International Lavor Movement 2012/08/01(No.432 p48)

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2012/08/01発行 No.432

定価 315円(本体価格300円+税)


第432号の目次
表紙の画像
《反原発総特集》
  労働組合よみがえらせ 全原発の廃炉へ
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目次●Contents 記事を読む
《反原発総特集》 労働組合よみがえらせ 全原発の廃炉へ
 第1章 T 福島原発労働者にインタビュー
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《反原発総特集》 労働組合よみがえらせ 全原発の廃炉へ
 U 再稼働許さず政府・東電の事故責任を追及し続けよう
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《反原発総特集》 労働組合よみがえらせ 全原発の廃炉へ
 V 放射線被曝を強制する重罪人・山下許すな
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《反原発総特集》 労働組合よみがえらせ 全原発の廃炉へ
 W 労働者の団結を取り戻し新自由主義をうち破ろう
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■コラム@ なぜ内部被曝は危険か? 記事を読む
■コラムA 低線量・内部被曝の隠蔽 記事を読む
年表(2011年3月11日〜2012年5月5日)
 ■福島原発事故と政府・東電の動き、■原発反対の全国・全世界の闘い
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月刊『国際労働運動』(432号1-1)(2012/08/01)

《反原発総特集》

労働組合よみがえらせ 全原発の廃炉へ

 はじめに

 3・11から1周年、郡山市開成山野球場に1万6000人が結集し、政府・東電の責任追及、原発再稼働阻止、全原発の廃炉を宣言した。国労郡山工場支部、福島県教組などが最先頭に立ち、「原発いらない福島の女たち」とNAZEN(な全=「すべての原発いますぐなくそう!全国会議」)が牽引した。同時に動労千葉の4・1の外注化を阻止する闘いも大勝利をかちとった。新自由主義に対し、労働組合が闘えば反原発も国鉄決戦も勝利できることを示した。
 3・11郡山を頂点とする闘いで5月5日に「原発ゼロ」をかちとった。大飯原発の再稼働をめぐる野田政権との大激突になっている。だが大飯現地を始め全国の労働者人民の怒りは爆発している。一切のカギは闘う労働組合を甦らせることだ。6月10日、文京シビックホールで行われた国鉄闘争全国運動集会の勝利はその決定的な転換点となった。
 次は7・16反原発10万人大集会を大成功させよう。そして8・6広島、8・9長崎を、福島との連帯を柱に闘おう。今回の原発総特集は、全章のすべてが充実しているが、特に福島原発労働者へのインタビューは原発廃炉へ重要な内容を提起している。もっと議論し、もっと運動を発展させよう。

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月刊『国際労働運動』(432号1-2)(2012/08/01)

目次●Contents


《反原発総特集》
労働組合よみがえらせ 全原発の廃炉へ

T 福島原発労働者にインタビュー
 原発労働者とつながり階級的な反原発運動を 
 ――聞き手・織田陽介さん(NAZEN事務局長)

U 再稼働許さず政府・東電の事故責任を
  追及し続けよう
  1 地震による配管破損の真相を今も隠す
  2 大量の放射性物質が流出し続けている
  3 冷却水の途絶と4号機使用済み燃料崩壊の危機

V 放射線被曝を強制する重罪人・山下許すな
  1 情報独占・箝口令下で被曝・棄民の犯行
  2 「放射線安全」デマをまき散らす山下俊一
  3 被曝を食い物にする新自由主義医学の権化
  4 山下のエセ医学の起源は731部隊
  5 汚染がれき拡散反対 福島に診療所建設しよう
   コラム@ なぜ内部被曝は危険か?
   コラムA 低線量・内部被曝の隠蔽

W 労働者の団結を取り戻し新自由主義をうち破ろう
  1 被曝労働との対決が全労働者の最大攻防に
  2 核・原発の本性は無差別大量殺りくだ
  3 日米安保と原発が日帝の最大弱点に転化した
  4 事故責任者の東電資本こそ非正規化の張本人
  5 国鉄闘争を軸に闘う労働組合をつくろう

●年表(2011年3月11日〜2012年5月5日)
・原発反対の全国・全世界の闘い
・福島原発事故と政府・東電の動き

〔裏表紙の写真〕1万6千人が集まった「原発いらない!福島県民大集会」(3月11日 郡山市開成山野球場)

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月刊『国際労働運動』(432号2-1)(2012/08/01)

《反原発総特集》 労働組合よみがえらせ 全原発の廃炉へ

(写真 原発労働者の前川原さん【真ん中の後ろ姿)の話に聞き入るNAZENの織田事務局長【左隣)と動労水戸組合員【動労水戸・平支部の事務所で)】)

 第1章 T 福島原発労働者にインタビュー

 原発労働者とつながり階級的な反原発運動を――聞き手・織田陽介さん(NAZEN事務局長)

 参加者

●原発労働者 前川原沢夫さん
●動労水戸副委員長 辻川慎一さん
●動労水戸平支部  小野裕通さん
        川俣辰彦さん
●動労水戸平支部書記 西納岳史さん
●NAZEN事務局長 織田陽介さん

織田 今日は福島原発労働者の前川原さんにお話を聞いていきます。
 5月5日に全原発が停止して、反原発運動としては廃炉を見すえていく段階に入りました。だけど廃炉とは何か、運動の側の構えが問われている。ぜひ現場の話をうかがって、反原発運動の今後をつくっていくきっかけにできればと思います。
 最初に、前川原さんにとって3・11がどんなものであり、そのなかで原発に入ってみようと思ったきっかけを。

 原発労働者になる契機

前川原 3・11で、福島原発が爆発をした時に、チェルノブイリ事故以降に起こった反原発運動に関わって、その後、自分がずっと反原発運動に関わり切れなかったことをものすごく悔みました。20年近くほったらかした結果がこれかと。
 自分は何をすべきかというところで、一番最初は福島の被災地支援を積極的にやりました。一番置いてきぼりを食らったのが、福島第一原発近くの市町村で、南相馬では本当に食料がないみたいな逼迫した状況のなかで、どんなに汚染されているかもしれないけれど、ともかく南相馬の現場に入っていった。
 その中で見た悲惨な現状。宮城県沿岸部は、国がモデル地区ということで復興が進んでいるのに、南相馬の海岸というのは本当にほったらかしのまま。しかも昨年4月1日以降、20`圏内に入れなくなって、その内側では遺体さえ回収できないひどい状況だった。
 これは20`圏内の中に入る必要があるだろうと。自分が反原発運動に途中で関わらなくなって、その結果起こった事故について、自分自身がきっちり現場を見るべきであろうと。そういう気持ちで現場の中に入る選択をした。自分自身の決断もあったし、周囲のものすごい反対があったけど、とにかくこれは、反原発の意識を持った人が中に入って、現状を実際見るということが必要じゃないかと1Fの中に入りました。1Fというのが福島第一原発、2Fというのが福島第二原発の現場労働者略語です。
織田 反貧困とか非正規労働者の問題に取り組んでこられたと思うんですが、そういうことの関係もあったのですか。
前川原 ものすごくありまして、反貧困運動にずっと取り組んできて、非正規系労働組合の中で、いろんな反貧困運動に取り組んできました。もともと私が寄せ場労働運動の支援運動をやっていて、山谷争議団と一緒に金町一家と戦争をやっていた世代なんですけれど、当初はそういう寄せ場労働者がいっぱいいるのではないかと思って中に入っていったんです。
 だけど被災地支援とか、避難所に避難している人々と話しているうちに、どうやら地元の人たちがたくさん働いていることが見えてきて、これはどういうことかという疑問がわいてきました。
 私も常々考えていたことなんですけれど、実は二つの植民地というのが日本というか社会のなかにあって、一つ目は、地域としての被差別地域、いわゆる植民地として搾取される地域、それが原発を押し付けられた東北地域の福島であり、新潟であり、青森であった。こういう都市と地方という従属関係のなかでひとつの植民地ができあがっている。その植民地から安い労働力を都市が輸入したり、産廃は東北に捨てるとか。
 二つ目が、層としての植民地。これは地域としての植民地ではなくてポスト・コロニアル・シンキング(あらゆる領域において「支配/従属」の構造を考察していこうとする学問的立場)の考えでいう貧困層、非正規労働者層というのが、被支配階級としての植民地としてずっとこの間、新自由主義政策の下で開発されてきた。これが層としての植民地、これが私のような都市の貧困層であったり、地方からの出稼ぎ労働者であったり、寄せ場労働者層であったりしている。
 1Fでは原発立地地域の人々ではなくて出稼ぎ労働者や、都市貧困層や寄せ場労働者が多数を占めている。逆に2Fに関してはほぼ9割方が地元です。地元の人は、1Fには行きたがらない。
織田 じゃあ労働運動や、非正規労働者の問題ともつながりますね。
前川原 がっちり結びついている。日本の社会構造の縮図が現れていたのを見てきました。

 原発での仕事は出入り管理業務

織田 次にご自身の仕事について聞きたいのですけれど。
前川原 私は免震棟内で出入り管理業務をやっていました。免震棟の中の放射線量を低く保つ業務です。現場から帰ってくる人は必ず専用の入り口から入ってもらって、サーベイ(放射線量測定)を受けてもらいます。着ていたタイベック(防護服)などすべて脱いでもらう補助をやって、中でサーベイをする。あともうひとつが、Jヴィレッジ(第一原発から南へ20`。いわき市を往復する原発労働者の中継基地)、いわゆる「きれいな地域」からやってくる人々に適切に「きれいな状態」なまま免震棟の中に入ってもらう、そういう業務です。
織田 2Fではどういう仕事ですか。
前川原 2Fも、事務本館、事務棟があって、そこの出入り管理業務をやっていました。2Fは、かなり線量が落ち着いた場所だったので、自分の持ち込みの作業服で作業ができる場所でした。1Fは自分の身に着けたものはパンツ一丁であとは全部使い捨てのものを肌にまとい、その上からタイベックを着用し、全面マスクで防護しながら作業しています。

 収束作業の実態

織田 1Fの話ですけど、収束作業というか、廃炉作業の実態はどうですか。
前川原 去年の12月15日に政府は収束宣言を出しました。現場からも声が上がってますが、実は収束はしていないんです。国家が面子を保つために、現場の危険性を顧みずに勝手に収束宣言をスケジュールに合わせただけなんです。
 危険な状況は本当に変わりなくて、非常に問題がある。けれど、収束宣言について運動の側が撤回させられなかったのは、すごい自分自身も悔やんでいます。まだ緊急事態にある、そういう環境の下で仕事をしていかなくちゃいけないことに変わりないです。
 実際、収束宣言が出された段階でどのような変化が起きたかというと、Jヴィレッジから1Fに通勤する時のいわゆる装備がだんだん軽いものに変更させられました。あと今年の4月から非管理区域というものが無理やりつくられました。本当に非管理区域にしていい線量なのかという疑問点がある。
 非管理区域は、管理区域に比べたらかなり線量が落ちている場所だけど、それは「比較すれば線量が少なくなっている」に過ぎないんです。そこでは女性職員も働かされています。国家の面子のために人柱のように現場で、東電社員、元請け、下請けかまわず、放射線を浴びながら作業を強要されている状況です。
織田 ニュースなんかを見ていても、1Fの中でどんな作業がされているのか全然分からない状況です。
前川原 今、テレビに出ているものが4号機の上部や周辺で労働者ががれき撤去している場面ですけど、あれほど危険な作業はないんですよね。
 彼らは一日4時間働いているんですけど、2時間働いて2時間休みます。先方、後方のセットで働きに行くのですが、がれき撤去が一日2時間働いて、約1・5_から2_シーベルトの積算量で大体帰ってきます。月の稼動数が約18稼動として線量が1カ月ちょっとでパンクしてしまって、もう彼らはそれでお終い。だから次から次へと新しい人が入ってきます。
 あと水処理です。水処理もいろんな形があるけれど、仮設の配管を扱っている人、茅の草で穴が開いちゃう配管を使っていますが、穴から汚染水が漏れて被曝する、あちこちで水は漏れるので、たくさんの労働者にいらない被曝が強要されている。この人たちもだいたい2カ月で線量がパンクして、辞めざるを得ない。線量がいっぱいになることを「パンクする」といいます。20_シーベルトというのはあっという間に食らってしまいます。僕の職場は一番安全な職場ですが、それでも一日0・1_浴びる感じです。1カ月に2_です。私の勤務場所が比較的に安全な職場であるので、けっこう長い間1Fで働くことができる。
織田 何人くらいの労働者がいますか。
前川原 今、1Fで待機者含め3000人、1日、1200〜1300人働いています。2Fは、600人から700人は働いていますね。収束作業関連の会社はいわき周辺に作業員の宿泊拠点を構えていて、いわき駅周辺と、内郷がすっぽり抜けて、湯本、植田、小名浜、勿来近辺の宿舎に泊まっています。

 放射線汚染の拡大

織田 汚染が広がっていると思うんですけれど。
前川原 実は冷却している水っていうのが炉心の水なので、超高濃度の汚染水が今ぐるぐる回っている状況です。水漏れがあった、海に流していたというニュースがあったと思うんですけど、あれは東電の指示で外に流しました。私の友人が作業していたのですが、それを海に流さないとあまりにも高濃度過ぎて、もう近寄ることができない、収束作業に近づけるためには海に流すしかないと、東電が指示しています。
織田 低濃度じゃなくて高濃度のを流したわけですね。
川俣 これはやばいぞ撤収だとか、パニックになったことはないですか。
前川原 夕方だったんですけど、電源喪失が何回かありましたね。零コンマ何秒だったんですけど、電圧低下で、窒素を送り込む機械と水を循環させる機械も止まって、ものすごく深刻でした。その時は空間線量がバーッと上がったんですけど。なにかあったら僕たちが真っ先に人柱としてやらなくちゃいけない要員でもあるんですよね。それはなかば覚悟しているというのもあるのですけど、なにかすごく複雑ですよね。
織田 核燃料の現状等が現場の労働者に聞こえてきているのかということを。
前川原 私が2Fで働いていたときは、「東電TV」というのがあって、東電社員、元請け、下請け皆が見れた。それで現状をつぶさに知ることができた。1Fはそれを見る機会がなく、現場にいる人間が共有すべきことが共有できていない。下手すると新聞を見て、あっ、なるほど、だから昨日あんなに線量高い人いっぱい帰ってきたのかとかが多くて、非常に困っています。
織田 4号プールも同じですか。
前川原 4号プールに関してはでっかい掲示板に、「4号機は安全です」「4号機は傾いていません。ちゃんと水平は保たれています。今補強工事をしています。3・11クラスの地震が来ても決して倒れることはありません」という広報がされています。本当なのかウソなのか、知るすべはないんですけど。
織田 現場の実感として、収束と言われてどうでしょうか。
前川原 収束は実際してないと思いますよ。将来の金に絡むのだろうけど、今、政府の指示で、去年緊急作業に当たった作業員で50_浴びた人には特別な手帳を作る方向です。これらの人たちだけは、多分今後の健康保障がされるんですけど、50_浴びてない人は、たぶん野ざらしのままになってしまいます。
 12月15日に収束宣言というのが発令された時点で、11月まで作業した人に関しては、放管手帳(放射線管理手帳のこと)に「緊急作業」というふうに記入することができるんですが、12月から働いた人に関しては「緊急作業」という形で放射線管理手帳に記帳はされないごまかしが今やられています。将来的には、広島、長崎の原爆が落ちた時の罹災者証明がそのまま原爆手帳になっていたのと同じようなものになっていくと思うんです。
 実際、自分たちの作業は、去年から変わりない作業をやっていて、「おかしいな、去年と同じ作業やっているのに、これで収束したって言うのかね」「いや収束してないべや」とみんなで話し合いしています。線量は下がった、何とかが安定したというけど、もう少し運動の側から「収束はしていない」ということを声を上げないといけないなあと。

