International Lavor Movement 2012/12/01(No.436 p48)

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2012/12/01発行 No.436

定価 315円(本体価格300円+税)


第436号の目次
 

表紙の画像

表紙の写真 動労千葉のスト突入総決起集会(10月1日)

■羅針盤 大恐慌下で労働者の決起 記事を読む
■News & Review 韓国
公共部門民営化阻止のストに立つ  現代車蔚山工場で非正規職支会が高空籠城
記事を読む
■News & Review ヨーロッパ
EU首脳会議にギリシャで7万人デモ  革命的指導部の建設が緊急の課題
記事を読む
■News & Review アメリカ
米軍の現役・退役兵士の自殺が急増  数十万人に上るPTSD・TBI発症米兵
記事を読む
■特集/米帝の侵略と闘うアラブ労働者階級 記事を読む
■Photo News  第1章 ●民主労組ソウル本部が動労千葉ストに感動的連帯行動 記事を読む
■世界経済の焦点
「財政の崖」―米帝の没落  赤字放置でも緊縮財政でも大恐慌加速
記事を読む
■世界の労働組合 韓国編  全国金属労働組合 記事を読む
■国際労働運動の暦 12月4日
■1971年12・4反革命■  70年安保闘争に敵対
破防法弾圧に乗じ警察に加担して革命党を背後から襲撃したカクマル
記事を読む
■日誌 2012年9月 記事を読む
■編集後記 記事を読む

月刊『国際労働運動』(436号1-1)(2012/12/01)

羅針盤

■羅針盤 大恐慌下で労働者の決起

▼大恐慌の激しい進行のもと、世界中で賃下げ、大失業、非正規職化、社会保障解体、戦争の攻撃が強まっており、労働者階級が怒りのストとデモに立ち上がっている。インドネシアでは10月3日、日系企業の工場を含む200万人以上の労働者が歴史的なゼネストに決起し、賃上げ、派遣・請負労働の廃止、正社員化などを要求して闘った。南アフリカでも8月から鉱山・自動車・運輸などの労働者が続々とストに立ち上がり、トヨタの労働者が10月1日から3日間のストを闘い、実力で5%以上の賃上げを獲得した。
▼スペイン、ギリシャなどヨーロッパでも労働者の闘いが引き続き激化し、拡大している。この世界的な労働者の闘いの広がりは、新自由主義が全世界に膨大な賃金労働者を生みだし、資本主義創生期をも超えるような野蛮極まる搾取・収奪を強めていることに対する労働者の抵抗と反撃だ。抑圧と分断を打ち破って、労働組合のもとに団結して闘うことは、今や労働者の根源的な、生存をかけた欲求となりつつある。
▼大恐慌はこれからもっと本格化する。世界のブルジョアジーは今、欧州恐慌とそのアメリカ、日本、中国などへの波及が、世界的な「負の連鎖」となり、大恐慌がより本格的に激化する危機的情勢に震え上がっている。この中で彼らが真に恐れているのは、世界のプロレタリアートの革命的決起である。労働者階級がプロレタリア革命に勝利しなければ、ブルジョアジーは労働者を大失業にたたき込むと同時に、全人類を破滅に引き込む帝国主義戦争や核戦争だってやりかねない。これと対決し、勝利する道こそ、階級的労働運動の復権であり、革命党と労働組合の一体的建設の闘いである。

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月刊『国際労働運動』(436号2-1)(2012/12/01)

News&Reviw

■News & Review 韓国

公共部門民営化阻止のストに立つ

現代車蔚山工場で非正規職支会が高空籠城

 □鉄道、ガス、社会保険、学校非正規職などで

 民主労総の鉄道、ガス、社会保険機関、学校非正規職など公共部門の労働者たちが10月末から11月にかけて民営化阻止のストライキに突入する。このストライキは民営化阻止および再公共化、公共機関の民主的運営、公共部門の対政府交渉実現、非正規職撤廃などを要求して打たれる。
 公共運輸労組・連盟は10月11日午前、汝矣島(ヨイド)のセヌリ党の建物の前で記者会見を行い「10月総決起闘争」と宣言した。
 李明博(イミョンバク)政府の最末期の中、政府はあくまで公共部門民営化を推進する計画を出している。医療民営化政策に続き、KTX(韓国高速鉄道)、ガス、空港などで「競争導入」の名目のもとでさまざまな部門の民営化政策を押し出している。大統領選挙が迫る中で民営化反対を政治争点化するためにも今回の10月総決起闘争に立つのだ。
 公共部門労働者総決起闘争のトップバッターには鉄道本部が立つ。鉄道労組は政府のKTX民営化、「鉄道資産回収」をとおした分割・民営化政策の阻止を掲げ10月27日、全面ストライキに突入する。鉄道労組は去る9月25日から27日まで「KTX民営化阻止と賃金団体交渉をかちとるための組合員総投票」を実施して、76・6%の賛成で争議への突入を可決している。
 鉄道労組に続いて韓国ガス公社支部も「ガス民営化阻止」を掲げて10月31日、ストライキに突入する。現在、政府はガス貯蔵基地建設を民間に許容する方式でガス、電力などエネルギー産業民営化を本格化しようとしている。労組は「変形した民営化」方式であるLNGガスの企業直輸入政策の中断と都市ガス事業法施行令改正の中断、ガス産業の公共的運営を要求している。
 健康保険公団と国民年金公団など社会保険機関の労働者たちも引き続いてストライキに突入する。全国社会保険支部と国民年金公団支部は政府の一方的な公共機関予算編成指針撤回と労働基本権保障などを要求して10月31日にストライキを行う。
 11月には学校非正規職労働者たちがストライキに立つ。公共部門の非正規職の単一部門で最も大きな規模を占める学校非正規職労働者たちは「公共部門非正規職撤廃」を掲げて11月9日にストライキに突入する。
 これとともに公共運輸労組・連盟は10月総決起闘争と対政府闘争を企画している。10月31日、ソウル都心で3万人以上の公共部門労働者たちが参加する「公共部門労働者総決起闘争」を行う。公共運輸労組・連盟は賃金団体交渉ストライキを含む公共機関闘争動力を総集中して、2013年予算編成指針要求案貫徹、加盟傘下組織別の賃金闘争勝利、大統領選挙要求案世論化と大統領候補政策反映などを成し遂げる方針だ。
(写真 10月27日全面ストライキを予告している鉄道労組が「5次総力決意大会」を開催し、スト突入の決意を明らかにした)

 □現代車蔚山工場で2名が送電鉄塔に上る

 10月17日夜9時30分頃、2人の非正規職労働者が蔚山(ウルサン)工場前の送電線鉄塔に上って高空籠城(ろうじょう)に入った。
 2人は現代自動車蔚山工場で解雇された非正規職チェビョンスンさんと現代車非正規職支会のチョンイボン事務局長だ。チェビョンスンさんは現代自動車不法派遣訴訟の当事者だ。送電鉄塔の上で「不法派遣認定、新規採用中断、チョンモング拘束」という内容の懸垂幕(けんすいまく)を下げて籠城している。
 会社の管理者も駆けつけ、2人が上った送電塔の上に上って籠城を妨害して鎮圧する構えをとった。管理者の1人は「チェビョンスン、落ちて死んでしまえ」と叫んだと言う。チェビョンスン氏は会社による排除に備えて用意したシンナーを全身に浴びたという。
 現代車非正規職支会はすぐさま「17日夜間組に夜11時から18日午前6時までストライキ指針」を出し、作業を中断して送電塔付近に集結した。
 送電鉄塔の上からチョンイボン氏は次のようなメッセージを送っている。
(写真 現代車蔚山工場にある送電塔に上り、籠城中の2人の非正規職労働者)

 〔鉄塔の上から送る手紙〕チョンイボン

 一挙に駆けつけてくれた同志の皆さん、ありがとうございます。
 このように高いところに上って、闘う同志たちを見て、私も我知らず涙があふれてきます。2003年労働組合結成以後「不法派遣撤廃、すべての社内下請けの正規職転換」が私たちの目標でした。しかし会社は非正規職労働者をゴミのように、虫けらのように扱ってきました。
 この間、どんなに多くの同志たちが死に、傷つき、拘束されて、懲戒、解雇されたでしょうか? 告訴告発、仮差し押さえで苦痛を受けてきたでしょうか?
 労働組合10年、非正規職撤廃闘争10年です。
 今こそ終わりにしなければなりません。会社も決着をつけようとしており、われわれも決着をつけようとしています。会社は3千人新規採用の飴でそれを求める行列をつくろうとしています。5千余の非正規職同僚たちを真性下請けに変えるのだと画策しています。今年1千人を新規採用すると騒いでいます。
 こんなふうにして労働部に不法派遣改善計画を出して派遣法違反処罰を逃れようとしています。支会は今年5月15日の顔合わせを始めとして不法派遣特別交渉を行っています。そして今回が最後だという覚悟でストライキ闘争をしています。
 愛する非正規職同志の皆さん。正規職支部代議員選挙で一時中断されていた不法派遣特別交渉がすぐ再開されるでしょう。それに足並みをそろえてストライキ闘争の強度を高めて力を集中しましょう。
 尊敬する正規職同志の皆さん。同志たちがしっかり連帯してくれるから支会が立つことができます。これからもしっかりとした連帯を訴えます。
 しっかりとした覚悟で鉄塔に上りました。必ず勝利しましょう。「すべての社内下請の正規職転換」、必ずかちとりましょう。

 □公務員労組が「1020公務員総会闘争に立つ」

 全国公務員労働組合(キムジュンナム委員長)が10月20日、「1020総会闘争」を開催する。産別労組として全体組合員が参加する初めての総会だ。
 公務員労組設立10年を迎え、懸案事項の解決、今後10年の歴史をつくってゆくために14万組合員が主体として立つ原動力をつくり出すことが目的だ。
 1020公務員総会闘争は14万組合員全体の意志を集め△解職者原職復職△設立申告をかちとる△5、6級勤続昇進制をかちとる△政治表現の自由をかちとる△公務員報酬引き上げおよび報酬決定機構改善△大学生子女の学費をかちとることなど、当面の課題の解決を掲げて闘われる。また公務員労組は今年の大統領選挙の政治的空間を活用して14万組合員の要求を政治圏に伝達して、今後の闘争決意を固めて組織力を拡大していくという計画だ。
 公務員労組は今年9月3日から大統領選挙が終わる12月末まで組織を闘争本部体系に転換して、1020総会闘争に集中している。
 政治勢力も公務員労組総会を注視している。ムンジェイン民主統合党大統領候補が今回総会に参加する予定であり、アンチョルス候補も参加を考慮しているものとされる。
 6期指導部が発足して7カ月。労組は今回の総会をとおして公務員労組が大きな転機期を迎えていると話す。総会をとおした組織力強化と組合員の主体的参加、総選挙と大統領選挙をとおした当面の課題解決など大きな節目が待っているためだ。特に今年で10年を迎えた公務員労組は、今後10年の歴史をつくっていくための多様な変化を模索している。
 公務員労組は総会で「公務員労働者宣言」を採択して社会的責任のための決意を固める。労使関係が正常化しても労組が官僚化せずに組織利己主義に陥らないように社会的責任を放棄しないよう公務員宣言を準備して公務員労組運営の最大基準とするということだ。
(写真 公務員労組は6月16日、ソウル大のノチョン劇場で「1020総会闘争勝利のための総力闘争決意大会」を開催した)

 □亀尾の工業団地に有害フッ酸ガス流出事故

(写真 フッ酸ガス流出で枯れ果てた近隣畑の農作物)(写真 フッ酸ガス流出事故を起こしたヒューブグローバルの工場)

 9月27日、慶尚北道(キョンサンプクド)の亀尾(クミ)工業団地(KEC支会の労働者が働く公共団地に近い工業団地だ)のヒューブグローバルという化学工場で大規模フッ酸(フッ化水素酸)ガス流出事故が発生した。
 付近の住民や亀尾4産業団地の労働者たちが苦痛を訴え、近隣の農地では作物が真っ赤に枯れはてる被害が広がっている中、環境部や労働部などの行政は住民避難や労働者が働く近隣工場の操業停止避難などの措置をまったくとらず傍観していた。政府当局は安全だとして事故発生から1日もたたずに「深刻」段階を解除して縮小に汲々とし、10月8日になってやっと政府は亀尾のフッ酸ガス流出現場を特別災害地域と宣布するありさまだ。
 民主労組亀尾支部は声明を出し、「フッ酸の危険性は作業労働者の死亡と近隣地域の植物および農作物被害で確認された。それでも無条件安全だと主張するのは、不信を募らせるばかりだ。雇用労働部は今からでも4産業団地労働者たちに対して操業中止命令を出し、そして何よりも再発防止のためにフッ酸を含むすべての有害物質事業場に対して全面的実態調査を行い、対策を行わなければならない」と主張し、「今回の機会に作業場環境と有害物質取り扱いに対する根本的な対策を講ぜよ」と要求した。

 □深まる韓日連帯の絆

 民主労総ソウル地域本部は、日本のJR検修・構内部門の外注化阻止へ闘う動労千葉に対する連帯行動として、9月27日に日本大使館前で抗議の記者会見を行うなどの感動的な闘いに立ち上がった(36nのPHOTO NEWS参照)。これを受けて、動労千葉は、10月27日からの韓国の鉄道労組のストライキに連帯して闘う。11・4全国労働者総決起集会への民主労総の大挙しての来日、そして、韓国労働者大会への動労千葉代表団の訪韓をとおして、韓日労働者の連帯の絆が一層深まっていく。ともに闘おう。
 (大森民雄)

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月刊『国際労働運動』(436号2-2)(2012/12/01)

News&Reviw

■News & Review ヨーロッパ

EU首脳会議にギリシャで7万人デモ

革命的指導部の建設が緊急の課題

 □EUはわれわれを殺すつもりか」

 

10月18日、ベルギーのブリュッセルで、「ギリシャ問題」を中心テーマの一つにして、EU首脳会議が開かれた。これに対し、約2000`離れたギリシャの首都アテネで、「EUはわれわれを殺すつもりか」「EUにノーベル平和賞? 冗談もいいかげんしろ」「労働者は闘うぞ」という7万人の怒りのデモが、嵐のようなゼネストのただなかで行われた。
ギリシャだけではない。財政危機の名のもとに、資本救済のために、労働者階級を犠牲にする緊縮政策を強制されているヨーロッパ諸国、スペイン、イタリア、ポルトガルなどでも、階級闘争は爆発している。さらに、大恐慌のさなかで、「競争に勝つこと」を資本の救済・生き残りのための至上命令として、体制内労働運動指導部のもとに「譲歩」「屈服」を強いられてきたドイツやフランスの労働者階級人民も、圧倒的なデモや大規模なストライキで決起しつつある。
EUに加盟して間もなく大恐慌を迎えた中東欧諸国の労働者階級も、この数年間の外注化・下請け化攻撃(独仏などからの工場移転)による低賃金・無権利状態に対して反抗を開始している。ヨーロッパ大陸は、新自由主義攻撃が階級戦争として熾烈化し、革命前夜情勢だ。
代2章□独帝・メルケルのアテネ訪問に抗議
10月18日のゼネスト・デモに先立って、ギリシャ政府との会談のためにアテネを訪問したドイツ・メルケル首相は、巨万のデモに「歓迎」された。ギリシャ労働者人民は、サマラス政権に緊縮政策を強要するトロイカ=kEU委員会・IMF(国際通貨基金)・欧州中央銀行〕の背後にEUの基軸国ドイツ帝国主義があることを痛感しているのだ。
「欧州中央銀行月報」の最新号(10月)は、次のように述べている。
「@2012年のユーロ圏の実質GDPは、第2四半期に0・2%縮小した。第3四半期も低成長であろう。経済全般に不安定感が支配している。A不安材料は、高度の失業率と世界的な回復における不均衡性である。B金融市場の分裂と資本の銀行に対する消極性が、信用供給を制限している。銀行のバランスシートの健全性の回復がすべての鍵である。C財政健全化の努力、金融部門の機能改善の遂行とともに重要なのは、構造改革である。恐慌の打撃を最も激しく受けた諸国においては、すでに単位労働コストの正常化や経常収支の改善に関してはめざましい前進が見られる。製品市場、労働市場における決定的な改革は、これら諸国の競争力を強化し、対応能力を高めるであろう。D欧州委員会が、(全ユーロ圏銀行の)単一監督機構の設置を決定したことを歓迎する」
〔ドイツは銀行規制については慎重論を唱えているが、メルケルはアテネで「各国の予算作成と執行を監視、管理すべきだ」と語った〕
この「単位労働コストの正常化」「経常収支の改善」において「めざましい前進が見られる諸国」というのが、まさにギリシャやスペインである。公務員・公共サービス労働者を始めとする賃金が大幅に切り下げられ、年金などの社会保障制度は解体され、首切りが強行される一方、銀行など金融資本には膨大な資金が投入された。
では、資本主義は救済されたのか? この報告が悲鳴を上げているように、肝心の金融市場はますます分裂と混乱が支配し、過剰資本が投機資金として荒れ回っているなかで、銀行間の取引は停滞、企業への資金供給は行き詰まり、加えて、緊縮政策の結果、購買力は衰退、実体経済そのものが低成長に陥り、世界貿易全体は収縮するという泥沼状態である。このような狭まる市場をめぐって、死活をかけた競争は激化の一方をたどらざるをえない。
「規制緩和」「資本の自由な運動」を建前としていた新自由主義が、「銀行の一元的管理」「各国の予算と財政の監督」にまで踏み込まざるを得ない、という帝国主義=資本主義経済の自己矛盾が、EUにおいて集中的に現れており、それが世界経済全体に打撃を与えている。こうした絶望的状況からの脱出策は、結局、労働者階級人民への一層の攻撃の集中、階級戦争の熾烈化とならざるを得ない。
しかし、労働者階級は、いつまでも資本と国家権力の言いなりになる存在ではない。体制内労働運動指導部の支配を揺るがし、食い破って、全世界で階級的決起を開始している。EUの労働者にとって、11年冒頭のチュニジア・エジプト革命が、新たな「資本主義の墓掘り人」の歴史的登場として、巨大な衝撃となり激励となったのである。

