SANRIZUKA 2002/02/01(No600 p02)

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週刊『三里塚』(S600号1面1)

 「血を流す覚悟で闘う」

 反対同盟旗開き 暫定開港粉砕へ檄

 国際連帯かかげ有事法制阻止!

 渾身の大動員戦を

 3・31〜4・14へ3カ月決戦を宣言

(写真 反対同盟の団結旗開きには150人の労農学が集まり「渾身の大動員戦で暫定滑走路開港を阻止する」と決意した【1月13日 千葉県芝山町】)
 反対同盟は一月十三日、団結旗開きと新年デモを戦闘的に勝ち取り、4・18暫定滑走路開港を絶対に許さぬ決意を明らかにした。さらに、小泉政権が強行しようとしている有事法制・改憲攻撃に対して、三里塚こそが先頭に立って対決する決意を示した。9・11反米ゲリラが世界の情勢を一変させたことを確認し、「今こそ街頭へ出て反戦闘争への決起を大胆に訴えよう」とアピールした。四月開港阻止へ三カ月間決戦をたたかいぬこう。3・31〜4・14の三里塚全国集会へ大動員戦に勝利しよう。
 午後一時から始まった旗開きには、百五十人の労農学が参加して、二〇〇二年のたたかいの決意を固め合った。
 開始前、「二〇〇二年新年団結旗開き 闘春」というタイトルの看板に注目が集まる中、反対同盟と諸人士のあいさつがあちこちで交わされた。
 午後一時、開会が宣言され、司会の伊藤信晴さんによって反対同盟の闘争宣言が読み上げられた。
 闘争宣言は「反対同盟は、暫定滑走路開港による暴虐きわまる追い出し攻撃を粉砕し滑走路延長を絶対阻止する」ときっぱり開港阻止の決意を鮮明にするとともに「戦争反対への思いのすべてを注ぎ、本格的に動き出した有事法制―改憲攻撃と闘う決意である」「三里塚闘争を闘う者は反戦・反核の砦としての矜持(きょうじ)にかけて総決起しなければならない」と戦争と対決する姿勢を鮮明にした。(2面に全文掲載)
 北原鉱治事務局長が冒頭のあいさつに立った。事務局長はまず「二〇〇二年は暫定滑走路の開港を阻止するかつてない決戦の年だ。世の中は9・11反米ゲリラのたたかいも契機として一切が戦争に向けて動き出している」と指摘した。
 次に「戦前への逆行ともいうべき今日の情勢に対して、反対同盟は全人民に決起を訴える。今立たずしていつ立つのか、血を流さずして民主主義はない、今決起せずして決起の時は永遠にない!」と激しい決意を込めて参加者に檄を発した。

 闘いに生涯かけ

 そして「まず三里塚で勝利しよう。その勝利が沖縄や北富士や動労千葉や関西の勝利へとつながっていく。若い諸君! 君たちの双肩にかかっている」としめくくった。
 生涯をたたかいにかけてきた気迫あふれる檄は参加者の胸を打った。
 つづいて「帝国主義と対決する労働運動」をかかげる動労千葉の田中康宏新委員長が決意表明に立った。委員長は「暫定滑走路開港阻止をかけた今年のたたかいは、日本の未来をかけた決戦であることを肌身をもって実感している」と訴え、さらに二〇〇二年が大きな歴史的転換の年であることにふれ「中東・アフガン・アジアへの戦争にむかった政治に対し、新しい大きな流れが勃興し、歴史の奔流が激突する年だと思う」と指摘した。そして「三里塚と動労千葉が車の両輪として歴史の流れを牽引しよう」としめくくった。
 三十年以上にわたって三里塚闘争支援のたたかいをつづけてきた関西実行委の永井満代表は「ジェット機を頭上に飛ばし、騒音で追い出すとは許しがたい人権侵害だ」と大阪空港騒音訴訟をたたかった経験に踏まえて弾劾、「暫定滑走路の開港を阻止する万全の体制を築こう」と呼びかけた。

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週刊『三里塚』(S600号1面2)

