SANRIZUKA 2001/05/15(No583 p02)

ホームページへ週刊『前進』月刊『コミューン』季刊『共産主義者』週刊『三里塚』出版物案内販売書店案内連絡先English

週刊『三里塚』(S583号1面1)

 暫定滑走路 「3300メートルの1期工事」だった

 南端強化舗装なし「農家立退き」前提

 地権者無視の軒先工事

 公団 「円卓」の確約も反故

 来年五月の供用開始予定に向かって暴力的な軒先工事が進んでいる成田空港暫定滑走路(二一八〇b=左図)の設計図が、東峰の未買収地内の反対農家を屈服させる(たたきだす)ことを前提に作られていることが判明した。滑走路の両端は航空機の離着陸の重量がかかるため、通常は百八十bにわたってコンクリート舗装される(大半はアスファルト)。ところが暫定滑走路の南端・東峰部落側は、ごく近い将来の「延長=未買収地の強奪」を見越し、アスファルト舗装のままの施工となった。暫定滑走路はそもそも二一八〇bのままで使用することが想定されていない設計だったのだ。「暫定滑走路の供用で反対農家をたたきだす」という空港公団の悪らつな意図が露呈した形だ。この農民殺しの暫定滑走路を実力で粉砕することは、あらゆる意味において完全に正義である。
 通常、滑走路の両端が通常約百八十bにわたりコンクリート舗装となる理由は、離着陸時の重量が極端にかかるためだ。離陸滑走スタート時のエンジン全開時や、着陸後のブレーキ作動時に路面にかかる加重は極端に大きく、アスファルトのままだと゛わだち″ができてしまうという。
 航空機の重量はB767などの中型機でも約百三十トン。ジャンボ機だと三百トンを超える機体も多い。離着陸時はその何倍もの重量が路面に伝わることになるため、路面強度の問題は滑走路運用上きわめて大きな問題だ。
 ところが暫定滑走路の南側、すなわち東峰・天神峰部落側は、コンクリート舗装されない設計となっていたことが分かった。現にそのように施工されている。
 暫定滑走路南端部分は、これによって離着陸時の航空機の加重に耐えられない状態となる。つまり暫定滑走路は、基本的に南側からの着陸進入と南側への離陸のみの使用となる。ただでさえ短くて使いものにならない滑走路がこれでは致命的である。
 つまり公団・国土交通省は、この暫定滑走路供用後のジェット騒音(飛ぶのは基本的に南側!)を盾に未買収農家をたたき出すことをすべての前提にしていたのだ。「暫定滑走路の供用は、それ自体が農家切り崩しの手段にすぎない」という反対同盟の指摘が完全に証明されたのである。
     *
 明らかになった事実の意味はきわめて重大だ。
 第一に、暫定滑走路建設の内実は「三三〇〇b平行滑走路」の第一期工事だったというカラクリである。
 暫定滑走路は二五〇〇bの平行滑走路当初計画を北側へ八〇〇bずらして設計された。そして南側の未買収地部分を全部削って二一八〇bとした。
 ところがこの「暫定滑走路」は、それ自身が未買収農家を切り崩すための脅迫手段にすぎなかった。供用をもって農家を脅迫することだけが「任務」の滑走路なのだ。そのためだけに千数百億円余の予算を投入し、「国際空港」の滑走路を一本造ってしまうという計画だ。まさに前代未聞、空前絶後の農民殺しといわなければならない。
 これはかの円卓会議最終報告(九四年十月)での「地権者の同意なくして平行滑走路の着工はしない」という政府確約を完全に反故にする問題だ。「暫定滑走路」は実は三三〇〇b平行滑走路の第一期工事だった。政府・公団は、地権者農民を無視し、反対農家の軒先まで一方的に滑走路を造って立ち退きを迫るという地上げ屋さながらの手口で「平行滑走路」建設を今現に進めているのだ。
 第二に、暫定滑走路が来春供用(予定)時の二一八〇bのままで終った場合、滑走路は文字通り使い物にならないことが改めて明らかになった。
 本紙既報の通り、公団は暫定滑走路の年間離着陸能力(回数)を「年間六万五千回」と公表しているが完全にウソである。大型機が発着できず中型機以下の航空機(短距離便のみ)しか使用できないという制約が致命的で、国際線は年間五千回程度(一日十四回=七〜八便)の需要しか見込めていない。国内線とあわせても最大で年間一万回、つまり一日換算二十七回(=十四便!)程度が限度だ。(本紙578号参照)
 この惨状ともいえる事態を糊塗するために、公団は「国内線充実対策検討会」(二月六日に第一回会合=同参照)なるものを組織し「需要」をねつ造してまで暫定滑走路の体裁を整えることに汲々としているのである。
 今回明らかになった暫定滑走路南端問題は、この本紙の指摘の正しさを裏付けるものでもある。
 南端部分をコンクリート舗装せずに供用する意味は、暫定滑走路が二一八〇bのままでは国際空港として使い物にならないことを公団が承知しているということだ。
 従って、とりあえず「暫定」でジェット機を飛ばし、その耐え難い騒音で滑走路南端直近(平行滑走路の未買収地)の反対農家の生活を脅かして屈服を強要、そして平行滑走路の当初計画に復帰する道を開こうという計画なのだ。
 何というごう慢さだろうか。「着工すれば反対農家は落ちる」「飛ばせば落ちる」という発想だ。これが反対派の軒先まで一方的に滑走路を造ってしまうという暫定滑走路計画の実態なのである。文字通りの農民殺しである。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S583号1面2)

