(写真 東京電力本社を徹底糾弾するデモ隊。警視庁がこの直後に襲いかかり3人の学生を逮捕した【3月31日 千代田区】)
■特集/全原発の廃止へ
怒りの総決起を
はじめに
東日本大震災――地震・津波災害と福島原発事故は、新自由主義の地方切り捨てと安全を無視・敵視した国家的核開発という重大な犯罪行為が生み出したものだ。この期に及んでも政府・保安院、東電は「原発の運営、政策に誤りはなかった」と言い、核政策をさらに強引に推進しようとしている。そして震災・原発事故を口実に大量解雇が拡大している。労働者・人民の生活と原発の存在は相いれない。
本特集では第1章で、福島原発事故の実像を示し、新自由主義の野放図な安全破壊を明らかにする。
第2章はアメリカの原爆開発と日本の「原子力平和利用」の名による核武装戦略の中で、放射能の害が過小評価されてきたことを示す。
第3章は労働者階級を軸にした、全人民の団結によってのみ、原発事故の危機を最小限に抑え、新しい時代を切り開くことができることを明らかにする。
■第1章
全原子炉崩壊の大事故 新自由主義こそ元凶だ
@労働者、住民への被曝強制と非人間的な扱い
福島第一原発の事故は、複数の原子炉の激烈な事故という史上最悪の事態になった。大量の放射性物質が放出されている。3月12〜15日の水素爆発のような外部から見える爆発的事態はしばらく起きていないが、1万dを超える汚染水の海洋放出など、重大なことが次々に行われている。
最初に発表された放射性ヨウ素、セシウムに加えて、ストロンチウム、プルトニウムなど、重大な放射性物質の放出が次々に明らかになった。事態は予断を許さない。
特に原発の近くの地域では、多くの住民が、行方不明になった家族を捜すにも、地域が放射能で汚染されてしまったために不可能な状態に置かれている。
さらに数県にまたがる広範囲な地域での放射能汚染のために、労働者が大量解雇され、農民、漁民、自営業者の生活が破壊されている。
しかし東京電力も政府、原子力安全・保安院も、「放射線は、直ちに人体に影響を与える量ではない」といった、ごまかしに終始している。事態を過小評価することによって、さらに被害を拡大しているのだ。
屋内退避地域
政府は、福島第一原発から20`〜30`の地域に屋内退避勧告をした。そのため、外部からの物資が届かなくなり、この地域の住民は、食料、ガソリンなど基礎的物資の不足で困窮した。だが、東電は、これほどの大事故を起こしておきながら、物資の搬入・配布など何一つやらない。金銭的な賠償さえない。政府も勧告しておきながら、何もやらない。ボランティアもこの地域に入らないように勧告されているから、基本的に救援ができていない。
地域の住民は、残って生活することもできず、ガソリンや旅費もなく、避難生活も困難という状態に置かれている。
また東電、東芝、関係大銀行はビル、保養所、寮・社宅、役員・元役員の豪邸、別荘など多数あるにもかかわらず、その被災者への提供さえ拒んだ(社会的に弾劾されてから東電が一部をしぶしぶ提供)。
数百万、数千万の労働者、農民、漁民、自営業者が、今すぐ生活を保障されなければ、生きていけない状況にたたき込まれているのに、政府、与野党は「将来の賠償を東電の資産でできるかどうか」など口先の議論をしている。今や自力救済=i裁判所の命令によらず、占拠等で損害賠償を自力で獲得すること)が全人民の圧倒的支持で正当とされる時代が到来したのだ。
(写真 放射能汚染された牛乳を出荷できず捨てる福島県の酪農家)
命がけで仕事している原発労働者を奴隷扱い
事故現場では、労働者が大量被曝し、命を削りながら働いている。炉心の全面的な溶融、圧力容器・格納容器の全面的な破壊、爆発――桁違いの放射能汚染――を阻止するために必死になっている。本来なら、この労働者たちを心から尊敬し、尊重し、力を合わせて事故対策をしなければならないはずだ。
だが東電、原子力安全・保安院、菅政権は、まったく逆の態度をとっている。原発労働者を報道から隔離し、事故の真実を隠蔽することに熱中し、労働者の命などどうでも良いという態度をとっているのだ。
通常、原発の現場で働く労働者は、各人が線量計を着用して、放射線を浴びた量を計測する決まりになっているが、3月11日以後、放射線量が桁違いに増えているにもかかわらず、「線量計が足りないから」という理由で、各人の着用をやめた。こんなことが2週間以上も続いたのだ。そして、食事も、「1日2回。朝にビスケット30枚程度と小さな野菜ジュース1本、夜は非常用のレトルトご飯と缶詰1つ。当初は飲料水も限られ、1人当たり1日ペットボトル1本(1・5g)」(3月28日の保安院の記者会見)であり、寝る所も、「廊下やトイレの前で雑魚寝」という状態が2週間以上続いたのだ。この状態が暴露されてから、保安院は記者会見でこれを認めたのだ。翌日からは、1日3食になった。線量計も、事態が発覚してからたった1日で柏崎原発から運び、全員に行き渡らせることができた。
東電や政府は原発労働者を何十年も奴隷のように使ってきた。だから3・11以後も、被曝しながら原発事故の進行を食い止めている労働者に虐待的な待遇をして平然としていたのだ。
(写真 水素爆発を起こした原子炉建屋の周囲で、高レベルの放射線を浴びながら作業を続ける労働者)
次々に基準を書き換え
3月15日、厚生労働省は、この事故の処理に携わっている作業員の累積被曝線量の限度を現行の100_シーベルトから250_シーベルトに引き上げた。一挙に2・5倍にするという激しい引き上げであるにもかかわらず、同省は、「この量で健康被害が出たという明らかな証拠はない」と言い、原発労働者や家族に謝罪の言葉もなく、一方的にこの措置を強行した。
これに対して、多くの下請け業者が、「現場が納得しない」として従来の100_シーベルトの基準を続けることを明らかにした。東電と下請けの力関係の中で、今までだったら考えられない反乱が起きている。労働者の怒りが沸騰しているのだ。
また、従来の一般人の許容線量基準について、年間1_シーベルトから年間20_シーベルトへの引き上げが行われた。放射能の影響を最も受けやすい子どもについても適用される。原発事故で汚染された現実に合わせて、基準を書き換えたわけだ。
こうして被曝をさらに拡大し、また将来の発病に対する補償を「原発が原因という明らかな証拠はない」として拒否する準備をしているのだ。
放射線防御を遅らせる犯罪
3月12日〜15日、水素爆発や火災などの激しい破壊が何度も発生し、敷地内だけでなく、離れた場所でも放射線が観測された。
これに対して枝野官房長官は、「直ちに人体に影響が出る値ではない」という発表を繰り返した。御用学者たちは「レントゲン検診、CTでも放射線を浴びている」といって、放射能放出の深刻さをごまかした。二重の意味で詐欺師の論法だ。
第一に、医療用X線も有害だ。病院では「放射線管理区域」という看板を掲げ、立ち入りを厳重に管理している。
第二に、CTでは、放射線は浴びても、放射性物質を体内に取り込むことはない。だが、原発事故で放射線が観測される所では、放射性ヨウ素、セシウムなどの微粒子が漂っている。それが肺などに付着し、長期にわたって放射線を人間の同じ細胞に照射し続ける。この内部被曝は、少量でも非常に危険だ。
