International Lavor Movement 2012/10/01(No.434 p48)

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2012/10/01発行 No.434

定価 315円(本体価格300円+税)


第434号の目次

表紙の画像

表紙の写真 8・6ヒロシマ大行動で1300人がデモ(8月6日)

■羅針盤 外注化阻止で労組再生を 記事を読む
■News & Review 韓国
 金属労組が2〜4次スト打ち抜く   労組破壊の職場閉鎖、第2組合設立に反撃
記事を読む
■News & Review スペイン
 炭鉱労働者のゼネストに続け!   緊縮政策粉砕に決起する労働者階級
記事を読む
■News & Review 日本
 動労千葉などが強制出向粉砕の集団訴訟   外注化阻止へ連続的なストに立つ
記事を読む
■特集/外注化・労組破壊と闘う米労働運動 記事を読む
■討議資料 米帝の新自由主義と戦争 記事を読む
■Photo News 記事を読む
■世界経済の焦点
 「日本再生戦略」の核心   総非正規職化を狙って「40歳定年制」叫ぶ
記事を読む
■世界の労働組合   総索引(09年4月号〜12年9月号) 記事を読む
■国際労働運動の暦 10月23日   ■1945年読売争議■
 生産管理闘争の威力
 正力社長の足元から労働者の手で新聞発行やりとげ戦後革命を開く
記事を読む
■日誌 2012年7月 記事を読む
■編集後記 記事を読む
裏表紙の写真 炭鉱労働者を先頭に闘うスペイン労働者(7月11日)
   

月刊『国際労働運動』(434号1-1)(2012/10/01)

羅針盤

■羅針盤 外注化阻止で労組再生を

 8月大攻勢は、8・6広島―8・9長崎の反核・反原発闘争の大高揚と、動労千葉・動労水戸の外注化阻止・被曝労働反対のストライキ決起を頂点に、激しく闘いとられた。
 外注化は動労千葉などの労働組合を解体し労働者をバラバラに分断し、委託―下請け―非正規職化をトコトン進める。鉄道の安全や労働者の誇りなどは最後の一片まで奪い去る。そもそも出向・転籍の強要を始め、誰も責任を取らない労働者支配のやり方は原発労働に典型的であり、そこには非正規雇用と偽装請負の問題性が凝縮しているのだ。
 外注化・偽装請負、非正規職化の攻撃は今や世界的に一大問題化している。日本では鉄道や原発が最先端だ。野田の「日本再生戦略」は、医療・福祉を始め、民営化や公務員労働者の全員解雇攻撃と一体で、「命より経済」をすべてに最優先し労働組合をも根絶しようとしている。労働力の商品化を核心とする資本主義社会の歴史的限界と破綻が隠しようもなく突き出されている。労働者の団結による労働と生産の奪還、社会の根底的革命の中にこそ未来がある。
 動労千葉・動労水戸のストライキ決起は、JRで、またあらゆる産別・職場で、合理化・失業と闘い、解雇撤回・非正規職撤廃に向けて闘う労働者の、現場からの決起が続くことによってこそ、さらにその意義を増すことになる。
 労働者階級は企業や産業、地域や国境を越えて団結し、新自由主義攻撃と対決し、「万国の労働者は一つだ」と確信した時に、爆発的に決起し、連帯していく。すべての労働者は、職場で闘い、拠点をつくり、今こそ闘う労働組合を断固としてよみがえらせよう。

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月刊『国際労働運動』(434号2-1)(2012/10/01)

News&Reviw

■News & Review 韓国

金属労組が2〜4次スト打ち抜く

労組破壊の職場閉鎖、第2組合設立に反撃

 金属労組は7月13日の1次ストに続いて、7月20日に13万人以上が参加するストライキを打ち抜いた。当初は1次より規模が小さくなるかといわれていたが「むしろ1次ストより勢力が大きくなり、歴代最大規模の全面スト」と金属労組は総括した。
 この日、全国13カ所でストライキ出征式を行い、深夜労働の撤廃と勤務形態の変更、非正規職の正規職化、元下請不公正取引の是正などを要求し、4時間のストライキを行った。
 1次ストに続き、現代(ヒョンデ)自動車支部4万4千人と起亜(キア)自動車支部3万人、GM大宇(デウ)支部の1万3千人が参加、特にGM大宇支部は7月10日、12日、13日の部分ストに続いて、さらに強力なストを行った。
 また、今回初めて忠清南道(チュンチョンナムド)の唐津(タンジン)の現代製鉄支会が唐津製鉄所建設以後初めてストに参加し、24時間ストに立った。18日に金属労組に加盟した現代BNGスティール労組もストに参加した。
 大工場の労組と中小事業場、部品生産工場の労組が一体となった歴史的ストライキだ。
 また、8月10日に3次スト、17日に4次ストを打ち抜いた。民主労総の8月ゼネストに結合する闘いだ。
(写真 金属労組が第3次ストライキに突入し、仁川支部、韓国GM支部全面ストライキ決意大会が開かれた【8月10日】)

 □マンドで用役を投入して職場閉鎖攻撃

 自動車部品製造会社マンドは夏の休暇直前の7月27日、突如、平沢(ピョンテク)と文幕(ムンマク)、益山(イクサン)工場に武装した用役(警備員)を大量投入して職場閉鎖を強行した。金属労組マンド支部が6月14日から残業、特別勤務拒否闘争を始めて44日目だ。支部は会社と団体協約を更新するため9回の交渉を行い、26日にも交渉したが、合意することなく、その翌日の27日に会社が奇襲的に職場閉鎖したのだ。支部は「会社がわざと交渉を怠り、労組破壊を試みている」と断罪した。
 さらに会社は7月30日、労働部に新労組設立を申告し、31日から「マンド労働組合発足宣言書」を配布し、金属労組脱退書と組合加入申込書の受付を始めた。会社は平沢、文幕、益山の3支会長を辞任させて労組破壊工作に出ており、労組員は職場に入れず、組合脱退を強要されている。金属労組は「企業労組をつくり組合員に金属労組からの脱退を勧めているのは事前に緻密な準備があったものと判断」している。また、複数労組法によれば使用者側は過半数以上の職員が所属する労働組合を単一交渉対象に選定することができ、複数労組法施行以後、これを使用者側が利用して会社側の労働組合をつくる手段とされており、今回のマンドの御用労組設立問題は深刻だ。
 さらに自動車部品製造会社SJMでも7月27日、攻撃的職場閉鎖が行われた。安山工業団地にあるSJM工場に警備用役業者コンタクタスの武装した用役200人を奇襲投入し、工場内にいた労働者35人が負傷、11人が入院した。

 □自動車産業全般の労組無力化攻撃

 マンドとSJMへの職場閉鎖攻撃は自動車産業全般にわたる労組無力化攻撃の一環だ。複数労組制施行以後、自動車部品メーカーを中心に職場閉鎖攻撃による労組無力化と複数労組設立が激化している。マンドとSJMの職場閉鎖の前後に、地域の他の自動車部品メーカーの事業場でも職場閉鎖の威嚇と第2労組設立の動きが加速している。労働界では「政府と資本が労組解体のために総攻勢に出た」と把握されている。
 こうした攻撃の最初は、2010年自動車部品製造会社ヴァレオマンドで行われた。2010年2月4日、労組がサボタージュ闘争を始めると、会社は16日に用役の投入と職場閉鎖攻撃に出た。そして6月7日、ヴァレオマンドは金属労組集団脱退を決め、企業労組ができた。
 KECでは2010年6月30日、用役が投入され職場閉鎖、複数労組制施行日の2010年7月1日に企業労組が設立された。サンシンブレーキも2010年8月にヴァレオマンドとKECに続き職場閉鎖攻撃が行われた。
 そして労組解体攻撃の2011年の最初は自動車部品製造会社ユソン企業だった。会社は労組の順法闘争に対し無理やり職場閉鎖攻撃を行い、用役の暴力で制圧した。5月18日の職場閉鎖攻撃の後、7月14日に企業労組が設立され過半数を占めている。支会を相手に45億ウオンの損害賠償請求が行われた。これらの企業はみな現代自動車に部品を納入している。
 特に今回のマンドとSJMの場合、即日大規模な用役兵力が投入されており、労働界では「政府と完成車メーカーの介入と保護で組織的な労組破壊攻撃が行われた」「部品メーカーの職場閉鎖と用役投入は物量需給の問題に直結するので、完成車企業が同意しなければ事実上不可能で、完成車社内下請労働組合ではみな知っていること。SJMもマンドも現代自動車を筆頭とする総資本の攻撃であり、金属労組を解体するということ」と説明されている。
 旧マンド系列では、モーターを納品するボッシュ電装が今年2月、第2労組をつくり、支会長らに1億1千万ウオンの損害賠償請求を行った。コンチネンタルも現代車に電装部品を納入する旧マンド系列社で、SJMとマンドで職場閉鎖が行われた同じ7月27日に、職場閉鎖、用役投入のうわさの中、第2労組ができた。

 □政府、資本、用役業者の結託で金属労組破壊

 労働界では、マンドとSJMへの職場閉鎖の前後に行われた攻撃的職場閉鎖、第2組合設立などの一連の過程が、完成車グループと政府、労務法人と用役業者の共同のシナリオによるものだと主張されている。特に代表的労組破壊専門業者といわれる創造コンサルティング≠ニ政府、現代車との協調はすでに疑惑の域を超えている。
 創造コンサルティング≠ヘユソン企業、サンシンブレーキ、KEC、ヴァレオマンドの第2労組設立と労組破壊の介入をしてきた。そのたびに、政府は李明博(イミョンバク)大統領の演説で「ユソン企業では年俸7000万ウオンの勤労者が不法スト」と非難したり、マンドの場合「年俸9500万ウオンなのに職場閉鎖する貴族労組だ」と根拠のない非難をしたりした。また、SJMに投入された用役業者コンタクス≠ヘ青瓦台の関与が言われている。かつては李明博の個人ガードを行っていた業者だからだ。
 民主労総と金属労組、野党などは7月30日、記者会見で「今回の事態は現代、起亜車などの巨大完成車企業の部品メーカーで一斉に発生したという点で事前に謀議した弾圧の疑いが濃い」と主張した。実際、金属労組の闘争の意志と民主労総のストを断ち切る目的なのだ。これに対して、7月に金属労組は2回の史上最大規模の警告ストに突入したし、8月には3、4次ストに決起し、民主労総のゼネストも続く。資本と政府は金属労組の核心的な事業場を中心にストの意志をくじこうとしている。「これは現代自動車を筆頭とする総資本と政府の攻勢であり、金属労組を破壊する目的であり、以降の金属労組の運命がかかった闘争」だ。金属労組は8月5日に中央委を開き、マンドとSJMの事態に関し「金属労組の主要事業場への同時用役投入は、金属労組の8月ストを窒息させる攻撃」と規定した。

 □第3次全面ストを断固打ち抜く

 金属労組は8日、ソウル都心で大規模集会を開き、8月の第3次全面ストライキを大規模に成功させるために現場の組織化に万全を期すことを決め、ストの準備に入った。
 そして8月10日、第3次全面ストを10万人規模で打ち抜いた。現代車4万4千人、起亜車3万人、韓国GM1万3千人などはすべて4時間ストを展開した。ソウル、京畿(キョンギ)、忠南(チュンナム)、全北(チョンプク)、光州(クアンジュ)、全南(チョンナム)、蔚山(ウルサン)、釜山梁山(プサンヤンサン)支部所属支会50もストに賛同した。相当数の支会が賃金団体協議を妥結していたが、それでもこの大規模のストをやり抜いたのは、マンドやSJM事態への怒り、李明博政権と資本への怒りの大きさを示している。

 □双龍自動車支部の前支部長が満期出所

 ハンサンギュン前双龍(サンヨン)自動車支部長が8月4日の深夜12時に3年の収監生活を終え出所した。前支部長を一番先に出迎えたのはキムジョンウ支部長だ。前・現支部長は抱き合って互いに慰労と喜びを伝えた。ハンサンギュン前支部長は出迎えたすべての人に「ありがとう」とあいさつし、「これからもっと力強く闘う」と思いを明らかにした。
 前夜9時から支部員をはじめ多くの人が集まり前支部長を待った。ハンサンギュン前支部長はあいさつで「SJMとマンドの事態を見ると、今、資本は全面的に労働者民衆を攻撃している。彼らの攻撃を防ぐには、われわれ労働者がひとつに団結して闘うしかない。これから双龍自動車闘争が先鋒になり、もっと大きな闘いをつくるようにともに進む。これから楽しく笑いながら力強く闘おう」と決意を明らかにした。
 ハン前支部長は6日の月曜に工場に出勤する労働者と会った後、ソウル市庁前の大漢門にある双龍自動車烈士焼香所を訪問した。
(写真出所したハンサンジン前双龍自動車支部長【左】と出迎えたキムジョンウ支部長【8月4日】)

 □弘益大で窓口単一化闘争に勝利

 弘益(ホンイク)大清掃警備労働者は8月1日、業者であるヨンジン実業と会い、ヨンジン実業が弘益大との警備用役契約が終了する12月末以後、用役請負に関する入札に参加しないこと、参加する場合は2013年にソウル京畿支部が行う集団交渉に誠実に臨む、などの合意を引き出し、座り込みを85日で終了し、現場に復帰した。労組は「これで御用労組を立てて民主労組との交渉を拒否し、労働弾圧を続けてきたヨンジン実業は、清掃警備労働者の闘争に屈して弘益大から出ていくことになった」「弘益大清掃警備労働者は複数労組制、窓口単一化という悪法を利用して民主労組を弾圧する用役業者に対し、また勝利した」と明らかにした。8月2日に組合員総会を開き、合事項目を確認した後に座り込み場から撤収した。
 金属労組現代自動車支部が7月に続き8月8日、また部分ストに突入した。また金属労組は8月10日と17日に3次、4次の全面ストに決起し、夏季闘争が本格化し、マンド支部やSJM支部などへの攻撃に鉄の回答を下した。「用役チンピラの現場侵奪と政権の傍観と保護に対し断固かつ至急な対応が必要」だと宣言した。4年ぶりにストを行った現代自動車支部は、昼夜連続2交代制の即刻実施、社内下請の正規職化を要求し交渉をしている。使用者側の不誠実交渉に「17日からは元に戻せない破局に直面するという事実を肝に銘じろ」と警告した。

 □カンジョン村平和大行進に4000人

 海軍基地建設に反対するカンジョン村の闘いは、8月7日まで6日間、済州島全域に東進組と西進組に分かれて行進した。延べ4000人が参加した。双龍自動車支部は支部長をはじめ12人が参加した。双龍車は竜山惨事の当事者とカンジョン村の闘いとの連帯行動を続けている。また現代自動車非正規職労働者も積極的に参加した。そして釜山の韓進重工業の労組員も釜山本部指導委員キムジンスクさんとともに行進した。夏休みをカンジョンで送るという労働者、歌手、詩人、大学生らが同じシュプレヒコールを上げて済州島を6日間めぐった。労働組合の闘いが現地の農民・漁民の闘いを支える中心となっている。
 最終日、夜の文化コンサートを盛大に行い、成功裏に平和大行進を締めくくった。
 激しい弾圧に肉弾戦で闘う現地住民に限りない連帯と支援となった。カンジョン村の海軍基地建設阻止闘争はこれから本格化していく。その先頭には韓進重工業労働者をはじめとする労働組合が立っている。     (本木明信)

〔金属労組が第3次ストライキに突入し、仁川支部、韓国GM支部全面ストライキ決意大会が開かれた(8月10日)〕

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月刊『国際労働運動』(434号2-2)(2012/10/01)

News&Reviw

■News & Review スペイン

炭鉱労働者のゼネストに続け!

