International Lavor Movement 2012/07/01(No.431 p48)

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2012/07/01発行 No.431

定価 315円(本体価格300円+税)


第431号の目次

表紙の画像

表紙の写真 「原発ゼロの日」のNAZENのデモ(5月5日)

■羅針盤 沖縄は「革命の火薬庫」 記事を読む
■News & Review 中国
 「中国移動」で派遣労働者がストライキ   急速に進む労働者の非正規職化
記事を読む
■News & Review 日本
 PAC3口実の戦争動員に沖縄の怒り   沖縄の米軍基地・自衛隊基地強化が狙い
記事を読む
■News & Review アフガニスタン
 アフガン長期駐留を決めたNATO首脳会議   タリバンの春季攻勢に追いつめられた米帝
記事を読む
■特集 緊縮策に怒り爆発 全欧州が革命情勢 記事を読む
■Photo News 記事を読む
■世界経済の焦点
 新自由主義の柱=規制緩和   東電トップ「平岩レポート」から全面攻撃に
記事を読む
■世界の労働組合/イタリア編
 イタリア労働同盟(Unione Italiana del Lavoro:UIL)
記事を読む
■国際労働運動の暦  7月7日   ■1970年7・7自己批判■
 連帯戦略めざす闘い
 在日アジア人民の存在と闘いに肉薄   血債主義・糾弾主義は分断の思想
記事を読む
■日誌 2012 4月 記事を読む
■編集後記 記事を読む

月刊『国際労働運動』(431号1-1)(2012/07/01)

羅針盤

■羅針盤 沖縄は「革命の火薬庫」

 本土「復帰」から40年を迎えた5・15沖縄闘争は、「革命の火薬庫・沖縄」に新たな革命の火をつけた。青年労働者を先頭に「死すべきは基地だ。労働者は死んではならない」というコールが国際通りにとどろき、「怒・福島隊」ののぼりが掲げられ、沖縄とフクシマの怒りがひとつになり、沖縄における「動労千葉を支援する会」とその勢力が沖縄闘争のすべてに責任をとるものとして登場した。
 大恐慌下に米新軍事戦略によって対北朝鮮・中国侵略戦争の攻撃が激化し、ますます強化される米軍基地と日米安保のもとで南西拠点化に突き進む自衛隊。さらに全国平均の2倍の失業率と43・1%(全国最高)もの非正規雇用労働者の存在。こうした沖縄の現実の元凶こそ新自由主義だ。これへの怒りが国鉄闘争を水路に福島の怒りとひとつに結合して解き放たれた。
 この5・15の怒りと闘いの対極で、首相・野田は復帰式典で「日米安保の役割は重要だ」と普天間・辺野古新基問題を傲然と居直り、沖縄の労働者人民に敵対した。この野田を今や一時たりとも支配権力の座にのさばらせておくことはできない。日帝支配階級はもはや統治能力を失っている。これに労働者の団結と労働組合再生の力をもって対決し、新自由主義を打ち破り、勝利を切り開こう。

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月刊『国際労働運動』(431号2-1)(2012/07/01)

News&Reviw

■News & Review 中国

「中国移動」で派遣労働者がストライキ

急速に進む労働者の非正規職化

 4月15日、中国の代表的な電話通信会社である「中国移動」の四川支社で非正規派遣労働者がストライキに立ち上がった。彼らは、派遣労働者であるがゆえに賃金がピンはねされていることに抗議して闘っている。「中国移動」は、50万3000人の労働者を抱える大企業だが、そのうちの35万8000人が派遣労働者であり、実に全労働者数の71・2%に達しているという。7割以上が派遣労働者なのである。この中国移動のストライキに示されるように、今、中国各地で非正規労働者の「生きるため」の闘いが火を噴いている。
 現在、中国では、年間18万件ともいわれるストライキなど労働争議をはじめとする「群体性事件」が起きているといわれているが、農民工のほとんどが非正規労働者であり、中国の労働争議の多くを非正規労働者が担っていると思われる。

 □派遣労働者4割超、9割の企業も

 

中国の非正規派遣労働者の実態は、実は帝国主義諸国以上とさえ言ってもよいくらいのすさまじい現実がある。
 中国では「改革・開放」政策のもとで、非正規雇用、派遣労働が一般化し、さらに日々増大している。中国共産党の共産主義青年団の機関紙である「中国青年報」(本年1月18日付)の記事によると次のような記述がある。
 「調査によれば、03年に派遣労働者が企業の全労働者数に占める数は28・3%であったが、06年には33・8%に上昇し、07年には38・3%、08年の初頭には39・7%に達した。この2年間も上昇の趨勢にあり、業種別にみると製造業が最も多く、43・6%を占め、企業類型でみると国有企業が最も多くて47・2%を占め、個別企業では90%に至るものもある」
 これは派遣労働者の数である。非正規雇用全体となると、新潟大学の溝口由己氏は、中国の統計資料の分析から2004年段階で7割と推定している。だが中国の統計の信用性と解釈の問題がそもそもあり、一方で統計で出てこない闇労働や「口頭契約」の問題もある。7割という数はさらに検討の余地があるが、膨大な非正規労働者が中国に存在していることは間違いない。
 そしてこの記事はさらに上海の例をとりながら、派遣労働者の特徴について次のようなことを指摘している。
 「派遣労働者は、ほとんどあらゆる企業業種にわたって存在していて、各種の企業や学校、病院や事務所に及んでいる。あらゆる職業や職種に存在し、党機関やその所属事業所さえも大量の派遣労働者を使用している。労働コストが低いため、多くの職場が非正規派遣労働者を採用しており、労働契約を結んだ労働者としての配慮をほとんどしていない。」
 「(派遣労働者となる)人員の範囲は広い。非正規派遣労働者はほとんど戸籍を問わず、年齢を問わず、文化レベルを問わず、技能水準を問わず存在しており、はなはだしいことには大学を出たばかりの大学生さえも、派遣労働者の中に入れられている」
 そしてこの派遣労働者の増大の現実は多くの問題を引き起こしているとして、次の6点が指摘されている
 「一つは、同じ労働で違った報酬という問題であり、労働者の合法的な権益に損害を与えていること。二つは派遣先と派遣元、および労働者の3者の責任が不明確で多くの労働争議がおきており、労働者と社会の安定に影響をあたえていること。三つ目に、不良企業がまねをして、法律を遵守している企業との不公平を生み出し、法律の権威と政府のイメージを損なっていること。四つ目に、労働者の技能向上に影響を及ぼし、上海の産業の発展を制約していること。五つ目に、社会保障基金の収支のバランスをくずし、その持続的な発展に影響を与えること。六つ目に、就職の不安定と危機感を増大させ、労働者の企業と社会に対する不満を激化させていること」
 こうした現実の中で、中国政府は「派遣労働者採用実施手続き法」という法律を制定することを急いでいるという。この報道自身、さらに新法の制定が、非正規労働の増大とそれが体制を揺るがす事態になろうとしていることへの激しい危機感の表われであるといえる。非正規雇用労働者、派遣労働者のストライキなどの闘いが、中国政府と資本を追いつめ、体制を揺るがしているのである。
(写真 「中国移動」の四川支社で派遣労働者が賃金のピンはねに抗議してストライキに決起【4月15日】)

(写真 重慶で数千人の労働者と学生が、生きるための保障を求めてデモ行進【4月10日】)

 □「改革・開放」下で増大した非正規雇用

 ケ小平のもとで78年末から中国では「改革・開放」政策が開始された。それから今にいたる30年余は、中国史上でもまれに見る大きな社会の変革期であった。それは毛沢東時代の社会システムのあり方を根底から解体し、新しい別の社会システムに移行していった過程であった。
 毛沢東時代の社会は、労働者や農民は、工場や人民公社にそれぞれ所属し、大きくはその中で一生を過ごす社会であった。工場や人民公社はそれぞれ、住宅はもとより学校や診療所、風呂場や食堂などを備え、「ないのは火葬場だけ」といわれる自己完結的で閉鎖的な社会をつくっていた。都市と農村は明確に区別され(戸籍を区別した)、労働者も農民も人々の移動は大きく制限され、特に農村から都市への移住はほとんど不可能であった。経済のあり方は配給制であった。
 農民を農村にしばりつけたのは、都市人口を増大させず、農村からの収奪で都市住民への配給による食料を確保し、それによって都市部の産業の発展を進めていく基盤を保障しようとしたからであった。労働者の職業は政府によって決められ、労働者は決められた職場で生涯働き(事実上の「終身雇用制」)、一生を過ごしていた。老後の生活も、その所属する工場が面倒を見た。労働者も工場にしばりつけられており、なんらかの事情で旅行などに行くときは、すべて工場細胞の許可が必要な社会だった。
 こうした毛沢東時代の社会は、労働者が徹底的に統制・監視される社会であったことを意味しており、労働者が社会の主人公たる共産主義のあり方とはまったく別の社会であった。労働者が疎外された社会であった。また配給制を採っていたということは、いかに社会が貧しかったかも意味している。毛沢東はスターリン主義者として、@世界革命から切断された一国社会主義建設を推進し、Aしかも労働者が社会の主人公ではなく、逆に労働者が徹底的に疎外された社会をつくりだし、その結果として毛沢東的な一国社会主義建設は文化大革命の大混乱を通じて最後的に破産していったのである。
 こうした毛沢東的な一国社会主義建設の破産の中で、ケ小平の「改革・開放」政策が開始される。ケ小平は、一方で大胆な外資導入政策を展開し、一方で中華民国以来の資本家たちを再起させて民族資本の育成をはかり、そして毛沢東時代の閉鎖的な社会のあり方を徹底的に解体して「自由な労働者」を大量に生み出したのである。
 人民公社は解体された。「改革・開放」政策はまず農村から始まったが、人民公社の解体とともに農地請負耕作責任制度が導入され、個々の農民が個別の土地の請負耕作を認められるようになった。農民は人民公社から「自由」な存在となったが、同時にこの結果、農村の潜在的な過剰人口が明らかになっていった。従来の国営企業は国有企業(所有と経営の分離)となり、一部は民営化され、それまでの一生の生活を「保障」した工場のあり方は解体されていった。労働者も今や「自由」な存在となった。また毛沢東時代の「終身雇用制」的なあり方もなくなった。労働者は企業との労働契約で、労働年限を決める社会となったのである。
 農村からの移動は緩和され、農村部における潜在的な過剰労働力が、都市部における急速な工業化の進展とともに、農民工(出稼ぎ労働者)として都市部に大量に流れ込むようになった。その数は今や2億5300万と言われている。膨大な農村からの「自由な労働者」が生み出された。しかし都市と農村を分離した戸籍制度は、基本的に今もそのまま残っている。農村出身、もしくは農村出身者を両親に持つ者は、農村戸籍を持つ以上、事実上は都市で労働者として生活していても、都市の正式な住民にはなかなかなれないシステムなのである。このあり方が、農民工は基本的に非正規雇用にならざるを得ない現実を生み出している。
 中国で労働法が初めて制定されるのは1994年であり、それまでは労働法は存在していなかった。また「労働合同法」(日本語に訳すと「労働契約法」)が中国で制定されるのは、なんと07年である。つまりそれまでは正式な労働契約の法的根拠はなかったのである。しかもこの現在の「労働合同法」は派遣労働を合法化し、しかもアルバイトにあたる臨時工に対しては口頭契約さえ認めているのである。
 こうした現実総体が生み出したものが、中国における膨大な非正規雇用労働者の存在にほかならない。したがってこの「改革・開放」政策下の約30年間というのは、中国において事実上、新自由主義的な政策が全面展開され、毛沢東時代の旧社会が全面的に解体されて、膨大な「自由な労働者」が生み出されていった過程であり、非正規雇用が一般化していった過程そのものなのである。ケ小平が「改革・開放」政策を開始する78年は、中曽根やレーガン、サッチャーが登場し、帝国主義が危機の中で新自由主義を開始する頃であるが、帝国主義とスターリン主義の現代世界が本格的な崩壊過程に突入し、その一環として中国スターリン主義の毛沢東主義的な一国社会主義建設も破産していく中で、ケ小平は「改革・開放」政策を展開し、中国史上もまれにみる新自由主義的な社会の大変革を行い、労働者と農民を犠牲にしながら、中国スターリン主義の延命をはかったのである。

 □非正規雇用労働者の闘いとその国際性

 中国スターリン主義は、89年の天安門事件で決起した学生と労働者の闘いを血の弾圧で圧殺し、暴力的な支配体制のもとで経済成長を急成長させていった。今や日本を追い抜いて世界第2の経済大国となった。この成長を支えたものこそ、膨大な中国の非正規労働者の存在にほかならない。
 だが労働者と農民に犠牲を押しつけながら、一部の者だけが肥え太り、多くの労働者農民が「生きられない」状態となり、反乱や不満を暴力で圧殺していくというあり方は、今や完全に限界にぶちあたっている。労働者、そして農民の膨大な決起と抵抗を、力ではつぶしきれない状況に入っているのである。日々増大する非正規労働者の存在は、この反乱の力を日々増大させている。
 こうした中国スターリン主義の支配の危機、体制的危機の深まりの中で、政治改革を一定進めようとする「改革派」と「保守派」の対立が破産的に激化し、いわゆる「重慶事件」という保守派の薄煕来重慶市書記の失脚にいたる事件が起きている。しかし政治改革でこの中国スターリン主義の危機は乗り切れるのか? 断じて否である。今始まっている中国の危機は、まさに毛沢東からケ小平に至る中国スターリン主義のスターリン主義としての破産に根ざすものであり、労働者の闘いも必然的に中国スターリン主義打倒までやまない本質を持っている。そしてその根底に、膨大な非正規労働者の存在と闘いがある。
 動労千葉の「外注化阻止」「非正規雇用反対」の闘いは、まさに中国の労働者の決起、そして全世界の労働者の決起に通じる闘いであり、労働者の新たな国際連帯をかちとっていける核心である。中国の非正規労働者との連帯をもかけて、6月国鉄闘争の爆発をかちとろう!
 (河原善之)
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 《資料》 陜西省郵政非正規労働者の訴え

 私はある大きな県の郵政局の“臨時工(非正規労働者)”(今では“労務工”と呼ばれています)です。
 私の局には郵政労働者が380人ほどおり、そのうち正規職が160人ほど、臨時工が200人ほどおります。臨時工は郵政労働者全体の50%以上を占めており、全局の正社員の90%は(本局の)管理部門や生産班にいて、都市の支局にも少しいますが、各郵便局の支局、とりわけ農村の支局はほとんど私たちのような臨時工です。
 長期にわたる郵政事業の大発展の中で、最も汚れ、最も苦しく、最も疲れる労働はすべて私たちがやってきたのです。私たちの半数以上が、郵便電信関係の仕事に10年以上従事しており、15年以上20年以下の者も4分の1を占めています。
 中国の郵政に尽くした貢献は衆目の認めるところですが、しかし待遇はどうでしょうか? 仕事がどんなに良くできようとも、賃金は月800元(約1万円)を超えることはなく、奨励金は正規職の半分ですが、収益が良くないときは奨励金どころではなく、ひどいときには賃金から差し引かれ、時には手にする賃金が200元(約2500円)前後だったり、さらに低かったりします。
 労働者代表大会(工会の大会)が開催されても、私たちは代表が列席して参加できるだけで、発言権も選挙権もなく、工会(中国の官製労働組合)加盟でさえ私たちに(就職してから)2年間はさせないのです。
 そもそも私たちは社会保障さえまったく与えられていませんでしたが、2005年に圧力に迫られて初めて私たちを評定することが行われ、3分の2が選び出されて全省の最低基準の養老保険の対象となりました。
 養老保険金を納めた後の賃金は600元(約7500円)であり、差し引かれる費用などを除くと残るのは月に450元(約5100円)で、仕事が終わった後の奨励金は依然として正規職の半分です。もし仕事が終わらなければ、奨励金が出ないばかりか、受け取った450元の賃金を上納しなければならなくなり、お金が足りなくて親戚に借金に行くことになります。
(図 「正式工」と「臨時工」の賃金格差を風刺した漫画)


