(写真 国鉄分割・民営化の真実を暴く闘いで安倍政権・新自由主義と闘うことを宣言した国鉄闘争全国運動全国集会【6月9日 東京】)
■特集 労働運動のうねりで改憲阻止
改憲推進の連合が崩壊 4大産別が飛躍する時
はじめに
「新たな時代」が始まっている。
「新たな時代」とは、世界大恐慌が本格的に爆発し、大争闘戦時代に突入し、最末期帝国主義の絶望的延命形態である新自由主義に対する全世界の労働者階級人民の総決起が巻き起こっている時代である。
さらに3・11情勢(東日本大震災と福島原発事故)のもとで階級情勢が根底から一変している時代のことだ。総じて、プロレタリア世界革命が急接近する時代の到来ということである。そして参院選で山本太郎さんが66万票余りを集めて当選した。これは新しい時代の象徴である。
第1章は、国鉄決戦で改憲を阻止しようと訴えている。戦後労働運動、階級闘争の核心を明らかにしている。
第2章は、自民党改憲草案の全面批判を行っている。
第3章は、戦争と安保と改憲攻撃の戦後史を展開している。安倍の改憲攻撃の絶望性を鮮明にしている。
第1章
(写真 参院選の選挙戦最終日、山本太郎旋風≠ェ渋谷駅ハチ公前を席巻【7月20日】)
山本氏当選で安倍が震撼――今こそ労働組合の復権を
参院選の東京選挙区で山本太郎氏は、66万票以上を獲得して4位当選を果たした。大恐慌、3・11情勢のもと、新自由主義に対する怒りが首都・東京で爆発した。この現実に安倍政権は震え上がっている。100万という規模の青年の革命的大衆行動が始まったからだ。
さらに重大なことは民主党・連合の凋落(ちょうらく)である。山本太郎氏の闘いは連合打倒の闘いとなった。体制内によっておとしこめられてきた労働組合の存在と団結を巨万の規模で回復する出発点となる。今こそ、4大産別の労働者を先頭に躍り出て、職場を階級的労働運動の拠点にする時だ。
山本太郎氏は、これから「イバラの道を歩む」と宣言した。それを青年労働者が支持している。国鉄決戦・反原発決戦を柱に労働組合をよみがえらせ、安倍を打倒し、日帝を打倒する道が開かれた。
■安倍の改憲攻撃
日帝・安倍政権が改憲に死活をかけざるをえない理由は何か。
第一は、没落する米帝による新軍事戦略とTPP攻勢の激しさである。脱落・日帝にとって日米安保体制を強化しTPPに参加する以外に選択の道はなく、それは極めて日帝解体的であり、日帝は延命をかけて改憲に突進するしかないということである。
第二は、脱落・日帝の危機のすさまじさである。何よりも、その階級支配が末期的危機に至っていることである。二十数年にわたる凶暴な新自由主義政策は、戦後憲法下での階級支配の前提条件をことごとく破壊してきた。その中で「3・11」が爆発し、もはや今までの階級支配・統治形態は続けられなくなり、敗戦帝国主義としての制約を一挙に取り払い、新自由主義政策を暴力的に貫徹する新憲法体制=統治形態に転換しなければ、国家が成り立たないところまで追いつめられているということである。
日帝・安倍は今、なんらの勝算もないまま改憲に突進している。たとえ衆参両院で改憲派の議席が3分の2を超えようとも、それだけで彼らに展望が出るわけではない。改憲決戦とは、労働者階級と支配階級との階級決戦なのだ。労働者階級人民の根幹をここでたたき折り、階級闘争の歴史的高揚を圧殺することなしに、彼らは改憲を遂行することはできない。
階級闘争は階級的労働運動が軸になってこそ爆発する。その核心は国鉄闘争である。そして、青年・学生の圧倒的決起である。国鉄闘争を軸とした階級的労働運動の成否に、改憲決戦の勝敗と全人民の未来がかかっている。
労働者人民の怒り
労働者の怒りの声が爆発する情勢に突入している。階級的労働運動が圧倒的に前進する条件はいよいよ煮詰まってきた。
第一に、アベノミクスの崩壊は必至であり、安倍政権の成長戦略は、労働者人民を本当に生きられなくさせるものだということである。
安倍の成長戦略とは、一方では円安誘導と超金融緩和策と大規模な公共投資、もう一方ではTPP推進とインフラ・パッケージ輸出の推進で、それらの土台には資本への全面的な規制緩和がある。財界が要求していることは、社会保障制度の全面的な解体と労働規制の緩和である。つまり、労働者の雇用と賃金を徹底的に破壊することが成長戦略の柱になっているということだ。
労働規制の緩和について、言われていることは、解雇自由を法制化する、残業代をゼロにするホワイトカラーエグゼンプション(労働時間規制適用免除制度)を導入する、「限定正社員制度」を導入することなど。つまり、10割非正規職化の戦略として、いつでも首が切られる雇用制度を導入するということだ。
第二に、橋下らがやろうとしている360万首切り攻撃である。バス・清掃・市営交通などの全面的な民営化攻撃であり、これを「いったん全員解雇、選別再雇用」という国鉄方式でやろうとしている。これをやるための労組破壊との激突が始まっている。
第三に、公務員労働者とその関連労働者合わせて約1000万人への7・8%賃金カット攻撃である。退職金を400万円も削減され、一時金を1割カットされ、その上に一律7・8%の賃金削減。これをやられたら生きていけない。現業などは軒並み民営化されて首切りされる。労働者の怒りは必ず爆発する。ここから階級的労働運動を大規模に復権させよう。
第四に、原発再稼働への怒りが高まり、改憲・戦争の危機が激しく進行していく。これは間違いなく、全人民的で階級的な大流動を生みだしていく。改憲・戦争をめぐる大流動と、雇用・賃金への破壊に対する怒りが結びついたとき、本当の革命情勢が生まれる。
4大産別の闘い
安倍・成長戦略による労働者への攻撃、橋下らによる労組破壊・民営化の攻撃、7・8%賃金カットをめぐる自治労攻防、この三つは一体であり、これらを階級決戦に持ち込めるかどうか。そうなったとき、間違いなく安倍政権は倒れる。改憲攻撃も完全に頓挫する。
そのうえで、国鉄を先頭とした4大産別の闘いが戦略的な焦点となっている。敵階級は、公務員労働者の雇用保障を徹底的に破壊することをとおして最後的に正規雇用を解体し、10割の非正規化を達成しようとしている。またそのことをとおして階級的な団結をとことん解体しようとしている。つまり、日帝・安倍政権の戦略は、公務員労働者への攻撃に据えられているということであり、この戦略との激突情勢をつくりだすことである。
JRが日帝延命の根幹
この中で、JRが再び日帝の延命策の根幹に据えられている。JR体制を揺るがす外注化阻止闘争はますます決定的になっている。
JR東日本が昨年10月30日に出した「グループ経営構想X〜限りなき前進〜」は、今日の大恐慌下において、脱落・日帝ブルジョアジーの最先頭・最中枢にJRが立ち、その凶暴で絶望的な新自由主義的延命を図ろうというものである。
それは、@JRの全面外注化を徹底的に推し進め、それを全社会に拡大することであり、A鉄道の全面外注化によって10割非正規職化まで果てしない攻撃をやりぬこうということであり、B鉄道輸出=海外侵略を柱に掲げて、日帝全体の危機を突破しようというものである。
原発・鉄道・水の「インフラ・パッケージ輸出」は、日帝再生の「国家戦略」として位置づけられ、野田政権から安倍政権へと総力で引き継がれている。その中心に、JRの「経営構想X」があるということだ。
しかし、「インフラ・パッケージ輸出」戦略は、大国間争闘戦の激化の中で簡単に進む話ではない。その競争力強化のために、国内における徹底したコスト削減・利潤拡大を外注化・非正規職化、低賃金化によって進めようとしている。ここに「経営構想X」の恐るべき階級戦争としての位置がある。
■国鉄決戦で改憲阻止
戦後労働運動は、戦後革命期から総評結成、そのニワトリからアヒルへの左旋回、自民党と社会党の55年体制の成立、56年国鉄新潟闘争、60年安保・三池闘争から70年安保・沖縄闘争、70年代の国鉄マル生闘争の勝利からスト権ストと闘ってきた。
日帝は、54年の鳩山内閣以来、改憲攻撃を続けてきたが、60年安保闘争の大爆発、70年安保・沖縄闘争のさらに巨大な爆発によってその策動を粉砕された。こうした戦後労働運動の柱に国鉄労働運動が位置していた。
第1項 中曽根の改憲発言
80年代、全世界に労組破壊・民営化の新自由主義攻撃が吹き荒れた。労働組合の絶滅・解体を目指すすざまじい攻撃だった。日本でも中曽根が、国鉄分割・民営化の攻撃をかけてきた。
中曽根は「国労をつぶし、総評・社会党ブロックを解体して、お座敷をきれいにし、新しい憲法を飾る」と言った。改憲のために日本労働運動の中軸を一貫して占めていた国労を破壊すること、それが総評・社会党をつぶすことになり改憲につながるという反革命の路線を敷いたのだ。