 「建設主体(!?)」県に警告

 4・18戦闘 「検討会」の暴挙にも先制

 革命軍から4・18戦闘の軍報詳報が発表された。以下はその抜粋。(前号で速報)
   ◇   ◇
 革命軍は四月十八日、日帝・国土交通省、空港公団とともに暫定滑走路建設に加担し、三里塚闘争破壊に乗り出してきた千葉県当局に対する怒りを爆発させ、三里塚闘争と全国の闘う人民の意志を体して千葉県幹部に対する火炎戦闘に決起した。
 石塚は成田空港問題にかかわる千葉県の最高幹部であり、県企画部参事、次長を経て昨年四月に同部理事に就任、成田空港問題をはじめ芝山鉄道や新高速鉄道などを担当、成田空港の建設と運用を監視する第三者機関「成田空港地域共生委員会」の委員も務める。
 また「成田空港国内線充実対策検討会」に県を代表して参加している。実に犯罪的な三里塚農民の敵であり、数々の反革命的悪行を重ねてきた人物である。
 本戦闘は第一に、就任早々三里塚闘争破壊に全力を挙げて襲いかかってきている堂本新知事に対する革命的な回答である。
 前さきかげ参議院議員で千葉県知事選に当選した堂本暁子は「市民派」「環境派」を売り物に、全国的な自民党に対する大衆的怒りを背景に民衆の味方づらをして登場した。しかしそのペテン的な仮面は全面的にはがされた。
 堂本は知事就任直後に「成田問題は一気にやってしまおうと思っている」と公言した。三十五年間の三里塚闘争の歴史を顧みず、闘いに生涯をかけてきた農民を無視する最悪の暴言である。
 堂本はさらに「県が二五〇〇b滑走路実現の主体になる」との政治姿勢を明確にした。あくまで周辺対策を役割とする県が自ら「建設主体」となると宣言、反対派切り崩しに乗り出すというのだ。
 実際に堂本は「二五〇〇b滑走路」「完全空港化」のスローガンを掲げて敷地内農民たたきだしに動き出した。堂本のいう「真摯な話し合い」とは現に行われている軒先工事を背景にした敷地内農民への屈服強要以外の何物でもない。
 堂本は4・18戦闘に対して「民主主義のルールを支持する地域住民への挑戦だ(!?)」などという非難のコメントを発表した。本末転倒である。
 軒先工事を一方的に強行し「反対農家の四十メートル上空を飛ばす」などという脅し文句で屈服を迫っているのが暫定滑走路建設の現状だ。堂本と県はその「建設主体」になるとまで宣言しているのだ。堂本本人が敷地内農家への屈服強要に動くとも公言した。彼らに「民主主義のルール」を語る資格はない。堂本が「住民」を盾に、自らの農民殺しの責任を回避するような発言を行うこと自体が実に卑劣であり許されないことだ。
 わが革命軍は暫定滑走路建設を絶対に許さず、さらに果敢に闘いぬくことを宣言する。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S583号1面3)