 “街頭にうって出よう” 萩原進さん方針提起

 反米ゲリラの衝撃に学ぶ

 顧問弁護団事務局長の葉山岳夫さんは「三里塚における土地取り上げは、イスラエル軍によるパレスチナ人民の農地収奪と同じ攻撃だ」「地上げを目的にした暫定滑走路の開港を阻止することは正義である。今年を廃港元年にしよう」と訴え大きな拍手を浴びた。
 ここで東峰部落の萩原進事務局次長があいさつに立った。萩原さんはまず「この二年間、反対同盟は、空港公団による圧力に抗して勝利してきた。暫定滑走路を造るぞ、着工するぞ、そして今度は実際に飛ばすぞとわれわれを脅してきた。しかし反対同盟は一切屈服せず、東峰神社立木伐採に対するたたかいや月例デモ、土地収用法にたいする国会行動などを展開し、暫定滑走路を欠陥滑走路に押し留めるたたかいに勝利してきた」と二年間決戦の勝利を宣言した。
 さらに萩原さんは9・11反米ゲリラについて「頭を割られるような衝撃を受けた。あの事件以来世界の情勢は一変した。小泉政権は不審船事件を仕組んでまで有事立法・改憲の攻撃を強めている。この情勢で暫定滑走路開港阻止のたたかいを迎えていることは、三里塚と反戦のたたかいの両者が一体になったことを意味している」と指摘、「街頭に出て三里塚を訴えよう。三里塚のようにたたかえば勝てる、と今年一年がんばろう」としめくくった。
(写真 萩原進事務局次長)
 また共闘団体の決意表明で発言に立った革共同の天田三紀夫書記長は「四月暫定滑走路開港を阻止するためにあらゆる手段でたたかう」「この三里塚闘争に勝利することがイスラム諸国人民のたたかいと連帯する道」と宣言した。
 このほか都政を革新する会の結柴誠一さん、婦人民主クラブ全国協議会の西村綾子・相模原市議らが発言して暫定滑走路阻止決戦をたたかう決意を述べた。 最後に団結ガンバローを敷地内天神峰・市東孝雄さんの音頭で行った。市東さんは「三里塚の地に帰ってきて三年になりますが、今年からは市東孝雄として、北原事務局長、萩原進事務局長はじめ反対同盟の仲間と共にたたかうことを誓います」と決意し、団結ガンバローを三唱してしめくくった。

 シメ縄を張って

 旗開きに先だって午前十時から、市東孝雄さん宅南側の開拓道路で新年第一波の集会とデモ行進が行われた。共闘団体の決意で発言に立った大山尚行全学連委員長が「イスラム諸国人民のたたかいと糾弾に全存在をかけて応えたい。三里塚の地で国際連帯の旗をかかげて歴史的なたたかいをやりたい」とアピールした。
(写真左 旗開きに先だって東峰神社に向けた新年第1波デモを行った【東峰開拓道路】)
(写真右 新年第1波デモで、昨年植樹した白カシの木に「抵抗の印」としてシメ縄を張る北原事務局長【1月13日 東峰神社】)

 デモの折り返し点である東峰神社では、北原事務局長、萩原事務局次長および参加諸団体の代表が、昨年十一月二十四日に植樹した白カシの木に「抵抗の印」(北原事務局長)としてシメ縄を張り神社とカシの木を全人民の力で守りぬく意志表示を行った。(写真)
 団結旗開き・新年デモを行った反対同盟の意気込みは極めて高い。有事法制の国会提出が決まり、反戦の砦を守りぬく自覚と責任感が強く伝わってきた。3・31現地集会、4・14全国集会に総力で集まろう。暫定滑走路開港を実力で阻止しよう。

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週刊『三里塚』(S600号1面3)

 権力犯罪と三里塚

 国はいかに法を破ってきたか 抵抗なくして民主主義なし

 反対同盟顧問弁護団事務局長 葉山岳夫弁護士に聞く @

 横堀要塞 法使えず鉄塔破壊 生存権奪う「公共の福祉」

 今号から反対同盟顧問弁護団の事務局長=葉山岳夫さんに『権力犯罪と三里塚』というタイトルで、成田空港建過程における政府・国家権力の違法と暴虐の数々を話していただく。三十六年間、顧問弁護団の事務局長を務めて来られた氏は、民衆の側に身を置き、社会正義のためにたたかう弁護士である。葉山弁護士が見た国家権力の違法の数々は、この国の「民主主義」の実態をくっきりと暴いている。無条件に法律順守の義務を負う権力が公然と違法を重ねているのだ。権力とたたかい続ける三里塚農民の闘争は正義の抵抗そのものである。(題字のスケッチは故戸村一作委員長)

 ――葉山さんが弁護士を志望された動機について最初に伺えますか。

 葉山 「私は一九三六年生まれ。東京大学に入学した五六年が砂川闘争だった。有名な10・13〜15の強制測量阻止闘争に参加して負傷し逮捕された。その時精力的に救援活動をしてくれた弁護士が相磯まつ江さんと山本博さん。反権力で有名な人で、その経験を通して闘争を支える弁護活動の意義について目覚めた」

