日刊三里塚 HP版 2010/6 |
2010年 6月 |
全学連現地闘争本部 |
2010.6.27 |
7・1鈴木さん一坪裁判 |
第4765号 |
団結街道の閉鎖実力阻止! 臨戦態勢拡大へ7月第3誘導路認可・着工粉砕を三里塚新地平を切り開いた5・16緊急闘争〜6・8奪還の闘い国鉄・沖縄・法大と一体で権力・NAA追いつめよう
反対同盟の建物や土地、権利の侵害が直接の争点となって実力闘争が爆発したのは、1990年1月の天神峰現闘本部封鎖阻止決戦以来です。この20年間、日帝・国土交通省、空港会社(NAA)は、土地収用法(事業認定)の失効を強制された結果、すでに買収した土地以外の工事はできなかったのです。攻撃はすべてフェンスの中。2002年の暫定滑走路も北に800メートルずらし、未買収地をジグソーバズルのように避け、欠陥を承知でデタラメ滑走路を造り、開港させざるをえなかったのです。 「飛ばしても屈しない」反対同盟と三里塚闘争。この強じん不屈さに、昨年7月に開業したばかりの東側誘導路を放棄し、新たな第3誘導路建設を行わなければ、成田空港の位置が危うくなる所に追い込まれたのがNAAであり、成田市・芝山町など地元自治体および経済団体、利権団体でした。 こうして強行してきたのが天神峰団結街道の閉鎖という大暴挙です。しかしNAAも警察権力も地元自治体も、44年という三里塚実力闘争の何たるかを見くびっていました。それが5月17日の「閉鎖看板」設置の強行です。前日の5月16日に反対同盟は緊急現地闘争を開催し「臨戦態勢突入」を満天下に宣言していたにもかかわらず、無準備のまま看板設置に手を染めたのです。 間髪入れず決起した市東さんと現地支援。まさに44年の三里塚闘争を支えてきた闘魂が、ここ一番という時に爆発したのです。この決起を合図に動労千葉を先頭とする労働者、北総農家を先頭とする農民、法大を先頭とする学生、市東さんの農地取り上げに反対する会を先頭とする市民など全三里塚闘争勢力が総決起しました。ぼう大な檄文は、北海道・沖縄はもちろん韓国・民主労総ソウル本部からも寄せられました。そして、これらの闘いが現在まで閉鎖看板の設置を阻止しつづけています。 まさに「まなじりを決し火の玉となって」(3・28集会)決起した反対同盟・労農学の勝利です。本日の集会はこの勝利を確認し確信を深め、7月団結街道閉鎖・第3誘導路認可・着工実力阻止へ、闘いをステージアップする趣旨です。 6月14日、団結街道底地は空港会社に売却され、空港会社の一存で明日にでも閉鎖工事が強行される情勢です。第3誘導路の認可をめぐっては、4月2日に申請が出され間もなく3カ月。5月24日には公聴会が行われいつでも処分が出されます。1999年の暫定滑走路認可の時は12月1日夕方認可、3日着工でした。認可・即着工攻撃に出てくることは明らかです。 本日の集会成功を皮切りに、臨戦態勢の新たな強化・拡大に取り組み、団結街道廃道阻止・第3誘導路粉砕決戦をさらに爆発させよう。日帝・国土交通省・NAAをさらに追いつめよう。5・16〜6・8の緒戦の勝利は偉大です。市東孝雄さんは4・25沖縄県民大会への参加が大きな経験になったと語っています。軍事空港・軍事基地のための土地収用と闘う三里塚・沖縄は一体です。7月決戦へ進撃しよう。 |
全学連現地闘争本部 |
2010.6.23 |
6・27全国結集大闘争 |
第4764号 |
団結街道の閉鎖実力阻止! 第3誘導路粉砕!6・27全国結集闘争の成功を成田市によるNAAへの団結街道の売却弾劾せよ誘導路着工と同時攻撃も 労農学の臨戦態勢強めよう