 現場の労働者は無権利状態

織田 現場の労働者の権利についてどうですか。
前川原 無権利状態であることは、現場に入っても本当にその通りだなあと。2カ月間働いて20_浴びて、もう働けなくなって外に行ったとしても、何の保障もない。今放射線関係の仕事といったらほとんど1Fの仕事しかないですから、ほとんどの人は使い捨て、労働者が使い捨て、本当に部品のように使い捨てされています。
織田 現場の労働者にとって健康・命の問題、あるいは雇用、労働条件の問題だとか非常に大きいと思うんです。ですから中の労働者とつながっていくためには、外で運動していく側としては、労働者の健康診断しろ、健康保障しろ、勝手に首を切るな、別の仕事を保障しろということなどを要求していくことが大切だと思うんですが、どうでしょうか。
前川原 長くても半年、一年、短い人は1カ月半、2カ月で人がどんどん交代していくというなかで、これまでのような現場に入って労働運動を構築していくというのはほぼ不可能な状況です。やっと人間関係できたなと思ったらもう居なくなっちゃうんですよね。たぶん、辞めた労働者を組織するという方向しかないんじゃないかな。退役労働者を組織していくと。退役労働者がある程度の力を持った時になって初めて、中の、今現役で働いている労働者を外からサポートする。そういう形しかないのかなっていうふうに思っています。
織田 怪我をしたとか、体調が悪くなったとか、そういうのはどうですか。
前川原 今、労災で亡くなっている方が3人か4人いますが、みな心筋梗塞です。何で心筋梗塞って思うでしょ。中に入って分かったんですけど、Jヴィレッジで完全装備に着替えて、全面マスクをすると、ものすごく心拍数が上がるんですよ。これからすごい場所に行くんだという心構え、非常事態の中で作業をして、APD(東京電力が作業員の積算被曝線量を記録するための器機、「アラーム付き個人線量計」のこと)の数値もポンポン上がっていくような状況の中で、もう本当に急激な動きをしたりとか。例えば現場監督の「これやれー」「あぶないー 」というようなものに、ピクンピクンとしながら、何かあったら自分が死ぬというような状況の中で、全面マスクで仕事をしていて、ある一定レベルに達すると心臓はピュッといくなあと、すごく実感できます。
織田 ご自身の健康はどうなんですか。前川原 今のところ、大丈夫なんですけど。将来についてはものすごく不安です。これでなんらかの後遺症が出る、もしくはなんらかの障害が発生するとなっても、本当に労災として認められるのか。今まで原子力発電所は40年間稼動をしてきて、労災認定を受けた人というのはわずか10人です。国自身が、放射線災害、放射線労災を認めない現状のまま、今、僕たち働いているんですけど、自分の健康被害については、みんな不安です。働かざるをえない、それで食わざるを得ないという状況で働いています。正確には、僕は「働かされている」って表現したいんですけど。
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(写真 福島第一原発に向かうバスの出発前の原発労働者【Jヴィレッジ=福島県双葉郡楢葉町)】)

 下請けの構造

織田 下請けの構造はどうですか。
前川原 そうですね、まあ基本的には東電を頂点とするピラミッド構造というのがもちろんあって、元請け企業があって、下請け企業がある。今、5次下請け、6次下請けみたいなものについてはだいぶ収まっています。というのは、うまみがないから。収束作業の一番最初の1カ月から1カ月半くらい、だから5月の半ばくらいで、一人頭10万、一人の労働者の一日の賃金が3万だ、4万だったと。これがどんどん下がって、今や一日8000円、1万円。しかもこれは1次下請けの状況です。何でいまだに東電にこんなに忠義を尽くすのかと思うぐらいです。
西納 下請け企業がですか。
前川原 下請け企業も元請け企業に対して犬のように従っているし。ただ現場ではそれおかしいよと。元請け企業がもうごりごりやってきたら、「ちょっと待ってくれよ、俺たち奴隷じゃないよ」というのは、下請け企業がもうみんな思っています。ふざけんなよと。
辻川 労働者だけでなく、企業自身もそうなんですか。
前川原 企業自身もそう。もしかするとそこに労働者の機運の爆発の火種はくすぶっているというか、爆発寸前なので、うまく火をつければいいかなあと考えています。

 雇用形態、闘い、かちとる

織田 前川原さん自体の雇用形態はどういうふうになっていますか。
前川原 労働契約書を交わしていません。なので、有期雇用じゃないんだなということで。本当は労働契約法で契約書を交わさなければいけないんですけど。これ社会的にまずいですよと言うと、はいはいと一応言うことを聞くようになったんです。
 まず一番最初にかちとったのは「6カ月以上働いた人は有給休暇10日間付けなくちゃいけないんですよねー」と言ったら「分かりました」と。あと「労働契約書はやっぱり結ばないとまずいんですよねー」と言って今準備している最中です。あと「三六協定(労基法36条に基づく残業に関する協定)が一応ないと残業さしちゃいけないんですよねー」ということで。それで今、内勤に入って、労働法制関係の整備をやっています。
 下請け企業そのものが、人材派遣と言っても人夫出しなんです。放射線というものを取り扱っている以上、今まで通りでやってはいけないと思っているので、まずそこを変えていく。下請け企業そのものが、元請けや発注者に対してものを言えるようにならないと、労働者の身を危険にさらすので。下請け企業自身も闘って、意識を変えていくことが重要と思っています。
織田 雇用のあり方がまったく違いますよね。
前川原 雇用のあり方で言ったら、元請け企業だけが、きちんとした雇用形態を持っていて、労働組合も持っている。みんな電力総連もしくは電機連合です。うちの元請けはアトックスですけど、電力総連。闘わないで本工主義、下請け企業の健康や命なんかどうでもいいというような連中の集まりですね。
 下請け労働者の健康や命、賃金、雇用問題をどのように守っていくのか課題と思います。電力総連に対して、緊張感をもって対峙できる運動をつくり上げたい。
織田 交渉したことがあるんですか。
前川原 電力総連に抗議行動に行きました。電力総連はもう、中に入ったら「日の丸」がドーンとあってね、そこに「がんばれ」「あなたたちは英雄です」。といっても、実際働いているのは下請け企業ですからね、同盟系、旧民社党系の友愛会議のひどさはあるんですけど、彼らのファシズム労働運動に対抗できるような闘う労働運動をちゃんと構築しないと。実際、命を懸けて働いているのは、下請け労働者なので。あとは元請けや発注者である東電の人々に対しても、意識のある人については、喜んで来てもらうように出来ないかと考えていて。

 原発労働者の実態

織田 原発労働者はどういう人たちですか。
前川原 放射線があれば、怖くて普通の人は来ません。「寝る場所」があって、「飯つき」「風呂つき」なら日給は安くても働きに来る労働者層がいる。都市の貧困者、フリーター層であったり、青森、秋田の出稼ぎが来る。あとは被差別部落と在日朝鮮人の人々、寄せ場労働者、本当に困窮者ですね。
 一番最初にJヴィレッジで放射線教育を受ける時に、教科書、テキストが読めない労働者がかなりいます。ゼネコンの下請け労働者、50代後半から60代の労働者です。まず文字が読めません。自分がどれだけ危険か分かりません。放射線管理区域内では、自分の汚染が他の人を汚染させるということが自覚できません。だから運用規則の裏をかいて、サーベイを受けないで、免震棟の中にいかに入り込むかばかり考えている。自分自身も被曝しているし、投げやりになっている労働者が多い。
 雇用が確保され、2カ月で1Fから出ても働ける、とりあえず生活できるとなれば、こんなにはならない。将来起きるかもしれない健康被害についても補償があるという安心感が少しでもあれば、刹那的なことはなくなるはずです。東電、というより東電自身も機能していないですから、本当は政府に求めていきたいんですけど。
織田 やはり現場で労働者が組織されていくためには、仲間を思いやるために自分が大事にされなければならない。
前川原 そうなんです。自分が大事にされていないので、だったらもう自分さえ良ければいいし、今さえ良ければいいんで、他の人のことを考える余裕もない。今のままでは本当に事故が起きかねないと考えています。

 放射線管理手帳

織田 この放射線管理手帳というのを知りたいんですけど。
前川原 放射線管理手帳は文科省所管で、外郭団体の放射線影響協会が実質管理している。放射線管理手帳の管理がきちんと運用されているかと言うと怪しいです。これが後々、健康被害を解析するための道具になるのか。特に3・11後1カ月間ぐらいは大変な高線量だったけど、正確な線量を把握していたかは疑問で、今もAPDの暫定値と言うけど、その暫定値だけしか記載しない会社もけっこうある。実効線量を記載しているのか怪しい。責任の所在があいまいで、放射線管理手帳の運用体制についても、公的管理にしなくちゃいけない。

 元請け会社アトックス

織田 さっき出たアトックスという会社についてもう少し。
前川原 アトックスは元々ビル管理会社で、20年前に立ち上げた時には、「原子力代行」という人材派遣会社のさきがけです。東芝、日立など元請け企業に対して、自分たちは雑務を全部やりますよと、原子炉の雑巾がけ、ごみ拾い、一番危険な作業を格安でやります、アウトソーシングでやりますとできた会社です。
織田 この会社と電力総連の関係というのはもうズブズブですか。
前川原 電力総連は、経営者の言うことを聞かない危険な労働組合がつくられる前に労使協調の組合をつくりましょうと資本にオルグをかけて、アトックスの中でも労働組合をつくりました。
織田 ここの労働者が一番装備が甘いとか。
前川原 その通りです。アトックスは、原発でしか仕事がない会社ですから、各電力会社に本当に忠実です。それを下請けに対して一律に押しつける会社です。例えば時短、1Fで働く作業時間、まあ8時間が仮にあって、通勤、1FとJヴィレッジの通勤の時間は線量もあるし、業務だから残業代が出ていた。その残業代のカットをアトックスと下請けの契約者同士でするんじゃなく、現場で現場監督みたいな者が1週間ぐらい前になって押しつけてくる。結局、下請けの労賃が月に2万、3万減ってしまう。それは違法だし、優越的地位の乱用ですが、そんなことを平気でやります。

 再稼働・廃炉・被曝労働

織田 政府が再稼働を語っていますけど。
前川原 とんでもないことです。けど原発がないと生活できない状況に来た日本の民衆自身も自分たちの生活をとらえ返さなくちゃいけない。3・11があって、普通は再稼働する考え方自体が、おかしい話だと思う。だけど、「原発がないと大変なことになりますよ」と資本、政府の側は言っている。「停電」というのは政府による社会教育、民衆教育、統治の一環としての訓練です。これに反対しなくちゃいけない。「停電してもいいんじゃない」と。
織田 政府が、電力不足と同時に、「原発の地元の人たちが、食えなくなるじゃないか、だから再稼働だ」と宣伝している。ものすごい分断だと思うんですけど。
前川原 大飯原発ですけど、地元は今、シャッター街です。稼働せず定期点検に来る作業員がいない状況だったら、何もない大飯原発の企業はみんな福島第一原発に来ているんです。その地元に対して、本当に原発立地というのはすべて植民地なので、日帝本国人、都市民はどういうふうにアプローチすべきなのか。
 今懸念しているのは、原発立地の地元民はいい思いをしてウハウハで、今食えなくなったからって、また再稼働を容認している、ふざけんなというような形の地元民だたきを一生懸命やっているんですね。運動をする側が。
 僕は胸が痛むというより胃が痛むんですけど。そもそも原発がなければ、そこで生活できないような状況にしてしまったのは誰なのか、それについて思い至らなかったら、運動そのものの質が本当に問われると、自分たちも加担してきたんだということについてもっと明確に自覚しないと危険だな。

 青森・六ヶ所村と大間の教訓

織田 この前、青森に行って、六ヶ所村の中でデモしたんです。福島の人の、今なんとか原発をなくしたいという声もすごく響いている。だけど、危ないよというだけじゃ苦しい。デモに唾を吐いていく人もいて、やっぱり彼らだって本当は反対したかったし、反対していたし、なんで俺たちが反対していた時に、やってくれなかったんだというのが伝わってきた。それで僕らが単に原発を危ないから拒否しくれと言うだけじゃ全然ダメで。
前川原 そうですよね。
織田 大間原発に行った時もすごいんですよ。「あさこハウス」を買収するためのお金、7000万を不動産会社が演技をして、強盗にあったと言って、自分のものにしちゃう事件が起きたりとか、もう人として一線を越えていることだけど、全然ひとごとな感じがしない。これは本当に一緒に変わっていけなかったら、自分もそうなんだなというのを実感する、腐敗があるんだけど、なんかそれを批判するということも他人事じゃあいかないというか。
前川原 いやな施設を押しつけるために、集中的にお金をばらまいて、その地域のコミュニティーを破壊してきた。そこについては、都市住民が簡単に断罪しちゃいけないと考えています。
織田 立地県の地元の人たちも単純な賛成じゃなくて、一方では反対ということもあって、その中で生活のためにと。そういう気持ちですよね。
前川原 そうなんです。それは働いている僕たちも一緒で、危険なことは分かっている。だけど、そこで飯が食えて、お金がもらえて、働くしかない。そのせめぎ合いの中で、危険、危ない、怖い、やばいというのが、一方で分かっていて、だけど働かざるを得ないというようなアンビバレントなものについては、もっと深く留意すべきなんじゃないかなと。
辻川 そこの生活基盤を奪っておいて。そういう点で戦争の時も、戦争に行かされるほうも、生きる基盤を奪っておいて、中国に行く。
前川原 そう、そう。
辻川 戦争とまったく同じだから。そいつらを基軸に成り立っている、日本の社会は。基本構造はまったく変わっていない。都市部と言ったって、結局、9割非正規化がどんどん進んでいて、実は原発とかの構造の中で都市の貧困層みたいなのが一体となって形成されている。
前川原 都市部の非正規労働者は、自分たちは収奪されているとなった時に、なぜ自分たちより弱い者を見つけ出してたたき合うのか。派遣村ができた時には、本当はあそこで大変な暴動が起きてないといけないと思うんですけど、「社会教育」がきっちりされている国なので、政府にものを言うことイコール悪、過激派だと無前提に思ってしまう奴隷化教育が進んでいるので、本当に嘆かわしい。
織田 原発がないと雇用がなくなると言うけど、原発なかった時にはどうだったのか。青森は明治維新の時に負けた会津の人たちが全員流されて、開拓農民として食うや食わずでずっといる。そこに原発を持ってきた。そこの歴史の積み重ねということと、労働者派遣法が法律としてできたからって、非正規労働者がぽんと出てくるわけじゃない。
前川原 そうなんです。前史がありますね。実は青森と沖縄だけなんですけど、第3次琉球処分(1972年の「本土復帰」)後の沖縄と豪雪地域、恒常的貧困地域だけを実質上対象にした特別な雇用制度(短期雇用特例被保険者制度)があって、いわゆる半年間働けば、50日間保障されるようなシステムなんですね。一方的に労働者供給地域として開発されてきた。コミュニティを解体して、できるだけ低賃金の労働者を供給する県として、中央が、政府が開発してきたという問題がある。
織田 今は54基も原発があって、被曝労働がこれだけ蔓延している。派遣法ができる前に、原発で使い捨てられている労働者は、どこから来ているのか、明治維新からずっと続いてきた構造を僕らがとらえ切って、完全に総括しきるための運動をしていく。
前川原 そうです。社会変革が必要だと思います。死ぬ思いでやっていくんですけど、自分たちが、単なる反対運動ではなくなってくる。例えば廃炉にすると言っても、廃炉を誰がやるんだと。特定の少人数だけに押しつけていいのか、廃炉作業はたくさんの人が必要になるけど、みんなでどう考えていくのか、誰かがやってくれじゃなく、自分たち自身としてどのようにコミットしていくのかを考えていかないといけない。
(写真 全原発を止めた「原発ゼロの日」集会後のNAZENのデモ隊列【5月5日 東京)】)

 廃炉について

織田 廃炉というとこにもうちょっと突っ込んで行きたいんですけど。
前川原 僕たちの労働というのは、被曝を受けている。被曝に対して賃金を受けている。放射線量がいっぱいになって、去らざるを得ない労働者がいっぱいいます。これをどういうふうに防ぐべきか。被曝労働者をもっと増やさなければいけない。そうしないと、特定の少数の労働者に被曝が集中することになる。逆にみなさんにお聞きしたいんですけど。