□ゼネストを繰り返すギリシャ労働者階級

 欧州危機の焦点となっているギリシャでは、この間、1カ月のうちに、2回のゼネストが緊縮政策に反対して行われた。政府がトロイカ≠フ指示に屈服して、資金援助と引き換えに財政削減を行うことを約束した「覚書」を発表したことに抗議して9月26に行われたゼネスト、それから今回、この「覚書」を確認するEU首脳会議開始の10月18日のゼネスト。これで、10年以来、ゼネストは10回目となる。
既成労働組合の二大全国組織は、それぞれ公共部門と民間部門の労働者を組織し、元のパパンドレウ政権を支え、現政権に対しても協調的な体制内労働組合であるが、現場労働者の怒りの大きさと激しさのなかでストライキを組織せざるを得ず、一方で妥協の道を探ってきた。
この闘いにもかかわらず、こうした体制内労働組合の屈服によって、ギリシャ労働者の賃金は平均して30%の削減となり、失業率はついに25%を超え、青年の2人に1人は失業者という状況になっている。しかし、アテネ都心の広場を百数十回となく埋め尽くしてきたデモ隊は、「やつらのつくった借金を、俺たちが払う理由はない」「われわれは屈服しないぞ」「労働者の誇りにかけて闘い抜くぞ」と叫び続けてきた。
ギリシャ労働者階級人民の戦闘性は、けっして解体されていない。第2次世界大戦の戦中から戦後にかけて闘われた〈ギリシャ内戦〉の階級的経験は、労働者人民のなかに生きているのだ。
この革命的伝統を革命の勝利へと転化させるためには、〈ギリシャ内戦〉を、帝国主義と協力して、血の海に沈めたスターリン主義との決裂を明確にし、労働者階級自己解放の立場に立ちきり、階級的労働運動を貫く革命党の建設が、絶対に必要である。ギリシャの労働運動、階級闘争は、既成勢力に反対するさまざまな潮流によって担われているが、この一点の突破が問われている。現に、この1年間で、40を超える新たな組合が結成され、体制内労働運動を内側から覆す動きが出ている。
(写真 「ギリシャ問題」をテーマにしたEU首脳会議に対し、ギリシャの労働者7万人が怒りのデモに決起【10月18日 アテネ】)

 □スペイン労働者階級の新たな反乱の開始

(写真 鉄道労働者のストライキ【9月17日 バルセロナ】)

 同じ課題は、スペインでも厳然と立てられている。ドイツ、フランス、イタリアに次ぐユーロ圏第4の位置にあるスペインは、新自由主義のもとで、住宅バブル投機の焦点となり、欧米の投機資金の恰好の餌食となった。金融恐慌の爆発のなかで、アメリカのサブプライムローンの破綻と並ぶ規模の打撃を被ったスペインでは、二大労組(労働総同盟=UGTと労働者委員会=CCOO)が、前社会労働党政権以来、緊縮政策の推進者として労働者階級の怒りを押さえつけてきた。
 だが、昨年、これに対する青年労働者の反乱が、「5月15日運動」(怒れる若者の運動=jとして爆発し、夏から秋にかけて全スペインを席巻し、各都市の広場を大デモで埋め尽くし、政府や既成政党に抗議行動をぶつけるという形で展開された。2人に1人が失業中という青年労働者の積み重なった怒りの表現であった。
 この運動は、11年10月15日には、アメリカの「オキュパイ運動」と呼応して、世界的な新自由主義反対のデモとしてクライマックスに達する。社会党政権に代わる国民党ラホイ政権による緊急政策の継続に対して、なおも屈服を続ける体制内労働運動に対して、今年8月、アストリアス地方の炭鉱労働者が、大量首切りに反対するストと首都マドリードへ向けての「黒い行進」を貫徹し、「炭鉱労働者のように闘おう」という歓声で迎えられ、階級闘争を新たな次元に押し上げた。
 ラホイ政権の新自由主義的教育解体の攻撃に対して、教育労働者が独自の決起を開始し、これに続いている。
 9月には、カタルニア州において、「緊縮政策反対」「州の独立」を掲げた運動が、150万人を結集して闘われた。州都バルセロナは、1930年代〈スペイン内乱〉におけるフランコ反革命に対する主戦場であり、労働運動の革命的拠点であった。「独立」がテーマとなっているが、この一大大衆決起の根底にあるのは、反労働者的緊縮政策と体制内指導部に対する階級的な怒りである。体制内労働組合を支えているのは、スターリン主義党を含む、既成政党である。
 〈スペイン内乱〉におけるスターリン主義の裏切りに対する階級的総括をふまえた階級的労働運動の革命的指導部の建設なしには、この巨大な大衆的怒りを、スペイン=ヨーロッパ―世界のプロレタリア革命勝利へ転化していくことはできない。

 □ドイツ・ルフトハンザ航空添乗員組合のスト

 ドイツでは、9月にルフトハンザ航空の添乗員(客室乗務員労働者)組合(UFO)が、要員の非正規職化に反対し、大ストライキを打ち抜いた。2日間にわたり重点ストを闘い、第3日には、ドイツ国内のルフトハンザの全職場での24時間ストを打ち抜き、1800便の大部分をストップさせた。これは、ルフトハンザ社設立(1954年)以来、最大の打撃を与えるストで、資本を震撼させた。
 航空会社の競争の国際的激化のなかで、ルフトハンザ社は、低賃金・無権利の派遣労働者を添乗員として雇用し、組合の団結を破壊することを狙っていた。会社側の「非正規労働者雇用」を一時、見合わせるという回答に応えて、組合は直ちにスト解除を指令した。しかし、ルフトハンザ社は、明確な約束をしたわけではなく、一時的な時間稼ぎをやっていることは明らかである。現場労働者からは、「何のためにストをやったのか」という声が、「競争力の強化には賛成」という組合指導部への批判として上がっているという。
 この添乗員組合は、体制内労組である統一サービス労組(Ver.di)から分離したばかりの独立労組である。この航空運輸労働者全体を限りなく激励し、全労働者階級に対し新自由主義攻撃との闘いへの檄を発した添乗員労働者の歴史的ストライキの勝利の道は、やはり階級的労働運動の再建にかかっている。

 □機関士労組の闘い

 こうした点から、この間、動労千葉との交流・連帯を開始しているドイツ機関士労組(GDL)が、新自由主義反対、交通事業の民営化反対のスローガンを断固として掲げ続け、鉄道・運輸労働者の部門ごと、組合ごとの分断をのりこえる「全国統一賃金協約」を要求して、ストライキの実力行動を貫徹していることは注目すべきである。そのなかで組織拡大をかちとっていることは、ヨーロッパ労働者階級にきわめて貴重な路線的提起を行っている。
 新自由主義攻撃と闘うヨーロッパ、全世界の労働者階級人民の勝利のために、時代認識と路線で一致した階級的労働運動を強化し、闘う労働組合を再建していくことがますます緊急の課題となっている。
 (川武信夫)

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月刊『国際労働運動』(436号2-3)(2012/12/01)

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■News & Review アメリカ

米軍の現役・退役兵士の自殺が急増

数十万人に上るPTSD・TBI発症米兵

 ここで取り上げるのは、イラク・アフガニスタン侵略戦争を戦い、今なおアフガンに多くの部隊を駐留させている米軍の現役・退役兵士の自殺の急増だ。
 現役兵士の自殺者数は今年、アフガニスタンでの戦死者数を上回るペースとなっている。米陸軍は8月17日までに、7月の現役米兵自殺者が38人だったと発表した。09年以降では最悪。今年1〜7月の総計は187人に達し、同時期のアフガニスタンでの米兵戦死者197人に迫った。年間自殺者も過去最悪を記録するのは必至となっている。
 またイラク・アフガニスタン侵略戦争に従軍し、退役した兵士の自殺者も急増している。2010年の1年間での帰還兵の自殺者は6500人を超えた。毎年この規模で自殺者が出ている。6500人は、10年以上にわたる両戦争での戦死者数と同じ数だ。
 両戦争での従軍者は全米人口のわずか0・6%でしかないが、自殺者は全米3・3万人の2割を占めているのだ。
 以前の戦争に比べイラク・アフガンでは、戦死者が大幅に減少したが、帰還後に退役米兵の自殺者が大幅に増えている。
 イラク・アフガニスタン侵略戦争は米帝の新自由主義の侵略戦争であった。それは、米帝軍事産業を中心とした大独占ブルジョアジーの利益を最大限追求するものであった。侵略戦争を軍事産業の金儲けの道具にし、そして戦禍で苦しむイラクの復興をも軍事産業の金儲けの道具にした。怒ったイラク人民は反米武装闘争に決起した。石油労働者は労働組合で団結して米帝の民営化・労組破壊と闘った。
 同時に米帝は侵略戦争に動員した米兵に対し「殺し尽くし焼き尽くし破壊し尽くす」を強制した。その中で米兵は殺され重軽傷を負い、多数がPTSD(心的外傷後ストレス障害)やTBI(外傷性脳損傷)を発症させた。それでも米兵は戦地に繰り返し送られた。死ぬまでこき使われた。本土に帰還しても満足な医療や傷病補償も得られず、自殺に追い込まれるケースが続出した。
 帰還した米兵が突きあたったのは、米兵の生存のための治療や補償の要求を拒否するに等しい米政府ブルジョアジーの階級戦争だった。
 これは新自由主義のもとで、外注化・非正規職化が進む労働現場における労働者の現実とまったく同じだ。資本による労働者に対する生存を脅かす無限の搾取の進行という階級戦争が、兵士に対しても繰り広げられた。兵士たちは、生きるために、労働者が労働組合をつくり闘うように団結して闘っている。
(本論は『勝てないアメリカ』岩波新書/大治朋子著を参考にしています)

 □予備役・州兵が3割

 アフガニスタン・イラク侵略戦争を開戦したブッシュ政権の国防長官ラムズフェルドは、極め付きの新自由主義者だった。
 ラムズフェルドはイラク侵略戦争に投入する米軍兵力を21万人とした。米軍部は50〜60万人と進言していたが、これを切り捨てた。
 ラムズフェルドは、戦争の民営化と外注化を徹底化させて兵力を削減しようとしていた。軍は少数の中核スタッフを残して正規軍を大規模に縮小し、非正規職にあたる予備役や州兵を動員する。基地建設や軍需輸送など兵站部門を民間戦争請負企業に任せる。これで数十万の兵員を節約できるとした。
 短期決戦であれば、50〜60万人を動員することができたのかもしない。しかし米帝の思惑を超えてアフガニスタン侵略戦争は01年開戦からすでに11年、イラク侵略戦争は03年開戦から11年撤退まで9年という長期の泥沼戦争になった。
 イラク侵略戦争には、おおよそ米兵20〜15万人を派遣していた。うち陸軍は約10万人だった。
 従来、米軍は戦場で過ごす期間は12カ月、次の従軍までの休息期間は原則2年と決められていた。すると陸軍10万人を送り続けるためには最低30万人が必要となる。しかもアフガニスタンにも派兵している。他の海外勤務もある。
 ところが米軍は、91年のソ連崩壊による冷戦終結で210万人体制を150万人体制に、陸軍も78万人体制から48万人体制に縮小した。この兵力では、米軍にはイラクに長期に陸軍10万人を派兵することは不可能だった。
 そこでラムズフェルドは、兵士が戦場で過ごす期間を12カ月から15カ月に延長し、次の従軍までの休息期間を2年から1年に短縮した。また除隊(退職)希望者に、除隊延期を強制する「ストップ・ロス」を発動した。これは徴兵制から志願制への移行のもとで定められた緊急事態の特例であった。
 米軍が用いたもうひとつの「禁じ手」が、従来、戦場の第一線に配備されることがほとんどなかった予備役や州兵を最前線に送り込んだことだ。イラク・アフガニスタンでは50万人以上が派遣され戦力の3割を担った。
 州兵や予備役はもともとサイドビジネスとして志願する人が多い。戦争のない時期は定期的に訓練に参加し「有事」に備えるだけで、月数万円の収入になる。誰もがイラクに派兵されるなどとは考えてもいなかった。
 ラムズフェルドはこうした高齢で訓練も不足している州兵や予備役を無慈悲にも最前線に送り込んだ。十分な訓練を積んだ陸軍兵や海兵隊でも苦戦を強いられたアフガニスタン・イラクの戦場で、装備も貧弱な州兵や予備役の困苦は想像を絶するものがある。

 □「米兵の死なない戦争」

 米軍は、第2次世界大戦に1611万人を従軍させ戦死者約40万人を出した。朝鮮戦争では572万人を従軍させ戦死者約3万6000人、ベトナム戦争では874万人を従軍させ戦死者約5万800
0人を出した。
 特にベトナム戦争ではベトナム人民の民族解放・革命戦争があり、ベトナム侵略戦争の不正義性が明らかになり、アメリカの反戦闘争が大高揚し、革命情勢が生まれた。とりわけ6万人にも達する戦死者の数が反戦闘争に火をつけた。戦死者の数を抑えることが米軍が侵略戦争を遂行していく上で最重要な課題となった。
 03年夏以後、イラクの反米武装勢力はIED(即製爆破装置)攻撃を激化させた。米軍は地雷に耐え得る特殊な大型装甲車、飛来する金属片から頭を守るヘルメットや防護服を導入した。
 その結果、イラクでは負傷兵の9割以上が命を取り留めるようになり、米軍の戦いはかつてないほど「生き残る戦争」へと変質した。
 米兵の死者と負傷者の割合は、ベトナム戦争で1対2・6、湾岸戦争で1対1・2、イラク戦争では1対7・3になった。ハイテク装備や重傷を負った米兵に対する高度な医療体制が戦死者増を防いだ。
 イラク・アフガニスタンの戦場で負傷した一部の重症患者は、ドイツ南西部にある米軍のラムスタイン空軍基地の付属医療機関ラントシュトゥール米軍病院に最短11時間で運ばれ、最高度の治療を受けて命を救われた。兵士の命が大事というわけではなく、政治的にそれが必要であったのだ。それは帰還米兵への冷たい仕打ちに示されている。
 その結果、アフガニスタン・イラク侵略戦争での米兵の戦死者は大幅に減少した。
 アフガニスタン・イラク侵略戦争の従軍総数は12年7月現在で230万人。戦死者は約6500人である。ところが「負傷者ならざる負傷者」が膨大な数に上った。それがPTSDとTBIだ。
 PTSDはすでによく知られていた疾患だが、米軍がこの新しい負傷であるTBIをTBIとして認識して対応するまでには相当な時間がかかった。多くの兵士がTBI負傷後も戦地で任務を遂行し、帰還後も放置された。

