International Lavor Movement 2012/07/01(No.431 p48)
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2012/07/01発行 No.431
定価 315円(本体価格300円+税)
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月刊『国際労働運動』(431号1-1)(2012/07/01)
■羅針盤 沖縄は「革命の火薬庫」
本土「復帰」から40年を迎えた5・15沖縄闘争は、「革命の火薬庫・沖縄」に新たな革命の火をつけた。青年労働者を先頭に「死すべきは基地だ。労働者は死んではならない」というコールが国際通りにとどろき、「怒・福島隊」ののぼりが掲げられ、沖縄とフクシマの怒りがひとつになり、沖縄における「動労千葉を支援する会」とその勢力が沖縄闘争のすべてに責任をとるものとして登場した。
大恐慌下に米新軍事戦略によって対北朝鮮・中国侵略戦争の攻撃が激化し、ますます強化される米軍基地と日米安保のもとで南西拠点化に突き進む自衛隊。さらに全国平均の2倍の失業率と43・1%(全国最高)もの非正規雇用労働者の存在。こうした沖縄の現実の元凶こそ新自由主義だ。これへの怒りが国鉄闘争を水路に福島の怒りとひとつに結合して解き放たれた。
この5・15の怒りと闘いの対極で、首相・野田は復帰式典で「日米安保の役割は重要だ」と普天間・辺野古新基問題を傲然と居直り、沖縄の労働者人民に敵対した。この野田を今や一時たりとも支配権力の座にのさばらせておくことはできない。日帝支配階級はもはや統治能力を失っている。これに労働者の団結と労働組合再生の力をもって対決し、新自由主義を打ち破り、勝利を切り開こう。
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月刊『国際労働運動』(431号2-1)(2012/07/01)
■News & Review 中国
「中国移動」で派遣労働者がストライキ
急速に進む労働者の非正規職化
4月15日、中国の代表的な電話通信会社である「中国移動」の四川支社で非正規派遣労働者がストライキに立ち上がった。彼らは、派遣労働者であるがゆえに賃金がピンはねされていることに抗議して闘っている。「中国移動」は、50万3000人の労働者を抱える大企業だが、そのうちの35万8000人が派遣労働者であり、実に全労働者数の71・2%に達しているという。7割以上が派遣労働者なのである。この中国移動のストライキに示されるように、今、中国各地で非正規労働者の「生きるため」の闘いが火を噴いている。
現在、中国では、年間18万件ともいわれるストライキなど労働争議をはじめとする「群体性事件」が起きているといわれているが、農民工のほとんどが非正規労働者であり、中国の労働争議の多くを非正規労働者が担っていると思われる。
□派遣労働者4割超、9割の企業も
中国の非正規派遣労働者の実態は、実は帝国主義諸国以上とさえ言ってもよいくらいのすさまじい現実がある。
中国では「改革・開放」政策のもとで、非正規雇用、派遣労働が一般化し、さらに日々増大している。中国共産党の共産主義青年団の機関紙である「中国青年報」(本年1月18日付)の記事によると次のような記述がある。
「調査によれば、03年に派遣労働者が企業の全労働者数に占める数は28・3%であったが、06年には33・8%に上昇し、07年には38・3%、08年の初頭には39・7%に達した。この2年間も上昇の趨勢にあり、業種別にみると製造業が最も多く、43・6%を占め、企業類型でみると国有企業が最も多くて47・2%を占め、個別企業では90%に至るものもある」
これは派遣労働者の数である。非正規雇用全体となると、新潟大学の溝口由己氏は、中国の統計資料の分析から2004年段階で7割と推定している。だが中国の統計の信用性と解釈の問題がそもそもあり、一方で統計で出てこない闇労働や「口頭契約」の問題もある。7割という数はさらに検討の余地があるが、膨大な非正規労働者が中国に存在していることは間違いない。
そしてこの記事はさらに上海の例をとりながら、派遣労働者の特徴について次のようなことを指摘している。
「派遣労働者は、ほとんどあらゆる企業業種にわたって存在していて、各種の企業や学校、病院や事務所に及んでいる。あらゆる職業や職種に存在し、党機関やその所属事業所さえも大量の派遣労働者を使用している。労働コストが低いため、多くの職場が非正規派遣労働者を採用しており、労働契約を結んだ労働者としての配慮をほとんどしていない。」
「(派遣労働者となる)人員の範囲は広い。非正規派遣労働者はほとんど戸籍を問わず、年齢を問わず、文化レベルを問わず、技能水準を問わず存在しており、はなはだしいことには大学を出たばかりの大学生さえも、派遣労働者の中に入れられている」
そしてこの派遣労働者の増大の現実は多くの問題を引き起こしているとして、次の6点が指摘されている
「一つは、同じ労働で違った報酬という問題であり、労働者の合法的な権益に損害を与えていること。二つは派遣先と派遣元、および労働者の3者の責任が不明確で多くの労働争議がおきており、労働者と社会の安定に影響をあたえていること。三つ目に、不良企業がまねをして、法律を遵守している企業との不公平を生み出し、法律の権威と政府のイメージを損なっていること。四つ目に、労働者の技能向上に影響を及ぼし、上海の産業の発展を制約していること。五つ目に、社会保障基金の収支のバランスをくずし、その持続的な発展に影響を与えること。六つ目に、就職の不安定と危機感を増大させ、労働者の企業と社会に対する不満を激化させていること」
こうした現実の中で、中国政府は「派遣労働者採用実施手続き法」という法律を制定することを急いでいるという。この報道自身、さらに新法の制定が、非正規労働の増大とそれが体制を揺るがす事態になろうとしていることへの激しい危機感の表われであるといえる。非正規雇用労働者、派遣労働者のストライキなどの闘いが、中国政府と資本を追いつめ、体制を揺るがしているのである。
(写真 「中国移動」の四川支社で派遣労働者が賃金のピンはねに抗議してストライキに決起【4月15日】)
(写真 重慶で数千人の労働者と学生が、生きるための保障を求めてデモ行進【4月10日】)
□「改革・開放」下で増大した非正規雇用
ケ小平のもとで78年末から中国では「改革・開放」政策が開始された。それから今にいたる30年余は、中国史上でもまれに見る大きな社会の変革期であった。それは毛沢東時代の社会システムのあり方を根底から解体し、新しい別の社会システムに移行していった過程であった。
