SANRIZUKA 2000/12/15(No573 p02)

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週刊『三里塚』(S573号1面1)

軒先工事の暴挙に屈せず 12・3闘争 暫定滑走路着工1周年
 反対同盟先頭に敷地内をデモ 伐採阻止決戦を宣言
 東峰神社 「無様な滑走路」を強制

 暫定滑走路の着工強行から一周年をむかえた十二月三日、反対同盟は首都圏から百八十余名の労働者学生を集め現地闘争を行った。参加者は反対同盟を先頭に、収容所のような姿に変ぼうした敷地内を意気高くデモ、暫定滑走路の運航を阻む東峰神社の立木などの拠点を確認し、一年間の闘いの前進を高らかにうたい上げた。
 軒先工事の重圧で反対同盟・地権者の屈服を引き出そうとした運輸省・公団の思惑は完全に粉砕されたのである。集会とデモの後、参加者全員で二〇〇〇年の打ち上げ会が行われた。婦人行動隊の尽力で熱い豚汁や赤飯などが用意され、改めて団結と連帯を誓い合う乾杯の声が上がった。
 午後一時三十分、反対同盟と集会参加者は市東孝雄さん宅前庭に集合し、木内秀次さんの司会で集会を行った。あいさつにたった北原鉱治事務局長は「臨戦体制のもとで一年間闘い運輸省・公団を追いつめてきた」「暫定滑走路は仮に完成しても大型機が発着できず役にたたない。農民を追い出すための軒先工事に正当性はない」として不動の闘争姿勢を明らかにした。
 続いて動労千葉・繁沢副委員長があいさつ。労農連帯の不抜の決意を表明して国鉄闘争の報告。「国労は四党合意を三度粉砕し新たな執行部づくりに向かっている。JR総連=カクマルは、九州労の崩壊に見られるとおり内部対立が激化し拉致監禁事件にまで発展した。資本の手先に断が下るときがきた」と揺るぎない決意を表明した。
 関西からかけつけた山本善偉さんは「臨検新法が成立しガイドライン体制が完成した。『非核神戸方式』をやめて新たに海上自衛隊の基地をつくる計画がある。関空二期の破綻をひきつぎ、三里塚とともに闘う」と決意表明した。
 さらに顧問弁護団から葉山弁護士が「改憲攻撃が激しく進行している。暫定滑走路は改憲攻撃と密接に連携している」として、三里塚闘争の重要性を強調。さらに「進入表面を破る東峰神社の立木を伐採しなければ滑走路は機能しない」と、公団が策動する強制伐採阻止を訴えた。

 「2000年供用」粉砕へ

 集会の後、反対同盟を先頭に意気高くデモ行進。部隊は、団結街道を封鎖してのトンネル工事現場から、畑をつぶしてせり出した東峰のフェンス工事へと怒りのこぶしを突き上げた。そして東峰神社を経て開拓組合道路まで戦闘的なデモがたたきつけられた。
 天神峰・市東方に戻って総括集会と打ち上げ、忘年会が行われた。「暫定滑走路が破産したので羽田国際化や羽田拡張問題がでてきた。東峰神社の立木は絶対切らせない」(小林なつさん)。「この一年間、はっきりと反対同盟の闘いの側が勝利した」(鈴木幸司さん)。「私なりに一生懸命の一年だった。全力投球でがんばる」(市東孝雄さん)。「暫定が固定化すれば成田は破綻する。二〇〇二年初夏に供用開始だと公団はいうが、敵にぶざまな姿を強制しなければならない」(萩原進さん)などと次々に力強い発言が続いた。
 都政を革新する会・新城節子杉並区議、部落解放同盟全国連、婦人民主クラブ全国協、泉州住民の会、東京労組交流センター、沖縄青年委員会、全学連(大山委員長)などが決意表明した。
 その後、参加者は婦人行動隊の心尽くしの料理で乾杯。改めて労農学の団結と親ぼくを深めた。
 反対同盟と敷地内農家の怒りの声を踏みにじった軒先工事着工から一年。工事の重圧で反対農民を追い出そうとした攻撃は、ものの見事に粉砕された。反対同盟の団結と闘争陣形は万全だ。運輸省・公団や県が「熱望」する二五〇〇メートルの平行滑走路という野望は、根本的なところでうち砕かれたのである。 
 12・3闘争は、この一年間のたたかいの勝利を総括し、二〇〇一年の三里塚決戦を新たな陣形でたたかい進むための決起集会として戦闘的にうちぬかれた。天神峰・東峰地区で始まった本格的な軒先工事、団結街道破壊策動と東峰神社立木伐採攻撃を実力で粉砕しよう。
 有事法制制定・改憲攻撃粉砕の二〇〇一年決戦のなかで、三里塚闘争の新たな大衆的発展を勝ちとろう。

