International Lavor Movement 2012/01/01(No.425 p48)
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2012/01/01発行 No.425
定価 315円(本体価格300円+税)
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月刊『国際労働運動』(425号1-1)(2012/01/01)
■羅針盤 非正規職化・労組破壊と闘おう
▼11・6労働者集会は、3・11大震災と原発事故で露呈した新自由主義の大破綻、その出発点である国鉄分割・民営化と闘い続けてきた労働組合を先頭に、原発と首切り・非正規職化に絶対反対で闘い、全面破産した資本主義・帝国主義に代わって労働者の権力を打ち立てていく道筋を明らかにした。超反動野田政権に、フクシマの怒りと結ぶ9・19明治公園の6万決起がたたきつけられ、その最先頭で労働組合を甦らせる闘いは11・6日比谷野音の6千人決起に結実した。
▼さらにこれと連なる重大な勝利が韓国でかちとられた。韓進重工業闘争のキムジンスクさんの85号クレーン高空籠城闘争の勝利だ。「弔問に行く時間が残業の次に長かった」と言われてきた韓進重工業での決死の闘いが歴史を大きく変え、イミョンバク政権を揺るがしている。309日間の籠城闘争に「ともに生きて闘おう」と万を超える「希望のバス」が5次にわたって闘われ、11月10日、ついに彼女は勝利者として地上に降り立った。その直後、11・13民主労総大会が韓米FTA批准阻止闘争と一体のものとして4万人で闘いとられた。日本からも動労千葉訪韓団がともに闘った。
▼また、米オークランドのゼネストを先頭で闘ったILWU(国際港湾倉庫労組)の闘いは、TPP攻撃をも通した世界の労働者階級人民への搾取・収奪・労組破壊の攻撃との最先端の大攻防である。ここでは何よりも外注化・非正規職化・労組破壊との闘いが、国境を越えて万国の労働者の最大の共通課題となっている。3・11大震災以降の国際階級闘争の壮大な躍動と発展に心躍らせ、さらに冬期決戦から2012年へと断固突き進もう。
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月刊『国際労働運動』(425号2-1)(2012/01/01)
■News & Review 中国
「監獄工場」で闘う深センシチズン労働者
中国労働者運動の新たな展望を開く
□1178人で2週間工場とめた大スト
「そもそもみんなは施し≠もらおうなどとは思ってもいない。私たちの血と汗の成果である賃金を、ただ取り戻したいだけだ! 私たちはいまだに闘争をやめていない」(「不倒のシチズン労働者のブログ11月5日付」より)
10月17日、中国広東省の開発特区深セン市にある日系シチズンの冠星工場(時計の鎖をつくっている)で、1178人の労働者による大規模ストライキが爆発した。
労働者は何を要求してストライキに決起したのか?
ひとつは残業代の未払い問題である。2005年10月以来、会社は作業時間中に水を飲んだり、トイレに行ったりする作業以外の時間が40分ある≠ニいう勝手な理由をつけて、毎日の作業時間を40分延長し、その残業時間に対しては賃金を一切支払わなかった。この未払い残業時間の賃金の全額を支払うことを要求している。
また、会社が深セン市政府に本来支払わなければならない養老年金などの負担金を、実際の賃金ではなく最低賃金を基にした計算で支払うなどして不正を行っていた。結局は将来の年金も含めた労働者の収入からピンはねを行っていた。その不正を弾劾し、正規の保険料を会社が支払うことを要求した。さらに会社が人員整理に伴う解雇を繰り返していることを弾劾し、違法な解雇をやめることを要求した。
シチズンの労働者は、こうした要求を掲げて17日以来連日無期限ストライキを闘っていたが、23日には日本人職員が彼らに殴りかかるなど暴行を加えてきた。正門から突入してきた車によって女性労働者が足を折られる事件まで起きている。
(写真 日系シチズン冠星工場でストに立った労働者)
(写真 「下手人に厳罰を」「日本人が労働者を殴った! 血と汗の工場だ」と抗議する労働者)
□武装警官の工場制圧の下、闘争継続を宣言
10月28日には、武装警官や民兵団などが門前に配備された。そして週明けの31日、約1000人の武装警官が労働者に襲いかかり、無理やり工場に戻すとともに、警察官の監視のもとで作業を再開することが強制された。一人の労働者に一人の警官が配置され、何かあればただちに警察署に連行されて取り調べを受けるという状況だ。
文字通りの監獄工場だ。「日本人は、どうしてこんなに力を持っているんだ!」と、労働者が弾劾しているが、中国スターリン主義と日帝資本は、「改革・開放」政策の下で一体となって労働者を支配し、搾取・収奪しているということだ。
10月31日に職場に戻されてからは、「労働者復職意向表」なる文書を渡され、この文書に記入して争議をやめて復職すること、文書を提出しない者は離職した者とみなすこと、争議をする者は離職して後に法律による手段で解決すること≠ニ書かれていた。つまり職場に残りたいなら、署名して、争議をやめろ!≠ニいうことである。
しかしシチズンの労働者は屈しなかった。翌11月1日に「不倒のシチズン労働者のブログ」を立ち上げ、「私たちの権利を守るストライキは、まだ終わっていない」という「シチズン工場の労働者からの公開レター」を内外に堂々と発表した(資料参照)。
「私たちの権利を守るためのストライキは、まだ継続している。しかし工場側は根本的になんらの協議も私たちと行おうとしていない」「私たちのストライキは全過程において非常に平和的であり、合理的な行動を通じて要求を表明し、労働者の合法的な権利を守ることを望んでいるだけである。しかし私たちは相手側の圧力と攻撃に直面している」として、不当弾圧の数々を具体的に弾劾している。そして未払いの残業代の支払い要求、養老保険の支払い要求、不当解雇への規制を要求している。
さらに「労働組合は見せかけのものであり、不合理なことを立案し、労働者をだまして不合理な労働契約を結ばせるものであるから、労働組合は労働者の利益を代表することはできない」と、中国の工会(中国の官製労働組合で、スターリン主義の労働者支配の要となっている)を徹底的に弾劾し、自分たちの争議への介入に反対しているのである。
武装警官による工場占領と支配が続いている中で、11月5日、彼らはブログの中で、闘争継続を高らかに宣言し、内外の支持を訴えている。
「月曜日に、1000人近くの警察官によって工場に無理やり戻されてから、すでに1週間がたった。この期間、仕事に戻った部門もあるとはいえ、だがみんな、私たちは鎮圧されているので、しばし『まじめに』生産ラインの持ち場にいざるをえないだけであることを分かっている。工場が承知した300元≠フ報奨金の約束も果たされていないし、またそもそもみんなは施し≠もらおうなどとも思っていない。私たちは血と汗の成果である賃金を、ただ取り戻したいだけだ! 私たちはいまだ闘争をやめていない」
(写真 武装警官や民兵団と対決して闘う労働者)
□バブル崩壊、労働者の闘いの激発と新段階
このシチズン争議は、今までの中国の労働者階級の闘いが新たな段階に突入したことを示している。真っ向から労働者階級としての要求を掲げ、中国スターリン主義と日本帝国主義の暴力的な労働者弾圧体制の下で、その弾圧を直接受けながらもけっして屈せず、不撓不屈に闘い抜く彼らの姿は、中国における反スターリン主義の第2革命につながっていくような、すさまじい労働者の闘いの階級的な魂のすごさを示している。
そしてこの地平を生み出しているのは、今年に入ってから、中国で起きている諸事件・諸闘争と、その中での中国の労働者階級の闘いの発展である。
それはまず何よりも、中国バブルの崩壊である。中国経済がいよいよ破局的危機に突入し始めたことだ。浙江省の商業都市である温州では、今年に入ってから200を超える企業が金融連鎖倒産を起こし、この金融連鎖倒産は、中国各地で発生している。上海や北京の不動産価格は値下がりを続け、それでも売れなくなっている。上海では不動産価格の値下がりに抗議して、投資していた不動産オーナーたちがデモまでやっている。不動産価格の値下がりと金融連鎖倒産は、バブル崩壊突入の証だ。
中国経済は今、バブル崩壊から破局の過程に入った。この経済危機が、無数の労働者の労働争議や決起を生み出しているのである。今、中国では、平均して1日493件の抗議行動やストライキなどの「群体性事件」が起きているといわれている。昨年だけでその数は18万件だったといわれ、インフレや腐敗、食品や生活環境の汚染の問題などがこの数をさらに増加させているのである。
一方で、本誌10月号でも取り上げた中国高速鉄道事故と8月14日の大連の大デモが、今までスターリン主義の暴力的な弾圧体制の下で鬱屈していた労働者の怒りを一挙に解き放った。その怒りと闘いが政府を追いつめた。重要なことは、労働者階級が「闘えば勝てる!」という確信を持ったことである。労働者階級は今、自分たちの階級の革命性、勝利性をはっきりと認識しつつある。職場での団結を取り戻しつつある。ここに天安門事件以来の弾圧体制を打破する核心がある。
そしてこうした確信が、労働者の現場での闘いも大きく変えているのだ。この中国の危機と労働者階級の闘いの発展の上に、今の深シチズン労働者の闘いの地平が生み出されている。彼らの団結が生み出されているのである。そしてこれは、天安門事件以来の大弾圧体制を打ち破り、中国スターリン主義打倒へと攻め上る中国の階級的な労働者の闘いがいよいよ始まろうとしていることを示している。それは1920年代の中国の階級闘争にも劣らない労働者の大闘争の時代の到来にほかならない。
中国は今、バブル崩壊の大激動に突入し、労働者階級が団結を取り戻し、階級的な決起と闘いを開始する時代に入っているのである。
11月6日の全国労働者総決起集会は、こうした中国の闘う労働者階級との連帯闘争としても闘いとられた。この11月6日の闘争の地平をさらに発展させ、中国の闘う労働者階級との団結をかちとっていこう!
(河原善之)
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《翻訳資料》 ●日系シチズン工場の中国労働者からの訴え
10月17日から連日、ストライキを闘っている中国・深市の日系シチズン冠星工場の労働者から、工場で何が起きているかの真実を暴き、連帯の決起を求める訴えが11月1日、ネット上に公開レターとして発表された。このレターは、中国の労働者人民へのアピールであると同時に、日本の労働者階級への呼びかけでもある。
【シチズン工場の労働者からの公開レター】
(カッコ内は翻訳者の注)
「私たちの権利を守るストライキは、まだ終わっていない」
「私たちの権利を守るストライキは、まだ終わっていない」
10月26日、私たちは、私たちの権利を守るためのストライキ行動が「すでに基本的には終わり」「圧倒的多数の労働者が工場側の譲歩条件を受け入れた」と新聞で報道されているのを見た。さらに「沙井人力資源部は、私たちに毎月食事代として100元から300元を加算するつもりであるのに、それを私たちが拒否したと言った」とも報道されている。しかしこれらはみな事実ではない。
私たちの権利を守るためのストライキは、まだ継続している。しかし工場側は根本的に私たちとなんら協議を行おうとしていないし、何らかの「譲歩条件」も、食事代を引き上げることに関する話も聞いたことなどない。さらに重要なことは、私たちのストライキは全過程において非常に平和的であり、合理的な行動を通じて要求を表明し、労働者の合法的な権利を守ることを望んでいるだけである。
しかし私たちは、相手側(工場側)の圧力と攻撃に直面している。例えば、私たちはこんな人物を目撃している。その人物はある時には自分を記者だと言って、私たちに取材し、私たちから情報を集めていく。ところが別の時には、彼は他の記者に対して自分はシチズン冠星の労働者だと言って、4nの資料を手に記者のインタビューを受け入れている。
私たちの女性労働者の一人が彼の手からこの4枚の紙を奪ってきたが、その紙に描かれていることは、状況はすでに円満解決している≠ニいう、まったくありえない「和解」の描写である。女性労働者は、この資料をコピーして他の仲間の労働者に配った。仲間の労働者たちは、悪の手先め!≠ニ怒って彼をののしり、悪の手先≠ヘそれを聞くと身を翻して逃げていった。その後、私たちは、彼が政府の車の中で座って休んでいるのを発見した。
10月28日、私たちはさらに多くの人たちに事情を知ってもらおうと、工場の入り口に出ていくことを決めた。しかし驚くことに、この日から消防隊や武装警察、さらに高砲連隊の部隊さえも来て、私たちを鎮圧した。
さらに度を越していることは、これらの人々の中に、普段は(工場)付近にいるならず者がかなり混じっていたことだ。彼らは大きな4台の大風日産(日中合資の自動車会社)の車に乗り、われわれに対して「お前らを4日間待っていた。お前らの終わりだ」と言ってきた。一人の役人はこんなセリフを言い出した。「われわれが連れてきた兵隊は、お前ら労働者より多いんだ!」
恨むべきか、悲しむべきか! 私たちは重大な罪を犯した連中だとでも言うのか? あるいは私たちは漢奸の売国奴だとでもいうのか? 私たちはただ、労働法に依拠して、自分たちの合法的な労働の成果を得ようとしているだけなのだ!
10月31日、武装警察は私たちを工場に押し戻し、私たちに仕事に戻るように迫った。実際には(武装警官の導入は)10月末から始まったが、(それ以前に)工場側は二度と私たちを相手にするつもりはないとすでに公然と言っていた。そして政府が派遣した武装警官が私たちに工場で働くように迫っているのだから、工場側は何も心配することはなくなり、実際に彼らは私たちを相手にする必要もなくなったのだ。
10月31日、警察が私たちを工場に押し戻した後、工場側は私たちに「労働者復職意向表」を渡した。そこには「復職に同意するものは、ただちに復職し、この表を戻すこと」「復職に不同意の者、および期限を過ぎてもこの表を提出しない者は、通告により、自分から離職したものとみなし、工場は給料を清算するが、しかし補償金は支払わない。争議をする者は、離職した後に法律による手段で解決するように」と書かれていた。
これでまだ終わらず、作業場の中で、私たちは一方で警察によって一対一で監督され、工場では一日中、15分ごとに高い音の拡声器から工場の規律規則が放送された。「会社バッジをつけていないと3分(お金の単位、1元の100分の1)差し引く、離席表を持っていないと5分差し引く……」。私たちの心に重圧を加えてくる。
警官たちは、手に電気棍棒を持ち、違った部門ごとに幾つかのグループに分かれ、私たちの行動に対して一対一で監督している。単なる口先だけの反抗さえも恐れており、私たちを工場の入り口から作業場に戻したが、もし反抗する者がいれば、ただちに5〜6人が取り囲んで警察署に連れていき、取り調べようとしている。
10月31日のこの日、多くの仲間たちが攻撃を受けており、一人の女性労働者は単に腰掛を蹴っただけなのに、一人の男性警察官によって地面に投げ倒され、腰をケガした。後で病院に運ばれたが、今、彼女の状況がどうなっているのか、まだ分からないのではないか?
ほかの一人の男性の仲間は、ただ「僕は作業しない。僕一人でどうやって作業するんだ!」と一言言っただけで、警察署に連れていかれ、その日の午後に警察署から出てくるやすぐに自分から仕事をやめて家に帰っていった。警察署の中でどんなことがあったのかは誰も知らないが、それは彼を直ちに深から離れさせることになったのだ。
さらにおかしなことは、同じ日の午前中に一人のモデルをつくる部門の男性労働者がトイレから帰ってくるや、彼を見張っている人物が、凶悪な雰囲気で彼に言った。「なんで仕事をしないんだ! しかもモデルを壊している」。その後、彼は捕らえられて警察署に連れていかれた。
午後になって彼がまだ帰ってこないので、彼の妻(同じようにすでに怯えきっていたが、彼女もまたシチズン冠星で働く女性労働者である)は非常に心配し、彼女の夫を解放させることができるのではと工場の屋上に行き、自分の命をかけて(自殺すると)脅し、それと引き換えに夫の釈放をかちとれるのではと願った。まさに彼女が飛び降りようとした瞬間、3人の訓練された武装警官が素早く彼女を抱きかかえた。
しかし彼女を救った後に、ただちに捕まえて警察署に送ってしまった。警察は自分を取り巻いて見ている仲間たちをすごく憎々しげに見て、「何を見ているんだ!」と怒鳴った。私たちはみな怒ったが敢えて口には出さなかった。
新聞とテレビはどれも報道はしているが、しかし私たちの最も重要な状況はまったく報道されていない。メディアは今のところ、(労資の)協議が一致に達していないのだと報道しているが、しかし現実には工場側は根本的に私たちに関わろうとせず、協議の機会があるなどとはさらに言わず、ましてや武装警察は私たちと話そうなどとはさらさらしていない。
彼らはただ、工場側の仕事に戻れという要求に私たちを屈服させ強制させるだけなのである。私たちの仲間の一部は、メディアのインタビューの後、警察に連れていかれて取り調べを受けた。これがメディアのいうところの「協議の過程」だというのだろうか?