緊縮政策粉砕に決起する労働者階級

 □ゼネストを闘う炭坑労働者、首都に行進

 7月11日夕刻、ラホイ政権の緊縮政策に対し、5月以来無期限ゼネストを闘ってきたスペイン北部アストゥリアス地方の炭鉱労働者が、500`を越える行進の目的地・首都マドリッドに数百の隊列を組んで到着した。ヘルメットにランプをつけ、カンテラを手にした黒い行進=iマルチャ・ネグラ)を出迎えたのは、2万5000人の大群衆だった。EU帝国主義の新自由主義攻撃を、ギリシャ労働者とともにまともに受けてきたスペイン労働者階級、とりわけ、公共サービス労働者、教育労働者が先頭に立ち、広範なマドリード市民を含めた巨大な怒りのデモが、首都を埋め尽くしていた。
 25%の失業率、とりわけ青年のあいだでは、2人に1人が職がない、という極限状況のスペイン労働者人民大衆の政権、そして新自由主義、帝国主義に対する激しい怒りが、マドリッドに渦巻いたのだ。保守党政権はもとより、体制内労働運動指導部が、最も恐れてきた事態が、ついに到来したのだ。
 「炭鉱労働者は、われわれの英雄だ」「アストゥリアスのように闘おう!」のシュプレヒコールが、各所で上げられ、感動したデモ隊のなかには、涙を流す人、炭鉱労働者とハグをくり返す人々が見られた。市内にはインターナショナルの歌声が高らかに響いた。
(写真 首都マドリードに向けて行進する数百人の炭鉱労働者)

 □巨大な首都デモ行進

 まさにこの日、保守党ラホイ政権は、破産した金融資本=大銀行へのEU、ECB(ヨーロッパ中央銀行)からの融資を受けるための新たな緊縮政策を発表した。その内容は、すでに明らかにされていた炭鉱産業への政府補助金を65%削減するという攻撃に加えて、公務員労働者の賃金カットなど、労働者階級にさらなる屈服を強制する政策である。
 ラホイ政権は、炭鉱労働者の怒りが、まさに首都でスペイン労働者階級全体の怒りと合流して、政権転覆に至る革命的爆発になることを恐れて、機動隊と国家保安隊を動員して、首相官邸と議会庁舎に向かおうとする巨大なデモ隊に、いつにも増した暴力的な攻撃を加えた。これに対して、消防士組合の労働者は、デモ隊防衛の側に立ち、警官のなかには、敵意のないことを示すために、ヘルメットを脱ぐ者も見られた、ということである。

 □8千人の炭鉱労働者の職を奪う攻撃

 スペインの炭鉱地帯は、北部に集中し、アストゥリアスをはじめ、レオン、ガリシア、アラゴンなどの諸地方にわたっている。とくにアストゥリアスは、フランコ登場と闘った30年代の内戦時代の拠点で、1934年に報復として、3千人の炭鉱労働者がファシストによって虐殺されている。戦後まで続いたフランコ政権下で、1962年に、最初の抵抗闘争ののろしを上げたのも、アストゥリアスの炭鉱労働者であった。イギリスの炭鉱労働者が、サッチャー政権の新自由主義攻撃と死活をかけた決戦を闘っていた1984〜85年に、スペインの炭鉱労働者は、階級的連帯のアピールを発している。
 スペイン帝国主義は、新自由主義のもとで炭鉱切り捨て政策をとり、20年前には4万人だった炭鉱労働者の数が、現在では9千人に減少している。そして、今回のラホイ政権による緊縮計画が実行されると、8千人の労働者が職を失うとともに、炭鉱業を基礎に生きてきた北スペイン地方の広範な労働者人民の生活の基盤が失われることになる。
 炭鉱労働者に対する攻撃は、現保守政権が昨年12月に成立する以前の社会党政権のもとで、体制内労働組合の合意を得て、2018年までの全面閉山という方針が立てられ、そのもとで実行されてきたのだが、今回の政策は、それまで待たずに、事実上の炭鉱業廃止にまで行きつく凶暴な攻撃である。
(写真 炭鉱労働者とともに行進する首都の2万5千人の労働者(7月11日 マドリード】)

 □銀行救済のための緊縮政策

 ラホイ政権の緊縮政策は、次のような内容である。@失業給付金の60%から50%への削減、A付加価値税の18%から21%への引き上げ、Bたばこ税値上げ、C住宅購買時の税金控除廃止、D政党と労働組合への助成金の20%削減、E地方議会予算の30%削減、F公共事業労働者の年末一時金削減、などである。これに加えて、鉄道、港湾、空港などの民営化が計画されている。
 これらすべてが、銀行の破産を救済するための措置であり、新自由主義のもとでのバブル経済、とりわけ金融投機の破綻の結果を、労働者人民の犠牲によってのりきろうという許しがたい攻撃である。

 □「階級戦争」の開始

 社会主義労働者党の前政権のもとで、体制内労働組合指導部の協力をえて強行されてきた新自由主義攻撃としての緊縮政策に、スペイン労働者階級は、ギリシャの労働者とともに、くり返しゼネストに決起するなど、闘いを展開してきたが、今回の炭鉱労働者の決起は、世界大恐慌、とりわけEU=ヨーロッパ危機の激化のただなかで、スペインの階級闘争を、新たな段階に押し上げるものである。「階級戦争」の文字が、現地スペインだけでなく、近隣ヨーロッパ諸国のマスコミにあふれている。
 アストゥリアスの炭鉱労働者は、政府の緊急政策に反対して、5月31日に全山でゼネストに入り、部分的には坑内占拠を行って闘いを開始した。これに対して政権は、警察機動隊だけでなく、内乱鎮圧のための国家保安隊を投入し、鉱山地域一帯を、居住地を含めて制圧しようと、凶暴な攻撃を行ってきた。炭鉱労働者は、国家権力の内乱鎮圧型の攻撃に対し、道路封鎖、鉄道の線路の占拠などをもって応えた。
 こうしてアストゥリアスをはじめとして、レオン、ガリシア、アラゴンなど、かつての1930年代内戦・内乱期の戦場が、世界大恐慌、帝国主義の末期的危機のなかでよみがえったのである。労働者は、国家権力のガス弾、ゴム弾、催涙弾などを用いた暴虐な攻撃に対して、炭鉱地帯を駆け回り、手作りのロケット、投てき器などを使って防戦した。マスコミは、「炭鉱労働者は暴徒と化した」と書き立て、体制内労働運動指導部は、「労働者の暴力反対」と叫んだ。

 □内乱時代を切り開く黒い行進

 こうした闘いのなかで、6月22日、アストゥリアスの炭鉱労働者は、闘争を政治問題化するために、首都マドリッドへの黒い行進≠開始した。行進には、坑内の厳しい労働環境で働く女性労働者や炭鉱労働者の家族も参加した。作業服に身を固め、ヘルメットにランプをつけた完全武装≠フデモ隊は、現地を出発すると、行く先々で、感動的な歓迎を受けた。黒い行進≠フ話を聞いた沿路の人々は、マラソン走者を迎えるように、給水所、軽食のテーブル、簡易休息所などを準備し、500`の大遠征を行う炭鉱労働者を、心からねぎらったと伝えられる。北部からマドリッド〔スペインのほぼ中央部に位置している〕に至る全地帯が、炭鉱労働者との階級連帯の赤い炎で包まれた。首都よりも南の地方の人々は、マドリードまで出てきて、黒い行進≠出迎えた。

 □全スペインでの数百万人の抗議も爆発

 首都マドリードでの炭鉱労働者と全スペイン労働者階級の事実上の大合流の直後、7月19日、ラホイ政府の緊縮政策に反対して、全スペイン80の都市で数百万人の抗議行動が行われた。マドリードでは80万人以上、バルセロナでは数十万人がデモに立った。マドリードでは、緊縮法案を審議中の議会をデモ隊が包囲し、11日に引き続いて、警官隊との激突となった。15人の労働者が逮捕、負傷した参加者は39人に上った。

 □体制内労組・野党の裏切り

 このような全スペイン的な闘争の大爆発のさなかで、体制内労組は、8月10日、炭鉱労働者にスト中止を指令した。この間、要求してきた政府との会談が実現するから、というのが理由だ。しかし、坑内に立てこもって闘ってきた6人の炭鉱労働者のうち5人は、占拠の解除を拒否している。
 スペインの野党である社会主義労働者党は、昨年末、保守党によって政権を奪われるまで、与党としてEUの緊縮政策指令に屈服し、炭鉱の削減、閉山についても、2018年までの猶予を条件として受け入れ、労働者に緊縮政策を強制してきた当の裏切り者である。だから、現在のラホイ政権への批判にしても、以前の約束を守って、2018年まで炭鉱補助金の削減を待て、という立場である。
 こうした野党と体制内労働運動による新自由主義攻撃に対するスペイン労働者階級の新たな闘いが、今回の炭鉱労働者のストとマドリードでの公務員労働者を先頭とする全スペイン労働者階級との大合流だ。
(写真 首都デモの先頭に立つ炭鉱労働者【7月11日】)

 □全欧の労働者を鼓舞

 このスペイン労働者の闘いは、ギリシャ労働者の闘いに続いて、全ヨーロッパの労働者階級をふるいたたせている。
 イギリスでは、1980年代の恩返し≠ニして、工業都市マンチェスターを中心に、〈スペイン炭鉱労働者連帯委員会〉が組織され、闘争状況が刻々伝えられるとともに、支援と共闘が呼びかけられている。イタリアでは、大手金属機械労組が、連帯ストを行っている。ドイツでも、スペイン領事館に対する、弾圧抗議のデモが行われるなど、連帯行動が呼びかけられている。
 「EUの弱い環」などと呼ばれ、次々と反労働者的な緊縮政策が襲い掛かっている諸国で、労働者階級は決して黙って資本家の言いなりにはなってはいない。怒りを燃やして必ず立ち上がるし、反撃する力を持っているのだということを、スペインの炭鉱労働者は、全ヨーロッパ、いや全世界に示しているのだ。
 30年代のスターリン主義の裏切りによる敗北をのりこえて新自由主義と闘いぬき、プロレタリア世界革命に勝利するために必要なのは、階級的労働運動の革命的指導部の形成である。
 (川武信夫)

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月刊『国際労働運動』(434号2-3)(2012/10/01)

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■News & Review 日本

動労千葉などが強制出向粉砕の集団訴訟

外注化阻止へ連続的なストに立つ

 □8月28日に仮処分の訴えを起こす

 動労千葉と動労水戸、動労連帯高崎はJR東日本を相手取り、検修・構内運転業務の外注化とそれに伴う強制出向の差し止めを求める仮処分の訴えを8月28日に東京地裁に起こす。外注化の対象となっている職場で働く全組合員が当事者として名を連ねるかつてない集団訴訟だ。これまで強制出向や転籍をめぐって個人が争った訴訟は数多くあるが、労働組合としてこれほどの規模で集団訴訟に立ち上がること自体、日本の労働運動史上にも例がない。まさに画期的な闘いだ。
 この日は、各組合が検修・構内業務の職場を対象にしたストライキに決起し、総力を挙げて「強制出向粉砕・偽装請負弾劾」を掲げて東京地裁を包囲する一大行動に立ち上がる。
 動労千葉を先頭に10・1外注化を阻止する、1カ月の総力戦に突入したのである。
(写真 京葉車両センター前でスト突入集会を行う動労千葉。指名ストに入った繁沢さん、小林さんを先頭に怒りのこぶし【8月7日】)

 □千葉で87人の要員削減―強制出向狙う

 JR東日本の検修・構内運転業務の全面外注化について、千葉だけは支社提案ができないでいたが、JR東日本千葉支社は7月24日、委託対象業務および外注化に伴う87人に及ぶ要員削減の提案を行ってきた。
 提案によれば、次の業務を委託対象業務としている。
@車輪削正業務(京葉車両センターで実施済み)*幕張
A入換業務(京葉一部実施済み)*幕張、京葉、習志野
B誘導業務(京葉一部実施済み)*幕張、京葉、習志野
C車両の解放・連結に伴う業務(京葉一部実施済み)*幕張、京葉、習志野
D構内計画業務(1年後に実施予定)*幕張、京葉、習志野
Eその他構内に係わる業務(京葉一部実施済み)*幕張、京葉、習志野
F仕業検査業務 *幕張、京葉、習志野
G駅派出業務(定例業務として仕業検査業務や入換業務を行っている駅派出に限る)*一ノ宮、鴨川、木更津、銚子の各派出
H信号業務(直接、本線運行に関わらない車両センター等の構内に限る)*幕張
Iホームでの分割・併合業務 *一ノ宮、鴨川、木更津の各派出
 今回の提案においてJRに残る業務は、本区関係では、技術管理、保全検査、臨検、検修当直、事務、資材・倉庫、派出関係では、千葉派出、西船橋派出、木更津関係では、技術管理、交番検査としている。
 また、「構内計画業務」については、委託対象業務としているが、今後、体制を見直して1年後に委託するとしている。
 一方、業務委託に伴う要員関係については、幕張車両センターで管理職+1名、車両職▲(マイナス)63名、京葉車両センターは車両職▲8名、習志野運輸区は車両職▲11名、銚子運輸区で車両職▲5名、合計、管理職+1名、車両職▲87名の要員削減となっている。そして、この要員削減数が出向者数になること、出向者については、委託対象業務に従事している者が委託とともにそのまま出向になるとしている。
 しかし、この数字には、1年後に委託予定の構内計画業務の要員が含まれていないため、構内計画業務の要員数も含めれば、全体で100人を超える強制出向になるということだ。
 千葉支社は今後、9月冒頭から、偽装請負にならないために委託後の業務の流れについて教育を行うとしている。また、業務委託後にJRとCTS(千葉鉄道サービス)で使用する場所を区分けするために、7月末から調査を実施し、8月以降、工事を行うとしている。
 さらに、業務委託に伴いCTSが作業責任者、運転責任者を幕張、京葉、習志野の各区に配置するとしているが、人数はまだ決まっていないとして、具体的な人数は提示しなかった。そして、委託先会社は、千葉鉄道サービスで、「10月1日」から実施するとしている。
 だが、千葉支社では8月中旬段階で、東労組を除く労働組合とは支社提案をめぐる団体交渉すら始まっていない。常識的に考えたら、このペースで10月1日外注化実施など無理だ。しかし千葉支社はあくまで、東労組とだけ先行して団交を進めて8月中にも妥結し、10月1日外注化実施を狙っている。東労組は本社交渉時と同様に、またもや裏切り妥結を行って傘下の青年たちを強制出向に追いやるつもりなのだ。

 □厚労大臣あてに偽装請負の申告

 これに対して動労千葉は、8月3日、厚生労働大臣あてに偽装請負の違反申告を行った。外注対象となっている仕事を担当している49人の組合員が連名で申告者となった。
 申告書は、87人ものJR労働者を出向させることで初めて成り立つ外注化は明らかな偽装請負であると指摘している。検査修繕・構内業務の全面外注化は労働省告示37号(86年4月17日)に違反する偽装請負だ。申告書の指摘は、概略、次のようなものだ。
 千葉で外注業務を受託するCTSには車両の検査・修繕に関する技術経験はまったくない。労働省告示の本来の趣旨は、請負が適正なものであるためには「単に肉体的な労働力を提供するもの」であってはならないというものだが、CTSには提供する労働力さえなく、発注会社(JR東日本)から87人もの労働者が出向して業務を処理することで業務委託が初めて成り立つ。同じ職場で、同じ労働者が、同じ仕事をするのだ。何のために無理を重ねて外注化する必要があるのか。要するに、将来の転籍や別会社化、非正規職化と人件費削減を狙ったむちゃくちゃな攻撃なのだ。
 特に、構内業務や信号業務の外注化が労働省告示違反であることは明白だ。
 車両基地構内から本線にまたがって複雑なダイヤが組まれている鉄道では、指揮命令系統は厳格に一元化されていなければ安全も安定輸送も守れない。各車両基地での業務計画は当然にもJR東日本が作る。各日の作業を概括的に下請け会社に指示するだけでは済まず、文字通り一つひとつの作業がJR側からの「通告」(指揮・命令にあたる)によって遂行される。労働省告示が求める「請け負った業務を契約相手から独立して処理する」ことなど、はなから無理なのだ。
 すでに一部業務が外注化された職場では、もっと低水準でデタラメな事態が横行している。
 構内業務の一部が外注化された京葉車両センターでは、CTSが担当する「仕業1」とJRが担当する「仕業2」がペアで車両入れ換えを行っている。7月に超過勤務が発生した際、CTSの担当者が超勤できなかったためJRの指示で「仕業1」の仕事を「仕業2」の担当者が肩代わりした。他支社でも同様の肩代わりは日常茶飯事だ。
 このような違法・不当な偽装請負を前提とした強制出向は絶対に無効なのだ。