 □外傷が見えないタイプのTBI

 TBIとは、外傷性脳損傷のことだった。外力によりもたらされる脳組織の損傷で、車の事故、スポーツの転倒で頭部に直接の衝撃を受けることで発症することが多い。
 戦争で頭部に外傷を受けることは珍しくない。爆発で飛び散った金属片で外傷を負ったり、爆風の衝撃で転倒して頭を打つことも多い。だが帰還兵の間で急激に増えているのは、そのどちらでもなく、外から外傷が見えないタイプのTBIだ。
 典型的な症状は頭痛や短期の記憶障害、不眠、怒りっぽくなるなどの精神的な不安定さ、光への過敏症を訴える人もいる。だが疲労などによるものと誤解されやすい。
 またPTSDを併発している場合が多い。PTSDは、危うく死ぬか重症を負うような出来事に遭遇した後に起こる、心に加えられた衝撃的な傷が元となる、様々なストレス障害を引き起こす疾患のことである。IED攻撃を受けて自分も死にかけ、同僚が爆弾で吹き飛ばされる現場に直面していることがPTSDとTBIを併発させる。
 IEDとは何か。「手製爆弾」「路肩爆弾」のことで、今は「即席爆破装置=IED」と言われるようになった。
 07年9月30日、ワシントン・ポストが開始した連載特集「路肩爆弾を制する戦い」には以下のように書かれていた。
 「第1次世界大戦ではマシンガン、湾岸戦争では精密誘導のスマート爆弾、イラクやアフガニスタンの戦争を象徴するのは路肩爆弾だ」
 「手製爆弾はイラク戦争の米兵死亡(3100人)の原因の3分の2を占め、米国防総省は100億jを投入しているが、有効策は見つからない」
(写真 即席爆発装置(IDE)に使われる爆発物)

 ▼帰還兵ジョシア・キャロウェイさん(21)の例

 キャロウェイさんは、離婚家庭で育ち、生活を支えるため15歳の時に「陸軍に入る」ことを決意し、高卒後陸軍に入り精鋭の空挺部隊に配属された。
 05年10月、イラクに派遣され、武装勢力のアジト探索を命じられた。行く先々に無数のIEDが仕掛けられていた。IEDをゼロにすると翌日にはまた仕掛けられるいたちごっこが続いた。06年8月、バグダッド南方を車列で移動中、先頭車両の最も信頼していた軍曹が車を止めて降りた。キャロウェイさんも降りようとした瞬間、IEDが爆発した。軍曹の体が飛び散った。爆弾に遭遇したのは初めてではない。何度も体ごと10bも吹き飛ばされてきた。しかしこの日から悪夢と不眠に悩まされ、翌月、本国への帰還が決まった。
 06年10月、ワシントン郊外の米陸軍病院「ウォルター・ロード」に入院し、8カ月後、PTSDと診断された。
 ところが、記憶障害と光への過敏症に苦しんだ。叔父が「おかしい。近くの軍病院にTBIという脳の傷病が疑われる兵士の診療が殺到していると聞き、検査予約を求めたら数カ月先までいっぱいだと言われた」と。
 兵士は戦場で1年に200回程度のパトロールを行い、その過程で平均12〜15回の爆弾攻撃を受けると言われる。一度爆風にさらされた人が再度爆風にさらされると、TBIを発症する可能性が1・5倍になる。TBIが問題になってかなりの時間が経つ08年秋でも、イラクでは負傷兵の半数が72時間以内に現場の任務に戻っていた。これはTBI負傷兵を増やすものだったので後に改められた。

 □20〜50万人が発症

 国防総省がTBI対策室を設置したのが07年秋だった。09年3月4日、国防総省はイラク・アフガニスタン派遣米兵180万人余りのうち、約1〜2割(18〜36万人)の兵士がTBIを発症するとの推計を発表した。
 米議会予算局が12年2月に作成した報告書などによると、11年秋にはTBI発症者の数は20万人近くに達していると見られる。PTSDの発症者も、10〜20%と言われ、従軍数230万人とすれば23〜46万人となる。両方を併発している兵士が多い。

 □TBIの原因

 TBI発症の原因については、「米兵に急増するTBIは、爆風の圧力が頭蓋骨にわずかなゆがみを与え、脳に過剰な負担をかけるのが原因ではないか」と、米ローレンス・リバモア国立研究所のウィリアム・モスなどが述べている。
 要約すると
「爆風の衝撃波(秒速340b以上の超音速)がヘルメットと頭の隙間に流れこみ、ヘルメットをかぶらない状態に比べ2倍近い圧力を頭部に加える。従来の戦争では死に至ったIED攻撃でも今はヘルメットのハイテク化で生き残れる。その最新鋭のヘルメットにこそ、実はTBIの原因がある」と。
 死者の減少の原因は、間違いなくヘルメットの質の向上だった。内側に張った網や特殊なクッションが、飛来する弾丸や金属片、転倒の衝撃から兵士を守った。ところが死者を出さないヘルメットが従軍者の1〜2割(23〜46万人)に達するTBIの負傷者を出しているのだ。

 □すべての矛盾、犠牲がアフガン人民と米兵に

 元米軍予備役兵で47歳のケビン・オスリーさんの場合はこうだ。
 オスリーさんは、04年10月、バグダッド郊外でIED攻撃を受けた。車列の乗員は全員無事だったが、オスリーさんは直後から激しい頭痛に悩まされるようになった。医師の診察を受けると「異常なし」と。頭痛は続くが薬で我慢した。2カ月後に基地に迫撃弾が撃ち込まれ体ごと吹き飛ばされ、その後、別の戦闘で手足を負傷した。
 05年3月、1年間の駐留を終えて自宅に戻った。従軍前に勤務していた工場に戻ろうとしたが、手足の負傷で「雇えない」と言われた。失業保険が出るのは帰還から半年に限られている。
 就職先は見つからず、記憶力が減退し、怒りっぽくなったオスリーさんを見て、妻は近くの米軍病院に連れて行ったが、問診だけで「異常なし」と言われた。次に退役軍人病院に行くと、TBIを熟知していた医師はTBIと診断した。国からの傷病補償を受けるためには、戦闘による負傷が原因だと証明されないとダメだと言われた。爆弾攻撃があったとする同部隊の兵士の署名入りの証言書が必要で証明責任は本人だと言われた。
 傷病補償を得るためには煩雑な手続きが必要だった。オスリーさんは、退役軍人省に障害認定申し立てをし、軽度と認定された。それに異議申し立てをし、1年以上かけてようやく重度の認定をかちとった。退役軍人省から補償を得るのは至難の業と言われている。
 オスリーさんは「これが国を守る戦争から戻った帰還兵に対してやることでしょうか」と怒りを抑えることができない。

 ▼元海兵隊員、テリー・ボイド(29)さんの例

 ボイドさんは、軍の奨学金をもらうためにイラク、アフガニスタン両戦争に従軍した。戦地でIED攻撃を受け、帰還してから頭痛や吐き気、めまいに悩まされた。州の退役軍人省病院に行ったが、患者が多く初診療まで3カ月待たされた。診察はわずか3分だけで「TBIでもPTSDでもない」と言われた。大学に通ったがうつ状態がひどく自殺も考えた。
 退役軍人省の医療や奨学金を受けるには膨大な書類を申請しなければならない。手続きがやたら複雑であきらさせるためにわざとやっているとさえ思った。周りの支援があり何とか申請ができた。
 帰還兵への奨学金制度では学費が全額免除され、1カ月約14万円の生活費が3年間支給される。しかし体調が悪い帰還兵にとって治療と役所への手続き、学生生活をこなすのは至難の業だ。

 ▼陸軍兵ティモシー・ジューンマンさんの例

 ジューンマンさんに07年秋、米軍から「従軍を命ずる」との手紙が届いた。「08年7月にイラクに再度行け」と。ジューンマンさんは、イラクでの駐留を終え地元の大学で学び始めたばかりだった。2年間は兵役がない予定だったが、兵員不足で再従軍を命じてきたのだ。従軍を拒否すれば奨学金を失う。週末の事前訓練に出始めていたが、08年3月、自殺した。ティモシーさんは戦地でIED攻撃を受けPTSDとTBIを患っていた。

 ▼銃乱射事件の背景

 12年3月、アフガニスタン南部カンダハル州に駐留の米陸軍二等軍曹が外出先で銃を乱射、子ども9人を含む16人を殺した。軍曹は、01年の9・11を契機に入隊、イラクに3回派遣され、IED攻撃を受けTBIと診断された。別の戦闘で足の指先を失った。軍から「二度と戦場送りはしない」と言われたにもかかわらず11年12月、アフガニスタンに送られた。10年余りで4度目の戦地だった。
 乱射事件を含めて、これが米帝のアフガニスタン侵略戦争だった。すべての矛盾、犠牲はアフガニスタンとアメリカの労働者階級人民に押しつけられた。

 □労働者階級と戦争するための対外侵略戦争

 米軍の疲弊はかつてなく深まった。新自由主義の侵略戦争はイラク・アフガニスタン侵略戦争で全面的に破産した。厭戦・反戦の機運は全世界で高まっている。
 しかし米帝は、今やアジア・太平洋に戦略的重心を移し、対中国・北朝鮮の侵略戦争を構えている。世界大恐慌のさらなる深化は、大失業と戦争を生み出す。戦争とは、帝国主義侵略戦争であり、帝国主義間の世界戦争である。
 帝国主義戦争は、労働者に国際的殺し合いを強制するものであり、すさまじい犠牲を労働者階級に負わせる。極論すれば帝国主義は、労働者階級と戦争するために対外侵略戦争を展開するとさえ言える。
 ゆえに労働者階級は、ブルジョアジーとの階級戦争を平時も戦時も遂行する。特に労働者階級の帝国主義戦争に反対し、プロレタリア革命に転化する闘いは、最も巨大な階級戦争である。労働組合を再生させる階級的労働運動だけが勝利する道である。外注化阻止・非正規職撤廃の国鉄決戦は、そうした階級決戦である。
 (宇和島洋)

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月刊『国際労働運動』(436号3-1)(2012/12/01)

(写真 シディブジッドのゼネスト【チュニジア 2012年9月30 日】)

特集

■特集/米帝の侵略と闘うアラブ労働者階級

 第0章 はじめに

 米帝の中東支配は、エジプト革命以降の中東諸国における労働者階級の総決起、イラクからの米軍の撤退、アフガニスタンにおける米軍の敗勢という情勢下で総崩壊の危機に直面している。この危機を巻き返すために、米帝とEU帝国主義諸国は、リビアに続いて、シリアでの新たな侵略戦争を仕掛け、エジプト、チュニジアにおける労働者革命を阻止するために全力を投じている。これに対し、中東諸国の労働者階級は、激しい反撃の闘いに打って出ている。
 本特集では、2011年の「アラブの春」以降の中東諸国における労働者階級の闘いの現状を分析する。
 第1章では、新たな闘うナショナルセンターである独立労組連盟の闘いを軸にしたエジプト労働者階級の闘いの到達地平を、第2章では、チュニジアの労働者階級の反撃の闘いの巨大な前進を具体的に明らかにする。第3章では、シリアの内戦の本質を明らかにしている。

第1章

 闘うエジプト独立労組連盟――ムスリム同胞団の政府と対決

 世界大恐慌は、これからますます深化し激化していく。基軸帝国主義の没落と世界経済の分裂・解体化、ブロック化と「過剰資本・過剰生産力」による帝国主義経済の行き詰まり、それは「ドル暴落」を現実のものとし、巨大な世界大恐慌へ進行している。各国経済は大破綻し、世界を大失業と戦争にたたき込む。
 米帝の世界支配体制は崩壊を深め、激化する新自由主義攻撃に対し全世界で労働者人民が決起している。「アラブの春」以来、中東においても労働者階級が決起し、米帝の侵略策動と激突している。

 労働者革命解体狙う軍部

 エジプトでは、ムバラク独裁体制打倒の闘いは、組織された労働者の工場・職場でのストライキ闘争とタハリール広場を結集軸とする青年労働者や失業労働者の闘いが一体的に展開されるなかで勝利をかちとった。
 2011年1月25日以降の100万人〜200万人規模の労働者人民によるタハリール広場の占拠や2月8日の首相官邸包囲、2月11日の大統領宮殿、首相府、国会の包囲と、2月8日から11日までの繊維、郵便、運輸、病院、行政などの公共労働者や民間の労働者による全国各地での巨大なゼネストと街頭への進出が結合することによって、ムバラク独裁体制は打倒されたのだ。
 だがその後、民主的国家を建設することをペテン的に約束したエジプト軍最高評議会(SCAF)は、労働者人民による革命の成果を簒奪し、全権を掌握した。SCAFは、憲法を停止し、半年以内に憲法の改正、大統領選挙と国会議員選挙を行うまでの間、軍による「暫定政権」を樹立するとした。
 エジプトの軍部はそもそも、ムバラク独裁体制と一体であり、米帝から毎年13億jもの援助を受けた上に、多数の企業群を有する巨大な利権集団である。軍需産業や航空機産業、観光業や不動産業に巨大な利権を持つ軍は、不法取引や不正蓄財、富の独占などを行ってきたのである。したがって軍は労働者人民による権力奪取ですべての利権を喪失することを恐怖し、2月革命後、ストライキの禁止や労働組合の弾圧によって労働者に敵対し続けた。解除を約束していた非常事態法についても、むしろその適用範囲を拡大し、軍部支配に反対するデモやストライキに対する弾圧を続けた。
 民主化の約束と半年以内に大統領選と国会議員選を行うという約束も、11年11月になっても実施しようとしなかった。

 独立労組連盟の結成

 これに対してエジプトの労働者階級は独立労組連盟(FEITU)の下に結集して、すばらしい反撃の闘いをたたきつけた。
 エジプト独立労組連盟は、11年1月30日に、タハリール広場で創立宣言を発し、同3月2日に創立大会を開催した階級的な労組のナショナルセンターだ。エジプトの既成のナショナルセンター、エジプト労働同盟(ETUF)は官製労組として労働者の闘いを抑え込むだけの存在であったため、戦闘的労働者たちはその制動を排して、新自由主義政策が全面的に展開された04年から09年の間に1900件以上のストライキを実現し、150万人の労働者の先頭で闘ってきた。
 とりわけ、06年から08年にかけて、マハラの国営繊維工場労働者の2万7千人の大ストライキ闘争を組織する過程で、着実に新たな戦闘的労組連盟を形成する組織的基盤を築いてきた。この闘いの渦中の07年12月、5万5千人の固定資産税徴税人組合が最初の独立労組として結成された。
 11年のムバラク独裁打倒の過程では、数年間にわたって蓄積されたこれらの戦闘的労働者たちの力がいかんなく発揮された。マハラの繊維労働者たちの闘いに大きな影響を受けた全国の労働者たちは、それぞれの職場でストライキに決起していったのだ。
 さらに、この時期のストライキ闘争の過程で、独立労組連盟を立ち上げる準備が行われ、固定資産税徴税人組合、年金者組合、独立教員労組などが軸とする新たな戦闘的ナショナルセンターが結成された。独立労組連盟はその後、東タバコ会社労組、運輸労組、電気労組、文化省労組、国立製鉄所労組、繊維労組、郵便労組など100以上の労働組合を組織し、12年9月の段階で100万人以上を組織するまでに至った。

 階級的労働運動の展開

 独立労組連盟に結集した労働者に牽引されたエジプトの労働者は、軍によるストライキ禁止をものともせず、11年1年間で、公共部門、民間部門を合わせて200回以上のストライキを組織して闘った。教育・運輸・繊維労働者のストライキは、エジプトの労働者階級の権利拡大のためにとりわけ重要な役割を果たした。
 労働者たちは革命直後に、国有企業の社長や法務・労務担当などの解任・追放の闘いを組織するとともに、賃上げ、未払い賃金の支払い、最低賃金の引き上げ(11年1月に約50jであったが、12年夏には125jに)、労働条件の改善、非正規職の正規職化、国営企業の民営化の阻止などの闘いをすさまじい勢いで展開し、巨大な成果を上げた。
 軍部が既成労組のエジプト労働同盟を解散せず、相変わらず労働者の闘いを抑制する手段としているのに対して、独立労組連盟の労働者たちは、労働同盟に支配されている労働者たちに呼びかけ、ストライキやデモなどでの共闘関係を次第に拡大している。
 まさにこのような闘いこそが、エジプトにおける軍部・資本家およびムスリム同胞団との階級的力関係を転覆するために決定的に重要な闘いなのだ。
 労働者階級が日々の職場での闘いのなかで階級意識を高め、真の敵が誰かを見極め、それを自分たちの力で打倒しなければ、労働者階級の解放はありえないことを確信を持って把握して立ち上がった時に、初めて真のプロレタリア階級の勝利が実現する。労働者階級総体の決起に依拠した革命こそが勝利するのだ。