 被曝労働をどう考える

辻川 それは被曝労働はしてはいけないことだと思うんだ。基本的に人間としては。結局、原発をつくり核兵器をつくってきた連中が今やろうとしていることは全責任をかぶせて、止めたらお前ら困るだろうと。この構造は、被曝労働を強制しながら全然責任を取らない。そこのところを闘争していく限り、人を増やしましょうとはならない。今働いている人を含めて、絶対に被曝労働というのはナンセンスということで、そこで闘争しないと、増やさないと止められないということを前提にしたら闘争になんない。
前川原 増やさないと、廃炉はできないと思います。問題になってくるのは、外国人労働者です。さらに放射性廃棄物、六ヶ所村に捨てることができない。1Fで捨てる場所は中間貯蔵施設なので、本格的に捨てる場所はモンゴルだとなった時に、われわれはどうするのか。しかも、それに反原発運動をやっている人間も、同意しかねないような問題をはらんでいる。僕たちはこの問題をどう解決していくのか。
織田 僕は稼働原発がゼロになって、次は廃炉しかないという面と、廃炉ということがものすごい攻撃として襲いかかってると思う。起きていることは人類史上、まれに見るような破局。結局、労働者を使い捨てにしないと解決できないよとか、差別をもっと膨らませないとダメだとか、逆に国家主義的に徴兵制を敷くしかないんだとか、ワーッと向こうは攻撃として廃炉だとしてくることに対して、運動の側が何を対置できるのか。
 今までの発想だと、結局、個人主義で、国家主義に対して反発をするんだけど、いざ廃炉作業とか収束作業を本当にみんなの力で貫徹していくという力はまったく運動の中に生まれてこない。生まれてこないどころか、無自覚に原発労働者とつながらないような論理しか対置できないことに対して、労働運動が階級的な団結、別の共同性を対置して、俺たちが廃炉作業もやるから、もう責任取らせろというふうに前に登場できなければ、廃炉という攻撃に対して、僕らの運動の前進に転化されることがない。だから差別にも反対し、非正規労働者への被曝の集中にも反対し、国家主義にも反対するという僕らの労働運動の当然の論理を取り戻さないといけないと思う。
前川原 3・11以降で変わった世界観というのは、あらゆる人が被曝ということを前提にここで生きていく。だけど今、無慈悲に行われているのは、下層労働者に押しつけられているという現状です。原発労働者だけが被曝労働者じゃないんですよね。清掃労働者、鉄道運輸関係の労働者、自衛隊、警察も含めて、被曝労働者はものすごく概念が多様化して広域化して、このJRの管内で言ったら、今は広野までですけど、もしかしたら、低レベルの放射性廃棄物の処理のために使われます。
織田 「被曝労働反対」って動労水戸も掲げてストライキやっていますけど、これはものすごく重要だと思うんです。被曝がしょうがないものと考えるんじゃなくて、やっぱり「被曝労働絶対反対」を掲げて闘っていくことの中に、がれき問題、そこで被曝させられている清掃労働者とか運輸労働者とつながっていくものがあると思うんです。あと、とことん被曝を少なくさせていくことが重要だと思うんです。東電や資本は労働者が被曝したって構わないということでやっているわけで。逆に労働者の立場からは徹底的に「被曝させるな!」ということを対置していく。
小野 被曝しないでやるために、本当に重装備でやるしかない。金をかけて。
辻川 最大の被曝労働をやっている原発労働者と他の労働者との共同性をどうやってつくるのか。僕は去年なんか徹底的に「被曝労働反対」と言ってやったんだけど、それは原発労働者と結びつくためなんですよ。「被曝労働絶対反対」を自分たちがはっきりさせないと、最前線で闘っている、働いている労働者の立場が分からない。労働者として自分が闘わないところで、「あんたたち大変だね」みたいな、これは成り立たないだろうと。最終的には電力総連をぶっ飛ばさなければダメです。そのためにJRの御用組合をぶっ飛ばす。労働者として闘いを組織していかないと、共同性は出てこない。

(写真 被曝労働拒否を掲げた動労水戸のストライキ【2011年10月13日 勝田車両センター)】)

 労働組合のあり方が問題

前川原 今や非正規というか下層労働者のほうが多数ですから、本工主義の労働組合でもし闘っている労働組合があったら、国労も含めて、運動する側が提起していかないと、厳しいなと考えます。
 僕の関わっている労働組合だと、同じ公務労働なのに、生涯賃金が10分の1で年収200万に届かないような労働者層が、だいたい僕が扱っている案件です。うちは生存組合も兼ねているので、生活保護を受給するため奮闘しているんですけど、そういう生活保護者をいじめる自治労組合員であり公務員、僕自身は、もう労働者としてみなしていいのかという議論をしているんですけど、大勢は、もう労働者として認めてはいけないんじゃないか。しかし、資本との関係で躊躇されてきた部分があって、確かに心ある自治労の人もいて、でもそれもガス抜きになっていないかという話もあるし。
辻川 それはガス抜きですよ。自らが闘わないと。そういう良心派が今の現実をつくった。最大の敵は国労の幹部です。
前川原 それは反原発運動の側のすごい良心派として振る舞う人々がたぶん一番やっかいだと思いますし、沖縄の運動と結びつく時に一番大変なのは、日帝本国人の反基地運動をやっている良心派の人々です。
辻川 体制内労働組合幹部は本当に良くない。沖縄だって階級社会です。基地と一緒に本土以上の貧困層があるわけで。それを「沖縄は一つだ、福島は一つだ、日本は一つだ」と。いかがわしいです。
前川原 それを覆い隠すワードは「復興ファシズム」だと思うんですけど、その中でありもしない幻想、日本は一つ、心は一つ、日本民族とかのキーワードを散りばめて、社会的な統治訓練のワードにしている。
織田 政府の側が「絆」とか、「痛みを分かち合おう」とか言いながら、実際は、PAC3を配備するとか排外主義はやるし、沖縄差別もやるし、原発労働者の差別もやる。
前川原 そうなんですよね。
織田 実はその一番原発に責任をとらなければいけないやつが「痛みの分かち合い」と言っている。
前川原 本当の戦犯を引きずり出さなければいけないんだけど。
辻川 だから、労働者を統制して、声を上げさせないシステム、それは原発なんか一番強烈にあると思うし、そこの所でシステムを問題にしないで、個別の人の対応みたいなのを問題にすると、間違っちゃうんじゃないか。震災ではっきりしたのは、特に福島なんかは、農民だとか漁民だとか、そこで丹精込めて畑だとか梨の木だとか、自分の存在そのものですよね。それをなんか、移ればいいんだとか、移らないのはおかしいだとか、そういうふうな決め方をする前に、もっと僕らは深い所で、人間として、人間って何なんだということが突きつけられている。そこのところから、やっぱり問題を立てるということだと思うんです。

 階級的な反原発運動

前川原 反原発運動で原発なくなりました、だけど、原発に集約されるような社会構造が続くんだったら、僕は今の反原発運動に対しては、ものを申していかなくちゃいけないし、今ある社会構造を変革するような社会運動として反原発運動が育っていかなかったら危険だなと考えています。
織田 レーニンを読むと、彼の問題意識は、国家として破産したという時の社会運動の状況、この国を守ろうみたいなものも含めた、混濁した意識で運動が始まるじゃないですか。その時に、戦争もそうですけど、運動の側も一定の国家主義みたいなものを持ちながら進んでいくということを、僕らがある種国家主義だからダメだというふうにはできないし、彼らと一緒に進みながら、だけどその先頭に労働組合が立って、階級的な視点を持てるような運動にできなかったら前に進めないというのを、今回のことでまざまざ見た感じがします。今の反原発運動の現実をのりこえるために、階級的な論理を闘いによって見せる。それを新自由主義という壁を労働運動がのりこえてみせる。しかもそれを非正規と正社員の分断をのりこえていかなければいけない。
前川原 そうですね。階級闘争だと思うんですけど、たぶん階級的な闘争であることを忌避する傾向があるので、そこについて階級的な運動なんだと、反原発というのは本当に階級的な構造を打破するための運動なんだということを、もう行動で示すしかないですね。
織田 僕らは、やっぱりそういう意味で、原発労働者と本当に同じ視点に立つ運動を構築できるかどうかというところに本当に気持ちを強くしていきたいということですね。
辻川 廃炉の前提って、今の社会をぶっ飛ばさなければ。今の社会がそんなのやるわけがないです。
前川原 どういうふうに痛みも含めて共有できるような社会にしていけるのか。がれき問題についても、僕の理想は、受け入れるということが理想かなとも思うし、でも放射線防護学の基本から言ったら、放射能は拡散させないのが原則なんで。自分自身が考え込んでしまうのは、原発労働者は増やさなくてはいけないけど、今のままなら無駄に被曝してしまう人が増えてしまうし、これについては僕は答を出さないようにしようかと。
織田 がれき問題にしても、福島とつながるためのがれき運動にしていきたい。例えば、宮城の労働組合に入った労働者なんかは、がれきを運んだり処理するのも、結局、非正規労働者なんだと。がれきを拡散するということは、差別労働を拡散しているんだという、その労働者の立場に立って、がれき問題も考えて、どう人間的に、団結を取り戻すために闘うかというのがないダメだなと。
(写真 構内運転一部外注化に抗議しストに決起した動労千葉。全面外注化阻止の決戦に突入【1月27日 京葉車両センター)】)

 「ストをやろうか」と話が

前川原 仲間内で話しているんですけど、「ストをやろうか」という話をしているんです。
織田 やったほうがいいですよ。
前川原 たぶん、ストをやったら原発は爆発するんですよ。ブラックジョークとして、「うちらがゼネストをやって、もう爆発させちゃおうか」って。
織田 ブラックジョークということじゃなくて、簡単じゃないわけですけど本質的にストを対置するということが大切だと思うんです。そのことによって原発労働者の人たちの自己解放的な闘いも始まっていくということで。ブラックジョークという表現をとってますけど、労働者の意識の深い根っこのところで闘いの芽があるのを感じます。
前川原 そうですよね。
織田 結局、政府が主導権をとっている限りは、この廃炉作業と言ったって本質的に進まないし、ある種ストをやるぞぐらいの構えを持たないと。
前川原 下層労働の特徴なんですけど、収束作業に従事する労働者のサイクルが短いのがあって、その怒りをためていよいよ爆発という時に、その怒りの爆発の方法がもう辞めるという、こんなひどい飯場だったら辞める、こんなひどい現場だったら辞めるみたいな感じで、それしかなくて、苦慮しているんですね。この怒りをみんなで共有して、入って2週間しか経っていない労働者でも怒りを感じてもらって、運動を進めることができるのか。
辻川 反対運動の側も、原発で働いている労働者が共に立ち上がることが決定的なんだという気持ちで展開していくのと、あんたたちもっとがんばんなさいということで展開するのとは全然違う。
前川原 違いますね。孤立化している原発労働者、原発じゃない、「収束労働者」ですね。収束作業の労働者をどういうふうに孤立化させないのか。
辻川 それをこちら側のテーマにするってことだと思うんです。他方で、求めていると思うんだよな。命がけでやっているのに、自分たちのやっていることが理解されないというすごい孤独だと思う。逆にそれはこちらの側が本当に団結していくという立場でやる。
前川原 誰が収束させるのよっていう話です。本当にそうなんですよね。辞めたほうがいいよって助言する人もいるけど、ここで働かなかったら食えないという問題もある。
西納 いかに彼らを孤立化させないかだし、彼らの信頼ということを僕らがかちとるかということなんですよ。一番怖いのは、放射線による健康被害じゃなくて、そうなった時に誰にも頼れない。もう一回、また福島第一原発に身分を隠して行くことを強制される、そういう人たちが再生産されるということじゃないですか。

 新しい社会をめざす

織田 最後に、やっぱり原発労働者と一緒に歩むための反原発運動を目指すために訴えたいことがあれば。
前川原 そうですね。いわゆる植民地と帝国主義、言い方がありきたりですけど、反原発運動の側が体制を補完しながら、そして今もやっている運動自体が、体制と一緒になりながら、植民地の収奪の側にいるんだということをきっちりとまず理解をすること、これは沖縄が置かれている現状と福島はまったく同じなんだということを踏まえた上で、運動をする側にもそれはきっちりと問うていかなくちゃいけないということ。
 これは本質的には階級的な運動でしかないことを打ち出していくことだと思うんですよね。で、階級闘争の実態を、もうこれは見せるしかない。そういう中で反原発運動そのものが、そういう新しい社会を目指す運動としてきっちりと質的な転換をしていくこと、きっちりと行動で示すしかないと思うのです。

 診療所、絶対やるべきです

織田 診療所運動を今やっています。
前川原 これは必要だと思うんです。僕なんか今、被曝労働問題プロジェクトで、診療所みたいなものをつくりたいと言っているんですけどね。
織田 まずはみんなが集まれる場所、医者も含めてみんなで相談して話し合える場所をつくって始めちゃおうというので、できるだけ原発労働者も集えるようなものにしていきたいなと。
前川原 いいですね。たくさん回路があったほうがいい。特に福島、中通りは空間線量もものすごい高い地域なので、市民の人々とのつながりができてくると思うので、絶対にやるべきだと考えています。低料金で、ベクレルを測れるようにするとか、新たなワーカーズコレクティブみたいなことでやっていくことができるかもしれないですし。人間性を求める。今、僕たちは奴隷状態なんで、なんとか僕たちは人間なんですということを、こんな非人間的なことがあっていいんですかときっちりと言いたい。
 それは原発労働者だけではなくて、被曝労働者というのはすごく概念が拡大しているので、いろんな業種が今、被曝労働問題と向き合い、こんな非人間的なことがあっていいのか、その中で、自分たちの意識が階級闘争こそが本当に必要なんだということを認識できるようにしていけたらと思います。この診療所もそうなるかもしれない。福島市民が、うちらなんでこんなひどい状況で住まなければいけないの、逃げることもできないの、というような、そこでものすごく反政府運動的にコミュニティができる可能性もあります。
織田 僕は最近思うのは、福島の農民の人がストレートに言えばマルクス主義をしゃべるというか、都市と農村が対立させられているとか、人間は自然と一緒に生きなければいけないとか、農民の人が一生懸命言っていることを見た時に、結局、最後は労働という問題に行き着くと感じてるんですよ。
前川原 そうですね。否応なしに被曝をしなければいけない社会で生きているわけですから、じゃあその被曝という共通項をもとに自分たちが新しいコミュニティをつくっていけるのかということを目指していければいいのかな。すごくいいと思う。本当に同意というか、積極的につくっていくことに僕は賛成しますね。絶対やるべきだと思います。
織田 新自由主義をのりこえて、反原発運動を引っ張っていく労働運動をつくっていくことに向かって、一緒にこれからもやっていければと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
前川原 お疲れさまです。今後ともよろしくお願いします。
(写真 福島診療所建設委員会のリーフレット】)

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月刊『国際労働運動』(432号2-2)(2012/08/01)

《反原発総特集》 労働組合よみがえらせ 全原発の廃炉へ

 U 再稼働許さず政府・東電の事故責任を追及し続けよう

 1 地震による配管破損の真相を今も隠す

 放射能放出の主原因は津波でなく地震

 東電・政府は、福島第一原発事故の最大原因が大地震による配管の破損である事実を一貫して隠し続けている。
 「原発は多重防護しているから事故は絶対に起こらない」と何十年にもわたって大うそをついてきたあげく、3・11にレベル7という巨大事故を引き起こした。そして、それを居直ってさらに大きなうそをつき続けている。この一点で、昨年末の「収束宣言」など論外であり、ましてや停止原発の再稼働は絶対に許されない。
 地震主因説は、国会の事故調査委員会にも参加している専門家など、多くの人が指摘している。元原発労働者の斉藤征二さんは、福島第一原発の事故について「あれは津波じゃなく、もう間違いなく地震によるものです。電源喪失と同時に、中の、30年以上も経ってる配管のどこかに亀裂が入り、破損して、蒸気や水漏れを起こし、原子炉の中に水が行かなくなった、それが事故原因の第1だと思います」「建屋の中は配管だらけだから、その配管がどうなってるのか、その映像を見れば地震か津波かすぐ分かります」と地震原因説について断定している(『序局』第2号)。
 地震が建屋を直撃した時、現場では労働者が、配管同士のぶつかり合う金属音とともに破裂音を耳にしている。内部に張り巡らされた大小さまざまな無数の配管の多くが、即時に損傷破断したり落下したことが目撃されている。
 地震による配管損傷のため、何次にもわたってつくられていた緊急冷却システムが作動しなかった。このため炉心が干上がり、1〜3号機のすべてで核燃料が溶融(メルトダウン)し、原子炉圧力容器の底をも突き抜けて格納容器の底に落下した(メルトスルー)。さらに建屋外の土中に抜け落ちた可能性も指摘されている。
 電力資本と日帝国家は、配管破断の事実をひた隠して、「想定外の大津波」が原因と偽り続けているのだ。
 今なお、溶融した核燃料がどこに、どうあるのか分からない状況である。しかも、圧力容器と格納容器も含め、地震と水素爆発でいたるところが損壊したままだ。このため、各建屋は高濃度の放射性物質であふれ、建屋外部にも流出しつづけている。
 3月には、2号機の格納容器内が7万_シーベルト以上であることが分かった。6分間いると人間が100%死亡する値だ。停止原子炉の格納容器内の通常線量は0・1_シーベルト程度とされる。
(写真 配管だらけの原発内部【東京電力福島第一原発1号機原子炉建屋)】)

