International Lavor Movement 2013/04/01(No.440 p48)
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2013/04/01発行 No.440
定価 315円(本体価格300円+税)
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月刊『国際労働運動』(440号1-1)(2013/04/01)
■羅針盤 日米首脳会談を弾劾する
▼2月12日のオバマ一般教書演説と22日の日米首脳会談が示したことは、世界大恐慌下での帝国主義の生き残りをかけた大争闘戦の激化と、戦争情勢の強まりである。特に日米首脳会談では、@TPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加、A日米合意に基づく普天間基地県内移設、B原発政策維持と再稼働、C北朝鮮制裁での連携など、超反動的な内容がテーマとなった。だがその根底には激しい日米争闘戦がはらまれている。大恐慌と大失業・戦争の情勢に立ち向かい、国際連帯と階級的労働運動の発展をかちとろう。
▼世界大恐慌の深化が帝国主義間・大国間の激しい争闘戦とつぶし合い、さらには戦争に転化してきている。それは一方で、金融緩和競争と自国製品の輸出競争力強化を狙う通貨戦争=為替戦争として火を噴き、他方ではフランス帝国主義のマリ侵略戦争や東アジアでの戦争(核戦争)の危機として現実化している。米帝オバマは一般教書演説で政権2期目の政策目標を打ち出した。そこではTPP推進を強調するとともに、「北朝鮮の挑発的な行動は、さらなる孤立や世界の断固たる行動を招く」「イランの核保有阻止のため、必要なことはすべてやる」と朝中両国とイランを恫喝した。対中対峙・対決を核心とする米帝の「新軍事戦略」のもとで、日帝が新たな領土略奪攻撃に踏み切り、釣魚台(尖閣諸島)をめぐる日中の戦争的対立が激化し、北朝鮮は対抗的な核実験を強行した。
▼今こそ日韓米を軸に国境を越えた労働者の団結を強化・発展させよう。階級的団結論と絶対反対論と労働者国際主義を貫き、外注化阻止決戦の第2ラウンドと反原発闘争を一体的に推進し、3月決戦の勝利へ全力で決起しよう。
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月刊『国際労働運動』(440号2-1)(2013/04/01)
■News & Review 韓国
“闘って世の中を変えよう!”
パククネ政権発足に立ち向かう労働者階級
□韓進重工業チェガンソ烈士闘争妥結
韓進重工業の解雇者チェガンソ烈士が死亡してから65日がたち、韓進重工業支会の組合員と遺族たちが敷地内に突入して、チェガンソ烈士の屍を工場敷地内に安置して籠城闘争を始めてから25日たった2月23日、労使間に一定の合意が成立して、23日午後に労使が合意書に調印した。チェガンソ烈士の葬礼は24日に全国労働者葬として執り行われることになった。
会社と韓進重工業支会の合意内容は、△会社は休業者の復帰は各組合(複数労組になっている)の人数に比例させ、作業の種類、職種を勘案して合理的に復帰させるが、労働組合が違うからという理由で差別はせず、現在に不均衡があるのなら短時間内に必ず是正する△会社と組合員は現事態と関連した刑事告訴告発及び陳情事件を双方がすべて取り下げることとし、会社は現事態によって発生した損害に関して追加の民事刑事上の責任を問わず、懲戒などの人事上の不利益処分を最小化するというものである。
チェガンソ烈士の遺族に対する補償は非公開とした。そして会社が労組にかけた158億ウオンの損害賠償については裁判の判決後に再び論議するということを骨子に別途に合意締結をするということにした。
24日に行われたチェガンソ烈士の全国労働者葬の葬礼委員長はペクソックン民主労総非常対策委員長が担う。出棺は午前8時、韓進重工業内の団結の広場で行われ、午前9時には韓進重工業正門前で告別式が行われ、正午に釜山駅広場で路祭が行われた。午後3時にはソッパル山公園墓地で納棺式が行われた。
今回、2月25日の朴槿恵大統領就任式直前になされた合意で会社の韓進重工業支会に対する一方的な強制休職措置は一定程度是正はされるだろうが、企業労組設立での会社側の介入や労組弾圧、不当労働行為についての問題解決はなされなかった。韓進重工業支会の復職闘争、労働者の権利闘争は再び「原点」に返って闘い続けられるのだ。
(写真 1月30日の集会の後、 韓進支会組合員と遺族らはチェガンソ烈士の棺を担いで韓進重工業工場内に突入した)
□ソウル地下鉄労組が民主労組を取り戻す
ソウル地下鉄労組が、民主労総を脱退して労組を御用化し「第3労総」に売りわたそうとした前執行部の手から民主労組を取り戻した。
ソウル地下鉄労組は2月19日から21日の間、組合員総選挙を実施して新委員長を選出した。今度18代委員長に当選したパクチョンギュ(53)候補は99年ゼネストで解雇された後、昨年復職し、前公共運輸連盟主席副委員長を歴任した人物だ。
ソウル地下鉄労組はチョンヨンス前執行部の民主労総脱退と複数労組設立、その後の指導部空白などで混乱を経てきた。チョンヨンス前委員長は昨年の過程で「第3労総」の国民労総設立を主導してソウル地下鉄労組の民主労総脱退を推進した。強引に民主労総脱退をしたものの結局、今年初めソウル地下鉄労組委員長職を辞退するはめになり、その時に複数労組を設立して組合員を引き抜き、ソウル地下鉄労組は指導部空白状態が続いてきた。
チョンヨンス前執行部のつまずきは昨年の賃金団交であった。チョンヨンス前執行部は会社に擦り寄って退職手当制度廃止を差し出して定年延長問題に合意するなどの妥結案を組合員投票に付して、それに怒った組合員たちが否決してしまったのだ。チョンヨンス執行部が執行部の方針に組合員がついて来るとたかをくくっていたが、鉄槌を浴びたのだ。ソウル地下鉄労組の規約では賛成反対投票で否決された執行部は総辞退しなければならないとなっている。
それに民主労総脱退の手続き的正当性をめぐる裁判で、2011年10月、ソウル地方法院の判決に続いて昨年6月、高等法院もソウル地下鉄労組の民主労総脱退が無効だという判決を出した。これは相当な打撃になった。これはチョンヨンス前委員長が主導する「国民労総」の存立までも危うくするものだった。
危機に陥ったチョン前委員長は「新労組」発足という危機克服手段を取った。複数労組を作って組合員をごっそり引き抜いて御用複数労組を作って、「国民労総」に加盟させてソウル地下鉄労組から逃げ出したのだ。現職労組指導部が自ら主導して御用複数労組を作ったというのは前代未聞のことだ。しかし、それも完全に思いどおりにはならなかった。組合員は前執行部の腐敗した協調主義と実利主義の姿をいやというほど見せつけられていたのだ。こんな指導部と一緒にソウル地下鉄労組を捨てて逃げ出すことなどできないという組合員が圧倒的にいたのだ。
チョンヨンス前委員長はソウルメトロ地下鉄労組という複数労組を作り国民労総に加入させたが、現在二つの労組の組合員数はソウル地下鉄労組が約4500名であり、御用のソウルメトロ地下鉄労組が約3500名になっている。
ともかく組合員の力で前執行部の策動から民主労組としてのソウル地下鉄労組を守り抜いてきたのだ。
今回、当選したパクチョンギュ新委員長は「複数労組のごたごたと労組破壊工作を踏み砕いて新しい希望の道に力を貸してくれた組合員たちに感謝する」「26年のソウル地下鉄労組の歴史と伝統を守り骨を削る献身をとおして現場中心、組合員中心の民主労組を立て直す」と明らかにしている。現在、ソウル地下鉄労組には空白期間に積み残された問題が山積みされている。しかし組合員の総力で御用労組を粉砕してソウル地下鉄労組の新しい時代を切り開いていくだろう。
(写真 年11月2日のソウル地下鉄労組民主労総脱退無効訴訟団記者会見)
□才能教育闘争が「最長期闘争」となる
学習誌労組才能教育支部の闘争が2月26日には、これまで非正規事業場の闘争として最長だったキリュン電子闘争の1895日を超えて最長を記録することになる。
このため才能支部と連帯組織などは満5年を超えた長期闘争に終止符を打たなければならないと必死の闘いを続けている。
「才能教育支部闘争勝利のための共同対策委員会」は2月11日午前、ヘファ洞の才能教育本社前で記者会見を開き「才能教育支部闘争勝利のための2013年闘争宣布式」を行った。
ユミョンジャ才能教育支部支部長は「非正規職闘争事業場の中で最長期の闘争事業場として才能教育が人々の口にのぼることは会社側としても名誉なことではないはずだ」「この問題を解決するためには会社側が解決意志を見せなければならず、今こそ終わりにしなければならない」と発言した。
キムソヨン前キリュン電子分会分会長は「キリュン電子分会が1895日の長い時間を闘った理由は人間扱いを受けて働きたいという素朴な要求さえ受け入れられない野蛮な会社と韓国社会と闘わなければならなかったからだ」「以前には100日を超えても長期闘争と記録されたが、非正規職が量産されて数年たっても解決されない長期闘争事業場が増えている」とし「才能教育支部がキリュン電子分会の1895日という闘争記録を超えないようにより大きな連帯で闘っていかなければならない」と発言した。
記者会見団は「才能教育支部の街頭籠城闘争1895日が来る前に才能教育の会社側が才能教育支部の要求を受け入れることを要求する」「才能教育がパククネ政権の支援を期待して事態をずるずる引き延ばすことは決して才能教育のためにならない」と警告した。
参加者たちは記者会見の後、才能教育解雇労働者の故イジヒョン組合員の追悼式と2013年闘争宣布式を行った。
ユミョンジャ支部長は「1、2月にかけて資本を圧迫する世論工作を進め、行政訴訟の判決で学習誌労組が労組法による労働組合として認められたことをてことして労組側に大義のある交渉要求を続けていく」と述べた。
(写真 2月6日から才能教育本社近くの教会の鐘楼に登って高空籠城中のヨミンヒ、オスヨン組合員)
□5大緊急労働懸案解決要求し汎国民大会
労働懸案非常時局会議が5大緊急労働懸案解決を要求して2月23日午後、汎国民大会を開催した。ソウル駅広場で行われた民主労総全国労働者大会の後、ソウル都心を行進して明洞一帯の路上で集会が行われた。ソウル市庁まで行進してそこで集会を行う予定だったが警察が行進を阻止したため明洞の路上で連座して集会を行った。警察は3度目の解散命令まで行ったが集会隊伍とのぶつかり合いは発生しなかった。
パクソグン韓国進歩連帯代表は開会の発言で「66日ぶりでチェガンソ烈士を胸の中に埋めることができたのみで、まだ烈士たちをまともにお送りすることができていない」「パククネは100%の国民とともに進むと約束したが、いざ当選すると1%の特権層と一緒になって99%の国民を無視している」「パククネは当選するやいなや公務員労組委員長と事務局長を解雇し、解雇者と労働者たちに何の処置も取らないまま就任を迎えようとしている。緊急な労働懸案を解決しないまま任期を始めるならば、10里はおろか5里も行かないうちに足が痛むだろう」と発言した。
この集会でキムジョンス双龍車支部長も発言した。「生きてゆきたくて、生かしてやりたくて、鉄塔に登った人たちと労働者たちの嘆きを誰も聞いてやっていない」として、集会参加者に向かって「労働者を無視する資本と政権に満足して暮らすのか」と問い、「時代は労働者たちが団結して闘うことを要求している」「労働者たちの闘争を云々しながら立ち上がれない理由は何か」「闘って世の中を変えるのか、怯えて満足して生きてゆくのか、選択をする時だ」と述べて民主労総と労働者たちに闘争に積極的に立ち上がることを促した。
(大森民雄)
(写真 5大緊急労働懸案解決を要求して開催された汎国民大会【2月23日 ソウル・明洞】)
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月刊『国際労働運動』(440号2-2)(2013/04/01)
■News & Review フランス
“俺たちは、付けを払わないぞ!”