 小泉極右政権と全面対決を

 人民の犠牲の「構造改革」

 庶民の金でバブル銀行救済

 国軍復活の改憲/侵略賛美の教育反動

 自民党支配の最後的破たんと崩壊がとめどなく進行する中、現体制の右からの破壊と「改革」を掲げる極右政権・小泉内閣が成立した。憲法九条(戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認)撤廃を核心とする改憲を公然とかかげ、「構造改革」の名の下に、労働者人民が戦後獲得してきた諸権利を最後的に一掃、一気に戦時型国家を作り上げようとする凶暴な本質をむき出しにしつつある。
 小泉政権の登場は、すべての労働者人民と三里塚闘争にとって全く新たな階級決戦情勢の到来である。新政権の実態は何か。本質はどこにあるのか。ポイントを整理しておこう。
    *
 小泉政権が八〇%を超える空前の「支持率」を得て成立した根拠は、橋本派(旧竹下派)に代表される旧来の自民党ゼネコン支配型の権力構造の破壊(右からの破壊)を掲げて登場したことにある。旧来の自民党支配が生んだバブル経済とその破たんによる深刻な経済不況への人民の怒りが臨界に達し、それが旧来の権力構造(利権構造と一体の集票構造)を崩壊させ、「脱派閥」「自民党の解党的出直し」を掲げた小泉「改革」になだれを打って動員された状況だ。
 しかし小泉政権は労働者人民の利益を徹底的に踏みにじることを本質とする極右政権である。人民の利害との階級的激突は早晩避けられない。
    *
 旧来の自民党権力の多数派であった橋本派支配の崩壊は事実だ。その意味で小泉政権は旧来の自民党支配の延長上にはない。
 しかし橋本派支配の崩壊とは、バブル銀行やゼネコンと結託した旧来のばらまき型権力構造が、回復不可能となった大不況のなかで完全にいきづまり自壊した結果だ。この絶望的な危機の突破策として小泉は「構造改革」を対置した。その実態は徹底した人民への犠牲転嫁、そのことを通したバブル銀行やバブル企業中枢の救済である。
 代表例が百兆円とも百五十兆円ともいわれる銀行の「不良債権処理」だ。
 「処理」というが誰が払うのか。バブルの責任者たちではない。最終的に人民の家計から吸い取る。それ以外の選択がないから「構造改革」なのだ。バブルの張本人たる銀行、ゼネコンや自民党政治家が甘い汁を吸い尽くしたあげく、解決不可能となったがゆえの「処理」なのである。
 「行革断行」も犠牲になるのは現場の公務員・労働者たちだ。社会保障や医療には金を出さない(社会保障「改革」)。年金も不払い(労働者の「自己責任!」で運用)。膨大な年金基金を「財投」と称して箱物づくりに垂れ流し、天文学的な国の借金を作り出した政府や高級官僚の責任は一切不問だ。
 これが「構造改革」「痛みを我慢」の小泉改革の実態である。
     *
 小泉政権の政治思想は極右天皇主義だ。政権基盤は旧来の自民主流派ではなく、中曽根康弘や石原・東京都知事をはじめとする極右勢力と結んだファシズム的政治戦略そのもののなかに政権基盤を作り出そうとするところに特徴がある。
 国家主義の復権、反動的教育「改革」、集団的自衛権の承認、そして改憲攻撃の全面化という形で、労働者人民を戦争国家体制に動員していく政策を真正面から掲げ突進しつつある。
 この小泉政権にとって、革命的内乱の拠点として日帝の軍事空港建設を三十五年にわたり阻止し続けている三里塚闘争の存在は、国鉄闘争をはじめとする戦闘的労働運動とともに絶対に許容できない存在だ。小泉流「改革」が進行すればするほど、三里塚闘争と日帝権力との激突は限りなく拡大する。
 二〇〇二年五月の成田暫定滑走路供用をめぐるたたかいが、そうした日帝小泉体制との決定的な激突となることは不可避だ。
 小泉反動政権を打倒する最先頭で、わが三里塚は断固としてたたかい抜く決意である。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S583号1面4)

 ピンスポット

 ”総乙女”で田植え

 神社決戦迫る中

 東峰部落 萩原さん

 五月二日、東峰部落の萩原進さん宅で田植えが行われた。現地支援がかけつけ、萩原夫妻のテキパキとした指揮の下、二十アールの田んぼは瞬く間に早稲米「フサオトメ」の苗がきれいに植えられていった。
 この日は五月初頭としては肌寒いくらいの気候。植えられた苗たちは夏の訪れを待つ。
 フサオトメは早稲米ではあるが味も良い品種。かつて作っていたコシヒカリは収穫時期が台風の襲来と重なるため、稲刈りに苦労していたとのこと。
 早稲米は八月末から九月初めに収穫できる。そのため七、八年前から転換したとのこと。暫定滑走路開港のための東峰神社立木伐採攻撃が切迫する中、農地を守りぬく萩原さんの決意は固い。(O)