 この数年間、毎年8月15日には月餅を販売し、元旦には郵便葉書を売っていますが、ノルマを完全にこなすのは難しく、いつも自分で買い取ることになります。
 私たちが涙を流して月餅を食べ、買い取った郵便葉書の山を見ながら憂鬱になっているときに、局の幹部たちは仕事を完遂し功績を挙げたということで、多額の奨励金を手にし、上級局の有功者リストに載り、喜びながらシンガポールやマレーシア、タイへの旅行に出て行くのです。まさに「声に出して歌っても世の中の苦しみは尽きず、喜ぶ人もいれば悲しむ人もいる」というわけです。
 彼らが浪費しているのは、すべて私たちの血と汗で儲けた金なのです! ある人は言います。
 「郵政局の臨時工の待遇がこんなに低いのにもかかわらず、あなたたちはこんなに何年も働いてきた。どうして正規職にならないの?」
 これは私たちにとっても夢にまで見る願いです。
 しかし過ぎ去った多くの年の中で、私たちの局でも数十名の正規職が新しく誕生しましたが、臨時工から正規職になったものは十数人です。
 彼らは上にへつらいつくして望みを実現したり、金銭を送ったり、つまり目的に達する手続きを踏まなければ目的を達せないというわけで、私たちのように@金もなければA官僚の友達もいない者は、ただ自分の苦しい労働に頼る以外になく、正規職になりたいと思ってもそれは天に昇るよりも難しいのです。
 またある人は言います。
 「あなたたちは離職して、もっと高収入の別の仕事を考えたら?」
 これは活路になるかもしれませんが、しかし私たちは皆17、18歳で郵便電信系統に就職し、現在多くの人たちは40歳になろうとしています。すでに自分の青春の日々をここに捧げ、今出て行くというのはとてもそんな気になれません。
 今は市場経済の時代であるとはいえ、腕のある人が別のところで力を発揮できるというのは、エリートである少数の人の話であり、私たちはかくも平凡な多数者なのです。ましてや今、就職はますます難しくなっており、私たちのような者が、他の仕事を見つけることは簡単ではありません。だから今の郵政の仕事を私たちは「鶏肋」(注)と呼んでいるのですが、簡単にやめるわけにはいかないのです。
 正規職と非正規職は同じ労働で報酬が同じにならない。私たちが最も汚く、最も疲れて、最も苦しい仕事をしているというのに、逆に最も低く、最も薄い報酬となり、そして差別を受けています。これが道理なのでしょうか? 農民工問題も重視されてきていますが、いつになったら郵政業務の非正規労働者の「同一労働同一賃金」問題に関心を持っていただけるのでしょうか。
(注)「鶏肋」とは、鶏のあばら骨のこと。鶏のあばら骨には大して肉がないけど、かと言ってダシはとれるので捨てるには惜しい。大して役に立たないのに、捨てるには惜しい物のことを指す。もともとは『後漢書』「楊震伝附楊修伝」などに出てくる曹操の言葉。
(写真 広東省莞市虎門大寧村にある日系リズム時計の工場の1000人の労働者が待遇改善を要求してストライキ【4月12日】)

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月刊『国際労働運動』(431号2-2)(2012/07/01)

News&Reviw

■News & Review 日本

PAC3口実の戦争動員に沖縄の怒り

沖縄の米軍基地・自衛隊基地強化が狙い

 □米日韓の軍事重圧

 

米日韓の軍事重圧の強まりの中で、4月13日、北朝鮮は「衛星の打ち上げ」に踏み切ったが、「ロケット」が空中爆発し「打ち上げ」は失敗に終わった。
 3月1日から始まった米韓軍事演習「フォールイーグル」は4月末まで実に2カ月間も続いた。「全面戦争」に加え北朝鮮「急変有事」を想定した演習を実施した。
 なかでも3月29日、「双龍訓練」と称する史上最大の米韓海兵隊上陸演習が浦項で実施された。上陸作戦は、「ピョンヤン占領」を想定した作戦だ。沖縄の第3海兵遠征軍を含む在日米軍6000人が参加した。
 佐世保の強襲揚陸艦隊も総力出撃した。新たに佐世保に配備された「ボノム・リシャール」が沖縄海域で「エセックス」(=旗艦、近代化工事のため米本国へ回航予定)と合流し演習に参加した。「ボノム・リシャール」は「沖縄に配備されるオスプレイを搭載すべく飛行甲板を強化された最強の強襲揚陸艦」だ。
 5月7日から18日まで、「朝鮮半島での戦闘発生直後を想定した」という史上最大規模の米韓空軍演習が続き、戦争重圧を加え続けている。
 こうした中で、北朝鮮の南部でも北部でも、「餓死者が2万人」「歴史上最悪の状況」「党地方庁舎に食料問題解決を求める要望書と抗議行動」発生といった新聞報道が何回もされている。北朝鮮・金正恩体制の必死の延命策動であった「衛星打ち上げ」が失敗し、朝鮮半島危機の深刻化と東中国海からインド洋にいたる米韓日豪比の対中軍事態勢の強化がすさまじい勢いで進んでいる。

(図 自衛隊とPAC3の配備)

 □「国民保護計画」発動

 日帝・野田政権は、「ミサイルが落ちてくることはない」し、「武力攻撃にはあたらない」から「国民保護法は適用できない」と認めていた。本音では「破片すら落ちてこない」と高をくくっていたが、「万が一に備え」などと言いなし、災害対策基本法に基づく「避難勧告」や「立ち入り制限」を実施するとしていた。
 そもそも、「自衛隊法82条第三の3項を適用し破壊措置命令」を出す根拠さえなかった。しかし実質的には「武力攻撃」を想定した「国民保護法」を完全に発動した。戦争体制に突入した。
 第15旅団(那覇)を基幹とする陸自300人をもって石垣島新港地区を「接収」し、子どもの遊び場さえ立ち入り禁止にし、全国初の実弾警備を実施した。
 PAC3(地対空誘導弾パトリオット3)や自衛隊資材の那覇港搬入時、港湾労働者の抗議を締め出して、浦添埠頭を「接収」・立ち入り禁止にし、自衛隊が管理した。PAC3とセットで核テロ専門部隊の特殊武器防護隊(那覇)や化学防護隊(北熊本)、そして核(ニュークリア)、生物(バイオ)、化学(ケミカル)兵器による汚染状況を調べるNBC部隊を含む警察機動隊を配備・展開した。与那国島には50人もの自衛隊員を配置したが、「衛星」の飛行コースと想定された多良間島には5人の連絡員を置くのみで済ませた。
 石垣島450人、宮古島250人、沖縄本島200人、与那国島50人、多良間島5人など1000人超の自衛隊部隊輸送の主力を「民間契約」の貨物船(=定期フェリー)が担った。
 三重県白山基地のPAC3(発射機計4機と関連車両)は、海自の揚陸艦「おおすみ」「くにさき」が「自前」で輸送したが、岐阜県各務原基地のPAC3(発射機計4機と関連車両)や南西展開の主力である15旅団(那覇)51普通科連隊・15特防や8師団(北熊本)など陸自と関連車両は、民間貨物船(=定期フェリー)で輸送を実施した。
 「根拠」らしいものは沖縄県知事と石垣市長・宮古島市長・那覇市長・南城市長の承認や与那国町議会の誘致決議(5名の町議のうち3名の町議の全会一致)だけだ。
 デタラメ極まる承認や決議のもとに、危機管理対策本部が立ち上がり、庁舎に常駐した自衛官が危機対策本部会議に参加した。自治体労働者と指定管理業者に24時間即応態勢を強制した。
 「武力攻撃」に対する最初にして最大の対応としてある警報発動を、全国瞬時警報システム「Jアラート」を使って「衛星発射」時と「上空通過」時の2回発動することをもくろみ、発動訓練を4月5日と4月10日の2度にわたって繰り返した。
 4月9日、沖縄県教育長は「衛星発射時に屋内退避を呼びかける」通知を市町村教育長、教育事務所長、県立学校長に送付した。仲井間知事は全県下に「北朝鮮ミサイル発射」に関するメッセージを流し、国交省は民間航空機への注意を呼びかけ、軽飛行機やヘリコプターの飛行自粛を呼びかけた。
 石垣市は、午前の体育の授業を午後に替えたり、体育館での授業実施を決めた。幼稚園では遠足を中止した。「衛星」発射時にはJアラートを発動した上、警報サイレンを鳴らすことを市独自に決定した。南城市では11日早朝から夜まで、「ミサイル発射」に関する放送を市内全域に流した。
 このような「戒厳令」下の沖縄で、労働組合の抗議闘争やデモが果敢に闘われた。PAC3入港時に、那覇港や平良港で港湾労働者や労組員の抗議闘争やデモが闘われた。県庁と宮古島市役所には常駐する自衛隊に対する直接の抗議行動が闘われた。4月11日には、那覇国際通りを、PAC3配備反対の240名のデモが行われた。
 マスコミは、連日、県庁舎や市庁舎の危機管理対策本部につめかけ、問い合わせを繰り返して、「ミサイル情報」を洪水のように流し続けた。しかしながら実は、労働者・市民は「ミサイル情報」のウソも見抜いていた。
 宮古島市役所にはマスコミからの問い合わせが殺到したが、市民からの問い合わせはゼロであった。
 労働者人民の怒りは日毎に高まっていった。
 「お願いだからこれ以上騒がないでほしい、政府やマスコミは責任を取れるのか」(観光協会事務局長)
 「ミサイルよりも武装した隊員が基地の外にいることが不安」(元高校教員)
 「ここでは毎日、米軍のヘリが頭の上を飛び、墜落事故も起きている。北朝鮮のミサイルが落ちるのと、どっちの確率が高いんでしょうね。おかしな騒ぎですね」(運転代行業)
 実際、「ミサイル警戒」期間中の4月7日にバージニア州の海軍航空基地を離陸したばかりの米主力戦闘機F18Dが住宅街に墜落し、4月11日にはモロッコで強襲揚陸艦「イオージマ」(=佐世保配備の「ボノム・リシャール」と同型艦)から離陸したばかりのオスプレイが墜落した。同日、米テキサス州でもオスプレイが電気系統の故障で麦畑に緊急着陸した。12日には嘉手納基地で垂直離着陸機ハリアーが墜落に近い形で滑走路に落ちた。
 「ミサイル」騒ぎと自衛隊配備に加え、相次ぐ米軍機墜落に対して怒りはどんどん高まるばかりだった。
 こうした労働者階級の反撃の高まりの中で、野田政権はあえなく独自の「衛星」追尾とJアラート発動に自滅的に失敗した。
 有事体制に沖縄と全国の労働者階級を組み敷き、原発再稼働と新日米共同宣言「太平洋の動的防衛」体制の突破口を開く策動は破滅的に頓挫した。
 沖縄では、7月オスプレイ普天間配備決定に対する怒り、普天間補修明記と予算化に対する怒り、辺野古新基地建設に対する怒りが爆発寸前になっている。
 米軍新軍事戦略は、沖縄の海兵隊戦力や県内基地の削減ではなく飛躍的強化を土台にしている。独自で司令部機能を持つ即応部隊(MAGTF=マグタフ)を沖縄だけでなく、東中国海からインド洋までフィリピンも含めて分散配置する構想は、世界戦争としての対中国戦争の大きさを見据えて、分散だけではなく有事即応と集中を含めて考えられている。
 キャンベル国務次官補ら政権の中枢が発言しているように、沖縄的には普天間と嘉手納だけでは対応不能になる、だから辺野古に最強の新基地を建設する必要があるなどと無茶苦茶な「理屈」を沖縄に押し付けているのだ。
(写真 石垣市街地を走るPAC3発射機【4月5日】)

 □新軍事戦略と米日帝の決定的危機

 太平洋をめぐる米日帝による「動的防衛力」とは、トモダチ作戦を見ればよい。大恐慌の深刻化と帝国主義どうしのつぶし合いが激化する中で、米帝が脱落日帝など徹底的にたたきつぶし滅ぼしていく“衝動”が働いている。米太平洋軍(ハワイ)の指揮のもとに陸海空自衛隊、韓国軍、豪軍が対中国戦争を遂行する新しい戦争が始まっている。
 実際に空自総隊司令部は横田に移転し運用を開始し、ハワイの第13空軍第1分遣隊指揮官(第5空軍副司令官を兼任)と連携している。自衛隊中央即応連隊司令部は在日米陸軍司令部がある座間に13年の移転が決まっている。ハワイの指揮のもとに陸自も明示に入る。日米共同指揮所演習「ヤマサクラ61」に明らかなように、統制官はハワイのワーシンスキー中将だ。ここに米第8軍(在韓米陸軍)の司令部要員150人がソウルから初参加している。オーストラリア陸軍の幹部も「ヤマサクラ」に初参加している。
 同時に日帝は、米領テニアンに日米共同訓練基地を建設し、南西防衛を「超え」て「フィリピン防衛」にエスカレートしている。
 しかしこれほど危機的・破産的なことはない。階級的力関係を無視して軍事をエスカレートせざるを得ないまでに米帝も日帝も追い詰められているのだ。労働者階級が帝国主義による生活破壊と原発再稼働と戦争に怒りを爆発させる情勢を帝国主義の側から推進せざるを得ない。
 「極限的な搾取の破壊的強行」(ショック・ドクトリン)とは、イラク・アフガン戦争と占領統治の破産を指すだけではない。大恐慌の深化と争闘戦の激化の中で、今度はアジア太平洋で、米・日・韓・北朝鮮・中国の労働者階級を巻き込んだ階級戦争としてそれは爆発しようとしている。イラク労働者階級と労働組合が新自由主義の侵略戦争に勝利して米帝をイラクからたたき出したように、米日韓の労働者階級は米日帝の戦争攻撃と対決し、アジアにおいて世界革命の突破口を開くのだ。

 □「復帰」40年の沖縄反軍闘争の条件の成熟

 PAC3展開を通した有事体制の攻撃を打ち破った沖縄県で、「復帰」から40年の現在、「自衛隊の入隊者は計約7230人」に達した。「復帰の年は20人ほど」だったが、その後「100人から200人前後が定着」した。受験者数は増減を繰り返しながら、本年度は約1330人が挑んだ。
 「待遇が安定した就職先として認知されてきた」(高校教師)「家に経済的な余裕がなかった。家族が安定している公務員を望んだため入隊を決めた」(自衛官3等陸曹28歳、05年イラク・サマワ駐屯)など“安定した職業”としての「自衛隊観」が「定着」した現実がある。
 沖縄県の総合防災訓練は自衛隊参加と規模が年々増加していたが、11年度は特に突出していた。石垣島がメイン会場になった。自衛隊の現場長は第15旅団(那覇)の旅団長であったが、VIP席には陸自西部方面総監、海自佐世保総監、空自南西航空混成団司令官ら南西防衛の担当責任者らが居並んだ。揚陸艦「くにさき」が石垣港に初入港(大型艦の入港は初めて)し、訓練では竹富島にLCACを発進させ、上陸訓練を行っている。
 メイン会場には沖縄本島からF15J戦闘機が飛来・偵察後、多用途ヘリから自衛隊員が降下してヘリパッドを建設し、大型ヘリのCH47Jを迎え入れ、ここから偵察用オートバイと高機動車を発進させ「救助」をスタートさせるといったことが行われた。石垣島の中高生が多数動員され、津波警報とともに避難する「市民役」を演じた。
 こうした防災訓練や八重山への育鵬社版教科書強要など、「準備に準備を」重ねてきた日帝の有事動員攻撃が、今回のPAC3展開において、労働者階級の反撃の中で破綻したことは絶対に大きい。
 今、階級的労働運動の前進は、青年労働者の闘いを先頭にして、福島と結合し、「国鉄労働者の首を切ったのも、原発を次々に建設したのも、沖縄に基地を押し付けてきたのも、同じ連中だ」「敵は一つだ」という根底的な闘いとして開始されている。「基地労働者の置かれている現実と原発労働者の置かれている現実は同じだ」
 そして「職業としての自衛隊」という現実の進行は階級的労働運動の前進と一体で、反軍闘争の条件を成熟させている。オスプレイ7月配備と普天間固定化に対する怒りの爆発と結合し、階級的労働運動の大前進をかちとろう。日帝の戦争攻撃をプロレタリア革命に転化しよう。

