じる」と語っていた。できればもっと幅広い年齢層のさまざまな人が結集できれば…とも感じた今回の集会だったが、それは来年の集会で自ら形にしていこうと思う。
日本でも労働組合の存在示していきたい 東京・福祉労働者 石川真理
私にとって3回目の参加になった今年の全国労働者総決起集会は、今までに増して熱気あふれた集会だった。それは全国から結集した仲間の熱気とあわせ韓国、アメリカからの仲間の参加と熱い熱いアピールがあったからだと思う。韓国民主労総の方のアピール「全世界の労働者は団結しよう」。昔々、古典学習で学んだ「万国のプロレタリア団結せよ」を思い出した。
国境を越えた連帯を訴えながらもおとなりの韓国にさえ行ったことのない自分に気づき、今年の6月韓国に行った。ミョンドン地区は16車線、政府の立派な建物が建ち並ぶが、一歩奥に入ると、バラックづくりの家並み。野宿者も大勢いた。夕方になると毎日あふれる数の警官が道路にあふれ、何をしているのか尋ねると「労働組合って分かりますか? その集会とデモの警備をしているのです」と。日本には労働組合はないと思われているのかも?! 日本にも労働組合があり労働運動もあることを示していきたい。存在を示さなければ国際連帯などありえない。
今年は、今まで集会にもデモにも参加したことのない地域の仲間が参加した。この11・9労働者集会を機に、今後も労働者の闘いを周りの人たちに訴えていく決意をあらたにした。
私の投票所は日比谷野音で正解だった! 広島・教育労働者 秋野 実
11月9日は衆議院選挙の投票日だった。私は今回の総選挙で労働者が唯一自らの意思を表明できる場(投票所)である日比谷野音へ向かった。今回の選挙の争点は、日本が戦争に参加するのか否かが問われたはずである。しかし、自民党小泉政権に対抗する勢力はあってもしょせん同じ穴のむじなで、真っ向からイラク戦争反対・自衛隊派兵反対を主張する政党・候補者は見当たらなかった。開会の30分前に会場に着くと、そこは全国に数ある投票所の中で最も活気に満ちていたにちがいない。
これまで何回か「全国労働者総決起集会」に参加し、その度に熱気と闘争の重要性を感じてきたが、今回の集会ではとりわけ韓国の民主労総、アメリカのILWU(国際港湾倉庫労働組合)からの参加があり、韓国の集会で歌う、資本家を切り倒す歌を振り付け入りで歌い、アメリカの労働者からブッシュ政権に抗する闘いをじかに聞き、「♪インターナショナル」をインターナショナルを感じながら全参加者で歌った。まさに国際連帯を実感できる集会であった。
ヒロシマの教育労働者として、そして「日の丸・君が代」闘争の被処分者として、これからも「教え子を再び戦争に送らない」闘いをかたくなにやり続けていくことを再確認した意義深い「投票」だった。
同志は全世界にいることを強烈に感じた 静岡・民間労働者 水嶋一純
同志は全世界にいる!
今回の集会は非常に意味があったと思う。これまでは世界の労働者の闘いを本や記事でしか読んだことしかなかったが、今回は直接の発言を聞くことができた。「同志は全世界にいる」ということを強烈に感じた。
小泉の激しい戦争と大失業の攻撃・排外主義・部落差別や女性差別、そして生きるために資本から奴隷労働を強制される日々……。ともすれば自分自身がこの渦の中に飲み込まれそうになる。でもこの状況の中で闘っている人がいる。日本だけでなく、世界中で。
少なくとも日本ではまだ小さい灯だけれども、全世界で運動が巻き起こりつつある。それは今の社会がもうもたない、労働者が生きていけないことが根本にあるからだ。古い時代は終わりを告げ、新しい時代が到来する。いや、つくり出さなければならない。
今回の集会は国際連帯と世界革命・プロレタリア独裁がまったく可能であることを示したと思う。非常に勇気づけられた集会でした。
ミヤシロ書記長の檄に胸がジーンとした 九州・医療労働者 長沢夏子
実に感動的な集会であった。「万国の労働者団結せよ!」のスローガンが現実に見える闘いだった。ILWUローカル34のミヤシロ書記長の「けっしてあなたたちは孤立していない」という檄を耳にした時、胸がジーンとした。
労働者に祖国はない、労働者は団結して連帯して闘えば必ず勝てる、労働者はなんて素晴らしいのだろう――この一言ひとことを確認する集会となった。
航空連の村中副議長は「有事法制反対の一連の闘いの中で、私たちはきわめて重要な教訓を体験しました。平和の問題で無関心な労働組合運動は労働者の権利を守ることにも無関心だったということです」と述べたが、まったくそのとおりだ。
動労千葉の田中委員長の言葉ではないが、労働者が団結して闘えば労働者の戦争動員を跳ね返すことができる。医療現場の厳しさに負けてしまいそうな私には、元気の出る集会となった。
勇気をもらった私は声を大にして訴えたい! 労働者階級を虫けらのように扱い、殺していく帝国主義を一刻も早く打倒しよう! 自衛隊の12月イラク派兵を止めよう! 小泉政権を倒そう!
韓・米労働者の熱くたぎる思いが胸に 東京 十亀弘史
11・9労働者集会は、全世界のプロレタリアートの力と、その力が自己解放的に開く未来への私の確信を一気に深めました。労働者はいまどこの国においても、民営化やパート化、首切りや賃下げ、そして戦争への動員といった激しい攻撃にさらされています。だから、苦しみは同じです。怒りは同じです。労働者に国境はなく、闘う労働者は国境を吹っ飛ばします。そのことこそが帝国主義の命脈を断つのです。
通訳される前にも言葉の響きそのものから、韓国やアメリカの労働者の熱くたぎる思いがただちに胸に突きささってきました。それは、声と身振りに噴き出した、文字どおりの現場のインターナショナリズムであるにちがいありません。
ただ、だからこそそれは、私たちの闘いの現状への、最も同志的な、そして最も鋭く厳しい批判にもなっていたと感じています。民主労総は同じ日に10万の集会を主催しています。労働者の組織化において、私たちは現時点でまさに2ケタ遅れているのです。具体的な実践、それこそが決定的に問われています。
しかしもちろん、歴史の根源の方向をつかむものは、結局は最も大衆的なのです。無残な結果を生み出した投票所に行かず、11・9の日比谷に結集した私たちの未来こそが、大きく無限です。闘いはここから、そして今からです!
〈鉄の労働者〉の歌に腹の底から闘う力 千葉・自営業 永峯一夫
11月9日、“闘う民衆の投票所は日比谷野音”の呼びかけにこたえて夫婦で参加しました。日米韓の国際的労働者集会の成功に終始感動の連続でした。とりわげ民主労総のキム氏の指導で韓国の労働者の闘いの歌〈鉄の労働者〉を参加者全員で歌いながら両腕で踊る8拍子の力強い律動を行ったときは、腹の底から生きて闘う力がわき立ってくるのを感じました。
同じ日、韓国では民主労総の10万人労働者集会が行われていると聞いて、なんとしてもこの日本において現在の何倍何十倍の戦闘的な労働者の結集を勝ち取ることこそ急務だと思いました。
すでに世の中は人が当たり前に生きていくことすらできないほど末期的になっています。この数年、年間3万人以上が生活苦を主な理由に自殺しているといいます。これを国家による殺人と言わずに何と言うのでしょう。倒産、リストラ、不安定雇用、労働法制の改悪、社会保障制度の解体とありとあらゆる労働者への攻撃が吹きあれています。
私自身は自営業ですが、正直言って今生活が成り立たないほど厳しい状態にあります。そして同じ境遇におかれていた人は数えきれないほどいるに違いありません。もし、小泉首相が言うような自己責任・自助努力などという言葉をまともに聞いてしまったとしたら、生活が苦しいのはオレが無能だからだ、ダメな人間なんだと思ってしまうかもしれません。
動労千葉の代表が訪米した時、アメリカの労働者から日本の国鉄民営化で自殺者が200人も出たことが理解できないと問われ、民営化にストライキで闘った動労千葉からは一人の自殺者も出さなかったと答えたそうです。
まさに闘わなければ生きていけない時代なのです。生きる力は闘うときにこそわいてくる。そして闘う者が力を合わせて団結する。さらに国境を越えて国際的連帯の闘いに発展させていく。その展望の確かな手ごたえをこの集会でつかむことができました。
人間性奪う強労働下のわが友に伝えたい 東京 鷹村 守
私は今、どうしても一緒に闘いに立ち上がって欲しい青年労働者がいます。彼は職場の都合で11・9には参加できませんでした。
彼は、毎日朝6時に会社に向かい、帰ってくるのは深夜の12時。「サービス残業」「サービス出勤」は当たり前のようになっており、先日上司から「これからは日曜日はないと思え」と言われたといいます。労働組合はあっても闘わず、「結局何も考えずに働く以外にない」と言っていました。
多くの青年が就職することも奪われ、必死になってたとえ就職できたとしても資本による強収奪、強労働が人間性をも奪っています。自分の仲間もこうした現状にたたき込まれていることに胸が締め付けられる思いです。
だから、そうした彼にこそ、この感動を伝えたい。11・9集会が切り開いた地平を共有したい。動労千葉、関西生コン、港合同の闘いが示したことは、戦争と大失業の時代、資本や国家権力と闘う労働運動の推進こそが国境をもこえた労働者の固い団結をつくりだすという事実です。そしてその日韓米の労働者の団結した闘いのなかにこそ、戦争を止め、生活と権利を守り、行き詰まった資本主義社会を変革して新しい時代をつくりだす力があることを私は実感しました。
労働者の団結した闘いで暴虐の鎖を断ち切ろう。わが友よ、いざ共に闘わん。
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週刊『前進』(2128号3面2)(2003/12/01)
11・9 日米韓労働者交流の集い “力強く活発な共闘を”
11・9労働者総決起集会のデモ終了後、都内で「日米韓労働者交流の集い」が開かれました。(写真)
韓国・民主労総ソウル地域本部のコジョンファン本部長、キムチャンソプ副本部長、ムンムンジュ組織次長、アメリカからILWU(国際港湾倉庫労組)ローカル34のラッセル・K・ミヤシロ書記長、タフト・ハートレー、抑圧と民営化反対キャンペーン代表のスティーブ・ゼルツァーさん、UTU(全米運輸労組)のポール・C・ジャンセンさんの6人が参加。全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部、全国金属機械労働組合港合同、動労千葉の代表を始め、60人あまりが集まりました。
