SANRIZUKA 日誌 HP版   2004/10/1〜31    

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 2004年10月

 

〔週刊『三里塚』編集委員会HP部責任編集〕 

(10月1日) 成田空港ゴミ減量作戦 貨物地区の分別徹底(10/1毎日千葉版)

 成田空港から出るゴミの減量を目指している成田空港会社は、今夏から始めた本社と関連施設の分別・リサイクルの強化に加え、10月中旬から、貨物地区の廃棄物について分別を徹底することを決めた。しかし、最大の課題は、分別せずに出される旅客機のゴミで、今後約1年をかけて対策を進める方針だ。
 同社によると、貨物地区には約180の事業者が入っており、1日当たり約5トンの排出がある。これまで、瓶と缶、段ボールの3分別だったのを、新たにペットボトル、新聞、雑誌、可燃、不燃ゴミを加えて8種とし、うち6種をリサイクル対象とする。
 空港から出る廃棄物は1日当たり約80トンで、年間では約3万トンに上る。このうち、到着した航空機から出される新聞や雑誌、瓶、缶、ペットボトルなどが全体の約3割を占める。検疫で焼却義務のある機内食の残飯を合わせると全排出量の半分になる。「取り下ろし」と呼ばれる機内のゴミは、ほとんど分別されず、業者に焼却処理・埋め立てを委託している。
 黒野匡彦社長は「大きな割合を占める航空機からのゴミ対策はエアラインにも協力を求めて循環型の空港『エコ・エアポート』を進めたい」と話している。

 【本紙の解説】
 成田空港が出す廃棄物量は年間約3万トンとあるが、人口約9万人の成田市の廃棄物が年間約5万トン弱である。人口5万人前後の市町村と同じ規模の廃棄物量である。「エコ・エアポート構想」を進めたいと言っているが、いままではほとんど分別せずに、関連会社のクリーンセンターのゴミ焼却場に持っていき、基本的にすべてを焼却処分をしている。
 NAAは、旧公団時代の98年に「エコ・エアポート」構想を発表し、円卓会議以来の「話し合い」を公団側に好転させ、B滑走路の工事再開を後押しするひとつの材料としてきた。
 ところがその「エコ・エアポート構想」はインチキであった。その代表例が「生ゴミの堆肥化」だ。当時空港から出る廃棄物の量は年間2万6400トン。そのうち生ゴミが7800トン。その中の年間20トンの生ゴミからコンポストを設置して、2トンの堆肥をつくるというものであった。
 つまり、生ゴミの約0・25パーセント、全体のゴミの量では約0・077パーセントだけを堆肥化して、それを「地球的視野にたった循環型の空港づくり」と銘打ったのであった。ここに「エコ・エアポート構想」のペテン性がある。0・1パーセント以下の行為で、残りの99・9パーセントを免罪してくれという浅ましい根性だ。
 その後、空港内のゴミは旧態依然のままであり、各自治体が資源ゴミなどの選別をしているにもかかわらず、「瓶と缶、段ボール」を除いて一括焼却処分にしていたのである。NAAは「成田市は5種分別だが、空港は8分別だ」と優越感もって公表しているが、それが、「エコ・エアポート構想」の推進だとは聞いてあきれる限りだ。

(10月4日) 成田空港 自衛隊制服がなぜだめなのか(10/4産経)

 「堂々と胸を張って、制服姿で帰りたかった。隊員たちに悲しい思いをさせた」。イラク人から「サミュール」(同胞)と親しまれた「ひげの隊長」こと、イラク復興業務支援隊長、佐藤正久一佐(43)にとっては、苦汁の帰国になった。7月31日と8月7日、イラク・サマワで半年間の任務を終え、2派に分かれて成田空港に帰国した佐藤隊長ら業務支援隊員90人全員が私服姿だったことである。
 今年1月、東京・市谷の防衛庁から歓呼の声で見送られた陸自先遣隊の佐藤一佐たちは成田に向かう途中、バスの中でカーテンをおろし、迷彩服から背広に着替えた。
 自衛隊員がテロのターゲットになるかもしれないという訴えがあったからだ。だが、生命を顧みない奉仕を求められる自衛官にとって、誇りと名誉の象徴でもある制服を着用しないことは自らの否定でもあった。
 だから、テロの脅威を心配しなくてもすむ、クウェートからの帰国は、やっと念願が叶えられると考えていた。しかし、その思いは通じなかった。「空港での制服着用は遠慮してほしい」。成田国際空港からの要請が防衛庁に寄せられ、受け入れられたからだ。隊員たちは帰国途中のクウェートでわざわざ背広を買い求める羽目に陥った。
 制服での帰国はなぜ許されなかったのか。国土交通省の成田国際空港課によると、イラク派遣後、一部の市民団体が成田空港を軍事利用させるなという抗議文書を出し、第2滑走路の拡張問題を抱えている状況では摩擦を避けたいとする空港側の判断を了承したという。空港の軍事的利用はしない旨の取り決めが国などと一部の団体との間で交わされていることにもよるという。だが、自衛官が制服姿で帰国するのは、空港の軍事利用にあたるので認められない、という理屈はそもそも成り立つのだろうか。
 成田空港ではゴラン高原での国際平和維持活動(PKO)に参加する自衛隊員の制服を認めている。イラクがだめで、なぜゴランはいいのか、と尋ねると国交省の担当は、答えに窮してしまった。
 第一、有事に自衛隊や米軍が成田空港を使用できず、結果として国民の平和と安全を守れなかったというのでは許されまい。ただ現実は、空港の軍事的利用はさせないとする反対運動の結果、自衛隊と共用しない民間空港で制服は排除されつつある。現在、サマワで活動している第3次復興支援群(群長・松村五郎一佐)約420人は8月、3波に分けて青森空港から迷彩服で出国したが、民間ターミナルビルの使用は認められず、バスで飛行機に直接乗り付けた。寂しい見送り風景だったと関係者は語る。
 「日本の国益のため困難な任務に赴く自衛官が、後顧の憂いなく復興支援活動に従事できる環境を整えるよう努力を惜しまない」。11月に後続部隊としての派遣が想定されている陸自第6師団の地元、山形県東根市議会が9月13日に決議した一文である。東根市議会に限らず、北海道旭川市でも派遣隊員全員の無事帰国を祈って、大きな黄色いハンカチを掲げ続けた。イラク派遣に賛否はあるものの、派遣隊員が任務を果たし、制服姿で帰国することに国民の多くは拍手を惜しまないのではないか。公のために一身をなげうつ人たちへの最低限の敬意でもある。
 自衛隊創設から50年、殉職した隊員は1737人を数える。それなのに政府内部からもいまだに正当に評価されない。それを許す日本国とは一体なんだろう。