 階級に依拠せず勝てるか

 逆に言えば、労働者階級の職場での恒常的闘いを基盤にした階級的総決起に依拠しない革命運動は、たとえそれが労働者自身による政治闘争として高揚しても結局は勝利し得ないということだ。
 一つの例として若者たちの「4月6日」運動の失敗の例が挙げられる。1月25日革命の前面に立った青年インテリゲンチャや青年労働者、若い失業者たちを中心とした「4月6日運動」は、11年2月8日にムスリム同胞団の青年部などを含めた14団体で構成される「革命青年連合」を結成して、革命の継続を目標として軍部と対決した。
 彼らは11年4月に、民主化要求の一環としてムバラク一家の起訴を求めるデモと座り込みをタハリール広場で行い、軍によって武力で鎮圧されたが、後に軍の側の譲歩でムバラクと2人の息子の起訴という要求は実現した。
 だが、「4月6日運動」は同年6月にムスリム同胞団を母体とする自由公正党が政党として認可され、議会選挙の実施が日程に上ると、自由公正党とも連携して軍に対して民主化要求を突きつける運動を展開した。彼らはムスリム同胞団がアメリカ政府との緊密な連絡を保ち、トルコ型のイスラム国家を樹立する目的で、資本主義体制を肯定する存在であることを知った上で、当面の民主化を実現するために職場で労働者を組織するのではなく、ムスリム同胞団との広範な統一戦線を形成したのだ。
 7月を通して行われたタハリール広場の占拠と軍との激突は、この統一戦線とは無関係の青年労働者をも吸引して大規模化した。彼らの民主化要求は、軍最高評議会による組閣人事への介入の停止、検事総長の罷免、最低賃金の設定、軍事法廷における民間人に対する裁判の廃止、旧政権と関係が深かった人物の政府機関からの追放などだった。

 同胞団に利用された闘い

 だが、ムスリム同胞団が、革命青年連合の闘いを利用して、軍最高評議会との交渉を有利に進める闘いに重点を移し、この運動をムスリム同胞団に有利な選挙制度の導入を求める運動に変質させると、「4月6日運動」は再びタハリール広場占拠を手段とする民主化要求闘争に戻っていった。軍は「4月6日運動」が、このジグザグのなかで青年労働者の信頼を失ったと見るや、タハリール広場に治安部隊を派遣し、厳しい弾圧を加えた。こうした一連の過程で、革命青年連合は次第に青年労働者の間で影響力を失っていったのだ。
 他方で、自由公正党は11月議会選挙に向けての準備を着々と整えた。そして、軍事予算は議会で審議されず、軍事問題に最終判断を下すのは軍であるとし、新憲法の草案を作成する委員会の半数も軍人にせよと要求する軍の立場に対する労働者人民の怒りを組織して国民の支持を集めた。11月22日には、再び軍部に対し文民政府への権力委譲を要求する100万人の労働者をタハリール広場に結集することに成功したムスリム同胞団系の自由公正党は、12月の選挙では総議席数の43%を獲得し第一党となった。
 以上の経緯から明らかになったことは、労働者階級の職場での闘いに基盤を置かない政治闘争は、せいぜい労働者に敵対する諸政党の選挙運動に利用され、労働者階級の利益となる成果を何も得ることができないということだ。
 そもそも「4月6日運動」の青年たちは、米帝が外国の反体制運動を支援し、危機に陥った独裁政権の「民主化」を米帝に有利なように促進する米国務省の機関である全米民主主義基金(NED)やフリーダム・ハウス(FH)に支援されていた。ネットを使った大衆動員の方法や、デモ・集会の組織のノウハウはこれらの機関に指導された。
 米帝は、エジプトやチュニジアの独裁者たちと密接に連携しながら、両国における新自由主義政策を推進し、多大な利権を確保していたが、いざこれらの独裁者たちが労働者民衆の激しい怒りの対象となると、それを切って捨て、新たな傀儡政権を樹立しようとした。そのためには、反体制運動を「民主化運動」として大衆的に展開する在野の勢力を取り込み、変質させる必要があったのだ。
 「4月6日運動」は、参加者たちの主観的意図はともかく、米帝に政治的に利用されたのである。帝国主義や資本家の支配と徹底的に対決する労働者階級の立場に立ち、その階級的利益のために闘わない限り、革命には勝利し得ないのである。

 ムルシ政権に対する不信

 11年11月の労働者人民の闘いに追い詰められた軍部は、ずるずると先延ばしにしてきた大統領選挙を12年6月までに実施すると発表した。大統領選挙は5月から6月にかけて行われ、6月17日の決選投票で、自由公正党のムルシが新大統領に選出された。米帝は、ムスリム同胞団という「穏健な」イスラム政治勢力に国家権力を渡すことで、労働者人民の新自由主義政策反対、資本主義打倒の根本的革命を阻止しようとしたのだ。
 これに対し軍最高評議会は、7月8日、議会解散の命令を出し、大統領の持つ行政権限や立法権などの最高軍事評議会による掌握を宣言した。軍部は、ムスリム同胞団が権力を握ることによって、軍部の既得権が脅かされることに激しい危機感を抱き、利権維持のために最後の抵抗を試みたのだ。
 だが、米帝の承認を得たムルシ政権は、8月12日、軍最高評議会議長で国防相のタンタウィーを解任し、最高評議会のナンバー2のエナン参謀総長も退任させた。この措置は、軍と新政権との決定的対立を回避し、共存共栄を図ろうとする軍内部の一定の勢力の支持と米帝の承認を得た上で行われたため、タンタウィー側からの激しい抵抗もなく実施された。
 それに、この時期には、旧体制を維持し続けようとしてきた軍部に対する労働者人民の激しい怒りに軍部が追い詰められていたことと、ムスリム同胞団に対する労働者人民の幻想が次第に打ち破られ、政権の安定が不安視されていたことから、軍部とムスリム同胞団の間で一種の和解が成立したのだ。要するに、ムルシ政権は軍の既得権に暗黙の了承を与えて軍との摩擦を避けながら、軍の協力を得て共同の支配体制を確立しようとしたのだ。
 だが、にもかかわらずムスリム同胞団による支配体制は不安定化しつつある。11年12月の国会議員選挙ではムスリム同胞団は47%の議席を獲得し、大衆的な支持を受けていた。だが、それから半年間の間にムスリム同胞団の軍に対する妥協的態度、軍と権力を分有する態度、米帝の支持を受けながら新自由主義政策を継続しようとしていることなどが明らかになり、ムスリム同胞団に対する労働者人民の支持は急速に低下した。
 実際、12年6月の大統領戦では、5割以上の国民が棄権し、第1次選挙ではムルシは25・3%しか票を獲得していない。労働者が多く居住する都市であるアレクサンドリア(人口450万人)では、第1次選挙でムルシはわずか27万票しか取れていない。労働者階級は、ムルシ政権に何も期待していないのだ。

 嵐のようなストライキ

 こうして、今や米帝の支持を受けたムスリム同胞団の政権と軍部の共同支配対労働者階級という対決構造が鮮明になった。エジプトの労働者階級はムスリム同胞団の政府が反労働者的政府であり、基本的にはこの政府の下では、労働者の悲惨な現状は今までと何も変わらないと考えている。だからこそ、労働者階級は、職場での闘いをますます強力に展開し、政府と軍部の連合勢力と真正面から闘える力を蓄積するために日々闘いを強化している。この闘いを牽引しているのは、新たな戦闘的ナショナルセンターである独立労組連盟だ。
独立労組連盟は11年5月から12年5月までの1年間に、未組織だった漁業労働者、貨物トラック労働者、スーパーの労働者、看護師と保険医療労働者、陶磁器職人、砕石労働者なども新たに組織した。また御用労組で、ムスリム同胞団が労組幹部になって支配しているエジプト労働組合同盟からも、数千人の労働者が脱退し、公共交通独立労働組合が結成されている。御用労組の組合旗を持って、独立労組連盟の集会に参加する労働者も増えている。来るべき労働者革命に向けた組織化が着々と進められているのだ。
さらに、独立労組連盟は民営化阻止と民営化された企業の再国有化を目指す闘いでも勝利しており、この1年間に民営化された多数の企業の再国有化の判決をかちとっている。
こうした闘いによって労働者階級は、資本家階級とその利害を守る軍部や政府、御用労組との力関係を根本的に変え、労働者が自由に資本家と闘うことのできる空間を圧倒的に拡大した。この自由空間を活用して労働者たちは、11年2月革命以降の1年半、ストライキや座り込み闘争、職場占拠、デモなどを圧倒的に展開し、職場支配権を獲得し、資本家との力関係をさらに労働者階級に有利なものに転換した。
その過程で労働者階級は、自分たちの真の解放をかちとるためには、資本家の支配そのものと、軍部、ムスリム同胞団の政府、米帝の支配を一掃しなければならないことをはっきりと認識し始めた。この闘いこそが、来るべき労働者革命の巨大な基盤を形成する過程であった。
とりわけ12年2月以降は、次nの表から明らかなように、新たな労働者の攻勢が開始されている。独立労組連盟を主軸とするこのような闘いこそが、ムスリム同胞団の政府と軍部、資本家の連合を打倒する唯一の道である。
(写真 ストに決起したマハラの労働者【7月15日】)

 

(写真 内閣府前で抗議行動を行う公共交通労働者)(写真 大学従業員の全国スト【12年9月 マンスーラ大学】)

 労働組合破壊との激突

 

労働者階級の闘いの圧倒的前進に直面して、ムスリム同胞団の政府と資本家、御用労組は一体となって、労働組合つぶしを開始している。ムスリム同胞団は、多くの労働者が解体を要求してきたムバラク政権の御用労組、エジプト労働同盟を解体せず、その資産や施設を丸ごと引き継ぎ、同胞団員を幹部として送り込んだ。大きな産別労組にも同胞団員を送り込んでいる。その上で民営化や外注化、労働者の非正規職化などの新自由主義政策を積極的に推進し、それに反対する労働者の闘いを抑圧している。
またムスリム同胞団の政府は、独立労組連盟を公認せず、ストライキで闘う組合への弾圧を大統領選以後急速に強化している。政府は現在、一企業一組合を強制する法律の準備を進めている。この法律によれば、4年に1度、どのナショナルセンターに属するかを投票で労働者に選択させ、多数を取れなかった組合は解散し、資産を没収されることになる。これは明らかに独立労組連盟解体を目的とする反動的法律だ。
資本家たちはこうした動きに勢いを得て、労働者階級に対する巻き返し策動に一斉に打って出ている。この間、多くの組合で組合員の首切りや逮捕が相次ぎ、多数の労働者が裁判にかけられ拘束されている。とりわけ公共部門の労働者に対しては「労働の自由に対する攻撃および施設破壊行為の犯罪化」法を制定し、公共労働者のストライキやデモを弾圧している。
だが、エジプトの労働者階級は、このような攻撃に屈せず、すばらしい戦闘性を発揮して相次いでストライキや座り込み闘争に突入している。ムスリム同胞団の政府が新自由主義政策を今後大々的に展開しようとしている以上、ますます多くの労働者が独立労組連盟とともに民営化、外注化、非正規職化に反対する闘いに決起するであろう。
この激突過程でエジプト労働者階級はプロレタリア革命の主体として必ずやその雄姿を登場させるであろう。
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 ●エジプト労働者の闘い(2012年2月〜9月)

2月13日 ソコーナ港の港湾労働者が無期限スト突入
2月28日 裁判所職員数千人のストと座り込み闘争
3月1日 スカリ金鉱山の900人の労働者のストライキ
3月19日 カイロの公共交通労働者のストライキ
4月13日 アズール社の所有するホテル労働者のスト
4月23日 ルクソール国際空港労働者の非正規化された労働者が空港への道封鎖
4月28日 カドベリー菓子製造会社で独立労組結成
5月3日 固定資産税徴税人組合の座り込み闘争
6月11日 カイロ国際空港独立労組と航空省の労働者のストライキ
6月 エジプト・スズキ自動車で独立労組結成
7月5日 カイロの地下鉄労組が座り込み闘争
7月15日 マハラの繊維労働者、2万3000人のストライキ
7月22日 ドベリー社で2日間のストライキ
8月28日 ドイツのヘンケル・パーシル社のポートサイド工場でストライキ
8月 エジプト・ヘインズ社の工場で正規職化求める抗議闘争
8月 イタリアのゴム・タイヤ会社・ピレーリ社で2000人がスト突入
9月7日 エジプト航空の客室乗務員のストライキ
9月8日 カイロの交通局の労働者がストライキ
9月10日 2000人の教育労働者がカイロの内閣府前で賃上げ求めて座り込み
9月11日 カイロ交通局の28の車庫でストライキ
9月13日 国営の中東ニュース配信社の労働者のストライキ
9月15日 20の大学従業員のストライキ。独立教員労組の呼びかけで全国の教育労働者も正規職化、民営化反対を掲げてストライキに突入。官製労組に組織されている教育労働者もストに参加
9月16日 教育労働者が教育の民営化に反対してストライキ
9月18日組合委員長の逮捕に抗議してカイロ交通局のストライキ強化
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第2章

 チュニジア労働者の闘い――ストを組織する左派活動家

 UGTT内左派の闘い

 チュニジアでは債務危機の中で、1986年からIMF(国際通貨基金)と世界銀行による構造調整プログラムによる管理の下で大々的民営化が開始された。以来、経済の開放、外資導入、医療・福祉・教育制度の改悪などと、工業・農業の輸出優先への構造転換などの新自由主義政策が全面的に展開された。その結果、国営企業の民営化と外国資本への売却、それに伴う労働者の非正規化、合理化による失業者の増大、労働条件の劣悪化、低賃金などで、労働者の生活は急速に悪化した。
 さらに食料や燃料の高騰が追い討ちをかけ、労働者の絶対的貧困化が進んだ。さらに07年以降の世界大恐慌情勢の下で、労働者はこのままではもはや生きていけない状態にたたきこまれた。他方で、ベンアリ一族や一部のブルジョアジーのみが新自由主義政策の恩恵を受け、富を独占した。こうした状況下で、労働者階級の怒りがベンアリ独裁体制に向けられたのは当然だであった。
 チュニジアにおいても、エジプトと同様に、23年間のベンアリ大統領の独裁支配を打倒したのは、青年労働者たちの街頭での闘いと、UGTT(チュニジア労働総同盟)内の戦闘的左派の労働者たちに指導された労働組合のストライキ闘争であった。
 UGTTは、御用組合として労働者の怒りの爆発を抑え込む役割を果たしていた。だが、組合内の戦闘的左派勢力とランク&ファイルの活動家は、10年末の労組内の蜂起的決起によって組合幹部の制動をうち破って組合内の指導権を獲得し、拠点組合をいくつもつくった。とりわけ、鉱山労組、教員労組、郵便労組などの闘いは、UGTT内に強力な階級的労働運動の基盤をつくる重要な役割を果たした。
 11年1月14日にベンアリが打倒された後、ベンアリの党であった立憲民主連合も労働者人民の党事務所占拠闘争によって解体され、ガンヌーシを首相とする暫定政府がつくられた。だが、この暫定政府も、立憲民主連合の党員の外務、財務大臣などの主要閣僚を留任させたペテン的な挙国一致内閣であったために、立憲民主連合の完全な排除を要求する労働者人民やUGTT傘下の労働者の10万人大デモやストライキによって2月27日に打倒された。
 以後、チュニジアの労働者階級は、工場委員会(工場ごとにつくられた労働組合)のような組織をつくり、国営企業や官公庁における立憲民主連合に属する幹部の追放、反動的な職制の追放、労働者による生産管理などの闘いを通じ、職場支配権を確立した。同時に失業者の組織やチュニジア学生総連合などの学生団体、弁護士団体などとの連携を強め、労働者権力の樹立に向かって前進し始めた。