 □京葉車両センターで指名ストを実施

 そして、この外注化は、動労千葉の組織破壊を狙った攻撃であることも明白になってきた。
 京葉車両センターでは、国労から小林俊雄さんが7月19日付で動労千葉に加入した。加入にあたって小林さんは次のように訴えている。
 「私が所属していた国労は、『出向協定を結んでいるから闘えない』と言って闘おうとしませんでした。しかし、動労千葉は、外注化と強制出向に反対する方針を持っています。私は、この方針に惹かれて動労千葉に入りました。入ったからには、外注化―強制出向反対で闘う決意です。外注化と強制出向は、われわれだけの問題ではありません。これからを担う平成採にとって最大の問題です。平成採の仲間たちにも動労千葉に加入してもらい、将来、闘う労働者になってもらうためにも、自分自身が外注化―強制出向反対を闘いぬく姿を見てもらいたいと思います」
 ところが、許せないことに、京葉車両センター所長が、この小林さんと、動労千葉副委員長である繁沢敬一さんの2人の組合員を含む9人の労働者に対して、突然、仕業検査および西船橋派出の見習を指定してきた。見習とは配置転換のための教育・訓練だ。
 現在、2人の組合員は機動班で働いている。機動班は10・1外注化の対象から外されており、仕業検査は外注化対象だ。だから、この見習の狙いは、2人の動労千葉組合員を強制出向の対象とするためなのだ。出向に出さない場合でも京葉車両センター本区から派出に出し、動労千葉の影響力を削ぐことを狙っているのだ。
 この露骨な組織破壊攻撃に対して、見習指定された当該の2人の組合員が8月7日、9日、10日、15日に指名ストに立ち上がった。この指名ストは、見習訓練を中止するか、異動を行わない旨の確約が取れるまで継続するとしている。
 7日早朝のスト突入集会で田中康宏委員長は、「東労組は、組合員がこうやって出向に駆り出されることを『取り組みの成果』だなんて言っている。仲間を平気で売り渡す労働組合を絶対に許すことはできない。この闘いは、鉄道の安全と、子や孫の世代の雇用がかかった闘いだ。ありとあらゆる闘いで絶対に10・1外注化を止めよう」と訴えた。
 こうした職場での闘いと一体で、今回の集団訴訟が闘われる。

 □動労水戸は被曝労働拒否のスト

 一方、動労水戸は、この外注化阻止とともに重大な課題である被曝労働拒否の闘いを継続している。7月30日、JR東日本水郡線営業所運輸科で強行されている気動車のラジエーター除染作業に反対して、大子支部の検修職と乗務員の全員がストライキに決起し、この日の作業は中止に追い込まれた。また、ストに入った動労水戸運転士の代替要員をめぐって、他労組の青年労働者がスト破りを拒否する画期的事態も生まれた。
 31日からは、検修職の組合員が除染作業のみを拒否する指名スト態勢に入り、8月3日、6日、7日と連日の闘いに決起している。
 JR水戸駅と郡山駅を結ぶ水郡線の気動車は、福島第一原発事故による高線量地域を走行するためラジエーターには放射性物質を含むチリが付着する。水戸支社は、チリを圧縮空気で吹き飛ばそうとしたが、現場の怒りで1年以上にわたってこの作業を中止してきた。ところが、6月に入って高圧水で洗浄するという作業を強行しようとしてきた。動労水戸は「ラジエーター清掃は放射能を扱う除染作業だ。特に若い労働者には絶対に作業をさせてはいけない」と要求し、ストに決起しているのだ。

 □外注化阻止に未来がかかっている

 業務外注化(アウトソーシング、外部委託)こそ、新自由主義攻撃の中心をなす攻撃だ。資本は、業務の大部分を外注化することにより、大幅なコストダウンを実現し、利潤を極大化しようとしている。それは、外注化した業務の労働者を低賃金の非正規職にすることによって成り立つ。それに伴う「偽装請負」「強制出向」「安全破壊」との闘いは、製造業はもとより自治体・教労・郵政、医療・福祉、交通運輸など全産別の労働者が直面している普遍的な課題だ。
 今日、全労働者の4割が非正規職にされ(約2500万人!)、貧困が全社会に蔓延する新自由主義のもたらした現実は、国鉄分割・民営化―総評解体・連合結成により、労働組合が資本の攻撃と闘わないばかりか、その手先になるまでに屈服と変質を深めてきた結果だ。
 動労千葉は、国鉄分割・民営化攻撃が始まって以来30年に及ぶ攻防に歴史的決着をつける闘いに打って出ている。それが第2の分割・民営化攻撃の中心をなす外注化との闘いだ。この決戦に勝利することができれば、日本労働運動の屈服と変質の歴史を覆し、闘う労働組合を甦らせることができる。
 10・1外注化阻止から11・4全国労働者総決起集会へ、動労千葉とともに全力で闘い抜こう。
 (大沢 康)

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月刊『国際労働運動』(434号3-1)(2012/10/01)

(写真 シカゴ教組のデモ。「シカゴを取り戻せ!」「ストライキにイエス」というスローガンが掲げられた【2010年6月】)

特集

■特集/外注化・労組破壊と闘う米労働運動

 はじめに

 30年間全世界に吹き荒れた新自由主義の正体が次々に暴かれ、99%が感じている。「『小さな政府』『市場原理』『民営化』『安くて安全な原発』――すべてウソだった」と。戦後期以来の根底的決起が始まっている。
 もともと新自由主義は、絶体絶命の危機に立つアメリカ帝国主義の窮余の策として誕生した。したがって、アメリカ労働者階級の新自由主義との攻防をわれわれ自身のものすることに敵を知り己を知って確実に勝利する鍵がある。
 本特集の第1章は、新自由主義の誕生を30年代からのニューディール体制の破綻からとらえる。
 第2章は、都市再開発利権を狙った学校閉鎖と対決し、教職員組合と地域共同体を奪還する闘いに迫る。
 第3章は、ハリケーン・カトリーナ大災害との闘いとニューオーリンズ教組の闘いを軸に、労働者の共同性の回復とそれへの攻撃に迫る。

第1章

 ニューディールの総決算--国家に寄生し侵食する新自由主義

 新自由主義の言葉と実態は正反対

 われわれの目の前の現実を見てみよう。やつらの言っていることと、やっていることは全然違うではないか。
 銀行への公的資金投入は何だ! 東電の国有化は何だ!あれほど居丈高に「自己責任」と言いつづけてきた連中が、自分たちが倒産しそうになると、税金で助けられている。資本家は誰一人責任をとっていない。
 いつの時代でも口で言われることと現実の政策は違っていた。とはいえ、新自由主義は、言葉と実態の乖離をかつてない極限まで進めた。
 新自由主義を理解する場合、「小さな政府」「官から民へ」「自由競争」などのスローガンは全部ウソだというところから出発しなければならない。

 戦争の外注化

 最も典型的なものは、戦争だ。かつては周辺的な業務の外注化だったが、今は、イラクでもアフガニスタンでも米軍の人数より民間軍事会社の方が多くなり、主客が逆転した。本体業務そのもの=戦場での兵站や戦闘そのものが外注化されている。
 軍事会社は、浄水したと偽って、川の汚い水を納入し、米軍兵士が下痢で戦闘できなくなった。効果のない防弾チョッキを納入し、危険を感じた兵士には支給品より高級なチョッキを自腹で買わせ、二重に儲けた。シャワー室の手抜き工事で多くの兵士が感電した。軍事会社の納入不正による米軍の戦闘への打撃の例は数知れない。
 また戦闘での不正は、もっとひどい。米軍の指揮に従ったふりをして、やってもいない「戦闘」の虚偽の報告を送ったりして、作戦に致命的な打撃を与えている。
 アメリカ帝国主義の中心的政策である侵略戦争が、民間軍事会社に食い物にされ、絶対に勝てないものにされている。それでも戦争外注化は拡大し、侵略戦争をいっそう凶暴にし、イラク・アフガニスタン・パキスタンの人民の無差別殺戮(さつりく)を続けている。
 国家――支配階級全体の利益を貫くためのもの――に支配階級自身がシロアリのようにたかり、ボロボロにしつつ、労働者人民を凶暴に攻撃する。これが新自由主義の現実の姿だ。

 80年代の国家介入の拡大

 レーガン政権の経済政策の柱を見てみよう。
 表向きの政策ではなく、金額など、現実のウェートを基準にしてみると、次の三つが大きい。
@国家予算の拡大(軍事予算が主)
A国内産業の国際競争からの保護(自動車など)
B労働組合破壊(結果、実質賃金が下がった)
 最後のBが実際には核心中の核心だ。他のすべてが実質的には失敗しても、この一点でレーガンは「偉大な大統領」としてブルジョアジーに支持され続けたのだ。PATCO(航空管制官労組)の全員解雇。PATCO解体自体は、カーター政権時代から準備されていた資本家階級全体の政策だった。だが、後述のブルワリズムを適用したレーガンは、最後通牒の後は交渉を一切拒否し全員解雇するという徹底性を貫いた。以後、航空産業の外注化が一斉にエスカレートしたのを始め、労組破壊攻撃が拡大した。全米自動車労組(UAW)は、カーター時代から自ら外注化を認め、譲歩を申し出る「譲歩交渉」を始めていたが、PATCO解体以後、譲歩交渉が全産業に蔓延するようになった。
 レーガン軍拡@は、本誌討議資料【28n】で明白なように、軍事上の必要性から行われたものではない。スターウォーズ計画は荒唐無稽なものだ。軍需産業に金を流すためのものだったのだ。
 新自由主義のイデオローグが宣伝する「軍事・外交・治安を除いて、国家は最小限にする」は大ペテンだ。まるで、付け足しのように扱っている軍事費こそ、現実には桁違いに大きい。他の部門を削減しても軍事費が国家予算を大膨張させ、また国際収支の大赤字を招いた。
 Aは、レーガンの大統領選の時から選挙公約に「自動車産業救済」を掲げ、就任後81年5月の自動車産業救済策では日本への自動車輸出自主規制要求を盛り込んだ。
 85年6月、米半導体工業会は通商法301条に基づいて日本を提訴し、86年7月末に日米の半導体協定が結ばれた。自由競争・自由貿易ではなく、保護・通商戦争だ。
 新自由主義の「小さな政府」というスローガンはウソ八百だ。最初から国家肥大化の政策をやり、その後、さらにそれを加速したのだ。
 そして新自由主義の誕生の地であり、それが最も徹底して行われたアメリカで、経済破綻が最も激化している。
 このような新自由主義は、どのような状況の中から生まれ、どこに向かっていくのだろうか。新自由主義の前史から見ていこう。
 80年代に本格的に開始された新自由主義は、それまで主流だったニューディール型政策の否定だった。

 革命予防――ニューディール政策の破産

 ニューディールは、33年3月に就任したルーズベルト政権が、30年代世界大恐慌と労働者階級の巨大な決起に対する対策として始めた。
 政府支出で「有効需要」をつくり出し(「景気刺激」)、雇用対策をして、労働者階級の決起を体制的な枠内に収めていくことを目指した。
 具体的には、
@銀行の預金の政府保証(緊急銀行救済法など)
A公共事業の拡大(TVAテネシー川流域開発公社など)
B雇用対策(CCC 民間資源保存局など)
C農業恐慌対策(AAA 農業調整法による生産調整)
D労働組合の合法的位置の確立(ワグナー法)
Eソーシャルセキュリティー制度(老齢・遺族・障害者年金制度)
――である。
 ニューディールは緊急対策としては有効だった。@によって銀行の取り付け騒ぎなどは収束させられた。
 だが、メインの経済政策である、恐慌からの脱出はできなかった。
 30年代恐慌は、それまで先送りにしてきた超巨大な過剰資本・過剰生産力の矛盾の爆発だった。そもそも政府支出の増大で解決できるものではなかった。
 そして政府支出の増大自体が、現実には本格実施が不可能だった。確かに連邦政府の支出は拡大したが、州財政の困窮のため州政府の支出は縮小し、連邦・州を合わせた総額支出は縮小した。ニューディール後期に州政府支出もある程度増大したが、大きなものにはならなかった。
 恐慌からの本格的回復は第2次大戦への参戦によらねば不可能だったのだ。
 だが、アメリカ帝国主義にとって重要なことは、大恐慌下で嵐のように決起していた労働者階級の闘いを、DEによって体制的枠組みの中に引き入れ、独特の協力体制を形成できたことだった。
 この協力体制は「ニューディール連合」と呼ばれる。ルーズベルトの党、民主党と労働組合、人種差別反対運動、各種住民団体などがこの連合に参加した。ポイントはアメリカ共産党のルーズベルト支持だった。ロシア革命の権威によって資本主義と闘う党と思われていた共産党が連合を担ったことで、他の勢力も資本家階級の党=民主党と全面協力する免罪符を得たのだ。
 第2次大戦への国民総動員は、このニューディール連合の力で、強力に推進された。
 従来のAFL(米労働総連合)から30年代に分離・独立して生まれた戦闘的なナショナルセンターCIO(産業別組合会議)に共産党は大きな影響力を及ぼしていた。そのためAFLとCIOの指導部は安心して「ストライキをしない誓い」をした。
 しかし、戦争遂行のための戦略的工場であるロサンゼルス造船所でも数万人規模の大ストライキが組織されていた。
 また戦争中、労働組合の組織化は進み、製造業労働者の組織率は70%に達した。大企業ではほぼ100%だ。

 戦後不況・戦後革命

 ドイツ・日本の降伏が確実となった45年3月、AFLとCIOは商工会議所と「労使協調憲章」を締結し、戦争下の「ストをしない誓い」の関係の継続を求めた。
 だが、30年代恐慌は、第2次大戦突入によってひとまず乗り切れたものの、戦後、軍需が激減すると直ちに大不況となった。
 46年1月、17万人の電機労働者、9万人の食肉労働者、75万人の鉄鋼労働者がストに突入した。4月には34万人の炭鉱労働者が全国スト、5月には鉄道労働者が全国ストで、全米的にほぼすべての炭鉱と鉄道がストップした。カリフォルニア州オークランドやニューヨークなどでは都市全体を止めるゼネストも行われた。
 製造業組織率70%という状態のなかで、500万人以上がストライキに参加していった。資本家は震え上がった。ここから、ニューディール政策を激しく排撃し、転換を図る動きが出てくる。
 ひとつは35年のワグナー法=全国労働関係法の改定運動だ。

 ワグナー法解体―タフト・ハートレー法制定

 組合結成を阻害し、またストの権利を制限して、資本の支配力を回復する狙いをもった運動が台頭してきた。これが47年にタフト・ハートレー法となった。
 @「労働組合による不当労働行為」の概念を導入A政府のスト中止命令の導入Bクローズドショップの禁止Cユニオンショップを禁止する州法制定の承認D連帯スト禁止などだ。資本から労働組合を守るワグナー法を労働組合から資本を守るものに逆転したのだ。

 赤狩り

 また、タフト・ハートレー法は労組役員に「共産党や政府を転覆する団体」の支持者でない誓約を求めた。思想信条を問うこの条項が憲法違反であることは明らかで、実際、後の最高裁判決で違憲が確定している。だが、CIO本部はこの条項に飛びつき、労働組合からの共産党員やトロツキスト、戦闘的活動家の追放のために利用したのだ。CIO本部の指令に最後まで抵抗したILWU(国際港湾倉庫労組)とUE(統一電機労組)は、労組まるごとCIOから追放された。

 軍産複合体拡大と水爆

 あとひとつは、軍産複合体の拡大だ。
 50年4月の米国家安全保障会議(NSC)報告書は「政府支出を拡大しなければ、米欧経済は不況に陥る」「軍事支出大幅拡大が必要」と勧告した。そして、水爆の開発・製造を決定した。水爆の開発も、恐慌への恐怖を大きな動力として行われたのだ。