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S583号1面5)

 団結街道

 三里塚では五月のはじめ頃、畑に「別れ霜」という霜が降る。今年は四月中旬にこれが降った。この十年くらい四月の霜は記憶になく、別れ霜の被害も少なかったのだが▼じゃがいもの芽が出そろい勢いをつける矢先だった。芽が黒く痛み、一部は成育の遅れが心配だ。二十日大根、ちんげん菜など油菜科の若い苗も痛んでしまった。とうもろこしも…。自然相手の農業の宿命か▼田んぼでは代かきや「くろつけ」など田植え仕事の時期。冷たい田に入って凍死しそうに(?)なる。先日は大根を収穫中、寒さのあまり指がしびれて感覚がなくなり、思わず叫んでしまった。秋の実りと収穫を想いつつ、生みの苦しみを味わう▼同じ野菜でも、先に作付けして大きくなった苗は霜の冷たさになんとか耐えていた。小さい苗が選別的にやられる。子どもが環境変化に敏感なのは人間も植物も同じだ▼吹きっさらしの畑は寒さに弱い。かつてはいたる所に林や竹やぶがあった。これが風害から畑を守っていた。今もわずかに残る林の隣接地は霜の被害が少ない。暫定滑走路の工事が農村風景を一変させた。その悪影響は一目瞭然だが、公団は「因果関係は不明」と言い放つ▼「環境派」を名乗る堂本知事。この敷地内の恐るべき環境破壊に目をつぶり、農民に「移転強要」の説得に乗り出そうとした。「私の手で一気に決着」とほざいたそうな。何ゆえの三十五年間の攻防か。そのあまりの見識のなさに厳しい弾劾と洗礼のお見舞い▼四月の霜が今春の「別れ霜」であってくれよと祈りつつ、明日は東京・杉並の選挙決戦に赴く。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S583号1面6)

 闘いの言葉

 国内建設で勝利するには、共産主義者でない者の力で共産主義を建設すること、経済運営で共産主義者が能力を持つことが必要だ。
 共産党11回大会
 一九二二年エヌ・レーニン

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S583号2面1)

 ゼネコン利権の舞台裏(中)

 政・官・財複合体による土地収用法改悪の深層

 ”血税食い物”角栄−金丸ラインでビルト・イン

 「予算つけろ、目的問わぬ」

 ダム・河口堰のカラクリ明るみに

 土地収用法改悪阻止! 国会闘争へ

 第1章 長良川河口堰建設 「洪水対策」はウソ

 日帝・自民党支配の柱の一つである巨大公共事業に対して、三里塚闘争の前進を背景としつつ、一九八〇年代末から民衆の怒りが高まり反対運動が拡大してきた。九〇年代に入ると空港、ダム、道路、干拓事業に対する住民のたたかいは各地に広がり、確認できるだけで四十五カ所以上にも上っている。今回の土地収用法改悪は、こうした民衆のたたかいの高揚に危機感を抱いた自民党・国土交通省が、利権の源である公共事業を守り、政・官・財の複合体を防衛するために策動している住民闘争破壊攻撃である。住民の怒りとたたかいが政・官・財の利権屋どもを追いつめているのだ。
 公共事業に対する民衆の怒りが最初にむけられたのが、三重県の長良川河口堰建設だった。
 長良川河口堰(かこうせき)は、工業用水、水道水の供給と洪水対策のために一九六〇年に計画された建設省の公共事業である。中でも伊勢湾コンビナートむけの工業用水の供給が主目的だった。
 事業計画が認可されたのが一九七三年、金丸信建設大臣の時だが、この時にはすでに伊勢湾コンビナートの水需要は足りていた。
 本来ならここで「事業中止」が決定されなければならないはずだった。しかし、当時は田中角栄が首相につき、列島改造政策の中で土建屋政治が本格化した時期だった。「事業中止」は問題にもならず「目的は何でもいい。巨額予算のつく事業を続行せよ」というのが金丸の意向だった。
 目的を洪水・塩害対策に変更し、金丸の統括の下で大々的な談合までが行われた(1993年6月25日に朝日新聞が報道)。
 事業の強行にたいして漁場を奪われる漁民は、一九七三年十二月、長良川流域の七漁協が二万六千人という原告を立てて「長良川河口堰建設差し止め」のマンモス訴訟を起こした。
 ところが、自民党田中派と地元ボスによる圧力と買収工作はし烈をきわめ、八一年までに原告が訴訟を取り下げて反対運動は収束した。
 それでも、八二年四月に、市民による新たな「差し止め訴訟」が岐阜地裁に提訴されるなど粘り強い運動継続の努力は続けられ、これが、一九八八年に始まる新たな河口堰反対運動の導火線となった。