 【本紙の解説】
 これは、産経新聞の「一筆多論」という欄に論説委員中静敬一郎氏が書いたものだが、戦後の民間航空のあり方、成田空港の歴史を無視し、愛国主義、軍国主義を煽るものである。
 そもそも、民間航空機を軍事利用することは国際条約で禁止されている。国際民間航空条約(シカゴ条約)の前文に「国際民間航空の濫用は、一般的安全に対する脅威となることがあるので、また、各国及び各国民の間における摩擦を避け、且つ、世界平和の基礎である各国及び各国民の間における協力を促進することが望ましい」とあり、同第4条 (民間航空の濫用)に「各締約国は、この条約と両立しない目的のために民間航空機を使用しないことに同意する」となっている。
 国際民間航空条約は第2次世界大戦の終結直前の1944年末に、戦後の国際民間空港のあり方を検討する会議がシカゴで開催され、52カ国の代表が参加し採択されたものであり、通称シカゴ条約という。
 この会議と条約は、米国の提唱で開催し締結されたものである。そのため、米帝の戦後世界支配を築くためという面が強い。しかしながら、2度の世界大戦で民間機が軍事利用され、多くの民間乗員と乗客が戦死したことを繰り返したくないということも強く反映している。戦後一貫して民間航空の「世界憲法」の位置が与えられているのである。
 日本も1953年に、シカゴ条約を批准し、ICAOに加盟している。日本の航空法もシカゴ条約に基づいて作られているのである。
 したがって、いかなる理由があろうとも、軍隊(自衛隊)が戦争目的で民間機を使用することは禁じられているのである。そのことを犯すと、敵国に民間機が攻撃にさらされたり、撃破されても抗議できない。自衛隊が私服で搭乗するのは、「私人としての個人乗客」を装うためだが、すり抜け的な脱法行為でありシカゴ条約違反だ。
 成田空港の建設反対闘争は、当初から「三里塚軍事空港反対」を掲げ激しく闘いぬかれた。その結果、1968年3月5日に、国会運輸委員会で反対同盟顧問の小川三男代議士の質問に、当時の中曽根運輸大臣は、「成田空港は軍事基地には使わせない。戦闘目的や軍事基地として成田空港を使うことは拒絶する」と答えた経緯がある。この政府答弁は以後30数年間引き継がれてきた。
 戦地イラクに「復興」という名目で出兵したとしても、イラク人民を虐殺している米軍に協力し、加担してきた帰還兵を「国民の多くが拍手」するなどということは決してない。国民的賛意がないこと、シカゴ条約の壁と航空労働者の軍事使用反対の闘い、そしていまなお成田空港の軍事使用反対の抗議行動を行っている反対同盟の闘いが、自衛隊の制服帰還を阻んでいるのである。
 労働者階級人民は、産経新聞の「一筆多論」のような戦争国家化、戦争協力は拒否しているのである。

(10月4日) ノースウエスト機が着陸後に車輪から炎(10/5朝日、読売、毎日、東京、千葉日報、産経千葉版)

 4日午後4時30分ごろ、エンジントラブルのため、成田空港へ引き返したサンフランシスコ行きノースウエスト航空28便(エアバスA330型、乗員・乗客209人)が緊急着陸直後、左側車輪から炎が上がった。
 成田国際空港会社などの消防車が間もなく火を消し止め、けが人はなかったが、4000メートル滑走路は18分間閉鎖され、着陸予定の3便が羽田など他空港へ行き先を変更した。
 同便は午後3時58分、成田空港を出発。直後に2基あるエンジンのうち右側エンジンの油圧計が異常を示したため、エンジンを停止して緊急着陸した。成田国際空港会社やノースウエスト航空は着陸の際、車輪のブレーキに過剰な負担がかかり過熱したとみて調べている。

 【本紙の解説】
 この事故は、ノースウエスト機の整備不良が原因である。航空機業界は9・11以降、需要の大幅な落ち込みにより、倒産・合併が相次ぎ、生き残りのために経費削減に躍起となっている。そのことが最近の航空機事故多発の要因のひとつである。今回の事故はエアバスA320型機の2つあるエンジンの右側エンジンの油圧計が異常を示したとなっている。エンジンの異常なのか、計器の異常にすぎないかは判明していない。しかし、整備点検の最大のポイントがエンジンであり、整備不良であることは明白である。
 火災になった原因は、「車輪のブレーキに過剰な負担がかかり過熱」と報道されて、「緊急着陸だから、急ブレーキをかけたのかな」と思わせる記事である。実際は、急ブレーキではない。離陸直後であり燃料が多くて、機体重量が重く、ブレーキパッドに過重な負荷が加わったのである。航空機は着陸の時、2つの理由で燃料を空中に散布して燃料残量ゼロにする。機体を軽くし着陸を楽にすることと、万一の事故発生の際に機体を炎上させないためである。
 成田空港では空港南側で、空中にまかれたジェット燃料のために、洗濯物が汚れたり、畑のビニールハウスに油がかかりベトベトになったことが多くあった。現在は、海上での投下が基本になっているが、いまも内陸での投下もある。このことひとつをとっても、人口密集地の内陸は空港に不向きなのである。
 燃料満タン状態でのエンジン不調による緊急着陸は、きわめて危険なことである。機体の炎上もあるからだ。航空機の整備点検がこのままでは、いつ大事故が起こってもおかしくないのである。