 シカゴ学派の形成

 新自由主義イデオロギーの元祖といわれるフリードマンらのシカゴ学派は、このような戦後の労働者階級の決起への恐怖と反動から生まれた。
 だが彼らは、アメリカ帝国主義の主流になれなかった。ニューディールが破綻しているにもかかわらず、ニューディール、ケインズに代わるものとして、シカゴ学派の理論は、あまりに破綻的であるため受け入れられることはなかった。
 たとえば、マッカーシーとならんで赤狩りの中心人物となったニクソンは、共和党右派で、ルーズベルトがつくった民主党と労働組合を軸とするニューディール連合と政治的に対立してきた。だが大統領を務めた60年代末から70年代初めに至っても、新自由主義を採用しなかった。
 戦後労働運動の革命的高揚とそれへの大反動があったにもかかわらず、ニューディール以来の基本的経済政策とそれ支えた政治構造は、再編されただけで継続されたのだ。
 ようやく73年石油危機、74〜75年恐慌の時からシカゴ学派がアメリカの主流に採用されていき、新自由主義が前面に出てくる。

 チリの軍事クーデター

 その前に重大な転機となったのは、71年8月15日の金ドル交換停止(ニクソンショック)だった。これは戦後のIMF体制――アメリカを絶対的な軸とした世界経済体制の崩壊を意味する。
 これは、理論の上ではシカゴ学派の主張の正反対の政策だった。だが、その後、理論と実際の政策の整合性などおかまいなしに新自由主義が急速に主流化していくのだ。
 73年9月11日、チリ軍部は、アメリカ帝国主義に援助され、軍事クーデターを行った。この大虐殺の直後に行われたのが「チリの実験」――世界初の国家的規模での「新自由主義政策」が実施された。シカゴ大学で訓練を受けた学者たちが経済政策を担当し、民営化を推進し、かつて中南米の中では非常に先進的だといわれていたチリの年金制度、社会保障制度を破壊した。
 日本でも「チリの奇跡」が規制緩和・民営化、市場原理のモデルとしてもてはやされた。
 チリ経済は、累積債務の爆発的増大で輸出の8割以上を債務返済にあてざるをえなくなり、GDP成長率が2桁マイナスになるなど破滅的になった。だが独占資本にとっては、自分たちの利権が復活すれば成功だった。
 新自由主義は最初から血塗られた労働者弾圧なのだ。この弾圧の実績によって新自由主義はブルジョアジーの主流として全世界に登場していったのだ。

 GEの労組分裂・破壊政策――ブルワリズム

 第2次大戦中、ゼネラルエレクトリック社(GE)は、ゼネラルモータース(GM)と並んで、軍需生産の最大の担い手となった。
 レミュエル・ブルウェアは、戦時生産局の幹部を務め、戦後は労務担当副社長として頭角を現した。戦後大不況の中で、彼が直接に担当した工場だけはストライキに入らなかったといわれる。
 GEの労働者全員を組織していた戦闘的なUE(統一電機労組)に対して、彼が仕掛けたことは、最初に最良のの回答を出す≠ニいう団体交渉方針だった。
 「最初から会社は最良の回答を示したのだから、どんなにストをやっても、それ以上の回答は引き出せないぞ」ということだ。
 この方式は、ブルワリズムと言われ、日本の鉄鋼資本の「鉄の一発回答」のモデルになったといわれている。
 実質的な団交拒否だという批判に対してブルウェアは、「最初で最良の回答は、客観的データに基づくもので、組合側が他に正しいデータがあると示せば、それを入れて計算し直すから団交拒否ではない」と答えている。
 ブルウェアの方式は、いきなり賃金を下げて利潤を上げるというものではなかった。当初はそれなりに良好な労働条件を提示した。ストライキをやらなくてもよい、あるいはやっても無駄だと労働者に無力感を与え、現場労働者の闘いをやめさせることが狙いだった。そのため団体交渉は、現場の闘いとは分断された、専門的データのやりとりに転換してしまうことが重要だった。
 それによってUEの戦闘性を失わせ、労組破壊を進めれば、長期的には人件費を大幅に下げることができる。
 彼は、社内報やさまざまな社内的・社外的な広報誌などをつくり、会社がいかに労働者を大事にしているかを説いた。また、市場経済が人間社会にとって最適なシステムであることを説く経済学講座を開き、全社員を出席させた。
 各職場で、経済学学習グループ、QCグルーブ(品質管理グループ)に部屋、施設を貸し、労働時間内に活動をやらせていった。
 これを基礎にして、UEの共産主義、社会主義の活動家がいたずらに労使対立をあおっていると批判し、分裂労組をつくっていった。単一の労組、UEに組織されていたGEの職場に10以上の労組がつくられた。
(写真 ゼネラル・エレクトリックの労務担当・ブルウェア)

 統一電機労組との闘いで訓練されたレーガン

 レーガンは、このブルウェアが指揮するプロジェクトである「ゼネラルエレクトリック・シアター」というテレビ番組のホストに抜擢され、全国的な人気を上げていった。
 GEの各工場をレーガンが訪問するイベントが行われた。9年間で135の工場をすべて訪問し、職場の労働者の意識に合わせて、労使協調を説いていった。
 その内容をブルウェアが指導した。レーガンは、この過程で極右的な新自由主義の扇動者に育てられていった。GEの労組分裂解体工作こそが、レーガンを育成した現場教育だった。
 ここでトレーニングされた彼の扇動力とブルジョアジーの援助によってレーガンは66年カリフォルニア州知事選挙で当選した。カリフォルニアで彼は、福祉の解体、税制改革など後に全米レベルで実施することになる新自由主義政策を先行的に行った。そして、一種の右翼大衆運動ともいうべき新自由主義運動の潮流をつくり出していった。
(写真 「ゼネラルエレクトリック・シアター」のホスト、レーガンがGE工場訪問)

 スターリン主義の破産

 60年代、スターリン主義を乗り越える闘いがアメリカでも世界でも巨大な規模で起こった。日本の60年安保でもフランスの68年5月でもアメリカのバークレーの闘いでも、いわゆる新左翼が主流だ。
 時を同じくして、中ソ対立の激化や68年チェコスロバキアの変革運動とソ連軍介入との闘いがあった。
 スターリン主義の権威は失墜していった。特にアメリカ共産党の没落は著しかった。
 たとえば、アメリカで最も戦闘的な組合といわれるILWUは、34年ゼネストの時は、アメリカ共産党員が大きな位置を占めていた。だが『ILWUの歴史』(聞き書き集)によれば、50年代後半から60年代に多くのILWUの活動家が離党している。
 アメリカ共産党を左の支柱にして労働者を体制の枠内に引き込み、押し込めるニューディール連合では、もはや支配体制を守れなくなった。
 そして74〜75年恐慌が、ニューディール的政策の破産を決定づけた。
 新自由主義は、ニューディール体制の総決算として、体制内労働運動を含めて労働組合を丸ごと破壊する凶暴な攻撃として、支配階級全体に支持されていった。

第2章

 学校閉鎖・外注化で地域破壊――教組破壊と不動産投機

 前章で、支配階級は、@過剰資本・過剰生産力の矛盾の爆発、74〜75年恐慌とA体制内勢力を乗り越えて決起した巨万の労働者人民の闘いの双方に追い詰めれて、新自由主義が本格的に登場したことを明らかにした。
 新自由主義とは、資本主義が最末期だということだ。矛盾だらけで、労働者が団結して闘えば必ず勝てる。
 この章では、新自由主義攻撃の中で特に「教育改革」に論点を絞る。オバマ政権がそこを突破口にして、その手法を連邦、州、自治体全体に広げるという戦略をとっているからだ。オバマは、学校に査定給制度を持ち込み、また学力テストや授業マニュアル作り、そして学校の運営そのものまで外注化、PPP(官民パートナーシップ)化することに全力を挙げている。それは、民間資本の外注化・海外移転攻撃とも密接に連動している。

 利権構造の自己運動

 「教育改革」はすでに大きな利権になっている。ひとたび、利権構造がつくられると、巨大な物質力をもって自己運動する。支配階級全体を代表する国家権力といえども、なかなかコントロールできなくなる。むしろ、その継続なしには支配体制が崩壊する構造になっていく。
 新自由主義教育改革によって、すでに全米的に教育の外注化が相当進んでいる。学校で使う教材、授業マニュアル、業者テストの外注化なども、かつてとは比べ物にならないくらい、進行している。
 さらに桁違いの利権がある。学校の敷地や地域の再開発をめぐる不動産利権だ。
 こうしたものの全体との労働者人民の闘いが、事態を決していくのだ。

 ルネッサンス2010=\―シカゴの学校民営化

 シカゴ市は、教育委員会と学区行政を徹底的に民間企業スタイルで運営している。全米の他の市では、学区長、教育長と呼ばれるポストが、シカゴでは学区CEO(最高経営責任者)といわれる。教育委員会への住民参加も廃止された。
 オバマは08年の大統領選後まもなく、当時シカゴ学区CEOだったアーニー・ダンカンを連邦政府の教育長官に指名した。ダンカンがシカゴで行った教育改革プロジェクトを全米に広げるためだ。

 教育の改革ではない

  現在の「教育改革」は従来型の教育の反動化などとは異なり、反動的教育運動の中から生まれたのではない。チャータースクール(公設民営校――学校運営の外注化)の推進者は、マイクロソフト社のビル・ゲイツ財団、不動産王のイーライ・ブロウド財団などだ。
 シカゴの「教育改革」は、財界団体、コマーシャルクラブ・オブ・シカゴに主導されている。コマーシャルクラブは、私設の審議会であるNSC(ニュースクール・フォー・シカゴ)をつくり、シカゴ学区CEOやシカゴ教育長や何人かの財界人をNSCの審議委員に任命した。教育長などが任命するのではなく、逆に、コマーシャルクラブが教育長などをNSC委員に任命する。NSCがシカゴ学区当局や教育委員会より実質的に上位の機関としてシカゴの教育行政を取り仕切っている。
 2004年9月、シカゴ学区当局とシカゴ市当局は、「ルネッサンス2010」という教育改革プロジェクトを発表した。これは、三つのタイプの学校を大量につくり出すことをうたっていた。
@チャータースクール(公設民営校)
Aコントラクトスクール(あらかじめ当局と学校が挙げる成績について契約を結んだ、NPOに学校運営を請け負わせる。教職員はNPOに雇用される)
Bパフォーマンススクール(成績学校。パフォーマンススクールはシカゴ学区当局に雇用されている教職員を使うが、通常のシカゴ学区の公立学校よりも学校運営を独自性をもって行える)
 教育だけでなく、シカゴ全体の改造を狙ったのが、このルネサンス2010だった。
 これまでシカゴは、低所得者の多い地区への教育予算配分を徹底的に減らし、学校の荒廃を意図的につくり出してきた。そうしておいて、居住地にしばられずに、「どこでも通学できる」と規則を変えた。

(図 アメリカの製造業が衰退し、広義の金融【FIRE=金融・保険・不動産】が支配的になり、住宅追い出しなどの攻撃が蔓延)

 グローバルな都市間競争

 コマーシャルクラブが出した「メトロポリス2020」という提案書では「世界の大都市間の競争に勝ち、企業の本社を誘致し、投資を呼び込み、ビジネスサービス企業を引き入れねばならない」と言っている。そのために「少数の者には今後拡張するシカゴの経済的役割にふさわしい成績を上げる教育が必要」としつつ、他は「通常の従業員として最低限の能力――マニュアルを読む能力、基礎的計算能力、意思疎通の能力――があればよい」と言っている。
 だから、本音では、低所得地域のテストの結果などどうでもいいのだが、シカゴ市当局は、テストの成績を口実にして大規模な閉校を強行していった。
 学校がなくなった地域の住民は、現実には住み続けられなくなる。
 住民追い出しの焦点になったのは、低所得層が多い二つの地区だった。
 エングルウッド地区の端にはひとつの高速道路が通り、別の高速道路にも近い。鉄道の便もある。不動産業界に前から狙われていた地域だ。05年、ここの二つの小学校と一つの高校が閉鎖された。
 この地区の世帯の平均年間所得は1万8千j(約144万円)だが、そこに17万〜37万j(約3千万円)の一戸建て住宅が550戸も建てられた。市当局は、警察署、図書館を新築して近隣の不動産投資を援助した。また、商業地区開発のために市財政から2千万jを投入している。
 古くからの住民は、固定資産税の80%の値上げで、住み続けられなくなった。
 ミッドサウス地区では04年に20校を閉鎖する計画がリークされた。直ちに住民が立ち上がり、デモや教育委員会闘争を繰り返した結果、この地区の学校閉鎖計画は中止された。
 ミッドサウスは、ミシガン湖に近く、また高速道路、公共交通の便がよい。市中心部から10分の距離だ。

 産業空洞化・金融化と不動産開発

 このような低所得地区を狙った住民追い出しは、極めて大規模に行われている。
 1980年代から進行したシガゴの製造業空洞化のなかで、シカゴ市住宅局は故意に公共住宅の補修費を出さず、ミッドサウスの4321戸の高層公共住宅のほとんどが居住不可能になるほど荒廃させられた。そして、荒廃を口実に取り壊し、立替計画がつくられた。シカゴの公共住宅のうち1万9千戸が取り壊された。
 銀行、不動産会社は、荒廃した地区の安い土地を買い、その後、市が財政を投入して再開発し、値上がりした所で高く売ることができる。
 「官から民へ」など、とんでもないウソだ。アメリカの教育民営化でも、日本の国鉄、郵政の民営化でも、大資本が安く土地を手に入れ、国、地方の財政資金を投入して値上がりさせてぼろ儲けしている。
 個々の資本が教育民営化に便乗したなどという水準の問題ではない。ルネサンス2010の立案の時から、不動産地上げの目的で廃校候補地を選定している。そして、不動産利権の規模も莫大だ。ここにこそ主目的があると言っても言いすぎではない。現に、住民運動もCTU(シカゴ教組)も、この都市再開発利権を軸にして反対運動をしている。

 労組破壊――教員の非プロ化

 だが、やはり、「教育改革」攻撃の最重点は、教育労働者の労組破壊だといわねばならない。
 公立学校の民営化、チャータースクール化やコントラクトスクール化は、教育労働者の雇用者を変えることによって、従来の労働協約も労働組合員の資格も剥奪できる。職場丸ごと、組合員を一挙にゼロにする攻撃なのだ。
 80年代以降の新自由主義の攻撃の中で、多くの産業部門の労働組合が組織率を低下させたが、教育労働者は今でも組織率が圧倒的に高く、430万人の組合員を保っている。しかも、津々浦々あらゆる市町村に組合員のネットワークがある。また、職業上必ず生徒の父母、地域とのつながりがあり、教職員組合は、地域の労働運動の核になっていく力をもっている。
 だから、危機にあえぐ資本主義は、必死になって教育労働者の労働運動の破壊を狙っているのだ。

 ティーチ・フォー・アメリカ

 もうひとつの重大な労組破壊攻撃は、教員の非プロフェッ
ショナル化だ。
 教員養成課程で学び教員資格を取らなくても教員になれるように制度を変える。教員の仕事は無資格のアルバイトでもできるようにする。それによって人件費を安くすると同時に、教員の職場定着率を下げて労働組合の組織化を困難にできる。
 そのために、授業の徹底的なマニュアル化が推進されている。教育委員会は、授業の指導を企業に外注する。企業は授業のシナリオをつくり、教師は、授業の間、生徒との受け答えの際でさえ、シナリオどおりの言葉使いで話すことを義務付けられる。
 また、「ティーチ・フォー・アメリカ」というニセ「ボランティア団体」がビル・ゲイツ財団などの資金でつくられている。
 「すぐれた教育を提供することは、すべての人に平等な機会を与える最も効果的な手段です。アメリカの子どもたちは誰でも、同じ機会をフルに与えられるべきです。教育の機会は、家族や地域の所得水準によって決定されるようなことがあってはならないのです」(同団体ホームページ)
 この美しい言葉で集めた新卒学生に短期間の研修を受けさせただけで、各地の学校に派遣し、2年〜3年の教員生活をさせる。
 多くの学区当局は、財政難を口実にベテランの教育労働者を解雇し、代わりにティーチ・フォー・アメリカに若い「教員」の派遣を依頼する。
 また、現在各地で、教師の終身雇用権の廃止、先任権(レイオフの場合、先に雇用された労働者の順番が後からレイオフされる)制度の廃止の攻撃がかけられている。
 先任権制度は、レイオフの順番を機械的に就職時期の逆順と規定することによって、経営者の恣意が入る余地をなくし、労働者の分断を防ぐものだ。また、次々に職場の労働者を入れ替えて組合組織の継続性をなくす攻撃を予防するものだ。このさまざまな産業部門の労働組合が団結を守るために長年の闘いでかちとってきた協約・慣行に対して、今、激しい攻撃が加えられている。最近つくられた学校の問題を描いたドキュメンタリー映画も、先任権制度の撤廃を叫んでいる。
 この先任権制度に風穴を開け、次々に2、3年で使い捨てられるティーチ・フォー・アメリカの若い教師に入れ替えていくことが狙われている。