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週刊『三里塚』(S573号1面2)

 団結街道問題

「現状回復」のウソ発覚 工事現場一目瞭然 市、公団と共謀

 天神峰・団結街道破壊攻撃に関して、成田市が再び虚偽の回答を行なっていたことが判明した。
 反対同盟は団結街道の封鎖状況や入手した工事関係資料などから判断して、運輸省・公団が団結街道の廃道化をもくろんでいると判断、道路の管理者である成田市に公開質問状を提出し(八、九、十月の三回)、事の真偽を質すなどの措置をとってきた。成田市が公団に承認を出さなければ団結街道の破壊はあり得ないからだ。
 これに対して成田市は十月十三日付で回答を出し、「市道十余三・天神峰線の工事完了後、従来の路線(通称・団結街道)に戻る予定であります」「現市道を廃止するものではありません」と、団結街道破壊策動を明確に否定したのである。反対同盟の機敏な対応による団結街道防衛のたたかいの勝利だった。
 ところが今回、この成田市の回答がウソであることが工事現場の状況から判明した。
 現在団結街道が封鎖されているのは、小見川県道トンネル化工事のためだ。そのトンネルに蓋をすれば元の団結街道を復元するいうのが成田市の回答だった。しかし工事現場を見ると、道路を「復元」するのに必要なトンネル部分をまたぐ橋梁の位置がまったく違っているのだ。元の団結街道の位置に橋梁はなく、反対同盟が指摘していた「空港外周線」に沿った地点に橋梁が組まれているのだ。
 この外周線上の北側にはすでに道路が一部造られている箇所もあり、反対同盟はこの事実を指摘し、団結街道の破壊が計画されているのではないかと市を追及してきたのである。
 その反対同盟の懸念はまったく正しかった。工事現場の事実(橋梁の位置)は、成田市と公団がぐるになって団結街道破壊を進めていることを確かな証拠をもって突き付けているのである。成田市は公団とぐるだった。市の管理地を公団が勝手にルート変更することは不可能だからだ。
 こうした卑劣な手口で反対同盟をペテンにかけてまで、敷地内の営農・生活環境を破壊をもくろむ空港公団と成田市の姿勢はきわめて悪らつである。断固たる怒りの反撃をたたきつけなければならない。

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週刊『三里塚』(S573号1面3)

主張 国家公認の「地上げ」 暫定滑走路攻防の深層 B

 公団総裁 「40メートル上空飛ばす」連発
 まるで収容所、これが民主主義か

 隅谷調査団「最終所見」(「成田問題は社会的に解決」と強弁=九八年五月)を受け、運輸省・公団は平行滑走路を同年内にも着工する準備に入った。しかし反対同盟の強い反撃の前に挫折、共生委員会の場では「軒先工事の一方的着工はしない」(運輸省・鈴木審議官=同十一月)と明言するハメに陥った。共生委の山本代表委員も「軒先工事は不適切」と明言した。
 ところが彼らは何と、この九八年十一月時点で「暫定滑走路への転換」の準備を秘密裏に進めていたのだ(九九年5・11読売)。二五〇〇bの平行滑走路を「二一八〇b」に短縮した上で北側へ八百bずらす計画だ。東峰地区・未買収地の境界ギリギリまで滑走路を造って飛ばしてしまおうという暴挙である。