(10月5日) テロ対策/機内持ち込みペットボトル、26空港で中身検査(10/5毎日夕刊)

 国土交通省と全日空、日本航空は来月から、乗客が航空機に持ち込むペットボトルの中身が可燃物かどうかを検査する装置計約130台を、大阪(伊丹)や羽田など国が管理する国内主要26空港に本格導入する。テロ対策の一環で、年度内に配備し終える予定。成田、関西国際の両空港については、それぞれの運営会社が導入時期を検討している。
 設置されるのは、国際線も運航できる第1種空港の伊丹、羽田の2空港、主要国内線が飛ぶ第2種空港の名古屋、仙台、広島など19空港、その他5空港。伊丹には約15台、羽田には約40台が配備される見込み。
 ペットボトルの中身に電流を流して成分を調べる仕組みで、アルミ製でも検査できる。3月から成田、羽田、名古屋の3空港で試験導入し、検査がスムーズに行えることや、中身の飲料水に影響が出ないなどの実効性が確認できたという。関空では、マイクロ波を使う装置での試験運用を続けている。
 国内の空港での液体検査は、韓国の地下鉄で昨年2月、男がガソリンをまいたとされる地下鉄火災直後から徹底されるようになった。

 【本紙の解説】
 昨今の空港記事はセキュリティに関わるものが多い。9・11航空機ゲリラから航空機の安全が問われるようになっているが、これはことの半面である。
 航空機ゲリラが国際的問題として浮かび上がってきたのは、1988年12月21日のロッカビー事件からである。これは、イギリスのスコットランド地方ロッカビー村上空を飛行中のパンアメリカン航空機103便(フランクフルト発ロンドン経由、ニューヨーク行き、乗員16名、乗客243名)が爆発を起こして墜落した事件である。乗員乗客の全員とロッカビー村民11名の計270名が死亡した。
 墜落は爆弾の爆発による。機内に貨物として積み込まれていたスーツケースの中にラジカセに偽装したプラスチック爆薬を用いた時限爆弾が仕込まれており、これが原因であった。リビアの工作員が仕掛けたものだった。ゲリラ戦の理由は、86年に米国がリビアの首都トリポリを空爆したことである。その報復としてこの戦闘は起こった。
 90年代に入り、91年の湾岸戦争を始めとして米帝に従わない国家を「ならず者国家」と規定し、実際に戦争を行うか、戦争重圧を掛けている。それへの有効な反撃として航空機ゲリラがある。
 この問題に関して、航空機がソフトターゲットなので、軍隊などと比べて攻撃されやすいことが指摘されているがそうではない。ソフトターゲットと呼ばれる(ゲリラを仕掛けやすい)ターゲットは他に無数にある。その中で、航空機がターゲットとして重視される理由は、民間航空機が戦争的手段になっているからだ。航空会社がもう一つの軍隊なのだ。
 米国が「テロ根絶」を声高に叫び、空港警備を厚くして、セキュリティを高めても、航空機ゲリラを根絶することは不可能だ。ゲリラを生む根本原因である米国の侵略戦争と、そのための民間航空機の軍事利用をやめない限り、航空機ゲリラは今後も激発するであろう。

(10月8日) 東峰神社/本殿を初の全面改修(10/9毎日千葉版)

 成田空港・暫定平行滑走路南端にある東峰神社(敷地面積154平方メートル)で8日、本殿の全面改修が行われた。1953年の建立以来初という。
 東峰神社は、2本目の滑走路となる平行滑走路の予定地内にあったため、2000年に新東京国際空港公団(現・成田空港会社)が土地所有者から敷地を取得し、翌01年に境内の立ち木を伐採した。昨年末、住民らが土地と立ち木は地区の「総有」だと主張して、土地返還を求め提訴した裁判が和解。所有権は住民側に移転した。
 この日、住民らは業者とともに屋根の付け替えや板の張り替えなどをし、改修は約1時間半で終わった。住民の一人は「航空機のまき散らす爆風で神社は傷んだが、改修が無事に済んで感無量だ」と話していた。
 同神社は約154平方メートルの敷地に、高さ約4メートル、幅約2メートル、奥行き1・5メートルの本殿が建立された。

 【本紙の解説】
 屋根を銅板葺きにして、柱と壁板は旧本殿を生かして改修した。旧本殿の覆いは改修し、御手洗(みたらし)の屋根に使った。裁判の勝利が地区の団結をいっそう強め、この改修工事となった。東峰神社は建立以来51年の風雪に耐えていたが、損傷も激しかったので、全面改修となった(写真上、詳しくは本紙参照)。

(10月10日) 三里塚全国総決起集会

 千葉に豪雨をもたらした前日の台風により、会場の萩原さんの畑は沈水してしまい、会場を隣の林の中に移して開催された。1250人が集まり、成田空港の軍事使用反対、天神峰現闘本部裁判勝利の決起集会をかちとった(詳しくは本紙参照)。

■プログラム
 成田空港を使ったイラク派兵阻止・有事法制粉砕
 現闘本部裁判闘争に勝利し農地を守りぬこう
 10・10全国総決起集会
                 三里塚芝山連合空港反対同盟
開会:2004年10月10日(日)正午  (於)成田市東峰
□司会挨拶
□開会宣言                鈴木 幸司
□基調報告                北原 鉱治
□第1部 軍事空港反対の闘い       伊藤 信晴
 関西新空港反対住民、北富士、沖縄、婦民全国協、解放同盟全国連、動労千葉、連帯メッセージの朗読
□第2部 天神峰現闘本部裁判闘争     反対同盟顧問弁護団
 永井 満、市東孝雄、野戦病院、ほか
□カンパアピール             婦人行動隊
□第3部 方針提起と決意表明       萩原 進
 共闘団体 中核派、解放派、統一委、蜂起派
■集会宣言                萩原 静江
■閉会宣言・スローガン採択・デモコース説明・ガンバロー三唱
                     鈴木 謙太郎
*デモコースは小見川県道→東峰神社左折→青行団結の家右折
 →小見川県道→団結街道→現闘本部先まで約3.5キロ