第3章

 新たな共同性の建設――危機、災害の中で立ち上がる労働者

 災害に直面した人民の共同性

 05年8月のハリケーン・カトリーナでルイジアナ州ニューオーリーンズの堤防が決壊し、一帯が洪水に襲われた。これは、アメリカ史上でも最大規模の巨大災害であり、被災者たちは打ちのめされた。
 だが、その困難の中で生きるために助け合いの組織をつくっていった。
 アルジェ地区では、ブラックパンサーの元活動家らによって「コモングランド」という組織が立ち上げられた。
 「平和のための退役軍人会」など、全米から支援品が届けられた。「慈善ではなく団結」「被災者のために働くのではなく、被災者とともに働く」がモットーにされた。
 そこで2年間働いた若い医師は、「よく赤十字から電話がかかってきて、手袋がないから回してくれなんてことを言われました。何億ドルも寄付金を集めておいて、手袋がないなんて信じられますか。わたしたちは非公式のネットワークを通じてあらゆるものを寄付してもらっていました。そして、州兵たちも患者を送り込んできました」(『災害ユートピア』レベッカ・ソルニット、亜紀書房)
 全米からのボランティアと現地の被災者がすばらしい共同性を発揮することによって、巨大な資金と組織を持つ赤十字や州兵部隊よりきちんとした活動ができたのだ。
 これと同様な組織がニューオーリンズ一帯の被災地につくられている。
(写真 被災地の救援組織「コモングランド」。「コモングランドへようこそ。区の共同体。配布センター」)

 権力の恐怖

 数年前から陸軍工兵隊の専門家らによって堤防決壊の危険性が指摘されていたにもかかわらず、ブッシュ政権は、堤防修復費用の大幅削減を続け、予想されたとおりに堤防は決壊した。そして、ブッシュ自身は、天気予報でハリケーンの接近が予測されていたにもかかわらず、テキサス州の保養用の牧場で休暇をとっており、災害発生後の対応も大きく遅れをとった。
 9・11後の抑圧体制の中でなかなか声を上げられなかった人々も、「新自由主義は命より金儲け。だから堤防が決壊した」「ブッシュは辞任しろ」と声を上げるようになっていった。
 こうした責任追及の声以上にブッシュが恐れたのは、ニューオーリーンズに出現した人民の団結した姿だった。
 だから、ブッシュ政権と支配階級は必死になって州兵と警察を動員し、なりふりかまわず弾圧した。
 「避難民の略奪」「犯罪」を執拗(しつよう)にテレビや新聞で宣伝した(ニューヨークタイムズなどは当時の「避難民の犯罪」報道が事実と違っていたことを後に認めた)。
 警察や州兵は救援よりも、尋問や捜査を優先した。後に殺人で有罪判決が出された警官だけでも7人以上いる。
 隣の州のアストロドームまで避難した人々に対しても、警察は銃を突きつけ、冷房も与えず暑い空間に押し込めた。
(写真 シカゴ・カブリニグリーン公共住宅の解体阻止デモ【2010年6月21日】)

 民営化と教組の破壊

 この被災と弾圧の状況を利用して、ニューオーリンズの当局は、ルイジアナの最強の労働組合、ニューオーリンズ統一教組の解体を強行した。
 市の7500人の教員は全員解雇された。ニューオーリンズ学区の128の学校のうち、107校が「復興学区」に入れられた。そして、その「復興学区」所属の学校の過半数の運営がチャータースクールに外注化された。
 現在、同市の生徒の80%がチャータースクールに通っている。公立学校はごく少数になった。
 このアメリカで最も激しい学校民営化を指揮したのが、シカゴ市でダンカンの前に学区CEOを務めていたポール・バラスだった。シカゴ市こそ、全米の「教育改革」の中心だということだ。

 負けなかった教員組合

 しかし、こうした攻撃にもかかわらず、教員組合は1000名の組合員を保ち生き残った。
 この組合は、当局には労働組合とは認めらず、団体交渉権もない。だが、職場闘争や地域活動、政治活動を通じて団結を保っている。そして、その現実の力によって、公立学校の中では多数派の位置を回復した。
 ニューオーリンズには、ティーチ・フォー・アメリカから多数の若い「教師」が派遣されてくる。しかも、ニューオーリンズ教組の悪口を吹き込まれて、「絶対にあの人たちとは話をしないように」といわれている。
 組合員は、ほとんどが地元出身の年配の黒人だ。ティーチ・フォー・アメリカから派遣されてくるのは他の都市からやってきた若い白人だ。育ってきた社会環境も世代も違う。
 組合員の中には、「ここを辞めたらほとんどが別の仕事に就こうとしている」「6週間の研修しか受けずに教師をやっている」として、拒絶反応が強かった。だが、それを乗り越え、組合員側から積極的に接近するプロジェクトチームをつくった。そして、授業の仕方、地域への溶け込み方など、若い教師たちの悩みにていねいに答えていった。
 現在、これが最強の組織拡大チームになっているという。

 UTLAの9500人解雇との闘い

 UTLA(ロサンゼルス統一教組)は、シカゴ教組と並ぶ全米で最大の戦闘的教育労働者の組合だ。UTLAからは、07年以来、現会計長のアーリーン・イノウエさんらが毎年、動労千葉、関生支部、港合同が呼びかける11月労働者集会や8・6、8・9集会などに参加し、国際的団結を強化してきた。
 そのUTLAへの労組破壊攻撃が、全米的な教組攻撃の焦点になっている。
 今年3月、ロサンゼルス統一学区当局は、9500人の解雇計画を発表した。これが実施されれば、UTLAは組合員の4分の1を失う。かつてない大量解雇だ。
 イノウエさんは、「デイジー教育長らがUTLAをつぶそうとしているのは明らかです。ロサンゼルスでそれができれば、他の学区や州でも可能になるから」「私たちは国の構造が変えねばならないが、UTLAの変革もまた必要です」と述べている。
 最大・最強のUTLAへの今回の攻撃は単なる市レベル、州レベルの攻撃ではなく、オバマ政権の総力を挙げた攻撃だ。
 アメリカ帝国主義と正面から闘うことが課題になっている。そのために、UTLA自身も変革しなければならないとして、必死になって闘っている。
 この6月、UTLAは当局との労働協約案を賛成58%、反対42%のかつてない僅差で承認した。大量解雇は一定押し戻したものの無給休暇の拡大などは受け入れてしまった。UTLAを変革し正面から闘う体制をつくるための苦闘は続いている。

 シカゴ教組のスト権確立

 シカゴでは、オバマ政権の閣僚だったラーム・エマニュエルが市長になり、75%以上の賛成がなければストライキができないなどの重大な労組攻撃立法をしかけてきた。また、教育予算カット、閉校攻撃をさらにエスカレートしてきた。
 これに対してシカゴ教組は、この6月ストライキ方針を出し、スト権投票したうちの98%以上、全組合に対する比率でも約90%がストに賛成し圧倒的にスト権を確立した。CTU(シカゴ教組)の現場組合員は、市民団体、保護者組織とともに、連日ビラ配りや地域の組織化に力を入れており、シカゴ全体の大闘争に発展した。
 だが、当局が今回の攻撃を基本的には変えていないにもかかわらず、CTU執行部はストライキを中止してしまった。
 オバマ政権の新自由主義「教育改革」、シカゴのルネサンス2010は、地域全体を攻撃し、利権をむさぼり、最も戦闘的な労働組合を破壊するものだ。
 まさに最末期の資本主義の凶暴で矛盾に満ちた攻撃だ。

 11月国際連帯集会へ

 新たな闘う体制の確立に向けて、現場で闘い続けている労働者と連帯し、この日本で、新自由主義の外注化、労組破壊と徹底的に闘おう。
 組織し、組織し、組織して勝利しよう。11月の労働者国際連帯集会を巨万の結集でかちとろう。

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月刊『国際労働運動』(434号4-1)(2012/10/01)

討議資料

■討議資料 米帝の新自由主義と戦争

 新自由主義は80年代のアメリカ・レーガン政権、イギリス・サッチャー政権、日本・中曽根政権に始まる。新自由主義の核心は、民営化・労組破壊である。国内支配においては労組破壊を核心とする階級関係の大転覆、階級闘争の絶滅攻撃である。そして新自由主義は、外に向かっては侵略戦争である。
 ここでは新自由主義と戦争の関係について明らかにしていきたい。これは本誌12年2月号「ニューズ&レビュー/イラク」の続編である。

 ■チリの新自由主義の実験

 新自由主義と戦争を考える上で、まず取り上げるべきものは、1973年のチリの軍事クーデターである。米帝は1970年に成立したアジェンデ社会主義政権を憎悪していた。アジェンデは、米帝企業が握るチリ鉱山などを次々と国有化していた。米帝は密かにチリのピノチェト将軍と結んで軍事クーデターを準備し決行した。
 米帝は、アジェンデ一掃後のチリ経済を、新自由主義の実験場としようとした。ピノチュト政権の下でチリ経済政策を任されたのは、新自由主義イデオロギーの本家本元であるシカゴ大学で訓練されたシカゴボーイズ(ミルトン・フリードマンの弟子たち)だった。真っ先にやったのは、国有化された主要産業の民営化・労組破壊であった。
 これは、米帝のチリ侵略戦争であった。チリにおける「新自由主義の実験」が最初にやったことは、チリ国内における数万人の社会主義者や労組活動家の虐殺だった。新自由主義は、資本の利益のためであれば何でもやるというイデオロギーである。チリの実験は、新自由主義の侵略戦争のさきがけだった。

 ■レーガンの大軍拡

 レーガンの新自由主義の柱には大軍拡と戦争があった。大統領になったレーガン(1981年1月〜1989年1月)は、「強いアメリカ」を掲げ、「ソ連は悪の帝国」とぶちあげて大軍拡に乗り出した。

 SDI(スターウォーズ)

 

83年3月23日、レーガンは突如「戦略的防衛構想」(SDI)計画を発表し、次のように説明した。米ソの両国が核ミサイルを発射すれば、全面核戦争になり、地球に生物が住めなくなる。だからソ連のミサイルが発射されたら、それを即座に探知し、ミサイルが飛行する弾道を計算し、空中でミサイルをレーザー光線のようなビームで破壊してしまうというのだ。
 地上にレーザー光線発射装置を配備し、その光線を宇宙空間に設置した人工衛星の巨大な鏡に反射させ、ミサイルを撃ち落とす。研究費だけで260億j、完成させるのに1兆jが必要と言った。
 SDIが始まると、専門家から「空中でミサイルを撃ち落とすことは無理だ」との指摘が相次いだ。ところが84年6月、ミサイル撃墜実験が行われ、それが成功した。批判が打ち消されてしまった。
 レーガン時代の国防支出は突出している(32n図参照)。膨大な税金が軍事産業に投入された。米国防費は、レーガン在任中の81年から88年まで、約2倍に膨れ上がった。
 SDI計画自体は以下の経緯をたどる。86年のアメリカのスペースシャトルチャレンジャー≠ェ空中爆発し乗組員全員が死亡したことを契機に米帝・宇宙産業の権威は後退し、その後の91年ソ連崩壊が起こり、SDIは1兆jの税金を軍需産業に与えただけで中止となった。
 その後、84年の大成功とされたミサイル迎撃実験について、「真っ赤なウソだった」と「ニューヨーク・タイムズ」紙上で当事者の科学者によって暴露された。テスト用のミサイルには内部発信装置が埋め込まれていた。この科学者は、「われわれもこの実験に失敗すれば、何百万jという大金を失うことになったのです。そうなれば破滅ですから」と白状したという。
(図 アメリカ軍需産業25社【再編後】)

 軍産業のための戦争

 レーガン軍拡とは、新自由主義が、その柱に軍産複合体の強化・大軍拡・戦争をすえたということだ。
 米帝は50年代初頭に、経済政策としても軍需産業への莫大な財政投入政策を採ることを決定していた。
 米帝は、大規模な軍需産業の構築に向けて舵を切った。ペンタゴン(国防総省)の主導で、大型航空機・原子力潜水艦・核弾頭・大陸間弾道ミサイル・監視衛星および通信衛星などを製造する新しい産業が続々と生まれた。
 これを見たアイゼンハワー大統領が、1961年の退任演説で、軍産複合体にアメリカ政治がのっとられて破滅してしまうという危機感を表明したのは有名な話だ。
 レーガンこそは、このアイゼンハワーの危惧を実行した政権だ。レーガンは、軍産複合体に対して軍事費の増額を約束した。軍事産業に利益をもたらすために、戦場を陸海空から宇宙へと拡大した。これはレーガンの新自由主義の大戦争であった。 

 ソ連崩壊の要因

 ソ連はアメリカのSDIに激甚に反応し、対抗的軍拡に走り、すさまじい財政重圧に苦しんだ。それに86年のチェルノブイリ原発の大事故と労働者人民の事故責任追及の闘い、さらに78年から88年のアフガニスタン侵攻の敗北が重なり、さらに決定的なことに東欧革命のうねりの中で、ソ連は91年に崩壊した。
 またレーガンは、グレナダ侵攻(1983年)、リビア爆撃(1986年)を実行し、イラン・イラク戦争(1980年9月22日〜88年8月20日)ではイラクのフセイン大統領に大量の武器援助をしていく。ソ連のアフガン侵攻に関しても、パキスタンと共にアフガンのイスラム武装勢力やイスラム義勇兵に武器援助をした。アフリカ南部のアンゴラやモザンビークで樹立された革命政権に対して、内戦を仕掛ける反革命勢力への武器援助を米帝は行っている。
 レーガンは巨大な軍事支出に伴う莫大な財政赤字と貿易赤字という双子の赤字をブッシュ政権に残した。ブッシュは、財政赤字の圧力で国防費の削減を迫られた。

 ■ブッシュ(父)の湾岸戦争

 レーガンの次の大統領にブッシュがなった(1989年1月〜1993年1月)。
 89年11月、ベルリンの壁が崩壊した。東欧のスターリン主義政権が次々に革命の波に洗われた。89年12月3日、地中海におけるマルタ会談で、ブッシュはソ連のゴルバチョフ共産党書記長と会談し、冷戦の終結を宣言した。そして91年のソ連崩壊へと事態は進んでいった。

 ●弱小の国を打ち負かす

  ブッシュは、国家安全保障の補佐官たちを集めて世界情勢について論議し、ソ連が海外でのアメリカの軍事介入に対抗する能力も意欲も持っていない、だからアメリカの軍事力を世界に見せつけることを確認した。つまり「アメリカが弱小の敵を相手にした場合、われわれの目標は、たんに彼らを打ち負かすことではなく、とにかく迅速に徹底的に打ち負かすことにある」ということだった。
 その第1弾としてパナマ侵略戦争が行われた。パナマ運河と広大な米軍基地を確保するために、麻薬取締を口実に米帝の言いなりになる大統領にすげ替えるための侵略戦争だった。「弱小な敵」パナマに海兵隊2万5000人を送り、数千人の民間人が米軍によって虐殺された。
 米ソ冷戦の終結の事態にブッシュは直ちに兵力削減計画を打ち出し、3年間で兵力を11〜12%減らすことを決めた。国防費も減額され、軍需産業への注文も減らされた。
 国防総省と軍需産業の危機に対して、ブッシュは軍事産業の合併と統合を推進し、大リストラを促進したが軍事産業での大リストラで失業率も上がり始めていた。
 米帝は軍事産業のための戦争を必要としていた。

(図 アメリカの軍用航空宇宙製品の輸出額)

 イラク・中東侵略戦争

 