彼らは、原発政策を守るために、ニセの安心感を振りまいたのだ。「パニックを起こしてはならない」ということを口実にして、防御マスクの配布、放射性ヨウ素を体内に取り込むことを抑えるための安定ヨウ素剤の配布、近隣住民の避難のための的確な輸送手段の提供などはやらなかった。そして、マスコミは、福島第一、第二原発周辺の住民に対して、放射線計測を行っていることを一言も報道せず、映像も出さなかった。海外のマスコミが放射線防護服を着た職員が住民の被爆量を測定している画像を連日報道して何日もたって、国内でも隠し通せなくなってから、ようやく報道された。
その間、住民は無防備な状態に置かれ、大量の放射線を浴び、放射性物質を体内に取り込む危険にさらされた。原発政策を守るために住民の健康、命を犠牲したのだ。
3・11以後、何度も大規模な地震が起きている。4月7日の地震では六ケ所核施設、女川、東通原発などの電源・冷却システムが非常事態に突入した。にもかかわらず、菅は、4月12日にも、あらためて「運転中の原発を停止する考えはない」と断言した。
(写真 「放射線管理区域」の看板を掲げる、病院のレントゲン検査室)
“原発政策に誤りはなかった”
彼らには、遅くとも3月中旬には事故がチェルノブイリ並みの「レベル7」であることは分かっていた。だが、レベル7だと発表したのは、4月12日になってからだ。枝野は翌日、「3月末には、保安院からレベル7相当だという報告を受けていた」と認めている。
保安院は、その12日の記者会見で、大事故になったのは従来の安全対策に間違いがあったからではないかと問われ、「間違いはなかった」と断言した。
また東電の清水社長も、原発の運営に「誤りはなかった」と言っている。「迷惑をかけた」と抽象的な、あたかも謝罪をしているかのようなムードをただよわせつつ、自分たちは100%正しかったと居直っているのだ。
日本経団連の米倉は、3月16日に、「千年に1度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」と発言したのに続き、4月11日にも、「東電は国の基準を守っている」「賠償について国の支援は当然(労働者人民の税金を使え!)」と言っている。
福島原発をつくった東芝も、同じだ。東芝の佐々木則夫社長は14日、日本経済新聞などのインタビューで「2015年度に原子力事業の売上高を1兆円にする目標が遅れる可能性がある」と言いつつ、「原発の必要性は変わらない」として経営の柱とする戦略は変えないと言い切った。
そして、このころから右翼マスコミは、東電、政府に対する批判に対して、一斉に「原発と放射能で『過激な嘘』がまかり通る」などという攻撃をエスカレートさせた。
彼らには、ほんの少しでも「謝罪」とか「政策の変更」の余地はない。徹底的に居直り、むしろ被害者を攻撃することによって責任を回避し、原発政策を推進することしか考えていないのだ。
A「想定外の巨大地震」のウソ
彼らは、今後も原発政策を推進するために、あらゆるペテンを使っている。そのペテンの一つの軸が、「千年に一度の巨大地震であって、想定外だった」ということだ。
しかし、こんなペテンは労働者人民の怒りの前に粉々に打ち砕かれるものだ。
まず、マグニチュード9・0だから「想定外」というのは見え透いた嘘だ。
同じ太平洋プレート沿いのチリで1960年にマグニチュード9・5という段違いの巨大地震がおきている〔マグニチュードが0・2大きくなると、地震のエネルギーは約2倍になる〕。その後、太平洋プレート沿いのアラスカ、カムチャツカなどでもマグニチュード9以上の地震が起きている。
民家が壊れない地震で原発が壊れた
そして、地震の影響をマグニチュードだけを基準にして言うのも見え透いたペテンだ。
地元双葉町では、多くの民家が地震で壊れずに残っている。建物に大きな被害を及ぼしたのは津波だ。
だが、「万全の地震対策」をしていたはずの福島第一原発も第二原発も、津波が来る前に、地震そのもので大きな損壊を受けている。
3月11日、福島第一原発で働いていた労働者によると、地震発生とともに、激しく機器がぶつかり合い、パイプの継ぎ目などから大量の水が流れ出したという。
原発の場合、少量の水漏れでも、危険な放射能が出るのだから重大事故だ。
だが、今回は「大量の」水が流れ出した。燃料棒を浸している水がなくなり、冷却機能を失い、原子炉そのものの崩壊につながる超重大事態だ。
「想定外」という言い訳など、絶対に通用しない。
(写真 「原子力明るい未来のエネルギー」の看板を掲げる双葉町)
1993年の奥尻津波のほうが高かった
こうした地震による損傷の後で、津波によって電源がすべて破壊され、燃料棒の冷却が不可能になり、さらに重大な事故に発展したのだ。
この津波も「想定外」のはずがない。
1993年の北海道南沖地震では奥尻島の西部で高さ30b以上の津波があった。
福島原発を襲った津波は、その半分以下だ。
以前から、裁判闘争でも福島原発が津波に弱いことが批判されていた。だが東電と裁判所が批判を敵視し、抹殺したのだ。津波の危険性をうっかり見逃したのではない。過失ではなく、故意犯罪だ。
「想定外」を乱発する原発推進勢力の意図は次の発言にはっきり示されている。
原告――「非常用ディーゼル発電機2台が同時に動かないという事態は想定していないのか?」
班目(被告側証人)――「想定しておりません」
「非常用ディーゼルの破断も考えましょう、こう考えましょうと言っていると、設計ができなくなっちゃうんですよ」
「そういうものを全部組み合わせていったら、ものなんて絶対造れません。だからどっかでは割り切るんです」(2007年2月、浜岡原発運転差止訴訟での班目春樹東京大学教授〔原子力安全委員会現委員長〕)
安全を考えたら原発は成り立たないから、安全を「割り切る」=切り捨てるということだ。
B原発推進の国策が安全敵視を生み超巨大事故を起こした
原子力以外の通常の工場などでも、資本は安全を絶えず切り捨てようとする。しかし、そうした通常の安全切り捨てと原発の安全切り捨ては、次元が違う。
それが証明されたのが、今度の福島事故だ。
通常の工場などでいかに安全を切り捨てても、100%の確率で事故になることはまずない。そんなことをしたら、資本家は利益を上げることができない。
だが、福島第一原発では、稼働中の原発3基がすべて大事故を起こしている。100
%の事故なのだ。
もともと原発は危険きわまりないものだが、それにしても全部が全部、大事故になるというのは、どこに原因があるのであろうか。
それは、原発推進勢力が単に安全対策を怠っているだけではなく、他の資本とは比べ物にならないくらい安全対策を嫌い、敵視しているからだ。そして原発は国策だから、国家をあげて推進キャンペーンが行われ、全社会的に原発反対派への攻撃が行われてきたからだ。
原発建設に対しては、必ず地元で反対運動が起きる。これを国家権力が弾圧し、マスコミなどでの攻撃が行われる。そして電力会社は、元警察官を大量に雇い入れて「住民運動対策」の専門部署をつくった。ヤクザを使った住民への暴力的な脅しを行うためにも、こうした元警察官は大きな役割を果たしている。
そして、電力会社や原発メーカーは大学に巨額の寄付金を出し、教授たちを買収している。原発の安全問題を提起する学者は、大学内で徹底的に排斥される環境をつくった。
マスコミでも電力会社や原発メーカーが、巨額の広告費を払い、原発批判の声を封じこめてきた。多くの文化人、タレントが買収され、「原発=安全、クリーン」の宣伝を行っている。
3・11後、テレビでACのCMが洪水のように流されたが、ACの理事会にも各電力会社や原発メーカーが勢ぞろいしている。ACと密接な関係がある日本広報学会の会長は東電の清水社長その人だ。
