International Lavor Movement 2009/06/01(No.394 p48)
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2009/06/01発行 No.394
定価 315円(本体価格300円+税)
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月刊『国際労働運動』(394号1-1)(2009/06/01)
羅針盤 道州制は改憲・戦争国家化攻撃
▼世界大恐慌の下、帝国主義ブルジョアジーは、国内では労働者階級に対する階級戦争を仕掛け、国外に向かって侵略戦争を展開している。日帝麻生政権は、北朝鮮が4月5日に「人工衛星」を打ち上げたことを口実に、自衛隊と権力・行政機構とマスコミを総動員して「ミサイル迎撃」の臨戦体制に突入した。これを契機に自民党などからMD(ミサイル防衛)強化の要求や、日本の核武装や「国連脱退」の主張が噴出した。先のソマリア沖の「海賊対策」なる口実をもってする海上自衛隊の海外侵略戦争の拡大など日帝は戦争体制に突入している。
▼道州制とは、警察や自衛隊を除く360万人の公務員労働者を、いったん全員解雇し選別再雇用することをもって、自治労、日教組を始めとする4大産別の労働組合を最後的に解体し、改憲と戦争国家化を強行することを狙った大攻撃だ。大恐慌下において、日帝ブルジョアジーは生き残りをかけて労働者階級にリストラ・大幅賃下げ攻撃をかけ、同時に自らの資源・勢力圏の確保のための侵略戦争に乗り出した。そのために改憲クーデターを開始したのだ。それが道州制だ。
▼この道州制を、大恐慌で破産した資本主義に総屈服した体制内指導部が率先して推進している。自治労本部は「民営化は労組機能度を高める」などと叫んで、労働組合の側から民営化を逆提案するという驚くべき方針を打ち出し、3・6大阪府庁前行動に全面敵対してきた。今こそ民営化・道州制絶対反対を掲げ、体制内指導部を打倒し、全国各地で動労千葉派が真正面から立ち上がって、第2次国鉄決戦を先頭に、4大産別決戦に全力で決起する時だ。道州制を粉砕しよう。
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月刊『国際労働運動』(394号2-1)(2009/06/01)
News&Review アフガニスタン
オバマのアフガニスタン新政策
部族地域の掃討戦重視しパキスタン支援
□2万1000人増派
オバマ米大統領は、3月27日、対アフガニスタン新戦略を発表した。
オバマは包括新戦略の発表にあたり「ますます危険な状況になっている」「(アルカイダなどの)過激派は弾丸と爆弾だけでは打ち負かせない」と戦略敗勢を自認していることを吐露した。
オバマは、新戦略で「勝利」のシナリオを「米軍やNATO部隊を増派し治安回復の道筋をつける」「文民も増員し、現地政府の統治能力を高め武装勢力を封じ込める」としているが迫力がない。
そのために、4000人の米軍教育訓練部隊を送り、アフガニスタン国軍や警察を強化し、2011年には国軍を13万4000人に、警察を8万2000人にすることで治安維持任務をアフガニスタン治安部隊に委譲していくと願望を語っている。
また、アルカイダやタリバンがパキスタンとの国境地帯を「聖域化」しているとして掃討作戦を強化し、そのためパキスタン政府に年間15億j(約1480億円)の大規模民生支援を行うとした。
結局のところ、当面夏までに増派が決定している米軍1万7000人と教育訓練部隊4000人を加えた2万1千人の軍事力増強だ。
しかし世界大恐慌の直撃を受け、財政危機にもさらされるオバマには、打つ手は限られている。戦略的敗勢を逆転することは不可能だ。
4月3、4日、北大西洋条約機構(NATO)の首脳会議がフランス・ストラスブールとドイツ・ケール両岸で開かれた。参加国は、アフガニスタン対策では8月に予定されている大統領選に向けて合計5000人の増派で合意したが、アメリカが求めた恒常的な大規模増派には「慎重な姿勢」を示した。各国内は早期撤退が趨勢になっている。
□国連事務総長報告
国連のパン・ギムン事務総長は3月14日までにアフガニスタンに関する事務総長報告書をまとめた。
それによると、08年の軍事衝突が07年比で31%増加し「08年は、01年以後最悪の年になった」、さらに08年後半の月平均衝突数(857件)が前半の平均(625件)より増えているとしている。