反対同盟は、1月10日の団結旗開きで鳩山・民主党政権、前原国交大臣―NAAとの全面対決を宣言、2月25日の天神峰現闘本部裁判判決で仮執行宣言粉砕という橋頭堡を築いた。 2月3日に団結街道廃道化攻撃が浮上するや2・25の勝利の上に団結街道廃道阻止の闘いを正面課題にすえ、2・10成田市当局追及闘争〜・26成田市議会包囲闘争そして3・28全国総決起集会闘争へと上りつめた。そこで「まなじりを決し、火の玉となって団結街道廃道阻止、第3誘導路粉砕へ闘う」との歴史的な戦闘宣言を発した。 そして5月16日の緊急現地闘争がかちとられた。その基調報告で萩原進事務局次長が「本日から臨戦態勢に突入する」「全支援勢力は同盟の決意を受け止めて欲しい」と訴えた。これを受けて市東孝雄さんが「私はこの闘いの先頭に立つ。わが身をもって決意を示す」との戦闘宣言を行った。 その翌日、市東さんは戦闘宣言を実践する実力決起をやりぬいた。全反対同盟がこれに続いた。5月24日の公聴会粉砕闘争をやりぬいて不当逮捕された萩原富夫さんは同盟の決意をこう語る。「3・28全国集会以来、同盟はいつでも攻撃を迎え撃つ決意にあふれていた。自分も市東さんが逮捕されている状況下での5・24デモで『何もなしでこのまま終わるのかよ』という気持ちだった」と語り、5・24決起が何としても市東さんの闘いに続く、との思いに駆り立てられたものであったことを証言している。 そして、5・17決起の波及力はすさまじい勢いとなって全国を席巻、韓国・ソウルにまで届いた。闘いの中心である市東さんが自ら逮捕を辞さぬ決起を貫徹した――この絵に描いたような決戦突入の構図は三里塚44年の底力を爆発的に引き出した。労働者・学生を先頭に農民、市民などあらゆる階層の三里塚闘争勢力の決起を呼び起こした。 団結街道廃道阻止決戦は、反対同盟の拠点が直接の攻撃にさらされるという点で、1990年の現闘本部封鎖阻止決戦以来の〃実力勝負〃だ。これからが本番だ。6月14日に成田市は空港会社に対して団結街道底地の売却を強行した。団結街道の閉鎖工事はNAAの胸三寸だということだ。 第3誘導路の認可が6月下旬から7月上旬と予想される。2001年の暫定滑走路認可の例から見て、翌日着工の攻撃が濃厚だ。6月下旬から7月上旬にむけて大決戦となることは避けられない。6・27全国結集大闘争は、この決戦態勢を築く集会だ。国鉄・沖縄・法大と一体で爆発させよう。 |
全学連現地闘争本部 |
2010.6.17 |
団結街道廃道阻止の臨戦態勢堅持しよう |
第4763号 |
成田用水攻撃と闘い抜き、菱田反対同盟の旗を死守鈴木幸司さんの逝去を悼む反戦・天皇制打倒を掲げ三里塚闘争に捧げた生涯
三里塚44年の闘いの中で鈴木さんの最大の闘いは成田用水粉砕の奮闘だった。1980年頃から本格化した菱田地区分断攻撃である成田用水。1978年の暫定開港にいたる過程で、空港反対運動が、敷地内農民と敷地外・騒音下農民の団結・連帯の力で推進されている事実をつきつけられた空港公団(当時)と運輸省は、騒音下地区の拠点である菱田反対同盟の破壊に乗り出した。それが成田用水攻撃だった。 菱田地区農民の悲願であった湿田の乾田化と基盤整備。これを農林省予算でなく運輸省予算で行うところがこの攻撃のミソだった。一戸あたり実質1000万円という露骨な買収攻撃だったが、中郷部落のボスを先頭とする用水推進派は「空港反対運動を闘うためにも田んぼの改良が必要」「毒まんじゅうでも毒であると分かって食えば毒じゃない」などの見え透いたへ理屈で、菱田反対同盟分断の先兵になっていった。 こうした中、部落での孤立も恐れず、三里塚闘争の原則を貫き、敷地内反対同盟との連帯の道を歩んだのが鈴木幸司さんだった。部落の幹部連中が押しかけ、成田用水への協力を強要したこともあったと聞くが、頑として三里塚闘争の原則を譲らなかった。「一軒になっても闘う」と菱田反対同盟の旗を死守したのだ。 こうした信念は、戦前の徴兵とモンゴルへの抑留体験による天皇制への怒り、侵略戦争への批判という反戦の闘いの原点に支えられていた。