 ――三里塚反対同盟の顧問弁護団の結成の経緯について伺えますか。

 葉山 「私が弁護士になったのは一九六七年。顧問弁護団の結成は同年四月です。一九六四年から三里塚闘争の前史をなす富里空港反対闘争が激しくたたかわれていたわけですが、その支援として社会党を中心とした弁護団が結成されていた。この弁護団が軸になって、三里塚芝山連合空港反対同盟顧問弁護団が結成された。
 弁護団長は私が所属していた事務所の所長であった小長井良浩さん。参加した弁護士は藤田一伯さんら先輩弁護士に加えて、私と同じ一九期の糠谷秀剛さん、山根伸右さん、大森明さん、川村明さん、後藤孝典さんらです」

 ――弁護団活動の原則や考え方はどのようなものだったのですか。

 葉山 「弁護団としての大原則は、農地死守のたたかいの正義性を確認し、刑事、行政、民事の裁判闘争を全力で支援すること。さらに弾圧とのたたかいにおいて前面に立つということです。実際の活動においては、反対同盟の方針の下に動くこと、弾圧に対しては反対同盟員を守るとともに共同行動、統一行動で弾圧された人びとに対しても弁護活動を行うことが確認されています」  

 ●強い意志

(写真 保釈された9・16東峰十字路弾圧被告を故戸村一作委員長と共に迎える葉山岳夫弁護士【1972年10月】)
 初期の弁護団メンバーは、一九六九年頃には入れ替わり、七〇年闘争過程で新たに資格を得た弁護士たちが引き継いで一九七一年第一次、第二次代執行闘争などの弁護にあたった。
 その後一瀬敬一郎弁護士が参加した顧問弁護団は、葉山さんを中心にして、事件毎に参加する時々の弁護士集団で構成されてきた。一九六七年の結成当初から今日まで、変わることなく重責を担ってこられたのは葉山さん一人である。
 事務局長として弁護団を担いつづけることには想像以上の政治的重圧と困難があった。強い意志と三里塚への共感がなければ全うすることはできなかった。

    *
 ――本題に入りたいと思います。成田空港建設で権力の違法行為の最たるものは何でしょうか。

 葉山 「主要な事件として代執行や岩山鉄塔破壊など、権力の違法行為は数限りなくありますが、ここではあまり知られていない一九七八年横堀要塞の鉄塔破壊での露骨な権力犯罪について紹介したい」

 ●法的根拠

 横堀要塞は平行滑走路を阻止するため予定地南端から七百bの延長線上に一九七六年に建てられた。福田内閣による一九七八年三月三十日A滑走路暫定開港宣言へのたたかいの一環として、同年二月、要塞の上に高さ二十八bの鉄塔を建てた。この鉄塔破壊攻撃との闘いが横堀要塞戦だ。二月に立てられた鉄塔が撤去されると、三月二十四日に再建された。運輸省・公団は再びこの鉄塔を破壊しにやってきた。
   *
 葉山 「問題はこの鉄塔を破壊する法的根拠です。まったく存在しなかったのです。空港公団のあげた根拠は航空法違反です。しかし、二五〇〇b平行滑走路など当時は影も形もない。大体空港が開港すらしていない。造られるかどうかも分からない平行滑走路の進入表面に突き出しているから『航空法違反だ』、しかも何の根拠もなく『鉄塔撤去は緊急性を要する』というのです。デタラメも極まっている。あの時から二十三年経った現在でも、平行滑走路の当初計画は見通しが立っていない。航空法違反はもちろん『緊急性』もまったくなかったことを示している」

 ――その問題については当時焦点になりました。

 葉山 「ここで紹介したいのはその先なんです。仮に百歩譲って横堀要塞の鉄塔が航空法違反だったと仮定しても、それで撤去できるわけではない。民事裁判の判決が必要なわけです。ところが3・30開港の前に撤去することが至上命令だった。鉄塔が再建された三月二十四日から三十日の開港まで一週間もない。考えられるのは仮処分だけです。
 しかし、仮処分には「緊急性」が必要ですが、どこをどう言い張っても「平行滑走路運航」の緊急性はない。何しろ平行滑走路は着工以前の段階です。用地買収も済んでいないのです」