日帝国家権力は、70年安保・沖縄闘争の内乱的武装的発展に恐怖し、プロレタリア革命に現実性の脅え、反革命カクマルを革共同の破壊に差し向けた。
中曽根は国鉄分割・民営化においてもカクマルを国鉄労働運動破壊の先兵に差し向けた。動労千葉は分割民営化に対して85年11月、86年2月と2波のストライキを闘い労働組合の団結を守った。国労は闘うことができず、組合の団結を破壊された。JRに採用されなかった国労や動労千葉の組合員は清算事業団に送られた。
90年4月1日、1047人が国鉄清算事業団から解雇された。動労千葉がストライキで反撃し、国鉄闘争が継続され、国鉄1047名の解雇撤回闘争が始まった。
89年、総評が解散し、連合が結成されたが国鉄1047名闘争が残った。これがその後の二十数年の日本労働運動を決定するほど重大だった。
1047名闘争
この後は、1047名闘争をめぐる日帝国家権力との激烈な闘争だった。国鉄闘争つぶしを狙う国家権力、それに対する国労中央の丸ごとの裏切りと屈服、それに対して闘う国労闘争団、動労千葉の闘争だった。
その内実は、国家権力が放った希代のスパイ分子・荒川の碩哉摘発・打倒の闘いによって明らかにされた。
荒川は95年から内閣官房情報調査室に直結してスパイ活動を開始し、00年から01年にかけて公安調査庁とも直結した。95年は村山政権(亀井運輸大臣)下で1047名闘争をつぶすために権力中枢が本格的に構えた時期だった。
94年12月末、運輸省は国労に対する202億円損害賠償請求訴訟を取り下げ、国労本部の懐柔に乗り出した。
98年には1047名解雇について「JRに法的責任なし」という5・28反動判決(難波裁判長)が出された。これで国労は完全に戦意喪失した。00年は日帝の国労つぶしを狙った4党合意(自民党など与党と社民党)が出された。 02年には5・27国労臨時大会闘争弾圧に対して完全黙秘・非転向で闘い、4者・4団体との攻防を闘ってきた。
そして09年に政権についた民主党・連合政権は、10年に4・9国鉄1047名闘争の政治和解で闘争抹殺を図った。これを国労など4者・4団体(民同も革同も)は受け入れ闘争終結を図った。断じて許されないことだ。104
7名闘争の100万人支援陣形を解体し、国鉄闘争に最後の止めを刺すものだった。
そこで動労千葉は、「国鉄闘争の火を消すな」と6・9国鉄闘争全国運動集会を呼びかけた。予想を上回る賛同人が集まり、国鉄決戦は不死鳥のごとく闘い継がれた。
階級的労働運動で闘う
では、なぜ国鉄分割・民営化に動労千葉が2波のストライキで反撃することができ、国労・体制内労働運動は闘うことができなかったのか。
動労千葉の中野洋委員長は、日本の労働運動の壁として合理化反対と言っても実際には賃上げと引き換えに合理化をのみ、合理化絶対反対闘争ができなかったことを挙げていた。
動労千葉の72年の船橋事故闘争はこの限界を乗り越える闘いだった。事故とは運転士の責任ではない。事故を起こさせる当局の合理化に責任があると、労働運動の中で初めて言い切った。反合理化・運転保安闘争路線の提起であった。これまで事故を起こした運転士は、職場で処分を受け、さらに刑事罰を受けた。全責任を負わされていた。そこを当局の事故責任を問題にして職場闘争によって逆転した。 ここに日本の労働運動に、これまでの妥協・馴れ合い、屈服・裏切りの民同労働運動に代わる新しい階級的労働運動が生まれた。絶対反対、絶対非和解、階級的団結を求める階級的労働運動である。
この船橋事故闘争を起点に、動労千葉は階級的労働運動を展開し、77年三里塚連帯・ジェット燃料輸送阻止闘争を闘い、動労カクマルの白色テロに対して79年分離・独立をかちとり、85年の国鉄分割・民営化と闘う態勢を取ることができた。
00年から動労千葉は、検修・構内業務の外注化と闘ってきた。始めは、99年度に提案されたシニア制度だった。
これは年金支給開始年齢引き上げに伴い、60歳定年退職後の労働者に再雇用の機会を提供するというものだが、業務の外注化を受けれ入ることが条件になっていた。外注化とは、出向の受け入れであり、組合の分断であり、非正規職化の攻撃であった。泣く泣く動労千葉を脱退する組合員も出たが動労千葉は絶対反対で闘った。
こうして動労千葉は13年間、外注化を阻止してきた。そして12年1月、京葉車両センターで構内業務を1日勤だけ外注化する攻撃が強行された。外注化絶対反対の闘争は京葉車両センターの平成採の青年労働者を獲得し、当局を震撼させていた。
昨年10月1日に、仕業検査、交番検査、構内運転業務が千葉鉄道サービス(CTS)という列車の清掃業務しかやっていない会社に外注化された。91人が出向に出され、うち44人が動労千葉の組合員だ。動労千葉はこれに5日間のストライキで立ち向かった。これは外注化絶対反対、非正規職化絶対反対の画期的な闘いだった。
動労千葉は、JRとCTSに分断されながらも団結を維持し、現場で起きるあらゆる矛盾を突いて立ち上がっている。それは安全問題と強制出向から非正規職に突き落としていく雇用問題だ。動労千葉は安全破壊と雇用破壊という矛盾を追求する新たな時代の反合・運転保安闘争を創造して闘い抜いている。合理化絶対反対の闘いだ。
(写真 外注化阻止闘争の第2ラウンドに突入した動労千葉のストライキ【3月1日 幕張車両センター】)
動労水戸、国労郡山工場支部の闘い
動労水戸の福島連帯・外注化阻止・被爆労働拒否の闘いが前進している。動労水戸は、放射能に汚染された車両K544の検修業務の強制に対し、被爆労働拒否のストライキを何波にもわたって闘い抜き車両の運用を阻止してきた。7月16日は勝田車両センターでK544の交番検査強行に対して、「偽装交検」しかできないところに追い込む、画期的なストライキと大抗議集会をかちとった。
動労水戸は、昨年10月1日の検修業務外注化では、組合員10人が水戸鉄道サービス(MTS)に強制出向させられた。これに対して動労水戸は8〜9月に4波のストライキを闘い抜いた。13春闘でも3波のストライキを打ち抜いている。
国労郡山工場支部も、動労水戸の闘いと連帯して、K544の郡山総合車両センターへの回送に絶対反対で闘い、回送されたK544の全般検査に反対し、JR当局を激しく追及して闘っている。
国労郡山工場は、被災地福島で、反原発闘争を闘い、外注化阻止闘争でも倉庫業務の6月外注化を阻止して闘っている。福島第一原発事故に対して国労組合員が組合の団結を固めて闘っている。
動労連帯高崎、動労西日本も外注化阻止で大きく闘いを前進させている。外注化阻止・非正規職化反対の国鉄決戦はJRの青年労働者の心をとらえ、新たなうねりを開始している。
白石判決の重大性
国鉄1047名解雇撤回闘争は最大の決戦に入った。動労千葉鉄建公団訴訟控訴審で、動労千葉と弁護団は、不採用基準がJR設立委員会委員長・斎藤英四郎の指示で当時の国鉄総裁室長・井手正敬(元・JR西日本会長)と同職員局次長・葛西敬之(現・JR東海会長)らによって策定された事実をつきとめた。国家的不当労働行為の真実はついに明らかになった。
東京地裁の白石裁判長は、昨年6・29判決でその事実を認めた。ところが日帝国家権力は、東京地裁の白石裁判長を左遷し、控訴審を強権的に打ち切り、9月25日に東京高裁で反動判決を下そうと企んでいる。
これまで述べてきた通り、国鉄闘争は一貫して日帝国家権力中枢との闘いであった。中曽根発言が示すように、国労つぶし、国鉄労働運動つぶしが改憲攻撃の核心なのだ。59年伊達判決(日米安保は違憲)や73年長沼判決(自衛隊は違憲)とした時に日帝国家権力中枢は、なりふりかまわず伊達裁判長を辞職に追い込んだ。長沼訴訟の福島裁判長は左遷させられた。
それと同じ意味で、日帝国家権力中枢は、国鉄分割・民営化の国家的不当労働行為を認めた白石裁判長を許さなかった。閑職に追いやった。
1047名闘争を終結させ、国鉄労働運動を壊滅することに日帝の新自由主義攻撃による延命がかかっている。ここに動労千葉労働運動、国鉄労働運動の今後がかかっている。これをひっくり返すのは、階級的力関係を変えていく以外にない。
そこに山本選挙の大勝利がかちとられた。66万人以上が山本太郎さんに投票した。階級情勢は一変した。自民党「大勝」など吹っ飛ばす特大の勝利だ。これは3・11への怒りの大爆発だ。被爆労働拒否、TPP反対、飢えさせないの叫びであり、改憲阻止の展望を圧倒的に切り開いた。反原発の20万人の首相官邸・国会包囲の闘いの上にさらに発展させる闘いだ。そして何よりも労働者の過労死を許さないと提起している。それは解雇撤回・外注化阻止・非正規職撤廃の国鉄決戦の勝利を求めている。
この圧倒的に高揚する大激動情勢の中で、1047名の解雇撤回・JR復帰を求める10万人署名を爆発させよう。外注化阻止・非正規職撤廃―被曝労働拒否の職場反合闘争を徹底的に実践し、団結を拡大しよう。これらの闘いは、改憲攻撃粉砕の闘いそのものである。