 □国鉄と原発で階級的労働運動を甦らせよう

 新軍事戦略と「エアシーバトル」なる新自由主義の世界戦争を打ち破る“根源的な力”が職場の労働者一人ひとりの階級的決起と団結の中にある。プロレタリア独裁の力は職場にある。職場で資本と闘い、労働者は団結し、資本の支配を覆し、戦争を阻止し、プロレタリア独裁能力を獲得していくことができる。この労働者の闘いと一体で前進する中で革命党は革命党になっていく。
 今こそ地区党の団結を固め、労働運動の現場に飛び込み労働組合を立ち上げ拠点職場をつくり、労働者と兵士のビボルグ地区をつくりあげよう。
 このように言えるのは、動労千葉の闘いがあるからである。分割・民営化決戦から25年、動労千葉は闘って団結を固め勝利してきた。日帝とJR資本の生き残りをかけた4・1全面外注化・非正規職化攻撃をストップさせる勝利を闘いとってきた。4・1の勝利は、帝国主義間争闘戦の時代に日帝の根幹をなすJRで、職場の団結破壊と全労働者の非正規化攻撃を粉砕し、これを根底的にかつ広範に打ち破る勝利だった。これは、職場を資本に売り渡し帝国主義戦争に全面協力する帝国主義労働運動を階級的労働運動が打倒していく「鬨の声」だ。
 今や、3・11大震災と原発大事故に対する、被災地と福島現地の労働者に結合するすさまじい地区党の決起と団結が闘いとられ、福島と沖縄の階級的結合が闘いとられている。鈴木コンクリート工業分会や郵政非正規ユニオンの決起と闘いが始まっている。
 地区党建設と拠点職場建設の一体的前進こそプロレタリア革命の土台である。自衛隊兵士を引き付けるのもこのような労働者党である。兵士の軍隊内決起と軍隊内細胞建設も地区党が担う闘いである。
 (志津川覚)

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月刊『国際労働運動』(431号2-3)(2012/07/01)

News&Reviw

■News & Review アフガニスタン

アフガン長期駐留を決めたNATO首脳会議

タリバンの春季攻勢に追いつめられた米帝

 □タリバンの4月攻勢

(図 爆発・銃撃があったカブール中心部)

 アフガニスタンで4月15日、反政府武装勢力・タリバンが、首都カブールなど各地で一斉に大規模な攻撃を行い、戦闘は丸1日近くにわたって続いた。
 カブールでは、中心部の大使館が集まった地域に対して高層ビルを占拠した武装勢力がロケット弾などで攻撃し、アフガニスタンの治安部隊との間で激しい戦闘となった。
 攻撃を受けたのは警察本部や国際治安支援部隊の司令部や、アメリカや日本、ドイツ、イギリスの大使館、それにアフガニスタンの議会などだ。
 雨のように絶え間なく携行式ロケット弾が炸裂し、日本大使館の公使室の外壁には砲弾による直径30aの大穴と、別の砲弾1発がのめりこんでいた。事務棟の部屋では砲弾がガラス窓を突き破って直撃。
 大使館は高さ4bほどの堅牢な壁に覆われている。入り口のゲートにたどり着くまでに数カ所の検問があり、ゲリラ攻撃を想定して、至るところに土嚢が積み上げられている。02年の大使館再開以来、要塞化が進められてきた。大使館員は全員が防空壕に避難した。つまりまさにここは戦場そのものだ。
 カブールの日本大使館は、米、英の大使館と同様に、まさに侵略戦争遂行国の最前線基地になっているのだ。日帝は自衛隊を派兵していないものの、資金援助などをしている。09年に日帝は政府開発援助(ODA)から約141億円を拠出し、8月に予定されるアフガン大統領選終了までの半年間、全警官(約8万2
000人)の給与を負担し、一貫して警察官の増員、訓練などの支援をしている。侵略戦争の一翼を担っている。
 今回の戦闘は01年の米軍のアフガニスタン侵略戦争開戦以降、10年以上に及ぶ戦いのなかでカブールで起きたタリバンの戦闘としては最大規模のものとなった。
 北大西洋条約機構(NATO)は14年末までにアフガニスタンに駐留する13万人の兵員を引き揚げ、治安権限をアフガニスタン側に移譲する計画だが、今回のタリバン攻撃によってその破産性が明らかになった。
 このタリバン同時多発攻撃に対する作戦では、国際治安支援部隊(ISAF)ではなく、アフガニスタン治安部隊が指揮をとった。だが、NATO報道官によると、アフガニスタン側からの要請を受けてNATOの航空機も上空から支援を行ったという。
 ISAFのジョン・アレン司令官は直ちに声明を出し、「カブール攻撃に際し、アフガニスタンの治安部隊は迅速かつ統率された対応をとり、市民を守って武装勢力をおおむね封じ込めることに成功した」とアフガニスタン治安部隊を称賛した。
 だが、多数のタリバン戦闘員がカブール中心部に設置された「鋼鉄の輪」と呼ばれる検問所群をくぐり抜けて、誘導弾などの多数の武器を持ち込んで重要施設を襲撃したという事実は、治安体制の脆弱性をまざまざと見せつけた。
 今回の同時多発攻撃で、タリバンは米国、英国、ドイツ、日本の大使館が集まる地区を襲撃。さらにタリバン戦闘員らは議会議事堂への侵入も試み、屋上に上がった議員や警備員たちとの間で銃撃戦になった。
 ある西側外交官は、「これほどの同時多発攻撃を実行できたということは、いつでもどこでも思うがままに攻撃する能力がタリバンにあるということを示している」と打撃感を吐露している。
 タリバンは「これはアメリカ兵による事件への報復攻撃であり、春の軍事攻勢の始まりだ。今後さらに攻勢を強める」と戦闘声明を発している。
 アフガニスタンでは2月に米兵がイスラム教の聖典コーランを焼却したことで各地で抗議デモが起き、大勢の死傷者が出た。3月には南部で米兵が深夜に民家に押し入り、寝ていた住民に銃を乱射し、子どもや女性など17人を虐殺した。アフガニスタン人民の侵略戦争軍隊・米軍とISAFに対する怒りが沸騰している。
(写真 アフガニスタン治安部隊とタリバンの戦闘で爆発する建物【4月16日 カブール】)

 □5月NATO首脳会議

 シカゴで5月20日開幕した北大西洋条約機構(NATO)首脳会議は同日夜、「シカゴ宣言」を採択した。
 宣言は、NATO主導のISAFによるアフガニスタンでの活動について、13年半ばまでに戦闘主体の任務から、訓練、支援主体の任務に切り替えていく方針を明記した。13年半ば以降はアフガン治安部隊が戦闘任務を主導し、ISAFは必要に応じ戦闘を支援する。さらに、当初の計画通り、14年末までにISAFが戦闘任務を終了、撤退し、アフガン側に治安権限を移譲する一方、15年以降も訓練や支援の任務を継続して行うとしている。
 つまり米軍を始めとする侵略戦争軍は、完全撤退せずに15年以降もアフガニスタンに長期駐留するということだ。
 さらに宣言は、NATO加盟諸国や日本などにアフガン治安部隊の維持にかかる費用の財政負担を求めた。
 年内に過去最大の35万2千人にまで増員するアフガン治安部隊の支援体制にも課題が残る。治安の安定化を成し遂げ、14年以降は治安部隊を約25万人にまで減少させる方針だが、それでも訓練などの諸経費に年40億jが必要だ。米国は3〜5割を負担する意向だが、債務危機を抱える他の同盟国は新たな支出に及び腰となっている。
 新たに大統領になったフランスのオランドは、NATO首脳会議を前に、アフガニスタンからの仏軍撤退時期を今年(12年)末に前倒しにしながら、13年以降はアフガン国軍訓練部隊を残す方針を示した。
 これは、早期撤退の選挙公約を守りながら、NATOにも配慮した妥協の産物だ。米帝が主導するNATOの撤退スケジュールに異を唱えつつ、早期撤退の労働者人民の要求に応え、なおかつNATO加盟国からの批判をかわす、というものだった。
 フランスが早期撤退にこだわる背景には、タリバンではなく国軍であるアフガン兵に仏軍兵士が射殺されるなど、01年の派兵開始から仏兵の死者が80人を超え、派兵への反対が国内で広がっていることがある。世論調査では国民の約8割がアフガン派兵に反対している。欧州債務危機による財政危機で、負担感がさらに高まるのは確実だ。
 去年7月に、ISAFからアフガニスタン側に治安維持の権限を引き渡す権限移譲も始まり、それに伴いアメリカ軍が撤退を開始した。今年秋までに全体の3分の1の3万3000人が撤退する予定になっている。その後の撤退計画は今回のNATO首脳会議で決められた。
 ニューヨークタイムズなどが3月末に行った世論調査によると、3分の2を上回る69%がアフガニスタンで戦争をすべきではないと答え、アメリカ軍の即時・または早期撤退を求める人が半数近くの47%に上っている。早期撤退論が高まっている背景には、アフガニスタン侵略戦争がすでに10年を超え、これまで1700人以上の米兵士が死亡し、多数の負傷者を出し、戦費も年間1000億j以上に上っていることも大きな要因だ。何よりも米陸軍が疲弊し、戦争遂行能力を失っていることがある。新自由主義の攻撃により社会がバラバラに分断され崩壊していることがある。
 しかし米帝オバマは、アフガニスタンの治安部隊の増強や訓練が不十分なまま、早期に撤退すれば、タリバンの復活を招き、これまでの軍事的な成果も失われかねないことを恐れている。だからオバマは14年以降も長期にわたって一定数の訓練要員や特殊部隊を駐留させ、影響力を維持しようとしている。
 一方のアフガニスタンのカルザイ大統領は、アメリカ軍が早期撤退すれば政権維持が難しくなり、内戦状態に陥ることは確実であるため、早期撤退には反対で、14年以降も米軍の駐留を望んでいた。
 そのため、今回のNATO首脳会議で、15年以降もNATOはアフガニスタンに留まるとの結論が盛り込まれた。

 □パキスタン情勢

 今後のアフガニスタンにとって重要なのが隣のパキスタン情勢だ。しかし、そのパキスタンも、アメリカとの関係が去年のオサマ・ビンラディンに対する襲撃事件のあと最悪の状態に落ち込み、両国のアフガニスタン侵略戦争体制における協力関係はほとんど途絶えた。パキスタンは、昨年11月の米軍の爆撃でパキスタン兵24人が死亡した事件に反発し、補給路を閉鎖した。
 パキスタンを経由してアフガニスタンに米軍やISAFの戦争物資を届ける輸送ルートは5カ月間も閉鎖されたままになっている。またアフガニスタン東部でも反米武装勢力がパキスタン側からゲリラ戦争を展開しており、パキスタン軍の協力がなければどうにもならない情勢になっている。またタリバンとの和平交渉も、タリバンと密接な関係があるパキスタンの協力がなければ、進まないことははっきりしている。
 5月19日、パキスタン政府は、アフガニスタンの米大使館向けの物資が18日、パキスタンから国境を越えてアフガンに向かったことを確認した。5月のNATO首脳会議にはザルダリ・パキスタン大統領が出席する。会議を前に補給路を再開させ、NATOへの協力姿勢を示そうというわけだ。
 パキスタン政府は再開と引き換えに、トラックなど1台につき、1千j(約8万円)の通行料の支払いを、ISAFを主導する北大西洋条約機構(NATO)に要求。通行料は新たな″経済支援”になるとしてパキスタン側は期待を寄せるが、米国などNATO側は通行料収入の使途の透明化などを求めており、両者間の協議は決着していない。
 また、パキスタン議会は先月、補給路再開へ向けた指針を採択。無人機によるパキスタンでの空爆の中止に加え、昨年11月の空爆事件に関する謝罪を求めている。
 しかし米帝は、パキスタン北西部部族地域での無人機攻撃を傲岸不遜な態度で続けている。パキスタン人民の怒りなどまったく聞き入れるつもりはないのだ。
 「オバマ米政権は無人機を人里離れた場所にある武装勢力の聖域に対する効果的な道具とみている」(米東西センターのシャビル・チーマ上級研究員)と居直っている。
 パキスタンからアフガニスタンに向かうISAFの物資輸送路は閉鎖前は、全物資の輸送の約3分の1を担っていたが、現在は大半が中央アジア諸国経由になっている。
 しかしISAFは、14年までに治安権限をアフガン側に全面移譲する撤退戦略を具体化させている。パキスタン内の補給路は撤退に伴う大型の装備品移送などで重要視されている。

 □アフガン駐留外国軍兵の死者、3千人超に

 アフガニスタン駐留外国軍兵士の死者数が、01年のアフガン侵略戦争開戦以降、累計で3000人を超えたことが米民間調査機関「アイ・ケィジュアルティーズ」の調査で分かった。同機関によると、累計死者数は5月13日の時点で3002人。戦死者が09年に急増して以降、毎年500人を超える兵士が死亡している。国別では米軍が1968人で約65%を占め、次いで英軍412人、カナダ軍158人となっている。
 今年もこれまでに155人が死亡。米兵によるイスラム教聖典コーランの焼却事件などを受けて、アフガン治安部隊兵士による外国軍兵士の射殺事件が急増している。
 アフガニスタン侵略戦争は完全に泥沼化し、米帝がなすことはすべて裏目に出ている。世界恐慌の下で、イラク・アフガンにおける米軍敗北は決定的だ。帝国主義の最後の日が近づいている。全世界の労働者階級と人民が、生きるために立ち上がり、帝国主義を打倒する時だ。
 (宇和島 洋)

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月刊『国際労働運動』(431号3-1)(2012/07/01)

 (写真 ドイツの2万5000人のデモ【5月19日 フランクフルト】)

特集■特集 緊縮策に怒り爆発 全欧州が革命情勢

はじめに

 

 欧州は革命情勢だ。欧州諸国は昨年末以来、リーマン・ショック並みの金融危機・財政危機に陥っている。緊縮策に対する労働者人民の怒りが爆発している。
 「賃下げ、増税で生活できない」「財政危機の責任は1%の資本家と政府にある。99%の労働者に押しつけるな」の怒りと闘争が溢れている。欧州では昨年来、9カ国で政権が崩壊した。歴史的な大激動・大流動情勢だ。
 第1章は、世界恐慌の最先端にある欧州金融恐慌爆発が示しているEU・ユーロの構造的矛盾に切り込んでいる。
 第2章は、世界大恐慌によるEU・ユーロの解体的危機が、ドイツ帝国主義の存亡の危機としてあること、そこにおける革命的メーデーの意義を明らかにしている。
 第3章は、米帝の欧州MD配備がロシアとの緊張を高めていること、ロシアのプーチン体制成立の反人民性を明らかにしている。人民の反乱が始まっている。

