SANRIZUKA 2014/01/13(No887 p02)

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第887号の目次

2014年決戦へ反対同盟団結固める
「萩原事務局次長の遺志を受け継ぎ、市東さん農地裁判の控訴審闘争に勝利するぞ」と誓った新年団結旗開き(1月12日 成田市)

1面の画像
(1面)
萩原進さんの遺志と闘魂を受け継ぎ
1・12新年団結旗開き 控訴審闘争の絶対勝利誓う  市東さん農地裁判 3万人署名を達成しよう
記事を読む
2014年闘争宣言  霞が関に攻め上る  三里塚芝山連合空港反対同盟 記事を読む
追悼 萩原進事務局次長  三里塚闘争の勝利を担う  三里塚現地闘争本部 記事を読む
動労千葉の団結旗開き  北原事務局長があいさつ  労農の力で安倍打倒を 記事を読む
闘いの言葉 記事を読む
(2面)
通夜・告別式に700人  “三里塚闘争の勝利誓う” 記事を読む
全学連三里塚現地行動隊日誌  市東農地決戦の先頭に立つ  勝利へ! 執念の人 記事を読む
空港会社に 文書提出を命令  耕作権裁判で重大な勝利 記事を読む
土地収用相次ぐ台湾から  テレビ局が取材に 記事を読む
1・22やぐら裁判へ  早期結審策動と対決を 記事を読む
北総の空の下で  土に生まれ  走りぬいた人生! 記事を読む
三芝百景 三里塚現地日誌 2014  12月10日(火)〜1月14日(火) 記事を読む
《三里塚闘争裁判》 記事を読む

週刊『三里塚』(S887号1面1)(2014/01/13)

 萩原進さんの遺志と闘魂を受け継ぎ

 1・12新年団結旗開き 控訴審闘争の絶対勝利誓う

 市東さん農地裁判 3万人署名を達成しよう

 韓国鉄道労組の23日間のストライキがパククネ政権をゆるがしている。動労千葉は韓国大使館抗議行動、1・13連帯行動をもって立ち上がった。沖縄・仲井真弘多知事による辺野古新基地への埋め立て承認に対して、2000人の沖縄県民が県庁を占拠した。都知事選挙への革命的挑戦が始まった。開始された2014年決戦のただ中で反対同盟は、1月12日、140人の結集で新年団結旗開きを断固かちとった。12月21日に急逝した故萩原進事務局次長の遺志を受け継ぎ、市東さん農地裁判・控訴審闘争の絶対勝利へ、あらためて霞が関に攻め上る決意を内外に明らかにした。今こそ3万人署名の達成へ。3・23全国集会(東京・芝公園)、3・26第1回弁論へ。
(写真 2014年決戦へ反対同盟団結固める 「萩原事務局次長の遺志を受け継ぎ、市東さん農地裁判の控訴審闘争に勝利するぞ」と誓った新年団結旗開き【1月12日 成田市】)

 安倍政権との対決へ!

 1月12日の2014年反対同盟旗開きは、事務局次長萩原進さんを失った悲しみを越えて市東さん農地決戦の勝利を勝ちとる誓いの集まりとなった。午前に敷地内デモを貫徹。午後から成田市内で行なわれた旗開きの受付で、新3万人署名の用紙とパンフレット、リーフが渡されると各団体からの注文が集まり、控訴審決戦に向けた第一歩が開始された。
 司会の伊藤信晴さんが「萩原進さんを失ったことは残念無念の極み。本日の旗開きを戦闘的に闘いぬき、今年1年を勝利の年に」(反対同盟発言別掲)と開会し、反対同盟闘争宣言(別掲)を太郎良陽一さんが読み上げた。北原鉱治事務局長は「三里塚闘争はまだ50パーセントだ、今年は48年間を上回る前進を」と述べ、「いつまでも闘っていきたい。われわれに正義あり」と意気高く宣言した。
 続いて、市東孝雄さんのあいさつと「霞が関に攻め上る」を合言葉に乾杯。しばらく歓談と交流が行われた後、共闘団体である動労千葉と関西実行委員会からのあいさつを受けた。動労千葉の田中康宏委員長は、「時代の激しい流れが、今立ち上がれ、霞が関に攻め上れと要請している」と檄を飛ばし、国鉄分割・民営化という稀代の反動・反革命を突き崩す一歩手前まで闘いは前進し、全力で最高裁決戦に立ち上がることを訴えた。また安倍政権の改憲阻止と韓国・民主労総ゼネストとの連帯を呼びかけた。