解雇自由化、7・8%賃下げ、民営化・外注化・非正規職化の攻撃は、労働者人民から生存権をはじめとした基本的人権を奪う改憲攻撃にほかならない。労働者階級の「生きさせろ!」の闘いをあらゆる水路から爆発させ、改憲を根底で阻止する階級闘争を発展させよう。その闘いの基軸は国鉄決戦にある。
第2章
自民党改憲草案を批判する――9条破壊、労働基本権解体など
安倍・自民党の具体的な改憲策動は、@自民党の「日本国憲法改正草案」と、A集団的自衛権の行使容認・立法化である。この改憲策動は、アベノミクス崩壊・争闘戦脱落という絶望的危機の突破をかけた大攻撃である。
それは、戦後労働者支配のあり方からの全面的な転換と、敗戦帝国主義としての制約を一挙に取り払って戦争国家になるという凶暴性をむきだしにしたものである。
それゆえ、支配階級を上回る怒りと迫力でこの改憲攻撃を暴露・弾劾していくこと、この歴史的大闘争に勝利できる路線と展望を指し示していくことが求められている。
こうした立場から、@自民党の「日本国憲法改正草案」と、A集団的自衛権の行使容認・立法化の問題を暴露し弾劾していく。
(1)労働基本権・基本的人権の根本的解体
自民改憲案の最大の焦点は何かと言えば、やはり現行憲法9条の破壊であるが、その点の暴露・批判は二番目にして、労働基本権・基本的人権を根本的に解体しようとしていることから始めたい。
労働基本権・基本的人権の解体を狙う自民改憲案は、@公務員労働者からの労働三権の剥奪、A「公益及び公の秩序に反してはならない」論、B特定目的の「結社」の禁止、C「家族」条項の新設などを展開しており、どれも怒りなしには読めない内容である。
労働三権の剥奪
現行憲法第28条の「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」はほぼ残したうえで、「公務員については、全体の奉仕者であることに鑑み、法律の定めるところにより、前項に規定する権利の全部又は一部を制限することができる」を加えた。これにより、公務員に対する労働三権(団結権・団体交渉権・団体行動権)の全面的剥奪まで可能にしている。
現行憲法は、労働基本権(勤労権と労働三権)を無条件に保障しており、その点でも世界的に例を見ない。これは、戦後憲法がつくられた歴史過程とその時代の階級関係に規定されており、戦後革命の圧殺と引き換えに行われた、労働者階級への大幅な譲歩と妥協によるものである。
自民改憲案は、労働者階級がこれまで血と汗で闘いとってきた労働基本権(勤労権と労働三権)を公然と破壊しようとしており、それを公務員労働者から開始している。すでに現実のあらゆる労働現場においては改憲が先取りされており、労働基準法を無視する3・11「復興特区」攻撃が全国的に展開されているが、それでもなおこの点での改憲を強行しようとするのは、そこにこそ今日の改憲攻防の階級的性格が存在するからである。新自由主義とその自民改憲案が最も憎悪をむき出しにして破壊しようとしているものは、労働者階級の団結であり、人間的階級的な共同性なのだ。
「公益及び公の秩序」
現行憲法第12条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」について、その後半を「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と書き換えた。この「公益及び公の秩序」という言葉は自民改憲案の中で4回くり返されているが、その意味は資本家階級の利益とその国家体制の維持≠フことで、人権と人権の衝突を調整するという現憲法の「公共の福祉」(public welfare)とはまったく違う。英語のpublicは、もともと「人民」という意味である。
そもそも「基本的人権」と言われる人民の諸権利は、19世紀以来の、世界的な労働組合運動の中で闘いとられてきたものである。その出発点になった主張も、封建制の国家権力に対する人民の闘争(17〜18世紀)から発生していった。そうした歴史をとらえ返せば、自民改憲案の「公益及び公の秩序に反してはならない」という改悪は、基本的人権の根本的解体であることは明白である。
これらの点について、自民党が出した『日本国憲法改正案Q&A』では、「天賦人権説に基づいて規定されている…こうした規定は改める必要がある」と言い、「『公共の福祉』を『公益及び公の秩序』に変えたのはなぜか?」という問いに対して、「基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにした」と説明している。資本家階級の利益とその国家体制の維持≠ェ最優先だと公言しているのだ。
また、自民党は、「前文」を全面的に書き換えた理由として、現行憲法の前文には「基本的人権の尊重が書かれていない」ことを挙げているが(『Q&A』)、これがまたとんでもなくおかしい。「日本国民は…基本的人権を尊重するとともに、…互いに助け合って国家を形成する」(自民改憲案の前文)と書いているが、驚くべきことに、基本的人権を「尊重する」のは公権力ではなく、「日本国民」となっている。それゆえ自民改憲案は、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は…侵すことのできない永久の権利」という現行憲法97条(最高法規)を全面削除している。
「結社は認められない」
「公益及び公の秩序に反してはならない」論は、続いて「結社の自由」を否定した。 現行憲法第21条の「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」について、自民改憲案は「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」を加えた。「結社の自由」の破壊である。
これについて先の『Q&A』では、「オウム真理教に対して破壊活動防止法が適用できなかったことの反省などを踏まえ、公益や公の秩序を害する活動に対しては、表現の自由や結社の自由を認めないこととしました」と露骨に言っている。目的に基づく「結社」を規制することは、目的そのものを規制するのと同等であり、「表現の自由も認めない」と言っているように、自民案では反政府デモも弾圧の対象となる。まさに破防法の憲法条文化であり、階級支配の危機から噴き出した極悪の予防反革命条項である。
そしてすでにそれは「新たな捜査手法」の導入や「秘密保全法」の制定、「共謀罪」の新設などの策動として激化しており、戦争・改憲攻撃そのものとして対象化して、巨大な人民の怒りで粉砕していかなければならない。
「家族」条項と天皇国家
自民改憲案では第24条に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」という規定を新設した。これは、自民改憲案前文の「日本国民は、…家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」と連動したものであり、「親子の扶養義務」を含ませ、生存権を国が保障することを拒否する内容である。
そもそも現行憲法の第24条は、婚姻における両性の平等を規定することを通して、古い「家」制度を否定するものである。戦前の「家」制度は、家長によって統率される「家」を単位として、国民を天皇中心の国家体制に動員する仕組みであった。「家族」条項の新設は、「日本国は…天皇を戴く国家」(自民改憲案の前文)、「天皇は日本国の元首」(同第2条)、「国旗は日章旗、国歌は君が代とする」「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」(同第3条)などと一体で、階級支配の崩壊を超国家主義的に突破しようという日帝の絶望的危機を示すものである。
新自由主義攻撃と改憲
「(新自由主義に)社会などいうものは存在しない。存在するのは男、女という個人だけだ」と、イギリスのマーガレット・サッチャーは有名な宣言を残したが、「命より金儲け」の新自由主義は、社会的紐帯を徹底的に破壊し、労働者人民をばらばらに分断し、基本的人権をとことんまで剥ぎ取ること要求する。労働力の再生産などもはや考慮しない。世界大恐慌下で労働者人民に「食えない」現実を平然と強制するのが、今日の新自由主義なのだ。
日帝・安倍の改憲攻撃は、最末期帝国主義の絶望的延命策である新自由主義攻撃そのものとしてある。改憲阻止とは、本質的にも現実的にもこの新自由主義攻撃との闘いであり、生きられない現実を労働者人民の団結した闘いで覆していくことである。労働者階級の団結の拡大が改憲阻止の核心的課題である。
(2)「国防軍保持」で武力行使へ