初めに主催者を代表して、動労千葉・中野洋常任顧問が「今日は労働者の国際的連帯、共同闘争の始まりの日になりました。総選挙の投票日にあれだけの戦闘的な集会が成功したのは、日米韓の労働者の心意気です。全国からあらゆる産別から、新たな闘いを巻き起こそう」とあいさつ。
スティーブ・ゼルツァーさんが「ブッシュに対するアメリカ労働者の闘いは、同時にブッシュの日本の人民、朝鮮の人民、アジアの人民への攻撃に対する闘いでもあります。みなさんとともに闘えてうれしい」と述べ、「ソリダリティ(連帯)!」と大きく声を上げました。
民主労総からはムンムンジュさんがあいさつ。「今日は日韓米の労働者の階級的労働運動が一緒に連帯して闘っていく契機になりました。今回限りの共闘ではなく、これからも継続してもっと力強く活発にやっていきましょう」と述べ「ノドンジャ・クッチェチュイルル・ウィハヨ(労働者国際主義のために)!」というかけ声で乾杯しました。
歓談をはさみ、あいさつが続きました。関西生コン支部・中北好昭執行委員が「韓国とアメリカの仲間に参加していただき、元気で活気ある集会になりました。働く仲間として団結し、今後も国境を越えて国際連帯を深めたい」、港合同の大野ひろ子さんが「労働者を職場・地域から組織し労働者の勢力を拡大していく闘いを、国境を越えてつくりあげる」と訴えました。動労千葉家族会は「動労千葉の闘いが世界に認められ、家族会は誇りに思います」と述べました。ス労自主の入江史郎委員長が「日本の労働者が大きな勢力となって、韓米の労働者の信頼にこたえたい」、三一書房労組の三角忠委員長が「小泉政権打倒へ労働者が中心となった闘いをつくる」と決意を述べました。
交流の輪がいたるところにできて、本当ににぎやかな交流会です。誰もがみな闘う労働者同士の連帯感でいっぱいなのです。
インターナショナルを合唱した後、動労千葉・川崎昌浩執行委員の音頭で「団結ガンバロー」を三唱すると、「ソリダリティ」「トゥジェン(闘争)」の声が続きました。国境を越えた労働者の絆(きずな)を固く築こうと誓った交流会でした。 (投稿/金沢由香)
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週刊『前進』(2128号3面3)(2003/12/01)
集会実行委が報告集 学ぼう 周りに広めよう
11・9集会実行委員会が『11・9全国労働者総決起集会報告集』を発行した。集会の全発言を収録し、基調提起や米韓の労働者の発言など主な発言は日韓米の3カ国語で収録されている。
全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部、全国金属機械労働組合港合同、動労千葉の3労組が呼びかけた11・9集会のすばらしい内容と切り開いた国際的な共同闘争に、心の底から感動する報告集である。
報告集を学び、集会参加者はもちろん、参加していない労組・労働者にも伝え、広げよう。労働者の団結と闘いを全国でつくり出し、闘う労働組合の全国ネットワークを大きく広げよう。
☆B5判52n/頒価500円/申込先 千葉市中央区要町2―8DC会館
TEL 043-222-7207
FAX 043-224-7197
HP http://www.doro-chiba.org/
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週刊『前進』(2128号4面1)(2003/12/01)
侵略戦争への本格参戦阻止を
「テロに屈するな」とイラク人民虐殺の派兵を狙う小泉
敵の墓穴に転化し打倒せよ
イラク人民、ムスリム人民の民族解放・革命戦争が米英日帝国主義を追いつめている。米帝はベトナム戦争以上の泥沼に陥り、進むことも退くこともできない袋小路の中で危機と凶暴化を深めている。この中で、日帝・小泉は14日、ラムズフェルド米国防長官にイラク現地への自衛隊の派兵をあらためて約束した。今や全世界が、日本人民が日帝・自衛隊のイラク派兵を阻止するかどうかに注目している。イラク人民、ムスリム人民の命をかけた闘いに連帯し、11〜12月闘争の爆発で自衛隊のイラク派兵を絶対に阻止しよう。
拡大するゲリラ戦 米軍ヘリ2機を撃墜 民家を空爆する米軍
イラク北部の最大都市モスルで15日夜、ゲリラ掃討作戦を展開中の米陸軍第101空挺師団のヘリコプターUH60ブラックホーク2機が撃墜され、米兵17人が死亡した。2日の米軍ヘリCH47撃墜16人死亡を上回り、1回の攻撃による米兵の死者数としてはイラク開戦後最大を更新した。この3週間で米軍ヘリの撃墜は4件5機、死者39人となった。米軍の車列へのゲリラ戦闘も激烈さを増している。イラク開戦からの米軍死者はすでに400人を超え、ベトナム戦争の最初の3年間の死者をも上回っている。
12日には、自衛隊の派兵候補地から80`地点にある南部ナーシリアのイタリア軍駐屯地への自爆戦闘が行われた。これまで「スンニ派トライアングル」に集中していたゲリラ戦闘は南部や北部にも拡大し、米英占領軍に協力する他国の派遣部隊、国際機関などへの攻撃も頻発している。
米軍は追いつめられて凶暴化し、「テロを防ぐには、攻撃を受ける前に敵を見つけて攻撃するしかない」と、ティクリートやバグダッドでの空爆を再開するなど、武装勢力の掃討と称して各地で人民虐殺を行っている。米軍は反米的と見なした村を鉄条網で囲って、厳しい検問を行い、イラク人民への無差別襲撃、捜索を行っている。これに対する怒りがイラク人民のゲリラ戦闘のさらなる激化を生み出している。
米軍は、えん戦気分がまん延し、危機的な状況にある。ラムズフェルド米国防長官は6日、13万1600人のイラク駐留米軍を来年1月から大幅に交代させると発表した。州兵や予備役を大量に動員する一方、駐留米軍は5月までに10万5000人に縮小するという。米軍は当初は半年交代を予定していたイラク駐留部隊を1年交代に切り替えたが、それでも13万人のイラク駐留軍を維持できなくなっているのだ。
米占領当局(CPA)は15日、イラク統治評議会と来年の6月までにイラク暫定政府を発足させる主権移譲プロセスで合意した。暫定政府は、CPAなどが指名した人物で構成する「選出会議」が選出する暫定議会が任命する。CPAのブレマー行政官は16日、暫定政府樹立後も米軍駐留を続けるとの見通しを示した。これはかいらい政権のデッチあげそのものだ。
米帝はイラク人民の民族解放闘争の爆発に追いつめられ、形式だけの主権移譲を早めることで、米軍占領支配と米帝によるイラク植民地支配をどこまでも継続しようとしているのだ。イラク主要紙「ザマン」のアハマド・ハーディ政治部長は「イラク人は皆、選挙で選ばれた政府を望んでいる。暫定政府は国民の意思を代弁するものにはならない」と批判した。イラク人民の民族解放・革命戦争のさらなる発展は不可避だ。
ラムズフェルド訪日 日本としてできるだけのことやると小泉
小泉首相は14日、ラムズフェルド米国防長官と会談し、「日本としてできるだけのことはやるつもりだ」と述べ、自衛隊をイラクに派兵する決意をあらためて示した。小泉は「イラクで失敗すると全世界に影響を与える。イラクをテロリストの巣窟(そうくつ)にしてはならない」と、イラク人民、ムスリム人民の民族解放闘争と国際反戦闘争に真っ向から敵対した。
イラク人民を「テロリスト」呼ばわりすることが許せるか。米帝ブッシュこそが石油強奪のためにイラク人民を大虐殺しているのだ。イラク人民は「自分たちの国は自分たちで作る。侵略軍は出ていけ。日本は侵略軍に加わるな」と、当然の闘いをしているのだ。
石破防衛庁長官も15日の防衛首脳会談で、「現地の治安情勢を注視しつつ、自衛隊の能力を活用したふさわしい責任の履行を早期に実現したい」と述べ、専門調査団の結果を踏まえ、自衛隊を早期に派兵する方針を表明した。
米帝がイラク人民の闘いに追いつめられ、多国籍軍の派兵も進まない中で、日帝が50億jもの資金協力に続き1200人もの自衛隊を派兵するかどうかに、世界の注目が集まっている。
英インディペンデント紙が1面トップで、「米主導のイラク治安維持の失敗は、日本が部隊派遣を先送りしたために一層拡大した」と報じたのを始め、海外メディアは自衛隊の年内派遣が難しくなったことを大きく報道した。ウォルフォウィッツ米国防副長官は13日、「日本が多大な貢献をあてにできる国であったためしはない。軍事に関することは何につけ、現在でも非常にためらいがちな国だ」と発言し、自衛隊の派兵が先送りされることへの予防線を張った。
政府の陸自専門調査団がサマーワに到着した18日、バグダッドの日本大使館が銃撃された。エジプトの政治週刊誌「アルムサワル」ののハムディ・レスカ副編集長は、日本大使館への銃撃事件について、「軍派遣に対する威かくのメッセージだろう。イスラム過激派を名乗る最近の声明からも、反米勢力が日本の軍派遣に注目していることは明らかだ」と分析した。
“軍隊送れば東京を攻撃”
16日にはアルカイダを名乗る複数のグループから、英国で発行するアラビア語の週刊誌と新聞に「犯罪人ブッシュとその従者、特に英国、イタリア、オーストラリア、日本に告ぐ。目の前で死の車が爆発するのを目撃することになろう」「(日本が軍隊を派遣すれば)われわれの攻撃は東京の心臓部に達するだろう」などの警告文が届いた。これに対し小泉首相は、「脅迫に屈してはならない。テロとの戦いは全世界共通の戦いだ」と述べた。
日帝・小泉はイラク人民、ムスリム人民の命をかけた闘いに憎悪をつのらせ、日帝軍隊の力でイラク人民を虐殺しようとしているのだ。日帝はかつて、中国・朝鮮で最も残虐な民族解放闘争圧殺者として登場することで、アジアにおける凶悪な帝国主義となった。日帝・小泉はそうした恥ずべき歴史をくり返し、民族解放闘争の圧殺者として自己を売り込んで、世界戦争の推進主体として登場しようとしているのだ。
日帝が再び侵略戦争を強行し、イラク人民を虐殺することを認めていいのか。こんなことを認めれば、北朝鮮侵略戦争や、中国侵略戦争を許し、日本人民が丸ごと戦争動員されていくことにつながる。労働者人民の権利や生活もめちゃくちゃにされてしまう。これは日本人民自身の生死がかかった重大な決戦なのだ。
武器エスカレート 装甲車やバズーカ砲でイラク人民に敵対
12日にナーシリアで起きたイタリア軍に対するゲリラ戦闘は日帝・自衛隊に衝撃を与えている。北部方面隊の幹部は「不安を通り越して衝撃。家族への説明や派遣後の家族へのケアが必要」と述べ、自衛官と家族の動揺が深刻であることを指摘している。