第1章

 底なしの欧州金融恐慌――9カ国の政権が次々崩壊

 5月6日にはフランス大統領選挙で、ドイツのメルケル首相とともに新自由主義的な緊縮財政を牽引してきた現職のサルコジが敗北した。サルコジは2007年に失業率の5%への引き下げを公約して大統領になったが、大恐慌下で10%に拡大する中で敗北した。社会党のオランドは雇用と成長を掲げて勝利した。
 同じく5月6日、ギリシャ総選挙では与党が3割の支持しか得ることができず敗北した。ギリシャ第2次支援の条件である緊縮策を受け入れ、選挙結果にかかわらず履行すると誓約書まで提出したことが敗因となった。どの党も組閣ができず、6月17日に再選挙が実施されるが、選挙によっては何ひとつ決着しない。
 仏新大統領オランドが参加して5月18〜19日にアメリカで行われたG8では、欧州危機が最大テーマとなった。支援を主張するオランドと「甘い顔を見せるべきでない」とするメルケルが激論して結論を出せなかった。「財政再建と成長の両立」「ギリシャのユーロ残留を望む」ことが表明されたのみ。情勢を決するのはG8ではなく、ギリシャを先頭とした全世界の労働者階級の闘いなのだ。

 ●サルコジ大統領が敗北

 年初からサルコジは、フランス国債の最上級格付け維持に必死であった。ユーロ圏の最高位格付け国債を持つ国が欧州安定基金(EFSF)の信用を担保しているからだ。 1月13日に格付け会社スタンダード&プアーズがフランス国債など9カ国を格下げし、EUの金融安全網は瀬戸際に追い込まれた。フランス格下げの理由は「債務の大きさと硬直的な労働市場」(11年の財政赤字マイナス5・2%、公的債務残高85・4%)とされていた。
 サルコジは1月29日に付加価値税率を19・6%から21・2%に引き上げることを提案し、上院の反対を押し切って2月29日にスピード成立させた。2月15日、「強いフランス」を標語に大統領再選に正式に出馬表明した。
 EUは、3月2日に各国に均衡予算を義務付ける「新財政協定」(後述)に署名した。サルコジは「フランスが道を誤るわけにはいかない」と、増税と緊縮策でEUを先導しようとしていた。盟友のメルケル独首相は異例の支持を表明した。
 そのサルコジが敗北した。フランス国民は、緊縮策を強要するサルコジを追放した。投票率は約8割で、日本の現状からすれば驚異的な高さだ。
 オランドは、「EUの新財政協定の再交渉」(注)を主張し、メルケルは再交渉はあり得ないと反論していた。教員の6万人増、警察関係で5000人雇用、若者向け住宅の建設を行う。そのために富裕層への75%課税を行うことを公約した。
 「メルコジ」といわれるように独メルケル首相とタッグを組み、EU首脳会議の前には必ず会議で対策を練って共同提案した、盟友サルコジがオランドに敗北したのだ。
 労働者階級の反撃で緊縮策が貫けなくなっているということだ。これは決して小さなことではない。EUは成長と財政の両立へと微修正しようとしているが、緊縮策が行き詰まり、財政危機が促進され、独仏対立が激化していくであろう。
〔注〕「EU新財政協定」(経済通貨同盟の安定・調整・統治に関する条約)
 昨年12月の首脳会議で欧州債務危機にたいし財政規律の強化で対応しようとしたもの。当初はEUの憲法にあたる基本条約の改正を目指したが、英国の拒否権により果たせず、英国とチェコを除く25カ国が政府間協定として締結することとなった。現在単年度財政赤字をGDP比3%以内としている財政安定協定をさらに厳しくして0・5%以内に収めることを憲法や基本法に明記する。加盟国が新条約を批准しない場合、今年7月に常設するESM(欧州安定メカニズム)から支援を受けられなくなる。13年の発効を目指す。
 NATO政策では、フランスはドゴール大統領が1966年にNATO脱退以降、米帝主導の国際的取り組みから一線を画してきた。サルコジは一転して親米色を強め、09年にNATOに完全復帰した。
 オランド大統領はこの流れを見直し、アフガンの駐留仏軍を12年内に撤退する方針である。G8でオバマ大統領にNATOの撤退期限の14年まで延ばすように要請されたが断っている。
 大統領選に続いてフランス国民議会選挙の第1回投票が6月10日、決選投票が6月17日に行われる。

 ●ギリシャ与党敗北

 5月6日のギリシャ総選挙では与党が完敗した。ギリシャへの緊縮策の強要への大反撃である。
 昨秋、ギリシャのパパンドレウ前大統領はギリシャへの緊縮を強要する支援策の是非を問う国民投票を実施しようとした。緊縮策に対するゼネストとデモが繰り返される中で、国民投票を実施し、その結果に従うとしていた。メルケル・サルコジに「支援策を受け入れられないならユーロ圏を出るしかない」と恫喝された。支援策を受け入れパパンドレウは辞任した。
 今年2月、EU・ECB(欧州中央銀行)・IMF(国際通貨基金)〔トロイカ〕はギリシャ支援の条件として、年金の削減、最低賃金の引き下げ、公務員の削減を要求し、それを国会で決議し、与党党首が誓約書を提出することを求めていた。
 ギリシャ総選挙は昨年実施できなかった国民投票の意味を持っていた。誓約書をトロイカに提出していた与党は怒りを買い、得票を大きく減らした。EUとの合意を無効にすることを主張していた急進左派連合(SYRIZA)は16・5%を獲得して第2党となり、改選前の11議席から51議席に躍進した。
 第1党は新民主主義党(ND、18・9%)で109議席(ボーナスとして50議席加算したもの)、第3党はパパンドレウ前首相の全ギリシャ社会主義運動(PASOK、13・2%)で129議席から41議席に凋落した。ユーロ離脱を主張する共産党(KKE、8・5%)は21議席から26議席に微増し、独自の勢力を結集するにとどまっている。ソ連崩壊後のソ連派スターリニストという特異な政党である。世界大恐慌をプロレタリア世界革命へという情勢認識と戦略をもっておらず、「怒れる人々」などの大衆決起に対立しており、情勢全体を牽引できていない。
 「今のギリシャに、資本主義体制の打倒を当面の任務として実践的に課すような革命的状況にはない」と言うのがギリシャ共産党書記長アレカ・パパリガだ。
 右翼の国民正統派運動(LAOS)は与党の一角を占めていたが、3%の支持を得ることができず議席を失った。代わりに移民排斥を主張する極右の「黄金の夜明け」が7%を獲得して21議席を占めた。ギリシャでも左右両派が議席を増やしているが、左派が圧倒している。
 ギリシャの選挙制度は比例代表制であるが、政権を安定させるために第1党派にボーナスとして50議席を加算するようになっている。それにもかかわらず、与党は政権を組織することができなかった。生きられないまでの緊縮策を強要するEUと、既成政党の腐敗への怒りは大きい。
 急進左派連合は04年の総選挙に際して結成された、環境派、共産党国内派、独立左翼などの連合組織である。中心組織は1980年代末にギリシャ共産党と共産党国内派などのギリシャ左翼が選挙連合として結成したシナスピスモス(SYN)である。
 代表が08年に33歳のアレクシス・ツィプラスになり、現在急進左派連合の代表となっている。選挙での主張は、ギリシャ債務の支払い停止、10年以降実施された緊縮措置の撤回、トロイカとの合意の不履行、重要な銀行の国有化などである。
 5月6日の総選挙ではトロイカとの対決を貫いて支持を拡大した。選挙後も主張を貫いているため、6月17日の再選挙では第1党派になる勢いである。
 しかし彼らの主張は、選挙の勝利で実現できるものではない。力でもぎりとる以外にない。「最悪なら軍クーデター」(5・18付読売新聞)という見出しが躍る情勢だ。
 ギリシャは1967年に軍部が「共産主義の脅威」を口実にクーデターを起こし、7年間、軍事独裁を続けた国である。ギリシャの労働者階級はこの2年間で25回のゼネスと巨大デモ、職場占拠を闘い抜いてきた。それ以上の階級的激突とならざるを得ない。ギリシャの労働者階級はEUおよび自国資本家階級と闘い、欧州大陸をゼネストと巨大な戦闘的デモの逆巻く大陸へと転化するであろう。

 ●G8の関心は投下資本の回収

 

世界金融大恐慌は、これまでの07年パリバ・ショック、08年リーマン・ショックを前史とするような、大恐慌の本格的爆発過程に突入している。「過剰資本・過剰生産力」の重圧によって基軸国・米帝が没落し、世界経済の分裂化・解体化が進行している。新自由主義・帝国主義が野放図というべき財政・金融政策をいかに繰り返してもこれを押しとどめることはできない。大恐慌の重圧に飲み込まれ、支配階級は絶望的にプロレタリアートに階級決戦を挑みかかり、延命を策していく以外にない。G8ではギリシャの「ユーロ圏残留」を求めながら、本音は投下した資金救済であることを露わにした。
 日米欧の金融機関は、いまだにギリシャに630億ユーロの長期債を保有している。EUやIMFはギリシャに1400億ユーロの支援を実行済みだ。ドイツ連銀はギリシャ中央銀行を通じて1000億ユーロ規模の資金を供給している。ギリシャがユーロから離脱したらこれらの資金を回収できなくなることのみを心配している。すでにギリシャの銀行から3割の預金が流出しているという。
 09年に100万社あったギリシャ企業のうち25万社がつぶれ、30万社が支払い能力を失った。賃金取得者と年金生活者はすでに30%から50%、場合によってはそれ以上の購買力を失った。今年2月の失業率は21・7%。15〜24歳の失業者は54%である。人口1100万人のギリシャで110万人が失業しており、前年より42%も増加している。飢餓が大都市に現れ、国会前広場で高齢者が抗議自殺した。

(図 独と南欧4カ国の失業率【加重平均】)

 ●ユーロ圏の構造的矛盾

 

欧州恐慌がなぜ世界大恐慌の白熱的爆発点となるのか。それは大恐慌下において、ユーロの構造的矛盾が爆発しているからである。
 「もともとギリシャをはじめとしたEU・ユーロ圏の債務危機、国債暴落の危機は、通貨と為替は統一しているが財政は別々というユーロに構造的にはらまれていた矛盾の爆発である。ユーロの信用力が自国の通貨の信用力であるかのごとく錯覚的に作用する中で、政府債務=借金と放漫財政が進行し、そのもとですさまじい投資ブーム、バブル的経済が劇成されてきた。
 その矛盾が大恐慌の爆発の中で一気に噴出し、財政は大破綻するに至った。」(12年『前進』新年号アピール)
 00年から11年までの物価上昇率は、ドイツに比して南欧4カ国は平均で1%以上高い(ドイツは1・65%、南欧4カ国は2・78%)。ヨーロッパ中央銀行(ECB)の政策金利は、南欧にとっては相対的に低金利となり、景気刺激的で、物価上昇、賃金上昇、輸出競争力の低下、経常収支の赤字化をもたらした。
 逆にドイツにとっては相対的に高金利となり、景気引き締めとなり、物価下押し圧力、賃金抑制、輸出競争力上昇、経常収支黒字化をもたらした。そのため、もともとあった経済格差がますます拡大し、南欧諸国の財政赤字を助長してきたのである。

(図 欧州中央銀行の金融機関向け資金供給)

(図 欧州主要国銀行部門の昨年12月以降の国債月次増減)

 ●1兆ユーロの資金供給

 昨秋、欧州はギリシャ危機に始まって、国債暴落がイタリア、スペインに至り、完全なパニック状態に陥り、銀行間取引が凍り付いていた。
 この状態をひとまず沈静化させたのが、ECBの2回にわたって実施された3年という長期でかつ1%という低利の合計1兆ユーロにも上る資金供給(長期リファイナンス・オペレーション、LTRO)であった。欧州金融機関の短期の資金繰りは大きく改善した。
 しかし、供給された長期資金はもっぱら国債購入に充てられた。とりわけ欧州債務危機の震源であるスペイン、ポルトガル、イタリアで顕著である。経済規模の大きいスペインやイタリアでは、資金供給が実施された12月から銀行の保有する国債残高は月150〜300億ユーロ規模で増えた。
 このことによって7%を超える危機的水準にまで高まっていた国債の利回りを引き下げることになった。反面、銀行の国債保有が増加し、国債価格が下落した時に銀行経営リスクを高めることになった。これが加速すると、銀行危機→公的資金注入→財政危機→国債金利上昇の悪循環をもたらすことになる。
 ECBのバランスシートは4月末で2兆9600億ユーロ、1年前の1・5倍以上に急増した。FRB、日銀、ECBによる超金融緩和政策は、世界中をかけめぐり、暴走に至る。4月のユーロ圏のインフレ率は2・6%となり、2%以下という基準を大きく超えているが、ユーロ圏のマイナスかゼロ成長の中でECBは緩和政策を維持するしかなくなっている。
 ギリシャのユーロ離脱懸念で動揺している中で、スペインでは住宅価格の急落から民間銀行の不良債権比率が高まり、3月時点で8・37%になっている。株価が急落し銀行からの預金の流出も始まっている。金融危機が欧州第4位の大きさをもつスペインで爆発する時、EUもIMFも有効な「安全網」を形成できておらず、対応不能である。
 欧州金融恐慌の中で、昨年からアイルランド(2月)、ポルトガル(6月)、ギリシャ(11月)、イタリア(11月)、スペイン(11月)、オランダ(12年4月)フランス(12年5月)と連続して緊縮策を実行する政権が打倒されている。ドイツでは重要州議会選挙でメルケルのキリスト教民主同盟(CDU)は歴史的大敗を続けている。
 政権交代では何も解決しない。労働組合を階級的に再生し、人類史を決するプロレタリア世界革命へと闘い抜く時である。

第2章

 ドイツ帝の土台が崩壊――ベルリンで革命的メーデー

 ●革命的メーデーに大結集

 恐慌下のドイツの首都ベルリンの″革命的メーデー”は、過去最大の2万5千人の労働者、学生を結集して、戦闘的大衆的に闘われた。
 体制内労働運動の″お祭りメーデー”が、じり貧の5千人集会に終わったのに対して、階級的労働運動を志向するこのデモは、かつての「赤色ベルリン」と呼ばれた1920〜30年代のドイツ革命激動期、そして戦後60〜70年代の高揚期の歴史的戦場を思い出しながら、機動隊の暴虐な攻撃と闘い、数時間にわたって首都を席巻した。
 街頭からの合流を獲得し、クルド人など外国人労働者の参加も加えて、巨大にふくれあがったデモは、アメリカのオキュパイ運動を始めとする全世界の労働者人民の決起に応えつつ、1%による99%に対する新自由主義攻撃の怒りを爆発させた。会場では、ギリシャ・トルコ・アメリカなどからの連帯アピールとならんで、動労千葉・労働者国際連帯委員会からの特別アピールが読み上げられた。
 “革命的メーデー”とは、体制内労働運動のお祭り化したメーデーに反対する青年労働者や左翼的活動家たちが、十数年前から毎年独自に組織してきた闘争だ。今回、その主催団体の一つである「ベルリン階級闘争同盟」(昨年の11月集会に参加したドイツ代表を含む)から、動労千葉に対して連帯メッセージの依頼があった。それに応えて送られた動労千葉のメッセージが会場で読み上げられ、機関士労組の戦闘的活動家から、報告と感謝の便りがあり、日独労働者階級の国際連帯があらためて確認された。
 なお「5・5原発稼働ゼロ」については、1月に来日したゴアレーベンの反原発運動指導者ケアスティンさんから、「おめでとう」の激電が寄せられている。
 ベルリンのデモは、「賃上げをかちとろう」「職をよこせ」「銀行の横暴を許すな」などのスローガンを掲げ、メルケル政権の緊縮政策への闘いを宣言した。
(写真 ドイツの革命的メーデー【5月1日 ベルリン】)

 ●非正規労働、賃金引き下げへの怒り爆発

 

