International Lavor Movement 2013/09/01(No.445 p48)

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2013/09/01発行 No.445

定価 315円(本体価格300円+税)

第445号の目次
 

表紙の画像

表紙の写真 参院選で見事当選した山本太郎さんと支援者(7月21日)

■羅針盤  山本太郎氏が堂々の4位当選 記事を読む
■News & Review 韓国
不法派遣の正規職転換を求めスト  現代車非正規職労組を支える「希望バス」
記事を読む
■News & Review ヨーロッパ
EUを揺さぶる中東欧労働者の反乱の開始  緊縮政策・新自由主義に反対しスト
記事を読む
■News & Review 日本
動労水戸、被曝車両の検査を粉砕  福島との連帯貫きストライキに決起
記事を読む
■特集 労働運動のうねりで改憲阻止
改憲推進の連合が崩壊 4大産別が飛躍する時
記事を読む
■Photo News 記事を読む
■世界経済の焦点  安倍・黒田の金融緩和策
財政破綻と金融恐慌の同時的爆発へ
記事を読む
■世界の労働組合 韓国編  韓国労総 記事を読む
■国際労働運動の暦 9月18日  ■1931年柳条湖事件■
中国侵略の大転換点
「満蒙は日本の生命線」論に屈服し戦争協力した社会民衆党と総同盟
記事を読む
■日誌 2013 5〜6月 記事を読む
■編集後記 記事を読む
裏表紙の写真 エジプトのムルシ政権打倒のデモ(6月30日)

月刊『国際労働運動』(445号1-1)(2013/09/01)

羅針盤

■羅針盤

山本太郎氏が堂々の4位当選

▼参院選の結果、山本太郎氏が東京選挙区で66万6684票を獲得して4位で当選した。大恐慌、3・11情勢のもと、新自由主義に対する怒りが首都・東京で爆発した。安倍政権はこの1人の決起と勝利に労働者階級の根源的怒りの大きさ、激しさを突きつけられ打撃を受けている。東京で延べ100カ所を超える街頭演説に数百から数千の労働者が駆けつけた。そこで話された山本氏の声がさらに縦横に拡散され66万人余の投票行動になった。
▼投票率は前回の58・7%で今回が52・49%だった。ここには民主党の惨敗がある。民主党を支える連合の大崩壊がある。連合は組合員の信頼をまったく失い動くことができなかった。山本太郎氏は既成政党に怒り、絶望していた青年に三つのスローガン(被爆を許さない、TPP反対、飢えさせない)を訴えた。「僕たちの目の前にある不条理を跳ね返すためには、本当のことを言える人が国会に行かないといけない」。内容は日に日に労働問題が増え、「反原発は労働問題を抜きに語れない」というところまで深化し、労働者階級の「生きるための決起」とそのための団結の拡大が拡大していった。これまで「労働組合」とは労働者の闘いを放棄し、裏切る存在であったものが、本来の労働組合を自らつくりだしていく出発点となった。
▼労働者階級の怒りを体制内に抑圧してきた連合の崩壊は、革命情勢の留め金が外れたということだ。今こそ4大産別を先頭に、国鉄決戦を柱に闘おう。9・25反動判決をひっくり返すための解雇撤回・JR復帰10万人署名運動を達成し、9・15国鉄闘争に結集しよう。労働運動のうねりで安倍を打倒し、改憲を阻止しよう。

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月刊『国際労働運動』(445号2-1)(2013/09/01)

News&Reviw

■News & Review 韓国

不法派遣の正規職転換を求めスト

現代車非正規職労組を支える「希望バス」

 牙山工場社内下請け支会事務長の死

 現代車非正規職労組は不法派遣の正規職転換のための交渉と闘争を並行して闘っている。労組は7月10日と12日にストライキを行い、次週からは本交渉を行うという形で闘っている。
 不法派遣特別交渉実務交渉ではまったく進展がない。労組が新規採用3500人の基準を問うと、会社は「根拠はない」として「基準と根拠はこれから労使が決めればいい」と言った。会社は「新規採用規模3500人方針には変わりはなく、ただ長期勤続者加算点などを論議することができる」と述べている。
 一方、ソウルのヤンジェ洞本社前で75日間野宿をして闘ってきた解雇労働者たちは7月5日にいったん籠城(ろうじょう)をたたんだ。7月20、21日、蔚山籠城場に来る希望バスの乗客をたくさん集めるために7月10日ソウルで記者会見を行い、20日まで全国を巡って希望バスを宣伝する。
 そういう中で7月15日、現代車牙山(アサン)工場社内下請け支会事務長パクヨンシク氏が自宅で首を絞めて死んでいるのが発見された。
 牙山社内下請け支会は「現代車牙山工場社内下請け支会パクチョンシク烈士闘争対策委」を構成して彼の死は現代資本による他殺だと規定し、パクヨンシク氏を烈士として、その名誉回復とすべての社内下請け非正規職の正規職化のために強力に闘っていくと宣言した。
 18日昼12時、現代車牙山工場正門前で記者会見を開き対策委の立場を明らかにする一方、午後1時に牙山工場内の民主広場で正規職―非正規職労働者共同集会を開いた。
 対策委は「パクチョンシク烈士は社内下請け支会事務長としてあらゆるきつい仕事を引き受けてきた。ただの一度も欠かさず、闘争するところであればどこでも最前列に顔を見せた。用役ヤクザと管理者たちの暴力に立ち向かって闘い、解雇者たちの生計を続けることができない長期闘争の苦痛の中でも堂々としていた。烈士を死に追いやったのは不法をしでかしても処罰されないチョンモング会長とこれを庇護する警察と検察、政府だ」と主張した。
 18、19日の2日間全面ストライキを展開し、不法派遣非正規職の正規職化を要求して7月20日の現代車蔚山(ウルサン)工場に向かう「希望バス」に大挙結集した。
(写真 現代車牙山工場内の民主広場で正規職-非正規職労働者共同集会を開いた【7月18日】)

 希望バス100台が蔚山工場に向かう

 7月20日、韓国の各地から100台の希望バスが現代車蔚山工場に向かった。280日目になる送電鉄塔籠城中の2人の労働者が降りてくることができるように希望バスに乗ろうという訴えが熱く行われた。
 現代車希望バス企画団が17日午前、ソウル大漢門前で記者会見を開き、20日から2日間の闘争日程を明らかにした。100台の希望バスが20日ソウル、釜山など全国28の都市を出発、数千名が希望の闘争に参加した。
 大法院が現代車不法派遣判決を出してから3年、不法派遣判決を受けたチェビョンスン、チョンイボンの2人の労働者が現代車蔚山工場前送電鉄塔に上って高空籠城を始めてから280日が過ぎた。最近、現代車牙山工場非正規職支会パクチョンシク事務長まで自殺して、だんだんと深刻になる現代自動車非正規職問題をこれ以上放置することはできないという世論が拡大している。
 このような状況の中で現代車希望バス企画団は非正規職労働者を死の淵(ふち)に追いやっているチョンモング会長に「これ以上の寛容はない」と、希望バス闘争で今度こそは現代車非正規職問題にけりをつけようと訴えた。
 そのために希望バス企画団は、チョンモング会長と直接会って必ず新規採用中止、現代自動車不法派遣認定、大法院判決の趣旨に従ってすべての社内下請け労働者に対する正規職への転換など非正規職労働者たちの要求を貫徹するという立場だ。また、これをとおして送電鉄塔籠城中の同志たちが無事に降りてくることができるようにするという方針だ。
 企画団のイチャングン氏は「核心は希望バスが工場の中に入るということ」だとして「世界的な学者のスラヴォイ・ジジェク(スロベニアの哲学者)が、われわれが耐えられるのは希望のためだだと言ったが、労働者たちの死が続く現実から、今は耐えるのではなく闘うことが希望」だと述べた。
 3年前からずっと希望バスに乗ってきたと紹介したペクキワン先生は「共にしようという心で勝とう。ソウルと韓半島をそっくり希望バスにしてしまおう」と大声を上げた。
 ヤンソンギュン民主労総非対委員長は「国政院は大統領選挙、現代車とチョンモングは法治主義を蹂躙(じゅうりん)した今、希望バスで、止まってしまった民主主義をわれわれの手で再び立ち上げよう。今回の希望バスには組織労働者たちも大挙参加するだろう」と決意を明らかにした。
 また1人の同志を失ったパクヒョンジェ現代車非正規職支会支会長は沈痛な表情で連帯を訴えた。彼は「同志の死の後で焼香場を訪ねたが、会社側は1日だけでさっさといなくなった」と鬱憤を吐き出し、「鉄塔の労働者たちが降りてくることができる闘争をつくろう」と訴えた。
(写真 7月20日の「希望バス」を訴える金属労組双龍車支部非正規職支会ポク・キソン主席副支会長)

 サムソンの中に本格的労組設立

 7月14日午後2時、サムソン電子サービス40カ所のセンター所属の386名の技術者たち(非正規職)がソウルのテバン洞のソウル女性プラザ国際会議場に集まり、民主労総金属労組所属サムソン電子サービス支会創立総会を開き労組設立手続きを完了した。
 労組の初代役員にはウィヨンイル支会長、ラドゥシク首席副支会長、シンジャンソプ事務長が選出された。
 サムソン電子サービス支会創立総会に386名が参加したということは、無労組経営を押し立てているサムソンの中で労働者たちが組織的に参加したということで意味が大きい。特に技術者たちには不法派遣、偽装下請けという問題が重なっており、勤労基準法、最低賃金法違反で非人間的待遇と劣悪な勤務環境に置かれている。労組設立後に本格的な活動に突入すれば、並々ならない力を発揮すると見られている。金属労組は「サムソン無労組経営に対して金属労組が組織的反撃を始める歴史的意義がある」と評価している。
 また現状況でサムソン側が表立って労組を破壊することが困難であるという点も、労組の組織力拡大可能性の一要素として働いている。サムソン電子サービス共同対策委のある関係者は「今はサービス業務事態がとんでもなく忙しい時期なので今すぐは労組破壊作業をやりはしないだろう、いったん世論の関心が遠のくまで労組を無視して時間稼ぎをした後で、暇になれば労組脱退圧力や快癒作業に入る可能性がある。一部センターはまったくの見せしめのために廃業させる可能性もある」と予想している。
 サムソン電子サービス支会はこの日通過した今後の事業計画に労組システム安定化を優先的に取り上げて組織求心と組織力に拍車をかけるために各センター別に圧倒的多数の加入作業を推進し、未組織センター組織化など2段階組織作業を行うとしている。特にサムソン電子サービス本社に対して勤労者地位確認訴訟、サムソン電子サービス直接交渉要求、元請け責任を問う闘争なども計画している。
(写真 サムソンの「無労組経営」を打ち破り、金属労組サムソン電子サービス支会創立総会をかちとる【7月14日】)

 民主労総の新指導部が選出される

 昨年秋キムヨンフン前委員長が辞してから8カ月間空白だった民主労総の指導部がついに選出された。この間、2回もの臨時代議員大会での選挙が在籍定足数不足で不成立で流れていた。
 7月18日、民主労総7期役員選挙が行われてシンスンチョル委員長候補―ユギス事務総長候補組が新しい指導部に当選した。民主労総は18日午後2時、ソウルのドゥンチョン洞88体育館で59次臨時代議員大会を開き委員長―事務総長を選出した。委員長選挙は1次投票で記号1番イガビョン―カンジンス候補組が224票、2番チェギュジョン―キムヨンウク候補組が187票、3番シンスンチョル―ユギス候補組が288票を得て、まず2番のチェギュジョン―キムヨンウク候補が脱落した。
 決選投票では702名中3番シンスンチョル―ユギス候補組が457票と過半数を超えて当選した。1番イガビョン―カンジンス候補組は235票を得た。
 シンスンチョル当選者は民主労総前現職産別連盟代表者らが中心になった労働フォーラムに属している。ある程度の組織力を持っていると評価される2番チェギュジョン候補組が1次投票で脱落したのは、統合進歩党の排他的支持復元を押し立てたため、反統合進歩党感情が強く作用したという評価がされている。またチェギュジョン候補組が属する民主労総内最大政派の全国会議の責任論も強く作用したとされる。
 決戦投票で1番と3番の候補が勝負をする場合、強力な組織力を持つシンスンチョル候補組が優勢だという展望も十分に予見された。一角ではイガビョン候補の認知度に2番候補支持者らの票が分散すれば前の選挙のように異変の可能性も少しは出ていたが、結果は2番候補支持者らは大部分シンスンチョル候補を支持した。
 当初1番と2番の候補組が選挙運動過程で感情的乱打戦と呼ばれるほど激しい論戦を繰り広げ、3位になった候補組はシンスンチョル候補を組織的に支持することになったという話だ。
 ユギス事務総長は当選所感で「同志たちの民主労総に対する革新の熱情を胸に抱く」として「互いに意見が異なっても熾烈に討論してその決定事項を力強く実践すれば民主労総を立ち直させることができると確信する」と述べた。
 シンスンチョル委員長も「皆さんとした約束はみな守った委員長として記憶されるようにする。力ある闘争で希望をつくり出していこう」と明らかにした。
 シンスンチョル委員長は1964年生まれで、起亜車労組出身で民主労総副委員長を歴任した。ユギス事務総長は57年生まれで、建設連盟政策室長を歴任した。シンスンチョル委員長―ユギス事務総長の任期は2014年末までだ。
 (大森民雄)
(写真 民主労総の指導部に当選したシンスンチョル委員長とユギス事務総長【7月18日】)

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月刊『国際労働運動』(445号2-2)(2013/09/01)

News&Reviw

■News & Review ヨーロッパ

EUを揺さぶる中東欧労働者の反乱の開始

緊縮政策・新自由主義に反対しスト

 世界大恐慌のさなかのEUでのギリシャ労働者階級を先頭とする決起に、中東欧労働者人民が合流を開始した。
1991年のソ連および東欧スターリン主義圏の崩壊から22年、2004年のEU加盟から10年―この過程は、中東欧諸国の労働者人民にとって、新自由主義のショック・ドクトリン%I攻撃、そして世界大恐慌の嵐との闘いの時代であった。スターリン主義官僚の反労働者的支配からの解放を、プロレタリア革命の勝利としてかちとることのできなかった歴史的敗北を、今や全世界の労働者階級人民の共通の敵=最末期帝国主義の極限的攻撃に対する絶対反対、階級的団結、国際連帯の闘い、すなわち階級的労働運動の再生をもって、逆転する時がやってきたのだ。
ワルシャワ(ポーランド)、プラハ(チェコ)、ブダペスト(ハンガリー)における数十万のデモ隊のスローガンは、「緊縮政策・新自由主義反対」「金融資本のつけは払わないぞ」「20年間の後退戦から攻勢に転じよう」「一人は万人のために、万人は一人のために」などである。日韓米の3国連帯の活動で共有してきた課題と路線が、中東欧の闘いのなかで、息づいているのだ。

 政権打倒闘争に決起したチェコの労働者

 昨年11月17日、新自由主義の緊縮政策反対のヨーロッパ統一行動の呼びかけに応えて、首都プラハの中心ヴェンセスラス広場に2万人のデモ隊が結集した。これはボヘミア=モラビア労働組合総同盟(CMKOS)が中心となり、市民団体や学生も参加して、2000年以来最大の動員となった。広場での集会はODS(民主主義市民党)のネチャス右派政権に対し、「実質賃金は10年間にわたって下落し続け、失業者は50万人に上っている。一方、年金の削減、物価値上げ、公的保険制度の解体が強行されている。ところが政府は、公金の横領、汚職、スキャンダルなどの腐敗にまみれている。こんな政府は、もはやいかなる意味でもわれわれの信頼に値しない。直ちに退陣せよ!」と、怒りに満ちた宣言を発した。
 この11月17日という日は、チェコの階級闘争において、記念すべき日であった。第2次世界大戦中の1939年に、学生がナチの占領に対して決起した日であり、また1989年、スターリン主義政権に対する ビロード革命≠フ記念日でもある。チェコの労働者は、2011年5月23日、2012年3月23日に緊縮政策反対の大デモを組織し、2012年4月21日には、ゼネストで闘ってきた。
 こうした闘いの高揚によって、ネチャス右派政権は追いつめられ、汚職の相次ぐ露呈のなかで、政権与党の支持率はなんとわずか8%にまで下落した。その結果、昨年来、次々と閣僚の辞任が続いたすえ、今年の6月16日、ついに首相の身辺にスキャンダル疑惑が及ぶにいたって、大統領に辞表を提出、内閣総辞職となった。
 これは、G8を前にした安倍首相が、中欧4カ国会議(ポーランド、チェコ、ハンガリー、スロバキア)に初めて出席して、チェコのネチャス首相と握手を交わした直後のことであった。安倍は、チェコの労働者人民の憎しみの的である反動腐敗政権に原発を売り込もうとしたのだ。チェコの労働者人民は十数年来、米帝のミサイル防衛戦略構想へのチェコの参加に反対し続け、現在南ボヘミアに建設予定の原発に対しても怒りの声を上げており、「福島の決着がついていないのに、なぜ外国に原発を輸出するのだ」という安倍への抗議がブログなどで吹き出ている。