 第1節 き弁羅列

 漁民に代わって前面に立った住民たちが長良川河口堰に反対する理由は、「洪水対策」という「目的」にとって、同河口堰が、効果がないどころか害になる、という一点にある。
 「洪水対策に河口堰が必要」という建設省の説明自体最初からいかがわしかった。同省の論理はこうだ。
(1)長良川の洪水対策には川の拡幅、堤防のカサ上げ、川の浚渫(しゅんせつ)の三つがあるが費用対効果で川の浚渫しか方法がない。
(2)川を浚渫すると河口から海水が遡上(そじょう)するため塩害が発生する。
(3)塩害防止のために河口から五・四キロの所に河口堰が必要というのである。
 ところが建設省が塩害が発生すると警告する三重県長島町よりはるかに上流の岐阜県海津町では、揖斐川(いびがわ)からの海水が遡上してきているが塩害は発生していない。
 仮に塩害が発生すると仮定しても、用水・排水路の建設工事によって、河口堰の一割の予算で塩害を防止できることが、一九八〇年代の末に河口堰の見返り事業として行われた工事によって証明された。河口堰よりはるかに安価な用・排水路によって河口堰と同じ効果の上がることが事実をによって判明したのである。
 長良川河口堰は千八百四十億円を費やす巨大土木工事だが、大手ゼネコンと地元建設業社に利権を提供するためだけの工事であることが、建設省自身の補償事業によって明らかにされたのである。
 河口堰が洪水対策になるどころか、洪水の危険性を増す、という点についてはどうか。
 建設省が声高に主張するのが一九五九年伊勢湾台風の被害であるが、被害を大きくした長良川の堤防決壊の原因は、海から来た高潮が、河口から約八キロの所にある伊勢大橋でさえぎられ、大橋から下流の水圧が急上昇した結果であったことが知られている。
 伊勢大橋よりも強固な河口堰が造られれば、下流からの高潮の場合でも洪水の場合でも、河口堰で流れが堰止められ、伊勢湾台風以上の堤防決壊が引き起こされるのである。
 要するに長良川河口堰を建設する理由は皆無であり、むしろ造ったら治水面で有害だというのが真実なのである。
 しかし、元々が利権のための公共事業である。八八年から再び大きく高揚した民衆の抗議闘争によって、河口堰の不当性が社会的に大きく暴露されても、金丸は強権と恫喝で事業をごり押ししていった。
 河口堰問題は、事業自体の利権もさることながら、巨大公共事業の是非ををめぐる一大焦点になったため、巨大利権の護持と建設族ボスとしての威信をかけて強行したのだ。
 河口堰はこうして一九九五年に完成し運用されているが(写真左上)、住民が事前に指摘したとおり、現在ヘドロが二bも溜まり、長良川を破壊している。堰の開門を求める運動は粘り強く展開されている。
(労農学の反対を押し切って1995年に運用が開始された長良川河口堰。今ではヘドロが2メートルも溜まっている)
 そして、長良川河口堰問題は、ダムを象徴とする巨大公共事業の腐敗した実態を全社会に暴露したのである。ここから全国で公共事業への反旗が掲げられていった。

 第2章 吉野川でデータ改ざん 住民過半数が「ノー」

 長良川河口堰問題につづいてダム建設(河口ダム)のデタラメを告発したのが、同じ河口堰である徳島県吉野川可動堰問題である。吉野川可動堰とは、吉野川の河口から約十四キロのところにある第十堰を壊して、その一キロ下流に幅千二百五十b、建設費千三十億円の河口ダムを新たに造ろうという計画である。
 これもご多分に漏れず地元土建会社の意を体した県議会と県の要求が始まりだった。「地元から可動堰建設の要求はまったく出ていない」(住民の証言)という状態だった。
 一九八二年、建設省が自らの権益拡大の思惑もこめて県と県議会の要求を認め建設に動き始め、八八年に調査開始、九一年に予算がついた。ここでも「建設の名分」は利水(上水の供給)と洪水対策だったが、元々根拠のなかった利水は直後に撤回された。建設の口実は洪水対策一本にしぼられた。
吉野川を横切る第十堰(下)を壊して「改築予定地点に、新たに1030億円をかけ可動堰を計画している