 ムスリム同胞団系のナハダ党が権力簒奪

 だが、ガンヌーシの後継のベジ・カイド・セブシ新首相(元国会議員・弁護士)の統治期間においては、労働者階級は力関係の決定的転換をかちとることができなかった。
 こうしたなかで、国家権力を簒奪したのは、エジプトの場合と同様にムスリム同胞団系のナハダ党であった。11年10月27日に実施された制憲議会選挙で、ナハダ党は定数217議席のうち90議席を獲得して第一党となった。
 ナハダ党が11年のチュニジア革命において何の役割も果たさなかったにもかかわらず第一党になったのは、第一に、サウジアラビアとカタールが巨額の選挙資金援助を行い、カタール王族が経営し、ムスリム同胞団系のメディアに変質したアルジャジーラが全面的な支援をしたからである。第二に、労働者民衆は選挙で新しい政府を選出してもなんら根本的解決策が打ち出されるはずがないと考えて、階級意識の高い労働者ほど選挙を棄権したからである(有権者の54%が棄権)。
 11月21日には、ナハダ党は選挙で第2位、第3位となった2党と連立政権を樹立、暫定大統領には第2党の共和国会議のマルズーキが就任した。
 米帝はムスリム同胞団系のナハダ党への国家権力の引き渡しを積極的に承認した。その狙いは何か。

 新政権を承認した米帝の狙いは何か

 第一に米帝は、「穏健」なイスラム政治勢力で、新自由主義政策に反対しないナハダ党を民主的に選出された代表として権力につけることで、新自由主義政策に反対している労働者階級の闘いに制動をかけようとしているのだ。ナハダ党主導の政府によるペテン的民主化政策によって、労働者の不満と怒りをそらせ、根本的変革のための運動を解体しようとしているのだ。
 米帝はこれをアラブ諸国の民主化を支持することによって中東の安定を維持する政策の一環だとしているのである。だが、つい先日までベンアリ独裁政権を圧倒的に支持しベンアリの、労働者人民の闘いに対する激しい弾圧を容認していた米帝がこんなことを言ったとしても何の説得力もないのだ。
 第二に、フランス帝国主義が大きな利権を持っていたチュニジアにおいて、仏帝と密接な関係を持っていた立憲民主連合を排除し、フランスとは深い関係のないムスリム同胞団を権力につけることで、米帝はフランス帝国主義の持っていた利権をまるごと奪おうとしているのだ。
 米帝はリビアにおいても同様の手法で、イタリアやドイツがリビアに持っていた多くの利権を奪取している。カダフィ独裁体制に対する労働者人民の怒りの爆発で、リビアの国家権力が労働者人民に奪取されるのを恐れた米帝は、米帝の息のかかった武装勢力を送りこみ、それに米軍やNATO(北大西洋条約機構)軍の全面的支援を与えてカダフィ体制を打倒させた。その結果、米帝はリビアでの軍事作戦に反対し、参加しなかったドイツなどが持っていた権益を奪取したのだ。

 新政権と対決する労働者

 だがベンアリ独裁体制を打倒したチュニジアの労働者人民はこのような米帝の目論見を見抜いており、それをけっして黙って見過ごすことはない。現にチュニジアの労働者たちは、ナハダ党主導の政府の新自由主義政策や、いまだに打倒されていないチュニジアのブルジョアジーと断固として対決して闘っている。
 11年11月に成立した政府は、米帝とペルシャ湾岸の反動王政諸国に支援され、米帝とチュニジアの民族ブルジョアジーの利益を守るために、労働者階級の闘いを解体しようとしている。ベンアリ打倒後も治安機構や官僚機構にはかつてのベンアリ派が多数残存し、労働者階級の闘いに対して憎しみをもって弾圧を加えている。政府がムスリム同胞団を軸とするものに変わっただけで、「ベンアリなきベンアリ体制」は継続している。しかもムスリム同胞団は新自由主義政策を推進しているのだ。
 また、政府は労働者階級の悲惨な現実を改善する対策もほとんどとっていない。このため、失業は改善せず、依然として20%を超える水準にある。内陸地では28%にも達する。とりわけ青年の失業率は高く、地域によっては50%を超えている。水や電気の供給体制も改善されておらず、頻繁に行われる停電や断水で労働者の日常生活は破壊されている。電気や水の安定供給という労働者の最低限の要求にさえも、政府は満足に応えようとはしていない。
 11年1月の革命後しばらくなりを潜めていた資本家たちも、今日、再びベンアリ時代と同様の新自由主義政策を継続している。労働者の非正規化、低賃金、劣悪な労働条件、首切りはベンアリ時代と同じように行われている。

 実力でストライキを闘う

 こうした現実に対して、ベンアリが追放される数日前まで政府打倒のストライキを呼びかけなかったUGTTの幹部は、現在も新政府に協力する立場に立ち、労働者の利益を守るための闘いを、一切呼びかけてはいない。
 だがUGTTの左派活動家や左派労働組合は、このような現実に対して労働者の闘いを組織し、着実に労働者革命の勝利の基盤をつくりあげつつある。新政府の調査によれば、彼らは11年に513件のストライキを組織して闘った。そのうち合法的なものは164件のみで、残りのストライキは、労働者が実力でかちとったものであった。
 12年に入ってからは、ストライキの数はさらに増大し、しかも大規模化している。ストライキは業種で見ると、石油、化学、運輸、公共機関、医療、教育、郵便、鉱山、観光、港湾、造船、鉄道、食品、マスコミなど多種に及ぶ。主なものでは、12年2月の全港湾のゼネスト、4月のチュニジア全学連の全国学生ゼネスト、5月の教育、医療労働者の統一スト、ガフサ鉱山の座り込み闘争、6月のナスララ市のゼネスト、7月のスース市のゼネスト、タバコ産業の1カ月スト、全国の教師の無期限スト、チュニスのスト、8月の革命が開始された都市・シディブジッド市のゼネスト、スファックス市の医療労働者のスト、9月のタタウイン市のゼネストと地下鉄の運転士のストなどが挙げられる。これらはあくまで主要なもので、その他にも無数のストライキや座り込み、デモ、抗議行動が行われている。
 このような闘いに対して治安部隊や政権党の民兵組織がしばしば介入し、激しい弾圧を加えている。とりわけ、4月9日のチュニスでの労働者のデモに対する弾圧は、ベンアリ政権下の弾圧と同様の凶暴さを持ったものであった。だが、この弾圧に抗議し、反撃する闘いは、全国各地でのデモやゼネストとして展開された。この反撃の闘いが勝利したことは、その後の労働者階級の闘いの発展にとって重要な意味を持った。チュニジアの労働者階級は、いかなる弾圧にも屈せず、革命の勝利まで闘い続けるという決意を政府と資本家にたたきつけたのである。
 この1年間、職場での闘いを貫徹することで、チュニジアの労働者の階級意識は一挙に高まったといわれている。命がけで開始した革命の成果が、革命の過程でほとんど闘わなかったムスリム同胞団に簒奪され、再びベンアリ時代と同じような新自由主義政策が展開され始めていること、しかもベンアリを全面支持していた米帝が、このムスリム同胞団を支援し、自らの権益をさらに拡大しようとしていることに、労働者は怒りを爆発させている。そして、新政権と米帝の支配を打倒しない限り、労働者階級は生きることさえできないことをはっきりと認識し、再び新たな革命に向かって決起しているのだ。
(写真 UGTT本部前でストライキ集会【6月28日 チュニス】)

 立ち上がる女性労働者

 このような闘いと連携して、政府による女性の権利を奪う攻撃への女性労働者の反撃の闘いも開始されている。
新政府は現在新憲法草案を策定しているが、その中に「国家は家族の中においては女性は男性を補助するものであるという基本的立場のもとに、女性の権利を保護することを保証する」という規定がある。この規定は、女性を男性に従属させ、女性の社会的進出を阻止し、教育・雇用などにおいて不利な立場に追い込むものだ。また女性差別を煽り、チュニジアの女性が長期にわたる闘いで獲得してきた権利を全面的に破壊しようとするものだ。
チュニジアの女性労働者たちは、ムスリム同胞団がこのような規定を新憲法に盛り込むことに反対して総決起を開始した。8月1日にはスファックス市で3千人の抗議集会が行われた。8月13日が全国婦人デーと位置づけられて、首都チュニスで6千人の女性の男女同権を求める抗議デモが行われた。これは4月のチュニスでの労働者のデモへの弾圧に抗議する闘い以来、最大の闘いになった。
チュニジアでは、他のイスラム諸国と比べて女性労働者が多く、食品や繊維産業では重要な位置を占めている。女性労働者にとっては、この新憲法草案は家庭と職場での女性の地位を貶め、男女の労働者の分断を図るものであり、絶対に許すことはできない。だからこそ多数の女性労働者がこの闘いに決起したのだ。この闘いは多くの女性労働者を反政府闘争に決起させる重要な転機となった。
(写真 全国婦人デーに立ち上がった女性労働者たち)

 

(写真 シディブジッドのデモ【8月9日】)(写真 シディブジッドで反政府デモとスト【8月14日】)

 地域ぐるみの闘い

 チュニジアにおける労働者階級のもうひとつの特徴は地域ぐるみのゼネストやデモが行われていることだ。
 26歳の失業者であったモハメッド・ブアジジさんが市場で野菜を路上販売していた屋台を没収された上、警官に侮辱されたことに抗議して焼身自殺したシディブジッドは、11年の革命の突破口を切り開いた町であるが、ここでは何度も町ぐるみのゼネストやデモが行われている。8月14日には、UGTTの地方事務所の呼びかけで、住民の95%がゼネストに参加している。
 UGTTの左派活動家は、この地方事務所を拠点にして労働者だけでなく全住民を組織し、地方ソビエトのような機関をつくり上げている。ゼネストは計画的に実行され、パン屋と病院以外のすべての工場、商店、行政機関がストライキに入った。
 この他、他の地域と比べても経済の崩壊度が激しいナスララ市やスース市や、歴史的鉱山労働者の闘う拠点であるガフサ地域でも同様のゼネストがほぼ全住民の参加で実現されている。これらの都市でもUGTTの左派活動家が住民代表たちと協議しながらゼネストを組織しているのだ。労働組合は、このような地域ぐるみの闘いを組織する重要な役割を果たしている。
 以上見たように、チュニジアでは、労働者階級の闘いは11年の革命後、大きく前進している。確かにチュニジアではまだ、労働者階級の革命的政党が形成されていない。そのため、全国の闘いを戦略的に展開できていないため、治安部隊にデモなどが個別撃破される例がしばしば見られる。だが、この闘いの高揚のなかで、労働者階級は必ずや革命的前衛党を生み出すであろう。
 そして労働者階級と一体となった革命的前衛党の指導下で、チュニジアの労働者はさまざまな困難を打ち破って、米帝や反動王政諸国に支援されたムスリム同胞団の政府を打倒する闘いに勝利するであろう。

第3章

 シリア侵略戦争狙う米帝――求められる労働者の解放闘争

 革命情勢の成熟

 シリアの労働者人民は、2011年1、2月にチュニジアやエジプトで起きた独裁体制打倒の革命に心から感動し、鼓舞されて、1963年以来のバース党政権による独裁体制打倒の民衆蜂起を開始した。
 シリアは、79年に米帝によって「テロ支援国家」の認定を受けて以来、今日まで間断なく経済制裁を受け続け、04年以降はさらに強化された制裁を受けてきた。経済制裁の結果、外国との貿易の停滞や、外資の流入の停滞によってシリア経済は重大な打撃を受けた。このためシリアの労働者人民は経済的にきわめて重い負担を強いられてきた。加えて、イスラエルの隣国として長期にわたる対イスラエル戦争態勢維持の負担が労働者人民の肩にのしかかった。

 新自由主義政策への怒り

 さらに2000年以降は、ハフェズ・アサドの後継者となった息子のバシャール・アサド大統領の下で、経済危機突破のためとして新自由主義政策が全面的に展開された。「市場開放」「世界市場への参入」というスローガンの下に、国営企業の民営化、国有地の私有化、企業減税、関税の引き下げ、不動産取引の規制緩和、国際競争力の強化を口実とする賃金カット、社会保障制度の解体、労働運動の弾圧などが労働者人民に襲いかかった。これに対する労働者階級の怒りの爆発は、全国に張り巡らされた治安機構による厳しい弾圧で押さえ込まれてきた。
 バシャール・アサドの新自由主義政策は、貧富の差を極端に拡大し、矛盾のすべてを労働者階級にしわ寄せした。一部の特権的階級だけが豊かになり、富の独占、汚職、腐敗が蔓延する一方で、労働者階級の生活水準は極端に低下し、失業者も膨大化した。今日の失業率は25%といわれる。とりわけ人口の67%を占める青年層の失業者数は膨大化した。
 さらに06年以来の07年、08年と続いた旱魃による耕地の破滅的荒廃と新自由主義政策による農地の略奪を原因とする農村人口の都市への流入によって、諸都市における階級間の緊張は一気に激化した。
 こうした情勢下で07年以降、世界大恐慌が爆発し、危機はさらに進行した。EU帝国主義諸国の経済危機の爆発は、EU域内への輸出割合が圧倒的に多いシリア経済に重大な打撃を与えた。外資の導入も急速に減った。こうしてシリアの総人口2250万人(10年現在)のうち3分の1以上が1日の所得が1jにも満たない貧困ライン以下の生活を強いられ、このままでは死ぬしかないという現実を突きつけられた。
 とりわけ青年層の状況は絶望的であり、人間として生きるためには、このような現実に対して絶対的なノーをたたきつけて闘う以外になくなったのである。

 決起した労働者人民

 シリアでの労働者人民の闘いは、11年2月のダマスカス市内の小規模な反アサド体制のデモから始まった。この闘いはいったん厳しい弾圧によって抑え込まれた。だが、3月にヨルダンとの国境に隣接するダルアー市で、反政府の落書きをした13人の高校生が逮捕されると、3月18日、県知事と治安機関責任者の解任を要求して数万人のデモが行われた。政府はダルアーを戒厳令下に置き、町全体を軍隊によって包囲した上でデモ隊に発砲し、数人が殺害された。3月27日の同市のデモでは37人が虐殺された。この事件を契機として反政府デモは、ホムスやバニヤス、ラタキア、ハマ、首都ダマスカスにまで波及し、それぞれ数万人規模のデモが行われた。
 3月に開始された大衆的反乱は、アサド体制の一翼をなす既成労働組合とは関係なく、各地に分散した労働者や青年たちが中心となった地域共闘委員会などのゆるやかな結合体をつくって拡大していった。反政府デモは、爆発的な勢いで全国各地に拡大していったが、政府は強硬な弾圧の姿勢を維持した。
 3月下旬以降、地域共闘委員会などの呼びかけでゼネストのアピールが何度か出されたが、体制内労組(労働組合総連盟)がこれを「陰謀」と呼んで妨害したために、不発に終わっている。だが、5月と6月には、交通機関や市場、商店などでストライキが行われ、労働者階級本隊が次第に闘いの前面に出始めた。
 しかしシリアでは、労働者人民のアサド独裁体制打倒の闘いが青年労働者や失業労働者を先頭にして闘われたが、戦闘的な労働組合を結集軸にした階級的・組織的闘いにまで発展しなかった。
 シリアでは、アサド独裁体制の下で労働組合運動が徹底的に弾圧されていたことがその一つの原因だ。その上、帝国主義や湾岸の反動王政諸国と連携したイスラム政治勢力による武装闘争の開始で、比較的早い時期に反革命的内戦に巻き込まれてしまったために、労働組合を軸にした労働者階級の階級的・組織的闘いを組織する時間的余裕がなかったことが決定的だ。
 実際、シリアでは、11年3月以降、ゼネストの呼びかけが反体制派から何度も行われ、一部の都市で実施されたが、それらは市場や商店のストライキが主であり、労働者階級の工場や職場でのストライキはほとんど見られていない。市場や商店のストライキも、反体制派の武装勢力による強制に従ったという側面もかなりある。