改憲攻撃の本丸である第9条の破壊はまず、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに…」などと書かれている侵略戦争への反省、不戦平和の誓いの表現を「前文」から破棄することから始まる。そして、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書いてあることが「特に問題」だと言い、「ユートピア的発想による自衛権の放棄」(『Q&A』)だと非難している。
「自衛権の発動を妨げない」
続いて、第9条がある現行憲法の第2章のタイトルを「戦争の放棄」から帝国主義の軍事用語である「安全保障」に変えた。これ自体が激しい転換であり、再び戦争に突き進んでいくことの宣言である。
次に、9条1項に次の重大な条項を加えた。「2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」
この点について『Q&A』は、集団的自衛権の行使を禁ずる政府の憲法解釈は「『9条1項・2項の全体』の解釈によるもの」とされているから、「その重要な一方の規定である現行2項(『戦力の不保持』)を削除した上で、新2項で、改めて『前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない』と規定し、自衛権の行使には、何らの制約もないように規定しました」と告白している。憲法レベルで集団的自衛権行使容認を完成させているのだ。
「国防軍を保持する」
そして、「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」を新設する。「戦力の不保持」から軍隊=戦力の保持への大転換である。当初の「自衛軍」という名称から「国防軍」に変えたのは、専守防衛論を引きずらないという意思の表れだろう。『Q&A』では「独立国家としてよりふさわしい名称」にしたと言っている。
さらに、「国防軍は…法律の定める…活動を行うことができる」と規定し、下位法で自由に拡大できるようにしている。そして、国防軍の国際活動、機密保持、審判所(軍法会議)、領土保全義務まで盛り込んでいる。まさしく現行9条の全面的破壊であり、治安維持と侵略戦争を遂行できる体制を整えているのである。
「出動拒否なら死刑」
7月16日の東京新聞に、自民党の石破茂幹事長が「審判所」設置に強い意気込みを見せたことが報じられている。
国防軍になると、具体的に何が変わるのかと問われた石破はまず「(改憲草案に)軍事裁判所的なものを創設する規定がある」と言い、しかし現在の自衛隊員が上官の命令に従わない場合は懲役7年が上限であることを説明し、次のように言ったという。
「『これは国家の独立の為だ、出動せよ』と言われた時に、いや行くと死ぬかも知れないし、行きたくないという人がいないという保証はどこにもない。だから国防軍になったらそれに従えと。それに従わなければその国にある最高刑がある国なら死刑。無期懲役なら無期懲役。懲役300年なら懲役300年だ」
国防軍化は即戦争だということである。命を虫けらのように扱われる帝国主義軍隊。それに動員されるのは青年労働者なのだ。
(3)憲法停止の国家緊急権を新設
自民改憲案は、「第9章 緊急事態」を新設している。「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」において、内閣総理大臣は「緊急事態の宣言を発することができる」としている。
そして、「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」とし、「何人も、…国その他公の機関の指示に従わなければならない」ことになっている。
これは、基本的人権を全面的に制限し(=憲法停止)、独裁的に権力行使ができる仕組みであり、まさに戒厳令規定であり、戦争国家体制の一環である。
現行憲法は、その「平和主義」により軍事的緊急事態による人権制約を想定していないため、国家緊急権規定がそもそも存在しない。
しかし『Q&A』では、国民の服従義務について、有事法制の「国民保護法」では「憲法上の根拠がないために、国民への要請は全て協力を求めるという形でしか規定できなかった」と吐露し、これを解消するため、国の指示に対する「国民の遵守義務を定めた」と言っている。こうした義務には必ず罰則がついてくる。
「緊急事態」の際、閣議だけで決められる「政令」には、「法律と同等の効力」を持たせることができるとされている。つまり、労働者人民に対して集会やデモ、ストライキの禁止を命じ、違反したら逮捕し投獄できるようになるということだ。国家緊急権の新設の狙いはそこにある。
(4)地方自治解体と道州制の導入
自民改憲案は「地方自治」に重大な転換を持ち込んでいる。地方自治体が担う役割を「住民に身近な行政」に限定したうえで、「地方自治体は、基礎地方自治体及びこれを包括する広域地方自治体とすることを基本とし」、「国及び地方自治体は、法律の定める役割分担を踏まえ、協力しなければならない」と、道州制の導入を完全に目論んだ内容になっている。『Q&A』では、「道州はこの草案の広域地方自治体に当たり、この草案のままでも、憲法改正によらずに立法措置により道州制の導入は可能」と答えている。
また、財源問題でも改憲案96条で「地方自治体の経費は…自主的な財源をもって充てることを基本とする」と規定する一方で、92条で「住民は…その負担を公平に分担する義務を負う」としている。これは、住民の福祉は自己負担であることを憲法に記載したに等しく、社会保障の切り捨て宣言である。
(5)権力規制から人民支配の憲法に
現行憲法の「第10章 最高法規」にある、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」(第99条)という条項は、天皇及び全公務員の憲法尊重擁護義務を規定したもので、これに違反した者はその職を解かれなければならない。
ところが、自民改憲案の第102条はまず、「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」としている。これは、憲法が国家権力を縛るものであることを百八十度ひっくり返すものである。しかも、「国民の義務」を羅列した自民改憲案を「国民」は尊重しなければならないのであり、権力への縛りを解いて労働者人民を支配する憲法へ大転換させるものであって、絶対に許せない。
さらに、自民改憲案では、首相の権限強化が図られている。たとえば、衆議院の解散の決定を「内閣の権限」とされていたものを、「衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する」(第54条)と、首相の単独決定事項にしている。また、首相や大臣の国会への出席義務について、「職務の遂行上特に必要がある場合は、この限りではない」(第63条)として、出席義務の免除を規定している。『Q&A』は「国会に拘束されることで国益が損なわれないように」配慮したと言っている。
安倍首相は「96条から改正する」とくり返しているが、各議院の3分の2以上の賛成で発議できる≠ニする改憲手続き緩和先行論のペテン性がすでにあらわとなり、反対の声が拡大している。しかし、日帝は改憲を回避しては延命できない。この絶望的な改憲攻撃を、プロレタリア革命に転化するために闘おう。
(6)「国家安保基本法」制定の意味
自民党の石破は、「国家安全保障基本法」について、対談本『こんな日本をつくりたい』(2012年9月発行)で、次のように述べている。 「憲法が改正されるまで、集団的自衛権は行使できない、というままで放置しておいて良いとも思えません。…ですから、今年(2012年)自民党は、『集団的自衛権の行使を可能とする』ことを盛り込んだ、『国家安全保障基本法案』の概要を党として機関決定したわけです」
「『内閣法制局の打ち立てた憲法解釈は、内閣が替わったからと言って変更できるものではない』というのが法制局の立場ですが、だからこそ内閣提出法案ではなく、議員立法でこれを乗り越えるべきだと思います」
石破は、そのあまりの違憲性ゆえに内閣法制局が審査する内閣提出法案では出せないが、議員立法という形で国会に出せばその「壁」をすり抜けることができる、国家安保基本法が国会を通ってしまえば、集団的自衛権の行使を合法化できる、と言っているのだ。
自民党が昨年7月に概要案として発表した「国家安全保障基本法案」は、恐るべき戦争法である。