日帝は、この戦闘に大打撃を受けて年内の派兵が困難となり、グラグラになりながらも、なにがなんでもイラク派兵を強行しようとしている。日帝はあえて自衛隊を戦闘地域に突入させ、血を流させ、被抑圧民族を虐殺させることで、歴史的な侵略戦争への踏み切りを行い、自衛隊を侵略軍隊へと作りかえようとしているのだ。
日帝はイラク派兵のものすごいエスカレートを狙っている。1日付『毎日新聞』などによると、自衛隊は3軍を合わせて総勢約1200人の部隊を派兵し、米軍の武器弾薬などの輸送・補給、医療、通信などを行い、バグダッドの米軍司令部やバスラの英軍司令部などにも佐官クラスの幹部自衛官約20人を連絡官として出入りさせる。陸自の装備は指揮通信車や装輪装甲車など、携行武器は84_無反動砲(バズーカ砲)や機関銃とする。自爆戦闘には車両をバズーカ砲などで破壊する、といったことが主張されている。
こうした侵略派兵を強行するために、防衛庁首脳は14日、現時点ではイラク全土が自衛隊の活動が可能となる「非戦闘地域」に当たるとの考えを示し、「米軍やイタリア軍へのテロは誰が行ったか分かっておらず、『国または国に準ずる者による組織的な攻撃』としての戦闘行為が行われているとは言えない」と述べた。(15日付東京新聞)
これほどのデタラメな言い方があるか。日帝が自衛隊を送ろうとしているのは、まぎれもない戦闘地域なのだ。ラムズフェルド米国防長官は10日、日本訪問に先立ち、「いつでもどこでも、いかなる(テロの)攻撃に対し防御するというのは不可能だ。危険な仕事だと思う」と述べ、イラクへの自衛隊派兵で死傷者が出ることさえ予測した。
問われる日本人民の闘い
日帝・小泉政権は、何があろうと、またどんな詭弁をろうしてもイラクへの本格派兵を強行し、自衛隊の侵略軍隊化と9条改憲への突破口を開き、北朝鮮・中国侵略戦争とアジア勢力圏化へ向かって絶望的に突進していこうとしている。だが日帝のイラク本格参戦は、米帝ブッシュの3・20イラク開戦と同様に何の勝算もない、破滅への道だ。
自国帝国主義・日帝の本格参戦という事態をもって、日本人民はいよいよイラク侵略戦争の当事者としての責任が問われている。「国際的責務」や「日米同盟」などを理由とした日帝の「侵略の論理」を断罪し、イラク人民と連帯して巨大な反戦闘争に立ち上がろう。イラク開戦時を上回る大衆闘争の爆発で、危機と凶暴化を深める日帝・小泉政権を打倒しよう。
(早乙女優)
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週刊『前進』(2128号4面2)(2003/12/01)
「日の丸を正面に、君が代歌え」と命令 石原の教労つぶし許すな
今こそ教育労働者の団結を
二期目を迎えた石原都政下で、教育と教育労働者に対する攻撃が決定的に強まっている。石原が任命した教育委員や一部都議が教育行政を直接牛耳り、「教育行政の中立性、専門性」もかなぐりすてた教育内容への直接的な政治的介入を強めている。00年、都教委は都の教育目標から「憲法・教育基本法の精神に基づき」を削除、「我が国の歴史や文化を尊重する日本人の育成」を掲げた。「国に先駆けて教育基本法改正を果たした」と豪語する都教委の攻撃は、教育基本法改悪のもたらす事態を先取り的に示すものである。学校選択制や学力テストなど、市場原理の導入や能力主義強化も激しく進行している。11・9労働者集会の大高揚を引き継ぎ、教育労働者を先頭に大反撃に立とう。
都教委、「日の丸・君が代」強制の実施指針
都・石原の攻撃は、小泉=奥田路線、すなわち戦争と大失業攻撃の先端をゆく攻撃であり、教育基本法改悪の先取りである。日帝は教基法改悪・改憲へ向けた全国的攻撃の突破口として「東京決戦」を仕掛けてきた。それはまた、東京の教育労働者運動をつぶすことをとおして都労連を解体し、さらに首都の労働運動を反動的に制圧しようとする攻撃である。絶対に許してはならない。真正面から対決し、都教委・石原の攻撃を粉砕しよう。
第一に、「日の丸・君が代」強制攻撃が画次元的段階に入ったことである。
都教委は実施率100%にあきたらず、5月に詳細な実施状況を学校名入りで(小中学校は区市町村別の学校数を)プレス発表、7月に「都立学校等卒入学式対策本部」を設置した。「『国旗・国歌』の適正な実施は、学校経営上の弱点や矛盾、校長の経営姿勢、教職員の意識レベル等がすべて集約される学校経営上の最大の問題」というのである。
そして10月23日、新たな通達と実施指針が出され、都立高校長に通達され、各区市町村教委に通知された。通達は「校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任が問われる」と明言し、実施指針で「教職員は、会場の指定された席で国旗にむかって起立し、国歌を斉唱する」としている。そして、国旗掲揚の位置と時間帯、国歌斉唱の式次第への明記と司会の号令、ピアノ伴奏、演壇への児童生徒の正対、教職員の服装など11項目を詳細に指示し、通達で指針どおりの実施を命じている。
都立校の周年行事では、教職員全員に職務命令が配布され、派遣された指導主事が教職員席で起立・斉唱を背面監視した。卒業式では教育庁職員を全校に派遣し、現認体制をとるとしている。北九州、広島に続き都教委は不起立教員処分に踏み込んできたのである。
教育委員会は「国旗・国歌は強制しないという政府答弁は間違っている」と、児童生徒への強制も公言している。都立校では、保護者・生徒に「内心の自由」を説明する取り組みが行われてきたが、横山教育長は「司会者が『内心の自由』を説明することは不適切」としてこれさえも禁圧しようとしている。
すでに00年の国立二小処分では、当日の校長室での話し合いが戒告、ピースリボン着用が文書訓告となっている。教育労働者の一切の抵抗と意思表示を禁圧する一方、児童・生徒には号令一下、起立・斉唱を強制しようとしているのだ。横山教育長は、この通達を伝達した校長会で卒入学式は愛国心育成の場だと公然と言い放った。卒入学式をむきだしの国家忠誠儀式とする攻撃が始まったのだ。
性教育口実に養護学校教職員を大量処分
第二に、右翼議員を先兵とする教育内容へのむきだしの介入と管理統制が強まっている。
7月2日の都議会での土屋議員の質問を皮切りに、養護学校での性教育に対する激しい攻撃が始まった。
4日に土屋、田代、古賀の3人の都議が産経新聞を引き連れて日野市の七生(ななお)養護学校を視察、性教育用の教材を提出させ、23日には都議会談話室で教材の展示会を開催し、「過激性教育」「まるでアダルトショップのよう」と産経や世界新報などに報道させた。
他方、都教委は、8月28日に「都立盲・ろう・養護学校経営調査委員会報告」を発表し、教育内容、学級編成、教職員服務の3点で「不適正な実態があった」と決めつけ、9月11日には七生養護学校の前校長を停職1か月、校長から教諭に降格する懲戒・分限処分を筆頭に、教員65名、学校管理職37名、教育庁職員14名の大量処分を強行した。
9月1日には「教育課程の適正な管理について」と題する週毎の指導計画(週案)の作成・提出の指導を徹底する通知が出され、週案の提出強制が始まった。経営調査委員会の報告書では、年間指導計画、週案の作成を管理運営規則で規定し、週案の校長・教頭への提出、年間指導計画の都教委への提出を義務づけるとしており、職務命令による強制も必至である。
週案や年間指導計画などは、本来、教員が自主的に作成する教育活動の計画と記録であり、職務命令で提出を強制されたり、検閲されるべきものではない。戦前の教育は、国家統制がすみずみまで貫徹され、教授細目の制定とその実施を監督する権限が校長に与えられていた。
これに対して、教育基本法10条は「不当な支配に服することなく直接国民に責任を負って」と定め、学校教育法は「校長は校務をつかさどり、教諭は児童の教育をつかさどる」としている。これは、国民学校令の「訓導は校長の命を受け児童の教育を掌る」を削除したものであり、指導内容・方法は教師固有の職務権限であるとされてきた。週案の提出強制の是非は、「日の丸・君が代」問題と並んで、教育内容への介入・統制をめぐる二大争点となってきたものである。
都教委の「指導計画運営マニュアル」では、授業で使用するプリントやビデオを事前に提出させ、主幹、教頭、校長が点検し、配布資料をファイリングしておくことになっている。社会科などで使用する平和教育教材がターゲットにされていることは明らかだ。
05年度開設予定の都立中高一貫校は、「日本人のアイデンティティの育成」を教育目標に掲げている。01年の養護学校での採択に続いて、つくる会教科書の採択にねらいがある。都教委が作成した高校の公民・地理歴史の教科書の調査研究資料ではわざわざ「北朝鮮による拉致問題の扱い」を比較検討している。東京の「教育正常化」攻撃は、平和教育の弾圧から、「拉致事件をとりあげよ」とする排外主義教育へ、愛国心・国防教育の強制へと向かいつつあるのだ。
校長権限強め管理・統制と組合つぶし
第三に、学校と教職員に対する管理統制が一段と強化されている。4年目を迎えた人事考課制度は、特別昇給に加えて05年度からは定期昇給にもリンクされようとしている。本年度から新たな中間管理職である「主幹」が配置され、校長−教頭−主幹−主任によるトップダウンの学校運営が始まった。校長、教頭、主幹による企画調整会議が実働化を始める一方、職員会議の形骸(けいがい)化が進んでいる。
7月に定期異動実施要綱の改悪が組合との協議なしに一方的に強行され、校長権限は飛躍的に強化された。教員の異動年限は6年に短縮され、通勤時間制限も2時間に延長されるとともに、校長の気に入らない教員は異動基準にかかわりなくいつでも追い出せることになった。人事考課制度の自己申告書や週案の不提出者、不起立者などが一方的に具申されるケースが相次いでいる。
障害児学校の管理職の大量処分を見せしめとして、業績評価にもとづいて「不適格管理職」を降格する制度が導入された。教職員の意向を尊重する校長、週案提出の職務命令を出せないような校長は降格ということだ。
都教委の学校支配は、市場原理・競争原理をも駆使して強められている。学校の経営目標を数値目標で設定させ、達成度に応じて予算や人員を傾斜配分するマネジメントシステムが本年度から全校で実施された。都教委の施策に従わない学校を統廃合・廃校にしていくものであり、近い将来の都立学校の独立法人化、民営化の布石でもある。
都立学校を直轄支配するのみならず、都教委は組合の影響力の一掃を狙って区市町村教委への介入を強めている。組合と区市町村教委との交渉は管理運営事項にかかわる違法な交渉だとして、確認書破棄、交渉否認が相次ぎ、教職員組合の支部(単組)レベルの時間内組合活動は全廃された。異動要綱にも、都教委の決定権を明記し、地方教育行政法をも踏み越えて、組合弱体化をねらった不当労働行為人事を都が指示して進めようとしている。