 ――さすがに公団、警察も困ったでしょう。

 葉山 「連中は困り果てた。とにかく鉄塔が違法であるかどうかなんていうのは二の次。とにかく数日で撤去する、というのが結論としてある。そこで何でもいいから『適用』できる法律がないかを必死で探した。
 彼らはまず『航空法違反の証拠を保全する』という名目で破壊できないかどうかを検討した。しかしこれも裁判所の差し押さえ令状が必要となる。違法性のまったくない物件について令状を出すかどうか、不安が残る。時間もない。連中が最後にこじつけたのが、『航空法違反の現行犯逮捕にともなう、令状によらぬ現場差し押さえ』という刑事訴訟法二二〇条一項の条文だった。これは法律逸脱の最たるものです。
 そもそも鉄塔撤去にはまったく関係のない法律です。趣旨は、現行犯逮捕の場合には被疑者の所持品を、例えば刃物などを警察官の判断で現場で差し押さえできるというもので確かに令状が要らない。
 この規定を拡大適用しようとした。元来、この規定は『逮捕者(警察官)の身体の安全をはかる必要があり、また、証拠の破壊を防ぐ必要がある』という趣旨でです。それを『鉄塔の差し押さえ=破壊』のために拡大適用しようというのだから、デタラメを通り越した権力犯罪です。
 要塞の鉄塔と警察官の身体の安全は何の関係もない。被疑者の所持品でもない(鉄塔をポケットなどに入れられるわけもない)。『証拠の破壊』というが、被疑者は鉄塔を守る立場であって破壊するわけがない。法のこじつけというレベルを超えている。およそ法を無視した行為です。このデタラメきわまりない法の破壊をもって鉄塔を破壊した。あきれ果てました。彼らはこの作戦を『ウルトラC』などと言っていた。自分たち自身違法を自覚していたということでしょう。

 ●権力の威力示す

 ――どうしてそこまでして要塞の鉄塔破壊にこだわったのでしょうか。

 葉山 「農民の土地を力ずくで取り上げてA滑走路の開港にこぎつけたわけです。この既成事実に対するどんな抵抗も許さないという威力を見せつける意図だったと思います。そのことで一気に三里塚闘争をたたき潰そうとしたのです」。

 ――この件については世間にはまったくといっていいほど知られていません。

 葉山 「違法の程度があまりにもひどいので、反対同盟は千葉県警本部長中村安雄を告訴しました。事件は不起訴にされましたが、告訴自体には歯止めの意味があったと思います」

 ――この事件の教訓をどのように考えますか。

 葉山 「国家権力は結局法律を踏み破らなければ、農民の生存権的基本権である農地強奪はできないということです。『法手続き』を踏めば権力は何でもできるかというとそうではない。
 人民の利益と支配階級の利益が衝突すると、彼らは『公共の福祉』をふりかざして力で脅しにかかる。人民が抵抗して屈服しないとなると、権力は公然たる違法行為を犯してでも暴力を使って自らの主張を押し通してくる。
 横堀要塞をめぐる事件は、権力の本質を示す格好の事例です。こういう権力犯罪を放置したところに民主主義などありようもない。三里塚農民のような実力抵抗闘争は正義であり、正当であり、必要ですらあるということです。
 『抵抗なくして民主主義なし』といいます。三里塚農民のたたかいこそが人民による民主主義のあり方の根本を正しているといえるのです」
(つづく)

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週刊『三里塚』(S600号1面4)

 ピンスポット

 2500メートル滑走路「04年3月完成」?!

 またも勝手に期限 農民無視の姿勢極まる

 工事実施計画取消訴訟で、「二五〇〇b平行滑走路完成予定期日の変更」について反対同盟が行っていた求釈明に空港公団が回答した。
 それによると公団は新たな工事実施計画に完成予定期日を「二〇〇四年三月三十一日」と明記した。すなわち二年後の三月。公団は、あと二年で空港反対農家、畑、一坪共有地、部落有地、開拓道路、東峰神社、墓地などをすべて取り上げて二五〇〇b平行滑走路を建設すると正式文書で提出していたのである。
(写真 平行滑走路の完成予定を「2004年3月」と変更していた中村徹空港公団総裁)
 しかしこれは天地が逆転しても不可能。公団自身が信じていない。以前のように「二〇〇四年三月平行滑走路完成!」と公にすることもできないのだ。
 公団は一九九〇年度、二〇〇〇年度、二〇〇一年十一月三十日と三回も「平行滑走路完成の公約」を破ってきた。「四度目の正直」とは聞いたことがない。それにしても「完成期日」を一方的に決定してしまう公団の農民無視は何も変わっていない。