毛沢東時代の社会は、労働者や農民は、工場や人民公社にそれぞれ所属し、大きくはその中で一生を過ごす社会であった。工場や人民公社はそれぞれ、住宅はもとより学校や診療所、風呂場や食堂などを備え、「ないのは火葬場だけ」といわれる自己完結的で閉鎖的な社会をつくっていた。都市と農村は明確に区別され(戸籍を区別した)、労働者も農民も人々の移動は大きく制限され、特に農村から都市への移住はほとんど不可能であった。経済のあり方は配給制であった。
農民を農村にしばりつけたのは、都市人口を増大させず、農村からの収奪で都市住民への配給による食料を確保し、それによって都市部の産業の発展を進めていく基盤を保障しようとしたからであった。労働者の職業は政府によって決められ、労働者は決められた職場で生涯働き(事実上の「終身雇用制」)、一生を過ごしていた。老後の生活も、その所属する工場が面倒を見た。労働者も工場にしばりつけられており、なんらかの事情で旅行などに行くときは、すべて工場細胞の許可が必要な社会だった。
こうした毛沢東時代の社会は、労働者が徹底的に統制・監視される社会であったことを意味しており、労働者が社会の主人公たる共産主義のあり方とはまったく別の社会であった。労働者が疎外された社会であった。また配給制を採っていたということは、いかに社会が貧しかったかも意味している。毛沢東はスターリン主義者として、@世界革命から切断された一国社会主義建設を推進し、Aしかも労働者が社会の主人公ではなく、逆に労働者が徹底的に疎外された社会をつくりだし、その結果として毛沢東的な一国社会主義建設は文化大革命の大混乱を通じて最後的に破産していったのである。
こうした毛沢東的な一国社会主義建設の破産の中で、ケ小平の「改革・開放」政策が開始される。ケ小平は、一方で大胆な外資導入政策を展開し、一方で中華民国以来の資本家たちを再起させて民族資本の育成をはかり、そして毛沢東時代の閉鎖的な社会のあり方を徹底的に解体して「自由な労働者」を大量に生み出したのである。
人民公社は解体された。「改革・開放」政策はまず農村から始まったが、人民公社の解体とともに農地請負耕作責任制度が導入され、個々の農民が個別の土地の請負耕作を認められるようになった。農民は人民公社から「自由」な存在となったが、同時にこの結果、農村の潜在的な過剰人口が明らかになっていった。従来の国営企業は国有企業(所有と経営の分離)となり、一部は民営化され、それまでの一生の生活を「保障」した工場のあり方は解体されていった。労働者も今や「自由」な存在となった。また毛沢東時代の「終身雇用制」的なあり方もなくなった。労働者は企業との労働契約で、労働年限を決める社会となったのである。
農村からの移動は緩和され、農村部における潜在的な過剰労働力が、都市部における急速な工業化の進展とともに、農民工(出稼ぎ労働者)として都市部に大量に流れ込むようになった。その数は今や2億5300万と言われている。膨大な農村からの「自由な労働者」が生み出された。しかし都市と農村を分離した戸籍制度は、基本的に今もそのまま残っている。農村出身、もしくは農村出身者を両親に持つ者は、農村戸籍を持つ以上、事実上は都市で労働者として生活していても、都市の正式な住民にはなかなかなれないシステムなのである。このあり方が、農民工は基本的に非正規雇用にならざるを得ない現実を生み出している。
中国で労働法が初めて制定されるのは1994年であり、それまでは労働法は存在していなかった。また「労働合同法」(日本語に訳すと「労働契約法」)が中国で制定されるのは、なんと07年である。つまりそれまでは正式な労働契約の法的根拠はなかったのである。しかもこの現在の「労働合同法」は派遣労働を合法化し、しかもアルバイトにあたる臨時工に対しては口頭契約さえ認めているのである。
こうした現実総体が生み出したものが、中国における膨大な非正規雇用労働者の存在にほかならない。したがってこの「改革・開放」政策下の約30年間というのは、中国において事実上、新自由主義的な政策が全面展開され、毛沢東時代の旧社会が全面的に解体されて、膨大な「自由な労働者」が生み出されていった過程であり、非正規雇用が一般化していった過程そのものなのである。ケ小平が「改革・開放」政策を開始する78年は、中曽根やレーガン、サッチャーが登場し、帝国主義が危機の中で新自由主義を開始する頃であるが、帝国主義とスターリン主義の現代世界が本格的な崩壊過程に突入し、その一環として中国スターリン主義の毛沢東主義的な一国社会主義建設も破産していく中で、ケ小平は「改革・開放」政策を展開し、中国史上もまれにみる新自由主義的な社会の大変革を行い、労働者と農民を犠牲にしながら、中国スターリン主義の延命をはかったのである。
□非正規雇用労働者の闘いとその国際性
中国スターリン主義は、89年の天安門事件で決起した学生と労働者の闘いを血の弾圧で圧殺し、暴力的な支配体制のもとで経済成長を急成長させていった。今や日本を追い抜いて世界第2の経済大国となった。この成長を支えたものこそ、膨大な中国の非正規労働者の存在にほかならない。
だが労働者と農民に犠牲を押しつけながら、一部の者だけが肥え太り、多くの労働者農民が「生きられない」状態となり、反乱や不満を暴力で圧殺していくというあり方は、今や完全に限界にぶちあたっている。労働者、そして農民の膨大な決起と抵抗を、力ではつぶしきれない状況に入っているのである。日々増大する非正規労働者の存在は、この反乱の力を日々増大させている。
こうした中国スターリン主義の支配の危機、体制的危機の深まりの中で、政治改革を一定進めようとする「改革派」と「保守派」の対立が破産的に激化し、いわゆる「重慶事件」という保守派の薄煕来重慶市書記の失脚にいたる事件が起きている。しかし政治改革でこの中国スターリン主義の危機は乗り切れるのか? 断じて否である。今始まっている中国の危機は、まさに毛沢東からケ小平に至る中国スターリン主義のスターリン主義としての破産に根ざすものであり、労働者の闘いも必然的に中国スターリン主義打倒までやまない本質を持っている。そしてその根底に、膨大な非正規労働者の存在と闘いがある。
動労千葉の「外注化阻止」「非正規雇用反対」の闘いは、まさに中国の労働者の決起、そして全世界の労働者の決起に通じる闘いであり、労働者の新たな国際連帯をかちとっていける核心である。中国の非正規労働者との連帯をもかけて、6月国鉄闘争の爆発をかちとろう!