 制御不能が実証されたうそを重ねるのをやめよ

 そもそも、原発は1基だけで配管の長さが170`メートルにも及ぶ。これは新幹線で東京〜静岡間に相当する。また、1基の電気ケーブルは2000`メートルで、福島第一原発〜沖縄間の直線距離1700`メートルより長い。「絶縁体がもろくなって断線すれば、原発を制御できなくなる。全ケーブルの確認は不可能で、細かいケーブルは現場で調べる方法すら確立していない」(2011年11月1日付毎日新聞)という。
 なぜ、これほど配管と電気ケーブルが長くなっているのか? 何重もの非常時の冷却装置が備えられているからだ。電力資本と政府はこれを指して「だから安全」と言いなしてきた。しかし、福島原発事故は、そこにこそ一番の危険性と脆弱性があることを満天下に暴き出した。
 日本の原発50基のほぼすべてが活断層の上にある。地震主因説となれば再稼働などもってのほか、全部廃炉にするしかない。だから野田政権は、真相を隠しつづけているのだ。これは福島原発事故を起こした以上の歴史的大罪である。
 東電は「収束」宣言を受けて3月には、原発労働者のマスクに取り付けるフィルターを、放射性ヨウ素も除去できるものから、安価で薄い防じんフィルターに変えた。
 さらには福島第一原発自体の危機的状況が続いているのに、避難区域再編までやって住民に帰還を強制している。何よりも大飯原発や伊方原発などの再稼働を狙い、またもうそにうそを重ねている。また、青森県六ヶ所村の再処理工場の試験再開、建設中の大間原発の工事再開を狙っている。原発輸出についてもどんどん交渉を進めている。
 これらすべて、絶対に許してはならない。

 2 大量の放射性物質が流出し続けている

 チェルノブイリを超すキセノン133が放出

 東電は5月24日、福島第一原発事故で大気へ放出された放射性物質(「死の灰」)の総量が90京ベクレル(90×1016Bq)との推定値を発表した。しかし、この総量はヨウ素(I)131とセシウム(Cs)137だけをヨウ素換算した総計で、キセノン(Xe)133など希ガスは除外され、本来の総量ではない。
 今回放出された膨大な希ガスは、キセノン133がほとんどである。11年6月の原子力安全・保安院発表によれば、キセノン133が1100京ベクレルとなっている。これは東電も準拠しているIAEA試算の1・7倍である。そしてノルウェー大気研究所の科学者たちは、それよりも多い2・6倍の1700京ベクレルと推定した。包括的核実験禁止条約(CTBT)機構によって核実験監視用に世界規模で設置された観測ネットワークなどで得られたデータをもとにしたものだ。
 キセノン133は、半減期が5日と短いが、崩壊してβ線とγ線を出す希ガスの放射能である。これが近くの空間にある時、体の外から被曝し、同時に肺への吸入によって体の内からも被曝する。キセノン133が、初期段階で大量の放射線を浴びせかけたことを無視していいわけがない。
 3・11地震の直後、津波が来る前に、キセノン133が漏れ始めていた。地震によって直接、配管が損壊したことを意味する。これを認めることは、耐震設計の根本的見直しが不可避となり、日帝政府・電力資本の原発政策の全面崩壊へ直結する。
 4号機の使用済み核燃料プールに貯蔵されていた核燃料について、東電は放射能の放出はないとしている。しかし、同プールへの放水を契機にセシウム137の放出が激減したと、ノルウェー研究チ
ームは指摘している。同チームは、3・6京ベクレル(チェルノブイリの約42%)のセシウム137が放出されたと推定した。東電の3・6倍だ。
 米原子力技術者のガンダーセンは、「漏洩した放射性物質はチェルノブイリの5〜10倍だったとしてもおかしくない」「東電の数字はあまりにもごまかされている」と批判している。姑息な情報操作犯罪を重ねる東電を許すな。
(図 福島原発事故での大気への放出量推定比較 【写真 注】)京【ケイ)は兆の1万倍。テラは兆と同じ】)

 全世界へばらまかれた福島原発の「死の灰」

(図 CTBT機関による「福島原発事故から放出された放射性核種の伝播」【11年3月24日】世界60カ所のCTBT観測所からのデータによって作成】)

 核実験監視のCTBT機関は、福島原発事故で大気に放出された放射能の伝播シミュレーションを行っている。上図のように、日本だけでなく全世界に3・11の「死の灰」が降り注いだのだ。それは偏西風に乗って、16日に北米西岸に、23日にアイスランド、事故後15日目には北半球中で観測された。そして4月13日までにはオーストラリアなどの南半球でも検知されるようになった。
 気象条件をもとにしたノルウェー研究チームの計算は、セシウム放出量の19%が日本に、79%が太平洋に、2%がその他の領域に落下したというものである。セシウムの半減期は30年である。
 さらに、福島第一原発から直接海へ高濃度汚染水が大量に流れ出ていることは、とてつもない重大事だ。格納容器は破損している。しかし、放射線量が高すぎるので、近づいて調査し、修理することもできない。溶融した核燃料は、むき出しの「死の灰」の塊だ。ただ格納容器の下に向けて水を流し続ける以外にない状態にある。高濃度汚染水が絶え間なく大量生産され、建物の割れ目から土中へ地下水へ、そして海へ流れ込む。1、2、3号機全部が該当する。それがいつ終わるかもわからない。
 今回の東電の発表では、大気から海へ落下した放射能は計算に入れていない。直接的な海への流出については、昨年の4月1日以降と決めつけ、3・11直後からの分は切り捨てた。そのうえで7100テラ・ベクレルのセシウムが海へ漏れ出たと説明した。だが、これでさえ周辺海洋を大規模に放射能汚染した英国セラフィールド再処理工場が1975年1年間に放出したセシウム5200テラ・ベクレルを上回っている。
 空から海へ落ち、陸から海へ流れ込んだ放射能は、海流によって、海のホットスポットをつくっていく。太平洋に生息する魚介類が生体濃縮・食物連鎖をとおして放射能を体内に蓄積していく。これは陸でも同様である。「死の灰」が食卓にまで上がり込む。日本そして世界の労働者人民の食生活をとおした被曝問題がますます切実なものになることは避けられない。
 大地だけでなく大洋まで汚染し、日本だけでなく世界中を汚染し、無数の被曝者をつくり出しつつある3・11福島原発事故。「死の灰」という天文学的な量の毒物を地球上にばらまいた罪は、未来永劫まで消し去ることのできない歴史的大罪だ。

 3 冷却水の途絶と4号機使用済み燃料崩壊の危機

 急造の冷却システムが途絶すれば再爆発する

 福島第一原発事故は収束どころか、再爆発の危険が続いている。何よりも、建屋などにたまった汚染水を浄化して冷却に再利用する「循環注水冷却システム」が危ない。これは昨夏に3カ月で急ごしらえされたが、冷却水が途絶すれば即、再臨界や再爆発にまで進みかねない。
 この冷却システムは、当の福島第一原発労働者が言うように「ポンコツ」でしかない。1号機から4号機をすべてつないだ「冷却システム」だが、なんと塩化ビニール製の冷却ホースで、ほとんどが屋外の地べたにむき出しになって置かれている。それが全周4`メートル、総延長10`超もの長さに及ぶ。だから、雑草が刺さったり、冬場には凍結したりして破損を繰り返している。
 しかも、この「冷却システム」の動力は、高台に置かれたトラックの荷台に積まれた常用と非常用それぞれ3台のポンプであることが2月になって初めて公開された。このトラック自体も地震対策を施されておらず、強い地震が来れば、冷却装置全体の動力が失われてしまう。これのどこが「収束」なのか!
 5月に東電の「設備改善計画」が出されたが、このホースを「16年度をめどに建屋に収める大きさに改良する」と言う。ホースが凍結する冬場をあと5回も持ちこたえることなど、絶対に無理だ。しかも「建屋内は放射線量が高く、設置作業が難航する可能性もある」と、それすら困難と自認している。
 5月末には、1号機の格納容器内の水位がわずか40aしかないことが明らかになった。毎時4dもの冷却水を注入しているにもかかわらず、損壊した場所から漏れているためだ。同じく2号機の水位も約60aしかない。水が干上がれば即、温度が上がって再臨界の危機を引き起こしてしまう可能性もあるのだ。
(写真 屋外にむき出しに置かれている冷却ホース)

 4号機燃料貯蔵プールの落下が最悪シナリオ

(写真 爆発でめちゃめちゃに壊れた4号機の原子炉建屋】)

(写真 3号機の燃料プールにカメラを入れ、水深7bでクレーンの一部を撮影】)

 そして4号機原子炉建屋の上階にある使用済み核燃料貯蔵プールの危機が重大問題となっている。建物自体が東日本大震災で大きく傾いている。構造物の補強が行われているが、強い地震が襲ってきた場合、耐えられるかどうか疑問視されているのだ。1535体の燃料集合体が貯蔵されているこのプールが落下したり、底が抜けたりした場合、冷却水がなくなった大量の燃料棒は、崩壊熱で温度が上昇し、700℃以上で被覆管が溶けて「死の灰」がむき出しになる。とてつもない高線量の放射能が放出され、現場そして周辺を汚染し続けていく。それは、他の号機で続行中の事故処理作業を断ち切り、文字通りなす術もない状況にたたき込んでいく。
 4号機だけでなく、1号機から3号機までのプールにも使用済み核燃料が大量に貯蔵されていた。とくにプルサーマル計画を実施していた3号機では、プルトニウムとウランの混合燃料(MOX燃料)もプールに貯蔵していたと言われている。
 4月13日、東電は、このプール内の核燃料の上に35d(!)もの重さの鋼鉄製燃料交換機が落下し乗っかっている重大写真(上図)を公開した。燃料棒破損は見られなかったというが、誰が信用するだろうか。
 爆発で原子炉建屋がめちゃめちゃに壊れ、核燃料貯蔵プールは外部とさえぎるものがなくなっている状態が続いている。余震は今も頻繁に発生し、終わる気配すら見えない。
 前首相・菅が昨年3・11直後の22日に原子力委員長・近藤俊介に命じて作成させた事故連鎖想定の「最悪のシナリオ」(3000万人の首都圏の住民避難)は、けっして過去のものではないのだ。
 このような現実に加え、拡大・深刻化する放射能汚染を見据えれば、再稼働・原発輸出など断じてあり得ないはずである。
 政府・東電の事故責任を徹底追及し、第2の3・11への道=原発再稼働を絶対阻止しよう。「99%」の労働者階級人民は、階級的団結の力で、「1%」の資本家階級を一掃する歴史的任務を今こそ全面的に実現する時だ。

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月刊『国際労働運動』(432号2-3)(2012/08/01)

《反原発総特集》 労働組合よみがえらせ 全原発の廃炉へ

 V 放射線被曝を強制する重罪人・山下許すな

 1 情報独占・箝口令(かんこうれい)下で被曝・棄民の犯行

 放射能放出必至の中で避難指示を出し渋る 

 

3・11の地震で東京電力福島第一原発が爆発し、ヒロシマ型原爆の百数十倍もの「死の灰」(放射能)が放出された。原発周辺住民をはじめ、20
0万福島県民さらに数千万の東日本住民は、未曽有の被曝の危機にたたき込まれてしまった。
 その時、その直後、日帝政府・東電は何をしたか?
 その経緯を次に示す。
▼3月11日
 東日本大震災が発生
 政府が緊急対策本部設置
 東京電力福島第一原発で全交流電源喪失
 原子力緊急事態宣言
 半径3q圏内の住民に避難指示
▼3月12日
 避難指示を10q圏に拡大
 1号機が水素爆発
 第二原発から半径10q圏内の住民に避難指示
 第一原発から半径20q圏内の住民に避難指示
▼3月14日
 3号機が爆発
▼3月15日
 2号機で大きな衝撃音
 4号機建屋の損壊
 第一原発の半径20〜30q圏内の屋内退避指示
▼3月16日
 燃料プールへの放水開始
▼3月22日
 菅首相が近藤駿介原子力委員長に対して事故連鎖想定の「最悪のシナリオ」(3000万人の首都圏の住民避難)作成を命令
▼4月22日
 「計画的避難区域」として福島県の葛尾村、浪江町、飯舘村の全域と、川俣町、南相馬市の一部を指定。「緊急時避難準備区域」として同県の広野町、楢葉町、川内村の全域と、田村市と南相馬市の一部を指定
 一目で分かることは、地震発生から事態が日一日と悪化し、住民避難が後手後手になっていることだ。その結果、多数の住民をむざむざ被曝させている。
 12日から15日にかけて、1号機・3号機・2号機・4号機が連続的に爆発・破壊という事態が発生。そのなかでの3q→10q→20qの避難指示の小刻みな変更は、本気で住民の命を守る対策とはほど遠いものである。
 チェルノブイリやスリーマイル島の原発事故では1基だったが、福島原発事故は4基の原発が同時にコントロール不能に陥ったのだ。
 15日に半径20〜30q圏内の屋内退避が指示された。このときヨウ素をはじめとてつもなく多量の放射能が風に乗って運ばれ降り注いでいた。
 放射能の影響を最も受けやすい子ども・妊産婦を一刻も早くできるだけ安全な地域に移動させ被曝を避けることは最優先のはずだった。
 だが「原子力村」の連中は放射能汚染地帯に閉じこめたのである。

外部被曝の積算線量

(2011年3月12日6:00から4月24日0:00まで のSPEEDIによる試算値)【凡例】実効線量等値線【mSv)@=100 A=50 B=10 C=5 D=1【写真 文部科学省ホ ームページ 「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム【SPEEDI)を活用した資産結果」をもとに作成】)】)

 SPEEDI情報を隠し大量被曝させる

 そもそも文部科学省や原子力安全・保安院は、事故直後から「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」(SPEEDI=スピーディ)を使って、放出された放射性物質の飛ぶ方向と範囲を予測していた。
 放射能汚染エリアは風の流れに規定され、上図のような変則の形状となる。
 SPEEDIは肝心要の初期に避難対策として活用されなかった。「国民がパニックになることを懸念した」と首相補佐官・細野はほざくが、パニックになっていたのは政府だった。
 SPEEDIや実地調査で原発から30q以上の浪江町西北部や飯舘村などが高線量の放射能にさらされていることを知りながら、そこの住民に対し計画的避難区域(区域の指定から約1カ月の間に立ち退くことを求めた区域)が設定される4月22日まで、1カ月間以上も放置した。
 放射線防護の服を着て立ち回る文科省の調査員や警察官や自衛隊員などに箝口令を敷き、無防備の住民に放射能汚染情報を一切与えず、むざむざ被曝を強いた日帝政府、文科省、原子力安全・保安院、福島県の所業は殺人行為・棄民政策そのものだ。

 2 「放射線安全」デマをまき散らす山下俊一

 「フクシマの怒り」圧殺のため長崎から派遣される

 「原発=安全」の大ウソが3・11ですっ飛ぶなかで、放出された大量の放射能に対し、日帝政府は「ただちに健康に影響はない」と狡猾きわまるペテン的言辞を繰り返すとともに、御用学者を動員して福島県内を中心に「放射能=安全」の大デマ宣伝運動を繰り広げた。
 その最先兵として起用されたのが長崎大学被ばく医療学教授の山下俊一である。内部被曝・低線量被曝を徹底的に無視・過小評価したでたらめな「100_シーベルト以下は大丈夫」論を福島県内のいたる所で吹聴したのだ。
 福島県の住民は、政府・東電と一体で「安全」を乱発し放射能汚染実態を押し隠して避難を妨害し、フクシマの怒りを押さえ込もうとするペテン師・山下に対し、巡回講演の度に不信感と怒りを強めていった。山下の動向を概観すれば、次のようになる。
(写真 フクシマの怒りの的・山下俊一)

●3月19日 福島県放射線健康リスク管理アドバイザーに就任
●3月20日 いわき市で講演
●3月21日 福島市で講演
●3月22日 川俣町で講演
●3月23日 会津若松市で講演
●3月24日 大玉村で講演
●3月26日 郡山市で講演
●3月30日 白河市で講演
●3月31日 田村市で講演
●4月1日 飯館村で講演
●4月6日 官邸に助言を行う原子力災害専門家グループに招聘される
●5月3日 二本松市で講演
●5月5日 喜多方市で講演