●手のひら返し

 暫定滑走路計画が正式に発表されたのは九九年五月だ。直前に七回も運輸官僚が敷地内農家を説得「訪問」するという見えすいたアリバイ作りの後で発表された。地権者の同意なしに平行滑走路は造らないと社会的に確約した円卓会議決定(九四年十月最終所見)や「一切の強制的手段を放棄する」とした公開シンポジウム決定(九三年五月終結)を完全に反故にする内容だった。しかも「年内着工」の最後通牒つきだ。
 航空審議会(運輸省の諮問機関)のメンバーである共生委・山本代表も゛ぐる゜だった。「軒先工事はやらない」としてきた彼らは手のひらを返した。
 そして十二月三日、運輸省・公団はついに暫定滑走路の着工を強行した。地権者農民の存在を完全に無視、暴力団の地上げとまったく同じ手口だ。
 着工後、公団総裁・中村徹は「(暫定滑走路では)農家の上空四十bを飛ぶ」とあからさまな恫喝を連発した。滑走路と農家は直線上にあり、滑走路南端との距離はわずか四百メートル。「頭上四十b」を飛ばすとは、ピストルを突き付けて屈服を迫るのと同じだ。「土地を売らなればひどい目にあうぜ(!)」というわけだ。

●軒先工事の実態

 天神峰・東峰の農業環境は軒先工事の着工で一変した。反対農家と未買収地を鉄板フェンスが完全に取り囲んだ。フェンスには三重の高圧電線が張られた。まるで強制収容所のような雰囲気である。このなかを巨大な重機がうなりを上げて突貫工事を続けている。
 天神峰・市東孝雄さん宅と誘導路の距離はわずか数十b。ここには遮音壁の計画もない。自走するジェット機の爆音で農家を直撃しようというねらいだ。
 この異常な環境のなかを二十四時間、機動隊や私服刑事が徘徊(はいかい)、検問や尾行、生活監視などのイヤガラセが続く。反対同盟・地権者は畑に行く度に検問を受け、買い物に行くだけで尾行される。通学する子供までが検問とイヤガラセの対象だ。
 家に出入りする民間業者も全員チェックされる。民間業者の家族までが「不審者」として尾行され尋問されるイヤガラセを受けた。
 さらに夜間、機動隊車両が何台も家の前で警告灯を回転させ停車する。家の中をライトで照らされ、機動隊がのぞき込む、等々…。
 これが「話し合い」による空港建設の実態だ。シンポ・円卓会議で運輸省と脱落派が勝手に「合意」した(当事者は全員が反対している)平行滑走路建設の実態は、このような常軌を逸した人権蹂りんなのだ。
 NHKテレビは十二月四日と五日の二日間にわたり『暫定滑走路着工から一年』の特集を組んだが、ここで紹介したような農家への人権蹂りんの事実を一言も報道しなかった。空港が「完成」した後の芝山町(滑走路の南方に位置する町)の騒音対策をどうするかといった内容だ。いままさに暫定滑走路工事の現場で、殺人一歩手前ともいうべき人権蹂りん、農民殺しが横行している現実を、最大の報道機関が隠し通した。
 事実を報道しない報道機関がどういう道をたどるか。戦前の例を思い起こすまでもなかろう。

●離島空港なみの滑走路

 以上のような国家的暴力行使によって強行されている暫定滑走路は、国際空港として使い物にならない二一八〇bという短小滑走路だ。しかも南端からわずか六十b地点の東峰神社の立木(約十b)が滑走路進入表面を突き破る事実が判明、滑走路はさらに約四〇〇b短い実質一七四〇bしか運用できない(本紙既報)。地方空港でも二〇〇〇bが当たり前の時代に、離島空港なみの滑走路だ。
 結局、暫定滑走路とは地権者をたたきだすことだけが目的の計画だったのだ。着工すれば反対派は落ちると踏んでの見切り着工。三十年前と変わらぬ農民無視の姿勢だ。
 運輸省・公団は神社の立木を航空法で強制伐採する方針だ。「一切の強制手段を放棄する」と公式に確約した運輸省が、早くも強権発動に動き出した。
 このような無法が「民主主義」の名の下にまかり通ることを三里塚闘争は決して許さない。「暫定滑走路2002年供用開始」を全人民の階級的怒りで包囲せよ。国家の暴力行使に対しては、いかなる反撃手段も正義であることを宣言するものである。(おわり)

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週刊『三里塚』(S573号1面4)

 ピンスポット

「誠心誠意」の農地強奪とは?