米軍や国際部隊とタリバンとの戦闘による民間人の死者は、2118人、うち米軍の軍事作戦による死者が828人で、その68%が空爆によるものだという。今年1月の軍事衝突は前年同月に比べ75%も増えているとし、これから8月の大統領選に向けて戦争激化に警告を鳴らしている。
□3月の武装闘争
3月に戦われた主な武装闘争は以下の通り。
・4日 国際治安支援部隊(ISAF)は、アフガニスタン南部の路上で仕掛け爆弾が爆発し、兵士3人が死亡と発表
・4日 カブール北方の米空軍バグラム基地前で車爆弾と自爆戦闘、市民数人が怪我した。ここは駐留米軍の拠点
・15日 東部のナンガルハル州でISAF所属の兵士4人がタリバンの爆弾攻撃で死亡
・16日 南部ヘルマンド州の州都ラシュカルガの警察署に警官の制服を着た男が徒歩で侵入してきて自爆し、少なくとも警官9人が死亡
・16日 西部ファラー州の警察署の入り口でも自爆戦闘があり、警官1人が死亡
・26日 へルマンド州で警察の検問所が武装グループに襲撃され、警官9人が死亡
これらの戦闘の特徴は、タリバン側から攻勢的に仕掛けられたものだ。米帝はますます「第2のベトナム」にのめりこんでいる。
□激動するパキスタン
パキスタンはきわめて重大な情勢に入っている。
かつてパキスタンはムシャラフ大統領のもとで、東南アジア最大の「対テロ戦争」協力国であった。米帝の要請で約10万人のパキスタン軍がアフガニスタンとの国境地帯にある部族地域におけるタリバン掃討作戦を展開してきた。しかしこのタリバン掃討作戦は、国内でのタリバンのゲリラ戦を激発させ、パキスタンを急速に不安定化させた。
ムシャラフによる対タリバン戦争を遂行するための非常事態宣言と戒厳令の発令、大統領権限の独裁的強化は反発を生み、08年2月の総選挙でムシャラフ派は惨敗した。
3月、人民党のギラニを首相とする人民党とイスラム教徒連盟シャリフ元首相派の連立政権が生まれた。8月にはムシャラフ大統領が辞任に追い込まれ、チョードリ前最高裁長官復職問題でシャリフ派が連立政権から離脱した。
9月の大統領選で、人民党のザルダリ共同総裁が圧勝、その後はザルダリ大統領とシャリフ元首相との権力抗争が激化し今日に至っている。
□3月の主な出来事
・11日 政権と野党の対立激化。デモ前日、数百人逮捕
・12日 パキスタン各地で反政府デモ開始
・15日 当局、シャリフ元首相の軟禁を命令、元首相と数百人の支持者が警官隊と衝突
・16日 首都近郊ラワルピンディの幹線道路で自爆戦闘
・23日 首都イスラマバードの中心部で警察を狙った爆発があり、少なくも2人死亡
・27日 北西部の部族地域カイバル地区で自爆戦闘、多数の警官含む住民70人死亡、この地区はカイバル峠を控えNATO軍向け物資輸送めぐり軍の掃討作戦がしばしば展開され警官が協力的だった
・30日 東部ラホールで武装集団が警察訓練施設を襲撃し、治安部隊に制圧されたが20人が死亡、90人以上が負傷
ザルダリ大統領は米帝の圧力を受け対テロ戦争を継続している。しかし、シャリフ元首相との政治抗争が激化し、他方で部族地域に対する米軍無人機の度重なる越境攻撃による民間人の死者が増大し、部族地域における掃討作戦はパキスタン軍自身の疲弊、厭戦主義を生みだし、タリバンの反撃をもたらし都市における自爆戦闘が頻発し、武装闘争はパキスタン全土に拡大している。米帝はここでも完全に展望を失っている。
(宇和島洋)
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タリバンの「聖域」、部族地域とは
侵略戦争に反乱を繰り返した地域
部族地域
北西辺境州に所属する部族地域は七つの管区(及び6つの小さな郡隣接部族地域)からなっている。七つの管区は北から、バジョール、モーマンド、ハイバル、オラクザイ、クーラム、北ワジリスタン、南ワジリスタン。
部族地域の面積は2万72
20平方キロb。パキスタン全土の約3・4%。長野県の約2倍。周囲を2500〜3000b級の山脈と峡谷に囲まれた山岳地帯だ。
アフガニスタン・パキスタン国境のパキスタン側に位置し、パシュトゥン人が住んでいる。人口は330万人で、パキスタン総人口の2%とされるが、実際には570〜600万人が住んでいるといわれる。