 鈴木達夫氏が都知事選立候補

 顧問弁護団の葉山岳夫さんは、空港会社の主張を丸写しにした多見谷判決を打ち破る控訴理由書作成を報告し、3・26東京高裁の包囲を訴えた。そして、「憲法と人権の日弁連をめざす会」が鈴木達夫弁護士を押し立てて都知事選を闘うことを述べ、共に決起することを訴えた。「市東さんの農地取り上げに反対する会」からは、柏市議の内田博紀さん、「群馬市東さんの農地を守る会」から高階(たかはし)みちさんが発言した。全国農民会議の北総農民は「萩原さんは鋭い感性と革命性をもった農民」と哀悼の意を表した。続いて、動労水戸とスタンダードバキューム自主労組からあいさつを受けた。支援団体の最初に革共同が立ち、「3・23、3・26闘争へ万余の結集を、3・11郡山闘争をかちとり成功させる」と決意を明らかにした。そして国鉄・反原発・改憲阻止・星野の四大決戦を訴え、当面の最大の決戦として東京都知事選挙の勝利へ革共同は全力で闘う決意を表明した。
 この発言を受け、支援団体と各共闘団体からのあいさつに入った。星野さん再審連絡会議から星野暁子さん、都政を革新する会の長谷川英憲さん、婦人民主クラブ全国協代表の三浦正子さん、反戦共同行動委員会の三角忠さん、斎藤郁真全学連委員長が発言した。
 そして、萩原富夫さんが涙をこらえて父の遺志を力の限りに継ぐことを表明し、全参加者の感動を呼んだ。最後に野平聰一さんが団結がんばろうを三唱し閉会した。
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 反対同盟の発言

 我々に正義がある 北原鉱治事務局長

 2014年を迎え、三里塚闘争は48回目の旗開きを迎えています。私は半世紀闘ってきました。「北原、三里塚闘争はどこまできたのか」と問われれば、私の答えは「ようやく50パーセントまで来た」ということです。60パーセントを目指し、今年一年を闘いぬくことを宣言します。
 萩原さんがなくなった今、私はいつまでも闘っていきたい、と改めて思います。若い青年の未来を開く、これは生きている者の務めです。われわれに正義あり、です。

 より強い連帯を!敷地内・市東孝雄さん

 昨年暮れ、萩原進さんの信じられない死に直面しました。反対同盟は、本当に大きな痛手を受けています。しかし、進さんがやろうとしてきたことを残された者が、少しでもやらないと進さんに笑われます。そのためにも精一杯がんばって反対同盟は闘います。私たちは悲しみをのりこえて進まなければなりません。それが空港反対48年の歴史ですね。それをこれからも守っていくためには、どうしても闘い続けます。そして動労千葉を先頭とする労働組合、数多くの市民運動、福島・沖縄・三里塚一つの闘いとしてより強い連帯をつくっていきたいと思います。

 事務局中心に団結 敷地内・萩原富夫さん

 敷地内同盟員として萩原家、市東家あわせて団結して闘っていきます。萩原進本人がいない中、市東さんの農地決戦を迎えなければなりません。みなさん一人ひとりが萩原進になり代わり、遺志を継いで闘うことが求められています。反対同盟は、事務局中心に団結して闘っていきます。

 一人一人が全力で 白桝・伊藤信晴さん

 市東さん農地決戦の最も大事な時に、萩原事務局次長を失うことは、本当に残念無念の極みであります。残された私たちは、一人ひとりが全力を出しきって控訴審闘争を闘い、退路を断って決起してくれている市東孝雄さんの農地を守る決戦に断固突入したいと思います。
 私たちは安倍が戦争と改憲の戦争体制に進もうとしている中で、これと対決するために、霞が関に攻め上って徹底的に闘う決意であります。

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週刊『三里塚』(S887号1面2)(2014/01/13)

 2014年闘争宣言

 霞が関に攻め上る

 三里塚芝山連合空港反対同盟

 2014年、反対同盟は新たな決意を持って闘いに立つことを宣言する。闘い半ばで無念にもたおれた萩原進事務局次長の遺志を引き継ぎ、三里塚闘争に必ずや勝利することをここに誓う。
 なによりも市東さんの農地闘争に渾身の力を込めて決起する。
 農民の命を奪い取る昨年7・29多見谷不当判決を断じて許してはならない。農地法を違法に使った土地収用攻撃は、農民から耕す権利を奪うものであり、TPPと成長戦略による農業つぶしの先取りにほかならない。
 だが、1万2千筆の緊急署名を実現した昨年の闘いは、三里塚闘争の新たな発展を切り開いた。これを力に、法廷では証拠隠しにひた走る空港会社をぐいぐい追いつめている。
 われわれは、本日の旗開きをもって、新たな3万人署名運動を開始する。空港周辺・騒音下住民をはじめ、労働組合、農業・農民団体、消費者組織、市民・学生など、全国のあらゆる人びとに市東さん3万人署名を呼びかける。3・23三里塚全国集会(東京・芝公園)、3・26控訴審第1回弁論を農地取り上げ阻止・控訴審闘争勝利の大闘争にしよう。
    * 
 安倍内閣の反動攻勢は一線を越えた。秘密保護法と沖縄辺野古新基地建設の強行。武器供与、靖国参拝、そして原発推進と消費大増税に踏み込むのは、絶望的な危機のあらわれにほかならない。
 戦争政治と格差の拡大に民衆の怒りは地にあふれ、霞が関はシュプレヒコールの嵐に包まれている。TPPと減反廃止で日本農業をかい滅に導く新自由主義農政に、どうしてがまんできようか。 萩原さんが訴えた「霞が関に攻め上ろう」「あらゆる人々と交わり連帯しよう」という道を、今こそ受け継ぎ発展させよう。三里塚は市東さんの農地闘争を闘いの中軸にして、改憲と戦争に突き進む安倍内閣に立ち向かう。「国策」をうち破る民衆の行動で、安倍政権を打ち倒そう。
 福島の怒りと結び沖縄との連帯をさらに強め発展させよう。外注化・非正規化と闘う動労千葉、全国農民会議と結び、労農同盟の新たな強化へ。関西住民、広範な市民運動との連帯を求め、三里塚闘争のさらなる広がりを切り開こう。
 東アジアの戦争危機が強まる中で国際連帯を強め、今こそ戦争反対を貫こう。
 2014年闘争勝利へ前進しよう。
 2014年1月12日