 ポーランドでもゼネスト

 ポーランドのトゥスク政権もまた、労働者人民の怒りの的となっている。ポーランドでは、南西部工業地帯であるシュレジア地方で、3月26日に、600の職場の10万人の労働者の決起によるゼネストが行われた。ポーランドでも、労働者の要求は、新自由主義の緊縮政策反対で、非正規労働を容認する労働法改悪反対、医療の商業化=民営化反対、最低賃金の制定、健康保険制度の確立、教育予算の削減反対などを中心としている。
 ゼネストに参加したのは、鉄道運輸、エネルギー産業、兵器産業、冶金、公共近距離交通、教育機関などの労働者で、列車の運休105本、バス120便、市内交通65便が運休、165の学校が休校となった。
 このゼネストは、1981年来の最大の闘争で、「労組合同ストライキ委員会」によって、画期的な統一闘争とし組織された。この間、ポーランドの労働組合は、分裂状況にあり、連帯労組=i=ソリダルノスチ=Aかつて、1980年代にスターリン主義の軍事政権に対して闘ったが、ソ連圏崩壊後の過程で右傾化し、右翼政党正義と秩序≠ニ連携している)、社民労組OPZZ、その他左派独立労組などに系列化されていたが、大恐慌下の厳しい状況のなかで、企業倒産(フィアット、オーペルなどのEU内の外国資本の大量解雇なども含む)が続出、20万人に上る失業者の重圧によって、この工業地帯全体が、〈恐慌地帯〉に転落しつつある、という危機感が、労組間の統一闘争を強制したのだ。
 保守政権が、労資交渉を拒否するのみか、「ストライキは、ポーランドの国際競争力を弱めるものだ」などと非難するにおよんで、右派労組も、ゼネストに踏み切らざるを得なくなった。実際、職場でのスト権確立のための一票投票では、圧倒な95%の現場労働者が、スト賛成を表明している。
 シュレジア・ゼネストの総括集会で、左派労組の代表は、「この数年ぶりの統一行動は、政府に打撃を与えている。今日、シュレジアから発せられた火花は、ただちにポーランド全土に燃え広がるだろう。今日の闘争は、一大決戦への総稽古だ。次は9月だ」と高らかに宣言した。
 実際、首都ワルシャワでも、昨年10月5日、看護士労組が、医療の民営化に反対して、7千人による首相官邸抗議デモを行っている。これに対し、シュレジアの炭鉱労働者が、「炭鉱労働者は、困っている仲間がいれば、いつでも、どこでも連帯のためにかけつける」といって、連帯ストをもって合流した。このシュレジア地方は、マルクスの時代から、戦闘的労働運動の拠点であり、その伝統を引き継いで闘っているのだ。
 中欧4か国会議のもう1人の出席者、オルバン首相のハンガリーでは、今年の3月10日、首都ブダペストの都心が、政府の憲法改悪に反対する数千人のデモ隊によって埋め尽くされた。
 これに先立って、昨年12月には、ブダペストの都市交通労働組合が、賃上げの要求とともに、バス路線の外注化による安全の崩壊に対して、市当局との闘争に立ち上がっている。
(写真上 ゼネストに突入したポーランド労働者のデモ【3月26日】)
(写真下 ハンガリーの改憲反対のデモ【3月10日 ブタペスト】)

 ブルガリア、ルーマニアでも怒りが爆発

 このほかの旧東欧スターリン主義圏の構成国の一つ、ブルガリアでは、16次にわたる反政府デモによって、ついに6月3日、政権が打倒された。きっかけは、電気料金の値上げだった。EUで最も貧しい国と呼ばれ、人口の半数以上が貧困層に転落し、若者の多くの部分が海外へ移住してしまっているような状況のなかでの値上げという攻撃に対し、デモ隊は「独占資本を倒せ!」と叫んでいる。電気事業は民営化され、オーストリアとチェコの多国籍企業の経営下に入っているのだ。デモの弾圧を命じられた警官隊は、盾を降ろして、デモ隊への支持を表明した。労働法の改悪もたくらまれ、鉄道労働者が抗議のストに立っている。
 また、ブルガリアと同じく黒海に面し、対岸に激動するトルコを控えているルーマニアでは、昨年の1月に、政権の打倒を叫ぶデモが、数日にわたって首都ブカレストを揺るがした。きっかけは、医療・保健制度改革と称する民営化計画で、デモ隊は、救急車の活動まで民営化されてしまったら、貧乏人は瀕死の状態でも見捨てられるのか、と怒りを爆発させたのだ。

 新自由主義打倒する闘いの発展

 世界大恐慌は、EU帝国主義の金融資本の投機的対象として、また直接投資先、すなわち外注化=工場移転のターゲットとして位置付けられてきた中東欧諸国の労働者階級に対し、激烈な打撃を与えた。金融危機―財政危機に強制された緊縮政策は、労働者階級に対する賃金カット、失業、社会保障制度の解体などの攻撃として、他のEU諸国をも上回る凶暴性をもって襲いかかった。「体制転換」後の1990年代で、一時期、好況を経験した経済は、一転して停滞に陥った。このなかで爆発してくる労働者人民の怒りは、この20年間の新自由主義攻撃に対して、そしてこの攻撃に屈服してきた労働運動指導部に対して燃え上がっている。スターリン主義に対する闘いを、新たな支配者であるEU帝国主義に対して向けられなかった労働運動は今、階級的労働運動を再生させる課題に直面している。それを担う中心は、最末期帝国主義の新自由主義攻撃の反労働者性を、この20年間、身をもって経験してきた若々しい労働者である。
 そして、こうした青年労働者たちが、第2次世界大戦中の反ナチのレジスタンス闘争、1956年のハンガリー革命、70年代から80年代にかけての「プラハの春」(チェコ)や、グダンスク造船労働者の軍事政権との闘い(ポーランド)などの革命的な闘争の伝統を、反帝・反スターリン主義プロレタリア世界革命戦略の綱領的立場で総括することが、それをとおして勝利の路線を提起することのできる階級的労働運動の指導をつくりだすことが、中東欧革命=プロレタリア世界革命勝利の鍵である。
 (川武信夫)
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 ■EUの「東方拡大」とは

 1991年、ソ連スターリン主義とともに東欧スターリン主義圏が崩壊した直後、1991年12月、ハンガリー、ポーランド、チェコスロバキア〔のちにチェコとスロバキアに分離〕という基軸的3国(中欧諸国と呼ばれるようになった)が、EUとの間に「欧州協定」を締結し、旧スターリン主義諸国をEUとIMFの処方箋≠フもとでの新自由主義的ショック療法≠ノよってEU帝国主義へ包摂する攻撃が本格化した。2004年のEU正式加盟のはるか前にEU帝国主義の資本が金融部門を始めとして、自動車・鉄鋼などの製造業への直接投資として奔流のように旧東欧諸国に流れ込んだ。1999年にEUに加盟したハンガリー、ポーランド、チェコを先頭とする中部ヨーロッパ地帯は、独仏伊などの自動車資本を軸とするEUの生産拠点を支えるサプライチェーンに変貌した。EU諸国の10分の1といわれた低賃金が、こうした外注化=下請け化のてことなった。旧スターリン主義体制下の労働組合の屈服がそれを容認したのだ。
 しかし世界大恐慌の爆発が、こうした最末期帝国主義の絶望的政策=新自由主義攻撃の脆弱な基礎を揺るがし、社会的矛盾が一挙に噴出する過程に入ったのである。それは、ギリシャ、スペインなど南欧諸国の労働者の決起にこたえる闘いとして、さらにエジプト、トルコ、ブラジルなどの階級闘争の新たな爆発に連なるうねりとして発展しつつあるのだ。

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月刊『国際労働運動』(445号2-3)(2013/09/01)

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■News & Review 日本

動労水戸、被曝車両の検査を粉砕

福島との連帯貫きストライキに決起

 「簡易交検」と称して一部だけの作業

 動労水戸は、被曝車両(K544編成)の検査・再運用攻撃に対して総力でストライキに立ち、交番検査(交検)の強行を粉砕する決定的な闘いを打ち抜いた。JRは、やりもしない通常交検をやったことにして、福島の郡山総合車両センターへの回送を強行したのだ。
 K544は、11年3・11以降、福島第一原発から20`余りの常磐線広野駅に放置されていた車両で、同年10月に勝田車両センターに回送されたが、動労水戸のストライキによって交検が阻止され、車両センターの片隅にずっと留置されてきたてきたものだ。JRは、広野駅〜竜田駅間の運転再開を狙っており、そこに運用するために、交検を狙ってきたのだ。
 攻防は12日から始まった。JR水戸支社は、水戸鉄道サービス(MTS)の労働者にK544の清掃をやらせ、12日には交検実施のためにK544を検修庫内に移す転線作業を指示した。既成事実を積み上げ交検になだれ込もうとしたのだ。動労水戸は職場でビラをまき、12日には緊急時限ストに決起し徹底抗議を行った。
 交検が予定されていた16日、勝田車両センターで働く組合員は、朝の点呼時から激しく抗議闘争を闘った。他の職場の組合員も続々とストに入り勝田車両センター門前に結集した。首都圏を中心に福島や仙台からも労働者・学生が支援に駆けつけ150人の大門前闘争となった。
 マイクを取った石井真一委員長は「最もほこりを吸い込む下回りの作業をやらされるのは青年労働者だ。絶対に許すことはできない。安倍政権が再度、原発の再稼働と輸出を中心に据え、福島では避難区域を次々と解除し高線量地域に住民を帰還させようとしている。K544の再運用、常磐線の竜田駅への延伸の動きはこれと一体だ。竜田駅、広野駅に行って来た。まったく人は住んでいない。3・11から時間が止まっている状態だ。そこに電車を走らせ、住民を戻らせる。政府と東電の責任逃れを絶対に許すわけにはいかない。労働者と住民、乗客に被曝を強制し、金もうけのために命を奪い取る攻撃だ」と当局を徹底弾劾した。
 勝田車両センターで働く辻川慎一副委員長も「会社は基本的に交検ができない状況に追い込まれ、『簡易交検』と称して、ほんの一部の作業だけでごまかそうとしている。電車保守の要である交検もやらず、それを『やった』と言い張って郡山総合車両センターで全般検査をやらせてさらに多くの被曝を強制する。二重の意味で絶対に許せない。あなたたちは誰に責任をとっているんだ。青年たちが、簡易交検とはいえほこりを吸わされている。けっして安全ではない。簡易交検もやるべきじゃない。そんなことのために、青年一人ひとりの命を粗末にしていいのか。人生を台無しにしていいのか。会社は労働者の安全を守る義務がある。あなたたちがやっているのは、危険なことを『大丈夫だ』と何の根拠もなく言い放って強制しているんだ。やったことの責任はまぬがれない」と、ほとばしるような怒りをたたきつけ、職場の仲間たちに「おかしいことはおかしいと言おう。しかしそれは東労組では無理だ。動労水戸に結集しともに闘おう」と熱く呼びかけた。
(写真上 「被曝労働反対!」と怒りのこぶし【7月16日 勝田車両センター】)
(写真下 支援の労働者・学生も多数駆けつけた)

 「怒りを代表する崇高な闘い」

 多くの組合員と一緒に駆けつけた動労千葉の田中康宏委員長が「放射線に汚染された列車を走らせてはいけないとストに立ち上がっている動労水戸の仲間たちに敬意を表したい。動労水戸の仲間の闘いは、すべての人々の怒りの声を代表した崇高な闘いだ。すべての労働者が動労水戸の闘いに続こう。日本中の労働者が『福島の仲間たちを守れ!』と政府に対して、自分たちの職場から立ち上がらなければいけない。そうすれば、自分たちの延命のためなら国民を殺しても構わないという政府を倒すことができる」と訴えた。
 福島から駆けつけた椎名千恵子さんは、「ドイツで、みなさんの闘いの姿を報告してきました。それが向こうの労働者の心を捉えました。『どうしてあのように、原則的に非妥協的に闘い続けることができるのか』。深く感銘していました。ドイツで一番先鋭的に闘っている機関士労組のリーダーたちが深く深くうなずいて、これからも日本のみなさんと連帯していきたいと表明してくださいました。労働者の心は、命を守ろう、人間らしく生きよう、そういうことにおいてまったく一緒でした」と、訪独の成果を報告した。
 福島労組交流センターの渡辺馨代表は、「今、福島に何が起きているのか。原発事故から2年4カ月。何もなかったかのような大キャンペーンが吹き荒れている。原発は事故が起きても大丈夫なんだということを宣言しようとしている。それと同じことが、勝田で行われている。被曝した車両をここに運んだこと自体が違法だ。原発周辺の農民は、すべてを置いて避難した。そういう人が16万人以上いる。1千万、2千万する農機具も置いてある。それを運んじゃだめなんです。放射性物質で汚染されているから。JRだけが、車両を運んでいいんですか」と、福島の怒りをたたきつけた。
 各地の労組交流センター、全学連の斎藤郁真委員長、婦人民主クラブ全国協、医療労働者などが次々とマイクを取り、感動的な訴えが車両センターに響き渡った。多くの労働者が耳を傾け、手を振るなど合図を送ってきた。
 12時にストに入った勝田車両センターの組合員が門前での抗議闘争に合流した。「当局は通常の交検とはぜんぜん違うやり方をしている。放射性物質が付いていることを認めながら作業をやらせる会社は絶対に許せない。全身全霊をかけて闘う」との職場報告に大きな拍手が上がった。

 水戸支社に抗議行動

 車両センター前での抗議行動を終え、水戸市内に移動した参加者は、JR水戸支社への抗議闘争を闘った。水戸支社の脇には、JR東労組水戸地本の事務所がある。
 石井委員長、川崎昌浩動労総連合書記長などの発言に続いて、辻川副委員長がJRと東労組を徹底弾劾した。「K544の交検は粉砕された。会社は『普通の車両だから普通の交番検査をやる』と言った。だけど、バッテリー一つ入れられなかった。やったのは、交検のほんのほんのごく一部だ。見習いの要員も全部外した。簡易交検なるまさに違法な交検を交検と称し、この車両を次は郡山に送り、郡山では『この車両は勝田で通常の交検をやった』と言い張って全般検査を強制しようとしている。今日やったのは交検ではない。助役も水戸支社も交検をやったと言おうとしている。とんでもないごまかしだ」
 さらに、「動労水戸が結成から、国鉄分割・民営化絶対反対、仲間の首切りを許さない、仲間の自殺したことを絶対に忘れない、そうやって労働組合をつくってやってきた動労水戸に会社がやってきたことは何だ! 25年間にわたって動労水戸の組合員を運転職場から外し、そば屋、売店に置いてき。あなたたちがやってきたことはまさに犯罪じゃないか。動労水戸組合員の25年を返せ。何よりもそれに手を貸したJR東労組、俺たちの人生は必ず取り返すからな! のうのうとダラ幹をやっているなんてことは絶対に許さない。職場から諸君を打倒する闘いを必ず巻き起こす」と激しいアジテーションでJRと東労組を圧倒した。
 その後、市内で行われた総括集会で、石井委員長はK544の交検を渾身の闘いで粉砕したことを宣言し、10月1日に予定されている構内誘導業務外注化阻止の闘いと一体で、今後も被曝労働強制ととことん闘い抜こうと訴えた。動労千葉の田中委員長は「動労水戸の取り組みには、自らの被曝を拒否する闘いの中に、誰一人として被曝させないという熱い思いが詰まっている。この闘いに続く」と述べ、福島から駆けつけた青年が現地での議論を紹介しながら「福島原発事故、内部被曝や被曝労働を絶対にあいまいにしないという動労水戸の闘いを引き継ぎ闘う」と発言。これに応えて辻川副委員長が「重要なことは団結した闘いで交検ができないところに追い込んだこと。会社 は必死でごまかそうとしているが、郡山ではどうするかが問題になる。今日の闘いで郡山総合車両センターで闘う仲間とつながることができた」と述べた。全員で団結ガンバローを行い、この日の闘いを締めくくった。
(写真 JR水戸支社に対する抗議行動【7月16日】)