 シリア「内戦」の性格

 11年3月中旬に始まったアサド独裁体制を打倒するシリアの労働者人民の蜂起は、今日、激しい内戦に転化したと言われている。だが、この内戦は、武装した労働者人民と政府軍との間で行われているものではない。それは、アサド独裁体制を護持しようとする政府軍と、米・英・仏・独などの帝国主義諸国とペルシャ湾岸の反動王政諸国およびトルコの支援を受けたムスリム同胞団などのイスラム政治勢力や、国外の保守的イスラム勢力、アルカイダなどとの間の内戦だ。それはまた、この過程でアルカイダなどのイスラム政治勢力によって引き起こされた諸宗派間、民族間の内戦だ。それは支配階級と労働者階級の階級闘争を、支配階級内の戦争にすり替えたものだ。
 労働者民衆を無慈悲に弾圧するシリア軍から自発的に脱走した兵士らを糾合して11年7月に形成された自由シリア軍(FSA)も、早くからトルコに基地を置くシリアの国外亡命勢力によって指揮されていた。トルコ政府は米帝の了解のもとにFSAを支援し、国内での活動を容認した。
 シリア反体制運動の中軸をなす存在といわれるシリア国民評議会(SNC)も、主要には国外に亡命していたムスリム同胞団や保守的イスラム政治勢力が軸となって11年9月にトルコで形成された組織であった。国内の弾圧を逃れて脱出した知識人や抵抗組織の成員もこれに合流した。これらの勢力は、いずれもサウジアラビアやクウェート、米帝から武器や通信機材、資金を供給されている。
 その後、これらの勢力に、数千人とも言われる国外のムスリム同胞団系やアルカイダ系の民兵組織が合流し、現在(12年9月末)では、シリア国内での軍事作戦の主導権を取りつつある。とりわけアルカイダ系の民兵組織は、イラクやリビアでの実戦経験が豊富であり、実戦経験もなく士気も低かったFSAの軍事作戦を主導する役割を果たしているだけでなく、FSAの宗教的色彩を強める存在となっている。
 アサド独裁政権やアサド一族による新自由主義政策の強行と富の独占や、極限的な弾圧体制に対して決起した労働者人民は、国内にほとんど基盤を持たないこれらの勢力をけっして支持してはいないし、ともに闘う勢力であるとみなしてはいない。なぜならば、彼らは、これらの勢力がシリアの労働者人民の真の解放を目指すものではなく、帝国主義諸国や湾岸の反動王政諸国の利害を守ることで利益を得たり、あるいはイスラム国家を樹立しようとしている者であることを見抜いているからである。
(写真 シリア国内に移動したといわれる自由シリア軍司令部)

 国外から武装勢力が介入

 11年3月に開始された反政府デモは、警察や軍による激しい弾圧にもかかわらずまたたく間に全国に拡大、大規模化し、シリア政府を決定的に追い詰めた。
 こうした中で政府は3月末の段階で、非常事態法の廃止、内閣の退陣、体制内の腐敗の撲滅、政党の自由化などの一連の民主化政策を発表せざるをえなくなった。
 だが、エジプトやチュニジアの場合と異なって、シリアでは大衆的な反アサド体制の闘いの発展のなかで民衆自身が武装を開始する以前に、抗議デモ開始からわずか2カ月弱後の4月から5月にかけて、デモ現場での武力衝突が非常に不自然な形で頻発し始めた。情勢は一気に緊迫し、武力衝突の急速なエスカレーションとともに、大量の死傷者が発生し始めた。
 この時期、レバノンなどの武器闇市場では大量の武器が買い付けられ、それらの武器が大量の衛星携帯電話などの最新の通信機材や資金とともにシリアに流入した。つまり武力衝突は労働者人民の反政府闘争の自発的な発展の結果起きたのではなく、国外からの武器や資金の持ち込みと、武装集団の流入によって引き起こされたのだ。
 国外からシリアに入った武装集団は住宅地に潜入し、そこからシリア軍を攻撃した。シリア軍はこれを政権への「テロ攻撃」「国外からの侵略行為」と規定して、住民のデモに対する弾圧の際に使用した武器とは桁違いに強力な重火器や戦車・装甲車を投入して住宅地域を攻撃した。その結果、多数の住民が巻き添えになって死傷したのだ。
 カタールの首長が資金を提供して創設された中東独自の衛星放送局・アルジャジーラは、最近急速に反動化していたが、この事態を住民を直接の対象とした政府軍の大虐殺行為として報道した。そうすることでシリア政府の反人民性と国連安保理などの介入でアサド政権を打倒することの正当性を宣伝したのだ。虐殺されている市民の保護のために国際的な軍事介入が必要だという宣伝だ。
 国外のイスラム武装勢力のシリアへの送り込みと武器・資金の供給を、サウジアラビアとともに最初から積極的に行っていたカタールは、アルジャジーラの組織改変を反動的に行い、帝国主義諸国のシリア侵略戦争のための宣伝機関化したのだ。
 6月7日には、トルコとの国境まで20`の町で治安関係者120人が武装集団によって襲撃されて殺されるという事件が起きている。この事件は明らかにシリアの労働者人民によるものではなく、トルコに拠点を置く国外の武装勢力によるものであった。
 この時期には、このような武装闘争と労働者人民の数十万人のデモが同時に起きていることから、当初、武装闘争は民衆弾圧を嫌い軍から脱走した元兵士などや労働者人民自身による国軍への反撃と見られていた。だが今日では、この武装闘争は主に国外からの武装勢力によるものであることが明らかになっている。

 「内戦」の本質は帝国主義の侵略戦争

 米帝を始めとする帝国主義諸国や湾岸の反動王政諸国は、民衆の闘いがシリア政府を追い詰めて民主化を強制し、長期にわたる戒厳令体制下の厳しい治安弾圧で極限的に狭められていた合法的活動領域を一気に拡大することによって労働者人民自身の革命的運動の基盤が急速に形成されることを恐れた。そしてこの基盤の上に発展する労働者階級自身の革命的運動の力でアサド独裁体制が打倒され、労働者階級が権力を握る国家が形成されることを恐れた。
 だからこそ米帝は、反動王政諸国、とりわけアルカイダなどのイスラム武装勢力と隠然たる関係を維持しているサウジアラビアを通じて、早期に国外から武装勢力をシリアに送り込ませた。そしてこれらのイスラム武装勢力に対するアサド政権の強硬な軍事的反撃を引き出しながら、これを労働者人民に対する異常なまでの弾圧として宣伝した。
 同時にシリアの労働者階級自身の闘いを混乱させた上で、外国からの武装勢力を労働者人民自身の「武装解放勢力」であるかのように描き出そうとした。さらに、この「武装解放勢力」を支援すると称して、帝国主義の軍隊を介入させようとしているのである。
 このような方法は、リビアにおいて労働者階級の自己解放的闘いの発展に乗じて、突如として外国からの武装勢力を送りこみ、帝国主義諸国からの援助や米軍やNATO軍の全面的支援を与え、本来労働者階級が手にすべき国家権力をこの武装勢力に横取りさせた方法と同様のものである。
 こうした方法による国家権力奪取は、労働者階級自身の闘いをないがしろにするものであり、労働者革命とは無縁だ。それはむしろ労働者階級の労働運動を基盤とした闘いの発展を抑え込み、真の労働者革命を妨害し、解体するものでしかない。実際、今日のリビアでは、労働者階級は新政権にまったく関与することができないまま、相互に争う地域勢力や部族、イスラム政治勢力の民兵などの間の対立が激化し、統一政府形成の展望さえ見えない。
 リビアにおける米帝の思惑は、アルカイダ系や地方部族の武装組織を利用してカダフィ政権を打倒した後に、エジプトやチュニジアの場合と同様に、ムスリム同胞団などの「穏健派」イスラム政治勢力を軸とした政権を樹立するというものであった。だが、帝国主義諸国の地上軍がまったくいないため、武装を圧倒的に強化した地方部族やアルカイダ系の武装組織を一挙に解散させることは困難だ。このため、相互の利害の相違からカダフィ政権崩壊後、対立はますます激化し、国内の政治情勢はますます不安定化している。

 新たな中東危機を促進

 米帝によるムスリム同胞団などのイスラム政治勢力やアルカイダなどの武装勢力のシリアへの投入は、シリア国内だけでなく、周辺諸国における宗派的・民族的対立を激化させている。
 シリア国内においては、イスラム国家の樹立を目的として、イラクやリビア、イエメン、中央アジア諸国などから結集してきたアルカイダなどの武装勢力が、アサド政権の支持基盤となっていたアラウィ派(シーア派系の分派)や、シーア派、キリスト教徒、トルコ政府と対立するクルド人、アサド政権に協力していると見なされたスンニ派住民などに対する襲撃を行っている。ホムスなどでは、これらの武装勢力を含むFSAがキリスト教徒に対する虐殺を行ったため、市内の8万人のキリスト教徒が難民化した。アルジャジーラなどは、この事件を政府軍による市民の無差別虐殺と報道したが、事実はそうではなかった。
 この襲撃に対する反撃も激化し、民族間、宗派間の衝突が次第にエスカレートし内戦状態が生じている。この内戦での死傷者数も急速に増大し、かつて米帝がイラクの労働者人民の反米抵抗闘争を解体するために宗派対立を激化させた結果、膨大な数の犠牲者を出したイラクと同様の事態が起き始めている。
 このため、先述したキリスト教徒8万人を含めて、アラウィ派、シーア派など20万人以上が周辺諸国に脱出したと言われている。自国での宗派対立の激化を恐れて難民としてシリアに避難してきていたイラクのシーア派住民も、アルカイダやスンニ派武装集団による襲撃を恐れて、すでに数万人がイラクに逆流している。
 シリアの隣国レバノンでは、国内の複雑な宗派的・民族的力関係を均衡させていたシリア軍の重圧がなくなるなかで、シリアにおける宗派的・民族的対立が影響を及ぼして国内のアサド支持派のアラウィ派などとアサド反対派のスンニ派民兵などとの間で武力衝突が始まっており、すでに多数の死傷者が出ている。このため、かつて1970年代に深刻な内戦を経験したレバノンは新たな内戦の勃発直前の状態に突入している。
 トルコでも、アラウィ派に対するイスラム武装勢力による襲撃が始まっている。またトルコ政府によるイラク、シリアなどにおけるクルド人勢力の分断工作によって各国のクルド人の間に緊張が生じている。トルコ軍によるシリアおよびイラク駐留のPKK(トルコのクルド労働者党)に対する攻撃も開始されている。12年9月6日には、2千人のトルコ軍が戦闘機やヘリを投入してトルコ南東地域と北部イラクでPKKを攻撃した。これによってトルコ軍とPKKの間の緊張は極限的に高まっている。
 イラクでは、シリアで勢力を拡大したアルカイダが再びイラクに流入し、シーア派に対するテロ攻撃を再開し、多数の死者を出している。これがイラク国内における宗派間対立を再燃させている。
 ヨルダンでも、シリアからの難民の大量流入と、ヨルダン国内での反政府派民兵の訓練の容認という状況下で、民族間、宗派間の緊張が高まっている。
 このように、米帝を始めとする諸帝国主義と湾岸反動王政諸国によるイスラム政治勢力のシリアへの投入と、アサド体制打倒作戦への動員は、中東全域の民族・宗派間の緊張を高め、一触即発の危機をもたらしている。

 切迫する直接介入の動き

 これに加え、今日、米帝や英・仏・独などの帝国主義とトルコ、イスラエルなどのシリアへの直接的侵略を狙う動きが急速に高まっている。
 米帝は当初、米軍のシリアへの直接的軍事介入に関しては否定していた。イラク、アフガニスタンにおける軍事介入の失敗と、その結果として地上軍戦闘力が崩壊するという現実に直面し、国連安保理決議に基づく集団的な軍事介入を追求していた。
 だが、シリアに大きな利権を持ち、政治的・経済的に深い関係を持つロシアや中国が、11年10月と12年2月の国連安保理でのシリア非難・制裁決議に拒否権を発動したため、国連としての軍事行動は承認されなかった。しかも今年は米大統領選挙の年であり、米帝は、国外での大規模な軍事行動を起こすことが困難であった。
 にもかかわらず今日、米帝は、サウジアラビアやトルコ、イスラエル、EU諸国との何度にもわたる調整を行い、12年夏以降、これらの諸国とともにシリアへの軍事介入を具体的に準備し始めている。8月20日に米帝とNATO諸国がシリア侵攻計画を論議した際、オバマは夜の記者会見で、「シリアで化学兵器や生物兵器が移動されたり使用されたりすれば、シリアに軍事的介入を命令する」と語った。オバマは、シリアへの軍事侵攻を決断する基準を示し、ついに具体的に侵攻作戦の準備を開始したのだ。
 これにともなって、米帝はシリアとトルコの国境地帯での飛行禁止区域の設定や、緩衝地帯の設定などを具体的に検討しだしている。
 またトルコ軍のシリアとの国境地域への集結や対空ミサイル部隊の配置、イランやシリアと連携しているレバノンのヒズボラやガザのハマスなどへのシリアによる化学兵器供与の可能性を口実としたイスラエル軍の出動態勢の準備、シリア政府を支援するイランを牽制するためのイランの核施設へのイスラエル空軍による空爆攻撃計画の具体的策定、シリアの核開発施設や化学兵器工場へのイスラエル軍の空爆計画の検討、湾岸王政諸国によるFSAやイスラム民兵組織への武器供給の強化などが開始されている。
 9月14日には、米帝の容認の下に、リビアからトルコを経由して、携帯対空ミサイルやロケット砲を含む武器400dがシリアの反政府軍に送られた。これはこれまでで最大の武器支援だ。
 EU帝国主義も、英SAS(英陸軍特殊部隊)や民間警備会社がシリアの反政府軍の訓練を強化している。
 06年以降、中東海域で違法な武器搬入を阻止する任務についているドイツ海軍は、大量の武器の海上輸送を意図的に見逃し、シリアの反政府軍の戦争体制強化を支援している。ドイツの場合、リビア侵略戦争に参加しなかったため、侵略戦争終了後、リビアに持っていた大きな経済的権益を失ったことを総括し、シリアでの権益護持のために参戦体制を整えている。
 米帝は、これらのシリア侵略戦争計画全般を統括しながら、独自の戦争体制の構築も開始している。米帝は、すでにヨルダンやトルコのシリアとの国境地帯にCIAの部隊を派遣し、侵略戦争計画の策定のためのスパイ活動や、武器や資金の反政府勢力への分配を管理する仕事に従事させている。
 これらの勢力によるシリア侵略戦争は、数百万のシリアの労働者人民を恐るべき戦禍の中にたたき込み、シリアで開始された労働者人民の解放闘争を全面的に解体しようとするものである。
 それは同時に、チュニジア、エジプトから開始された中東全域における労働者階級の自己解放闘争の嵐のような発展を暴力的に阻止しようとするものでもある。

 米帝の中東支配は最後的な崩壊へ

 だが、米帝を始めとする帝国主義のシリア侵略戦争は、必ずやシリアと中東諸国の労働者人民の総反撃の闘いを爆発させるであろう。2011年の「アラブの春」以来の中東の労働者人民による独裁政権打倒の闘いは、すでに米帝の中東支配を底なしの危機に直面させているが、米帝のシリア侵略戦争は、それを最後的に崩壊させる決定的契機になるであろう。

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月刊『国際労働運動』(436号4-1)(2012/12/01)

Photo News

■Photo News

  ●民主労組ソウル本部が動労千葉ストに感動的連帯行動

 (写真@)

 (写真A)

 動労千葉を始めとした10・1JR研修外注化阻止の闘いに対し、韓国・民主労総ソウル本部が9月27日、感動的な国際連帯行動に立った。この日、ソウル地域本部のイジェウン本部長や鉄道労組のパクテマン首席副委員長を始め、動労千葉のTシャツを着た30人あまりの労働者たちが、ソウルの日本大使館前で「動労千葉のストライキ闘争を韓国・民主労総ソウル本部が支持し、連帯します」「JR外注化阻止!非正規職撤廃!強制出向反対」などと書かれた横断幕を掲げてアピール行動に立ち上がった(写真@)。日本大使館は大量の警察部隊の配置を要請し、ソウル本部の労働者たちを暴力的に排除しようとしたが、この弾圧を許さず、日本大使館前での記者会見を実力でかちとった(写真A)。韓国民主労総ソウル本部と動労千葉との国際連帯の長い歴史が、この感動的な連帯闘争を実現させたのだ。