 第1節 「諦めぬ」

 洪水対策で可動堰を造る目的は、一七五二年に造られ現在も使われている第十堰が、川の流れを阻害して洪水の危険を増すため、これを壊して可動堰を造り百五十年に一度の洪水にも耐えられるようにするというものであった。
 しかし、ここで建設省のデータ改ざんが次つぎと暴露された。建設省は第十堰を取り除いて可動堰を造れば「毎秒三千トンの洪水流下能力(注1)が高まる」と言っていたがウソだった。追及を受けて「毎秒千七百トン」と下方修正した数字も、住民の独自調査で根拠薄弱であることが暴露された。結局、可動堰を造っても下がる水位はわずか二十センチでしかないこと、建設省のあげてきたデータは可動堰を合理化すためだけのでっち上げだったことが暴露されたのだ。
 他の事業と同様「初めに建設ありき」、理由は後からつけたものという事実が明らかになった。同省は全国の水需要予測でもダム推進のために過大な数字をねつ造していることが知られている(グラフ参照)。
建設省の 立てた水需要予測と実際の格差を示すグラフ。同省は過大な予測をねつ造しダム計画を推し進めた
 そもそも第十堰が造られて二百五十年、洪水は一度も起きていないのだ。「洪水対策」がいかにウソかは明白である。(注2
 こうして可動堰に対する住民の批判が一挙に高まり、地元徳島市民からは住民投票で「可動堰ノー」の意志がつきつけられた。可動堰建設は追いつめられた。昨秋自民党亀井静香の行ったぺてん的な「公共事業見直し」においても、吉野川可動堰はゴリ押ししきれず「計画白紙」の判定が下されている。
 それでも交通省と県はあきらめず、計画の微変更で事業復活の機会を狙っている。吉野川は長良川につづいて、巨大公共事業のデタラメで腐敗した実態を全国に明らかにしたのだ。

 第3章 国交省 法改悪で適用迅速化へ 「迷うわず収用法を」

 徳島県木頭村では、細川内ダム計画にたいする村と村外の住民の連帯したたたかいが展開され、建設省と徳島県を追いつめダム休止に追い込んだ。
 細川内ダムは一九七二年に那珂川の上流・木頭村に計画された多目的ダム。建設費は当初百九十億円とされていたが、九五年には千百億円に拡大した。
 村の中心地が水没し、農業・林業に壊滅的な打撃を与えることから、村ぐるみの反対運動が当初から展開されてきた。
 反対理由は(1)治水については河川改修で対処できる。ダムを造ると堆砂(注3)によって川床が上昇し、かえって洪水の原因になること(2)那珂側流域の都市用水は九〇%が工業用水である上、今後需要が伸びるとは考えられないこと(3)村の基幹産業である農林業に打撃を与え、自然を破壊すること。
 一九七六年に村議会が反対を決議。それ以来歴代村長が建設反対を表明してきた。中でも一九九三年に当選した藤田恵村長は「環境基本条例」と「ダム建設阻止条例」を制定する一方、広く村外の住民に呼びかけて大々的な立木トラスト運動を展開し、現在トラスト参加者は全国で三千人にも及んでいる。