 郡山回送を弾劾する

 動労水戸は17日にも、K544関連の作業を断固として拒否し3人の組合員が指名ストに決起した。12、16、17日の3波のストを貫徹した動労水戸は18日、「JR水戸支社によるK544の『偽装交検』と郡山回送を徹底弾劾する」という声明を発し、「やりもしない交検をやったと言い張り、郡山の仲間に一層の被曝を強制しようとすることに我々は絶対反対する。福島の人々は空間線量が高いところにいるからこそ、勝田の労働者以上に内部被曝の脅威から守られなければならないのではないのか。史上空前の収益を上げ続けているJR東日本による、K544編成の違法交検を通じた全般検査による被曝強制に絶対反対し、その廃車を要求する。動労水戸は、福島県民とそこで働く人々と団結し徹底的に闘い抜くことを改めて宣言する」と訴えた。

 国労郡山工場支部もJR当局を徹底追及

 車両の入構が強行された郡山総合車両センターにおいても、勝田における「偽装交検」の実態が伝わるや現場の怒りが沸騰。国労郡山工場支部の組合員を先頭に分会単位、職場単位、あらゆるかたちで、現場の課長や助役に対する追及行動が闘われている。「線量は低い、安全だ」と繰り返す当局に対して、「内部被曝の危険性を考えてるのか!」「プルトニウムやストロンチウムも測れ!」と、現場の青年の不安や怒りと一体となって激しい抗議と追及が連日たたきつけられている。
 こうした中、東労組は、現場の青年の不安に寄り添うふりをしながら、「(通常1回の)車両洗浄を2回やるという当局の約束を取り付けた」ことをもって、一切の要求と闘いを放棄した。外注化への屈服同様、労働者を守らず会社を守ろうとする東労組に対する現場の青年の不信と怒りは増している。外注会社の青年も「結局JRって俺たちはどうでもいいんだよね」と怒りをあらわにしている。
 ときあたかも、国労全国大会のさなか、郡工支部の指名スト要求をのらりくらりとかわす本部は、「労使正常化」にまっしぐら、会社防衛を東労組と競っている始末だ。今こそ、組合を現場に取り戻すときだ。青年の怒りと未来を体現して闘う郡工支部が国労の再生のカギを握っている。
 こうして、動労水戸―国労郡山工場支部を貫く被曝労働拒否の闘いが、感動的に闘われた。この闘いに続こう。
 (大沢 康)

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月刊『国際労働運動』(445号3-1)(2013/09/01)

(写真 国鉄分割・民営化の真実を暴く闘いで安倍政権・新自由主義と闘うことを宣言した国鉄闘争全国運動全国集会【6月9日 東京】)

特集

■特集 労働運動のうねりで改憲阻止

改憲推進の連合が崩壊 4大産別が飛躍する時

 はじめに

 「新たな時代」が始まっている。
 「新たな時代」とは、世界大恐慌が本格的に爆発し、大争闘戦時代に突入し、最末期帝国主義の絶望的延命形態である新自由主義に対する全世界の労働者階級人民の総決起が巻き起こっている時代である。
 さらに3・11情勢(東日本大震災と福島原発事故)のもとで階級情勢が根底から一変している時代のことだ。総じて、プロレタリア世界革命が急接近する時代の到来ということである。そして参院選で山本太郎さんが66万票余りを集めて当選した。これは新しい時代の象徴である。
 第1章は、国鉄決戦で改憲を阻止しようと訴えている。戦後労働運動、階級闘争の核心を明らかにしている。
 第2章は、自民党改憲草案の全面批判を行っている。
 第3章は、戦争と安保と改憲攻撃の戦後史を展開している。安倍の改憲攻撃の絶望性を鮮明にしている。

第1章

(写真 参院選の選挙戦最終日、山本太郎旋風≠ェ渋谷駅ハチ公前を席巻【7月20日】)

 山本氏当選で安倍が震撼――今こそ労働組合の復権を

 参院選の東京選挙区で山本太郎氏は、66万票以上を獲得して4位当選を果たした。大恐慌、3・11情勢のもと、新自由主義に対する怒りが首都・東京で爆発した。この現実に安倍政権は震え上がっている。100万という規模の青年の革命的大衆行動が始まったからだ。
 さらに重大なことは民主党・連合の凋落(ちょうらく)である。山本太郎氏の闘いは連合打倒の闘いとなった。体制内によっておとしこめられてきた労働組合の存在と団結を巨万の規模で回復する出発点となる。今こそ、4大産別の労働者を先頭に躍り出て、職場を階級的労働運動の拠点にする時だ。
 山本太郎氏は、これから「イバラの道を歩む」と宣言した。それを青年労働者が支持している。国鉄決戦・反原発決戦を柱に労働組合をよみがえらせ、安倍を打倒し、日帝を打倒する道が開かれた。

 ■安倍の改憲攻撃

 日帝・安倍政権が改憲に死活をかけざるをえない理由は何か。
 第一は、没落する米帝による新軍事戦略とTPP攻勢の激しさである。脱落・日帝にとって日米安保体制を強化しTPPに参加する以外に選択の道はなく、それは極めて日帝解体的であり、日帝は延命をかけて改憲に突進するしかないということである。
 第二は、脱落・日帝の危機のすさまじさである。何よりも、その階級支配が末期的危機に至っていることである。二十数年にわたる凶暴な新自由主義政策は、戦後憲法下での階級支配の前提条件をことごとく破壊してきた。その中で「3・11」が爆発し、もはや今までの階級支配・統治形態は続けられなくなり、敗戦帝国主義としての制約を一挙に取り払い、新自由主義政策を暴力的に貫徹する新憲法体制=統治形態に転換しなければ、国家が成り立たないところまで追いつめられているということである。
 日帝・安倍は今、なんらの勝算もないまま改憲に突進している。たとえ衆参両院で改憲派の議席が3分の2を超えようとも、それだけで彼らに展望が出るわけではない。改憲決戦とは、労働者階級と支配階級との階級決戦なのだ。労働者階級人民の根幹をここでたたき折り、階級闘争の歴史的高揚を圧殺することなしに、彼らは改憲を遂行することはできない。
 階級闘争は階級的労働運動が軸になってこそ爆発する。その核心は国鉄闘争である。そして、青年・学生の圧倒的決起である。国鉄闘争を軸とした階級的労働運動の成否に、改憲決戦の勝敗と全人民の未来がかかっている。

 労働者人民の怒り

 労働者の怒りの声が爆発する情勢に突入している。階級的労働運動が圧倒的に前進する条件はいよいよ煮詰まってきた。
 第一に、アベノミクスの崩壊は必至であり、安倍政権の成長戦略は、労働者人民を本当に生きられなくさせるものだということである。
 安倍の成長戦略とは、一方では円安誘導と超金融緩和策と大規模な公共投資、もう一方ではTPP推進とインフラ・パッケージ輸出の推進で、それらの土台には資本への全面的な規制緩和がある。財界が要求していることは、社会保障制度の全面的な解体と労働規制の緩和である。つまり、労働者の雇用と賃金を徹底的に破壊することが成長戦略の柱になっているということだ。
 労働規制の緩和について、言われていることは、解雇自由を法制化する、残業代をゼロにするホワイトカラーエグゼンプション(労働時間規制適用免除制度)を導入する、「限定正社員制度」を導入することなど。つまり、10割非正規職化の戦略として、いつでも首が切られる雇用制度を導入するということだ。
 第二に、橋下らがやろうとしている360万首切り攻撃である。バス・清掃・市営交通などの全面的な民営化攻撃であり、これを「いったん全員解雇、選別再雇用」という国鉄方式でやろうとしている。これをやるための労組破壊との激突が始まっている。
 第三に、公務員労働者とその関連労働者合わせて約1000万人への7・8%賃金カット攻撃である。退職金を400万円も削減され、一時金を1割カットされ、その上に一律7・8%の賃金削減。これをやられたら生きていけない。現業などは軒並み民営化されて首切りされる。労働者の怒りは必ず爆発する。ここから階級的労働運動を大規模に復権させよう。
 第四に、原発再稼働への怒りが高まり、改憲・戦争の危機が激しく進行していく。これは間違いなく、全人民的で階級的な大流動を生みだしていく。改憲・戦争をめぐる大流動と、雇用・賃金への破壊に対する怒りが結びついたとき、本当の革命情勢が生まれる。

 4大産別の闘い

 安倍・成長戦略による労働者への攻撃、橋下らによる労組破壊・民営化の攻撃、7・8%賃金カットをめぐる自治労攻防、この三つは一体であり、これらを階級決戦に持ち込めるかどうか。そうなったとき、間違いなく安倍政権は倒れる。改憲攻撃も完全に頓挫する。
 そのうえで、国鉄を先頭とした4大産別の闘いが戦略的な焦点となっている。敵階級は、公務員労働者の雇用保障を徹底的に破壊することをとおして最後的に正規雇用を解体し、10割の非正規化を達成しようとしている。またそのことをとおして階級的な団結をとことん解体しようとしている。つまり、日帝・安倍政権の戦略は、公務員労働者への攻撃に据えられているということであり、この戦略との激突情勢をつくりだすことである。

 JRが日帝延命の根幹

 この中で、JRが再び日帝の延命策の根幹に据えられている。JR体制を揺るがす外注化阻止闘争はますます決定的になっている。
 JR東日本が昨年10月30日に出した「グループ経営構想X〜限りなき前進〜」は、今日の大恐慌下において、脱落・日帝ブルジョアジーの最先頭・最中枢にJRが立ち、その凶暴で絶望的な新自由主義的延命を図ろうというものである。
 それは、@JRの全面外注化を徹底的に推し進め、それを全社会に拡大することであり、A鉄道の全面外注化によって10割非正規職化まで果てしない攻撃をやりぬこうということであり、B鉄道輸出=海外侵略を柱に掲げて、日帝全体の危機を突破しようというものである。
 原発・鉄道・水の「インフラ・パッケージ輸出」は、日帝再生の「国家戦略」として位置づけられ、野田政権から安倍政権へと総力で引き継がれている。その中心に、JRの「経営構想X」があるということだ。
 しかし、「インフラ・パッケージ輸出」戦略は、大国間争闘戦の激化の中で簡単に進む話ではない。その競争力強化のために、国内における徹底したコスト削減・利潤拡大を外注化・非正規職化、低賃金化によって進めようとしている。ここに「経営構想X」の恐るべき階級戦争としての位置がある。

 ■国鉄決戦で改憲阻止

 戦後労働運動は、戦後革命期から総評結成、そのニワトリからアヒルへの左旋回、自民党と社会党の55年体制の成立、56年国鉄新潟闘争、60年安保・三池闘争から70年安保・沖縄闘争、70年代の国鉄マル生闘争の勝利からスト権ストと闘ってきた。
 日帝は、54年の鳩山内閣以来、改憲攻撃を続けてきたが、60年安保闘争の大爆発、70年安保・沖縄闘争のさらに巨大な爆発によってその策動を粉砕された。こうした戦後労働運動の柱に国鉄労働運動が位置していた。
 第1項 中曽根の改憲発言
 80年代、全世界に労組破壊・民営化の新自由主義攻撃が吹き荒れた。労働組合の絶滅・解体を目指すすざまじい攻撃だった。日本でも中曽根が、国鉄分割・民営化の攻撃をかけてきた。
 中曽根は「国労をつぶし、総評・社会党ブロックを解体して、お座敷をきれいにし、新しい憲法を飾る」と言った。改憲のために日本労働運動の中軸を一貫して占めていた国労を破壊すること、それが総評・社会党をつぶすことになり改憲につながるという反革命の路線を敷いたのだ。
 日帝国家権力は、70年安保・沖縄闘争の内乱的武装的発展に恐怖し、プロレタリア革命に現実性の脅え、反革命カクマルを革共同の破壊に差し向けた。
 中曽根は国鉄分割・民営化においてもカクマルを国鉄労働運動破壊の先兵に差し向けた。動労千葉は分割民営化に対して85年11月、86年2月と2波のストライキを闘い労働組合の団結を守った。国労は闘うことができず、組合の団結を破壊された。JRに採用されなかった国労や動労千葉の組合員は清算事業団に送られた。
 90年4月1日、1047人が国鉄清算事業団から解雇された。動労千葉がストライキで反撃し、国鉄闘争が継続され、国鉄1047名の解雇撤回闘争が始まった。
 89年、総評が解散し、連合が結成されたが国鉄1047名闘争が残った。これがその後の二十数年の日本労働運動を決定するほど重大だった。

 1047名闘争

 この後は、1047名闘争をめぐる日帝国家権力との激烈な闘争だった。国鉄闘争つぶしを狙う国家権力、それに対する国労中央の丸ごとの裏切りと屈服、それに対して闘う国労闘争団、動労千葉の闘争だった。
 その内実は、国家権力が放った希代のスパイ分子・荒川の碩哉摘発・打倒の闘いによって明らかにされた。
 荒川は95年から内閣官房情報調査室に直結してスパイ活動を開始し、00年から01年にかけて公安調査庁とも直結した。95年は村山政権(亀井運輸大臣)下で1047名闘争をつぶすために権力中枢が本格的に構えた時期だった。
 94年12月末、運輸省は国労に対する202億円損害賠償請求訴訟を取り下げ、国労本部の懐柔に乗り出した。
 98年には1047名解雇について「JRに法的責任なし」という5・28反動判決(難波裁判長)が出された。これで国労は完全に戦意喪失した。00年は日帝の国労つぶしを狙った4党合意(自民党など与党と社民党)が出された。 02年には5・27国労臨時大会闘争弾圧に対して完全黙秘・非転向で闘い、4者・4団体との攻防を闘ってきた。
 そして09年に政権についた民主党・連合政権は、10年に4・9国鉄1047名闘争の政治和解で闘争抹殺を図った。これを国労など4者・4団体(民同も革同も)は受け入れ闘争終結を図った。断じて許されないことだ。104
7名闘争の100万人支援陣形を解体し、国鉄闘争に最後の止めを刺すものだった。
 そこで動労千葉は、「国鉄闘争の火を消すな」と6・9国鉄闘争全国運動集会を呼びかけた。予想を上回る賛同人が集まり、国鉄決戦は不死鳥のごとく闘い継がれた。

