日刊三里塚 HP版   2011/6  

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2011年 6月

日刊三里塚 HP版
全学連現地闘争本部

2011.6.20

6・22三里塚・沖縄集会

午後7時 那覇市
沖縄船員会館

第4807号

成田空港会社が「撤去命令」申し立て(6月9日)

現闘本部撤去攻撃と対決しよう

千葉地裁が審尋書送達

執行手続きを急ぐため 10日以内の回答を要求

現地実力闘争態勢を

暫定誘導路を「へ」の字に曲げている天神峰現闘本部(6月14日)

 天神峰現闘本部建物を守る決戦が切迫してきた。6月9日、成田空港会社が5・20仮執行宣言付き反動判決を口実に千葉地裁に対して「建物等収去命令申立書」を提出し、その中で「反対同盟が現闘本部の撤去をみずから行わないから」と、千葉地裁執行官に対する授権決定を申し立てた。「授権決定」とは千葉地裁の執行官に、現闘本部建物を撤去できる権限を与えることを言う。
 つまり、千葉地裁に対して現闘本部の代替(だいたい)執行(民間同士では「代替執行」、行政機関が関係する場合は「行政代執行」)を行え、と申し立てたということだ。
 これを受けて千葉地裁民事第4部の藤山雅行裁判長は、6月10日付けで書面による審尋書を反対同盟に送達してきた(到着は11日)。その内容は「成田空港会社から出された代替執行の申し立てについて意見がある場合は10日以内に書面で提出せよ」というもの。民事執行法第171条に基づく法的手続きだ。
 こうしていったん、6月11日から10日過ぎた6月21日の翌日すなわち6月22日には、法的には天神峰現闘本部を撤去(代替執行)できる状態が生まれようとしていた。
 しかし、反対同盟弁護団は藤山裁判長に対して上申書を提出して、@審尋を書面ではなく面談で行うことA仮にそれが入れられない場合でも書面提出期限を1週間延長すべきことを要求した。藤山裁判長はAだけを認め、@は不当にも却下した。
 1週間延びたとはいえ、現闘本部は再び6月29日をもって、いつでも千葉地裁執行官による代替執行が可能な法的情勢に入ることになったということだ。

封鎖建物をどうやって

 しかし、ことは単純ではない。「反対同盟が自ら撤去しない」と言いがかりをつけているが、成田治安法で封鎖されている状態で、どのように中に入って、撤去しろというのか。さらに、鉄骨造りの中に存在している登記された木造建物は今回の撤去対象に含まれていない。空港会社は「滅失した」として存在を認めていないからだ。
 仮に撤去するとしても外側の鉄骨造りだけなのだ。木造建物はいつまでも残ることになる。残させなければならない。 そして、そもそも、現闘本部の撤去をめぐっては現在最高裁で争われているのであり、現闘本部特に中に存在している木造建物は重要な証拠物だ。その破壊を求める井上判決自体が違法だ。
 だが、どのような違法もあえて犯し、暴力的に権利を侵害して空港建設を進めてきたのが日帝・国土交通省、成田空港会社だ。三里塚実力闘争による現闘本部死守の決戦体制を今こそ築こう。現闘本部を守りぬこう。

 

日刊三里塚 HP版
全学連現地闘争本部

2011.6.13

6・17第3誘導路許可処分取消訴訟

午前10時30分
千葉地裁

第4806号

5・20弾圧打ち破り、現地支援・労農学38人を奪還!

6月12日奪還歓迎会 「現闘本部は“本丸”、決戦は開始」

「フクシマ」との合流果たそう

現地実力闘争で迎え撃つ

*鈴木謙太郎さんの音頭でカンパイを行った(6月11日 成田市天神峰)

 6月10日は、5・20弾圧で勾留が延長された38人の勾留期限日だった。午後2時「全員の釈放が決定した」との一報が三里塚現地に伝えられた。逮捕の凶暴さと警察と検察の取り調べ状況から〃選別起訴〃は不可避と見られていた中での勝利の報告だった。首都圏の仲間の連日にわたる高裁前ビラまき、弁護団による3回の申し入れ行動そして何よりも38人の被逮捕者の完全黙秘非転向の闘いが日帝・東京高裁、警視庁・公安部、検察庁の起訴攻撃をうち破った。
 翌12日、天神峰の市東孝雄さん宅離れで奪還歓迎会が行われた。奪還された現地関係者は10人。5月22日に先に奪還された反対同盟全員も加わった。逮捕時の理不尽さを改めて振り返る会話があちこちで交わされた。
 午後6時すぎ、歓迎会が始まった。冒頭、司会の萩原進事務局次長が、「あの闘いで東京高裁の反動判決を実態的に押し返すことができた。三里塚闘争はすばらしい闘いだと多くの人に認識してもらえた。胸を張って意気揚々と闘おう」と提起。
 奪還された北原事務局長が改めて不当弾圧を弾劾した。「三里塚45年の中にはいろいろな弾圧があったが、今回の逮捕はその中でもひどい。まったく根拠のない逮捕だ。こんな弾圧を許していたら日本の将来はない。現闘本部を守り抜いて闘おう」と語気を強めた。
 市東孝雄さんも「ちょうど一年前にも逮捕された。こんなことでへこたれない。今後もいろいろ弾圧や攻撃があるだろうがはね返してがんばろう」。萩原富夫さんは「産直の収穫、出荷がんばってくれてありがとう。がんばりぬく」と簡潔に。
 鈴木謙太郎さん、加代子さんは「この弾圧をはね返してさらに闘っていく」とあいさつした。さらに伊藤信晴さんらも奪還者を歓迎した。
 この後、奪還された10人の支援連の仲間一言ずつあいさつ。それぞれが現闘本部決戦の大きさと重さ。震災・福島反原発情勢と三里塚闘争の結合に怖れをなしている警察・検察権力の実態を暴露した。