まず、「我が国が自衛権を行使する場合には、以下の事項を遵守しなければならない」として、「我が国、あるいは我が国と密接な関係にある他国に対する、外部からの武力攻撃が発生した事態であること」と言っている。つまり、アメリカや韓国の国土や軍隊に武力攻撃があった場合、日本は集団的自衛権を行使できると規定しているのだ。さらに、「別途、武力攻撃事態法と対になるような『集団自衛事態法』(仮称)、及び自衛隊法における『集団自衛出動』(仮称)的任務規定、武器使用権限に関する規定が必要」と記している。
続いて、「各種の安全保障措置等に参加する場合には、以下の事項に留意しなければならない」として、PKF(国連平和維持軍)や多国籍軍への参加を完全に前提にしている。そして、「本条の下位法として、国際平和協力法案を予定」と記している。つまり、海外派兵恒久法の制定だ。
この「国家安全保障基本法」は、明文改憲を待たずに集団的自衛権の行使を合法化するものであり、「国家安全保障会議設置法」や「集団自衛事態法」「派兵恒久法」の制定を含めている。戦争絶対反対の巨大な階級的怒りを組織し、絶対に阻止しよう。
第3章
労働者階級の国際連帯を――改憲・戦争の道を阻止しよう
第2次世界大戦後に成立した戦後世界は、世界大恐慌、新自由主義の破産、3・11情勢という新しい時代に突入している。ここでは、戦後の日米安保の変遷について検討し、労働者階級の国際連帯で改憲・戦争を阻止することを訴えたい。
以下、戦後の安保問題と、それに対する闘いを見ていく。
□日米安保締結
・60年安保闘争
・70年安保・沖縄闘争
□78年ガイドライン
□97年新ガイドライン
□05年「日米同盟・変革と未来」
□米新軍事戦略と集団的自衛権・改憲
日米安保締結
1949年に中国革命が勝利し、全世界に衝撃を与えた。そして50年6月、北朝鮮スターリン主義は韓国に武力侵攻を開始した。それに対して米帝は直ちに反撃に出て、米帝の朝鮮侵略戦争が始まった。日本に駐留していた米占領軍が朝鮮半島に出兵した。占領軍司令官マッカーサーは、日本国内の治安維持のために警察予備隊の新設を日本政府に命令した。こうして日本の再軍備が始まった。言うまでもなく日本帝国陸海軍は、敗戦によって武装解除され、解体されていた。
52年のサンフランシスコ平和条約によって、沖縄と奄美諸島、小笠原諸島は本土から切り離された。日本で唯一の地上戦が戦われた沖縄は米軍の直轄支配の下に置かれ「米軍基地の島」とされた。米帝のアジアと世界への侵略戦争の「要石」とされた。平和条約と同時に結ばれた日米安保条約は、米帝に対して「望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」を与えた条約であった。さらに米軍には治外法権が付与されていた。
この旧日米安保の下で、憲法9条を踏みにじる自衛隊がつくられ再軍備が進められていった。
60年安保闘争
60年安保闘争は、戦後革命期以来の大規模な政治闘争となった。国会を数十万人が包囲し大デモを繰り広げた空前の大政治闘争だった。闘いは国会突入―国会構内集会へと発展し、そのなかで、反スターリン主義の学生運動を軸に革命的左翼が鮮烈に登場した。スターリン主義や社会民主主義の裏切りを粉砕して帝国主義打倒の戦略がその先端で確立された闘いだった。しかし、その総括をめぐりブント(共産主義者同盟)は分解し、指導的翼は革共同に原則的革命的に獲得され、大合流した。
60年安保改悪の内容は、第5条で、日米両軍の共同作戦行動は「条約区域=日本の施政権の下にある領域」内に対する他国からの侵攻に限定された。アメリカの日本防衛義務を明記した。
第6条で「極東の平和と安全の維持に寄与するため」に米軍は日本の米軍基地を使用することを保証した。
米帝は日米安保を柱に本土と沖縄を核最前線基地としてベトナム侵略戦争を拡大していく。沖縄と本土はベトナム侵略戦争の大兵站基地・大補給基地となった。60年安保の再来を恐れつつ日帝は日米安保をフル稼働させてベトナム参戦国化していった。そこに60年安保をはるかに超えるベトナム反戦闘争、大学闘争、70年安保・沖縄闘争がたたきつけられた。日帝国家権力はプロレタリア革命の恐怖に震撼した。
70年安保・沖縄闘争
70年安保・沖縄闘争は質量ともに空前のスケールで大爆発した。
デモ動員数は延べ2千万人超、デモの逮捕者数3万6500人に上った。
この闘いは、66年の革共同第3回大会に基づく「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の戦略的総路線とスローガンのもとに打ち抜かれた。
これらの闘いは、沖縄で闘われた全島決起、ゼネスト、暴動的決起と相呼応しつつ、「二つの11月」に象徴される労働者階級人民の実力決起=内乱的決起として発展した。そして、68年10・21闘争への騒乱罪適用、69年4・28闘争と71年11月決戦に対する破防法弾圧(いずれも沖縄闘争に対し発動)という、敵権力の最後の手段をもことごとく無力化させたのだ。
全学連は10・8羽田闘争を皮切りに激動の7カ月≠闘い、日大、東大を始めとして大学闘争が全国を席巻した。カクマルと日共スターリン主義を全面的に追放した。
69年10・21高田馬場―新宿闘争、11月蒲田―羽田闘争、71年11・14渋谷暴動闘争、11・19日比谷暴動闘争を反戦派労働者が巨大な規模で街頭で武装決起したことで「二つの11月」を勝利的に打ち抜いた。この思想と力でスターリン主義や民同の支配をのりこえ、革命的共産主義の党と階級本隊の強固な結合を形成していった。階級闘争・労働運動全体を根底からつくり変えていく条件を切り開いた。
もはや国家権力にこの決戦を抑え込む力がなかった。そこで革共同を破壊するために国家権力が使ったのが反革命カクマルである。革共同は革命を守るために、二重対峙・対カクマル戦争に突入していった。
(写真 「ベトナムへの戦車輸送阻止」を掲げ相模補給廠正面ゲート前をデモする中核派の隊列【72年5月】)
78年ガイドライン締結
75年に米帝はベトナム戦争に敗北した。74〜75年世界恐慌とともに帝国主義の戦後発展はここに終了し、米帝は新自由主義に突進していく。
米帝は、日帝に対してこれまでは、米軍基地の供与を基本にしてきたが、米帝の世界的地位の相対的低下は明らかであり、日帝に対する要求を高めた。それが78年「日米防衛協力の指針」(ガイドライン)の締結である。
米帝はベトナム戦争敗北後のアジア戦略の立て直しを、米軍事力を補完するものとして日帝軍事力を徹底的に動員するものと位置づけた。日米軍事演習が堰を切ったように進んだ。
栗栖自衛隊統幕議長は、「これで安保に魂が入った」と言った。78年は、日帝にとって対米軍事同盟関係でも国内防衛体制でも新たな段階に入った「防衛元年」と称している。日帝は米帝の日米安保強化の要求をテコに日帝軍事力の増強を図った。
80年代は、アメリカのレーガン、イギリスのサッチャー、日本の中曽根の新自由主義攻撃が満展開した。中曽根は、新自由主義攻撃の一環として軍事面においては、レーガンの宇宙大軍拡に呼応した対ソ戦略を展開した。「シーレーン1000カイリ防衛」、「日本列島浮沈空母」を叫び軍事力の増強を進めた。最大の狙いは核ミサイルを搭載したソ連原潜の探知であった。津軽海峡、宗谷海峡を通過するソ連原潜を、海上自衛隊の潜水艦で海中から、P3C対潜哨戒機で空から探知活動を展開した。
93〜94年朝鮮半島危機
90年代は、91年1・17イラク・中東侵略戦争(湾岸戦争)に始まる。米帝は多国籍軍の派遣を提唱し、自らは60万人の米軍を送った。
米帝は、この湾岸戦争に自衛隊の掃海艇派遣を求めた。日米安保を結ぶ軍事同盟国として初めての海外派兵を要求した。憲法9条を踏みにじることを要求するもので、日帝は大混乱に陥り、日帝は130億jの戦費拠出で済まそうとしたが、米帝などの非難は強く湾岸戦争の終了後に掃海艇を送るというペテン的な対応をとった。
91年12月、戦後世界体制における帝国主義とスターリン主義の対峙・対決体制の一方の主軸であるソ連が崩壊した。対ソを柱にしていたNATOや日米同盟の存在意義が問われた。米帝を基軸とする帝国主義の対ソ対決の軍事体制の大幅な再編が始まった。世界は大軍縮に突入した。
米帝は、80年代のレーガン大軍拡により膨大な財政赤字と経常赤字を抱えていた。クリントン政権は、経済重視を掲げ、軍備縮小、兵員の削減、軍事予算の大幅削減を行った。欧州のドイツの在留米軍の大幅削減、韓国の駐留米軍も削減した。約50万人の米兵が削減された。米軍の再編が進んでいた。
危機を深めたのは北朝鮮である。これまで後ろ盾にしていたソ連が崩壊した。軍事援助はもとより経済援助などソ連の援助なくしては成り立たない体制だった。重大な危機を乗り切るために北朝鮮は、核開発に踏み切った。
・93年3月 NPT(核拡散条約)から脱退宣言
・94年5月 核燃料棒の抜き取り開始
・同年6月 IAEAからの脱退を発表。カーター元大統領が訪朝、核開発の停止で合意。危機は終結