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週刊『三里塚』(S600号1面5)

 団結街道

 午前四時、寒暖計の赤い線はマイナス三度。部屋の窓を開けると冬の月が明るく畑を照らしている。「静かで綺麗な風景だ」と思った瞬間▼それまで何もなかった畑の表面に薄いもやがかかり、さーっと広がった。畑全体がきらきら光り始めた。さらに空から幾筋もの光る帯が降りてきた。上空の冷気が畑に降り注いでいる。まるで天女の羽衣のようだ▼話には聞いていたが、目の当たりにするのは初めて。目撃した光景は霜が降りる瞬間だった。乏しい表現力で伝えにくいが、時間にして1分弱。シベリアから来た寒気団と月の光。自然の織り成すロマンに心が躍った▼北総台地は怒りの大地だ。夜が明けると二千人近い無骨な武装警官の姿があらわになる。彼らは二十四時間体制で農村を徘かいし反対派を威かくする。「成田問題は解決した」(隅谷調査団最終所見=九八年)はどこへいったのか▼三十六年の熾烈な闘争は多くの裏切りや分裂も生んだ。多くの脱落党派は、政府が「陳謝」しただけで戦う根拠を失った。逃亡を正当化するため、農民たちに「闘争を終わらせるべきだ」と説いて回った「作家」もどきもいる。敵は味方の顔をしていた▼それでも権力への屈服だけは拒否して生きる一群の農民たちがいる。国と警察が三十六年間総がかりで襲いかかっても負けなかった。これを「一握り…」で切って捨てる一部マスコミにはまったく説得力がない。彼らには、いまも完全空港化できない理由が理解できない▼北総の゛天女の羽衣゜は、世界中で抑圧とたたかう民衆の心とつながっている。〇二年の実感だ。

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週刊『三里塚』(S600号1面6)

 闘いの言葉

 三里塚の地に帰ってきて三年になりますが、今年からは(東市の息子としてではなく)「市東孝雄」として仲間と共に闘うことを誓います。
 市東孝雄さん 
 一月十三日、反対同盟団結旗開きで

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週刊『三里塚』(S600号2面1)

 有事法制ついに国会提出 三里塚は国家主義と戦う

 ◎自衛隊のアフガン参戦に対応し、ついに有事法制の今国会提出が決まった。反戦闘争は治安攻撃との国内戦争という新たな段階に入った。
 ◎労働者人民に問われているのは、国家主義の洪水に抗して戦闘的反戦闘争、帝国主義を打倒する革命的反乱を貫くことだ。 
 ◎成田暫定開港をめぐる攻防は、戦争の道か革命的内乱かをかけた階級決戦である。
 ◎権力との熾烈な国内戦争に勝ち抜いてきた三里塚闘争こそ、最強の反戦闘争の拠点である。
 国土交通省・空港公団は、暫定滑走路(二一八〇b)の4・18開港を正式発表した。天神峰の市東さん宅をはじめとする農家や畑など未買収地を残したまま、軒先まで滑走路とコンクリートで埋めつくしての開港である。それは三十六年間の農民殺しの集大成だ。
 一方で小泉政権は、戦争への決定的一歩を踏み出した。昨年9・11反米ゲリラとアメリカによる10・7アフガン侵略戦争開戦をとらえ、米軍への軍事支援体制を保証し、自衛隊自身が参戦するためのテロ対策特別措置法など、いわゆる「自衛隊参戦三法」を一気に成立(10・29)させた。そして今国会への有事法制提出がついに最終決定したのである。
 有事法制との戦いはどうあるべきか。三里塚闘争の視点から問題のポイントを明らかにする。