第2弾として、米帝は91年1・17のイラク・中東侵略戦争(湾岸戦争)を強行した。
 イラン・イラク戦争によってイラクは軍事大国化していた。それまではイラクを軍事援助していた米帝であったが、今度はイラクの軍事大国化が邪魔になってきた。イスラエルはイラクの軍事的脅威を問題にしていた。
 そこで米帝は、イラクのフセイン大統領がクウェート侵攻の意図を持っていることを知り、フセインがクウェートに侵攻しても米帝は黙認するというサインを送った。フセインは、これを真に受けて、90年8月2日、クウェートに軍事侵攻した。
 米帝は直ちにフセインのクウェート侵攻を弾劾し、国連決議などを盾にして多国籍軍を編成し、91年1・17イラク・中東侵略戦争を開始した。
 戦争はさながら米軍のハイテク兵器の実験場のようになった。イラク兵数万人と民間人15万人が殺された。
 ブッシュがイラクに投下した通常爆弾に加え、クラスター爆弾、ナパーム爆弾、白燐爆弾、気化爆弾、そして劣化ウラン弾など多種多様な爆弾が投下された。
 戦争が終わってから、劣化ウラン弾による放射線被曝が広がった。戦争での死者よりも多くの人々が病気にかかって死んだ。米軍が電気、水道、下水処理などの設備をことごと破壊したからだ。さらにイラクに対して厳しい経済制裁を課して、食糧や薬不足を強いた。事実上の侵略戦争を継続していた。
 イラク・中東侵略戦争で米軍需産業は多大な利益を得た。だが軍事産業の危機は続いていた。ブッシュは、武器輸出に全力を挙げた。
 世界の紛争地に対する国連平和維持活動を隠れ蓑にして、そこに死の商人を入り込ませ暗躍させ、膨大な兵器輸出と密輸を推進した。国務長官がそれを公然と支援した。アメリカの兵力を削減しても、武器輸出でロッキードとボーイングは生き残れると言うのがブッシュ戦略だった。。
 軍事産業はこの戦争で多大な利益を得ただけなく、90年代の武器輸出で大きな利益を得た。

 (図 アメリカの軍事費の推移)

 ■クリントンのユーゴスラビア侵略戦争

 ブッシュの次にクリントン政権(93年1月〜01年1月)が誕生した。

 内戦と戦争の時代

 89年のベルリンの壁の崩壊に始まる東欧革命を経て91年ソ連の崩壊に至り東西冷戦は終結した。やってきたのは「平和」ではなく内戦と戦争の時代であった。
 世界各国における内戦の勃発数は、冷戦が終わった直後に2倍になり、95年には実に5倍に増えた。紛争地域(戦争が行われている場所)は約2倍になった。
 なぜ紛争が増えたのか。
 多くの国家が破綻国家になった。冷戦時代には、新植民地主義体制諸国の多くは経済的に困窮を極めていたが米ソいずれかの経済的支援に頼っていた。冷戦終結によってその援助を断ち切られた国家はたちまち国家破綻してしまった。例としてシエラレオネやソマリアがある。
 アフガニスタンでは、ソ連敗退後、イスラム武装勢力が内戦に突入し、泥沼化していたが94年、パキスタンに支援されたタリバンが登場し、96年には首都カブールを制圧した。スーダンを追われたビンラディンがタリバンに保護され、ここで9・11を準備していく。
 ソ連崩壊後、米帝の中に「国家建設」をめぐる議論が起きた。それは「今日のアメリカや世界秩序への主な脅威は、弱小国、崩壊した国、破綻した国から現れる」と、国家建設は、世界の縁の下に潜んでいる危険を一掃するための国際的な「衛生活動」として出されていた。だから米軍の軍事介入は掃除のようなものだという侵略戦争を合理化する傲慢なイデオロギーだった。
 これがその後の対テロ戦争の論理になり、イラク侵略戦争の目的にイラク新国家建設を掲げることにつながった。フセインを倒し、アメリカと同じ「自由と民主主義」の理念を持つ新国家を建設するというものだ。

 世界的な軍備縮小 民間戦争請負会社誕生

 冷戦の時代はかつてない軍備過剰の時代だった。米ソ対立を軸に各陣営は軍備拡大競争に熱中していた。
 冷戦の終了は全地球規模の軍備縮小に向かい、世界の軍隊は89年に比べ約700万人の兵士を削減した。削減の多かったのはソ連と東欧諸国で、米英独仏伊なども抜本的削減を行い、アメリカは210万人から150万となり、約3分の1を削減した。
 大量の兵士が復員し、軍務に熟練した労働者の供給過剰を生んだ。ひとつの部隊が丸ごと解雇されると(南アフリカの第32偵察大隊やソ連の特殊部隊)、高級将校の下で組織をそのまま保ったまま、民間戦争請負会社に移行していった。またKGB(ソ連国家保安委員会=秘密警察)の7割が民間戦争請負会社に移った。雨後のたけのこのように多くの民間戦争請負会社が生まれた。
 国家が保有していた武器・兵器も民間市場に溢れ出た。機関銃、戦車、ジェット戦闘機さえ、その市場に行けば誰にでも買えるようになった。 紛争の急激な増加の要因のひとつは小銃などの歩兵兵器の拡散である。89年以降、何百万梃の歩兵兵器が世界市場で売られた。地球全体に5億5千万梃の小銃が出回っているとされている。
 そして紛争当事国や内戦の当事者は、競って戦争に勝つために戦争請負会社を雇った。そして米帝も、財政削減のために、あるいは紛争への公然たる軍事介入を避け、極秘にそれを行うために民間戦争請負会社を雇った。

 シエラレオネの民間戦争請負会社

 シエラレオネは、西アフリカにある旧英領植民地である。幼児死亡率が1000人中164人、識字率30%、平均寿命は37歳という貧困国である。91年に反乱が起き内戦に発展した。95年までに完全に無政府状態に陥った。反乱軍は地方を制圧し首都フリータウンから20`のところまで迫った。どの国も国連も助けてくれなかった。外国人は皆国外に逃れた。
 その直後に戦況が一変した。現代的な攻撃部隊が現れ、反乱軍を精確な空爆と砲撃でたたいた。ヘリコプターの攻撃が続き、戦車を持つ機械化歩兵部隊が続いた。反乱軍は不意打ちを食らい、2週間で首都から遠くに追い払われた。わずか2、3カ月で反乱軍はジャングルの奥に押し戻された。
 この謎の部隊は南アフリカに本拠地を置く民間戦争請負企業のエグゼクティブ・アウトカムズの社員だった。

 ソマリア侵略戦争

  米帝クリントンはソマリア侵略戦争を開始した。それは破綻国家における新国家建設を目論むものであった。
 ソマリアは、「アフリカの角」の一角を占め、ヨーロッパ―スエズ運河―紅海―インド洋―ペルシャ湾の海上交通の軍事要衝にある。
 冷戦終結後、ソマリアで内戦が起きた。米帝はソマリア支援を打ち切っていた。92年12月、国連はPKO国連ソマリア活動を開始し、93年5月に武力行使を認めた第2次国連ソマリア活動が展開された。政府打倒を叫ぶアイディード将軍は国連に対して宣戦布告、国連パキスタン軍を攻撃し24人の兵士が殺された。
 これに対し93年10月3日、米軍はアイディード派幹部拘束を目的とした作戦を実施したが、アイディード派1000人の待ち伏せ攻撃に遭い、18人の米海兵隊員とマレーシア兵士1人を失い、73人の負傷者を出した(モガディシュの戦闘)。
 アイディード派を支援するイスラム武装勢力が万全の態勢を敷いて米海兵隊を待ち受けており完勝した。この作戦にはイランとスーダンも関与しており、アルカイダのビンラディンも加わっていた。完敗を喫した米軍は撤退せざるを得なかった。
 ソマリアの失敗によって、米帝は他国の内政に軍事介入することを躊躇せざるを得なくなった。また新国家建設論も共和党から批判の槍玉に挙げられた。その後、クリントンは他国に対する軍事介入(人道的介入と称していた)を政府が直接行うのではなく、民間戦争請負会社に委ねるようになった。

(図 旧ユーゴスラビアの諸民族の分布【1991年】)

 ユーゴスラビア侵略戦争

 スターリン主義国家であったユーゴスラビアでは、国家統一の要であったチトーが80年に死亡した。東欧革命の余波を受け、90年にユーゴスラビア共産主義者同盟が分裂、各共和国に民族派政権が樹立された。以後、スロベニア、クロアチア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナが次々に独立宣言を発し、セルビア軍との戦争が起きた。
 EC・米が宣言を発した各国の独立を承認、旧ユーゴスラビアは完全に解体された。ボスニア・ヘルツェゴビナで、クロアチア人勢力、ムスリム勢力、セルビア人勢力間の内戦が勃発した。
 敗戦帝国主義のドイツが、スロベニアとクロアチアに重要な権益を掌握した。このドイツ帝国主義の軍事的突出と東欧への権益を拡大しようとする動きに、米帝は激しく反応した。
 世界最大の軍事機構であるNATOを再編し、ユーゴスラビア侵略戦争の主導権を握り、ドイツ帝国主義をその枠内に抑え込むことが米帝の主要な戦争動機となった。
 ソ連崩壊前、帝国主義間の対立は、対ソという枠内に抑え込まれていたが、ユーゴスラビア侵略戦争では米独対立がむき出しになった。
 ユーゴスラビア侵略戦争では、NATO軍の中軸を担った米軍がセルビアやセルビア軍に対する無差別空爆で戦争の主導権を握った。問題は地上戦にあった。
 クロアチアやボスニアは、独立したが、国内には少数派のセルビア人がいて、旧ユーゴスラビアに復帰させようと戦っていた。クロアチアとボスニア政府の寄せ集めの新しい軍隊は、アマチュアの域を出ないものだった。プロのユーゴスラビア軍の支援を受けた少数派のセルビア人勢力が領土の大半を占領した。
 95年、こうした事態が一変した。クロアチア人が「嵐作戦」と名付けた奇襲攻撃をセルビア人側に仕掛けた。これまでのアマチュア軍隊がプロの軍隊に変身していた。クロアチア軍の戦争は「米国作戦教範」の実践になっていた。米軍式に変身した部隊はセルビア人部隊を圧倒して、クロアチアから西ボスニアに攻め込み、数週間でクロアチアとボスニア両国内の戦争がすべて終結した。
 地上戦の形成が逆転したこと、米軍を主軸とするNATOの空爆再開で、95年12月の米国オハイオ州・デイトンでの合意(デイトン合意)がもたらされた。
 クロアチア軍を訓練し先進的な軍事計画の策定支援をしたのがアメリカバージニア州アレクサンドリアに本拠を置く民間戦争請負会社、ミリタリー・プロフェッショナル・リソーシズ・インコーポレーティッド(MPRI)である。米軍が直接軍事介入できないので民間戦争請負会社に任せたのだ。
 98年にコソボで再び内戦が勃発した。米帝は大規模な陸軍を派遣する余裕がなかった。国内にも反対が強く、9000人の予備役や州兵の招集は政治的に困難だった。クリントンが選んだのが民間戦争請負会社のブラウン&ルート・サービシズを雇用することだった。同社は何十万というコソボ人を収容する施設を建設し、米軍の補給網を運営し、兵士への食事、宿営地、車両と兵器の整備を行った。
 戦争をビジネスとして行う産業が生まれ、活動を開始した。シエラレオネの場合、この民間戦争請負会社は戦闘機、武装ヘリ、戦車、大砲、機械化部隊を持っている。軍隊そのものだ。空爆も砲撃も武装ヘリからの射撃もしている。政府に雇われ、政府から合法性を付与されて「敵」を殲滅した。
 人殺しを金儲けの手段とし、企業活動とするものが誰はばかることなく公然とカンバンを出して、一国の政治や世界政治を左右する存在にまで成り上がった。
 フランス革命以前は、戦争は君主の戦争であり、騎士団や傭兵が中心だった。人民は戦争と関係がなかった。ブルジョア革命であるフランス革命によって、革命の軍隊が生まれ、ナポレオン戦争によって国民の軍隊となった。徴兵制が出来、膨大な兵士を確保できたフランス軍は、勝利をつかんでいった。
 それ以後、帝国主義者は、侵略戦争を国家、国民のための戦争と正当化し、徴兵制の下で労働者人民を強制して侵略戦争に動員してきた。
 ところが新自由主義は、軍事企業の私的利益のための戦争であることを隠さない。戦争が起きる度にロッキードやボーイングがぼろ儲けして居直っている。戦争は国民のためのものでなく私的軍事企業の金儲けのためなのだ。そして戦争で命を落とすのは、金持ちではなく労働者だ。
 そして戦争の民営化は、戦争そのものが、兵站から戦闘支援から、さらに戦争そのものまでが民間戦争請負会社のビジネスとして金儲けのため事業であることが明らかになった。「国民のための戦争」の幻想が完全にはぎとられた。
 そしてイラク侵略戦争では、米帝はその戦争・占領統治・復興のすべてをアメリカの民間戦争請負会社と軍事産業の利益を軸に計画した。新自由主義の戦争は、戦争の正当性を自ら奪い、米帝の国家存立の根幹を自ら崩壊させている。まさに自滅の道だ。
 そして決定的なことはアフガニスタン・イラク侵略戦争における米軍兵士の惨状である。10年におよぶ長期戦争に駆り立てられた兵士たちが疲弊しきり、厭戦気分に陥り、侵略戦争への怒りを爆発させている。
 これは米労働者階級の怒りでもある。富を独占する1%に対する99%の労働者階級の反乱が始まっている。 (宇和島 洋)

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月刊『国際労働運動』(434号5-1)(2012/10/01)

Photo News

■Photo News

 ●サンフランシスコで8・6広島集会と連帯する闘い

  (写真@) (写真A)

 8月6日、サンフランシスコの日本領事館に対し、反原発団体ノー・ニューク・アクション・コミィーティーの主催で原発の廃炉を求める抗議行動が行われた。この集会には在米日本人をはじめとして、原発に反対する現地の人々200人以上が参加した。集会は明るく活気あふれるものとしてかちとられ、領事館に対して700人の反原発署名と要請文を手渡した(写真@)。反原発集会でこれほどの数の人々が参加するのはアメリカでは画期的だ。この闘いは、「原発いらない福島の女たち」の椎名千恵子さんが7月に約2週間にわたってカリフォルニア州を縦断する反原発ツアーを行い(写真A)、現地の人たちに福島の現実を語り、ともに反原発の闘いに決起することを訴えて大きな反響を巻き起こし、反原発運動が同州で急速に発展しはじめた結果でもある。福島・広島・長崎と連帯して闘うという新たな質を持った反原発運動がアメリカで開始されたのだ。

 ●動労水戸の石井委員長が訪米

  (写真BC)

 動労水戸の石井真一委員長は、7月14日から17日までサンフランシスコを訪問し、7月14日の「ムミア・星野」イベント(無実の政治犯と共に闘い、奪還する集会)と、16日の「福島原発と労働運動」というレーバーフェスタの企画に参加した。石井委員長は、被曝労働拒否のストライキの決定的意義を語り、6月29日の20万人首相官邸包囲闘争と、7月16日の代々木公園17万人集会の報告を行った。16日の集会には椎名千恵子さんも参加し、福島の放射能汚染の現実と日本政府の原発推進政策死守の姿勢を弾劾した(写真B)。反原発闘争における労働組合の闘いの位置の大きさを明らかにする発言は圧倒的な拍手で迎えられた。石井委員長は、同日、現地のラジオ放送局でインタビューを受け、日本の反原発運動の発展について語った(写真C)。石井委員長のこの訪米で、日米の労働者の国際的団結の力で世界の原発を廃炉にする決定的な闘いの第一歩が切り開かれた。

 ●日系王子製紙の汚染水排水計画に抗議して数万人が決起

 (写真DE)

 7月28日、中国・江蘇省南通市啓東市で、日系王子製紙の工場から出る有害な排水を大量に海に流すための排水管の建設に反対し、数万人の労働者、学生、住民の大暴動が爆発した。住民たちは、6月以来、啓東市政府への抗議行動を連日のように行ってきたが、市政府は住民の訴えを無視して建設を強行しようとしていた。これに対して住民たちは、「全市民に告げる書」を発表し、7月28日から30日まで連続デモを行った。28日早朝、集まった労働者、学生は市政府に向かって大挙してデモで進んだ。大量の警察隊が動員され、労働者、学生と激突したが、数万の市民の隊列は警察隊を包囲し、蹴散らして市政府に突入、そこを占拠した(写真DE)。この事態に動揺した市政府は、午前中に工事の永久中止を決定し、それを公表した。啓東住民の闘いは、勝利のうちに終わった。

 ●インド、マルチ・スズキで暴動

  (写真FG)