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週刊『三里塚』(S887号1面3)(2014/01/13)

 追悼 萩原進事務局次長

 三里塚闘争の勝利を担う

 三里塚現地闘争本部

 反対同盟の事務局次長として、47年にわたる三里塚闘争を文字通り支柱として担ってきた萩原進さんが急逝された。68年三里塚現闘創設以来、45年間苦楽を共にしてきたわが現闘にとって、その死を受け入れることは断腸の思いである。あの日萩原さんは、市東孝雄さんや我々現闘と産直野菜の忘年会を開いていた。運動の前進を切り開いた充実感と、今年に向けた決意あふれる明るい笑顔で、歌声も弾んでいた。「来年はやるぞ、がんばろう」と別れた彼が、まさか、それから1時間足らずで帰らぬ人になろうとは。
 「霞が関に攻め上って国策と闘う人々とともに安倍を打倒しよう」「三里塚はその旗振り役を担うんだ」と常々語っていた萩原さん。忘年会で、「来年の方針は旗開きの時に言うから」と微笑み、2014年の三里塚闘争の大飛躍に向けたプランや展望を胸に温めていた。新しい年を迎えることを、本当に心待ちにしていた。どんなにか無念だっただろう。
 昨年10月の全学連との交流会で、「どうして40年以上も闘いぬいてこれたのですか」と問われて、「なんとしても勝利したい。絶対勝利したい。これがやっぱり強いですよ」と答えたという。萩原さんの69年の生涯は、まさしく三里塚闘争勝利へのあくなき執念で一途に生き抜いた人生だった。
 権力・公団の反対同盟破壊や様々な裏切りと非妥協で闘い、原則を貫いて反対同盟の団結と闘いの骨格を守り抜いた。自ら退路を断ち、4度の逮捕弾圧にも不屈・非妥協をつらぬいた彼の生き様は、農民闘争の指導者として稀有な存在だと思う。
 彼の出す方針は、時に破天荒で荒唐無稽のように思えることもあった。しかし、振り返ってみたとき、必ず道を切り開いて闘いを一歩も二歩も前に進めていた。
 萩原さんは、10・8羽田闘争の衝撃のなかで、実力闘争こそが勝利の道であると確信し、日共スターリン主義を粉砕して、戸村委員長、北原事務局長と共に革命的左翼との共闘に尽力した。勝利のためには、三里塚闘争の反戦政治闘争としての全国的発展こそが必要だと考えた。戸村思想の最良の実践者であり、その思想性は萩原精神ともいうべきものだ。
 83年には事務局次長に就任し、3・8分裂攻撃=総条件派化攻撃を打ち破って、今日にいたる絶対反対同盟の礎(いしずえ)を築いた。その上に、権力・反革命カクマルの敵対を打ち破り、動労千葉とともに80年代中曽根新自由主義攻撃と最前線で闘って不抜の労農連帯の絆を深め、労農同盟の萌芽を生み出した。
 昨年一年間の闘いをとおして、三里塚闘争は飛躍的発展をとげた。萩原さんは、市東さん農地決戦に勝利するために何が必要かを考え、3万署名を水路に、騒音下周辺地域の本格的組織化を考え、一斉行動を方針化した。それは労働者農民がこの圧政のなかで必ず決起するという信念であった。全国農民会議の飛躍にも大きな力を注いでいた。
 こんにち安倍政権は、特定秘密保護法制定や沖縄辺野古新基地建設強行に走り、新自由主義のもとでTPPと減反政策の廃止で日本農業を壊滅する攻撃を激化させている。オリンピックを口実にした福島圧殺で原発を推進し、武器供与、靖国参拝で戦争への道を突き進もうとしている。
 とどめようもない怒りが地にあふれている。この情勢こそ、萩原さんが待ち望んでいた情勢だ。三里塚闘争が霞が関に集まるあらゆる闘いと合流し、勝利の大道を歩む情勢だ。
 この時、この時代にこそ必要だった指導者を我々は失った。もはや彼の檄を聞くことはできない。だが、孝雄さんも富夫さんも「遺された者が覚悟を決めて進さんの遺志を引き継ごう」「ひとりひとりが萩原進に成り代わり闘う」と決意を表している。我々はこの反対同盟とあらためて固く団結し、ともに闘う。萩原さんに成り代わって霞が関に闘いの渦を巻き起こそう。
 萩原さん、見ていてください。わが三里塚現闘は、必ずやあなたの遺志を引き継ぎ、市東さん農地闘争の巨大な爆発を切り開きます。2014年国鉄決戦の爆発と一体で、三里塚闘争の勝利を勝ち取ることを誓います。どうか天上から我々の闘いを見守っていてください。