こうして、全社会的に原発批判を包囲し、総攻撃する態勢がつくられたのだ。
原発の安全問題を少しでも提起する者に対する攻撃は内部にも向けられる。原発を推進してきた研究者や技術者であっても、まともな安全対策を提言したら排斥される。たとえば、東芝の原子炉格納容器設計者だった後藤政志氏は退職後、原発の安全問題についてのさまざまな提起をしてきたが、圧力が大きいために、3・11前までは実名を出すことができなかった。
大恐慌、エネルギー巡る争闘戦
特に、めちゃくちゃにたががはずれた安全攻撃が行われるようになったのは、民主党政権の2010年6月の「新成長戦略」が発表されてからだ。
民主党政権の「新成長戦略」は原発輸出を最大の柱にすえている。それは、東芝、日立などの原発メーカーと東電などの原発運営者が連携し、また官民連携して原発輸出に取り組むということを打ち出している。菅を始め、政権中枢が自ら、原発商談のためベトナムなどを訪問し、必死になって走り回ってきた。
その理由は、07年サブプライムローン崩壊、08年リーマンショックで歴史上かつてない規模の世界大恐慌に突入したからだ。資本主義がもう回復しようがない最終的危機に陥ったからだ。
大恐慌時代とは世界戦争が迫っていることを意味する。日本帝国主義は、核武装政策の強行を狙っている。核武装のために原発が作られたことについては第2章で述べるので、ここでは別の角度から、大恐慌と原発の関係を見てみよう。
大恐慌の時代には、平時とは比べ物にならないくらいに帝国主義間の資源争奪戦が激化する。また、全世界で労働者階級の闘いが高まる。
各国帝国主義は、資源を独占しようとする。帝国主義に収奪されてきた資源輸出国も、労働者人民の闘いに押されて、輸出価格の値上げを迫る。
だから、帝国主義は、争闘戦で有利なポジションを確保するために、輸入が長期間ストップしても耐えられる備蓄量を確保しようと必死になるのだ。
特に現在は、エジプトの労働者階級が革命で米帝の中東支配を崩壊のふちにたたきこんでいる。日本帝国主義は必死なのだ。
それは、世界の他の諸国にとっても重大な危機であり、それぞれが資源・エネルギー争闘戦での有利なポジションを確保するために備蓄を持ちたがる。
C“巨大な電池”=原発
原発は、推進派の宣伝とは逆で、非常にコストがかかる。政府補助金がなければとうていペイしない。
@ウランを濃縮し、原発の燃料にするためには莫大なエネルギーが必要。
A火力発電は一般的なものでも熱効率が50%程度(さらに効率を上げることも可能)だが、原発の熱効率は30%程度で、残りの熱は捨てられる。
B原発は運転と停止を柔軟に行えない。一度動かすと、夜間などの需要が少ない時も動かし続ける。
C原発自体の建設費も他の発電所に比べて桁違いに高い。
D何よりも問題なのは、使用済み燃料の処理だ。巨大な熱と放射線を出し続けるから、放射線から防御しつつ、電力を使って冷やし続けなければならない。冷却のためだけでも、莫大な電力を必要とする。
このように純経済的には原発は採算が取れない。
だが原発は、発電効率は悪いが「巨大な電池」になる。石油と比べてウラン燃料は百万倍のエネルギーを持っている。石油が自由に入手できる時に、石油を使ってウラン燃料を製造し、それを備蓄すれば、単純な石油備蓄よりはるかに多くのエネルギーを備蓄できる。
70年代初頭、日帝の沖縄「返還」過程から当時の中曽根康弘通産大臣を先頭に石油備蓄基地建設を強行した。その政策を桁違いの規模で進めるのが原発なのだ。
D国際連帯こそが解決
原発は、争闘戦と戦争の道具だ。原発をもってエネルギー獲得競争、安価に買いたたく競争に有利なポジションをつくるということは、結局、際限なく相互の競争を激化させる。エネルギー備蓄は受け身の非常時対策ではなく、むしろ侵略戦争の準備なのだ。したがって、原発との闘いは争闘戦・戦争をなくす闘いと不可分一体だ。
われわれは、労働者階級人民が全世界の国際連帯を形成し、自分たち自身の手で世界を運営する未来にこそ確信をもっている。現に3・11以後、世界各国の労働組合、反核団体から救援のカンパや連帯のメッセージが届けられている。国際連帯の新たな世界がすでに始まっているのだ。
E新自由主義イデオロギーの破産
原発は、1950年代から、中曽根康弘(後の80年代の国鉄分割・民営化時の首相)らによって推進されてきたが、特に、日帝が自分の得意分野として推進しだしたのは、1979年のスリーマイル島事故、86年のチェルノブイリ事故で他国が原発の積極推進を止めた時からだ。
日本の原発産業は、海外の原発関連企業を買収するなどして、急速に拡大した。
そして、07年、08年の世界大恐慌への突入以後、原発産業を日帝の経済戦略の中軸に押し上げていったのだ。
その頂点が、現在の民主党政権の政策だ。2010年は、全マスコミをあげて「原発推進」の大キャンペーンが連日のように行われた。朝日は特集記事まで組んでいる。
決定的なことは連合が執行委員会で決議を上げ、公式に原発推進を声明したことだ。
原発産業の中の三つの組合――電力総連、電気連合、基幹労連(旧造船重機、鉄鋼労連など)――は、もともと第二組合(組合破壊のために経営側がつくらせた組合)としてつくられた右派組合だ。この三つは、74年に「三労連原子力問題研究会議」を結成し、原発推進の基軸労組になってきた。この三労組は、資本・国家権力と労働者階級全体の闘いの天王山だった、80年代の国鉄分割・民営化攻撃を労働組合の名で推進したのは、国鉄内部では動労本部(後のJR総連)であり、全労働運動的にはこの三労組を始めとする右派組合だった。そして直後に総評が解体され、連合が結成された時、その軸になったのも彼らだった。
これに対して、後に連合に合流した自治労、日教組は、職場で闘う伝統を持った組合だ。確かに、本部指導部は国鉄分割・民営化に対して何の闘いもせず、嵐が通り過ぎるのを待つという姿勢だったが、多くの現場組合員は、国鉄労働者の闘いを支援した。そして、分割・民営化後も、国鉄の1047名の解雇撤回闘争を支援し続けたのだ。
そして、長い間、原発反対闘争を多くの自治労、日教組の組合員が担ってきた。だから、ごく最近まで、両労組は、「原発推進」と公然と言うことはできなかったのだ。
しかし、09年に民主党政権が誕生し、政権中枢に連合幹部が入っていくと、事態は急変しだした。電気連合出身の平野が鳩山内閣の官房長官になったばかりではなく、日教組出身の輿石も参議院議員会長として、政権中枢に入った。また、遅くとも96年からJR総連の献金と組織的支援を受け癒着してきた枝野らが、JR総連カクマルの田城郁を民主党比例区に入れて当選させる策動が進み、凶暴な原発推進勢力が一挙に民主党内・労働運動内に進出した。こうした中で、自治労・日教組は「民主党政権を支えるため」という口実で次々に従来の政策を捨てることを組合員に強制するようになっていった。
そして、この大転換の軸が、2010年4月9日の1047名解雇撤回闘争放棄の政治和解(「和解」の名の下での一方的・全面的な労働組合の権利放棄)に応じることを彼らが強制したことだ。
そしてついに、8月19日には、自治労本部、日教組本部が賛成して、連合の原発推進決議が上げられたのだ。こうして、原発の建設推進と輸出を「官民一体」「労使一体」で推進することが公言されるようになったのだ。
(写真 「原発売り込み」を宣伝する朝日新聞)
“輸出競争で負けるな! 稼働率を上げろ!”