この過程の中で、工場の対応はまた私たちを非常に失望させた。工場側は私たちに、すぐに仕事に戻るならば誰にでも300元の報酬金を与え、勤続年数を1年あたり100元と計算してそれも加算した金額を与えると言っているだけで、これによって私たちに仕事に戻るように激励しているというのである。これ以外に、私たちの900時間の残業代を奪っていることや、養老年金がちゃんと支払われていないという最重要の問題があり、工場側はそれについては一言も語らず、企業としての責任をまったく果たしていない。
よって、私たちは以下のように要求する。
(1)2005年10月1日から2010年10月31日までの間の毎日40分延長された残業代を支払うこと
(2)養老保険を実際の勤続年数で払っていないどころか、最低賃金(1320元)を基準にして払っているので、法律にのっとり、実際の就業年数と実際の賃金(2300元〜2500元)で等しく補填して支払うこと。
(3)工場の関連の部署が解散する時、工場のやり方は恐るべきものがある。移転したり部署を解散するときは、必ず法にのっとり、月まで足した勤続年数に応じた経済的補償を行うこと。
(4)(既存の)労働組合は見せかけのものであり、不合理なことを立案し、労働者をだまして不合理な労働契約を結ばせるものであるから、労働組合は労働者の利益を代表することはできず、工場側との協議や談判を進めることはできない。
謹んで、各界のこの事件に関心を持つ友人が、引き続き私たちの闘いの進展に関心を持っていただけるように希望し、あわせて合法的な権利を守ろうとする私たち労働者を支持してくださるように望みます。
シチズン深冠星労働者
2011年11月1日
2011年11月1日
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月刊『国際労働運動』(425号2-2)(2012/01/01)
■News & Review ギリシャ
緊縮政策粉砕に立つ労働者階級
世界を揺るがす革命的な伝統を継承
□パパンドレウ政権を打倒したデモとスト
EUからの緊急援助の受け入れと緊縮政策の強行をめぐって、パパンドレウ首相が辞任に追い込まれたギリシャでは、11月9日、パパデモス(前ヨーロッパ中央銀行副総裁)を首相とした「挙国一致内閣」が成立した。このEU資本の利益を体現した政権に対して、ギリシャ労働者人民は17日、アテネ5万人の緊縮政策粉砕の決起をもって応えた。この日は、1973年に学生が決起して、当時の軍事独裁政権を打倒する闘いの口火を切った日であり、これを引き継ぐ闘いが、ギリシャ全土で行われたのである。これに対して新政権は、デモへの数千の機動隊による襲撃、催涙弾による攻撃、現場逮捕13人をはじめ90人に上る活動家を事前・事後に拘束するという大弾圧に打って出た。北ギリシャの港湾都市テッサロニキでは、アリストテレス大学に警官隊が乱入するという事態さえ起きている。
ギリシャ支配階級だけでなく、EU帝国主義の総力を挙げた「ギリシャ革命」圧殺攻撃に対する労働者人民の闘いは、体制内労働運動指導部の壁と激突しつつ、08年以来、永続的・戦闘的に続けられてきた。この間、9〜10月だけみても、9月3日アテネ都心での大抗議集会、13日タクシー労働者のスト、21日増税反対の大集会、22〜23日交通スト、25日アテネ集会、26〜27日交通スト、29日タクシー・スト、10月1〜4日のアテネ都心連続闘争、5日の公共部門スト、13〜14日の交通スト、19〜20日ストとデモ、25日交通スト……こういう嵐のような労働者人民の決起がパパンドレウ政権を打倒したのだ。今ギリシャが直面しているのは、革命情勢そのものだ。
(写真 緊縮政策に抗議して国会前を占拠する労働者【11月17日 アテネ】)
□内戦を闘った労働者
「99%が生きるために」を掲げた全世界的決起の最前線で闘っているこの不屈のギリシャ労働者階級の中には、実は、第2次世界大戦の戦中・戦後にかけて 「ギリシャの内戦」という熾烈な闘争を数年にわたって闘い、戦後世界を揺るがしたという革命的伝統が、脈々として受け継がれているのだ。
「99%が生きるために」を掲げた全世界的決起の最前線で闘っているこの不屈のギリシャ労働者階級の中には、実は、第2次世界大戦の戦中・戦後にかけて 「ギリシャの内戦」という熾烈な闘争を数年にわたって闘い、戦後世界を揺るがしたという革命的伝統が、脈々として受け継がれているのだ。
「内戦」を起点とするギリシャ階級闘争の現在に至る過程を振り返り、勝利の展望を明らかにしたい。
第2次世界大戦の戦後世界の分割支配を、帝国主義がスターリン主義を引き込んで策動していた時に、これを揺るがしたのは、帝国主義諸国における労働者階級の戦後革命への決起(仏、伊、日本など)、民族解放闘争の勝利的展開(中国など)、そして数年にわたり地中海・バルカン半島を戦場と化した「ギリシャの内戦」であった。
□パルチザン戦争に決起
帝国主義者にとって地中海・バルカン半島・中東は、極めて重要な戦略的位置を持っていたし、現在でもそうである。中東の石油資源の確保、とりわけイギリスにとっては、大英帝国の植民体制の要をなすインド(およびアジア諸国)への通路と、さらにロシア〔ないしソ連〕の地中海への出口を制する地として死活的な意味を持つ地帯であった。そしてギリシャ〔およびトルコ〕こそ地中海海上交通の担い手だった。
第2次世界大戦で、イタリア・ファシスト軍の侵攻(40年10月)、ついでナチス・ドイツ軍の侵入(41年4月)に直面したギリシャ労働者人民は、王政政府がエジプトに逃亡する中で、共産党(KKE)の指導下に民族解放戦線(EAM)を結成(41年9月)した。そのもとで42年2月に組織されたギリシャ人民解放軍(ELAS)は、またたくまに、2万5千人のパルチザン戦士を結集し、これをさまざまな形で支える8万人の人民が兵站的役割を担い、政治的支持層は50万人におよんだ。彼らは多くの血を流しながら、侵略軍隊に対する英雄的なゲリラ的抵抗闘争を闘い、全土を制圧していった。その強大化を恐れた保守勢力は、旧親ナチ分子も含めて軍事組織(名目上は抵抗勢力)をつくり人民軍に攻撃をかけるに至った。
□ソ連スターリン主義の裏切り
民族解放戦線の勝利の趨勢の中で、ソ連スターリン主義の「反ファシズム統一戦線」路線に従ったギリシャ共産党の指導下に、民族解放政治委員会(PEEA)が結成され、さらに、全政治勢力(保守・王党派を含む)を加えて「国民統一政府」が樹立された(44年5月)。この「国民統一政府」は、同年12月に英軍に守られた亡命政府が帰還すると、英軍によるギリシャ支配を容認する。
アテネに入城≠オた英軍総司令官は、ただちにパルチザンの武装解除を通告。共産党指導下の民族解放戦線は、武装解除の条件として、ナチス協力分子の武装解除を要求したが、英軍に拒否されたことから、「国民統一政府」から脱退し、即日、アテネで10万人の抗議デモを組織した(44年12月3日)。このデモに英軍・政府軍が発砲したことが「第1次内戦」の引き金となる。人民解放軍(ELAS)は、瞬時にアテネを軍事的に制圧した。この戦略的地帯における労働者人民の闘いの爆発に恐怖したイギリス帝国主義の首相チャーチルは、12月24日、自らアテネに乗り込み、反動内閣の樹立と、英軍による人民解放軍に対する総反攻を命じた。その結果、翌45年1月に、人民解放軍は停戦合意に追い込まれた。しかし、屈服を拒否した反対派は、山岳地帯や隣接するユーゴに移動して抵抗闘争を継続した。
実はこれに先立つ44年10月、チャーチルとスターリンがモスクワ会談で、戦後世界の分割協定を談合し、ヨーロッパに関しては東欧のソ連支配を英帝国主義が認める代償として、ソ連スターリン主義はギリシャに対する英帝支配を認めるという取引をやっていたのである。こうして、ギリシャの労働者階級はスターリンによって、英帝との取引の材料にされた。ギリシャ共産党(KKE)は、ソ連支持派と反対派に分裂した。反対派は、ソ連スターリン主義と対立を深めていたユーゴに接近し、国境地帯にゲリラ闘争の出撃拠点を獲得する。
□第2次内戦の開始
ヤルタ会談(45年2月)とポツダム会談(45年7月)で合意された米ソの戦後分割支配体制を食い破るように、中国、ベトナム、北アフリカなどでの民族解放闘争の激化や東欧情勢の不安定化が進み、46年3月、チャーチルが「鉄のカーテン」宣言を行う。イギリス支配下のギリシャでは、総選挙で王政派が勝利する(46年3月)などの反動的動向が強まった。いったん合法化されていたギリシャ共産党は、ユーゴ・アルバニア国境地帯の山岳でゲリラが再開されたことをきっかけに、ギリシャ民主主義軍(DSE)を組織した。こうして「第2次内戦」が開始される(46年3月)。その鎮圧に英帝は4万人の軍隊を投入したが、第2次世界大戦で疲弊しきった財政の破綻から、ついに47年2月、ギリシャ〔そしてトルコ〕への「軍事援助」の継続は不可能だとして、米帝の助けを仰ぐ。
□米帝の介入
米トルーマン大統領は、直ちにギリシャ・トルコ援助を宣言、海空機動部隊の派遣を決定。これは、大規模なヨーロッパの復興援助計画(マーシャル・プラン=47年6月)に発展し、戦後世界の構築における米帝の本格的ヨーロッパ進出の転機となった。
米帝のギリシャ内戦介入は48年6月に至って本格化し、49年1月に、ついに民主主義軍への総攻撃が開始された。その結果、49年10月、停戦が合意され、内戦は終結した。実は、ギリシャ全土において圧倒的な力を発揮し、広範なギリシャ労働者人民の支持を受けていた人民軍が、指導勢力である共産党(ソ連スターリン主義の支配下)の政治路線によって、帝国主義との協調=屈服の道を強制された結果であった。
□吹き荒れる反動の嵐
この「第2次内戦の敗北」によって強化された米帝支配のもと、国内外において反動の嵐が吹き荒れた。王政ギリシャ政府は、朝鮮戦争(50年〜)に派兵し、NATOに参加した。51年に小選挙区制を導入して保守政権を「安定化」させ、レジスタンス勢力に対しては残虐な「レッドパージ」の弾圧の嵐が吹き荒れた。
カラマンリス指導下の保守政権(1952〜63年)のもとで、成長率年平均7・6%というギリシャ経済の奇跡≠ェ生じた。地中海の要衝を押さえる海運国家ギリシャの港湾設備・運輸網などのインフラの整備に、米スタンダードオイルをはじめ、独仏など膨大な外国資本が投下され、ギリシャは世界経済に急速に組み込まれていった。また、地中海=ヨーロッパの緊張を口実にアメリカの軍事援助(その大部分は武器供与)が巨額の「借款」として供与された。こうして産業構造が変化し、輸出において農業生産物を工業生産物が上回った。
反動政治は、労働者人民の怒りの高まりの中で、1964年にいったんパパンドレウ(パパンドレウ前首相の祖父)中道政権の成立によって中断されるが、67年に軍部のクーデターによって軍事独裁政権が登場する。この政権のもとで、中東の激動を口実として72年、米帝第6艦隊がギリシャの港湾を母港化する。
長年の軍事独裁政権の支配に対して、ついに1973年、学生が決起した。デモに対する警官隊の襲撃を機に、労働者人民の積年の怒りが爆発し、74年の総選挙で、新民主主義党が勝利し、カラマンリスのもとで民政に復帰、国民投票で王政を廃止した。70年代後半から帝国主義世界経済の危機が激化すると労働者人民の闘いが高揚し、81年にはパパンドレウの全ギリシャ社会主義運動(PASOK)が政権についた。ギリシャ労働者階級は「内戦の敗北」後、奪われてきた権利を、労働組合の闘いをとおして奪還していった。〔解雇の事前通告制、退職金の十分な保障、非正規労働の規制、社会保障制度の確立など。今、緊急政策の名のもとに支配階級は、まさにこれらの階級的獲得物をギリシャ労働者階級から奪い取ろうとしている〕
□EU加盟後の闘い
81年EU加盟を機として、独仏など外国資本が直接投資や金融資本の形で洪水的にギリシャに流入し、労働者階級は新たな攻勢に直面する。その中で、中東=地中海の軍事的緊張を口実に、EU内外の帝国主義(ロシアも)がギリシャに大量の武器の売り込みを開始し、ギリシャは財政とは不均衡な軍事国家に変貌する。新自由主義政策の展開の中でギリシャ労働者階級は、体制内勢力と化した労働組合と衝突しながら、85年には緊縮政策に反対する100万のゼネストを闘い、2001年、2008年と反政府闘争に立ち上がっていく。
□大恐慌下で闘う労働者
金融恐慌が世界大恐慌へと展開する中で、サブプライムローンの破綻以後、国際的金融市場で行き場がなくなった投機資金が、ギリシャなどPIIGS諸国の国債のリスクにかけた保険を商品化する、というとんでもない投機活動を行って、現在の財政危機=国家的破綻の原因をつくっていった。これに対するギリシャ労働者階級と人民の闘いは、今や内乱的段階に達している。
そもそもギリシャの労働組合は、ロシア革命直後のギリシャ共産党の創設(1918年)に先立って、1914年にギリシャ労働総同盟が結成されて以来、「内戦」を戦うに至るまで、戦闘的な伝統を継承してきた。スターリン主義の30年代以来の度重なる裏切りにもかかわらず、現在、国内支配階級、EU帝国主義が総力を挙げて仕掛けてきている圧殺攻撃と真っ向から対決している。ギリシャ=ヨーロッパ労働者階級の解放=革命勝利のかぎは、体制内労働運動をのりこえる階級的労働運動を勝利に導く労働組合の指導部、そして労働者階級の革命党をスターリン主義と根底的に決別してかちとることである。【ギリシャ情勢については、本誌2010年5月号特集を参照】
(川武信夫)
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月刊『国際労働運動』(425号2-3)(2012/01/01)
■News & Review 日本
反原発・反失業掲げ11・6集会に5950人
国際連帯の新地平、労働組合復権の展望
2011年11・6全国労働者総決起集会は、東京・日比谷野外音楽堂に5950人を結集して開催された。「新自由主義とたたかう労働組合の全国ネットワークを!」「国鉄1047名解雇撤回・非正規職撤廃!」「反原発・反失業をたたかう国際統一行動を!」を掲げ、福島の怒りと結びつき原発の即時廃止へ、そして新自由主義による大失業・非正規化攻撃と闘う労働組合の復権へ、大きく前進することを宣言した。
大恐慌下の闘いの渦中、韓国、アメリカ、ドイツの代表が参加し、国際連帯を一段と発展させた。そして何よりも、この日本でストライキで闘う動労千葉や動労水戸、1047名解雇撤回を闘う国鉄労働者、全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部、全国金属機械港合同などの闘いが、階級的労働運動の再生に向けた展望を指し示し、全世界の「99%」の労働者階級の反乱の先頭で、プロレタリア世界革命に合流しつつあることを確信させる集会となった。
11・6集会でかちとられた新たな地平をさらに発展させ、真に日本と世界の労働運動の主流派として躍り出る、闘う労働組合をつくり出すことが求められている。この道を真一文字に突き進もう。
(写真 労働組合の復権へ「団結ガンバロー」【11月6日 東京・日比谷野音】)
□呼びかけ団体から労働
運動再生へアピール
運動再生へアピール
司会は動労水戸平支部の川俣辰彦さん、ふくしま合同労組委員長の市川潤子さんが務めた。2人とも被災者として決起している思いを込めて集会をリードした。
開会にあたり、本集会の呼びかけ4団体のあいさつが行われた。
全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部の高英男副委員長は、2010年7月から139日間にわたって闘われた生コン産業ゼネストで関西の建設現場の8割をストップさせた闘いを報告し、「労働組合や中小企業の共同闘争によって闘えば成果が得られることを示した。少数でも闘い方によっては社会を変える力を持っていることを示した」と訴えた。
全国金属機械労働組合港合同の中村吉政副委員長は、東日本大震災と福島原発事故の被災者を見舞う意を表明し、「『どのような社会を自分たちがつくっていくのか』が今、労働組合の責任と課題として問われている」「団結こそ命、闘争こそ力!」とアピールした。