 「共生」も何もない 運輸省「2500メートル追求する」

 森田運輸相は十一月二十八日午後に平行滑走路(現在は短縮の暫定滑走路)の工事現場などを視察(=写真)。その後成田空港内で記者会見に応じた。
 会見では二〇〇二年初夏(五月)のサッカーW杯までに当初計画の2500メートル滑走路が実現できるかどうか、その見通しを聞かれ、「厳しいが、姿勢としては望みを捨てず、最後まで誠心誠意取り組む」と、従来通りの考えを示した。
 二五〇〇bの当初計画を完成させるためには、天神峰・東峰地区の未買収地をすべて買収、もしくは成田の土地収用のための「特別立法」を新たに制定するなどして取り上げなければならない。  
現状から判断してこんなウルトラZは百パーセント不可能だ。
 それを森田という運輸大臣は「望みを捨てず」と表明したのである。ありえないことを「取組む」と。将来の強権発動を含め、人の土地を一方的に取り上げる「決意表明」なのだが失礼千万な話だ。 

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週刊『三里塚』(S573号1面5)

団結街道

 アトピー性皮膚炎が大問題になったとき(今でも問題だが)日本人の腹に寄生虫のいなくなったことが原因かと疑われた。かつて寄生虫王国といわれた頃はアトピーは少なく、虫がいなくなって何かのバランスが崩れアレルギーが蔓延したとの説▼腹の虫といえば「虫酸(むしず)」。胃液のことで、溜飲(りゅういん)と同じ意味。気に入らないこと(または人物)に出くわしたりすると「虫酸が走る」という。胃液が口に逆流してくる状態。「腹の虫が収まらない」ともいう。ムカつきが晴れると「溜飲を下げる」▼師走はやたら忙しい。ストレスで虫の居所が悪くなりがち。ストレスの多くは主観に左右される。主観を相対化することが大切だが、それが難しい。主観にはそれぞれ立派な根拠があり一筋縄では収まらない。人間は主観に左右されるから面白いが…▼ことしのサツマイモは虫に食われた。こちらは本物の虫。サツマイモは虫に食われると芽を出し商品価値が地に落ちる。これが農業従事者にもたらす精神的ストレスは大変だが、三里塚を支えてくれる多くの人々の心意気を思うと心が和む▼畑をみると被害の大きい畑と軽微な畑が歴然と分かれていた。この差を解明すれば来年から楽になるだろう。次世紀へ残した課題に腹(の虫)をすえて取組む所存▼三里塚闘争もついに二十一世紀へ。農民の誇りを虫けらのように扱ってきた政府は「滑走路が短すぎ使いものにならない」と泣き言をいう。一寸の虫にも五分の魂。これを再び踏みにじった軒先工事。三里塚農民の怒りを本当に思い知るのはこれからだ。

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週刊『三里塚』(S573号1面6)

闘いの言葉

 一九一四年の戦争を拒否したときラディカリズムは平和主義とは無縁だった。反動の暴力は革命的暴力で倒されねばならぬからだ。
 一九七一年『生きられた思想』/ジェルジュ・ルカーチ

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週刊『三里塚』(S573号2面1)

動き出した土地収用法改悪攻撃(下)

 日帝・建設省「成田の教訓」 秘密会議で新法案作成
 戦時型土地収用制度が国家総動員体制の要

 朝鮮・中国、アジアにむけた侵略戦争を遂行するための体制作りで、労働者・人民と日帝との激しい激突点となるのが、土地収用問題である。戦時体制では「自衛隊の作戦行動に必要な陣地・軍事基地・軍事空港」などを自由に強奪できる権限が不可欠であり、それが国家総動員体制の要をなしている。こうした戦時型収用制度の確立のために日帝・建設省は、来年一月の通常国会に土地収用法改悪案を提出する方針を固めた。有事法制の制定攻撃を土地収用法改悪から着手しようということだ。千葉県収用委員会を解体している三里塚闘争の地平は、「国家総動員体制作りの要」としての土地収用法制度確立を先端的に阻止してきた。今こそ三里塚闘争を先頭に土地収用法改悪・国家総動員体制粉砕へ立ち上がろう。二〇〇一年決戦の中心的課題として土地収用法改悪・戦争体制作り粉砕のたたかいに取り組もう。