「新成長戦略」の原発輸出路線は原発建設の量的拡大にとどまらない。原発の運営もがらりと変わった。
原発輸出で韓国やフランスに負けないようにするには、原発が効率的なエネルギー源であることを海外にアピールしなければならない。そのために、国内の原発の運転効率を上げなければならないという大宣伝が行われた。前記の朝日の特集もその一環だった。
今年2月15日の日本原子力産業協会の記者発表は、その意図を露骨に示している。
「我が国の稼働率の低迷は、国家成長戦略の柱として国を挙げて取り組み中の原子力の海外展開に際しても、他国との競争に悪影響を与えている」
「稼働率が低迷しているのは我が国特有の事情にも原因があると考えざるを得ない」
「より合理的な安全規制への転換」
ヒロシマ、ナガサキ、ビキニの経験を持つ日本の労働者人民の反核・反原発闘争をつぶせというのだ。規制緩和・定期点検カットで、原発稼働率を上げろということだ。
すでに、この文書が出る前の09年に原子力安全・保安院は、新検査制度を導入し、運転期間の延長を可能にしている。これまで13カ月以内ごとだった定期検査の間隔を見直し、24カ月以内まで延ばせるようにした。
これは運転期間の延長にとどまらず点検の内容の削減への青信号となった。3・11事故の直前、3月1日の報道で発覚した福島原発の機器点検もれ件数だけでも33件に達していた。この野放図な検査・修繕の切り捨ての中で福島第一原発の原子炉が崩壊するという事態が発生したのだ。
今、この事故を引き起こした新自由主義への怒り、東電、経済産業省・保安院、御用学者たちへの怒りが沸騰している。震災・原発事故解雇との労働者の闘いを軸に農民、漁民、自営業者、住民の数千万人の生きるための闘いで資本、国家権力とその手先を打倒しよう。
(写真 「原発稼働率向上」叫ぶ原子力産業協会の11年2月15日記者発表)
■第2章
原発は全人民に敵対する 帝国主義の延命のための核技術
@超巨大技術と巨大財閥の支配
核技術は、最初から帝国主義の延命のための戦略的な技術として開発された。
1930年代、化学物質や生物の調査研究のために放射性同位元素(ラジオアイソトープ)が広範に使われるようになった。その軸になったのが、カリフォルニア大学バークレー校に建設されたサイクロトロンだった。サイクロトロンは、電荷を帯びた粒子(イオン)を加速するための装置で、原子力の研究や応用に使われるものだ。
サイクロトロンは、巨大な装置だ。そして、サイクロトロンの運用のためには、巨大な電力を必要とする。従来の科学研究とは比べ物にならない莫大な資金が必要なのだ。
その資金を出したのが、アメリカ帝国主義の中軸中の中軸である巨大財閥――デュポン財閥、ロックフェラー財閥――だった。
カリフォルニア大学は公立だが、そこの研究所を丸ごと巨大独占資本が買収し、支配していったということだ。
そして、1938年にウランの核分裂が発見され、1941〜42年以後、原子力の軍事利用研究が英、米、独、日本、ソ連などで開始されていった。
A原爆開発推進のためのマンハッタン計画
現在、福島原発の放射性物質の影響が「直ちに人体に影響がない」という宣伝がされている。だが、その「根拠」とされている放射線の人体への影響の研究は、もともと、原爆開発推進のため≠ノ行われたものであり、放射線被害の最小化≠フためのものではない。
放射線の人体への影響の研究
マンハッタン計画は、第2次大戦中、原爆を開発するために、カリフォルニア大学バークレー校のロスアラモス国立研究所を中心にして行われたプロジェクトである。
原爆の研究、製造の過程では、激しく放射線を出し続ける放射性物質が膨大にたまる。これは人体にとって極めて大きな脅威であり、これをコントロールできなければ、大量の労働者を使ってプルトニウム大量生産を行うことは困難だった。
原爆製造へ向けて、プルトニウム生産技術の開発を目的として、1942年2月、シカゴ大学「冶金研究所」が発足し、核分裂反応の研究が進められ、同時に放射線被曝・保健の研究がシカゴ大学で行われることになった。カリフォルニア大学から呼ばれた、ロバート・ストーンらが中心になった。科学者たちが最初に考えたのは、放射性物質と労働者との間に遮蔽壁・防護壁を設定し、その厚さによって放射線量を減らし、労働者の被曝を、人間が「耐えられる」量以下にしようということだった。
しかし、このやり方は原子力施設の設計を複雑にし、建設コストを極めて高いものにすることが明らかとなった。そのため、個々人の被曝量を計測する方式に転換した。作業従事者、労働者は2個のポケット線量計とフィルムバッジを身につけ、作業が終えたのち、これらを計測し、過剰な被曝を受けていないことを検査する。本来は1個でもオーバーしていれば、過剰被曝のはずが、2個ともオーバーしていなければ良いとされた。だから「過剰被曝」の大部分は無視されたのだ。しかも、この非常に甘いチェック方式自体、厳密に守られなかったのだ。
要するに、マンハッタン計画の被曝管理は、原爆の早期開発、原子力施設の建設と経済性が追求され、高線量被曝とその犠牲を労働者に強制したものだ。したがって、労働者が被曝による急性症状で倒れなければ良いというレベルが基準なのであり、労働者に後からどんな被曝症状が出ようと、どうでも良いということなのだ。そして、その急性症状から労働者を守るということさえ、いい加減だったということだ。さらに、これが軍事技術であったために、危険性は「軍事機密」の壁で隠蔽されたのだ。
マンハッタン計画では、放射線作業環境の検査、その空間線量のモニタリングが導入された。
作業区域及び環境のモニタリング
これは、放射性物質の封じ込めと遠隔操作法の採用を例外的な個所を除いて放棄し、放射能汚染を前提として、放射線作業を労働者に行わせるために導入されたシステムだった。この計画のもとに設置されたハンフォードのプルトニウム製造施設から漏れ出た放射性の廃液は一部は貯蔵タンクにためられたが、大部分は河川に放出された。これはコロンビア河の汚染として有名である。放射性の廃ガスも排気塔を通じて大気中に排出された。
環境中の放射能のモニタリングも導入された。放射性濃度を低くして放出するために気象学の観測データが使われ、風が低人口密度地帯に吹いている時に放射性ガスの放出が行われた。
環境モニタリングは放射能による環境汚染、周辺住民の放射能被曝を防ぐために行われるのではなく、現実的には環境への放射能垂れ流しシステムとして機能し、それによって核施設の経済的、連続的運転が可能になった。
核開発は動員された労働者、技術者、周辺住民、またウラン鉱採掘場の労働に従事した先住民労働者らを被曝させ、犠牲にした。このシステムは、現在でもまったく同じなのだ。
放射線照射人体実験
カリフォルニア大学医学部付属病院では患者に高線量のX線全身照射が行われ、血液への影響が調べられた。動物実験ではなく、人体実験をするという残虐行為が行われたのだ。これらの実験のデータは、X線から患者を守るためではなく、逆にX線照射の被害を過小評価するために使われたのだ。
さらに、アメリカ帝国主義は、人体にプルトニウムを注射する実験、原爆実験をした直後に爆心地に兵士を行進させ、その人体への影響を調べる実験など、すさまじい人体実験を繰り返している。
(写真 兵士を使った放射能の人体への影響調査するため)
致死線量、半致死線量、
死亡ゼロ線量
原爆の実戦使用に向けて、放射線の致死的効果を予測するために、急性放射性障害による致死線量、半致死線量、死亡率ゼロとなる「しきい値」〔注1〕を求める研究に力が入れられた。これらの研究を担ったのは保健部の生物学研究部門、後にABCC〔注2〕指導部となるメンバーだった。
〔注1〕「しきい値――その値以下ならば、人体の被害がゼロになるという値。
例えば、谷川の水の場合。大雨で増水した谷川に入れば、溺死する危険が高い。しかし、大雨がない深さ十数aの谷川では、溺れて死ぬ危険はゼロだ。その谷川に1000回入っても、1万回入っても同じことだ。谷川では、危険性がゼロだという水の深さが存在する。こういう場合、「しきい値」を設定することができる。