(河原善之)
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《資料》 陜西省郵政非正規労働者の訴え
私はある大きな県の郵政局の“臨時工(非正規労働者)”(今では“労務工”と呼ばれています)です。
私の局には郵政労働者が380人ほどおり、そのうち正規職が160人ほど、臨時工が200人ほどおります。臨時工は郵政労働者全体の50%以上を占めており、全局の正社員の90%は(本局の)管理部門や生産班にいて、都市の支局にも少しいますが、各郵便局の支局、とりわけ農村の支局はほとんど私たちのような臨時工です。
長期にわたる郵政事業の大発展の中で、最も汚れ、最も苦しく、最も疲れる労働はすべて私たちがやってきたのです。私たちの半数以上が、郵便電信関係の仕事に10年以上従事しており、15年以上20年以下の者も4分の1を占めています。
中国の郵政に尽くした貢献は衆目の認めるところですが、しかし待遇はどうでしょうか? 仕事がどんなに良くできようとも、賃金は月800元(約1万円)を超えることはなく、奨励金は正規職の半分ですが、収益が良くないときは奨励金どころではなく、ひどいときには賃金から差し引かれ、時には手にする賃金が200元(約2500円)前後だったり、さらに低かったりします。
労働者代表大会(工会の大会)が開催されても、私たちは代表が列席して参加できるだけで、発言権も選挙権もなく、工会(中国の官製労働組合)加盟でさえ私たちに(就職してから)2年間はさせないのです。
そもそも私たちは社会保障さえまったく与えられていませんでしたが、2005年に圧力に迫られて初めて私たちを評定することが行われ、3分の2が選び出されて全省の最低基準の養老保険の対象となりました。
養老保険金を納めた後の賃金は600元(約7500円)であり、差し引かれる費用などを除くと残るのは月に450元(約5100円)で、仕事が終わった後の奨励金は依然として正規職の半分です。もし仕事が終わらなければ、奨励金が出ないばかりか、受け取った450元の賃金を上納しなければならなくなり、お金が足りなくて親戚に借金に行くことになります。
(図 「正式工」と「臨時工」の賃金格差を風刺した漫画)
この数年間、毎年8月15日には月餅を販売し、元旦には郵便葉書を売っていますが、ノルマを完全にこなすのは難しく、いつも自分で買い取ることになります。
私たちが涙を流して月餅を食べ、買い取った郵便葉書の山を見ながら憂鬱になっているときに、局の幹部たちは仕事を完遂し功績を挙げたということで、多額の奨励金を手にし、上級局の有功者リストに載り、喜びながらシンガポールやマレーシア、タイへの旅行に出て行くのです。まさに「声に出して歌っても世の中の苦しみは尽きず、喜ぶ人もいれば悲しむ人もいる」というわけです。
彼らが浪費しているのは、すべて私たちの血と汗で儲けた金なのです! ある人は言います。
「郵政局の臨時工の待遇がこんなに低いのにもかかわらず、あなたたちはこんなに何年も働いてきた。どうして正規職にならないの?」
これは私たちにとっても夢にまで見る願いです。
しかし過ぎ去った多くの年の中で、私たちの局でも数十名の正規職が新しく誕生しましたが、臨時工から正規職になったものは十数人です。
彼らは上にへつらいつくして望みを実現したり、金銭を送ったり、つまり目的に達する手続きを踏まなければ目的を達せないというわけで、私たちのように@金もなければA官僚の友達もいない者は、ただ自分の苦しい労働に頼る以外になく、正規職になりたいと思ってもそれは天に昇るよりも難しいのです。
またある人は言います。
「あなたたちは離職して、もっと高収入の別の仕事を考えたら?」
これは活路になるかもしれませんが、しかし私たちは皆17、18歳で郵便電信系統に就職し、現在多くの人たちは40歳になろうとしています。すでに自分の青春の日々をここに捧げ、今出て行くというのはとてもそんな気になれません。
今は市場経済の時代であるとはいえ、腕のある人が別のところで力を発揮できるというのは、エリートである少数の人の話であり、私たちはかくも平凡な多数者なのです。ましてや今、就職はますます難しくなっており、私たちのような者が、他の仕事を見つけることは簡単ではありません。だから今の郵政の仕事を私たちは「鶏肋」(注)と呼んでいるのですが、簡単にやめるわけにはいかないのです。
正規職と非正規職は同じ労働で報酬が同じにならない。私たちが最も汚く、最も疲れて、最も苦しい仕事をしているというのに、逆に最も低く、最も薄い報酬となり、そして差別を受けています。これが道理なのでしょうか? 農民工問題も重視されてきていますが、いつになったら郵政業務の非正規労働者の「同一労働同一賃金」問題に関心を持っていただけるのでしょうか。
(注)「鶏肋」とは、鶏のあばら骨のこと。鶏のあばら骨には大して肉がないけど、かと言ってダシはとれるので捨てるには惜しい。大して役に立たないのに、捨てるには惜しい物のことを指す。もともとは『後漢書』「楊震伝附楊修伝」などに出てくる曹操の言葉。
(写真 広東省莞市虎門大寧村にある日系リズム時計の工場の1000人の労働者が待遇改善を要求してストライキ【4月12日】)