 ●富士康で労働強化に抗議してストライキ

  (写真BC)

 10月5日、台湾系資本の世界的な受託生産企業である富士康(foxconn)の中国河南省鄭州の工場で、労働強化に抗議する労働者の反撃の闘いが爆発した。会社側は、iPhone5の発売開始に伴う大量生産の必要性から、故郷に帰る数少ない機会である連休の休暇を取り上げて労働者にすさまじい労働強化を強制した。これに対し、検査部門の労働者のストを皮切りに、各生産部門の労働者4000人がストライキに突入した(写真BC)。

 ●米・ウォルマートの売場労働者が歴史的スト

  (写真DE)

 10月9日、アメリカの12の州の150店舗で売場労働者がストライキに立ち上がった。労働組合がなく、低賃金と劣悪な労働条件で悪名高いスーパー、ウォルマートの労働者は、売場労働者のストとしてはきわめて珍しい全国的な歴史的ストライキに突入した(写真DE)。

 ●スペインで緊縮政策反対デモ

  (写真FG)

 10月7日、スペインの56の都市で、緊縮政策という名の労働者への犠牲転嫁に反対して大規模なデモが行われた。10月6日の首都マドリードの6万人を超えるデモ(写真FG)を始め、各地で数十万人が街頭に出て、医療・教育予算の削減や公共労働者の賃金凍結などに抗議する声を上げた。

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月刊『国際労働運動』(436号5-1)(2012/12/01)

世界経済の焦点

■世界経済の焦点

「財政の崖」―米帝の没落

赤字放置でも緊縮財政でも大恐慌加速

 □財政政策が米大統領選の最大の焦点に

 11月6日のアメリカ大統領選挙が迫っている。今回は、安全保障や外交政策よりも経済、とりわけ財政政策が焦点となっている。年末を挟んでアメリカ財政が「財政の崖」と呼ばれる深刻な事態を迎えるからだ。連邦議会が何らかの法的措置をとらなかった場合、年明けより大増税に加えて厳しい財政削減が自動的に発動されることになる。財政赤字は急速に回復に向かうが、米経済は「崖」から転げ落ちてしまうこととなる。
米議会予算局(CBO)はこれら大増税と財政支出の自動削減が実施された場合、財政赤字は5600億j削減される(名目GDP比マイナス3・6%)が、実質GDPは0・5%のマイナス成長となり、失業率は現行の8%台から9・1%に上昇すると試算している。
大統領選と同時に上下両院も改選されるが、就任は来年1月だ。それまでの2カ月間は、新しい大統領と議会勢力が決まっているが、政策執行は現体制という極めて不安定な状態だ。大恐慌下の階級対立を反映し、社会保障と税制をめぐるオバマと共和党の溝は深く、「財政の崖」問題のクリアは極めて厳しい。

 □減税失効で大増税

 米議会予算局の試算によると、ブッシュ減税や、社会保障への充当が目的の給与税減税等が今年末で失効し、来年には対GDP比で2・1%の増税になるとされる(表1、2参照)。
 ブッシュ減税は、ITバブル崩壊と9・11反米ゲリラをきっかけに景気が後退するなか、01年と03年にブッシュ政権が期限付きで導入した富裕層優遇の個人所得減税を柱とする1兆500億jという歴史的な大型減税だ。個人所得税の最高税率39・6%を35%に引き下げ、税率39・9%の配当税を15%に引き下げ、さらに55%の遺産税を毎年低減し2010年には撤廃するなどであった。
さらに03年、ブッシュは、所得税率引き下げの前倒し、中小企業を対象とした法人税減税の拡大、投資所得の減税など総額3200億jの減税を実施した。所得税率引き下げは数年をかけてのもので、初年度の減税額は400億j。それが10年後には1860億jとなる。
 このブッシュ減税は期限付きで、10年に期限切れを迎えたが、同年12月、オバマ大統領が、下院多数派の共和党に妥協し、2年間の延長となった。今年末に期限切れとなる。失効する減税額は2210億jに達する。 
 さらに、社会保障に充当される給与税減税(950億j)も年末で期限切れとなる。オバマ政権は、景気対策としての1年間の時限措置として昨年1月に成立させたもので、昨年12月に2カ月間だけ延長させ、今年2月に年末までの再延長を決定したものだ。

 □厳しい緊縮財政

 

まず、リーマンショック後のアメリカ財政赤字の急増を見てみよう(41nのグラフ参照)。
11年度で1兆2996億j(約104兆円)、GDP比で10・9%だ。リーマンショック前の07年で財政赤字は1607億j、GDP比で1・2%であるから、以後の4年間で、なんと10倍だ。特に09年の急増がすさまじい。恐慌対策の財政出動がいかに巨大であったかを示している。累積額になると10兆j以上、公的年金などの赤字を含めると50〜60兆jもあると言われている。このもとで連邦債務上限と歳出削減が大問題となっている。
アメリカでは、政府の安易な借り入れ防止のため、連邦債務上限が定められている。昨年、連邦債務が法定上限額(14兆3千億j)に達し、ついに8月に国債が格下げされ、「デフォルト」も取り沙汰された。この事態を避けるため、連邦議会は8月、連邦債務の法定上限額の引き上げと財政赤字削減を連動させた予算管理法を成立させた。
その内容は、12年度から10年間で連邦政府の債務上限を最低2兆1千億jから最大2兆4千億j引き上げることを可能とし、引き上げ分の財政赤字削減を実施する。実施されない場合、自動的に一律に予算が削減される(トリガー条項という)ことにする。
債務上限引き上げの9千億j分については大統領の求めで引き上げることができ、一方の財政削減は裁量的経費に上限を設けるとし、残りの最低1兆2千億jから最大1兆
5千億j部分は、両院合同特別委員会の勧告に基づき議会が財政赤字を削減する法律を成立させることを条件としている。
両院合同特別委員会は、赤字削減の勧告と法案を11年11月23日までに作成し、議会は同年12月23日まで勧告を採決し、赤字削減法を12年1月15日まで成立させなければならない。成立しない場合や財政赤字削減額が1兆2千億jを下回った場合トリガー条項が発動されるとしていた。
ところが、この両院合同特別委員会は、11年12月21日、協議が最終的に決裂し、期限までの財政赤字削減法の成立は不可能となった。以来、今日まで何らの方策も実現できていないのだ。
そもそも13会計年度(12年10月から実施)の予算そのものが成立しておらず、異例の半年間の暫定予算で切り抜けている状況だ。このまま推移すれば、トリガー条項により、年明けから向こう10年間で最低1兆2千億jの歳出削減が自動的に実施される。削減の半分を国防費で、残りの半分をメディケア(高齢者医療扶助)の一部と民生費で賄う。
なお13年度に260億jの歳出削減が見込まれているものに、失業保険緊急措置の期限切れがある。給付期間26週を最長で99週まで延長できるとするもので、オバマ政権が、長引く雇用悪化のもとで時限措置として制定した。これも昨年末で期限切れを迎えたものに2カ月間だけの延長を決め、今年2月に年末までの再延長を決めたものだ。
米議会予算局は、この自動歳出削減、失業保険緊急措置の失効、高齢者医療費の医師への支払い削減等を含め、1020億jの歳出削減と試算している。

□新自由主義が行き着いた基軸国の破綻

予算管理法をつくったが、財政赤字削減法を成立させることができない。それから10カ月間、国家と経済にとってこれほど重大な問題に何もできないアメリカの現実がある。報道は余りに少なく、小さい。誰も解決策を見いだせず放置されてきたのが現実だ。
大恐慌が深まり、階級対立が激化し、それを背景に、民主党の社会保障維持・増税と共和党の増税反対・社会保障削減は絶対に譲れない対立になっており、政策決定ができない政治危機が深まっている。
予算管理法だけでなく、給与税減税問題や失業保険緊急措置問題での2カ月延長、2カ月後にはさらに1年延長などにもそれは現れている。13年度の予算編成でも、現在は半年間の暫定予算で動いている。オバマ政権と共和党は責任のなすり付け合戦を演じているだけだ。
一方で米国債の保有額では、ついに、FRB(米連邦準備制度理事会)が中国を抜いて第1位となった(1兆6600億j)。来年には、米の累積債務が16兆jに達し、再び法定上限額に達しようとしている。米国債の格下げをもたらした昨年以上の大問題となる。何よりもドル信認が崩壊しかねない。
現在の世界大恐慌は、戦後世界体制の基軸国アメリカの破綻に行き着いた。もともと新自由主義はアメリカから始まり、全世界に広まり、それが破綻して世界大恐慌に至った。大恐慌はギリシャ・南欧の国家破綻からユーロ解体へ発展しつつある。この国家破綻がついに基軸国米帝を捕らえたのだ。
新自由主義は自らつくり出したものを解決できない状態に陥っている。「パンドラの箱」そのものである。
厳しい緊縮財政! それは大恐慌を一層激化させ、さらなる大失業をもたらす。この間の膨大な財政出動と金融緩和の恐慌対策はいったい何だったのか。特に失業問題はアメリカ国家社会の存立問題となってきている。
評論家たちは「予算管理法のいったん凍結、云々」「時限的、小幅な措置で問題先送り」等々と予測するが抜本的対策は何もない。そうなると、FRBが買いまくる米国債のさらなる累積は、ドルへの信認を崩壊させ、世界大恐慌を加速する。
結局、緊縮財政か問題先送りか、いずれにしろ大恐慌を爆発させるだけだ。米帝国主義には、否が応でも無慈悲な階級戦争と侵略戦争以外に残された道はない。こうして、アメリカ階級戦争の行く末がすべてを決する時代になってきた。ここでアメリカ労働者階級は壮大な決起を開始している。これとの国際連帯が決定的意義を持ってきている。
(富田五郎)
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表1 緊縮財政策の施行に伴う2013年度の赤字削減額(単位:億ドル)

項目、 削減額
歳出減 1.030
自動歳出削減措置(sequester)の発動 650
失業保険制度の期限切れ 260
医師に対するメディケア診療報酬の支払額削減 110

歳入増 3,990
所得税(ブッシュ減税)等、各種減税措置の期限切れ 2,210
給与税の2%削減措置の期限切れ 950
その他の租税項目の期限切れ 650
医療保険改革法に伴う増税効果 180

その他財政再策変更に伴う削減額 1,050
財政赤字削減額 6,070
緊縮財政による税収減に伴う赤字増大額 − 470
財政赤字削減額(調整後) 5,600

(注1)給与税は年金の主な財源となる税で、被雇用者と雇用者が同額負担する。
(注2)四捨五入により内訳と合計額が一部不一致
出所:CBO

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表2 12月31日に期限切れを迎える減税等の施策

項目、概要

ブッシュ減税
期限切れに伴い、全世帯の約83%が、1年あたり平均3,701 ドルの増税。年収5万ドル以上の世帯では増税対象は98%以上に。

給与税減税
年収11 万100 ドルを上限とした、給与税の2%削減措置。期限切れに伴い、1億6,000 万人に影響が及ぶ。


代替ミニマム税
(AMT)回避措置
AMTは、税控除額が多い富裕層による課税逃れを防ぐ事を目的とし、1969 年に導入された税制。近年は各種控除措置のため、対象者が中低所得層まで拡大。AMT回避措置の失効により、新たな課税対象者は、2,600 万人に。

失業保険
期限切れに伴い、失業保険の給付期間の延長措置が終了。

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月刊『国際労働運動』(436号6-1)(2012/12/01)

世界の労働組合

■世界の労働組合 韓国編

全国金属労働組合

 現代(ヒョンデ)重工業の労働者が1990年に地上82bのゴリアテ・クレーン車に籠城して「2500万人の労働者の義理と自尊心がかかった、独裁政権との一大闘争」を闘いぬいたことで、全世界に韓国労働者の戦闘性、不屈性をさし示し、世界中の労働者の耳目を集めた。以来、金属労働者は韓国労働運動の中心軸として、また牽引車として存在し続けている。

 ■産別転換への苦闘

 民主労総はその発足の時から産別労働運動を重視してきた。それは企業別労組としてしか認定されず、それが壁となって団結ができず、交渉もうまくいかなかったため、より強固な団結力で闘いを発展させ、労働者として権利をかちとるために産別転換を推し進めてきた。金属産業では、1998年2月に「自動車連盟」「金属連盟」「現総連」の3つが合同して全国金属産業労働組合連盟(金属連盟)を結成。その後2001年2月に全国金属産業労働組合(金属労組)が結成された。しかしこのとき金属労組に移行したのは中小企業など3万だけで、現代などの大手企業組合は動かなかった。2006年6月末、金属産業連盟所属50組合のうち20組合が一斉に産別転換投票をやり、産別転換に成功、13万人の大組合になった。現委員長はパクサンチョル氏(現代自動車労組出身)。

(写真 金属労組の第1次ゼネスト。現代自動車蔚山工場本館前での出征式【7月13日】)

 ■4大要求掲げゼネスト闘いぬく

 金属労組は今年7月13日と20日、8月10日、17日と4回の全面ストライキを行った。このストライキには10万人以上の組合員が参加。これは金属労組発足以後、最大規模であり、現代自動車は4年ぶり、起亜自動車は3年ぶりのストライキとなった。そして8月29日には民主労総の呼びかけるゼネストに合流した。ストで掲げられた4大要求は、@深夜労働撤廃、A発注主―下請企業間の不公正取引根絶、B非正規職撤廃、C労働条件改善。

 ■苛烈な整理解雇攻撃との闘い

 08年世界大恐慌への突入は、韓国労働者にも過酷な労働弾圧として襲いかかってきた。これに対する反撃は、命がけの実力闘争として爆発した。
 09年6月〜8月の双龍(サンヨン)自動車労働者の工場占拠ストライキ77日間の闘いは、その帰趨(きすう)を世界の労働者が息を凝らして注目し続けた。労組と会社側は復職協定を結んだが、今日に至るも約束を踏みにじり続けている。10月8日、スト後23人目の死者が出て、キムジョンウ金属労組双龍自動車支部長がハンストに突入。ハンスト突入宣言では「胸が痛み、心臓が縮んでも、この死を防げるのなら喜んでイバラの道を行く」という悲壮な決意を明らかにした。
 2010年11月、現代自動車蔚山(ウルサン)工場で非正規職労働者の正規職化を要求する25日間の工場占拠闘争が闘われた。この闘争は『25日 現代自動車非正規職蔚山工場占拠闘争の記録』としてまとめられている。
 さらに2011年1月、釜山(プサン)の韓進(ハンジン)重工業の整理解雇攻撃に対して、民主労総釜山地域本部指導委員のキムジンスクさんが影島(ヨンド)工場の85号クレーンに上り、309日の占拠闘争を闘いぬいた。この闘いは、のべ10万人を超える労働者市民の支援を実現した「希望バス」の運動を生み出し、整理解雇をめぐる勝利的な暫定合意案をかちとってキム指導委員が生還するという感動的な闘いとなった。
 しかし、双龍自動車も現代自動車も、
そして韓進重工業も組合との約束を反故にし、いまだに何一つ実行していない。労働者はこうした攻撃に対して苦闘しつつ労働者としての団結を守り闘いぬいている。

 ■整理解雇撤回をかちとったKEC支会

 今年5月、金属労組亀尾(クミ)支部KEC支会の労働者が日本遠征闘争を闘い抜き、75名の整理解雇を撤回させ職場復帰をかちとるという大きな勝利を切り開いた。被解雇者全員の復職をかちとるためにKEC労働者は団結を堅持して闘いぬいている。
 さらに万都機械における殺人的労働者弾圧との闘いなど金属労働者の闘いは、新自由主義攻撃との焦点となっているがゆえに激しい闘いとなっている。
 キリュン電子、ハイテクRCDコリアなど中小企業の労働者の闘いは、長期の不屈の闘いで解雇撤回をかちとり今日に至っている。11月労働者集会での出会い、韓国での労働者大会での再会は、日本の労働者階級に大きな影響をもたらしている。動労千葉労働運動との連帯が脈々と受け継がれ、勝利に向かって闘いぬいている。

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月刊『国際労働運動』(436号7-1)(2012/12/01)