■10・10全国集会スローガン
一、暫定滑走路延伸攻撃粉砕。軍事空港建設に反対し成田空港からの自衛隊出兵を阻止しよう。
二、空港絶対反対・一切の「話し合い」拒否。土地収用委の再建を阻止し収用法を粉砕しよう。
三、天神峰現闘本部裁判闘争に勝利し、市東さんの農地を守りぬこう。野戦病院、岩山団結小屋の明け渡し要求拒否。
四、一坪共有地強奪阻止。騒特法粉砕・芝山廃村化阻止。成田治安法を粉砕しよう。
五、農地強奪の先兵=堂本知事徹底弾劾。脱落派一掃。地元農家を抹殺する「共生委員会」を許すな。
六、国際反戦運動と連帯しイラク―朝鮮侵略戦争を阻止しよう。有事法制粉砕・改憲阻止。破防法・組対法攻撃粉砕。天皇制粉砕。
七、関西新空港粉砕。沖縄、北富士はじめ反戦・反核、反基地、反原発闘争の高揚かちとろう。
八、教育基本法攻撃粉砕。動労千葉をはじめとする戦闘的労働運動と連帯して闘おう。
九、あらゆる差別抑圧粉砕。部落解放運動連帯。入管法・外登法撤廃。排外主義を許さず、在日朝鮮中国人民とともに闘おう。
十、拘禁二法反対。刑法改悪・保安処分新法粉砕。精神保健福祉法を撤廃しよう。
十一、国家権力と一体となって三里塚・国鉄労働運動に敵対する革マル派を職場、学園、全地域から一掃しよう。

■集会宣言
 4月の公団民営化から半年、欠陥による空港経営の破たんとイラク参戦・有事法制で三里塚闘争は新たな段階に突入した。
 成田空港の軍事使用がいっきに進んでいる。自衛隊のイラク交代要員は、ひんぱんに成田空港を使用し、国会では担当大臣が「成田空港の軍事使用」を公言した。有事に協力を義務づける「指定公共機関」に成田空港が組み込まれた。朝鮮有事の兵たん拠点としての役割が現実になりつつある。
 だが公然たる軍事使用は今もタブーである。自衛隊が搭乗する航空機は公表できず、制服を着用することもできない。「空港絶対反対」の闘いが、戦争の道に立ちはだかっている。成田空港から自衛隊を飛ばすな! これを合い言葉に世界のイラク反戦闘争に連帯しよう。
 暫定滑走路の欠陥で、成田空港はますます行きづまりを深めている。おいつめられた空港会社は、延命の道を「へ」の字誘導路の直線化に求めている。これは新たな農地強奪・農民殺しである。
天神峰現闘本部裁判闘争に勝利し、市東同盟員の農地を守ろう。成田治安法の矛盾と、確固とした地上権の存在によって、現闘本部裁判はかならず勝利できる。「支援する会」運動を全国でおし進めることを強く訴える。
 自衛隊のイラク占領軍参加と有事法制、重大事故が激発する沖縄の現実、教育基本法の改悪と憲法改悪への動き、年金など社会保障制度の解体攻撃、そして郵政合理化・リストラ攻撃、労働組合解体攻撃の激化、農地・農業破壊など、情勢は一変した。動労千葉とともに切り開いた労農連帯の闘いと、全国の反戦・反基地闘争の強化が、今ほど求められているときはない。
 反対同盟は、この情勢に応えて三里塚闘争の新たな発展を闘いとる決意である。ともに闘い勝利しよう。

2004年10月10日
三里塚芝山連合空港反対同盟

(10月13日) 成田空港・第1旅客ターミナル「第4サテライト」公開(10/14朝日、毎日、東京各千葉版、千葉日報)

 11月25日に一部の共用が始まる成田空港・第1旅客ターミナルビルで13日、乗降口のあるビル「第4サテライト」が報道陣や関係者に公開された。
 第4サテライトは地上3階、地下1階で、延べ床面積3万3000平方メートル。中央部分を吹き抜けにして自然採光による開放感を持たせている。また、車椅子を使う旅客を想定して約40センチ広い横幅160センチの「動く歩道」を設置した。
 第4サテライトの一部共用開始で、旅客機に直接乗降できる「スポット」は現在の19カ所から20カ所になる。空港を管理・運営する成田空港会社は工期の短縮で完成を1カ月早める予定だ。担当者は「旅客の利便性の向上に期待している」と話していた。

 【本紙の解説】
 第1ターミナルビルの改修工事で、第4サテライトが完成し、それと第1、第2サテライトとの「連絡通路」ができた。第1ターミナルビルは便利になったといわれている。しかし、成田空港のターミナルビルで最大の問題は、第1ビルと第2ビルの不均衡にある。発着便の約6割が第2ビルの航空会社である。日本の大手2社とアジアの航空会社である。他の約4割が第1ターミナルビルで、ほとんどが欧米の航空会社である。
 この不均衡を、06年に全日空などが第1ターミナルビルに移転することで解決しようとしている。この06年の大改造で1ビルと2ビルの不均等は改善され、乗降客の比率はほぼ半々になるといわれている。しかし、09年に羽田が国際化し、各航空会社はアジア便の大半を羽田に移行する予定を組んでいる。そうすると、今度は、2ビルがガラガラになってしまうのである。
 なぜこうなるのか。成田空港の設計が1960年代前半であり、まだジャンボ機がなかった時代である。ハブ・アンド・スポークという言葉もなかった。そのために、欧米便とアジア便を切り離して、ターミナルビルを建設したのである。米国の航空会社であるノースウエストが成田をハブ空港としてアジア各地にアジア便を運航し、成田にアジア各地の乗客を集合し、大型機で米国に運航させるということなど考えてもいなかったのである。
 いずれにしろ、設計後すでに40年もたっているのである。現在の航空情勢において成田空港はすでに時代遅れなのである。その改善策をターミナルビルの部分改修で取り繕っているが、羽田の国際化でその弱点が全面露呈することは確実だ。