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月刊『国際労働運動』(431号2-2)(2012/07/01)
■News & Review 日本
PAC3口実の戦争動員に沖縄の怒り
沖縄の米軍基地・自衛隊基地強化が狙い
□米日韓の軍事重圧
米日韓の軍事重圧の強まりの中で、4月13日、北朝鮮は「衛星の打ち上げ」に踏み切ったが、「ロケット」が空中爆発し「打ち上げ」は失敗に終わった。
3月1日から始まった米韓軍事演習「フォールイーグル」は4月末まで実に2カ月間も続いた。「全面戦争」に加え北朝鮮「急変有事」を想定した演習を実施した。
なかでも3月29日、「双龍訓練」と称する史上最大の米韓海兵隊上陸演習が浦項で実施された。上陸作戦は、「ピョンヤン占領」を想定した作戦だ。沖縄の第3海兵遠征軍を含む在日米軍6000人が参加した。
佐世保の強襲揚陸艦隊も総力出撃した。新たに佐世保に配備された「ボノム・リシャール」が沖縄海域で「エセックス」(=旗艦、近代化工事のため米本国へ回航予定)と合流し演習に参加した。「ボノム・リシャール」は「沖縄に配備されるオスプレイを搭載すべく飛行甲板を強化された最強の強襲揚陸艦」だ。
5月7日から18日まで、「朝鮮半島での戦闘発生直後を想定した」という史上最大規模の米韓空軍演習が続き、戦争重圧を加え続けている。
こうした中で、北朝鮮の南部でも北部でも、「餓死者が2万人」「歴史上最悪の状況」「党地方庁舎に食料問題解決を求める要望書と抗議行動」発生といった新聞報道が何回もされている。北朝鮮・金正恩体制の必死の延命策動であった「衛星打ち上げ」が失敗し、朝鮮半島危機の深刻化と東中国海からインド洋にいたる米韓日豪比の対中軍事態勢の強化がすさまじい勢いで進んでいる。
(図 自衛隊とPAC3の配備)
□「国民保護計画」発動
日帝・野田政権は、「ミサイルが落ちてくることはない」し、「武力攻撃にはあたらない」から「国民保護法は適用できない」と認めていた。本音では「破片すら落ちてこない」と高をくくっていたが、「万が一に備え」などと言いなし、災害対策基本法に基づく「避難勧告」や「立ち入り制限」を実施するとしていた。
そもそも、「自衛隊法82条第三の3項を適用し破壊措置命令」を出す根拠さえなかった。しかし実質的には「武力攻撃」を想定した「国民保護法」を完全に発動した。戦争体制に突入した。
第15旅団(那覇)を基幹とする陸自300人をもって石垣島新港地区を「接収」し、子どもの遊び場さえ立ち入り禁止にし、全国初の実弾警備を実施した。
PAC3(地対空誘導弾パトリオット3)や自衛隊資材の那覇港搬入時、港湾労働者の抗議を締め出して、浦添埠頭を「接収」・立ち入り禁止にし、自衛隊が管理した。PAC3とセットで核テロ専門部隊の特殊武器防護隊(那覇)や化学防護隊(北熊本)、そして核(ニュークリア)、生物(バイオ)、化学(ケミカル)兵器による汚染状況を調べるNBC部隊を含む警察機動隊を配備・展開した。与那国島には50人もの自衛隊員を配置したが、「衛星」の飛行コースと想定された多良間島には5人の連絡員を置くのみで済ませた。
石垣島450人、宮古島250人、沖縄本島200人、与那国島50人、多良間島5人など1000人超の自衛隊部隊輸送の主力を「民間契約」の貨物船(=定期フェリー)が担った。
三重県白山基地のPAC3(発射機計4機と関連車両)は、海自の揚陸艦「おおすみ」「くにさき」が「自前」で輸送したが、岐阜県各務原基地のPAC3(発射機計4機と関連車両)や南西展開の主力である15旅団(那覇)51普通科連隊・15特防や8師団(北熊本)など陸自と関連車両は、民間貨物船(=定期フェリー)で輸送を実施した。
「根拠」らしいものは沖縄県知事と石垣市長・宮古島市長・那覇市長・南城市長の承認や与那国町議会の誘致決議(5名の町議のうち3名の町議の全会一致)だけだ。
デタラメ極まる承認や決議のもとに、危機管理対策本部が立ち上がり、庁舎に常駐した自衛官が危機対策本部会議に参加した。自治体労働者と指定管理業者に24時間即応態勢を強制した。
「武力攻撃」に対する最初にして最大の対応としてある警報発動を、全国瞬時警報システム「Jアラート」を使って「衛星発射」時と「上空通過」時の2回発動することをもくろみ、発動訓練を4月5日と4月10日の2度にわたって繰り返した。
4月9日、沖縄県教育長は「衛星発射時に屋内退避を呼びかける」通知を市町村教育長、教育事務所長、県立学校長に送付した。仲井間知事は全県下に「北朝鮮ミサイル発射」に関するメッセージを流し、国交省は民間航空機への注意を呼びかけ、軽飛行機やヘリコプターの飛行自粛を呼びかけた。
石垣市は、午前の体育の授業を午後に替えたり、体育館での授業実施を決めた。幼稚園では遠足を中止した。「衛星」発射時にはJアラートを発動した上、警報サイレンを鳴らすことを市独自に決定した。南城市では11日早朝から夜まで、「ミサイル発射」に関する放送を市内全域に流した。
このような「戒厳令」下の沖縄で、労働組合の抗議闘争やデモが果敢に闘われた。PAC3入港時に、那覇港や平良港で港湾労働者や労組員の抗議闘争やデモが闘われた。県庁と宮古島市役所には常駐する自衛隊に対する直接の抗議行動が闘われた。4月11日には、那覇国際通りを、PAC3配備反対の240名のデモが行われた。