米帝クリントンは、核開発の阻止を掲げて北朝鮮に対する侵略戦争を構えた。この侵略戦争は、寧辺にあるプルトニウム製造用の原子炉を空爆し破壊することを目的にしたものであったが、それで終わるはずはなかった。
空爆が行われれば、当然にも軍事境界線(38度線)を境に南北の大砲やロケット弾が飛び交い、「ソウルが火の海になる」「ピョンヤンも火の海になる」全面戦争を不可避としていた。朝鮮戦争の再来になることは必至だった。そんなことは北朝鮮の人民も韓国の人民も絶対に認めることはできないことだった。
クリントンから、北朝鮮核施設爆撃について同意を求められた当時の金泳三韓国大統領は、「米国が北朝鮮を軍事攻撃すればソウルは『火の海になる』」と言い、「その場合、韓国軍65万軍隊の1人も戦闘に送らない」と猛然と反対したという。
ここには、朝鮮侵略戦争が始まれば急速に経済成長を果たしてきた韓国の経済・社会が破壊され尽くしてしまうことの恐怖があった。
そして決定的なことは、韓国の民主労組の労働運動が前進し、87年労働者大闘争を経て、90年に全労協を結成し、95年の民主労総の結成に向かってうなりを上げて前進していた。韓国のブルジョアジーに対する総反乱の情勢があった。とても朝鮮侵略戦争などできる情勢ではなかった。金泳三はそれを恐れた。民主労組の労働運動が戦争を阻止したのだ。
さらに、94年当時の米韓両軍の朝鮮戦争計画「5027」によると、米本国から兵員50万人、艦船200隻、航空機1600機を動員する計画になっていた。
その中継・補給・兵站基地としてあてにしていた日本に朝鮮侵略戦争の対米支援の態勢がまったくないことが分かったからだ。
ここには動労千葉を最先頭に国鉄闘争が日本階級闘争を牽引して闘っており、国鉄闘争支援陣形が自治労、日教組など公務員労働者の間に岩盤のように存在していた。それが戦争反対、改憲阻止の勢力を形成していた。
ナイ・レポート
米帝の側から、こうした日米安保の現状を朝鮮侵略戦争のために反動的に突破する「日米安保の再定義」の攻撃が始まる。
95年2月のナイ・レポートは、「米国は21世紀においても太平洋国家であり続ける」、さらに日米安保を「アジアの要」と位置づけ、東アジアに米軍10万人―日本に4万7千人の体制が不可欠である」とする。在日米軍基地は米帝のアジア・太平洋支配にとって決定的であり、沖縄の米軍基地の維持と強化を強調している。北朝鮮問題での軍事力行使の体制の必要を押し出し、主力は米軍、補完力としての日帝と役割分担を位置づけている。
沖縄の少女暴行事件と「普天間返還」合意
95年9月4日、沖縄で米兵による少女暴行事件が起きた。沖縄の労働者人民の怒りが爆発し、10・21沖縄県民大会には10万人が大結集した。沖教組、高教組の労働組合が牽引した。沖縄の怒りは燃え盛り激化する一方であった。
社会党の村山首相(94年6月〜96年1月)は、沖縄の怒りに吹き飛ばされた。日米安保堅持、自衛隊合憲を日帝に誓約して首相になった村山は、耐えきれず退陣し、社会党を解党した。55年体制は名実ともに崩壊した。
村山に代わって首相になった橋本(96年1月)とモンデール駐日米大使は、96年4月12日に共同記者会見を行い、沖縄県の米軍普天間基地を5ないし7年以内に日本に返還することで正式に合意したと発表した。
「普天間基地の返還」、それは沖縄の怒りを抑え込む為の大ペテンであった。その怒りは今なお「普天間基地即時撤去、名護新基地建設阻止」の闘いとして続いている。
第8項日米安保共同宣言と新ガイドライン
96年4月17日、日米両政府は、日米安保共同宣言を発表した。これはナイ・レポートを日米が実行していく宣言であった。沖縄基地強化、朝鮮侵略戦争を共同して遂行する宣言であった。
97年9月23日、日米新ガイドラインが締結された。朝鮮侵略戦争を遂行する日米共同の作戦計画である。
米帝の朝鮮侵略戦争を周辺事態と称して、その際の日本全土での空港・港湾での受け入れ体制、朝鮮半島に出撃する米軍に対する後方支援(武器・弾薬の輸送など)、難民対策、朝鮮半島からの米国人、日本人の退避などであった。それを実行に移すために必要な法律(有事立法)が次々に国会に提出された。
こうした情勢に対して動労千葉は、有事立法反対闘争の先頭で闘い抜いた。
全国労組交流センターは、89年の総評解散、連合結成という事態に当たり、動労千葉の中野洋委員長と元中立労連議長の佐藤芳夫さんの呼びかけによって「総評労働運動の継承ではなく、これをのりこえる」(佐藤芳夫)ものとして結成された。
91年には、湾岸戦争勃発の戦争の危機のなかで、反戦共同行動委員会を結成した。
94年には、動労千葉の呼びかけで「大失業時代に抗する労働運動を!」「反戦・反侵略 差別・排外主義と対決する労働運動を!」「国鉄闘争を水路に、連合路線と対決する労働運動をつくりだそう!」「村山自社連立政権打倒! たたかう労働者の党をつくりだそう!」の四つのスローガンを掲げて「たたかう労働運動の新しい潮流をめざす9・18労働者集会」が開催された。これが新潮流運動の原点であり、労組交流センターは「四つのスローガン」を自らの路線とし、自らを「新潮流運動の担い手」と位置付けてきた。有事立法反対闘争を労働組合の最先頭で闘い抜いた。
98年には、全日建運輸連帯労組関西生コン支部、全国金属機械港合同という、現在も最も原則的かつ戦闘的な労働運動を闘いぬく二つの労働組合とともに、「闘う労働組合の全国ネットワーク」を呼びかけた。
01年9・11反米ゲリラ戦争
01年9月11日、巨大な反米武装闘争が米帝中枢を直撃した。米帝の過酷な中東支配に対するムスリム人民の決起だった。
米帝ブッシュは、「対テロ戦争」を宣言し、直ちにアフガニスタン侵略戦争に突入した。
次にブッシュは、イラクのフセインが「大量破壊兵器を隠し持っている」とデッチあげて03年3月、イラク侵略戦争に突進した。しかしイラクには大量破壊兵器などなかった。ブッシュ政権中枢の全世界を巻き込んだ詐欺行為に基づく侵略戦争だった。
イラク侵略戦争とは最末期帝国主義の絶望的延命をかけた新自由主義の戦争だった。新自由主義による民営化攻撃が行き着いた社会的腐敗の極致として、軍隊と戦争までが民営化され、営利目的になり「戦争ビジネス」が誕生し、恐慌下・大不況下での金融資本と軍事産業の莫大な金儲けの手段になっていた。戦争それ自身がビジネス、営利事業となったのだ。イラク侵略戦争は戦争民営化の実験場であった。
日帝は、アフガニスタン侵略戦争についてはインド洋での監視・給油活動に海上自衛隊の護衛艦を派遣し、イラク侵略戦争では、陸上自衛隊をサマワに派遣、航空自衛隊をクウェートの基地に派遣した。憲法9条を公然と踏みにじる侵略戦争への参戦であった。イラクに派遣される陸自部隊は、米軍さながらのゲリラ掃討戦の訓練をして、イラクに向かった。
動労千葉は、イラク開戦から1週間後の03年3月27日、世界の労働者との連帯の思いを込めて、イラク戦争反対、有事立法制定阻止、労働法制改悪(全労働者を不安定雇用化し、解雇の自由を法制化するもの)阻止を掲げてストライキに突入、30日まで90時間にわたる闘いを貫徹した。
03年の3労組(関西生コン支部・港合同、動労千葉)主催の11・9労働者集会は、アメリカからILWUローカル34代表、「タフト・ハートレイ、抑圧と民営化反対キャンペーン」代表、UTU労働者、韓国から民主労総ソウル本部を招いた日・米・韓の国際連帯集会に発展し、労働運動全体に大きなインパクトを与えた。
動労千葉は、04年春闘にも3波にわたるストライキに立ち上がった。イラク戦争反対―有事立法制定反対の闘いの最も中心的な役割を果たした陸・海・空・港湾労組20団体や、とめよう戦争への道百万人署名運動とともに、イラク開戦1年の04年3・20国際反戦行動では、ナショナルセンターの違いを超えた労働者の大統一行動を日比谷公園に6万人の結集で実現することができた。03〜04年の両国会で戦争遂行のための有事立法の成立を弾劾し、憲法改悪を強行する動きに対して闘ってきた。
(写真 春闘ストライキを決行し、イラク戦争反対を掲げてデモに立つ動労千葉【03年3月29日 東京・渋谷】)
「日米同盟・未来のための変革と再編」
日米両政府は、05年10月に「日米同盟・未来のための変革と再編」を公表した。
これは9・11情勢に対応する「米軍の変革」と「前方展開態勢の見直し」であった。
「変革」とは世界各地で起こる予測困難な反米ゲリラ戦争に対処するために、先端技術の導入などにより米軍の即応展開能力を増強し、戦術及び戦略もゲリラ戦争に適したものへと変更しようとする試みである。
「態勢見直し」は、ドイツや韓国への大規模な地上兵力の配備を削減すると同時に、米本土から「紛争地」へと迅速に兵力を投入しようというものだ。また態勢見直しは、米軍の再配置のみならず、同盟国の役割拡大や、共同訓練等を通じた同盟国軍の変革の支援等も目標としている。