 次期通常国会提出許すな

 最大の難題

 日帝による戦争体制作りは、@国家総動員体制の確立、A政府機関の臨戦化、B自衛隊の行動制約の解消の三つの分野に分けられるが(三矢作戦の分類)、このうち@の国家総動員体制の確立が国家権力にとって最大の難題となる。国家総動員体制は生産力や労働力その他の戦時徴用、土地・施設の戦時徴発を内容とする。それゆえに、労働者人民の利害と直接衝突する。中でも「国家による土地収用」が人民との間で最も先鋭な対立を生む焦点だ。
 侵略戦争遂行体制にとって「軍用地の収用」は死活的である。軍隊の移動や作戦にかかわる陣地、基地、軍事空港などの確保は最優先事項であり、有事におけるその必要性は一挙にふくらむからだ。この成否は作戦遂行の帰趨を決する。
 例えば戦前の千葉県の場合、軍事空港にかぎって見ても一九三七年から四十三年のわずか七年の間に、十カ所もが新増設されている。本紙でも何度か紹介した八街飛行場をはじめ、横芝飛行場、東金飛行場、柏飛行場、藤ケ谷(沼南町)飛行場(以上陸軍)、香取航空基地、茂原航空基地(以上海軍)である。これらに加えて、逓信省の航空機乗員養成所であった印旛飛行場、松戸飛行場および滑空練習場であった誉田飛行場も陸軍に接収された。
 明治、大正年間に軍事基地として造られた五カ所がこれに加わっている。下志津(佐倉市)陸軍飛行場、館山飛行場、洲ノ崎飛行場、銚子飛行場、木更津飛行場である。このように千葉には戦前十五もの軍事空港が展開していた。
 これらの軍事空港は、日帝の中国侵略戦争、米との太平洋戦争に決定的な位置を持っていた。中でも下志津飛行場と木更津飛行場は、中国大陸にたいする渡洋爆撃の出撃基地となっていた。下志津からは一九三一年の柳条湖事件の直後、旧満州の錦州にたいして、初の渡洋爆撃が強行され、三二年の上海事変においても爆撃が同飛行場を出撃した八八式偵察機によって行われている。また木更津飛行場からは館山から移駐した九六式陸上攻撃機部隊によって、一九三七年の七・七盧溝橋事件による日中全面戦争開始後、中国東北部への戦略爆撃がくり返されたのだ。
 このほか茂原、東金、横芝飛行場は本土防空基地に使われ、八街飛行場は中国大陸や太平洋への偵察機の出撃基地、洲ノ崎、柏、松戸、印旛飛行場は乗員の訓練に使われた。

 「三月で立ち退け」 軍事空港建設で 戦前相次いだ農地強奪

 農民の悲哀

 軍事空港の大半は、農民からの農地強奪によって急造された。茂原飛行場予定地住民百五戸にたいして軍の命令が下されたのは、一九四一年九月一日だった。「時局はまた時間を待てず、住民は三カ月以内に用地境界より外五百bに移転すべし」。関係五地区の住民は泣く泣く移転を強制されたのだ。
 また香取飛行場でも同様の農地強奪が強行された。「カニが手足を切られたごとく、急に耕作の余地なく配給生活となったことは一生忘れ得ることができない」(『千葉県干潟区誌』)というのが農地を強奪された農民の怒りだった。
 軍の法的根拠は、旧土地収用法や国家総動員法に基づく土地工作物管理使用収用令であった。そこには軍および担当省大臣の権限が無制限に確保されており、補償らしき補償もほとんどなく、農民は軍や政府の命令で虫けら同然にたたき出されたのである。
 これらと同等の土地収用体制を作ることが今日帝の焦眉の課題となっている。ここから土地収用法全面改悪の攻撃が始まったのだ。
 しかし今日の労働者人民の反戦意識は戦前よりはるかに強く根深い。しかも戦後を代表する反戦闘争の多くが、土地収用問題を焦点に爆発してきた歴史がある。一九五二年〜五三年に石川県内灘村でたたかわれた米軍内灘射爆場建設阻止闘争、群馬県妙義地区で一九五三年〜五五年にわたってたたかわれ米軍演習場建設を阻止した妙義演習場反対闘争、一九四七年から今日までたたかわれ続けている北富士演習場奪還闘争、一九五九年から六七年までたたかわれた米軍立川基地拡張阻止の砂川闘争、一九五五年から六五年まで自衛隊のジェット戦闘機基地に反対してたたかわれた百里基地反対闘争など。
 中でも砂川闘争は六〇年安保闘争爆発の導火線となり三里塚闘争に引きつがれている。北富士闘争は三里塚闘争の生みの親であり今日まで共に激しくたたかわれ続けている。そして何よりもこれら戦後の基地反対闘争の全水脈を集め、怒れる大河のように日帝の前に立ちはだかっている三里塚闘争が存在しているのだ。