 第1節 転向迫る

 これにたいして建設省と徳島県は、露骨ないやがらせを展開、「ダムで水没する村に施設は必要ない」と公共施設への補助金をカットしたり、御用機関であるダム審議会委員に藤田村長を選び゛転向″を迫ったりしている。
 それでも住民のたたかいによって亀井による前述「見直し」で細川内ダムは「一時休止」扱いとなった。しかし、今年四月の木頭村村長選挙では、ゼネコン選挙を展開して藤田村長を落選させた。展開は予断を許さない。
   *    *
 ゛利権の温床である公共事業を阻止せよ″||巨大空港建設を三十五年間にわたって阻止してきた三里塚闘争の地平を背景として、今や全国四十五カ所以上でダム、空港、道路、産業廃棄物処分場、新幹線などにたいするねばり強い反対運動が起きている。
 吉野川や細川内ダムのように「白紙見直し」「一時休止」などの成果も勝ちとられている。
 こうした住民運動への弾圧策の一つとして企まれているのが今回の土地収用法改悪攻撃だ。長良川でも吉野川でも審議会などでの検討を数年間かけて行ったことが住民運動誘発の一因と、国土交通省は゛総括″している。
 国土交通省の新たな強権方針は、土地収用法の迅速な適用である。収用法適格事業であれば時間をかけずどしどし収用法を発動せよ、というのである。そこで゛障害″となってくるのが細川内ダムや東京都の日の出村産廃処分場、静岡空港建設など全国で二十五カ所以上で展開されている一坪共有運動、立木トラスト運動である。こうした共有運動を撲滅することに今回の収用法改悪の主眼をおいた。
 三里塚闘争、沖縄闘争破壊を目論むと共に、日帝の支配構造そのものである゛利権複合体″防衛のために強行されようとしている土地収用法改悪策動を許してはならない。反対同盟を先頭に国会闘争に決起し、全国住民運動と連帯して法改悪を阻止しよう。
 (注1) 第十堰 一七五二年に、旧吉野川への分水を目的に造られた。上堰と下堰の二段堰で、立派な現役である。川に対して斜めにかつゆるい傾斜をつけて造られているため底にしっかり固定され、洪水をうまく受け流し壊れにくい。石積み構造で水も通す。
 (注2) 洪水流下能力
洪水の時により多く流水を通過させ、水位を下げる能力。
 (注3) 堆砂 ダムには上流から流れてくる砂が堆積し、四十年から五十年で使えなくなるという。これが堆砂。ダムが砂に埋まると逆に川床が上がり、洪水の原因になる。埋まったダムの砂を除去する対策はない。
 (つづく)

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S583号2面2)

 堂本知事

 ゼネコン利権丸のみ 沼田バブル県政に批判なし

 ゛利権のための巨大公共事業の推進″は千葉県でも例外ではない。ゼネコンと沼田武前知事・千葉県官僚は、利権と既得権益の拡大を求めてデタラメな巨大事業を千葉県各地で展開し、年間予算(一兆七千億円)を上回る一兆九千億円の巨額債務を作っている。
 その代表が成田空港暫定滑走路と幕張新都心事業、かずさアカデミアパーク(以上を「千葉県三角構想」と命名)および千葉ニュータウンである。
 そして堂本暁子新知事は、沼田前知事の作った「新世紀ちば五カ年計画」のバブル政策を踏襲する方針を表明し、保守利権政治家としての正体を早くも露呈しているのだ。

 第1章 ●幕張メッセ

 高層ビルが林立する幕張新都心は、見かけの派手さとは裏腹にふところは火の車、巨大な金食い虫となって県財政を圧迫している。
 計画面積は五百二十二ヘクタール、総事業費三兆円。二〇〇〇年度の就業予定十五万人にたいして現在就労しているのはわずか三万五千人。二万六千人という居住予定人口にたいして現在住んでいるのは六千人。いずれも計画の四分の一以下という惨状である。
 町はゴーストタウンと化し、いったん進出した金融会社やレストランなどが次々と撤退している。
 幕張メッセだけで県の予算五百五十億円を投入し、毎年大幅な赤字を計上している上、今後さらに都市基盤整備に五千億円も投じる予定で、幕張新都心事業は底無し沼のように千葉県財政を沈没させている。
 木更津市、君津市にまたがる「かずさアカデミアパーク」もデタラメだ。県は民間研究用地として百五十fを準備しているが、立地協定が結べたのは三社だけで、研究所が完成したのはこのうち東京田辺製薬のみ(三・四f)。
 県がこれまで負担した金額は、DNA研究所、かずさアカデミアホールを含む建設費などゆうに千億円を超える。それでも中止を決断できず県の負担額は増える一方だ。
 成田空港建設の見返り事業として計画された白井市の千葉ニュータウンも計画三十四万人の予定にたいして現在わずか七万五千人の入居。開発予定千二百fにたいし現在六百f。計画は遅々として進まずここでも巨額赤字が累積している。
 その最大の原因は、地権者や住民に何の相談もなく利権のためのムダな事業を開始したことである。
 以上の野放図な巨大事業によって千葉県は巨額の累積債務を抱えているが、さらに成田新高速鉄道、常盤新線沿線開発、首都圏中央連絡道路など大規模開発を続けようとしている。そして堂本新知事はこれらバブル政策を引き継ごうとしている。堂本知事を打倒し利権公共事業を止めさせなければならない。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S583号2面3)