前述の七生養護学校「視察」は、前例のない暴挙である。学校に土足で乗り込んだ3都議は、捜査官気取りで「押収」する教材を指定してまわったという。同行した都教委は、その一部始終を容認したばかりかその下働きをしていた。特定の議員が学校の教育課程・教育内容に直接介入し、都教委が公然と結託しこれを容認している点で、明らかに違法行為である。
政党や議員の教育支配をめぐっては、教育基本法に沿った判断を示した最高裁判例がある。ファシスト勢力の教育介入に対して、教育基本法をも武器に、法的措置を含めた大衆的、社会的反撃をまきおこそう。
右翼テロ賛美する石原知事許さず闘おう
10月26日、「建国義勇軍国賊征伐隊」を名乗る右翼が、多摩教組事務所に銃弾を撃ちこんだ。多摩教組は、「日の丸・君が代」強制反対をつらぬき、大量不当処分・強制配転にも屈せず闘い続けている。6月27日の広島県教組への銃撃テロに続いて、極右勢力は「闘う日教組」に攻撃の矛先をむけてきているのだ。
石原は、右翼のテロを「爆弾をしかけられて当たり前」と擁護する暴言を吐き、土屋、田代、古賀の3人組は、「知事発言を全面支持する都民集会」を開いた。極右テロを賛美し扇動する連中が、東京の教育を牛耳っているのだ。
連合路線に侵された都高教本部、民主的教師論の都教組本部は、矢継ぎ早の攻撃になんら対応しえないまま、無法状態をのさばらせてきた。いまや、組合員の怒りと危機感は極点に達し、不退転の闘いの方針を求めている。
職場ではさまざまな抵抗が継続され、ピアノ伴奏拒否処分や国立二小処分、不当強制異動や「指導力不足教員」デッチあげに対しては、法廷闘争が闘われ支援の輪が広がっている。新通達・実施指針の下での処分攻撃に対する先制的な抗告訴訟も準備されている。
04年卒業式攻防は、戦時下の新たな「日の丸・君が代」闘争の始まりである。職場、組合の総団結・総抵抗の再構築が勝負である。
全都全国の教育労働者はイラク自衛隊派兵阻止闘争と一体の闘いとして、戦争協力拒否の労働者連帯、日米韓の労働運動の国際連帯の一翼を担って闘おう。
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週刊『前進』(2128号4面3)(2003/12/01)
11月12日〜18日
ラムズフェルド 東京・沖縄・ソウル訪問
イタリア軍にもゲリラ攻撃
●イタリア軍へ自爆攻撃 イラク南部のナーシリアに駐留するイタリア軍警察の駐屯地にトラックが突入して自爆し、軍警察と同国軍の兵士ら27人が死亡、84人が負傷した。イラクに駐留する米英軍以外の外国軍の根拠地が攻撃の対象になったのは初めて。自衛隊の派兵先とされているサマワはナーシリアの北西約80`にある。(12日)
●バグダッドでも空爆 米英暫定占領当局(CPA)などによると、イラクの首都バグダッド市内で、イラク駐留米軍が占領統治に抵抗する武装勢力の拠点に大規模な攻撃をかけ、攻撃ヘリコプターや攻撃機を使った空爆も行った。首都での空爆は5月1日の大規模戦闘終結宣言後、初めて。(12日)
●米軍基地跡で基準値20倍の鉛検出 今年3月末に在日米軍から返還された沖縄の北谷町キャンプ桑江北側(38・4f)などの土壌から環境基準値の20倍の鉛を始め、ヒ素や6価クロムなど特定有害物質が検出されていたことが明らかになった。(13日)
●厚木基地にスーパーホーネット 米空母キティホークの新たな艦載機として最新鋭戦闘攻撃機F18スーパーホーネットの第1陣4機が神奈川県厚木基地に配備された。配備予定は13機。(13日)
●給油装置つけたまま緊急着陸 米空母キティホーク所属の対潜作戦機S3が、空中給油機の装置の一部をつけたまま米軍嘉手納基地に緊急着陸した。前日の12日にも同型機が燃料漏れで緊急着陸していた。(13日)
●ラムズフェルドと会談 小泉首相は、来日したラムズフェルド米国防長官と会談し、「日本としてできるだけのことをやる」と述べ、自衛隊をイラクに派兵する決意をあらためて示した。ラムズフェルドは年内派兵を強く求めなかった。(14日)
●「貢献あてにせず」 ウォルフォウィッツ米国防副長官が、イラクへの自衛隊派兵に関連し、「日本が(軍事面で)多大な貢献をあてにできる国であったためしはない」と述べていたことが明らかになった。(14日)
●日米防衛首脳会議 石破防衛庁長官がラムズフェルドと会談。石破は、自衛隊を可能な限り早期に派兵すると表明した。(15日)
●陸自専門調査団がイラクへ出発 自衛隊のイラク派兵に備えた専門調査団が成田から出発した。陸上自衛隊員ら10数人。(15日)
●イラク主権、来年6月移譲 イラク統治評議会と米英の暫定占領当局(CPA)は、イラク人による暫定政府を来年5月までに樹立し、同6月までに主権の移譲を完了することで合意した。(15日)
●米ヘリまた2機墜落 イラク駐留米軍によると、イラク北部のモスルで米陸軍第101空挺師団所属のヘリコプターUH60ブラックホーク2機が同時に墜落し、17人が死亡、5人が負傷した。1機がロケット弾攻撃を受けた後、別の1機に衝突、墜落した。(15日)
●「派兵なら東京攻撃」 アルカイダを名乗る組織から、英国で発行するアラビア語の週刊誌と新聞に日本への攻撃を警告する声明が相次いで届いた。声明の一部にはイラクに自衛隊を派兵すれば東京を攻撃すると書かれている。(16日)
●ラムズフェルド訪沖 訪日中のラムズフェルド米国防長官が沖縄に到着、県庁で稲嶺知事と会談した。知事は基地の縮小、地位協定見直しなど7項目の要望書を手渡した。長官はこの後、韓国を訪問した。(16日)
●米軍が大規模掃討作戦 イラク駐留米軍は、北部ティクリート周辺に戦車部隊や攻撃ヘリを投入し、武装勢力の拠点の一掃を目指す大規模な掃討作戦を始めた。(17日)
●日本大使館に銃撃 イラクの首都バグダッドの日本大使館に向けて発砲があり、大使館の警備員が約10分間にわたって小銃で応戦した。(18日)
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週刊『前進』(2128号5面1)(2003/12/01)
国鉄闘争解体する日本共産党
国労の組合員を警察に売り闘争団を統制処分した革同 これが新綱領の行き着く先だ
長沢典久
00年5月の4党合意以来、国家権力とJR資本による国労解体攻撃は一挙に激化した。その中で、闘争団の切り捨てと国労自己解体方針を一貫して主導してきた者こそ、日本共産党指導下にある革同指導部だ。彼らはついに、国労5・27臨大闘争弾圧において、国労組合員を国家権力に売り渡す暴挙に手を染めた。03年9月の国労大会で、鉄建公団訴訟原告団22人への統制処分を強行したのも、革同にほかならない。国労は、寺内前本部書記長らチャレンジ一派の脱落・逃亡を引き金に、その存亡をめぐる決戦に突入した。こうした時に、革同の田中副委員長は、「JR採用差別事件の最高裁判決が出たら、従来の路線の清算を図る」と公言してはばからない。国鉄闘争−国鉄分割・民営化攻撃との闘いに、最終的に幕を下ろすということだ。それはまさに、労働者階級の闘いに信を置かず、労働者階級の自己解放的決起を徹底的に抑圧するスターリン主義の本質が全面露呈したと言うにふさわしい。国鉄闘争は、国家権力の総力を挙げた労働運動解体攻撃と激しくぶつかり合う戦場だ。ここでは、あらゆる党派の本質がむき出しの形で現れる。今、日本共産党は労働者階級が闘いの主体、革命の主体であることを否定する綱領改定に突き進みつつある。その意味するものは、国鉄闘争において現に日本共産党中央が行っていることを見れば明白だ。
労働運動指導で破産くり返してきた歴史
国鉄分割・民営化は、国鉄労働運動を解体し、階級的労働運動全体の絶滅を狙う、国家の総力を挙げた攻撃だった。それと対決してきた国鉄闘争は、階級攻防の最焦点をなしている。
帝国主義が侵略戦争に突き進み、植民地争奪をめぐって激突し合う時代、帝国主義が生き残りをかけて激烈な資本攻勢を競い合う時代にあって、小泉政権は日本経団連の奥田路線と一体化しつつ、公共部門の民営化を軸とした激しい攻撃を労働者に加えている。それは、労働者の団結を暴力的に破壊しようとするものでもある。だが、こうした攻撃は、敵の絶望的危機に発している。だからこそ、どんなに苦しくても闘いを貫けば、反撃の血路を切り開くことはできるのだ。
動労千葉は国鉄分割・民営化攻撃と真正面から闘いぬき、イラク開戦直後の今年3月末、72時間の春闘ストに立った。この闘いは、全世界の労働者の共感を呼び、動労千葉が全日建運輸連帯関西生コン支部や全国金属機械港合同とともに呼びかけた11・9全国労働者集会には、韓国の民主労総やアメリカのILWU(国際港湾倉庫労組)などの戦闘的労働組合が合流した。それは、労働者が全世界規模で帝国主義と立ち向かう壮大な闘いの時代が訪れたことを告げ知らせている。分割・民営化以来の16年の闘いは、いよいよその真価を発揮する時を迎えた。
ところが、その国鉄闘争を内部から破壊しているのが革同指導部と日本共産党中央だ。それは、1047名とJR体制下で苦闘する国鉄労働者を踏みにじるにとどまらず、全産別で資本攻勢を一挙に激化させ、労働者をかつてない苦境に突き落とすものになる。日本共産党中央が、それを知らないはずはない。
日本共産党中央と革同指導部がここまで転落を遂げた根拠は何か。それを明らかにするために、まず革同の歴史をたどってみよう。
戦闘的組合主義が革同の出発点
革同=革新同志会は、1947年に結成された。同年の2・1ゼネストの敗北後、反共産党を掲げる民主化同盟が急速に台頭し、国労でも反共連盟が結成された。日共と反共連盟の抗争は、国労分裂の危機を生み出していた。その中で、反共連盟にも日共にも反対し、国労の革新を求める良心的・戦闘的組合主義者の集団として生まれたのが革同だった。
革同がその絶頂期において指導した闘争が、57年の国鉄新潟闘争である。春闘への大量処分に対し、革同指導下の新潟地本は、約1週間にわたるストライキで対抗し、それは鉄道公安官や警官と激突する闘いに発展した。日共中央はストに公然と敵対し、国労本部は恐れをなして闘争中止を指令した。結局、革同もこれに応じ、国鉄当局との妥結に向かう。だが、当局は報復処分で追い打ちをかけ、その後、新潟地本から新潟地方労組(新地労)が分裂した。後に新地労は鉄労に合流する。
ところが、新潟闘争の敗北から60年安保闘争に至る過程で、革同の中心的活動家は日共に入党する。日共は、新潟闘争の敵対者でありながら、革同に「組合主義的闘争の限界」を突きつけて、彼らを傘下に組み入れたのだ。他方で、日共党員も革同に結集する。