パシュトゥン人はアフガニスタンでは最大の民族であるが、パキスタンでは少数民族である。ところが絶対数を比較するとアフガニスタンでは約1100万人、パキスタンでは約1700万人とされ、パキスタンの方が多い。これまで両国の国境地域のパシュトゥン人は、国境に関係なく自由に往来してきた。
歴史
19世紀〜20世紀、イギリスのインドからの膨張戦略とロシアの南下政策の激突点がアフガニスタンだった。英ロにとって戦略的にきわめて重要な位置にあった。
ロシアの南下政策を恐れるイギリスがアフガニスタン侵略戦争を試みたが、2度とも完敗した。(
第1次アフガニスタン戦争については、4月号を参照)
第2次アフガニスタン戦争(1878〜1880)でもアフガニスタン人民の反乱に悩まされた英軍は完全撤退したが、国王と保護領にする約束を取り付けた。直後の1893年に、アフガニスタンと大英帝国の境界線を定める「デュランド・ライン」が合意された。(デュランドは交渉に当たった英領インドの外務長官の名前)。イギリスは、このラインでパシュトゥン人地域を二つに分断し弱体化を図り、同時に対ロシアとの間に緩衝地帯としてアフガニスタンと部族地域を二重に設定しようとした。
こうして大英帝国内に組み込まれた部族地域ではイギリスに対する反乱が続き、鎮圧をあきらめたイギリスは部族地域の自治権を全面的に認めることで事態を収拾した。
第1次世界大戦後の1919年、アフガニスタンはイギリスに独立戦争を宣言、大戦で疲弊したイギリスは独立を認めたが部族地域がアフガニスタンに戻されることはなかった。
第2次世界大戦後、1947年のイギリスからのインド・パキスタン分離独立の際に、部族地域の指導者たちは、それまで認められていた自治権が継続されることを条件にパキスタンに帰属することを承認した。このような歴史を経て部族地域はパキスタンにおいて独立国に近い自治権が認められている。
それはパキスタン憲法第247条に、パキスタン議会が制定した法律は、大統領が指示しない限り部族地域には適用されないと規定されている。法律に代わるものとして、パシュトゥン民族の部族法ともいえるパシュトゥンワリという慣習法(部族の掟)が適用されている。
対ソ戦時の部族地域
ソ連のアフガニスタン侵攻当時、部族地域、特に南北ワジリスタン管区は、イスラム武装勢力の主要な出撃拠点であった。部族地域は世界各地からのイスラム急進派を受け入れ、隠れ家を提供したり様々な援助をした。ここに集結したイスラム急進派の外国人武装勢力の一部が対ソ戦後もそのままこの地に住みつき定着した。
部族地域への侵略戦争
01年10月に始まった米帝のアフガニスタン侵略戦争によって敗退したタリバン武装勢力は、12月にカンダハルからパキスタンのクエッタに撤退し、米帝の圧力に屈した政府の弾圧もあり、部族地域の南ワジリスタンに移動した。
01年12月、米軍に追われたビンラディンらはアフガニスタン東部のナンガルハル州のパキスタン国境付近のトラ・ボラ地区に逃げ込んだ。この時、トラ・ボラ地区に接するパキスタン側の部族地域でパキスタン軍がアルカイダを待ち受けていた。
パキスタン軍が部族地域に侵攻したのはパキスタンの歴史始まって以来のことだ。部族地域にとってパキスタン軍が域内に入ってくることはまったく想定されていないことだった。それはかつての英軍と同様に侵略軍とみなされた。
03年10月、パキスタン軍がタリバン武装勢力の多くが移動していた南ワジリスタンに侵攻した。04年3月から大規模軍事作戦が展開され、武装勢力の多くは北ワジリスタンに移動した。これを追って04年終わりごろから05年にかけてパキスタン軍の掃討作戦が北ワジリスタンで行われた。
03年10月、パキスタン軍がタリバン武装勢力の多くが移動していた南ワジリスタンに侵攻した。04年3月から大規模軍事作戦が展開され、武装勢力の多くは北ワジリスタンに移動した。これを追って04年終わりごろから05年にかけてパキスタン軍の掃討作戦が北ワジリスタンで行われた。
06年に入ると武装勢力側からのパキスタン軍への攻撃が頻発するようになった。南北ワジリスタンでの戦闘は激化している。
部族地域はいわばパキスタンに埋め込まれた「反乱のアフガニスタン」である。部族地域は、大英帝国が望んだインド防衛の緩衝地帯ではなく、「反乱のアフガニスタン」をパキスタン全土に広げる導火線となったのだ。
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月刊『国際労働運動』(394号3-1)(2009/06/01)