 北総の空の下で

 ラッキョ違い

 西洋人もびっくり

 新緑の季節です。この辺の田植えは遅いところでも五月半ばには一段落します。少しずつ鋤(す)き起こされてまだら模様だった田園風景が、見渡す限り水面に緑の筋がなびく、涼しげな風景に変わりました。
 冬の間、空き畑だった所も次々と作物で埋まっていきます。寒風に耐え冬を越したソラマメやエンドウ、玉ネギ、ラッキョウが一挙に育って青々としてきました。
 昨年の夏に植えたラッキョウは約一年後の六月にようやく収穫期を迎えます。生育途中の若いラッキョウも生食用として出荷しています。若いうちは辛味が少なく、シャキシャキした歯ざわりを楽しみながらミソなどを付けて食べます。
 「葉付き若採りラッキョウ」を売り出す時エシャロットと命名したため、日本ではこの名で定着しましたが、実は古くからヨーロッパで栽培されていた別種の元祖エシャロットがあるのです。
 今年市東孝雄さんで食用にほんの少し作ったものを田んぼ仕事の時に試食しました。若採りラッキョウより丸型でよりマイルド。
 フランス料理では香辛料としてソース作りに欠かせない野菜だそうです。ミソを付けて生食しているのを見たらヨーロッパの人は驚くかも知れません。
 先日萩原さんでアメ色に漬かったラッキョウ(こちらは成長したもの)をご馳走になりました。一年漬けこんだ貴重品です。これから高温多湿の季節を迎えると、甘い物好きの私でさえお茶菓子に手が伸びなくなります。そんな時「おいしい!」と思うのがラッキョウの甘酢漬けです。
 四月後半は不安定な天気が続きましたが、梅雨前の一時、五月後半の空に期待したいと思います。(北里一枝)

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『三里塚』(S583号2面4)

 三芝百景 三里塚現地日誌 2001 4月18日(水)〜5月8日(火)

●堂本知事弾劾の千葉県議会闘争 千葉県の堂本暁子新知事が県議会で所信表明を行う事にたいし、反対同盟は堂本知事の敷地内切り崩し策動を弾劾する千葉闘争に決起した。北原鉱治事務局長は「堂本知事は沼田知事ができなかったことをやろうとしている」「堂本知事に幻想を抱いてはならない」と発言、萩原進事務局次長も「今日は堂本知事の化けの皮をはがしにきた。三里塚には一歩も入れない」と闘争宣言した。参加者は市内を戦闘的にデモして堂本知事の反動性を訴え、大きな注目を浴びた。(20日=写真
●団結街道の原状回復かちとる 去年8月に団結街道が封鎖された事にたいして反対同盟は4回の公開質問状提出を含むねばり強い闘いを展開してきたが、ついに同街道の原状回復を勝ち取った。「大きな勝利だ。われわれの正しさが証明された」と関係住民の市東孝雄さんは語っている。(20日)
●労組交流センター女性部会の大会にメッセージ 千葉で開催された労組交流センター女性部会の第8回大会に反対同盟はメッセージを送って労農連帯の団結を深めた。(29日)
●ウドを初出荷 萩原進さんと市東孝雄さん宅で、この時期だけ少量出荷するウドの収穫作業が行われた。市東さんのウドは東市さんが畑の脇で育てていたのを引き継いだもの。(5月1日)
●萩原進さん宅で田植え ゴールデンウィーク恒例となった萩原進さん宅の田植えが行われ、20アールの田に今年もフサオトメを植えた。(2日)
●木内秀次さんでも田植え
芝山町白桝部落の木内秀次さん宅で田植えが行われ全学連現闘からも゛田植えのベテラン″が援農にかけつけた。50アールの田にコシヒカリを植えた。(3日)
●群馬実行委の青柳さんらが反対同盟激励 群馬県実行委員会の青柳晃玄さんと小池正男さんが三里塚現地を訪れ、北原事務局長、萩原進さんら敷地内をはじめ同盟各戸を訪ねて激励した。(4日)
●周辺情宣で小泉と堂本を弾劾 三里塚闘争現地支援連絡会議は、同盟PRカーを使って毎週月曜、水曜、土曜の3回、三里塚周辺地域の宣伝活動を行っているが、この日は小泉新政権と堂本新知事の反動性を暴露した。(7日)

------------------------TOPへ---------------------------