そして、全国の闘う仲間との信頼と団結が鈴木さんの闘いを支えた。 「闘えば勝てる」がモットーだった鈴木さん。2度の不当逮捕をはねのけ、京都大学熊野寮をはじめ、育ててきた闘いは全国に展開し、現在の三里塚闘争の支援陣形を形づくっている。 三里塚闘争と鈴木さんの人生は完全に重なり合った。市東孝雄さんの奮闘ぶりに目を細め、敷地内と連帯する闘いを誓っていた。団結街道廃道阻止決戦、第3誘導路粉砕決戦のただ中で逝かれた鈴木さん。勝利にむけた遺志はわれわれが実現します。その闘いを見守って下さい。 葬儀に闘う労農学かけつける
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全学連現地闘争本部 |
2010.6.11 |
団結街道廃道阻止の臨戦態勢堅持しよう |
第4762号 |
6月8日 市東孝雄さんをついに奪還!全三里塚闘争勢力の怒り 起訴攻撃粉砕次は6・27闘争の爆発だ臨戦態勢堅持せよ 廃道・第3誘導路阻止へ
市東さんの釈放をめぐっては、起訴か不起訴かのぎりぎりとしたせめぎ合いが続いていた。通常であれば「器物損壊罪」で10日間の勾留が付くこと自体きわめて異例だ。しかし、2泊3日の警察勾留につづいて、検事勾留が1度ならず2度も延長された。このこと自体、日帝権力・千葉地検が並々ならぬ危機感で市東さんへの屈服強要に出ていることの証しだった。 市東さんは初逮捕である。詳しい法律知識もなければ警察官や検察官との対峙の〃革命的作法〃も知らぬまま、逮捕・勾留された。しかし、獄中でもまったく動ぜず、父・東市さんゆずりの闘魂で、直ちに完全黙秘・非転向の闘いに入った。 それだけではない。「俺たちは本気だ。このことを権力に思い知らせてやった」という歴史的な獄中アピールを発した。 同じ日に逮捕された現闘員の同志が証言している。「5月17日は別々の逮捕だったから警察署で市東さんと顔を合わせるとは予想していなかった。しかし、警察署に着いたら、少し離れたソファーに堂々と座っている市東さんを発見して驚いた。これが初逮捕の人の態度か…。腹の据わった闘士であることがよく分かった」と。 実際、出獄後の市東さんの話を聞いても、取り調べの高橋俊介検事が「調書には書かないから雑談しよう」とか「ここでは話さないで外に出てから話すという態度は人間として卑怯だ」などと、あの手この手で屈服させようとした様子が語られた。検事は「話してもらわないと上に報告ができない」と泣き言を言い、最後は「黙秘するなど農民のやることじゃない。黙秘するなら起訴する」と脅して、屈服を迫ったが、ついに市東さんに跳ね返されたのだ。 感動的な再会に歓声、出獄歓迎会で夜更けまで勝利の美酒 午前11時45分頃、市東さんが天神峰に戻ってきた。待ちかまえた反対同盟、三里塚現闘、全学連行動隊、「市東さんの農地取り上げに反対する会」のメンバーらと感激の再会を果たすと、歓声が上がった。市東さんと萩原富夫さん、三里塚現闘員はこの夜、出獄歓迎会に臨んだ。歓迎会では航空機騒音をものともせず勝利の美酒に酔った。 |
全学連現地闘争本部 |
2010.6.7 |
6・8市東孝雄さんを不起訴奪還しよう 勾留期限終了 |
第4761号 |
6月8日で勾留期限終了 市東孝雄さんを奪還しよう!「閉鎖看板」の設置自体が違法だ(道交法76条)怒りの抗議は当然・正当韓国民主労総など 国内外に支援の輪広がる
獄中に不当勾留されている市東孝雄さんと現闘員の勾留期限が6月8日に「満期」を迎える。全人民の力と声で不起訴・奪還を必ずかちとろう。 6月4日、勾留されていた萩原富夫さんを取り戻す5月24日の公聴会粉砕闘争で不当逮捕されていた萩原富夫さんが6月4日、家族と人民のもとに無事奪還された。富夫さんは翌日の宣伝カーに乗り込んで市東さんへの激励宣伝を行った。 |