こうした経緯の中で、革新同志会は革同会議と名称を変更し、日共フラクションへと限りなく変質していくのである。
4・17ストで露呈した日共の正体
だが、日共中央の労働運動指導は、64年の4・17ストで決定的な破産をさらけ出す。
公労協は、この年の春闘で、官公労働者からのスト権はく奪以降、初めて公然とストライキを構えた。ところが日共中央は、スト直前の4月8日、「ストを挑発しているのはアメリカ帝国主義であり、日本の売国反動勢力であり、それらと結びついた組合内部の分裂主義者である」とする声明を出し、日共党員は国労、全電通、全逓を中心に公然とスト破りを開始する。日共中央は、官公労働者のスト決起が階級的激動情勢を押し開くことに震え上がった。彼らは、労働者の闘いを信頼し、その発展の中に進路を見いだすのではなく、労働者の闘いに恐怖する闘争抑圧者として登場した。労働者は日共中央のこうした態度に驚き、憤った。
労働者の最も忌み嫌うスト破りを党員に強制した日共中央の行為は罪深い。これを契機に日共は労働運動への影響力を急速に喪失する。公労協傘下の各組合で、大量の日共党員が除名された。特に全電通や全逓の民同は、日共党員の除名を容赦なく推し進めた。ところが、国労の革同は、大量の除名処分を免れる。
このころすでに、革同指導部の多くは日共党員であり、日共中央の指導下にあった。しかし、革同はその発生においては日共フラクではなく、戦後労働運動の中心的存在をなす国労の中で戦闘的組合主義者集団としての位置を持っていたことを隠れみのに、国労内日共党員は延命する。
その後も、日共は国鉄細胞をつくりえず、革同という組織形態を維持することで初めて、国労内に存在しえた。革同は表向きは日共のフラクションであることを否定し、日共中央もまた「労働組合の自主性を尊重する」という建前を掲げている。こうしたアクロバットを演じるほかになかったのだ。
だがそれは、決定的な矛盾をはらみ、共産主義者の党と労働組合の本来の関係をねじ曲げるものだった。労働組合が労働者の職場的・産業的団結を基礎とした大衆的団結体であるのに対し、共産主義者の党は、労働者階級の共通の利益を貫徹し、闘争のさまざまな発展段階で常に運動全体の利益を代表する、最も意識的な労働者階級の団結体であり闘争体だ。両者を切断することは誤っている。
国労内日共フラクとなった革同はもとより、全産別の日共グループも、両者を分断する「政党支持の自由」論を掲げる以外に、組合内で存在を確保する道はなかったのである。
このことは、さらに重大な意味を帯びている。革同は、「日共に指導されているわけではない」という口実を設けることで、およそ「共産主義者」を自称する者ならばなしえないような裏切りを平然と行い、他方、日共は「労組の自主性を尊重する」という装いをとることで、革同の反労働者的裏切りをすべて容認しているのだ。
だが、現に革同は日共の指導下にある。4・17スト破りがそうであったように、日共中央は、自らが危機に陥った時には、「労働組合の自主性」など認めず、組合の統制に反することでも強引に党員を日共の反労働者的な方針に従わせるのである。
共産党中央の承認で4党合意路線を強行
国労5・27臨大闘争弾圧への革同の加担は、日共の裏切りの歴史の中でも、特筆すべきものだ。
02年10月、権力は同年5月27日の国労第69回臨時大会におけるビラまき・説得活動を「暴力行為」に仕立て上げ、国労組合員らへの弾圧を加えた。
権力と結託し、組合員を売り渡したのは東京地本の一部幹部だ。その先頭に立ったのが、革同幹部の鈴木勉執行委員である。彼は、事件現場を撮影したビデオを進んで警察に提出し、検察の事情聴取にも応じて、「厳重な処罰を求める」とまで供述している。組合員を警察に売り渡すことへのためらいは、そこにはひとかけらもない。
JR連合合流は「党中央も了解」
革同がここまで転落するに至った直接のきっかけは、4党合意である。
日共中央は、革同に4党合意路線の推進をそそのかし続けた。その結果として日共内の大混乱を生み出しては、革同の一層の反動的突出でのりきりを図るという対応を繰り返した。
そもそも、4党合意は、労働者が闘って勝利を切り開くことなど信じない日共中央の「了解」のもとに進められたものだった。4党合意に至る水面下の協議が進行していた00年4月、当時の革同キャップだった上村副委員長は、「反共勢力が一角を占めるJR連合との共同行動に党内で不満があるのも事実だ。多数派への道を進むためには、背に腹はかえられない。党中央は了解済みである」と言い放っていた。JR連合合流路線は、党中央の方針だというのである。
こうした日共中央にとって、4党合意に対する国労組合員のすさまじい怒りの噴出は、予想を超える事態だったに違いない。
00年7月1日、国労本部は4党合意受諾のための臨時大会を強行するが、闘争団を先頭とする国労組合員による演壇占拠で大会は休会に追い込まれる。
こうした事態に直面した国労本部は、「大会破壊の暴力行為に対し、非難するとともに怒りをもって抗議する」などとする見解を表明した。この「反暴力キャンペーン」の先頭に立ったのは、革同だった。
7・1臨大の演壇占拠は起こるべくして起きたものだ。それは、闘争団と組合員の当然の怒りの発露であった。国労本部は、警察権力に依存して初めて大会を開催できた。そうした大会で闘争団切り捨ての決定を行うこと自体が、巨大な暴力にほかならない。それを棚に上げて闘争団に悪罵(あくば)を投げつける国労本部に、国労内外の怒りが集中した。
4党合意反対が全労連の方針に
7・1臨大から最も激しい影響を受けたのは、全労連だった。7月末の全労連大会は、国鉄闘争をめぐって激論になった。
全労連は、4党合意締結の当日に、国鉄闘争本部事務局長名で、これを歓迎する談話を出していた。全労連大会では、こうした執行部への批判が噴出した。執行部は、「4党合意は、重大な問題を含んでいる」と答弁せざるをえなくなる。
全労連が大会で、日共中央の意向に逆らい「4党合意反対」の方針を決めた事態は、日共の労働運動指導がまたしても破産したことを意味していた。
だが日共は4党合意推進路線になおもしがみつく。彼らは、8月19日、20日付『赤旗』に「一〇四七人の採用差別と国労の続開大会について」と題する「N・S」署名の論評を載せ、4党合意問題に言及した。それは、4党合意を批判するかのような表現を散りばめながらも、7・1の演壇占拠を「暴力行為は許されません」と非難し、続開大会の開催を促すものだった。闘争団員らが「大会再開反対」を必死に訴えている中で、日共中央はこうした形で4党合意推進の立場を明らかにしたのである。
だが、4党合意受諾の方針は8月の続開大会、10月の定期大会でも採決できず、4党合意は崩壊の瀬戸際に追いつめられた。
ところが、そこに巨大な反動が発生する。
12月14日、国労東京地本は「大会破壊を意識的に策する外部からの動員者によって暴力行為が繰り返され、負傷者を出す事態は到底許されるものではない。これについて地方本部は、本部を含めた関係機関と協議し法的措置も含めて検討を進めている」とする見解を公表した。それまで4党合意反対派と見られていた東京地本が、賛成派に転じたのだ。しかもそれは、反対派組合員の警察権力への売り渡しという陰謀と初めから結びついていた。
東京地本の裏切りに助けられ、国労本部は2001年1月27日、続開大会を強行する。大会に駆けつけた国労組合員・支援の労働者は、そこで信じがたい光景を目の当たりにした。会場の社会文化会館周辺は、1300人の機動隊によって制圧された。まさにそれは「戒厳体制」だった。この国家暴力を背景に、国労本部は4党合意受諾の方針を押し通した。
機動隊制圧下の国労大会居直る
大会後、日共中央は国労本部をあからさまに援護する。2月2日付『赤旗』は、「JR採用差別問題と国労大会」と題する「解説」を掲載した。1・27大会を論評しながら、この「解説」には機動隊導入への弾劾は何ひとつなく、その事実にさえ触れていなかった。その一方で、1・27大会決定は「採用差別問題をはじめ切実な要求の実現をめざして、団結の方向を示したものといえましょう」などとうそぶいた。
しかもそこには「東京地方本部は十二月二十四日、『続開大会の成功に向けた見解』を発表し……こうして、団結を回復する具体的な方向が生まれ、この方向が大きな流れとなり、二十七日の続開大会に(なった)」との記述があった。だが、東京地本見解の要点は、「妨害勢力に対し法的措置も含め毅然たる態度をとる」としたことにある。これを「団結を回復する具体的方向」と賛美することは、反対派を権力に売り渡せと示唆するに等しい。
1・27大会における機動隊導入は、日共中央と革同の国鉄闘争解体路線が最も露骨な形で現れたものだったのである。
与党3党に屈し闘争団を査問に
日共中央は、大会決定の重みの前に闘争団は沈黙すると考えていたに違いない。だが、その思惑は完全に外れた。
1・27大会で本部方針が押し通されるや、反対派闘争団は「闘う闘争団」の名で、JRの責任を追及し抜くとする声明を発表した。さらに、翌02年1月、闘争団員は鉄建公団訴訟に立ち上がった。国労本部は、訴訟をやめなければ統制処分にかけると恫喝を加えた。
そして、02年2月の中央委員会は、革同の主導下に、闘争団処分のための査問委員会設置を決定する。
与党3党はこれにつけ込み、4月26日、国労本部に闘争団の除名を迫る露骨きわまる声明を発表する。国労本部はその求めに応じ、5月27日、急きょ第69回臨時大会を開き、鉄建公団訴訟原告らへの統制処分を直近の全国大会で決定する、という方針を押し通した。
だが、革同がついに闘争団に対する統制処分の発動にまで手を染めたことは、日共内の混乱を極点にまで高めてしまう。
この年の7月、日共中央は「全国30都道府県の労働組合部長会議」を2度にわたって開いている。そして、@4党合意依存路線では1047人問題は解決しない、A団結自治への不法、不当介入の与党3党声明を批判する、B闘争団への統制処分は、労働組合として本末転倒であり、国労は闘争団と話し合うべきである、などの「国鉄闘争再構築路線」を打ち出した。
この会議では、「路線転換の取り組みが強められていくなかで、党からの離党といった『血』が流れることは考えられる」という議論さえ交わされていた。
だが、「4党合意依存路線」は日共中央の了解のもとに進められてきたものなのだ。日共中央は、それを総括も自己批判もせず、自らの指導が日共内外に生み出したすさまじい危機の責任を革同指導部に転嫁し、延命とのりきりを企てた。だが、そのペテンは直ちに露呈する。「路線転換」は、革同の実際の行動に何ひとつ変更を迫るものではなかったのである。