動労千葉の田中康宏委員長は、大震災と原発事故によって情勢は一変し、「大震災を千載一遇のチャンスとして、全面的な新自由主義攻撃を社会全体に貫徹しようとしている」と政府・資本を弾劾した。そして、新自由主義攻撃の核心をなす「民営化・外注化」に対し、10年間にわたって外注化を止めてきた闘いを引き継いで、「非正規職化を止めた闘いがまったくない中で、外注化を阻止する具体的な闘いを実現することで、階級的労働運動の展望と可能性を示したい」と訴え、前日の11月5日から運転基地統廃合反対の指名ストに突入したことを報告した。
国鉄闘争全国運動呼びかけ人の伊藤晃さんは、全世界に広がる運動が「恐慌の中で、資本主義的支配構造を積極的に変革する道を切り開きつつある」と述べ、「私たちは広く運動の連帯をつくり出し、世界の闘う民衆に合流しようとしている。そのための最大の課題は、労働運動を再建し本来の役割に立ち戻らせることだ」と、国鉄闘争全国運動の発展へ「迷うことなく私たちの道を前進することだ」と訴えた。
□米韓独の代表が国際連帯のアピール
国際連帯アピールでは、まず韓国の代表団32人が登壇し、民主労総ソウル地域本部のイジェウン本部長が「日本の原発事故は、人間の尊厳を踏みにじり、資本の利潤だけを追求する新自由主義の貪欲の結果だ」と述べ、「韓国と日本の労働者が、アジアに、ヨーロッパに、労働者国際連帯を広げ、力を失っていく新自由主義の息の根を止める闘争をつくろう」と呼びかけた。
アメリカからはILWU(国際港湾倉庫労働組合)ローカル21のダン・コフマン委員長が、全国一般東京ゼネラルユニオンの通訳で発言した。この間、動労千葉とILWUの連帯関係は深まっているが、争議中の支部の委員長が来日したことは画期的なことだ。コフマン委員長は、伊藤忠商事などが出資する穀物メジャーのEGTが労働協約を破って組合員の採用を拒否していることに抗議し、港湾の穀物列車を実力で阻止した闘いを報告し、「ウォール街を占拠せよ」「オークランドを占拠せよ」の運動を広げて闘うことを呼びかけ、「みなさんの闘いは、われわれの闘いでもあります。世界の労働者の団結を」と訴えた。
ドイツからは「マルクス主義イニシアティブ」のディーター・エルケンさんが、「原子力産業を全世界で直ちに止めよう」と訴え、「職場・組合・社会運動フォーラム」のラーベン・ブロンシュタインさんは、ストで闘うベルリンの労組への支援を呼びかけた。
続いて、滞日・在日外国人の仲間が多数壇上に並び、バングラデシュ、ビルマ、インド、クルド、イランの労働者が、「難民を人間として扱え」などと訴えた。
(写真 韓国民主労総の32人の代表団が登壇し、ソウル本部のイジェウン本部長がアピール)
□被災地から怒りの訴えに大きな拍手
カンパアピールと韓国の律動隊「コットゥソニ(茜=あかね)」の演技に続いて、福島を始めとする被災地の仲間たちが大挙して登壇した。9・19明治公園の6万人集会の先頭に立った「怒・福島隊」のぼり旗が掲げられた。
まず、元福島県教組の清野和彦さんが「原発から60`近く離れた福島市役所の線量は1・18シーベルト。放射線管理区域よりも高い」と福島の現状を怒りを込めて報告し、「『核と人間は共存できない』ことを事実をもって示している」「東電と国策として原発を推進してきた政府の責任を徹底的に追及する以外にない」「資本主義社会を根底から変革する以外にない。そのために労働者の闘いを築き上げなければならない」と訴えた。
「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」代表の中手聖一さんは、子どもたちへの「年間20_シーベルト」の文科省通知を撤回させた闘いを報告、今なお多くの県民を避難させず被曝させている現実に怒りをあらわにし、「子どもたちを守っていく活動に是非力を貸してください」と呼びかけた。
同ネットワーク世話人の佐藤幸子さんは、10月27日から経産省前で行った座り込みを「福島の女たちは怒っています。8カ月間、本当に辛い思いできた、その思いをぶつけて座り込んだ」と報告し、「母の墓に最後のお墓参りをして、母に『原発を止めるまで二度とお墓参りには来ません』と約束してきた」と決意を語った。
同じく世話人の椎名千恵子さんは、経産省前座り込みの際に、毛糸で編んだ地球玉を紹介し、「これは女たちの闘いの決意と願いです。指編みに込めた女たちの思いを引き継ぎましょう」と訴えた。
仙台市職労の神保美彦副委員長が「復興特区」というさらなる新自由主義を許さない決意を語り、「オークランドのような闘いを自分の職場の労働組合からつくっていきたい」と訴えた。
この被災地からの訴えに満場の拍手が応えた。
(写真 大挙して登壇した被災地の労働者ら)
□三里塚などから訴え
「闘いの最前線から」の発言では、まず三里塚芝山連合空港反対同盟の萩原進事務局次長が、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加方針を表明しようとしている野田政権を弾劾し、「労働者、農民、市民、万国の人民が団結し、働く人民が主人公になる社会を」と訴えた。
憲法と人権の日弁連をめざす会の森川文人弁護士は、「原発とも裁判員制度とも人類は共存できない」と、弁護士会の変革、裁判所の責任追及の決意を語った。
原発と闘う医師たちを代表して広島高陽第一診療所の吉田良順医師が、「闘う拠点としての医療施設を福島の地に建設する」と述べた。
NAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議=な全)事務局長の織田陽介さんは、12月の反原発統一行動の方針を提起し、「霞が関を占拠する闘いをやりたい」と訴えた。
「とめよう戦争への道!百万人署名運動」事務局長の西川重則さんは、国会の憲法審査会の動向に警鐘を鳴らし、「明文改憲を許さない」と訴えた。
沖縄行動団の宮城盛光北中城村議は、普天間基地の辺野古移設阻止へ、元全軍労牧港支部の労働者として、沖縄の階級的労働運動を復権して闘う決意を語った
□動労千葉・動労水戸の青年らが決意表明
「1047名解雇撤回・国鉄闘争勝利にむけて」では、多くの国鉄労働者が登壇した。とりわけ、動労千葉と動労水戸の青年労働者の発言は歓呼の声で迎えられた。動労千葉青年部長の北嶋琢磨さんは、「9月29〜30日、京葉車両センター外注化に反対するストライキ貫徹の末、青年部を再建した」と報告。この10月のスト後に動労水戸に加入した照沼靖功さんは、福島原発事故で放射能汚染した車両の検査・修繕、一般公開を絶対にやらせないと力強く報告。動労千葉争議団の中村仁さんは、「99%の労働者が団結して解雇撤回を」と訴えた。国労小倉闘争団の羽廣憲さんは、国労の定期大会で闘争団員の組合員権を剥奪したことを怒りを込めた弾劾。 国鉄闘争全国運動で元国労九州本部書記長の手嶋浩一さんは、「玄海原発再稼働阻止の九電本社座り込みは201日目だ。11・13現地1万人集会へ」と呼びかけ、国労5・27臨大闘争弾圧での暴行罪を弾劾した。
「1047名解雇撤回・国鉄闘争勝利にむけて」では、多くの国鉄労働者が登壇した。とりわけ、動労千葉と動労水戸の青年労働者の発言は歓呼の声で迎えられた。動労千葉青年部長の北嶋琢磨さんは、「9月29〜30日、京葉車両センター外注化に反対するストライキ貫徹の末、青年部を再建した」と報告。この10月のスト後に動労水戸に加入した照沼靖功さんは、福島原発事故で放射能汚染した車両の検査・修繕、一般公開を絶対にやらせないと力強く報告。動労千葉争議団の中村仁さんは、「99%の労働者が団結して解雇撤回を」と訴えた。国労小倉闘争団の羽廣憲さんは、国労の定期大会で闘争団員の組合員権を剥奪したことを怒りを込めた弾劾。 国鉄闘争全国運動で元国労九州本部書記長の手嶋浩一さんは、「玄海原発再稼働阻止の九電本社座り込みは201日目だ。11・13現地1万人集会へ」と呼びかけ、国労5・27臨大闘争弾圧での暴行罪を弾劾した。
決意表明は自治体、教労、郵政、医療、合同労組、全金本山労組、福島の青年労働者と全学連の斎藤郁真委員長らが行った。
最後に関生支部執行委員の武谷新吾さんが「若い人に負けないで体を張って闘う」と閉会あいさつ。港合同昌一金属支部の木下浩平書記長の音頭による団結ガンバローで集会を締めくくった。
集会後のデモ行進は、東電本店前で「原発事故の責任をとれ」と弾劾し、銀座から東京駅前へと進み、戦闘的に行われた。途中、右翼が妨害してきたが、これをはね返し、意気高く闘いとられた。
前日の11月5日には千葉市内で労働者国際連帯集会が開かれ、7日には日韓理念交流会が行われた。理念交流では、1998年から2004年に民主労総の委員長を務めたタンビョンホさんが「韓国労働運動史」の講義を行い、韓進重工業の闘いの紹介などに参加者は深い感銘を受けた。
11・6労働者集会と国際連帯の諸行事は、労働者階級の進むべき道を鮮明にした。課題ははっきりした。日本において闘う労働組合の復権を実現すること、この一点に全力を注いで2012年へ突き進もう!
(大沢 康)
(写真 海外代表と呼びかけ3労組を先頭にデモ行進)
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月刊『国際労働運動』(425号3-1)(2012/01/01)
(写真 3000人を超える農民、漁民や医療・生協などの労働者が結集し「TPP反対」のデモ行進【10月26日 東京・日比谷】)
■特集 米帝ルール強制し労組破壊のTPP
はじめに
TPP(環太平洋経済連携協定)は、世界大恐慌がもたらす米帝の危機を、日米ブロック化の方向で乗り切ろうというものだ。米帝は、対中対峙・対決を軸に日帝を引きずり込んでアジア太平洋を勢力圏化し、戦争手段に訴えてでも延命しようとしている。日帝は、TPPに積極的に参加して新自由主義攻撃をさらに激化させようというのだ。復興特区攻撃と一体の攻撃だ。これに対して全世界で、日本で人民の総反乱が起きている。
第1章は、米帝のアジア太平洋政策の要となったTPPの全体像を全面的に暴露している。
第2章は、本特集の最大のテーマであるTPPによる労働者階級への攻撃を明らかにしている。外注化・非正規職化など新自由主義が徹底的に強化される。
第3章は、国際連帯でTPPを阻止する核心として階級的労働運動の発展を呼びかけている。
■第1章
米帝の対中対決の経済圏――アジア太平洋で巻き返し
世界大恐慌はさらに深化している。そのメルクマールとして基軸帝国主義・米帝の没落、欧州経済ブロック・EUの解体、国際帝国主義からの日帝の脱落、中国バブルの崩壊の四つがある。その中で、EU解体がすさまじい勢いで進んでいる。ギリシャを震源として危機はイタリアへ飛び火した。
イタリアは、言うまでもなく国際帝国主義の一翼であり、欧州のドイツ、フランスと並ぶ3大国のひとつである。このイタリアの財政危機が爆発し、イタリア国債の利率が7%という危機ラインを突破した。
こうしたEU解体の危機は、次には基軸通貨である米ドル体制の崩壊に進む。
もともと帝国主義国が数個も乱立する帝国主義時代の世界経済は、多基軸化・分裂化を本質とし、整合性ある統一体を編成することができない。基軸帝国主義の存在によって初めて一定の世界経済編成を形成できる。
第1次世界大戦までの世界経済編成はイギリスが基軸国だったが、第1次世界大戦(帝国主義間対立の戦争的爆発)で崩壊した。戦後の20年代は、米英協調によってアメリカに支えられたイギリスが中心国の役割を果たすことにより世界経済編成がなんとか成立していた。
ところが29年世界大恐慌で、イギリスが率先してブロック化(ポンド圏)に突進することで、基軸帝国主義が不在となった。世界経済編成が文字通り解体し、ブロック化へ進んだ。持たざる帝国主義・日帝は中国侵略戦争に突入し、暴力的に円ブロックの形成に走った。30年代階級闘争が革命と反革命の激突となって始まった。革命が敗北した時、帝国主義はスターリン主義を巻き込んで第2次世界大戦に突進していった。
戦後世界体制は、米帝が政治・経済・軍事のすべての面で絶対的な力量を保持することによって基軸帝国主義となり、世界経済編成が成立してきた。しかしそれは金本位制から切断された擬制的で脆弱なドル本位制とも言うべき国際通貨体制だった。この体制は戦後66年間のうちに崩れ、ついに行き詰まった。世界大恐慌は既存の「過剰資本・過剰生産力」を破壊し、ドル本位制的なこれまでの世界経済編成を暴力的に解体・再編する方向に進まざるをえないところに至った。
ドルが崩壊すれば、世界経済は一挙に崩壊に向かっていく。米帝にとって代わって基軸帝国主義となりうるものは存在しないのは明白だ。
その過程は世界経済の大分裂と大収縮である。各国経済はより劇的に収縮し、破壊されていく。世界経済のブロック化・分裂抗争に収拾がつかなくなった時に、国家間の対立が激化し、一挙に戦争情勢になっていく。ロシア革命を引き継ぐプロレタリア世界革命を戦略的に準備する段階に完全に突入している。
TPPにかける米帝
TTP(環太平洋経済連携協定)は2006年5月にニュージーランド、シンガポール、ブルネイ、チリの4カ国の加盟国で発効した経済連携協定だったが、2010年10月から米帝の主導のもとに9カ国(4カ国プラス米、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシア)でTPPの協議が進められるようになった。
転換点はオバマ米大統領の2010年1月の一般教書演説で国家輸出戦略を発表したことだ。オバマは世界大恐慌と基軸国・米帝の没落の危機を突破するために「今後5年で輸出を倍増させる」と打ち出し、それを通じて「200万人の雇用を創出する」と目標を掲げた。
そして貿易協定の締結によって「積極的に新たな市場を求めねばならない」「しかし貿易協定の恩恵を実現するためには、貿易相手国がルールに基づいて行動するように貿易協定を執行することも必要である」と、米帝にとって有利なルールとその執行・強制を強調した。
国家輸出戦略は、第5項目の「自由で公正な市場アクセスの確保」で、「新市場の開放」として、「21世紀の通商合意形成に向けた環太平洋経済連携協定(TPP)交渉の推進」を提起している。さらにパナマ、コロンビア、韓国との2国間FTA(自由貿易協定)問題の解決、模造品・海賊版拡散防止条約(ACTA)の推進を挙げている。ACTAは的を中国の知的所有権に絞って問題にする条約だ。
「堅固な持続可能なバランスのとれた成長の基盤づくり」のところでは、自らのこれまでの「世界の消費エンジン」の役割を修正し、経常赤字国が貯蓄・輸出促進に変身すること、中国を念頭に置いた経常黒字国の消費・国内需要促進による世界経済バランスの回復、を主張している。特に「中国が市場志向の為替相場に移行する」こと、人民元の大幅切り上げを強調している。あらゆる意味で中国をターゲットにしていることは明白だ。
アジアめぐる争闘戦
TPPは、基軸帝国主義・米帝が自らの没落と基軸通貨ドルの崩壊の趨勢にあって、対中国対峙・対決を軸に米日が経済ブロック化を組み、アジア勢力圏化を狙うという凶暴な巻き返し策だ。日帝を引き込み、TPPを核として将来のアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)のヘゲモニーを握ろうとしてしている。
これに対し中国は、米帝を除外した形での自由貿易圏構築に向け「ASEAN(東南アジア諸国連合)プラス3(日中韓)」を対置してきた。日帝は、この中国の策動に対して「ASEANプラス6(日中韓、インド、オーストラリア、ニュージーランド)」を提起して日帝のヘゲモニーの貫徹を狙ってきた。
今回のAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議(11月12〜13日)における日帝・野田のTPP参加表明は、中国にとっては「衝撃」だった。中国主導の「ASEANプラス3」構想を打ち砕くものだったからだ。
こうした中で東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議が17日、インドネシア・バリ島であり、「ASEANプラス6」の「広域自由貿易圏」づくりを進めることで合意した。2013年以降の創設をめざす。日本のTPP交渉への参加方針に刺激を受けたASEANが、中国を巻き込み、新たな枠組みを主導しようというものだ。そこには、米帝主導のTPPが持つ対中国の対峙・対決政策への警戒がある。ASEANにとって中国はあまりにも巨大な隣国だ。ASEANではないが米韓同盟で固く米帝と結合する韓国も中国との緊張は避けたいのだ。さらに関税撤廃が原則のTPPでは、農業が中心のASEAN諸国の利害が守れないという事情がある。