 階級的労働運動で闘う

 では、なぜ国鉄分割・民営化に動労千葉が2波のストライキで反撃することができ、国労・体制内労働運動は闘うことができなかったのか。
 動労千葉の中野洋委員長は、日本の労働運動の壁として合理化反対と言っても実際には賃上げと引き換えに合理化をのみ、合理化絶対反対闘争ができなかったことを挙げていた。
 動労千葉の72年の船橋事故闘争はこの限界を乗り越える闘いだった。事故とは運転士の責任ではない。事故を起こさせる当局の合理化に責任があると、労働運動の中で初めて言い切った。反合理化・運転保安闘争路線の提起であった。これまで事故を起こした運転士は、職場で処分を受け、さらに刑事罰を受けた。全責任を負わされていた。そこを当局の事故責任を問題にして職場闘争によって逆転した。 ここに日本の労働運動に、これまでの妥協・馴れ合い、屈服・裏切りの民同労働運動に代わる新しい階級的労働運動が生まれた。絶対反対、絶対非和解、階級的団結を求める階級的労働運動である。
 この船橋事故闘争を起点に、動労千葉は階級的労働運動を展開し、77年三里塚連帯・ジェット燃料輸送阻止闘争を闘い、動労カクマルの白色テロに対して79年分離・独立をかちとり、85年の国鉄分割・民営化と闘う態勢を取ることができた。
 00年から動労千葉は、検修・構内業務の外注化と闘ってきた。始めは、99年度に提案されたシニア制度だった。
 これは年金支給開始年齢引き上げに伴い、60歳定年退職後の労働者に再雇用の機会を提供するというものだが、業務の外注化を受けれ入ることが条件になっていた。外注化とは、出向の受け入れであり、組合の分断であり、非正規職化の攻撃であった。泣く泣く動労千葉を脱退する組合員も出たが動労千葉は絶対反対で闘った。
 こうして動労千葉は13年間、外注化を阻止してきた。そして12年1月、京葉車両センターで構内業務を1日勤だけ外注化する攻撃が強行された。外注化絶対反対の闘争は京葉車両センターの平成採の青年労働者を獲得し、当局を震撼させていた。
 昨年10月1日に、仕業検査、交番検査、構内運転業務が千葉鉄道サービス(CTS)という列車の清掃業務しかやっていない会社に外注化された。91人が出向に出され、うち44人が動労千葉の組合員だ。動労千葉はこれに5日間のストライキで立ち向かった。これは外注化絶対反対、非正規職化絶対反対の画期的な闘いだった。
 動労千葉は、JRとCTSに分断されながらも団結を維持し、現場で起きるあらゆる矛盾を突いて立ち上がっている。それは安全問題と強制出向から非正規職に突き落としていく雇用問題だ。動労千葉は安全破壊と雇用破壊という矛盾を追求する新たな時代の反合・運転保安闘争を創造して闘い抜いている。合理化絶対反対の闘いだ。
(写真 外注化阻止闘争の第2ラウンドに突入した動労千葉のストライキ【3月1日 幕張車両センター】)

 動労水戸、国労郡山工場支部の闘い

 動労水戸の福島連帯・外注化阻止・被爆労働拒否の闘いが前進している。動労水戸は、放射能に汚染された車両K544の検修業務の強制に対し、被爆労働拒否のストライキを何波にもわたって闘い抜き車両の運用を阻止してきた。7月16日は勝田車両センターでK544の交番検査強行に対して、「偽装交検」しかできないところに追い込む、画期的なストライキと大抗議集会をかちとった。
 動労水戸は、昨年10月1日の検修業務外注化では、組合員10人が水戸鉄道サービス(MTS)に強制出向させられた。これに対して動労水戸は8〜9月に4波のストライキを闘い抜いた。13春闘でも3波のストライキを打ち抜いている。
 国労郡山工場支部も、動労水戸の闘いと連帯して、K544の郡山総合車両センターへの回送に絶対反対で闘い、回送されたK544の全般検査に反対し、JR当局を激しく追及して闘っている。
 国労郡山工場は、被災地福島で、反原発闘争を闘い、外注化阻止闘争でも倉庫業務の6月外注化を阻止して闘っている。福島第一原発事故に対して国労組合員が組合の団結を固めて闘っている。
 動労連帯高崎、動労西日本も外注化阻止で大きく闘いを前進させている。外注化阻止・非正規職化反対の国鉄決戦はJRの青年労働者の心をとらえ、新たなうねりを開始している。

 白石判決の重大性

 国鉄1047名解雇撤回闘争は最大の決戦に入った。動労千葉鉄建公団訴訟控訴審で、動労千葉と弁護団は、不採用基準がJR設立委員会委員長・斎藤英四郎の指示で当時の国鉄総裁室長・井手正敬(元・JR西日本会長)と同職員局次長・葛西敬之(現・JR東海会長)らによって策定された事実をつきとめた。国家的不当労働行為の真実はついに明らかになった。
 東京地裁の白石裁判長は、昨年6・29判決でその事実を認めた。ところが日帝国家権力は、東京地裁の白石裁判長を左遷し、控訴審を強権的に打ち切り、9月25日に東京高裁で反動判決を下そうと企んでいる。
 これまで述べてきた通り、国鉄闘争は一貫して日帝国家権力中枢との闘いであった。中曽根発言が示すように、国労つぶし、国鉄労働運動つぶしが改憲攻撃の核心なのだ。59年伊達判決(日米安保は違憲)や73年長沼判決(自衛隊は違憲)とした時に日帝国家権力中枢は、なりふりかまわず伊達裁判長を辞職に追い込んだ。長沼訴訟の福島裁判長は左遷させられた。
 それと同じ意味で、日帝国家権力中枢は、国鉄分割・民営化の国家的不当労働行為を認めた白石裁判長を許さなかった。閑職に追いやった。
 1047名闘争を終結させ、国鉄労働運動を壊滅することに日帝の新自由主義攻撃による延命がかかっている。ここに動労千葉労働運動、国鉄労働運動の今後がかかっている。これをひっくり返すのは、階級的力関係を変えていく以外にない。
 そこに山本選挙の大勝利がかちとられた。66万人以上が山本太郎さんに投票した。階級情勢は一変した。自民党「大勝」など吹っ飛ばす特大の勝利だ。これは3・11への怒りの大爆発だ。被爆労働拒否、TPP反対、飢えさせないの叫びであり、改憲阻止の展望を圧倒的に切り開いた。反原発の20万人の首相官邸・国会包囲の闘いの上にさらに発展させる闘いだ。そして何よりも労働者の過労死を許さないと提起している。それは解雇撤回・外注化阻止・非正規職撤廃の国鉄決戦の勝利を求めている。
 この圧倒的に高揚する大激動情勢の中で、1047名の解雇撤回・JR復帰を求める10万人署名を爆発させよう。外注化阻止・非正規職撤廃―被曝労働拒否の職場反合闘争を徹底的に実践し、団結を拡大しよう。これらの闘いは、改憲攻撃粉砕の闘いそのものである。
 解雇自由化、7・8%賃下げ、民営化・外注化・非正規職化の攻撃は、労働者人民から生存権をはじめとした基本的人権を奪う改憲攻撃にほかならない。労働者階級の「生きさせろ!」の闘いをあらゆる水路から爆発させ、改憲を根底で阻止する階級闘争を発展させよう。その闘いの基軸は国鉄決戦にある。

第2章

 自民党改憲草案を批判する――9条破壊、労働基本権解体など

 安倍・自民党の具体的な改憲策動は、@自民党の「日本国憲法改正草案」と、A集団的自衛権の行使容認・立法化である。この改憲策動は、アベノミクス崩壊・争闘戦脱落という絶望的危機の突破をかけた大攻撃である。
 それは、戦後労働者支配のあり方からの全面的な転換と、敗戦帝国主義としての制約を一挙に取り払って戦争国家になるという凶暴性をむきだしにしたものである。
 それゆえ、支配階級を上回る怒りと迫力でこの改憲攻撃を暴露・弾劾していくこと、この歴史的大闘争に勝利できる路線と展望を指し示していくことが求められている。
 こうした立場から、@自民党の「日本国憲法改正草案」と、A集団的自衛権の行使容認・立法化の問題を暴露し弾劾していく。

 (1)労働基本権・基本的人権の根本的解体

 自民改憲案の最大の焦点は何かと言えば、やはり現行憲法9条の破壊であるが、その点の暴露・批判は二番目にして、労働基本権・基本的人権を根本的に解体しようとしていることから始めたい。
 労働基本権・基本的人権の解体を狙う自民改憲案は、@公務員労働者からの労働三権の剥奪、A「公益及び公の秩序に反してはならない」論、B特定目的の「結社」の禁止、C「家族」条項の新設などを展開しており、どれも怒りなしには読めない内容である。

 労働三権の剥奪

 現行憲法第28条の「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」はほぼ残したうえで、「公務員については、全体の奉仕者であることに鑑み、法律の定めるところにより、前項に規定する権利の全部又は一部を制限することができる」を加えた。これにより、公務員に対する労働三権(団結権・団体交渉権・団体行動権)の全面的剥奪まで可能にしている。
 現行憲法は、労働基本権(勤労権と労働三権)を無条件に保障しており、その点でも世界的に例を見ない。これは、戦後憲法がつくられた歴史過程とその時代の階級関係に規定されており、戦後革命の圧殺と引き換えに行われた、労働者階級への大幅な譲歩と妥協によるものである。
 自民改憲案は、労働者階級がこれまで血と汗で闘いとってきた労働基本権(勤労権と労働三権)を公然と破壊しようとしており、それを公務員労働者から開始している。すでに現実のあらゆる労働現場においては改憲が先取りされており、労働基準法を無視する3・11「復興特区」攻撃が全国的に展開されているが、それでもなおこの点での改憲を強行しようとするのは、そこにこそ今日の改憲攻防の階級的性格が存在するからである。新自由主義とその自民改憲案が最も憎悪をむき出しにして破壊しようとしているものは、労働者階級の団結であり、人間的階級的な共同性なのだ。

 「公益及び公の秩序」

 現行憲法第12条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」について、その後半を「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と書き換えた。この「公益及び公の秩序」という言葉は自民改憲案の中で4回くり返されているが、その意味は資本家階級の利益とその国家体制の維持≠フことで、人権と人権の衝突を調整するという現憲法の「公共の福祉」(public welfare)とはまったく違う。英語のpublicは、もともと「人民」という意味である。
 そもそも「基本的人権」と言われる人民の諸権利は、19世紀以来の、世界的な労働組合運動の中で闘いとられてきたものである。その出発点になった主張も、封建制の国家権力に対する人民の闘争(17〜18世紀)から発生していった。そうした歴史をとらえ返せば、自民改憲案の「公益及び公の秩序に反してはならない」という改悪は、基本的人権の根本的解体であることは明白である。
 これらの点について、自民党が出した『日本国憲法改正案Q&A』では、「天賦人権説に基づいて規定されている…こうした規定は改める必要がある」と言い、「『公共の福祉』を『公益及び公の秩序』に変えたのはなぜか?」という問いに対して、「基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにした」と説明している。資本家階級の利益とその国家体制の維持≠ェ最優先だと公言しているのだ。
 また、自民党は、「前文」を全面的に書き換えた理由として、現行憲法の前文には「基本的人権の尊重が書かれていない」ことを挙げているが(『Q&A』)、これがまたとんでもなくおかしい。「日本国民は…基本的人権を尊重するとともに、…互いに助け合って国家を形成する」(自民改憲案の前文)と書いているが、驚くべきことに、基本的人権を「尊重する」のは公権力ではなく、「日本国民」となっている。それゆえ自民改憲案は、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は…侵すことのできない永久の権利」という現行憲法97条(最高法規)を全面削除している。

 「結社は認められない」

 「公益及び公の秩序に反してはならない」論は、続いて「結社の自由」を否定した。 現行憲法第21条の「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」について、自民改憲案は「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」を加えた。「結社の自由」の破壊である。
 これについて先の『Q&A』では、「オウム真理教に対して破壊活動防止法が適用できなかったことの反省などを踏まえ、公益や公の秩序を害する活動に対しては、表現の自由や結社の自由を認めないこととしました」と露骨に言っている。目的に基づく「結社」を規制することは、目的そのものを規制するのと同等であり、「表現の自由も認めない」と言っているように、自民案では反政府デモも弾圧の対象となる。まさに破防法の憲法条文化であり、階級支配の危機から噴き出した極悪の予防反革命条項である。
 そしてすでにそれは「新たな捜査手法」の導入や「秘密保全法」の制定、「共謀罪」の新設などの策動として激化しており、戦争・改憲攻撃そのものとして対象化して、巨大な人民の怒りで粉砕していかなければならない。

 「家族」条項と天皇国家

 自民改憲案では第24条に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」という規定を新設した。これは、自民改憲案前文の「日本国民は、…家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」と連動したものであり、「親子の扶養義務」を含ませ、生存権を国が保障することを拒否する内容である。
 そもそも現行憲法の第24条は、婚姻における両性の平等を規定することを通して、古い「家」制度を否定するものである。戦前の「家」制度は、家長によって統率される「家」を単位として、国民を天皇中心の国家体制に動員する仕組みであった。「家族」条項の新設は、「日本国は…天皇を戴く国家」(自民改憲案の前文)、「天皇は日本国の元首」(同第2条)、「国旗は日章旗、国歌は君が代とする」「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」(同第3条)などと一体で、階級支配の崩壊を超国家主義的に突破しようという日帝の絶望的危機を示すものである。

 新自由主義攻撃と改憲

 「(新自由主義に)社会などいうものは存在しない。存在するのは男、女という個人だけだ」と、イギリスのマーガレット・サッチャーは有名な宣言を残したが、「命より金儲け」の新自由主義は、社会的紐帯を徹底的に破壊し、労働者人民をばらばらに分断し、基本的人権をとことんまで剥ぎ取ること要求する。労働力の再生産などもはや考慮しない。世界大恐慌下で労働者人民に「食えない」現実を平然と強制するのが、今日の新自由主義なのだ。
 日帝・安倍の改憲攻撃は、最末期帝国主義の絶望的延命策である新自由主義攻撃そのものとしてある。改憲阻止とは、本質的にも現実的にもこの新自由主義攻撃との闘いであり、生きられない現実を労働者人民の団結した闘いで覆していくことである。労働者階級の団結の拡大が改憲阻止の核心的課題である。

 (2)「国防軍保持」で武力行使へ

 改憲攻撃の本丸である第9条の破壊はまず、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに…」などと書かれている侵略戦争への反省、不戦平和の誓いの表現を「前文」から破棄することから始まる。そして、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書いてあることが「特に問題」だと言い、「ユートピア的発想による自衛権の放棄」(『Q&A』)だと非難している。

 「自衛権の発動を妨げない」

 続いて、第9条がある現行憲法の第2章のタイトルを「戦争の放棄」から帝国主義の軍事用語である「安全保障」に変えた。これ自体が激しい転換であり、再び戦争に突き進んでいくことの宣言である。
 次に、9条1項に次の重大な条項を加えた。「2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」
 この点について『Q&A』は、集団的自衛権の行使を禁ずる政府の憲法解釈は「『9条1項・2項の全体』の解釈によるもの」とされているから、「その重要な一方の規定である現行2項(『戦力の不保持』)を削除した上で、新2項で、改めて『前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない』と規定し、自衛権の行使には、何らの制約もないように規定しました」と告白している。憲法レベルで集団的自衛権行使容認を完成させているのだ。

 「国防軍を保持する」

 そして、「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」を新設する。「戦力の不保持」から軍隊=戦力の保持への大転換である。当初の「自衛軍」という名称から「国防軍」に変えたのは、専守防衛論を引きずらないという意思の表れだろう。『Q&A』では「独立国家としてよりふさわしい名称」にしたと言っている。
 さらに、「国防軍は…法律の定める…活動を行うことができる」と規定し、下位法で自由に拡大できるようにしている。そして、国防軍の国際活動、機密保持、審判所(軍法会議)、領土保全義務まで盛り込んでいる。まさしく現行9条の全面的破壊であり、治安維持と侵略戦争を遂行できる体制を整えているのである。

 「出動拒否なら死刑」

 7月16日の東京新聞に、自民党の石破茂幹事長が「審判所」設置に強い意気込みを見せたことが報じられている。
 国防軍になると、具体的に何が変わるのかと問われた石破はまず「(改憲草案に)軍事裁判所的なものを創設する規定がある」と言い、しかし現在の自衛隊員が上官の命令に従わない場合は懲役7年が上限であることを説明し、次のように言ったという。
 「『これは国家の独立の為だ、出動せよ』と言われた時に、いや行くと死ぬかも知れないし、行きたくないという人がいないという保証はどこにもない。だから国防軍になったらそれに従えと。それに従わなければその国にある最高刑がある国なら死刑。無期懲役なら無期懲役。懲役300年なら懲役300年だ」
 国防軍化は即戦争だということである。命を虫けらのように扱われる帝国主義軍隊。それに動員されるのは青年労働者なのだ。

 (3)憲法停止の国家緊急権を新設

 自民改憲案は、「第9章 緊急事態」を新設している。「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」において、内閣総理大臣は「緊急事態の宣言を発することができる」としている。
 そして、「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」とし、「何人も、…国その他公の機関の指示に従わなければならない」ことになっている。
 これは、基本的人権を全面的に制限し(=憲法停止)、独裁的に権力行使ができる仕組みであり、まさに戒厳令規定であり、戦争国家体制の一環である。
 現行憲法は、その「平和主義」により軍事的緊急事態による人権制約を想定していないため、国家緊急権規定がそもそも存在しない。
 しかし『Q&A』では、国民の服従義務について、有事法制の「国民保護法」では「憲法上の根拠がないために、国民への要請は全て協力を求めるという形でしか規定できなかった」と吐露し、これを解消するため、国の指示に対する「国民の遵守義務を定めた」と言っている。こうした義務には必ず罰則がついてくる。
 「緊急事態」の際、閣議だけで決められる「政令」には、「法律と同等の効力」を持たせることができるとされている。つまり、労働者人民に対して集会やデモ、ストライキの禁止を命じ、違反したら逮捕し投獄できるようになるということだ。国家緊急権の新設の狙いはそこにある。