News&Review アメリカ
カリフォルニア州の財政破綻
全州の公共労働者が大統一行動へ
□全米最悪の州財政破綻
全米の州がすべて07年のサブプライムローンの破綻・大恐慌突入で大打撃を受けた。08年9月の金融大破綻以来の大恐慌の激化の打撃はさらに大きい。
特にカリフォルニア州の財政がもっとも深刻だ。
08年前半期で152億j(約1兆6000億円)の財政赤字をかかえるに至った。
7月には、シュワルツェネッガー知事は、財政赤字対策として州職員の2万人削減と給与カットの行政命令に署名した。だが、7月から始まる会計年度の予算がその後3カ月たっても州議会を通らない。9月末に予算が可決されたが、その後も資金は減りつづけた。
すでに全米の国債・州債は過飽和状態で、売れなくなっており、同州は州債発行で必要な短期資金の半分しか調達できなかった。12月には、財政非常事態宣言を出し、2000件の公共事業を中断した。
09年2月2日、格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は、同州一般財源債を「Aプラス」から「A」に格下げし、全米で最低格付けの州となった。
業者への支払いも遅延している。税の還付も行われない。社会保障機関への支払も遅れている。1月末段階で、総額35億jが未払いだ。
カリフォルニアは、アメリカの中で最も財政破綻が激しい州になった。
08年、州内で26万人が失職した。
フードスタンプ(貧困者への無料食料配布券)を受け取った人は、08年9月までの1年間で13・8%増加している。
母子手当など、その他の給付の需要も急増している。
こうした中で、シュワルツェネッガー知事は、教育予算を77億jカットし、さらには、メディケイド(低所得者や「障害者」の医療制度)から歯科をなくすなどの社会福祉予算の大幅カットをしようとしている。
□道州制のモデル
大恐慌の中でカリフォルニアの州財政がもっとも深刻になっているのは、なぜであろうか。
元来、カリフォルニアは、豊かな州だった。
だが、新自由主義下のアメリカでももっとも徹底して金持ち優遇策をとったのが、カリフォルニアだった。
レーガンは、1966年の州知事戦で「バークレーのゴミを片付けろ」(ベトナム戦争反対の学生運動の拠点への攻撃)と「福祉依存の怠け者を働かせろ!」を2大スローガンにして登場した。
67〜75年の知事時代に「税金を納めない低所得者」への攻撃が徹底的に扇動された。「納税者の運動」が非常にイデオロギッシュに組織され、78年の州民投票第13号を可決させていく。
核心は、資本家の税負担軽減のために固定資産税を1%以下にしたことだ。その後の州税の改定(増税)については、議会の3分の2以上の賛成が必要という高いハードルも設けた。これが「納税者の反乱」として衝撃的に宣伝され、レーガンは一躍全米的な政治家となり、80年、大統領に当選する。
つまり、この州政でレーガンはアメリカの支配階級に信任され、80年代に全米・全世界で新自由主義政策を強行していったのだ。
そしてまた、カリフォルニアを先頭とするアメリカの州政こそ、日本で目論まれている道州制のモデルなのだ。
カリフォルニアで明らかなように、このモデルそのものが、すでに破綻している。
そして何より、公務員労働者の大量解雇を始め、全労働者階級にとことん犠牲を押し付ける制度なのだ。
一例として、電力危機をあげよう。
電力、水道などが一般に民営化されていないのは、同一地域で競合企業を作りにくく、独占の害が爆発的にまんえんするからだ。ライフラインを止める脅しで、すさまじい値上げが可能になってしまうからだ。
カリフォルニアで96年から電力自由化が始まり、98年の電力小売自由化でその通りのことが発生した。独占を利用した電力卸売り拒否=価格つり上げが起き、投機がまんえんした。そしてエンロンなどの詐欺企業がはびこった。
00〜01年には、実際に重大な電力不足となり、各地で大停電が発生した。
土地利用、不動産売買、賃貸借の規制緩和などでも重大な問題が発生する。カリフォルニアはフロリダと並んで、ローン破綻による立ち退き・競売の件数が全米でもっとも多い。
このように労働者を大量解雇し、地域を資本が徹底的に私物化し、人民を食い物にする州政を導入しようというのが、道州制だ。
□5・1公共労働者大行動