臨大闘争弾圧で組合員売り渡す
日共中央と革同の危機を塗り隠したのは、02年10月の国労5・27臨大闘争弾圧だった。革同はこれに積極加担し、国家権力の先兵となることで内部の動揺を収束させた。日共中央はそのすべてを容認する。
弾圧加担者として反動的に密集した革同、チャレンジ、酒田一派は、今年9月の第71回定期大会で、鉄建公団訴訟原告22人に対する3年間の権利停止処分の強行へと突き進んだ。解雇された組合員に統制処分を加えた革同らは、絶対に消し去ることのできない階級的犯罪に手を染めたのだ。
7・1臨大以来、4党合意反対を掲げて革同中央と対立していた神奈川地区本部や新橋支部の革同グループも、この大会では総崩れになった。彼らは、1047名闘争と並んで分割・民営化を弾劾する闘いとしてあった横浜人活事件訴訟を取り下げることで、革同中央に屈服した。
闘争団への統制処分の強行は、国労解体の流れを急速に加速させている。大会直後には、北海道のチャレンジが国労から脱落した。さらに、破産したとはいえ、革同も西日本エリア委員長の上村を先頭に、九州でJR連合への合流を画策していたことが発覚した。
労働者が闘いの主体を否定した新綱領案
このように、日共中央と革同は、国労の最終的解体を狙う4党合意に飛びつき、その推進者となることで自己の延命を図った。
そもそも彼らは、国鉄分割・民営化攻撃と闘う方針を持たなかった。分割・民営化前も全国大会代議員数で国労内の3分の1程度の勢力であった革同は、鉄産労の分裂後も3分の1勢力にとどまった。分割・民営化攻撃の中で、彼らはなすすべもなく翻弄(ほんろう)され、組織を大きく切り崩された。これは、分割・民営化反対を貫き、2波のストライキを打ち抜くことによって組織と団結を維持しぬいた動労千葉とは対照をなしている。
だから革同は、分割・民営化後もJR体制、資本=カクマル結託体制と闘いぬく方針を何ひとつ持ちえなかった。89年の臨大で国労本部が決定した「全面一括解決要求」路線は、JR資本と闘って被解雇者のJR復帰をかちとる路線ではなく、政府との和解交渉を自己目的化するものだった。それでは、敵にどこまでも足元を見透かされ、際限なく屈服する以外にない。
この政治解決路線には、日共中央と革同指導部の本質が体現されている。彼らは、労働者の団結と闘いを絶対に信頼しないからこそ、「解決」を政治家や議会にゆだねる政治解決路線にのめり込んだのだ。それが必然的に破産する中で、革同の裏切りは一気に全面化した。
他方で革同は、社会主義協会派の中から闘争団切り捨てを公然と唱えるチャレンジ一派が登場するや、これを援護し、その反動的突出を促して、国労自己解体への風穴を開ける役割を果たさせたのである。
スターリン主義と今こそ対決を
今や日共は、労働者階級が闘いの主体、革命の主体であることを綱領の上からも消し去ろうとしている。今日すでに、「資本主義の枠内での改革」や「ルールある経済社会」を唱える日共中央の路線の中には、労働者が自らの要求を掲げて資本と闘うことは位置づかなくなっている。
一大資本攻勢のただ中で、労働者は闘わなければ生きていくことはできない。まさにその時に、綱領から労働者の闘いを追放する「日共」とは何なのか。今回の総選挙における日共の惨敗は、労働者階級の置かれている現実を無視し、労働者階級の自己解放的決起を否定して、一切をブルジョア議会選挙に集約させた日共中央の路線の破産を示して余りある。
さらに、今回の綱領改定は、現綱領にある「労働者の団結権、ストライキ権、団体交渉権の確保」の言葉さえ投げ捨てようとするものだ。それは、労働運動の現場に何をもたらすのか。国鉄闘争における日共中央と革同の度重なる裏切りと破産こそ、綱領改定の向かうところを示している。
戦後労働運動の中で、まじめに労働運動を担おうとする幾多の日共党員が、党を飛び出すか、日共中央の恫喝に屈して志を投げ捨てるかという選択に直面してきた。日共中央は労働運動の抑圧者でしかなかったからだ。
資本と闘い、労働者の権利と誇りを守り抜こうと志す日共党員であれば、革同がたどった道を繰り返そうとは思わないだろう。今日の革同の姿を、苦々しく思っているだろう。だが、日共にとどまっている限り、その志は日共中央によって踏みにじられるほかにない。今こそ日共から決別すべき時である。労働者階級の一員として、真に進むべき道はそれ以外にありえない。
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週刊『前進』(2128号5面2)(2003/12/01)
G支援費制度
介護保険への移行が前提 介助の大幅削減狙う政府
坂口厚労相は4月、05年に介護保険制度の保険料徴収対象を20歳以上に引き下げるとともに、20歳以上の「障害者」に介護保険を適用する方向をうちだし、7月に社会保障審議会が検討作業に入った。早ければ来年の通常国会に介護関連法の改悪案を提出するとしている。同時に生活保護制度の見直し作業も開始され、「障害者」介助のための現金給付制度だった他人介護加算の廃止や引き下げも計画されていると予想される。
4月に、支援費制度が導入され、「障害者」の介助制度は公的保障制度としての措置制度から契約制度に転換されたばかりだ。支援費制度の施行を前にした1月、厚労省はそれまで「支援費制度では必要なサービスが上限なく受けられる」と宣伝してきたにもかかわらず、ホームヘルプの国庫補助基準に「最高でも1日4時間」という上限をもうける方針を突如うちだした(それも「全身性障害者」が対象で「知的障害者」は「1日1時間40分」が上限)。結局これが、介護保険適用を前提にした攻撃だったことが今日ますます明らかになっている。
全面介助が必要な「重度障害者」の施設への隔離に反対して闘われてきた地域自立生活運動は、これまで措置制度を改革する形で最高1日24時間の介助保障をかちとってきた。1日14時間以上の介助保障を実現している「障害者」だけでも全国で2000人以上にのぼると言われている。介護保険の適用は、こうした「重度障害者」に欠くことのできない長時間介助を「1日最高でも4時間」に激減させ、地域で生きることを不可能にすることを意味する。
財政難を理由に1日8時間も減
1月の厚労省の上限方針に対しては、2000人におよぶ「障害者」が厚労省抗議闘争に決起し、追いつめられた厚労省は上限設定だけをむきだしに強行することはできず、向こう1〜2年は「従来の水準を下げない」という経過措置などの妥協案を提示せざるをえなかった。DPIなど「障害者」団体が実際には上限方針を認めつつ、妥結ではあたかもそれが撤回されたかのようなペテン的キャンペーンをはるという裏切りに助けられて厚労省は支援費制度4月施行にようやくこぎつけた。
ところが4月、支援費制度が施行されると、町田市では財政難を理由にホームヘルプ時間が1日8時間も減らされるという事態が起こった。市の担当職員が「みなさんの希望はかなえられない。施設に入ってもらうこともある」と発言したことも「障害者」の怒りを一層かきたてた。多くの抗議によって、その後事態は一定改善されたが、それはあくまで従来から介助制度を利用していた人だけで、4月以降の新規申請者には上限を前提とした支給決定が行われた。他の自治体でも同じことが起きている。
支援費制度になってから予算全体は30%増加したと言われる。しかし福祉が進んでいると言われてきた東京都でさえ平均支給決定時間数は、月56・35時間=1日1・8時間でしかなく、その東京都のなかでも福祉先進地域と言われた町田市の事態は「障害者」全体に大きな衝撃をあたえた。他方、予算の増加は民間事業者の経営が成り立つように単価を高く設定したことが主な原因だが、それは地方自治体の負担増にもはねかえるため、自治体から「障害者」への介護保険適用を求める声をあげさせる口実に使われている。
また、たとえ必要なサービス量を行政が支給決定しても、採算性が低いと引き受けるヘルパー派遣業者がなく、実際には介助が受けられないという事態もおきている。事業体の少ない地域では「障害者」の希望するケアプランではなく、事業者の採算性にあわせたケアプランを押しつけられても断われない。ホームヘルプの時間増を要求したのに行政から「予算上、安上がりだからデイサービスに通いなさい」という対応をうけた「障害者」もいる。支援費制度が掲げてきた「自由な選択」とはほど遠い現実なのだ。
さらにこれまで措置制度のもとであった「全身性障害者介護人派遣制度」のような「障害者」の行動の自由を保障する制度がなくなり、「移動介助」のもとで外出には「身体介助を伴う移動は1日2時間以上は認めない」などのきびしい制限がつくようになった。厚労省自身、車での移動介助について「車の乗り降りは介助と認めるが運転は介助とみなさない」などという不当な方針をとっている。
公的責任放棄し階級分断を狙う
最近、厚労省は「公的サービスの受け持つ範囲には限界があり、不足分はボランティアなどの『互助』で補うべき」という主張を公式の場で口にし始めた。「障害者」への介護保険適用を意識した許せない発言だ。今後さらに「国の補助金が地方交付税化される方向にあり、不足分は各自治体が独自に補うべき」ということも主張してくるだろう。「障害者」福祉に対する国の公的責任を放棄し、「障害者」と日帝との対立を地方自治体や納税者との対立にすりかえ、階級分断をはかる狙いである。
支援費制度―介護保険制度は「官から民へ」をかかげた公共部門の民営化攻撃の一環に他ならない。「障害者」運動では05年介護保険適用に反対する新たな闘いがはじまっている。「反民営化」を掲げて闘う労働者と「障害者」の団結の力で廃止をかちとろう。
(湯浅 緑)
(連載おわり)
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週刊『前進』(2128号6面1)(2003/12/01)
“星野文昭さんを取り戻そう” 徳島に全国の熱い思い集う
刑務所へ黄色いハンカチ 再審勝利・奪還に展望
「幸せの黄色いハンカチ」が徳島に翻った。71年11・14沖縄返還協定批准阻止闘争で殺人罪をデッチあげられ、無期懲役で徳島刑務所にとらわれている星野文昭同志を取り戻そうとする全国の人びとの思いが、ついに徳島現地闘争となって大高揚した。「獄壁を越えて―星野文昭さんを取り戻す全国集会 徳島」実行委員会と「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」は、14日に徳島刑務所の星野さん激励行動、徳島駅前街宣などを闘い、15日の全国集会は、地元・徳島を先頭に全国11(北海道、山形、群馬、埼玉、東京、杉並、神奈川、関西、岡山、徳島、沖縄)の救援会など400人が参加する大集会となった。なんとしても星野同志を取り戻そうと決意した。(本紙 高田隆志)