(10月14日) 成田空港警備員の暴行認定 チュニジア男性2人勝訴(10/14朝日、読売夕刊)

 成田空港で入国を拒否されたチュニジア人男性2人が「移送担当の警備員に暴行され、『警備料』名目で計600ドルを無理やり奪われた」として、警備会社「アイム」と同社の警備員3人などを相手に計720万円の損害賠償を求めていた訴訟で、東京地裁(滝沢孝臣裁判長)は14日、同社と警備員に計220万円の支払いを命じる判決を言い渡した。国と航空会社に対する請求は棄却した。
 原告はタマール・イシェムさんとタマール・ムエズさん。
 警備会社側は暴行を否定したが、判決は「警備員らが限度を超えて力を行使し、原告の意に反して金銭を取得したことは否定できない」と指摘し、暴行の事実を認めた。
 判決によると、2人は2000年6月に来日。観光目的で訪れたが、宿泊先を予約していなかったことなどから入国を拒否され、送還が決まった。成田空港内の上陸審査事務室で警備員に身柄を引き渡され、警備員から警備料の支払いを求められて拒否したが、各300ドルを徴収された。
 2人は入国から数日後に送還され、01年8月に提訴。国際的な人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルの01年版年次報告書がこの問題を取り上げ、「法務省入国管理局は管轄下にもかかわらず、対策を取っていない」と批判した。

 【本紙の解説】
 成田空港の入国管理で、このような暴行は日常茶飯事だ。裁判の陳述書にも「警備会社アイムは、入国を拒否された外国人への暴行、恐喝などが日常化しており、また無理にでも個人から警備費用を徴集するよう会社から暗黙の指導があった」となっている。絶対に許されないことである。
 これは単なる民事裁判の次元を超えた刑事問題だ。暴行・恐喝事件である。そのために、この民事裁判を行っている弁護士は、直接関与した職員だけでなく、アイムの社長も被告発人とし、強盗や恐喝罪などで千葉地方検察庁に告発している。
 アイムが「警備費用を徴集するよう指導」していたとなると、完全に計画的組織犯罪である。徴集した600ドルが会社に納入されていたのなら、会社ぐるみの犯罪である。
 それを許容していたNAAの責任も重大である。アイムを警備会社として認定した千葉県公安委員会と、アイムに警備を任せているNAAの責任も問われなくてはならない。
 またそれ以上に、このような外国人に対する不当な対応を促しているのが、日本の入管行政である。2000年を前後して不法就労の取り締まりが強化されているが、「宿泊先を予約しなかった」だけで入国を拒否され、暴行事件までに発展したとは尋常ではない。

(10月18日) ジャンボ機、都心を低空飛行 高度400〜600m (10/18朝日、毎日、10/21東京)

 オリエント・タイ航空のジャンボ機(ボーイング747型)が9月19日未明、羽田空港に着陸前に、通常のルートを大きく外れ、約5分間にわたって超低空飛行をしていたことが分かった。東京タワー(高さ333メートル)と高度差約200メートルまで接近していたという。同社は機長を乗務停止にし、国土交通省も関係者から事情を聴くなど実態調査に乗り出した。
 国交省などによると、同機はバンコク発羽田行で、同日午後に羽田空港で乗客を乗せ、タイ・プーケットに向かう予定のチャーター便だった。低空飛行当時、乗客は乗っていなかった。
 同機は同日午前0時14分、東京湾上の高度約1200メートルを飛行中、羽田空港の管制官から、視認進入の許可を受けた。視認進入は計器着陸装置に頼らず、機長が滑走路を目視しながら着陸する方法で、当時は天候が良く、この方法がとられた。
 1分後に同機は同空港の管制官から着陸許可を得たが、羽田には向かわず、同17分ごろ荒川河口上空に到達。さらに日本橋や東京タワー、JR品川駅付近を高度600〜400メートルで飛行し、24分に羽田空港に着陸したという。
 オリエント・タイ航空側は国交省に対し、「乗務員は日本上空を飛行する際の注意点をきちんと把握していなかった」と謝罪したという。
 国交省は「機長も管制官にも、航空法上の違法行為はないが、大型機が都心部の低空に入り込むという極めて異例の事態。関係者から詳しく事情を聴き、再発防止に努めたい」としている。

【本紙の解説】
 9月19日におこったことが1カ月後の10月18日まで、報道されなくて、関係者だけの扱いになっていたことに、事件の深刻さがある。東京タワーに、高度差約200メートルまで異常接近していたことは、重大なことである。
 なぜ、国交省は公表しなかったのか。日本の航空政策における空港整備の最大問題は、羽田の国際化とそれにともなう、飛行コースの選定と24時間化である。
 現在、羽田空港は夜間チャーター便と韓国シャトル便を除いて国内線専用空港であり、離着陸に慣れた国内航空会社が主に使っている。そのために、東京都心を避けた複雑な北側の離発着も問題なくこなしている。羽田の北側夜間(午後11時以降)コースの着陸は、南側から進入し、お台場手前で急に180度左旋回するのである。旋回が終わり、滑走路と航空機が平行になるのは、滑走路手前約4キロの地点である。昼間の北側進入コースは、千葉県上空から、江戸川区上空を通過し、滑走路手前約4キロ地点で90度左旋回することになっている。この昼間コースは計器着陸装置による着陸になる。この計器進入では、地上の無線施設の真上を飛行しなければならない。そのために、夜間は騒音のために、地上無線施設がある地上コースはとれず、東京湾沿いに飛行コースをとり、視認方式になる。そのために、180度の急旋回コースになる。航空機の速度は滑走路では時速約250キロメートル、上空では時速800〜1000キロメートルといわれている。着陸直前で速度は落ちているとしても300キロメートル前後である。分速で5キロである。
 つまり、羽田の北側進入コースは滑走路と機体が平行になって1分もたたず離陸するのある。左旋回しながら、高度を下げ、着陸態勢に入るのである。羽田空港に慣れていないパイロットは、どうしても都心方向にふくらんで大きく左旋回する。「慣れていない空港では、着陸のかなり手前から機体の向きを滑走路に直線にしたい心理から大回りになる」(10/21東京新聞)のである。
 公表、報道が1カ月も遅れたのは、羽田の国際化に水をさすことであったからである。羽田が本格的に国際化したならば、このような前代未聞だが東京タワーに異常接近ということならまだいいが、東京タワーに激突という事態も想定しなければならない。