 激突の焦点に浮上

 有事法制制定の攻撃がついに具体的日程に上った今、三里塚闘争が階級的激突の焦点に浮上することは必然的なのである。
 三里塚闘争は一九六六年以来、一貫して権力による土地収用法攻撃とたたかってきた。一九六七年の外郭測量阻止闘争に始まって六九年立ち入り測量阻止闘争、七〇年強制測量阻止闘争、同収用委審理闘争、七一年第一次代執行阻止闘争、仮処分阻止闘争、第二次代執行阻止闘争である。
 そして一九八六年から始まった二期工事攻撃において、再び収用法が発動され、収用委員会審理再開の準備が始まったことにたいして、八八年九月二十一日、収用委員会に鉄槌が下り、収用委員全員が辞任、県収用委そのものが解体された。
 県収用委員会を解体に追いこんだたたかいは二十二年間にわたる土地収用法とのたたかいの金字塔であり、以後十二年間も収用委の再建を阻止し、人民のたたかいの威力を示しつづけている。これは、首都圏の一角で帝国主義の支配を崩壊させていることを意味している。

 県収用委解体で打撃 反戦の砦 三里塚闘争の破壊に全力

 内乱的闘争

 千葉県収用委解体の問題に手をつけずして、国家総動員体制の構築はおよそ問題にならない。強権的な土地収用政策に対する人民の怒りが、三里塚闘争と合流した瞬間、内乱的反戦闘争へと転化する事が避けられないからだ。
 こうして日帝は、成田問題を対象化しつつ、土地収用法全面改悪の攻撃に乗り出してきたのである。
 前回、報じたように建設省は来年の通常国会に土地収用法の改悪法案を提出する方針を決めた。同省の「土地収用制度調査研究会」は、「成田闘争の教訓」を理由にメンバーも討議内容も完全非公開とされている。この中に、三里塚闘争を念頭においた改悪であることが示されている。
 その内容は収用委員会制度の簡素化・空洞化と収用制度への国家の直接介入および自衛隊関連事業の収用事業への組み入れである。「収用制度への国家の介入」についてはすでに昨年七月の地方分権一括法にともなう土地収用法と地方自治法改悪で大きな枠組みとしては立法化された(上に解説)。この上に土地収用法の全面改悪を行い、戦時型収用制度の確立をねらっているのだ。
 現在の自衛隊には土地収用制度が確立されていない。有事に必要となる土地や家屋はすべて任意買収するしかない。自衛隊法の一〇三条で有事の収用制度が規定されているが、それを実行するための政令が今日にいたるも制定されていない。
 そこで、土地収用法の事業の中に、「自衛隊関連事業」の項目を追加することで、戦前の軍隊のように、自衛隊が必要とする軍用地、家屋の収用を自由にできるようにしようとしているのだ。また地権者の権利を制限することによって収用委員会審理を簡素化・迅速化し、短時間で軍用地を強奪する体制を確立することも狙っている。

 改憲・有事法制阻止へ 三里塚先頭に闘おう

 さらに土地収用法改悪の目的は三里塚闘争そのもの
の解体にある。前記の9・21戦闘の地平を破壊することが戦時型土地収用制度を確立する要をなしているからだ。立法だけでは土地収用制度を確立することは不可能だ。法律の枠組みを乗り越えて爆発する労働者人民の反戦闘争を解体することによって初めて収用制度が実効性を得る。そうした意図を込めて土地収用法改悪を三里塚闘争破壊の武器にしようとしている。
 収用法改悪の攻撃は国家イデオロギーをめぐる攻撃としても重要な位置を占める。同法の改悪で、公共事業用地の強制収用をどしどし進めることになるが、それによって「公益のために私益を犠牲にするのは当然」との既成事実とイデオロギーを広めることを狙っている。そして三里塚農民に矛先をむけ「少数の地権者が三十四年間も国際空港建設に反対するのは非国民」との世論を作り、゛人民的大義″という三里塚闘争の外堀を埋めようとしている。