自由貿易圏づくりは2段階で行うとされる。ASEANは12年11月の首脳会議で、開放するモノやサービスの分野、規制などのルールを決める方針。その上で日中韓、インド、オーストラリア、ニュージーランドの6カ国に対して「招待状」を出し、入る意思があるかどうかを確認する。13年以降、ASEAN10カ国に6カ国が加わる広域自由貿易圏をつくることを念頭に置いているという。
「ASEANプラス6」はもともと日帝が推進してきた構想であり、すでにASEANと経済連携協定(EPA)を結び、大洪水で明らかになっているようにタイなどに日本企業がきわめて有利な条件で現地進出を進めて現地労働者人民を強搾取している。
これは当然にも対米争闘戦の要素を持っていて、TPPと矛盾する要素もある。中国にとっては中国を軸とする対米対抗のアジア勢力圏化という戦略的な意味を持つ。アジアをめぐる帝国主義間・大国間の争闘戦が激烈に始まったのだ。
(図 東アジア地域の経済連携の枠組み)
米中対峙・対決の時代
APECで、12日にオバマ米大統領と中国の胡錦濤国家主席が会談した。オバマは、中国側が厳しい管理で変動を抑えている人民元の為替政策や知的財産権の保護などに関し、改めて改革を要求した。これに対し胡錦濤は、為替改革は「着実に進める」と述べつつも、「米国の貿易赤字や高失業率は、人民元相場が原因ではない」と反論した。
米帝は中国スターリン主義が経済の自由化を推進しながらも、結局国家による経済統制を強固に維持するあり方の抜本的な改革を求めている。それは中国スターリン主義の解体の要求と変わらない。
さらにTPPの推進と一体となった、米帝のアジア太平洋政策が打ち出された。中国との対峙・対決が軍事において一層明確になった。
オバマは11月17日、オーストラリアのキャンベラでアジア太平洋政策の重要演説を行った。オバマは、「米国は太平洋国家であり、ここにとどまる」と宣言した。
そして没落帝国主義・米帝にとって、アジアが「雇用と機会の創出という私の最優先課題の達成にとって、決定的に重要だ」と述べ、アジア太平洋を米帝の没落を巻き返していく勢力圏として確保していくと述べた。
同時に米帝の没落を決定づけたアフガニスタン・イラク侵略戦争の敗北、それによる米軍撤退後の米軍の安全保障政策の重心を、アジア太平洋に移すとする大転換を表明した。
同時に米帝の没落を決定づけたアフガニスタン・イラク侵略戦争の敗北、それによる米軍撤退後の米軍の安全保障政策の重心を、アジア太平洋に移すとする大転換を表明した。
「アジア太平洋地域における米軍の展開と任務を最優先する」として、在日米軍と在韓米軍については「強固な兵力展開を維持」し、東南アジアについては「強化する」と対中国の対峙・対決の姿勢を強調した。
「アジア太平洋地域における米軍の展開と任務を最優先する」として、在日米軍と在韓米軍については「強固な兵力展開を維持」し、東南アジアについては「強化する」と対中国の対峙・対決の姿勢を強調した。
そしてオーストラリア北部のダーウィンに米海兵隊基地を置き、将来、米海兵隊2500人を配備することを明らかにした。ダーウィンは中国が開発中の対艦弾道ミサイルの射程(約3000`メートル)外にある。対中国戦争をむき出しにしたものだ。
インドネシア・バリ島で11月19日に開かれた東アジアサミット(EAS)は、南中国海問題をめぐり、東南アジア諸国連合(ASEAN)を巻き込んだ米中間の激しい対立の場となった。
中国は、南中国海の南沙諸島や西沙諸島の領有権などをめぐってベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイなどの東南アジア諸国と対立しているほか、南中国海における航行の自由などをめぐって、周辺諸国や米帝と対立している。
会議でオバマは、南中国海航行問題で多国間の枠組みによる平和的解決を強調、同時に通商と航行の自由の重要性を主張し、ASEAN諸国の大半を味方につけて中国に攻勢をかけた。中国の温家宝首相は「EASは南中国海問題を話し合うのに適した場ではない」と必死に抵抗したが押し切られた。
オバマはさらに、会議直前にインドネシアに新型F16戦闘機の供与を電撃発表し、中国側を牽制した。中国はインドネシアに軍事拠点を設置しようと狙っている。
(図 南中国海と中国主張の領海線)
エア・シーバトル
11月11日付産経新聞によると、米国防省が中国の軍拡に対応して「エア・シーバトル(空・海戦闘)」という対中国戦略の構築と、そのための特別部局の新設を決めたことが明らかになった。
米軍は、中国人民解放軍の最近の米空母に対する対艦弾道ミサイル開発、米軍事衛星に対する衛星破壊兵器実験、一連のサイバー攻撃、さらに中国の接近阻止戦略を重視し、これらに対して「エア・シーバトル」で対応する方針を決めた。
その内容は
1 中国の新型対艦ミサイルを破壊するための空・海共同作戦
2 米軍用衛星の機動性向上3 中国「接近阻止」部隊への空・海両軍共同のサイバー攻撃
4 有事無人の新鋭長距離爆撃機の開発
5 潜水艦とステルス機の合同作戦
6 空・海軍と海兵隊合同の中国領内の拠点攻撃
7 空軍による米海軍基地や艦艇の防御強化
オバマはイラク、アフガニスタン侵略戦争での米軍敗北・撤退以後はアジア太平洋に戦
力の新たな力点を置くことを公表していたが、その具体的な内容は対中国との戦争的対決である。
中国の米軍に対する「接近阻止」戦略(中国が設定する防衛線への米軍の接近を阻止する戦略)の全体を空海・海兵隊で破壊しつくす戦略であり、中国の内陸部の軍事拠点(核ミサイル基地)攻撃を含む全面戦争を構えた。
米国防省は、「中国の新鋭攻撃用兵器が南中国海や黄海の航行の自由を脅かすことへの懸念から生まれ、米側は中国のそうした動きを座視しない意思表示だ」と述べた。さらに「この新戦略は米国の対中軍事態勢を東西冷戦スタイルへと変える重大な転換点となる」とも強調している。
「東西冷戦スタイル」とは、第2次世界大戦後の世界を二分した、米帝を盟主とする帝国主義と、ソ連を盟主とするスターリン主義(「社会主義」)との対立構造である。「東西冷戦スタイルに変える重大な転換」とは、米中対峙・対決戦略を鮮明にしたものだ。政治・経済・軍事その他を含めた対峙・対決戦略であり、中国スターリン主義の打倒を目指している。
しかしエア・シーバトルは、イラク・アフガニスタン侵略戦争における米陸軍の疲弊の極みの上に立って打ち出されている。陸軍を戦争の前面には立てられない、陸軍の中国上陸作戦は想定されていない、だからエア・シー(空軍と海軍)なのだ。さらに米帝の没落、大恐慌、米財政危機、国防予算の削減圧力の下でのエア・シーバトルである。米帝にとって余裕のないギリギリの対応である。
米帝は沖縄の辺野古新基地建設をエア・シーバトルの観点から日米安保の強化を日帝に突きつけている。野田はそれに呼応した攻撃を沖縄に加えている。断じて許せない。
そして日帝自衛隊は、すでにエア・シーバトル戦略と一体となって動いている。新防衛大綱も、防衛白書も対中国対峙・対決の軍事戦略で動いている。さらに北朝鮮危機が深刻化している。世界を震撼させた10年11・23延坪島砲撃戦は米帝の朝鮮侵略戦争の開始であった。はっきりしていることは北朝鮮侵略戦争は同時に中国侵略戦争になることだ。
「新戦略」は、東西冷戦時のような世界の盟主としての「戦略」ではない。断末魔の米帝が、弱肉強食の軍事激突に率先して突入して世界核戦争で世界を破滅させて延命を図る「戦略」だ。全世界の労働者人民の力で帝国主義とスターリン主義の支配を一刻も早く終わらせなければならない。
野田の新自由主義攻撃
日帝・野田は、11月12日のオバマとの日米首脳会談、13日のAPEC首脳会議でTPPへの事実上の参加表明を行った。日帝ブルジョアジーの意を体現し、人民を攻撃するものであり絶対に許せない。オバマはこれを「歓迎する」としながらもTPPの会合に野田が参加することは拒否した。他方、カナダとメキシコがTPP参加を表明した。
野田は、「TPPに参加することでアジア太平洋地域の活力と成長力を日本に取り込む」「これは安全保障問題である」と日米安保の強化と一体であることを隠さない。野田は、没落帝国主義・米帝の巻き返しをかけた対中国戦略に沿って、日本国内とアジアを舞台とした新自由主義の極限的展開に反革命的に突進することを決断したのだ。さらに南スーダンPKO派兵の決定、憲法審査会の討議開始による改憲攻撃に全面的に踏み込んでいる。労働者階級人民を踏みにじろうとしている。絶対許せない。
TPP交渉は21分野に及び、工業品や農産品など、原則としてすべての関税撤廃を目指している。「特定の品目を対象にしない前提での参加は認めない」と通告されている。778%の関税がついているコメなどをあらかじめ除外することなどできないのだ。「一定程度の例外的な扱いが認められる可能性がある」(政府筋)などまったくウソだ。日本がこれまで13カ国・地域と結んだFTAやEPAの自由化率は84〜88%で、過去に一度も関税を撤廃したことがない品目は農林水産物を中心に940ある。これが原則自由化されるのだ。
農業・医療―全産業の全面開放へ
野田は一貫して「医療制度と農村を守り抜く」と述べている。10月にまとめた農業の再生基本方針では大規模化を進めて生産性を高め競争力をつけるとしている。これは小規模農家は壊滅するということだ。だから野田は「農家」と言わず「農村」の保護と言っている。さらに保険適用の診療と適用外の診療を併用する「混合診療」の全面解禁に向け、「議論の可能性排除せず」と表明した。営利目的と金持ち優先の医療の導入で、日本の医療は破壊され、皆保険制度も壊滅させられてしまうのだ。
米政府は、2月の「日米経済調和対話」(年次改革要望書の復活版)で「日本郵政グループの競争上の優位性を完全に撤廃」することを求め、郵貯・簡保や共済の「特別扱い」を問題視している。食品の残留農薬基準緩和や新薬登録期間の緩和などを求めている。
日本経団連は、「経団連成長戦略2011」で、EU(欧州連合)や米帝が韓国とFTAを締結したことに危機感を抱き、「このままでは日本製品が国際競争に負けてしまう」と焦りをあらわにし、「TPPに参加できないなら海外に移転する」と野田政権を脅し、TPP参加を強く迫ってきた。
自動車や電機などの輸出産業のためには、農業の保護につながる規制を撤廃し、自由化し、国際競争にさらして農業をつぶしても構わないという考え方だ。
TPPは「復興特区」攻撃と一体であり、農業、医療、全産業を新自由主義の市場原理のもとに全面開放しようとする大攻撃だ。TPPへの参加は農業壊滅、医療崩壊をもたらし、労働者に対しては賃下げ・大失業・外注化・非正規化の攻撃を徹底的に激化させる。
労働者・農民・漁民、学生など全人民の職場・仕事・生活を破壊するTPPを階級的労働運動で粉砕しよう。
■第2章
ISD条項で政策変更迫る――全世界の労働者が反対
第1章では政治的・軍事的な争闘戦の観点からTPPを分析・批判したが、第2章では経済的な争闘戦の観点を中心にTPPを分析し、労働者階級への影響とそれへの反撃の闘いの正義性・死活性について考察したい。
TPPはもともとはニュージーランド、シンガポール、ブルネイ、チリの4カ国間の協定(P4)で、取り立てて注目をひくものではなかったが、08年に米国が正式参加し、投資・金融サービス分野の交渉が開始されることで拡大し、質的に一変した。アメリカ帝国主義主導の経済連携協定に生まれ変わったのだ。
1章で述べたように、世界大恐慌と基軸国としての没落の危機にあえぐアメリカ帝国主義は日米同盟を深化させ、日帝を補完的に動員することで対中対決に踏み切り、アジアを自らの勢力圏としようとしている。そしてそのためにTPPを中国に対する争闘戦の武器として使い切ろうとしている。
一方、大震災と福島原発事故の爆発によって帝国主義間争闘戦から脱落状態に陥った日帝・野田政権も「『アジアの成長』のバスに乗り遅れるな」などと言って、支配階級内部や与党内部の分裂情勢さえ押し切ってAPECの場でTPP参加を表明した。野田は日米同盟の深化を自らも選択し、その中にしか断末魔の危機にあえぐ日帝にとっての延命の道はないと、決断をもってTPP参加に踏み込んだのだ。
農業・医療以外も全生活領域に影響が
現在日帝を除く9カ国で協議が進められているTPP交渉では24の作業部会が設けられているが、これらの部会は分野としては一つにまとめられるものも含まれている。このような会合を整理すると、分野としては21分野となる。
1 物品市場アクセス
1 物品市場アクセス
2 原産地規則
2 原産地規則
3 貿易円滑化
3 貿易円滑化
4 SPS(衛生植物検疫)
4 SPS(衛生植物検疫)
5 TBT(貿易の技術的障害)
5 TBT(貿易の技術的障害)
6 貿易救済(セーフガード等)
6 貿易救済(セーフガード等)
7 政府調達
7 政府調達
8 知的財産
8 知的財産
9 競争政策
9 競争政策
10 越境サービス貿易
10 越境サービス貿易
11 商用関係者の移動
11 商用関係者の移動
12 金融サービス
12 金融サービス
13 電気通信サービス
13 電気通信サービス
14 電子商取引
14 電子商取引
15 投資
15 投資
16 環境
16 環境
17 労働
17 労働
18 制度的事項
18 制度的事項
19 紛争解決
19 紛争解決
20 協力
20 協力
21 分野横断的事項
21 分野横断的事項
これを見れば一目瞭然だが、現在反対運動が大高揚している農業・医療だけでも大問題だが、TPPはそれに加えて労働者階級人民の全生活領域に影響を及ぼす全階級的な大問題である。
TPPは単なる貿易協定ではない。貿易はその小さな一部にすぎない。TPPとは、参加各国の歴史的に形成されてきたあり方のそのものを、新自由主義に都合のいいように根本的に変更することを迫る一大反革命なのだ。
野田は「医療制度と農村を守り抜く」などと言っているが、11月12日にオバマは現在協議中の9カ国の間で「大筋合意に達した」と発表した。その詳細は不明だが、「包括的な市場アクセス、財・サービス貿易や投資について関税や他の障壁を撤廃する」「すべての貿易関連分野を対象とした一括的な交渉を進める。従来の自由貿易協定(FTA)が対象とした問題への伝統的な手法を改定するとともに、新たな貿易問題や分野横断的な問題も加える」などとしており、今までのFTA以上に米帝主導の包括的なものになることは間違いない。
日帝が交渉に参加するとしてもアメリカ議会の承認が必要であり、早くとも半年後になると言われている。オバマは2012年中の決着を表明しており、日帝にとって、すでに9カ国で決まってしまっている条項を飲むか飲まないかの二者択一を迫られることになる。
全世界の労働組合のTPP反対の理由
TPPが労働者階級・人民にとっていかなる意味を持つのかは、そのさきがけであるNAFTA(北米自由貿易協定)や、アメリカと他の2国間のFTA、および10月12日にアメリカ議会で可決され、韓国でも11月22日に与党ハンナラ党が圧倒的反対を押し切って強行可決した米韓FTAの内実を見れば明らかだ。
以下、各国の労働組合がTPP反対を唱えるに至った具体的事実を暴露しよう。
NAFTAはアメリカ、カナダ、メキシコの3カ国の間で1994年に発効した自由貿易協定だが、その結果アメリカ国内では76万6千人の雇用が奪われた。一方、メキシコでは多くのアメリカ企業が進出することで21%も賃金水準が低下した。
さらにNAFTAの結果設定されたマキラドーラなどの輸出加工区(EPZ)や特区では税などの優遇だけでなく、団結権が制限されていたり、労働基準や環境基準が他の地域よりも弱められていて、それで外国企業を誘致しようという例が少なくない。
その上で、NAFTAで導入されたISD(投資家―国家提訴)条項の問題点が指摘されている。メキシコ政府が米国のメタルクラッド社に、同社が設置した廃棄物処理場が飲料水の水源を脅かすとして閉鎖を命じたのに対して、メタルクラッド社はISD条項を利用してメキシコ政府を世界銀行傘下の「国際投資紛争解決センター」という第三者機関に訴えた。
そしてなんとこの「第三者機関」は公共の利益よりも資本家の利益を優先し、メキシコ政府に1560万jの損害賠償を命じた。このように多国籍企業がNAFTA加盟の各国による環境や公衆衛生に関する規制を破壊しようとする例が多発している。