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週刊『三里塚』(S887号1面4)(2014/01/13)

 動労千葉の団結旗開き

 北原事務局長があいさつ

 労農の力で安倍打倒を

 動労千葉の団結旗開きが1月11日、DC会館において行われ、反対同盟から北原事務局長と伊藤信晴さんが参加した。
 冒頭に田中康宏委員長が新年のあいさつを行った。委員長は萩原進さんの急逝を悼んだ上で、「安倍政権は特定秘密保護法を強行成立させ、戦争への道を突き進めている。こうした時こそ、労働者が誇り高い団結をもって社会に登場することが重要だ。9・25判決の成果の上に、今年は何としても最高裁で勝利しよう」「ゼネストで闘う韓国民主労総と連帯しよう。外注化粉砕闘争に勝利しよう! 安倍政権による反動政策と対決し、安倍政権打倒の闘いに立ち上がろう! JRでもCTSでも組織拡大をやりきろう!」と訴えた。
 来賓のあいさつに立った北原さんはジェット燃料阻止闘争での労農連帯について語った後、安倍政権の戦争政治を弾劾した。「安倍政権の政治は戦争への道だ。労働者の力と農民の力が一体となってこれと対決しよう」とし、「三里塚も2014年決戦に入る。労農連帯の力で双方の決戦に勝利しよう」としめくくった。顧問弁護団、諸労組そして動労千葉の各支部が戦闘的な発言を行い、2014年決戦の奮闘を誓った。
(写真 あいさつする北原事務局長)

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週刊『三里塚』(S887号1面5)(2014/01/13)

 闘いの言葉

 萩原進本人がいない中、一人一人が萩原進になり代わり、遺志を継いで闘うことが求められている。反対同盟は、事務局中心に団結して闘っていきます。
 1月12日 反対同盟・萩原富夫さん

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週刊『三里塚』(S887号2面1)(2014/01/13)

 通夜・告別式に700人

 “三里塚闘争の勝利誓う”

 萩原進事務局次長の通夜が12月27日、告別式が28日、八富(やつとみ)成田斎場で行われ、会場をあふれる延べ700人の労農学市民が参列し、別れを惜しんだ。
 会場のロビーでは、「われわれは鎌を持って武装した」と萩原さんが宣言する場面の入ったドキュメンタリー映画「三里塚の夏」が流され、逝去直前の発言をまとめたビデオも映された。萩原さんの生前を振り返る4枚の写真パネルが飾られた。参列した人びとは、「未だに信じられない」という表情で、生前の萩原さんを偲んでいた。
 告別式は午前10時30分に始まった。菩提寺の僧侶の読経が行われる中、多数の参列者の焼香が続いた。その後、市東孝雄さんが弔辞を読み上げた。市東さんは悲しみをこらえて、「進さんの遺志を受け継ぎ、農地を守ります。天上からご家族をやさしく見守ってください」と別れの言葉を捧げた。会場から嗚咽(おえつ)がもれた。
 さらに動労千葉・田中康宏委員長、全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部・武建一委員長、反戦被爆者の会、全国被爆者青年同盟、韓国民主労総ソウル本部などからの弔電が紹介された。
 最後に「お礼の言葉」として喪主の萩原富夫さんが、進さんの思い出と決意を語った。「父は繊細な人でした。家族一同がんばって行きます」と感謝を込めて語った。
 出棺時、斎場の庭で最後の別れを待っていた参列者全員で「反対同盟の歌」を斉唱して柩(ひつぎ)を見送ると「進さんにぴったりの歌だね」との感想が語られた。
 前日の通夜では多数の人びとを前に北原鉱治事務局長が「お別れのあいさつ」を述べた。「残された者で力を振り絞って、勝利をかちとるために闘います。どうか安らかに眠ってください」との言葉を贈った。
(写真 大勢の人びとが参列して行われた萩原進さんの告別式【12月28日 成田市】)