3月16日、日本より広大なカリフォルニア州の全地方から公共部門の労働組合の代表が集まって、UPWA(公共労働者統一行動)という組織の第1回会合が開かれた。150万人の公共部門労働者と全大学、コミュニティーカレッジ(日本の短大+社会人教育に相当)の学生、高校生の統一行動を呼びかけている。
まず、5月1日メーデーに大行動をする。従来、アメリカ労働運動ではメーデーは、タブーだった。国家権力との激突の歴史が生々しいからだ。これを打ち破ったのが、06年の移民労働者のメーデーであり、08年のILWU(国際港湾倉庫労組)のイラク戦争反対全港湾封鎖だった。UPWAは、これらの闘いを引き継ぐということだ。
UPWAは、労働者の直接行動によって公共労働者への攻撃と対決することを掲げている。
そして、UPWAは、新自由主義の原点、民営化と78年の州民投票第13号への挑戦を開始している。
この公共労働者の結集を呼びかけた一つの中心は、小中学・高校と大学、コミュニティーカレッジの教育労働者の組合だ。UTLA(ロサンゼルス統一教組)、AFT2121(アメリカ教員連盟、サンフランシスコ・コミュニティー・カレッジ支部)などだ。これに、学費値上げ、教育民営化に反対する学生自治会などがUPWAに大挙参加している。
あと一つは、州職員、市町村職員の組合、AFSCME(州・郡・市従業員連盟)の第57地区協(北カリフォルニア地域などの自治体の諸支部と州職員組合の地区協)だ。それに、NALC214(全米郵便配達組合、サンフランシスコ支部)や、地域のあらゆる産別が参加する、AFL―CIOサンフランシスコ労組評議会、同サンマテオ労組評議会などが加わっている。
(写真 教育予算削減反対行動に6000人の学生と教育労働者が全カリフォルニアから結集【3月16日 サクラメント市・州議会前】)
□既成指導部の総屈服
これほど大規模に労働組合が結集できたのは、これまで、強大な統制力で闘いを抑え込んできた大労組の中央指導部が、地域段階、支部段階での労働組合の巨大な闘いをもう抑えられなくなったからだ。
それは、大恐慌の中で、ナショナルセンターであるAFL―CIO(アメリカ労働総同盟・産業別組合会議)やCTW(勝利のための変革)、そして、大労組の中央指導部が総屈服したためだ。教育、医療支出の大幅削減、とりわけ労働者の大量解雇に対する、労組中央の屈服は、彼ら自身の基盤をも崩壊させている。
AFL―CIOとUAW(全米自動車労組)は、これまでの労働協約(契約)を破棄し、労働組合がないトヨタなどの工場と同じ水準まで、賃金、医療、年金などを下げる攻撃に率先して迎合している。組合がない工場と同じ労働条件に下げるのなら、一体何のために労働組合があるのか!
オバマ政権のダンカン教育長官は、シカゴの教育長として全米でもっとも激しく廃校・統合、学校民営化を推進した人物だ。このダンカン教育改革と癒着してきたのが、AFT中央だ。そして、AFT中央は、昨年、生徒のテストの点数に応じて教師のボーナスを配分するという「成績給」制度を提案している。教師の解雇、賃下げと闘わず、点数競争で賃金を確保せよとけしかけているのだ。
こうした既成労組官僚の従来の一線をも越えた裏切りに対して、労働者の怒りが煮えたぎっている。
□UTLAのオバマ支持と批判
UTLA(ロサンゼルス統一教組)は、一昨年のサブプライムローンの崩壊・カリフォルニア州財政危機の勃発以来、教育予算削減反対で、大デモやストライキをするなど、非常に戦闘的に闘ってきた。08年6月の1時間ストは、全校でほぼ完璧に打ちぬかれた。
だが、大統領選の過程では、相当のエネルギーをオバマ支持運動に投入した。
UTLAの現執行部は、05年の執行部選挙で、体制内「左派」の旧執行部に対して、戦闘的な諸グループが統一戦線を形成し、勝利したものだ。だが、その非常に戦闘的な執行部も、まだ体制内的な傾向を抜け出せなかったのだ。“オバマを全面的に支持するわけではないが、ブッシュの後継であるマケインを負かすためには「よりまし」なオバマを支持すべきだ”という論理だった。しかし、それでも、労働者階級にオバマへの幻想をあおり、労働者の団結のみが闘いを切り開くという、労働者の自信、確信に打撃を与えることには変わりはない。資本家の党である民主党とオバマへの依存に流れるものなのだ。
このオバマ支持運動に対して、この戦闘的な統一戦線の中から批判が出され、ねばり強い討論がされていった。特に、オバマ政権の「成績給の導入」攻撃が、教育労働者の怒りを呼び、オバマとの闘いの必要性が浸透していった。ダンカン新長官の民営化攻撃も、そうだ。そして、イラク、アフガニスタンへの戦争と軍事費の増大だ。