そもそもISD条項なるものは関税撤廃に合意した各国政府が公共性を口実にして外国資本を閉め出すことに対する救済策が必要だというアメリカ帝国主義の言い分のもとに導入されたものだが、実際には企業による損害賠償請求や請求するという脅しにより、脅される国の国内政策形成に「萎縮効果」をもたらし、アメリカ資本の都合のいいように国内政策がねじ曲げられることになっている。
現にアメリカとニュージーランドの間のFTAでは、アメリカ資本であるワーナー社は映画のニュージーランドでの製作を取りやめると脅かすことにより、労働関係法を改悪させ、映画産業労働者の権利を剥奪する事態が生じた。
さらにペルー政府はFTAの批准投票のすぐ後に、中小企業労働者の時間外労働補償と年次休暇を切り下げてしまった。
米韓の労働者も米韓FTAに反対を表明
これらの事実を前にして、アメリカでもTPP反対運動が起こっている。9月5日アメリカのレーバーデー(アメリカのメーデーにあたる日)に労組活動家によるTPP反対のデモが闘われた。
彼らはTPPが成立すると医薬品の特許権が強化されることで製薬メーカーが薬価をつり上げることが可能となり、患者が薬を手に入れられなくなるとしてTPPに反対しているAIDS(後天性免疫不全症候群)患者救援運動を行っている活動家とも一緒になって「TPPは企業の強欲だ」「AIDS用の薬は命だ」と書かれた横断幕を掲げて8回目のTPP交渉が行われたシカゴのヒルトンホテルに向かってデモ行進をした。
さらに、アメリカの帝国主義的労働運動そのものでしかないAFL―CIO(アメリカ労働総同盟・産業別組合会議)ですら5月段階では韓国の民主労総とともに「FTAは労働者、消費者、環境を犠牲にして多国籍企業の権利と特権を拡張させ続けるだけだ」として米韓FTA反対を主張したほどである。
実際米韓FTAはすでに述べたISD条項だけでなく、ラチェット条項(一度開放されればいかなる場合にも戻せないという逆進防止装置) や非違反提訴(海外投資家の期待利益に達し得ない場合に一方的に国を提訴可能)、公共企業の完全民営化などを毒素条項として持っている。
実際米韓FTAはすでに述べたISD条項だけでなく、ラチェット条項(一度開放されればいかなる場合にも戻せないという逆進防止装置) や非違反提訴(海外投資家の期待利益に達し得ない場合に一方的に国を提訴可能)、公共企業の完全民営化などを毒素条項として持っている。
民主労総は、11月13日に開いた「全国労働者大会」をキャンドル市民とともにする韓米FTA阻止闘争に転換することを決め、全面的な米韓FTA粉砕闘争に決起している。そして民主労総の全国労働者大会に動労千葉派遣団は合流してともに闘った。
このように世界的に反対論が強く国会でも論戦になっているISD条項について野田政権は、「日本が訴えられる可能性も排除できないが、海外進出した日本企業が当該国の政策変更等で損害を受けたとき、ISD条項で問題解決を図ることが可能になる」などとその必要性を主張している。これは日帝資本が米帝と組んでアジア諸国に新植民地主義的に侵略していこうということである。
日帝・野田は10月に「TPP協定交渉の分野別条項」と題して日帝が掌握している限りでのTPP交渉の現段階の内容を発表した。その中で労働条項については「貿易や投資の促進のために労働基準を緩和すべきでないこと等について定める」と述べ、労働者階級への影響はないとしているが現実は先に述べたとおりであり、真っ赤なうそだ。
建前として掲げている労働基準の規制緩和制限なるものも、その基準はあくまでもアメリカ的基準でしかない。小泉政権時代にそうであったように、アメリカで合法化されているホワイトカラーエグゼンプション(事務職労働者の労働時間規制の全面撤廃)や派遣労働の全面解禁などを、投資の自由を掲げて強要してくるのは間違いない。
(写真 「TPPは企業の強欲だ」と書かれた横断幕を掲げ、TPP交渉の会場に向かってデモをするアメリカの労組活動家【2011年9月5日 シカゴ】)
TPP攻撃の陰の主人公は米多国籍企業
TPPにおけるアメリカ帝国主義による他国への体制破壊的な要求の陰の主人公こそアメリカの多国籍企業である。彼らがTPPに何を求めているのかは、アメリカ外国貿易協議会(NFTC)などが2月3日にオバマ政権に提出した要望書を見ればはっきりする。
そこには、市場参入、知的財産権、投資、簡略化された貿易、規制調和、公正競争などの項目が並んでおり、ペテン的言い方を引きはがすと、その中身はアメリカ資本が一切の規制抜きに好き勝手に行動し、暴利をむさぼる権利を主張しているにすぎない。
そしてそこに名を連ねているのは、アメリカ商工会議所を始めとする経営者団体、自動車などの大企業のロビー団体から始まって、穀物メジャーのカーギル、遺伝子組み換え作物の種のメーカであるモンサント、全米牧畜業者牛肉協会などの農業資本および団体、ファイザーやジョンソン・エンド・ジョンソンなどの医薬品資本、さらには、シティグループなどの金融資本、UPSやDHLなどの物流資本、インテル、マイクロソフト、IBM、GEなどのコンピューター・電機資本、GAP、リーバイス、ウォルマートなどの衣類や小売り関係の資本まで含んでいる。TPPにおける交渉とは、これらすべての企業を相手にするということなのだ。
このようにTPPとの闘いとは、まず何よりもアメリカ帝国主義を代表する巨大独占資本と労働者階級との全世界的な闘いそのものなのだ。
だからこそ全世界の労働組合がTPPに反対している中にあって、唯一TPPを推進を掲げているのが日本の連合である。とりわけ連合の中軸をなすIMF―JC(金属労協)にいたっては「TPP参加が日本再生にとって不可欠との考えに立ち、一刻も早く参加表明を行うよう、ここに緊急アピールを行う」などと主張するありさまだ。また全労連も全労協も労働者階級の闘いの課題としてTPPを取り上げていない。
このような体制内労働運動の屈服をついて日帝・野田政権は、復興特区や道州制攻撃をとおして、労働者の権利を解体し、資本の自由な搾取・収奪にゆだねるTPP攻撃を貫徹しようとしているのだ。 TPPがアメリカ帝国主義を筆頭にした世界の多国籍企業による労働者階級への新自由主義攻撃そのものであり、労組解体攻撃であることを暴露して警鐘を乱打しよう。外注化阻止・非正規職撤廃を掲げ外注化攻撃にストライキで決起している動労千葉を先頭にTPP粉砕の一大闘争に立ち上がろう。
TPPは新自由主義攻撃そのもの
TPP攻撃は世界大恐慌の爆発の中で、最末期の帝国主義が新自由主義攻撃をもって生き延びようとする必死のあがきである。「TPPは多国間協議の仮面をかぶった日米構造協議だ」とも言われる。そのことを鮮明にするために、TPP攻撃に至る歴史を簡単に振り返ってみよう。
1929年の世界大恐慌の爆発と世界のブロック化が第2次世界大戦にまで行き着いたことの「反省」から戦後アメリカ帝国主義を基軸国としたGATT(関税および貿易に関する一般協定)や、WTO(世界貿易機関)が形成された。だが基軸国アメリカの没落の中でWTOのドーハラウンドが破産し、世界はブロック化の方向に突き進むことになった。
その結果、世界的な貿易協定に代わって2国間のEPA(経済連携協定)やFTA(自由貿易協定)およびNAFTAのような地域協定が盛んに締結されるようになっていった。これは世界史的に見れば、アメリカ帝国主義の没落の中でアメリカのドルを中心とした世界経済の擬制的統一が崩壊過程に突入したことを意味する。そのような流れの中でアメリカ帝国主義基軸のブロック化政策としてTPPが出てきた。
1960年代から70年代の末にかけて繊維・鉄鋼・自動車と、製造業で次々に日帝に敗北したアメリカ帝国主義は、1980年代のレーガン政権のもとで「産業競争力委員会」を発足させ、85年の「ヤングレポート」以降、「知的財産権の保護」を掲げた特許戦略などを柱とし、他国に投資・金融面での規制撤廃を迫って全世界に金融資本の進出を強め、自らが相対的に優位に立っていた情報通信産業などでアメリカ方式を押しつけるなどの政策を推進した。
これは、アメリカ帝国主義がそれまでの関税撤廃を柱にした「自由貿易」推進の立場から、他国の「非関税障壁」を問題にしてその撤廃を要求し、後進国半植民地を含む全世界を金融的に蹂躙・支配する新自由主義的な政策に争闘戦の貫徹方法を一変させたことを意味する。
グローバリズムとも呼ばれるアメリカ帝国主義による軍事力を背景にしたこのような競争力推進政策は、日本を含む各国の歴史的に形成されてきた支配のあり方の変更を要求する激しい争闘戦政策であった。
国鉄分割・民営化を突破口に攻撃始まる
このアメリカ帝国主義の攻撃に対して日帝・中曽根政権は86年に「前川レポート」を発表し、国鉄分割・民営化や派遣法の制定などで新自由主義攻撃を自らも展開しつつアメリカの要求を一定程度受け入れた。その結果、アメリカ帝国主義は一定の競争力の回復をなしとげ、逆に日帝は91年のバブル崩壊以降「失われた10年」と言われる長期低迷に陥った。
この現実にショックを受けた日帝・ブルジョアジー主流は93年に「平岩レポート」を発表し、地方と農業の切り捨てを含む市場開放と経済規制の原則撤廃を掲げるに至った。金融資本と製造業を中心とした大独占ブルジョアジーの生き残りのみを追求するあり方に転換したのだ。
そしてそれを突破口として規制改革の動きが始まる。それは95年の日経連「新時代の『日本的経営』」などをとおして終身雇用制と年功制賃金体系を解体し、9割の労働者階級を非正規職とアジア並みの低賃金に突き落とす攻撃の始まりでもあった。
その後もアメリカ帝国主義の日帝への市場開放要求はエスカレートし続けた。89年からの「日米構造協議」、93年からの「日米包括経済協議」、2009年に民主党政権になってからの「日米経済調和対話」など、アメリカ帝国主義はアメリカの多国籍企業の意を受けて日帝の非関税障壁の撤廃を要求し続けてきた。
労働者階級にとって重要なものだけを抜き出しても以下のような攻撃が実際に貫徹された。
97年 独占禁止法改正・持株会社の解禁
99年 労働者派遣法の改悪(人材派遣の自由化)
02年 健康保険において本人3割負担を導入
03年 郵政事業庁廃止、日本郵政公社成立
04年 労働者派遣法改悪(製造業への派遣を解禁)
労働者階級の怒りの反撃で粉砕されたとはいえ、ホワイトカラーエグゼンプションも2006年日米投資イニシアチブ報告書の中に盛り込まれたアメリカの対日要求が出発点だった。
小泉構造改革が典型だが、アメリカの要求に応える形をとって日帝・ブルジョアジーは外注化・非正規職化の新自由主義攻撃を進めてきた。帝国主義としての脱落の危機にあえぐ民主党・野田はこの小泉構造改革路線をTPP攻撃として再度仕掛けようとしているのだ。
動労千葉を先頭にした11月集会派の総決起、闘う労働組合の復権を基軸に三里塚を先頭とする全国の農民や市民と連帯し、TPP攻撃をなんとしても粉砕しよう。
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日本における新自由主義攻撃の歴史
1950年代 日米繊維摩擦
1960年代 日米鉄鋼摩擦
1970年代 日米自動車摩擦
1980年代 日米半導体摩擦
1985年 プラザ合意と円高 アメリカ「ヤングレポート」 1985年
労働者派遣法成立 国鉄分割・民営化閣議決定
16業務に派遣を解禁
1986年 「前川レポート」 国鉄改革8法案成立
1987年 国鉄分割・民営化実施
1989年 「日米構造協議」始まる
1991年 バブル崩壊
1993年 「日米包括経済協議」始まる
「平岩レポート」
1995年 「新時代の『日本的経営』」
1996年 労働者派遣法改悪
16業務が26業務に
1999年 労働者派遣法改悪
対象業務を原則自由に
2001年 小泉内閣誕生
2003年 労働者派遣法改悪
製造業への派遣解禁
2005年 郵政民営化法案可決・成立
2007年 ホワイトカラーエグゼンプション国会提出断念
郵政民営化実施
2009年 自民党政権崩壊
■第3章
国際連帯でTPP阻止――階級的労働運動で闘おう
世界大恐慌の激化とともに、全世界で階級闘争が一斉に火を噴いている。大失業と非正規職化の嵐の中で、インフレ・物価騰貴の下で、世界の労働者は世界革命に向かって闘いを開始している。
ヨーロッパでは、ユーロ崩壊、EUの解体的危機に対して労働者階級の闘いが生活をかけてギリシャから始まりイタリア、スペインに広がっている。ストライキとデモが闘い抜かれている。国家が、帝国主義による労働者支配の体制が累増する財政危機によって崩壊しようとしている時に、まさに労働者革命が課題になっている。
エジプト革命でムバラク独裁政権を打倒した労働者人民は、11月18日、軍事政権に「革命を簒奪するな」とタハリール広場に5万人が集まりデモに決起した。「軍が権限を手放すまでデモを続ける」として一部が座り込みを開始。警官隊が19日朝に強制排除に乗りだしたところ、同日午後には反発した市民数千人が再結集した。警官隊は催涙弾などで鎮圧を図り、デモ隊は投石や警察車両に火を放つなどして応戦した。衝突は20日にも続き、デモ隊の一部は広場にバリケードを築くなど攻勢を強めている。
イラクでは米軍の今年12月完全撤退が決まった。米軍はイラクの労働者人民を殺戮し、イラクの富を強奪し、国土を荒廃させ、イラク労働者人民の怒りでたたき出された。アフガニスタンでは全土の9割以上がタリバン支配下に入り、カルザイ傀儡政権が支配するのは首都カブールなど数カ所と言われる惨状だ。14年完全撤退を前に、米軍はCIAと海軍特殊部隊による夜間襲撃で人民への無差別殺戮に走っている。
米帝が1975年のベトナム敗北に続いてイラク・アフガニスタン侵略戦争で敗北を確定したことは米帝の没落を決定づけるものだ。米帝は重大な敗北を喫して軍事戦略の重心をアジア太平洋に移した。しかし米軍は立ち直れないほど大敗北したのだ。アメリカの労働者階級人民が米帝を打倒する時が来たのだ。
アメリカのILWUとウォール街占拠の闘い
アメリカでは、ILWUローカル21(国際港湾労組第21支部)が、アメリカ西海岸ワシントン州のロングビュー港でEGT(穀物輸出ターミナル)社という日米韓の合弁企業が運営する新たな穀物ターミナル(要するに日韓両国向け)によるTPP導入をにらんだ攻撃と対決している。ILWUからの雇用剥奪、組合破壊と非正規化攻撃にピケットによる穀物運搬列車阻止闘争やEGTの施設占拠闘争などで実力反撃している。この闘いで200人以上が不当逮捕された。この実力闘争がアメリカの労働者に展望を与え、「ウォール街を占拠せよ」という資本の支配の打倒を目指す運動を引き出したのだ。
EGT社には、伊藤忠商事が積極的に参加している。伊藤忠の小林栄三会長は、原発輸出を推進する原子力政策懇談会に参加しているばかりか、「食と農林漁業の再生実現会議」(TPP推進会議)の委員である。
したがってEGT社は、ILWUの労働者の職を奪って路頭に迷わせるだけでなく、TPPによる日韓両国の農民殺しの先兵でもある。EGTとの闘いはILWUの労働者の課題であると同時に、日韓の労働者の課題だ。
アメリカの中枢の金融街=ウォール・ストリートを占拠する運動が9月中旬から広がっている。この運動はまるでエジプトやイスラエルのテント運動のように共感を拡大している。
10月1日、ニューヨーク市警はマンハッタンに向かうデモ隊をブルックリン橋で包囲し、オレンジの網をかけて7
00人以上を逮捕する大弾圧を強行し、この運動はますます怒りを拡大し始めている。
闘いに決起した若者たちの共通のスローガンは「われわれは99%!」「われわれは圧倒的多数派だ、にもかかわらず政府は圧倒的少数の金持ちを救済し、われわれを売り払った!」。
これは完全に米帝国主義打倒をはらんだ革命のスローガンだ。このような階級的なスローガンが若者の自己解放的決起を生み出している。「99%」の運動は今や全世界の青年労働者の共通のスローガンになっている。
この運動の特徴は、マイケル・ムーアやノーム・チョムスキーなどの著名人が支持しているだけでなく、教育労働者や交通労組を始めとした五つの主要な組合が支持・支援しているという点である。
11月2日、アメリカ西海岸で第2の巨大港湾、オークランド港が完全にストップした。巨大な人の波がハイウェーを占拠し、西オークランドの港湾を占拠した。ILWUローカル10(国際港湾倉庫労組第10支部)の組合員たちは、自分たち自身で、冷凍コンテナの安全問題を掲げて、港湾労働を拒否した。銀行、大手スーパーはピケ隊の封鎖によって営業不可能になった。多くのレストランが、「われわれは99%だ。オークランド占拠運動支持」の看板を出して、閉店した。