 お別れのあいさつ 事務局長 北原鉱治さん

 萩原進君、あまりにも突然の訃報を聞いたとき、とても信じられませんでした。まさか私より先にあなたが逝くなどということは、考えもしませんでした。かえすがえすも残念でなりません。
 あなたは、反対同盟結成以来、青年行動隊長として闘いの先頭に立ち、その後も事務局次長として47年にわたる今日まで、一貫して空港絶対反対の闘いを貫いてきました。
 あなたは、本当に闘い一筋の生涯を全うしました。それは、誰もが認めることであり、誇れる人生だったと思います。
 思えばあなたは、高校卒業後、農民として生きることを決断し、政府のシルクコンビナート計画を信じて、農地を養蚕業のため桑畑に変えました。ところが、成田空港建設計画によって、突然計画は中止され、あなたが農民として生きようとした道は国策によって阻まれました。このことが、空港絶対反対闘争に決起したあなたの原点になったと聞いています。
 それ以来あなたは、国家権力によるたび重なる逮捕にも屈せず、たえず反対同盟を牽引して先頭で闘ってきました。あなたの強靭な意志と闘いは全国の農民や労働者の魂をとらえ、三里塚闘争の全国的発展を切り開いてきました。
 そして47年たった今、市東さんに対する理不尽な農地取り上げに対して、これを打ち破るためにあなたは誰よりも必死になって三里塚闘争の拡大・発展を考えてきました。
 農地裁判の控訴審にむけ「霞が関に攻めのぼろう」という訴えも、勝利に向けたあなたの執念から提起されたものだと思います。私たちは、反原発や反TPP、沖縄など国策と対決して闘っている、全国の人民と一体となって霞が関を埋めて闘いぬきます。志なかばにしてたおれたあなたの遺志を必ずや実現したいと思います。
 残された家族の皆さんの心情を思うと、言葉がありません。萩原家は親子三代家族ぐるみの闘いでした。妻の静江さんのご苦労に心から感謝の意を表したいと思います。 萩原進さん、重大な決戦情勢の中、三里塚闘争の柱として闘ってきたあなたがいないことは大変なことです。
 しかし、残された者で力を振り絞って、なんとしても勝利をかちとるため闘いぬきます。どうか、安らかに眠ってください。
 2013年12月27日

 弔辞 敷地内・天神峰 市東孝雄さん

 萩原進さん、あまりに突然のことで、私は今もあなたが亡くなったことが信じられません。あの日、おだやかな表情で産直の忘年会を楽しんでいたあなたは、帰りの車の中で急に具合が悪くなって、懸命の手当てもむなしくあっというまに旅立たれてしまいました。まるで夢の中のでき事のようで実感がわきません。 闘争と農業で無理を重ねてきたことが命を縮めたのかと思うと、まわりで支えて、もっと進さんを楽にさせてやれなかったかと、ほんとうに悔やまれてなりません。
 年末最後の出荷に追われて、進さんを今日まで待たせてしまいました。 でも進さん、あなたとお別れするために、可愛い孫たちや親族のみなさん、東峰部落の人々、そして全国各地から多くの仲間が、悲しみをこらえて集まっています。私もつらい気持ちをこらえて、弔辞を述べさせていただきます。
 私は進さんからほんとうに多くのことを教えられました。
 いずれ家を継ぐことを決意していましたが、農業を続けることを決断できたのは、強制収用では土地を取れなくなったことと、「一緒にやろう」「一から教えるから」と言って農業をすすめる進さんの後押しがあったからでした。
 自然相手の農業は経験を重ねないと、一人前にはなれません。産直の共同生産者としての私の“今”があるのは、有機農業を続けてきた進さんの経験と指導のおかげです。私は毎日自分の畑で有機野菜を作ることに無上の喜びを感じています。
 しかし、その私に対して、空港会社は、「農地法で農地を取り上げる」という暴挙に出てきました。この時にも、進さんは私と共に農業委員会に出向き、「小作人の知らないうちに解除申請が出たことが、これまでにあったのか」と激しく問いつめ、「前例がない」ことを認めさせました。
 「市東さん、こんな理不尽なことは通用しないぞ。小作人に黙って農地を売れば、地主は村八分だ。農民の権利に直(じか)に係わるこの問題は、すべての農家の問題だ」と熱をこめて話してくれました。それから私は進さんと一緒に産直を広げ、空港会社による農地取り上げと、けんめいに闘い続けてきました。
 新聞の訃報に「空港絶対反対を最後まで貫いた」と紹介されていましたが、それは進さんの生き方そのものです。
 東峰は戦後入植の開拓部落です。朝星、夕星を見ながら月明かりを頼りに、地をはうようにして作った畑が、国の一方的な決定でコンクリートに埋められる、カネと暴力で村を割り、仲間を引き裂き、大騒音と衝突の恐怖で追い出そうとするやり方には、ほんとうに怒りを抑えることができません。進さんはシルクコンビナートの夢を砕かれ、反対闘争に身を投じて以後、さまざまな困難を乗り越えて、信念を貫きとおしたのです。
 3・11からのこの数年間、進さんは「福島・沖縄・三里塚をひとつにして闘う」とさまざまな場面で訴えてきました。そして「三里塚は過去の歴史を乗り越えて、勝利するためにあらゆる人々と連帯するのだ」と話していました。「霞が関に攻めのぼる」というのはその強い想いからでした。進さんの遺言だと私は思っています。
 私は富夫さんと静江さん、ご家族のみなさん、そして産直消費者のみなさんとともに地道にこの地で農業を続けます。そして農地を守ります。
 誠実に農業に生きようとする者の尊厳を踏みにじり、力で押しつぶしてきたのが成田空港の歴史です。だから、47年前にあれほどの闘いが起こり、今も負けることなく闘いつがれているのです。
 ご参列いただいた動労千葉を始めとする労働者のみなさん、関西実行委など全国の住民運動、反基地闘争、そして学生のみなさん、私の農地を守る運動に力を注いでくれる市民のみなさん。私は「空港絶対反対」の進さんの遺志を受け継ぎ、身体を張って農地を守ります。
 進さん、来月には5人めの孫が生まれることを嬉しそうに語っていましたね。進さんは本当に家族の皆さんを愛していたのです。先立たれることはどれほど心残りだったことでしょう。どうか天上からご家族をやさしく見守ってください。
 そしてこれからの私たちの闘いをしっかりと叱咤激励してください。あなたの遺志が必ず報われる時が来ることを信じ、そのために頑張ることを心に誓ってお別れの言葉とします。
 2013年12月28日