 (4)地方自治解体と道州制の導入

 自民改憲案は「地方自治」に重大な転換を持ち込んでいる。地方自治体が担う役割を「住民に身近な行政」に限定したうえで、「地方自治体は、基礎地方自治体及びこれを包括する広域地方自治体とすることを基本とし」、「国及び地方自治体は、法律の定める役割分担を踏まえ、協力しなければならない」と、道州制の導入を完全に目論んだ内容になっている。『Q&A』では、「道州はこの草案の広域地方自治体に当たり、この草案のままでも、憲法改正によらずに立法措置により道州制の導入は可能」と答えている。
 また、財源問題でも改憲案96条で「地方自治体の経費は…自主的な財源をもって充てることを基本とする」と規定する一方で、92条で「住民は…その負担を公平に分担する義務を負う」としている。これは、住民の福祉は自己負担であることを憲法に記載したに等しく、社会保障の切り捨て宣言である。

 (5)権力規制から人民支配の憲法に

 現行憲法の「第10章 最高法規」にある、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」(第99条)という条項は、天皇及び全公務員の憲法尊重擁護義務を規定したもので、これに違反した者はその職を解かれなければならない。
 ところが、自民改憲案の第102条はまず、「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」としている。これは、憲法が国家権力を縛るものであることを百八十度ひっくり返すものである。しかも、「国民の義務」を羅列した自民改憲案を「国民」は尊重しなければならないのであり、権力への縛りを解いて労働者人民を支配する憲法へ大転換させるものであって、絶対に許せない。
 さらに、自民改憲案では、首相の権限強化が図られている。たとえば、衆議院の解散の決定を「内閣の権限」とされていたものを、「衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する」(第54条)と、首相の単独決定事項にしている。また、首相や大臣の国会への出席義務について、「職務の遂行上特に必要がある場合は、この限りではない」(第63条)として、出席義務の免除を規定している。『Q&A』は「国会に拘束されることで国益が損なわれないように」配慮したと言っている。
 安倍首相は「96条から改正する」とくり返しているが、各議院の3分の2以上の賛成で発議できる≠ニする改憲手続き緩和先行論のペテン性がすでにあらわとなり、反対の声が拡大している。しかし、日帝は改憲を回避しては延命できない。この絶望的な改憲攻撃を、プロレタリア革命に転化するために闘おう。

 (6)「国家安保基本法」制定の意味

 自民党の石破は、「国家安全保障基本法」について、対談本『こんな日本をつくりたい』(2012年9月発行)で、次のように述べている。 「憲法が改正されるまで、集団的自衛権は行使できない、というままで放置しておいて良いとも思えません。…ですから、今年(2012年)自民党は、『集団的自衛権の行使を可能とする』ことを盛り込んだ、『国家安全保障基本法案』の概要を党として機関決定したわけです」
 「『内閣法制局の打ち立てた憲法解釈は、内閣が替わったからと言って変更できるものではない』というのが法制局の立場ですが、だからこそ内閣提出法案ではなく、議員立法でこれを乗り越えるべきだと思います」
 石破は、そのあまりの違憲性ゆえに内閣法制局が審査する内閣提出法案では出せないが、議員立法という形で国会に出せばその「壁」をすり抜けることができる、国家安保基本法が国会を通ってしまえば、集団的自衛権の行使を合法化できる、と言っているのだ。
 自民党が昨年7月に概要案として発表した「国家安全保障基本法案」は、恐るべき戦争法である。
 まず、「我が国が自衛権を行使する場合には、以下の事項を遵守しなければならない」として、「我が国、あるいは我が国と密接な関係にある他国に対する、外部からの武力攻撃が発生した事態であること」と言っている。つまり、アメリカや韓国の国土や軍隊に武力攻撃があった場合、日本は集団的自衛権を行使できると規定しているのだ。さらに、「別途、武力攻撃事態法と対になるような『集団自衛事態法』(仮称)、及び自衛隊法における『集団自衛出動』(仮称)的任務規定、武器使用権限に関する規定が必要」と記している。
 続いて、「各種の安全保障措置等に参加する場合には、以下の事項に留意しなければならない」として、PKF(国連平和維持軍)や多国籍軍への参加を完全に前提にしている。そして、「本条の下位法として、国際平和協力法案を予定」と記している。つまり、海外派兵恒久法の制定だ。
 この「国家安全保障基本法」は、明文改憲を待たずに集団的自衛権の行使を合法化するものであり、「国家安全保障会議設置法」や「集団自衛事態法」「派兵恒久法」の制定を含めている。戦争絶対反対の巨大な階級的怒りを組織し、絶対に阻止しよう。

第3章

 労働者階級の国際連帯を――改憲・戦争の道を阻止しよう

 第2次世界大戦後に成立した戦後世界は、世界大恐慌、新自由主義の破産、3・11情勢という新しい時代に突入している。ここでは、戦後の日米安保の変遷について検討し、労働者階級の国際連帯で改憲・戦争を阻止することを訴えたい。
 以下、戦後の安保問題と、それに対する闘いを見ていく。
□日米安保締結
・60年安保闘争
・70年安保・沖縄闘争
□78年ガイドライン
□97年新ガイドライン
□05年「日米同盟・変革と未来」
□米新軍事戦略と集団的自衛権・改憲

 日米安保締結

 1949年に中国革命が勝利し、全世界に衝撃を与えた。そして50年6月、北朝鮮スターリン主義は韓国に武力侵攻を開始した。それに対して米帝は直ちに反撃に出て、米帝の朝鮮侵略戦争が始まった。日本に駐留していた米占領軍が朝鮮半島に出兵した。占領軍司令官マッカーサーは、日本国内の治安維持のために警察予備隊の新設を日本政府に命令した。こうして日本の再軍備が始まった。言うまでもなく日本帝国陸海軍は、敗戦によって武装解除され、解体されていた。
 52年のサンフランシスコ平和条約によって、沖縄と奄美諸島、小笠原諸島は本土から切り離された。日本で唯一の地上戦が戦われた沖縄は米軍の直轄支配の下に置かれ「米軍基地の島」とされた。米帝のアジアと世界への侵略戦争の「要石」とされた。平和条約と同時に結ばれた日米安保条約は、米帝に対して「望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」を与えた条約であった。さらに米軍には治外法権が付与されていた。
 この旧日米安保の下で、憲法9条を踏みにじる自衛隊がつくられ再軍備が進められていった。

 60年安保闘争

 60年安保闘争は、戦後革命期以来の大規模な政治闘争となった。国会を数十万人が包囲し大デモを繰り広げた空前の大政治闘争だった。闘いは国会突入―国会構内集会へと発展し、そのなかで、反スターリン主義の学生運動を軸に革命的左翼が鮮烈に登場した。スターリン主義や社会民主主義の裏切りを粉砕して帝国主義打倒の戦略がその先端で確立された闘いだった。しかし、その総括をめぐりブント(共産主義者同盟)は分解し、指導的翼は革共同に原則的革命的に獲得され、大合流した。
 60年安保改悪の内容は、第5条で、日米両軍の共同作戦行動は「条約区域=日本の施政権の下にある領域」内に対する他国からの侵攻に限定された。アメリカの日本防衛義務を明記した。
 第6条で「極東の平和と安全の維持に寄与するため」に米軍は日本の米軍基地を使用することを保証した。
 米帝は日米安保を柱に本土と沖縄を核最前線基地としてベトナム侵略戦争を拡大していく。沖縄と本土はベトナム侵略戦争の大兵站基地・大補給基地となった。60年安保の再来を恐れつつ日帝は日米安保をフル稼働させてベトナム参戦国化していった。そこに60年安保をはるかに超えるベトナム反戦闘争、大学闘争、70年安保・沖縄闘争がたたきつけられた。日帝国家権力はプロレタリア革命の恐怖に震撼した。

 70年安保・沖縄闘争

 70年安保・沖縄闘争は質量ともに空前のスケールで大爆発した。
 デモ動員数は延べ2千万人超、デモの逮捕者数3万6500人に上った。
 この闘いは、66年の革共同第3回大会に基づく「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の戦略的総路線とスローガンのもとに打ち抜かれた。
 これらの闘いは、沖縄で闘われた全島決起、ゼネスト、暴動的決起と相呼応しつつ、「二つの11月」に象徴される労働者階級人民の実力決起=内乱的決起として発展した。そして、68年10・21闘争への騒乱罪適用、69年4・28闘争と71年11月決戦に対する破防法弾圧(いずれも沖縄闘争に対し発動)という、敵権力の最後の手段をもことごとく無力化させたのだ。
 全学連は10・8羽田闘争を皮切りに激動の7カ月≠闘い、日大、東大を始めとして大学闘争が全国を席巻した。カクマルと日共スターリン主義を全面的に追放した。
 69年10・21高田馬場―新宿闘争、11月蒲田―羽田闘争、71年11・14渋谷暴動闘争、11・19日比谷暴動闘争を反戦派労働者が巨大な規模で街頭で武装決起したことで「二つの11月」を勝利的に打ち抜いた。この思想と力でスターリン主義や民同の支配をのりこえ、革命的共産主義の党と階級本隊の強固な結合を形成していった。階級闘争・労働運動全体を根底からつくり変えていく条件を切り開いた。
 もはや国家権力にこの決戦を抑え込む力がなかった。そこで革共同を破壊するために国家権力が使ったのが反革命カクマルである。革共同は革命を守るために、二重対峙・対カクマル戦争に突入していった。
(写真 「ベトナムへの戦車輸送阻止」を掲げ相模補給廠正面ゲート前をデモする中核派の隊列【72年5月】)

 78年ガイドライン締結

 75年に米帝はベトナム戦争に敗北した。74〜75年世界恐慌とともに帝国主義の戦後発展はここに終了し、米帝は新自由主義に突進していく。
 米帝は、日帝に対してこれまでは、米軍基地の供与を基本にしてきたが、米帝の世界的地位の相対的低下は明らかであり、日帝に対する要求を高めた。それが78年「日米防衛協力の指針」(ガイドライン)の締結である。
 米帝はベトナム戦争敗北後のアジア戦略の立て直しを、米軍事力を補完するものとして日帝軍事力を徹底的に動員するものと位置づけた。日米軍事演習が堰を切ったように進んだ。
 栗栖自衛隊統幕議長は、「これで安保に魂が入った」と言った。78年は、日帝にとって対米軍事同盟関係でも国内防衛体制でも新たな段階に入った「防衛元年」と称している。日帝は米帝の日米安保強化の要求をテコに日帝軍事力の増強を図った。
 80年代は、アメリカのレーガン、イギリスのサッチャー、日本の中曽根の新自由主義攻撃が満展開した。中曽根は、新自由主義攻撃の一環として軍事面においては、レーガンの宇宙大軍拡に呼応した対ソ戦略を展開した。「シーレーン1000カイリ防衛」、「日本列島浮沈空母」を叫び軍事力の増強を進めた。最大の狙いは核ミサイルを搭載したソ連原潜の探知であった。津軽海峡、宗谷海峡を通過するソ連原潜を、海上自衛隊の潜水艦で海中から、P3C対潜哨戒機で空から探知活動を展開した。

 93〜94年朝鮮半島危機

 90年代は、91年1・17イラク・中東侵略戦争(湾岸戦争)に始まる。米帝は多国籍軍の派遣を提唱し、自らは60万人の米軍を送った。
 米帝は、この湾岸戦争に自衛隊の掃海艇派遣を求めた。日米安保を結ぶ軍事同盟国として初めての海外派兵を要求した。憲法9条を踏みにじることを要求するもので、日帝は大混乱に陥り、日帝は130億jの戦費拠出で済まそうとしたが、米帝などの非難は強く湾岸戦争の終了後に掃海艇を送るというペテン的な対応をとった。
 91年12月、戦後世界体制における帝国主義とスターリン主義の対峙・対決体制の一方の主軸であるソ連が崩壊した。対ソを柱にしていたNATOや日米同盟の存在意義が問われた。米帝を基軸とする帝国主義の対ソ対決の軍事体制の大幅な再編が始まった。世界は大軍縮に突入した。
 米帝は、80年代のレーガン大軍拡により膨大な財政赤字と経常赤字を抱えていた。クリントン政権は、経済重視を掲げ、軍備縮小、兵員の削減、軍事予算の大幅削減を行った。欧州のドイツの在留米軍の大幅削減、韓国の駐留米軍も削減した。約50万人の米兵が削減された。米軍の再編が進んでいた。
 危機を深めたのは北朝鮮である。これまで後ろ盾にしていたソ連が崩壊した。軍事援助はもとより経済援助などソ連の援助なくしては成り立たない体制だった。重大な危機を乗り切るために北朝鮮は、核開発に踏み切った。
・93年3月 NPT(核拡散条約)から脱退宣言
・94年5月 核燃料棒の抜き取り開始
・同年6月 IAEAからの脱退を発表。カーター元大統領が訪朝、核開発の停止で合意。危機は終結
 米帝クリントンは、核開発の阻止を掲げて北朝鮮に対する侵略戦争を構えた。この侵略戦争は、寧辺にあるプルトニウム製造用の原子炉を空爆し破壊することを目的にしたものであったが、それで終わるはずはなかった。
 空爆が行われれば、当然にも軍事境界線(38度線)を境に南北の大砲やロケット弾が飛び交い、「ソウルが火の海になる」「ピョンヤンも火の海になる」全面戦争を不可避としていた。朝鮮戦争の再来になることは必至だった。そんなことは北朝鮮の人民も韓国の人民も絶対に認めることはできないことだった。
 クリントンから、北朝鮮核施設爆撃について同意を求められた当時の金泳三韓国大統領は、「米国が北朝鮮を軍事攻撃すればソウルは『火の海になる』」と言い、「その場合、韓国軍65万軍隊の1人も戦闘に送らない」と猛然と反対したという。
 ここには、朝鮮侵略戦争が始まれば急速に経済成長を果たしてきた韓国の経済・社会が破壊され尽くしてしまうことの恐怖があった。
 そして決定的なことは、韓国の民主労組の労働運動が前進し、87年労働者大闘争を経て、90年に全労協を結成し、95年の民主労総の結成に向かってうなりを上げて前進していた。韓国のブルジョアジーに対する総反乱の情勢があった。とても朝鮮侵略戦争などできる情勢ではなかった。金泳三はそれを恐れた。民主労組の労働運動が戦争を阻止したのだ。
 さらに、94年当時の米韓両軍の朝鮮戦争計画「5027」によると、米本国から兵員50万人、艦船200隻、航空機1600機を動員する計画になっていた。
 その中継・補給・兵站基地としてあてにしていた日本に朝鮮侵略戦争の対米支援の態勢がまったくないことが分かったからだ。
 ここには動労千葉を最先頭に国鉄闘争が日本階級闘争を牽引して闘っており、国鉄闘争支援陣形が自治労、日教組など公務員労働者の間に岩盤のように存在していた。それが戦争反対、改憲阻止の勢力を形成していた。

 ナイ・レポート

 米帝の側から、こうした日米安保の現状を朝鮮侵略戦争のために反動的に突破する「日米安保の再定義」の攻撃が始まる。
 95年2月のナイ・レポートは、「米国は21世紀においても太平洋国家であり続ける」、さらに日米安保を「アジアの要」と位置づけ、東アジアに米軍10万人―日本に4万7千人の体制が不可欠である」とする。在日米軍基地は米帝のアジア・太平洋支配にとって決定的であり、沖縄の米軍基地の維持と強化を強調している。北朝鮮問題での軍事力行使の体制の必要を押し出し、主力は米軍、補完力としての日帝と役割分担を位置づけている。