世界大恐慌が、ヨーロッパでは、ギリシャ、スペイン、イタリアなどを始めとする財政危機として爆発し、それが、この間のフランス、ギリシアなどの選挙に表されているように政治危機に発展し、これへの対処をめぐって、EUそのものの存亡が問われるに至っている。
 こうした状況の中で、「ギリシャ・スペインの破局」の一方で、「強いドイツ」「改革断行、ドイツ独走」「ドイツモデル」「独はリーダー役不可避」「財政規律と成長戦略を」などという言葉が、メディアによって語られている。しかし、ドイツ労働者階級の直面している現実は、どのようなものか。
 それは、″革命的メーデー”のスローガンにもあり、マスコミが、「非正規労働と格差の広がり」「福祉国家路線の転換」と言っているとおり、まさに新自由主義攻撃の生み出した「このままでは生きていけない」現実である。
 世界大恐慌に至る過程、そして金融恐慌爆発以来の期間で、実質賃金が停滞、あるいは低下しているのは、EU加盟諸国の中で、ドイツが例外である。
 これに加えて、非正規労働〔のちに述べるような″ミニジョブ”あるいは″1ユーロ労働”に象徴される〕が政策的系統的に拡大されている。そして、さらに失業手当・生活保護・年金などの社会保障の制度的解体〔″ハルツW”〕、労働者の一切の権利の制限・剥奪が、「強いドイツ」の労働者階級の現場で起こっている現実だ。まさに新自由主義攻撃のドイツ版である。これが、″革命的メーデー”における青年労働者の怒りの爆発が示すものだ。

(図 ドイツと欧州各国の労働コスト指数)

 ●新自由主義攻撃の開始

 

ドイツにおける新自由主義攻撃が本格化したのは、1990年代に入ってからである。
 90年10月東西ドイツ統一、91年7月ソ連崩壊・東欧圏解体、93年12月EU(ヨーロッパ連合)結成。
 この三つの出来事が、ドイツ帝国主義とドイツ階級闘争に新たな局面を開いた。この三つとも、米帝国主義とソ連スターリン主義によって構築された戦後世界体制の構造的崩壊を意味するものだ。
 ドイツは朝鮮とともに分割国家として戦後世界体制の柱をなしていたが、1974〜75年世界恐慌の爆発による戦後的発展の終わりとその後の米帝とソ連の世界支配の動揺・後退の中で、西ドイツ帝国主義による東ドイツの事実上の併合という形で、再統一をとげたのであった。
 これは、一方では、ヨーロッパの中心における強大なドイツ帝国主義の復活を意味するものであったが、同時に、分割によって破壊されたドイツ労働者階級の階級闘争と階級的団結を奪還する条件を準備するものでもあった。
 ドイツ帝国主義は、東西統一をもって、スターリン主義支配の下にあった東ドイツの政治と経済を解体・吸収するために、国営・公営企業の民営化(=西ドイツ企業による乗っ取り)の促進、インフラ投資などを中心に、膨大な国家予算を投入した。このため、統一ドイツは財政危機の重圧下に置かれることになった。
 これは、同時に、東ドイツを先頭とする旧中・東欧スターリン主義圏を、新たにEC(ヨーロッパ共同体)からEU(ヨーロッパ連合)へ、独仏帝国主義主導下の統合ヨーロッパへと包摂する過程と並行して進んだ。
【中・東欧諸国のEUへの正式加盟は04年になってからであるが、チェコ・ハンガリー・ポーランドの中・東欧主要3国との「欧州協定」は、すでに91年に締結されている】
 ここで重要なことは、この時期、90年代とは、米帝を先頭として80年代から開始されていた新自由主義攻撃が、すでに「グローバリゼーション」「規制緩和」「民営化」「労組破壊」などの形をとって、米英日を始め、中南米・アジア諸国などで展開され、帝国主義間争闘戦の激化と労働者階級に対する階級戦争として展開されていた時期だったということである。

(図 ドイツの海外直接投資の増加)

 

 ●競争力強化を口実に

 こうした中で東西統一を強行したドイツ帝国主義が着手したのは、緊密な経済圏=通貨圏として形成されたEUにおける自らのヘゲモニーを、フランス帝国主義との緊張をはらんだ同盟関係のもとで対米(および対日)対抗的に強化すること、その貫徹のためにも、国内における戦後的階級関係のもとで、労働者人民の闘争に対してやむなく行った譲歩を撤回し、階級的力関係を一変することであった。まさに、新自由主義攻撃である。
 まずスローガンとなったのが「国際競争力強化」「ドイツの産業立地」である。
 その内容は、争闘戦に勝利するためには、「ドイツの生産コストがあまりに高くなれば、雇用の犠牲の上で、生産は海外に移される」「労働世界の弾力化が必要」(コール首相)ということだった。
 こうして、賃金抑制〔実質賃金の引下げ〕、工場海外移転〔アウトソーシング〕による首切り、工場閉鎖、労働法制の改悪による〈解雇の自由〉の保障、非正規労働の拡大、社会保障制度の解体の攻撃が、系統的に開始されたのだ。「工場閉鎖で首を切られたくなかったら、賃金切り下げを受け入れろ」という資本の恫喝が、日常化した。93年産業立地法、96年社会保障改革法、解雇規制緩和、労働者派遣事業禁止の撤廃などが決議された。
 74〜75年世界恐慌によって、戦後的「経済の奇跡」が終わりを告げ、ドイツ経済の成長率が停滞し、国内投資が伸び悩み、90年代に入ると、EUの発足・拡大を期に、商品輸出とともに海外投資が急増した。ピークの95年には、ドイツの海外直接投資は、前年比43%増を記録した。
 この結果、東西統一以後のドイツ経済の成長率は、70年代平均2・7%、80年代平均2・2%だったのが、90年代には平均1・9%に低下した。一方で、失業率は上昇した。これは工場の海外移転に加えて、東ドイツの国営・公営企業の民営化による膨大な首切りが重大な要因だった。
 90年代には、海外投資だけでなく、95年のユーゴ内戦への介入=ドイツ連邦軍のボスニア派兵という軍事突出が始まった。第2次世界大戦における敗戦帝国主義ドイツとして戦後最初の海外派兵である。その後アフガニスタン派兵と続き、現在に至る。

 ●社民政権下の新自由主義攻撃

 

ドイツ帝国主義の新自由主義攻撃が本格化するのは、1998年における社民党と緑の党の連立政権発足の下においてだった。
 ドイツ統一、EU確立・拡大を主導したコール保守党政権のもとでの労働者階級への攻撃の激化に対して労働者人民は怒りを爆発させ、98年9月の総選挙で、社民党が政権につく。新首相シュレーダーは、しかし就任の演説で「コール政権の外交・安全保障政策を引き継ぐ」と発言し、そのうえ、内政においては、ドイツ労働総同盟(DGB)を引き込んで、前政権以上に徹底した新自由主義政策の強行に着手した。
 まず、98年12月に「雇用のための同盟」と称する政労資会談を招集し、「ドイツ再生のためのプログラム」の作成を開始した。
 それは、「財政、税制、社会保障、労働市場などの分野における包括的かつ堅実な改革」を掲げ、核心的には、戦後的国是=「社会的市場経済」からの転換を宣言するものであった。すなわち「社会的」の言葉に象徴される労働者階級への譲歩の一掃、具体的には「労働市場改革」の名による階級関係の転覆、「福祉国家」(失業手当・生活保護・年金が三つの柱)の解体であった。
 02年の「ハルツ委員会」設置、03年「アジェンダ2010」が、その決定的なテコとなった。フォルクスワーゲン社の社長ハルツを議長とし、「政労資」(+学者)から構成されるこの委員会は、四つの改革案を提出し、それらは次々と法制化されていったが、その柱をなすのは「ハルツW」の名で呼ばれる社会保障制度の抜本的組み換え政策であった。
 その核心は、@失業手当支給期間の短縮による失業者の求職活動の促進=非正規職・低賃金労働の強制、A失業手当と生活保護の融合による総額切り下げ→生活費を補填するための有償の奉仕活動(″1ユーロ労働”あるいは″ミニジョブ”と呼ばれる時給120円程度の労働)への誘導などである。
 狙いは、社会保障費の大幅削減と非正規職労働者数の拡大、それによるサービス労働、医療、教育などの現場での正規職労働者の非正規職労働者による「置換」であった。極限的なミニジョブで暮らす労働者〔現在500万人に達するといわれる〕を含め、非正規職労働者は激増した。
 このため「ハルツW」は、ドイツ労働者人民の憎しみの的、シンボルとなり、03年の地方選挙では、与党社民党が大敗北を喫した。
【本誌2012年3月号『ドイツ/低賃金化する非正規職労働者の現状』参照】。
 このような「福祉国家」の解体の他、ハルツ委員会及びそれを受け継ぐ「アジェンダ2010」は、企業減税の促進、生産性向上に見合った賃金・能力主義賃金の導入、派遣労働への規制の大幅緩和、産業別全国統一賃金交渉制度の事実上の解体と企業別・職場毎の労資交渉への置換えによる労働組合の弱体化などの内容を含むものであった。

(図 ドイツ自動車産業の海外生産)

 ●資本の中・東欧への進出 国内生産との逆転

 

「輸出立国」を戦後的発展の柱とし、EC(ヨーロッパ共同体)そしてEU(ヨーロッパ連合)をその牙城としてきたドイツ経済は、90年の東西統一に次ぐ91年の中東欧スターリン主義圏の崩壊をもって、堰を切ったように、ドイツ帝国主義の旧勢力圏であった「東方への進出」を開始した。
 中・東欧諸国のEU加盟(04年)をまたずに、輸出の拡大とともに、金融資本の進出、工場移転をともなう直接投資など、ドイツから中東欧諸国への資本の純流入額は、89年の62億jから04年の474億jへと7・6倍化した。その8割以上が、直接投資であり、自動車・電機・化学などの製造業では、そのほぼ4分の1の企業が、何らかの形で中東欧に関係しているという状況が、90年代に生み出されていた。
 その結果、ドイツ東部からチェコ、ポーランドへ、ドイツ南部からオーストリア、ハンガリーの中欧へ伸びるそれぞれ1000`に及ぶ二つの産業ベルト地帯が形成され、中東欧はドイツ産業の生産基地となったのだ。
 金融資本の活発な動きを条件づけたのは、やはり90年代における金融自由化、あるいは銀行・金融制度の一大改革であった。新自由主義のもとでの金融のグローバリゼーション、金融の商品化の波の中で、とりわけドイツでは従来厳密に区別されていた貸付業務と投資業務の壁を撤廃し、膨大な資金が、ベンチャー株式の取引などに流入した。それが、中東欧にも殺到し、これら諸国の金融市場における支配的な位置を占めるに至った。
 ドイツ資本・企業のこのような活発な中東欧進出の動機は、まず第一に、これら諸国の低賃金労働である。賃金水準は、2000年において、対ドイツ比で、ポーランド11%、チェコ13%、ハンガリー16%であった。それが、これら諸国の労働者の闘いによって、いくらかは改善され、06年には、EU15か国平均の賃金水準の約3分の1ほどに上昇してきているとはいえ、格差は厳然としている。
 そのうえで、労働法制上の無権利や労働組合の弱体のなかで、これら諸国の労働者は、昼夜3交代制など、本国で不可能な作業体制を強制されている。そして、賃上げを要求すると、ちょうどドイツの労働者が資本から受けている恫喝と同じ資本の言葉、すなわち「賃上げを要求するなら、もっと低賃金の国へ工場を移転するぞ」という圧力のもとで、ルーマニアやトルコ、この数年では中国に、どんどんドイツ企業の直接投資・工場移転・アウトソーシングが強行されているのだ。
 とりわけ、中国へのドイツ資本の進出は、輸出の拡大とともに、この数年間において、爆発的な展開を見せた。のちにみるように、07〜08年からの世界金融恐慌の過程で、ドイツ経済にとって、中国の占める位置が歴史的な転換を遂げた。
 以上が世界大恐慌爆発以前のドイツの状況であった。

(図 ドイツ貿易の推移)

 ●大恐慌とメルケルの緊縮政策強化

 今回の世界大恐慌の発火点が、07年におけるフランスのパリバ銀行の破産であったことに表されているように、金融恐慌の打撃をアメリカとならんで、強烈に受けたのが、ヨーロッパ諸国であった。80年代以来の金融自由化は、ヨーロッパの金融市場のあり方、銀行業務のあり方を一変させ、過剰資本が金融商品の形をとってEU内外に溢れた。
 「ビッグバン」で、金融自由化の先頭に立ったイギリスはもちろん、フランスと同様にドイツ金融資本も、EU域内だけでなく、対米、その他中南米やアジア諸国に膨大な進出を行った。
 金融恐慌が、まずアイルランドを襲い、スペイン、ギリシアなどに拡大したのは、これら〈南欧諸国〉に、アメリカだけでなく、英独仏などの金融資本が、深々と入り込んでいたからに他ならない。
 金融恐慌が、実体経済の縮小に発展し、世界大恐慌として激化していく中で、ドイツ帝国主義は、重大な重層的な危機に直面せざるをえなかった。
 それは、EUの基軸国として、その加盟国の財政破綻、さらには国家的破産は、EUを危機に陥れるということであるばかりではない。戦後的再建の時期以来、ドイツ帝国主義は輸出国家とし「立国」してきたのであり、かつてのEC(ヨーロッパ共同体)時代はもとより、現在のEU(ヨーロッパ連合)としてヨーロッパの経済統合が進んだ現在、そしてとりわけ東西統一以来の20年、ドイツ経済は、貿易通商、資本輸出(直接投資による工場移転など)、金融的進出などのすべての面で、他のEU諸国や日米に比べても、段違いに対外依存度を深めてきた。
 EUの維持・存続は、「ヨーロッパ同盟としての責任」とか、「貧窮諸国の救済」とかの問題ではない。まさに、EUなしには生きていけないドイツ帝国主義そのものの存亡のかかった問題なのである。アメリカ帝国主義が「世界帝国主義」としてしか生きていけないようなあり方が、現在のドイツ帝国主義を規定しているのだ。
 現に、大恐慌の進展が、次第に実体経済に影響を及ぼし始め、貿易の縮小が始まると、まず対米輸出、そして何よりもEU域内の輸出が、旧加盟国15カ国において、大きく減退した。そして、それを補うものとして、新規加盟諸国(主として、かつてのソ連スターリン主義圏であった中東欧諸国)との貿易関係が増加した。
 しかし、何よりも衝撃的なのが、対中国貿易と資本輸出の急増である。この間のドイツの輸出のベースは、かろうじて対中国輸出によって支えられていると言っていい。
 しかし、その対中貿易も、中国自身の経済成長が、ついに鈍化している中において、減退し始めている。さらに、大規模に行われた中国へのドイツ企業の直接投資による工場移転は、低賃金・無権利に対する中国労働者の怒りによって、大きな脅威に直面している。外国工場の密集していた沿岸地帯から、より低賃金・無権利の内陸部、あるいはベトナムやインドネシアなどへの外国資本の逃避が始まっている。
 このように、ドイツは「EUの基軸国」「輸出大国」「中東欧・アジアに拡大した生産拠点」などという現在のあり方そのものが、大恐慌によって、根底的な打撃を受けているのである。