首切りの嵐にストライキで闘う労働者階級
2013年の経済見通しがゼロ成長というEUにおいて、ドイツに次いでヨーロッパ帝国主義の中軸を担うフランスでは、大量解雇の嵐が吹きすさび、年頭から首切り反対のストとデモが、全土をおおっている。オランド社会党政権のマリ・アルジェリア侵略は、まさに「国内の階級戦争」を「外へ向かっての侵略戦争」によって圧殺しようとする絶望的な策動である。フランス労働者階級の勝利の道は、どこにあるか。
□ストライキの波で開けた13年
サルコジに代わったオランド政権の最初の新年は年頭から、緊縮政策に反対する教育労働者など公共サービス労働者、フランス放送、医療機関、タクシー労働者などのストライキによって開始された。
さらに、1月16日には、パリ近郊オルネーのPSAプジョー=シトロエン自動車工場の労働者が、2014年に予定されている工場閉鎖・2500人の解雇攻撃に反対して工場占拠に入った。PSAプジョー=シトロエン資本は過去2年間に、全フランスで、すでに4000人の首切りを行っている。
また、PSAと並ぶフランスとヨーロッパのトップ自動車メーカーであるルノーでも、全フランスの12工場のうち、二つの工場の閉鎖と7500人解雇の通告を行った。組合が「競争力強化」を理由として承認したために、これに反対した現場労働者が、1月23日、パリの西にあるフラン工場で一日ストに入った。これに他の工場からも合流が始まり、会社側はガードマンを使って、ロックアウトを行った。
注目すべきは、このPSAとルノーの労働者が、相互に工場のストを激励する交流を行い、組合の制動を蹴って、連帯集会をかちとっていることだ。しかも、この工場間の大衆的合流を阻止するために、15台の車両に乗った機動隊が攻撃を加えてくるというサルコジ政権さながらの姿を国家権力が、あらわにしてきた。
このような自動車産業労働者の闘いに呼応するかのように、自動車のタイヤメーカーであるグッドイヤー=ダンロップ社(米資本)の解雇攻撃に対して、北フランスのアミアン北工場の労働者が闘っている。会社側は、大恐慌下の自動産業の不振によって、タイヤの需要が減退しているとして、09年以来、スリム化のための大量解雇の攻撃をかけてきたが、組合の弱腰を蹴飛ばしながら、現場労働者の反撃で今日まで阻止してきた。しかし、13年に入って、ついに1月31日、重役会で1173名の首切りを決定、通告してきた。職場で多数を占めるCGT(フランス労働総同盟)はこれまで、会社側との交渉で、希望退職なら受け入れるとしてきたが、あくまでも一方的解雇を要求する会社の強硬態度で決裂したままであった。
□競争力強化をうたう「雇用安定協定」締結
(写真 パリの首切り反対デモ【1月29日】)
年頭の1月11日、まさにこうした緊迫した階級情勢が展開するなかで、しかもマリ侵略戦争開始と同日に、オランド政権が後押しするなかで、Mdef(仏経団連)とCFDT(フランス民主労働同盟=代表的ナショナルセンターの一つ)など3労組が、「雇用安定協定」を締結したのである。これは、オランド政権の昨年来の「労働市場改革」の一環で、「国際競争力の強化」を労資の共同の目的とし、非正規職化や社会保障の削減を条件に、「雇用の確保」を欺瞞的に「約束」するという攻撃である。この協定の締結に参加していない他の二つのナショナルセンターであるCGTやFO(“労働者の力”)は、一応、反対を表明しているが、彼らが現実に職場でやっていることは、この協定の内容そのものであり、結局は資本とオランドの攻撃に屈服していることは明らかである。
「雇用安定協定」は、この間進められてきた労働市場改革の一環として立案されたものである。その特徴は次の三点である。
@「この間、労働の不安定性と流動性が高まっている」「恐慌のために、多くの工場が閉鎖され、労働者が失業している」などと言いながら、こうした現実をすべて容認し、不安定雇用・非正規職労働者の存在を固定化、前提化し、その待遇のアリバイ的な「改善」を条件として、資本に「労働市場の柔軟化」すなわち、非正規職化の攻撃のフリーハンドを与えていることである。
A「会社の経営が好調な場合の大量解雇は許されない」などと言って、「重大な経済危機」「企業の経営が極度の危機に陥った場合」には、政府機関の介入のもとで、一定の解雇も許容されるとして、今フランス、そして全ヨーロッパに吹き荒れている大企業の大量首切りを、基本的に承認していることである。
B「経営側と労働者側が情報を共有し合うことが必要」「会社の経営方針の決定にあたって、労働者側が発言権をもつことが重要」として、経営会議への参加をうちだしていることである。〔本誌3月号「アルジェリア問題」論文参照〕
この「雇用安定協定」の締結について、CFDT幹部は「これまでのような闘争によってではなく、対話と協調によって、権利をかちとる時が来た」と総括し、仏経団連会長は「これで、フランスは競争力を回復できる」とコメントを発表、オランド首相は、「労資間の対話の成功だ」「協定内容の立法化を進める」と声明を発表した。
この「雇用安定協定」締結の裏切りに対して、ストライキ中の労働者をはじめ、多数の組合支部や活動家から、批判が爆発している。その一つの現れが、1月29日にパリで行われた労働省へのデモであった。700人の参加者が掲げたスローガンは、「オランドは選挙公約を守って、〈(株式)市場のための解雇禁止法〉を制定せよ」というもので、職場でのストライキなどの実力闘争を議会主義的な立法要求に従属させる方向をもったものではあったが、そこには、サルコジに代わったオランドへの怒りが表現されていた。
□グッドイヤー社門前集会の爆発
大量解雇攻撃を強行する資本と、その後ろ盾となっている政府に対する怒りが爆発したのは、2月12日に行われたグッドイヤー闘争連帯集会であった。この集会は、先のグッドイヤー社による大量解雇の正式決定に対して、もともとはCGTが呼びかけた抗議行動であった。集会は、フランス全土から2500人に及ぶ結集で、グッドイヤーのアミアン工場前を埋め尽くした。結集したのは、大量解雇反対の闘争を行っているPSAの代表60人をはじめとする「争議団」が中心で、ルノー自動車工場、ダンロップ、ブリジストン、トタール、エクソン・モービル、さらにアルセロール=ミッタル(国際的鉄鋼大手)などの労働者が大挙、登場した。この隊列には、「われわれ学生は労働者と連帯する」という横断幕を掲げたグループも参加していた。この日、パリで集会を開いていた教育労働者は、グッドイヤー闘争への連帯を表明した。
この大結集における労働者の怒りの爆発を恐れ、「何が起こるかわからない」と大宣伝し、非常時体制に入っていた国家権力は、機動隊を大規模に投入した。その数は、「デモ隊1人に対して警官が2人」というほどで、「デモ隊1人に対して警官が1人」だったサルコジ時代からオランド時代への変化を示している、とデモ参加者は怒りを爆発させた。
「競争力強化」を条件とした「雇用安定協定」締結を行った体制内労組幹部への怒り、そして、オランド政府に「解雇禁止法」の制定を要求するデモの方向性に対しても、「決めるのは、現場のわれわれの闘いだ」という発言が、連帯集会で続出した。
(写真 グッドイヤー社工場門前闘争【2月12日】)
□フランスの失業率、12カ月連続で上昇
フランスの失業者数は、2012年11月現在で460万に達した。1年間で12%上昇したもので、これは、世界大恐慌のもとでの解雇が大きな原因で、昨年の7月から9月までの2カ月間だけでサービス部門の5万人の職場が失われている。とりわけ臨時職が打撃を受け、3分の2の職が消えた。
フランスの経済研究所の調査によると、失業が長期化しているのも特徴だという。その数はこの間12%増加している。そして、失業の期間が長くなるほど、就職の機会も減っていくのである。こうして、景気循環的と思われた失業が、構造的な性格を持つにいたっている。そして、失業問題は、貧困化へと転化していく。問題は、“目に見えない失業者”だという。つまり、求職活動をあきらめて、職業安定所に登録することをやめている人を加えると、フランスでは、実際は900万人が、不安定な失業の状態にいるという。
加えて、先に見たように、大企業を先頭に、数百人、数千人規模の大量解雇の攻撃が、労働者階級に襲いかかっている。2007年パリバの破産で、アメリカよりも一歩早く金融恐慌に突入したフランスでは、それ以来、膨大な中小企業の倒産、工場閉鎖・海外移転(外注化)などによって、中規模の首切りは日常茶飯事となっている。そのなかで希望退職という形で、組合との合意のもとでの事実上の首切りがさかんに行われている。
大企業では、先に述べたPSAプジョー=シトロエンやグッドイヤーを先頭として、ルノー、アルセロール=ミッタル、同じ鉄鋼大手テユッセン=クルップ、フランス・テレコム、NEC(日本資本)、国際エネルギー会社トタール、エアフランス、そして金融危機に陥っている大銀行などで、数十から数百規模の首切りが続出している。
こうした状況のなかで、体制内労働組合は、ことごとく、資本の「競争力強化」の恫喝に屈服して首切りを容認してきたのである。「雇用安定法」はその追認であり、さらに、資本への構造的な屈服を、法制化によって誓ったものである。
大恐慌の激化のなかで、首切りに加えて強行されてきた緊縮政策が、労働者階級の生活を直撃している。サルコジを引き継いだオランド政権も緊縮政策を強行してくるなかで、ついに労働者階級の職場での反撃が開始されつつあるのだ。
□「ゼロ成長」の欧州―労働者階級の反撃
EU理事会は、2月22日、ユーロ圏の13年経済見通しを発表し、0・1%の予測を下方修正し、「ゼロ成長」「不況への転落」とした。これが新自由主義攻撃の破産の結果だ。ユーロ圏全域にわたる財政危機から要求される緊縮政策の強行、金融規制のための銀行と各国予算への監督の強化などによって、経済活動は、ますます冷え込み、実体経済の縮小、貿易の減退は避けられない。「新興国の復調への期待」などと言っているが、中国スターリン主義の経済的政治的破産は、目前である。
帝国主義諸国・大国間の死活をかけた争闘戦の激化のなかで、EU帝国主義は、ドイツ・フランスを先頭に、ますます労働者階級への階級戦争を激化させざるをえない。まさに、民営化反対・外注化阻止・非正規職撤廃の闘いが、労働者階級の共通の課題として明らかとなり、絶対反対、職場の団結、国際連帯の必然性が、国境を越えて、緊急の課題となりつつある。
昨年11月14日の全ヨーロッパ統一ストは、「俺たちは、付けを払わないぞ」をスローガンとして掲げた。フランスの労働者は、オランド社会党政権と体制内労働運動指導部の「競争力強化」のイデオロギーへの屈服を拒否している。ヨーロッパにおいても、闘う労働組合の復活が、緊急の課題である。
(川武信夫)
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月刊『国際労働運動』(440号2-3)(2013/04/01)
■News & Review 東アジア
米新軍事戦略で高まる東アジアの戦争危機
中国軍レーダー照射と北朝鮮核実験
2月5日、日帝・安倍政権は、1月19日と30日に東中国海・釣魚台周辺で中国艦船から自衛隊護衛艦に対し、照射レーダーが発射されていたことを明らかにした。さらに2月12日、北朝鮮は3度目の核実験を強行した。こうした東アジアにおける戦争の危機は、今日の為替戦争(通貨戦争)にみられる世界大恐慌の進行と激しい帝国主義間・大国間の大争闘戦時代への突入を示すものだ。大恐慌は、大失業とともに戦争・世界戦争へ向かわせるものだ。
□釣魚台周辺が戦場
昨年9月11日の釣魚台「国有化」宣言に対して中国で激しい反日デモが起きた。9月19〜20日には釣魚台の北方海域に中国海軍のフリゲート艦2隻が展開した。これに対し自衛隊は、通常の海自のP3C哨戒機態勢に加えて新たに空自の空中警戒管制機(AWACS)と早期警戒機E2C、海自の画像データ収集機OP3を釣魚台周辺上空に展開、中国の海洋監視船や海・空軍の動向を警戒する態勢にエスカレートさせた。
1月10日には、米海軍のP3Cと空軍のC130輸送機が中国軍の戦闘機に追尾されたことを受け、米空軍もAWACSを投入した。
これに中国は激甚に反応し、中国軍戦闘機の緊急発進もエスカレートし、1月14日には解放軍報が軍総参謀本部の全軍に対する「戦争の準備をせよ」との指示を伝えた。これは1979年の中国のベトナム侵攻以来のことだ。
1月19日に海自ヘリコプターが中国フリゲート艦からレーダー照射を受けた日は、釣魚台の北方海上では中国フリゲート艦と海自護衛艦がにらみ合い、空中では米AWACSが中国戦闘機に追尾され、自衛隊機が飛び立ち、米軍機と自衛隊が中国軍と事実上の戦闘状態に入っていた。日帝による釣魚台「国有化」以前にはなかった軍事的緊張が東中国海で起きた。
□安倍の改憲・戦争の攻撃
安倍政権が、中国軍によるレーダー照射問題を世界に大々的に公表したのは、釣魚台略奪を居直り、中国への排外主義をあおり、集団的自衛権行使に踏み込み、改憲・戦争への道を開くことにある
12月26日の政権発足以後、安倍の米新軍事戦略支持、日米安保強化、自衛隊法「改正」や改憲への姿勢はいよいよ明確になっている。2月8日には安保懇を4年7カ月ぶりに再開、集団的自衛権行使の容認へ憲法解釈の見直しを検討し始めた。
一方で日米間には為替戦争(通貨戦争)やTPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加問題など、激しい争闘戦がある。釣魚台問題への対応でも、米帝は日帝の独自の行動には釘を刺し、日中双方に「自制」を求め、情勢をあくまで米帝のコントロール下に置こうとしている。
□北朝鮮への軍事重圧
米新軍事戦略は、対中国対峙・対決とともに北朝鮮侵略戦争を構えている。それは中国・北朝鮮などの残存スターリン主義国に対する米日韓共同の軍事体制の強化を前提にしている。
米国防総省は軍事予算を含む米歳出の強制削減情勢にもかかわらず、東南アジア地域に全艦艇の60%を配備、アジア太平洋地域での作戦実施に向けて無人機など新たな軍備を30%増加させることを明らかにした。
2月4〜7日に韓国東海岸の浦項沖で米韓合同軍事演習が行われ、巡航ミサイル・トマホークを装備した原子力潜水艦USSサンフランシスコ、9800dのイージス艦USSシャイロが参加した。
2月4〜22日には韓国北東部の平昌で、韓国軍と米軍・海兵隊が雪原の限界に挑戦する冬季合同訓練を実施した。 昨年8月20〜31日、米韓両軍は朝鮮半島有事を想定、米韓合同軍事演習乙支フリーダムガーディアンを行い韓国軍5万6000人、米軍が3万人参加した。
1月22日〜2月25日、日米軍事演習「鉄拳(アイアン・フォスト」が米カリフォルニア沖の孤島での離島防衛の実働訓練として行われている。米海兵隊は最新式のオスプレイ輸送機を出動させ、自衛隊員と戦車を孤島に輸送し、島に上陸した自衛隊員が無線誘導し米軍のミサイルと戦闘機を使って孤島上の敵を攻撃している。
このように米新軍事戦略で米韓日が共同して北朝鮮スターリン主義を追いつめるなかで、北朝鮮・金正恩政権はオバマ再選に伴う政権再編期を狙って、昨年12月に「人工衛星の打ち上げ」を強行した。この射程は1万`メートルで米本土に達する長距離弾道ミサイルである。
そして金正恩は2月12日、オバマの一般教書演説の直前という時期を選んで、北朝鮮北東部の咸鏡北道・豊渓里の核実験場で3度目の地下核実験を強行した。北朝鮮政府は「小型化、軽量化した原子爆弾を使った」としている。
北朝鮮は06年の1回目の核実験の時も、09年の2回目の核実験の時も、ミサイル実験と核実験をほぼ同時に行っている。そして3回目も同じであった。北朝鮮スターリン主義体制の下では「核とミサイルは体制保障の最後の砦だ」という言葉が叫ばれている。米帝を直撃する核弾道ミサイルの保有が体制の保障だとしているのだ。