日本を、その最大の拠点に据えることだ。
・中国を主敵に軍事態勢を再編し、日米共同作戦の範囲をアジア・太平洋―世界に拡大した。朝鮮半島、中国、アフガニスタン、イラク、ソマリアも対象となった。
・米軍と自衛隊の融合を図ろうとしている。「一緒に訓練し、一緒に出兵し、一緒に生活する」をモットーとしている。
・前線司令部を設置し、日本を不沈空母に、座間に米陸軍第1軍団司令部移駐、岩国・佐世保も空母の拠点に、横須賀に原子力空母「ジョージ・ワシントン」を配備する。日米の司令部の統一を狙っている。
・沖縄基地を恒久化し「戦場の島」にする。最大の攻撃は名護新基地の建設である。
こうした中で、沖縄では、「新自由主義と闘う沖縄闘争」が前進している。
72年のペテン的「沖縄返還」自体が、沖縄の基地労働者の闘いをつぶすための新自由主義攻撃であった。日帝の新自由主義攻撃と闘うことが、沖縄闘争の勝利の道であるとはっきりさせた。米軍基地問題とは基地労働者問題であり、全駐労労働運動の再生は新自由主義との闘いそのものである。それに勝利する道は国鉄決戦であり、動労千葉労働運動・階級的労働運動の実践である。党と労働組合の一体的建設である。この道筋を通して沖縄の労働運動をよみがえらせていく闘いが必死に闘われている。
米新軍事戦略・集団的自衛権・改憲
大恐慌の本格化の中で、帝国主義間・大国間の相互つぶし合いの大争闘戦時代へ突入している。
特に米帝のTPP(環太平洋経済連携協定)を軸とする帝国主義的ブロック化政策が、日帝と世界を揺さぶっている。TPPで他の帝国主義を追いつめ、自らを輸出国家として再建し、米製造業を他を圧倒するものに再建し、他国の勢力圏を奪い、絶対的強者として米帝を再生させることを強烈に打ち出している。
そのために対中国の新軍事戦略を立て、中国を包囲・制圧し、軍事重圧を加え、ソ連の時のように変質させ解体することを狙っている。中国スターリン主義を解体し、四分五裂させ、巨大市場を独占しようとしている。TPPは、そうした帝国主義的な通商政策であり、安保・軍事政策と一体のものである。
TPPは、対日争闘戦である。日帝をTPPの米帝式ルールに取り込み、日帝の内外の勢力圏、権益に割り込み、奪い取ろうというものだ。日帝は、米帝のその意図を百パーセント承知しつつ、その枠内でその帝国主義的権益を死活的に追求していく以外にない。日米のつぶしあいの死闘戦が展開されている。
日帝はこの死闘戦に遅れを取らないために、最大の弱点になっている安保防衛政策ですさまじい反動的飛躍を求められている。
戦後憲法体制の全面的改変(改憲)、集団的自衛権の行使の容認、武器輸出三原則の緩和などの反動的転換への踏み切りの根拠がある。沖縄の辺野古新基地建設強行への突進がある。ここでは集団的自衛権と改憲に的を絞る。
安倍を警戒するオバマ
米帝は日帝の集団的自衛権の行使をこの間求めてきた。
00年に、米帝の対日政策を一貫して提言しているアーミテージは、「日米同盟は米英同盟をモデルとし、集団的自衛権を行使するべきだ」と述べた。04年夏には、「日本が安保理常任理事国を目指すならば憲法改正が望ましい」と発言した。
そして12年8月のアーミテージ・ナイ報告は次のように言っている。
3・11「トモダチ作戦」について、「自衛隊と米軍は集団的自衛の禁止規定に注意することなく行動した」と。その意図は憲法9条的な制約を気にすることなく軍事的に必要なあらゆることができた、これを朝鮮・中国侵略戦争でやろうということだ。
続けてアーミテージ・ナイ報告は、同時に集団的自衛に関する政策の転換は「より軍事的に攻撃的な日本、あるいは日本の平和憲法の変更を求めるべきではない」と言っている。
00年代前半のアーミテージとはトーンが変化している。米帝は、日帝の集団的自衛権の行使を求めるが、「より軍事的な日本、平和憲法の変更を求めるべきでない」と、日帝が戦前のように米帝に刃を向けるようなことは絶対に認めないとしている。
米帝は、「強い日本」を叫ぶ安倍に重大な警戒心を持っている。安倍が改憲を主張することの根底に対米対抗性を感じ取っている。3月の安倍訪米時のオバマの素っ気ない態度がそれを示している。
米帝は、安倍の中国政策についても警戒している。
靖国神社に対する安倍内閣閣僚の集団参拝や、魚釣島(尖閣列島)問題で中国とのいたずらな緊張激化政策が、米帝の新軍事戦略の枠外に飛び出したり、コントロールを超えることを警戒している。
米帝は、対中国の軍事重圧、TPPなどの経済的な包囲などを駆使して、中国スターリン主義の転覆を狙っている。
米帝は、安倍の韓国についての対応にも不満をつのらせている。米帝は米韓同盟と日米同盟を合わせて米日韓同盟で対北朝鮮、中国侵略戦争の陣形をつくりたいのだ。
ところが日帝安倍は、独島(竹島)問題、歴史認識の問題、軍隊慰安婦の問題で韓国との対立・緊張をあおり米帝の狙いをぶち壊している。
安倍は、集団的自衛権の行使を容認し、米帝の侵略戦争に全面参戦の道を開き、次に改憲をして国防軍を設置し、対米の発言力を強めようと目論んでいる。国防軍とは「天皇の軍隊」だ。それは、軍事面においても日米対立を激化させ、ゆくゆくは日帝を破滅させる道だ。
国際連帯で改憲阻止を
集団的自衛権の行使の容認に反対し、改憲に反対する闘いは、60年安保、70年安保沖縄闘争をはるかに上回る空前の大闘争となって大爆発する。大失業と戦争に対する怒りはすさまじい。非正規職化と原発に対する怒りはすさまじい。そして日本階級闘争の基軸に国鉄決戦と反原発決戦が存在しているからだ。新自由主義と対決する階級的労働運動が一切を決める。そして日米韓の国際連帯も進んでいる。日米韓3国の労働者階級が米帝や日帝、韓国ブルジョアジーの前に立ちはだかっている。
10年11月23日に北朝鮮から韓国・延坪島に砲弾が撃ち込まれ、双方の砲撃戦になった。
その時、現代自動車の非正規労働者は「戦争は南北間で延坪島で行われているのではなく、この蔚山で現代自動車と非正規職労働者の間で行われている」と喝破した。
工場占拠闘争に立ち上がった現代自動車の非正規職労働者は、敵は北朝鮮ではなく、目の前にある韓国資本と非正規職労働者の間にある、と言い切った。労働者の真の敵はブルジョアジーだ。これが労働者の階級的なものの見方である。
現代自動車資本との壮絶な非和解の絶対反対の闘いの実践からこの言葉が発せられている。
また10年3月26日、韓国の哨戒艦が沈没した事件が起きた。李明博大統領は、金大中、盧武鉉政権の10年間にわたる太陽政策を攻撃し、独自制裁など強硬策を訴えた。統一地方選挙前に「与党圧勝ムード」が漂っていた。
ところが6月4日の選挙の結果は与党の大敗だった。若者に人気の高い文化人や芸能人が、投票日直前からツイッターで投票を呼びかけ、締め切り直前に100万人を超す若者が投票し、形勢を大逆転した。「戦争に行きたくない」との思いからだった。
世界の労働者はひとつである。同じ立場にある。同じように搾取・抑圧されている。どこの国でも敵は資本家階級である。万国の労働者は団結して資本家階級のための戦争に反対しよう。
こうした労働者階級の資本との闘い、国家権力との闘い、そして国際連帯の闘いが戦争を止める。
日本でも戦後革命があり、60年安保闘争があり、70年安保・沖縄決戦があり、その偉大な地平の上に、反革命カクマルとの戦争を戦い、中曽根の新自由主義攻撃に対して動労千葉を先頭とする国鉄決戦、三里塚決戦を闘い抜いてきた。
今日、大恐慌、新自由主義の破綻、3・11情勢のもとで、国鉄決戦と反原発決戦が大爆発している。
そして参院選における山本太郎さんの当選は、新たな時代を象徴するものだ。巨万の労働者人民の総決起する時代の到来である。学生運動も60年、70年闘争を上回る大闘争に発展していく。
安倍の改憲攻撃は日帝の墓穴を掘ることに必ずなる。
国鉄決戦・反原発決戦で安倍打倒・改憲阻止をかちとり、全世界の労働者階級の膨大な決起と一緒になり、世界革命を目指す時代に突入していこう。
(写真 日米韓独の労働者が「反原発・反失業の国際統一行動を」を掲げてデモ【12年11月4日 東京・銀座】)
■日誌 2013 5〜6月
5月1日 全国でメーデーを闘う
●東京 動労千葉・動労総連合の呼びかけでJR貨物本社抗議行動と新宿メーデーが連続して闘い抜かれた
●仙台 みやぎ連帯ユニオンなどの呼びかけで「5・1被災地メーデー」が開催され70人が結集した
●広島 怒りのメーデーが復権した。青年を先頭に労働者ら45人が集まり、デモに出発
●岡山 岡大医学部構内集会と岡山駅前街宣・JR支社包囲デモでメーデー行動が取り組まれた
●札幌 国鉄闘争全国運動・北海道は、札幌市の連合メーデーで国鉄10万筆署名に取り組んだ