マスコミは、連日、県庁舎や市庁舎の危機管理対策本部につめかけ、問い合わせを繰り返して、「ミサイル情報」を洪水のように流し続けた。しかしながら実は、労働者・市民は「ミサイル情報」のウソも見抜いていた。
宮古島市役所にはマスコミからの問い合わせが殺到したが、市民からの問い合わせはゼロであった。
労働者人民の怒りは日毎に高まっていった。
「お願いだからこれ以上騒がないでほしい、政府やマスコミは責任を取れるのか」(観光協会事務局長)
「ミサイルよりも武装した隊員が基地の外にいることが不安」(元高校教員)
「ここでは毎日、米軍のヘリが頭の上を飛び、墜落事故も起きている。北朝鮮のミサイルが落ちるのと、どっちの確率が高いんでしょうね。おかしな騒ぎですね」(運転代行業)
実際、「ミサイル警戒」期間中の4月7日にバージニア州の海軍航空基地を離陸したばかりの米主力戦闘機F18Dが住宅街に墜落し、4月11日にはモロッコで強襲揚陸艦「イオージマ」(=佐世保配備の「ボノム・リシャール」と同型艦)から離陸したばかりのオスプレイが墜落した。同日、米テキサス州でもオスプレイが電気系統の故障で麦畑に緊急着陸した。12日には嘉手納基地で垂直離着陸機ハリアーが墜落に近い形で滑走路に落ちた。
「ミサイル」騒ぎと自衛隊配備に加え、相次ぐ米軍機墜落に対して怒りはどんどん高まるばかりだった。
こうした労働者階級の反撃の高まりの中で、野田政権はあえなく独自の「衛星」追尾とJアラート発動に自滅的に失敗した。
有事体制に沖縄と全国の労働者階級を組み敷き、原発再稼働と新日米共同宣言「太平洋の動的防衛」体制の突破口を開く策動は破滅的に頓挫した。
沖縄では、7月オスプレイ普天間配備決定に対する怒り、普天間補修明記と予算化に対する怒り、辺野古新基地建設に対する怒りが爆発寸前になっている。
米軍新軍事戦略は、沖縄の海兵隊戦力や県内基地の削減ではなく飛躍的強化を土台にしている。独自で司令部機能を持つ即応部隊(MAGTF=マグタフ)を沖縄だけでなく、東中国海からインド洋までフィリピンも含めて分散配置する構想は、世界戦争としての対中国戦争の大きさを見据えて、分散だけではなく有事即応と集中を含めて考えられている。
キャンベル国務次官補ら政権の中枢が発言しているように、沖縄的には普天間と嘉手納だけでは対応不能になる、だから辺野古に最強の新基地を建設する必要があるなどと無茶苦茶な「理屈」を沖縄に押し付けているのだ。
(写真 石垣市街地を走るPAC3発射機【4月5日】)
□新軍事戦略と米日帝の決定的危機
太平洋をめぐる米日帝による「動的防衛力」とは、トモダチ作戦を見ればよい。大恐慌の深刻化と帝国主義どうしのつぶし合いが激化する中で、米帝が脱落日帝など徹底的にたたきつぶし滅ぼしていく“衝動”が働いている。米太平洋軍(ハワイ)の指揮のもとに陸海空自衛隊、韓国軍、豪軍が対中国戦争を遂行する新しい戦争が始まっている。
実際に空自総隊司令部は横田に移転し運用を開始し、ハワイの第13空軍第1分遣隊指揮官(第5空軍副司令官を兼任)と連携している。自衛隊中央即応連隊司令部は在日米陸軍司令部がある座間に13年の移転が決まっている。ハワイの指揮のもとに陸自も明示に入る。日米共同指揮所演習「ヤマサクラ61」に明らかなように、統制官はハワイのワーシンスキー中将だ。ここに米第8軍(在韓米陸軍)の司令部要員150人がソウルから初参加している。オーストラリア陸軍の幹部も「ヤマサクラ」に初参加している。
同時に日帝は、米領テニアンに日米共同訓練基地を建設し、南西防衛を「超え」て「フィリピン防衛」にエスカレートしている。
しかしこれほど危機的・破産的なことはない。階級的力関係を無視して軍事をエスカレートせざるを得ないまでに米帝も日帝も追い詰められているのだ。労働者階級が帝国主義による生活破壊と原発再稼働と戦争に怒りを爆発させる情勢を帝国主義の側から推進せざるを得ない。
「極限的な搾取の破壊的強行」(ショック・ドクトリン)とは、イラク・アフガン戦争と占領統治の破産を指すだけではない。大恐慌の深化と争闘戦の激化の中で、今度はアジア太平洋で、米・日・韓・北朝鮮・中国の労働者階級を巻き込んだ階級戦争としてそれは爆発しようとしている。イラク労働者階級と労働組合が新自由主義の侵略戦争に勝利して米帝をイラクからたたき出したように、米日韓の労働者階級は米日帝の戦争攻撃と対決し、アジアにおいて世界革命の突破口を開くのだ。
□「復帰」40年の沖縄反軍闘争の条件の成熟
PAC3展開を通した有事体制の攻撃を打ち破った沖縄県で、「復帰」から40年の現在、「自衛隊の入隊者は計約7230人」に達した。「復帰の年は20人ほど」だったが、その後「100人から200人前後が定着」した。受験者数は増減を繰り返しながら、本年度は約1330人が挑んだ。
「待遇が安定した就職先として認知されてきた」(高校教師)「家に経済的な余裕がなかった。家族が安定している公務員を望んだため入隊を決めた」(自衛官3等陸曹28歳、05年イラク・サマワ駐屯)など“安定した職業”としての「自衛隊観」が「定着」した現実がある。