 第1章 国家緊急権 首相権限で憲法停止

 非常事態法

 小泉政権が準備している有事法制で、「包括法」が先か「個別法」からかという政府・自民党内の手法の違いはあまり問題ではない。最終的には自衛隊の軍事行動上の制約を完全に取り払い、首相が発する「国家緊急権」を明示した非常事態(宣言)法を土台とする完全な戦時法体系の確立を目指すものだ(毎日新聞一月十六日)。労働者人民を戦争に強制的に動員し、言論を統制し、反戦運動と結社を禁圧し、反戦派を投獄するための戦時法体系である。
 「国家緊急権」とは、現行憲法が定め、戦後労働運動が血を流して勝ち取ってきた人民の基本的人権(苦役からの自由、思想の自由、表現の自由、検閲の禁止、生存権、労働者の団結権・団体交渉権・団体行動権、財産権、法の適正手続き、裁判を受ける権利など)を首相の権限で停止するものだ。つまり憲法の停止である。
 有事法制は、この国家緊急権を首相権限とすることを土台に、戦争遂行に必要な膨大な諸法制全体をさす。具体的には
 @国家・国民総動員に関する法令(土地・建物の強制収用、物資徴発、運輸・通信手段の徴発。労働者の強制徴用など)
 A自衛隊の軍事力行使に関する制約を完全に取り払うための諸法令(現憲法九条が禁止している「国権の発動たる戦争」および「軍事力の保持と行使」を完全に、全面的に復活させる)
 B政府機関の臨戦化(大本営政府連絡会議設置など)
 C戦時治安弾圧体制・防諜体制の確立(反戦運動と反体制政治結社の禁止など)
 D(在日)米軍行動の大幅な自由化。米軍支援の義務化
等である。

 第2章 「スパイは死刑」復活 国家機密法

 戦時傍聴体制

 現在進めてられている有事法制は、戦時防諜(ぼうちょう)体制の完成が目指されていることが大きな特徴だ。「外国への探知、通報は死刑・無期」とした八五年のスパイ防止法(国家機密法=廃案となった)も復活する。有事法制とは、かつての日帝の十五年戦争における、治安維持法体系の全面的復活でもあるのだ。
 アメリカ政府の要請に応じて小泉政権が国会批准を強行(昨年十一月十六日)した「爆弾テロ防止条約」と関連国内法改悪も重大だ。
 関連法は爆発物取締罰則(爆取)や火炎びん処罰法、サリン法など七法案だが、明治憲法以前の太政官布告である「爆取」もこれで国際条約的に裏付けされ、検察側の一方的な有罪認定や密告の義務化など、現憲法下では制約されてきた戦前型の運用の道が開かれる。
 またテロ資金供与禁止条約についても小泉政権は昨年内に署名し、今国会で「テロ資金供与罪」を創設した新法とともに批准する方針を表明している。この新法は、「テロ行為」に使われることを知って資金を提供する行為それ自体を犯罪とするもの。これも現行法体系の決定的な破壊だ。
 さらに国際的組織犯罪条約も今国会に批准法案が提出される。これは重大きわまる結社禁止法である。革命党組織は言うに及ばず、労働組合から市民団体までを対象に「懲役四年以上」の犯罪となる大規模デモなどへ参加すると、それだけで犯罪が成立する「参加罪」を規定している。強制供述制度(司法取引)の導入や、泳がせ捜査導入なども含まれるアメリカ型の暗黒治安立法だ。