「獄壁越えて」全国集会400人 平良修さんら発言
15日午後、「獄壁を越えて――星野文昭さんを取り戻す全国集会 徳島」が、徳島市の郷土文化会館の大会議室で400人の参加で行われた。会場には「幸せの黄色いハンカチ」が飾られ、星野同志の絵、闘病中で免訴を求めている奥深山幸男さん(共同被告)の俳句も展示されている。歌あり、講演あり、朗読劇ありと多彩な内容で、参加者全員が星野さんに思いをはせた。
集会は、地元徳島の戎野(えびすの)浩史さんの開会あいさつ、前木頭村長の藤田恵(めぐむ)さんからの歓迎あいさつを受けて始まった。
沖縄の平良修牧師が全国連絡会議共同代表としてのあいさつを行った。平良さんは、ラムズフェルド米国防長官の沖縄訪問に対して現地で闘いが起こっていることを紹介した後、「星野さんの71年11月の闘いは、沖縄が今日のような状態になることに気づいた良心的日本人によるやむにやまれぬ行動だった。その結果、30年間獄につながれている」と弾圧の本質を明らかにし、「日本国による沖縄に対する構造的差別」を告発した。また「この運動の目的は、星野さんを1日も早く取り戻して解散することにある」と語った。
「ヨッシー&ジュゴンの家」が星野さんの闘いにこたえる「岐路2003」を歌った。「あなたとともに未来を」と。
朗読劇「星々の輝く夜に」が星野暁子さんと文昭さんに扮した男性によって演じられた。お互いの手紙を朗読し面会のようすを演じることで、星野夫妻が信頼しあい、高めあいながら、支えあっていることが如実に伝わってきて、大きな感動を呼び起こした。
「無期との闘いは、生きるためのすべてを奪うことに対して、生きるためのすべてを奪い返す闘いです」と訴える星野文昭同志の獄中からのアピールが紹介された。
弁護団からの報告として和久田修弁護士が「星野再審・補充書について」、鈴木達夫弁護士が「共謀罪、司法改革について」、関西の太田隆徳弁護士が「権利としての仮釈放、法的根拠について」、それぞれ報告した。和久田さんは、「今朝、補充書が完成した」と述べ、無罪を証明する新証拠について報告した。
沖縄から、読谷村議で反戦地主の知花昌一さんが「1971、あの日の沖縄、そして今」と題して講演を行った。星野同志と同世代で、1971年当時、沖縄大学自治会長としてペテン的な沖縄返還協定と闘った知花さんは「星野さんの闘いがあったから今がある」「同時代を生き闘った者として、また沖縄人として、星野さんを取り戻すことは仁義だ」と語った。そして、沖縄の歴史と現実を弾劾し、「71年当時、沖縄のアジア侵略戦争基地化阻止がスローガンだった。それが今現実となっている」として、なんとしても取り戻すことを訴えた。
第2部は牧志徳さんの三線ライブで始まった。リズミカルなものから辺野古の海をうたいあげた「海」など、沖縄とつながる思いが会場に広がっていく。
「家族からの訴え」ではいとこの星野誉夫さん、弟の修三さん、そしてお母さんの美智恵さんが「文昭は沖縄を助けようと思って運動したんですね。再審を実現して皆さんの前でお話ができる日が来るようにお願いします」と訴えた。
そして暁子さんが、「あなたが幸せじゃなければ、自分も幸せじゃないよという文昭の生き方。(その生き方に)みんながつながってくれた。この力で星野文昭を取り戻す大きなうねりをつくりだしたい。そして世の中を変えていきたい」と語った。この家族の思いを大きな拍手が包んだ。
最後に関西連絡会の太田隆徳弁護士が閉会を宣言した。一日も早く再審を実現し、星野文昭さんを取り戻そう!――星野同志がとらわれている徳島の地から全国へと広がる新たな運動がスタートした。
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週刊『前進』(2128号6面2)(2003/12/01)
山の上から「頑張れ星野さん」 刑務所激励行動
星野同志が闘った渋谷暴動闘争から32年目の11月14日、徳島は輝くような青空が広がっていた。約70人が全国集会に先立つ「幸せの黄色いハンカチ」ツアーに参加した。
車を連ねたツアーの目的地は、徳島刑務所(左)が遠望できる神山森林公園だ。「見える、あれが徳島刑務所だ!」――青い屋根は作業棟、その手前が居房。黄色いハンカチをいっぱいに広げ、みんなで「星野さーん、ガンバレー!」「星野さんを取り戻すぞ!」と声をかぎりに叫び、こぶしを突き上げた。
このツアーと並行して家族と共同代表の平良修さんが徳島刑務所に申し入れを行った。申し入れは4項目。星野同志について@絵画クラブへの復帰、A2級への進級、B「夫婦面会」を認めてほしいとした上、C受刑者全体について「軍隊式行進」「居室内での姿勢・動作の制限」「工場での裸体検身」の廃止を要求した。徳島刑務所は、家族以外とは会わないと平良さんの入構を拒否し、「家族の思いとして聞いておく」という対応を行った。
刑務所からの帰路、車は吉野川の第十堰(せき)に回った。住民投票で第十堰を守りぬいた市民が、「国は逆らう者を弾圧する。それは星野さんも第十堰も同じ」と語った。
午後4時から徳島駅前で記者会見と黄色いハンカチを広げての街頭宣伝。多くの市民が「新聞で見ました」と星野さんのことを知っている。若い人が次々と署名してくれる。
平良修さんは、徳島刑務所の対応を報告し、「星野さんのことを家族だけにゆだねることは国家権力の思うつぼ。大衆的な運動をつくろう」と訴えた。
夕刻からはもう一つのイベント、「LIVE11・14待ってる! 幸せの黄色いハンカチ」が水際公園で始まった。11月14日に毎年ライブを続けて8回目となった今年、野外に飛び出したとのことだ。
日常の中で地道な救援運動を積み重ねている徳島、「星野さんがいる徳島」での地道な運動と連動する大きな闘いを全国で広げ、星野同志を取り戻したい。
(永田朋実=写真も)
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週刊『前進』(2128号6面3)(2003/12/01)
無実の福嶋同志の年内奪還へ 12・6集会に参加しよう
全国で10万人保釈署名を
3同志奪還を超える闘いを
動労千葉を始め3労組の呼びかけで開かれた11・9全国労働者集会は国際連帯集会として大高揚した。この地平の上に、不屈・非転向で獄中で闘い続ける福嶋昌男同志(87年迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧被告、東京拘置所在監)の奪還のために全力で決起しよう。福嶋同志の年内奪還に向かって、12・6集会に総結集しよう。
昨年暮れの須賀武敏同志、十亀弘史同志、板垣宏同志の3同志奪還の勝利は、十万人保釈署名運動の人士を先頭とする全国の労働者人民がかちとった偉大な地平である。だが、その延長線上に福嶋同志の奪還が保障されているわけではない。
むしろ、敵権力・検察庁は、爆取1条のデッチあげで起訴したことを徹底的に弾劾して裁判闘争を闘い抜いている無実の3同志が、人民の大衆的闘いで保釈・奪還されたことに大打撃を受け、きわめて反動的に総括していると考えなければならない。3同志奪還をかちとった闘いをも上回る全人民的闘いを爆発させることによってしか、福嶋同志の保釈奪還をかちとることはできない。
3同志奪還の力になったのは、党と十万人保釈署名運動に結集する人士、労働者人民の、署名行動を始めとする必死の闘いである。こうした闘いの積み重ねが、東京地裁刑事第11部・木口信之裁判長を追いつめていったのである。3同志の獄中と法廷での闘いと比べ、単独の法廷を強制されている福嶋同志にとって、とりわけ獄外での支援・連帯の闘いが決定的な位置をもっている。3同志奪還の闘いをも超える闘いで、なんとしても福嶋同志を年内に奪還しよう。
11年もの勾留は権力犯罪だ
11・19公判の翌20日、弁護団は第7次となる保釈請求を行った。11年間にも及ぶ長期勾留は、はなはだしい人権侵害、拷問であり、権力犯罪である。絶対に許されない。しかも「共犯関係」にある3同志はすでに保釈されている。今さら「証拠隠滅のおそれ」も「逃亡のおそれ」もまったく口実たりえない。東京地裁刑事第3部・服部悟裁判長を弾劾し、「福嶋同志を即刻保釈せよ」の声で地裁を包囲しよう。その実現のために、以下の闘いに立ち上がろう。
@12月5日、22日の2回の公判に結集しよう。昼休み時に地裁前大街宣を行おう。
A有楽町での街頭宣伝・署名運動に参加しよう。
B全国で福嶋同志奪還の街頭宣伝・署名運動に決起しよう。
爆取裁判無罪判決かちとれ
長期の投獄で福嶋同志の健康は著しく損なわれている。今年の3月に転房となった新獄舎は、福嶋同志を自然から完全に隔絶してしまった。新獄舎と同様の構造をもった仮獄舎の時から通算すれば4年以上にもわたって、自然から隔絶された独房生活を強制されている。権力による絶対に許すことのできない拷問である。
これ以上一日たりとも福嶋同志を獄中に閉じこめさせておくことはできない。一日も早く福嶋同志を奪還しよう。
須賀同志、十亀同志、板垣同志と弁護団は、9月冒頭の3日間の連続最終弁論を全力で闘った。論告求刑を全面的に批判し、有罪立証なるものの一切がまったくの虚構に過ぎず、無実・無罪の判決を出す以外にないまでに裁判所を追いつめた。判決公判は来年3月25日である。
3同志はその日をただ待つのではなく、無罪判決戦取のため、自ら先頭に立って新たな闘いに決起している。3同志は自らの無実・無罪を訴える闘いが、同時に福嶋同志を奪還する大きな力になることを深く確信し、全労働者人民、法曹界、法律学者、報道機関などに必死に訴えている。福嶋同志の保釈奪還と3同志の無罪判決獲得の闘いは、二つにして一つの闘いである。
権力のデッチあげ弾圧に怒りを燃やし、爆取4同志を取り戻すために十万人保釈署名運動の中心を担って闘ってきた東京の森山つとむ牧師が11月7日に病気で亡くなられた。痛恨の極みである。森山さんの闘いを引き継ぎ、福嶋同志奪還と4同志無罪戦取をもって、その遺志にこたえなければならない。
「不当な長期勾留をやめさせるために! 十万人保釈署名運動」が主催する12・6集会に結集しよう。
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■実現しよう!