 これらの場所はほとんどが、3月15日までの爆発で放出された「死の灰」が大量に降り注いだ放射能汚染地域である(いわき市や福島市、郡山市なども放射能雲の通り道となった)。また、これらの時期は4号機プールの燃料崩壊による相互連鎖事故→「3000万人首都圏住民避難」という「最悪のシナリオ」を検討せざるをえない危機の真っただ中だった。
 こうした現実のなかで、山下は「安心して、安全だと思って活動しなさい」「子どもは外で遊んでも大丈夫、布団を干しても大丈夫」「年間100_シーベルト未満ならがんのリスクはゼロ」「危険じゃないから20〜30`の人は避難する必要がない」「放射能の影響は、実はニコニコ笑っている人には来ません」などとうそをつき続けた。
 4月1日の飯舘村の講演では、チェルノブイリ原発事故の強制移住区域と同じレベルのセシウムが土壌から検出されているにもかかわらず、「今の放射線量では外部被曝はまったくない」とほざいた。
 ところが前述したように4月22日、この飯舘村をはじめとして葛尾村・浪江町・川俣町などが計画的避難区域に指定された。「外部被曝はまったくないから避難する必要がない」という山下と、1カ月以上も避難指示を出さなかった政府によって、どれだけ多くの住民が被曝を強いられたことか。
 飯舘村民は、「国は『安全だ、安全だ』と言って放置し、一転して避難を強制してきた。その間われわれとわれわれの子どもたちは高濃度放射能を吸わされてきた。政府は東電を守るために、われわれを見放したのだ。一切の責任は東電と政府にある。この憤りと怒りを政府にぶっつけよう」と4月の決起集会で宣言した。この怒りは、福島第一原発大事故でばらまかれた「死の灰」の脅威にさらされる200万福島県民全体の思いだ。山下と政府に対する、飯舘村をはじめとした住民の怒りは一挙に高まっていった。

●ヨウ素剤配布・服用の指示はまったくなし
 3・11当日、原子力緊急事態宣言が発令され、冷却水喪失・メルトダウン・原子炉圧力容器損壊→大量の放射能放出が予測されていた。したがって、スリーマイル島原発事故やチェルノブイリ原発事故の教訓から確認されていたように、放射能内部被曝の防護対策として子ども・妊産婦への即時のヨウ素剤配布・遠距離避難は最優先されなければならなかった。
 だが、すでに述べたように、放射能雲(放射性ブルーム)の行方を推定するうえで決定的なSPEEDIが、まったく活用されなかった。
 それに加え政府は、子どもたちの甲状腺被曝対策として、なにをさておいても行わなければならなかったヨウ素剤配布・服用を指示しなかった(一部の自治体は、住民の強い要望で自主的に配布した)。
 3月12日以降、原発が連続的に爆発し、大量のヨウ素が大気中に放出されたが、政府がヨウ素剤服用指示を出したとされるのが16日。だが市町村にはこの指示が伝わっていなかった。
 ヨウ素剤は放射性ヨウ素が体内に取り込まれる前に飲まなければ効果が大幅に薄れる。だから、政府の16日指示は完全に時機を逸しており、致命的な行為なのだ。しかも市町村に伝達されていなかったとはどういうことか。
 山下は19日、福島県災害対策本部で報道陣に「今のレベルならば、ヨウ素剤の投与は不要だ」と述べた。同時期、山下は日本甲状腺学会長の名で日本核医学会の通達を引用して学会員に対し「小児甲状腺ブロックは不要」、つまりヨウ素剤の服用は必要ないという旨の通知を出している。
 ヨウ素131は半減期が8日と短い。なぜ、放射能量が急速に減少する頃合いを見計らって、「ヨウ素剤不要」をわざわざ強調するのか。
 日本甲状腺学会長であり、原発事故時の甲状腺疾患予防におけるヨウ素剤事前服用の決定的重要性を熟知しているはずの山下が、政府の取り返しのつかない手遅れをなんら批判せず、なにごとでもないかのように言いふらすことは、絶対に許されない。
 山下のこうした動向は、福島県民とくに子どもたちを被曝から守るという被曝医療の片鱗さえうかがえない。意図的に避難を妨害し被曝させているのではないかという疑いがますます強まっていく。

 3 被曝を食い物にする新自由主義医学の権化

 健康検査という名のもと全県民のモルモット化

 山下の一連の「放射能=安全」のデマキャンペーン巡回講演は、フクシマの怒りの圧殺を狙っていたが、逆にその怒りを激しく燃え上がらせるだけだった。子どもたちを放射能から守る福島の母親たちの対文科省抗議行動を突破口に、6・19福島市現地で反原発の歴史的大集会・デモがかちとられ、フクシマの怒りが本格的な爆発を開始した。福島を軸に全国で反原発の闘いが燎原の火のように広がっていった。日帝は追いつめられながらも、原発推進路線にしがみついた。
 5月27日、日帝支配階級は福島県「県民健康管理調査」検討委員会の座長に山下を選んだ。7月15日には山下は福島県立医科大学・副学長に就任し、同時に放射線医学県民健康管理センター長となった。8月12日、福島県立医科大学に、福島県民200万人を対象にした30年以上に及ぶ被曝データ集積の中心施設として放射線医学県民健康管理センターの設置が公式に発表された。これに参加する関連組織は、放射線影響研究所(放影研)と放射線医学総合研究所(放医研)、そして長崎大学、広島大学である。とくに放影研がかんでいることは見逃すことができない。
 こうしたなかで、高放射線量の浪江町・飯舘村・川俣町に住んでいた住民に対する先行調査が6月末に始まり、8月からは全福島県民200万人を対象とした基本調査問診票が発送された。基本調査は、外部被曝線量推計のために3月12日からの4カ月間の全行動を記入せよというもの。詳細調査は、避難地域の20万人を対象に長期的な健康検査を行い、主として18歳以下の子どもたちの甲状腺検査、母子健康手帳を持つ妊産婦の検査を実施するというものだ。
 この「健康調査」とは、200万福島県民から長期にわたって膨大な被曝・疫学データを入手・独占し、フクシマの怒りを抑え、核政策に都合のいいように使っていくことを狙った国家ぐるみの大がかりな計画にほかならない。
 調査検討委員会の委員を見ると、山下をはじめ、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの典型的御用学者の神谷研二、放射線医学総合研究所所長の明石真言、放射線影響研究所主席研究員の児玉和紀たち、そしてオブザーバーとして経済産業省や文部科学省、厚生労働省のメンバーが名を連ねている。これらは「原子力村」の中枢メンバーばかりだ。この組織犯罪集団は、ヒロシマ・ナガサキ、ビキニの被爆者を米帝と結託してモルモット扱いにし、治療は一切せずに被爆データのみを収集してきた。
 「原発=安全」の大うそをたれ流して3・11の原発大惨事を発生させ、「死の灰」を大量にばらまき、福島県民の生命・生活を破壊し、あろうことか被曝をも食い物にしようとしている。それが「原子力村」の正体である。
 こういう者たちが取り組むうさんくさい「健康管理調査」に対し、福島県民は「ノー」をたたきつけた。問診票の回答率は21%(12年3月段階)である。

 子どもたちの甲状腺に異変が起き始めている

 今、福島の子どもたちの甲状腺に何が起きているのか。第6回調査検討委員会報告書によれば、昨年12月末までに甲状腺検査を受けた0歳〜18歳の子どもたち3万8114人のうち、1万3460人(35・3%)に5・0o以下の結節や20・0o以下の嚢胞が認められ、186人に5・1o以上の結節や20・1o以上の嚢胞が認められたと記載されている。「おおむね良性」との福島県立医大の評価だが、本当にそうか。
 一般的には子どもに甲状腺の結節や嚢胞ができることはきわめてまれであり、子どもに結節が見つかった場合、悪性のリスクが大きくなるという。オーストラリアの小児科医・医学博士ヘレン・カルディコット氏は、「1年も経たないうちに子どもたちに甲状腺結節や嚢胞があるのはきわめて異常で、そのすべてについて即時に生体組織検査を行い、悪性かどうか調べるべきだ。追跡調査をしている場合ではない」と強い危機感をもって訴えている。
 ところが山下は、「一次の超音波検査(エコー検査)で、5o以下の結節や20o以下の嚢胞を有する所見者は、細胞診などの精査や治療の対象にはならない。次回の検査を受けるまでの間(2年間)に、自覚症状等が出現しない限り、追加検査が必要ない」というメールを全国の日本甲状腺学会員あてに送っている(12年1月16日)。
 甲状腺のがんはほとんど自覚症状がなく、急速に進行する場合もある。早期発見・早期治療、そのための診察・検査が鉄則ではないのか。被曝させておきながら県民の自発的検査要求を拒否することを医者たちに命令するなど犯罪そのものだ。山下は甲状腺疾患が悪化するのを待ち、わざと放置する(遅らせば遅らすほどがん患者は増える)――まるで人体実験そのものだ。
 山下は福島県民健康管理調査をとおして、200万県民を被験者として「科学界に記録を打ち立てる大規模な研究」を行うと言っている(11年8月、ドイツのシュピーゲル誌のインタビュー)。
 健康管理・病気予防・治療には見向きもせず甲状腺がんの研究で金と功名を手に入れようという魂胆なのである。
 11年3月21日の福島市の講演で山下は次のように発言した。
 「もう、広島・長崎は負けた。何もしないのに福島、有名になっちゃったぞ。これを使わん手はない。何に使う。復興です」
 これは、3・11原発大事故という未曽有の国家犯罪を引き起こし、戦後最大の労働者人民支配の危機にたたき込まれた日帝支配階級が、原発事故・放射能汚染・被曝という大惨事をも、「復興」という名のもとで、破産した新自由主義の延命の新たなターゲットにするということだ。まさに大災害をも逆手にとって資本の餌食にして肥え太ろうとする「ショック・ドクトリン」の論理そのものである。
 労働者民衆の健康を原発推進・核武装化推進に従属させ、治療・予防と一体のはずの被曝を金儲けの対象に転倒して極限化していく。こうした帝国主義医学の最末期としての、医学における新自由主義の権化が山下なのだ

 4 山下のエセ医学の起源は731部隊

 ついにABCC後継組織=放影研の諮問委員に

 山下は今年の3月、放射線影響研究所の科学諮問委員会の委員に就任している。同委員会は米日の放射線研究・疫学の専門家が各5人ずつ10人で構成されている。これに新委員として山下が入った。
 オブザーバーとして米側はエネルギー省(DOE)保健安全保障局、日側は厚生労働省健康局総務課原子爆弾被爆者援護対策室が参加している。
 前者は、マンハッタン計画を源流とし、核兵器開発・管理および原発・核燃サイクルの研究・開発などを行っているれっきとした核軍事組織の付属部局である。後者は、広島・長崎の被爆者の原爆症認定裁判で、誘導放射線や放射性降下物・残留放射線による被曝(内部被曝)を徹底して無視・軽視し、原爆症認定を拒否してきた日帝国家の出先機関である。
 広島・長崎の被爆者にとって、両者とも絶対に許すことのできない存在である。
 こうした組織の合同委員会に、健康管理センターが収集した福島県民とくに子ども・妊産婦の被曝データを山下が提出し、福島の被曝状況を逐一報告していくというのである。ここに山下の正体が隠しようもなく鮮明になった。 
 第2次世界大戦時、大量虐殺兵器の開発が日米帝の間で競われた。米帝は原爆を、日帝は細菌兵器を開発し実戦で使用した。日帝の細菌兵器は、主に中国人民の民族解放闘争圧殺に向けられた。この兵器は、陸軍731部隊を主力として中国人民などを実験材料に生体実験が繰り返されて開発され、中国の大地にペスト菌などがばらまかれ、無数の中国人民が感染させられ殺された。しかし中国人民の民族解放闘争は不屈に闘われ、日帝軍隊をたたき出したのである。
 敗戦後、米日帝の間で政治的取引が極秘になされた。帝国主義の存続をかけ戦犯天皇の戦争責任免罪・天皇制維持の確定を意図する日帝。戦後アジア・世界支配における対ソ戦略を最重視し、日本を予防反革命の砦として構築することを狙う米帝。
 核兵器を手中に収めた米帝は、日帝が先行的に開発した細菌兵器の技術を獲得することによって戦後世界支配の軍事力の一層の強化を図ったのである。
 日帝が開発した細菌兵器のデータは、米日帝国主義同士の思惑が合致し、そっくり米帝に渡された。これをも契機として最高戦犯天皇ヒロヒト及びそれと直結した731部隊関連中枢の戦犯どもは、米帝によって訴追免責となった。
 米軍の本土占領直後、米帝は原爆の軍事的効果の調査のなかで、日本の科学者・医者たちをも動員して放射線が人体に与える影響を調査した。米日の帝国主義強盗どもが、今度は一転してぐるになって、原爆で被爆した日本の労働者人民を放射線被爆の人体実験のモルモットとして扱っていったのである。

 「検査するだけで治療は一切なし」のABCC

 マンハッタン計画による原爆開発と広島・長崎への原爆投下、そして被爆調査。この一連の核軍事政策を引き継ぐものとして、DOEの前身=米原子力委員会(AEC)の資金提供をもとに1947年、原爆傷害調査委員会(ABCC)が広島と長崎に設立された。
 そこに日本の厚生省国立予防衛生研究所(予研)〔現国立感染症研究所〕も加わった。この予研は、米帝によって戦犯訴追を免れた多数の731部隊関係者が所長などの要職を占めていく。
 ABCCは、ヒロシマ・ナガサキの被爆者に対し「検査するだけで治療は一切なし」とモルモット扱いし、被爆者の怒りの的となってきた。
 とくに妊産婦と胎児・子どもに対する遺伝調査は、冷酷きわまるものであった。当時、広島と長崎にも妊婦を対象にしていた特別配給制度があった。妊娠5カ月の終わりに配給を受けるために保健所で妊娠登録をする。日本政府はその際に、氏名・住所など個人を特定する情報と被爆歴を質問票に記入させ、その情報を米帝側に提供した。日本の助産婦や医師などを介して子どもの出生情報がABCCに伝えられた。
 1948年から54年にかけて、7万7000人の新生児が調査の対象とされたという。「広島市では新生児調査がほぼ100%行われ、亡くなった場合はすべて解剖された」(2012年4月22日付『中日新聞』)。
 家にまで米兵士がジープで乗りつけて、「軍法会議にかかってもいいのか」と脅し、被爆者をABCCへ連行する。全裸にして体の隅々まで検査する。治療は皆無で、検査結果はまったく知らせない。被爆者が亡くなると、かぎつけて遺族に解剖を要求する。臓器は、すべて抜き取られて綿を詰められた棺桶で戻ってくる。これが、広島・長崎の被爆者に対してABCCがやったことである。
 亡くなった被爆者や新生児の臓器標本やカルテは、米国に直接送られ、米軍病理学研究所などで、核戦争のための放射線被爆研究に利用された。このようなABCCの被爆研究計画には、予研も、深々と関与している。
 ABCCは、1975年に放射線影響研究所と名称を変え、被爆者に対する追跡調査を継続している。この日米共同研究機関の資金は、日本は厚生労働省を通して、また米国はエネルギー省を通して交付されている。ヒロシマ・ナガサキに続き、今後新たにフクシマの200万県民を対象にした被曝の追跡調査を、福島の放射線医学県民健康管理センターと一体で行おうとしているのだ。
 放影研は、その設立目的を「平和目的」と謳っているが、被曝とくに内部被曝の影響を隠蔽・軽視して核政策を推進するというABCCの体質を受け継いでいる。
 IAEA(国際原子力機関)のチェルノブイリ原発事故調査委員長として、事故4年後の調査で異常はまったくないと大うその「安全宣言」を発表したのが、放影研理事長の重松逸造だった。その後、チェルノブイリでは、子どもの 甲状腺がんをはじめ被曝による疾病が爆発的に増加している。この重松の直系が山下俊一だ。福島の被曝データ収集は、核軍事・金儲けのために利用するものでしかない。