 沖縄の少女暴行事件と「普天間返還」合意

 95年9月4日、沖縄で米兵による少女暴行事件が起きた。沖縄の労働者人民の怒りが爆発し、10・21沖縄県民大会には10万人が大結集した。沖教組、高教組の労働組合が牽引した。沖縄の怒りは燃え盛り激化する一方であった。
 社会党の村山首相(94年6月〜96年1月)は、沖縄の怒りに吹き飛ばされた。日米安保堅持、自衛隊合憲を日帝に誓約して首相になった村山は、耐えきれず退陣し、社会党を解党した。55年体制は名実ともに崩壊した。
 村山に代わって首相になった橋本(96年1月)とモンデール駐日米大使は、96年4月12日に共同記者会見を行い、沖縄県の米軍普天間基地を5ないし7年以内に日本に返還することで正式に合意したと発表した。
 「普天間基地の返還」、それは沖縄の怒りを抑え込む為の大ペテンであった。その怒りは今なお「普天間基地即時撤去、名護新基地建設阻止」の闘いとして続いている。
 第8項日米安保共同宣言と新ガイドライン
 96年4月17日、日米両政府は、日米安保共同宣言を発表した。これはナイ・レポートを日米が実行していく宣言であった。沖縄基地強化、朝鮮侵略戦争を共同して遂行する宣言であった。
 97年9月23日、日米新ガイドラインが締結された。朝鮮侵略戦争を遂行する日米共同の作戦計画である。
 米帝の朝鮮侵略戦争を周辺事態と称して、その際の日本全土での空港・港湾での受け入れ体制、朝鮮半島に出撃する米軍に対する後方支援(武器・弾薬の輸送など)、難民対策、朝鮮半島からの米国人、日本人の退避などであった。それを実行に移すために必要な法律(有事立法)が次々に国会に提出された。
 こうした情勢に対して動労千葉は、有事立法反対闘争の先頭で闘い抜いた。
 全国労組交流センターは、89年の総評解散、連合結成という事態に当たり、動労千葉の中野洋委員長と元中立労連議長の佐藤芳夫さんの呼びかけによって「総評労働運動の継承ではなく、これをのりこえる」(佐藤芳夫)ものとして結成された。
 91年には、湾岸戦争勃発の戦争の危機のなかで、反戦共同行動委員会を結成した。
 94年には、動労千葉の呼びかけで「大失業時代に抗する労働運動を!」「反戦・反侵略 差別・排外主義と対決する労働運動を!」「国鉄闘争を水路に、連合路線と対決する労働運動をつくりだそう!」「村山自社連立政権打倒! たたかう労働者の党をつくりだそう!」の四つのスローガンを掲げて「たたかう労働運動の新しい潮流をめざす9・18労働者集会」が開催された。これが新潮流運動の原点であり、労組交流センターは「四つのスローガン」を自らの路線とし、自らを「新潮流運動の担い手」と位置付けてきた。有事立法反対闘争を労働組合の最先頭で闘い抜いた。
 98年には、全日建運輸連帯労組関西生コン支部、全国金属機械港合同という、現在も最も原則的かつ戦闘的な労働運動を闘いぬく二つの労働組合とともに、「闘う労働組合の全国ネットワーク」を呼びかけた。

 01年9・11反米ゲリラ戦争

 01年9月11日、巨大な反米武装闘争が米帝中枢を直撃した。米帝の過酷な中東支配に対するムスリム人民の決起だった。
 米帝ブッシュは、「対テロ戦争」を宣言し、直ちにアフガニスタン侵略戦争に突入した。
 次にブッシュは、イラクのフセインが「大量破壊兵器を隠し持っている」とデッチあげて03年3月、イラク侵略戦争に突進した。しかしイラクには大量破壊兵器などなかった。ブッシュ政権中枢の全世界を巻き込んだ詐欺行為に基づく侵略戦争だった。
 イラク侵略戦争とは最末期帝国主義の絶望的延命をかけた新自由主義の戦争だった。新自由主義による民営化攻撃が行き着いた社会的腐敗の極致として、軍隊と戦争までが民営化され、営利目的になり「戦争ビジネス」が誕生し、恐慌下・大不況下での金融資本と軍事産業の莫大な金儲けの手段になっていた。戦争それ自身がビジネス、営利事業となったのだ。イラク侵略戦争は戦争民営化の実験場であった。
 日帝は、アフガニスタン侵略戦争についてはインド洋での監視・給油活動に海上自衛隊の護衛艦を派遣し、イラク侵略戦争では、陸上自衛隊をサマワに派遣、航空自衛隊をクウェートの基地に派遣した。憲法9条を公然と踏みにじる侵略戦争への参戦であった。イラクに派遣される陸自部隊は、米軍さながらのゲリラ掃討戦の訓練をして、イラクに向かった。
 動労千葉は、イラク開戦から1週間後の03年3月27日、世界の労働者との連帯の思いを込めて、イラク戦争反対、有事立法制定阻止、労働法制改悪(全労働者を不安定雇用化し、解雇の自由を法制化するもの)阻止を掲げてストライキに突入、30日まで90時間にわたる闘いを貫徹した。
 03年の3労組(関西生コン支部・港合同、動労千葉)主催の11・9労働者集会は、アメリカからILWUローカル34代表、「タフト・ハートレイ、抑圧と民営化反対キャンペーン」代表、UTU労働者、韓国から民主労総ソウル本部を招いた日・米・韓の国際連帯集会に発展し、労働運動全体に大きなインパクトを与えた。
 動労千葉は、04年春闘にも3波にわたるストライキに立ち上がった。イラク戦争反対―有事立法制定反対の闘いの最も中心的な役割を果たした陸・海・空・港湾労組20団体や、とめよう戦争への道百万人署名運動とともに、イラク開戦1年の04年3・20国際反戦行動では、ナショナルセンターの違いを超えた労働者の大統一行動を日比谷公園に6万人の結集で実現することができた。03〜04年の両国会で戦争遂行のための有事立法の成立を弾劾し、憲法改悪を強行する動きに対して闘ってきた。
(写真 春闘ストライキを決行し、イラク戦争反対を掲げてデモに立つ動労千葉【03年3月29日 東京・渋谷】)

 「日米同盟・未来のための変革と再編」

 日米両政府は、05年10月に「日米同盟・未来のための変革と再編」を公表した。
 これは9・11情勢に対応する「米軍の変革」と「前方展開態勢の見直し」であった。
 「変革」とは世界各地で起こる予測困難な反米ゲリラ戦争に対処するために、先端技術の導入などにより米軍の即応展開能力を増強し、戦術及び戦略もゲリラ戦争に適したものへと変更しようとする試みである。
 「態勢見直し」は、ドイツや韓国への大規模な地上兵力の配備を削減すると同時に、米本土から「紛争地」へと迅速に兵力を投入しようというものだ。また態勢見直しは、米軍の再配置のみならず、同盟国の役割拡大や、共同訓練等を通じた同盟国軍の変革の支援等も目標としている。
 日本を、その最大の拠点に据えることだ。
・中国を主敵に軍事態勢を再編し、日米共同作戦の範囲をアジア・太平洋―世界に拡大した。朝鮮半島、中国、アフガニスタン、イラク、ソマリアも対象となった。
・米軍と自衛隊の融合を図ろうとしている。「一緒に訓練し、一緒に出兵し、一緒に生活する」をモットーとしている。
・前線司令部を設置し、日本を不沈空母に、座間に米陸軍第1軍団司令部移駐、岩国・佐世保も空母の拠点に、横須賀に原子力空母「ジョージ・ワシントン」を配備する。日米の司令部の統一を狙っている。
・沖縄基地を恒久化し「戦場の島」にする。最大の攻撃は名護新基地の建設である。
 こうした中で、沖縄では、「新自由主義と闘う沖縄闘争」が前進している。
 72年のペテン的「沖縄返還」自体が、沖縄の基地労働者の闘いをつぶすための新自由主義攻撃であった。日帝の新自由主義攻撃と闘うことが、沖縄闘争の勝利の道であるとはっきりさせた。米軍基地問題とは基地労働者問題であり、全駐労労働運動の再生は新自由主義との闘いそのものである。それに勝利する道は国鉄決戦であり、動労千葉労働運動・階級的労働運動の実践である。党と労働組合の一体的建設である。この道筋を通して沖縄の労働運動をよみがえらせていく闘いが必死に闘われている。

 米新軍事戦略・集団的自衛権・改憲

 大恐慌の本格化の中で、帝国主義間・大国間の相互つぶし合いの大争闘戦時代へ突入している。
 特に米帝のTPP(環太平洋経済連携協定)を軸とする帝国主義的ブロック化政策が、日帝と世界を揺さぶっている。TPPで他の帝国主義を追いつめ、自らを輸出国家として再建し、米製造業を他を圧倒するものに再建し、他国の勢力圏を奪い、絶対的強者として米帝を再生させることを強烈に打ち出している。
 そのために対中国の新軍事戦略を立て、中国を包囲・制圧し、軍事重圧を加え、ソ連の時のように変質させ解体することを狙っている。中国スターリン主義を解体し、四分五裂させ、巨大市場を独占しようとしている。TPPは、そうした帝国主義的な通商政策であり、安保・軍事政策と一体のものである。
 TPPは、対日争闘戦である。日帝をTPPの米帝式ルールに取り込み、日帝の内外の勢力圏、権益に割り込み、奪い取ろうというものだ。日帝は、米帝のその意図を百パーセント承知しつつ、その枠内でその帝国主義的権益を死活的に追求していく以外にない。日米のつぶしあいの死闘戦が展開されている。
 日帝はこの死闘戦に遅れを取らないために、最大の弱点になっている安保防衛政策ですさまじい反動的飛躍を求められている。
 戦後憲法体制の全面的改変(改憲)、集団的自衛権の行使の容認、武器輸出三原則の緩和などの反動的転換への踏み切りの根拠がある。沖縄の辺野古新基地建設強行への突進がある。ここでは集団的自衛権と改憲に的を絞る。

 安倍を警戒するオバマ

 米帝は日帝の集団的自衛権の行使をこの間求めてきた。
 00年に、米帝の対日政策を一貫して提言しているアーミテージは、「日米同盟は米英同盟をモデルとし、集団的自衛権を行使するべきだ」と述べた。04年夏には、「日本が安保理常任理事国を目指すならば憲法改正が望ましい」と発言した。
 そして12年8月のアーミテージ・ナイ報告は次のように言っている。
 3・11「トモダチ作戦」について、「自衛隊と米軍は集団的自衛の禁止規定に注意することなく行動した」と。その意図は憲法9条的な制約を気にすることなく軍事的に必要なあらゆることができた、これを朝鮮・中国侵略戦争でやろうということだ。
 続けてアーミテージ・ナイ報告は、同時に集団的自衛に関する政策の転換は「より軍事的に攻撃的な日本、あるいは日本の平和憲法の変更を求めるべきではない」と言っている。
 00年代前半のアーミテージとはトーンが変化している。米帝は、日帝の集団的自衛権の行使を求めるが、「より軍事的な日本、平和憲法の変更を求めるべきでない」と、日帝が戦前のように米帝に刃を向けるようなことは絶対に認めないとしている。
 米帝は、「強い日本」を叫ぶ安倍に重大な警戒心を持っている。安倍が改憲を主張することの根底に対米対抗性を感じ取っている。3月の安倍訪米時のオバマの素っ気ない態度がそれを示している。
 米帝は、安倍の中国政策についても警戒している。
 靖国神社に対する安倍内閣閣僚の集団参拝や、魚釣島(尖閣列島)問題で中国とのいたずらな緊張激化政策が、米帝の新軍事戦略の枠外に飛び出したり、コントロールを超えることを警戒している。
 米帝は、対中国の軍事重圧、TPPなどの経済的な包囲などを駆使して、中国スターリン主義の転覆を狙っている。
 米帝は、安倍の韓国についての対応にも不満をつのらせている。米帝は米韓同盟と日米同盟を合わせて米日韓同盟で対北朝鮮、中国侵略戦争の陣形をつくりたいのだ。
 ところが日帝安倍は、独島(竹島)問題、歴史認識の問題、軍隊慰安婦の問題で韓国との対立・緊張をあおり米帝の狙いをぶち壊している。
 安倍は、集団的自衛権の行使を容認し、米帝の侵略戦争に全面参戦の道を開き、次に改憲をして国防軍を設置し、対米の発言力を強めようと目論んでいる。国防軍とは「天皇の軍隊」だ。それは、軍事面においても日米対立を激化させ、ゆくゆくは日帝を破滅させる道だ。

 国際連帯で改憲阻止を

 集団的自衛権の行使の容認に反対し、改憲に反対する闘いは、60年安保、70年安保沖縄闘争をはるかに上回る空前の大闘争となって大爆発する。大失業と戦争に対する怒りはすさまじい。非正規職化と原発に対する怒りはすさまじい。そして日本階級闘争の基軸に国鉄決戦と反原発決戦が存在しているからだ。新自由主義と対決する階級的労働運動が一切を決める。そして日米韓の国際連帯も進んでいる。日米韓3国の労働者階級が米帝や日帝、韓国ブルジョアジーの前に立ちはだかっている。
 10年11月23日に北朝鮮から韓国・延坪島に砲弾が撃ち込まれ、双方の砲撃戦になった。
 その時、現代自動車の非正規労働者は「戦争は南北間で延坪島で行われているのではなく、この蔚山で現代自動車と非正規職労働者の間で行われている」と喝破した。
 工場占拠闘争に立ち上がった現代自動車の非正規職労働者は、敵は北朝鮮ではなく、目の前にある韓国資本と非正規職労働者の間にある、と言い切った。労働者の真の敵はブルジョアジーだ。これが労働者の階級的なものの見方である。
 現代自動車資本との壮絶な非和解の絶対反対の闘いの実践からこの言葉が発せられている。
 また10年3月26日、韓国の哨戒艦が沈没した事件が起きた。李明博大統領は、金大中、盧武鉉政権の10年間にわたる太陽政策を攻撃し、独自制裁など強硬策を訴えた。統一地方選挙前に「与党圧勝ムード」が漂っていた。
 ところが6月4日の選挙の結果は与党の大敗だった。若者に人気の高い文化人や芸能人が、投票日直前からツイッターで投票を呼びかけ、締め切り直前に100万人を超す若者が投票し、形勢を大逆転した。「戦争に行きたくない」との思いからだった。
 世界の労働者はひとつである。同じ立場にある。同じように搾取・抑圧されている。どこの国でも敵は資本家階級である。万国の労働者は団結して資本家階級のための戦争に反対しよう。
 こうした労働者階級の資本との闘い、国家権力との闘い、そして国際連帯の闘いが戦争を止める。
 日本でも戦後革命があり、60年安保闘争があり、70年安保・沖縄決戦があり、その偉大な地平の上に、反革命カクマルとの戦争を戦い、中曽根の新自由主義攻撃に対して動労千葉を先頭とする国鉄決戦、三里塚決戦を闘い抜いてきた。
 今日、大恐慌、新自由主義の破綻、3・11情勢のもとで、国鉄決戦と反原発決戦が大爆発している。
 そして参院選における山本太郎さんの当選は、新たな時代を象徴するものだ。巨万の労働者人民の総決起する時代の到来である。学生運動も60年、70年闘争を上回る大闘争に発展していく。
 安倍の改憲攻撃は日帝の墓穴を掘ることに必ずなる。
 国鉄決戦・反原発決戦で安倍打倒・改憲阻止をかちとり、全世界の労働者階級の膨大な決起と一緒になり、世界革命を目指す時代に突入していこう。
(写真 日米韓独の労働者が「反原発・反失業の国際統一行動を」を掲げてデモ【12年11月4日 東京・銀座】)

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月刊『国際労働運動』(445号4-1)(2013/09/01)

Photo News

■Photo News

 ●エジプトで第2革命始まる

  (写真@)

  (写真A)

 (写真B)

  (写真C)

 2012年6月のムルシ政権成立から1年目の今年の6月末から7月にかけて、エジプト労働者階級の空前の決起が開始された。6月30日のデモは全国でなんと1700万人の労働者がムルシ打倒の抗議デモや集会を行った。首都カイロでは、タハリール広場は2011年の2月革命時を超える100万人以上の労働者人民が結集した (写真@)。多くの労働組合員もこの闘いに参加した (写真A)。エジプト第2の都市、アレキサンドリアでもムルシ政権打倒の烈しいデモが行われた (写真B)
 第2革命不可避の情勢を見てとった米帝とエジプト支配階級は、軍によるクーデターという反革命的手段に訴えた (写真C)。だが、軍の暴力支配の下での暫定政権の政策はムルシ政権とほとんど変わりないものであり、労働者階級の怒りが再度爆発することは不可避だ。エジプト革命は完全に第2段階に入った。