ところが、戦争で銃弾が飛んでくる地域を考えてみよう。銃弾が1分間に1平方b当たり100発飛んでくる所に1分間立っていたら、人間は確実に死ぬ。1
00分間に1発飛んでくる所に1分間立つことは、危険度は確かに低くなるが、ゼロにはならない。場合によっては死亡する。それを100回繰り返したら、1分間に1発銃弾が飛んでくる所に立ったのと同じ確率で負傷・死亡する危険がある。銃弾の場合には、「しきい値」は設定できない。大部分の化学物質の場合、「しきい値」の設定が可能だが、放射線では不可能。
〔注2〕ABCC(原爆傷害調査委員会)――広島への原爆投下後にアメリカが設置した。被爆者の治療をしたり、その治療に役立てる研究をするのではく、原爆の軍事的効果を調査するために被爆者を利用し、再度の苦しみを与えた機関。1975年、日米共同出資の放射線影響研究所に改組されたが、性格は変わっていない。
原爆投下後、脱毛と紫斑のみが急性症と断定され、この仮定の上に立って、致死線量700R(レントゲン、1レントゲンは10_シーベルト)、半致死線量400R、死亡率ゼロの「しきい値」線量100Rの死亡曲線が導き出された。原爆の放射線による影響を極端に過小評価することにより、こうしたデータが導き出され、米原子力委員会の原爆の効果公式報告とされ、その後の原子力政策の基礎に据えられた。
ところがその後、ハンフォード原子力施設の労働者を対象に調査が行われ、多数の労働者がガン・白血病で死亡していることが明らかになった。
マンハッタン計画の核兵器製造所施設で働いていた労働者の間に、多数の放射線被曝の犠牲者が出ていることが明らかになった。たとえば、オークリッジ国立研究所で1943年から1977年の間にガンマ線に被曝した8375人の白人男子労働者の場合、白血病が一般の49%も過剰に発生しており、その発生率は被ばく線量とともに増加していることが判明した。
B日本の被曝管理の基準と核の「平和利用」
1953年12月のアイゼンハワー大統領の「原子力の平和利用」宣言は、「平和」の名称とは正反対のものであり、米帝の核兵器の独占政策を補完する核政策であった。
原発の稼働によって生ずる放射能物質の管理は、マンハッタン計画でつくられた枠組みを踏襲するもので、放射能被曝のリスクを過小評価する基準に基づいて行われた。
1954年3月1日の米軍のビキニ水爆実験によって延べ1000隻の漁船が被曝し、1万人を超える漁師の被曝、放射能汚染の恐怖が日本列島を覆い、世界を覆った。米帝の核政策に対する労働者人民の怒りが吹き荒れる中、それに恐怖した米帝と日本帝国主義は、「平和利用」のペテンでそれを乗り切ろうとしたのだ。そして、「平和利用」の名で偽装して、核武装を推進しようとしたのだ。
この時、原発導入を主導したのは、中曽根康弘(後の国鉄分割・民営化の時の首相)、岸信介(60年安保時の首相)、正力松太郎(読売新聞、日本テレビ)だった。彼らの主要な意図が日本の核武装であったことは、今日議論の余地のないところだ。
そして、日本の金融独占資本、三菱、三井、住友などが、それに飛びついた。これらの金融独占資本は、かつて軍需産業で莫大な利益を上げてきたが、敗戦後は公然と軍需産業を復活させることができずにいた。「原子力の平和利用」は、彼らにとって、軍需産業を偽装して復活させるための渡りに船だったのだ。
日本共産党に主導されたいわゆる「進歩的科学者」グループは、「原子力3法」などを成立させ、軍事利用への歯止めをかけるように見せたが、実質は日本帝国主義の核武装と原発政策の「いちじくの葉」を提供したにすぎない。
日本の「進歩的科学者」、日本共産党、そして日本社会党は、根本的には原子力利用を「科学の進歩」として歓迎し、促進する立場だ。原子力は人類と相いれない≠ニいう立場とは正反対なのだ。「原子力の平和利用は可能だ」「原子力を安全に管理すればよい」という立場だ。
彼らの根本問題は、超巨大な資金、超巨大な装置、超巨大なエネルギーを基軸にして物事を考え、それを社会の進歩だとしていることだ。
彼らにとって、労働者は基軸ではない。だから、原発政策と放射線管理問題、労働者被曝問題をも焦点化することなく、ビキニ水爆実験被災者の血の叫びの圧殺に加担し、日米帝国主義の核政策、日本への原発導入に加担したのだ。
このようにして、日本帝国主義の原発政策には、米帝の決めた基準、つまりマンハッタン計画の中でつくられた基準が導入されることになる。
C福島原発・放射線被曝に対する民主党・連合政権の対応
津波対策
東電のホームページでは、次のように、地震、津波には万全の措置を取っていることを強調している。
「原子力発電所の建物や機器・配管などは、歴史上の地震や活断層の詳細な調査結果に基づき、周辺地域でこれ以上の規模では起こり得ないような大きな地震や直下型地震を想定し、設計しています」
「原子力発電所では、敷地周辺で過去に発生した津波の記録を十分調査するとともに、過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーションにより評価し、重要施設の安全性を確認しています。また、発電所敷地の高さに余裕を持たせるなどの様々な安全対策を講じています」
しかし、東電が実際に行ったことは津波対策として5・4bの堤防を用意したのみである、ところが14bの高さの津波が福島原発敷地を襲い、原発運転の命綱ともいえる電源システムをすべて破壊し、海水の取水、放水口も破壊され、冷却システムが完全に破壊されたのである。想定される最悪のシナリオ「メルトダウン」は「想定外の」巨大津波によって現実となったのである。
東電、日帝の地震対策
東電、日帝は地震対策についてどのようなことをやってきたか? 日本列島は周辺に四つの岩盤(プレート)がせめぎあい、それによってため込まれたエネルギーが周期的に地震として放出されて、その痕跡が活断層として残され、日本列島は地震と活断層の巣窟の上に位置している。原発はそれ自体としても、極めて危険な施設だ。地震とそれに伴って発生する津波の脅威にさらされている日本列島の海岸線にそれを建設するということはけっして許されることではない。
原発事故は労働者、周辺住民の命と生活を破壊し、けっして起こさせてはならないことだ。しかし、東電そしてそれを国策として推進する日本政府・日本帝国主義は原発事故のつけは労働者民衆に押しつければよい、と考えてきたということである。最も事故になりやすい高速炉「もんじゅ」、若狭湾にひしめく14基の原発群、すでに地震による事故を引き起こした柏崎原発、これから直下型の東海地震によって破壊される可能性が最も高い浜岡原発、伊方原発、六ヶ所核燃料再処理場はすべて活断層の上に建設されている。
(図 大地震の想定震源域と活断層の真上に集中する日本の原発)
御用学者の役割
電力会社及び政府、日帝はこの事実を隠蔽し、建設を強行するために、御用学者を動員し、学問的にもあることが実証されている活断層がないと主張してきた。「権威ある」大学の教授になるためには御用学者となることが必要条件なようだ。
放射能被曝についても、御用学者の果たしている役割は重い。日本では原発は安全であり、そこから漏れ出る放射能被曝は取るに足らないとされている。日本原子力学会という学術組織があり、大学では原発が安全に運転できることを前提に専門学科が開設され、専門教育が行われている。原発はその運転を担う労働者が被曝を強制され、周辺の住民に犠牲を強制する。これも、多くのデータが実証している。
D無視される内部被曝
そもそも、広島・長崎の放射能被害報告には内部被曝問題が一切無視されている。被曝実態を明らかにするためには内部被曝問題は決定的に重要である。広島・長崎の被爆者の認定、補償にかかわるこの問題について政府は認めてこなかった。また、劣化ウラン弾の使用について、内部被曝問題は米政府は一貫して否定し、ウランの放射線は極めて微量で健康の害を発生させないというのが公式の立場である。この見解はWHOもとっている。日本政府もとっているので、原子力の「権威ある」専門家もこれに同調し、この事実を認めない。