福嶋さんの年内保釈を
須賀・十亀・板垣さんの無罪を
12・6集会
☆12月6日(土)午後1時半開場 午後2時開会
☆日本キリスト教会館
(東京都新宿区西早稲田2―3―18、地下鉄東西線「早稲田」駅下車)
主催/不当な長期勾留をやめさせるために! 十万人保釈署名運動
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週刊『前進』(2128号6面4)(2003/12/01)
『前進』への弾圧許すな 新小岩駅頭 街宣を襲撃し不当逮捕
警視庁は11月17日夕刻、東京・JR新小岩駅前(前進社本社の地元)で『前進』街頭販売・宣伝活動を準備していたA同志を、まったく不当にも「軽犯罪法違反」の容疑で逮捕し、街宣用具とA同志が身につけていたもの一切を押収するという政治弾圧を行った。さらに東京地裁は、「黙秘している」ことを理由に、19日に10日間の勾留を決定した。
これは、正当な『前進』販売・宣伝活動に対する権力のまったく違法不当な、言語道断の妨害、政治弾圧である。より本質的には、『前進』そのものを発刊させない、売らせないという破防法型の弾圧である。絶対に許せない。満腔(まんこう)の怒りを込め、徹底的に弾劾し、粉砕する。
前進社は直ちに反撃に立ち、19日に霞が関と新小岩駅前でビラまきを行い、労働者人民に訴えた。ビラを受け取った多くの労働者市民が、「警察はひどいことをするね」「がんばって下さい」「何か協力できることがありますか」と声をかけてきた。
20日には前進社本社で記者会見を行い、警視庁の不当弾圧を暴露・弾劾した。
私服刑事20人が計画的襲撃
11月17日午後5時すぎ、定例の『前進』販売を準備していたA同志に、警視庁公安一課の星・横田ら約20人の私服刑事が突然、物陰から襲いかかった。いきなりはがい締めにされたA同志が強く抗議すると、横田らは「軽犯罪法違反で逮捕する」と手錠をかけ、葛飾署に連行した。そして販売のために準備していた『前進』とビラ、ハンドマイクなど宣伝用具一切を奪い取っていった。さらにA同志の衣類、靴、所持金、免許証、メガネなどの私物一切を押収した。警視庁公安こそ、違法きわまる暴行と強盗行為を強行したのだ。
A同志はその時、いつものようにイラク反戦ののぼりや「中核」「前進」の旗を立てる準備をしていた。その時に、「のぼりを広場のポールにしばりつけた」と称し、警告もなしに「軽犯罪法違反」を口実に集団で襲いかかり、逮捕のための逮捕を強行したのだ。
A同志はこの政治弾圧に怒りを燃やし、完全黙秘で闘いぬいている。
A同志を直ちに奪還しよう
前進社は昨年7月以来、新小岩駅前での『前進』販売を、毎週毎週、猛暑の日も台風の日も厳寒の日も、定期的に続けてきた。この際に、有事立法反対やイラク反戦、さらに春闘の訴えや資本攻勢の暴露、労働運動の強化、小泉反動政権との対決などをアピールしてきた。そうして『前進』を販売し、署名・カンパ活動を行い、労働者人民との対話を広げてきた。こうした活動は確実に労働者人民の心に響き、党と人民との結びつきが広まっている。
警察は、こうした闘いに心底から恐怖し、そこに「革命のヒドラ」を見た。だから、まったく事件でないものを事件に仕立てあげ、『前進』街宣に弾圧をかけてきたのである。
警察庁は階級支配の危機の中で、8月に「緊急治安対策プログラム」を出し、「軽犯罪法や条例違反」を活用して弾圧するよう、全国の警察に指示している。
革共同と労働者人民は、こんな弾圧に絶対屈服しない。全国で大反撃にうって出よう。職場で、街頭で、学園で、イラク反戦と労働者国際連帯を訴え、『前進』を圧倒的に広めよう。
警視庁はA同志を直ちに釈放せよ! デッチあげを絶対に許さず、A同志を奪還しよう。
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週刊『前進』(2128号6面5)(2003/12/01)
水嶋同志“私は無実” 被告人質問 審理終了。保釈を!
11月12日、88年9・21千葉県収用委会長せん滅戦闘デッチあげ裁判の第21回公判が、東京地裁刑事第1部(川口宰護裁判長)で開かれた。この日の水嶋秀樹同志に対する被告人質問(検察官による反対尋問)をもってデッチあげ裁判の審理はすべて終了した。
冒頭、水嶋同志は、川口裁判長が10月10日に決定した3度目の保釈許可に対して検察官が抗告し、高裁が地裁決定を取り消したことを怒りを込めて弾劾した。
水嶋同志は無実だ。その真実の前に、検察官の反対尋問はケチつけにすらならないものだった。水嶋同志は「正井は、9・21戦闘の指揮者であるAの髪はストレートであると言うが、私の頭髪は天然パーマ状態であるから、私とAは別人だ」と証言した。これに対して検察官は水嶋同志の写真を持ち出して、「写真からは頭髪が天然パーマ状態に見えない」と言いだした。しかし、現に水嶋同志の頭髪はくせ毛で縮れており、ストレートではない。検察官が何と言おうと、水嶋同志は正井の言うAの頭髪とはまったく違うのであり、Aは別人なのだ。
検察官は、水嶋同志が視力について「私は子どもの時からずっと1・5だった」と証言した点をとらえ、今年行った検証の時の視力が低下しているから「あなたの証言は客観的事実と違う」と難癖をつけてきた。水嶋同志は拘置所の薄暗い劣悪な条件のもとで、目を悪くしたのである。しかしそれでも、メガネなしで生活できるし、書類も読める。ところが正井証言によれば、Aは風呂場でもメガネを離せないほど強度の近視だった。
水嶋同志は「私の視力が1・5でなくなったことではなく、メガネなしでも生活できるのか、否かが問題だ」「私はメガネなしで生活できる(Aとは別人だ)」と断言。検察官は何ひとつ答えられなかった。
さらに、アリバイ立証に打撃を受けた検察官は、水嶋同志の記憶にケチをつけてきた。88年当時移動したコースの地名、駅名を覚えていることを不自然で信用出来ないと言うのだ。
だが、水嶋同志は15年前(88年)のことを今思い出して証言したのではない。90年3月にデッチあげ指名手配された段階で、1年半前のことを必死で思い出し、デッチあげを暴露し無実を晴らそうと、繰り返し記憶に留めてきたのだ。
今回の反対尋問をとおして、検察側立証の破綻(はたん)は最後的に確定した。水嶋同志の無実は完全に証明されたのである。公判終了後、弁護団は直ちに保釈請求書を裁判所にたたきつけた。全審理が終了した今、「罪証隠滅のおそれ」は言うまでもなく、保釈を認めない口実は一切なくなった。川口裁判長が4度目の保釈許可を直ちに決定するよう強く訴える。
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週刊『前進』(2128号6面6)(2003/12/01)
“ラムズフェルド来るな” 沖縄県庁前で抗議
11月16日、米国防長官ラムズフェルドの来沖に対する弾劾の闘いが沖縄県内各地で闘われた。ラムズフェルドは嘉手納基地に降り立ち、県内の基地を視察した後、県庁で県知事・稲嶺とと会談した。
平和市民連絡会は、早朝から嘉手納の“安保の見える丘”でラムズフェルドを迎え撃つ抗議行動を行い、午後からは那覇市の県庁前にある県民ひろばに移ってラムズフェルド・稲嶺会談阻止行動を展開した。
県民ひろばでは「アメリカはイラク侵略をただちにやめよ!」「自衛隊のイラク派兵阻止」の横断幕を広げ、「ラムズフェルドの来沖は新たな朝鮮戦争に対する体制をつくるためのものだ」と道行く市民に訴えた。県庁の正面入り口で阻止線を張り、来沖と会談を弾劾し続けた。
ラムズフェルドは「県民から歓迎されている」と言い放った。しかし県庁の正面入り口から入ることはできず、裏口から入り裏口から出るしかなかった。まさに逃げるようにして沖縄を離れた。それは1960年にアイゼンハワー大統領が、65年には佐藤首相が、デモ隊に取り囲まれ、民政府の裏口や米軍基地に逃げ込んだ事態を彷彿(ほうふつ)とさせるものだ。
ラムズフェルドは稲嶺との会談の中で、「日米安保によってこの地域は平和であった」「訓練や騒音の回数は下がっている」などと言い放った。
稲嶺は「米軍基地の現実に限界」などと言い、あたかも県民の立場に立っているかのようなポーズをとっているが、ペテンだ。そもそも新基地建設を強引に進めている稲嶺の「現実路線」が沖縄の過酷な現実を生み出しているのであり、会談はあらためてSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)路線が完全に破綻(はたん)していることを突き出した。
稲嶺が恐れているのは沖縄人民の根底からの決起であり、「マグマ」のように噴き出そうとしている沖縄人民のエネルギーなのである。日米帝国主義との激突という沖縄闘争の新たな局面は不可避なのだ。
この日、平和センターや中部地区労の労働者は、北中城(きたなかぐすく)村の在沖米軍司令部前で抗議行動を闘った。
米帝の世界戦争戦略のもとで進む在沖米軍基地の再編、名護新基地建設攻撃と真っ正面から闘いぬこう。
(投稿/石川 陵)
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