北朝鮮の核実験は、何より北朝鮮人民の犠牲の上に強行された。また放射能をもろに受ける隣国・中国では労働争議とともに核実験反対の抗議闘争が広範に闘われた。
北朝鮮スターリン主義の核実験強行は、反核・反原発闘争への敵対であり、新自由主義と闘う全世界労働者階級の国境による分断を促進し、階級的団結を破壊し、労働組合解体の攻撃に手を差し伸べるものだ。自ら核開発・核軍拡競争へ引きずり込まれ、帝国主義に屈服し、スターリン主義体制の危機を促進していくだけである。
(写真 米韓合同演習に参加した米原子力潜水艦「サンフランシスコ」【04年撮影】)
□オバマの動向
北朝鮮核実験と同日(2月12日)夜に行われたオバマの「一般教書演説」は、北朝鮮の核実験強行に対して「脅威に対抗して断固たる行動を取る」と、「軍事力による包囲」と北朝鮮侵略戦争の牙をむき出しにするとともに、対中国の米新軍事戦略の展開をさらに新たな段階に突入させるものであった。それは「北朝鮮の核保有」(ヘーゲル次期国防長官の議会証言)を前提にした、対中国の軍事戦略であり、日米対立をはらんだ日米同盟強化と東アジアへの戦争政策の激化である。
米帝はこれまで北朝鮮の核開発の阻止を目標にしてきたが、「北朝鮮の核保有」を事実上の前提にし、米本土への北朝鮮・核ミサイルの脅威を食い止めるためにミサイル防衛(MD)など北朝鮮包囲・転覆の米韓日の戦争体制強化に向かおうとしている。
また「北朝鮮の核保有の前提化」は日帝の「先制攻撃論」や核武装衝動を駆り立て、日帝の核武装をめぐる日米対立の火が噴くことは必至だ。またオバマは「イラク・アフガニスタンでの戦争終結」と言いながら、「イラン核兵器保有阻止のためにいかなる選択肢も排除しない」(12年一般教書演説)とイラン侵略戦争をもリアルに構えている。
そこには、世界大恐慌の進行に恐れおののく米帝の激しい危機がある。とてつもない財政赤字とドル暴落に恐れおののく米帝没落に決定的に規定されたものである。
日帝・安倍は、北朝鮮への経済制裁を叫んでいるが、これまでにほとんどの制裁を発動してしまって打つ手がない。脱落帝国主義の惨状をさらけだしている。
□北朝鮮の核開発の動き
北朝鮮の核開発は、50年代に始まり、60年代からソ連の援助のもとで進み、85年に核兵器拡散防止条約(NPT)に署名したが、後ろ盾になっていたソ連が91年に崩壊した。93年3月に北朝鮮はNPTからの脱退を発表したが、94年には脱退阻止を求める米帝クリントンの北朝鮮核施設攻撃を口実とする朝鮮侵略戦争が切迫した。米韓連合軍の朝鮮侵略戦争計画「5027」発動寸前の情勢となった。1600機の航空機と200隻の艦船、50万人の米軍を日本本土を兵站基地として朝鮮侵略戦争を行うというものだ。
これに対して韓国の当時の金泳三大統領が「韓国軍の一兵も動かすことができない」と拒否し、日帝は全土の大兵站基地化を求められたが受け入れる準備は何一つなかった。米帝は「5027」を断念し、ここから日米帝の新ガイドライン締結の動きが始まり、有事立法運動が起きた。
01年に新大統領になった米帝ブッシュは「北朝鮮、イラン、イラクは悪の枢軸(ならず者国家)論」を打ち出し、戦争宣言をした。01年9・11が爆発し、米帝は01年アフガニスタン、03年にイラク侵略戦争に突入した。それは新自由主義の侵略戦争であった。その口実は「サダム・フセインは大量破壊兵器を隠しもっている」だった。北朝鮮の金正日は、イラク軍が敗走し、フセイン体制が崩壊するのを見て「イラクは核兵器を持っていないから滅亡させられた」と核武装への反革命的な衝動を強めた。
金正日は、05年2月に核保有宣言を行い、06年1月に第1回目の地下核実験をした。 米帝は国連安全保障理事会で北朝鮮武力制裁決議を提出したが、中国・ロシアが反対し可決されなかった。米国防総省は核実験直後に、トマホーク巡航ミサイルで寧辺再処理施設を破壊する案をブッシュ大統領に提案したが、実行には移されなかった。
さらにイラク侵略戦争で米兵の死傷者が続出し、開戦理由だった「イラクは大量破壊兵器を持っている」がウソだったことが判明し、中間選挙で共和党は上下両院で民主党に大敗した。
07年1月にクリントン政権で国防長官であったウィリアム・ペリーは米下院外交委員会で「(北朝鮮からのソウル報復砲撃等)不測の事態を覚悟して、大型原子炉を空爆破壊することも検討すべき」と戦争を主張し、2月には米国防総省は在韓米空軍基地にF117を、嘉手納基地にF22などを進出させた。
しかしブッシュ政権は方針転換を発表、3月クリストファー・ヒル国務次官補と金桂冠外務次官が合意したが、その内容はブッシュ政権の当初の主張内容から著しく後退したものであった。これが94年に続く2度目の朝鮮侵略戦争危機であった。
09年1月、オバマ政権が誕生した。08年、新自由主義の大破綻としてリーマン・ショックが起き、世界大恐慌が爆発する中で登場したオバマは、大恐慌にうちのめされ、イラク侵略戦争からの撤退を迫られ、アフガニスタン侵略戦争は拡大戦略をとり、北朝鮮の動向に対応できなかった。
そうしたオバマ新政権の危機につけ込む形で北朝鮮は、09年4月にミサイル発射実験、5月に2回目の地下核実験を強行した。
そして10年11月23日、北朝鮮と韓国の間で延坪島砲撃戦が起きた。これは「金正日の死」の切迫情勢に対応して、米帝が北朝鮮の政権転覆を目指してすさまじい軍事重圧をかけたことが引き起こしたものだ。米帝の朝鮮侵略戦争そのものであった。
そして今日の大恐慌・大失業・戦争の時代、大争闘戦の時代における米新軍事戦略によって朝鮮侵略戦争が切迫している。
□日韓米の国際連帯を
今日、反帝・反スターリン主義世界革命を掲げる革命的共産主義運動は、階級的労働運動路線の全面的発展のために総決起している。具体的には外注化粉砕・非正規職化撤廃と解雇撤回へ動労千葉労働運動の地平をさらに発展させることである。
この外注化阻止・非正規職撤廃の闘いと一体のものとして、03年以降の動労千葉の国際連帯闘争はきわめて大きな地平を切り開いている。
アメリカのILWU(国際港湾倉庫労働組合)と韓国民主労総ソウル地域本部との連帯の強化が求められている。この日米韓の三つの戦闘的労組の国際連帯は各国の闘いの軸となり巨大な陣形がつくられる展望がある。われわれは、この3国・3労組の国際連帯を圧倒的に強化することで世界大恐慌・大失業・核戦争に対する労働者階級の勝利を切り開いていこう。
(宇和島 洋)
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月刊『国際労働運動』(440号3-1)(2013/04/01)
(写真 東北大学の学生自治会と文化部サークル協議会運営委員会が主催した「大学の主人公は学生だ! 東北大一日行動」でデモ行進する全国の学生たち【2012年11月27日 仙台】)
■特集 新入生の皆さん 共に未来を開こう
福島の怒りと結びつき
御用学者を追放しよう
はじめに
世界大恐慌の本格的爆発は、全世界で大失業と戦争を拡大し、国際プロレタリアートの怒りの決起を日々拡大している。その最先端の攻防がJRなど全産業における外注化・非正規職化と労組破壊の攻撃であり、それを基礎にした帝国主義間・大国間の国際市場再分割戦だ。米中対決を軸として、TPPで帝国主義ブルジョアジーの激突戦が展開される中で、戦線脱落の危機にあえぐ日帝・安倍政権は、鉄道・水道と原発の「インフラパッケージ輸出」戦略で生き残ろうともがいている。さらに原発を大恐慌下の大争闘戦と侵略戦争の要として死守しようとしている。
だがこの原発政策は「フクシマの怒り」を先頭にした巨万の反原発決起を解体することなくして貫徹されることはない。反原発闘争は体制打倒の闘いであり、その決着はプロレタリア革命の勝利と一体だ。階級的労働運動の拠点建設と党建設の一体的推進を基礎にした闘いで、安倍政権の福島圧殺攻撃を打ち破り、全原発の即時廃炉をかちとろう。
「核の平和利用」論に屈服し、資本に買収されて原発安全神話を垂れ流してきた御用学者どもが、その責任の一切を問われることなく、再び原発政策の擁護者として立ち現れ、福島圧殺攻撃の先兵として大学・教育を牛耳っていることを絶対に許してはならない。新自由主義を打ち破る学生自治会を全国大学で建設し、その力ですべての御用学者を大学から追放・一掃しよう!
〔東北大学の学生自治会と文化部サークル協議会運営委員会が主催した「大学の主人公は学生だ! 東北大一日行動」でデモ行進する全国の学生たち(2012年11月27日 仙台)〕
第1章
御用学者の犯罪を弾劾する――福島の圧殺・事故の抹殺
「県民健康管理調査」の狙いは放射能被害隠し
2013年2月13日に開かれた福島県民健康管理調査の検討委員会では、2011年度に小児甲状腺検査を受けた3万8144人のうち、すでに確認されていた1人に加えて、新たに2人の甲状腺ガン発症を確認し、7人が8割の確率で甲状腺ガンであることが発表された。仮に7人全員が発症しているなら、福島原発事故以来わずか2年で10人(3800人に1人)が甲状腺ガンに罹患していることになる。
これは通常の小児における甲状腺ガン罹患率(年間10
0万人に1人。単純計算で2年なら50万人に1人の割合)のおよそ130倍であり、チェルノブイリ原発事故以降5〜7年目の甲状腺ガンの罹患率(1万3000人に1人。高濃度汚染地域であったゴメリ地区でも4500人に1人)を上回る恐るべき事態だ。3・11福島第一原発事故は、この一点からだけでもチェルノブイリを超える人類史上最悪の原発事故であることは明らかだ。にもかかわらず政府は原発政策を維持するために、福島県民の避難の権利を認めず、事故被害の徹底した歪小化を行っている。
その最先頭に立っているのが福島県立医科大学副学長を務める山下俊一(長崎大学教授と兼任)、神谷研二(広島大学教授と兼任)たちだ。「年間100_シーベルトまでなら問題ない」「放射線の影響はニコニコしてれば来ません」と言い放ち、福島の住民を殺人的な放射線被曝にさらした極悪の原発御用学者らを絶対に許してはならない。
(写真 山下俊一・福島県立医科大学副学長)
3・11直後から福島圧殺に動き出した山下
そもそも、山下らは最初から福島の怒りを圧殺する先兵として意識的に送り込まれた人物だ。11年3月13日、文部科学省からの要請で、長崎大学は医師らを放射線医学総合研究所に派遣し、3月15日に福島県立医科大学を拠点として活動を展開した。
当初、福島県立医科大学では「妊婦さんや子どもたちを避難させた方がいいのでは」「ヨウ素剤をみんなにすぐに飲ませた方がいいのではないか」という意見が相次いで提案された。これに対して、派遣された長崎大のメンバーは「福島県立医大が浮き足立っている、先生方がパニックになっている」と山下に報告。これを受けて山下自身が「福島県知事からの要請」「放射線健康管理リスクアドバイザーへの就任」という体裁を整えて、自衛隊のヘリで福島県へ乗り込んだのである。
(写真 神谷研二・福島県立医科大学副学長)
ニコニコしてれば放射能はよってこない
福島に乗り込んだ山下は、まず真っ先に各地で市民講演会を開催した。そして「放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます。これは明確な動物実験でわかっています」「100マイクロシーベルト/毎時を超さなければ、全く健康に影響及ぼしません」「昨日も『今、いわき市で外で遊んでいいですか』(と聞かれ)『どんどん遊んでいい』と答えました」と言い放った。
現にある殺人的な放射能汚染が「大したことはない」と流布されたのだ。さらに山下は、3月19日に福島県災害対策本部を訪れ「今のレベルならば、ヨウ素剤の投与は不要」と話している。これにより福島県知事はヨウ素剤投与を指示せず、各市町村でも対応が分かれた。単に講演会でペテンを吐いたのみならず、具体的な放射線からの防護においても最低限必要な措置を徹底的に妨害したのである。
200万人モルモット化
この福島圧殺の先兵である山下・神谷は、福島県立医科大学の副学長におさまり、県医大を拠点として「県民健康管理調査」を展開している。実施された県民健康管理調査では、12年3月末までに3万8144人の子どもの甲状腺を検査し、35・3%に及ぶ1万3460人に5・0_以下の結節(しこり)などが確認されたが、山下は甲状腺学会所属医師宛のメールで「5_以下の結節や20_以下の嚢胞を有する所見者は、細胞診などの精査や治療の対象とならないものと判定しています」「(保護者に対して)追加検査は必要がないことをご理解いただき、十分にご説明いただきたく存じます」と書いている。
これによって会津若松市に避難した親子が市内5病院に電話をかけたが断られた。これは「医師は診療を拒否してはいけない」と明記した医師法を踏み破った暴挙だ。
こうして県内外の病院や学会を制圧して検査を一元管理している県立医科大学は、基本原則としてエコー画像やカルテを本人に見せていない。治療や予防が目的なのではなく、検査し、データを集積することだけが目的なのだ。
こうした県民健康管理調査の目的を、山下は12年8月の毎日新聞のインタビューで「県民と我々が対立関係になってはいけない。日本という国が崩壊しないよう導きたい。チェルノブイリ事故後、ウクライナでは健康影響を巡る訴訟が多発し、補償費用が国家予算を圧迫した。そうなった時の最終的な被害者は国民だ」と語っている。
つまり、山下ら御用学者たちは、86年チェルノブイリ原発事故とそれへの労働者人民の怒りの決起が、危機を深めるソ連スターリン主義にとどめを刺し、体制崩壊へと至ったことに心底から恐怖しているのだ。だからこそ、その「教訓」を踏まえ、フクシマの怒りを踏みにじり、圧殺して体制を擁護する。まさに、これこそが県民健康管理調査の本当の目的なのだ。
(図 環境省発表の汚染状況重点調査地域マップ
1時間あたり0.23マリクロシーベルト以上の地域について重点的に調査測定が必要な市町村と指定されている。この値を年間1_シーベルトに該当する線量と称している。年間1_シーベルト以上は、チェルノブイリ周辺3カ国が1991年に制定した移住権利ゾーンに相当する)
「秘密会議」で隠蔽策す
福島圧殺を目的とする県民健康管理調査の正体は、1年半に及ぶ「事前の準備会(=秘密会議)」の存在が暴露されることで明らかになった。とりわけ、初めて子どもの甲状腺ガン発症が報告された12年9月11日の第8回検討委の直前に開催された準備会は、「甲状腺ガンが原発事故との因果関係があるとは思われない」という質疑応答も決めていたことが明らかになった。さらに議事録からは内部被曝に関する記述を削除するなど、徹底的に情報操作を行い、原発事故の被害を否定しようとしていたのだ。
そして、「3人の甲状腺ガン、7人が8割の確率で甲状腺ガン」という事実に対しても、福島県立医大教授の鈴木真一は「甲状腺ガンは最短で4〜5年で増加したというのがチェルノブイリの知見。(事故後1年半から2年の)今の調査では、もともとあったガンを発見している」とし、福島第一原発事故による影響を否定している。
山下俊一は「人数だけ見ると心配するかもしれない。しかし、20〜30代でいずれ見つかる可能性があった人が、前倒しで見つかった」と、徹底的に原発事故との因果関係を否定している。だが、この山下らの言う「チェルノブイリの知見」なるものこそ、御用学者の主張の核心であり、福島圧殺攻撃におけるウソとペテンの要であり、同時にその最大の破綻点だ。
(写真 鈴木真一・福島県立医科大学教授)
チェルノブイリの歪曲で、福島を圧殺
「甲状腺ガンは最短で4〜5年で増加したというのがチェルノブイリの知見」という山下ら原発御用学者の主張ほどペテン的なことはない。なぜなら山下らは自らチェルノブイリ事故後、現地に乗り込み、甲状腺検査を行ってきたが、それは事故後5年〜7年目の間に実施されたものだからだ。事故直後から4年目までは「調べていない」ということを「発症していない」にすりかえている。これほど破廉恥なことがあるか!