したがって今回の事故による放射能・放射線被曝についても、内部被曝については言及せず、放射線被曝線量はレントゲン検査1回分の被曝以下であるなどと言ってことさらにごまかしている。言うまでもなく、レントゲン検査の被曝は外部から一瞬の被曝である。内部被曝は放射能物質が体内に存在する限り密着して被曝するのでそのダメージは極めて大きくなる。また、レントゲン検査の被曝もけっして無害ではなく、これによって白血病や、がんがひき起こされることが今日実証されている。特に妊婦がX線を浴びることは極めて危険である。レントゲン技師に白血病が多発し、一時は職業病の感があった。すでに社会的に認知されている放射線被曝障害について、政府、電力会社、原発メーカーが依然として認めず、御用学者を抱え込んで、デマゴギーを垂れ流してきたのである。今回の事故の解説委員としてマスコミに登場する「権威」はすべてこのたぐいである。
E核と人間は共存できない
福島原発の激烈な事故を見てもまだ、「もっと安全に管理すれば、原発は有用だ」と言う人がいる。だが、そもそも原発を安全に管理することは不可能だ。それは、次の三つの点を根本から考えてみれば当然のことだ。
@放射能と生物の根本的異質性
人間は生物だ。生物は、化学反応のエネルギーを使って生きている。
これに対して、原発は核反応を使う。核反応は、化学反応の100万倍のエネルギーを持っている。あまりにも、差がありすぎるのだ。
しかも、原発は、燃料のウランの採掘、精製から原発の運転、点検、修理、そして使用済み核燃料の処分まで、すべて放射線を出す。
生物は、放射線に対する防御手段をもっていない。
A核分裂の制御は不可能
原発は核分裂反応を利用する点で、原理は原爆と同じである。核分裂の連鎖反応を一挙に引き起こさせるのが原爆であり、逆に連鎖反応が急激に進まないよう微妙に「コントロール」しながら持続させていくのが原発である。だがそれが非常に不安定で危険なものとなることは自明だ。
さらに重大なことは、原発には「安定停止」が存在しないことだ。
原発は運転停止しても、ウランの核分裂の連鎖反応が止まるだけだ。それより一桁低いとはいえ、石油と比べ1万倍〜10万倍の熱が出る。
人類は、「原理的に停止不可能」なものを扱うことなどできないのだ。
一人の人間が責任を持てるのは、せいぜい数十年だ。核廃棄物のような半永久的な管理が必要な危険物は人間は作り出してはならない。
B原発労働は被曝不可避
原発は重大事故が起きていない時でも、常に放射線、放射性物質を出し続ける。
だから、原発は労働者を被曝させなければ一日たりとも動かない。労働者を白血病などの病に追いやり、死に至らせることで動いているのだ。
特に深刻なのは、原子炉などの検査や補修をする定検だ。1日千人もの労働者を動員する。作業は、原子炉内外での放射性物質の除去、原子炉直下での配管やバルブの点検・交換など多種多様にわたる。放射性物質や高いレベルの放射線にさらされる極めて危険な作業となる。
このように、あらゆる意味で、人間は核技術を扱うことはできないのだ。
核技術を「最高の科学」と賛美する日本共産党
以上のように、原発は根本的に人類と相いれない。この認識こそが真に科学的な立場だ。だが、現代社会には、そうした「科学」を正反対にねじ曲げるイデオロギーが蔓延している。
それをあおっているのが日本共産党だ。日共は現在、あたかも原発政策を批判するかのような言葉を使っているが、実際には、原発の即時停止を「無責任だ」といって攻撃している。実際は、原発必要論なのだ。
日本は60年代から「無尽蔵の夢のエネルギー」「地上の太陽」と言って、核融合研究に莫大な予算をつけてきた。他のことには、「予算のむだ使い」という日共が、これには全面的に容認している。
こんな非科学的なことはない。太陽は天文学的な距離で離れているから有難いのであって、それが地上にあったら人間は生きていけない。また、太陽は巨大な質量で水素を圧縮しているから核融合が可能なのであって、「科学者」たちが唱えている、容器の中での核融合などとはまったく異なるものだ。われわれはこうした日共のような物神崇拝を粉砕し、人間自身を復権しなければならない。
原発労働者の奴隷状態に怒り、その解決のためにともに決起する立場に立ってこそ、原発の「科学」の装いをとった非科学性も把握できる。そして、労働者階級自己解放の闘いに決起することによってこそ、農民、漁民を含む全人類の未来を守り、発展させることができるのだ。
■第3章
全人民的な大運動を 階級的労働運動をつくろう
@今こそ全原発を廃止しよう
団結して危機と対決する労働者人民
地震の後の津波と原発事故という人災に対して、日帝は治安維持のためにのみ自衛隊を派遣した。自衛隊は当初救援活動を行うのではなく、自衛隊の治安活動を容易にするための道路の封鎖と救援に向かう一般車両の通行阻止、情報収集、政府調査団の輸送、原発事故への対応などの治安任務に重点を置いた。日帝は、津波と原発事故という人災を許した政府と資本家に対する労働者人民の怒りの爆発を恐れ、自治体の機能停止による統治体制の崩壊という危機的空白を埋めるために10万人の自衛隊を派遣したのだ。被災した労働者人民を救援するという任務は副次的任務でしかなかった。
他方、自治体の救援活動も、各自治体の諸機関が新自由主義政策の下での人員削減と財政破綻で衰弱していた上に、地震と津波で被害を受けていたために、ほとんど行われることはなかった。
こうした中で、労働者人民は急速に相互の団結を固め、自主的な救援活動を組織していった。各地域の自治会や、学校の教師、医療労働者、自治体労働者などを軸に、青年・学生、高校生などが続々と自主的に救援活動を組織し始めた。相互扶助活動や、炊き出し、医療活動、必要物資の調達などが、労働者人民自身の手で活発に組織され始めた。それは新自由主義の下で破壊されていた個々の労働者人民の間の共同性を回復する闘いとして開始された。
自衛隊が遅まきながら救援活動を開始したのは、このような労働者人民の自主的な団結と相互扶助活動の拡大を封じこめるためであった。
日帝・支配階級は、大災害の際に、労働者人民が巨大な規模で団結し、災害で崩壊的危機に陥った旧来の抑圧的な支配体制に、労働者人民の要求を突きつけて闘ってきた歴史が繰り返されるのを恐怖した。
労働者人民は自分たちを悲惨な現実にたたき込んだ津波や原発事故が、労働者人民に犠牲を集中しつつ資本家の階級的利害を強引に追求してきた結果起きたことを今や完全に理解し、激しい怒りを爆発させている。
日帝はこの怒りが、大災害の中での労働者人民の団結と共同性の回復によって増幅され、巨大な体制変革運動に転化することを激しく恐怖したのだ。
労働組合を軸とする救援活動と原発廃止の闘い
政府、自衛隊、自治体が大震災に対応不能になる中で、労組交流センターに結集する労働組合を始めとして、新自由主義攻撃と対決して闘う労働組合が中心となって被災者の救援活動を精力的に開始した。被災者に必要な物資の供給などの活動は、多くの被災者を励ましている。この活動に多くの労働者や学生が参加し、この悲惨な大災害をもたらしたのはいったい誰であるかを明らかにし、被災地の労働者人民の怒りを新自由主義打倒の闘いに組織する役割を果たしている。
したがってこの闘いは、原発建設を推進してきた資本家や体制内労組指導部と全面的に対決して、原発を全廃する大運動をつくり出すとともに、新自由主義と全面的に対決する新たな戦闘的労働組合のネットワークをつくり出す歴史的突破口を切り開く闘いだ。
それは被災者の支援をつうじた各地の労働組合の連携の強化によって、津波被害と原発事故という人災を引き起こした政府・資本家、そしてそれに協力した体制内労組指導部と対決し、それらを打倒する闘いだ。それはまた、全国の原発廃止の闘いを被災地の階級的労働運動勢力が牽引することによって、巨大な全国的規模の階級的労働運動をつくり出す闘いだ。
原発に固執する日帝