UTLA内で学校での募兵活動と闘っているCAMS(校内の軍事化に反対する連合)は、オバマの戦争への批判で大きな役割を果たした。
□実力決起したUTLA
オバマ自身が新人事と政策構想の発表で、次々に反動性を自己暴露していった。当初は、「よりまし」論に流された人々も、労働者の団結で闘いを切り開く立場に戻りつつある。
ロサンゼルス教育当局は、年初に2300人の教育労働者の解雇を提案してきた。医療保険も自己負担大幅増だ。
UTLA(ロサンゼルス統一教組)は、スクールバス、事務などの他労組や地域の諸労組、生徒、保護者にも呼びかけ、1月29日に1万5000人のデモを行い、ストも構え、この攻撃を打ち破った。
だが当局は、3月初旬、改めて教師及び他の職員8800人の解雇を提案してきた。
UTLAは直ちに、教育委員会の実力占拠闘争に決起した。組合員に最終的な解雇予告が行われる5月の前までに、いかにしてストをするか討論を重ねつつ、各学校で大規模なピケットを動員し、アチーブメントテストをボイコットする非協力闘争を続けている。
アメリカの連邦と州の財政破綻は、アメリカ資本主義そのものの破産だ。資本主義を打倒し、労働者が社会を運営する以外に道はない。既成労組官僚はもとより、戦闘的労働運動の中にもある体制内的な傾向の克服の闘いが決定的である。
(村上和幸)
(写真 教師解雇に反対してかけつけた地域の諸労組と保護者が各学校の前でピケット【3月27日】)
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月刊『国際労働運動』(394号4-1)(2009/06/01)
News&Review 日本
動労千葉を先頭に全国でスト
体制内指導部の屈服を突き破り
□ベアゼロ・賃下げ攻撃
「生きさせろ!」ゼネスト春闘が求められる中で、動労千葉の全面ストライキを先頭にして、全国各地で09春闘ストライキが闘いぬかれた。世界大恐慌下で、数十万人に上るといわれる派遣切りを始めとする非正規雇用労働者の首切り攻撃が吹き荒れる中で、労働者階級のぎりぎりの反撃がたたきつけられたのである。
他方、連合指導部を始めとする体制内派は、連合と日本経団連による1月と3月の二度の「労使共同宣言」を受けて、資本との闘いを放棄した。何が「8年ぶりのベア要求」か!
3月18日の集中回答では、金属大手のすべてがベア・ゼロとなり、自動車ではトヨタで一時金が67万円の減額になったのを始め、軒並み一時金が減額。電気では日立、東芝、NEC、富士通、シャープが定期昇給の凍結で、実質賃下げとなった。一時金は業績連動型であり、ほとんどが減額となる。
こうした中で3月28日には、連合の高木会長、日本経団連の御手洗会長、麻生首相らが「日本型ワークシェアリング」と称する政労使合意を発表したのだ。これは非正規労働者の首切りの上に、正規労働者の賃下げと首切りをも強行しようというものだ。断じて許しがたい。こうした体制内指導部の裏切りと屈服を突き破る階級的労働運動の新たな胎動が始まったのが09春闘なのである。
□動労千葉が全面スト
まず、3月17〜19日の動労千葉のストライキの画期的な意義である。今春闘ストは2年ぶりに全組合員を対象とした全面ストとして闘われた。JR東日本の運転、検修・構内、営業関係で突入し、JR貨物の地上勤務者も3年ぶりのストに突入した。3日間で延べ300人以上の組合員がストに参加したのだ。
スト直前の16日、JR東日本本社は、「争議行為の中止の申入れ」なるものを行ってきた。そこには「信濃川発電所における一連の不祥事に対し、……流水の占用許可取消等の行政処分を受け、お客さまや地域の皆さまの信頼回復に全社員が一丸となって取り組んでいる」とした上で、「このような状況にあるにも係わらず争議行為を実施することは、信頼回復に取り組んでいる全社員を欺くもの」と書かれている。
信濃川発電所では取水プログラムまで改ざんして水泥棒を行い、国土交通省からの調査依頼にも「適正」と回答していたのがJR東日本当局なのだ。完全な違法行為であり、詐欺・窃盗そのものだ。自らの違法行為の責任を取ろうとせず、現場に責任を転嫁し、スト中止を要求するなど言語道断だ。
動労千葉は、こうした当局の姿勢にも怒りを爆発させ、3万8000円の大幅賃上げ、業務外注化やライフサイクル配転の中止、レール破断に対する抜本的な安全対策などの要求を掲げて団交を重ねたが、決裂。断固として3日間のストを打ち抜いた。