1週間後の11月9日にはカリフォルニア大学バークレー校で、爆発的な大結集で、巨大な集会と「占拠」運動が行われた。
韓米FTA阻止へ闘う韓国・民主労総
韓国では、韓米FTA(自由貿易協定)批准、済州島海軍基地建設、韓進重工業の整理解雇撤回闘争などをめぐり、労働者階級を始めとした全人民とイミョンバク政権との死活をかけた激突が連日、闘われている。
11月3日には、韓米FTA批准に反対する5千人の集会が開かれ、国会西門から構内へ突入しようとして警官隊と激突、23人が連行された。この闘いでこの日の国会本会議は中止に追い込まれた。10月28日にも7千人の大集会がソウル市内中心部で開かれ、参加者は「人間の帯」となって国会へデモ、国会構内に突入して70人近くが連行された。この時連行された中には民主労総のキムヨンフン委員長や全国農民会総連盟のイグァンソク議長も含まれている。
11月13日には、韓米FTA阻止へ4万人が結集し民主労総の大会が開かれた。動労千葉の訪韓団は大会に合流し、ともに闘い抜いた。
(写真 「韓米FTA阻止」などを掲げ4万人が結集した民主労総の労働者大会。動労千葉訪韓団もともに闘った【11月13日 ソウル】)
「反原発・反失業」の日本の闘い
日本でも大恐慌と3・11東日本大震災が重なり、大失業と原発放射能禍が労働者人民に襲いかかっている。敵階級が仕掛ける階級戦争であり、革命情勢である。日本の階級闘争は反原発・反失業を掲げて、国際階級闘争の最先端に躍り出た。9・19明治公園6万人の反原発集会はそれを示した。反原発闘争の闘いの中から生まれたNAZEN(すべての原発いますぐなくそう全国会議=な全)はその最先頭で闘い抜いた。
革命情勢とは、支配階級がこれまでどおりにはやっていけなくなり、支配階級が分裂し、旧来の支配体制を自らぶち壊して労働者人民の日常生活を根底から破壊する攻撃に出てくる。
他方で膨大な労働者人民大衆が政治過程に引きずり込まれ、苦しみと怒りを募らせ、闘いを開始する。階級的活性化が進み、生きるための闘いが革命への闘いになっていく。そうした情勢をレーニンは革命情勢と言った。
革命情勢にあって、労働者階級人民の任務は何か。プロレタリア革命に向かって「戦略的大準備」をやりぬくことだ。その最大の環は労働組合と労働運動を甦らせることである。野田政権が連合を政権内に取り込んで、労働者人民の革命的決起を全力で抑え込もうとしている。それほどまでに労働者の決起を帝国主義は恐れている。革命を恐れているのだ。
国鉄決戦を土台に、国鉄決戦と反原発闘争をひとつのものとして、マルクス主義を武器にして職場生産点に闘う労働組合を建設していくこと、これを不抜の革命党の建設と一体で推進していくことである。それがプロレタリア革命への最短の道である。
11・6全国労働者総決起集会は、闘う労働組合が勝利する時代が到来したことを鮮明に示した。結集した5950人の一人ひとりが、職場生産点、大学キャンパスや地域・街頭で全力で闘い抜いて結集した。そして反原発・反失業、外注化阻止・非正規職撤廃のスローガンのもとに、米韓独と世界の労働者、福島を始め被災地労働者とともにこの集会をかちとった。
階級的労働運動の前進が資本との階級的力関係を変える土台である。
動労千葉・動労水戸の決起
こうした国際連帯闘争の前進の底には、「労働者こそが社会を動かし社会を変える主体だ」というマルクス主義の思想が脈打っている。それが生きるための抑えがたい欲求となって燃え上がっている。労働者の団結した闘いがある限り、あらゆる所から革命に火がつく。
何よりも国鉄闘争、104
7名解雇撤回闘争は不屈に続けられている。とりわけ動労千葉の外注化阻止闘争の発展と青年部の再建、動労水戸の放射能汚染列車の検修強要に対する実力阻止のストライキと青年の決起が、JR資本を追いつめている。なぜなら今やJR資本は、原発再稼働と原発輸出、高速鉄道輸出に会社の延命をかけているからだ。労働者が団結して闘う時、すごい力を発揮する。これを権力・資本は心底から恐れている。
動労千葉は、組合破壊のための銚子運転区廃止や京葉車両センターにおける執拗な外注化攻撃に対して、11・6集会前日から連日の指名ストに入り、組織拡大によって力関係を変えようと闘っている。
11月5日の労働者国際連帯集会の冒頭、田中康宏委員長はこの闘いの意義について「JRは私たちの職場を大再編しようとしている。来春には千葉だけでも数百人の運転士・車掌を配転し、この配転で労働組合を破壊することが狙いだ。この基地再編のための訓練に対して銚子支部の組合員が本日から訓練を拒否する指名ストに入った。来春に向かって長期にわたる闘いになる。検修・構内業務外注化阻止の闘いと一体で職場から闘いを起こし、腐りきった労働運動の現状を変えていく」と述べた。
また、10月1日実施が阻止された京葉車両センターでの構内運転業務外注化について、JR千葉支社は計画を縮小してでも実施することを狙って激しく動き始めている。来年4月の検修全面外注化の強行をにらみ、なりふり構わず千葉支社管内における外注化の実績をつくろうとしているのだ。JR東労組も、計画の丸のみを前提に裏切り団交を繰り返している。絶対に許せない。
動労水戸は、この間、国鉄決戦と反原発闘争を一体のものとして闘い、画期的な地平を切り開いた。
JR資本は、原発再稼働に突き進む野田政権の最悪の先兵となって、政府が9月30日に緊急時避難準備区域の指定を解除するや、直ちに常磐線の久ノ浜―広野間の営業運転再開を強行した。「原発事故収束」キャンペーンを促進し、人民を切り捨てる凶悪きわまる攻撃だ。
JRは、震災以降、広野駅に放置され、大量の放射能に汚染された車両を勝田車両センターに回送し、その検査業務を労働者に強制し、さらにその車両を営業運転に使おうとした。動労水戸はこれに2波のストライキで立ち向かい、汚染車両の検査を阻止しぬき、青年労働者の組合加入をかちとった。
しかし、JR資本は10月21日、常磐線の原ノ町―相馬駅間の営業運転を年内に再開すると発表した。まさにこれは、「年内に福島第一原子力発電所の冷温停止をめざす」と強弁する東電や野田政権と呼応した動きだ。
原ノ町は福島第一原発から25`圏内に位置する。そこでの検修作業とは、まさにJR労働者・関連企業労働者への被曝労働の強制にほかならない。こうした攻撃を許しているのは、東労組や国労本部のJR資本への屈服だ。
JRに限らず、東日本全域で放射能問題と無縁な職場はひとつもない。野田政権はあくまで原発に固執し、再稼働のみならず新増設さえ狙っている。そのために福島原発事故は収束しつつあるかのようなデマを唱え、労働者に被曝を強い、それでも安全だと強弁している。こうした攻撃と闘わなければ労働者の命は守れない。被曝労働の強制と対決する闘いは、職場の仲間の根源的な怒りを引き出し、行動によって労働者の団結を築き上げるものに必ずなる。
動労千葉や動労水戸のような闘いは、労働者なら本来は誰でも闘えるのだ。労働組合はそのような力をつくりだす。労働者は仲間の解雇や死を絶対あいまいにしない。他人の痛みを自分のこととして考えられる存在だ。問題は組合指導部と活動家がその先頭に立って闘えるかどうかだ。野田や経団連の米倉ではなく、自分たちこそがこの社会を変え、生きられる社会をつくる。この確信に立ちきり闘うことだ。
(写真 放射能汚染車両の検修業務に反対してストライキに決起した動労水戸【10月13日 勝田車両センター】)
国鉄全国運動の発展を
日帝・中曽根による1980年代の理不尽な国鉄分割・民営化の強行は、今日、外注化・非正規職化の攻撃として社会に蔓延した。だが、今やその嵐の中から非正規労働者の闘いが火を噴き始めた。郵政非正規ユニオンを始めとした非正規職撤廃の闘いは全労働者の課題であり、動労千葉―国鉄闘争と一つの、今日的実践そのものだ。
国鉄闘争全国運動は、闘う労働組合再生の闘いである。@解雇撤回・民営化絶対反対、A全国的陣形の形成、B職場闘争、C解雇者を支える基金運動という基軸を創造的に駆使し闘いを進めよう。
9・19から11・6の大闘争は、労働者階級人民の反転攻勢の歴史的な合図となった。これを跳躍台として、被災地と大阪での橋下との闘いを先端に、郵政、自治体、教労を始め全産別・職場で外注化・非正規職化との闘いを実践しよう。職場細胞と拠点建設、青年の獲得を具体的にめざし、猛然と労働者の怒りと誇りを奪い返す闘いに立とう。
反原発も、TPP粉砕も、辺野古新基地建設阻止も、労働組合の再生と前進こそが絶対負けない闘いを支える。労働者の中へ原則的かつ柔軟に分け入り、11月闘争の地平の拡大として、国鉄闘争全国運動を解雇撤回・物販闘争を水路にさらに発展させよう。
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月刊『国際労働運動』(425号4-1)(2012/01/01)
■討議資料
●資料/経団連と連合のTPPに関する見解
「経団連成長戦略2011」―民間活力の発揮による成長加速に向けて―
2011年9月16日 日本経済団体連合会
(TTP関連部分のみ)
(4)TPPをはじめとする高いレベルの経済連携促進
【経団連としての取り組み】 国内に立地にする企業にとって、他国企業に劣後しない競争条件の確保は最低条件である。経団連は、提言の公表に加えて、国民との対話を行いつつ、引き続き、高いレベルの経済連携の推進を促していく。
【経団連としての取り組み】 国内に立地にする企業にとって、他国企業に劣後しない競争条件の確保は最低条件である。経団連は、提言の公表に加えて、国民との対話を行いつつ、引き続き、高いレベルの経済連携の推進を促していく。
1、 現状・問題意識
1、 現状・問題意識
経済活動のグローバル化が進展し、それに伴って企業のサプライチェーンもグローバルに拡大、緊密化するなか、各国とも自由貿易協定(FTA)・経済連携協定(EPA)のネットワークを拡大し、自国経済の発展や自国企業の事業活動に有益なものとなる、シームレスな事業環境の実現に注力している。
他方、わが国は、これまでに署名・締結した13件の経済連携協定の相手国が貿易総額に占める割合が17・4%に止まっており、経済連携の推進において競争相手国からの後れが目立つ。自動車、エレクトロニクスなどの基幹産業において、わが国企業と激しい競争を行っている韓国では、貿易総額に占める経済連携協定相手国の割合が35・6%であるのに比べて、約20%もの大差がある。
とりわけ、わが国にとって、他国に見劣りしない事業環境の整備は、国際競争の土俵に上がるために最低限の条件である。わが国経済の強みである基幹部品やその組み合わせであるユニット等の生産・研究開発拠点、エネルギー・環境分野における要素技術、さらに、それらに伴う国内雇用をつなぎとめておくためにも、他国との公平な競争条件を確保する必要がある。その上で、わが国企業にとって望ましい国際事業環境を整備するため、従来の受動的・状況適応型の姿勢から脱却し、主体的・戦略的な通商政策を展開していくことが求められる。このような観点から、税制、為替といった面での差を埋めるとともに、わが国の主要貿易相手国である中国、米国、EUとのEPAを締結することが不可欠である。
とりわけ、TPPは幅広い分野で新たな時代に対応したルール作りを目指すものであり、アジア太平洋自由経済圏(FTAAP)においてのみならず、グローバルなルールへと発展する可能性がある。そのようなTPP交渉への参加判断がこれ以上遅れ、一旦合意が出来上がってから参加することになれば、わが国の事情や主張が反映されない枠組みを一方的に受け入れざるを得ない。TPP交渉参加9カ国は、11月のAPEC首脳会議までの大枠合意を目指しており、残された時間は極めて少ない。
TPPに参加すれば、関税・非関税障壁の撤廃・ルールの整備等を通じ、TPP参加国におけるわが国企業の競争条件・ビジネス環境の改善や、それを契機とする、貿易・投資量の拡大、ビジネス機会の拡大につながる。これにより、わが国における雇用維持・創出のみならず、技術流出の防止、知的財産の保護、海外事業におけるハンディの解消、さらには輸出を通じた企業の生産性向上が期待される。また、21世紀型の新しいルール作りにわが国の主張を反映することや、わが国が強みを持つ先端技術や環境技術の基準を、世界の「標準」とすることでビジネス機会は一段と拡大し、国内生産拠点の維持にも寄与する。
しかし、不参加の場合には、こうしたメリットは享受できない。わが国企業の輸出額は減少し、完成品・基幹部品、ユニットなどの国内生産拠点は、より有利な立地条件を求めて、生産コストが低く、旺盛な需要が期待される新興国や、最終輸出先と経済連携協定を締結した第三国へと移転してしまう。
2、打開策(当面〜短期)
輸出・投資を通じて世界の需要を、わが国経済に取り込んでいくためにも、諸外国の動きに遅れることなく、外交・通商政策を戦略的に展開し、わが国にとって望ましいルールができる限り広範な国・地域で適用されることが望ましい。
具体的には、2020年のFTAAP構築を視野に、TPP交渉への早期参加と並行して、日中韓FTAの早期交渉開始等を通じてASEAN+6(CEPEA)を推進するとともに、EUとの経済統合協定(EIA)交渉を早期に開始すべきである。昨年11月の「包括的経済連携に関する基本方針」で明らかにしたとおり、「国を開く」との方針に基づき、グローバル競争に耐えうる国内改革を着実かつ迅速に進めることが不可欠である。
その際、経済連携の推進にあたっては、国民の理解を得ることが重要であり、経済連携によって得られるメリットを政府全体として積極的にアピールしていくことが必要である。なお、農業については、農業従事者の高齢化と後継者難など、他産業と比べ、競争を支える基盤が相対的に弱体化している状況を鑑み、関係諸団体との相互理解を深めつつ、後述するように、あらゆる政策手段を講じて、競争力の向上や海外における需要拡大を図ることにより、新たな成長産業としての再生を目指すべきである。
「TPP(環太平洋パートナーシップ協定)に係る総理会見についての談話」(抄)
2011年11月14日 連合事務局長
わが国の経済成長と発展の基盤を再構築するうえで包括的経済連携の強化は重要な政策課題の1つであり、TPP交渉参加に向けた歩みを進めるとの野田総理の判断は是としたい。
しかし、TPPに関する政府の説明不足が国民各層から指摘されており、各分野における懸念も払拭されていないことから、政府の情報開示はもとより、国内対策、さらには、国民的な合意形成への道筋を示すことが大きな課題である。
TPPへの交渉参加が、わが国の経済成長と雇用創出はもとより、アジア太平洋地域における公正で持続可能な発展につながるよう、政府は交渉戦略の確立と体制整備に早急に取り組む必要がある。
中核的労働基準の遵守、安易な人の移動の制限、強い農業の構築等への留意を前提とした包括的経済連携の推進を政府・民主党に求めてきた。
今後は、TPPが農林水産、食品、医療・介護をはじめ幅広い分野に影響を及ぼす可能性があることを踏まえ、TPP参加に係る懸念事項と必要とされる対応策等を整理し、政府の適切な対応を求めていく。
併せて、政府に対しては、国民への適切な情報開示と国民的な合意形成に向けた丁寧な対応を要請していく。
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月刊『国際労働運動』(425号5-1)(2012/01/01)
■Photo News
●カリフォルニア大学バークレー校で巨大な占拠運動
(写真@A)
11月2日のオークランドの歴史的ゼネストに引き続き、11月9日には隣町のバークレーで、校内占拠のテント村建設の闘いが開始された。これに対し、学内警察が警棒で襲撃し、学生たちを激しく殴打したり、突いたりした(写真@)。だが、数千人の学生たちは、固くスクラムを組んでこの襲撃を粉砕した。学生たちは、「教育は学費ローンの地獄だ!」「教育予算カットするな! 授業料をなくせ!」と叫び、闘いを断固継続する決意を固めた(写真A)。
15日には大学トライキが呼びかけられ、16日には理事会の会合を阻止する闘いが呼びかけられている。学生たちの歴史的反撃の闘いが開始された。
●オークランド市、ゼネストに突入
(写真BC)