 弔電 民主労総ソウル地域本部

 謹んで故人の冥福をお祈りします。
 日本政府との闘いを長い間続けてこられた同志が亡くなられてとても心が痛みます。
 韓国では鉄道労働者のストライキを支持連帯するために連日ストライキ闘争を続けており、民主労総組合員と社会団体、政党、市民が加勢して鉄道闘争を持続的に掩護(えんご)しています。
 三里塚の同志たちの闘争を支持し同志の志を引き継ぎ、韓国でも政権と資本に屈せず闘います。
 2013年12月28日

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週刊『三里塚』(S887号2面2)(2014/01/13)

 全学連三里塚現地行動隊日誌

 市東農地決戦の先頭に立つ

 勝利へ! 執念の人

 萩原進さんを悼む

 東北大学・I

  新たな年を迎え、12日の反対同盟の旗開きに続いて出荷も開始、消費者の方々のところにも野菜が届き始めた頃でしょうか。あっという間に1月も20日になって、昨年末に萩原進事務局次長が亡くなってから、1カ月が過ぎようとしています。昨年12月21日は三里塚産直の忘年会の日。当日も料理やお酒、カラオケを楽しみ、会の最後に「今年はいろいろなことがあったけれど、あとは正月野菜を残すだけ。最後までよろしく」と、来年への決意を新たにしたその帰り道での急変の知らせ、そして訃報でした。直後にはあまりのことにとても信じられず、翌日にそれが夢でなかったことを知り、12月27日の通夜、12月28日の告別式…日を経るにつれて、この事実を否応なしに実感させられます。
 この1カ月間はどこに行っても、萩原さんがどういう人だったとか、こんな話をしたんだとか、そういう話題になって、どれだけ多くの人の心を捉えていたのか改めて知ることになりました。
(写真 新年デモの先頭に立つ全学連三里塚現地行動隊【1月12日 成田市天神峰】)

    *
 僕と萩原さんとの出会いは、初めて援農に訪れた2010年11月、だんだんと寒さが増してきた現地でした。萩原さんは寡黙で、でも家族に向ける眼差しはとても優しくて、楽しそうに農業をやっているのが印象的で、「日本の農民像」を見せられた気がしていました。僕が何度か現地に通い、萩原さんの本「農地収奪を阻む」を読み、三里塚に住むようになって打ち解けていくうちに萩原さんは本当に労農連帯を誰よりも重視し、農民の立場から三里塚闘争を体現してきた人物だと知るようになりました。
 昨年10月の全国集会前日には、全学連の仲間が萩原さんとの座談会を行い、高裁決戦に向けての決意と学生に対する期待を語ってくれていました。パンフレットにしましたので一読してもらいたいのですが、この中で萩原さんが、運動の拡大、そのための署名や裁判闘争という組織化について「競ってやりましょうよ」「千葉県中を同盟にしたい」と言っていたのが印象的です。僕たち学生や若者に対する期待と、それと自らがひとつになって何としても三里塚闘争に勝利したいという気概がこもった言葉だったんだと思います。
 萩原さんが亡くなった後に現闘の仲間が「あの人は本当にどうしてもこの闘いに勝ちたかったんだ」と言っていました。振り返ると、まさにそれを体現した2013年の闘いだったと思います。三里塚の闘いを何とか多くの人に知らせよう、拡大しようと、現地での同盟一斉行動を開始し、東京での反原発やTPP反対の集会、経産省前テント裁判に通い、先頭に立って三里塚闘争を訴え、三里塚の裁判や企画に人を呼び、署名を集め、その中で結合も生まれ、「新入生歓迎の時期には大学に呼んでくれ」と更に前に進もうと学生に話していました。学生が最先頭に立ち、何としても3万筆署名を集めきって「霞が関に攻め上ろう」という言葉を実現しよう!
    *
 先日、僕の夢に萩原さんが出てきました。萩原さんはニコニコしていて、僕は「なんだ元気そうじゃないか」と思って、夢から覚めました。今になって思うと、現地のみんなのことが気になって、顔を見に来たのかな。萩原進事務局次長、見ていてください、学生は労農連帯の拡大の最先頭に立ちます。そして市東さんの農地決戦、三里塚闘争を勝利させます。