 7月18日、インド北部の首都ニューデリー近郊のハリヤナ州にある日本のスズキ資本の子会社・マルチ・スズキ・マネサール工場で暴動が起きた。インド人職制による不当なカースト差別事件に抗議した労働者を停職処分にしたことから、労働者の怒りが爆発し、労働者たちは会社側との交渉で激しく経営者を弾劾した。これに対し、経営側は、数百人のゴロツキを動員して労働者を襲撃させた。日ごろから低賃金、劣悪な労働条件に怒りを蓄積していた工場の労働者3000人は、これに反撃し、人事担当のインド人1名が死亡、日本人を含む多数の経営陣が負傷した。これは経営者による不当で卑劣な手段による労働組合つぶしに対する正当な怒りの決起だ。警察官多数が動員され(写真F)、労働者100人以上が逮捕されたが、労働者たちは断固たる闘いの姿勢を崩していない(写真G)。むしろこの暴動によって不当な労働者抑圧の現実を暴かれた経営側が危機に陥っている。インドの自動車生産のシェアの4割以上を占めるスズキは、この労働者の反乱で生産を中止して労働者をロックアウトしているが、生産再開のメドさえたたないところに追い込まれている。

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月刊『国際労働運動』(434号6-1)(2012/10/01)

世界経済の焦点

■世界経済の焦点

「日本再生戦略」の核心

総非正規職化を狙って「40歳定年制」叫ぶ

 野田政権は7月31日、「日本再生戦略」を閣議決定した。「日本再生戦略」は菅政権下の10年6月に決定された「新成長戦略」に代わる、経済面を中心とした新たな国家戦略と位置づけられている。
 新成長戦略は、「アジアの成長を取り込む」として「パッケージ型インフラ輸出」を前面に押し出した。その柱に据えられていたのが原発輸出だ。しかし、その実行に踏み出そうとした途端に、東日本大震災と福島第一原発事故が起きた。ブルジョアジーは原発事故後もなお執拗に原発輸出を追求しているが、それを成長の要に据えようとした国家戦略など、もはや成り立たない。日本帝国主義は大震災以降、約1年半にわたり基軸的な国家戦略を持てない状態を続けてきた。
 今回、野田政権が策定した「日本再生戦略」は、脱落日帝のどうしようもない窮状を、徹底した新自由主義攻撃によってのりきろうとするものだ。どんなに破産しようと、帝国主義は新自由主義にすがりつく以外にない。

 □原発政策の継続をあらためて宣言

 日本再生戦略は、冒頭で次のように言う。
 「私たちは『3・11』に遭遇し、新たな試練に直面した。この新たな状況に対応し、『新成長戦略』を再編・強化し、その取組を被災地の復興につなげることにより、東日本大震災以前よりも魅力的で活力にあふれる国家として再生するために、これから私たちが進むべき方向性を指し示したものが、この『日本再生戦略』である」
 これは、東日本大震災と原発事故の現実を逆手にとり、新自由主義攻撃をさらに激しく推し進めるという宣言だ。
 そこで打ち出されている方策は、「復興特区」を活用した「新産業の創出」や、「グリーン成長戦略」と銘打った「再生可能エネルギー」の開発だ。野田政権は、原発再稼働を強行する一方で、「脱原発依存」というペテンをもてあそび、「原発依存度低減を補う主役は、風力、太陽光などの再生可能エネルギーや省エネルギーである。つまり『原発からグリーン』を目指す」とうそぶいている。これは、風力・太陽光発電などを新たなもうけの機会として資本に与えるということだ。その具体策として、再生戦略は「次世代自動車(燃料電池自動車)での世界市場獲得」「世界全体の蓄電池市場規模の5割を我が国関連企業が獲得」などの目標をぶち上げ、日本が世界をリードすると息巻いている。
 もちろん、これは原発政策をやめるということでは断じてない。再生戦略には「経済成長率が高まるほど電力需要が増加する」「成長の実現とエネルギーミックスの整合性は常に意識しなくてはならない」と明記された。
 日本再生戦略を策定した国家戦略会議のメンバーでもある経団連会長の米倉弘昌は、政府が示した2030年度の原発依存度のうち最大の25%をとったとしても、再生戦略に示された「名目3%、実質2%」というGDP成長目標とは矛盾するとして、野田を突き上げている。このように再生戦略は、原発の維持をもくろむ資本の攻撃に、絶好の口実を与えているのだ。
 再生戦略の中で絶対に見過ごせないのは、「東北メディカル・メガバンク計画」なるものだ。これは、「被災地の住民を対象として健康調査を実施し、大規模なバイオバンクを構築して……東北発の次世代医療の実現を目指す。岩手、宮城、福島の東北3県においては、革新的な医薬品・医療機器等の開発を促進する」「日本発の革新的ながん治療薬を創出する」というものだ。原発事故による膨大な被曝者から医学データを集積し、それをもとにした新薬開発で資本をもうけさせるというのだ。被災者・被曝者を切り捨てた上、実験材料として扱うなど、まさに新自由主義の極致だ。
第2章 □「デフレ脱却策」はあらかじめ破産
 日本再生戦略は、あらかじめ破産を刻印されている。
 世界大恐慌と欧州危機が深まる中で、日帝も恐慌からの出口を完全にふさがれた。その象徴が深刻なデフレだ。物価の指標であるGDPデフレーターは98年度以来マイナスが続き、名目GDP成長率も08、09、11年度はマイナスになった。
 日本再生戦略は、デフレからの脱却を当面の最大の課題に掲げている。だが、その方策は、「規制・制度改革の強力な推進」「新興国との厳しい価格競争にさらされている分野からの事業転換」「社会保障・税一体改革」などだ。これらは不況をさらに深め、デフレを促進するものでしかない。資本主義は過剰資本・過剰生産力の重圧から逃れることなどできないのだ。
 特に、「非正規雇用と正規雇用の均等・均衡処遇」という言いぐさで、労働者の総非正規職化を「デフレ脱却策」として押し出していることは許し難い。さらに、電機を先頭に資本が次々と首切りに乗り出している中で、雇用調整助成金という形での雇用維持策も縮小すると叫んでいる。
 「社会保障・税一体改革」について、再生戦略は「社会保障の安定財源を確保し、安心できる社会保障制度の確立によって、人々の不安を減らし、消費を促し経済活動を拡大する」とうそぶく。消費大増税を強行すれば経済は活性化するという言い分など、もはや誰ひとり信じない。
 ここに現れているのは、整合的な経済政策など提示することができなくなった、日帝のどん詰まりの危機だ。

 □セーフティネットなしの生涯競争社会

 労働者の階級的団結を解体し、総非正規職化にたたき込むことだけが、日帝の示せる唯一の政策になっている。それを象徴するものが、日本再生戦略の付属文書として公表された、国家戦略会議フロンティア分科会の報告書だ。
 同文書は、日帝の絶望的現状を次のように語る。「現在の延長線上にある2050年の日本の姿は、経済が停滞し、貧困と格差が広がり、国民がアイデンティティを喪失し、中核的国益の維持も危うい『坂を転げ落ちる日本』である」
 こうした現状認識と打ち出されている方策は、経団連が4月16日に公表した「グローバルJAPAN〜2050年シミュレーションと総合戦略」とぴったり重なる。分科会報告書は、経団連の戦略を国家の施策として強行するために押し出されたのだ。
 フロンティア分科会・繁栄のフロンティア部会報告書が次のように言っているのは特徴的だ。「政府が特定の分野を決めて資源を集中させていくことには、慎重になるべきである。どのような産業が成長するかは、それぞれの民間企業の創意工夫にかかっており、それを評価するのは、市場であり、消費者である」「ターゲティングによる政府の産業政策には限界がある」。国家がどんな成長戦略を描こうと、しょせん無駄だというのだ。まともな経済政策を示せない日帝の現実を、これほどあからさまに自白した文書も珍しい。
 だが、それだけに同文書は、新自由主義攻撃へのやみくもな突進をイデオロギッシュに叫び立てている。
 その柱が、40歳定年制と無期雇用の解体だ。同文書は次のように言う。「定年制を廃し、有期の雇用契約を通じた労働移転の円滑化をはかる」「40歳定年制や50歳定年制を採用する企業があらわれてもいい」「これからは、期限の定めのない雇用契約を正規とするのではなく、有期を基本とした雇用契約とすべき」
 日帝は、青年労働者の圧倒的多数が非正規雇用という自らのつくり出した現実を逆手にとって、若者が失業・半失業状態にあえいでいるのは40歳以上の労働者のせいだ≠ニ世代間対立をあおり出した。この反動的扇動をテコに、労働者全体を非正規雇用にたたき込もうというのだ。
 もちろん、それで青年の状態がよくなることはない。自民党政権以来、政府は失業は労働者が企業の求める職業能力を身につけていないからだ≠ニいうでたらめな認識に基づき、青年・学生の雇用対策を職業訓練や「キャリア教育」に絞ってきた。これで効果が上がるはずがない。にもかかわらず経団連会長の米倉は、国家戦略会議で「若者の雇用戦略は……余りにも充実し過ぎている。これで骨太な若者は育つのか」と発言した。青年層もとことん切り捨てられるのだ。
 世代間対立をあおる手法は、社会保障の解体でも徹底的に貫かれている。同文書は「世代間の所得移転に強く依存した現在の年金制度も改める」「給付の削減や負担増を継続的に進め、できるだけ早い段階で、世代間の所得移転から世代内移転を強めるよう社会保障制度を改革する」と言う。さらに「生活保護、失業保険など、これまでのセーフティネットのあり方や役割分担を整理統合していく」とも言うが、これは「セーフティネット」を全面的に取り払うということだ。経団連会長の米倉は「生活保護の状況から……がむしゃらでもはい上がっていく気持ちを起こさせるシステムにしていただきたい」と言い放っている。
 セーフティネットに代わるものとして同文書が押し出しているのは、「学び直し」なるものだ。「企業内人材の新陳代謝を促す柔軟な雇用ルールを整備するとともに、教育・再教育の場を充実させ、勤労者だれもがいつでも学び直しができ、人生のさまざまなライフステージや環境に応じて、ふさわしい働き場所が得られるようにする」ことにより、「環境や能力の変化に応じて20―40歳、40―60歳、60―75歳と三つの期間でそれぞれに合った活躍できる」「会社にしがみつく必要のない、解雇・転職が怖くない社会」を実現するというのだ。
 これは、一生、他人を蹴落とすために競争をしろ≠ニいうことだ。年金の支給開始年齢を75歳以上に引き上げるというもくろみも、そこには含まれている。
(「40歳定年」を打ち出した国家戦略会議の報告書を報ずる7・7付日経新聞)

 □JR外注化阻止決戦で新自由主義うち破ろう

 日帝資本と野田政権は、日本再生戦略を振りかざして労働者を総非正規職化する攻撃に乗り出してきた。これと真っ向から対決しているのが、動労千葉・動労水戸を先頭に闘われている、JR東日本の検査・修繕業務の外注化を阻止する決戦だ。
 外注化攻撃と対決する中で、動労千葉・動労水戸は階級的団結を日々、新たに再生し、職場支配権を資本から奪い返してきた。労働者は資本と闘う中で生き生きとした人間性を取り戻す。これこそ日本再生戦略の描く生涯競争社会≠フ対極にあるものだ。
 日本再生戦略は、数十万の労働者人民が毎週「原発再稼働反対」を訴え首相官邸を取り巻く中で策定された。反原発の根底的・主体的決起を憎悪し、それをたたきつぶすために出されたのだ。だが、そのこと自体、新自由主義の歴史的破産と終わりを示すものにほかならない。(岩谷芳之)
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 連合は総非正規職化攻撃の先兵だ!

 国家戦略会議のメンバー

議長  野田佳彦  総理大臣
副議長 岡田克也  副総理
    藤村修   内閣官房長官
    古川元久  国家戦略担当相
議員  川端達夫  総務相
    玄葉光一郎 外務相
    安住淳   財務相
    枝野幸男  経済産業相
    白川方明  日本銀行総裁
    岩田一政  日本経済研究センター理事長
    緒方貞子  国際協力機構理事長
    古賀伸明  連合会長
    長谷川閑史 武田薬品社長
    米倉弘昌  住友化学会長

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月刊『国際労働運動』(434号7-1)(2012/10/01)

世界の労働組合

■世界の労働組合

 総索引(09年4月号〜12年9月号)

 次号(11月号)から韓国編に入ります。

 ■世界の労働組合 アメリカ編

09年4月号 アメリカ労働総同盟・産業別組合会議(AFL-CIO)
09年5月号 全米自動車労働組合(UAW/United Auto Workers)
09年6月号 アメリカ教員連盟(AFT/American Federation of Teachers)
09年7月号 全米教育協会(NEA/National Education Association)
09年8月号 国際港湾倉庫労働組合 (ILWU/International Longshore and Warehouse Union)
09年9月号 米国州・郡・市職員(AFSCME/American Federation of State,County and Municipal Employees)
09年10月号 チームスターズ(全米運輸労働組合)
09年11月号 サービス従業員国際労働組合(SEIU/Service Employees International Union)
09年12月号 アメリカ郵便労働組合(APWU/American Postal Workers)
10年1月号 縫製繊維労組・ホテル・レストラン従業員組合(UNITE-HERE)
10年2月号 全米運輸労働組合(TWU/Transport Workers Union of America)
10年3月号 統一運輸労働組合(United Transportation Union)と機関士労働組合(Brotherhood of Locomotive Engineers)
10年4月号  カリフォルニア看護師協会/全米看護師組織委員会(CNA/NNOC California Nurses Association/National Nurses  Organizing Committee)
10年5月号 国際機械整備士・航空宇宙産業労働組合(IAMAW/International
     Association of Machinists and Aerospace Workers)
10年6月号 全米農業労働者組合(UFWA/United Farm Workers of America)

 ■世界の労働組合 イギリス編

10年7月号 イギリス労働組合会議(TUC/Trades Union Congress)
10年8月号 イギリス炭鉱労働者組合(前編)(NUM/National Union of Mineworkers)
10年9月号 イギリス炭鉱労働者組合(後編)
10年10月号 鉄道・海運・運輸労働者全国労働組合(RMT/National Union of Railway,Maritime and Transport Union)
10年11月号 UNISON(ユニゾン)〔公務員・医療・電力部門等を組織〕
10年12月号 イギリス公務・民間サービス労組(PCS/Public and Commercial Service Union)
11年1月号 イギリス機関士・機関助士労働組合(ASLEF/Associated Society of Locomotive Engineers and Firemen)
11年2月号 イギリス通信労働組合(CWU/Communication Workers Union)
11年3月号 全英教員組合(NUT/National Union of Teachers)
11年4月号 イギリス消防士組合(EBU/Fire Brigades Union)
11年5月号 ユナイト労働組合(UNITE/Unite the Union)

 ■世界の労働組合 ドイツ編

11年7月号 ドイツ労働総同盟(DGB/Deutscher Gewerkschaftsbund)
11年8月号 ドイツ統一サービス産業労働組合(ver.di/Vereinte Dienstleistungsgewerkschaft)
11年9月号 ドイツ金属産業労働組合(IG Metall/Industriegewerkschaft Metall)
11年10月号 教育・科学労働組合(GEW/Gewerkschaft Erziehung und Wissenschaft)
11年11月号 ドイツ機関士労働組合(GDL/Gewerkschaft Deutscher Lokomotivfuhrer)
11年12月号 ドイツ公務員連盟(DBB/Beamtenbund und Tarifunion)
12年1月号 ドイツ勤務医労組マールブルク連盟(MB/Marburger Bund)

 ■世界の労働組合 フランス編

12年2月号 フランス労働総同盟(CGT/Confederation generale du travail)
12年3月号 フランス民主労働連盟(CFDT/Confederation franqaise democratique du travail)
12年4月号 フランス労働総同盟・労働者の力(CGT-FO/Confederation generale du travail - Force ouvriere)
12年5月号 フランス連帯統一民主労働組合(SUD/Solidaires Unitaires Democratiques)

 ■世界の労働組合/イタリア編

12年6月号 イタリア労働総同盟(CGIL/Confederazione Generale Italiana del Lavoro)
12年7月号 イタリア労働同盟(UIL/Unione Italiana del Lavoro)
12年9月号 イタリア労働組合連盟(CISL/Confederazione Italiana dei Sindacati Lavoratori)