この春闘ストは、また組織拡大春闘でもあった。JR東日本当局は、JR東労組から動労千葉に加入させないために、あらゆるスト対策をとった。
だが、17日のスト貫徹総決起集会では、幕張車両センターでスト破りを拒否して国労から動労千葉に加入した鶴岡忠さんが紹介され、「20年前にも入ろうとしたが“国労で頑張れ”と言われ、国労で動労千葉を応援してきた。スト破りの業務命令と国労の状態に納得できなかった。国労にも入ってくる仲間がいる。ともに頑張ります」と決意表明し盛んな拍手を浴びた。
また、各支部代表とともに、6人の平成採組合員が登壇して決意表明。「初めてのスト」という平成採の発言は、さらなる組織拡大に向けての大きな手応えを感じさせるものであった。組織拡大に動労千葉と日本労働運動の未来がかかっているのだ。
JR東日本は、3月26日、許せぬことにベア・ゼロと夏期手当の0・05カ月削減の賃下げ回答を強行してきた。また、JR貨物は3月23日、10年連続のベア・ゼロ回答を行った。JR総連・東労組、貨物労組は裏切り妥結した。
だが、ストを闘いぬき、3月30日に結成30周年を迎えた動労千葉は意気軒高として団結を打ち固め、前進している。
また、3月25日には、国労闘争団の鉄建公団訴訟(第1次訴訟)の控訴審で、東京高裁は、「不当労働行為」があったとしても国鉄清算事業団による解雇は有効とし、1人あたり550万円の「慰謝料」を支払えというにすぎない反動判決が言い渡された。一審と同じく停職6カ月以上または2回以上の労働者は、その「慰謝料」の対象からも排除し、闘争団を分断し、とりわけ動労千葉争議団を徹底して排除する許しがたい判決である。これは、4者4団体による「政治解決路線」の破産をも示すものである。
1047名闘争の帰趨(きすう)に日本労働運動の行方がかかっている。動労千葉のストは、この3・25判決情勢をも見据え、4者4団体による「政治解決路線」を打ち破り、1047名闘争の再構築の展望を指し示した。
(写真 スト貫徹!動労千葉総決起集会で決意表明する平成採組合員【3月17日】)
□動労水戸などもスト
動労総連合傘下の各単組も、動労千葉と連帯してストを貫徹した。
動労水戸は3月18日、終日のストを打ち抜いた。動労水戸は昨年12月、運転士登用差別事件で最高裁の勝利判決をかちとり、運転士の資格を持つ動労水戸組合員を運転職場から排除してきたJR東日本の労務政策は打ち破られた。ところが、JR東日本は、この最高裁判決を逆手にとり、組合指導部の強制配転を始め、組合員の勤務地を一方的に指定することにより、運転士発令を組合分断の手段にしようとしている。動労水戸は、この分断攻撃と対決して、22年に及ぶ不当配属を打ち破って運転職場に復帰する組合員を先頭に団結を打ち固めた。
動労連帯高崎は、3月24日未明から2人の組合員がストに突入した。このストに対して、当局は国労組合員をスト破りに入れ、国労がそれに応じたのだ。動労連帯高崎は、自動車部品メーカー・ショーワで働く一般合同労組埼玉ユニオンや、この日ストに入ったJAM神奈川ジェコー労働組合など、派遣切りと闘う非正規労働者らとともに、スト報告集会を開いた。
動労西日本広島支部は3月14日、岡山駅で契約社員の正社員化を要求してストを闘った。動労西日本には、岡山駅の営業職場の契約社員が加入していたが、その契約社員が断固ストを貫徹したのだ。
さらに動労西日本広島支部は3月18日、五日市駅で第2波ストに決起した。午後6時20分、大江照己支部長が指名ストに突入、五日市駅広場に集まった50人の労働者を前に高らかにスト宣言を行った。
□36年ぶりの半日スト
民間の労働組合も各地でストに決起した。
東京・八王子のJAM日本機械工業労働組合の組合員150人は3月23日、春闘半日ストを一人の脱落もなく闘いぬいた。36年ぶりの半日ストである。
午後の就業時間からストに突入し、「要求貫徹! 春闘勝利!」のコールで2隊列に分かれて社長室前に向かってデモ行進した。工場構内のデモは圧巻だ。会社は17日の回答指定日に何の回答も示さず、組合員の怒りに火がついた。18日昼休みの闘争宣言集会に続き、19日の勤務時間終了後、会社のふざけた態度に対する抗議集会を行い、執行委員全員がストに立ち上がる決意を表明し、23日のストに臨んでいったのだ。連合足下からストに立ち上がった意義は大きい。