さらに事故以前と以後を比較した小児甲状腺ガンの統計では、たしかに「爆発的に増加」しているのは事故後4年目からだが、同時に2年目からすでに通常の数倍の頻度になっている事実が示されている。原発事故直後から人体への影響が出始めるということは歴然たる事実だ。
山下らが「4年目以降」に固執するのは、当時IAEAのチェルノブイリ原発事故調査委員長で、放射線影響研究所理事長の重松逸造が発表した「事故4年後の調査で異常はまったくない」という大うその「安全宣言」を崩壊させないためでしかない。
山下が甲状腺検査を開始した90年当時、IAEAの「安全宣言」は、現実に激発する放射線被害と、それへの人民の怒りの決起の中で粉砕される寸前だった(事故直後は100_シーベルトとされた年間被曝基準も、1_シーベルトにまで引き下げられた)。
山下がチェルノブイリで甲状腺ガン検査を開始した時期は、「5_シーベルトで強制移住」が決定されていく時期と重なる。つまり、ソ連崩壊の一因ともなった反原発のうねりが、帝国主義体制に波及することを全力で阻止するために、山下らは現地で策動してきた。そして、その「知見」をもって福島原発事故において、今度こそ「年間100_シーベルト基準」を貫徹しようとしているのだ。
御用学者は、純然とペテン的なイデオロギーだけを吹聴しているのではない。階級支配への怒りが燃え上がる現場に乗り込み、国家と資本の物質力を背景にして労働者人民を分断・圧殺し、そこで形成した力関係を「知見」と称して塗り固め、社会全体に普遍化し、階級支配を貫徹しようとしている存在なのだ。
ゆえに福島圧殺攻撃との対決において決定的に重要なのは、ヒロシマ・ナガサキ、ビキニ、チェルノブイリの真実を明らかにし、何よりもその中で切り開いてきた闘いをもって、原発御用学者の「知見」を粉砕することだ。
チュルノブイリの告発
チェルノブイリ原発事故においても、3・11福島原発事故への怒りと相呼応して、現地で20年以上にわたって集積された医学データを基に「1986年から04年までに98万5000人が亡くなった」という新たな告発が開始された。そこでは、御用学者が完全に無視抹殺してきたガン、心臓病、脳障害等々の様々な症状が甲状腺ガンと併せて放射線被曝による影響であることを明らかにし、何より多くの子どもたちが胎内死亡、または生後の先天性障害を強いられた現実を暴露している。
こうした怒りの告発がチェルノブイリから湧き上がり、福島と結びつくことを阻止するために、日帝ブルジョアジーは長瀧重信・長崎大学名誉教授らの文責で、「チェルノブイリ事故との比較」と題した福島とチェルノブイリを圧殺する宣言を発した。
その文書では、原発労働者の死亡者を28名のみとし、134名の急性放射線障害にかかった労働者の中で、05年までに死亡した19名をも「放射線被曝とは関係ない」と言い切っている。さらに、リグビダードル(原発労働者)を総数24万人と計算し、彼らの「被曝線量は平均100_シーベルトで、健康に影響はなかった」としている。
それを基にして100_シーベルト基準を事実上復活させ、「福島の周辺住民の現在の被ばく線量は、20_シーベルト以下になっているので、放射線の影響は起こらない」と言い切っているのだ。
そうすることで「今後福島で心臓病やガンなどが発生したとしても、原発事故とは一切関係ない」と言い逃れる布石を打っている。
(写真 長瀧重信・長崎大学名誉教授)
福島圧殺の政府事故調
日本帝国主義とその先兵である原発御用学者は、福島を圧殺するためにチェルノブイリをも歪め、福島を圧殺することを通してチェルノブイリを総括することを決断しているのだ(ヒロシマ・ナガサキ・ビキニも当然同様の関係にある)。そして、それは日帝ブルジョアジー総体の意思であることを「事故調査委員会報告」が示している。
政府事故調査委員会は、その最終報告(12年7月23日発表)のまとめとして委員長・畑村洋太郎の所感で「今回の事故で様々な知見が得られた」と述べている。その知見とは「原子力発電は極めてエネルギー密度が高く、元来危険なものである」「原子力に限らず、危険を危険として認め、危険に正対して議論できる文化を」と主張している。
ここで重要なことは、原発そのものを「元来危険なもの」と認め、原発事故は防げないと開き直っていることだ。ならば全原発の即時廃炉しかないはずではないか!
しかし事故調は、「(事故を)完全に排除すべきと考えるのは……実態に合わない」「利便と危険の二つを同時に正視しそれらのバランスを」と言い、事故は避けられないが、原発は体制にとって必要だから手放さないと言い放っている。そして「(これまでは)社会の不安感を払拭するために危険がないものとして原子力利用の推進が図られてきた」「今回の大事故は我々日本人に考え方を変えることを求めている」としている。これが原発事故から得られた「知見」だと言うのだ。
ヒロシマ、ナガサキ、ビキニの被爆者の怒りと告発を基底に爆発してきた反戦反核闘争は、「核を絶対に許さない」という意思を、日本の労働者人民の普遍的意思として形成してきた。だからこそ日帝は「事故は日本では絶対に起きない」との「原発安全神話」を形成せざるを得なかった。
事故調は、こうした日本階級闘争における核と原発の歴史的位置を総括し、日本人の「考え方を変える」こと、すなわち「核と人類は相いれない」という普遍的意識を形成してきた反戦反核・反原発闘争と、その主体的担い手を徹底的に解体・圧殺することが必要だと言っているのだ。その最大の核心は、フクシマの怒りの圧殺と解体である。
また、この政府事故調・最終報告をもって、原発御用学者の主張も一変した。
山下俊一が露骨に「国が崩壊しないように」と主張し始め、マスコミには政府の「エネルギー・環境会議・コスト等検証委員会」の委員である京大原子炉実験所・山名元が繰り返し登場し、「原子力問題は、他の重要政策から独立した『シングルイシュー』ではない。エネルギー源を海外に頼る我が国のエネルギー安全保障の根幹にかかわる課題であり、原子力の有無は、(1)貿易や経済(2)地球温暖化問題(3)外交や国際政治(4)国家安全保障(5)社会福祉や生活――のすべてに影響を与え得る」という主張を満展開している。
もはや御用学者は、仮装としても「安全」を軸にしなくなった。むき出しの体制維持を主張し、原発に反対するものは体制を滅ぼす存在であるとして、反原発闘争を解体せよと叫んでいるのだ。
(写真 畑村洋太郎・政府事故調査委員会委員長)
政府・IAEAの企み
そして、12年12月に福島で開催された政府主催・IAEA共催の「原子力安全に関する福島閣僚会議」は、その過程で「県環境創造センター(仮称)」設置を決定し、「県民が将来にわたり安心して暮らせる環境」をつくると宣言している。だがそれは実際にはチェルノブイリにおける強制避難区域以上の高放射線地域への帰還を強制し、「放射線と人類が共存できる」というとんでもないデマを全世界に流布するためだ。
そのためにIAEA自身が福島に乗り込んで検査などを 行い、「得られた知見」を日本政府・福島県に「助言」するとした。IAEAを先頭に、ついに米帝が体制の全体重をかけて福島を圧殺し、そのことを通して大恐慌と戦争の時代における核支配の死守を狙って登場している。
フクシマの怒りが変えた
だが、政府事故調の開き直りとIAEAの登場は、敵の強さではない。反原発の怒りの決起に追い詰められた結果だ。特に、3・11から一周年の「原発いらない!3・11福島県民大集会」が、復興イデオロギーを打ち破って原発絶対反対の大集会となり、その力で5月5日に全原発停止を実現したということは、決定的であり、反原発闘争の新たな段階への画期となった。
山下は今や福島県立医科大学の副学長職を非常勤に切り替え、2月13日の記者会見では県民健康管理調査の検討委員会から退く意向を示した。さらに、2月19日には甲状腺検査に関して、「被ばく線量が高くない地域の子どもの検査の打ち切り」を検討すると発表されている。3人の甲状腺ガン発症は、山下らにとっても衝撃的な事態であり、人民の怒りに対する恐怖から逃亡が始まった。
「200万県民のモルモット化」も、それを貫徹する展望は何もないガタガタの状態だ。原発御用学者たちの中枢崩壊はいよいよ目前だ。
この山下たち御用学者の逃亡・崩壊は、フクシマの怒りが燃え上がり、その怒りを結集する拠点が、あらゆるところで打ち立てられているからこそ生み出されている。
とりわけ12年12月1日のふくしま共同診療所の開院が決定的だ。子どもたちを放射能から守る闘いを柱に全国・全世界の労働者人民からの拠金で実現した。200万県民モルモット化の攻撃を打ち破る決定的地平だ。
当面の焦点は甲状腺検査であるが、ここで勝ち抜くことでこれまで御用学者が全力で否定してきた諸々の疾病と放射線との関係も、現実の闘いの中で暴き出すことが可能になる。
だからこそ、山下俊一は逃亡を開始したのだ。フクシマの怒りと結びつき、階級的団結を拡大するなら、原発御用学者を粉砕することは絶対に可能だ。
フクシマの怒りが、かの731部隊(細菌兵器を開発し中国人に使用した日本陸軍部隊)を起源とし、あらゆる放射能被害の現場に帝国主義の先兵としてのりこんで圧殺策動を繰り返してきた山下俊一ら生粋の御用学者を粉砕し、IAEAと米帝を深々と引きずり込んで日帝・安倍打倒の階級決戦情勢を手繰り寄せている。
3・11を圧殺する最悪の御用学者=清水修二
その中で、最も悪辣な原発御用学者とは、反原発闘争を「内側から」解体することを策動する連中である。それは「核の平和利用」論に屈服してきた日本共産党スターリン主義などの体制内「左派」であり具体的人物として登場しているのは清水修二(福島大学・前副学長)である。
昨年の3・11ではかりそめにも県民集会実行委員長を務めた清水は、今年の3・11に対して「3・11を政治運動にはしない」「自民党とも一致できる運動を」と言い放ち、3・11当日開催を否定。「全国とつながって原発反対を」と訴えた県民に対して、「私の意見とは異なる。脱原発は県内だけで可能」とまで言い放った。
フクシマの怒りを意識的に全国・全世界の反原発闘争と分断し、帝国主義と融和するものへと変質させようとしているのが清水だ。
そもそも清水は、3・11以前から脱原発を主張してきたが、最初から体制の枠内での解決を主張するものだった。その限界性は3・11原発事故で暴き出された。清水は3・11以後、「福島を再生可能エネルギー研究の拠点に」との主張を展開し、復興特区設置を推進しようとしている。要するに、沖縄のように振興策で資本を呼び込めば、経済成長して原発に頼らなくても良くなると主張している。
そんなものに何の展望もないことは、「基地の島であると同時に非正規の島」となり、青年労働者の非正規職の現実が基地経済を支えている沖縄の実態が示している。沖縄振興策も、被災地復興特区も、その本質は徹底的な外注化・非正規職化であり、「アジア並み賃金」へと全労働者を突き落としていく攻撃だ。それこそは、原発で働かざるを得ない労働者を大量生産し、原発の命綱を供給していくものとなる。
外注化・非正規職化を核心とする新自由主義攻撃に立ち向かえない体制内派=清水修二こそ、労働者人民に幻想を振りまき、帝国主義への武装解除を迫る最悪の原発御用学者だ。
このように、資本にすり寄ることが問題の解決であるかのように描き、団結した闘いによって現実が変革できるという事実を全力で抹殺することが清水の思想の核心だ。
ゆえに、この最悪の原発御用学者に対しては、清水自身が手を染めた福島大生への弾圧を徹底的に弾劾し、福大生の決起で焼き尽くすことを通して、現実を変革することは可能であることを、その身に刻みつけてやる必要がある。
(写真 清水修二・福島大学前副学長)
第2章
大学の腐敗生む教育民営化――原子力・電力業界から買収
第1章で御用学者とは、原発政策を死守するために、労働者階級人民のわきあがる怒りを解体する資本と国家の先兵であることを確認した。だからこそ、御用学者の登場とは大学の資本・国家権力による支配の強化と一体でこそ進められてきた。80年代の中央教育審議会から04年の国立大学法人化に行き着き、今また「グローバル人材育成」のための大学改革として展開されている教育の民営化攻撃、大学の新自由主義的再編こそが原発御用学者を生み出す根本にある。
第2章では、教育の民営化、国立大学法人化による原発御用学者の育成という構造の現在的攻防点を明らかにしていく。
(写真 70年安保・沖縄決戦を切り開いた東大闘争をはじめとする学生運動の高揚【1969年1月 東大安田講堂】)
新自由主義の大学改革攻撃、国立大学法人化
新自由主義による大学改革攻撃は、70年安保・沖縄決戦の爆発の総括として、学生運動解体を策して展開された「キャンパス郊外移転」「自治寮破壊の新々寮4条件」などに端を発しながら、80年代の国鉄分割・民営化と軌を一にした中央教育審議会から本格化し、95年の「日経連プロジェクト報告」で提起された「9割非正規化」に対応した法政大学清成総長の「自立型人材育成」戦略をもって全国大学へと本格的・全面的に展開されてきた。
そのいったんの集約点が04年の国立大学法人化であった。国立大学法人化は、教育の民営化の本丸であり、その前段階として、01年には文部省と科学技術庁が統合された文部科学省が誕生していた。
原発という側面から見れば、これは原子力研究開発と、H2Aロケット開発という形で日帝の潜在的核武装を担ってきた科学技術庁が、大学を所管する文部科学省と一体化することで、本格的に大学を原発政策の要として位置づける意味を持っていた。
そして、国立大学法人化は、単なる省庁の統合ではなく、予算配分・人事配置などの大学運営の実態を全面的にブルジョアジーが掌握することで、原発御用学者の大量育成を可能とした。つまり、@国立大学長の罷免権を文部科学大臣が持ち、A予算・人事に影響を持つ経営協議会を設置して、半数を学外委員(企業経営者等)で構成し、B中期計画・中期目標の6年ごとの設定で、研究内容を国家が管理し、C暫時的予算削減を実施して、大学内での外注化・非正規化を促進し、かつ「寄付講座」「受託研究」などで企業からの出資に依存する経営構造をつくるということが行われてきた。
山名元・京都大学原子炉実験所教授などは「原子力を前に進めるための寄付なら受ける。癒着ではない。よい原子力のためには業界との協力は必要だ」という筋金入りの御用学者であり、法人化体制のもとで、分かっているだけでも日本原子力産業協会や日本原子力研究開発機構、電力中央研究所などから寄付・受託研究などで4000万円を受け取っている。京都大学は大学として5年間で33億円を受け取ってきた。しかもそれらはダミー団体を介して払われる寄付金などや、教授個人へのカネは含まれない。氷山の一角程度でしかない。こうして、原発翼賛なくして研究がありえない状態が生み出され、御用学者の存在は常識となったのだ。
(写真 山名元・京都大学原子炉実験所教授)
グローバル人材の育成狙う大学改革の現段階
現在の大学・教育をめぐる攻防の最大の焦点は、「グローバル人材の育成」を狙う大学改革攻撃との対決である。
これは、3・11以前から原発海外輸出を国家戦略として据えるとしていた菅政権による「新成長戦略」のもとでの大学・教育の新自由主義的再編の構想がある。それがリーディング大学院構想で、3・11大震災と原発事故を受けて、一定の軌道修正を必要とされながら、野田政権の「日本再生戦略」の中でより悪辣な階級意思に満ちた攻撃として宣言されたものだ。
日本再生戦略のフロンティア部会報告では「有期雇用を労働契約の基本に」「解雇が怖くない社会を」と叫び、JRの「経営構想X」に示されているような全面的な業務外注化と公共部門の全面的な民間委託化をテコとして、労働者の10割を非正規化していくことが宣言されている。
そして、それをとおして「国際的コスト競争」に勝ち抜き、鉄道・水・原発のインフラパッケージ輸出で帝国主義間争闘戦を展開することが狙われている。