 第3章 国内治安戦争の開始 対テロ戦争参戦と連動

 現代の盧溝橋

(写真 自衛隊はすでに有事法制定を前提にした戦争訓練に精を出している)
 自衛隊参戦三法とは、@「テロ対策特別措置法」A改悪自衛隊法B改悪海上保安庁法である。小泉政権はこれを自衛隊の軍用輸送機や護衛艦、補給艦などを初めて戦地に派遣するという重大事を法案の国会通過に先行させた(PKO法による派遣との名目)。
 そして小泉政権は十二月二十二日の「不審船事件」で早くも改悪海保法を発動した。海自・海保の艦艇が何と26隻も出動、戦後はじめて公海上での武力行使に踏み切り(機関砲「危害射撃」)外国船を撃沈、乗員全員を殺害するという暴挙を仕組んだ。これを受けて小泉は「有事とは戦争だけでなくテロも不審船も有事だ」(十二月二十八日の記者会見)として有事法制の国会提出を宣言したのである。
 自ら「事件」を仕組み(外国船は公海上ゆえ国際法上の違法行為もない)、開戦に等しい武力行使をあえて強行して「有事法制制定」を宣言した小泉政権の手法は、戦前の盧溝橋事件(一九三七年)やトンキン湾事件(一九六四年)に限りなく近い軍事挑発行為だ。北朝鮮への排外主義を最大限に煽り、マスコミがこれを無批判で翼賛し、日本共産党までが外国船撃沈を支持(!)するという総翼賛状況が生まれた状況も、もはや完全に戦前と同じだ。
     *
 現在の有事法制制定攻撃の決定的な特徴は、アメリカ帝国主義が中東と全世界規模で進めている「対テロ戦争」への日本の参戦が具体的に想定されていること。そしてこの戦争が全世界の民族解放闘争を鎮圧する国際的内戦としての性格を色濃くしていることに対応し、参戦体制が同時に国内戦争=治安戦争であることを強く意識していることである。
 自衛隊参戦三法と一連の治安立法(国際条約批准を含む)制定の動きにも、戦時体制づくりの核心問題たる国内階級戦争としての性格がむき出しになっている。
 改悪自衛隊法では「米軍警護」の名目で、緊急事態ではない平時から自衛隊が治安出動する道が開かれた。また「防衛機密保持条項」も新設され、防衛庁長官の専権で指定される自衛隊の「秘密」動向を知ろうとする行為自体が、マスコミの取材活動を含め処罰の対象になった。
     *
 「反テロ」の名のもとに、これまでとまったく質を新たにした国内治安戦争を遂行するための有事法制=治安法制定攻撃が、参戦の既成事実とともに一気に始まっているのだ。有事法制攻撃は、もはや単なる法律論議ではありえない。暗黒の治安国家体制=戦時国家体制づくりをめぐる、労働者階級人民と権力・支配階級との本格的な内乱・内戦的攻防が幕を切って落としたのである。
(写真 アフガン上空で無差別爆撃を行う米戦略爆撃機。基地となったディエゴガルシア島飛行場の役割は突出していた。アジアでは成田空港だ【01年10月】)
 この情勢下での三里塚闘争は、国家権力にとって戦時体制づくりとまったく相容れない内乱拠点である。国内治安政策の決定的ともいえる破たん点だ。三里塚の暫定開港阻止決戦は、まさに「戦争の道か革命的内乱か」をかけた、労働者人民の砦をめぐる階級決戦なのである。
     *
 三里塚闘争は、労働者人民が戦争への協力を拒否し、革命的反戦闘争と階級戦争に勝利し、自らの革命的未来を切り開くためにこそ、三十六年という歳月を闘い抜いてきた。有事法制制定攻撃との決戦は、暫定滑走路開港阻止決戦の中心的課題なのだ。3・13〜4・14全国集会への大動員を総力でかちとろう。

 第4章 収用委崩壊14年 暴力装置働かない三里塚闘争の地平

 最強の砦

 三里塚闘争が三十六年間の攻防で、いまだ完全空港化を許していない現実は偉大だ。その根拠は農民闘争としての正義、実力闘争、労働者人民の階級性に根ざした反戦闘争の立場、労農連帯の闘い、広範で全国的な闘争陣形、革命的武装闘争の地平など、さまざまある。
 警察権力は成田問題を治安政策の中心課題と考えている。それには明確な根拠がある。
 最も象徴的な問題は、千葉県収用委員会が実力で解体(八八年の強制収用攻撃への着手に反撃)されて再建できない状態が、まる十四年も続いていることだ。この結果成田空港の事業認定は消滅に追い込まれ、すべての未買収地が強制収用できなくなった。千葉県下のすべての公共事業も土地収用法が適用できない事態が続いている。
 「法治国家・日本」で、国家の暴力装置がほとんど機能しない領域が生まれ、しかもそれが人民的正義のもとに定着している。それが三里塚闘争の地平なのである。
 この地平は、正当な反権力闘争が広範な労働者人民の階級性と支持に支えられるならば、権力の暴力支配さえうち破る陣地を階級闘争のただなかに確保できることを実証している。これは有事法制・改憲攻撃が切迫する今日において要請されている労働者人民の革命的反戦闘争に重要な指針を提供している。
 「反テロ戦争」のただなかで、国家主義や愛国主義の暴圧に抗して真の反戦運動を勝利に導く道はどこにあるか。「侵略戦争への協力か、投獄か」という、戦前型の治安国家体制づくりとどう対決するか。国家の巨大な暴力装置に立ち向かい、労働者人民は将来の革命を目指していかにたたかうべきか。
 三里塚闘争は、この問題に明確な道筋を照らし出している。「権力万能神話」は三里塚の地で事実をもって崩壊している。この地平が広範な労働者人民の階級的たたかいと合流することを権力は恐れているのだ。

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週刊『三里塚』(S600号2面2)