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週刊『三里塚』(S887号2面3)(2014/01/13)

 空港会社に 文書提出を命令

 耕作権裁判で重大な勝利

 昨年末、千葉地裁民事第2部・耕作権裁判での文書提出攻防において決定的な勝利がかちとられた。岸日出夫裁判長は、弁護団の主張を全面的に認め、「文書は存在しない」と言い張るNAAに対して、「所持していると認めるのが相当」として12月9日、関係文書の提出を命令した。
 しかも今度はインカメラによらず(裁判所による事前のチェックなしで)、直接法廷に提出するよう命令したのだ。前任白石史子裁判長の時から1年2カ月にわたって闘ってきた攻防における全面勝利だ。
 弁護団が提出を求めてきたのは、空港公団が旧地主・藤ア政吉氏から畑の底地買収を企ててから所有権移転登記に至るまでの交渉記録、関連記録の一切だ。白石史子裁判長の段階で、インカメラ決定がなされ、会社側は10点の文書を提示した。しかし肝心要の交渉記録は出さず、会社側は「非提示文書は存在しない」と言い張った。
 会社側の主張を鵜呑みにした白石決定を不服として弁護団は抗告。東京高裁は同決定の一部を取り消し、千葉地裁に差し戻した。
 後任の岸裁判長は、高裁決定を受けて、NAAに対してインカメラによる文書提出を命令(11月5日)したが、NAAは「文書は存在しない」と、居丈高に言い張った。文書が存在することを認めてしまえば、「公団内部用の自己利用文書だから提出する必要はない」などの言い逃れが利かなくなり、結局は、署名の偽造、文書の偽造などの悪事がすべて明るみに出てしまう。そのため、NAAは「存在しない」とほおかむりするしかなかったのだ。
 しかし、弁護団がさらに論理を尽くして隠された文書の存在を主張し、基本事件(耕作権裁判そのもの)でこれを証拠調べすることの必要性を裁判所に迫った。その結果、岸裁判長もNAAを擁護しきることができず、今回の決定を行わざるをえなくなったのだ。
 これをかちとった意味はきわめて大きい。隠された文書が出されれば、市東さんが現在耕している農地が戦前からの正規の賃借地であり、「不法耕作」でないことを明らかにすることはもちろん、明け渡し裁判の前提が崩れ、全部がひっくり返る意味をもつ。農地法裁判控訴審への影響も大きい。
 NAAはこれを不服として、期限ぎりぎりの12月17日付で即時抗告を申し立て、1月6日にその理由書を出した。しかしその内容は苦しまぎれの虚偽で、さらに墓穴を掘っている。NAAを追撃し、耕作権裁判の勝利、控訴審闘争の勝利へ進撃しよう。
(写真 文書提出攻防での勝利が解説された第3誘導路裁判後の報告会【12月16日 千葉市】)

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週刊『三里塚』(S887号2面4)(2014/01/13)

 土地収用相次ぐ台湾から

 テレビ局が取材に

 12月10〜11日、台湾の公共放送である客家テレビが三里塚取材のため、現地を訪れた。初日は、市東孝雄さんの農作業風景を撮影。さらに敷地内天神峰、東峰、十余三など現地調査を行った。2日目は北原事務局長、萩原進事務局次長、市東孝雄さんのインタビュー。そして産直出荷作業をした。
 その映像が1月4日と11日に台湾現地で放送され、日本でも見ることができた。萩原さんの話が印象に残った。萩原さんは取材陣を自宅前の畑に案内して、戦後開拓の苦労を説明していた。「この堆肥は落ち葉を寝かせて1年かけないとできない。この堆肥で作った農地を空港のコンクリートの下にしちゃあいけない」と、熱く語っていた。市東さんも「大正の代に私のじいさんが開拓した畑。土地がなくては百姓はできない。この農地を守る」と静かに語っていた。台湾でも農地の収用事件が頻発している。三里塚が注目されているという。新聞社の取材も予定されている。

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週刊『三里塚』(S887号2面5)(2014/01/13)