 特別立法の計画も

 また日帝・公団がどのように切り崩し攻撃を強めようと、一坪共有地、神社、墓地、開拓道路などの未買収地が残ることはすでに確定しているが、空港公団はそのような場合、三里塚闘争の解体(消滅)を条件に、成田治安法型の特別立法で未買収地を強奪する計画を立てている。土地収用法改悪は特別立法にも道を開くものとなるのだ。
 こうして、土地収用制度を揺るがしている三里塚闘争の「収用委員会解体」の地平を崩そうとしている。
 今こそ土地収用法改悪攻撃粉砕へ三里塚を先頭に立ち上がらなければならない。三里塚闘争はついに有事法制・改憲攻撃の先取りとしての土地収用法改悪攻撃と全面的に対決するたたかいに押し上げられた。二一世紀初頭の激動を前に三里塚闘争が日本階級闘争の中心的攻防の一翼を担う意義はきわめて大きい。日帝の新たな有事体制作り・国家総動員体制作りの攻撃を根幹から粉砕するたたかいとして三里塚闘争のさらなる前進をかちとろう。

 解説

 国家権力の独断で強奪が可能に
 昨年すでに一部改悪された収用法
 昨年七月の地方分権一括法によって、土地収用法と地方自治法が改悪され、都道府県の土地収用事務に国家が直接介入する法的根拠が作られた。
 土地収用法では、第十章「不服申し立て及び訴訟」の内の一三九条に「一三九条の三、事務の区分」を新たに挿入して、土地収用事業の大半を法定受託事務第一号に区分することを明記した。法定受託事務とは地方自治法の改悪で同法第二条第九項第一号で新たに設けられた規定で次のように定義されている。「都道府県が処理することとされる事務のうち、国が本来果たすべき役割に係るものであって、国においてその適正な処理を特に確保する必要のあるもの」
 要するに本来国の事業だが便宜的に都道府県に事務処理を代行させている事務ということである。
 この法定受託事務第一号に土地収用事業の内、収用裁決(四七条の二第一項)、裁決手続きの開始の公告(四五条の二)、収用審理手続きの開始および通知(四六条の一項及び二項)、事業認定申請書等の公告縦覧の代行(二四条の四項および五項)、土地調書等への代行署名(三六条五項)など主なものがすべて含まれている。

 是正・改善命令

 そして、この法定受託事務第一号に関しては、地方自治法の次の項目の改悪によって、国が直接介入し、是正したり指示したりすることができるようになったのだ。
 地方自治法の第十一章「国と地方公共団体の関係」の中の二四五条に「二四五条の七、是正の指示」を新たに付け加え、次のように規定した。「各大臣は、その所管する法律に基づく法定受託事務の処理が法令の規定に違反していると認めるとき、又は著しく適正を欠き、かつ、明らかに公益を害していると認めるときは、都道府県知事に対し、改善のため講ずべき措置に関し、必要な指示をすることができる」
 つまり、法廷受託事務にかんして都道府県が国の意向に著しく反したときは、直接介入して事務処理の結果を覆すことができる、としたのだ。こうして、土地収用法の改悪と地方自治法の改悪を使えば、土地収用事務に関して百%国の意志を貫徹する法の枠組みを整えたということだ。
 これは「県の収用委員会決定は建設大臣がこれを取り消せる」とした沖縄米軍用地特措法の改悪とほとんど同じ内容である。

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週刊『三里塚』(S573号2面2)