今や政府や資本家がこの大災害を引き起こした原因を除去できないのは明らかだ。彼らは、この期に及んでも原発推進政策を放棄していない。日帝は、今回の原発大事故にもかかわらず、核兵器開発政策と原発依存のエネルギー政策を変更しようとはしていない。大恐慌情勢下での帝国主義間争闘戦の激化と世界戦争情勢の成熟の中で、日帝は核武装戦略をけっして放棄しようとはしない。また中東革命の発展と、帝国主義諸国間の石油資源争奪戦の激化を前にして、石油資源の長期的確保の展望を失っている日帝は、帝国主義としての生き残りをかけて原発政策を放棄することはできない。
震災解雇許すな
日帝は大恐慌時代の真っただ中における大震災、原発事故の影響による日本経済の決定的な衰退と財政破産という未曽有の危機を、原発政策の維持と大失業攻撃、非正規化攻撃の極限的強化によって暴力的に乗り切ろうとしている。それは日帝の帝国主義としての延命をかけた極めて激しいものとなるであろう。
われわれはこれに対して、反原発闘争を全人民的規模で爆発させるとともに、復興を口実とした大規模な震災解雇を絶対許さない反撃の闘いを日帝ブルジョアジーに全力でたたきつけよう。
A体制内派・日共・カクマルの敵対許すな
日帝の危機のりきり策に対する労働者人民の根底的決起は不可避だ。3・11以降、全国の労働者人民の反核意識は急激に高まっている。また原発事故と放射能汚染による工業、農業、漁業の破局的危機を乗り切るための、日帝の大失業攻撃やTPP(環太平洋パートナーシップ)政策への突進を予感し、激しい怒りを燃やしている。この怒りの高まりを原発廃止の闘いへと組織し、大失業攻撃やTPP政策に反撃する拠点は、階級的労働運動勢力以外にない。
連合などの体制内労組は、これまで積極的に原発推進政策を展開してきたが、原発事故後も、政府による挙国一致の危機乗り切り政策に全面的に協力し、労働者人民の怒りを組織することに全面的に敵対している。東電への抗議闘争も放棄し、メーデーも放棄して、政府や資本家に対する労働者人民の闘いを解体しようとする勢力に対して激しい怒りを燃やそう。
国鉄分割・民営化に賛成し、原発推進政策をとってきた動労本部―JR総連カクマルも連合と同罪である。JR総連カクマルは、民主党政権が新成長戦略の中で、水道や原発や新幹線をアジアや他の諸国に輸出しようとしていることにつけ込み、自分たちが役に立つ存在であると売り込んできた。
日本共産党は、「戦後未曽有の災害からの復興に、国の総力をあげてとりくむ」(3月31日の共産党委員長・志位和夫の『被災者支援・復興、原子力エネルギー政策の転換を』という提言。以下の引用も同提言から)として復興財源についての提案などを行っている。大企業が「使い道がなくて困っている」手元資金を放出させ、「日本経済が打撃から立ち直って発展をとげる」手段とするとしている。この大災害を引き起こした資本家どもを打倒するのではなく、資本家からの協力と引き換えに、日本の資本主義経済の延命と再建をともに実現しようというのだ!
また原発政策については、「安全最優先の原子力行政への転換を」「強力な権限と体制をもった原子力の規制機関を確立することを強く求める」と述べて、安全が確保されれば原発も容認する立場に立っているのである。
その上で「自然エネルギー、低エネルギー社会への戦略的転換を」とペテン的に付け加えているが、それは原発の即時廃止を否定し、原発依存からの転換を徐々に実現すると主張するものでしかない。かつて旧ソ連や中国の核実験を賛美し、「核の平和利用」を叫んで原発を全面的に容認した日共が、何の自己批判もなく、「原発依存からの転換」などとペテン的に言い出していることを絶対に許してはならない。
B巨大な反原発戦線の構築を
こうした現実を前にして、われわれこそが階級的労働運動を爆発的に発展させ、その下に全労働者階級、闘う農民、漁民、学生を結集し、全人民の未来をかけた巨大な戦線を形成し、日帝を根底から打倒する歴史的闘いに打って出よう。
この闘いを牽引する最大の勢力こそ労働者階級である。労働者階級こそ、現場での労働を通じて最も高い安全意識を獲得し、労働者人民の安全を守るために何が必要かを熟知している。だからこそ労働者階級は、資本が利益を求めるあまり安全を無視することに対して常に警告を発し、安全確保のために闘ってきた。
だが、資本はこれに対して、労働組合を解体し、連合のような体制内労働組合へとつくり変えることによって、労働者階級の安全のための闘いを解体し、原発のような危険極まりないものを資本の利益追求のための手段として使ってきたのだ。
こうした現実に対して動労千葉を先頭とする階級的労働運動勢力のみが、「反合理化・安全闘争」を全力で展開し、新自由主義による利益優先、安全無視の攻撃と闘ってきた。そして新自由主義攻撃の重要な突破口をなしていた国鉄分割・民営化政策と闘い勝利してきた。現在は、国鉄闘争全国運動を立ち上げ、体制内労働運動の制動を粉砕して、日帝の新自由主義政策と対決する全国陣形を形成している。日本の労働者階級は、階級的労働運動のこのような先進部隊を有しているという圧倒的に有利な地平に立っている。
そして今、この優位性を基盤として、この先進部隊の闘いに続いて反原発の闘いに続々決起している農民・漁民・市民・学生・科学者・技術者・医師などをも結集するさらに巨大な原発即時廃止、被災地支援の巨大な陣形を労働者階級の力でつくり出していかなければならない。
さらに世界の階級的労働運動勢力や反原発勢力と国際的に団結し、全世界から原発を一掃する闘いに決起しよう。
C階級的労働運動に基盤を置いた反核運動
原発労働者とともに闘おう
原発を停止させ、廃止していく闘いにおいてカギをなすのは、やはり階級的な労働組合と労働運動の再建である。とりわけ、原発労働者や電力労働者の決起を組織することは決定的に重要だ。
原発労働者は、日帝の原発政策の矛盾を集中的にしわ寄せされた存在だ。彼らは電力会社の元請け、下請け、孫請けの企業に雇われ、全国の原発での危険な補修作業や清掃作業に動員され、日常的に被曝を強いられてきた。被曝が原因でガンや白血病などの重大な病気に冒されても、被曝と病気との関係が労働者の側から実証できないとして、なんらの補償もされず切り捨てられてきた。劣悪な労働条件を強制された上で、賃金の面でも雇用した会社からピンはねされてきた。このような状態に置かれながら、原発労働者は労働組合もつくることもできず、分断されたまま抵抗して闘うすべを奪われてきた。
彼らはもともとは農民であり、漁民であり、都市で働いていた最下層の非正規労働者であり、在日外国人や部落民などの被差別人民であった。彼らが原発という危険な職場で働かざるをえなくなった原因のひとつは、日帝による地方経済の解体政策にある。日帝の農業・漁業破壊政策による地方の崩壊によって生み出された農村や漁村の「過剰労働力」が原発へと送りこまれたのだ。また日帝の新自由主義政策の全面的展開の中で生み出された大量の失業者、非正規労働者とりわけ在日外国人や被差別人民は、原発のような危険な場所で働く以外に生きる道はなかった。
原発は、このような原発労働者に被曝を強制することによってしか存続し得ない。だから原発の危険性を身をもって知り、この危険を取り除くためには、原発を廃止するしかないことを最も良く理解している原発労働者が団結して決起すれば、全原発は直ちに停止せざるを得なくなる。
われわれは現在最悪の事態を回避しようと、原発労働者が決死の献身的な闘いに立ち上がっていることに最大限の敬意を表するとともに、彼らの闘いに応えるためにも、われわれ自身の全国的な反原発運動を爆発させ、彼らがわれわれとともに立ち上がることのできる条件を必死につくり出さなければならない。
電力労働者の闘い
電力会社の労働者を原発廃止の闘いの側に獲得することも決定的に重要だ。電力労働者の組合であった電産(電気産業労働組合)は、戦後、最も先進的な闘いに決起した労働組合であった。帝国主義は原発政策を推進するためには、まず何よりも電産を破壊しなければならなかった。電力会社の原発推進への転換は、かつて総評の中軸を担ってきた電産の破壊をもって実現されたのだ。