 ●「ストライキ共和国」の再現へ

 しかし、ドイツ帝国主義によって何よりも決定的なのは、「資本主義の墓掘り人」である労働者階級の決起である。
 すでに述べたように、ドイツ労働者人民は、東西統一、EUの強化・拡大の中で、ドイツ帝国主義の新自由主義攻撃に直面してきた。
 その主要な柱は、@「社会福祉国家の解体」、A「国際競争力強化」を掲げたアウトソーシング(EU内外の″低賃金地方、国家”への工場移転)と賃金抑制、B雇用形態の転換(非正規雇用の大規模な増加)、C労資の全国産別レベルでの労働協約形態の解体と、企業単位・職場単位での個別交渉への転換〔労組の権限の弱体化〕、などを特徴とするものであった。
 これに対する労働者人民の闘いは、「ハルツ委員会」が設置され、「改革案」が発表され始めた02年に爆発した。自動車・電機・機械を包含するIGメタル(=金属労組)が、ドイツ東部の工場を含め7年ぶりにストに決起した。結局は、組合本部の妥協によって終結させられたが、生産点における実力闘争の復活は、「政労使」交渉にのめりこんでいたドイツ労働総同盟(DGB)官僚への強烈な批判であった。
 闘争の高揚は、07〜08年に再び激しい形をとった。ストライキの先頭には、まず民営化反対を掲げた電気通信労働者(ドイツテレコム)、戦闘的機関士労組(GDL)が立ち、公共サービス労働者が続いた。
 ストのピーク時には、都市交通・行政機関・医療・教育・清掃・水道・空港など、全社会的な諸機関が停止した。長年、後退を強いられてきたランクアンドファイル=職場労働者の怒りが、DGBの官僚的制動と、いたるところで激突した。「ストライキ共和国ドイツ」と、マスコミは震え上がった。
 この闘いは、09年、新自由主義による大学の解体、EUの統一政策(ボローニア計画)による「教育の商品化」に対する学生と教育労働者の怒りの爆発に引き継がれた。ドイツ全土に大学スト、キャンパス占拠、戦闘的街頭デモが展開し、″暑い秋”が、米英仏伊・オーストリアなどと連動しながらかちとられた。
 その後、ベルリン公共サービス労組、機関士労組などの民営化反対の闘いが、体制内指導部との対決の中で継続される一方、10年に、反原発闘争が新たな高揚を開始した。
 その矢先に3・11が爆発した。ドイツ各地では、86年チェルノブイリ事故の記憶と教訓をよみがえらせて、激甚な反応をもって連帯した決起が行われた。「フクシマは警告する」「フクシマとの連帯」を掲げる数十万のデモが、3・11以来、全土で繰り広げられてきた。
 その中で、ドイツ反原発運動の根拠地北ドイツのゴアレーベン現地反対同盟の代表が、1月に反原発横浜会議に出席した。そこで、昨年現地を訪問したNAZEN、動労千葉、全学連との再会を果たし、戦闘的交流を強化するに至っている。冒頭で触れた革命的メーデーをとおしての機関士労組の戦闘的活動家との連帯・交流も、6・10国鉄闘争全国運動集会から11月全国労働者集会へ向けて期待される。
 EU危機のただなかで、ヨーロッパ帝国主義の新自由主義攻撃と真っ向から闘う階級的労働運動、戦闘的反原発運動との国際連帯の発展は、プロレタリア世界革命の現実性の成熟を示している。

第3章

 欧州MD配備とロシア――対米対決強めるプーチン

 ■米帝・NATOがMD配備 対ロ重圧、中東革命圧殺狙う

 

米帝・NATOは5月20、21日のNATO首脳会議で、欧州MD(ミサイル防衛)の初期的運用を宣言しようとしている。
 欧州MDをめぐってはこの間、以下の進展があった。
 11年5月に迎撃ミサイルSM―3を搭載する米イージス艦4隻が地中海に配備された。9月にはトルコがミサイル探知レーダーの国内設置に同意。さらに、ルーマニア、ポーランドと地上発射型SM―3の基地建設で合意。10月には米海軍のイージス艦の母港をスペインが引き受けると表明した。これにより、地中海を巡回する米イージス艦とトルコのレーダー施設、ポーランド、ルーマニアに地上配備されるSM―3という欧州MDの当初の態勢が固まったと言える。
 この欧州MD計画は、イランのミサイル攻撃への対処を掲げた、11年から20年にわたる10年間、4段階にわたる中長期計画としてある。
 第1段階(11年まで)では、レーダー施設の地上設置(トルコに設置予定)。及びSM―3ブロック1Aを搭載したイージス艦を配備(既に実施)。
 第2段階(15年まで)では、地上発射型SM―3ブロック1Aを配備。イージス艦へのSM―3ブロック1Bの配備を開始し、短距離・準中距離弾道ミサイルに対する防御地域を拡大する。
 第3段階(18年まで)では、SM―3ブロック2A(日米が共同開発中)を配備。迎撃範囲は約1000`伸び、識別能力も格段に向上することにより、「3カ所に配備するだけで、欧州全土をカバーできる」(米国防省)としている。
 第4段階(20年まで)では、SM―3ブロック2Bを配備し、準中距離・中距離弾道ミサイルや大陸間弾道ミサイル(ICBM)による攻撃に対しても迎撃能力を強化するとしている。
 レーダー施設、地上発射基地の設置・運用はこれからだが、SM―3ブロック1A搭載の米イージス艦が地中海に配備され、段階的運用のスタートを切ったのだ。

(図 欧州MDの配備概要)

 ●危機感募らすロシア

 こうした欧州MDの実戦的運用の開始という事態にロシアは、欧州MDが自国の核戦力に向けられたものではないのかとの危機感を募らせ激甚に反応している。
 プーチン大統領は5月のNATOとの首脳会議をキャンセルするとの強硬姿勢を見せ、マカロフ参謀総長はMD施設への先制攻撃もありうるとの警告を発している。
 既に対抗策として、ロシアが欧州に有する飛び地カリーニングラード州の軍施設で、警戒レーダーの運用を開始したと言われている。また、NATO加盟国に隣接するロシア西部や南部にMDを無力化する攻撃兵器を配備する考えを表明。その一環として最新の短距離ミサイル「イスカンデル」をカリーニングラードに配備するとしている。ロシアはプーチン体制の危機乗り切りをもかけて強硬姿勢を強めている。
 そもそも、ロシアと米帝は、10年11月のロシアとNATOの首脳会談で欧州MD構築に関する協力で「合意」したが、協力の在り方については対立を残したままである。ロシアは、米露が単一のMDシステムを構築し、対等の決定権を持つ「統合方式」を提案し、ロシアとNATOが情報を共有し、担当空域のミサイル迎撃に責任を負う「セクター方式」を主張している。
 これに対して米帝・NATO側は、防空の一端をロシアにゆだねることや、最新の米MD技術がロシアに流出しかねないとの懸念が強く、部分的な協力にとどめたい意向であり、合意は困難だ。また、ロシアは「欧州MDがロシアの核戦力に向けられたものでないとの法的な保証」を求めているが、米帝は拒否している。両者の隔たりは大きい。

 ●世界に広がるMD網と日米帝の実戦運用

 

こうした中東欧へのMD配備に加えて、米帝は中東湾岸産油6カ国(サウジ、アラブ首長国連邦、バーレーン、クウェート、オマーン、カタール)と3月末に、イランからのミサイル攻撃の抑止を掲げて、MDシステムの配備を進めることで合意した。現在、サウジとアラブ首長国連邦には地上配備型迎撃ミサイル、パトリオット(PAC3)を配備済み。レーダーなどミサイル防衛網を湾岸協力会議(GCC)全6カ国に導入し、情報を共有するシステムの構築を目指す。
 世界大恐慌のもとで、死の苦悶にあえぐ米帝は、中東欧へのMD配備で対ロシア重圧を加えるとともに、エジプト革命に始まる中東(西アジア・北アフリカ)における階級闘争の新たな爆発の制圧を、対EU帝国主義争闘戦という要素も含みながら、イラン包囲網強化の口実のもとに、策動しているのである。この動きは、西太平洋・アジアにおける日米安保体制下で、北朝鮮をターゲットとしつつ、対中国、そして対日争闘戦の狙いをもって行われている日米帝のMD網の実戦運用と連動している。

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 大統領に復帰したプーチン 資源依存からの脱却が課題

 5月7日、プーチンが大統領に復帰、3期目の任期を務め始めた。昨年12月のロシア下院選での当局側の不正に対する大規模な抗議行動が3月4日の大統領選前後も闘われる中での就任式となった。
 大統領だったメドベージェフは首相に戻ると同時に与党「統一ロシア」の党首をプーチンから受け継ぐ。タンデム(2人乗り自転車)体制継続だ。5月1日のメーデーでは2人並んで行進に参加した。 プーチンは就任宣誓後のあいさつで「ロシア式の民主主義を強化すれば目標は達成される」と述べた。ロシア流の「統制された民主主義」だ。 プーチンは4月の下院報告で次期大統領として臨む主要な課題を六つ挙げていた。
 現在120位のビジネス環境ランキング(世界銀行)を20位以内に改善し、「世界の5大経済国入り」することが最終目標だ。課題は@新たな雇用創出A経済危機への予防対策B投資環境の改善C人口維持D極東シベリアの発展Eユーラシア連合の形成だ。
 @ABに加え、ロシア版シリコンバレーとして世界の大手企業も参加する「スコルコボ」計画はメドベージェフの担当だ。資源依存から脱却し、汚職や官僚主義による劣悪な投資環境を改善することは長年の課題だ。シロビキ(国家暴力装置官僚)が資源産業などを再国有化して巨大利権を握っている。これはプーチンの権力基盤でもあり、手をつけることは危険で困難だ。プーチンは就任宣誓後の演説でメドベージェフに意味深長な言葉を送った。「彼の前には難しくて責任ある課題がある。成功を祈る」
 一方、今後10年で軍需産業に約23兆ルーブル(約62兆円)を投入して経済発展を牽引させる計画もある。ロシアは資源輸出だけでなく武器輸出にも大きく依存している。この経済構造を変えることは困難を極める。
(写真 モスクワの繁華街でプーチンの大統領就任に抗議する反プーチン派のデモ【5月7日】)

 ●不正選挙への抗議行動

 大統領就任式前日の6日夕、大規模な反プーチン集会が開かれた。場所は昨年12月に数万人が不正選挙に抗議し怒りの声を上げたモスクワのボロトナヤ広場だ。大規模抗議行動は12月から6回目だ。警察部隊との衝突で主催者を含めて450人以上が逮捕された。
 プーチンの大統領当選が決まった翌3月5日にも不正選挙に抗議する大規模集会がモスクワやサンクトペテルブルクなど10以上の都市で開かれた。モスクワのプーシキン広場には4万人が結集した。モスクワでは、最大与党統一ロシアを「詐欺師と泥棒の党」と呼び、共感を広げている抗議デモ呼びかけ人、ブロガーのナバリヌイ氏を含め250人が警察に拘束された。サンクトペテルブルクでは数千人が無許可でデモを行い、300人が拘束された。全国で千人が拘束された。
 昨年12月に抗議運動が大規模化して以来、当局は人民の反発や西側諸国の批判を招く国家暴力の行使を控えてきたが、プーチンの当選が確定すると、本性をあらわにした。 プーチンは今回の選挙を国家機関の総動員や利権のばらまきでのりきった。不正投票も内外の監視団をかいくぐって全国で組織的に行った。それでも6割を超える支持を取り付けるのがやっとの苦しい勝利だ。プーチンが勝利集会で涙を浮かべたゆえんだ。
 今回のプーチン支持は消極的な選択でしかない。「安定」と「強さ」を実現できるのはプーチンだ、という積極的支持は2割程度とみられている。むしろ「他にだれもいない」という選択肢のなさがプーチン体制の支えだ。
 プーチン体制の支持基盤はソ連色を残す重工業や軍需産業を核とする中小都市の住民や地方農村地帯の住民だ。国家の社会的義務の遂行を重視する人々だ。都市でのプーチン支持デモの参加者の大半は、職場の上司の指示や労組(旧官製労組の全ソ労組中央評議会の流れをくむロシア独立労組連盟)の動員による。教員や公務員が多い。自発性がなく、意気が上がらない。
 反プーチン派の基盤は大都市中間層だ。「個人の自由と権利の尊重」を主張し、弾圧を恐れず闘う姿には解放感があふれている。モスクワではプーチンは首位ながら過半数を得られない屈辱を味わわされた。中間層の増大は皮肉にもプーチン体制下のロシア経済の資本主義化の進展と高度成長の結果である。
 プーチンは知事公選制の復活や政党登録の緩和など政治改革を始めたが、知事候補との協議という名目で大統領が関与できる余地を残す。改革はまやかしだ。野党は今後も反プーチン集会を続ける姿勢で、地方からの反乱に重点を置く。4月1日のヤロスラブリ市長選で腐敗・汚職一掃を掲げる野党候補が地すべり的勝利を収めた。プーチン体制は盤石ではない。

 ●東部開発に戦略的重心

 プーチンは経済発展戦略の重心を極東・東シベリアに置いている。ロシア東部を開発するために大統領直轄の国営会社をつくる。
 国営会社の役割は、極東と東シベリアの開発に投資を誘致し、地下資源や森林資源を有効利用することにある。ロシア全土の6割を占める16の地方構成体が対象だ。欧州部よりも遅れた経済や居住環境を底上げし、減少を続けるこの東部の人口を定着させることを狙う。計画実現には20年間で32兆ルーブル(約86兆円)が必要と試算される。
 「国営企業は地域の発展を遅らせるだけだ」(クドリン前財務相)との批判もある。だがプーチンの発想には、今年9月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)のウラジオストクへの誘致や2014年冬季オリンピックの黒海沿岸ソチへの誘致に見られるように、国家主導の巨大開発プロジェクト指向がめだつ。
 ロシアは4月末、極東シベリア開発のため40億jまでの共同投資資金をつくることで中国と合意した。日本や韓国にも投資を呼びかけている。日本の投資と技術協力こそロシアにとって重要だが、領土問題の解決なしには難しい。
 労働者階級の生きる道は、欧州革命情勢と一体の闘いとして、プーチン体制を打倒するプロレタリア革命にある。

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月刊『国際労働運動』(431号4-1)(2012/07/01)

Photo News

■Photo News

 ●イギリスで公務員スト

 (写真@)

 (写真A)

 5月10日、イギリスでは公務員労働者が年金支給年齢引き上げと給付額を引き下げる政府の年金改革に反対して全国規模の24時間ストに突入した。40万人以上の公務員労働者がこのストライキに参加した(写真@A)

 ●ニューヨークでメーデー闘争

 (写真B)

 (写真C)

 メーデーは、1886年に当時のAFL(アメリカ労働組合連盟)が8時間労働制を要求して行ったゼネストをもって始まった歴史を持つ。労働者の権利を実力でかちとろうとするこの伝統が再びアメリカで復活している。ニューヨークでは8000人がユニオン広場に集まってメーデーを祝った(写真B)。このメーデー闘争にはオキュパイ・ウォールストリート運動も参加し、15カ所でピケットラインが敷かれた(写真C)

 ●スペインのメーデー

 (写真D)

 (写真E)

 スペインでは全国60都市、80カ所でメーデーの集会やデモが行われた。マドリッドでは10万人が参加した(写真D)。参加した労働者たちは、資本家や政府と闘うために新たなゼネストを組織することを要求してデモを行った。バルセロナでも10万人がデモに決起した(写真E)

 ●ベルリンのメーデーで動労千葉の連帯声明読み上げられる

 (写真F)

 (写真G)

 ドイツでは午前中の既成労組のメーデー集会で、5000人の組合員の前で動労千葉の連帯声明が読み上げられた。夜の「革命的メーデー・デモ」には2万5000人もの労働者が参加したが、ここでも動労千葉の連帯声明が読み上げられた。ベルリンの労働者階級と動労千葉が革命的に連帯して闘う歴史的突破口がついに切り開かれた(写真FG)

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月刊『国際労働運動』(431号5-1)(2012/07/01)

世界経済の焦点

■世界経済の焦点

新自由主義の柱=規制緩和

東電トップ「平岩レポート」から全面攻撃に

 日本の労働者階級の闘いは今や、新自由主義との対決を貫いて、これに勝利できる確信と展望をつかみとりつつある。国鉄闘争と反原発闘争の一体的推進、非正規職撤廃闘争の戦略的前進こそ、新自由主義を粉砕し日帝を打倒する具体的道筋そのものだ。帝国主義の最末期の延命策である新自由主義の打倒は、プロレタリア革命の展望を一気に切り開く。こうした日本革命に勝利する立場から、新自由主義の柱をなす規制緩和・撤廃攻撃を、あらためて歴史的にとらえ返したい。