フロンティア部会はその狙いを端的に「人材戦略を国家戦略に」という表題で示している。外注化・非正規化こそが日本帝国主義の延命のための決定的な国家戦略であると宣言されているのだ。「グローバル人材の育成」を掲げる大学改革攻撃は、この国家戦略の大学・教育における貫徹の表現である。
それは、戦後的な大学・教育の自主性を完全に解体し、全面的に資本家階級の制圧のもとで、帝国主義間・大国間の争闘戦にかちぬくための先兵=グローバル人材を形成するということだ。
具体的には、「リーディング大学院」の計画を各大学に提出させ、政府・文科省が審査し、認可されたプロジェクトに予算をつけるという形式で進められている。
以下はその一例である。
・京都大学「総合生存学館・思修館」(提携機関:IAEAなど)
・大阪大学「超域イノベーション博士課程プログラム」
・慶應義塾大学「超成熟社会発展のサイエンス」
・東京大学「サステイナビリティ学グローバルリーダー養成大学院プログラム」(提携機関:国際連合大学)
・広島大学「放射線災害復興を促進するフェニックスリーダー育成プログラム」(提携機関:福島大学、福島県立医科大学、放射線医学総合研究所、放射線影響研究所)
・東京工業大学「グローバル原子力安全・セキュリティ・エージェント養成」
一見して明瞭だが、3・11原発事故に対応したものが重点的に据えられている。特に、京都大学は思修館開講と同時に経営協議会に原発再稼働を誰よりも早く主張したJR東海会長・葛西敬之を据え、思修館の講義の目玉は葛西ら経営協議会委員による「熟議」とされている。さらにIAEAへの研修などもカリキュラムの一環として据えられている。広島大学の「フェニックスリーダー」はもっと露骨に、神谷研二を責任者に据えて、福島県立医科大などとの提携で福島圧殺の先兵を育成すると宣言している。
福島原発事故の調査委員会の一つである「国会事故調」は事故の根本的な原因が「50年にわたる一党支配と、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といった官と財の際立った組織構造と、それを当然と考える日本人の思いこみ(マインドセット)」であると言い放ち、「新しい規制組織の人材を世界でも通用するレベルにまで早期に育成し、また、そのような人材の採用、育成を実現すべく、原子力規制分野でのグローバルな人材交流、教育、訓練を実施する」と宣言している。
リーディング大学院構想は、こうした3・11のブルジョアジーとしての総括も受けて、より露骨に福島圧殺を通した帝国主義体制の延命をもって、大争闘戦に突入するための先兵育成をその核心に据えている。
このようなリーディング大学院構想をもって開始されたグローバル人材育成戦略は、まさに大恐慌と3・11以降の階級闘争の中で、大学・教育をさらなる新自由主義の貫徹でもってブルジョアジーが制圧するための大攻撃だ。原発再稼働・新規建設・海外輸出を狙う御用学者との対決は、大学丸ごとのあり方をめぐる新自由主義との全面激突と一体の問題である。その闘いは始まっている。
(写真 葛西敬之・JR東海会長)
第3章
全国学生の反原発の闘い――学生自治会を建設しよう
全学連は昨年9月に大会を開き全国25大学から学生が結集し、「福島とのさらなる連帯で全原発の廃炉をかちとること」「新自由主義大学と対決し、御用学者を追放し、学生自治会を建設すること」を確認した。すでに6月に京都大学同学会再建をなしとげ、10・19法大1000人集会の大成功、11・27東北大一日行動と東北大自治会選の勝利と、闘いは前進している。
3章では、3・11以降の全国学生の反原発の闘いを確認していきたい。
(写真 全学連第73回定期全国大会2日目で活発な討論【2012年9月6日 東京】)
●法政大学
教育の民営化と空前の学生弾圧に不屈に立ち向かい、新自由主義を打ち破る不滅の金字塔として全国学生の結集軸となった法政大学文化連盟の闘いは、3・11以降の情勢の中でついに300万学生を丸ごと獲得する決定的地平を切り開いている。
とりわけ首都圏・全国における反原発闘争の爆発と結びつき、キャンパスで前進してきた法大当局との非和解的激闘は、12年3・11を経て再稼働攻防から開始された首相官邸前行動の爆発と一体で大高揚を切り開いてきた。
学祭規制粉砕の闘いは、ついに当局と体制内派への学生大衆の公然たる反乱を生み出し、10・19法大集会(表紙写真)では1000人の学生がキャンパス中央封鎖と実力で対決して大集会を闘いとった。
これに先立つ10・6に行われた放射線影響研究所理事長で、郡山市原子力対策アドバイザーである大久保利晃弾劾闘争は、法大当局の原発推進の正体を暴き出し、学生の怒りを呼び起こし、10・19への決定的突破口となった。
だからこそ法大当局は、この攻防を通して文化連盟の新たな委員長となった武田雄飛丸君への無期停学処分の第一の理由に大久保弾劾の行動を挙げて、「授業妨害」と言い放った。
だが大久保は、ヒロシマ・ナガサキの「黒い雨」による内部被曝を一貫して否定し続けてきた極悪の御用学者だ。実際に10月6日の授業で大久保は、放射線リスクをスポーツ上のリスクや社会生活上の一般的なリスクと並べて比較するなど、被曝問題の悪質な一般化、歪小化を図る講義を行っている。
都合の悪いデータは隠蔽し、放射線被曝について「わからない」のだから予防原則に立って「被曝を最小限に」と努力するのではなく「内部被曝や残留放射線の影響は少ないのだから無視して良い」として、政府・東京電力による被曝対策の責任を曖昧にする、まさに典型的な原発御用学者の腐り果てた姿だ。大久保弾劾に立ち上がった武田君たち文化連盟の闘いは圧倒的な正義だ。
そして、何よりその正義性は、法大当局自身が事実上認めている。それは10・6当日、法大当局は突如、参加者を主催学部の学生のみに限定し、さらに会場となった教室の前では職員らが学生証チェックを行うという厳戒態勢に示されている。大久保には武田君たちの追及に答えるような中身がないことを法大当局の対応自体が認めているのだ。
居丈高に権威を用い、それが現実の批判によって粉砕されそうになるや、逃げ回ることしかできない。こんな腐りきった御用学者のやっているものは授業でもなんでもない。武田君や文化連盟の学生が奪い返したキャンパスに御用学者の居場所はない。全国学生の団結で、武田処分撤回に勝ち抜き、法大文化連盟の圧倒的組織拡大を実現しよう。
全国学生の闘いは、確実に御用学者たちの急所をつき、その腐敗と破綻を暴き出し、大学を学生の手に取り戻していく展望を切り開いている。フクシマの怒りと深く結びつき、巨万の反原発闘争の最先頭で原発御用学者の追放・一掃の闘いを推進しよう!
(写真 全学連大会でまとめの提起を行う斎藤郁真委員長【9月6日】)
(写真 学祭規制への抗議に対する処分策動を弾劾する武田雄飛丸君と文化連盟に1000人の学生が熱い注目【2012年10月19日 法政大学】)
(写真 武田雄飛丸君【右から2人目)への処分粉砕を!【2012年12月6日】)
(写真 昨年5月31日に暴処法弾圧で無罪をかちとった増井真琴君【右)と恩田亮君らが法大正門前でアピール【6月1日】)
●京都大学
3・11以来、大学において、最も激しく原発御用学者と激突してきた京都大学の闘う学生達は、新自由主義との全面的激突の一環として反原発闘争を捉えきり、あらゆるキャンパスの闘いと反原発闘争を一つに結び付ける中で全学自治会同学会の再建を実現した。
▼11年10・1京大原子炉実験所闘争
11年10月1日、「100_シーベルトまでは安全」と主張する放射線総合研究所の御用学者・島田義也の講演会中止を要求。抗議デモの後、講演への参加を求める学生・地域住民を京大原子炉実験所副所長・高橋千太郎は警察権力を導入して妨害。福島圧殺に手を貸す大学の腐敗を徹底的に弾劾した。
▼11年11・1反原発団交
10・1での講演からの反対派排除を弾劾し、京大の原発への協力を徹底弾劾するクラス討論の中で、「再稼働反対・藤洋作追放」の決議が上がる。これが京大当局を追い詰め、副学長と原子炉実験所所長・副所長が団交に引きずり出されてきた。
最初は居丈高に居直る森山所長・高橋副所長だったが、原発労働者の労災認定が年間5_シーベルトで認定されている事実を知りながら、自著において「危険性を示すデータはない」という大ウソをついていた事実を突きつけられ、腰砕けに。6時間の徹底追及の結果、全面謝罪を京大新聞と原子炉実験所HPに掲載することを約束させた。
(写真 京都大学で全学自治会同学会を再建、冨山小太郎統一候補 に3000票で信任【12年6月8日】)
▼12年1・31高温ガス炉プラント研究会粉砕闘争
大飯原発再稼働の可否を判断する検討委員会委員長である東京大学・岡本孝司が座長を務める「高温ガス炉プラント(新型原発)」の研究会が京大で開催された。研究会では近畿大学原子炉実験所教授らが「3・11のおかげで沿岸部に原発がつくれなくなるから、内陸に建設可能な高温ガス炉にようやく日の目が当たる」というとんでもない主張を展開。
闘う京大生はこの会場に突入し、岡本を徹底追及。「事故は100%なくなりはしない」と言いながら大飯原発再稼働を妥当と判断した岡本を徹底弾劾した。これに耐えかね岡本は座長でありながら職員に囲まれて途中退席。さらなる追及に窮して、最後はタクシーで逃げ去っていった。
▼全学自治会同学会再建と10・1藤洋作追放
12年6月、京都大学全学自治会同学会が3000人を超す学生の投票で再建される。当局は全力で非公認化の攻撃を展開するが、1000人の学生が討論を蓄積して可決された関西電力元社長・藤洋作の経営協議会委員起用を追及する申入書が提出され、10月1日に藤洋作は解任されるに至った。京大同学会は、その後も全学からスタッフを募集して翻訳部会を立ち上げ、これまで翻訳が中止に追い込まれてきたチェルノブイリ原発事故の真実を暴く研究論文の翻訳プロジェクトに参加し、作業を進めている。
京都大学の闘う学生は、10年7月に「大学奪還学生行動」を結成。以降一貫して大学の新自由主義的再編を打ち破る学生自治会建設を据えて、キャンパスで闘いを推し進めてきた。そして幾度となく原発御用学者との激突を繰り返す中で、御用学者のペテン性を具体的に暴き出し、ヒロシマ・ナガサキの被爆者認定訴訟の勝利や、原発労働者と家族の労災認定闘争、チェルノブイリの現地における20年に及ぶ地元医師たちの記録が、御用学者を粉砕する力を持っていることを実践的につかんできた。
その立場から、フクシマの怒りとの結合こそが全原発廃炉の展望であることをつかみ取り、NAZEN京都を地域の合同労組「ユニオン自立」と合同で結成。福島診療所建設の支援運動を軸にしつつ反原発闘争を展開し、葛西や橋下維新の会との提携で学生自治破壊を狙う松本総長打倒の闘いへと突き進んでいる。
(写真 御用学者の講演会中止を要求して、京大原子炉実験所に抗議のデモ【11年10月1日】)
●東北大学
東北大では昨年7月20日の「学生団体に対する説明会」以降、サークル部室の管理・運営権をめぐる大攻防に突入している。昨秋以降の闘いは、11月27日に学生自治会と文化部サークル協議会(サ協)運営委員会が主催した「大学の主人公は学生だ! 東北大一日行動」(14nに写真)を頂点に大きな反響を生み出している。多くのサークル員との討論が生まれ、ともに立ち上がる仲間も生まれている。
直後の自治会執行部選挙では、11・27闘争を担った新執行部に対し、総投票数981票で592の信任票が投じられた。「密室会議」による部室管理・運営権の一方的剥奪と、全学選挙による学生の意思。どちらに正義性・正当性があるかは明らかだ!
東北大学生運動は、「3・11」以降の約2年の反原発闘争の実践の中から、ついに学生自治会の新たな執行部体制を生み出した。「学生自治会の力で大学を変え、原発を止められる」という確信を実践においてさらに示し、投票に決起した1千人の学生を丸ごと獲得していく。
1月4日付東京新聞の「電力業界 8国大に寄付」と題する記事で、電力・原子力業界は11年度までの5年間、8国立大学の研究者に対し、計17億4400万円の寄付金を渡し、東北大学も4億1700万円を受け取っていた。
「教育の民営化」=法人化大学のなれの果てが原発推進大学であり御用学者だ。この間の反原発運動の高揚と全国学生の決起が、原発推進大学を根幹から揺るがし始めている。反原発闘争と「教育の民営化」粉砕の闘いの中から、最強の団結と学生自治会をつくり出すことができる。
(写真 全学連拡大中央委で発言する東北大学自治会の青野弘明委員長【12年11月9日】)
(写真 「反原発! 大学奪還!」を掲げ東北大デモ【11年7月8日】)
●広島大学
闘う広島大生は3・11以降、反原発の学生団体「No
Nukes HIRODAI」を結成し、被爆地・ヒロシマの学生としてフクシマの怒りと結び、全原発廃炉と御用学者追放を実現するべく闘いを推し進めてきた。
3・11以来2年間の闘いを経て、1月28日には浅原学長への申し入れ行動に決起。そして、川崎副学長への大衆的追及・弾劾行動をうち抜いた。No Nukes HIRODAIは、広島大が“被爆地の権威”で「放射能安全神話」をふりまき福島の怒りの圧殺に手を染めてきたこと、「放射線影響の研究」の名で福島県民をモルモットにしていることを弾劾してきた。
そして昨年6月、1300人超の福島県民による「業務上過失致傷」容疑での東電幹部や国、神谷ら御用学者の告訴・告発を受け、7月に浅原学長へ公開質問状の提出を行った。ところが学長は半年間も沈黙してきたのだ。このことへの怒りをクラスで組織し、決議を上げる中で、当局を追い詰め、ついにゼロ回答に終始してきた当局の中から、副学長を引きずり出した。
広大・浅原学長は「未曽有の国難に立ち向かう」「原子力災害に対応できる人材育成を」と叫び、日帝の原子力政策を取り繕う「最後の安全弁」の役を買って出ている。その最大の焦点が、IAEA(国際原子力機関)やICRP(国際放射線防護委員会)、三菱重工と組んでの「放射線災害復興を推進するフェニックスリーダー育成プログラム」だ。ヒロシマを利用して福島の圧殺を狙う広島大学当局を絶対に許すことはできない。闘う広大生は、1・28行動の地平を推し進め、広大学生自治会建設へと本格的に突入している。京大・東北大の地平を引き継ぎ、全国学生の総力で広大に反原発・大学奪還の学生自治会を建設しよう!
(写真 神谷研二教授を福島医科大学副学長から解任することを学長に申し入れ【1月28日 広島大学】)
●富山大学
闘う富山大生は「フクシマの怒り」と結びつき、「原発推進の富山大学当局弾劾!御用学者追放!」の闘いでキャンパスを学生の手に取り戻す。同時にこれは、法大に次ぐ「監獄大学=富大」との06年以来の学生支配攻撃と決着をつける闘いである。その核心は学生自治会建設だ。
富大は、2月5日には「放射線を正しく怖がり、賢く使うために」と題する公開講演会を学内で行った。座長は近藤隆・富大医学部教授で、授業や学外セミナーで「放射能は安全」論を振りまいてきた極悪の人物だ。
許し難いのは、当局はガードマンと富大職員を20人も動員し、学生自治会・全学連の仲間を「学内立ち入り禁止」にしたことだ。さらに理学部・工学部の学生を単位で縛り、講演会に動員したことだ。しかも、県下の小・中・高校の教員にも参加を呼びかけた。
さらに3月6日には、富山大学が主催した「震災から2年を迎えて――大学の果たす役割」と称するシンポジウムの第一講演者は、山下俊一や神谷研二を副学長に任命して福島県民への殺人的被曝を強いた福島県立医大学長兼理事の菊地臣一であり、第二講演者は核融合研究所所長・小森彰夫だ。小森の講演テーマは「未来を拓く新エネルギー」などと題して、核兵器開発にも直結する核融合研究を礼賛するものだ。
まさに、富山大学は一方で「フクシマの怒り」を抑え込んで反原発闘争に敵対し、他方でどこまでも原子力にしがみついていこうというのだ。こんなことが「大学の果たす役割」なのか!