 ●ブラジルで新自由主義打倒へ歴史的決起

  (写真D)

 (写真E)

  (写真F)

 (写真G)

 新自由主義政策を全面展開する政府と資本家階級に対する労働者階級の怒りは、ついにブラジルでも爆発した。交通料金の値上げに反対する闘いを契機として、この10年間蓄積されていた労働者階級の新自由主義政策に対する怒りは一挙に爆発した。6月20日にはサンパウロ (写真D)、ブラジリア (写真E)、リオデジャネイロ (写真F)など全国300の都市で120万人が抗議デモに参加し、交通料金の値上げを撤回させた。この闘いは、2003年以来のルラ政権、ルセフ政権の新自由主義政策にノーをたたきつける歴史的闘いとなり、ブラジル革命に向かって巨大な地平を切り開くものとなった。この闘いには、動労千葉と国際的に連帯して闘っているコンルータスも最先頭で参加している (写真G)

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月刊『国際労働運動』(445号5-1)(2013/09/01)

世界経済の焦点

■世界経済の焦点

安倍・黒田の金融緩和策

財政破綻と金融恐慌の同時的爆発へ

 安倍政権―日銀・黒田による超金融緩和策の全面的破綻が目に見えて始まっている。長期金利はコントロールできず、株価は暴落し乱高下を繰り返している。金融市場全体が大崩壊の渦中にある。
 しかし、米欧帝国主義による死闘的な金融緩和競争下での脱落帝国主義・日帝にとって、どんなに破滅的で絶望的であろうが、後戻りはできず、この道を突っ走っていく以外にない。
 この空前の超金融緩和策は世界大恐慌の決定的段階への引き金となる。すさまじい金融バブルとその大崩壊、国債暴落による国家財政破綻と金融恐慌の同時的爆発という大破局への道だ。

 事実上の「財政ファイナンス」

 日銀・黒田は就任後初となった4月4日の金融政策決定会合で、自ら「量的・質的緩和」と称する超金融緩和策に踏み込んだ。「やるべきことはすべてやる」「戦力の逐次投入をせず、現時点で必要な政策をすべて講じた」(黒田)と言うように、政府・財界の要求に全面的に応えるものだ。
 緩和策の内容は、
 @消費者物価2%上昇の「物価安定の目標」を、2年程度の期間で実現する。
 A金融市場調節の操作目標を、政策金利からマネタリーベース(市中の現金と日銀当座預金の合計)に変更し、年間約60〜70兆円増加させ、2年間で2倍にする(12年末138兆円→14年末270兆円)。
 B長期国債を保有残高が年間約50兆円増加するペースで買い入れる(毎月の長期国債の買入れ額は7兆円強)。また長期国債の買入れ対象を40年債を含む全ゾーンの国債とし、買入れの平均残存期間を現状の3年弱から7年程度に延長する。
 Cリスク資産であるETF(上場投資信託)、J―REIT(不動産投資信託)の買入れの拡大。
 D銀行券ルール(日銀が保有する長期国債残高は、銀行券発行残高を上限とする)の一時適用停止。
 財務省が毎月発行する国債の7割にあたる分を、日銀が買い取るのである。そして、13年間で2倍に増えたマネタリーベースを2年間で2倍にするという歴史的な大規模緩和である。
 そもそも日銀はすでにこの10数年にわたって巨額の金融緩和策を展開してきた。97〜98年金融恐慌に対するゼロ金利政策から量的緩和策。08年リーマン・ショックに対して10年から開始した包括緩和=国債買い取り政策は、最終的には国債買い取り等基金の総額は101兆円、買い入れ枠は76兆円程度(残存期間1〜3年の長期国債は44兆円)まで拡大した。
 しかし、「デフレ」として表現されている長期大不況から脱却できず、のたうちまわる中で、とにかく緩和の規模を巨大化することで突破しようという絶望的政策に踏み出したのだ。中央銀行としての「節度」や歯止めをかなぐり捨てて、政府・財界の要求のままに大量のマネーを流し込み、インフレ化を自己目的化して、事実上の「財政ファイナンス」(日銀の国債直接引き受け)に突っ込んだのだ。

 信用崩壊で資金は回らず

 この緩和策を通して、長期金利を下げ、設備投資やリスク資産への投資を活性化させるというのが日銀の狙いであった。
 しかし実際には長期金利は乱高下し、緩和前の水準で高止まりした。緩和策発表翌日の4月5日には一時0・315%の史上最低水準を付けたあと大幅上昇し、7月後半も0・8%台で高止まりしている。先物市場では幾度もサーキットブレーカー(1日の制限値幅を超えた値動きによる一時的取引停止措置)が発動されるなど、長期金利の変動幅が急拡大し、恒常的に不安定化した。
 長期金利の上昇に合わせて、住宅ローン金利(大手銀行の期間10年型固定ローンの最優遇金利)は5月から3カ月連続の上昇(1・30%→1・70%)。企業向け融資の指標となる長期プライムレート(優遇貸出金利)も上昇(4月1・20%→6月1・30%)してしまっている。
 ここには世界大恐慌の深刻性があり、日帝における信用崩壊という絶望的現実がある。
 08年リーマン・ショックの爆発にうちのめされた帝国主義各国は、必死になって未曾有の恐慌対策を展開した。それによってすべての帝国主義国で財政破綻問題が全面化し、ギリシャ危機を発端にした欧州債務危機、米帝「財政の崖」問題が大恐慌の第二波となって襲い掛かっている。恐慌対策としての財政政策がうてなくなる中で、金融政策以外に追求できなくなり、すさまじい金融緩和競争に突っ込んでいる。日本帝国主義においては欧米以上の財政破綻の現実があり、金融緩和にのめりこむ以外にないのだ。
 しかし、金融政策ではバブルは生み出せても、過剰資本・過剰生産力状態が解決できずに横たわっている中で、それを突破していくことはできない。特に日帝においては、どんなにマネーを流し込んでも、信用が崩壊してしまっている。だからどんなに金融を緩和しようが、それで経済を好回転させていくことなどできない。
 日銀に長期国債を売却した民間銀行は、売却資金を日銀当座預金から引き出さずに預けているだけで新たな投資には向かわない。家計や企業が民間銀行に預けた資金が日銀の当座預金に再び預けられ、その資金が日銀による長期国債買い入れを支える。当座預金の増額でマネタリーベースは拡大しても、「家計・企業→民間銀行→日銀」と資金が一方通行で流れているだけなのだ。

 新自由主義のもとで金融バブルが拡大

 74〜75年恐慌で過剰資本・過剰生産力問題と戦後世界体制の崩壊に直面した最末期帝国主義、その絶望的延命形態としての新自由主義は、金融規制の緩和・撤廃による金融的膨張(と労働者階級への搾取・収奪の極限的激化)に突き進んだ。だから新自由主義経済においては、供給された通貨は商品には向かわず、金融・投機に吸収される。これが資産バブルを生み出す。超巨額の緩和マネーが生み出すのはとんでもないバブル経済化だ。
 日銀からの膨大な緩和マネーのもとで金融市場がバブル化し、ヘッジファンドなど海外投資家の投機的資金が膨大に流れ込んでいる。株価が急上昇していた4〜5月は債券から株式への資金の流れというようなことが言われていたが、実際には生損保、年金基金、銀行など国内機関投資家のいずれも株式投資は増えていなかった。
 6月14日付朝日新聞の記事によれば、ヘッジファンドをはじめ海外投資家の巨額のお金が日本の株式市場に流れ込み、5月23日の大暴落時には、1週間前から売り始める準備を周到に進めていたという。 第4章 国債市場の投機化で国債大暴落が現実化
 さらに決定的なことは、黒田の金融緩和が国債市場を投機化し破壊したことだ。日本国債の購入割合は、銀行や生保など国内投資家が圧倒的で海外投資家は1割程度だが、先物市場では外国人投資家が大部分を占めている。緩和策発表以降、先物市場が激しく動き、それと連動して現物市場も乱高下した。
 長期金利の変動率は急上昇し、不安定化して、国債が安定的に運用できる資産ではなくなった。リスク上昇がさらなる売りを呼び、ますます不安定化する事態になっている。国債大暴落へと進み始めた。黒田の緩和策自身、もともとその原型は、日本国債が暴落し金利が急騰する「Xデー」に日銀が行うべき緊急措置として、自民党の政務調査会財務金融部会が提示していたものだった(11年6月「X―dayプロジェクト報告書」)。現実の国債暴落時にうてる策はもはやないということだ。
 何よりも国債暴落となれば、一方では国家財政がどうしようもない破綻に陥り、他方では国債を大量保有している金融機関(メガバンクから地銀まで)が経営危機に転落する。
 3大メガバンクだけで国債を約120兆円保有している。特に地銀や信金は、貸し出しの基礎となる中核的自己資本に占める長期国債の比率が、大手銀行よりも高い。そのため日銀の試算によると、日本の国内金利が一律1%上昇した場合の国債価格下落による損失は、大手銀が合計で約2兆円(中核的自己資本の約10%)であり、地銀にいたっては約7兆円(同35%)、信金は6兆円(同30%強)に達する。銀行の連鎖的破綻が現実化する。
 国家財政破綻と金融恐慌が同時爆発するという未曾有の事態だ。97〜98年金融恐慌のときには、銀行への公的資金投入や株式買い取りなど国家が総力で救済したが、今回はそんなことはできない。リーマン・ショックやギリシャ危機など欧州債務危機をもはるかに超える巨大な破局に転落するのだ。
これは世界大恐慌を決定的段階にたたき込んでいく。黒田の金融緩和は、大恐慌の本格的爆発への道を開いたのだ。
 大恐慌の本格化は大失業と戦争であり、階級戦争の激化である。全世界の革命情勢の先頭で、日本階級闘争の前面に労働組合とストライキを登場させ、日帝・安倍政権を打倒しよう!
 (諸岡鉄司)
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 政府・日銀の金融緩和の歴史

〈97〜98年 アジア通貨危機−金融恐慌〉
99年2月 日銀がゼロ金利開始
 ※98年に世界最低の金利水準に突入
00年8月 日銀がゼロ金利終了
01年3月 日銀がゼロ金利・量的緩和開始
06年3月 量的緩和終了
06年7月 日銀がゼロ金利終了
〈08年9月 リーマン・ショック〉
 ※08年11月 FRBが量的緩和=QE1
  (〜10年3月)
08年12月 日銀・FRBがゼロ金利開始
10年10月 日銀が量的緩和など「包括緩和」
      開始
 ※10年11月 FRBがQE2(〜11年6月)
 ※11年12月、12年2月 ECBによる
  LTRO(3年物低利融資)
12年2月 日銀が物価安定のめど(当面1%)
     導入
 ※12年9月 FRBがQE3
 ※12年9月 ECBがOMT(短・中期国債買い切りオペ)
13年1月 日銀が2%の物価上昇率目標導入
13年4月 黒田の新たな量的・質的緩和策

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月刊『国際労働運動』(445号6-1)(2013/09/01)

世界の労働組合

■世界の労働組合 韓国編

韓国労総

 韓国労総(韓国労働組合総連盟)は民主労総と並ぶ韓国のもう一つの労働組合ナショナルセンター。組合員数は、2012年発表の韓国政府統計によると約76万9千人。

 ■韓国労総の前史

 韓国労総の前身ともいえる大韓労総(大韓独立促成労働総同盟)の結成は1946年3月10日。その前年の8月15日に朝鮮人民は日本帝国主義による植民地支配からの解放をかちとり、労働運動が活発化する中で左派は同年11月5
日に早くも全評(朝鮮労働組合全国評議会)というナショナルセンターを結成していた。大韓労総は、この全評に対抗するために労使協調を掲げてつくられた組織であり、反共政治団体としての性格が強かった。
 1946年9月と47年3月に闘われた全評の第1波、第2波ゼネストに対し、大韓労総は米軍政と一体となって武装襲撃をしかけた。その後、全評は激しい弾圧の中で48年8月、韓国政府によって非合法化され解体に追い込まれ、以後、70年代に民主労組運動が台頭するまで韓国の労働運動は大韓労総系の右派に握られる。
 1955年には、労働組合であるにもかかわらず李承晩政権与党の政権与党の自由党に統合する。大韓労総のこうした路線に反対する埠頭労組、鉱山組合、紡織組合などが分裂し59年に全国労協を設立する。
 1960年4・19学生革命によって李承晩政権が打倒されたのを契機に、低賃金や劣悪な労働条件に対する労働者の怒りが解き放たれ、デモや争議が相次ぎ、労働組合の民主化要求も高まる中、1960年11月に大韓労総と全国労協が統合して韓国労働組合総連盟(韓国労総)が結成された。

 (パクチョンヒ)■朴正煕政権と韓国労総

 労働者・民衆の闘いの前進に危機感を抱いた陸軍少将・朴正煕は1961年、5・16軍事クーデターで政権を掌握。戒厳令を布告して韓国労総を解体し、数百名の組合幹部・労働運動家を逮捕した。その上で同年8月に中央情報部が、大韓労総や全国労協を担ってきた活動家の中から9人を指名して「韓国労働団体再建組織委員会」をつくらせ、上からの労働者組織化を図る。まず14の「産別労組」(鉄道、繊維、鉱山、電力、米軍基地など外国機関、郵便、運輸、海商、金融、専売、化学、金属、埠頭など)がつくられ、それまで零細職場ごとに組織されていた単組を産業別に再編。それらの連合体として61年8月30日に改めて、今日につながる韓国労総がつくられた。
 韓国労総は、朴正煕政権が1971年12月に「国家非常事態宣言」と「国家保衛に関する特別措置法」(団体交渉権と団体行動権の停止)を出すと、これを支持し、1987年の民主化闘争に際しては、全斗煥(チョンドゥファン)政権の4・13護憲措置(大統領直接選挙制への改憲を拒否)を支持した。

 ■動揺と屈服を繰り返す韓国労総

 このように政権の太鼓持ち役を担ってきた韓国労総であるが、労働者の組織である以上、傘下労働者の存在を無視することはできず、時の政権の反労働者政策に対し絶えず動揺を繰り返してきた。
 1996年12月、金泳三(キムヨンサム)政権下の国会が労働法改正案(複数労組禁止、第三者介入禁止、政治活動禁止を廃止する代わりに整理解雇制、勤労者派遣制、変形勤労時間制を制定)を強行採決したことに対し民主労総は4波にわたるゼネストを打つが、韓国労総もこれに同調しゼネストを打ち、韓国労総史上最大の闘いとなった。
 2003年2月に発足した盧武鉉(ノムヒョン)政権が立法予告した非正規職関連法に対して韓国労総は、労使政委を脱退し「拙速通過阻止」を掲げてゼネストを打つも、その後、譲歩して労使政委に復帰。非正規職組合員の相次ぐ脱退を招いた。また、労使関係先進化案(複数労組許容・交渉窓口単一化および専従賃金支給禁止)に対しても、阻止闘争を表明したものの「3年猶予」で合意した。
 2007年12月の大統領選挙に際しては、李明博(イミョンバク)候補への支持を早々に表明するが、その後、複数労組窓口単一化と専従賃金支給禁止の強行を狙う李明博政権の姿勢が明らかになるや、「死活をかけた闘争」を宣言しゼネストを決議し、民主労総に共同闘争を提案。与党・ハンナラ党本部占拠闘争まで行ったが、すぐに政府および使用者団体との対話に傾きゼネスト方針を撤回した。こうした韓国労総の態度に対しては、傘下労組から批判が突き付けられた。(専従賃金支給禁止は2010年7月施行)
 2011年7月に複数労組制が施行されて以降、韓国労総傘下の労組が存在する事業場でも会社側労組が続々とつくられ、民主労総、韓国労総を問わず労組つぶしの攻撃に直面している。
(写真 民主労総と韓国労総が共同で開催した「労働法・安企部法の無効化と民主的労働法改正に向けた全国労働者大会」の壇上で手を結ぶ権永吉・民主労総委員長と朴仁相・韓国労総委員長【1997年1月26日】)

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月刊『国際労働運動』(445号7-1)(2013/09/01)