沖縄県の総合防災訓練は自衛隊参加と規模が年々増加していたが、11年度は特に突出していた。石垣島がメイン会場になった。自衛隊の現場長は第15旅団(那覇)の旅団長であったが、VIP席には陸自西部方面総監、海自佐世保総監、空自南西航空混成団司令官ら南西防衛の担当責任者らが居並んだ。揚陸艦「くにさき」が石垣港に初入港(大型艦の入港は初めて)し、訓練では竹富島にLCACを発進させ、上陸訓練を行っている。
メイン会場には沖縄本島からF15J戦闘機が飛来・偵察後、多用途ヘリから自衛隊員が降下してヘリパッドを建設し、大型ヘリのCH47Jを迎え入れ、ここから偵察用オートバイと高機動車を発進させ「救助」をスタートさせるといったことが行われた。石垣島の中高生が多数動員され、津波警報とともに避難する「市民役」を演じた。
こうした防災訓練や八重山への育鵬社版教科書強要など、「準備に準備を」重ねてきた日帝の有事動員攻撃が、今回のPAC3展開において、労働者階級の反撃の中で破綻したことは絶対に大きい。
今、階級的労働運動の前進は、青年労働者の闘いを先頭にして、福島と結合し、「国鉄労働者の首を切ったのも、原発を次々に建設したのも、沖縄に基地を押し付けてきたのも、同じ連中だ」「敵は一つだ」という根底的な闘いとして開始されている。「基地労働者の置かれている現実と原発労働者の置かれている現実は同じだ」
そして「職業としての自衛隊」という現実の進行は階級的労働運動の前進と一体で、反軍闘争の条件を成熟させている。オスプレイ7月配備と普天間固定化に対する怒りの爆発と結合し、階級的労働運動の大前進をかちとろう。日帝の戦争攻撃をプロレタリア革命に転化しよう。
□国鉄と原発で階級的労働運動を甦らせよう
新軍事戦略と「エアシーバトル」なる新自由主義の世界戦争を打ち破る“根源的な力”が職場の労働者一人ひとりの階級的決起と団結の中にある。プロレタリア独裁の力は職場にある。職場で資本と闘い、労働者は団結し、資本の支配を覆し、戦争を阻止し、プロレタリア独裁能力を獲得していくことができる。この労働者の闘いと一体で前進する中で革命党は革命党になっていく。
今こそ地区党の団結を固め、労働運動の現場に飛び込み労働組合を立ち上げ拠点職場をつくり、労働者と兵士のビボルグ地区をつくりあげよう。
このように言えるのは、動労千葉の闘いがあるからである。分割・民営化決戦から25年、動労千葉は闘って団結を固め勝利してきた。日帝とJR資本の生き残りをかけた4・1全面外注化・非正規職化攻撃をストップさせる勝利を闘いとってきた。4・1の勝利は、帝国主義間争闘戦の時代に日帝の根幹をなすJRで、職場の団結破壊と全労働者の非正規化攻撃を粉砕し、これを根底的にかつ広範に打ち破る勝利だった。これは、職場を資本に売り渡し帝国主義戦争に全面協力する帝国主義労働運動を階級的労働運動が打倒していく「鬨の声」だ。
今や、3・11大震災と原発大事故に対する、被災地と福島現地の労働者に結合するすさまじい地区党の決起と団結が闘いとられ、福島と沖縄の階級的結合が闘いとられている。鈴木コンクリート工業分会や郵政非正規ユニオンの決起と闘いが始まっている。
地区党建設と拠点職場建設の一体的前進こそプロレタリア革命の土台である。自衛隊兵士を引き付けるのもこのような労働者党である。兵士の軍隊内決起と軍隊内細胞建設も地区党が担う闘いである。
(志津川覚)
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月刊『国際労働運動』(431号2-3)(2012/07/01)
■News & Review アフガニスタン
アフガン長期駐留を決めたNATO首脳会議
タリバンの春季攻勢に追いつめられた米帝
□タリバンの4月攻勢
(図 爆発・銃撃があったカブール中心部)
アフガニスタンで4月15日、反政府武装勢力・タリバンが、首都カブールなど各地で一斉に大規模な攻撃を行い、戦闘は丸1日近くにわたって続いた。
カブールでは、中心部の大使館が集まった地域に対して高層ビルを占拠した武装勢力がロケット弾などで攻撃し、アフガニスタンの治安部隊との間で激しい戦闘となった。
攻撃を受けたのは警察本部や国際治安支援部隊の司令部や、アメリカや日本、ドイツ、イギリスの大使館、それにアフガニスタンの議会などだ。
雨のように絶え間なく携行式ロケット弾が炸裂し、日本大使館の公使室の外壁には砲弾による直径30aの大穴と、別の砲弾1発がのめりこんでいた。事務棟の部屋では砲弾がガラス窓を突き破って直撃。
大使館は高さ4bほどの堅牢な壁に覆われている。入り口のゲートにたどり着くまでに数カ所の検問があり、ゲリラ攻撃を想定して、至るところに土嚢が積み上げられている。02年の大使館再開以来、要塞化が進められてきた。大使館員は全員が防空壕に避難した。つまりまさにここは戦場そのものだ。
カブールの日本大使館は、米、英の大使館と同様に、まさに侵略戦争遂行国の最前線基地になっているのだ。日帝は自衛隊を派兵していないものの、資金援助などをしている。09年に日帝は政府開発援助(ODA)から約141億円を拠出し、8月に予定されるアフガン大統領選終了までの半年間、全警官(約8万2
000人)の給与を負担し、一貫して警察官の増員、訓練などの支援をしている。侵略戦争の一翼を担っている。