 2002年戦闘宣言

 三里塚芝山連合空港反対同盟

 反対同盟は新年旗開きで暫定開港阻止への闘争宣言を発表した。以下全文。
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 4・18暫定滑走路開港と対決する決戦の年、二〇〇二年を迎えた。反対同盟は暴虐きわまる追い出し攻撃を粉砕し滑走路延長を絶対阻止する。戦争反対への思いのすべてを注ぎ、本格的に動き出した有事法制―改憲攻撃と闘う決意である。
 9・11反米ゲリラを口実に日本の戦争体制づくりが一変した。小泉内閣はテロ対策法を成立させてアフガン人民虐殺の残忍な侵略に参戦した。さらに「不審船」を銃撃し沈没させる衝撃的な戦争挑発に踏み切った。二十一日召集の通常国会では有事法制の段階的制定が目論まれている。戦争陣地構築のための土地収用、部隊移動のための道路法改悪など人民の権利を侵害する法整備が真っ先に強行されようとしている。
 今すべての人民に、戦争に協力するか否かが問われている。三里塚闘争を闘う者は、反戦・反核の砦としての矜持(きょうじ)にかけて総決起しなければならない。三里塚の敗北は戦争への道である。反対同盟は軍事空港建設を阻止し、沖縄、北富士、関西とともに反戦闘争の先頭にたつ決意である。
 不況は深刻さを増し、リストラと賃下げ、増税と社会保障制度の改悪が労働者人民に襲いかかっている。戦後最悪の資本攻勢と切り捨て攻撃に対して、動労千葉とともに「労農連帯」の旗を高々と掲げ闘おう。
 体を張った実力闘争にこそ人民の未来がある。これが三十五年間闘い続けてきた三里塚の実感である。われわれは必ず勝利する。暫定滑走路の惨状がその証左である。
 反対同盟は暫定滑走路開港に対して成田空港の破産を宣言する。゛平行滑走路は破産した″゛短縮欠陥の暫定滑走路は延長できない″――開港はこの惨状を全世界にさらけだすであろう。開港による追い出し攻撃を実力で粉砕する。
 三・三一現地闘争、四・一四全国総決起集会への大結集を呼びかける。二〇〇二年の闘いの勝利へともに前進しよう。
 二〇〇二年一月十三日

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週刊『三里塚』(S600号2面3)

 三芝百景

 三里塚日誌 2002

 1月9日(水)〜1月22日(火)

●千葉県幹部に火炎攻撃 革命軍は千葉県神崎町にある千葉県幹部・七五三(しめ)敏信の自宅に対して怒りの火炎攻撃を敢行し、暫定滑走路開港攻撃に打撃を与えた。(9日)
●北原事務局長が動労千葉旗開きへ 北原鉱治事務局長が動労千葉の旗開きに参加して、あいさつした。(12日)
●反対同盟旗開き大成功 反対同盟恒例の2002年団結旗開きが、150人の労農学を集めて、芝山町で行われ大成功した。旗開きに先だって、新年第1波のデモが東峰地区でたたかわれ、4月暫定滑走路の開港を阻止する力強い決意が示された。また旗開き後、反対同盟若手が動労千葉執行部と中野洋顧問を招待して交流会を開催、カラオケ歌って大いに親交を深めた。(13日=写真)
●関西実、都革新の旗開きで反対同盟あいさつ 全関西実行委員会と都政を革新する会の団結旗開きに伊藤信晴さん(関西)、市東孝雄さん、鈴木謙太郎さん(都革新)が参加してそれぞれあいさつした。伊藤さんは、昨秋の関西実行委による援農闘争や現地調査の取り組みが、反対同盟を元気づけてくれことを深謝した上で、「反対同盟は暫定滑走路開港という最悪の農民殺しの攻撃に絶対負けずたたかいぬく。われわれは自信
満々だ」とあいさつした。(14日)
●中郷部落で女オビシャの集まり 芝山町中郷部落で恒例の女オビシャ(御歩射または御奉射と表記)の集まりが持たれ、鈴木幸司加代子さんが参加した。掛け軸や榊をたてて行う当番引継ぎの儀式があり、食事をともにして交流を図る行事。オビシャとは元々馬に乗って弓を射る騎射「流鏑馬(やぶさめ)」に対して、徒歩(かち)で弓を射る行事をいい、的の当たり外れでその年の豊作を占う。しかし千葉県一帯では、弓を射る風習はなく、男オビシャ(中郷では10日)、女オビシャに分かれて男女が集い交流する場となっている。(15日)
●アフガン復興会議抗議集会で現闘代表発言 東京・全水道会館で行われた「アフガン復興会議粉砕・有事立法制定阻止総決起闘争」に全学連現闘の代表が参加して、決意表明した。(20日)
●市東東市さんの4回忌 (21日) 市東東市さんが亡くなって3年目の命日。現闘員も焼香にかけつけた。

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