だが、会社側による第二組合の結成と電産労組の切り崩しで電産労組が次第に解体されていく中で、残った電産労組のうち電産中国(電力産業労働組合中国地方本部)の労働者たちは、1977年6月に中国電力が原発設置を豊北町と山口県に申し入れしたのに対し、断固たる原発建設反対闘争に決起した。
原発に反対する住民たちは、次第に電産労働者の真剣な闘いを評価するようになり、強固な共闘体制が確立された。こうして、電産労働者と協力して闘った住民は、町長選挙で原発反対派の町長を選出し、1978年6月8日の町長の受け入れ拒否宣言で原発の建設をついに阻止したのだ。
電産中国は、第二組合が圧倒的な勢力を占める中国電力では少数派であった。だが地域住民の切実な要求と結びついて、少数であるといえども労働組合が断固として運動の中軸を担って立ち上がった時、原発建設という国策を阻止できたのだ。
われわれは、当時の電産中国が展開したような闘いを、今、巨大な規模で実現しなければならない。そのためには4・9の国鉄1047名解雇撤回闘争の反動的終息策動を契機として、自治労、教労を原発推進路線に転換させた4者4団体派の裏切りを徹底的に粉砕し、階級的労働運動路線を貫く労働運動の全国的再建を実現することが必要だ。
そしてそうした闘いと一体の闘いとして「とめよう戦争への道!百万人署名運動」の4・29集会をもって形成される新たな反原発全国運動陣形の下に結集して、反原発闘争の爆発的発展をかちとろう。
この闘いは、新自由主義政策の暴力的貫徹によって自らの利益のために安全を無視し、労働者人民に重大な被害を与えてもなおかつ平然として大災害下でさらに大規模な大失業攻撃を仕掛けようとしている日帝ブルジョアジーを打倒し、労働者階級を主人公とする新たな社会をつくり出す運動である。もはや労働者階級が社会の主人公にならなければ、資本家階級以外のだれもが生きることができない時代に突入した。まさにこの道こそこの大災害を労働者人民の力で真に乗り越え、全ての労働者人民が生きることのできる社会を作る唯一の道だ。
C原発と闘う農民・漁民と連帯して闘おう
原発事故の深刻化の中で、放射能汚染が拡大し、農産物や海産物が相次いで出荷できなくなると、農民と漁民の怒りが激しく爆発し、歴史的決起が開始されている。
漁民の怒りの爆発
全国漁業協同組合連合会(全漁連)の会長は、4月6日、福島第一原発が放射性物質を含む汚染水を海に放出したことに関して東電に激しい抗議をたたきつけた後、今後生じる被害について東電が補償するように求め、「今後は全国の原子力発電の全面廃止を求めていきたい」と発言した。全漁連会長のこの発言は全国の漁民の激しい怒りを代表するものだ。
放射能による海の汚染は、三陸海岸から茨城県、千葉県に拡大しているが、さらに今後日本全国の海に拡大することは不可避だ。海の汚染が進行すれば日本近海でとれる魚のほとんどが売れなくなる可能性がある。そうなれば全国の漁民の生活は全面的に破壊される。全国の漁民が漁民として生きるためには、原発を廃止するために闘う以外にない。このことに全国の漁民が気づき、原発を受け入れてきた漁協の幹部を乗り越えて決起を開始しているのだ。
労働者階級が、生きるために決起し始めた漁民と連帯して共同の闘いを展開する条件が整いつつあるのだ。
(写真左 上関原発に抗議する島民の1000【記念デモ(08年6月14日】)
(写真右 川内【せんだい】原発増設に反対する農民のトラクターデモ(10年3月25日】)
農民・漁民の闘いの歴史
農民・漁民の生活と命をかけた原発建設実力阻止の闘いは、これまで全国でさまざまな形で闘われ、大きな勝利をかちとってきた。
東北電力が福島県の小高町と浪江町に原発設置計画を発表した1968年には、浪江町農民が「棚塩原発反対同盟」を結成して粘り強く闘い、ついに原発建設を阻止した。浪江町棚塩地区の農家140戸の農民たちは、当時闘われていた三里塚空港反対同盟の闘いを学び、「農地を絶対売らない」=「農地死守」の闘いによって団結を打ち固めた。そして、県や町の職員による巨費を投入した用地買収工作を、「口を利かない、見ない、聞かない」の「三無運動」で粉砕して勝利した。
この地区の農民はすでに福島第一原発(1971年3月営業運転開始)の建設過程と稼働開始後の補修現場で労働者として雇用され、いい加減な設計と工事、放射能汚染の実態をよく知っていた。反対同盟指導部も、放射線管理区域での補修現場での経験をするために、あえて福島第一原発で働き、原発の危険性を体験してきた。このような体験が、強固な原発反対の姿勢を固めさせたのだ。
高知県高岡郡窪川町では、80年6月、町長が四国電力の窪川原発建設計画を容認したことに対し、地元の農・漁民は81年3月、反対の署名運動を組織し、この原発推進派の町長をリコールした。88年1月には、町予算案に原発関連予算の計上を許さず、原発建設をついに阻止した。
この他、農・漁民は新潟県巻原発、和歌山県熊野原発、和歌山県日高原発、宮崎県串間原発、三重県芦浜原発などを実力闘争で阻止している。山口県上関原発でも、漁民が29年間に及ぶ激しい実力闘争で原発建設を阻止している。
漁民たちは総評解散、原発推進の連合結成以降、労働組合からの支援を失い、孤立を強いられながらも、少数でも断固として闘い抜いている。
労・農・漁の団結した闘いを
今こそ階級的労働運動の立場に立って反原発闘争を闘う労働運動を爆発的に発展させ、労働者、農民、漁民の力を合わせた闘いで、原発の建設、原発計画の再開を阻止しよう。全原発の即時廃止の闘いは、労働者と現地で闘う農・漁民の団結した闘いなしには不可能である。
われわれは三里塚軍事空港実力阻止、農地死守の闘いに勝利してきた三里塚農民との労農同盟の強化という勝利的地平を有している。今こそ、この勝利的地平を基礎として労・農・漁が団結した強力な反原発運動を発展させ、それを日帝にたたきつけよう。
なお、動員された10万人の自衛隊が、連日の戸外での作業によって被曝を強制されている現実についても見ておく必要がある。自衛隊員は、原子力災害時の動員の際の許容被曝量を100_シーベルトと高い値に引き上げられた上、十分な放射能防護装備を与えられないまま救援活動や遺体収容に動員された。このため、3月中旬から4月中旬までの1カ月間に相当量の被曝を強制されているはずだ。
自衛隊員は、政府の無策やでたらめな救援政策に怒りを抱くとともに、地方切り捨て政策によって引き起こされた大災害や原発事故の悲惨な現実を身をもって体験している。われわれはこのような自衛隊員への被曝の強制を弾劾するとともに、多くが労働者・農民の子弟である自衛隊員を労働者人民の側に獲得するための働きかけや政治的宣伝も強化しなければならない。
エジプト革命のように闘おう
この闘いは、新自由主義攻撃の下で生きることを否定されたエジプト人民の命と生活を守るための闘いと同質の闘いである。資本家は、「原発がなければ資本主義は崩壊する。だから、どんなに危険でも原発を維持しなければならない」と主張している。日本の労働者人民だけでなく、全世界の労働者人民に甚大な被害を与えても資本主義は延命しようとしている。
したがってこの闘いは、新自由主義政策の強行によって大恐慌時代における絶望的延命策動を満展開する日帝との全面的対決を不可避とする闘いだ。われわれ自身の命を守る闘いは、原発推進政策の維持、原発輸出政策の強化による帝国主義間の争闘戦に勝利しようとする日帝の資本主義としての延命政策と、資本主義そのものと激突せざるを得ない。日帝を打倒して労働者人民が生き残るか、帝国主義があらゆる災厄を撒き散らしながら絶望的延命を続けるか、どちらかしかない。
全世界の労働者人民の反原発運動の巨大な発展と連帯しつつ日帝を打倒して労働者自身の力で全原発を停止させよう。この闘いは全世界の原発を廃止する闘いと一体である。人類と相いれない原発を全世界から廃止する闘いは、エジプト革命をもって開始された世界革命に向けた闘いそのものでもある。今こそ全世界の労働者人民と連帯して、反原発の共同戦線を世界革命へ向かって発展させよう。