 3 汚染がれき拡散反対 福島に診療所建設しよう

 全国を第2のフクシマにするがれき広域処理

 日帝国家・資本家階級は、さらにあくどいことに、東日本大震災で発生したがれきについて、被災現地がまったく望んでいない「広域処理」に踏み切った。このがれきは、福島原発事故で放出された放射能で汚染されている。
 がれき広域処理は、日本版「ショック・ドクトリン」の手法で資本家階級が巨大な利益をあげることが狙いだ。この3年間で1兆700億円が予算化されている。それは被災地を利用した産廃・運送・ごみ処理関係の資本家階級の金儲けであり、受け入れ自治体にも金が落ちる利権構造になっている。被災を食い物に金儲けを企む支配階級は、「がれき処理はみんなで分かち合おう」の「国民運動」までをあおりたて、放射能に対する不安や疑問の声さえ根絶しようとしている。さらに、サイパンへ1000万dのがれきを輸出する計画(被曝の輸出)すら画策しているのだ。
 がれき広域処理の何よりの狙いは、「低線量被曝は問題ない」と言いふらしながら、放射能汚染がれきを意図的に労働者人民の間に持ちこんで、反原発闘争を分断して原発を再稼働し核武装路線を推進しようとするものである。
 これに対し、全国各地でがれき処理絶対反対・搬入絶対阻止の実力決起が爆発している。反原発闘争は、全原発ストップから全原発廃炉へ前進する労働者階級人民と、原発推進にしがみつき凶暴化する資本家階級との非和解の階級決戦となってきている。
 搬入されるがれきは、単なるごみではない。放射能汚染廃棄物そのものなのだ。
 日本の現行法では、放射能に汚染されたものを廃棄物として取り扱うことができるのは、汚染度が低い基準値以下のものしか認められていないことになっている(クリアランス制度)。たとえば、セシウム134、137は各1`グラム当たり100ベクレルである。放射能にはこれ以下ならば安全であるというしきい値が存在しない点を考えると、これですら大きな問題なのである。ところが環境省は、放射能汚染がれきについては、このクリアランス制度を無視して、埋め立て処分に現行基準の80倍もの8000ベクレルを規制値とした。
 放射性物質は近くにいるだけで外部被曝し、さらにそれを体に取り入れた場合には内部被曝し、健康に重大な被害を与える(コラム参照)。
 放射能汚染物を焼やしても、現場労働者を被曝させ、空気中に放射性物質を再び放出するだけであり、周辺の大気と土地を汚し、呼吸・飲食による内部被曝の拡大をもたらす。がれきを全国各地に移動しての埋め立て・焼却は、日本列島を第2のフクシマにすること以外のなにものでもない。
 放射能汚染がれきの全国への移動と焼却・埋め立ては、むざむざ被曝を増大させる言語同断の犯罪行為である。「がれき輸送で収入確保を」と叫び、被曝労働・内部被曝を容認するJR総連・日貨労は「原子力村」の先兵だ。

 広島・長崎の被爆者の内部被曝との闘い

 原爆投下直後、広範囲にわたって土砂降りの「黒い雨」が
降った。遠距離で放射能を含んだこの「黒い雨」を浴びた人が、広島では1万2250人いたという。放射性降下物は畑や水などを汚染し、飲食をとおして体の中に入り込み内部被曝させ、がんやぶらぶら病などの病気をもたらし、多数の人々が亡くなっている。「死の灰」の雨が降り注いだ所は放射能汚染ホットスポットとなり、深刻な被曝被害を大量に引き起こしたのだ。
 しかし、ABCCとその後継組織・放影研は、「黒い雨」の詳細な調査を行いながら、原爆の放射線の健康影響を初期放射線(外部被曝)に限定し、「黒い雨」の降下による内部被曝を否定し隠蔽し続けてきた。
 この内部被曝によるがんなどの晩発の疾病は、放射能の恐ろしさを如実に示すものであり、核兵器と原発に対する民衆の強い拒絶を生み出す。それは米帝の核による世界支配を根底から脅かすものとなっていった。
 米帝は核政策にとって都合の悪い内部被曝・低線量被曝の危険性を隠蔽し無視・軽視することに必死となってきたのである。そうした目的で、広島・長崎の被爆データをもとにICRP(国際放射線防護委員会)基準はつくられた。
 これに対し、広島・長崎の被爆者は、内部被曝を日帝国家に認めさせ被曝治療を実現させるための闘いを不屈に続けてきた。裁判では内部被曝認定の勝訴判決を相次いでかちとっている。
 ところが日帝国家・厚労省・放影研は、広島・長崎の「黒い雨」が健康に影響を及ぼすものではないと、内部被曝を今もって否定し、福島にもその論理を適用しようとしている。
 内部被曝の問題こそ、被曝労働とともに、帝国主義の核政策の最弱点だ。ここを徹底的に攻め抜き再稼働阻止・全原発即時廃炉へ突き進もう。

 「心と健康の拠り所」が待ち望まれている

 「原子力村」が福島県民を被曝の人体実験のモルモットにしようとしていることを福島の労働者人民は当初から見抜いていた。そして職場から家庭・地域から学園から核廃絶の組織化を猛然と開始した。
 11年6・19福島市と7・17いわき市での集会・デモ、そして12年3・11郡山市1万6000人の大集会・大デモを頂点に、フクシマの怒りが全国の労働者人民の反原発の闘いと合流し、原発廃絶までやむことのない巨大な潮流へと成長しつつある。
 労働者階級こそが核廃絶の鍵を握っている。動労水戸の外注化阻止・被曝労働拒否のストライキ、国労郡山工場支部と国労共闘の決起は、それを明々と照らしている。そして原発・核燃サイクル・放射線関連の労働者が沖縄全軍労の労働者のように内部から立ち上がる時、核を必要とする資本主義を覆す展望が一挙に引き寄せられるだろう。
 新自由主義を打倒し、帝国主義から医療を取り戻そう。福島で「心と健康の拠り所」となる診療所が待ち望まれている。闘う福島県民とともに福島診療所建設の大運動を全力でかちとろう。被爆者との連帯をうち固め、8・6広島―8・9長崎の歴史的決起を実現しよう。

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月刊『国際労働運動』(432号2-4)(2012/08/01)

《反原発総特集》 労働組合よみがえらせ 全原発の廃炉へ

 W 労働者の団結を取り戻し新自由主義をうち破ろう

 1 被曝労働との対決が全労働者の最大攻防に

 原発労働者40万人が被曝 「がれき処理」で全国化

 

次頁の図を見てほしい。原発で働いて被曝した労働者数は、80年代半ばまで増えつづけ、90年代前半にはさらに増加し、そのまま高水準が続いている。2000年代までの30年間で原発作業に130万人が従事してきたとされるが、うち3分の1から4分の1が被曝したと言われる。少なくとも30〜40万人という大量の被曝だ。
 資本主義社会は、労働力を商品化し、不払い労働の搾取によって資本家が利潤を得ている。しかし、被曝労働は単なる搾取ではない。労働者は被曝によって命を削られ、命を抹殺されていくのだ。労働する過程のすべてが、肉体的・精神的損傷と死因の体内化を伴う。本来であれば人間の存在と生命の発露であるべき労働が、まったく逆に自らの存在と生命を抹殺するものとなる。人類史において、人間労働のこれほどの転倒はない。
 この被曝労働は、野田政権による「がれき広域処理」政策によって、今や全国・全産別の労働者の直接の職場問題、住民の死活的な生活問題と化している。何よりもJR貨物などの運輸労働者、がれき処理を強いられる自治体労働者、そして福島をはじめとする教育労働者や郵政労働者などが、被曝労働との大攻防に入っていく。

(図 電力会社社員と下請け労働者の被曝数の推移)

 電力労組よみがらえせ英知集めて原発廃炉へ

 被曝労働に対して労働者階級は、そして労働組合はどう闘うべきなのか。動労水戸は被曝労働強制に対しストライキで闘い、国労郡山工場支部は団結を取り戻して日々命を守るために闘い、労働者階級の反原発闘争の豊かな展望を切り開いた。被曝労働をみすみす容認することは、資本と国家に対する完全屈服以外のなにものでもない。労働者自身の命を絶対に守るため、被曝労働と対決する労働組合運動をつくろう。
 ここにこそ、原発全廃の展望もある。原発労働者の決起を抜きにした原発廃炉など、空言にすぎない。そのためには、原発推進の先兵と化した電力総連・ダラ幹連中を吹っ飛ばし、電力労働者の決起をかちとろう。原発労働者の健康と命に責任を持たないで、労働組合と言えるのか。電力総連の内外での決起を実現し、かつての電産(日本電気産業労働組合)のように正規職も非正規職もともに団結できる組合に変えよう。非正規・下請け労働者がこぞって電力総連に加盟して闘おう。
 これこそ、戦後の「原子力の平和利用」論を今日的に真にのりこえる道だ。「平和利用」論に対し、いや、原発も核武装のためだ≠ニいうだけの批判にとどまっていたのではないだろうか。「平和利用」論の最大問題は、被曝労働を容認しているという点にこそある。この点で戦後の原水禁運動が持っていた限界を克服し、被曝労働、内部被曝・低線量被曝との対決を労働組合の最大攻防点にしよう。新自由主義と対決し、国鉄闘争に内在化させて労働運動の正面課題として闘おう。国鉄闘争の大発展を、外注化・非正規化阻止、被曝労働絶対反対で闘いとろう。
 労働組合が被曝労働と必死で対決して決起する時にこそ、労働者階級とともに人生をかけて闘う専門家・技術者も拡大し、必ず合流してくるにちがいない。その総力を結集して全原発廃炉に着手しよう。今ある資本主義体制下での発想にとらわれていては、原発廃炉などできない。例えば「原発廃炉委員会」をつくり、そこに日本と世界から何千人、何万人もの専門家・労働者に参加してもらい、彼らの健康と命を絶対に守るという前提条件のうえで、総力で廃炉作業に取りかかろう。
 NAZEN結成宣言は「あらゆる英知を結集して立ち上がりましょう」と訴えている。原発廃炉の闘いは、新しい人類史を切り開くプロレタリアートの自己解放闘争そのものだ。全原発を停止させたこの時点でこそ、「すべての原発いますぐなくそう」と誓い直し、必ずや核廃絶・原発廃炉を実現しよう。

 2 核・原発の本性は無差別大量殺りくだ

(写真 爆投下で廃墟と化した広島。真ん中は原爆ドーム】)

 核・原発をめぐり労働者と資本家が非和解の対立

 核の出発点は、第2次大戦下での原爆開発と広島・長崎への原爆投下にある。直後の死者は広島12万人、長崎7万人。その後5年間で、それぞれ20万人、14万人が死亡した。人口で広島の48%、長崎の58%もが殺された。まさに無差別の大量殺戮である。
 無差別大量殺戮こそ核の本性である。核兵器であろうと原発であろうと、その本性は変わらない。これは軽々しい確認ではない。原発は恒常的な被曝労働によって初めて成り立っているが、なぜそれほど非人間的なことがまかり通っているのか。さらに、福一事故以降、福島県の子どもたちなどが被曝にさらされつづけているが、野田政権や御用学者らはなぜそんな非人道的なことを平然とやるのか。それは無差別大量殺戮こそが、核にかかわるすべての本性であるからだ。
 労働者が被曝しようが、子どもたちが被曝しようが、支配者にとってはおかまいなし=Bむしろ大量殺戮の本性からすればどこが悪い≠ニいう感覚になる。しかもそのうえ、ABCCと731部隊との合体、80年代以来の資本の利害をむき出しにした新自由主義の満展開、が加わっている。子どもを被曝させて居直る山下のありようは、そうした日本の核・原発の三重もの犯罪性の現れだ。
 その意味で福島原発事故は、核と人類が相いれないことを容赦なく示すものとなった。核・原発をめぐって資本家階級と労働者階級が相いれない、つまり非和解になっているのだ。広島・長崎・ビキニの被爆者(被爆2世・3世)の苦悩と怒りと決起、原発労働者の被曝下の困苦と告発と希求、そして福島の女性たちをはじめとした被曝強制に対する苦悶と憤怒と闘い。これらすべてが一つになって資本家階級に立ち向かう時がやってきた!

 核への怒りと原発への怒りを一つにして闘う

(写真 昨年8月6日、広島の原爆ドーム前で開かれた「8・6ヒロシマ宣言集会」に、前日に結成されたNAZENが登場】)

 核は広島・長崎で実際に使われたうえ、戦後帝国主義の外交・軍事の基本手段にまでなった。現に国連常任理事国は核武装国であることが前提と化した。核兵器を持たない帝国主義は、日本・ドイツ・イタリアという敗戦国だけとなった。しかも帝国主義は、核兵器を何度も使おうとしてきた。朝鮮戦争、キューバ危機、ベトナム戦争、中東戦争、01年9・11反米ゲリラ戦後など、繰り返し核兵器を使用する寸前にまでいたった。
 第2次大戦後の資本主義をそれ以前とは違い、もはや帝国主義ではなくなった≠ゥのように言う俗説が広められてきた。しかし、核を外交・軍事の基本手段としてきたという点で、第2次大戦後の資本主義こそまさにむき出しの帝国主義そのものではないか。資本主義・帝国主義は、このような核兵器をもって、本来ならとっくの前に崩壊していいはずのブルジョア的支配を維持してきた。革命が渦巻く戦後世界を核によって暴力的に支配し、核の脅しでプロレタリア革命を強引に圧殺しようとしてきたのだ。
 この帝国主義に対し、プロレタリア革命を歪めたスターリン主義は、核をもって対抗してきた。ICBM、人工衛星打ち上げ、原発建設のすべてで、先行したのはアメリカではなくソ連スターリン主義である。労働者階級は本来、帝国主義の核に対して〈労働者の国際連帯による核廃絶〉を対置して闘うべきだ。核をめぐっても労働者階級の立場は〈万国の労働者、団結せよ〉(『共産党宣言』)にほかならない。しかし、スターリン主義は一国社会主義論でその国際連帯に敵対し、対抗的に核軍拡を強めてきた。現在の北朝鮮スターリン主義もそうだ。このような現代世界を根底から変革できるのは、〈反帝国主義・反スターリン主義世界革命〉以外にない。
 ソ連崩壊後も、米大統領の国内外の行く先々すべてに、核発射ボタンの入ったバック(通称フットボール)を持つ制服軍人が同行している。09年秋のオバマ訪日でも、数十人のスーツ姿の随行員の後に軍人が大きなバックをかついでおり、これが「フットボール」だ。この間、米・中対峙・対決が強まり、没落するアメリカ帝国主義は絶望的に凶暴化してアジアでの軍事行動をエスカレートさせている。「米軍は地中貫通型の戦術核の開発に躍起になっている」と言われる。核戦争の現実性は今ここにあるのだ。
 「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」から始まった日本の反核闘争は今、「ノーモア・フクシマ」の反原発の叫びと一体となった。反戦反核と反原発を一つにして、団結して闘えば必ず勝利できる!