(写真 36年ぶりの半日ストに突入し工場構内をデモするJAM日本機械工業労働組合【3月23日】)
□雇い止めに抗議し
昨年来、派遣労働者の雇い止め解雇に対して奈良・森精機でストを闘ってきた関西合同労組技能育成センター分会は、3月19日、ストに決起し、上京して、派遣会社ラディアホールディングス(旧グッドウイル)本社とその子会社プレミアライン(旧技能育成センター)本社への解雇撤回闘争に立った。
ラディアは3月2日、製造業派遣事業の全面撤退を理由に約4500人の解雇を発表。18日に技能分会の労働者にも一方的な解雇通告を行った。これに抗議し、大量解雇攻撃への反撃を全労働者に呼びかける闘いとなった。
大阪の全国社会保険協会連合会労働組合(全社労)は、1月14日、19日の2波のストに続いて、3月19日、終日ストに決起し、東京・港区にある全社連本部門前で闘いぬいた。社会保険庁が設立した年金・健康保険福祉施設整理機構は3月9日をもって全社連との委託契約を打ち切り、大阪3健康管理センター(福島・長堀・淀川)施設売却を強行、全社連は3月31日をもって組合員を解雇すると通告してきた。全社労は、この間の闘いで組合員を3倍化し、3月31日を越えて解雇撤回闘争を闘っている。
□全国各地で決起
東京・武蔵野病院の精研労組は、6波のストライキを打ち抜いてきた。そして2月28日の春闘賃上げストを闘いぬいた後、池袋で東京北部春闘集会に大隊列を登場させた。医労連の体制内指導部と対決する闘いに踏み込んだことによって、組合員の決起がかちとられた。
2月26日、大阪の八尾北医療センター労組は、八尾市による住宅明け渡し強制執行に対し、ストライキに決起し、当該の森本政二さん、部落解放同盟全国連合会西郡支部とともに実力で闘いぬいた。
仙台の東北石けん労組は、「1月末操業停止、2月末従業員全員解雇、3月末会社解散」の攻撃に対して、1〜2月の3波のストを打ち抜き、2月28日の全員解雇を乗り越えて、地労委闘争、4月1日からの新工場への就労要求の門前闘争を闘っている。
3月6日、沖縄バヤリース労組は、始業時間に食い込む春闘第1波時限ストに立ち上がった。6年ぶりのストだ。さらに3月27日には第2波ストに決起した。
東海合同労組SK分会は、有給休暇取得に対する配転攻撃に2波のストを闘って団交をかちとり、3月18日の団交で、配転の不当性を認めさせ、不当解雇を撤回させる勝利をかちとった。
その他、全国各地でストや春闘行動が闘いぬかれた。それらの総体が3・20イラク反戦6周年闘争に結集した。
□4大産別の不屈の闘い
国鉄とともに、日本労働運動の基軸となる全逓、自治体、教労などにおいても、今春、道州制―民営化、労組破壊攻撃に対する反撃が闘われた。
全逓労働者は、民営郵政が破綻する中での新たな民営化攻撃に対して、JP労組中央の裏切りに抗して、不屈の職場闘争が闘いぬかれた。
自治体労働者は、自治労豊中市職女性部の呼びかけた3・6大阪府庁前行動を頂点に、道州制攻撃との闘いの突破口を開いた。
また、教労においては、「日の丸・君が代」不起立の闘いが不屈に闘われ、根津さんの解雇を阻止する勝利をかちとっている。さらに、道州制攻撃の一環としての教育の民営化攻撃との闘いに踏み出した。
4大産別決戦の戦略的位置をさらにしっかりと確認し、09年11月集会に向かって前進しよう。
(大沢 康)
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月刊『国際労働運動』(394号C-1)(2009/06/01)
■編集後記
読者から本誌編集部宛てに投稿があった。
「月間『国際労働運動』3月号を読みました。欲しいものがやっと手に入ったような思いです。何よりも安い。そして内容が充実しているにもかかわらず分かりやすい。これならば貧乏人の私にも大きな負担にならずに、しかも時間をかけてじっくり繰り返し読める。
知りたいことがかみ砕いて詳しく書いてある。たとえばCDSの展開も、リーマンブラザーズを見捨てたのに何故アメリカ政府は膨大な公的資金を投入してAIGを救済しようとするのか、などがよく分かりました。私はブログを書いていますが、これは強力な武器になってくれます。感謝します。ありがとうございました」
読者の声を励みに、さらに期待に応えられるものにしていきます。
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