1日東京 郵政非正規ユニオン、郵政本社に行動
郵政非正規ユニオンは、日比谷公園の全労協メーデーに参加し、日本郵政本社前に30人で登場した
1日広島 連帯ユニオン、江田島事件で抗議
広島連帯ユニオンは、江田島事件で突き出された外国人技能実習生の奴隷的労働実態について、国際研修協力機構広島駐在事務所へ抗議した
8日東京 動労千葉鉄建公団訴訟、結審強行
動労千葉鉄建公団訴訟では、東京高裁第12民事部の難波孝一裁判長が、原告側の証人調べの請求をまさに問答無用に却下し審理終結を宣言した
8日東京 白石裁判長を交代
動労総連合の出向無効確認訴訟第2回口頭弁論が、東京地裁民事第11部(団藤丈士裁判長)で開かれた。前任の白石哲裁判官の裁判長交代に伴う弁論更新が行われた
9日東京 法大「暴処法」弾圧裁判控訴審
法大「暴処法」弾圧裁判控訴審の第3回公判が東京高裁第12刑事部(井上弘通裁判長)で行われた
10日東京 経産省前テント守りぬくぞ
経済産業省前で「訴訟を取り下げろ! 経産省抗議行動」が多くの労働者民衆の参加で行われた
10日東京 6人の学生に謝れ*@大デモ
「武田君への不当処分撤回! 法大当局は不当弾圧を謝れ!」を掲げ、法大包囲デモが行われた
10日東京 首相官邸前で安倍弾劾の声
首相官邸・国会前などで金曜行動が行われた。官邸前でコールが始まった
10日東京 前進社国賠、警視庁の違法捜索追及
前進社国賠訴訟の第12回口頭弁論が東京地裁民事第1部(後藤健裁判長)で行われた
12日群馬 NAZENぐんまを結成
群馬県庁昭和庁舎で行われた「なくそう原発! つながろう福島! 5・12ぐんま集会」に50人が参加し、「NAZENぐんま」結成を宣言した
13日千葉 農地裁判の弁論再開を申し立て
三里塚芝山連合空港反対同盟と顧問弁護団は、市東孝雄さんの農地裁判について新たな証拠に基づいて千葉地裁民事第3部(多見谷寿郎裁判長)に対し、弁論再開の申し立てを行ったと発表した
14日東京 星野ビデオ国賠 証人請求全部却下
星野ビデオ国賠第12回裁判が行われた。新たに着任した山田裁判長は、証人申請をすべて却下する暴挙をなし、次回結審を宣告してきた
16日 赤松副委員長の強制出向うち砕く
動労西日本は赤松賢一副委員長に対する強制出向を粉砕し、JR西日本本体に復帰させた
16日大阪 富田林局の雇い止め撤回へ裁判闘争
富田林郵便局から雇い止め解雇を受けた非正規の仲間3人が大阪地裁堺支部で解雇撤回の裁判闘争を開始した
17日東京 法大処分撤回裁判、武田君が意見陳述
法大国際文化学部・武田雄飛丸君(文化連盟委員長)の「無期停学」処分撤回を求める裁判の第2回口頭弁論が、東京地裁民事第25部で行われた
17日東京 官邸前行動 福島を忘れるな
首相官邸前・国会前などで金曜行動が行われた
17日東京 星野再審弁護団 意見書を高裁に提出
星野再審弁護団は、東京高裁第12刑事部に、証拠開示は一切必要ないとした検察官の主張を根底的に批判する「意見書」を提出した
18〜20日那覇 「復帰」41年目の沖縄闘争
●18日 沖縄県庁前の県民広場の集会で、沖縄北部合同労組の富田晋委員長が「ようこそ革命の火薬庫、沖縄へ!」とアピールした
●19日 那覇市の琉球新報ホールで「オキナワとヒロシマを結ぶ全国青年労働者交流集会 in Okinawa」がかちとられた
●19日 全学連は那覇市内で全国学生交流集会を行った。「集会に沖縄から新たな仲間を迎えています!」と報告がされた
●19日 県民大会に3500人の怒り
「復帰41年 5・15平和とくらしを守る県民大会」が、宜野湾海浜公園野外劇場で開かれ3500人が参加した
●20日 辺野古で200人のデモが市民と合流した
19日千葉 3万筆署名達成の最先頭に反対同盟
三里塚反対同盟は緊急3万人署名の周辺地区を個別訪問する一斉行動に立ち上がった
21日千葉 天神峰やぐら裁判闘う
千葉地裁民事第3部において、〈天神峰やぐら裁判〉の第1回弁論が開かれた
22日東京 裁判員制度廃止へ大集会開く
裁判員制度施行から4年、「改憲阻止そして裁判員制度廃止全国集会」が開催された
22日東京 国労組合員資格確認訴訟の口頭弁論
国労組合員資格確認訴訟の第8回口頭弁論が、東京地裁民事第11部(団藤丈士裁判長)で開かれた
23日東京 経産省テント裁判 地裁前で300人
政府と経産省が提訴した「明け渡し請求訴訟」の第1回口頭弁論が東京地裁で行われた
23〜24日東京 自治労中央委で大宣伝戦
自治労第145回中央委員会が有明で開催された。労組交流センター自治体労働者部会は、大宣伝戦を展開した
24日東京 金曜行動 吉沢さん駆けつけ訴え
原発再稼働と原発輸出に労働者民衆の憤激が一気に高まり怒りの発言が相次いだ
<全国で石川さんと連帯し狭山集会>
●大阪 5・19全関西狭山集会が、沖縄と連帯し、大阪・八尾市の桂人権コミュニティセンターに全関西の労働者住民100人が結集して開催された
●東京 部落解放東日本共闘会議が主催する狭山集会は5月23日、東京・文京区民センターで開催され、75人が参加した
●広島 5月23日、広島市福島町で部落解放広島共闘会議の主催で狭山集会を開催した
<全国各地で国鉄集会6・9へ闘い進む>
●24日東京東部 国鉄闘争全国運動東京東部の会が、東部交流集会を開催し、60人が参加した
●26日北海道 国鉄闘争全国運動・北海道が、北海道労働者総決起集会を開催し20人が結集した
●26日長崎 国鉄闘争全国運動・長崎(準)は、長崎労働者集会を長崎市内で開いた
25日東京 芝公園、TPP反対で2000人デモ
芝公園で「TPP(環太平洋経済連携協定)参加をとめる! 5・25大集会」が開催された
6月2日東京 8万5千人、国会を大包囲
芝公園と明治公園において、安倍政権の原発推進、再稼働と輸出を絶対に許さない集会が合計2万5千人を超える参加で行われた。その後、約8万人が午後4時から国会を包囲した
2日大阪 自治体・教育労働者が討論集会
労組交流センター自治体労働者部会と教育労働者部会による討論集会が行われ、80人が結集した
7日京都 京大同学会選挙 大森委員長体制確立
13年度同学会中央執行委員会予備選挙は、即日開票の結果、大森靖之委員長候補(薬学部)を先頭とする候補者団が圧倒的信任で選出された
7日東京 官邸前、再稼働の安倍打倒の声
首相官邸・国会前などで58回目の反原発金曜行動が取り組まれ2500人が参加した
9日東京 6・9集会に1800人
国鉄闘争全国運動が呼びかけた6・9全国集会が、東京・文京シビックホールを埋める1800人の結集で熱気あふれる大成功をかちとった
13日東京 動労千葉など丸紅本社に抗議行動
動労千葉などの部隊は、丸紅本社前に登場し、ILWU(国際港湾倉庫労組)ローカル8に対するロックアウトに抗議する闘いに決起した
14日東京 星野面会・手紙国賠 早期結審に反撃
東京地裁民事第38部(谷口豊裁判長)で星野同志の面会・手紙国賠第8回裁判が開かれた
16日青森 大間現地で反原発デモ
第6回大間原発反対現地集会が青森県大間町で開催され、500人の結集で大成功した
17日 椎名さん、織田さんがドイツ訪問
17日までの12日間、ふくしま共同診療所・運営委員会の椎名千恵子さんと、NAZEN事務局長の織田陽介さんが、動労千葉国際連帯委員会の通訳とともにドイツを訪問した
18日千葉 団結街道裁判 道路廃止の暴挙追及
千葉地裁民事第3部(多見谷寿郎裁判長)で団結街道裁判が開かれた
21日東京 首相官邸前の金曜行動
大間の小笠原さんが参加し熱く訴えた
22日東京 6・22沖縄集会開く
「6・22沖縄集会」が開かれ、在本土の沖縄出身者をはじめ35人が集まった
23日東京 郵政非正規ユニオン、第3回大会
郵政非正規ユニオンの第3回定期大会が開かれ、組合員や支援の労働者を中心に50人が参加した
27日東京 迎賓館・横田差し戻し審 控訴棄却
迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判差し戻し控訴審判決公判が開かれた。山崎裁判長が「控訴棄却」を言い放った瞬間、十亀被告が「こんなの判決じゃない!」と弾劾した
28日茨城 動労水戸損害賠償請求訴訟
第8回口頭弁論が、水戸地裁民事第1部(脇博人裁判長)で開かれた。未払い賃金すべて出せと居直る会社を全面的に論破した
28日東京 官邸前、再稼働を絶対許さない
金曜行動が行われ多くの労働者市民が集まった
30日千葉 動労千葉定期委員会開く
動労千葉の第69回定期委員会がDC会館で開催され、貨物超低額回答を弾劾し決戦方針確立した
30日東京 星野全国集会、全証拠開示へ650人
「全証拠を開示させ、ただちに再審開始を6・30星野全国集会」が開かれた