 3 日米安保と原発が日帝の最大弱点に転化した

 野田が再稼働の理由に「安全保障」明言

 野田首相は12年1月の施政方針演説で、「経済への影響、環境保護、安全保障などを複眼的に眺める視点」から原発を再稼働させると公言した。原発に関連して「安全保障」と言ったわけだから、通常兵器ではなく核兵器の問題を指す。現職の首相が原発についてここまで明言するのは初めてだ。しかも、福島原発事故が起きた後に、原発を再稼働させるべき根拠として、あえて核武装の必要性≠ちらつかせたのだ。
 野田だけではない。日本帝国主義の原発推進の歴史は、核武装化の狙いに貫かれてきた。日本で最初の原子力予算案を54年に国会提出した中曽根康弘は、当時から「原子力兵器、とりわけ小型の核兵器開発に興味を持っていた」と言われる。また、57年から首相だった岸信介(中曽根と並ぶ核武装論者)は回顧録で次のように言っている。
 「原子力技術はそれ自体平和利用も兵器としての使用も共に可能である。どちらに用いるかは政策であり国家意志の問題である。日本は国家・国民の意志として原子力を兵器として利用しないことを決めているので、平和利用一本槍であるが、平和利用にせよその技術が進歩するにつれて、兵器としての可能性は自動的に高まってくる」
 69年の外務省内部文書でも「核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(能力)は常に保持する」と確認している(核武装のための原発推進については、吉田義久『アメリカの核支配と日本の核武装』参照)。
 日本帝国主義は第2次大戦で敗戦し、他の帝国主義のように公然と核武装できなかっ
た。しかし、
核は戦後帝国主義の外交・軍事の基本手段にまでなった。日帝が帝国主義として存在するためにとった道が、一方での日米安保同盟の強化であり、他方での核武装を準備するための原発推進だった。日帝にとっての原発推進とは、一貫して〈核武装の偽装形態〉にほかならない。

 日米安保の強化と核燃サイクル強行が一体で

 

この動きは80年代以降、核燃料サイクルと称した軍事用プルトニウムの確保とICBM並みのロケット開発にまでいたる。日本は国外で使用済み核燃料から抽出されたプルトニウムを日本に輸入するさいに、1回ごとに米政府の承認を必要としていたが、88年発効の新日米協定でそれが不要となった。
 70年代以来、日米は経済面では激しい争闘戦に入っていき、日米安保や原発をめぐっても矛盾・対立をエスカレートさせつづけてきた。米帝は日帝の対米対抗性を絶対に許さず、日帝を都合のいいように動員しようとしてきた。他方の日帝は、対米対抗性を強めながらも、米帝の対日重圧にさらされて必ず危機を深めてきた。日帝にとって必須不可欠だった日米安保と原発推進策が、今や日帝の最大破綻点と化してしまっている。
 〈帝国主義の破綻点〉とは〈プロレタリア革命の拠点〉だ。革共同綱領草案は第12項目で、そこに日本のプロレタリア革命の展望があることを鮮明に提起している。
 辺野古の新基地建設阻止によって日米安保は破綻しているにもかかわらず、米・日帝国主義はますます沖縄に犠牲を押しつけて基地を強化しようとしている。一方、福島原発事故で脱落帝国主義と化した日帝は、福島に犠牲を強制しながら原発再稼働・原発輸出のためにしゃにむになっている。
 沖縄を先頭にした基地撤去の闘い、福島を先頭にした原発廃炉の闘いを、日本革命を実現する戦略的闘いとして発展させよう。
(写真 2012年「4・9反核燃の日」行動。核燃料再処理工場前での全体集会で怒りを込めたシュプレヒコールをたたきつける労働者ら【4月8日 青森県六ケ所村)】)

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 ■日本の核・原発政策

54年 中曽根らの提案で初の原子力予算が成立
55年 日米原子力協定に調印
64年 中国の核実験、佐藤首相が核武装論強める
66年 東海原発の黒鉛炉が稼働
67年 佐藤首相が非核3原則
69年 日米首脳会談で沖縄返還後の核持ち込み密約
    外務省の内部文書「核製造の能力保持」
70年 核不拡散条約(NPT)に署名(76年批准)
70年〜原発の新規稼働、年2基ペースに
74年 電源3法の制定
83年 中曽根首相「下北半島を原子力のメッカに」
87年 日米原子力協定の改定に署名
87年〜六ケ所村の再処理工場などの許可申請
94年 北朝鮮がNPT脱退表明、戦争の危機に
96年 日米安保共同宣言=安保再定義
01年〜米帝のアフガン・イラク戦争
09年 米オバマが核作戦計画OPLAN8010改定
10年 ヨンピョンドで北朝鮮・韓国が交戦
11年 日米安保協(2プラス2)で中国を敵視
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 4 事故責任者の東電資本こそ非正規化の張本人

 国鉄分割・民営化から原発の大事故が続発

 日本でのレベル2以上の原発事故は、10年に1回前後だったが、80年代末からは頻発するようになった。89年1月の福島第二原発3号機の事故から、91年5月の浜岡3号機の事故まで、わずか2年半で5件もの大事故が相次いだ。その後、何度もの大事故を繰り返し、2002年には事故隠蔽の発覚で東電社長が辞任し、東電の全原発が一時停止する事態にすらなった。しかし、東電も政府もうそとごまかしで乗り切り、ついには今回の福島第一の大事故に行き着いたのだ。
 80年代末から事故が多発しはじめたのは偶然ではなく、日帝の新自由主義が本格化したことに原因がある。原発はもともと制御不能なものであるが、80年代以来の新自由主義こそが福島原発事故を引き起こした主因だ。なぜなら新自由主義は、労働者の団結を解体して資本の「自由」、資本のやりたい放題を国家・体制として認めるものだからだ。
 70年代までの日帝の階級支配は、労働者の権利や社会保障を一定認めるものだった。しかし、新自由主義によって労働者の権利を奪いとって搾取・収奪を好き放題にむさぼるあり方へと、180度転換した。そうした支配の大転換の背景には、第2次大戦後の世界・日本の経済・政治・社会の全面での歴史的ないきづまりがあった。そこで、従来のような国家による資本への規制(国家独占資本主義政策)から自由になり、資本の利益最優先・利潤至上主義をむき出しにしはじめたわけだ。
 その結果は、原発をめぐる安全性の無残なまでの解体だった。原発事故は隠蔽されるのが常態化した。本当はやっていない検査すらやったことにするデータ改ざんが当たり前になった。すでに90年代に福島第一のような大事故がいつ起きてもおかしくなかったが、大地震がなかったことで救われていたにすぎない。新自由主義の罪はそれほど重い。
 その新自由主義攻撃で、80年代国鉄分割・民営化に次ぐ画期をなしたのが93年の「平岩レポート」である。

 規制緩和で非正規化し社会基盤をも徹底破壊

 平岩外四とは、76年から東電社長、84年から東電会長、90年から経団連会長を務めた人物であり、日本の電力資本の最大頭目と言っていい。その平岩は、93年の細川首相の諮問機関である「経済研究会」の座長となり、11〜12月に規制緩和についての報告を打ち出した。そこでは、「経済的規制は『原則自由」に」「社会的規制は『自己責任』を原則に最小限に」とされた。
 これを機に、新自由主義の最大の柱をなす規制緩和攻撃が全面的に始まった。「平岩レポート」では、規制緩和・撤廃の対象法案が列挙されているが、とくに原子炉等規制法や放射線障害防止法など原発関連法制と、労基法や労働者派遣法などの労働法制が網羅されている。今では有名になった、9割非正規化≠掲げた日経連「新時代の日本的経営」は、「平岩レポート」からわずか1年強後のことだ。
 「平岩レポート」の狙いは、@規制緩和・撤廃によって資本のほしいままに全社会・全体制を改造すること、A原発労働者に強いてきた非正規・下請け・使い捨てを全社会的に拡大すること、Bこれにより、電力資本による脱法的な労働者酷使を社会的に承認されたかのように見せかけること、などにあった。この規制緩和策は小泉「構造改革」やJR・NTTの民営化・外注化攻撃に引き継がれて、現在にいたっている。
 その結果は、雇用・教育・福祉・医療などの社会的基盤の全面崩壊であり、何よりも非正規職化の全社会化である。派遣法は何度にもわたって改悪され、今や非正規職の割合は38・7%(10年10月時点)にも達している(その後の労働力調査は福島・宮城・岩手の被災3県を除外しており、それ以前の統計の方が比較的正確と見なせる)。20〜24歳男性のうち月額賃金が20万円以下は全体の91・3%にも及ぶ(同上)。新自由主義こそ、労働者、特に青年労働者が生きていくこともできない状況を生み出したのだ。
 このように、福島原発事故の責任者である東電・電力資本は、非正規職化の元凶でもある。80年代の国鉄分割・民営化、90年代の規制緩和・撤廃、そして01年以降の小泉「構造改革」と民営化・外注化という、大きく3波にわたる新自由主義攻撃こそ、労働者が団結して粉砕すべき共通の敵だ。国鉄闘争、反原発闘争、非正規職撤廃闘争は、新自由主義に対する闘いとして完全に一つをなしている。

 5 国鉄闘争を軸に闘う労働組合をつくろう

 電産解体して原発推進 国鉄闘争継続の重大さ

  再稼働を阻止つづけ、すべての原発をなくすためには、どうすればいいのか。それは、新自由主義と対決して労働組合を甦らせ、その労働者を中心にすべての学生・人民が団結して資本家と闘うことだ。戦後の核・原発政策の歴史を見れば、労働組合を甦らせることにこそ反原発闘争のカギがあることが分かる。
 第2次大戦後の戦後革命の中軸を担った労働組合は、電力労働者の労組である電産だった。電産は発電・配電・営業・事務の全部門、下請け・孫請けから技術者までの全労働者を一つの組合に組織した。今でいえば、正規・非正規の分断を打ち破って団結していた。しかも全国18万人という、巨大な産業別労働組合だった。
 資本家階級はその中軸労組を解体し資本の先兵とすることで、労働運動全体を圧殺しようとした。戦後のレッド・パージも「電産のレッド・パージこそが真の狙い」とすら言われる。日帝の原発政策が本格化し、それに呼応する「原子力の平和利用」論が横行した50年代半ばは、電産の全国組織が解体されていった過程と完全に符合する。そこには、日本共産党スターリン主義による戦後革命の圧殺という歴史的裏切りがあった。いま問われているのは、戦後革命期の基軸労組が解体され、原発推進の最大労組に転じていった歴史を、もう一度ひっくり返すということだ。
 この電産解体をまねて強行されたのが、80年代以来の国鉄分割・民営化攻撃だった。戦後労働運動の中軸である国鉄労働運動に対し、ほぼ10年間にわたってあらゆる非難キャンペーンが張られ、資本家階級の総力を挙げた解体攻撃が襲いかかった。これに対し、ストライキで真っ向から闘って団結を守り抜いたのは動労千葉だけだった。しかし、それ以外が闘わずに屈服したことで国鉄分割・民営化は強行され、ナショナルセンター「総評」の解散、「連合」の結成へといたった。
 この新自由主義による労働者の団結破壊こそが、全社会的に安全を破壊し福島原発事故を引き起こしたのだ。さらに、この連合のもとで電力総連や電機連合などが原発推進勢力と化し、労働組合が原発と被曝労働を率先して進める最先兵となっていった。大手電力会社は自民党に献金し、電力総連は民主党に献金するという、労資一体の買収工作が行われてきた。新自由主義とは、単に労働組合を資本のもとに屈服させるだけでなく、資本に最も忠実な「代官」にする点に核心がある。
 しかし、動労千葉を先頭にした1047名解雇撤回闘争の長期にわたる展開は、国鉄分割・民営化の完遂を阻み、資本家階級の思惑を粉砕してきた。これらすべてをくつがえそうと10年には「4・9政治和解」攻撃が襲いかかった。しかし、これに対し「国鉄闘争の火を消すな」、さらには「国鉄闘争の力で新自由主義にとどめを刺せ」という国鉄闘争全国運動が多くの労働者を結集して力強く闘われつづけている。そして今や国鉄闘争と反原発闘争が一つになって、労働組合の権力奪取への必死の挑戦が全国で展開されている。かりにもし、新自由主義に対するこうした労働者の抵抗がなければ、日帝の核・原発政策はもっと歯止めなく進んでいただろう。
 国鉄闘争と反原発闘争が一体になって共に進むなかでこそ、双方ともの展望がさらに生み出されていく。「1%」の資本家階級に対する「99%」の労働者階級の闘いとして発展させ、ここでこそ勝利を切り開こう。
(写真 電産労組が賃金と労働協約改訂闘争で長期・波状的な電源・停電ストを決行した。電産は下請けを含めて一つの組合だった【1952年9月 神奈川・鶴見火力発電所)】)

(写真 1978年3月に、原発建設が計画されていた山口県豊北町で、各戸に配布された電産山口県支部のビラ「原発だより」第1号】)

 核武装論者・橋下の再稼働促進を許すな

 再稼働を止め全原発をなくすためにも、大阪の橋下反革命を吹っ飛ばそう。橋下は「脱原発」を装ってきたが、大うそだったことが白日のもとにさらけ出された。そもそも4月10日に大阪市が出した政府への8条件には「再稼働反対」は一言もない。橋下の本性は真逆だ。橋下は弁護士としてテレビ出演していた時に、「自分は改憲論者で核武装論者」と繰り返してきた。5月末に関西広域連合が大飯再稼働を容認した際にも、それを主導したのは橋下だ。こういう新自由主義の最先端を粉砕する度合いに応じて、反原発闘争も真に発展することが明白となった。
 さらに、全国の大学キャンパスで学生自治会を復権して反原発闘争を高揚させよう。この間、先駆的に闘われている大学の御用学者追放の闘いは、全労働者・全人民を限りなく鼓舞激励している。皆が心を踊らせている。
 反戦反核・反原発闘争の中で、労働者人民が団結を取り戻し、共同性を培っていくこと、そこにこそ労働者が主人公の共産主義社会を実現する道がある。これは、すべての人にとっての自己解放闘争であり、人生をかけた闘いである。ともに闘い、ともに必ず勝利しよう。

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月刊『国際労働運動』(432号3-1)(2012/08/01)

■コラム@ なぜ内部被曝は危険か?

 福島原発事故で原子炉からヨウ素やセシウムなどの大量の放射性物質(「死の灰」)が広範囲にばらまかれ、放射線を出し続けている。それは食物をとおして人間の体の中にまで入り込み始めている。
 人体は無数の細胞から成り立ち、そのさまざまな機能によって生命活動が行われている。放射線が細胞に当たると、細胞の分子を切断する(上図)。分子は原子と原子が結合したもので、その原子は原子核とその周りをまわっている電子から構成されている。原子同士を結合する力は、原子の電子が対(ペア)となることによる。放射線が分子に当たると、対の電子の1個を吹き飛ばし、分子は切断されてしまう。
 この放射線による電子の電離=分子の切断の作用が人間の生命活動・健康に深刻な影響を及ぼすのだ。
 原発から放出され、また核爆弾の炸裂で放出される「死の灰」は、多種多様の放射性物質を集中して含んでいる。この放射性微粒子を飲食や呼吸によって体内に取り込んで被曝するのが内部被曝である。外部被曝は、放射線源から遠ざかれば被曝の影響を少なくし、またなくすことができる。ところが、それが内部に入った場合、放射性物質が体外に排出されるか、放射線を出すのを止めるまで、被曝はずっと続く。放射能を体の中に取り込まないようにすることが最も肝心である。
 ヨウ素131とセシウム137はともにβ線とγ線を出し、ストロンチウムはβ線を、プルトニウムはα線を出す。α線、β線、γ線のすべてが被曝をもたらし、まばらにしか分子切断を行わないγ線に比べて、α線やβ線は密集して分子を切断するから、とくに危険である。体内で40μmしか飛ばないα線はその過程で10万個、10o飛ぶβ線は2万5000個の分子切断を行うという。
 放射線は生物的機能の基礎としての細胞の分子を切断する。とりわけ、分子を密に切断する内部被曝の場合は、細胞核に詰まっているDNA(遺伝物質)の巨大分子(2重鎖)を2本とも切断する可能性が増す。
 生物学的修復作用が正常に働くと細胞は元通り維持されるが、2重鎖2本切断は修復作用を困難にする。DNAが再結合できなかった時は、その細胞は死に、DNAが間違って再結合されて生き延びた場合には、変成(組み替え)されたDNAが生き延びる。この繰り返しが、がんを発生させるといわれる。
 変成された遺伝子が後の世代に与える重大な影響、DNA以外の細胞分子の切断による健康被害の問題など、内部被曝の危険性は甚大である。
〔参考文献 矢ヶ崎克馬『放射線の健康影響』〕

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月刊『国際労働運動』(432号3-2)(2012/08/01)

■コラムA 低線量・内部被曝の隠蔽

 3・11事故直後から官房長官・枝野(現経産相)は、環境中にばらまかれた「死の灰」について、「ただちに健康に影響はない」とペテン的発言を繰り返した。また、御用学者・山下は「100_シーベルト以下安全」論を福島県内でふりまいた。晩発性の疾病、低線量・内部被曝の影響を隠そうとしたのである。
 帝国主義とスターリン主義の核兵器・原発の開発の歴史は、同時に放射線被曝の歴史そのものだった。その全過程は、ヒロシマ・ナガサキ、ビキニ、チェルノブイリをはじめ無数の労働者人民を被爆させてきた。そして今、福島原発大事故で放射線被曝最悪の事態が進行している。
 ところが、「死の灰」をばらまいた原子力村の犯罪者たちは、ICRP(国際放射線防護委員会)のえせ基準にしがみつき、今もって放射線による恐るべき害悪を覆い隠そうと躍起となっている。
 このICRPとは、一握りの核・原発推進者たちの利益のために、圧倒的多数の労働者人民に放射線被曝の犠牲を強いることを「正当化」しようとする虚偽のイデオロギーの生産・推進機関である。
 米帝をはじめ支配階級は、放射線による被曝・内部被曝の危険性を核開発当初から察知していた。それが現場労働者や全世界の人々に知られ核・原子力開発の妨げになることを何よりも恐れた。被曝の危険性が隠しきれなくなると、さまざまな屁理屈をこねくり出して被曝を強制し核政策を推し進めていった。その先兵となってきたのがICRPなのである。
 ICRPは、「それ以上では放射線被曝によって『確定的影響』(急性障害)が現れはじめ、また被曝による『確率的影響』(がん死亡・罹患)が統計的に有意に増加すると評価した値」を100_シーベルトとしている。日帝政府や御用学者・山下らがこれにしがみつき、100_シーベルト以下は健康に影響はないと強弁している。
 しかし、放射線に安全量はない。低線量の長期間の照射が細胞をたやすく破壊することも確証されてきている(ペトカウ効果)。広島・長崎の被爆者、核・原発施設の労働者、X線を浴びた胎児などの被爆調査は、100_シーベルト以下の低線量でも、健康被害が起きることを明らかにしている。
 チェルノブイリ原発事故の低線量放射線汚染地域で甲状腺がんなどの患者が増えているという。放射能汚染された食品を繰り返し食べることによってセシウムなどの放射能が体内に蓄積される。長期にわたる低線量被曝の継続が健康に害を与えることが、今やますます判明してきている。糖尿病や消化器官・呼吸器官の慢性疾患、免疫系疾患、血液の悪性疾患などの病気の罹患率が高くなっている。
 低線量被曝・内部被曝の健康被害に対する否定・隠蔽行為は、被曝の歴史と現実の偽造にほかならない。ゴフマンは、原子力のための放射線防護法(ICRP勧告のこと)を「殺人免許証」と呼んだ。
ICRP基準を粉砕し、全原発廃炉をかちとろう。
〔参考文献 中川保雄『〈増補〉放射線被曝の歴史』〕