 □国鉄分割・民営化で労組破壊に総力

 日本の新自由主義は、80年代国鉄分割・民営化攻撃として本格的に始まった。82年に国鉄・電電公社・日本専売の3公社の分割・民営化方針が公式に出され、85〜87年に強行されていった。戦後労働運動の中軸だった国鉄労働運動を破壊し、労働運動全体を解体しようとする攻撃だった。この国鉄分割・民営化を経て、総評解散・連合結成にまで至る。これに対し1047名解雇撤回闘争が今日まで不屈に闘われているのであるが、国鉄分割・民営化攻撃はナショナル・センターを解散に追い込むほど激烈なものだった。
 国鉄分割・民営化を先導した第2次臨時行政調査会(臨調)は、「官から民へ」を最大のキャッチフレーズとした。当時の中曽根政権は「民間活力導入」路線で規制緩和に踏み込みはじめたとはいえ、規制緩和はまだ部分的なものにとどまっていた。80年代の新自由主義攻撃は、その最大環であり、大前提でもある労働組合の破壊にこそ最も重点があった、と言えよう。

 □東電など電力資本は資本家階級の最中枢

 日本の新自由主義の第2波とも言うべき攻撃は、93年「平岩レポート」以来の規制緩和・撤廃である。
 まず、このレポートの作成者である平岩外四の略歴をみておこう。平岩は76年から東電社長、84年から東電会長を経たうえ、90年から4年間の任期で経団連会長に就いた。東電初の原発である福島第一原発1号基が稼働しはじめた71年、第1次石油危機の73年、長期不況突入の画期となった74〜75年恐慌、福島第二原発が稼働した82年、国鉄分割・民営化と新自由主義攻撃が本格化した80年代、東電・柏崎刈羽原発が稼働した85年、チェルノブイリ原発事故が起きた86年、そしてソ連崩壊による帝国主義間争闘戦の90年代への突入、という全過程で、日本の資本家階級の中枢にいた人物だ。しかもその時期に、日本の資本家階級としての延命戦略、国家戦略を作成した中心人物でもある。70年代以来と言われる「原子力村」を作った″主役”も、平岩にほかならない。「原子力村」は広大な分野にまたがるとはいえ、その基幹は電力資本から公私の原子力機関への社員送り込みと、逆の公的原子力機関から電力資本への天下りにある。
 なお、東電会長で経団連会長に就いた者は平岩以外にはいない。ただ、全国で八つある地方の「経済連合会」(経団連の地方団体)の会長は、各地の電力会社会長で独占されている。例えば5月現在、関西経済連合会・会長は関西電力会長の森詳介、四国経済連合会・会長は四国電力会長の常磐百樹である。会長と副会長を電力会社役員で独占している地方すらある。各地方的に見れば、資本家階級=財界=電力会社役員という等式が成り立っている。われわれはこの間の実践をとおして「JR資本は日帝ブルジョアジーの中枢である」(『前進』春季特別号論文)とつかみとったが、電力資本もまた中枢中の中枢だ。
 さらに、平岩は87年から国鉄資産処分審議会委員長を務めており、「国鉄債務28兆円」を押し付けた張本人でもある。また、平岩は81年から91年まで2期10年間、国家公安委員を務めた。東電社長を後任した那須翔もまた、平岩の後の91年から2001年まで国家公安委員に就いていた。つまり、東電のトップが80年代と90年代の20年間にも渡って、国家暴力の行使を左右できる最高ポストにあったということだ。原発をめぐる反対運動に対する無法なテロ・脅迫行為、原発労働者への違法な作業の強制、大学や研究機関への脱法的な買収工作などのすべてが、国家公安委員会の「ゴーサイン」のもとで平然と行われてきたのだ。労働者階級はこの歴史的な大罪を絶対に忘れない。

 □「原則自由」「自己責任」が最大の狙い

 では、「平岩レポート」とは何か。当時の細川首相の私的諮問機関である「経済改革研究会」(いわゆる平岩研究会)が、93年11月に出した中間報告「規制緩和について」、12月の本報告「経済改革について」を指す。結論的に言うと、全社会的に無制約の規制緩和・撤廃攻撃を宣言する文書だった。以下、その特徴を挙げよう。
 @まず冒頭で、「規制緩和という場合、廃止を含めた見直しをいう」と明言されている。ブルジョア・マスコミでは規制緩和という言葉の方がより多用されてきたが、実質は規制撤廃を指す。
 A規制緩和・撤廃の中身は、「経済的規制は『原則自由』に」「社会的規制は『自己責任』を原則に最小限に」に尽きる。経済的規制とは大規模小売店舗の規制、土地・住宅の容積率・高さの制限、公共料金の規制などで、これらについて国家による制約を全部とっぱらえという主張である。社会的規制とは労働基準法などの労働法制、放射線障害防止法や労働安全衛生法などの危険物・防災・保安に関する規制、食品衛生法とかの食品基準の規制などで、これらについても国家規制を全廃して「自己責任」に転嫁するという内容である。中間報告には別表が付いており、規制緩和対象の膨大な法令が列挙されている。しかも「別表中の各項目は例示であり、例示に掲げられていない規制も含め、全ての規制が緩和検討対象となる」とまで言われている。要するに規制緩和によって国家・社会を全面的に改造するという内容だ。
 B特に顕著なのは、別掲のように、規制緩和の対象として労働法制に関する全法律が挙げられている。「柔軟な労働市場」とか「参入しやすく、転職しやすい労働市場」とか、要するに非正規職化することが最大課題とされている。また、省庁ごとの法律では、科学技術庁に関してはただただ原発運営と原発労働に関する法律が名指しされている。

 □東電こそ非正規職化を進めた“主犯”

 この「平岩レポート」からわずか1年3カ月後の95年3月、政府の「規制緩和推進5カ年計画」が閣議決定された。その後、これは「3カ年計画」に短縮され、規制緩和が急テンポで強行されていった。雇用に始まり、福祉・医療・教育など社会基盤のすべてを破壊するような大々的な攻撃が90年代半ばから吹き荒れたのだった。
 とくに雇用面では、非正規職化が急進展していった。“正規職は1割、あとの9割は非正規職に”と提言した日経連「新時代の『日本的経営』」は95年5月に発表された。この提言は、93年12月開始の「新・日本的経営システム等研究プロジェクト」によって作成された。このプロジェクトは94年にはほぼ月1回の検討会議を開いていたという。つまり、「平岩レポート・本報告」と「新・日本的経営システム等研究プロジェクト」の始まりとは、同じ93年12月なのだ。
 96年には労働者派遣法が改悪されて、対象が16事業から26業種まで拡大した。97年4月には有料職業紹介事業の自由化、同年6月には女子保護規定の撤廃と相次いだ。この結果、すでに97年時点で非正規の割合は23・2%にも及んだ。ただし、女性が41・8%と高率だったのに比して、男性はまだ10・5%にとどまっていた。とはいえ、すでに「偽装請負」「違法派遣」という批判がこのころにもう登場しているのだ。労働組合が猛然と抵抗しなかった一点で、こんな違法なことがまかりとおっていったのだ。
 このように、「平岩レポート」に基づく規制緩和と非正規職化の攻撃は、国鉄分割・民営化に続く第2弾とも言うべき新自由主義攻撃と言える。それは、すでに原発労働者にとっては非正規・下請け・使い捨てという当初からのあり方を、まさに全社会的に拡大し普遍化しようとするものだった。東電など電力資本はそれまで脱法的にやってきたことを、あたかも社会的に承認されたかのように見せかけるためにも、非正規職を全社会に広げようとしたのだ。今日的には白日のもとにさらされているように、その実態は違法な偽装請負だ。しかし、労働組合が猛烈に反対しなかったことにより、電力資本がやってきた労働者への脱法的行為が、違法な偽装請負の全社会的な横行にまで進展していったのである。
 このように、被曝労働を強制しつづけてきたうえに福島原発事故を引き起こした電力資本こそ、労働者が生きていけないほどの非正規職に突き落とした“主犯”でもあるのだ。国鉄分割・民営化に対する徹底的な反対も、非正規職撤廃の不退転の決起も、そして東電・政府への原発事故の責任追及も、敵は同じだ。新自由主義こそがすべての元凶だ。

 □連合支配を打ち破り新自由主義粉砕へ

 日本における新自由主義攻撃は、一方では01年からの小泉政権による郵政民営化など公務員攻撃を切っ先とした「構造改革」攻撃、他方では01年のJR東日本の「ニューフロンティア21」、同年のNTTの大リストラ計画を機にした外注化による非正規職化、というさらに新しい過程に入っていった。これは現在、橋下を最先端とした公務員攻撃との対決と国鉄闘争―4大産別決戦の一層の非和解化、民営化・外注化・非正規職化をめぐる全産別での死闘戦へと発展している。そして、ここに3・11以降の反原発闘争が完全に一体となって爆発してきている。
 ここでもう一度、「平岩レポート」に話を戻すと、これを検討し作成した経済改革研究会には、「連合顧問・山田精吾」が入っている。全繊同盟出身で、連合の初代事務局長を務めた人物である。「平岩レポート」という資本家階級の基本提言、つまりブルジョア的国策を決める過程に、連合ダラ幹が最初から率先協力していたのだ。これ以降、財界と連合ダラ幹が野合して国家政策を検討する、というあり方が定着していった。国鉄分割・民営化というナショナル・センターを解体するほどの攻撃を経て、こういう構図が初めて成立し得たのだ。
 しかし、これは国鉄闘争が今も継続している意義の大きさを示す。とともに、連合支配を食い破ることができれば、階級的労働運動をよみがえらせられることを意味する。「新自由主義は労働組合の屈服・転向をその内部に取り込み、労働組合の名においてそれを推進するという構造を、階級的労働運動と労働組合の必死の実践を通して暴き出した。新自由主義との闘いは、労働組合の存在そのものをめぐる死闘であり、ここでの攻防が全情勢を決定づけるものとなる」(『前進』春季特別号論文)。ここに確信を持ち、脱落する日帝を必ず打倒するために、飛躍に次ぐ飛躍をなしとげて闘いぬこう。
 (島崎光晴)
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 ■平岩レポートで規制緩和の対象とされた法律

 「雇用・労働」関連

労働基準法/職業安定法/船員法/労働者派遣法/港湾労働法/最低賃金法/高齢者雇用安定法/障害者雇用促進法/建設労働者雇用改善法/職業能力開発促進法

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 「科学技術庁」関連

加工施設の検査=原子炉等規制法/原子炉施設の検査=原子炉等規制法/再処理施設の検査=原子炉等規制法/廃棄物埋設施設等に係る廃棄物埋設に関する確認=原子炉等規制法/特定廃棄物管理施設の検査=原子炉等規制法/核燃料物質の使用施設等の検査=原子炉等規制法/廃棄物の工場又は事業所外の廃棄に関する確認=原子炉等規制法/核燃料物資等の運搬に関する確認=原子炉等規制法/放射性同位元素の使用施設等の検査=放射線障害防止法/放射性同位元素等装備機器の機構確認=放射線障害防止法/放射性同位元素に係る運搬物確認=放射線障害防止法

は他省庁と共管)

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月刊『国際労働運動』(431号6-1)(2012/07/01)

世界の労働組合

■世界の労働組合/イタリア編

イタリア労働同盟(Unione Italiana del Lavoro:UIL)

 ■概要

 イタリア3大ナショナルセンターの1つであるイタリア労働同盟(UIL)は、1944年6月に結成されたイタリア労働総同盟(CGIL)から分裂してできた組織である。CGILは、第2次大戦後のファシズム独裁の再来を避けることを眼目に発足した共和体制の下、社会党、共産党、キリスト教民主党の3党合意に基づく「ローマ協定」により設立された。しかし、1947年のゼネストを頂点とする戦後革命をめぐる抗争の結果、キリスト教民主党、社会党の支持者がCGILを脱退し、カトリック系が1948年にイタリア労働組合連盟(CISL)を、1950年に社会党および共和党の一部が結集してUILを設立した。
 組合員数約220万人(退職、失業組合員含む)のUILには、18の産別組織が加盟しており、その主要産別は農業、食品、化学、エネルギー、工業、金融、郵便、運輸、医療、教員、公務員である。本部をローマに置き、21州に地方組織と地方協議会がある。現書記長は2000年に選出されたルイジ・アンジェレッティである。
 UILは、政党や宗教から独立した民主的な組織であることを強調しているが、現在も社会党を支持している。

 ■3大労組連合協定の時代

 1960年代末の「熱い秋」と呼ばれる社会運動の盛り上がりとともに、イタリアの労働運動も発展し、大量に加入した若年層を中心に企業レベルでの組合活動家がたくさん生まれた。戦後の高度成長期に体制内化した労働運動指導部に対する若い労働者の怒りが爆発したのだ。
 この時期から1980年代初期までは、大衆的高揚につきあげられた3大ナショナルセンターの「蜜月時代」であり、UILはCGILとCISLとともに統一協定に署名して共同組織「統一連合」を結成、1940年代末の分裂以来初めて3大組織の統合論が盛り上がった。
 労働運動の発展により向上した組織力と政治的・社会的地位を踏まえ、「統一連合」は大きな成果を獲得した。1970年制定の「労働者憲章」第18条は、@解雇に反対の労働者は労働裁判所に解雇無効を訴えることができ、その場合企業に「解雇正当」の立証義務がある、A解雇無効の決定が出ると企業は労働者を復職させ、解雇時点にさかのぼって賃金を補償しなければならない、という徹底したものである。1975年のスカラ・モビレ制(賃金物価スライド制)の「導入」もまた大きな成果であった。
 しかし、1983年に社会党のベッティーノ・クラクシが首相となり、UILはCISLと共にクラクシ政権の物価スライド4%削減に同意してしまった。これによって「統一連合」は崩壊した。

 ■2002年4月16日、イタリアが 止まった!