千葉地裁が審尋書を送達

 最後に、萩原事務局次長がもう一度立ちまとめのあいさつを提起。「現闘本部は同盟員にとってはもちろんだが、三里塚闘争を闘ってきてくれた数十万という支援の労農学にとっても同じかけがえのない砦。今回の50人逮捕で現闘本部決戦は開始された。厳しい条件の中でどうやって現闘本部を守り抜くか。三里塚実力闘争の精神で知恵を出し合って闘って行きたい」としめくくった。
 この日、北原事務局長宅に千葉地裁から現闘本部強制撤去にむけた審尋書が届いたことが報告された。「執行について意見があれば10日以内に文書で提出せよ」という居丈高なものだ。
 3・11情勢と結合し現闘本部を守り抜く決戦に立ち上がろう。

 

日刊三里塚 HP版
全学連現地闘争本部

2011.6.6

6・9 鈴木さん一坪裁判

午前10時30分
千葉地裁

第4805号

東京高裁井上裁判長による反動判決・大量逮捕弾劾!

5・29 労農学185の緊急行動で反撃

現闘本部死守、第3誘導路粉砕 「三里塚現地で迎え撃つ」

第3誘導路工事現場を切り裂いてデモする185人の労農学(5月29日 成田市天神峰)

 日帝・東京高裁井上裁判長による現闘本部控訴審の超反動判決、警視庁による大量不当逮捕攻撃に対して、5月29日、三里塚現地で反撃の緊急現地闘争が闘われた。場所は市東孝雄さん宅南側の開拓組合道路。朝からの雨を突いて全国から185人が結集した。
 不当逮捕され22日に奪還された反対同盟が、闘いの先頭に立った。まず司会の鈴木謙太郎さんが5・20弾圧を徹底弾劾し、「なお38人がとらわれている。1日も早く奪還しよう」と呼びかけた。
 さらに、自ら不当逮捕された北原鉱治事務局長が発言に立った。「45年間の三里塚闘争の農民の声を聞けと裁判所に抗議したことに対して、老若男女を問わず全員を逮捕した。これほどの理不尽はない。権力の追い詰められた姿を示している。われわれは生きるために闘わなければならない。雨は冷たくても、心は燃えている。獄中の仲間を思いつつ闘おう」 続いて動労千葉の繁沢敬一副委員長が発言し、「三里塚は被災地と連帯し農民・漁民とともに闘い、日本を変える闘いの先頭に立っている。だから弾圧が集中している。関西生コン支部への大弾圧と同じだ。動労千葉は反対同盟と固く連帯して闘っていく。外注化と新人事賃金制度に反対し、銚子運転区廃止の動きと断固対決して闘う」と呼びかけた。
 関西実行委員会につづいて倉岡雅美全学連副委員長(法大)は、 「不当判決と50人逮捕を絶対に許さない。三里塚45年の存在と闘いがいま、あらゆる怒りと結びついて爆発しようとしている。12人を奪還して、この集会をかちとっていること自体が敵の攻撃を打ち破っている。全学連は三里塚現地行動隊をつくり、1年生が断固決起している。どうやって原発を止め、新しい社会をつくっていくか――それを三里塚反対同盟と動労千葉の闘いは示している。現闘本部と市東さんの農地を断固守り抜こう。6・5国鉄集会へ全力で闘おう」とアピールした。
 共闘団体、現地支援の発言の後、ただちにデモに出発した。弾圧をはね返し不屈に闘う北原さん、萩原進さん、市東孝雄さんら反対同盟が先頭に立つ。団結街道を封鎖し遠回りさせて市東さんの営農を妨害する権力・市当局・NAAの暴挙に怒りをかき立てながら、デモ隊は第3誘導路工事現場から現闘本部近くの市東さんの畑まで、約30分間デモした。仮執行による天神峰現闘本部破壊を絶対に許さず、断固守り抜く決意を権力とNAAにたたきつけた。

東電も空港会社も同罪

 デモ後、萩原進事務局次長がまとめを提起し、「反動判決が出されて、われわれはそのまま帰ってくることはとてもできなかった。やはり、あの抗議闘争を闘うことで、攻撃を打ち返した。原発を造ったやつも、空港をつくったやつも同じだ。絶対に許せない。5・20反動判決を絶対に許さず闘っていこう。明日から2日間の勾留理由開示公判と6月の闘いへ進撃しよう」と呼びかけた。全体がひとつになり、三里塚闘争の勝利へ新たな決意が打ち固められた。

 

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