11月2日、帝国主義世界体制の心臓部・アメリカでついにゼネストが爆発した。1946年のオークランド・ゼネスト以来、65年ぶりのゼネストだ。このゼネストは、10月25日の市庁舎前広場の占拠運動を破壊する機動隊の殺人的襲撃に抗議する緊急行動として提起された。組織する期間が極めて短いにもかかわらず、オークランド教組、SEIU1021支部、チームスターズ・ローカル70、カリフォルニア看護師労組などの労働組合が賛同し、大挙してゼネストに参加したため、ゼネスト当日には市内を数万人のデモ隊が埋め尽くした(写真B)。
米西海岸第2の巨大港湾、オークランド港もピケ隊によって占拠され、完全に機能停止に陥った(写真C)。 この闘いは全米1000カ所以上で行われている「占拠運動」と連帯し、それを牽引する巨大な闘いとなった。
●韓進闘争が終結! キムジンスクさん、笑顔でクレーン降りる
(写真DE)
11月10日、韓進重工業の整理解雇撤回を求めて高空籠城闘争を続けていた民主労総釜山本部のキムジンスク指導委員が、ついに自分の足でクレーンを降りてきた!前日の9日、労使交渉が労組の要求を会社側が一定のむ形で妥結。最後の足掻きとしてキムジンスクさんの逮捕を狙った権力と韓進資本の策動をも実力で粉砕し、10日午後、全組合員の総意で闘争終結が宣言された。そして、ともに闘った多くの仲間が見守るなか、こぼれるような笑顔のキムジンスクさんが、309日にわたる籠城闘争を終えてクレーンを降りたのだ(写真DE)。
韓進重工業労働者の闘い、キムジンスクさんの闘いは、資本による労働者へのほしいままな首切り攻撃に正面から立ち向かい、新自由主義攻撃を打ち破っていく偉大な突破口を切り開いた。13日には、民主労総による全国労働者大会が開かれ、イミョンバク政権への追撃の宣言が発せられる。
●中国で農民暴動
(写真FG)
11月12日、広東省中山市東昇鎮益隆村で、村の幹部が土地を独断で開発業者に売り渡したことに抗議して村民が暴動に立ち上がった(写真FG)。土地の売価は日本円にして総額50億円程度といわれる。激怒した村民たちは、工場に放火し、3000人の警官隊と衝突して、350人が虐殺され、1000人が負傷したといわれる。中国各地で同様の事件が発生しており、農民の怒りは各地で爆発している。
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月刊『国際労働運動』(425号6-1)(2012/01/01)
■世界経済の焦点/欧州金融恐慌の拡大と激化
ドイツの反対で「最後の貸し手」が不在に
ヨーロッパ金融恐慌から世界大恐慌は「2番底」に突き進んでいる。
ギリシャ危機は、ついにイタリア危機に波及し、「大きすぎて救済できない」(オーストリアのフェクター財務相)。スペインも危機線上にあり、東欧に拡大している。独仏協調を基礎に成立したユーロ体制は10年を経て崩壊は不可避である。帝国主義間・大国間の争闘戦が激化し、国家間の生き残り競争に突入している。
□危機は南欧から東欧へ
ギリシャ危機が顕在化したのは2009年秋、パパンドレウ政権が発足し、前政権の財政赤字を暴いた時であった。パパンドレウは11月9日ギリシャの労働者階級によって打倒された。10年5月にギリシャに1100億ユーロの支援と7500億ユーロの緊急支援制度が発足し、11月にアイルランドに850億ユーロの支援が、今年5月にポルトガルに7810億ユーロの支援がEUとIMFによって行われたが、危機は深まる一方であった。
今年5月にはギリシャの第2次支援が必要となった。7月にギリシャへの1090億ユーロの支援と民間金融機関の保有するギリシャ国債の21%の減免と欧州金融安定基金(EFSF)の機能強化が合意された。
10月26日にユーロ圏首脳会議で欧州債務危機の包括戦略が合意されたが、11月7日にはイタリア国債利回りは7・4%と支援要請を不可避とする水準を突破した。17日にはスペイン国債利回りも6・8%に高騰した。16日にはスロベニア国債が7%を突破、18日には通貨安に悩むハンガリーがIMFや欧州連合(EU)との協議開始を表明した。
11月12日、イタリアのベルルスコーニ前首相は、パルチザンが好んでうたった「ベッサラ・チャオ」(「ある朝、起きると侵略者がいた……」)の大合唱の中で打倒された。
債務危機が実体経済に悪影響を与えており、ユーロ圏経済は今年7〜9月期から来年4〜6月期までゼロかマイナス成長になる可能性がある。
□欧州債務危機の「包括戦略」
10月26日にEU27カ国とユーロ圏17カ国の首脳会議で合意した欧州債務危機の「包括戦略」について見てみる。
包括戦略は大きくは@ギリシャ支援の拡大、A欧州金融安定基金(EFSF)の規模拡大、B銀行の資本増強の3点。
(1)ギリシャ国債50%減免の「計画的デフォルト」
7月に合意したギリシャ第2次支援策の中のギリシャ国債の民間投資家の損失負担を21%から50%に拡大した。減免額は額面で1000億ユーロ(約10兆6千億円)に達する。自発的に減免を受け入れるという前提であるが、どれだけの銀行が「自発的」に参加するかは不明である。ギリシャ国債を最も持っているギリシャの国内銀行の損失は大きい。ギリシャの借金を半減した結果、ギリシャの銀行救済費用が増加しかねない危険性をはらんでいる。
国際スワップ・デリバティブ協会は、「自発的」であればCDS(債務不履行に備えた保険の金融商品)の損失補填の支払いが発生しないとしている(10・28付日経)。しかし国債額面の5割の損失が発生するのに、保険としてCDSが機能しないとすれば、投資家はユーロ圏国債の投げ売りに走りかねない。
(2)欧州金融安定基金(EFSF)の規模拡大
EFSFは、EUが危機に陥った国を救済するため苦肉の策で設けた政府間協定による3年間の有限責任会社。ユーロ圏以外の投資家の資金を呼び込みEFSFの保証能力を1兆ユーロに拡大しようとしている。
投資家の損失の一部を穴埋めする案と、特別目的会社(SPC)をつくって投資資金を呼び込む案の二つを併用し、EFSFの利用可能額を1兆ユーロ(約106兆円)に高めるとしている。仮にEFSFの2000億ユーロを原資に使って5倍の外部資金を呼び込むことができれば、1兆ユーロの支援が可能となる。ただ、この仕組みは民間や新興国などの投資家が資金を投じてくれなければ成り立たない。「80%が空欄のチェック(小切手)じゃないか」(米財務省関係者)といわれるゆえんである。
そもそも1兆ユーロ規模で足りるかという問題がある。スペインとイタリアの債務残高は合わせて2・5兆ユーロを上回る。シティグループによると、イタリア、スペインの13年4〜6月期までの資金需要を考えると2・5兆〜3兆ユーロが必要としている。
(3)銀行の資本増強
事態はギリシャ危機からEUの銀行危機に発展している。10月に仏・ベルギー系大手銀行デクシアが経営破綻し、国有化された。デクシアは今年7月の欧州銀行のストレステストを通過していた。
問題は国債を満期まで保有する「銀行勘定」にしておけば損失はゼロとされていたことにあった。欧州銀行監督機構は、今回のストレステストでは中核的自己資本は9%に高め、国債の「銀行勘定」にも時価評価を反映する方針である。
IMFはEUの銀行が2000億ユーロ(約21兆円)の損失を抱えている可能性があると発表した(9・21)。国債価格が一段と下落しているので損失はさらに拡大している。
EUは欧州銀行の必要増資額は1000億ユーロとし、自力増資、各国政府による支援、EFSF資金の活用でまかなうとしている。銀行は公的資金の注入を嫌うため、現実には分母となる貸し出しを圧縮する貸し渋りや資金回収が強まる恐れがある。
11月に入ってイタリアやスペインの国債価格が一段と急落し、「包括戦略」の土台が崩れている。
(図 欧州主要金融機関による財政悪化5か国の国債保有残高【億円】)
□イタリア国債利回り7%を超える
11月9日、ついにイタリア国債の利回りが7・4%になった。国債利回り7%は自力で市場から資金調達できなくなる限界である。
引き金を引いたのは欧州の清算・決済機関(LCH)による証拠金引き上げ。LCHの規定では国債取引の場合、トリプルA国債との利回り格差が4・5%を超えると追加の証拠金を求める。証拠金が上がると、投資家は追加の証拠金を納めるのを避け、取引を清算する動きが広がりやすい。イタリア国債は世界第3位の市場規模があり、欧州に投資するほとんどの投資家が保有している。皆が少しずつ持ち高を減らそうとするだけで大量の売り注文になり、欧州中央銀行(ECB)だけでは支えきれなかった。
イタリアのGDPはギリシャの7倍、国債残高は1・8兆ユーロ(約190兆円)でギリシャ(3300億ユーロ)の5倍強である。国債償還費用は12〜13年で約6000億ユーロが必要で、4400億ユーロというEFSFの融資規模では全面支援が不可能である。
イタリアの今年の財政収支見込みはGDP比マイナス4・0%である。金融市場の信認回復には財政再建の着実な実行しかなく、IMFやEUの事前監視でなんとか切り抜けようとしているだけで打つ手がない。
イタリアはユーロ圏第3位の大国であり、G8メンバーである。北部を中心に自動車、精密機械、ケミカル、電気機器などの製造業が発達している工業国であるが、大半は中小規模の家族経営である。衣料・靴などファッション・アパレル関係でも有名である。工業的な「北部」と、相対的に低所得で農業・観光が中心の「南部」に分かれている。南北問題を抱え、ベルルスコーニ政権の連立与党であった「北部同盟」は財政連邦主義を主張している。
イタリア経済にはいろいろ問題があるが、最大の問題は巨大な累積債務。ユーロ参加以前から借金大国で1999年の公的債務は114%であった。11年の政府累積債務予測は121%。プライマリーバランス(国債利払いなどを除いた基礎的財政収支)はドイツに並んで黒字であるが、巨大な累積債務を解決できなかったことが市場に直撃された。金融大手クレディ・スイスによれば、国債利回りが6〜6・5%を下回らなければイタリアは債務残高の維持が難しいという。
昨年春以来相次ぐ財政スキャンダルで政権与党が分裂し、「問題は信頼の欠如」(ラガルドIMF専務理事)といわれたベルルスコーニ首相は打倒された。
□妥協の余地ない独仏
「ギリシャがユーロにとどまるのが望ましいが、それより重要なことはユーロの安定だ」(メルケル首相)
これは11月のG20を前にして、仏サルコジ大統領とともにギリシャのパパンドレウ前首相に語った言葉である。だが、この言葉はサルコジ大統領にも向けられていた。
10月19日、財政負担増による国債の格下げを避けたいサルコジ大統領は欧州安定基金の強化に欧州中銀(ECB)の資金の拠出を求めたが、ドイツは中銀の信頼を損ねるとして「1ミリも動かなかった」(10・29付日経)。
1989年、東西ドイツ統合を前に、統合ドイツが強くなりすぎるのを恐れる近隣諸国の懸念を抑えるために、ドイツ(コール首相)は自国のマルクを捨てて通貨統合に進む道を選んだ。フランス(ミッテラン大統領)とイギリス(サッチャー首相)間には、「1989年9月から90年3月まで英仏同盟が存在し、ドイツ統一を遅らせようと試みた」(当時サッチャー英首相の外交顧問のパウエル)。フランスは統合が不可避となるや、ドイツが再び欧州の覇者となることを恐れ、通貨統合によってドイツを欧州統合の中にしっかりと組み込もうとした。
1993年、共通通貨導入についての提訴でドイツ憲法裁判所は次のような判決を下した。「通貨統合については、あらかじめ当事国が通貨安定協定を締結し、通貨統合後、加盟国がこの協定を遵守することが条件である。統合後、この条件が満たされないようであれば、ドイツは通貨統合から離脱しなければならない」と。これを受けて、ドイツ政府は安定成長協定を締結し、マーストリヒト条約には通貨価値を守らない国は統合に参加できない旨が明記された。
9月7日、ドイツ憲法裁判所は、決定済みのギリシャ支援などが違憲だとする訴えは退けたが、「今後は1件ごとに連邦議会(下院)の委員会の承認を得る必要がある」との見解を示した。これを受けて10月26日、メルケル首相はEU包括戦略の合意を前にドイツ連邦議会の演説で「ドイツの保証上限は維持し、欧州中央銀行は基金に関与させない」と訴え、承認を得た。
かつて第1次世界大戦後、1兆倍というハイパーインフレを経験したドイツにとってECBの独立の維持とユーロ価値の防衛(物価安定)は、国是となっている。
反対に、ハイパーインフレの経験がないフランスは、インフレよりも経済成長を重視し、財政規律が弱い。独仏の妥協の余地がますますなくなっている。
第5章 □「最後の貸し手」のないユーロ
□「最後の貸し手」のないユーロ
EU基本条約は財政危機や債務危機を想定していない。また、救済禁止条約によって、EUおよび加盟国は政府機関などの債務保証や引き受けを一切禁じられている。
ECBは無制限な資金供給による金融緩和策を禁止している。「最後の貸し手」がない。金本位制下での金融恐慌≠フような典型的な金融恐慌に進展していかざるを得ない。
「ユーロにとどまるか出るのかはっきりさせろ。それまでは1kも出さない」と、サルコジ大統領とメルケル首相は国民投票を呼びかけたパパンドレウ前首相につきつけた。「ユーロを守るために労働者は死ね」というのが帝国主義者の本音なのだ。
(常木新一)
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月刊『国際労働運動』(425号7-1)(2012/01/01)
■世界の労働組合 ドイツ編
ドイツ勤務医労組マールブルク連盟(Marburger Bund:MB)
ドイツ勤務医労組マールブルク連盟(Marburger Bund:MB)
■概要
マールブルク連盟(MB)は、ドイツの病院に勤務する医師たちの労働組合である。約10万8000人の組合員を擁するが、ドイツ全体の病院勤務医の数は約14万6000人であり、勤務医の70%を超える医師たちが加盟しているヨーロッパ最大の勤務医労組である。
MBは、1947年にマールブルクで大学病院に働く医師たちによって「働く若い医師グループ」としてスタートした。1948年5月に「勤務医労働組合マールブルク連盟」と改名し、ミュンヘンに本部を設立した。後にホワイトカラーを中心に組織するドイツ職員組合(DAG)に加わり、DAGはほかの4つの労働組合と統合して2001年にドイツ最大労組の統一サービス産業労働組合(Ver.di)となった。しかし2005年、MBは本部をベルリンに移し、その年の108回総会で、DAGから独立して単一の勤務医労組として活動することを決定した。
■勤務医の劣悪な労働条件
ドイツの大学病院や公立病院に勤務する医師の労働環境および労働条件は非常に厳しく、勤務医の給与が適正でないため医師不足は恒常化しており、結果的に勤務医が過酷な労働を強いられる労働環境をつくり出していると、MBは主張している。
特に若い医師たちは非正規雇用に貶められており、中には契約期間が4週間というひどい状況で働かされている人たちもいる。夜間勤務の後、休憩なしで引き続き日勤が強制されるなど、週に70時間勤務も一般的で、超過勤務手当も代休も与えられてない。また、政府は健康保険の財源逼迫を理由に、2006年1月に新たな法令によって、患者の入院期間を短くしてより多くの患者を受け入れるシステムを導入し、医師はより一層の過酷な労働を強いられることになった。
このような劣悪な労働環境・労働条件のもとで、勤務医たちは医療の研究や後輩の指導をする時間的余裕もなく、また新たな制度による健康保険の書類作成の煩雑さで仕事を家に持ち帰らざるをえなくなっている。その結果、多くの勤務医が海外に職を求めてドイツを去っているという。
(写真 「大学勤務医はもう限界」とプラカードを掲げてデモをするMB組合員【2011年9月】)
(写真 5%の賃上げ夜間勤務の報酬を要求してデモに起つMB組合員たち【2011年9月】)
■3カ月間続いた全国規模の勤務医ストライキ
職場環境と報酬の改善を求めて、MBは雇用者団体ドイツ各州賃金共同体(TdL)と団体交渉を続けてきたが、TdLが賃上げを一切拒否したため、大学病院や州立病院の医師たちの投票による圧倒的多数で、2006年3月に、各州の病院勤務医が30%の賃上げと労働条件の改善を求めてストライキに突入した。全国規模の医師によるストライキは、ドイツで初めてであった。
このストライキは3カ月に及び、この年にワールドカップがドイツで開催されたが、その6月になってようやく労働協約が妥結した。この期間には診察が中止され緊急以外の手術は行われなかったが、市民はストライキに好意的であった。
■ランク&ファイルの医師たちの闘いは続く