北総の空の下で

 三里塚魂の源 根菜青菜ユズ

 十二月の声を聞くと「あと一カ月」という思いと「今月は忙しいぞ」という思いで気持ちが引きしまります。
 十二月にはキャベツ、白菜、ブロッコリーなどが出荷のピーク。大根も青首から三浦に変わり五本入りの袋が重くて持ち上がらないほどです。
 農作業に追われる一方で、忘年会、大掃除、モチつきなど行事が多くまたたく間に時間が過ぎて行きます。十二月の喧噪(けんそう)をほっとなごませてくれるのがユズの色と香りです。冬至を前にしてお茶受けにユズの砂糖漬けが登場するようになりました。白菜の漬物や煮込みウドンもユズの香りが加わると味がぐっと引き立ちます。
 私がまだ三里塚に来る前、現闘員の人から「三里塚の冷蔵庫にはユズが一杯だよ」と聞かされて゛行ってみたいなあー″と気持ちが動きました。ユズに釣られ現闘員になって早二十五年――なつかしい思い出です。
 昨年十二月、はがき一杯にユズを描いた絵手紙をもらいました。できたのが゛絵手紙に 封じ込めたるユズの香に ほのぼのとする 寒風の師走″
 十二月三日、今年最後の三里塚闘争は夕方から忘年会に移行するということで、朝から市東孝雄さんの庭に集まって準備におおわらわ。豚汁、根菜の旨煮、ホウレン草のゴマあえなど、畑から直送の野菜を使った料理で、かけつけてくれた人たちをもてなしました。
 根菜のデンプン質は冷え防止、繊維質は持久力増強という力を秘めています。これに青菜のビタミンが加わり、漬け物にはユズの香りも添えれば゛三里塚パワーの源ここにあり″です。
 二年間決戦の折り返し地点で迎えた同盟忘年会は大いに盛り上がりました。   (北里一枝)

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週刊『三里塚』(S573号2面3)

2000 三里塚日誌 反対同盟と共に歩む
 11月22日(水)〜12月5日(火)

●「羽田空港発着枠に余裕あり」 自民党政調会外交部会が開かれ、講師に招かれた中条潮慶応大学教授が「予備枠が必要以上に設けられているので、この枠を活用すれば羽田空港の発着枠は増える。また管制方法と誘導路の使用方法を変えればさらに便数は増やせる」と講演した。(22日)
●工事実施計画差し止め訴訟控訴審で公判 東京高等裁判所で工事実施計画認可取り消し訴訟の公判が開かれ、反対同盟顧問弁護団の葉山岳夫、一瀬敬一郎、大口昭彦の三氏と三里塚野戦病院が参加した。前回、反対同盟側が暫定滑走路工事の認可の経緯と計画の詳細を質した求釈明に対して、空港公団側は、「暫定滑走路と本件平行滑走路工事の実施計画とは無関係」として釈明を拒否した。それにたいして反対同盟が公判で「暫定滑走路計画と平行滑走路計画は両立しない。平行滑走路の実施計画は暫定滑走路計画によって深刻な影響を受けるから求釈明は正当である」として再度の求釈明を行った。(28日)
●運輸大臣が成田空港を視察 森田一運輸大臣が成田空港を初めて視察した。記者会見で「2002年のサッカーワールドカップまでに何とか2500bの平行滑走路完成を目指したい」と述べ、攻撃を強めることを公言した。
●援農隊がイモ穴掘り 白桝部落の木内秀次さん宅で、東京の労働者3人が援農を行った。仕事は里芋のイモ穴掘り。労働者は翌3日の「暫定滑走路着工1周年闘争」と反対同盟忘年会に参加して共にたたかった。
●暫定滑走路着工1周年・現地闘争が高揚 暫定滑走路着工から1周年になる日、反対同盟は総決起闘争に立ち上がった。闘いには首都圏、関西からも多数の労農学が参加して、現局面の勝利的情勢を確認した。闘争終了後、恒例の忘年会を開催、新年の闘いにむけ鋭気を養った。(3日=写真)
●ニンジン出荷も最盛期 3日の三里塚現地闘争に参加した労働者が、そのまま三里塚現地に宿泊し、小林なつさん宅で援農を行った。仕事はニンジンの袋詰め。小林さん宅ではニンジンの出荷作業が最盛期を迎え、゛猫の手も借りたい″忙しさとのこと。(4日)
●生活道路破壊工事を強行 空港公団は小見川県道の迂回道路工事を本格化させるため、東峰部落の生活道路を湾曲させる工事を開始した。(5日)

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