今回の戦闘は01年の米軍のアフガニスタン侵略戦争開戦以降、10年以上に及ぶ戦いのなかでカブールで起きたタリバンの戦闘としては最大規模のものとなった。
北大西洋条約機構(NATO)は14年末までにアフガニスタンに駐留する13万人の兵員を引き揚げ、治安権限をアフガニスタン側に移譲する計画だが、今回のタリバン攻撃によってその破産性が明らかになった。
このタリバン同時多発攻撃に対する作戦では、国際治安支援部隊(ISAF)ではなく、アフガニスタン治安部隊が指揮をとった。だが、NATO報道官によると、アフガニスタン側からの要請を受けてNATOの航空機も上空から支援を行ったという。
ISAFのジョン・アレン司令官は直ちに声明を出し、「カブール攻撃に際し、アフガニスタンの治安部隊は迅速かつ統率された対応をとり、市民を守って武装勢力をおおむね封じ込めることに成功した」とアフガニスタン治安部隊を称賛した。
だが、多数のタリバン戦闘員がカブール中心部に設置された「鋼鉄の輪」と呼ばれる検問所群をくぐり抜けて、誘導弾などの多数の武器を持ち込んで重要施設を襲撃したという事実は、治安体制の脆弱性をまざまざと見せつけた。
今回の同時多発攻撃で、タリバンは米国、英国、ドイツ、日本の大使館が集まる地区を襲撃。さらにタリバン戦闘員らは議会議事堂への侵入も試み、屋上に上がった議員や警備員たちとの間で銃撃戦になった。
ある西側外交官は、「これほどの同時多発攻撃を実行できたということは、いつでもどこでも思うがままに攻撃する能力がタリバンにあるということを示している」と打撃感を吐露している。
タリバンは「これはアメリカ兵による事件への報復攻撃であり、春の軍事攻勢の始まりだ。今後さらに攻勢を強める」と戦闘声明を発している。
アフガニスタンでは2月に米兵がイスラム教の聖典コーランを焼却したことで各地で抗議デモが起き、大勢の死傷者が出た。3月には南部で米兵が深夜に民家に押し入り、寝ていた住民に銃を乱射し、子どもや女性など17人を虐殺した。アフガニスタン人民の侵略戦争軍隊・米軍とISAFに対する怒りが沸騰している。
(写真 アフガニスタン治安部隊とタリバンの戦闘で爆発する建物【4月16日 カブール】)
□5月NATO首脳会議
シカゴで5月20日開幕した北大西洋条約機構(NATO)首脳会議は同日夜、「シカゴ宣言」を採択した。
宣言は、NATO主導のISAFによるアフガニスタンでの活動について、13年半ばまでに戦闘主体の任務から、訓練、支援主体の任務に切り替えていく方針を明記した。13年半ば以降はアフガン治安部隊が戦闘任務を主導し、ISAFは必要に応じ戦闘を支援する。さらに、当初の計画通り、14年末までにISAFが戦闘任務を終了、撤退し、アフガン側に治安権限を移譲する一方、15年以降も訓練や支援の任務を継続して行うとしている。
つまり米軍を始めとする侵略戦争軍は、完全撤退せずに15年以降もアフガニスタンに長期駐留するということだ。
さらに宣言は、NATO加盟諸国や日本などにアフガン治安部隊の維持にかかる費用の財政負担を求めた。
年内に過去最大の35万2千人にまで増員するアフガン治安部隊の支援体制にも課題が残る。治安の安定化を成し遂げ、14年以降は治安部隊を約25万人にまで減少させる方針だが、それでも訓練などの諸経費に年40億jが必要だ。米国は3〜5割を負担する意向だが、債務危機を抱える他の同盟国は新たな支出に及び腰となっている。
新たに大統領になったフランスのオランドは、NATO首脳会議を前に、アフガニスタンからの仏軍撤退時期を今年(12年)末に前倒しにしながら、13年以降はアフガン国軍訓練部隊を残す方針を示した。
これは、早期撤退の選挙公約を守りながら、NATOにも配慮した妥協の産物だ。米帝が主導するNATOの撤退スケジュールに異を唱えつつ、早期撤退の労働者人民の要求に応え、なおかつNATO加盟国からの批判をかわす、というものだった。
フランスが早期撤退にこだわる背景には、タリバンではなく国軍であるアフガン兵に仏軍兵士が射殺されるなど、01年の派兵開始から仏兵の死者が80人を超え、派兵への反対が国内で広がっていることがある。世論調査では国民の約8割がアフガン派兵に反対している。欧州債務危機による財政危機で、負担感がさらに高まるのは確実だ。
去年7月に、ISAFからアフガニスタン側に治安維持の権限を引き渡す権限移譲も始まり、それに伴いアメリカ軍が撤退を開始した。今年秋までに全体の3分の1の3万3000人が撤退する予定になっている。その後の撤退計画は今回のNATO首脳会議で決められた。
ニューヨークタイムズなどが3月末に行った世論調査によると、3分の2を上回る69%がアフガニスタンで戦争をすべきではないと答え、アメリカ軍の即時・または早期撤退を求める人が半数近くの47%に上っている。早期撤退論が高まっている背景には、アフガニスタン侵略戦争がすでに10年を超え、これまで1700人以上の米兵士が死亡し、多数の負傷者を出し、戦費も年間1000億j以上に上っていることも大きな要因だ。何よりも米陸軍が疲弊し、戦争遂行能力を失っていることがある。新自由主義の攻撃により社会がバラバラに分断され崩壊していることがある。