(10月19日) 成田空港地域共生委、羽田空港を視察(10/20毎日千葉版)

 成田空港の管理・運営を監視する第三者機関「成田空港地域共生委員会」(山本雄二郎代表)の委員ら約20人が19日、羽田空港を視察した。これまで「国際線の成田」「国内線の羽田」のすみ分けが定着していたが、羽田空港で、09年の第4滑走路の共用開始にともない相当数の国際便の就航が検討されており、今後の両空港の役割分担などについて国土交通省東京空港事務所と意見を交わした。
 羽田空港は第4滑走路の完成で、年間発着数が現在の22万回から約40万回に拡大する見通しで、うち約3万回は国際便に振り分けられるという。
 委員らは12月1日の完成を目指して工事が進んでいる第2旅客ターミナルビルなどを見学後、関係者らと意見を交わした。山本代表は「内陸の成田空港と、沖合展開が可能な羽田空港の違いを強く感じた。互いのいい部分を生かせればと思う」と話していた。

【本紙の解説】
 09年に羽田の4本目の滑走路が完成し、国際化し、成田のアジア便の過半が羽田に移行するといわれている中で、成田空港を監視する第三者機関である「成田空港地域共生委員会」がなぜ、視察に行くのであろう。羽田が国際化し、アジア便の相当数が移行することによって成田空港の騒音値がそれだけ、低くなるので歓迎すべきではないか。
 にもかかわらず、「互いのいい部分を生かせれば」とはいっているが、成田を生かすために奔走しているのである。共生委員会は、いまやNAAの経営のお先棒を担ぎ、羽田へのアジア便の移行をできる限り少なくしようと国交省に掛け合っているのである。
 共生委員会の心配している以上に羽田へのアジア便の移行は大規模なものになるそうだ。理由は羽田発国際線の人気の高さだ。成田―仁川線は格安チケットで2万円代前半からあるが、羽田―金浦線は5万円からになる。値段にして倍以上の開きがある。人気と便利に格段の違いがあるのだ。それは夜間の羽田国際チャーター便が、この間急増していることにも現れている。
 また、国交省は羽田の国際線枠を3万回と公的に表明しているが、これはかなり大ざっぱな数字である。国交省が01年に作ったデータでは、15年度に羽田の国内線利用者は7900万人になると予測し、必要な航空機の発着回数を、37・3万回と予測した。新D滑走路が完成すると約41万回の発着回数枠が確保されるので、国内優先で余剰枠が約3万回生まれる。これを国際線にあてるという計算だった。
 なお、01年当時には、羽田新滑走路の完成のメドは15年であった。それが短縮して09年度になった。09度には羽田の国内線旅客の予想データは、多く見積もっても7000万人台に届くかどうかだ。そうすると、必要発着回数は約33万回である。新滑走路ができて発着枠は公式には40万7000回となっているが、これは飛行コースのこともあり、夜間の分が正確に計算されていない。飛行コースがクリアされれば50万回、60万回という数字も可能である。
 公表された40万7000回にして、国内線需要予測を前提にしても、余剰枠は7万回以上になる。
 成田暫定滑走路の1年間の使用回数は約5万回である。暫定平行滑走路分のすべてを羽田に持って行っても余る。A滑走路使用のジャンボ機も含めて羽田に移ってもOKという数字だ。成田の年間発着回数は約17万5000回であり、国際旅客便は約14万回である。その半分近くを賄ってしまうのである。
 05年中部国際空港の開港、09年羽田の新滑走路の供用開始により、成田空港の位置は確実に低下し、暫定平行滑走路はますます不必要になりそうだ。

(10月20日) 上陸禁止のスリランカ人3人逃走 1時間後に拘束(10/22毎日千葉版)

 成田空港で20日、不法入国の恐れがあるとして、東京入管成田支局が上陸を禁じたスリランカ人男性3人が逃走する事件が起きた。3人は約1時間後に拘束されたが、一度に3人が逃走するのは極めて異例という。
 入管法によると、上陸禁止となった外国人に対しては、航空会社に留置と送還の義務があり、同支局は3人の強制退去手続きを進める一方、航空会社に再発防止の徹底を求めた。
 関係者によると、3人は20日午後7時半すぎ、北京から成田に到着した際、22日のコロンボ行の便に乗り継ぐため、空港周辺で72時間以内の滞在が可能な「寄港地上陸許可」を入管に申請した。3人の言動などから、同支局は不法入国の恐れがあると判断、上陸を禁止した。
 3人は同11時ごろ、航空会社から委託された警備員1人に付き添われ、空港内の一般客も宿泊するレストハウスに移送された。その際、警備員の目に薬品を吹きかけて逃走した。約1時間後、数百メートル離れた路上で成田空港署員らに拘束された。