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月刊『国際労働運動』(434号8-1)(2012/10/01)

国際労働運動の暦

■国際労働運動の暦 10月23日

■1945年読売争議■

生産管理闘争の威力

正力社長の足元から労働者の手で新聞発行やりとげ戦後革命を開く

 1945年8月15日、日本帝国主義は連合国に対する敗北を認め、戦争は終わった。抑圧されていた労働者人民の怒りは、まず強制連行された人民の決起として爆発した。9月18日、三菱美唄(びばい)炭鉱の中国人蜂起、10月2日、夕張炭鉱の朝鮮人労働者蜂起。
 失業と食糧難、飢餓が進行する中、日本人労働者の中でも、戦争責任の追及と生活の回復要求の闘いが続々と起こっていった。その先陣を切ったのが読売新聞の労働者だった。
 読売新聞社の社長・正力松太郎は、戦前の警視庁の幹部であり、関東大震災では「朝鮮人暴動」のデマを流し、大虐殺を扇動した張本人であり、読売新聞の社長に転じて、帝国主義侵略戦争を扇動し続けた、極悪の戦争犯罪人である。戦後は原子力政策の旗振り人となり、原発導入に全力を挙げた人物でもある。いわば悪の巨魁である。だから彼は、8・15を迎えて労働者階級の怒りが爆発し、革命的危機が到来することを予知していた。その正力の足元から、支配階級を震撼(しんかん)させる闘いが勃発(ぼっぱつ)した。

 ●自主的に編集業務

 終戦前から事態を予知し相談しあっていた労働者たちは、5項目の要求をまとめ正力に口頭で伝えた。9月13日、8・15敗戦の日からわずか29日めのことだ。さらに10月23日、社員大会を開き、5項目要求を正式決定し、正力に提出した。正力はこれを全面拒否したばかりか、要求を提出した鈴木東民(後に日共に入党、50年に脱党し、釜石市長になる)以下5人の責任者の退職勧告に出てきた。労働者はこれに憤激、ただちに編集局を占拠し、鈴木を委員長とする最高闘争委員会を設置、業務管理を宣言し、自主的に新聞発行を継続していった。
 ここで、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の戦犯追放指令によって正力も出頭を命じられ、経営側は動揺し、混乱していく中で、社長以下首脳陣の退陣、組合の経営参加などの条件で、妥結に至った。
 この闘争は、貨物の国鉄労働者が発送の便宜を図ったり、トラック会社の労働組合が協力したり、と労働者の共同闘争として継続した。46年1月1日号の読売新聞1面は、「読売新聞はこれから人民の機関紙になります」という宣言が載り、労働者のデモの写真が大きく掲げられた。
 戦後革命の中での生産管理闘争は、読売を皮切りに全国に広がり、政府統計で46年1年間で400件、参加人員23万人余を記録した。実際にはその数倍だ。
 生産管理闘争は、何よりも資本家階級が生産をサボタージュしている中で、労働者が生活防衛のためにやむを得ずにとった手段という面が強かった。だが、一時的にせよ、労働者が生産を管理することによって、資本家的労務管理が崩壊し、資本家がいなくても生産の主体としての労働者が生産を維持し、社会を運営できることを教えるものだった。しかし、日共スターリン主義の指導はそれを資本主義のもとでの生産復興運動に歪曲し、労働者階級が自らの権力を打ち立てていく闘いを阻んだ。

 ●第2次読売争議

  労働組合が主導権を取った新聞作りは、GHQの弾圧にぶつかった。占領下の新聞は、戦前戦中の軍部や警察の検閲に代わってGHQの検閲との闘いだった。GHQは米帝の戦後世界支配に役立つ限りで「民主化」政策をとったが、労働者の権力を認めるものではなかった。
 6月4日の読売新聞記事にGHQが「プレスコード違反」と警告した。これが第2次読売争議の発端だった。読売新聞は鈴木編集長(従組委員長)以下6人の編集幹部に退社を命じた。白昼警官が編集部になだれ込んで56人の記者を検挙する、労組は5日間の抗議ストに突入、新聞発行はストップされた。会社側はロックアウト。闘いは外に拠点を置き長期化した。そして最後は31人の自主退社の形で、労働者側の敗北に終わったが、その闘いは全労働者を鼓舞し、翌年の2・1ストへ引き継がれた。
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(写真 第2次読売争議の争議団を支援する日本新聞通信労働組合員たち)

 ●読売争議の経緯

1945年
9.13 民主主義研究会発起人会、正力社長に口頭で5項目要求
10.23 社員大会、社内民主化を決議(読売第1次争議)
10.25 従業員組合結成、編集業務管理闘争開始
12. 2 GHQ、正力社長を戦犯容疑者に指名
12.12 社長退陣、解雇撤回で解決
1946年
1. 1 元日号で「民主読売」を宣言
2. 9 日本新聞通信労働組合を結成
6. 4 GHQ、読売新聞記事にプレスコード違反で警告
6.12 鈴木東民編集長以下、6人の編集幹部に退社を命じる(読売第2次争議)
7.12 従組スト突入(〜16日)、新聞発行ストップ
7.30 第2組合を結成
10. 5 新聞単一ゼネスト失敗、放送スト突入
10.16 31人自主退社、第2次争議終わる

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月刊『国際労働運動』(434号9-1)(2012/10/01)

日誌

■日誌 2012年7月

1日東京 郵政非正規ユニオンが第2回大会
郵政非正規ユニオンの第2回定期大会が行われ、同東京協議会結成が宣言された。組合員と都内の各合同労組郵政非正規部会の仲間を中心に約50人が参加、1年間の激闘で団結を守りぬいた非正規ユニオン闘争の地平をたたえあった
6日東京 絶対にあきらめない15万人が決起
大飯原発が7月1日に起動して最初の金曜日夜、15万人の労働者民衆が首相官邸前に集まった。途中から雨が降り出す中、「再稼働反対!」「再稼働やめろ!」の激烈なコールがやむことなく続いた
6日京都 闘う自治会復権を%ッ学会が集会
京都大学キャンパスで全学自治会同学会執行委員会(暫定)が呼びかける学生集会が、京大当局による学生自治破壊攻撃を粉砕し、100人を超える結集でかちとられた。開会宣言に続き、東北大学学生自治会、法政大学文化連盟が熱烈な連帯あいさつを行った
7日福島 福島県庁で野田を直撃
大飯原発再稼働強行への怒り、さらに6日夜の首相官邸前15万人結集の興奮も冷めやらぬ中で、野田首相が福島県庁を訪問し、佐藤雄平県知事と会談を行った。この報を受けて、小雨降りしきる中で40人もの人びとが福島県庁前緊急行動に立ち上がった
8日千葉 三里塚緊急現地闘争闘う
三里塚芝山連合空港反対同盟の主催で「市東さんの農地裁判勝利! 第3誘導路工事粉砕」を掲げた三里塚緊急現地集会が開かれた。成田市東峰の萩原進さんの畑に、反対同盟を先頭に245人の労働者・農民・学生・市民が続々と結集した
8日岡山 福井に連帯しNAZEN岡山デモ
NAZEN岡山は原発再稼働反対を訴え、JR岡山駅前の桃太郎大通りをデモ行進した。駅前で配っていたビラを見て来た人、今日デモがあるというメールやツイッターを見て来た人、フクシマからの避難者、ドラムを持った音楽グループの人たち、60人が参加した
8日東京 150人が東京下町デモを闘う
「放射能を考える下町ネットワーク」が呼びかけた「子どもたちを放射能から守ろう/原発再稼働絶対反対/下町デモ」が行われた。葛西地域デモ、江戸川区役所〜新小岩デモに続く第3弾で、墨田区錦糸町から江東区亀戸のコースを意気高くデモした
9日東京 在留カードは粉砕、法務省デモ
「在留カード絶対反対!」「差別をするな! 人権守れ!」「今すぐみんなにビザを出せ!」――新たな在留管理制度=在留カード制度の開始に対して、法務省は在日・滞日外国人を先頭とする200人を超える怒りのデモで包囲された。「仮放免者の会」の呼びかけに応え、牛久入管収容所問題を考える会、外登法・入管法と民族差別を撃つ全国実行委員会(全国実)が動労千葉や各地の合同労組とともに結集し、在日・滞日外国人とともにこぶしを突き上げた
11〜12日宮城 NTT労組大会で訴え
被災地の仙台で開催されたNTT労組大会の初日、全国労組交流センター電通労働者部会は、被災地フクシマから全国のNTT労働者に熱烈に訴える宣伝行動を行った
13日茨城 動労水戸が緊急声明を発した
動労水戸は、JR水戸支社が出した「グループ会社と一体となった業務体制のさらなる推進について」に対して「水戸支社の検修・構内外注化案と徹底的に闘おう!」という緊急声明を発した
13日沖縄 全駐労沖縄地本がスト突入
全駐労沖縄地本は、AAFES(エーフィス)での再雇用労働者のパート導入撤回を求め第1波24時間ストライキに突入した。ストに入った全駐労ズケラン支部のAAFES労働者1600人、それと一体となったマリン支部、空軍支部の基地労働者6500人の実力でかちとられた。AAFES職場のある15カ所のゲートには朝6時からピケ隊が配置され、AAFES職場を完全に止めた
13日広島 松井英介さんの講演会を開く
8・6ヒロシマ大行動実行委員会とNAZENヒロシマの主催で松井英介さんの講演会が広島市市民交流プラザで開かれた。この日の首相官邸前行動と連帯し、約100人が参加した
14日千葉 10・1外注化阻止へ動労千葉が集会
動労千葉は決起集会を千葉市内で開催した。組合員と支援250人が結集し、外注化阻止闘争への総力決起を宣言した。長田敏之書記長の基調報告、さらに外注化対象となっている幕張支部、京葉支部、木更津支部を始め現場組合員の決意みなぎる発言は圧巻だった
15日東京 鈴コン分会支援・連帯共闘会議結成
鈴木コンクリート工業分会闘争支援・連帯共闘会議の結成が高らかに宣言された。鈴コン分会員と呼びかけ人をはじめ地元の東京北部地域の労働組合、労働者ら260人が東京・赤羽会館に結集した。解雇撤回・非正規職撤廃を闘う熱気に包まれる中、闘う労働組合を復権する非正規職労働者の全国的な闘いがいよいよ始まった
16日東京 国と社会のあり方変える17万人
強い日差しが肌に突き刺さる猛暑の中、「さようなら原発10万人集会」が、代々木公園で開催され、17万人が集まった。野田の原発再稼働と新自由主義に憤る労働者や若者、60年・70年闘争世代など、すべての怒りが総結集し、戦後階級闘争史を塗り替え、新たな時代を開く闘いとなった。集会開始時間には代々木公園一帯が人で覆われた。第1ステージのサッカー場を市民団体などが埋め尽くす。第2ステージのイベント広場を全国の労働組合が組合旗を林立させて陣取る。福島の労働組合が大挙決起し、それを先頭に自治労、日教組、私鉄総連、都市交などが大動員した。原発立地県の労組が「福島を返せ!」「柏崎刈羽原発を廃炉に!」「伊方原発の再稼働NO!」などの横断幕を掲げて集まった
14〜17日アメリカ 動労水戸石井委員長が訪米
昨年10月からの動労水戸の被曝労働拒否のストライキ・職場闘争は全世界に衝撃的に伝わった。サンフランシスコのレイバーフェスタは動労水戸の石井真一委員長を招き「福島原発と労働運動」という集会を開いた。世界の核・原子力支配を根本から覆す国際的団結が始まった
17日千葉 第3誘導路許可取消裁判
千葉地裁民事第3部(多見谷寿郎裁判長)で成田空港の第3誘導路許可処分取り消し訴訟の口頭弁論が開かれ、三里塚芝山連合空港反対同盟を始め支援の労働者・学生・市民が傍聴に駆けつけともに闘った
19日東京  鉄道運輸機構訴訟、結審強行に怒り秋田闘争団の小玉忠憲さんを原告とする鉄道運輸機構訴訟の控訴審が、東京高裁第14民事部(設楽隆一裁判長)で行われた。裁判長は原告側が請求していた葛西敬之(現JR東海会長、国鉄分割・民営化当時は国鉄職員局次長)らの証人調べをすべて却下し、結審を強行した。この暴挙に、法廷は激しい怒りに包まれた
26〜27日静岡 国労大会 裏切り本部を徹底弾劾
伊東市で行われた国労第81回全国大会に対し、「共に闘う国労の会」は裏切り本部を徹底弾劾し、1047名解雇撤回・検修外注化絶対阻止の決戦方針の確立を訴えた
29日 東京、関西、東北で革共同集会開く
東京 豊島公会堂に880人が結集し、深田力同志が基調報告。国鉄決戦と反原発決戦を軸にして闘ってきた前半戦を総括し、党の路線への確信を深めるとともに、反原発闘争の数十万人決起に示される革命情勢の到来に全力で応える決意を打ち固めた
関西 大阪市立西区民センターで開催され、220人が結集した。前半の司会を担うマル青労同の女性同志が意気高く開会を宣言。基調報告に登壇した山本進同志が国鉄決戦、反原発決戦、野田・橋下打倒の鮮明な方針を提起した
東北 仙台市戦災復興記念館に140人が結集し、首相官邸前20万人決起や7・16集会17万人決起という革命情勢の到来に対して、革共同と労働者階級の新たな挑戦として10・1外注化阻止を闘う方針を確立した
29日東京 反原発20万人が国会を包囲
国会包囲行動が闘われた。午後7時25分、国会前一帯の歩道を埋めつくした労働者人民が警察の規制を突破して一斉に車道に飛び出した。国会前の9車線の道路が200bにわたって完全に解放区になった。20万人の労働者人民は国会前だけでなく、国会周辺から官邸前をも包囲した。それに先立って、日比谷公園に労働者人民が大結集し、東電本店と経済産業省を万余のデモ隊が直撃した
30日茨城 動労水戸 除染作業強制に抗議
動労水戸は、JR東日本水郡線営業所運輸科で強行されている気動車のラジエーター除染作業に反対して、大子支部の検修職と乗務員の全員がストライキに決起した

 (弾圧との闘い)

4日東京 爆取弾圧裁判差し戻し控訴審
東京高裁第6刑事部(山崎学裁判長)で、迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判の差し戻し控訴審第3回公判が行われた。1〜2回公判の攻防で須賀武敏、十亀弘史、板垣宏3同志と弁護団は、山崎裁判長の早期結審策動を粉砕し、弁護側証人採用をかちとった
6日東京 星野面会・手紙国賠訴訟
東京地裁民事第38部(定塚誠裁判長)で、星野文昭同志への面会・手紙規制に対する国家賠償請求訴訟第3回裁判が開かれた。星野暁子さんを先頭とする原告、傍聴者、西村正治、岩井信、藤田城治弁護士が開廷前から法廷を圧倒した
24日東京 Aさんをデッチあげ逮捕
広島県警と警視庁公安部は、Aさんを「免状不実記載」なる不当極まりないデッチあげで不当逮捕した。Aさんは完全黙秘を貫き、後、奪還された
31日千葉 B同志をデッチあげ逮捕
千葉県警と埼玉県警はB同志を「免状不実記載」なる不当極まりないデッチあげで不当逮捕した。B同志は、完全黙秘で闘い、後、奪還された

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月刊『国際労働運動』(434号A-1)(2012/10/01)

編集後記

■編集後記

 野田政権は、原発再稼働への巨万の怒りの決起に激しく痛撃されながら、さらにすさまじい強収奪・大幅賃下げ攻撃である消費大増税法を強行成立させた。これはヨーロッパで吹き荒れる「緊縮策」と同じであり、道州制・民営化・公務員全員解雇の攻撃と一体の、ただただ大資本を救済するための絶望的な攻撃だ。年収100万円以下、50万円以下の生きていけない世帯が数百万に及んでいる。労働者はけっして黙っていない。
 今や日本帝国主義・新自由主義の政府は、どんなに大震災と原発事故でウソとペテンが暴かれても、国家と大資本が生き延びるために、労働者人民ははいつくばれと言ってはばからない。生きたければ他人を蹴落とせ、それでもだめなら他国や他民族を排撃せよ、などと叫んでいる。まったく許せない。冗談ではない。

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