しかし米帝オバマは、アフガニスタンの治安部隊の増強や訓練が不十分なまま、早期に撤退すれば、タリバンの復活を招き、これまでの軍事的な成果も失われかねないことを恐れている。だからオバマは14年以降も長期にわたって一定数の訓練要員や特殊部隊を駐留させ、影響力を維持しようとしている。
一方のアフガニスタンのカルザイ大統領は、アメリカ軍が早期撤退すれば政権維持が難しくなり、内戦状態に陥ることは確実であるため、早期撤退には反対で、14年以降も米軍の駐留を望んでいた。
そのため、今回のNATO首脳会議で、15年以降もNATOはアフガニスタンに留まるとの結論が盛り込まれた。
□パキスタン情勢
今後のアフガニスタンにとって重要なのが隣のパキスタン情勢だ。しかし、そのパキスタンも、アメリカとの関係が去年のオサマ・ビンラディンに対する襲撃事件のあと最悪の状態に落ち込み、両国のアフガニスタン侵略戦争体制における協力関係はほとんど途絶えた。パキスタンは、昨年11月の米軍の爆撃でパキスタン兵24人が死亡した事件に反発し、補給路を閉鎖した。
パキスタンを経由してアフガニスタンに米軍やISAFの戦争物資を届ける輸送ルートは5カ月間も閉鎖されたままになっている。またアフガニスタン東部でも反米武装勢力がパキスタン側からゲリラ戦争を展開しており、パキスタン軍の協力がなければどうにもならない情勢になっている。またタリバンとの和平交渉も、タリバンと密接な関係があるパキスタンの協力がなければ、進まないことははっきりしている。
5月19日、パキスタン政府は、アフガニスタンの米大使館向けの物資が18日、パキスタンから国境を越えてアフガンに向かったことを確認した。5月のNATO首脳会議にはザルダリ・パキスタン大統領が出席する。会議を前に補給路を再開させ、NATOへの協力姿勢を示そうというわけだ。
パキスタン政府は再開と引き換えに、トラックなど1台につき、1千j(約8万円)の通行料の支払いを、ISAFを主導する北大西洋条約機構(NATO)に要求。通行料は新たな″経済支援”になるとしてパキスタン側は期待を寄せるが、米国などNATO側は通行料収入の使途の透明化などを求めており、両者間の協議は決着していない。
また、パキスタン議会は先月、補給路再開へ向けた指針を採択。無人機によるパキスタンでの空爆の中止に加え、昨年11月の空爆事件に関する謝罪を求めている。
しかし米帝は、パキスタン北西部部族地域での無人機攻撃を傲岸不遜な態度で続けている。パキスタン人民の怒りなどまったく聞き入れるつもりはないのだ。
「オバマ米政権は無人機を人里離れた場所にある武装勢力の聖域に対する効果的な道具とみている」(米東西センターのシャビル・チーマ上級研究員)と居直っている。
パキスタンからアフガニスタンに向かうISAFの物資輸送路は閉鎖前は、全物資の輸送の約3分の1を担っていたが、現在は大半が中央アジア諸国経由になっている。
しかしISAFは、14年までに治安権限をアフガン側に全面移譲する撤退戦略を具体化させている。パキスタン内の補給路は撤退に伴う大型の装備品移送などで重要視されている。
□アフガン駐留外国軍兵の死者、3千人超に
アフガニスタン駐留外国軍兵士の死者数が、01年のアフガン侵略戦争開戦以降、累計で3000人を超えたことが米民間調査機関「アイ・ケィジュアルティーズ」の調査で分かった。同機関によると、累計死者数は5月13日の時点で3002人。戦死者が09年に急増して以降、毎年500人を超える兵士が死亡している。国別では米軍が1968人で約65%を占め、次いで英軍412人、カナダ軍158人となっている。
今年もこれまでに155人が死亡。米兵によるイスラム教聖典コーランの焼却事件などを受けて、アフガン治安部隊兵士による外国軍兵士の射殺事件が急増している。
アフガニスタン侵略戦争は完全に泥沼化し、米帝がなすことはすべて裏目に出ている。世界恐慌の下で、イラク・アフガンにおける米軍敗北は決定的だ。帝国主義の最後の日が近づいている。全世界の労働者階級と人民が、生きるために立ち上がり、帝国主義を打倒する時だ。
(宇和島 洋)
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月刊『国際労働運動』(431号9-1)(2012/07/01)
■編集後記
5・5の「稼働原発ゼロ」は反原発の闘いがもぎり取った歴史的勝利である。日帝ブルジョアジーは今や、大恐慌と国際争闘戦からの脱落の中で「六重苦」などと全原発停止に絶望的な危機感を表明し、あくまで大飯原発などの再稼働に躍起となっている。
しかし原発と放射能汚染は労働者階級人民の生命・生活とは非和解だ。汚染がれきの拡散・広域処理反対の闘いや低線量被曝・内部被曝との闘いもいよいよ死活的だ。
「止めよう」から「なくそう」へ、全原発廃炉への闘いの飛躍は、被曝労働や雇用の問題と一体の、ものすごいイデオロギー的、党派闘争的なテーマであり、「命より金」という腐った資本主義社会の革命的変革の問題とひとつだ。反原発闘争の軸に労働組合がぶっ立つことがいよいよ求められている。
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