国際労働運動の暦

■国際労働運動の暦 9月18日

■1931年柳条湖事件■

中国侵略の大転換点

「満蒙は日本の生命線」論に屈服し戦争協力した社会民衆党と総同盟

 柳条湖事件は、1931年9月18日、中国東北部で関東軍(日本の侵略軍)が起こした謀略的な侵略事件である。日清・日露戦争、第1次世界大戦で領土、植民地を拡大してきた日帝は、さらに中国東北部を略奪する目的を持って、柳条湖で満鉄線の爆破を強行、これを中国側の犯行と称して軍事行動を起こし、占領地を拡大していった。すでに3年前に満州の支配者張作霖を満鉄で爆殺していた関東軍は、再び自作自演の鉄道謀略に走ったのだ。

 ●15年戦争の始まり

 そしてそれは翌年のカイライ国家「満州国」デッチあげから中国侵略戦争の際限ない拡大と、米英帝国主義との激突にいたり、45年8・15まで続いた15年戦争の幕開けだった。
 「満州事変」は軍部が周到に準備したものだった。軍は全国で大小の演説会「国防思想普及講演会」を開き、「満蒙は日本が生きていくための生命線だ。どうしても必要な土地だ。このわれわれのための生存圏を挙国一致で守り抜くことがわれわれの任務だ」と訴えて回った。植民地なしに日本民族は食っていけるかということを真っ向から押し出して、労働者農民を侵略戦争の担い手に組織しようとした。労働者を分断し団結を破壊し、労働運動、農民運動を解体し、総翼賛体制化する攻撃だった。
 中国大陸に侵略していた日本のブルジョアジーはその権益を守るために軍部の侵略を積極的に支持した。侵略戦争の元凶は日本の資本主義そのものだった。9月28日、日本商工会議所は中国の排日運動絶滅を求める「対支時局声明」を決定した。日本工業倶楽部、日本経済連盟など財界団体も侵略戦争を支持した。
 この年、恐慌で失業者は数百万人に上り、東北、北海道の冷害と凶作で生きていけない農民が続出した。労働争議は2456件、小作争議3419件、労働者の組織率は戦前最高の7・9%、組合員数36万人。日本の資本主義は、29年世界大恐慌のもとで危機を深めていた。そしてスト件数に示されるように、闘いの機運は満ちていた。体制危機ののりきりのために労働者を犠牲にする帝国主義権力と資本家どもに目にもの見せる時だったのだ。
 この戦争が資本家階級のための戦争であり、労働者に対する搾取の体制を強めるものであること、「(満州には)広大な沃野が待っている」と宣伝されているが、実はそれは無人の荒野ではなく、中国の農民が耕してきた土地を奪うということであり、当然にも抵抗してくる中国人民と殺し合いをさせられるのだということ、この真実を真っ向から訴えて闘う党と労働組合が求められていた。

 ●「民族の生存権」の名で

 

しかし、当時の労働運動の主流であった総同盟幹部は、完全に中国侵略の強盗の論理に屈服した。10月15日、労働総同盟機関紙「日本民衆新聞」は「民族の生存権」を掲げて中国侵略を支持した。11月22日、社会民衆党中央委員会が「満蒙問題に関する決議」を採択、侵略に加担した。また、合法無産政党である全国労農大衆党は32年2月の総選挙で「服務兵士家族の国家保障」を選挙スローガンに掲げる。出征中の兵士の雇用確保や賃金を要求する形で戦争に協力した。社会民衆党と全国労農大衆党とは32年7月に合同し、社会大衆党を結成した。
侵略戦争の決定的火ぶたが切られたまさにその瞬間に、日本の主要な労働組合と労働者政党が軍部の宣伝をオウム返しに唱和するというとんでもない事態が起こったのだ。
また、日本共産党はどうか。28年3・15大弾圧、翌29年4・16事件で大量起訴された共産党は壊滅的な打撃を受けていた。ただ、弾圧だけで組織が壊滅するものではない。権力からのスパイ攻撃と大量転向、より根本的には綱領的路線的な誤り(翌32年に発表された「32テーゼ」に示されるプロレタリア革命の否定)によって、日帝の侵略戦争、労働者階級の団結破壊の攻撃に対して闘えない組織に転落していたのである。

(写真 柳条湖事件の後、戦線を拡大した関東軍が大興の高地を占領【1931年11月6日】)

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 ●柳条湖事件から「満州国」まで

1931年
9.18 関東軍参謀ら、柳条湖の満鉄線を爆破(「満州事変」始まる)
9.21 関東軍、吉林に出動
9.24 政府、「満州事変」に関し不拡大方針の第1次声明発表
9.28 日本商工会議所、在中国権益擁護・排日運動絶滅を声明
11.18 国際連盟、日本軍の満州撤退案を可決
10.24 政府、満州へ軍隊増派を決定
11.22 社会民衆党、「満州事変支持」を決議
12.13 犬養毅政友会内閣成立

1932年
1. 3 関東軍、錦州占領
1. 7 米国務長官、日本の満州での行動に不承認と声明
1.28 上海で日中両軍交戦(第1次上海事変)
2. 5 関東軍、ハルビンを占領
2.29 国連リットン調査団が来日
3・ 1 「満州国」建国宣言

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月刊『国際労働運動』(445号8-1)(2013/09/01)

日誌

■日誌 2013 5〜6月

5月1日 全国でメーデーを闘う
●東京 動労千葉・動労総連合の呼びかけでJR貨物本社抗議行動と新宿メーデーが連続して闘い抜かれた
●仙台 みやぎ連帯ユニオンなどの呼びかけで「5・1被災地メーデー」が開催され70人が結集した
●広島 怒りのメーデーが復権した。青年を先頭に労働者ら45人が集まり、デモに出発
●岡山 岡大医学部構内集会と岡山駅前街宣・JR支社包囲デモでメーデー行動が取り組まれた
●札幌 国鉄闘争全国運動・北海道は、札幌市の連合メーデーで国鉄10万筆署名に取り組んだ
1日東京 郵政非正規ユニオン、郵政本社に行動
郵政非正規ユニオンは、日比谷公園の全労協メーデーに参加し、日本郵政本社前に30人で登場した
1日広島 連帯ユニオン、江田島事件で抗議
広島連帯ユニオンは、江田島事件で突き出された外国人技能実習生の奴隷的労働実態について、国際研修協力機構広島駐在事務所へ抗議した
8日東京 動労千葉鉄建公団訴訟、結審強行
動労千葉鉄建公団訴訟では、東京高裁第12民事部の難波孝一裁判長が、原告側の証人調べの請求をまさに問答無用に却下し審理終結を宣言した
8日東京 白石裁判長を交代
動労総連合の出向無効確認訴訟第2回口頭弁論が、東京地裁民事第11部(団藤丈士裁判長)で開かれた。前任の白石哲裁判官の裁判長交代に伴う弁論更新が行われた
9日東京 法大「暴処法」弾圧裁判控訴審
法大「暴処法」弾圧裁判控訴審の第3回公判が東京高裁第12刑事部(井上弘通裁判長)で行われた
10日東京 経産省前テント守りぬくぞ
経済産業省前で「訴訟を取り下げろ! 経産省抗議行動」が多くの労働者民衆の参加で行われた
10日東京 6人の学生に謝れ*@大デモ
「武田君への不当処分撤回! 法大当局は不当弾圧を謝れ!」を掲げ、法大包囲デモが行われた
10日東京 首相官邸前で安倍弾劾の声
首相官邸・国会前などで金曜行動が行われた。官邸前でコールが始まった
10日東京 前進社国賠、警視庁の違法捜索追及
前進社国賠訴訟の第12回口頭弁論が東京地裁民事第1部(後藤健裁判長)で行われた
12日群馬 NAZENぐんまを結成
群馬県庁昭和庁舎で行われた「なくそう原発! つながろう福島! 5・12ぐんま集会」に50人が参加し、「NAZENぐんま」結成を宣言した
13日千葉 農地裁判の弁論再開を申し立て
三里塚芝山連合空港反対同盟と顧問弁護団は、市東孝雄さんの農地裁判について新たな証拠に基づいて千葉地裁民事第3部(多見谷寿郎裁判長)に対し、弁論再開の申し立てを行ったと発表した
14日東京 星野ビデオ国賠 証人請求全部却下
星野ビデオ国賠第12回裁判が行われた。新たに着任した山田裁判長は、証人申請をすべて却下する暴挙をなし、次回結審を宣告してきた
16日 赤松副委員長の強制出向うち砕く
動労西日本は赤松賢一副委員長に対する強制出向を粉砕し、JR西日本本体に復帰させた
16日大阪 富田林局の雇い止め撤回へ裁判闘争
富田林郵便局から雇い止め解雇を受けた非正規の仲間3人が大阪地裁堺支部で解雇撤回の裁判闘争を開始した
17日東京 法大処分撤回裁判、武田君が意見陳述
法大国際文化学部・武田雄飛丸君(文化連盟委員長)の「無期停学」処分撤回を求める裁判の第2回口頭弁論が、東京地裁民事第25部で行われた
17日東京 官邸前行動 福島を忘れるな
首相官邸前・国会前などで金曜行動が行われた
17日東京 星野再審弁護団 意見書を高裁に提出
星野再審弁護団は、東京高裁第12刑事部に、証拠開示は一切必要ないとした検察官の主張を根底的に批判する「意見書」を提出した
18〜20日那覇 「復帰」41年目の沖縄闘争
●18日 沖縄県庁前の県民広場の集会で、沖縄北部合同労組の富田晋委員長が「ようこそ革命の火薬庫、沖縄へ!」とアピールした
●19日 那覇市の琉球新報ホールで「オキナワとヒロシマを結ぶ全国青年労働者交流集会 in Okinawa」がかちとられた
●19日 全学連は那覇市内で全国学生交流集会を行った。「集会に沖縄から新たな仲間を迎えています!」と報告がされた
●19日 県民大会に3500人の怒り
「復帰41年 5・15平和とくらしを守る県民大会」が、宜野湾海浜公園野外劇場で開かれ3500人が参加した
●20日 辺野古で200人のデモが市民と合流した
19日千葉 3万筆署名達成の最先頭に反対同盟
三里塚反対同盟は緊急3万人署名の周辺地区を個別訪問する一斉行動に立ち上がった
21日千葉 天神峰やぐら裁判闘う
千葉地裁民事第3部において、〈天神峰やぐら裁判〉の第1回弁論が開かれた
22日東京 裁判員制度廃止へ大集会開く
裁判員制度施行から4年、「改憲阻止そして裁判員制度廃止全国集会」が開催された
22日東京 国労組合員資格確認訴訟の口頭弁論
国労組合員資格確認訴訟の第8回口頭弁論が、東京地裁民事第11部(団藤丈士裁判長)で開かれた
23日東京 経産省テント裁判 地裁前で300人
政府と経産省が提訴した「明け渡し請求訴訟」の第1回口頭弁論が東京地裁で行われた
23〜24日東京 自治労中央委で大宣伝戦
自治労第145回中央委員会が有明で開催された。労組交流センター自治体労働者部会は、大宣伝戦を展開した
24日東京 金曜行動 吉沢さん駆けつけ訴え
原発再稼働と原発輸出に労働者民衆の憤激が一気に高まり怒りの発言が相次いだ
<全国で石川さんと連帯し狭山集会> 
●大阪 5・19全関西狭山集会が、沖縄と連帯し、大阪・八尾市の桂人権コミュニティセンターに全関西の労働者住民100人が結集して開催された
●東京 部落解放東日本共闘会議が主催する狭山集会は5月23日、東京・文京区民センターで開催され、75人が参加した
●広島 5月23日、広島市福島町で部落解放広島共闘会議の主催で狭山集会を開催した
<全国各地で国鉄集会6・9へ闘い進む>
●24日東京東部 国鉄闘争全国運動東京東部の会が、東部交流集会を開催し、60人が参加した
●26日北海道 国鉄闘争全国運動・北海道が、北海道労働者総決起集会を開催し20人が結集した
●26日長崎 国鉄闘争全国運動・長崎(準)は、長崎労働者集会を長崎市内で開いた
25日東京 芝公園、TPP反対で2000人デモ
芝公園で「TPP(環太平洋経済連携協定)参加をとめる! 5・25大集会」が開催された
6月2日東京 8万5千人、国会を大包囲
芝公園と明治公園において、安倍政権の原発推進、再稼働と輸出を絶対に許さない集会が合計2万5千人を超える参加で行われた。その後、約8万人が午後4時から国会を包囲した
2日大阪 自治体・教育労働者が討論集会
労組交流センター自治体労働者部会と教育労働者部会による討論集会が行われ、80人が結集した
7日京都 京大同学会選挙 大森委員長体制確立
13年度同学会中央執行委員会予備選挙は、即日開票の結果、大森靖之委員長候補(薬学部)を先頭とする候補者団が圧倒的信任で選出された
7日東京 官邸前、再稼働の安倍打倒の声
首相官邸・国会前などで58回目の反原発金曜行動が取り組まれ2500人が参加した
9日東京 6・9集会に1800人
国鉄闘争全国運動が呼びかけた6・9全国集会が、東京・文京シビックホールを埋める1800人の結集で熱気あふれる大成功をかちとった
13日東京 動労千葉など丸紅本社に抗議行動
動労千葉などの部隊は、丸紅本社前に登場し、ILWU(国際港湾倉庫労組)ローカル8に対するロックアウトに抗議する闘いに決起した
14日東京 星野面会・手紙国賠 早期結審に反撃
東京地裁民事第38部(谷口豊裁判長)で星野同志の面会・手紙国賠第8回裁判が開かれた
16日青森 大間現地で反原発デモ
第6回大間原発反対現地集会が青森県大間町で開催され、500人の結集で大成功した
17日 椎名さん、織田さんがドイツ訪問
17日までの12日間、ふくしま共同診療所・運営委員会の椎名千恵子さんと、NAZEN事務局長の織田陽介さんが、動労千葉国際連帯委員会の通訳とともにドイツを訪問した
18日千葉 団結街道裁判 道路廃止の暴挙追及
千葉地裁民事第3部(多見谷寿郎裁判長)で団結街道裁判が開かれた
21日東京 首相官邸前の金曜行動
大間の小笠原さんが参加し熱く訴えた
22日東京 6・22沖縄集会開く
「6・22沖縄集会」が開かれ、在本土の沖縄出身者をはじめ35人が集まった
23日東京 郵政非正規ユニオン、第3回大会
郵政非正規ユニオンの第3回定期大会が開かれ、組合員や支援の労働者を中心に50人が参加した
27日東京 迎賓館・横田差し戻し審 控訴棄却
迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判差し戻し控訴審判決公判が開かれた。山崎裁判長が「控訴棄却」を言い放った瞬間、十亀被告が「こんなの判決じゃない!」と弾劾した
28日茨城 動労水戸損害賠償請求訴訟
第8回口頭弁論が、水戸地裁民事第1部(脇博人裁判長)で開かれた。未払い賃金すべて出せと居直る会社を全面的に論破した
28日東京 官邸前、再稼働を絶対許さない
金曜行動が行われ多くの労働者市民が集まった
30日千葉 動労千葉定期委員会開く
動労千葉の第69回定期委員会がDC会館で開催され、貨物超低額回答を弾劾し決戦方針確立した
30日東京 星野全国集会、全証拠開示へ650人
「全証拠を開示させ、ただちに再審開始を6・30星野全国集会」が開かれた

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月刊『国際労働運動』(445号9-1)(2013/09/01)

編集後記

■編集後記

 山本太郎さんは、当選直後に次のように言っている。
 「このまま浮かれるわけにはいかない。いばらの道はこれから始まると思うんです」
 「一番やってほしいことは、食品の安全基準を変えることです。今の『1`あたり100ベクレル』は低レベル放射性廃棄物と同等なんです。それを国民に食べさせて『安全』とする政府・国なんて話にならない」
 「自分の抱えている問題、現状を僕に届けに来てくれる人が多かった。生活保護の問題や、会社に使いつぶされたとぶるぶる震えながら話してくれた人とか」
 「憲法改悪ありえない! 僕も憲法21条、言論・表現の自由を奪われた一人として、改憲は絶対に許してはならない。表現の自由を奪ってみんなを均一化する。多様性を認める世の中じゃなきゃウソ」

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