しかしながら、病院で働く医師たちの労働環境・労働条件は改善されず、2008年にMBは病院の財政悪化を緩和するための国の緊急プログラムを要求している。「私たちは、もはや長時間におよぶ労働時間と残業手当の不払いを伴う、ケチな州のシステムを支えることはしない。状況は完全にがまんの限界を通り越している」と、ルドルフ・ヘンケ委員長は語った。今年の9月にも5%の賃上げと夜勤の報酬を求めてMBはストライキに立ち上がっている。
医師の過酷な労働条件は、患者の治療がおろそかになるのを余儀なくさせるものであり、人々の生活の安全を破壊するものである。日本でも病院勤務医の長時間労働は問題になっているが、一向に改善される方向に向かっていない。患者の命を守る医師たちも、「闘いなくして安全なし」と組合を組織して決起しよう。
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月刊『国際労働運動』(425号8-1)(2012/01/01)
■国際労働運動の暦 1月18日
■1912年プラハ協議会■
ボルシェビキ党建設
ロシア革命勝利へ解党主義を打ち破り階級的労働運動の路線を確定
ちょうど100年前の1912年1月、プロレタリア世界革命に向かっての闘いにおいて決定的な一歩が踏み出された。プラハで開かれたロシア社会民主労働党第6回協議会である。
●メンシェビキを追放
1905年革命に対するロシア・ツァーリズムの帝国主義的反革命的再編路線の破産、飢餓と失業者の増大に現れた社会経済危機、1910年末に始まった労働運動の再高揚という情勢の中、1912年1月、3年ぶりの党協議会(党大会に準ずる)が開かれた。03年の大会以来、ボルシェビキとメンシェビキは、レーニンとマルトフの党規約をめぐる論争(民主的中央集権主義か、否か)を通して決定的に対立していた。この12年プラハ協議会において、レーニンはメンシェビキと決別しボルシェビキ党として自らを確立する道を歩んだ。
レーニンとボルシェビキは、一方で非合法党を解散しようと主張するメンシェビキの解党主義、他方で革命的議会主義を放棄し「第3国会から社会民主党議員を召還せよ」と主張するボルシェビキ内召還主義の二つの傾向と闘い、メンシェビキなどと最後的に決別し、自己を党として確立した。協議会は、現在の情勢における「革命的危機の成長」を確認し、「農民を率いるプロレタリアートによる権力の獲得」をめざすことを宣言した。
プラハ協議会は「現情勢と党の任務についての決議案」で、「ありとあらゆる合法的可能性を、いままでよりも広く利用し、プロレタリアートの経済闘争を指導する能力をもち、プロレタリアートのますます頻繁になる政治的進出を一手に指導することのできる、ボルシェビキ党の非合法組織を再建するために強力に活動する必要がある」と特別決議を上げた。労働運動に猛然と進撃し、メンシェビキ、エスエル(社会革命党)との労働運動をめぐる党派闘争に勝利していった。
このプラハ協議会で、ボルシェビキは、@階級的労働運動路線、A革命的議会主義、B機関紙(特に合法日刊紙「プラウダ」の創刊を決定)と労働者細胞建設の路線を確立し、その実践を貫いていった。
(写真 ボルシェビキを率いてロシア革命を指導したレーニン)
●労働運動の大衆的高揚
同年4月のシベリア・レナ金鉱のストライキ労働者170人の虐殺は、全ロシア・プロレタリアートの抗議ストライキの嵐を呼び起こした。労働運動の革命的高揚は、第1次世界大戦が開始されるまで2年間にわたった。
「一九一二―一九一四年代は、ロシアにおける新しい壮大な革命的高揚のはじまりを意味した。われわれは、ふたたび世界未曽有の偉大なストライキ運動の目撃者となった。大衆的な革命的ストライキは、一九一三年に最低に見積もっても一五〇万人の参加者をまきこみ、一九一四年には参加者は二〇〇万人をこえ、一九〇五年の水準に迫った」(レーニン『社会主義と戦争』)
そして、1914年、第1次世界大戦の勃発に際し、第2インターナショナルの社会排外主義、祖国防衛主義への転落に反対して、レーニンとボルシェビキは「帝国主義戦争を内乱へ」の路線を鮮明に掲げ、ロシア革命を勝利に導いた。
ロシア革命はなぜ勝利できたのか。それはツァーリズム下での非合法・非公然の闘いの試練などに耐えて鍛えられ生き残った党が、プラハ協議会以降、メンシェビキと決別し、労働組合・労働運動と結びつき、それと一体的に密着して闘う拠点をつくり、まさに労働組合・労働運動に内在した強固な勢力・潮流として根を張り、革命的情勢の到来の中で正しい指導性を発揮して闘ったことによってである。革命的情勢に「革命的階級の能力」、具体的には闘う労働運動とそこに強固に内在した党の闘いが結びついた場合にのみ、革命は勝利できることを教えている。
実質的な党大会である党協議会の次の第7回は17年2月革命後の4月(レーニンが4月テーゼを提起)である。
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ロシア革命年表
1898年3月 ロシア社会民主労働党創成
1903年8月 ボルシェビキとメンシェビキに分裂
1904年8月 日露戦争が始まる
1905年1月 血の日曜日事件
6月 第1次ロシア革命
1907年8月 第2インター、シュトゥットガルト大会で帝国主義戦争反対を表明
1912年1月 プラハ協議会
10月 バーゼル宣言 「戦争反対」を再確認
1914年7月 第1次世界大戦が始まる
8月 ドイツ社民党、戦時公債に賛成
1915年9月 ツィンメルワルト会議
1917年2月 2月革命、労兵ソビエト結成
4月 レーニン帰国、「4月テーゼ」発表
10月 武装蜂起、10月革命
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月刊『国際労働運動』(425号9-1)(2012/01/01)
■日誌 2011年10月
1日東京 郵政非正規ユニオン、多摩支店にデモ
郵政非正規ユニオンは、斎藤裕介委員長らの雇い止め撤回と、当局の脅迫行為の謝罪・撤回を求めて日本郵便東京多摩支店へ抗議デモを行った
1日東京 共謀罪国会提出阻止へ集会
中野勤労福祉会館で「甦らせるな!共謀罪/汚い捜査手法%ア入反対!総決起集会」が開かれた
1日大阪 京大原子炉実験所に抗議
京大原子炉実験所開催の一般公開「アトムサイエンスフェア」が行われ、京大生ら100人が抗議行動を展開した
2日大阪 大阪で関西青年労働者集会
「この社会を青年の手に奪い返そう!関西青年労働者集会」が、エルおおさかで開催された
2日千葉 千葉県三里塚集会開く
千葉県三里塚集会が、DC会館で開かれた
2日沖縄 基地・原発・失業なくせ、沖縄集会
「反原発・反失業、沖縄米軍基地撤去沖縄労働者集会」が那覇市の教育福祉会館で開催された
2日北海道 伊藤晃さんを講師に北海道集会
札幌で国鉄闘争全国運動・北海道の「反原発・反失業!北海道労働者集会」が開催された
2日富山 フクシマの怒りと結ぶ北陸集会開く
富山市内で「フクシマの怒りとひとつに北陸労働者集会」が行われた
3日東京 子ども福島が対政府交渉
子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク(子ども福島)などが主催する「区域外避難(自主的避難)に賠償を求める院内集会/『避難の権利』確立へ」が参議院議員会館で行われた
5日新潟 斎藤さんの解雇撤回総決起集会
新潟市で斎藤さんの再任用解雇を撤回させる総決起集会が開かれた
6日東京 福島と連帯し法大包囲デモうち抜く
「原発反対! 弾圧職員追放! フクシマ連帯!」のスローガンで法大包囲デモが打ち抜かれた
7日東京 福島と結び弁護士・市民集会
霞が関の弁護士会館で、反原発弁護士・市民集会が開催され250人が参加した
7日宮城 仙台で福島県教組迎え集会
エルパーク仙台で開催された「すべての原発いますぐなくそう! みやぎ集会」で、福島県教組双葉支部の仲間が現地報告をした
8、13日茨城 動労水戸、2波のストで検査阻止
動労水戸は、JR東日本による被曝労働強制と外注化に反対し8日と13日の両日、ストに立ち、汚染車両の検修業務、清掃作業を中止させた
8日広島 中四国青年労働者集会かちとる
広島市東区民文化センターで開催され45人結集
8日千葉 首都圏青年労働者集会に200人
首都圏青年労働者集会が、千葉市で行われた
8日千葉 合同一般全国協2回大会開く
合同一般全国協議会の大会が千葉市で開催された
9日千葉 三里塚全国総決起集会に1045人結集
三里塚全国総決起集会が成田市東峰で開催された。三里塚芝山連合空港反対同盟は、福島連帯・原発再稼働阻止、農業を壊滅させるTPP(環太平洋経済連携協定)絶対反対、市東孝雄さんの農地を守る決戦への突入を宣言した
10日福島 NAZENフクシマを結成
福島で「すべての原発いますぐなくそう!全国会議(NAZEN)・フクシマ」が結成された
11日千葉 10・11団結街道裁判の口頭弁論
千葉地裁で三里塚の団結街道裁判の口頭弁論が開かれ、原告の市東孝雄さんを先頭に闘った
13日東京 国労臨大弾圧裁判 高裁有罪判決弾劾
国労5・27臨大闘争弾圧裁判で東京高裁は、国労組合員6被告の控訴を基本的に棄却し、被告を有罪とする反動判決を出した
13日東京 JP労組中央委弾劾の情宣活動
JP労組の第8回中央委員会が品川で行われ、交流センター全逓部会などが情宣活動を行った
14日東京 ILWUに連帯し伊藤忠本社に抗議
動労千葉と全国労組交流センターは、米港湾で労組つぶしを行っている伊藤忠商事の本社(青山)に対して抗議・申し入れ行動を行った
15日福島 郡山で集団疎開裁判勝利へ集会
「ふくしまの子どもを守れ!郡山集会&デモ」が行われ、福島県内や全国から300人が参加した
15日新潟 JR青年先頭に集会
新潟市内で「自分たちの力で労働組合を甦らせよう 10・15集会」が行われた
15日愛知 大野義文さんを迎え東海で集会
名古屋市内で東海労働者集会がかちとられた
16日山梨 北富士、日米共同演習を弾劾
反戦共同行動委員会は、「北富士での日米共同演習反対/10・16現地集会」を山梨県忍野村忍草(しぼくさ)で開催した
16日秋田 「共に闘う会」が国鉄・反原発行動
秋田市ジョイナスで国鉄・反原発行動を闘った
16日大阪 西郡、住宅追い出しに戦闘宣言
八尾市西郡の幸第2公園に150人が結集し、反原発・住宅・狭山全関西集会がかちとられた
17日京都 京都大で等々力さん招いて集会
京都大学で「子ども福島」の等々力隆広さんを招いて「反原発×大学奪還集会」を開いた
18日東京 首都圏で佐藤さんを招いて集会
佐藤幸子さん(子ども福島)を招いて首都圏学生集会が開かれた
18日宮城 東北大で中手さんを招いて集会
東北大学学生自治会が主催する中手聖一さん(子ども福島代表)の講演会が行われた
18日広島 広島大で等々力さんを招いて集会
広島大学で「子ども福島」の等々力隆広さん、広島の被爆者の下田礼子さんを招いて討論会を開催
18日東京 法大包囲デモ打ち抜く
「原発反対! 弾圧職員追放! フクシマ連帯!」を掲げ、第2波の法大包囲デモを打ち抜いた
18日千葉 市東さん農地裁判、解約許可無効$逞t地裁で市東孝雄さんの行政訴訟・農地法裁判(2裁判が併合)の口頭弁論が開かれた
19日広島 等々力さん招き集会
広島市西区民文化センターで等々力さんが講演20日東京 自主避難にも損害賠償を
原子力損害賠償紛争審査会で、福島原発事故による自主避難者への賠償を求めて、「子ども福島」代表・中手聖一さんなどの意見陳述が行われた
21日広島 市営バスの民営化反対¥W会開く
呉市で広島連帯ユニオン呉市交通局支部主催の「市営バス民営化反対/呉労働者団結集会」が、支部の労働者を先頭に開かれた
21日福島 福島大で300人が昼休み集会
福島大学で、全学連の呼びかけに応え、反原発の昼集会に福島大生と全国学生300人が集まった
21日東京 新橋から東電本社を直撃
東電本社を直撃するデモが行われた。多数の初参加者が加わり90人のデモ隊で出発した
21日青森 八戸で原発・核燃廃絶へ労働者集会
八戸市で「原発なくせ!核燃いらない!青森・三八労働者集会」が130人でもたれた
22日東京 吉祥寺デモ、沿道の若者合流
吉祥寺で反原発・反失業デモが200人の参加でかちとられた。地域の合同労組呼びかけで3回目
22日千葉 「ティーチイン柏」で佐藤さんが講演
柏市のちば県民プラザで「ティーチインかしわ」が開かれ、「子ども福島」の佐藤幸子さんが講演23日東京 公園使用妨害はねのけ高円寺デモ
すべての原発いますぐなくそう高円寺デモ&交流集会が行われた。デモに150人以上が参加した
23日東京 11・6集会へ第3回実行委
11・6労働者集会の第3回実行委員会が開かれた
24日千葉 耕作権裁判 文書はNAAの偽造
千葉地裁民事2部で三里塚芝山連合空港反対同盟・市東孝雄さんの耕作権裁判が開かれた
26日東京 TPP断固反対! 3000人がデモ
日比谷野外音楽堂で「TPP交渉参加に反対し日本の食と暮らし・いのちを守る全国決起集会」が開かれ、全国から3000人超が結集した
26日東京 大嶽業績評価裁判、控訴審でも勝利
世田谷区立小学校に勤める大嶽昇一さん(東京教組)が、東京都と世田谷区を相手取った「業績評価裁判」の控訴審で一審に続いて勝訴した
27〜29日東京 1千人が経産省前を埋める
原発いらない福島の女たち100人の座り込みが東京・霞が関の経済産業省前で始まった。3日間の座り込み行動の初日、参加者は1000人を超えた。29日に動労千葉の田中康宏委員長が訪問し、トルコから届けられた反原発署名を手渡した
27日広島 福島連帯でヒロシマの女も座り込み
島根原発や上関原発を推進している中国経産局の前で「ヒロシマ女たちの座り込み」が行われた
28日東京 放射能から守れ、対政府交渉
「渡利の子どもたちを放射能から守ろう」対政府交渉が参議院議員会館で行われた
28日東京 全学連が文科省に申し入れ
全学連と福島大生は、学生の被曝を許さず安全な教育環境を保障することを求めて文科省に申し入れを行った。それに先立ち第3波法大包囲デモを闘った
28日東京 障害者総合福祉法絶対反対で情宣
日比谷野音で開かれた日本障害フォーラム主催の集会に、「生きさせろ!障害者総合福祉法絶対反対!全国運動」が門前に登場し情宣した
28日東京 福島の怒りと一体で狭山行動
部落解放東日本共闘会議は、部落解放同盟全国連杉並支部と品川支部を先頭に東京高裁への要請糾弾行動に立った。29日は南部労政会館で集会を開いた
30日広島 解放共闘主催の狭山集会かちとる
広島市福島町の旧西隣保館で、部落解放広島共闘会議主催の狭山集会が開催された
30日沖縄 原発も基地もいらない<fモ
那覇市で「NO原発!NO基地!福島とつながる10・30沖縄デモ」をかちとった
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(弾圧との闘い)
26日東京 法大暴処法弾圧裁判で論告求刑
法大暴処法弾圧裁判の第26回公判が東京地裁刑事第1部(若園敦雄裁判長)で行われ、織田陽介君と新井拓君に懲役1年2カ月、恩田亮君と増井真琴君と内海佑一君に懲役1年が求刑された
31日東京 法大弾圧、不当判決に怒り爆発
東京高裁第9刑事部(小倉正三裁判長)は、法大4・24弾圧裁判で控訴棄却の不当判決を下した
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月刊『国際労働運動』(425号A-1)(2012/01/01)
■編集後記
10月6日の毎日新聞にアフガニスタンの勢力分布図が載っている。それを見るとタリバンの支配地域が9割以上に広がり、カルザイ政権の支配都市は首都カブール、バーミヤン、北部マザリシャリフ、西部ヘラート、南部ラシュカルガ、カンダハル、東部ジェララバードなどの地方都市に止まる。
9・11への報復を叫んで米帝がアフガニスタンに侵略戦争を開始したのが10月7日で、2011年で10年目を迎えた。多数の人民が無差別殺戮され、家屋、街は破壊され、農地は荒れ果てた。米軍は14年末に完全撤退の態勢に入った。
米帝はイギリス、ソ連と同じくアフガニスタンで敗北し、崩壊を早めている。そしてこの10年、新自由主義は全世界に膨大な労働者を生み出し、労働者はプロレタリア世界革命で米帝を打倒せんと闘い抜いている。
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