歴史的にも、富山―北陸の階級闘争の根底には常に富大生の決起がある。富大学生運動が階級的拠点として立っている。富山大は、東北大―京大に続いて学生自治会建設の強化・発展に勝利し、「原発再稼働阻止! 安倍打倒!」へ突き進む。
(写真 福島大に全学連が登場、昼休みに300人集会【11年10月21日】)
●福島大学
3・11以降、福島大学における原発反対の学生決起は、昨年ついにマルクス主義学生同盟中核派・福島大学支部の再建を実現し、闘う学生自治会の建設へと力強く前進している。
福島における「手抜き除染」への怒りが高まる中、福大当局は除染研究に生き残りをかけている。日本原子力研究開発機構、放射線医学総合研究所と提携し、除染研究のための「うつくしまふくしま未来支援センター」には、エスエス製薬から活動資金5千万円が提供されている。
こうした現実に怒りをたたきつける福大生の登場に恐怖した大学当局は、学生を徹底的に抑え込もうとし、親の呼び出し、担当ゼミ教授を使った恫喝と取り込み、キャンパス外活動の常時監視など数々の弾圧に手を染めた。
この学生弾圧の先頭に立つ清水修二は」「福島事故の責任について東電が四割、政府三割、自治体二割、国民一割だと思っている」と言い放っている。「福島の立場」を自称して全国のがれき受け入れ反対闘争をののしり、「国民総ざんげ」を要求する清水の狙いは、政府・東電への責任追及のあいまい化であり、原子力ムラの免罪であり、放射能による健康被害を闇に葬ることにある。
全国学生の力を結集し、福大生の決起と団結し、清水修二を打倒しよう!
(写真 福大から原発と大学を問う集会【12年10月23日 福島大学】)
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月刊『国際労働運動』(440号4-1)(2013/04/01)
●翻訳資料
“悪夢の航空機”になったドリームライナー
ボーイング787事故は外注化の必然的結果
村上和幸 訳
(図 全世界に丸投げ外注化)
【解説】
ボーイング787型機は、機体も制御システムも一新した夢の旅客機、「ドリームライナー」として華々しく売り出された。
だが、出火、オイル漏れなどの事故が連続した。今年1月16日の宇部空港発の全日空便のバッテリーから出火し緊急着陸する重大事故とボストン空港での日航便の同様の事故で、ついにFAA(米連邦航空局)も787型機の飛行停止を命じざるをえなくなった。787は「悪夢の旅客機」になり、飛行再開の目途もいまだに立っていない。あまりにも様々な事故が頻発しており、システム全体を見直さなければならないのだ。
航空宇宙産業という現代帝国主義の最先端産業のそのまたトップに位置するボーイングが、このように無残に崩れ落ちている。その原因は、ボーイングの外注化戦略だ。外注化は、根本的に破綻必至のものだということだ。
どの職場の外注化反対・非正規職撤廃の闘いのためにも、ボーイングの事態から学べるものは大きい。
そのために本号では、最近の事故と同社の大失態を78
7開発プロジェクトの出発当初から予見していた文書を紹介する。
@は、2001年2月にボーイングの社内シンポジウムで、同社のエンジニアのトップだったジェームズ・ハートスミスが行ったプレゼンテーションの内容を紹介した、地元紙シアトル・タイムズの2003年の記事だ。
Aは、ボーイング787の航空会社への納入が期限を3年も遅れるという同社の大失態を受けて、同社の旅客機部門のCEO(トップ経営者)、ジェームズ・オールバーが2011年1月に外注化戦略の大失敗を講演で「率直に語った」ことについての同紙の記事だ。
また、@の元になった01年2月のハートスミス報告書は、長文なので翻訳資料欄には収まらないが、この解説の中で内容を若干紹介する。
ただ、これらは、あくまでもボーイング社の中の様々な関係に配慮しながら書かれたものだ。
@の記事は、ハートスミス報告が出て、ボーイング社内が騒然となってから2年も経ってからやっと出されている。絶大な力を持つボーイング社を批判する記事を掲載するのは、それだけ困難なのだ。 また、ハートスミス報告書は、「技術者だから、財務が分かっていない」という反批判を封じるために、財務的問題を大きく論じて、そのうえでやや付随的な形で製造工程の問題を論じている。しかし、良く読めば、製造工程それ自体の問題が根本にあって、財務的な破綻も引き起こされるのだと書いてある。だが、@Aの記事とも、彼の報告書の内容を財務的問題のみに切り縮めてしまっている。
このように、この両記事は一面的なものなので、ここで787プロジェクトのトラブルについて、まず概略を見てみよう。
開発・製造段階からトラブル続出
787は、07年に初飛行し、翌08年には航空会社に引き渡すはずが、トラブルで何年も遅延を繰り返し、引き渡しが3年も遅れている。航空会社の運航計画もめちゃめちゃになり、航空機製造会社としては致命的な信用失墜だ。
そして、試験飛行を始めても、バッテリー発火事故など、重大事故が続出した。
なぜ、こんなことが起こったのか。
ボーイングは、この787型機の開発段階から、新たな外注化戦略に踏み出した。
日本のマスコミでも、ボーイング787型と以前の型で、他社製の比率の高さが違うということが報道された。だが、これは単なる比率の違いではない。かつてのような部品を他の会社から購入する、あるいは部品をいくつか集めて組み立てた比較的小さなモジュールを購入するというのではない。ボーイング社の工場でこれまで行ってきたものを大規模に切り捨てた。“切リ捨て”――これが本質だ。
ボーイングの787外注化戦略は、個々の部品や材料ではなく、大規模に組み立てたものを発注し、それをボーイングに運んできて合体させるということだ。その大規模組立品の開発・設計も、ボーイングが設計した通りに生産させるのではなくて、その外注先の会社が開発・設計段階から行う。まさに「丸投げ外注」なのだ。
次ページの図で示されているように、水平尾翼と胴体中央はイタリア企業、主翼、車輪格納室などは日本企業などと、大きな単位だけ見ても、日、仏、英、伊、韓国、カナダ、オーストラリア、スウェーデンの諸企業に外注している。図の中のどこにも、ボーイングの主力工場であるエバレット工場(EVERETT)の文字はない。そこで行われるのは、外注先から運んできたものを合体させるだけになってしまっている。
「合体させるだけ」だから実に簡単で人件費も固定資本も徹底的に節減できるはずだった。計画の上では。
だが、合体させることは、実際には難物中の難物だった。世界中の様々な国から運んできたものの寸法がピタリとは合わない。一度作ってしまったものの大きさを変える作業は、最初からエバレット工場で作るよりはるかに大変なことになった。
ハートスミス報告書によれば、ボーイングと合併したマクドネル・ダグラス社の大規模外注化によって、まさにこれと同じことが起きていた。寸法も性能も合わないのだ。同社出身のハートスミスは、この経験から外注化戦略の破綻を警告したのだ。
しかも、合体させようにも、各大規模組立品の納期がそろわなかった。もちろん、航空機の製造は、たった一つ欠けても完成しない。また、各大規模組立品の製造メーカーも、部品や小規模組立品を他社から購入しているが、同様な問題に直面した。
たとえば、東レは、ボーイング社と炭素繊維の独占供給契約を結んだが、実際に工場で炭素繊維強化プラスチックで航空機の構造体を作るのは世界各地の外注先企業だ。ボー
イングが選定した材料や部品の製造会社のうち一つがおかしくなると、それが全体にブレーキをかけることになる。
また、このように開発・設計段階から大規模な多重的外注で作られているために、事故が起こっても、原因を特定できなくなった。各工程の担当企業が、自社が直接に行った工程以外のことは、ほとんど分かっていない。
従来の新製品の開発で行われていた、各担当部門同士の頻繁な調整作業(「すりあわせ」)は、外注化によって不可能になった。外注先がそれぞれ独立した営利企業だから、直接に自社の利益にならないすりあわせに時間と費用を使えない。それは単なる結果論ではない。ボーイング自体が、最初から、全体的な調整など切り捨てて良いとしたからこそ、内製から外注化に転換した。さらには、ある程度緊密な関係が持てる周辺地域ではなくて、全世界の遠隔地に大々的に外注したのだ。
@Aで述べられている純資産利益率(RONA)を基準にした経営は、単なる一次元的な数字で、生産事業を運営するということだ。新自由主義の経営者やアナリストは、特別な専門用語であるかのように、RONAという用語を振り回すが、実は単純なことだ。利益を分子、純資産を分母にした分数だ。小学校の算数の問題でしかない。
しかし、これをハートスミスのように批判するだけではだめだ。新自由主義の時代の経営者や雇われ学者たちは、それほど単純な連中なのだろうか。
幹部からも多くのハートスミス賛成者が現れたことに示されるように、ほとんどが外注化戦略の破綻性に気づいていた。だが、それでも突進せざるをえないのだ。
何よりも、生産過程を担っている労働者の団結が恐ろしいからだ。労働組合を破壊するためには職場そのものを丸ごと外注化するしかない。
そして、解決不能な過剰資本・過剰生産力の重圧の中で、一時の延命を求める必死の悪あがきをせざるをえないのだ。
新自由主義は、もともと不合理きわまりないものだ。資本主義があがけばあがくほど、泥沼に深くはまり込むというものだ。だが、自殺行為だと分かったら、あがきがやめられるだろうか。
もはや究極的解決も、今現在の解決も、労働者の団結した外注化阻止の闘いでしかかちとれない。
ボーイング社の労働者は、労組幹部の裏切りにもかかわらず、すでに何度も外注化阻止のストライキに決起している。「外注化阻止・非正規職撤廃」のスローガンで、全世界の労働者と団結しよう。
【〔 〕内は訳者による挿入】
@ボーイング社、外注化巡り騒然
2003年3月9日 シアトルタイムズ ドミニク・ゲイツ 航空宇宙産業担当記者
ボーイング社は次期航空機の計画を粛々と進めているが、経営陣は、外部のパートナーと納入業者に設計から開発そして製造まで、かつてなく大きく依存することをすでに決定している。
しかし、新型航空機7E7〔787の開発段階の名称〕の仕事の外注化がどのくらいの規模になるか心配しているのは、失業を恐れている労働者だけではない。
社内で出されたある報告書は、行き過ぎた外注化で会社の利潤が減少し、中心的な知的資産が失われてしまうこと、さらには長期的には会社の存続すら危うくなると警告している。
「最も重要な問題は、これまで内製していたものを大部分外注化して、会社の経営が成り立つのかどうかだ」
これは、南カリフォルニアのボーイング研究施設の上席主任研究員であり、同社の最も高位の技術者であったジョン・ハートスミスが、01年2月、ボーイング社のセント・ルイス市の幹部研修所で行った講演で配布された報告書の言葉だ。
ハートスミスは、会社の経営陣から外されてしまった。だが、彼の報告書は、講演に参加したエンジニアや管理職に支持され、社内に激震が走った。
この報告書のメールは、イントラネット〔社内ネット〕を駆け巡り、労働組合にもリークされ、エバレット工場〔ボーイングの主力工場。シアトル近郊にある〕の掲示板にも張り出された。しかし、まだ報告書の詳しい内容に踏み込んだ議論は、公然とは行われていない。
7E7は今、設計段階だが地域一帯の雇用は縮小している。2年前にハートスミスが指摘してから、問題はますます重要になっている。ボーイングの幹部チームは、来年までに詳細な製造計画を立てる。すでに苦境に立っているシアトル周辺地域の民間飛行機産業にとって、この08年に就航する予定の7E7が成功するか否かが、決定的なのだ。
エンジニアの労働組合SPEEA〔航空宇宙専門職エンジニア組合〕のチャールズ・ボファディング組合長は、「ハートスミスの報告書は、皆の疑問を形にしたものだ。専門知識をボーイングから流出させ、世界中にばら撒くことが、最良のビジネスモデルなのだろうか」と言っている。 ボーイングの役員たちは、ハートスミス報告書について直接コメントすることを避けたものの、社の外注化戦略については次のように述べている。欧州のライバル企業、エアバスとの過酷な競争にさらされている以上、効率向上以外に選択肢はないから、部品供給業者に一層複雑な部品を作らせるしかないと。
しかし、ハートスミスは、状況によっては外注化が必要な場合があるといっても、ボーイングは外注化に依存しすぎていると主張している。
「付加価値を生むすべての作業を外部化することは、利潤を外部化することになる」
ある上級管理職によると、彼の報告で社内が「騒然となった」という。しかし、ウォール街は、それをほとんど無視している。ドイツ銀行のアナリスト、クリス・メクレイは、ハートスミス報告書について「騒いでいるだけで内容がほととんどない」と言った。
世界的な名声
ハートスミス(62)は、1968年、ダグラス社がマクドネル社と合併した時期に同社に入社した。そして1997年、ボーイングが同社を買収した。
34年間この業界で仕事をし、ハートスミスは航空機構造体の接合のエキスパートとして世界的な名声を確立した。NASAや米空軍のプロジェクトのコンサルタントとしても働いた。また彼は、製造費が低く、軽量で、かつ耐用年数が長い新たな構造の胴体を設計した。
ダグラスでの彼の経験は、報告書の中で決定的な位置を占めている。ダグラスDC10型機が、航空機製造の外注化の頂点だったからだ。
彼によれば、DC10の外注の使用が過剰だったため、民間航空機部門の利潤の大部分が侵食され、新たな航空機開発に使う資金がなくなったのだという。マクドネル・ダグラス社は、軍用機を優先し、民間機から撤退するようになっていった。
外注化のエスカレーション
ボーイングは、ドル換算で計算すると、現行機種の作業の64%を外注している。(エンジンだけで、その半分になる)
7E7型機の外注率がどうなるかはまだ決定していないが、かなり高まることは確実だ。個々の部品に止まらず、完成度の高い部分組立品を請負業者に納入させるのが業界のトレンドになっているのだ。これで、ボーイングの最終的な組立作業が減るということだ。航空宇宙産業協会のジョエル・ジョンソンによれば、「請負業者は、以前のようにボーイングが仕様を指定した小型製品を製造するのではなくて、サブシステムもシステムも設計するように要請されている」。
ボーイング軍用機の製造・試作機部門の元副社長のジェリー・エニスは、7E7プロジェクトの製造工程の革新には、ボーイングの統合打撃戦闘機の試作機のものが流用されるであろうと言っている。ボーイング社内外のエンジニアのチームが統合され、ネット上で協働していくであろう。航空機設計の3D数学モデルをペーパーレスでやっていく。それにより大きな部品組立品を工場でさっとつなぎ合わせればよいことになる。労働・時間・コストの削減が大目標だ。
ボーイングのエンジニアリング及び製品統合性担当の副社長、ハンク・クイーンは、7E7の開発は、777の半数のエンジニアで済むと推計している。
海外販売
海外への販売も外注化に拍車をかけている。ボーイングの民間機部門のトップであるベッカーは、同社の日本市場での強さは、日本企業がボーイング機の機体製造に長年大きな役割を果たしてきたことによると指摘する。