国際労働運動の暦

■国際労働運動の暦 12月4日

■1971年12・4反革命■

70年安保闘争に敵対

破防法弾圧に乗じ警察に加担して革命党を背後から襲撃したカクマル

 国家権力や日本共産党は中核派に対して「内ゲバ党派」「人殺し集団」と憎しみを込めて攻撃してきた。しかし、70年安保・沖縄闘争を真剣に闘った労働者民衆にとってこんな非難は問題外だ。カクマル派との闘いは「左翼」同士の争いではなく、革命の前進に対する反革命の側からの攻撃を打ち破る、やむにやまれぬ反撃であり、正義の闘いだった。
 12・4反革命とは、カクマル派が71年11月決戦直後の12月4日、学費値上げ反対のバリケードストライキを闘っていた関西大学を襲撃し、京都大学の辻敏明同志、同志社大学の正田三郎同志を虐殺したことを指している。カクマルは、この後、12月15日には三重大学を襲撃し、武藤一郎・革共同三重県委員長を虐殺した。また、11月決戦とその後の過程で、3人の革共同政治局員への襲撃策動を繰り広げた。広義には12・4反革命はこの一連の反革命的行為全体を指している。
 70年安保・沖縄決戦は、「反帝・反スターリン主義」プロレタリア世界革命をめざす革共同が、文字通り中軸となって切り開いた闘いだった。69年11月の佐藤訪米阻止闘争、71年11月の沖縄「返還」協定批准阻止闘争で戦闘的・大衆的に非妥協的に闘い抜いた。それは、沖縄のペテン的「返還」によって、沖縄基地の永久固定化を図り、日米安保を強化しようとする攻撃に対する労働者人民の怒りの先頭に立った闘いであり、その闘いの正しさは今日的にも明瞭だ。

 ●破防法弾圧に便乗

 この革共同に対して、国家権力は、69年4・28沖縄奪還闘争の前夜に破壊活動防止法を適用し、本多延嘉書記長らを逮捕、71年11月には2度目の破防法適用攻撃をかけてきた。
 71年11月〜12月、権力は中核派が関係する集会21件のうち8件のみを許可し、残り13件もデモをすべて禁止するという弾圧を加えた。12・4の時点で、20
00人を超える獄中者を抱えていた。11月決戦を闘いきって、まさに中核派は満身創痍の状態だった。
 この権力の破防法弾圧を歓迎し、率先協力し「権力は中核派の首根っこを、われわれ(カクマル)は下の急所を」と公言し、弾圧に乗じて中核派を壊滅しようと襲いかかったのがカクマルである。K=K連合(警察=カクマル連合)と言われるゆえんである。
 そもそもカクマルとは、62年秋の革共同第3回全国委員総会(3全総)で「戦闘的労働運動の防衛」「地区党建設」などの革命的な実践方針が出されたことに恐怖し、革共同から脱落した黒田寛一、松崎明などの集団だ。70年闘争の過程で、自らの思想的路線的破産をさらけ出し、革共同壊滅のみを目的とする最悪の反革命に転落した。
(写真 K=K連合粉砕を訴える『前進』【1971年12月13日付】)

 ●新しい型のナチス

 カクマルは、「権力と闘う党派への暴力行使」なるものを、その党派闘争論の核心に置いてきた。権力との闘いから切り離された「権力と闘う党派への暴力行使」は、当然にも階級的基準を失った純然たる反革命暴力である。
 カクマルは「反帝・反スタ」をかたり「左翼」の仮面をかぶった新しい型の民間反革命、新しい型のナチス=ネオファシストと呼ぶほかない集団である。12・4反革命に直面して、革共同はこれを階級対立の非和解性の現れ、革命勝利に向かっての不可避の絶対的課題として、敵階級の打倒の闘いと一体の、一個の戦争として階級闘争の基軸に位置づけ、ひるむことなく敢然と対決する方針を決定し、誇り高く闘い抜いてきた。「12・4を見据え、そそぎ、のりこえよ」が合言葉だった。権力とカクマルとの二重の対峙戦だった。それは世界の革命運動がかつて経験したことのない、価値創造的な闘いだった。
 二十数年の闘いを通して勝利を確定した二重対峙・対カクマル戦は、革共同の労働者党員と膨大な闘う労働者が総力で担い、支えた闘いだった。それは、労働者階級の自己解放闘争の勝利の基礎を築く、貴重な闘いの経験だった。
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 ●1971年12・4反革命をめぐる動き

9.16〜20 三里塚第2次強制代執行粉砕闘争。東峰十字路戦闘で警官3人死亡。駒井野鉄塔死守戦。大木よねさん宅奇襲で強制代執行
9.25 天皇訪欧阻止を掲げ、沖縄青年委員会が皇居突入
10. 8 沖縄「返還」協定批准阻止第1波闘争、
 日比谷野外音楽堂に1万2千人
11.10 沖縄全島ゼネスト、武装デモ、警官1人死亡。東京で全学連に破防法適用の弾圧
11.14 渋谷暴動闘争、大阪の教育労働者永田典子同志虐殺。(警官1人死亡、後に星野文昭同志がデッチあげ逮捕・起訴・無期懲役刑に)
11.19 日比谷暴動闘争
11.26 マル生大会粉砕集会開く。中野洋千葉県反戦青年委員会議長が基調報告
12. 4 関西大学で辻敏明、正田三郎同志がカクマルに虐殺される
12.15 三重大学で武藤一郎同志がカクマルに虐殺される

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月刊『国際労働運動』(436号8-1)(2012/12/01)

日誌

■日誌 2012年9月

2日新潟 外注化反対で40人が結集し集会
動労千葉の長田敏之書記長を招いて、新潟市内で「会社・組合を越えてJR外注化と闘おう!9・2新潟集会」が開催され40人が結集した
2日新潟 新潟市再任用解雇撤回裁判開く
新潟市再任用解雇撤回裁判の第3回口頭弁論が新潟地裁で開かれた。労組交流センターや地域の労働者、新潟市職OBなど約30人が傍聴に参加した
2日福島 福島・星野さんの会第4回総会
「福島・星野文昭さんを取り戻す会」は、第4回総会を二本松市で開いた
5〜6日東京 第73回全学連定期全国大会開く
全学連第73回定期全国大会が行われ、大成功した。大会には全国25大学から学生が結集した。白熱的な2日間の討論を通して、「福島との連帯で全原発の廃炉」「新自由主義大学と対決し学生自治会の建設」、11・4労働者集会、10・19法大闘争をはじめとする秋の行動方針をうち立てた
7日大阪 動労西日本の青年がストライキ
動労西日本は、片町線四条畷駅を拠点に青年労働者のストライキを断固として打ち抜いた。動労西日本と関西の労学40人が結集した
7日東京 首相官邸前で野田打倒の叫び広がる
首相官邸・国会前、文科省前などの各所で野田を弾劾する行動が大規模に行われた
8日広島 国労広島地本大会に登場
「共に闘う国労の会」と動労千葉を支援する会は、国労広島地本大会に登場し、10・1外注化絶対阻止、非正規職撤廃、闘う国労の再生を訴えた
8日大阪 大阪市教組教研集会、橋下署名に列
大阪市教組教研集会で、9・16橋下打倒集会実行委員会がビラまき・署名活動を行った
11日東京 経済産業省前テント1周年イベント
経産省前テントひろばで「9・11テント1周年イベント」が行われた。1年前の9月11日にテントを張り、原発反対の活動拠点がつくられてから367日目だ
9日群馬 群馬集会、市東さんとの絆固める
実行委主催の「農民は訴える!9・9群馬集会」が高崎市労使会館で開かれた。市東孝雄さんは「毎年、群馬に来るたびに参加者が広がっていてうれしいです」「NAAのやっていることは全部でたらめです。私は絶対に負けません」と訴えた
9日沖縄 オスプレイ拒否、島ぐるみの10万決起
「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」(主催実行委、宜野湾海浜公園)が宮古・八重山大会を合わせて、復帰後最大規模の10万3千人で開催された。「オスプレイ断固反対!」「オスプレイ断固拒否!」の沖縄県民の強固な意志が10万人を超える大結集となった県民大会に結実した。7・13ストライキを闘った全駐労沖縄地本、自治体労働者や教育労働者、民間労働者など労働組合の旗やのぼりが林立、会場の半分は労組隊列で埋まった。採択された大会決議は、「日米両政府は、我々県民のオスプレイ配備反対の不退転の決意を真摯(しんし)に受け止め、オスプレイ配備計画を直ちに撤回し、同時に米軍普天間基地を閉鎖・撤去するよう強く要求する」と結ばれた
9日東京 1万1千人が国会を包囲
東京では1万1千人が国会を包囲した。主催は「9・9沖縄県民大会と同時アクション」。国会周辺に色とりどりののぼりやメッセージボードを持った人びとがつめかけ、歩道を埋めた。原発への怒り、オスプレイへの怒り、沖縄の怒りがついにひとつになり、野田政権を直撃した
9日山口 岩国、沖縄と連帯しデモ
「9・9沖縄連帯 艦載機もオスプレイもいらない!岩国集会」(実行委員会主催)が、会場からあふれる300人以上の結集で闘いとられた。この日は、オスプレイ反対の運動を地元で取り組んできた市民や労働組合が結集した。オスプレイが搬入されている米軍岩国基地前まで500人近くがデモを行い、怒りのシュプレヒコールを上げた
10日千葉 市東さん農地裁判、県農地課長を追及
千葉地裁民事第3部(多見谷寿郎裁判長)で、市東孝雄さんの農地裁判が開かれ、元千葉県農地課長・渡辺清一の証人尋問が行われた。渡辺は06年、成田市農業委からの「転用相当」の進達書を審査し、県の農業会議に諮問し、農業会議では、農地解約手続きにお墨付きを与えた極悪の人物だ
10日大阪 大阪・八尾北労組が第12回定期大会
10・1JR外注化阻止への白熱した攻防と一つになり、八尾北医療センター労働組合第12回定期大会を、八尾北待合室でかちとった
13日宮城 JR外注化、出向事前通知に反撃
JR検修・構内業務全面外注化の10月1日実施を阻止しようと、仙台駅前でビラまきを行った
14日東京 官邸前集会、原発継続方針に怒り
金曜日の夕方、首相官邸前の歩道を埋めた人びとがこぶしやボードを突き上げた。原発再稼働と原子力規制委員会人事案に反対する、首都圏反原発連合有志主催の行動だ
14日福島 フクシマ返せ、9・14福島駅前
14日の金曜日午後6時、福島駅前にのぼり旗や横断幕、一人ひとりの手づくりのメッセージボードを掲げた人たちが並び、アピールが始まった
15〜16日大阪 労組交流センター、拡大運営委
全国労組交流センターは、大阪市内で第25回拡大全国運営委員会を行った。外注化阻止決戦と11月集会への実践的討論となった
16日大阪 橋下打倒、御堂筋デモに1千人
大阪市役所前の中之島公園・女神像前で開催された橋下打倒集会には全国から910人が結集した。大阪市職の赤田さんは「負ける気がしない!勝ちに行きましょう」と訴えた。組合旗先頭に1千人近いデモが大阪市中心部を縦断した
18日千葉 団結街道裁判、原告適格は明白だ$逞t地裁民事第3部(多見谷寿郎裁判長)で、団結街道裁判の弁論が開かれた。反対同盟顧問弁護団は、「個人の利益保護をふくまない公益≠ニは空疎な観念論。原告適格があることは明白だ」と鋭く全面的に批判した
18日東京 法大開講日 学祭規制許すな
開講目の昼休み集会は圧倒的に高揚した。斎藤郁真・全学連委員長が反原発闘争20万決起の息吹を語り、「キャンパスから首相官邸前に集まり100万人大結集を実現させよう!」と熱烈に訴えた。自主法政祭への規制に対し絶対反対で闘う文化連盟の武田雄飛丸君が、怒りのアピールを行った
19日東京 国労組合員権訴訟、国労本部を圧倒
国労組合員資格確認訴訟の第5回口頭弁論が、東京地裁民事第11部(白石哲裁判長)で開かれた。法廷では、原告代理人弁護団が本部の主張が虚偽であることを徹底的に暴き出した
19日広島 広島大生など原子力学会大会に抗議
19日から3日間広島大学東広島キャンパスで行われる日本原子力学会の「2012年秋の大会」に対し、広大生とNAZENヒロシマ、8・6ヒロシマ大行動実行委員会が抗議行動に立ち上がった
21日福島 地元から声を、9・21郡山駅前
郡山はJR郡山駅西口の人通りの多い噴水前の広場での行動だ。金曜日の午後6時から1分間アピールが始まった
21日東京 文科省前、子どもを避難させろ
首相官邸・国会議事堂前と霞が関一帯で、野田政権による原子力規制委員会の発足などの原発推進政策を弾劾し、再稼働に反対する闘いが行われた
21日山口 岩国で広大生先頭に緊急抗議行動
米軍岩国基地に陸揚げされたオスプレイの試験飛行に抗議する緊急行動が岩国の市民団体から呼びかけられ、約90人が集まった
22日東京 反戦共同行動委全国活動者会議開く
10・1JR外注化阻止決戦―11・4労働者集会の巨万決起へ向けて、反戦共同行動委員会全国活動者会議が開催された
23〜24日千葉 動労千葉定期大会かちとる
動労千葉は、第41回定期大会をDC会館で開いた。田中康宏委員長は、1年間の激闘を勝利的に振り返り、国鉄分割・民営化以来の重大局面を迎えた外注化阻止闘争について方向性を提起した
25日東京 原発推進の経団連弾劾に1300人立つ
午後6時から、首都圏反原発連合が呼びかけた経団連会館前抗議行動に、1300人が参加した
25日群馬 連帯高崎、籠原で総決起行動
動労連帯高崎の主催で「外注化阻止!強制出向粉砕!総決起行動」が、高崎車両センター籠原派出があるJR籠原駅前でかちとられた
26日茨城 動労水戸、出向通知に怒りのスト
動労水戸は、外注化絶対反対を掲げて第3波ストに決起した。出向事前通知を受けた当該を先頭に、勝田車両センターで働く全組合員が始業からストに入った
27日韓国 民主労総が動労千葉ストに連帯
動労千葉を始めとした10・1JR検修・構内業務外注化阻止の闘いに対し、韓国・民主労総ソウル本部が、日本大使館前で動労千葉ストライキに連帯する感動的な行動に立った
28日東京 官邸前、11・11に100万人集まろう
「再稼働反対!」「原発止めろ!」「フクシマ忘れるな!」。大間原発建設再開に反対し、福島の子どもたちを救おうとの行動が、首相官邸・国会前、文科省前などで行われた

 (弾圧との闘い)

18日東京 迎賓館・横田爆取弾圧裁判
迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判の差し戻し控訴審第4回公判が東京高裁第6刑事部(山崎学裁判長)で開かれた。公判では、須賀武敏、十亀弘史、板垣宏の3同志が堂々と本人尋問を闘いとった。26年にわたり国家権力と非妥協的闘いを貫いてきた3同志の証言は、裁判官や検察官を完全に圧倒し、法廷全体を感動の渦に包みこんだ
21日東京 星野面会・手紙国賠請求訴訟
東京地裁民事第38部(定塚誠裁判長)で星野文昭同志面会・手紙国家賠償請求訴訟の第4回期日が開かれた。徳島刑務所による星野同志への差し入れ妨害に対する追及が行われた
28日東京 星野再審闘争、東京高裁は証拠開示を
星野文昭同志と再審弁護団は東京高裁第12刑事部に、星野同志の陳述書を含む新証拠9点とともに「異議申立補充書」を提出した。補充書提出をもって、異議審は本格的な闘いに入った

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月刊『国際労働運動』(436号9-1)(2012/12/01)

編集後記

■編集後記

闘いを支持し連帯する感動的な決起が、民主労総ソウル本部によって取り組まれた。
 9月27日、イジェウン本部長以下、30人を超える組合員が「動労千葉のストライキ闘争を民主労総ソウル本部が支持し連帯します」の大横断幕を広げて、ソウルの日本大使館前で日本政府に対して「非正規職の量産を無視・強要する日本政府糾弾! 日本政府はJR外注化政策を即刻中断せよ! 1047名解雇撤回!」と要求した。さらに翌28日から10月1日まで、動労千葉を支援する現場活動家が連日、日本大使館前でリレー形式の1人デモを闘いぬいた。
 03年以来10年にわたって築き上げてきたソウル本部との交流が、民営化・外注化阻止の共同闘争を実現した。

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