 2001年に経営者団体の強い支持を受けて勝利したベルルスコーニ中道右派政権は、労働者憲章法第18条「解雇規制」を削除しようとした。だが、この攻撃に対して3大ナショナルセンターが枠を超えて共闘、20数年ぶりの8時間ゼネストを闘い抜いた。ゼネスト当日は、イタリア全土でおよそ1300万人の労働者がストに参加し、300万人から400万人が各地で開催された集会・デモ行進に参加した。「イタリアが止まった!」と、マスコミ各紙はこの大規模なゼネストを報じた。
 しかし、この年の7月、UILはCISLを含むほぼすべての労働団体とともに、解雇に関する労働者憲章法18条の修正に合意する「イタリア協定」を政府と締結し、3大労組の共闘は再び挫折した。

 ■拡大する反政府デモ

 昨年末(2011年11月)に、世界大恐慌の激化のなかで、緊縮政策の強行を図ったベルルスコーニが打倒された後を継いで首相に就任したマリオ・モンティ(欧州委員会の委員を務めた経済学者)は財務相も兼任し、緊縮財政をさらに推し進める政策をとっており、今年3月には「解雇規制緩和」を含む労働法の刷新法案を閣議で通過させた。UILの執行部は「おおむね支持」を表明したが、ランク&ファイルの労働者はこれに反発している。4月4日にCGILが呼びかけたデモには労働者、年金生活者、移住者、学生など約270万人が参加し、2002年のゼネストの時と同じ会場のローマのチルコ・マッシモ(古代の競技場)は、赤い帽子をかぶったデモ参加者でうめ尽くされた。
 イタリアでは今、財政危機に揺さぶられている国家と資本の緊縮政策の攻撃に対して、各産業分野で3大労組が共闘して呼びかけたゼネストが行われている。4月27日には10万人の農業労働者が8時間のストに決起した。
(写真 2012年4月27日、3大労組共闘で農業労働者10万人の大ストライキ)

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月刊『国際労働運動』(431号7-1)(2012/07/01)

国際労働運動の暦

■国際労働運動の暦  7月7日

■1970年7・7自己批判■

連帯戦略めざす闘い

在日アジア人民の存在と闘いに肉薄

血債主義・糾弾主義は分断の思想

 ●盧溝橋事件33年に

 1937年7月7日、日本帝国主義は盧溝橋事件をきっかけに中国全土に侵略戦争を拡大した。この日から33年目の1970年7月7日、日比谷野外音楽堂に1万人が集まって「日帝のアジア再侵略阻止人民大集会」が行われた。70年安保・沖縄闘争の渦中で、日帝の在日アジア人民に対する入管体制の強化を粉砕する課題に応えて設定され、全国反戦青年委員会、全国全共闘連合などが総力で結集した。
 この集会の準備過程の実行委員会で、在日中国人青年(華僑青年闘争委員会)が日本の革命的左翼の取り組みをめぐって抗議の退場をする事態があり、これに対して、中核派のメンバーである全国全共闘書記局員が「(いなくても)いいじゃないか」と、抗議の重さを無視する言辞を吐いた。これは中国人青年を闘いの主体として認めない決定的な発言だった。本人も革共同もこれに気づいて自己批判したが、その不徹底さゆえに、華青闘は「糾弾宣言」を発して日本人の革命的左翼に決別を表明した。
 革共同は、1965年の日韓条約阻止闘争の中で、日帝の植民地支配の歴史を学び、南朝鮮学生の闘いの支持・連帯の立場を築き、帝国主義的民族排外主義との闘いの重要性を自覚してきたつもりだった。しかし、それは決定的に不十分なものでしかないことが突きつけられたのである。
 在日朝鮮・中国・アジア人民の現実の存在と闘いに肉薄し、共闘・連帯をかちとっていくことを革命にとって不可欠の課題として据えることが突きつけられていた。革共同はここで徹底的に自己批判を深め、その中でこれまでの「日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の戦略的総路線的スローガンの前段に「闘うアジア人民と連帯し」を加え、連帯戦略を確立した。
 このように形成されてきた革共同の7・7思想は、日本革命・世界革命に向かって不可欠な課題として階級的・マルクス主義的にとらえ返すものであり、革命的階級としての労働者階級に対する不信をあおる血債主義、糾弾主義との闘いでもあった。

 ●7月テーゼの立場

 

以下は、07年7月に『前進』に発表された「7月テーゼ」での7・7自己批判に対する言及である。
 《革共同は70年闘争の中で、在日中国人青年(華僑青年闘争委員会)からの糾弾にこたえて革共同の革命党としての根底的飛躍をかけた自己批判を行った。そしてこの70年7・7自己批判を〈侵略を内乱へ〉の総路線の中に核心的思想、魂として貫き通して闘ってきた。日本の労働者階級が、帝国主義とその民族排外主義への屈服によって自らの階級的=国際主義的本質を奪われ、解体されてきた歴史を背負っていること。この負の歴史と現実に労働者階級とその党がしっかりと向き合い、根底から打ち破って、闘うアジア人民・在日アジア人民との間にプロレタリア世界革命勝利に向けた真の同志的連帯を築き上げるために闘うこと。特に日帝の植民地主義的民族抑圧の戦後における継続としてある入管体制粉砕の闘いを、日本の労働者階級自身の日常的闘争課題としていくこと――ここに7・7思想の核心があった。
 ……
 とりわけ5月テーゼ以降の15年間で問われ続けてきたことは、「党の革命」で打倒された与田らを始め、5月テーゼの実践を拒否した一部指導部による7・7思想の全面的な歪曲との対決であった。彼らは「日本の労働者は排外主義・差別主義にまみれており、そのままでは革命の主体にはなれない」として、7・7思想を血債主義・糾弾主義へと歪曲して路線化し、5月テーゼ路線と動労千葉労働運動への対抗物とした。》
 革共同はこれに厳しい党内闘争を貫いて今日の階級的労働運動路線を闘いとってきた。
 今日の韓国民主労総との連帯闘争の前進も、在日滞日外国人労働者との連帯も、このような闘いの前進の具体的現れだ。
(写真 代々木公園を埋め尽くした白ヘルの労働者学生【70年6月14日】)

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 7・7自己批判とその深化

1970 7・7集会
   『前進』506号無署名論文「入管闘争の中間的総括とさらなる発展と深化のための諸問題について」(清水丈夫選集第2巻所収)
1991 5月テーゼ
1994 『前進』高橋伸夫論文(清水丈夫選集第10巻所収)
1995 革共同19全総第5報告「7・7路線の革命的貫徹といっそうの深化・発展のための闘い」
1998 清水選集第2巻序文第3章「7・7問題―帝国主義的民族排外主義とのたたかいの革命的意義」
2001 第6回大会 特別報告「入管闘争と7・7路線について」
2006 「党の革命」
2007 7月テーゼ
2009 綱領草案決定

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月刊『国際労働運動』(431号8-1)(2012/07/01)

日誌

■日誌 2012 4月

1日 対JR行動、全国で外注化阻止闘争
労組交流センターを中心に全国で対JR行動が取り組まれた。鉄道業務の全面外注化を狙うJR資本に対して、分割・民営化絶対反対、外注化阻止の戦闘宣言をたたきつけた
東京では、JR東日本本社のある新宿駅南口を中心に、中野駅、錦糸町駅でJR資本を弾劾する街頭宣伝が行われた
新宿駅南口では『4・1付日刊動労千葉号外』を始め、国鉄闘争全国運動の6・10全国集会への結集を訴えるビラなどを配布した
九州では、国鉄全国運動・九州主催の大街頭宣伝がJR博多駅前で行われた。約30人の労働者が参加した
沖縄では、国鉄闘争全国運動・沖縄に結集して闘う沖縄労組交流センターや中部・南部の合同労組の仲間たちが、国際通りの三越前で街頭宣伝を行った
関西ではJR西日本本社前の梅田交差点で動労西日本、共に闘う国労の会、関西労組交流センターがJR西日本入社式闘争に決起、4・21尼崎闘争を呼びかけた
1日東京 経産省前で女たちがリレーハンスト
「原発いらない福島の女たち」が全国に呼びかけた再稼働阻止のリレーハンストが3月31日から始まった。不退転の決起である。2日目の4月1日、呼びかけた黒田節子さん、椎名千恵子さんを始め10人を超える女性たちが経産省前でのハンストに立ち、40人近くの労働者民衆がそれを包んだ。再稼働を絶対許さない怒りがみなぎった
3日東京 法大入学式で新入生と合流
法政大学入学式。全学連と文化連盟は、式会場の日本武道館前と法大市ケ谷キャンパスに繰り出し、新入生と圧倒的に合流しました。キャンパス中央広場は、数百人を超えるサークル員で埋め尽され、新入生にビラを渡す花道ができ上がり、新入生が花道を通るたびに、サークル員から歓喜の声が上がった
5日東京 都教委の再発防止研修に抗議
東京都教育委員会は、「日の丸・君が代」強制に反対して不起立した教育労働者3人に対して、「服務事故再発防止研修」を実施した。当日、研修会場である水道橋駅前の東京都教職員研修センター前では、年休を取ってかけつけた教育労働者を先頭に抗議・弾劾行動がたたきつけられた
7〜8日青森 反核燃$ツ森で全国集会
「4・9反核燃の日」闘争は、原発再稼働に突き進む野田政権と真っ向から対決し、7日、青森市内での全国集会に1146人を結集して闘われた。その後NAZEN青森の結成集会が開かれた。翌8日には六ケ所村の現地デモと再処理工場前での抗議集会も行われた。六ケ所から車で30分。東北電力東通原発への申し入れ行動に向かった
9日千葉 市東さん耕作権裁判
千葉地裁民事第2部(白石史子裁判長)で、市東孝雄さんの耕作権裁判の弁論が開かれ、三里塚芝山連合空港反対同盟を先頭に支援の労働者・学生・市民がともに闘った。
11日東京 大飯原発再稼働阻止、日比谷集会
大飯原発の再稼働絶対阻止! 全原発を廃炉に!地元福井での闘いと結合した700人の怒りのデモが本降りの雨を吹き飛ばして国会を包囲した。関西電力東京支社と東京電力本店を直撃し「再稼働をやめろ!」「福島を返せ!」と迫り、野田政権を徹底的に追い詰めた
11日広島 大飯原発再稼働させるな
福島の女たちに連帯し、原爆ドーム前で、「原発再稼働を止める!」と、広島の女たちのリレーハンストが闘われた
13日東京 星野再審請求棄却弾劾の集会
杉並区阿佐ケ谷の地域センターで、「星野文昭さんをとり戻そう!東京連絡会」の主催で星野文昭同志の第2次再審請求の棄却を弾劾する集会がかちとられた。午後6時に開場するとたちまち会場は満席となり86人が集まった
15日大阪 「在留カード」粉砕へ関西集会
大阪市浪速区民センターで開かれた「入管法・『在留カード』粉砕!4・15関西集会」に関西や西日本各地から240人の労働者・学生が結集し、新自由主義と対決する新たな団結を打ち固めた
15日東京 全学連新歓 肥田舜太郎さんが講演
「原発をなくして社会を変えよう」と題し全学連が都内で新入生歓迎講演会を行った。講師は広島原爆の被爆者であり、内部被曝を長年研究している医師の肥田さん。すべてを吸収しようと皆が必死でメモをし聴き入った
17日東京 中嶌哲演さんら経産省前でハンスト
経産省前テントで大飯原発3、4号機の再稼働を阻止するための集団ハンガーストライキが始まった。大飯原発の地元・福井県庁前で断食を決行した小浜市の明通寺住職の中嶌哲演さんも駆けつけた。国内で唯一稼働中の泊原発3号機がストップする5月5日まで続ける
19日大阪 岡邨洋さん、怒りの戦闘宣言
大阪地裁と八尾市は、警察権力・機動隊を導入して岡邨(おかむら)洋さん家族への住宅追い出しの強制執行を行った。徹底弾劾する!
19日東京 不当逮捕はね返し怒りの法大包囲デモ
法政大学での「原発いらない/大学生が立ちあがる日」一日行動が闘い抜かれた。福島大学をはじめ全国の学友、福島の闘うお母さん、青年労働者も集まった。千人を優に超える法大生がキャンパス中央に集まり、注目と声援を送り、一体化し、キャンパスから法大生が続々とデモ隊に合流した。闘う法大生に恐怖した警察権力は、デモ解散地近くで突然一人の学友に襲いかかり、「公務執行妨害」をデッチあげて不当逮捕した
20日東京 星野再審棄却許さぬ
星野文昭同志が申し立てた第2次再審請求を棄却した東京高裁を弾劾するデモが行われた。正午、日比谷公園霞門に110人の労働者学生市民が集まった
20日東京 第2回面会・手紙国賠訴訟開かれる
東京地裁民事38部で面会・手紙国賠第2回裁判が開かれた。星野暁子さんら原告、弁護団、傍聴者が一体になってこの間の徳島刑務所の星野同志に対する攻撃を徹底的に弾劾した
21日兵庫 尼崎事故弾劾し380人がデモ
尼崎事故から7年目を迎え、動労千葉と国鉄闘争全国運動・関西準備会の呼びかけで事故弾劾の集会とデモが尼崎現地で闘われた。380人が結集した。全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部や全国金属機械港合同と動労千葉との団結も一層固まった。集会の冒頭、3月17日に逝去した港合同の大和田幸治事務局長に黙祷をささげた
22日神奈川 「在留カード」阻止全国集会
横浜市開港記念会館で「新たな入管体制ゆるすな! 『在留カード』粉砕!」を掲げた第23回外登法・入管法と民族差別を撃つ全国研究交流集会が開かれた。集まった480人は民族・国籍・国境を越えた国際連帯、在日・滞日外国人労働者と日本人労働者の団結した力で「6・20世界難民デーに在留カード阻止・法務省包囲デモをやろう! 7・9在留カード制度開始反対の法務省行動を組織しよう!」と決議した。韓国からは民主労総ソウル本部のパクヨンチャン副本部長と移住労組のウダヤ・ライ非常対策委員長が参加
23日千葉 市東さん農地裁判 裁判長を鋭く追及
千葉地裁民事第3部(多見谷寿郎裁判長)で三里塚芝山連合空港反対同盟・市東孝雄さんの行政訴訟・農地法裁判が開かれた。この日で口頭弁論を打ち切り、次回から証人調べに入る。法廷は証人尋問のあり方をめぐる緊迫した攻防となり、NAA(成田空港会社)と千葉県に肩入れする裁判長の偏った訴訟指揮が浮き彫りになった。
25日千葉 清水匠さんを偲ぶ会が開かれた
動労千葉の故清水匠さんを偲ぶ会が、千葉機関区支部主催、動労千葉本文と貨物協議会共催で開かれた。DC会館には本部執行委員、組合員、動労千葉を支援する会、労組交流センターの仲間などが集まった
27日埼玉 ショーワ・ジェコーで門前闘争
行田市にあるホンダ系自動車部品メーカー・ショーワ本社工場の門前闘争が闘われた。3年前に派遣切りされた労働者が次々にマイクを握り、不当解雇撤回の怒りの声を上げた。非正規職撤廃を目指してどこまでも闘い抜く戦闘宣言を発した。続いて同市内のジェコー本社工場前に移動し、JAM神奈川ジェコー労組行田分会を先頭に80人で、ジェコーによる非正規職の解雇を弾劾した
28日東京 4・28沖縄・憲法集会開く
北区王子の「北とぴあ」で「とめよう戦争への道!百万人署名運動」が主催する「改憲阻止!原発なくせ!4・28沖縄・改憲集会」が220人の参加で開催された。すでに憲法審査会が始動した。新自由主義・日帝の改憲・戦争攻撃と真っ向から対決する集会としてかちとられた
29日大阪 泉州住民の会が総会開く
関西新空港絶対反対泉州住民の会は今年度総会を開き、75人の参加で大成功した。国賀祥司代表が活動方針を提起し、関西新空港反対全国闘争を7月1日に末広公園で開催することを決定した

 (弾圧との闘い)

12日千葉 ちば合同労組 A君の不当逮捕弾劾
千葉県警は、ちば合同労組の組合員A君を「電磁的公正証書原本不実記録・同供用」をもってデッチあげ逮捕した。15日にはA君が拘束されている千葉中央警察署に、ちば合同労組青年部を先頭に40人が結集して千葉県警弾劾闘争が闘われた
20日 千葉地裁で勾留理由開示公判
弾圧への怒りに燃えた40人の仲間が大結集し、A君との感動的合流を果たした。A君に対して、千葉地裁は、不当な5日間の勾留延長を決定した
21日千葉 ちば合同労組、A君の勾留延長弾劾
A君の勾留延長に対して、ちば合同労組を始めとする仲間は、直ちに千葉中央警察署へ弾劾行動を闘った
27日千葉 青年A君を奪い返す
不当逮捕されていた千葉合同労組の青年組合員A君が奪還された。多くの仲間が駆けつけ、市内で奪還勝利集会がかちとられた

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月刊『国際労働運動』(431号9-1)(2012/07/01)

編集後記

■編集後記

 5・5の「稼働原発ゼロ」は反原発の闘いがもぎり取った歴史的勝利である。日帝ブルジョアジーは今や、大恐慌と国際争闘戦からの脱落の中で「六重苦」などと全原発停止に絶望的な危機感を表明し、あくまで大飯原発などの再稼働に躍起となっている。
 しかし原発と放射能汚染は労働者階級人民の生命・生活とは非和解だ。汚染がれきの拡散・広域処理反対の闘いや低線量被曝・内部被曝との闘いもいよいよ死活的だ。
 「止めよう」から「なくそう」へ、全原発廃炉への闘いの飛躍は、被曝労働や雇用の問題と一体の、ものすごいイデオロギー的、党派闘争的なテーマであり、「命より金」という腐った資本主義社会の革命的変革の問題とひとつだ。反原発闘争の軸に労働組合がぶっ立つことがいよいよ求められている。

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