「わが社の製品の70%は海外で販売している。買い手が、設計や製造への参加を求めてくるのが、航空機ビジネスの現実なのだ」
外部の見方
社外の独立したビジネス・アナリストは、ハートスミスの主張に理があると見ている。ハートスミスの主張は、ボーイングの労働組合でも大きな反響があった。
1989年には、2万7千人の機械工がレントン、エバレット、オーバーンの3工場で284機の民間機を製造していた。2003年には、ほぼ同数の飛行機の製造が計画されたが、この3工場には、1万5千人の機械工しかいない。設計と製造の効率性が上がったからこの人員数の削減が可能になったといわれているが、機械工組合は、外注化で大量の職を失ったのだと言っている。
たとえボーイングが7E7の最終的な組立をシアトル一帯で行うと決定しても――この決定自体、まだどうなるか分からないが――製造部門の職が大量に失われ続けるのではないかと多くの人が恐れている。
「7E7は外国の納入業者に大きく依存していく。納入業者は人、インフラ、固定資産に投資している。ということは、ボーイングは、それをやらないということだ」「遅かれ早かれボーイングの経営陣は彼らのビジネスのために人的資産と知識の臨界量〔それ以上でなければ機能しないという量〕を維持することを考えざるを得なくなるであろう」とエンジニア労組、SPEEAのアナリスト、スタン・ソーシャーは語った。
Aボーイング787のトラブルに「先見性」ある警告
2011年2月5日 シアトルタイムズ ビジネス担当記者
――ボーイング民間機部門トップ、ジェームズ・オールボー、787のグローバル外注化戦略について非常に率直にコメント――
この1月末にシアトル大学で行われたスピーチで、ボーイングの民間機部門のトップであるジェームズ・オールボーは、787ドリームライナーの製造の3年間の遅れという破滅的な事態から学んだ教訓を語った。
オールボーが率直に語った一つの大きな教訓とは、787のグローバル外注化戦略は特にコスト削減を目指したものだが、完全に逆効果になったというものだった。
「カギになるテクノロジーを社内に持ち続けることにかかるコストより、はるかに多額の金を外注化の問題から回復するために使ってしまった」と。
ボーイングは、新型機の開発費用を分担するために引き込んだはずのパートナーに対して損害賠償をしなければならなくなり、あるいは支援したり買収したりしなければならなくなった。そのうえ納期遅延のために発生した別の追加費用も負担している。
ウォール街のアナリストたちによれば、当初計画されていた50億jに加えて、120億jから180億jが必要になったと見積もられている。
しかし、一人の上級エンジニアが社内で大規模外注化戦略の結果を卓越した先見性で10年も前に予言していた。世界的に高名な航空機構造体エンジニアであるジェームズ・ハートスミスは、01年の社内シンポジウムで報告書を出していたのだ。
オールボーは、インタビューで、「6、7年前にこの報告書を読んだが核心を突いた点が多い」「非常に先見性があると思った」と語った。
スピーチの中で787の破滅的な失敗の教訓として第一に彼があげたことは、ハートスミスの報告書で言われていることと同じだ。「RONA=純資産利益率」と呼ばれる財務評価の指標基準を追求したことがボーイングの道を誤らせたのだという。RONA、つまり資産に対する利益の比率を大きくするためには資産を減らさねばならない。だから、RONA増大運動は、社内での仕事の削減に拍車をかけた。これによって施設と従業員という形の資産を削減し、他社に仕事をさせるということだ。
ハートスミスは、この財務評価指標を業績の物差しとして使うのは誤りであり、外注化は利益を減らし、会社を空洞化させるだけだと主張したのだった。
ハートスミスの分析によれば、ボーイングの外注化のアイデアは、軍用機を焦点にしたマクドネルのビジネスから来ている。軍事ビジネスでは米政府が主要な顧客であり多くの場合、唯一の顧客だ。その米政府が開発費を全額負担する。
「軍事ビジネスでは、自分の金をリスクにさらす必要がない。これがマクドネル・ダグラスのメンタリティーだった」
カリフォルニア州のマクドネル・ダグラス社の民間機部門の没落の原因は、MD95型機とMD12型機プロジェクトを大規模に外注化する姿勢だった。
この同じやり方が、マクドネル・ダグラスと合併してボーイング社に伝わり、78
7の外注化戦略に直結した。
ハートスミスは、「純資産利益率を最大化するという戦略をとことん推し進めて、一つを除いて全部の仕事を外部化すればいい。最後の仕上げに機首にボーイングのステッカーを貼る仕事だけが社内の仕事だ。これで、全部の仕事が納入業者に外部化されるとともに利益も大部分が外部化されるけれども、25kのステッカーの利益率を5000
%にすることもできるようになる」と皮肉った。
オールボーはインタビューで「わが社の外注化は行きすぎだった。今、われわれはもっと慎重なやり方に戻る必要がある」と述べている。
しかし、見直しといっても、ハートスミスが望んでいるような根本的なものにはなりそうもない。
ハートスミスの報告書にはボーイングが伝統的に社内でやっていた作業の大部分を維持すべきだと書いてあるが、オールバーはそこまでするには躊躇している。
驚くべき先見性があった01年の報告書は、経営学を焦点にしている。構造体エンジニアが、どこでこんな専門的知識を身につけたのだろうか。ハートスミスの答えは、「単なる常識だ」だった。
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月刊『国際労働運動』(440号5-1)(2013/04/01)
■Photo News
●エジプトのポート・サイドでムルシ打倒闘争激化
(写真@)
(写真A)
2月18日、アラブ世界第2の港湾都市、エジプトのポート・サイドで、数万人の労働者青年がムルシ政権打倒、緊急事態令撤回を掲げて抗議行動とストライキに決起した。スエズ運河の労働者は、造船所の門を閉鎖。29工場の4万人の労働者がストライキに突入し、学校や政府の事務所も閉鎖された。学生や教師、地方政府や裁判所、電話会社、天然ガス施設、税関などの労働者も闘いに参加し、市内は労働者によって制圧された
(写真@)。これによって国際貿易と崩壊寸前のエジプト経済にとって重要な海運の動脈であるスエズ運河の運営は危機に陥った。街頭での闘いが激化し始めると
(写真A)、ムルシ政権は、1月25日以降、緊急事態令を発し、夜間外出禁止令を出した。労働者人民の街頭制圧の闘いによって警察が完全に無力化されたため、軍隊は港湾の運営と運河の防衛、政府の建物の安全確保、工場の警備のために動員を強化した。しかし軍は、デモ隊を制圧できていない。ついに労働者階級本隊がムルシ政権とムスリム同胞団の支配打倒の実力闘争に決起し始めた。エジプト革命2周年を迎え、革命は完全に新たな段階に入った。
●チュニジアでゼネスト
(写真BC)
2月8日、チュニジアで極右イスラム政治勢力による反政府派の政治家暗殺に抗議する全国ゼネストが爆発した。チュニジアの労働者階級は、チュニジア労働総同盟(UGTT)の呼びかけの下、この35年間で最大の全国24時間ゼネストに決起し、全国の工場、学校、交通機関、銀行、商店などの活動を停止させ、街頭にうって出た。首都チュニスでは10万人がデモに立ち上がった
(写真BC)。この闘いは、体制内勢力であるUGTTの中央指導部との力関係をこの2年間の職場での闘いによって革命的に転換してきた戦闘的左派が全国ゼネストを牽引するほどの力を獲得しつつあることを示している。
●北京の米自動車部品工場でスト、非正規労働者が歴史的勝利
(写真D)
2月4日より、米系資本の自動車部品企業であるデルファイの北京の工場で、非正規労働者約400人が長期間の非正規雇用や低賃金、休暇、保険などをめぐってストライキに突入した
(写真D)。そして4日間にわたるストライキ闘争の末、7日に月給500元(約7000円)の一律賃上げ、そして3年以上勤務した派遣労働者は年明け(旧正月の明け、2月15日以降)に正式な労働契約を交わして全員正社員にすることなどを認めさせるという、中国の労働運動史上画期的な勝利をかちとった。
●広州の日系東海ゴム工業で2000人のストライキ
(写真E)
(写真F)
(写真G)
1月28日正午、中国の広東省広州市夢崗区にある日系東海ゴム工業(住友グループの傘下にある)の工場で、2000人の大ストライキが爆発した
(写真E)。中国は2月10日より春節(旧正月)を迎え、その帰郷の交通費などのために、会社は年末の報奨金を支払うのが中国の慣習である。ところが東海ゴム工業はこの年末の報奨金を支払おうとせず、労働者たちは故郷に帰れなくなろうとしており、それに抗議しての怒りのストライキである。ストライキは29日も続き、この日、大量の武装警官が動員され、労働者と激しく激突した
(写真F)。多数の負傷者が出て、殴られて意識を失った女性労働者もおり、十数名の逮捕者が出たといわれている。しかしストライキは不屈に続けられた。
同様に年末の報奨金の支払いを拒否したことから、22日にも富士康の北京大興区亦庄経済開発区にある工場でも労働者数千人がストライキに立っている
(写真G)。
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月刊『国際労働運動』(440号6-1)(2013/04/01)
■世界経済の焦点
安倍政権のインフレ策
通貨戦争を激化させ財政も破綻に追い込む
□50兆円強の資金供給
安倍政権が打ち出した「2%のインフレターゲット」政策のもと、円安と株高が進行しつつある。だが、これは資本主義の危機をさらに深めるものでしかない。
日銀は昨年12月20日の金融政策決定会合で、安倍にひれ伏す形で大幅な金融緩和策を決めた。その内容は、@国債などを買い入れる「資産買入基金」の規模を10兆円増額して総額101兆円とする、A新たに15兆円規模の貸出支援制度を設け、融資を増やした銀行にその増加分を低利で資金供給する――などだ。
「資産買入基金」は、リーマン・ショック後の金融緩和策の一環として、10年秋から設けられた。この基金による資産買入高は昨年末段階で約67兆円だ。日銀は、13年末までに資産買入高を101兆円に拡大するという。新設された貸出支援制度と合わせれば、日銀はこの1年間で50兆円強の資金を新たに供給することになる。09年から12年末までに、日銀の資金供給量は約40兆円増大した。これを上回る資金供給をわずか1年でやろうというのだから、その規模はすさまじい。
さらに日銀は今年1月22日の金融政策決定会合で、「2%の物価上昇目標」を明示するとともに、国債などを毎月13兆円程度買い入れる「無期限緩和」を14年初めから実施すると決めた。ただし、国債を毎月13兆円買い入れるといっても、1年間で買入額が156兆円(13兆円×12カ月)に膨らむわけではない。日銀が買い入れた国債も次々と償還期を迎えるから、政府から日銀に資金が環流する。そのため1年間の資金供給量の拡大は10兆円程度と見込まれる。
□国債バブル生んだだけ
次ページに掲げたグラフは、日銀による資金供給の推移を描いたものだ。日銀による総資金供給は、日本銀行券発行残高と硬貨流通量、日銀当座預金残高に分けられる。日銀当座預金とは、「銀行の銀行」と呼ばれる日銀に対し、銀行などの金融機関が持っている預金のことだ。(日銀券は金融機関が日銀の口座からカネを引き下ろした時に発行される。逆に、銀行が日銀券を日銀に預ければ日銀券発行残高が減って日銀当座預金が増える。これは、われわれが銀行から預金を引き下ろせば預金残高が減って手元に現金が入り、現金を銀行に預ければ預金残高が増えて手元の現金がなくなるのと同じだ。)
日銀は01年から06年にかけてと、09年以降今日まで、資金供給量を急激に増やしている。01年から06年にかけては、01年のいわゆるITバブル崩壊後の「量的緩和政策」、09年以降は、08年秋のリーマン・ショック後の金融緩和策によるものだ。
日銀が資金供給量を急激に拡大しても、日銀券の発行残高にはほとんど影響を与えていない。増大しているのは日銀当座預金だけだ。つまり、日銀がどんなに資金を供給しても、その資金は日銀に戻ってしまっている。昨年12月の総選挙の過程で、安倍は「輪転機をぐるぐる回してお札を刷る」と言ったが、少なくともこれまでは、金融を緩和しても「お札」(日銀券)の発行量は大して増えていない。
しかし、日銀の供給した膨大な資金が市場に出回らなかったわけではない。資金は、金融機関どうしが国債などの証券を売買する投機的な金融市場に流れた。金融機関がいわば内輪で証券の売買をしているだけなら、その代金決済は各金融機関が日銀に持つ預金口座間の振り替えで済む。日銀券の発行量が増えないのはそのためだ。
この間の金融緩和は、国債価格の投機的上昇(国債バブル)を生み出しただけで終わっている。
□大恐慌下の物価下落
ここ数年の消費者物価指数はほぼ一貫してマイナスだ。
大恐慌の根底には過剰資本・過剰生産力状態がある。だから、物価が下落するのは当然とも言える。資本主義の自由主義段階から帝国主義段階への推転期に発生した1873〜96年の大不況では、イギリスの卸売物価は40%も下がった。1929年の大恐慌に際しては、アメリカの卸売物価は30%下落した。
これらは金本位制下で起きたことだ。金本位制下では、通貨の発行量は中央銀行が保有する金の量に規定される。恐慌は中央銀行から金を流出させ、それに伴い通貨発行量は減少し、信用が急激に収縮する中で、恐慌は激烈なものになった。29年恐慌の過程で各国は金本位制を離脱し、金本位制は崩壊した。
通貨と金とのリンクが断たれたいわゆる「管理通貨制度」のもとでは、緩やかであれ急激であれインフレとなるのが基本的な状態だ。戦後長らくはそうだった。「管理通貨制度」のもとにあるのに、長期にわたって続いている日本のデフレは、歴史上かつてなかったことだ。
97年の北海道拓殖銀行の倒産や08年のリーマン・ショックに際しては急激な信用収縮が起きた。だが長期的に見れば、日銀券も預金通貨を含む信用貨幣も、いわば飽和状態を超えて供給されている。この間、労働者階級には首切りと非正規職化の攻撃が襲いかかり、賃金は97年をピークに下がり続けているが、大企業はけっしてカネ詰まり状態にあったわけではない。
にもかかわらずデフレが進行したのは、労働者への非正規職化・賃金切り下げの攻撃をテコに企業が低価格競争を展開したことが一つの原因だ。ユニクロのように低価格を売り物にする会社は、概して典型的な「ブラック企業」だ。また、電機産業を先頭に、資本は中国などアジアに生産拠点を移し、低賃金労働力をとことん絞り尽くしてきた。情報通信機器の価格は80年と比べて7分の1に、電子部品の価格は同じく5〜6分の1に下がっている。
しかし自民も民主も歴代政権は、デフレの原因は資本の投資意欲の減退にあるとして、労働者を非正規職化し、低賃金にたたき込む攻撃を一貫して続けてきた。これは労働者による消費を減少させ、デフレをさらに加速した。
こうした攻撃を今まで以上の規模と激しさで強行しようとしているのが安倍政権だ。インフレ策をとる安倍を賃上げの後援者のように描く連合は、またも労働者を資本の餌食に差し出したのだ。
□全面的な通貨戦争に
96年から11年にかけての消費者物価上昇率は、アメリカ2・5%、イギリス2・1%、フランス1・6%、ドイツ1・5%に対し、日本はマイナス0・1%だ。帝国主義各国の中で、ひとり日本だけがデフレ状態にある。
アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)が08年11月にQE1(量的緩和策第1弾)に踏み切って以降、各国帝国主義は競うように金融を緩和した。これにより供給された過剰な資金は商品市場にも投機的に流入し、原油などの資源価格を押し上げてきた。
こうした世界的な物価上昇の日本への波及を阻んできたのは、昨年秋まで続いた円高だ。そもそも帝国主義各国の中で一番悪い財政状態にあり、東日本大震災と福島原発事故で大破産を突きつけられた日本の通貨が高くなるのは、それ自体としては異様なことだ。だが、円独歩高は日本帝国主義の体制的危機と表裏一体の関係をなしていた。
99年以降、日銀はゼロ金利政策をとった。その後も恐慌の激化を恐れて金利を引き上げられず、日本の短期金利はほぼゼロに張り付いたままだ。ゼロ金利とは、それ以上、金利を下げる余地がないことを意味する。
こうした日帝の状態をあざ笑っていた米欧の帝国主義も、リーマン・ショックや欧州債務危機に見舞われる中で急激に金融を緩和した。そのため日米の金利差は縮小し、ドル資産の投資収益は減少、ドルから円に向かう資金の流れが起きて円は上昇した。この構図の根底にあるのは、いち早く恐慌に突入し、そこから抜け出せずにきた日帝の危機だ。米欧帝国主義は、この危機を突き、通貨戦争を強めることで延命を図ってきた。
安倍政権の登場後、為替相場は一転して円安に振れている。だが、これ自体がすさまじい通貨戦争を引き起こしている。とりわけドイツは激甚に反応した。首相のメルケルを先頭に、ドイツ連銀総裁らが安倍の政策を「為替操作」と繰り返し非難した。2月16日にモスクワで開かれたG20(主要20カ国・地域財務相・中央銀行総裁会議)は「通貨の切り下げ競争を回避する」という共同声明を出したが、これも通貨戦争に各国が身構えたことを意味する。
円安は日帝の命取りにもなりかねない。なぜなら円安は、金融緩和政策だけではなく、貿易赤字の構造化という事態の中で生じているからだ。日本の12年の国際収支は、貿易赤字が5・8兆円と過去最大に膨らみ、経常収支黒字は前年から約半減して4・7兆円になった。貿易収支の赤字を所得収支の黒字でかろうじて埋めているが、この構造がいつまでも続く保証はない。日帝が国是としてきた「貿易立国」の崩壊は、もはや隠しようがない。
円安は輸入資源のコスト増大に拍車をかける。例えば関西電力の場合、1円の円安は年139億円の損失をもたらすという。この中で日帝はますます原発再稼働への衝動を強めている。
□国債の大暴落を招く
米FRBやECB(欧州中央銀行)による超金融緩和策は、長期デフレに苦しんできた日帝の状態への反動的「総括」の中から出てきた面がある。つまり、まともに不良債権処理などすれば恐慌を激化させるだけだから、金融緩和ですべてをごまかしてしまえというわけだ。安倍は、こうした米欧の動きを見て、さらなる金融緩和に対抗的に踏み切った。これにより各国帝国主義は、過剰資本・過剰生産力を抱えたまま本格的なつぶし合い・大争闘戦に突入した。フランスのマリ侵略戦争や釣魚台を巡る日帝の軍事的突出もここから起きている。
日帝にとって最大の「不良債権」は財政赤字だ。安倍は超金融緩和で実質的な国債の日銀引き受けに道を開いた。それは国債の大暴落を招きかねない。株価高騰の裏で昨年12月には国債価格が下落した。国債市場から資金が流出し株に向かったのだ。金融資本は「危ない国債」から手を引く機会をうかがっている。
安倍は13年度予算案で新規国債発行額を税収以下に抑え、「財政規律」に配慮したかのように言う。だが、12年度補正予算と合わせれば総額103兆円もの放漫財政に踏み込んだ事実は消せない。とりわけ公共事業費は、13年度予算案で前年度比15・6%増の5・3兆円となり、12年度補正予算案と合わせれば7・7兆円の巨額に膨らむ。
しかも安倍は、予算編成の前提となる13年度経済見通しで、名目GDP成長率を2・7%、消費者物価指数上昇率を0・5%と想定した。これを前提にすれば税収見込みも過大になる。しかし、12年10〜12月期の名目GDP成長率は年率換算でマイナス1・8%だ。効果の定かでない「アベノミクス」がすでに成果を上げているかのような前提で予算を組むこと自体、でたらめきわまる。
ここから来る財政危機をのりきるためには、消費税の大増税と社会保障制度の解体、一層の首切りと賃下げにのめり込む以外にない。安倍の経済政策は日帝の体制的危機をさらに深め、階級決戦を引き寄せている。
(岩谷芳之)
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月刊『国際労働運動』(440号7-1)(2013/04/01)
■世界の労働組合 韓国編
全国保健医療産業労働組合
全国保健医療産業労働組合(以下、保健医療労組)は、正規・非正規を問わず地域、病院別の特性、業種の違いを超え、医療産業全体の労働者が加入できる産別労働組合で、現在、約4万人が加入する。
民主的労組運動の大前進を切り開いた1987年労働者大闘争のまっただ中、7月に国立ソウル大学校病院で労組が結成されたのを皮切りに、全国で続々と病院労組が結成される。これらの労組はその後、全国病院労組協議会、全国病院労働組合連盟の段階を経ながら産別労組の建設を進め、その過程の1993年に最高裁判決で合法連盟の地位を確保、1998年2月に産別労組として全国保健医療産業労働組合の創立をかちとった。
■カネより命を!
87年民衆大闘争17年目の記念日である2004年6月10日、ソウル大病院、高麗大病院など保健医療労組に所属する全国121の病院支部が、「カネより命を」のスローガンを掲げ、週5日制実施、非正規職の正規職化、金もうけ優先医療反対・医療の公共性強化(短期病床制廃止、病室料の引き下げなど)を求めてストライキに突入した。これに対しソウル大病院側は、支部を刑事告発し、巨額の損害賠償・仮差し押えを請求するなど労組つぶしの態勢で臨んだ。
スト突入13日後、保健医療労組指導部は、差別を容認した内容で使用者側と産別合意を結んでしまう。ソウル大病院労組が、差別なき週5日制と生理休暇・年月次休暇に対する賃金補填(勤労基準法の改悪で無給化されていた)を掲げていたのに対し、産別指導部は、現職員のみを対象とし新規職員は対象としない形で使用者側と合意してしまったのだ。
ソウル大病院支部は、この産別合意を拒否してストを続行。7月25日まで44日間にわたって闘い抜き、その過程でスト参加者数は当初の30 0人から800人へと拡大。最終的に結ばれた合意では、週5日制に向けた人員確保、損害賠償・仮差し押さえの取り下げ、非正規職員33人の正規職化、短期病床制・2人病室料の引き下げ案の年内策定などをかちとった。しかし新規職員の生理休暇賃金補填問題は解決しなかった。
(写真 全国121の病院支部が「カネより命を」を掲げてストライキに突入【2004年6月】)
■ソウル大病院支部が脱退
産別交渉の過程で独自の闘いを貫いたソウル大病院支部に対し、上部団体である保健医療労組は、当時のキム・エラン支部長を懲戒に付した。支部側は、「差別を容認する産別協約の押しつけは支部独自の闘いを縛る」と主張したが受け入れられず、2005年4月、「悲痛な心情」で産別労組を脱退し、ソウル大病院支部労組へと組織を変更した。「支部労組」という名称には、産別労組建設を否定するものではないが原則を貫くために保健医療労組を脱退せざるを得ない、という思いが込められていた。ソウル大病院労組のほかにも6労組が同時に保健医療労組を脱退し、この問題は、産別交渉本位の産別労組建設の内包する問題を浮き彫りにした。(キム・エラン支部長は同年11月6日、日本の全国労働者総決起集会に参加)
その後、ソウル大病院支部労組をはじめ江原大病院支部労組、慶北大病院労組、済州地域医療労組など15事業所労組、6200組合員が、「上層指導部によって画一化された運動」を批判して医療連帯労働組合(医療連帯)発足させ、「現場を中心とした多様な意見を組織発展の動力とする」組合活動を目指して闘いを展開している。
■医療民営化との闘い
2008年に発足した李明博政権は、医療民営化政策を推し進めた。具体的には、@健康保険当然指定制度(医療機関や薬局などにおいて健康保険の適用を拒否することがないよう定められた制度)を緩和・廃止する法案、A病院を保健福祉部の指導下から企画財政部に移管する「サービス産業発展基本法案」の推進、B民間保険業の活性化推進、C病院による葬儀・食堂事業など営利部門への参入推進、D経済自由区域に営利病院を建て、外国人を誘致して医療観光の活性化を図る法案推進――など、露骨に医療を金もうけの手段に転落させる政策を推し進めた。
これに対し保健医療労組は、「国民健康権の実現」を対置し、営利病院の導入阻止、無償医療の実現を掲げて運動を進めている。
2月末に大統領就任予定の朴槿恵当選人は、「基礎老齢年金20万ウオン支給」「4大重症疾患に対する100%の国家保障」など、選挙時に掲げていた公約を早くも反故にし、新自由主義推進の立場を明確化させており、保健医療労組は新たな闘いを準備している。
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月刊『国際労働運動』(440号8-1)(2013/04/01)
■国際労働運動の暦/4月24日
■1968年全軍労初のスト■
沖縄基地労働者立つ
大幅賃上げ、布令116号撤廃を掲げ 極東最大の侵略戦争基地を揺るがす
(写真 事実上のストに突入した全軍労と支援の労働者1万数千人が結集【68年4月24日】)
70年安保・沖縄闘争の中で重要な役割を担った沖縄全軍労(全沖縄軍労働組合)の名が全国に知れ渡るようになったのは、1968年4月24日の「十割年休闘争」という名の事実上の全面ストライキだった。
米軍施政下の沖縄で、米軍基地はベトナム侵略戦争の最大の出撃・兵站・訓練の基地としてフル稼働していたが、その基地機能は中で働く基地労働者(軍雇用員)を抜きには成り立たないものであった。
沖縄戦終了後ずっと米軍政下に置かれてきた沖縄で、60年代以降、基地労働者の労働組合結成が次々とかちとられていった。米軍はもはや抑圧するだけでは基地機能を維持できなくなった。その連合体としてまず全軍労連がつくられ、次いで単一組織としての全軍労が63年に発足した。68年当時、基地労働者1万8千人を組織し、沖縄県労協(3万9千人)の最大労組だった。全軍労は、米布令116号(米軍基地労働者関係法令)撤廃、大幅賃上げを要求して、4月24日早朝から、初の十割年休闘争に突入した。スト権のない全軍労にとって事実上の全面ストである。
この日のストには非組合員も多数参加し、基地関係労働者約4万人のうち約8割近くの約3万2千人がストに加わった。
▼基地機能をストップ
米軍の基地労働者は、第1種雇用員(アメリカ政府の割当資金による直接雇用者、1万7千人)、第2種(他の予算措置による雇用者)、第3種(軍人、軍属が雇用する者)、第4種(軍関係の民間業者が雇用する者)に区別されていた。全軍労が撤廃を求めた布令116号とは、第1種雇用員と重要産業指定職場の争議権を認めず、違反者に対しては解雇と2年以下の懲役または罰金という厳しい罰則を定めた反動法規だった。
この日の闘いは、特に軍事上重要な部門に働く第1種、第2種雇用員の過半数が就労しなかったため、軍用トラックの運転手、修理工が不足し、第2兵站部隊の物資輸送が半ば中止され、嘉手納基地では空軍用の弾薬輸送が大幅に遅れ、在沖縄米軍の基地機能はベトナム関係の物資輸送を中心にガタガタになった。基地労働者の実力決起で、ベトナム侵略戦争が実質的にストップするような打撃を与えたのである。
基地労働者は銃剣のもとで無権利状態を強いられ、ワシントンから派遣された賃金査定委員会が一方的に賃金を決め、その他の労働条件についても団交権すら認められていなかった。
この日の全面ストを前に追いつめられた米軍当局は、「布令116号を改正して、全軍労に全軍合同労働委員会との団交権を与える」と発表した。しかしそれは具体的に全軍労が要求した大幅賃上げについての回答を避けたもので、また布令116号撤廃要求についても、一部改正だけでスト権については触れてさえいないというごまかしであった。全軍労は、予定通り4・24全面ストに突入し、闘い抜いた。
この闘いは、米帝のベトナム侵略戦争を支える極東最大の基地沖縄における、それも米軍基地関係労働者のストライキとして、巨大な意義をもつものだった。それは、その後の本土復帰をめざす復帰協の闘いの最先端を切り開くものであり、71年沖縄のペテン的返還協定阻止闘争に向かって、階級的な闘いで基地沖縄の現実を切り裂いていく決定的なのろしだった。
▼全軍労闘争の発展へ
69年11月の日米首脳会談(佐藤・ニクソン共同声明)で「72年返還」が決定されると、在沖米軍は、基地労働者二千数百人の大量解雇を発表、以後、次々と人員削減計画を打ち出していった。これに対し、全軍労の戦闘的労働者は、「解雇撤回・基地撤去」を掲げ、「死すべきは基地だ。労働者は死んではならない」と階級的反撃を強めていった。それは全軍労幹部をのりこえる革命的な闘いの爆発になっていった。70年以降の全軍労闘争については、別の回で改めて取り上げたい。
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全軍労初の全面ストまで
1960. 4 沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)結成
7 初の軍関係労働組合結成。以後続々結成される
61. 6 全沖縄軍労働組合連合会(全軍労連)結成。中央執行委員長に上原康助
63. 7 単一組織への移行決定。全軍労と改称
64. 9 沖縄県労協に加盟
65. 5 タグボート事件(米軍タグボートの沖縄人乗組員に対する南ベトナム出動命令を全軍労が拒否)
66. 8 全軍労6回大会、復帰協への正式加盟を決定
68. 4 全軍労10割年休闘争(事実上の24時間全面スト)突入
スト翌日、全軍合同労働委員会との初の団交
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月刊『国際労働運動』(440号9-1)(2013/04/01)
■編集後記
「雇用破壊元年」ともいうべき激しい大量解雇と賃下げ、非正規職化の攻撃が強まっている。経済財政諮問会議では、安倍や原発大企業出身の民間議員らが「日本の企業は新陳代謝が足りない」などと議論している。これは資本こそ生命体であり、労働者はその犠牲となって当然だという主張だ。一体、労働者をなんだと思っているのか!
規制改革会議は、解雇規制の見直しの具体化を策動している。JR東日本は「経営構想X」で「利益を確実に創出し続ける、筋肉質で俊敏な経営体質をつくりあげます」と全資本家に向けアピールしている。
安倍政権が叫ぶ「成長戦略」とは、雇用破壊、賃金破壊を極限まで強めるということだ。民営化・外注化阻止と非正規職撤廃を4大産別―全産別で闘い、この3月、労働者の根底からの怒りを大爆発させよう。
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