【本紙の解説】
 成田空港は、ゲリラ対策の強化にともなって入国監査も厳しくなっている。
 今回のケースに関して言えば、「不法入国の恐れ」といっているが、「観光ビザの入国だが、不法就労しそうだ」との疑いにすぎないことが多い。また「警備員の目に薬を吹きかけた」と報道されているが、この警備員が乱暴なことをしてことは明白である。逃亡が目的で目に薬を吹きかけたならば、「約1時間後に数百メートル離れた路上」にいるはずはない。この間、警備員の暴行が問題になっているのである。(04年10月14日付日誌を参照)。
 成田空港の警備員の暴行がまかり通っているので、諸外国でもその悪評が高まっている。

(10月21日) 航空機事故に備え/初の夜間総合訓練(10/21朝日、東京各千葉版、千葉日報)

 発生すれば大災害につながる航空機事故に備え、夜間の「消火救難総合訓練」が21日、成田空港で行われた。夜間訓練は開港以来、3度実施されているが、1000人規模の総合訓練が夜行われるのは今回が初めて。
 電源照明車が現場を照らし出す中、化学消防車はじめ近隣自治体の救急車、医療、空港関連など64機関から緊急車両約150台、ヘリコプター4機が出動した。
 午後7時から始まった総合訓練は、成田空港に引き返す途中のボーイング747型機旅客便の貨物室から多量の煙が発生、機体後部に火災を抱えたままA滑走路に緊急着陸したという想定。
 赤色灯をつけた化学消防車が事故現場に駆けつけ、実際の航空機に乗り組んだ乗客80人が次々とタラップから降り重傷者やケガ人が救出、担架で仮設テントヘと搬送された。
 重傷のケガ人にはメイクが施され、救急救命士や医師による負傷の程度に応じた選別を経て救護所へ。死亡の8遺体は航空機消音施設に設けられた仮安置所で、地元歯科医師会の航空機事故災害対策協議会が開発した検索システムを使って身元確認訓練が行われた。
 また、事故発生と同時に報道機関への一斉放送後、ただちに事故現場に向かうランプバスが配車されるなど関係機関への緊急活動手順、情報連絡の習熟が図られた。
 航空機を提供したノースウエスト航空では、あえて従業員に訓練を事前通知せず、社内マニュアルに基づき社員を緊急招集、市内ホテルに被害旅客の家族向け「ファミリーセンター」を立ち上げ対応にあたった。
 空港会社は「航空機事故はいつ発生するか分からない。夜間の可能性も十分考えられ、発生すれば長時間に及ぶ」として今回、夜間対応の総合訓練を実施した。

【本紙の解説】
 初の夜間総合訓練といっているが、今年は何回訓練すれば気が済むのであろうか。1月19日にテロ訓練、6月25日に合同訓練、6月29日に夜間事故訓練、9月9日に放射性物質テロを想定した合同訓練となっている。
 毎年恒例の消火救難総合訓練も今年は夜間に行われた。消火訓練の形をとっているが、テロ対策訓練と同じ対応をしている。
 何回も訓練しないと気持ちがおさまらない恐怖に震えているのが、成田空港の現実らしい。

(10月22日) 千葉県市長会要請/県収用委再建を(10/23千葉日報)

 千葉県内33市の市長で構成される県市長会は22日、市と県が意見交換する定例の市政懇談会を鴨川市内で開いた。川井敏久同会会長(松戸市長)は「県収用委員会の機能停止により市町村の公共事業が遅れている現状を理解してほしい」として、土地を強制的に収用できる収用委の早期再建を求める要望書を堂本暁子知事に提出した。
 県では過激派による会長襲撃事件にともない収用委の委員が辞任しており、収用委が全国で唯一存在していない。「強制収用」ができないため、用地買収が難航する場所が多数あり、4月の市町村長との懇談会でも再建を求める要望がでていた。堂本知事は「直線であるべき道路が迂回するなどマイナスは計り知れない。法的整理(再建)をしない限り、対症療法ではやっていけない」と述べ、必要性は強調しながらも、具体的な再建策については言及を避けた。

【本紙の解説】
 堂本知事はふざけたことをいっている。「直線であるべき道路が迂回する」などとマイナスが計り知れないということをいっているが、道路のために土地を手放すことを強制された人の立場でものを少しでも考えているのだろうか。
 土地所有者も土地を手放さずに道路を迂回してできたのであればそれでいいではないか。道路が迂回することのマイナスなど高が知れている。建設費がその分若干多くなり、通行時間が数秒かせいぜい数10秒長くなるだけである。
 それを収用委員会再建の口実にするという行為は、あらかじめ収用委委員会再建の意志があって市長会の質問に答えたとしか理解できない。
 これは三里塚闘争への歴史的な全面敵対行為であり、決して見逃すことができない発言である。今後の堂本知事の動向に注目しなければならない。この問題は、三里塚闘争38年の存立の根幹にかかわる問題であり、もしも堂本知事が収用委債再建に着手するなら、千葉県全体との全面戦争は避けられない。
 知事は、農民殺しの核心に触れるこの問題の重さを未だに理解していない。ここだけは1ミリの妥協の余地もない問題であることを、知事自身が思い知るべきである。

(10月28日) 成田空港冬ダイヤ/発着回数過去最多(10/29読売新聞千葉版)

 成田国際空港会社は28日、今年度の冬ダイヤ(10月31日〜来年3月26日)を発表した。発着回数は1日平均508回で、夏ダイヤ(3月28日〜10月30日)より5回増え、開港以降最多。
 黒野匡彦社長は、今年の年間発着回数については、過去最多だった2002年度の約17万6000回を上回り、初めて18万回台になるとの見通しを示した。
 総発着枠に対する使用率は、全体で93・7パーセント。滑走路別では、4000メートル滑走路が98・3パーセントでほぼ満杯。暫定平行滑走路は84パーセントで、2002年4月の使用開始以降最高。