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月刊『国際労働運動』(432号4-1)(2012/08/01)

年表(2011年3月11日〜2012年5月5日)

■福島原発事故と政府・東電の動き、■原発反対の全国・全世界の闘い

 

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■福島原発事故と政府・東電の動き

3.11 東京電力福島第一原発が地震と津波で被災。1〜4号機の原子炉と使用済み燃料プールは冷却不可能に。菅首相が原子力緊急事態宣言を発令。防衛相が自衛隊に原子力災害派遣命令、戦時体制に突入、その後自衛隊10万人体制に。政府が半径3`圏内の住民に避難を指示。米軍が「トモダチ作戦」を発動。事実上の「周辺事態法」発動
3.12 1号機原子炉建屋で水素爆発。自衛隊員12人が被曝。政府は避難指示を20`圏内に拡大
3.14 3号機原子炉建屋で水素爆発。米空母ロナルド・レーガン、ヘリ乗員17人が被爆し福島県沖から離脱、自衛隊の全部隊の100`圏外への退避を一時発令
3.15 2号機の圧力抑制プールで異常発生、大量の放射能を放出。4号機原子炉建屋で水素爆発
3.16 厚生労働省、福島原発作業員の被曝線量限度を100から250_シーベルトに引き上げる
3.17 厚生労働省、水道水の放射線量基準を従来(WHO)基準の20〜30倍に引き上げる
3.17 3号機使用済み燃料プールに放水。ルース駐日大使、福島第一原発から80`圏内居住 の米国人に退避を勧告
3.19 東電は作業員6人の被曝線量が100_シーベルトを超えたと発表
3.24 福島第一原発で労働者3人が被曝、ろくに治療もせず退院に
4.1 20`圏外に計画的避難地域を設定。1カ月メドの退避促す。米海兵隊の核防護専門部隊「シーバーフ」第1陣が来日
4.2 高濃度の放射性物質を含め汚染水が海に流出していることが判明
4.7 女川・東通原発、六ヶ所再処理工場 「余震」の揺れで電源が停止 核燃料の冷却が一時不能に
4.9 文部科学省、福島の子どもたちの年間被曝許容量を年間20_シーベルトに
4.12 経済産業省原子力安全・保安院は最悪の「レベル7」の事故と評価
4.17 東電が事故収束に向けた行程表を発表
4.22 半径20`圏内を立ち入り禁止の「警戒区域」に。「計画的避難区域」「緊急時避難準備区域」も設定
5.6 菅首相が中部電力に浜岡原発停止を要請
5.10 原発20`圏内住民の一時帰宅始まる
5.14 福島原発で労働者死亡。過酷・危険な作業強いる東電
5.14 浜岡原発が全面停止
5.15 福島県川俣町、飯館村で計画避難開始。東電がメルトダウンが起きたことを示す解析結果を発表
5.24 東電が2、3号機でもメルトダウンが起きたことを示す解析結果を公表
6.10 東電社員2人が250_シーベルトの上限を超える被曝と保安院が発表
6.11 福島県で酪農家が自殺。「原発さえなければ」の遺書
6.18 海江田経産相、「停止中の原発の再稼働は可能」と安全宣言、19日菅首相も再稼働容認
6.27 循環冷却を開始
6.29 海江田経産相が九州電力玄海原発2、3号機の運転再開への同意を地元に要請
7.6 海江田経産相が原発の安全評価導入を表明。玄海原発の説明番組をめぐる九電の「や らせメール」問題が発覚
7.8 福島県南相馬市産の肉牛から暫定基準値を超える放射性セシウムを検出と東京都が発表。飼料のわらが汚染源
7.13 菅首相が記者会見で「段階的な脱原発」を表明
7.19 行程表の「ステップ1」が終了。政府と東電は新たな行程表を発表
8.5 原発事故賠償の中間指針決定
8.11 福島県が「脱原発」の復興ビジョン決定
8.19 茨城県鉾田市の早場米から微量のセシウムを検出と県が発表
8.26 政府が除染の基本的な考え方を決定
9.3 野田内閣発足
9.7 東電、原発事故時の操作マニュアルを真っ黒に塗りつぶして衆議院の調査委員会に提出
9.12 原子力損害賠償支援機構が発足。枝野が経産相に就任
9.30 政府が緊急時避難準備地域を解除
10.9 福島県が子どもの甲状腺検査開始
10.14 九電がやらせメール問題の報告書を経産相に提出
10.29 汚染廃棄物の中間貯蔵施設に関する行程表を政府が決定
10.31 東電への賠償を求める訴訟で、東電は「飛散した放射性物質は無主物なので賠償責任なし」と答弁し勝訴
11.11 政府が除染や汚染廃棄処理の基本方針
11.16 福島市の米から暫定基準値を超えるセシウムが検出と県発表。政府は17日に出荷停止指示
12.2 東電が社内の事故調査委員会の中間報告発表
12.6 環境省の除染モデル事業を、原発建設でもトップ3の大手ゼネコンが受注と報道
12.16 政府、東電が原子力の冷温停止とステップ2終了を発表。野田首相「事故収束」と表明
12.19 環境省が東北、関東8県を除染対象に指定
12.26 政府が放射線量に応じ、避難区域を12年3月末めどに3区域に再編すると決定。政府の事故調査・検証委員会が中間報告
●2012年
1.6 政府が原子炉は原則40年で廃炉にする原子力等規制法の改正方針発表
1.12 やらせメールで九電社長、会長退任決定
1.15 福島県二本松市の新築マンションから高い放射線量検出と県が発表、採石場の石が汚染
1.17 政府が原発の運転期間を例外的に最長60年まで認めると発表
1.18 保安院が関西電力大飯原発3、4号機のストレステストを「妥当」と判断
1.26 環境省が福島原発周辺の除染行程表を発表
2.6 保安院が福島第1の保安検査を開始
2.16 原発損害賠償紛争解決センターが和解の基準公表。自主避難の実質賠償を認める
2.24 厚生労働省が食品に含まれる放射性セシウムの新基準を決定。4月1日から適用
3.1 避難に伴い、役場機能を町外に移していた福島県広野町が元の役場で業務を再開する
3.8 警察庁、災害時の「即応部隊」新設
3.13 大飯原発3、4号機について、安全委は、ストレステストの1次評価審査書を確認した
3.22 原子力規制庁の4月1日発足断念、それまで原発の規制は保安院などが担当
3.23 野田政権、大飯原発再稼働手続き開始
3.25 柏崎刈羽6号機定期検査入りで発電停止
3.27 福一2号機格納容器内で73シーベルト
3.30 野田政権は、福一周辺避難区域の内、4月から南相馬市、田村市、川内村を先行見直し
4.13 野田首相と関係3閣僚は大飯原発3、4号機に関し、再稼働が必要の政治判断を下した
4.14 大飯原発再稼働を巡り、枝野経産相は西川福井県知事らと会談、再稼働に理解を求めた
4.16 東電は、福島第一原発1〜4号機を19日付で「廃止」すると発表した
4.20 食品の放射性物質検査で、農林水産省は業界団体に対し、国が設けた放射性物質の基準 を守るよう求める通知を出した
4.21 広島と長崎への原爆投下の数年後に、被爆者の親が死産したり、生後死亡した赤ちゃんのうち、臓器標本やカルテが米国に送られ放射線研究に利用された人数が1200人以上に上ることが判明
5.5 原発42年ぶり稼働ゼロ。北海道電力泊原発3号機が定検のため発電を止めた。これで国内の原発50基すべての発電が停止した

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■原発反対の全国・全世界の闘い

3.17 渋谷、すべての原発止めろ°ル急行動
3.20 渋谷、全学連を先頭に反戦反原発大デモ
3.20〜21 福島駅、郡山駅前で街宣
3.20 フランスで1万人が原発反対の決起
3.26 ドイツ、50万人が反原発デモ
3.31 東京電力に怒りのデモ
4.1 福岡、九電とJRに抗議行動
4.10 杉並高円寺、反原発1万5000人がデモ
4.10 新潟、すべての原発止めろ、緊急デモ
4.15〜16 浜岡原発即時停止、中部電力に抗議4.15 仙台、原発なくせ%喧k電力にデモ
4.24 静岡、中部電力に800人がデモ
4.29 原発なくせ≠ニ浅草デモ、安保・沖縄・憲法集会に420人
4.29 大阪、解雇反対・全原発止めろ♀ヨ西電力へ抗議行動
4.29 福岡で「原発なくせ 被災地支援 米軍新基地建設阻止 沖縄集会」
5.1 闘うメーデー反失業・反原発訴えデモ
5.2 子どもたちを守れ=A20_シーベルト基準撤回求め福島の母親ら300人が政府と交渉
5.7 反原発≠ナ1万5000人の渋谷大デモ
5.23 文科省へ20_シーベルト通知撤回求め650人が交渉
5.27 20_シーベルト通知、文科省が撤回を拒否、全国の学校現場で反撃始まる
5.28 ドイツ 16万人が「原発止めろ」デモ
6.5 国鉄決戦と反原発闘争を宣言した国鉄闘争全国運動集会、1780人結集
6.11 福岡、玄海原発再稼働阻止で1200人
6.19 「怒りのフクシマ大行動」、福島市に1510人が結集
6.26 水戸で、動労水戸先頭に反原発行動
6.30 新橋から東電弾劾第2波直撃デモ
6.30 被曝低減策を福島の保護者らが要求
7.10 吉祥寺、反原発デモに350人
7.10 反戦反核東京集会に450人
7.11 玄海原発7月再稼働阻止へ佐賀県庁に200人が抗議
7.16 関西反原発行動、関電の再稼働策動痛撃7.17いわき、動労水戸先頭に380人がデモ
8.5 広島市で「すべての原発いますぐなくそう!全国会議(NAZEN)」結成集会
8.6 被爆66周年8・6ヒロシマ大行動が広島県立総合体育館で行われ1685人が参加
8.9 長崎、核・戦争・原発なくせ集会
8.12 東電弾劾、福島農林漁民が東京大集会
8.15 早朝の靖国参拝阻止デモ、8・15労働者・市民のつどいが行われ、575人が参加
8.18 江戸川区で山田真医師講演会に100人
8.25 子ども福島ネット、これ以上被曝させるなと「年1_以下」求め政府交渉
8.28 上関原発阻止、祝島島民と全国集会
9.11 再稼働阻止・野田反動政権打倒で反原発大デモ、新宿1万先頭に全国3万立つ
9.11 福島、「放射能は安全」の国際会議弾劾
9.18 反戦被爆者の会会長・大槻泰生さんを偲ぶ会開く
9.19 東京明治公園、労働組合の底力示す6万の大結集、福島の怒り、世界にとどろく
9.25 反原発・熊谷アクション
10.1 京大生先頭に京大原子炉実験所に抗議
10.3 福島対政府交渉、全ての避難に賠償要求
10.7 福島と結び弁護士・市民集会
10.7 仙台で福島県教組迎え集会
10.10 NAZENフクシマを結成
10.15 郡山、集団疎開裁判勝利へ集会
10.20 自主避難にも損害賠償を=A子ども福島、文科省前でアピール
10.21〜23 東京、反原発で連日デモ
10.21 福島大で300人が昼休み集会
10.21 八戸市で原発と核燃廃絶へ労組結集
10.27 ヒロシマ女たちの座り込み
10.27〜29 原発いらない福島の女たち、全原発廃炉まで行動≠ニ経産省前座り込みに3000人
10.28 渡利の子どもたち守れ£n元の住民を先頭に300人が対政府交渉
11.2 玄海再稼働阻止へ九電に緊急抗議
11.6 日比谷野音で動労千葉など3労組主催の反原発・反失業の集会、6000人が結集
11.10 京大、反原発で大衆団交、警察導入と反対派排除で当局の謝罪をかちとる
11.12 福島大学で細野原発担当相を弾劾
11.13 福岡反原発集会、1万5000人が決起
11.23 ヒロシマの被爆者ら放射線シンポ弾劾
11.28 実験炉再稼働やめろ=A川崎・東芝原子力研究所に抗議
11.29 原発とめろ!新橋アクション
12.1 「とつきとおか」経産省前でスタート
12.6 原発事故賠償指針、「一律同額」に怒り12.3敦賀もんじゅを廃炉へ!¢S国集会に  1300人が結集
12.10 さようなら原発1000万署名集会、日比谷野音に「再稼働許さぬ」と5500人
12.11 青森、「核燃から漁場を守る会」坂井留吉さんを偲ぶ会開かれる
12.11 子ども福島、「福島返せ!」の叫び。生活村&デモ、団結固く
12.11 仙台でNAZENみやぎ結成
12.16 福島集団疎開裁判、却下決定許すな
12.28 原発いらない福島の女たち、東電・経産省は責任とれと「御用納め」に上京行動
●2012年
1.7 東洋大学、「放射能安全」シンポやめろと大学当局の加担を弾劾
1.14〜15 脱原発世界会議に1万1500人
1.16 法大デモで大学から原発とめよう
1.18 ストレステスト意見聴取会で、傍聴者排除に抗議して傍聴者が会場に突入して弾劾
1.27 経産省前750人がテントの撤去を阻止
1.31 NAZEN、経産省に申し入れ
2.11 すべての原発をとめろ≠Q・11代々木公園に1万2000人、全国で再稼働阻止へ行動
2.11 NAZENヒロシマ結成
2.11 反原発全国一斉行動再稼働阻止で
2.16 伊方原発、事故前提の避難訓練に抗議
2.19 ビキニデー58周年集会、核・原発の廃絶を宣言。内部被曝の危険性が鮮明に
2.19 長崎、新潟でNAZEN結成
2.26 玄海原発再稼働阻止佐賀県集会に2100人が結集
2.28 NAZEN、5万余の署名を提出
2.26 NAZEN東海を結成
3.4 国際婦人デー宮城集会
3.10〜11 郡山で女たちがプレ企画開催
3.11 3・11福島県民大集会、労働組合の旗たなびかせ郡山市開成山野球場埋めた1万6000人、福島の女たち先頭にデモ
3.11 全国と全世界で反原発の巨大なうねり
3.11 NAZEN沖縄結成
3.11 独仏など各国で大デモ
3.24 泊原発地元の岩内で1500人集会
3.26 柏崎刈羽原発再稼働反対の申し入れ
3.24 日比谷、さようなら原発、再稼働に絶対反対6000人の先頭にNAZEN
3.31〜 経産省前 女たちがリレーハンスト
4.7 反核燃$ツ森で全国集会 NAZEN青森を結成
4.11 日比谷で福井と結び700人緊急行動
4.11 原爆ドーム前で、原発再稼働止めろと広島の女たちのリレーハンスト出発式が行われた
4.14 NAZEN吉祥寺(準)の呼びかけで「反原発・反失業吉祥寺デモ」第4弾が行われた
4.15 全学連新歓で肥田舜太郎さんが講演
4.17 大飯原発再稼働させぬ≠ニ中嶌哲演さんら経産省前でハンスト開始
4.19 不当逮捕はね返し法大包囲デモ、福島大生らが文科省を追及
5.5 「原発ゼロの日/さようなら原発5・5集会」が芝公園で開催され5500人が集まった

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