 1・22やぐら裁判へ

 早期結審策動と対決を

 天神峰やぐら裁判が1月22日に千葉地裁民事第3部で行われる。この裁判は、市東さんの行訴・農地法裁判の中でNAAが市東さんに明け渡しを求めている物件の中に含まれている「団結街道破壊策動を監視するために建設した天神峰監視やぐら」や「大看板」など4つの工作物が反対同盟の所有物であることの確認を求め、撤去させないように、と争っている。 
 前回11月19日の裁判では多見谷寿郎裁判長が、「原告・反対同盟側の訴えの却下を求める方法もありますよ」と露骨にNAAに肩入れする訴訟指揮を行った。
 1月22日の弁論では、裁判長・NAA一体となった却下策動を粉砕しよう。傍聴に集まろう。 

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週刊『三里塚』(S887号2面6)(2014/01/13)

北総の空の下で北総の空の下で

 土に生まれ

 走りぬいた人生!

 2014年初頭、ようやく萩原進さんを偲ぶ余裕ができました。 21日夜の産直忘年会では、共にカラオケを楽しみ、進さんが締めくくりのあいさつをしました。体調が急変したのはその直後です。持病を抱えていた心臓が、激務に耐え切れなくなった結果でした。
 進さんの枕辺で萩原静江さんが「ずっと走り続けたまんまで…声をかけたらむくっと起き上がる気がする」と言ったのが身近にいた全員の実感でした。 それから1週間、嵐のような年末でした。注文を受けている正月野菜270セットと単品の出荷は26と27日です。私は、例年静江さんが熟練の早さでこしらえていた八つ頭470`を作り続け、夜は注文の発送準備に明け暮れました。現地支援が総力で仕事を分担して、完了したのは27日15時。お通夜の受け付けに入る直前でした。
 告別式では、市東孝雄さんの気持ちのこもった弔辞が皆の涙を誘いました。三代目を継いだ萩原富夫さんは、身近にいたからこそ語れる“じい”の繊細さ純粋さと孫との思い出を、声を詰まらせながら披露しました。
 私の涙が止まらなくなったのは、反対同盟歌で進さんの棺を送り出した時です。「土に生まれ土に活き 骨を埋めるこの土の 誇りも高き農地死守」――進さんの人生そのものです。遺骨は、父母の作治さんと哲子さん、大木よねさん等が眠る東峰墓地に埋葬されました。空港予定地のど真ん中で、進さんの農地死守が続きます。
 北里一枝

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週刊『三里塚』(S887号2面7)(2014/01/13)

 三芝百景 三里塚現地日誌 2014

 12月10日(火)〜1月14日(火)

●台湾の公共放送「客家テレビ」が三里塚闘争取材のため、現地を訪れ反対同盟を取材した。台湾でも新自由主義政策が野放図に展開され、農地の収用事件が多数起きているという。そのため、三里塚闘争は知られており、関心も高まっているという。(10〜11日=写真=2面に記事)
●NAAの夏目誠社長は新聞インタビューで、成田が韓国仁川空港に負けていることを認めた上で「社員の競争意識を高める」と語った。(18日)
●昨年12月に決裂したTPPの閣僚会合について、当初1月中旬に再び開くとしていた予定が2月下旬にずれ込むことがわかった。(21日)
●反対同盟事務局次長の萩原進さんが急逝した。(21日)
●萩原事務局次長の通夜、告別式が成田市内でしめやかに行われた。(27、28日=2面に記事)
●NAAの夏目社長は年頭のインタビューで「LCC誘致に力を入れるが実際にはあまり儲からない」旨、本音を吐露した。(1月4日)
●空港周辺自治体買収のための「国際空港周辺整備のための国の財政上の特別措置に関する法律」が5年間延長された。(7日)
●耕作権裁判における文書提出攻防で、NAAは千葉地裁による「文書提出命令」に対して、苦しまぎれの即時抗告理由書を提出した。(6日=2面に記事)
●反対同盟が実行役員会を開催し、萩原事務局次長亡き後、同盟一体となった論議を密にして、遺志を受け継ぎ、市東さんの農地裁判控訴審勝利をはじめとする2014年三里塚決戦の方針を決定した。(9日)
●動労千葉の団結旗開きに反対同盟から北原鉱治事務局長と伊藤信晴さんが参加し、北原さんがあいさつした。(11日=1面に記事)
●反対同盟の新年デモと団結旗開きが開催され、全国から140人が結集して、萩原さんの霊前に2014年決戦の勝利を誓った。(12日=1面に記事)

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週刊『三里塚』(S887号2面8)(2014/01/13)

《三里塚闘争裁判》

●1月22日(水)
 天神峰やぐら裁判 午前10時30分
●3月6日(木)
 鈴木さん一坪裁判 午前10時30分
●3月10日(月)
第3誘導路裁判 午前10時30分
 (いずれも千葉地裁)

●3月26日(水)
 市東さん農地裁判控訴審 午後2時
 東京高裁

●4月28日(月)団結街道裁判 午前10時30分
 千葉地裁

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