 【本紙の解説】
 過去最高と景気のいいことをいっているが、実際は今年の夏ダイヤから1日発着回数で5回、便数では2・5回の増加にすぎない。夏ダイヤが503回なので、1パーセント弱の増加である。
 国交省と航空業界は、いままで、前年比5〜7パーセントの右肩上がりの増加を想定していた。しかし、国際航空業界は2000年以降、大幅な落ち込みとその回復であり、右肩上がりの基調は崩壊している。2001年は9・11の反米ゲリラの影響で大幅に落ち込んだ。2002年は2000年並みに回復したが、2003年はSARSとイラク戦争の影響で再び急落した。そして2004年が2002年並みへの回復といわれたが、05年にまたがる冬ダイヤが1パーセント増ということは、05年も2002年並みの微増である。2001年と2003年が特例的に大幅な落ち込みで、他の年は増加といっても漸増だった。すでに急激な右肩上がりの時代は終わったことを、この間のデータは示している。
 また、大幅落ち込みが特例的なことでなく、2、3年に一度はやってくる情勢になっていることが問題だ。イラク戦争の強行は、“9・11情勢”を世界中に拡大させているし、アジアで再び猛威を振るいだした鳥インフルエンザは、2005年には2003年情勢の再来と予測されており、航空業界を恐怖にたたき込んでいる。
 また、滑走路別にみていくとA滑走路は、週7日間で総枠2562回に対して、冬ダイヤは2519回であり、余裕は43回、1日計算で約6回であり、これは臨時便やチャーター便の枠を考えると満杯である。暫定滑走路は、週7日間の総枠が1232回のところ1032回で、84パーセントの使用率と計算している。1日平均で176回の発着であり、これが限界の数字である。これ以上増加すると、誘導路が渋滞し、ターミナルから滑走路(離陸)まで1時間以上かかるようになり、事故が多発する。
 暫定滑走路の総枠は、既存計画の2500メートルが完成した場合に年間6万5000回の発着ができるとした数字であった。北側に延長し2180メートルになり、誘導路が一方交通の変形であっても、表向きはその数字を変更していないのである。実際の限界は1日180回前後といわれている。つまり、A滑走路も暫定滑走路も増便はこれが限度なのである。
 05年中部空港の完成、09年羽田空港の4本目の滑走路の完成と国際化、韓国・仁川空港の急追もあり、成田の凋落は近い。

(10月28日) 成田空港会社/9月中間期 経常利益186億円に(10/29朝日、読売、産経、東京各千葉版、10/30千葉日報)

 成田国際空港会社は28日、9月中間期の経常利益が186億円になる業績見込みを発表した。民営化1年目の経常利益の目標は通年で218億円だが、すでに約85パーセントに達している。
 業績見込みによると、今年4−9月の営業利益は816億円(通年の目標1562億円)、税引き後純利益は15億円(同10億円)。
 背景として着陸料、施設使用料収入につながる航空機発着回数が15パーセント、利用旅客数も32パーセント増加した。9月18日には開港以降初めて、1日の空港利用者数が10万人を突破するなど空港運営が好調に推移した。
 黒野匡彦社長は「景気など外部の環境に助けられ、経費削減など社員も努力した」と述べ、株主の国への配当については「企業体力がまだついていないので勘弁するという声を期待している」とした。

 【本紙の解説】
 業績見込みの好転は「景気などの外部の環境」もあるが、営業利益が予定を上回ったのは、下請け業者にしわ寄せする経費削減によるものだ。黒野社長は株主への配当や滑走路使用料の値下げは無理といっている。その通りであろう。
 航空需要が2003年の落ち込みからの回復もあり、実際に、営業収益は2004年度の経営計画から4パーセント上回ってはいる。
 しかし、経常利益186億円、税引き後純利益15億円というのもカラクリがある。NAAは公団時代の会計報告でもこのカラクリを使ってきた。若干の赤字を基調にして毎年会計報告を行ってきたのである。営業利益が出たら、特別損失を計上して黒字分を消す。大赤字の時は、借入金を多くして経常損益の赤字分を消すようにしていた。その結果が、ANNの総資産約9000億円に対して、負債総額は5680億円(有利子)、政府出資金分の1497億円(無利子)の合計7130億円となっている。ANNの年間総売上は04年度計画で1560億円。借金が年間の総売上の5倍近くあり、借金が多過ぎる会社である。いままでの公団が最後は税金と財政投融資でどうでもなるという経営だったからである。この体質は民営化されても変わっていない。04年度も財政投融資の名前を変えた「政府保証債」で375億円借り入れている。計算上186億円の経常利益があるといっているが、それ以上の債券を発行して借入をしているのである。
 その上で、今回新顔のカラクリがある。それは、公団がANNとして民営化する条件として、これまで累積した総額3000億円の政府出資金を返済することにかかわる問題である。
 まず出資金総額の半分を株式化(200万株)して1500億円分を返済し、残りについては、14年かけて毎年111億円を返済する計画とした。本来、出資金の返済は資本金勘定となり、当期純利益からの返済でなければならない。しかしNAAでは、当期純利益から毎年111億円もの返済はできないので、資本勘定から借入金勘定に振り替えた。ところが出資金に利子はつかないことがミソである。無利子の借入金とは、永遠に借金していても経費はゼロだ。ANNはこうしたカラクリで借入金を塩漬けにして「毎年111億円、14年間で返済」をネグレクトすることになったようだ。
 国交省は、成田空港の返済金と株式上場で、空港特別会計の1兆円もの赤字を穴埋めしようとしていた。だが返済金を請求されると、NAAは大赤字となる。すると株価は二束三文となっていまう。それで背に腹は代えられず、出資金返済のネグレクトを黙認しているのだ。
 このような、財務体質の民営会社では、当然にも積極的建設投資はできなくなる。04年度の建設投資は激減している。暫定滑走路の2500メートル化がストップしているからである。いままで成田空港建設で行われた無尽蔵ともいえる建設費の計上は、どだい無理になったのである。

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